2008年12月31日

音楽の話1 大晦日 第九とレクイエムを聴く

 今年の大晦日は紅白歌合戦も格闘技も見る積りはありませんでした。それに確たる理由はないのですが、心がそれらを求めなかったと言う事です。今年はもっと温かいもの心を潤してくれるもので年を越したく思いました。
 まずN響の第九を聴きました。闘争の一楽章、それに続く熱狂的舞踏の二楽章、ベートーヴェンの力に満ちた論理性が展開されて行きます。ところが三楽章、美しい流れの中に甘い追憶と静かな祈り…、ベ−トーヴェンの新境地、苦悩の告白が述懐されます。そこには晩年のベートーヴェンの切実な辛苦と疲弊が感じられ心に響きます。しかし第四楽章で最後の力を振り絞り人類の共存を謳います。それは正義と善意に満ちていて極めて哲学的であり思想的です。ベートーヴェンはゲーテに影響を受けていて「俺は音の詩人になる」と述べたそうです。この第九こそはベートーヴェンが命を掛けた偉大な作品であり、真に音の詩人に値するベートーヴェンのベートーヴェン的音楽です。
 そんなベートーヴェンを聴いた後、もっと心を埋めたくて私はモーツァルトのレクイエム(鎮魂曲・死者のためのミサ曲)を聴きました。このレクイエムと言うジャンルは時々聴きたくなる音楽で、その事で言えば私は特異な音楽愛好家だと思っています。親族の命日や彼岸の折りにも良く聴きます。レクイエムは死者の魂を鎮める曲ですが、生者にも広く心開かれた曲です。極論すれば生者に慰めを与える音楽と言えます。このモーツァルトの八曲目の「涙の日」とそのアーメン終止を聴けば、私は涙と嗚咽なくして聴き終わる事はありません。十三曲目「祝せられたまえ」や終曲の「永遠の光を輝かせたまえ」を聴くなら、深い心の平安を得る事ができるのです。そしてそれから力を得て、私は再び生きる希望を輝かすのです。 

 万歩計便り(2008.12.31) 6321歩
 三日月と金星は大分接近しており、今夜は手を伸ばし中指と薬指を開きピースサインをした間隔にあります。明晩はおそらく月が金星より東に抜けるかも知れません。大変美しく、是非ご覧あれ!
posted by 三上和伸 at 23:52| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲68 尋常への回帰

 とうとう家人は帰って来てしまい、私の一人住まいはあえなく終わりとなりました。その静けさの中の一人の生活は好ましく、もう少し続けたかったなと残念に思い、無いものねだりをしてしまいました。皆が帰ったとたん我が家は急に姦しく賑やかになり、ああだこうだと言い交わしたり、土産の菓子や総菜を食べ散らかしたりして雑然の日常が戻ってきました。そして私は気付きました。一人の時は競争がなく余り食べ物を口にしなかったのですが、皆が揃うと急につられて食欲旺盛となります。動物としての人間の性を自ら目の当たりにして愕然とし、しかし何やら一寸滑稽でもあり、私は人間とはこう言ういじらしいものかと思い感心した次第です。太る訳ですよね、こういう生活に溺れていると…。これは何太りですかね?…。生存競争肥り???...
 とにかく我が家はこの瞬間、尋常への回帰を果たしました。
 今夜は急に冷えてきました。暖かくしてお休みなさい。
posted by 三上和伸 at 00:04| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月29日

間奏曲67 仮初めの一人暮らし

 今日の仕事は杉並の高円寺なので私は朝早く起きました。そして先ずは溜まった衣類の洗濯をしました。一昨日の家族全員の分と昨日の私の分を全てやり、ベランダに降りて干しました。この干す仕事が思いの外大変で、女物の衣類など私は干した事はなく、寒さでかじかんだ手は思うように動きませんでした。つくずく男の不器用さを感じ嘆きました。そうこうしている内に早時間は迫り、シリアルの朝食と取り急いで出かけました。小田急で新宿へ向かったのですが、急行なのに特急に抜かれ、代々木上原から新宿まではノロノロ運転で遅刻は免れず、私は「やはり複々線になったとは言え小田急はだめだなー」と呟き腹を立てました。もっと普通客の輸送を第一に考えなければならないと思うのですが、如何なものでしょうか?小田急さん!。その点、京王や京急は優れたダイヤを組みスピードアップに力を注いでいます。但し、劣る事ばかりではありません。沿線の駅蕎麦の箱根蕎麦は逸品で首都圏の駅蕎麦では最も美味しいと思います。駅蕎麦に負けない庶民的な鉄道になってください!。宜しく!。
 さて、明日には我が愛しくも手の焼ける家族が帰ってきます。ですから気ままな一人寝の夜も今夜でお終いです。嬉しくもあり、名残惜しくもあり、今そんな中、大好きなインテルメッツォを聴きながらブログを書いています。ブラームスは悲しく常に涙目を見せ沈思黙考しています。私は彼ほど悲しがり屋ではありませんが、彼同様、悲しみの中に喜びを見出す方です。それは誇り高く寂しがりで愛なくしては生きられない人間だからでしょう。先ほど妻から電話がありました。声が弾んでいてさぞかし、冬の京都は素晴らしかったのでしょう。私は「それは良かったね!」と答え電話を切りました。でも私も何となく嬉しくなりました。

 万歩計を直しました。そして今日から再び歩き始めました。美しい星空の下、気持のよい汗を掻きました。月例1.6の生まれたてのか細い月が出ていました。今日は木星に接近していましたが、何れ金星に近寄るでしょう。楽しみです。今夜の夕餉は昨日のカレーの残りでしたが、歩けば腹が減るので大変美味しく食べられました。つくづく「動物は動かなければだめなのだなー」と痛感しました。 

万歩計便り(2008.12.29) 8572歩
posted by 三上和伸 at 22:42| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月28日

間奏曲66 たった一人でカレーを食べる

 今朝早く家族は京都へ旅立ち、残された私は一人午前中に夕飯に食べるカレーを作りました。それは至ってシンプルなカレーで、鶏肉とじゃが芋のたっぷり入ったチキンカレーでした。私はカレーの肉と言えば第一に鶏のもも肉、次が豚バラ肉、第三第四はなく牛肉に至っては絶対に使いません。その鶏肉はカレーの風味を際立たせる最高の食肉で、大き目にカットをしてたっぷりと頂く事にしています。
 昼過ぎに仕事に出かけ、行先は横須賀だったので京急電車を使いました。京急は私の大好きな電車で、小さな私鉄の小さな電車(普通は一両20メートル、京急は18メートル)ですが、走りに徹した高性能の電車で最高時速120キロメートルを叩き出す日本私鉄最速の電車です。レールが広軌で新幹線と同じ幅を持ち、カーブを100キロメートルで回ってもビクともしません。アクセル、ブレーキ、アクセル、ブレーキと必死で走る一生懸命さが大好きなのです。そしてその姿も素敵です。「赤い電車に白い帯」、これは昔の京急の謳い文句で、その赤と白の車体を目にしただけでも「いいなー」て…、心時めきます。上大岡ー屏風ヶ浦を過ぎ、杉田の坂を下る時、速度は110キロをゆうに超えています。その時私の脳細胞は活性し興奮の坩堝と化し、快哉を叫ぶのです。
 さて仕事を終えて帰宅をすると私は飯炊きを忘れていました。今から炊くには遅くなるので、コストコのベーグルを電子レンジで温めカレーと一緒に食べました。一人食するのは何となく間が抜けており、何故かセカセカと食べてしまいます。そしてそれは胃腸には決していい訳はないな?と実感し、何だかもの寂しくなりました。
posted by 三上和伸 at 23:05| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲65 単身居残りの現実

 今日、我が妻と二人の娘は義母を伴い京都へ旅立ちました。二泊三日の旅程だそうで、グスン(涙)…、私はこの期間独身生活を余儀なくされたのです。しかしウフフフフ…、寂しい反面世話の焼ける三人がいなくなれば、心は自由が羽ばたき為すがままの怠惰な生活を送る事が出来ると喜びました。が、私にはこの三日間、今年最後の仕事が入り、私を待ち受けていたのでした。トホホホホ…、でも良いでしょう、仕事をすれば気も晴れるし何よりお金が頂けます。それは我が家の家計の良い助けとなるからで、私の株も上がります。そして何よりも仲の良い親子と孫の水入らずの旅を邪魔する気は私には毛頭ないのです。家族は家族、私は私、各々がやりたい事をやればよいのです。さらにこうした理解を示しておけば私の株は益々値上がり、きっとこれ以降の私の待遇は上がるに違いありません、ワッハッハッハッハァ....。先ほど彼女らを新幹線新横浜駅まで送ってやったし…。
 今まで、TBSサンデ−モーニングを視聴していました。私の心寄せるサブキャスターの唐橋ユミさんもスポーツコーナーで出ていました。今日は殊の外笑顔が美しく私はとろけてしまいました。今年の逢瀬はこれでおしまいですが、また来年を心待ちにして、それを生きる希望といたします。
 午後には仕事に出るので、今から今晩のおかずを作ります。カレーライスですが…。
posted by 三上和伸 at 10:33| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

ピアノの話5 ピアノの仕組み

 先日は我が娘(ピアノの先生)主宰のピアノ教室の発表会がありました。その節に私はピアノ調律と会場整備の仕事を託され大いに活躍しました。職業柄これらの仕事は私の天分範疇であり、見事に一件落着としました。

スタンウェイ・フルコンサートグランドピアノの調律
スタンウェイ・フルコンサートの調律
 この発表会の目的の一つは二台ピアノの演奏にありました。従ってピアノはスタンウェイとヤマハのフルコンサートグランドが用意され、私は二台まとめて調律した訳です。初めは主要に使われるスタンウェイを調律し、その後にヤマハを調律しました。ここで「両者のピアノの違いを述べよ!」とおっしゃって聴き耳を立てる方も多い事でしょう。一つだけ言える事は、客席に如何に鮮明に美しい音が届くかどうかと言う事です。そしてそれはスタンウェイに一日の長があると思います。音の立ち上がりが素早く、音響板で増幅された音はピアノ全体を共鳴箱にして広角に鳴り響きます。それは実に透明で煌びやかな音響です。だからこそホールの隅々にまで美しく音が届くのです。ピアノ全体の共鳴の良し悪しがピアノの良し悪しを決定するのです。

スタンウェイグランドの鍵盤とアクション(打絃機構)
グランドアクションの整調
 グランドピアノは鍵盤とアクションが一体となっています。写真は整調などをする為に内部から引っ張り出した状態です。この状態で整調整音の作業をするのです。この時はアクションの動き、滑りを見ました。

 *フェルトハンマー
 アクション鍵盤の一番先の上部にある白い連なりがハンマ−で、ピアノはこのハンマーで鋼鉄弦を打って音を発する楽器なのです。従ってそれは弦や音響板と同様にピアノの音に最も重要な係わりを持っていると言っても過言ではありません。特にその音色(おんしょく、ねいろ)の質に絶対の影響力を握っています。これをどう作りどう調整するかでそのピアノの音質の良し悪しが決まるのです。

ピアノの中枢部(心臓部)
ピアノの中枢
 *アイアンプレイト(鉄骨)
 金色(金粉)で塗られている部分が鉄骨です。鋳物(鉄の鋳造物)で出来ています。ピアノの鋼鉄弦の強大な張力を支える役目を担っています。

 *弦(ミュージックワイヤー)
 ズラッと真中に細く銀色に輝いている針金がピアノの弦であり、本来はミュージックワイヤーと呼ばれています。一般に多用途に使われているピアノ線とは別物で、我々は決してこれをピアノ線とは呼びません。ミュージックワイヤーは特殊な鋼鉄で作られたもので強い弾力を持ったピアノ専用のワイヤーです。一音には三弦が張られていますが、低音部の銅巻き線(ミュージックワイヤーに軟銅線を巻き付けた重量のある弦)は音量が大きいのでその大きさの加減により、三弦から二弦一弦と減少させて張られます。弦はピアノの発音体であり、ハンマー、音響板、ケース(ピアノを形作っている本体、リムや天屋根、脚、棚板、鉄骨)などと同様に、否それ以上に重要なパーツです。聞いた話ですが、過去にヤマハは様々な金属や合金を弦に試したそうです。しかし何れもミュージックワイヤー(高炭素鋼)に遠く及ばなかったと言う事です。

 *ダンパー(ダンパーブロック)
 中央の弦の上に黒いブロックが連らなっていますが、これがダンパー(止音装置)で瞬時に音鳴りを止める装置です。黒のブロックの下部には柔らかいフェルトが貼り付けてあり、それが弦に触れて音を止めるのです。

 *駒(ブリッジ)と音響板(サウンドボード)
 写真右寄りに弦を乗せた長い四角の板が横たわっていますが、これが駒で弦の振動(音鳴り)を下の音響板に伝える役目を担っています。またアグラフやベアリングと共に弦を一定の長さに区切る役目もあります。音響板は駒から伝わった弦の振動を増幅させる装置でピアノ全体の面積にほぼ適う広さを有しています。写真中央の弦の下黄褐色に見える板が音響板です。 

調律後の試弾(試し弾き)
試し弾き
 調律の後には必ず試し弾きをしてもらいます。調律の具合や弾き応えの良し悪しを述べて頂きます。要望があれば誠意を持って応えます。
posted by 三上和伸 at 23:41| ピアノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月26日

間奏曲64 努力の精華 

 先日の二十三日には我が娘の主宰するピアノ教室の発表会が行われました。日よりもよく四歳の女児から二十歳過ぎの女性まで総勢二十数名の生徒さんたちがステージに立ちました。この日のコンセプトの一つには中上級者と娘との二台ピアノの共演がありました。中級者の二人の小学六年生にはブラームスのワルツOP.39の11番と15番が与えられ、上級者の大学生はモーツァルトの2台のピアノのためのソナタk.448を娘と演奏しました。この大学生は普通大学に通っており、ピアノは趣味で弾いているそうです。趣味でここまで弾ける腕を持ち尚も練習を続けている様子は感心至極であり、それはピアノレッスンの一つの理想です。そしてこの日の演奏は全三楽章とも見事でした。何時までもピアノを愛して欲しいと願わずにはいれません。
 話は前後しますが、第一部の愛らしい子供達のソロ演奏も中々に楽しめました。出来の優劣はありますが、総じて皆練習が行き届いて立派でした。また第二部の連弾の部も生徒同士や親子共演など真に楽しいものでした。特に三者連弾は音に厚みが出て立派な響になり驚きを感じました。その上、皆がサンタの赤い帽子を被り舞台に現れて楽しげであり、こんな発表会はそうそう見られるものでなく、娘のプロデューサーとしてのアイデアには感心しました。そしてそれは曲目選択にも表れており、十一歳の生徒の曲目が十一歳のショパンが書いたポロネーズであったり、モーツァルトが書いたと言われるバター付きパン(一本指のワルツ)などの珍曲の選択、更にクリスマス讃美歌の多用など、至る所に工夫が見られました。極め付けはモーツァルトの二台ピアノのソナタであり、これを取り上げただけでも評価されると言うものです。こうまで褒めると私も親馬鹿と思われるかも知れませんが、素晴らしいと感じこの会の首尾に感動したのも事実であったのです。
 最後となりましたが、共同開催の声楽家のアヴェマリア二曲はソプラノの豊かな声量がホールの隅々まで響き渡り素敵でした。
posted by 三上和伸 at 23:51| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月25日

間奏曲63 お散歩と万歩計便り

 何と私は万歩計を壊してしまいました。アスファルトに落としてしまい、破損しました。何時もの私のドジが始まり我ながら情けなく意気消沈してしまい、今日のお散歩は止めようかなと思案していました。ところが下の娘から「散歩するなら、卵を買って来てくれない?」と頼まれました。「えー…」と私。「卵が一個足りなくてクリスマスケーキが作れないのよ、食べたいでしょ?」と娘。「仕方ないなー」と思いながらも私はいそいそと食料品店に向かいました。そうしたら近所の中学校にお勤めの美しい知り合いのお姉さんに出会いました。「こんばんわ」と彼女。彼女は帽子を目深に被り私は最初誰か分からなかったのですが、「私です」と言う彼女をよく見ると、中学の技術員のお姉さんとわかりました。歳は三十過ぎと思われ、以前夏の間この時間に庭の手入れに励む私に帰宅途中の彼女が声を掛けてくれたのでした。「素敵なお庭ですね」「どうもありがとう」そんな会話で始まりました。それ以降はお互い名も知らぬ知り合いとなり、時々声を交わす間柄になりました。「どちらへ?」、「あ、買い物にあそこのスーパーへ」「じぁー、一緒にそこまで参りましょう」と私を誘ってくれ、私は益々いそいそと踊るように歩きました。そしてマーケットの前で「じゃー気を付けて」と私。「さようなら!」と彼女。私は彼女と別れ卵と牛乳を買って帰宅しました。私の心はもう既に沸点に達し元気モリモリとなり、品物を娘に手渡すと一気に万歩計なしで散歩へ飛び出しました。夕焼けが美しく私のこの快哉を祝福してくれているようでした。そこには木星と金星が益々照り映え地平線へ傾れ込んでいます。その右には冬なのに夏の大三角が青白く輝き、高温に燃えたぎっているのが分かりました。白鳥座の先には織姫と彦星、その灼熱の温熱は二人の愛の証に感じられ心打たれました。更にその右には北極星とカシオペアがありその先にはぎょしゃ座のカペラまであり、私は冬の星空に魅了され夢心地の内に夜の散歩を終えたのでした。
 因みに娘の作ったケーキは蜜の味でした。口で甘くとろけました。

*夏の大三角とは白鳥座のデネブ、琴座のベガ(織姫)、鷲座のアルタイル(彦星)を直線で結んだ巨大な直角三角形です。

万歩計を買い替えるまで万歩計便りはお休みです。
posted by 三上和伸 at 23:42| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲62 メリークリスマス

 メリ−クリスマス! 私は何の宗教心も持ち合わせてはいませんが、皆で何かを祝う事は大切だと思っています。家族で、友と、また社会や世界の人々と共に喜びを分かち合いたいものです。しかも質素に、慎み深く祝うのがよいと心得ます。キリストの名を拝借して、この日一日世界の平和を想いましょう。皆が幸福でありますように……。クリスマスおめでとう。
 ブログデザインのクリスマスバージョン、素敵でしょ! 
posted by 三上和伸 at 09:15| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月24日

間奏曲61 万歩計便り

 昨日は娘のピアノ教室の発表会でピアノ調律や手伝いをしました。そしてその私の活躍ぶりをブログに書きたかったのですが、その後の打ち上げの宴会(勿論私はお酒は飲めませんが)で帰りが遅くなり書けませんでした。また今日は今日で書きかけの年賀状を書き上げるのに時間が掛かり、やはり詳しいブログは書けませんでした。また明日にでも書いてお知らせします、お楽しみに。
 一昨日から万歩計の数値の記録を始めました。一昨日の記録は間奏曲60で、昨日と今日はここで記載します。そして今日からは朝起きた時に万歩計を装着し、夜ブログを書く時に外しそこで記載するようにしました。今日はお散歩の時間をなんとか確保し、何と念願の一万歩を超えました。

              万歩計便り (2008.12.23) 3092歩
                    (2008.12.24) 10663歩    
posted by 三上和伸 at 23:57| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

間奏曲60 お散歩と郵便局

 ウフフ、とうとう万歩計を買いました。実は数日前から使っていたのですが、それの付け所が悪かったらしく、正しくカウントされませんでした。付け所は腹側ではなく腰の位置に装着しなければならなかったのです。今日は間違いなく腰に付け、五十分程歩きました。その歩数は何とアラララ…5936歩でした。大分疲れたのでもっと多いと思われましたが、この程度で一寸がっかりしました。一万歩を達成する為には計算すると九十分ほど歩かなければなりません。九十分とは大分長時間であり、時間の余裕となると厳しいものがあります。まあ、少しずつ歩数を伸ばして行こうと思っています。ご期待あれ!…?
 この散歩の途中、私は年賀状用の切手を買い求めるため近くの郵便局を訪れました。ところがもう売り切れで、この先も入荷はありませんと…。私はショックと共にメラメラと怒りがこみ上げこう罵りました。「商売物の切手がないなんてここは何屋さんかな? お客の欲しいもんを売れなくてどうするの! もっといっぱい仕入れればいいじゃない!」と。すると「すいません…、割り当てが決まっているので仕方ないのです。」と悪びれて気の毒そうに…。私はその悲しそうな若い局員に免じて許してあげました。(優しい…。)(隣の机の綺麗な局員は嗤っていました。)
 ジャパンポストさん、もっと気の利いた商売に徹してください!。名前が泣くよ!

               万歩計便り(2008.12.22) 5936歩
posted by 三上和伸 at 22:33| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自然通信55 秋谷立石より相模湾を望む2008.12.16

 この日私は来年の年賀状のテーマ写真を撮るべく湘南海岸を訪れました。それは仕事の合間の一寸した時間を活用したため時間に余裕はなく、テキパキと事を進めなければなりませんでした。まずは湘南国際村から西を眺め富士を確認しました。ところが何故か富士は機嫌が悪く、雲の空き間にしばしば顔を覗かせるだけで、これは使えないと決断しました。しかし相模湾は穏やかに凪いで紺碧の水を湛えており、すかさず私は直ぐ近くの秋谷立石海岸へ降り、ここからの相模湾の風景を選ぶ事にしたのです。目論見は見事に当たり、美しい相模湾と溶け合う漁の小舟の床しさと、子産石に纏わる地の優しい人との出会いに楽しい思い出を刻む事ができたのです。そしてこれを自然通信55としました。

立石からの相模湾
 自然通信55 秋谷立石より相模湾を望む 2008.12.16
 日本は四方を海に囲まれています。その意味するところは想像に敵わない長大な海岸線を有していると言う事です。しかし様々な理由で自然の海岸は少なく間近まで堤防が迫っています。ここ秋谷立石もそれを免れてはいませんが、相対的に見てより美しく自然が残っている方でしょう。特に岩礁は無傷であり、それに溶け合い続く相模湾は滑らかに広がり、正に浮世絵の如く優美な景色を現わしています。日がな一日、そこでは小舟を使い覗き眼鏡漁が行われており、過酷な労働の漁師には悪いのですが、それは一服の絵のようで私は心洗われました。
 私はこの地で産出される子産石(こうみいし)と呼ばれる安産のお守りとなる石を見たくて、祀ってある場所を住民の一人に教えを請い、訪ねてみました。そこには球形の巨大な子産石が丁寧に飾られ鎮座していました。帰り掛けにその方が私に小さな子産石を一つ分けてくださり、この善良な優しい人は「撫でてあげてね」と笑顔でおっしゃいました。私は「ありがとう、お世話になりました。」と感謝を込めて礼を言い、そこを立ち去りました。手には子産石、胸には温もりがありました。
posted by 三上和伸 at 09:10| 自然通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

間奏曲59 冬の大三角

 冬の大三角と言えば冬の星空に現れる巨大な正三角形の事で、三つの一等星を線で結ぶとできるものです。その一等星とは東上(左上)にこいぬ座のプロキオン、西上(右上)高くオリオン座のベテルギウス、南(下)におおいぬ座のシリウス、この三つの星を線で結ぶと大きな正三角形ができるのです。今丁度午後十時半、この時間では南東の空、正面高くに見えます。今は快晴で風が強く空気は透明で宝石の如く見事に光り輝いています。その三星の色は、プロキオンが白色、ベテルギウスはオレンジ色、シリウスに至っては青白、正にそれぞれ個性際立つ冬の大三角です。特にシリウスは圧巻で、その青白の光のギラつく様は狼の眼のようで、古き中国では天の狼、天狼(テンロウ)と呼ばれていました。
 太平洋側の冬の夜空は快晴が多く、これから一冬星の瞬きを楽しめます。
posted by 三上和伸 at 22:52| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月18日

間奏曲58 炊事当番再び

 今日は帰宅時間が遅くなりお散歩は出来ませんでした。それは今日が私の炊事当番の日だからで、買い物を終えたら早くも日は沈み、外は闇が降りていました。時間の余裕をなくしお散歩は明日へ順延とし、お料理をする為に家路を急ぎました。さあ、今日は天ぷらを作るぞと意欲満々に材料を取り揃えキッチンに立ちました。先ずサツマイモを洗い1センチの厚さにスライスしました。次にレンコンの皮をむき今度は7ミリの厚さにスライスしました。そしてサツマイモとレンコンを水に浸し浸け置きにしました。それからマイタケを小分けにしバナナを半分にカットし薄切りにしました。最後にイカのゲソを切り分け準備は終わりました。私はイカの皮むきが苦手なので今日はゲソ天にしました。これはカラッと揚げると中々の珍味となります。
 そうこうしている内に妻と上の娘が帰宅したので早速調理にかかりました。まず天ぷら鍋を火に懸けて、油が熱する間にボールに薄力粉と全卵を入れ冷水で溶きました。最初はサツマイモを選び、やや弱火で揚げ始めました。徐々に揚げ音が高くなり、芋を持つと軽く、竹籤を刺して軽く通れば揚げ上がりです。揚げ上がればサッと食卓に出し、食べさせます。揚げ加減Okのサインが出れば私はヤッタとばかりニヤリと笑います。次々と揚げ続け、最後のゲソの油の跳ね上がりに悪戦苦闘を強いられながらも我ながら見事な身のこなしで避け続け、無事終了しました。今夜のサプライズはバナナの天ぷらで、皆にその味の具合を尋ねてみました。皆は微妙な受け答えをしてただ微笑むだけでした。特に下の娘が「これはデザートにありそうだネ」と…。それはお数にはならないとでも言いたげで、私は願い通りの答えが返らずやや不満でした。私はその適度な酸味ととろりとした食感を気に入り「これは美味しい!」と自画自賛をし、一人大満足でした。皆の空腹と美食?を満たしてやる事は、骨の折れる仕事ではありますが何と充実感のある仕事でしょう!。
posted by 三上和伸 at 23:11| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

間奏曲57 何故、間奏曲なのか

 間奏曲とは二つの大きな楽章及び主要な曲の間に挟まれた小さな曲を指します。言ってみれば息抜きのような扱いです。ところがある時代より単独の小曲でもこの名称を用いるようになりました。普通イタリア語でインテルメッツォと呼ばれ親しまれています。この名を取り分け好んで使ったのはブラームスで、晩年のピアノ小品に多く見られます。ブラームスが常日頃思い巡らして来た想念をピアノで随筆風に表したものです。それは人生の秋を思わせ、深い諦観に溢れています。善、愛、希望、憧憬、祈り、苦悩、涙。人間の根源的な感情への確たる同情共感に満ちています。私は昔からこれ等の曲集を好んで聴いて来て強い憧れを抱いていました。だからこそブログ投稿を決めた時、日頃の一寸した思いを述べる際は、この間奏曲の名を使いたいと希望したのです。真に僭越がら愛するブラームスにあやかりたいと思ったのでした。かくして間奏曲は私のブログの一つの題名になりました。

 ブラームス作曲
 ファンタジア(七曲)  OP.116
 三つの間奏曲     OP.117
 六つのピアノ小品   OP.118
 四つのピアノ小品   OP.119

 C・D演奏者にはW・ケンプ、W・バックハウス、ラド・ルプー、V・アファナシエフなどがいます。ケンプは繊細かつオーソドックスで端麗な演奏、バックハウスは骨太の厳しい演奏、ルプーは極めてロマンティックな快演、アファナシエフは遅いテンポで全ての音を克明に表し、美しい響きを現出します。そしてそこに深い情念が込められています。私はアファナシエフを第一に推薦します。
posted by 三上和伸 at 22:13| Comment(0) | 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

湘南漫歩1 秋谷の立石

 私はこの日仕事の合間を作り、湘南秋谷立石を巡りました。僅か二時間足らずの旅でしたが、その美しさを十分堪能しました。

 1、秋谷立石海岸より相模湾を望む
立石からの相模湾
 逗子葉山から横須賀三浦に掛けての三浦半島西岸は、砂浜と岩礁が交互に現われて小作りながら、美しい海岸風景を見せています。その中でも秋谷立石は古くから知られており、安藤広重の浮世絵にも描かれているそうです。とにかくここからの相模湾は美しく、運が良ければ真白き富士の嶺も見えます。真白き富士の嶺、緑の江ノ島…は我が母校の歌として有名で、私は富士と江ノ島を見ると何時もこの歌を思い出してしまいます。今日は江ノ島はよく見えましたが、富士は今一つで鮮やかさに欠けていて撮影には不向きでした。
 
 2、岩礁での覗き眼鏡漁
覗き眼鏡漁
 秋谷立石は岩礁地帯で多種の魚介の宝庫であり、周辺の料理店やレストランで味わえます。この日も数隻の小舟が漁をして見えました。舟の縁から体を乗り出して、覗き眼鏡で獲物を探し捕えています。労働は苛酷でありましょうが見ているこちらは長閑そうに見え、漁師には悪いのですが、その美しい風景に溶け込んで私は和んでしまいました。

 3、秋谷の立石
秋谷の立石
 この岩頭こそが立石の名の元となりました。太古の昔海底が隆起しその後を風雨波浪が洗い出し、今のこの形となりました。その岩石は火山性の堆積岩で凝灰岩と言われています。夕日に照らされると赤く輝く事で有名で、知る人ぞ知る写真撮影の好ポイントです。

 4、子産石(こうみいし)
巨大な子産み石頂いた子産み石
 秋谷立石周辺の海や地層からは、子産石と呼ばれる球形の岩石が多く産出されます。その形からこの名が起こり、後に安産のお守りとして珍重されるようになったと言う事です。地層の堆積物中の炭酸カルシウムなどが集まって形成された硬い塊で、ノジュールと呼ばれているそうです。(子産石解説案内板より)
 私はこの子産石を見てみたいと思い、その安置されている場所を通りすがりの土地の人に尋ねてみました。するとそのおじさんは親切に教えてくださり、私は難なく巨大な子産石の親分に会う事ができました。(写真左)写真をよく見るとその巨大な石の下回りに小さな石が置かれています。これも子産石だそうで子産石は大小様々な大きさがあるようです。写真を撮り、帰りかけた私をさっきのおじさんが声を掛け呼び止めました。おじさんの手には程良い大きさの子産石が握られており、「これやるから持っていって! そして時々撫でてやって!」と。私はびっくりし「有難う…、どうもお世話になりました!」と礼を言い、照れ臭くなり、その場をソソクサと立ち去りました。歩きながら首を傾げ呟きました。「こんな石貰ったって俺には何の役にも立たないぞ」と。でも何だかとても嬉しくなりました。おじさんホントにありがとう…。(写真右、頂いた子産石、我が家で撮りました。)
 所在地:立石公園と長者ヶ崎の中間点、国道134号線西側民家の庭先

 5、泉鏡花、草迷宮(くさめいきゅう)手毬歌の碑
草迷宮手毬歌の碑
 今は亡き母が、昔歌ってくれた手毬歌。その手毬歌をもう一度聴きたくて、青年は放浪の旅に出ます。やがてとうとう青年はこの歌に辿り着きます。その追い求めた彼の地はこの三浦郡秋谷でした。この地秋谷は幻想に満ちた泉鏡花の小説「草迷宮」の舞台となったのでした。
 所在地:立石公園内
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2008年12月14日

間奏曲56 お散歩のその後

 昨日は月も星もない空の下、寂しく散歩をしました。薄暗い道を早足で歩きました。そんな中、周囲を見回してある思いが過ぎりました。数年程前に散歩をしていた頃は、この団地の周囲にはまだまだ杉林や雑木林が残っていました。しかし今回歩いてみると大分林は切られ宅地が増えていました。それを残念と思っても、今自分達が住んでいる所だって昔は田や畑または林だったのです。だから私達はそれに何か言える立場ではありませんし、私は何も言うつもりはありません。でももう直ぐ家も要らなくなるでしょう。日本の人口は減り続けやがて家は余るようになるからです。その時こそは家を壊し、田や畑、森に戻せば良いのです。そんな事を考えながら歩いてしまったのでした。それは月も星も出ていなかった所為であり、我ながらつまらぬ事を考えたものだと呆れました。

 今日は午前中は雨で、午後は止み夕方には晴れ間も見えました。五時前に家を出て五十分程歩きました。東の空には厚い雲が掛かり月は望めませんでしたが、西は晴天が広がり夕焼けが見えました。この団地には西空を仰ぐ素晴らしい場所があるのです。そこでは一番星金星とそれを先導する木星が見え、今正に西の地平線に落下する所です。何時もの事ながら、私はまた星空に魅了されてしまいました。
追伸:この日時での月の出は19時以降であり、私の散歩した時間帯には月はないのが当たり前でした。雲に隠れていたのではなく、まだ月は昇っていなかったのでした。御免なさい…
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間奏曲55 キム・ヨナと浅田真央

 二人の美しいコケットが登場したフィギュアスケートグランプリファイナル女子は、空前の魅力に溢れた競技会でした。二人の特徴を一言で表すなら、静のキム、動の真央と言えるでしょう。キムの女らしいたおやかな表現は足の爪先から指の先まで心が行き届いて官能的です。一方真央は鋭い運動能力を持ち小気味よくアクロバティックと言えます。個性の違う二人の激突はエキサイティングであり見応えがありました。私は日本人なので真央を贔屓にし応援しましたが、キムの艶姿にも心奪われそのこ惑にうっとりととろけてしまいました。どちらも素晴らしく両者に勝たせたく思い複雑でしたが結局はミスの差で真央が勝ちました。しかし真央が絶対王者になるためには、キムの豊かに魅せる静の芸術性を身に付ける必要があるでしょう。今の真央はまだ幼く技の完璧性ばかりに夢中と言えるからです。真に人を魅了する源は、そこから離れた芸術的官能性にあるのです。
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間奏曲54 先手必勝の勧め

 私は決して先手必勝を実践してきた訳ではありませんが、その必要性は常に痛感しています。私は嫌な事煩わしいしい事は後回しに先送りしがちですが、そうすると何時もその事が頭から離れず落ち着かない気持ちになります。何時までもシクシクと喉に棘が刺さったようで極めて精神状態の悪い状況が続きます。私は常に今日までこの様な落ち着かない状況で生きて来たのです。嫌悪や困難から逃れ、楽な方へ楽な方へと逃げ回っていたのです。しかし、それは決して楽ではなく、今述べたようにむしろ苦しく後ろ向きな怠惰な生活に陥ってしまうのです。私は近頃痛切に思います。先ず嫌な事辛い事困難な事に立ち向かい解決して心の落着きを取り戻し、好きな事に取り組むのです。そうすれば快い開放感と満足が得られ、心の平衡を保てる様になります。今、私はこの先手必勝の試みに挑戦を始めました。この先の十年二十年後の私を私自身今から楽しみにしています。どんな活発な前向きの人間になっているのかを…。皆様も是非、先手必勝をお試しあれ! あっ、もう実践してますか? それは御見それ致しました...。
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2008年12月12日

間奏曲53 満月に照らされて

 満月に照らされて歩く事がこれ程楽しく、私に喜びを与えてくれるとは…。今日の散歩は煌々と照らし出される満月の下での道程となりました。その優しい光線に私の心の闇や屈折は開かれ、体は軽く何処までも歩けそうな錯覚を覚えました。体質改善を願い始めた散歩ですが、早二日にしてその妙味にはまり、多くの発見や詩情を得る予感が高まりました。新しい恋人を得たようで不安と希望が入り混じり、心ときめいています。近々万歩計を買う予定です。そうしたら、その歩数をこの場でお知らせします。どうかお楽しみにしていてください?。
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2008年12月11日

間奏曲52 お散歩始めました。

 今日から、予てより思い描いていたお散歩を始めました。本当は早朝の気持ちの良い時間にやりたかったのですが、私の生活の時間配分が夜型なので、やむなく夕方にしました。今日は仕事が早く終わり、お使いがてらその記念すべき?第一歩を踏み出しました。夕暮れは間近に迫り、東の空には満月前の雪の様に白い月があり、西は日が沈みかけ、茜色に染まり始めていました。やがて西空には金星と木星が現れ太陽を追い掛けています。それは矢の様で正に太陽を目掛けて突き進んでいるように見えました。月は薄雲を出たり入ったりしており、次第に明度を増して行きます。辺りが暗くなると益々白光して力強く照り映えます。それは美しく素晴らしい眺めで星空の下の夕刻の散歩も悪くないな!と思い満足でした。三十分余り歩いた後で食料品店に寄り、今夜の総菜の材料を買い求めました。今夜は私が炊事担当で秋刀魚の塩焼きと茹で蛸のぶつ切りにしました。サラダと煮物は妻が前以て用意してくれていました。「おいしい!」と皆に好評でした?。
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2008年12月10日

間奏曲51 TBSTV東京大空襲を見て

 一昨日の夜、私は何も手に付かず何もせず、この番組を見ました。初めは恐ろしげで気が進まない私でしたが、家人が熱心に見ているので私もお供をしました。そして次第に引き込まれ、最後は涙なくしては見られませんでした。地獄絵図の写真、生き残った人々の苦しく切ない言葉、そしてそのおぞましい絵画、それらは戦争に依る人心の狂乱と戦争の愚を雄弁過ぎるほど雄弁に物語っていました。上の娘が言いました。「どうしてこんな恐ろしい事ができるのだろう」と。私は答えました。「それは神で無く人間だからだよ」と。人間は憎悪と狂気に取り付かれればこの様な地獄をいとも簡単に作り出してしまうのです。食する為の家畜同様に同胞の仲間を焼き殺すのです。人間こそは鬼であり、この地球上で最も恐ろしい呪われた生物なのです。だったらどうしたら良いのでしょうか。それは神に成る事以外にないでしょう。どんな人間でも人生の一瞬では神のような優しい心の時もあるでしょう。あらゆる知力を振り絞ってそれを永遠に続ける事でしか人間の平和への可能性はありません。そしてこれこそが人間の成すべき最後の文明開化でしょう。
 亡くなられた筑紫哲也さんもお出になっていました。「戦争をしないで!」。この言葉を啓蒙の志止まぬ筑紫さんの遺言と私は受け留めました。
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2008年12月09日

間奏曲50 金平糖の精の踊りを聴いて

 昨夜は東京大空襲のドキュメントを見てしまい、ブログを書けなかったので代わりに今から昨日の分を書き付けます。一昨晩のNHKBSUのアマデウスではチャイコフスキーのバレー「胡桃割り人形」が題材に選ばれていました。このバレーはドイツの小説家A・ホフマンの童話「胡桃割り人形と二十日鼠の王様」から取られました。振付家プチパが台本を書き、プチパの指示どうりにチャイコフスキーが音楽を付けました。これは多くのアイデアが盛り込まれ美しい旋律に満ち溢れ、バレー音楽の白眉となりました。チャイコフスキー一世一代の傑作です。

 *あらすじ
 ドイツのある町に少女が暮らしていました。少女の名はクララと言い、クララは名付け親のドロッセルマイヤーさんよりクリスマスプレゼントに人形の形をした胡桃割りのはさみを貰いました。それを欲しがった兄のフィリッツと取り合いになり、人形は床に落ち、壊れそうになりました。クララは可哀そうな人形をその晩、クリスマスツリーが綺麗に飾られたクララの部屋のベッドに寝かせてやりました。 
 夜は更け、クララはふと目を覚ますとクララの部屋へ二十日鼠の大軍が押し寄せてきました。するとおもちゃの人形たちが応戦して戦争が始まってしまいました。なかでも勇敢なのは胡桃割り人形で今や二十日鼠の王様と一騎打ちの真っ最中です。恐ろしい二十日鼠の王様は胡桃割り人形を追い詰め、胡桃割り人形は危うく殺されそうになりました。そこをクララの投げた木靴で助けられ、とうとう反対に二十日鼠をやっつけてしまいました。するとあら不思議、胡桃割り人形は素敵な王子様の姿に変身し、クララも美しいドレスを身につけた王女様に変わりました。胡桃割り人形の王子様は助けて貰ったお礼にとクララをお菓子の国に案内してくれました。そして雪の降る寒い国や太陽の国を通り越し、待っていたお菓子の精たちに大歓迎を受けたのでした。おしまい。
 それは全てクララのクリスマスイブの夢、スリルに満ちた心ときめく楽しい夢だったのでした。

 金平糖の踊りは、このバレーの中の一場であり夢幻的神秘的斬新な音楽で、この作品の非凡の一つの証明です。そしてこれには、チェレスタという鍵盤楽器が大きな役目を担っています。チェレスタは1886年フランスのオギュスト・ミュステルが発明した鍵盤楽器で、まだできたてのほやほやでした。番組では元N響の鍵盤楽器担当の本荘玲子さんがこの楽器を的確に説明してくれました。これは打鍵した力をフェルトハンマーに伝え鉄板を打つ仕組みを持ち、発した音は共鳴箱で増幅されます。単なる鉄琴とは違いフェルトハンマーで叩くのが身上であり、そこに微妙なタッチと深い奥行きが発生します。深い和音の共鳴と神秘的な音色を作り出すのです。金平糖の踊りはこの楽器を使った最初の曲であり、それは正にチャイコフスキーの発掘への慧眼とアイディアの勝利です。
(ニューグローヴ音楽大辞典及び小林利之氏の著述より)
posted by 三上和伸 at 23:03| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

間奏曲49 日曜日の努めと楽しみ

 昨夜のK−1の決勝戦は反則試合となり残念な結果でした。レミー・ボンヤスキーの巧みな防御にバダ・ハリは焦り業を煮やし、スリップして倒れたレミーを容赦なく上から踏みつけしまい、反則負けを喫しました。バダ・ハリの若さ弱さが出てしまった試合でした。もう少し辛抱して攻撃を仕掛ければよい試合が出来た筈で、勝てたかも知れません。真に驚愕の展開であり残念でした。バダ・ハリは近年稀に見るファイターで、逆転勝ちの多い倒すか倒されるかの際どい勝負をする待望の選手です。どうか反省して今後の復活を期して欲しいものです。
 今日は午前遅く、我が年老いた父母を見舞いに妻手作りの総菜を携え、実家のある横須賀へ向かいました。車で横浜横須賀道路を通過する際、三浦半島の山の名残の紅葉が照り映えて美しく、楽しめました。それはクヌギやナラの雑木の紅葉で、赤茶色の渋い輝きを放っていました。そして正午の東の空低く、白色の上弦をやや過ぎた月が淡く出て、この日の空の青さが目に染みました。
 妻と二人して実家の掃除をして昼時を迎え、父母を連れ何時も使う回転寿司屋を訪ねました。母は父を気遣い今回は小食ぎみでしたが、父は健啖であって、私は父の元気を見、安心を得ました。しかし私は父の車椅子を押していたその間中、時の移ろいの残酷さ虚しさを感じそれを禁じ得ませんでした。とうとう、こんな所まで来てしまったんだなと思い複雑でした。そして父母を実家へと送り返し、私達は家路を戻りました。途中夕飯の買い物を終えた時は最早空には闇が満ち、この日の空の透明が際立ち、西に金星と木星が並んで輝いて見えました。そしてその東遥かに高く半月が照り映えていました。
posted by 三上和伸 at 22:34| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月06日

間奏曲48 土曜の午後の怠惰

 昨日の暴風雨で多くの葉は落ち、いよいよ私達の住む下界も落葉の季節を迎えてしまいました。今日は鎌倉を訪ね長谷寺のライトアップされた紅葉を楽しもうと計画していましたが、諦めました。真に残念ですが自然は為すが儘、人間は従うしかないのです。
 そんな訳で今日の私は怠惰に落ちました。午前中は仕事をしましたが、午後は何もせずテレビを友とし静かにのんびりと過ごしました。今午後十時四十五分、K−1を見ています。私は意気地がなく気が弱いのに格闘技好きです。バダ・ハリ選手やレミー・ボンヤスキー選手が素晴らしいファイトをしてます。もう直ぐ決勝です。
posted by 三上和伸 at 22:50| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月05日

間奏曲47 嵐の午後の安堵

 午前中は日差しもあり、温かで穏やかな日和でしたが、午後は打って変わって雷鳴が轟き、荒れ模様となりました。これは温かい低気圧の後を強い寒気が追い掛け、空気の寒暖の激しい混交により嵐となったのでした。丁度その時はお客様のお宅で仕事中で、仕事が終了しても嵐は止まなかったので、お客様は「お茶でも飲んで少しゆっくりしていきなさい」と勧めてくれました。然るに私は嵐が収まるまで、お客様とお喋りをして時を過ごしました。品のある七十歳位の奥様で、お孫さんのピアノの事、発表会の事などを嬉しそうに話されました。同居はしていないと言う事で、時折訪れる際にピアノを弾いてくれるそうです。それはそれは楽しみにしているようでした。そんな人様の幸福の手助けができる…、私にも幾ばくかの存在意義があると思われ、安堵するのでした。
 そうこうしている内に嵐も弱まり、私は帰宅しました。そしてやおらこの日の炊事当番をこなし、豚の生姜焼きを作りました。
posted by 三上和伸 at 23:13| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

間奏曲46 哀悼の標

 美しき夜空の三点セットは今日も望めました。私は仕事先の大田区鵜の木で五時二十分に確認しました。大分、月は公転の為、東へ離れましたが、まだ一目で見える範囲内です。やがて月は満ち行くと共に東へ去りますが、金星と木星は当分の間楽しめる筈です。どうぞ、ご覧くだされ!
 暮れも近づくこの頃になると、毎年の様に新年のご挨拶遠慮の葉書が届きます。今年はご主人やお父上、奥様や義理のお父上を亡くされた方々から頂きました。真に心よりお悔やみ申します。突然の死なのか、それとも全てが覚悟の末の死なのか、それは様々な形態があり、様々な思いもそこにはおありになるのでしょう。私も父が年老いて大分弱り、行く行くは覚悟の時が来るでしょう。その時まで、己が覚悟を定める努力を始めようと思っています。
 ここで私の愛するブラームスの歌曲の詩をご紹介いたします。これはブラームス最晩年の作で、自分と最愛の友人クララ・シューマンの死の予感に促されて書いたものと言われています。そしてこの曲の完成直後にクララは天に召され、その一年後にはブラームスも世を去りました。使われたテキストはブラームス自身の手で聖書より広汎に撰ばれました。

 四つの厳粛な歌OP.121 第三曲「ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか」旧約聖書外典「シラ書」第41章1-2節

ああ死よ、おまえを思い出すのは
なんとつらいことか。
財産があり、安穏に
暮らしている者にとって、
また心を乱すことなく、すべてにおいて栄え、
今もなお楽しみを味わう力を持っている者にとっては、
ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか。

ああ死よ、おまえの宣告はなんと喜ばしいことか。
力が衰えて、困窮している者にとって。
また、すっかり年老いて
ことごとに心を乱し、怒りっぽく、
忍耐心を失った者にとっては
ああ死よ、おまえの宣告はなんと喜ばしいことか。
 
posted by 三上和伸 at 23:08| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月03日

間奏曲45 秋の天体ショー 

 今日は昨日と打って変わり快晴の空が現れ、一日中雲一つない極限の空模様となりました。こんな日は滅多になく、私は早い時間からある目的を抱き夕方を待ち焦がれていました。今五時を過ぎ、私は双眼鏡を手にしてベランダに降り、西の空を見上げました。そうです、今頃の西の空は月と金星と木星が近くに並び、美しい天体ショーを繰り広げているのです。左上部に月例5.4の三日月型の月があり、真中に金星が続き、そして右にやや暗い木星が並んでいます。今日の乾いた澄み切った大気はきりりと引き締まり、この三つの天体をくっきりと映し出しています。正に煌々と輝いて宝石のようで、手を伸ばせば捕まえられそうです。こんな美しい見世物はざらにはなく、是非明日にでも皆様もご覧になられたらいかがでしょうか。夕方五時前後の日没後が見頃です。
 真ん中の金星は天にある星々の中でも一番明るい星です。だから明星と呼ばれている訳です。夕方の今のこの形態は宵の明星と称され、普通は一番星と名指しされる特別な存在であり、星のスター?と言えます。「一番星見つけたー、烏が鳴くから帰ろー」と皆様も歌われたに違いありません。私も愛らしく歌いました。今でもあの頃の仄暗い帰り道が懐かしく偲ばれるものです。
posted by 三上和伸 at 17:32| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月02日

間奏曲44 時雨空の思い出

 昨晩の雨は止みましたが、朝は薄暗く鉛色の空が重くのし掛かっていました。昼前にはほんの一時、日も差しましたが雨もぱらつき、寒い一日でした。こんな日を時雨模様の日と言うのでしょうか、冬の初めの雨交じりの曇天を指す言葉だそうです。太平洋側に住む私達には馴染みの薄い言葉であり、その日が悪天であっても次の日は大抵晴天を取り戻します。しかし日本海側では晴れぬ日が多く、この雨交じりの曇天は毎日続きます。そしてその雨は次第にみぞれ交じりの氷雨と変わり、遂には雪となるのです。晴れ間の少ない鬱陶しい日々は長く続き、それは春まで払拭される事はありません。
 昔、同居をしていた私の母方の祖母が母と喧嘩をし、秋田県に住む叔母の家に転居しました。それは秋口の出来事だったのですが、僅か数ヶ月で再び我が家に戻ってしまいました。その理由はこの時雨模様の鬱屈した天候にあったと聞き及び、成程と察しました。毎日心が塞ぎ、こんな所に居たら病気になってしまうと恐れ、居ても立っても居られなかったのだそうです。
 もう十年程前、私は秋遅くこの地を訪ねました。その時も天候は優れず、冬の季節風は吹き付け何時までも雲は取れずじまいでした。丁度海縁の宿を取り、日本海の夕日を楽しみにしていたのですが、残念ながら厚い雲に覆われ美しい夕焼けは得られませんでした。翌日秋田への道すがら、茅戸の原野の岬から北西の風吹き荒ぶ日本海を望みました。そしてその光景の未だ見た事のない凄まじい侘びしさに心打たれ、胸に熱いものが込み上げてきました。風は「泣け!」とばかりに荒々しくびゅうびゅうと吹き付け私を弄び苛みます。私は切なく感極まり体を震わせて泣きました。
posted by 三上和伸 at 22:20| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月01日

間奏曲43 師走る頃

 師走、もうそんな時節になってしまったのですね。師が走る頃、暮は忙しくお坊さんも走り回って用を足す、そんな意味合いでこの名が付けられたのでしょうか? 然るにその伝で言えば今日の調律師には当てはまらないと言えるでしょう。調律師にも師の文字は付きますが、今の調律師は暇であり、走ってはいないのです。そして侘びしさを募らせてそれに耐え忍ぶのが師走と言う折節になりました。
 子供の頃はこの季節、何とわくわくして希望に満ちた毎日であった事でしょう。終業式が終われば冬休み、冬休みには次々とお楽しみが訪れます。クリスマスにサンタクロース、クリスマスケーキにクリスマスプレゼント、腹一杯ケーキを食べてプレゼントを待ち望む、目眩く欲望の日々が続きます。そして極めつけはお正月、お年玉と鱈腹食べた餅で膨らんだ懐を抱えては玩具屋や駄菓子屋に走ります。何と刹那的で享楽的な毎日を過ごしていたのでしょう。今思えば、楽しく懐かしい思い出ですが、欲に突っ張り何処か物悲しくも思えます。そんな事にしか喜びを得られなかった幼い己の至らなさも見えてきます。物や富ではないのです。富はないが、心豊かに過ごしている…物を知り得た今の自分の方が余程幸せに思えてくるのです。
posted by 三上和伸 at 23:21| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする