2009年09月30日

自然の風景16 夕張山地を抜けて 2009.9.23

 美瑛の丘を楽しんだ後、私達を乗せたバスは富良野を通り過ぎ、夕張山地に入りました。道央自動車道の三笠インターまで、山越えの道を選んだのでした。ここで私は自分の座席が一番前になった幸運を改めて痛感しました。なぜなら、熊に注意の看板がある夕張山地は深い森林に包まれており、時折大木に絡み付いたヤマブドウの真っ赤な紅葉が目に入り、ウルシやカエデ、それにナナカマドも紅を添えており、それらを前面の巨大な車窓(フロントガラス)で眺める事ができたからです。恐らくあと半月もすれば全山紅葉となるでしょう。私は目を瞑り、その鮮やかな山の風景を想像して楽しみました。

 やがて日は傾き、その巨大な車窓には夕映えが映り始めました。そして山の端には五日目の月が冴え冴えと輝き出しました。その月は空と森を行ったり来たりして見え隠れを繰り返し、夢幻の趣を呈していました。時が経つにつれ夕映えの紅と月の黄金色は益々色を強め、私は陶然とし、美しい…、奇麗だ…を繰り返し声に出し呟いていました。ところが、傍の妻やガイドのマチャミ、それに添乗員の美幸さんは最初は同意してくれていたものの、終いには呆れて頷いてくれなくなりました。それでも私はめげずに一人悦に入っていたのです。そして「この幸福が解らないとは情けない…。まだまだ君たちは美の修行が足りないのだよ…」と心で呟いていました…。さらに「こんな景色には二度と会えないかも知れないのに…、一期一会の絶景なのに…。」と…。
posted by 三上和伸 at 23:36| 自然の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今宵の宿 洞爺湖畔亭 夢か現か幻か 旅先での出来事

 洞爺湖畔亭は洞爺湖温泉街にあり、前面に洞爺湖がゆったりと広がり、有り難き借景を戴いて佇んでいます。夜には湖で花火が打ち上げられ、殊の他、観光振興に熱心と見受けられました。私はさほどではありませんが、妻は花火が大好きなのでとても喜んでおりました。夕食後一風呂浴びて、私は普段着(浴衣が苦手)で、妻は浴衣に丹前で仲良く並んで見物しました。

 寝る前にも入浴をしました。ナトリウム塩化物泉の温泉は肌に柔らかく、よく温まる優れた湯でした。真に入り心地の良い広々とした湯船で、思う存分手足を伸ばしました。屋上の露天は満天の星空で心地良い風が吹き、半身を浸かり半身は風に吹かれて爽快な湯浴みでした。

 早朝、目が覚めてしまい仕方なく、朝風呂と洒落込み湯船に浸かりました。ところがただならぬ気配、何とそこは女湯だったのです。時間で男女の湯浴み場が入れ替わっていたのでした。私の老眼の目はそれを知らせる看板を認められなかったのです。早朝なのでガラガラでしたが、一人いました。ぼうっと浮かぶシルエット、正にうら若き女性のものでした。私は素早く着物を着け一目散に隣りの男湯に逃げ伸びました。男湯の湯舟に浸かった私のその時の心境は、夢か現か幻か…。今もってその心持ははっきりとしません。

 相変わらずのドタバタの旅で、夕食時にも問題を起こしました。気の効かぬ仲居さんの落ち度を厳しく諫めてしまったのです。真に情けない…気の毒な事をしました御免なさい…、反省しきりです。

 そんなこんなでよく分かりませんが、問題児扱いにされたのか、次の日の私達のバス座席は一番前となりました。ガイドのマチャミ(久本雅美によく似たベテランガイド)と添乗員の美幸さん(仮名・笑顔の素敵な美人さん)の傍で一日を過ごしました。私は二人と打ち解けあい好きになりました。マチャミとはお別れの際、惜別の握手までしたのでした。「ありがとう!、楽しかったよ」。…また会えたらいいね…。
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2009年09月29日

自然の風景15 美瑛の丘より望む北海道の屋根

 富良野盆地は西に夕張山地、東に石狩山地があり、ここ美瑛の丘からは石狩山地の山々が良く見えます。石狩山地は主に大雪火山群、トムラウシ火山群、そして十勝火山群の三つの領域に分けられます。全てが火山だそうです。
 この日は大雪の稜線に雲が湧き、山麓は観えましたが、秀麗なスカイラインは拝めませんでした。それでもトムラウシと十勝岳は良く観え楽しめました。特に十勝岳連峰はくっきりとしたスカイラインを描いて見事でした。

 1、トムラウシ山
トムラウシ
右端の一番高い峰がトムラウシ
 大雪や十勝岳に比べればこの丘からは一つ奥にある感じに見え、余り威容を目立たせないのですが、やはり巨大な火山であるようです。「日本百名山」の深田久弥氏は大変この山を誉め称えています。また深田氏はこのトムラウシの名、アイヌの山の名について詳しく述べていて興味深いです。
 今夏、悲惨な遭難事故があった山で、日本全国にその名が知れ渡りました。

 2、十勝岳
トカチダケ
中央の白い尖塔が十勝岳、その前部の噴煙が昭和火口
 美しい連嶺が観えました。中央には白く槍のように尖る十勝岳が颯爽とその槍を天に指示していました。こんなに美しい山の眺めは私には久しぶりです。何時までも飽きる事無く、山岳観望を楽しみました。
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2009年09月28日

日本の景色16 美瑛の丘 2009.9.23

1、空に一番近い木
空に一番近い木
 なだらかな丘を巡れば素敵なハート型の木に出会いました。こちらから眺めれば、何か空の中に浮かんでいるようで、とても気持ち良さそうでした。「オーイ木よ!、空が近くでいいなあー、僕もそこまで行くからなー、待っててなー。」と心で叫んでしまいました。真に美瑛の丘は空の近くにありました。

 2、原色のお花畑
原色花畑
 原色の花畑、壮観です。これは何方でも観れば興奮を抑え切れないようで、方々から歓声が上がっていました。私も大いに楽しんで「雪が降るまでのもう一時、御苦労な事だが美しく咲き継いで、私達を愉しませておくれね!」と花達にエールを送りました。
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日本の景色15 田園と山の美瑛 2009.9.23

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広がる田んぼに十勝岳連峰
 北海道の中央に広がる富良野盆地、そこには広大な田んぼが広がり今や黄金に色づいており、そろそろ稔りの時を迎えているようでした。北海道のイネは茎の節が2〜3節の矮性の種で、短期間で実を付ける種だそうです。夏が短い北海道ならではの稲なのですね。見た感じ、短く見えますよね…。
 遠くに十勝岳が望め北海道らしい胸の空くような広々とした風景でした。
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2009年09月26日

日本の景色14 旭山動物園 2009.9.23

ゴマフアザラシ遊泳のシルエット
ゴマフアザラシ
 期待の高かった旭山動物園でしたけれど、残念ながら満足のいくものではありませんでした。その主な理由は敷地や施設が狭い事、動物の種類や数が少ない事、園内は傾斜がきつく行ったり来たりに骨が折れる事などです。当然、大混雑になり気持のよい動物園散策ができなくなります。結果、欲求不満が募り不快感が増すばかりとなるのです。狭い割には疲れる動物園と言えるでしょう。
 そして反対にマスコミを含め、私達の側にも問題はあります。話題を煽るマスコミ、それに食らい付く私達、夏休みや連休には許容量を超えた節操のない見物客(私達を含め)が殺到し、労多くして楽の少ない動物園詣でとなるのです。「分かっているけど止められない」、人間て悲しいものですね…。でもそのバイタリティーは大したものですよね!。
 またこの日は暑く、午後に訪れた私達を待ち受けていたのは、暑さにやられて力なく横たわりお休みしている動物達ばかりでした。TVで見たあの生き生きとした仕草や動作は見られず、残念至極拍子抜けをしてしまいました。やはり涼しい季節の午前中に訪ねなければならなかったのですね…。
 そんな中この胡麻斑海豹(ゴマフアザラシ)だけは元気に水槽の中を泳ぎ回っていました。例の強化プラスティックのパイプの中にも何度も入り、私達を楽しませてくれました。但し私のデジカメは反応が悪く、このパイプの中のアザラシは上手く写せませんでした。でも私の真上を遊泳するアザラシは見事…、捉える事ができました。可愛いでしょ!。
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自然の風景14 昭和新山 2009.9.23

 眼前の昭和新山
P9230401.JPG
 隣りにそびえる有珠山の寄生火山の一つで、昭和18年から20年に掛けて誕生しました。正に太平洋戦争の最中であり、当時の日本人の数奇な運命を象徴しているようにみえる…と言えば考え過ぎでしようか?。畑であった所が僅か二年の短期間に250メートルも隆起したもので、世界的にも珍しいそうです。
 眼前で望む昭和新山は噴煙を立ち上らせ、大きく立派に見えました。でも火山としてはまだまだ赤ちゃんだそうですよ。そう言われてみれば何だか可愛く見えなくもありません。地元にとっては豊かな富を産む、ちょっと駄々っ子の大切な赤ちゃんかも知れませんね。アイヌの方々もお土産を売っていましたし…。私も買いました、魔除けのネックレスを…。
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2009年09月25日

自然の風景13 洞爺湖 2009.9.22〜23

 1、夕闇に浮かぶ中島
夕闇の中島
 温泉街があり花火も打ち上げられており、極めて観光地化されてはいますが、周囲の自然は豊かです。中島は落葉広葉樹の原生林に覆われ、そこに蝦夷鹿が棲んでいるそうです。
 到着が夕刻となり、湖岸の宿からは中島がぼんやり見えていました。その夢幻的な眺めに暫し寛ぎを覚え、疲れが癒されました。

 2、朝焼けの水面
朝焼け
 何故か早く目が覚め、屋上の露天の湯に浸かっていたら、薄紅のヴェールの如き魅惑的な朝焼けが始まりました。庭に出て暫く日の出を待ちましたが、湯冷めをしそうになったのでこの一枚を撮って危うく部屋に戻りました。体は冷たくなりましたが、心は温かく切ないほどに夢見心地でした。その柔らかな光景は当分の間、私の心の残像として胸を焦がすでしょう…。
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’09 庭の花106 イワシャジン 2009.9.25

イワシャジン
イワシャジン(岩沙参) キキョウ科ツリガネニンジン属
 シャジンの名は同じ仲間の草・ツリガネニンジンの事。その根は漢方薬に用いられ、沙参(ツリガネニンジン)は漢方からの命名と思われます。そしてこのイワシャジン、渓流や滝の岩上に生えるツリガネニンジンだから、岩の沙参、イワシャジンと名付けられました。
 キキョウ科ツリガネニンジン属の花は皆小粒で愛らしい、そして目が覚めるほどに美しい…ですね。
posted by 三上和伸 at 09:01| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

間奏曲155 帰ってきました。

 今さっき北海道から帰ってきました。まだ紅葉には早かったですが、自然が美しかったです。特に森と湖が豊かで素晴らしかった。ヒグマが沢山棲めるのもうなずけますね。観光バスでの移動でしたが、富良野から三笠までの一般道は行けども行けども森の中でした。夕時には空は茜色に染まり、五日目の月(三日月の次の次の日)がずっと空と森の間で見え隠れしていました。夢のような夕暮れの旅(この旅で一番の収穫)でした。ではまた明日…。
posted by 三上和伸 at 22:21| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

間奏曲154 行って来ます。

 今日から二泊三日で北海道へ行ってきます。洞爺湖、旭山動物園、美瑛の丘、上富良野を巡って最後に札幌、小樽に遊ぶコースです。私にとって北海道は処女地です。…とか何とか気取ってみても、日本全土が行っていない所だらけなので私の場合、日本は(も)概ね処女地なのですね?。でも楽しみにしています。動物園もいいし、洞爺湖も良さそう…。札幌では是非味噌ラーメンを食べたいと思っています。小樽の寿司もね…。帰宅(24日)したら、またこの旅の報告をいたします。お楽しみに…。
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2009年09月21日

’09 庭の花105 ヤマジノホトトギス 2009.9.21 9.21

ヤマジノホトトギス
ヤマジノホトトギス(山地(路)の杜鵑、別名・矮鶏杜鵑) ユリ科ホトトギス属
 日本の山野に自生するホトトギス、この時期丹沢の裾野などを歩けば必ず見つけられます。一般のホトトギスと比べ花はよく似ていますが、その茎の大きさ長さが異なります。ホトトギスは背が高く、一本の茎に多数の花を付けます。一方ヤマジノホトトギスは背が低く一株で多くの茎を叢生させますが、一茎の花は少なく数輪を愛らしく付けるのです。その小振りの姿を可愛いチャボ(矮鶏)になぞらえて、チャボホトトギスの別名があります。
posted by 三上和伸 at 18:58| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

’09 庭の花104 ホウチャクソウの実 2009.9.21

ホウチャクソウの実
ホウチャクソウの実 ユリ科チゴユリ属
晩春に咲いたあの地味な花が、秋の今頃になり実を付けました。黒く鈍い光を放つ実、それはこの草にとって豊かな掌中の珠。己の命を託す明日への大切な分身です。
 ’09 庭の花47 ホウチャクソウをご覧ください。
posted by 三上和伸 at 18:48| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

間奏曲153 続、イチロー選手への思い

 一昨日、昨日とイチロー選手は滅多にした事のないサヨナラ安打とサヨナラホームランを放ちました。夜のスポ−ツニュースを見て久し振りで興奮をしました。先日私が思った事が早速叶えられて何だか怖いようです。でもこのような活躍こそが皆の願っている本当のイチロー選手の姿なのではないでしょうか…。目先のヒットをシコシコ稼ぐのはもう卒業して、もっと自由に羽ばたいて人の記憶に残る圧巻のパフォーマンスを魅せて欲しいです。
posted by 三上和伸 at 20:07| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

交響曲列伝2 その歴史・中

 1830年、ベートヴェンの死の三年後、フランスに驚くべき交響曲が誕生しました。それはエクトル・ベルリオーズ(1803〜1869)と名乗る青年がもたらした「幻想交響曲」で、極彩色の管弦楽法による未だかつて誰も知りえなかった交響曲でした。ベートーヴェンの威光がまだ消えぬ間にロマン派の先鞭を付けたこの斬新な曲は大反響を呼び、直ぐ後のリスト(交響詩)やワーグナー(楽劇)に多大な影響を及ぼしました。時は下り、その半世紀後には最早ロマンのうねりは止まる所を知らず、大管弦楽を縦横無尽に操った大規模なブルックナー(1824〜1896)やマーラー(1860〜1911)の後期ロマン派の交響曲が出現しました。革新的な交響曲は十九世紀末、一つの頂点へと上り詰めました。

 一方、ロマン派と言えども保守的な一派も現れました。それがメンデルスゾーン(1809〜1847)とシューマン(1810〜1856)であり、その作風はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトを規範として出発しています。しかしこの二人は短命であり、交響曲への熱意や習熟度はいま一つと言え、モーツァルトやベートーヴェンには匹敵する事は敵いませんでした。ベルリオーズを含めても、ベートーヴェンが確立したソナタ形式を十分に活用できなかったのです。真のベ−トーヴェン的古典交響曲はこの時代には無く、ブラームスの登場まで低迷を余儀なくされたのです。
 メンデルスゾーンは美しいメロディーと卒のない構成力で5曲の交響曲を書きました。その内、第三番「スコットランド」や第四番「イタリア」は気品ある美しい旋律がちりばめられた、お洒落な作品です。誰でも直ぐに好きになってしまいそうな分かり易い交響曲です。
 シューマンはメンデルスゾーンとは異なり、卒のない構成力とはいきませんでした。また管弦楽法の未熟さもあり、美しく情熱的な主題旋律はあるものの、それを展開し拡大させ脚色する事が苦手であったようです。晩年のシューマンの苦悩と狂気はここら当たりにも一因はあったようで、絶望感に苛まれていたのです。心が壊れかけていた最晩年にはブラームスに出合い、それはシューマンにとっては大きな驚きであり希望でした。シューマンはブラームスにしきりと交響曲の作曲を勧めました。それは出会いの時に聴かせられたブラームスのピアノソナタの中に、後年の交響曲の萌芽を目敏く見付け出していたからに他なりません。「ヨハネス(ブラ−ムス)、僕に交響曲を作ってくれないか?」がこの当時のシューマンの口癖だったそうです。
 シューマンには4つの交響曲があります。その中でも第三番「ライン」は情熱に溢れた素晴らしい作品です。終焉の地・デュッセルドルフに赴任して直ぐに、ライン地方を訪ねた折りの爽快な印象を交響曲に認めたのでした。ライン川の勇壮が乗り移ったような爽やかでダイナミックな良い交響曲です。

 シューマンのブラ−ムスへの願い、はたまた遺言は二人が1853年に出会ってから二十三年後の1876年に現実のものとなります。そうブラームスは己の避けられない義務(故シューマンの念願・強要)の「第一番」を完成させたのです。べ−トーヴェンの「第九」からは五十二年の歳月が経っていました。ここに交響曲は真の後継者を得て復活を遂げたのでした。
 ブラームスには他に三曲の交響曲があります。「第二」と「第三」は主にブラームスの私的な生活感情が表現されています。田園の中のブラームスと女性の愛に包まれたブラームス。極めて幸福感に満ちた交響曲です。そして最後の「第四」は、ベートーヴェンの「第九」に対応する曲で、人類への激しいメッセージが込められた作品です。そのメッセージとは「戦争と平和」で、常々ブラームスは人類の業に対し不信と危機感を持っていました。この人間への怒りに満ちた曲はこのような人類に投げ掛けた予言的な曲でもあります。案の定、ブラームスの死後その不安は的中し、人類は二つの大戦を引き起こしてしまいます。このブラームスの「第四」の怒りは人類に届かなかったのです。草葉の陰でブラームスは何を思った事でしょうか?。

 このブラームスと同時代を生きた偉大な交響曲作曲家に前述したブルックナー(1824〜1896)がいます。ブルックナーはワーグナーに私淑し、ワーグナーが楽劇で行った和声や管弦楽法を交響曲の世界で活用しようとしていました。大編成の管弦楽に80分を越えようとする大規模な構成の交響曲、そんな革新的で巨大な絵巻物のような交響曲を次々とものにして行きました。ブラームスとはライバル関係にあり、互いを激しく罵り相いながらも切磋琢磨し、最後は互いに認めていたようです。ブルックナーの葬式の最中、ブラームスは柱の陰で涙を流していたとの証言があります。
 ブルックナーは死後半世紀までドイツ・オーストリアのローカルな作曲家でした。しかし第二次世界大戦以降、世界的に評価が高まり、コンサートの重要なレパートリーとなりました。後のマーラーにも言える事ですが、録音技術(LPレコード)と音響機器(ハイファイセット)の充実が、これらの交響曲(音響が売りの…)の世界的普及に貢献したのです。

 ブラームス、ブルックナーが晩年を迎えていた頃、ブルックナー同様の大規模大編成の革新的な交響曲を作曲する若き天才が現れました。時は近代を迎えた頃で、それは正に世紀末の爛熟をその儘音楽で体現したかのようなマーラー(1860〜1911)でした。運命や死を極端に恐れたマーラーは極めて厭世的な苦悩と悲哀に満ちた交響曲を書きました。当初は際物(ユダヤ人であったため人種差別的な)めいた印象で避けられていましたが、二十世紀末に世界的大ブレイクを果たし、今日では他の多くの交響曲作家を差し置いて、コンサートの主役に踊り出ています。
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2009年09月18日

’09 庭の花103 ヒガンバナ 2009.9.18

ヒガンバナ
ヒガンバナ(彼岸花)、マンジュシャゲ(曼珠沙華)、その他の別名・かみそりばな・しびとばな・とうろうばな・はなみずはみず・したまがり
 秋の彼岸の頃になると必ず咲き出す律儀な花、その節気と妖艶な姿が相俟って神秘的であり、彼岸花とは正に最適な名前を付けたものです。されどこの花には多くの別名があって、その数はあらゆる花々の中でも最右翼と思われます。殆どが不吉な名であり、この花が如何に人と深く関わり、恐れられ、意味嫌われていたかが分かります。その名付けの根拠はこの草の毒性にあり、害獣撃退の為に田畑に植えられたものですが、誤って人や子が触れぬよう戒める方便に使ったと想像されます。この草にとっては良い事をしたのに叱られる、真に損な役回りを担わされてしまったと言う事なのです。
 私が一番好きな名はマンジュシャゲです。これは梵語であり、日本語に訳せば「天上の赤い華」となります。天上を鮮やかな赤で染め尽くす曼珠沙華、何て素晴らしい花なのでしょう。何と美しい名前なのでしょう…。

 参考: 広辞苑

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間奏曲152 旅の思い出6 ガイド・アンジェリカと添乗員・咲さん

 先々週のTBS「不思議発見」を見ていた所、ハンガリーのカフェ「ジェルボー」が出てきました。懐かしさで胸がキュンと鳴りましたが、話は案の定シシィ(エリザベート)との関わりに及びました。シシィのケーキの好みは胡桃を使ったものだと聞いて、「僕は食べなかったなー、残念だなー」と妻に言うと、妻は「あれは同行の何々さんが食べていたよー」との答え、ふとその時のガイドのアンジェリカの顔が浮かびました。「くそ!、何で教えてくれなかったんだ!」と恨み辛みを言ってもアンジェリカには届きません。ここは日本ですからね。破顔一笑、私は思わず自分の意地汚さと子供っぽさに笑って(嗤って)しまいました。
 アンジェリカ、どうしているかしら?。相変わらずガイドの仕事をしているのでしょうか?。あの時と同じように自国の心配や不満をお客にぶつけているのでしょうか?。「いい加減に所為よ!」と私は言いますが本心ではなく、「程程にね」が正直な気持ちです。アンジェリカは真面目で純粋なお母さんでもあります。本当に家族の事、そして祖国ハンガリーの行く末を心配しているのです。
 アンジェリカは頑張り屋さんです。昔、英語のガイドをしていた頃、秋田県女性のツアーのお世話をしたそうです。その時気に入られて、その女性達が秋田に呼んでくれたのだそうです。秋田までの航空券を送りつけて…。アンジェリカは一週間、秋田に滞在し日本の秋田を楽しんだそうです。その時、アンジェリカは誓いました。「私は日本語のガイドになろう」と。そして独学で苦節十年、今では日本語ペラペラで澱みなく普通に会話ができます。でも日本について知らない事も多いので私が一寸教えてあげました。丁度オペラ座見学の後だったので、オペラに対応する日本の芸能は「歌舞伎」である事、立ち見席を歌舞伎では「大向う」と言う事、その語から「大向うを唸らす」の言葉が生まれた事、それは大衆的人気を得ると言う事と教えました。アンジェリカは感心して聞いて、覚えようとする気構えが感じられました。その眼はギラギラと輝いていました。

 添乗員の咲さん(仮名)は中々の才媛で、英語は勿論の事、様々な雑事にも顔色一つ変えず心を砕いて取り組んでいました。一寸姉さん気質で、子供染みた私には取り分け気を効かせてくれました。お調子に乗ったり不安がったりして私が顔色を変える度に、姉さん面でニカッと笑い「大丈夫ですよ!」と言う風情を見せました。その勝ち誇った(私に…)笑顔が素敵でした。
posted by 三上和伸 at 00:04| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

間奏曲151 秋の夜長に想う事

 朝は北風が吹いていました。その風は冷気を帯び肌にはややきつく、彼岸前なのに今年は秋が早いなと驚きました。ところが日中になると太陽は勢いを増し、温かく(暑く?)なりました。この歳(還暦前)になると私はどちらかと言えば温かくの方がピンときますが…、私の階上に住むおじさんは「今日は暑かったね!」と仰いました。私より十歳は上の方にそう言われてしまい、私は年寄り染みているのか?とショックを受けました。
 でも良い気候になりました。仕事をしていても汗は薄っすらとかく程度で本当に気持ちが良いです。空気も軽くピアノの音も透明に響くようで最後の音階を弾くのも楽しいのです。ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レ・ド……。
 イチロー選手は新記録を達成しましたし、新しい内閣も発足しました。何か、日本人は少し希望が湧いてきたのではないですかね!。私も希望を燃やして頑張ります。え、何に…?。勿論仕事に、遊びに、ブログにですよ!。ではお休みなさい…。健やかに…。

 追伸: 踵は治りました。心配をお掛けしました。今、大袈裟な私に恥じ入っています…。
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2009年09月15日

’09 庭の花102 オケラ 2009.9.15

オケラ
オケラ(朮、別名・ウケラ・エヤミグサ) キク科オケラ属
 オケラの名は昆虫にもあり、また馬鹿や間抜けなどの意味にも使われているそうです。でもやはり私がピンと来るはこのオケラの花です。古来よりこの草は人と馴染みが深く、根は漢方の健胃薬として用いられ、若芽は山菜として使われます。また京都八坂神社ではこの草に纏わる朮祭(おけらまつり)と名す神事が行われています。大晦日から元旦に掛けて行われる神事で、この朮を切火で焚きその煙の靡く方角をみて、その年の豊凶を占うのだそうです。中々興味深いもので、何時か見たいですね。
 美しい白花で、その周りの総苞は魚の骨模様をして珍しく、見応えのある花です。

 参考: 広辞苑
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交響曲列伝2 その歴史・上

 交響曲列伝2 その歴史・上
 交響曲を一から調べ上げるのは、膨大な文献をひも解かなければなりません。私にはそんな時間はなく、またこの紙面には不必要と思われます。ここで取り上げるのは、今日一般に音楽会の曲目に登場する作曲家並びにその作品とし、その特徴や素晴らしさを私の私見を中心にお話しさせて頂きます。特にその心理面について踏み入れたいと思っています。今後、一作家一作品を基本として列伝の形をとり回を重ねて展開して行きます。どうぞお楽しみに読んでください。今回は、初期の交響曲の成り立ちと歴代の交響曲作家の紹介、並びにその歴史の簡単なあらましを少し述べてみたいと思います。

 日本語に訳された交響曲(シンフォニー)と言う詞(言葉)の語源はシンフォニアであり、その意味はラテン語で共に響くと言われています。つまり複数の楽器を使用する合奏がその出発点にある訳です。十七世後半のイタリアでは弦楽三部や弦楽四部にオーボエやホルンの管楽器、さらにチェンバロなどの鍵盤楽器が加わった楽曲がシンフォニアと呼ばれていたのです。急、緩、急の三つの楽章で作られていたようで、これは十八世紀後半の古典派の交響曲に近いものがあります。またバッハやヘンデルの管弦楽組曲も交響曲の前身と言われています。古典派交響曲にはメヌエットと称する楽章が必ずありますが、バッハ、ヘンデルの組曲の中にもあるのです。古典派交響曲のメヌエットはこれら古い時代の組曲の愛らしい置き土産とも言えるのです。

 十八世紀初頭になると、このシンフォニアと名乗る合奏曲は発展を続け盛んに演奏されるようになり、いよいよ器楽合奏の中心となりました。十八世紀後半にはソナタ形式も確立されてより優れた作品も作られるようになりました。そしてオペラと並ぶ人気を博し、音楽史上最高最大の絶対音楽の様式となったのです。

 このシンフォニアをシンフォニー(交響曲)に格上げし確立したのがハイドン(1732〜1809)です。七十七年の生涯の中で百四曲余りの交響曲を書いたハイドンの生きた道筋には、正に交響曲の歴史の創世と言うに相応しい価値があります。その最後の交響曲作品の第百四番「ロンドン」はハイドンが完成させた交響曲の様式を見事に伝えています。第一楽章はアダージョの序奏を持つソナタ形式で主部はアレグロ、第二楽章はアンダンテの変奏曲、第三楽章はアレグロのメヌエット、第四楽章はスピリツィオーソのロンドであり、急速なテンポで演奏されフィナーレに相応しく最後を盛り上げます。明るく活発な交響曲を量産したハイドンは、交響曲の父と称されました。

 次に登場する交響曲作曲家は神童モーツァルト(1756〜1791)です。モーツァルトの最たる特質は音楽にネガティブ(人間の陰の部分)な私情(詩情)を投影した事です。それまでタブーであった一個人の感情を音芸術に具現したのです。これは私の私見ですが、日本の古典の美学で例えるなら、飽くまでも音の展開の美しさ楽しさ、形式の見事さを求めるハイドンは“をかし”の領域であり、人の悲哀の心の共感を追求したモーツァルトの美学は“あはれ”に通じるものがあると思われます。最後の二曲の交響曲(第四十番ト短調全曲と四十一番「ジュピター」第二楽章)にそれは顕著に現れていると思います。

 この“をかし”と“あはれ”を身に纏い、交響曲の真髄ソナタ形式を掌握しそれを巨大化し理念化したのがベートーヴェン(1770〜1827)です。当時の自然主義の潮流やフランス革命などの時事問題も咀嚼し、正義感を爆発させ全人類のために音楽を書いたのです。しかも娯楽の領域に自ら馳せ下り普遍性を高め、再び芸術に遡上させたのです。その説得力は圧倒的であり、後の作曲家達に大きな影響を残しました。後のロマン派の一派はベートーヴェンから出発することになります。

 ベートーヴェンより二十七歳も年少でありながら、ベートーヴェンと同時代を生きた極めて短命な作曲家シューベルト(1797〜1828)は歌曲を始め膨大な作品を残しました。正にその生涯は作曲する事に明け暮れていたようで、書きなぐってきたと言っても可笑しくはないでしょう。しかし決してその作品は粗雑なものでなく、歌曲やピアノ曲には優れた曲が数多あります。ただ、交響曲や室内楽曲は一部の作品を除き、習熟の度合はやや低く今日公に演奏される機会は少ないようです。やはり短命故の創作年月の浅さがソナタ形式の熟達には致命的であったようです。「未完成交響曲」や「グレート交響曲」は中でも傑作であり、意味深い和声とロマンチックな旋律に溢れており、正に耽美的とも言える官能的な交響曲です。
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間奏曲150 イチロー選手への思い

 前人未到の新記録・9年連続の200安打、真にめでたく心より祝福致します。でももう記録のプレッシャーから逃れて、もっと自由奔放に打撃を成されたら如何でしょうか?。より自由に、より楽しく打席に立たれたら良いのになと私は思います。そして意外性のある選手になって欲しい!。願わくば、天覧試合で決勝ホームランを放った長嶋茂雄のように…。太陽のように輝いて、観客の心と体を激しく揺さぶる選手になってください。欲張り過ぎかな?。
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2009年09月13日

ピアノの話8 ハンマーの整形

 1、整形前のハンマー
整形前のハンマー
 これは最低音部のハンマーで、一弦の銅巻き線の太い痕跡(溝)が見えています。凸凹して荒い肌触りであり、これでは均一な良いピアノの音は出ません。ハンマー整形とその後の調律の際の整音が必要です。
 今回の修理の御依頼をよい機会としてそれにあやかり、皆様にはハンマー整形の様子をご覧にいれようと思い掲載しました。

 *ハンマーは四連にして重ね、バイス(万力)で固定してあります。

 2、鑢掛け(やすりかけ・ファイリング)
ハンマーの鑢掛け
 昨日作ってお見せした鑢の板片で鑢掛けをして行きます。慎重にハンマーの形に沿って削って行きます。最初は荒い鑢で弦の溝が無くなるまで削ります。やがて溝が消えたら今度は仕上げの鑢で磨きを掛けます。平になり滑らかになったらこのファイリングの作業は終わりです。

 3、アイロン掛け(アイロニング)
ハンマーのアイロン掛け
 仕上げのファイリングで滑らかになったとしても、まだ繊維の毛羽立ちや微細な凸凹は残ります。それをアイロンで寝かし更に滑らかにし、ハンマーの形を美しい卵形に整えます。全八十八鍵分を整えたなら、このハンマー整形の作業は終わります。 

 4、整形後のハンマー
整形後のハンマー
 きめ細やかな肌触りとなり、整った卵形のハンマーに仕上がりました。これで美しいピアノの音作りへの最初の第一歩が定まりました。
posted by 三上和伸 at 20:40| ピアノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

間奏曲149 美しき江戸の女・鈴木杏樹

 さっきまで時代劇「歌麿」を見ていました。歌麿役の水谷何某はわざとらしい演技で閉口しましたが、女房役の鈴木杏樹には感心しました。顔の美しさだけでなく、その立ち居振る舞いや物腰は実に柔らかく江戸の女の良さが滲み出ていました。特にしなやかな座位の姿勢の色香に私は見惚れました。鈴木杏樹、素晴らしい女優になりました。
posted by 三上和伸 at 23:59| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ピアノの話7 道具作りと道具の修復

 1、ハンマー整形のための鑢板(やすりいた)作り
ハンマー整形用の鑢板
左・板とサンドペイパー(クロス)#80・#120 右・板に接着剤で張り付けたもの(完成品)左・荒砥 右・仕上砥
 ピアノの音は鋼鉄の弦をフェルトのハンマーで叩き発します。硬い弦を柔らかいフェルトで打つのですから次第にフェルトハンマーは弦の形で凹みます。凹めばピアノの音は歪むのです。その凹みを取り除きハンマーを平に滑らかに整えるためにこの鑢板で削るのです。いいえむしろハンマーの繊維に沿って一皮剥くと言った方がよいかも知れません。

 2、木ウェッジの鹿皮の貼り替え
木のウェッジ
左・皮の傷んだウェッジ 中の左・皮を剥いだウェッジと剥いだ皮 中の右・新しい皮 右・新しい皮を貼った蘇ったウェッジ(修復品)
 調律の際、鳴らしたくない弦(ピアノの弦は一音につき三弦が張られています。調律は正しい一弦に狂った一弦を合わせる行為で二弦でするものなので一弦が邪魔になるのです。この残った一弦はその後直ぐ合わせます。)の止音に用いるのがこのウェッジ…。木の他にゴムやフェルトの物もあります。木のウエッジは主にアップライトピアノの高音部用のものです。
posted by 三上和伸 at 22:33| ピアノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

’09 庭の花101 コガマ 2009.9.10

コガマ
コガマ(小蒲) ガマ科ガマ属
 因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の傷を癒したのがこの蒲の花粉と言われています。蒲の花粉には薬効があり、主に傷薬として現代に至るまで使われてきたようです。この神話の時代でさえも既にその薬効が知れ使われていたのであり、太古の人々が如何に自然を活用し知恵を働かせて生きていたかを知るよい標となります。
 如何にも原野の水辺を感じさせる草で、何故かその風情は懐かしさに溢れています。

 写真中央、長卵形の薄茶色の本体が雌花穂、その上の角状の突起が雄花穂で、この周りに花粉が付いていました。今は殆ど失せていますが…。

posted by 三上和伸 at 15:41| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

’09 庭の花100 ハギ 2009.9.10

ハギ
ハギ(萩、山萩) マメ科ハギ属
 草冠に秋、正に萩は秋の花です。この花が咲けば地獄の夏は終わりを告げ、過ごし易い季節が訪れるのです。古来日本の夏は蒸し暑く、古の人々にとって夏を無事に越すのは並大抵の事ではなかったようです。この古人の秋への思いと萩への愛着は強く、それは万葉の歌の数々が言い表して今に伝えています。
 今年も萩の咲く秋が来ました。そう言えば風呂上りの肌がさらりとして気持ちいいですものね…。生命ある事の喜びが感じられる頃で、爽やかな季節です。
posted by 三上和伸 at 15:26| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

’09 庭の花99 フジアザミ 2009.9.8

フジアザミ
フジアザミ(富士薊) キク科アザミ属
 富士山周辺に特に多く自生する薊で、富士薊の名があります。
 日本のアザミでは最大の花で、見たところ二つの部分に分けられます。茎に近い上部は総苞片で濃く暗い紫色をしています。下部は花であり、筒状花だけでできており、明るい紅紫色をしています。濃淡の紫が複雑に溶け合ってそれは美しい薊色となるのです。
 また総苞片には恐ろしい剣棘があり、その数は尋常ではなく、刺すと鋭い痛みが走り冷汗がでます。私は決してこの花には触れず遠くから見て楽しみます。
 更に巨大な葉も鋭い棘だらけで、正に棘の鎧を着た薊の王者です。
posted by 三上和伸 at 19:19| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

’09 庭の花98 シュウカイドウ 2009.9.8

シュウカイドウ
シュウカイドウ(秋海棠) シュウカイドウ科
海棠とは春に咲くハナカイドウの事、その見事な紅色にあやかってこの秋の草も海棠の名を頂いたのでした。秋に咲く海棠、そう秋海棠です。茎までも紅に染めて咲く秋海棠、その紅色は本家に劣らぬ絶妙の紅です。
posted by 三上和伸 at 19:07| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

’09 庭の花97 ホトトギス 2009.9.8

ホトトギス
ホトトギス(杜鵑草・油点草) ユリ科ホトトギス属
 鶏が先か卵が先か?の問いと同様に、その名付けの後先は野鳥の杜鵑(ホトトギス)が先かこの草が先か?、もちろん野鳥の杜鵑が先でした。なぜなら“ホトトギス”の音は、この鳥のさえずりから発したものだからです。野鳥の杜鵑の胸と腹にある斑紋にこの花が持つ斑点が似ていたため、この草がこの名を借りたのです。
 紫の斑そしてこの名、何やら文学を感じさせる真に渋い秋の名花です。茶花には好んで使われます。
 
posted by 三上和伸 at 18:57| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

’09 庭の花96 カントウヨメナ 2009.9.8

カントウヨメナ
カントウヨメナ(関東嫁菜、別名・ヨメハギ・ノギク) キク科ヨメナ属
 有名な小説「野菊の墓」の野菊とは、舞台が千葉県である事からこのカントウヨメナを指します。「野菊の墓」、それは若い男女の悲劇的純愛の物語です。
 主人公政夫は民子の事を野菊のように美しいと誉め称え、愛を告白したのでした。結局結ばれず民子は死にますが、その墓の周りには残された者を慰めるように野菊が咲いていたのです。優しく美しい民子の化身としてこの嫁菜は扱われています。
 今でも関東以北の田舎に行けば田の畔に咲いています。この写真のヨメナも海老名の田んぼで摘んできたものです。もう二十年余り、この庭で咲いています。
posted by 三上和伸 at 18:19| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

間奏曲148 日陰の寛ぎ、秋の気配

 今日は良く晴れ、日中は暑く動けば汗ばみました。でも汗ばむ程度で空気は軽く感じました。午後に接骨院に行きました。ところがまだ開いてなく、向かいの店の露天の椅子に腰掛け、アイスコーヒーを友に開院を待ちました。そこは遮光がしてあり涼しく、渡る風を愛でながら一時を楽しみました。正に秋の気配がありました。
 大分、踵の痛みは和らぎました。でもまだアキレス腱を使っては歩けません。カックン・カックン…と変則リズムで歩いています。知り合いに会えば皆血相を変えて近寄って来ます、トホホホホ…。
posted by 三上和伸 at 22:14| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

交響曲列伝1 交響曲とは?

 *始めて直ぐ中断してしまった交響曲列伝を再開します。ハイドンからショスタコーヴィチまで、時間を掛けて連載して行きます。宜しかったらご覧ください。
  
交響曲列伝1 交響曲とは?

 交響曲とは、読んで字の如く響きの交わる曲、多くの響きを持ったオーケストラが一つになって奏でる音楽です。少し難しく言えば、言葉のない楽器だけの絶対音楽で、ソナタ形式を用いて書かれた器楽曲です。一部ベートーヴェンの第九のような言葉を使った曲もありますが、ほとんどはオーケストラだけで奏される管弦楽曲の一種類です。

 一般的には四楽章で作られており、第一楽章はアレグロなどの速いテンポでソナタ形式で作られます。その交響曲の性格を決定する中心的な楽章であり、ソナタ形式の出来栄えを問われる作曲家が最も力を注ぐ楽章です。
 
 第二楽章は緩徐楽章でアンダンテやアダージョなどの緩いテンポを用い、ソナタ形式や三部形式で作られます。情緒が深く歌うような音楽が多いようです。

 第三楽章はメヌエットやスケルツォで舞曲風の溌剌とした曲です。アレグロ(スケルツォ)やアレグレット(メヌエット)の速度で奏されます。第二、第三楽章はその交響曲の言わば息抜きに当たる楽章で、両端の楽章の強い意志や緊張をほぐす役割を担っています。特に第三楽章は迫真の終楽章の前なので軽めに作るようです。但し、この二つの中間楽章の順を入れ替えた作品もあり、第二楽章にスケルツォを入れ、第三楽章に緩徐楽章を置きます。ベートーヴェンの第九(第三楽章とフィナーレの活動性の対比を際立たせる意味で…)やブルックナーの第八(ブルックナーの本領はアダージョ楽章にあるのでそれを中心に据えた為…)などがその例で、全体のバランスを考慮した結果の変更です。巨大な作品になる程その傾向が強いようです。

 第四楽章はフィナーレ(終楽章、終曲)であり、その曲の主題の結論を導き出す楽章で、第一楽章と並んで重要な楽章です。この楽章を見事に作る事ができ、さらに何らかの詩的哲学的メッセージを語り得た作曲家こそが、大作曲家(大交響曲作家・大芸術家)と呼ばれるに値するのです。やはりソナタ形式で作られテンポはアレグロが多いのです。因みに、第二楽章や終楽章には稀にソナタ形式ではなく変奏曲で作られる事があります。それはハイドンの「驚愕」の第二楽章やベトーヴェンの第三「英雄」及びブラームスの第四のフィナーレに見られます。
 
 またハイドンが完成させた古典交響曲の様式では、終楽章はプレストの速度でロンド形式を採るのが普通でした。ところがモーツァルトの後期の傑作群はソナタ形式で作られており、ロンド形式を用いたフィナーレは第三十五番の「ハフナー」以前に見られるに過ぎません。更にベートーヴェンに至っては第八がロンド形式、第二・第六はロンドソナタ形式が使われており、ベートーヴェン以降ではこのプレストのロンド形式は殆ど使われなくなりました。並びに楽器編成が大きくなるに連れ、速度は益々遅くなる傾向に向かいました。
posted by 三上和伸 at 06:52| 交響曲列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

間奏曲147 踵の大切さと大切な人生

 踵は皮と骨の間に肉がありません。そこを強打し痛めれば長く痛みが残り普通に歩けなくなります。結果、仕事や生活に大きな支障をきたし何よりも家族に迷惑を掛けてしまいます。今回私は嫌と言う程、踵の大切さを読んで字の如く痛く痛感し学びました。しかし私の粗忽さは一朝一夕には直らぬもの、況して運動神経などは永遠に改善しないもの、真に悩ましい問題がそこにはあります。不器用な人間はホントに生き難いものですね…トホホ…。
 とにかく改善を目指します。先ずは一歩を出す前に少し考えて出す、慎重に…。一気にやろうとするのではなく一歩ずつ前へ進む、心を落ち着けてね…。何時もやっているピアノ調律の仕事の様にね…。何時も書いているこのブログのように…、辛抱強くね!。…何か出来るような気がしてきました。
posted by 三上和伸 at 08:51| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

間奏曲146 踵の痛みと弦楽四重奏の響

 数日前、またしても慌て者の私は足を痛めてしまいました。今度は椅子の足に踵を痛打し歩行が極めて困難となりました。昨日より痛くて痛くて堪らなくなり、今日は朝から仕事をお休みにして接骨院に通いました。そこで松葉杖を借り、生まれて初めて松葉杖を使い歩いてみました。運動神経の鈍い私はその杖に中々慣れずつまずき、危うく転びそうになりました。痛くて辛く、その上松葉杖は上手く使えずで散々であり、苛立ちが募りました。何時痛みが消えるのか?、仕事に行けるのか?…、あてどがなく不安で悲しくなり、家人に当たり悲しませました。私は益々自己嫌悪に陥り心がクシャクシャになりました。
 今、NHK教育TVの放送で今年四十周年を迎えた弦楽四重奏団・東京カルテットの演奏を聴いています。静かな深夜の部屋にストリングカルテットの澄んだ音色が響いています。そしてそれは次第に私のしこりとなった心身を優しく包み込んで揉み解して行きます。特にバーバーのアダージョは深々と鳴り響き、私のささくれ立った傷口を埋めてくれました。踵の痛みも少し緩和したようです、まだまだ歩けば痛みは走りますが…。
posted by 三上和伸 at 00:25| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

間奏曲145 得する事と徳を施す事

 私達日本のうらぶれた宰相が総理大臣に成れた頃、とても嬉しそうでその職に酔って見えました。如何にも得をしたという表情で笑顔が絶えませんでした。ところがこの宰相、得をする事は上手なのに、人に徳を施すのは苦手でした。民が困窮しているというのに自分は高級ホテルのバーで毎夜酒盛りを繰り返していたのでした。私はこの時この男は駄目だなとつくずく思いました。指導者たる者、些細な事でも民から妬み嫉みを買ってはならないのです。自分の身を投げ打ってでも先んじて徳を施さなければならなかったのです。
 しかしこう人の事は申せても自分はどうなのか、考えている人はどれだけいるのでしょうか?。自問してみる必要はあるでしょう、この宰相を良き反面教師として…。とりあえず私は得する事は大好きです、でも身の程は知っています。私に徳があるとすればそれは家族を愛する事、仕事を命懸けでする事、そして美しいものをブログで紹介する事。しかしそれらは裏腹に得もお釣りとして得られるのです。ですから先ずは徳を施すのが先であり、そこから生きる上で必要な小さな得を得られれば良いのです。
posted by 三上和伸 at 23:00| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲144 鉄の意思・福田衣里子

 今回の総選挙では特異なキャラクターを持った若い女性が当選してきました。その中でも一際異彩を放つのが肝炎訴訟で知れ渡っていた福田衣里子さんで、当確直後の挨拶の映像を見て私は驚きを新たにしました。はっきりと力強い語り口でまるで叫んでいるように言い放ち、その誇らしげな表情は尋常ならざるオーラを発していました。以前から意思の強固さを覗かせてはいましたが、今は益々それに磨きが掛かり、いずれこの意思を以って政界の前面に押し出て活躍する日もないではないように感じました。
 この笑顔にこの愛らしさ、そして意思の輝きが備わった彼女には、元防衛大臣であろうとも最早敵ではなかったようです。
 体を大切に!、頑張ってください。陰ながら応援します。
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2009年09月02日

’09 庭の花95 ミズヒキ 2009.9.1 

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ミズヒキ(水引) タデ科タデ属
 水引と名乗る対象は幾つかあります。一に繊維を取る植物を水に浸して剥ぐ行為、二に仏壇、神輿、舞台などに張り渡す幕、三に進物用の包装に用いる束ねた糸紙。そして四にはこの糸紙の水引の紅白に染め分けられたものをこのタデ科の草に見立てて名付けたミズヒキの草。その見立ての根拠は花穂を上から見れば紅色に見え、下から仰げばそれは白色に見えるからです。
 これも初秋を代表する花、野趣があり、しかも気品もあります。茶花には好んで使われる花です。

 参考: 広辞苑
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2009年09月01日

’09 庭の花94 ヤブラン 2009.9.1

P9010353.JPG
ヤブラン(藪蘭) ユリ科ヤブラン属
 蘭の様な葉を持ち、比較的日陰の藪に生えるからヤブラン、最も安易にその名を付けられてしまった例で可愛そうな草です。花は美しく実も黒く円らで宝玉のようなのに別名もないようで本当に気の毒です。
 でもこの草の根は大した物なのです。長く深い根塊には沢山の大きな根瘤が出来、何とそれは精力剤となるのですって!。実に美しい花からは想像もできない見掛けに因らない秘密が自然界にはあるものなのですね…。私は何度かこの根瘤を見た事があります。それは禍々しい恐るべき風体でした。
posted by 三上和伸 at 23:30| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

’09 庭の花93 ワレモコウ 2009.9.1

ワレモコウ
ワレモコウ(吾亦紅) バラ科ワレモコウ属
 この草は意外と都市近郊にも自生し、昔の古い農道の縁などに見掛けます。大抵は下刈されて花を見るのは稀ですが、特徴ある葉で直ぐに見分けがつきます。高原や湿原には多く自生し、沢山の花穂を付けて見る者を喜ばせます。秋の七草に入らなかったのは不思議な事ですよね、今や秋の寄せ植えには欠かせない秋そのものの花なのにね…。
 吾亦紅の亦は“また”の意味、吾もまた紅なり。赤黒い紅にコンプレックスを持ちつつも懸命に紅を主張していると言ったところかしらね…。名付け親は中々の世馴れ人ですね、吾亦紅の気持ち?を良く汲んでいます。
posted by 三上和伸 at 22:38| 庭の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする