2008年10月29日

間奏曲31 Qちゃん引退する

 今日の空は白く薄い雲が美しく、青空に花嫁のヴェールが掛ったようでした。また夕方にはこの雲が茜色に染まり、見事な夕焼けが見えました。本当に爽やかな秋らしい一日でした。この爽やかな空を楽しんだ私は、昨日のQちゃんの引退会見の席上で述べた「今は爽やかな心境です」の彼女のコメントを思い出し、それは丁度今日の空模様のようかな?と推量しました。もうあの走りと笑顔が見られないのは真に残念な事です。しかし常に勝つ事が求められた彼女の日常は大変なプレッシャーの中にあったと想像され、もう限界だったのでしょう。引退は正に正解です。彼女は自分で自分を破滅から救ったのです。
 実は私はQちゃんのファンでありました。何時も彼女の走りを楽しみにしていました。その風情は、野に咲く撫子のようにたおやかに走り、その後を甘い香りが追い掛け漂うようです。そして勝利の後の向日葵の笑顔、誰もが思わず愛してしまう様な…、高橋尚子は本当に愛らしく強いアスリートでした。
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2008年10月27日

昼餉・東照宮日光金谷ホテル食堂にて

 昼餉
金谷ホテルの食卓
 二荒山神社、東照宮、輪王寺を巡り参拝を済ませると丁度昼時となり、私達は昼食を取る事にしました。今回は前もって食事処を決めていなかったので、思案しながら境内を歩いていた所、その一角に休み処が設えてあり、その一店に金谷ホテルの出張食堂がありました。私達は即座に気に入り、迷わずその店に入店しました。プレハブながら店内の内装は中々お洒落に造られていて居心地はまずまずでした。愛らしい田舎娘のウェイトレスが注文を取りに来、私達はドリンク付きでハンバーグ・ステーキとライスを求め、私は紅茶を、妻はコーヒーを指名しました。肉は香辛料の甘い香りがふくいくとし、かなりレアーで肉汁が滴り、口の中でとろけました。単純な料理ですが、しっかりとした旨味があり、老舗のホテルの味とはこう言うものなのか…と感心しました。暫く談笑に耽り、ふと時計を見ると午後も大分進み、慌てて勘定を済ませ店を出ました。そしてもう一つの大きな楽しみ、残りの時間を全て費やしての紅葉狩りへと向かいました。
*日光金谷ホテル 
 日本最古の西洋式ホテルと言われ、明治6年にカッテージ・イン(民宿)として創設されました。その経緯は、この2年程前、アメリカ人宣教師ヘボン博士が西洋人として初めて日光を来訪した事に始ります。その折りに博士の宿泊の世話を焼いたのが後の創業者、東照宮・雅楽楽師の金谷善一郎でした。その接待に快い満足を得た博士は今後の外国人の日光来訪の増加を確信し、金谷に外国人に好まれる洋式ホテルの経営を進めました。その後博士の言葉どうり、多くの著名な外国人が日光を訪れるようになり、金谷のホテルは評判を呼び、日本の国威向上と共に内外の著名人や一般人までが利用するようになりました。その宿帳にはヘボン博士のほか、高名な英国人旅行家イザベラ・バード、英国の王子コンノート公、アインシュタイン博士やヘレン・ケラー女史などの著名人のサインも残されているそうです。(時間旅行へのご案内より)
*写真の料理の下のランチョンマットには金谷ホテルのあれこれが書かれています。
*写真右上のしおりは日光案内図で、これを頼りに今回の旅を楽しみました。因みにこのしおりは境内脇の土産物屋で仕入れました。 
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2008年10月26日

日本の景色5 日光、祈りの旅 2008.10.18

 私は元来、繊細な心で我儘な性格を持ち、人に気兼ねをする人間なので、他人と一緒の旅は苦手です。それで大抵は妻や娘達、そして父母と旅をしてきたのですが、娘達は成人し父も老衰で動けなくなったので、今では妻と二人の二人三脚の旅が多くなりました。二人きりであれば、たとえ旅先で喧嘩をしようとも直ぐに許し合え仲直りができ、そしてそれがより強固な信頼を得る切欠となる事も充分知り得たのでした。これからの人生もこのよき相棒と様々な地を巡り、心に刻みつけられる感動に出会いたいと切望しています。年老いて動けなくなるまで、二人で旅して居たいと思います。
 今回は、世界遺産・日光の神仏と文化に触れ山谷の紅葉を愛でる旅を計画しました。そして思いどうり、この地の興味の尽きない風光風土を堪能する事ができました。
 
 1、二荒(山)神社
二荒山神社 
 日光の守り神・男体山を御神体とする山岳信仰由来の神社です。その起源は、勝道上人が男体山(二荒山)の開山を果たした折節であり、この日光の地に祭られました。さらに男体山山麓の中禅寺湖畔に中宮祠があり、男体山山頂には奥宮があります。(日本旅行社、日光案内図より)
 鬱蒼とした杉の巨木に囲まれた、古式床しい神社でした。東照宮の絢爛とは好対照をなしており、静けさの中で参拝をする事ができました。その静寂の祈りが心の落着きを取り戻せるのです。

 2、化灯篭(唐銅灯篭)
化灯籠
 二荒山神社の山内にある唐銅の灯篭。お化け灯篭と称されて有名になりました。その名の由来には三つの伝説があるそうで、その一つをここで紹介します。{昔、この燈篭が蓑を着、笠を被り、化け物のように夜な夜な山内を出歩いていたそうだ。これを見た社家や僧侶は驚いて「ふざけた灯篭だ」と言って刀で切りまくったのだそうだ。それで今もこの様に灯篭には刀痕が鮮やかに残っているのだ。}(日本旅行社、日光案内図より)
 
 3、見ず、言わず、聞かずの三猿
見ず、言わず、聞かずの三猿
 神厩舎の長押(なげし)に飾られた彫刻で、猿が馬を病気から守ると言う信仰から猿が題材に選ばれたそうです。左から右に八面の猿の彫刻があり、猿が生まれてから子を産むまでを物語風にあらわしたものです。その真意は人に教訓を与える事で、人間を猿に見立てて風刺したものです。その第二面が「小さい(子供の)時には悪い事は見ず、言わず、聞かず」の三猿で、特に有名です。(日本旅行社、日光案内図より) 
 
 4、神厩舎
神厩舎
 神馬は従来、木の柵や木立に繋がれて過ごしていました。ところが東照宮造営にあたり、初めて神馬のために厩舎が建てられました。それがこの建物・神厩舎です。(日本旅行社、日光案内図より)
 この日は厩舎の中に、つぶらな瞳で美しい毛並みの愛らしい白馬が繋がれていました。これが神馬でしょうか? 美味しそうに… 夢中になって飼い葉を食んでいました。

 5、陽明門
陽明門
 絢爛豪華な正に目を奪う門、東照宮建築の白眉と言えます。日の暮れるまで見ても見飽きないとの事で「日暮門」とも呼ばれたそうです。その陽明門の名は、京都御所十二門の内の名称を朝廷から頂いたもので、正面の額「東照大権現」の書は御水尾天皇の筆によるものです。門をくぐり抜け、向って右から二番目の柱一本は渦巻状の紋様が他の十一本とは逆で、これは魔除けの逆柱と言われています。(日本旅行社、日光案内図より)
 この宮の設計者・天海和上は家康を神に祭り上げ、徳川の権勢を盤石のものとする為、この東照宮を建立しました。それは前代未聞の財と人力を注ぎ込み、最高の墓を造る事で徳川の威光を世と朝廷に示したのです。
 私はこの東照宮を訪れるのは今回で三度目ですが、何故かその都度、心の落ち着きを得られた試しがありません。それはその雑踏のせいと私は思い込んでいましたが、どうもそれだけではなさそうなのです。この建築様式のこれでもかこれでもかと言った押しの強いパフォーマンスの圧力に、私は居心地の悪さを禁じ得ないのだと気付いたのです。何故か判りませんが、芸術とは異なる何か得体の知れぬ強い力が加わっているように感じるのです。そこに優れた宮の持つ、心鎮める深い奥行きが無いと感じます。 

 6、眠り猫
眠り猫
 彫刻師・左甚五郎作の猫の彫刻。東回廊の潜り門にあります。構図は“牡丹の花に眠る猫”で、牡丹の咲く頃は猫が最も眠くなる季節だそうです。(日本旅行社、日光案内図より)
 そんな楽しい彫刻ですが、猫は隙が無く怜悧に見えます。完璧に彫られていて完成度が高く、美しいと感じました。
 猫の彫刻、誰の発案だか知りませんが、実に興味深いものです。

 7、輪王寺の数珠
輪王寺の数珠
 私は宗教に疎く、この意味で信仰があるとは言えません。そしてそれはこの私と同様に、大方の日本人の現状でしょう。しかし自然を愛し、芸術を愛する私はそれらに心寄せて深く味わい、その時の心境は清らかで祈りの法悦と何ら代わる所はありません。世の平和を祈り、家族の幸福を祈る、この祈りとは正に人の心に開花した善であり、信仰心と同意語に思われます。また道祖神を巡ったり、神仏に手を合わせると何故か心が癒され、軽やかな心持ちになれます。自然であれ芸術であれ神殿であれ仏像であれ、どんなものにも神(善)は宿るのであり、それを認識できるかできないか、それに心開くか開かないかは見る側の眼力(心眼の力)の有る無しによるのです。然らば私は宗教は持たないが、己が心で信仰心を持っていると言っても誤りではないでしょう。
 また、私は世事にも疎く、世の慣習や行儀作法が苦手です。それは私の親の躾が悪かった事もありますが、私自身がその様な儀礼や常識の知識に関心がなかったからなのです。還暦間近になっても恥ずかしながら、私は数珠の一つも持たなかったのですから…。そんな私を半ば諦め、半ば憐れんでいるのが妻であり、今回、私に輪王寺の数珠を買ってくれました。有り難く頂いて心改めて居る所です。
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2008年10月22日

自然の風景7・日光、奥日光 2008.10.18

 日光は東照宮に代表される歴史と宗教の聖地であり、世界遺産にも登録された日本文化の拠点でもあります。しかし、それらの遺産にも増して遥かに素晴らしい宝は、この土地の自然にあるのです。巨大な日光火山群が並び立ち、そのマグマの噴出により中禅寺湖や湯ノ湖などの堰止湖が現れ、戦場ヶ原の湿原や草原も存在します。そこには清冽な谷川が急流を刻み、名だたる瀑布も点在しています。このように広大な領域に変化に富んだ風物が列居しており、正に日光は自然の宝庫と言えるのです。そしてそこには貴重な動植物が繁栄し、豊かな生態系を形作っています。

 1、男体山 明智平より
男体山
 世界遺産の日光神社仏閣群散策(大切な目的)に長時間を費やし、金谷ホテルの食事をゆったりと楽しみ(これも当然)、おまけに途中のいろは坂の名にし負う破格の渋滞(これは想定外)に遭遇し、私達の自然探勝は大幅に削られる危機?を迎えたのでした。そしてやっとの思いでこの日の紅葉狩り第一の目的地・明智平に辿り着けました。この時、ロープウェイの窓より写したのがこの写真です。色付き始めた裾模様の上に巨大な山体が覆い被さり、その光景は尋常ならざる力感に溢れ、私は思わず驚嘆のうめき声を発してしまいました。これこそが日光の守り神、二荒神社の御本尊の男体山(二荒山)でありました。

2、中禅寺湖の樹林
中禅寺湖の樹林
 中禅寺湖の岸辺は美しい樹林に覆われています。その岸辺の道路を通過する際、午後の西日が湖面に反射し林間へと差し込み、林は輝いて見えました。光る葉はまだ緑を保ち若やいで見え、ここだけが夏の名残りを残しているように錯覚しました。私は暫し季節を行き来したのでした。

 3、湯ノ湖
湯ノ湖
 北に湯元温泉街を控える行楽の中心地と言う事ができます。しかしそこから目を逸らせば全く異なる神秘の湖が開けています。原生の山と清らかな水、この山と水の風景こそが山紫水明の発祥であり、日本人の心の故郷なのです。そしてそれは私の自然愛好の原点です。
 温泉を含んでいるようなトロリ?とした湖水は滑らかに滑り、私の気持ちまで滑らかになる気がしました。深い満足の潤いが私にありました。
 
 後記:世界遺産探勝と食事、それに想像を絶した渋滞により、この日の主題の紅葉狩りは大幅に短縮され残念に思いました。秋の日は釣瓶落としの言の如く、秋の旅は時間との勝負であり、それを誤ればこの様な結果になるのは必定でした。秋の日光の素晴らしい瀑布群や戦場ヶ原の原風景、そして金精峠を彩る紅葉などはじっくり観察できず、遠望や車窓風景頼みとなりました。不満足ではありましたが、これらは来年の楽しみとし、この旅の総括と致しましょう。
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2008年10月21日

自然通信53 秋の湯ノ湖

 深まる秋、私達は紅葉を愛でようと奥日光の湯ノ湖を訪れました。紅葉とは不思議なもので単なる植物の自然現象なのですが、それを見た人間は大いに感嘆し心を動かします。単に美しいだけではない、植物の旺盛な活動を終える最後の精一杯の華やぎに、人は共感するのです。秋の短い日の中で世の無常を目の当たりにし、己に置き換えて恋慕うのです。それは生への切ない憐憫と思われます。

秋の湯ノ湖
 自然通信53 秋の湯ノ湖 栃木県奥日光 2008.10.18
 ここ数日の天気が余りにも好く、またNHKのお天気お姉さんの週末の予報も素晴らしく、私はこの日を置いて今年の今一度の天下の紅葉を楽しめる時は無いと早合点し、妻を伴い日光に出掛けてしまいました。朝五時に自宅を発ち、まずは世界遺産の東照宮とその周辺の神社仏閣に参詣し、神仏の加護を頂き、この旅の安全を祈願しました。宗教心を持たない私ですが、心静かに手を合わせていると何故か不思議な安らぎを覚え、晴れやかな気分になるのでした。日光金谷ホテルの美味しい昼食を取り、いざ勇んで紅葉狩りへと動いた途端、途中、まだそれ程色付いていないイロハ坂で恐ろしい渋滞に巻き込まれ閉口しました。やっとの事で明智平に辿り着き、その展望台から望んだ男体山の雄姿と華厳の滝の紅葉に、渋滞で荒んだ我が心根は癒されました。途中の戦場が原では巨大な唐松群がその枝先の隅々までを黄金に染め、威風堂々と並び立ち、その偉丈夫振りに私達は惚れ惚れと見惚れました。そして漸く午後遅く、本日の最後の目的地・湯の湖に至りました。高木には葉は少なく、渚の水際の低木が紅に色付いていました。温泉の混じった湖水は満々と湛えられ滑らかに滑り、辺りの山の静けさと呼応し幽玄の佇まいを見せていました。
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2008年10月19日

間奏曲30 秋の虫、そして新たな声

 秋も深け冷やかな外気の中、秋の虫達は益々冴えた音を響かせています。秋の初めのあの盛んな響とは一線を画したやや切ない響、しかしそれでいて後には引かぬ執拗な根気を示しているように聞こえます。静かだが弛まない、情熱が内に籠った一途な愛の歌を歌っているのです。私はそんな彼らの歌に知らず知らずに引き込まれ、心揺れながら陶然と聴き入ってしまいます。
 相変わらずアオマツムシが健在で、「りーりーリー………。」とそれは背景に回ったり主役に躍り出たりで鳴きどうしであり、正に秋の夜はアオマツムシの独壇場と言えます。そしてそこに申し訳なさそうにツヅレサセコウロギの「り、り、り、り…。り、り、り、り…。」やカネタキの「チッ、チッ、チッ、チッ。」が相槌を打ちます。もう暫くすればエンマコウロギが「リー、コロコロコロ、りーりーりーりー。」と鳴き出すでしょう。この虫はおっとりと最後のお出ましであり、冬の始まりまで鳴くのです。
 今、ここに来て昼間は虫の声は殆ど聞こえなくなりました。その代り野鳥の声が多く聞こえ、この地への来訪が増え始めているようです。モズの高鳴きは疾うに終わり、今はヒヨドリやシジュウカラ、メジロにツグミなどが訪れているようです。そして今日、「ツィー、チりりり………ルルル…。」と高速で甲高い美しい声が聞こえてきました。そうです、エナガが訪れて来たのです。これは柄(尾羽)が長く黒い色、羽は黒白茶の縞目、頭部と腹部は鮮やかに白く、眼の上は青黒く嘴は極めて小さい可愛い小鳥です。十羽ぐらいで群れている様は、黒白の体が目まぐるしく跳ねまわり、それは鮮やかな輪舞を繰り広げ本当に美しのです。
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2008年10月16日

間奏曲29 月に寄せて

 今日は秋晴れとなり空気は乾燥し空は澄み、美しい青空が望めました。この陽気は三四日続くと夜のTVのお天気お姉さんに言われ、私は週末に日光にでも紅葉狩りに行こうかと思案しておりました。
 夜半の今、私はベランダに降り、外気を楽しみ月を眺めています。今宵は冷気が降り月が冴え冴えと輝き、秋の夜長が緩やかに過ぎようとしてます。月齢は17.8で乱視の私でも丸々と見えています。この時節の月は高く、今は東の空高くに照り映え、後一時間もすれば頭上真上に達するものと思われます。久し振りに月を愛でたりして世の喧騒と生の焦燥から逃れ、一時ふっと落ち着いた心持ちで過ごす事ができました。月と冷気に感謝するといたしましょう。皆様にも観月をお勧め致します。きっと心癒されるでしょう。ではお休みなさい。
posted by 三上和伸 at 23:26| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

間奏曲28 ラ・カンパネラを聴いて

 昨晩は再びNHkBSUのアマデウスを楽しみました。先日の放送で視聴したシューマンが素晴らしかったので、今回も楽しみに拝聴しました。題目にはリストのラ・カンパネラが上り、それは期待に違わぬ興味深い話が幾つか聞けました。ラ・カンパネラはそもそもイタリアのヴァイオリニスト・パガニーニの曲で、パガニーニに私淑しこの曲を好んだリストが己の領域のピアノのために編曲したものであるそうです。そしてこの同曲の編曲は三編あるそうで、それは私の驚きを誘いました。小山実稚恵のピアノ演奏でその全三曲の触りを聴かせてもらい、私はリストの芸術家としての成熟の過程を知る事ができました。初期の第一編はパフォーマンスのみの高慢な俗物を想像させ、次の第二編ではリストの作曲家としての迷いを感じさせました。そして第三編の成熟に至ります。ここでは迷いは消え、技巧を駆使しながらもピアノと言う楽器の持つ官能性を極限まで発揮させる事ができました。そしてそこに音楽をする喜びを込められたのでした。
 しかし、この番組では述べられていませんが、リストがその第三編の高みに辿り付けたのには、ある女性の存在が影響しています。その女性の名はカロリーネ・フォン・ザイン・ヴィトゲンシュタイン伯爵夫人であり、彼女なくして今日のリストの栄光は無かったのです。そもそもリストは作曲にそれほど興味は無く、己のピアノ演奏の超絶技巧をアピールするために、それに見合った曲が必要だったので作曲していたのです。第一編などはその典型でありました。リストはピアニストとしての自分しか考えていなかったのであり、人の情念の表出を宗とする創作は苦手だったのでした。リストと愛し合い不倫の同棲をしたカロリーネは、常々そんなリストを心配し、しきりに作曲を勧めました。それは音楽家として後世に名を残すには優れた作品を残すほか道は無いとカロリーネは確信していたからで、当時のリストの社会的な破格の栄光を後世に伝えようと、この賢い女性は切実に考えていたのです。リストがその傑作の第三編を作曲した時期はこの婦人と生活を共にし始めた大分後であり、この事実がリストの作曲家としての真実を如実に表していると思われます。カロリーネは自らの願いをリストに課し、リストはそれに応え見事に成就させたのです。
 スタンウェイのピアノで弾くリストは、正にこれぞピアノと断言できる煌びやかな響きに満ちていました。スタンウェイはピアノ造りの一つの理想です。
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2008年10月10日

日本の景色4・安曇野漫歩 2008.10.05

 乗鞍岳観光を楽しんだ私達は、翌朝宿を後にし一気に安曇野に向かいました。途中“さかた菓子舗”の“手作りおやき”を土産に買い求め、その内の二個をこの日のおやつとしました。その後、ほたか(穂高)の町に至り、この日の目当ての一つの穂高神社に詣でました。残念ながら今、穂高神社は改築中でシートが張り巡らされ、写真撮影は儘なりませんでした。しかし、妻は御朱印を頂きご満悦であり、二人楽しく安曇野漫歩へ繰り出しました。

@道祖神を訪ねて
文字を刻んだ道祖神像を彫った道祖神
 安曇野やここから北に続く塩の道には多くの道祖神が祀られ、旅の安全の守護と道標の役目を果たしてきました。また江戸時代の安曇野では五穀豊穣と民の幸せを願い、辻つじに建立されました。現代の私達にはそのような切迫した願いはありませんが、旅の楽しみの対象の一つとして存在してくれているのです。しかし、一つ一つ巡って行くといつの間にか心は優しく解き放たれ、平安な気分へと導かれます。今もこの道端の神は神通力を失っていないようです。
◎道祖神:道路の悪魔を防いで行人を守護する神。自然石、文字をきざむもの、像を彫るものなどいろいろの形がある。くなどのかみ。たむけのかみ。ひきものかみ。さいのかみ。さえのかみ。(広辞苑)
呼び名も沢山あるようです。

A碌山美術館
碌山美術館
 道祖神巡りを終えた私達は、いよいよ本日のメインイベント碌山美術館を訪ねました。私は昔、もう少し若い頃にここを訪ねた記憶がありますが、その時は若気の至りか余り感激はしませんでした。しかし、今回は、私も年を取り大分美の鑑賞の術を積んだ後なので大いに感動をし、芸術の持つ凄さや素晴らしさを体得できました。碌山は私の予断を越えた天才であったのであり、その作品は威光を放っていました。
 碌山(荻原守衛/1879-1910)はこの穂高町に生まれ、近代彫刻の先駆者として傑作をものにし、僅か三十年余りの短い生涯を終え、東京に没しました。碌山は初め絵画に目覚め画家を志し、アメリカ、そして後にパリに留学しました。そのパリ留学中に彫刻家ロダンと出合った事が碌山の人生の大きな転機となりました。ロダン作の考える人に見入られ、その力強さ、その精神の輝きに心打たれ、自身彫刻家に転身する事を決断しました。ロダンに導かれ暫く遊学していましたが、死の二年程前に帰国を果たし、激しい意欲を持って創作に打ち込みました。しかし、その無理が祟ったのか、絶作の「女」を完成した後、突然発病し明治四十二年四月二十二日に帰らぬ人となりました。まだまだ多くの傑作をものにできたでありましょうに、その無念さは想像に難くありません。(碌山美術館備え付けのしおりより)
 その作品には、文覚、デスベア、北條虎吉像(重要文化財)、女(重要文化財)などがあり、若年の芸術家の作品とは思えない成熟が感じられます。私には精神の力強い表出が感じられたのでした。特に「女」は美しく、その対象は碌山の叶う事のない苦悩の恋人・相馬黒光と言われ、そう思い眺めていると何やら熱く悲しい心持ちとなり、不思議な感動が込み上げてきました。
 
 余談・安曇野の美味いものニ題
 信州は冷涼地特有の産物が豊かにあり、我々暖地の都会人には羨ましい限りです。松茸や蜂の子の高級品から馬肉、岩魚、鰍(カジカ)などの中級品、蕎麦に林檎に野沢菜などの庶民的な物まで数えればかなりの数に上ります。熊や鹿も食べられるそうです。然るに私達夫婦はどちらかと言えば庶民派なので松茸や馬肉は止めにして、昼には蕎麦をおやつには野沢菜や胡桃味噌餡の入ったおやきを頂きました。
 穂高上原のそば処“常念”の蕎麦(二枚・¥1,000位)は程好い腰があり、するりと喉を通る喉越しが良く上等なものでした。水がよいからこの旨さがでるのでしょう。そして何より他県の蕎麦に比して素晴らしい所は、特産の山葵と蕎麦との相性にありました。つーんと鼻に抜ける山葵の辛さと香りが絶品で蕎麦の芳香と絡み合い、それは見事な風味を醸し出していました。 
 松本市新村の“さかた菓子舗”のおやき(一個・¥200位)は、値は少々張りますが、ぎっしりと詰まった豊かな具に小麦粉の皮の香りが混ざり合い美味しく、私のおやきの一押しです。思わずガブリとかぶり付き、食べ応えは十分でした。何と言おうとも、信州は旨い!!! 
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今宵の宿・坂巻温泉 2008.10.04

 今回の旅を計画した際、宿選びは一冊の温泉ガイド本を用いました。それは“ガイドのとら・信州温泉”と言う冊子で、信州の名湯・秘湯の四百湯を集めたもので使い勝手がよく、中々の選れものです。このガイド本に依れば坂巻温泉は、湯温が高く加水であるが源泉掛け流しで露天風呂も男女共にあると書かれてありました。更に一軒宿で自然の静かな佇まいの中に存在するとあり、私は気に入り宿に電話を入れ予約を取りました。そして一泊の世話になり、その私の感想は概ね良好のものでした。料理は決して手の込んだ物でなく、昔の信州の素朴な味が食卓に並びました。その象徴的な物と言えば鯉の洗いと鯉濃でしょう。現代の私達にはそれはそれ程の御馳走ではなかったのですが、メタボの私にはヘルシーな料理であると妻に諭され、有り難く頂きました。サービスや接客もあっさりとしたもので、私としては煩くなく、居心地は悪くなかったのでした。とにかく、ここの売りは温泉であり、炭酸水素質の塩化物泉で軟かく滑らかな肌触りのする入り心地のよい、よく温まる湯でした。因みに、湯舟の床には黒い砂利石が敷き詰められており、体重のある私には歩くと痛く閉口しましたが、清潔感は勝るので、妻は喜んでいました。
 夜更けの湯浴みは露天の星空が真に素晴らしく、今も私の眼の中でその清冽な像を結びます。
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2008年10月08日

自然の風景6・秋の乗鞍岳

 秋の乗鞍岳 2008.10.04
 乗鞍岳は自然の宝庫と言われ、様々な風物や動植物に満ちています。そしてそれは四季折々の姿を現し、一時も止まる事を知らず移ろい行きます。自然を愛する者に変化に富んだ風景を見せてくれるのです。今は秋、この季節の素敵な乗鞍の一齣を、ここで皆様もご覧になってください。

1、乗鞍の花 
 高山の花の季節は夏ですが、秋にはその名残とも言える跡形が残っています。今回はヤマハハコとチングルマの成れの果てをご紹介致します。
 @ヤマハハコ(山母児・キク科ヤマハハコ属)
ヤマハハコ
 ハハコグサ(オギョウ)やエーデルワイス(ウスユキソウ)の親戚に当たる草で、背はやや高く多くは叢生し群生もします。白く乾いた総苞片が美しく、ドライフラワーとして好まれます。この写真の株もかなり乾燥が進んでおり、ドライフラワーの一歩手前と言ったところでしょうか。
 亜高山帯に多く、高原や山の斜面などに見事に群生した姿が見られます。

 Aチングルマ(稚児車・バラ科ダイコンソウ属)のそう果
チングルマ 
 高山のお花畑によくある草で、写真にある秋の実成りのこの姿こそがチングルマの名の元となりました。これは子供の風車に見える所から名付けられたものですが、皆様は如何思われますか? 私には小さな風車に見えます。稚児の風車が訛ってチングルマ、何て愛らしい名前なのでしょう。
 夏早くここを訪ねれば、一重の白薔薇に似たこの草の花に出会えます。それは清楚な高山の名花です。

2、乗鞍の紅葉(高山帯)
 @ダケカンバ(岳樺・カバノキ科カバノキ属)
ダケカンバ写真中央の針葉樹はシラビソ(白檜曾)です。
 この標高(2300M)になると最早、緑のシラビソは疎らとなり、その隙間を黄色く色着いたダケカンバが埋めています。ダケカンバは高山に生える樹木なのです。白樺とは兄弟の関係にある種で、白樺より標高の高い所に生育し、白樺に比べ幹の色が濃く灰褐色に見えます。また葉の光沢も勝り数も多く、その質感は確かなものです。高山の黄葉の代表と言えます。

 Aウラジロナナカマド(裏白七竈・バラ科ナナカマド属)
ナナカマド
 高山の紅葉の赤色を代表する品種で、説得力のある紅は秋の高山の華と言えます。その燃え滾る様は鮮烈であり、正に圧巻です。またその果実は紅葉より先に赤く色付き、たわわに実り、葉が落ちた後も残り紅に輝きます。

3、雪渓
雪渓
 岩の露出した登山道を登って行くと視界が開けてきました。そこには雪渓(残雪)が垣間見え、数人が夏(秋)スキーをしている所でした。本日は晴れで温かく、眼下の紅葉を望みながら、最高の気分で滑れたのではないでしょうか?

4、剣が峰(3026M)
剣が峰
 沢筋のガレ場から見上げた乗鞍岳の最高峰・剣が峰です。その左右の裾には二つの雪渓が残り、笑窪のようで、風景に愛らしいアクセントを添えています。手前の植生は這松帯で、そこに岳樺(黄)と七竈(赤)が棲み分けをしています。数日前に降雪があったそうで、岳樺と七竈はやや痛んでおり、この辺りは本来の錦織り成す素晴らしい景観とはいかなかったようです。
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2008年10月06日

自然通信52 紅葉の先に穂高

 秋と言えば紅葉、私にとって紅葉狩りは欠かせない秋の行事であり、大いなる楽しみです。その情景の中に佇めば、幸せが溢れ出し私は秋色に染まるのです。

紅葉の先に穂高
中央に吊り尾根が弧を描き、右に前穂が見えます。この日は残念ながら雲が消えず、左の奥穂は幽かに見えるだけでした。
 自然通信52 紅葉の先に穂高 乗鞍岳より 2008.10.04
 私と妻は、この秋の真っ先の紅葉を愛でようと、中部山岳国立公園の乗鞍岳を訪れました。ここは本州で一番早く紅葉を楽しめる山で、それは標高二千メートルを超える高山の紅葉です。麓の乗鞍高原でシャトルバスに乗り替え、山頂に向かいます。お洒落な白樺の林や樅の一種の神聖で夢幻的なシラビソの素晴らし森を抜けると、八合目の冷泉小屋に至ります。この辺りになると樹木の様相は一変し、シラビソの間にダケカンバやナナカマドが目立つようになります。シラビソの深い緑にダケカンバの黄やナナカマドの赤が混ざり、正に錦織り成す美しい秋の山の情景が展開されて行くのです。やがて木々の背丈はぐんと低くなり、這松が現れ、いやが上にも高山の雰囲気が増して行きます。四方が見とうせるようになり、思うが儘の眺望を手にした私たちは、九合目の位ヶ原山荘(2300米)でバスを降り、歩いて山頂を目指しました。メタボの私には高山の上りはきつく、荒い息遣いをしフラフラでしたが、眼下の絶景と抜ける青空に励まされ、やっとの思いで山頂の畳平に辿り着く事ができました。途中、天を衝く鋭鋒・穂高を望めた幸運が、この旅の充実を実感させ、それは何よりの恵みとなりました。
posted by 三上和伸 at 07:13| 自然通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自然の風景5・甲斐駒ケ岳 中央道八ヶ岳パーキングエリアより

甲斐駒ケ岳 2008.10.04
甲斐駒ケ岳
中央道八ヶ岳PAから望んだ南アルプス・甲斐駒ケ岳(2966M)
 私達は紅葉を楽しむため、この日北アルプス乗鞍岳を目指しました。その道すがら、中央道を通過する際、車窓左手に南アルプス連峰が現れ、私を驚かせました。その一峰の甲斐駒ケ岳が余りにも素晴らしかったので私は興奮を抑えられず、最寄の八ヶ岳PAに立ち寄り暫しこの名峰を観望しました。地の底から競り上がる力強い山塊は、何時見ても圧倒的であり、私は心奮えずにはいられません。幸先の良い幸運の兆しと私は受取り、この先の旅の充実を表している様に感じ、喜びました。
posted by 三上和伸 at 07:02| 自然の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする