2009年12月31日

間奏曲194 悲喜こもごもの平成21年

 今年を振り返り先ず想うのは結婚三十周年を無事に迎えられた事。未熟な夫婦が曲がりなりにも平和な家庭を築き、ここまで来ることができました。それは二人の努力だけのものでなく周りの人々や幸運も味方してくれたもので誠に感慨深いものがあります。そしてそこからは愛らしい二人の善良な社会人が育った事。それは私達夫婦の三十年掛かりの大きな喜びであり誇りと思っています。

 そして今夏の三十周年記念の海外旅行、その刺激は私達に想いも寄らない掛け替えのない興奮と満足をもたらしてくれました。プラハの路地、ウィーンの音楽、そしてブダペストの夜景、更に城や寺院などの佇まい、思い出せば切りがなく胸焦がし目が眩むほどの熱い記憶となって私の胸に畳み込まれています。それらを想う時夫婦の絆が深まるのを感じます。

 しかし、その対極にあるのが父の病、“禍福は糾える縄の如し”正に福は長くは続きません。術後に肺炎も併発し一時は重い病状でしたが、幸い肺炎を克服し今は安定してきました。重湯から粥に進み回復は上昇のカーヴを描きつつあるようです。でもこの先長く辛いリハビリが待ち受けています。寝たきりにならないために…、父は努力をしてくれるのでしょうか? このあてどない重苦しさは何時まで続くのでしょうか?…。想い遣られます…。

 誠に大きく揺れ動いた悲喜こもごもの我が家の一年でした。
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2009年12月30日

間奏曲193 ほっと一区切り

 いよいよ今日で今年の調律の仕事も全て終わり、後はお正月を迎えるだけとなりました。今お供え餅を事務所兼作業場の机の上に飾り、来年も良い仕事が沢山出来るようにと祈念したところです。2009年も後一日となりお正月までには今年の反省や総括をしたいと思ってはいますが、今は少しほっとしたい気持ちです。今夜は何も考えずに静かにしていたいと願いました。明日以降今年書いた私のブログをざっと読み返し、振り返りたいと考えています。ではお休みなさい、お健やかに…。
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2009年12月28日

間奏曲192 低い太陽に高い月

 今日の日中は春の様な陽気でしたね。横須賀市街のビルの壁に掲げてある温度計は何と十七度を示し、その暖かさが知れました。しかも朝は南風の中、温かい雨が降っていましたものね、当然の結果ですかね。
 私は闘病の父とその看病に忙しい母に代わり横須賀の浦賀にある三上家のお墓に参り、正月を迎える準備をしてきました。墓の周りの照葉の森には藪椿が早満開を迎えており、この冬は季節の進みが早いようです。この森には秘密にしていた幻の白藪椿があり、年が明けたら私の歳時記に掲載しますね…。それは美しく素敵ですよ…、お楽しみに…。
 
 冬至からほぼ一週間が過ぎました。この時期、太陽はあくまでも低く、ことさら顔を上げなくても見えますが、月は非常に高く凝った首を思い切り上に曲げなければ観えません。今さっき、十三日の月がほぼ中天にありました。
 昼間とは打って変わって北風が吹き雲を吹き払い、空気は切れるように冷たく澄み渡り、空は月と星とで賑やかです。中天に月、南東にオリオン座、その東横に冬の大三角、そして東に火星が赤い光を発しています。赤、橙、黄、白、青白、と色取り取りであり、その星(恒星)の温度により色の違いとなって表れます(月と惑星には当てはまりません)。赤が一番低温で青白に向かうに従って高温になります。本当に美しい月夜にして星屑の夜空です。
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間奏曲191 大掃除と真央ちゃん

 今日はスキーに出掛けた長女を除いて朝から大掃除をしました。比較的天気がよかったので皆で一斉に布団干しから始め、その後は妻が台所と居間を次女は自分の部屋を私は事務所兼作業場の掃除を担当しました。本来綺麗好きな私ですが無精なため掃除は避ける事が多かったのですが暮れの大掃除では逃げる訳にもいかず渋々やり始めました。でもすこし綺麗になり片付き始めると何故か不思議と楽しくなり一生懸命掃除に勤しみました。夕方には大方が片付き、至る所がピカピカとなり胸の空く快感が得られました。少し休んだ後に夕食になりました。皆疲れていたのでメニューは簡単に親子丼にしました。もちろん妻のお手製で玉子に甘辛い味が馴染んで絶品でした。その時TVではフィギアスケートの真っ最中で一家で真央ちゃんファンの我が家では大盛り上がりとなり、まずまずの出来の一番の真央ちゃんに皆は大満足でした。真央ちゃん、オリンピック出場おめでとう! 今度は真のライバル・キム・ヨナとの勝負ですね、最強の相手ですが頑張ってください。金メダルをよろしく!
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2009年12月26日

間奏曲190 真央ちゃんガンバレ

 先ほどまでフィギアスケート全日本選手権の女子ショートプログラムを見ていました。見どころの中心は今期不振を極めた浅田真央のカムバック振りでしたが、それは恙無く成功裏に終わり安心させられました。しかしもう一つ何か物足りない印象が残ったのは私だけでしょうか。そしてそれは真央だけでなく安藤や鈴木、中野の演技にも同様の不満が感じられました。技術そのもの質よりももっと演技に輝くオーラのようなものが欲しいと感じたのです。しかもそれは教えられ真似して獲得できる種類のものではなく自分でつかむもの、つかんで自分で作りだし観客に発信するものです。世界の様々な舞踏や芸能に触れそれを鑑賞しそこから芸術性を盗む、そんな強化法もあるのではないでしょうか? 特にバレエには参考に値する官能性や熱情が溢れていると思います。まずはビデオでも良いから鑑賞をする事です。そこに確かな活路を見出せます。オリンピックには間に合わないかも知れませんが、真央ちゃんもっと大人の鑑賞眼を養ってガンバレ!
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2009年12月25日

間奏曲189 一人のクリスマス

 家族はそれぞれにクリスマス会や忘年会に出かけ、私は一人で寂しくクリスマスを過ごしています。でもそこに孤独感や悲壮感はありません。若い時の人恋しさは失せ、人間この歳になると真に孤独も楽しいと思うようになるのです。一人で気儘に食事をし後片付けをして風呂を沸かす、そしておまけに布団も敷く…、楽しいものです。但し昨年の年末と違って夕食のカレーライスは妻が作って置いてくれました。最近の私は疲労困憊ぎみでそれを気遣って支度をしてくれたのでした。美味しかった!
 食後はTVを見たり音楽を聴いたり静かに過ごしました。そして今ブログを書いています。あっ妻が帰ってきました。今夜は早いお帰りで、一人の私に気を使ったのかも知れませんね…。余計なお世話なのにね…。でも嬉しいかも…。だはー?
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2009年12月24日

間奏曲188 三上夏子ピアノ教室サロンコンサートVol.7〜クリスマス〜を聴いて

 昨日行われたサロンコンサート、私は遅刻をしてしまい開演に間に合いませんでした。残念でしたが一部は会場の外で聴きました。そのお陰か演奏者の表情は見えませんでしたが、その分音に集中でき音楽そのものを強く味わえました。まだ年少のお子さん達のクリスマスに因んだ曲やドイツやフランス、アメリカの民謡、モーツァルトのメロディーやトンプソンにメトード・ローズの練習曲集より採られたアクセントの面白い曲など、一生懸命にそして何よりも楽しく弾いてくれました。私は外で一人誰にも邪魔されずに仄々と聴けました。
 そして小学中高学年の三人のソロ演奏、綺麗で優しいブルクミュラーや溌剌としたル・クーペ、そしてバッハの愛らしい舞曲など子供なりの味わいがあり、とても素敵な演奏で感心しました。さらに中学生の方の見事なショパンの幻想即興曲、よく指の動く切れ味のある快演でした。
 一部最後はゲストのヴァイオリニストさんと我が娘三上夏子先生による二重奏でモーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタでした。ピアノの雄弁さとヴァイオリンの繊細さ、しなやかに寄り添い美しく溶け合った二つの音の語らいが私の胸に届きました。

 二部の冒頭では若い主婦の方のバッハのプレリュードハ長調が聴けました。大人の生徒さんの演奏もまた味わいがあります。大人らしく表情が豊かであり伸びやかに歌われて好感が持てました。
 その後は何時もの入れ替わり立ち替わりのクリスマスメドレーで、一番大切な音楽をする喜びで溢れていました。エンディングは八人連弾のきよしこの夜で大仕掛けであり、ここにこのコンサートの面目躍如たる驚きの企画が垣間見えました。最後は客席まで大合唱となり感極まりました。楽しいコンサートにブラボー!
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2009年12月22日

湘南漫歩2 城ケ島 2009.12.21

仕事と父への見舞の合間を縫って、時間との勝負の漫ろ歩きとなりました。目的は年賀状制作のための写真撮影にありました。父の病などで落ち着かない日々が続き何事もいま一つ手に着かない状態で心が腐っていましたが、やはり自然は素晴らしいもので豪快な海を眺めていると心動くものがありました。海と花、そして海鵜の越冬地の写真を手早く収め満足を得て父のいる病院に向かいました。

 @輝く海
輝く海
 午後の光を受けて海は輝いていました。真に眩しくデジカメのモニターは真黒になり微かにしか見えず難渋しました。当て感で撮って直ぐ再画像で確認をしてよしとしました。改めて太陽の偉大さを知る事となりました。太陽とはこんなにも地球に光を降り注いでいるのですね…。
 輝きの先には伊豆大島の姿が見えます。

 A赤羽根海岸 
赤羽根海岸
 海鵜越冬地がある断崖を望む展望台から撮影しました。海は青く断崖の岩には白波が打ちつけていました。青と白の美しい構図であり、私の胸はその爽快により久し振りの軽さが蘇りました。

 B海鵜の宿
本の下の断崖写真をクリックするとウミウが見えます。
 長良川などの鵜飼い漁で一生懸命鮎を呑み込みそして吐き出しお客に美味しい鮎を提供しているのがこの海鵜です。彼らは潜水の名人?であり、また人間との共存ができる優れた性質を持つ鳥であるため鵜飼いで使われるのだそうです。ここの海鵜は鵜飼い用に捕獲はされませんが、確か房総半島では捕獲場所があると聞いています。海鵜はこの断崖で春の四月まで越冬します。そして英気を養って繁殖地の北へと向かうのです。
 ここは北に山を背負い北風が避けられ南は太平洋の海原で一日中太陽の恵みを受けられる所。朝豊かな海で食事を採れば後は日がな一日日向ぼっこに明け暮れる、鵜達にとっては正にこの上ないパラダイスですね。

 C水仙
水仙
 近年は海岸や海岸に近い地域に水仙を植えるいわゆる地域起こしと言われる活動が盛んです。ここ城ケ島でも沢山植えられて甘い香りで旅人を楽しませてくれています。でもここの水仙はちょいと歴史があるのです。ものの本に依ればここの水仙は明治の頃には既に人に知られた存在であったそうです。北原白秋や与謝野晶子もこの水仙に関心を持ち愛していたようで、晶子は白秋?に「城ケ島へ行ったなら水仙の根が欲しいから持ち帰ってください」と注文をしています。水仙は真の自生ではないとされていますが、何時の間にやら明治の頃にも生えていたのですね…。
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自然通信59 海鵜の冬の宿 城ケ島 2009.12.21

城ケ島赤羽根海岸
自然通信59 海鵜の冬の宿 城ケ島 2009.12.21
北原白秋の「城ケ島の雨」で有名なこの島は三浦半島の最南端に位置する自然の小島です。城ケ島大橋など開発も受けていますが、太平洋に面した南側は未だ美しい自然海岸を残して秀逸です。この赤羽根海岸の本の下(ほんのした)の断崖は険しく容易に人を寄せ付ける事はなく、故に海鵜の恰好の越冬地として役目を果たしてきました。ここで冬を越した鵜達は春、勇んで北へ向かい新たな生命を産し育みます。その大いなる原動力をこの島と海が養っているのです。ここは優しく美しいパラダイスであり豊饒の海です。
posted by 三上和伸 at 09:44| 自然通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

野の花32 イソギク 三浦城ケ島 2009.12.21

イソギク
イソギク(磯菊) キク科キク属
 キク科キク属では珍しい舌状花のない筒状花だけの花、東京都(伊豆諸島)と神奈川、千葉、静岡の各県の海岸だけに分布しています。見事な群生を見せる草で海岸の断崖を黄色に染め抜きます。また葉の美しさも特筆するものがあり見応えのある草です。 
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2009年12月15日

間奏曲187 父の様子と私の腰痛

 今日は妻が父を見舞ってくれて先ほど帰りました。どうやら昨夜の激しい動揺は収まったようで落ち着いた様子だと報告してくれました。ただボケは進んだようで「あんたは誰?」と聞かれてしまったそうです。また的外れな事を言っていて記憶が混乱しているようで斑ボケしているようだとも申していました。でも一応落ち着いていてショックもないそうで安心はしました。傷が癒え、物が食べられて退院できるまで、ガンバレオヤジ!

 私は私で今日の仕事中に軽いぎっくり腰を起こしてしまい、“背筋ピーン”は痛くてできません。様子を見てまた再びの接骨院通いになりそうです。ヤレヤレ…。疲れが溜まっているのですね、気を付け無くっちゃ…。
posted by 三上和伸 at 23:23| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲186 父の手術を見守って

 今日は父の手術の付き添いのために私と妻は母と連れだって病院に行きました。
 手術前の準備の折り、看護師にたのまれた父の爪切りをやりながら顔を覗くと父は以外に元気であり、これから訪れる苦痛を察知できない痴呆気味の父は案外幸せなのかな?と微妙な思いに至りました。父は私の爪切りを「イタイイタイ」と大声で罵り、子供帰りをした老人は始末におえないとほとほと呆れ悲しみを覚えました。
 
 昼の十二時過ぎに始まった手術は延々と続き、とうとう夜の八時近くまで掛かりました。手術室から出てきた父はまだ麻酔が覚め遣らず興奮をし、うわ言を言い続けました。見ている私達は驚きと悲しみに沈み母は震える声で励ましましたが、父はそれでもうわ言を言い止まず母はじきに涙声となりました。
 
 八十三歳の母の疲労の色は濃くタクシーで帰らせ、私達も疲れ果て後ろ髪を引かれる思いで後を医師と看護師に任せて父の元を去りました。
posted by 三上和伸 at 00:20| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

ピアノの話10 ペダルの重要性

 これまで同業者への批判は避けてきましたが、今日はどうしても言わせて頂きたく思い筆をとりました。
 ある横浜の小学校の体育館にあるアップライトピアノの事、数日後の音楽会のためにPTAのある方から調律の依頼を受けました。本来はこのピアノを納入した業者の調律師が調律していたものですが、今回は私が臨時で依頼を受けたのでした。
 このピアノは納入から数年ほど経ったもので新しいピアノでした。過去に五度の調律がなされ今年の二月に最後の調律済みの記録が記されてありました。一通り点検をしたところ、「やはりな…」と私は呟きました。調律はともかく左右の二つのペダルに極端な遊びが出ていてスカスカでした。これでは迅速なペダルワークは難しく、ましてハーフペダルの操作などは不可能です。ペダルとはピアノの演奏で最も重要な演奏効果をもたらす仕組みであり、これが程良く調整されていないピアノは最早ピアノの体をなしません。残念ながらピアノ音楽など少しも理解していない調律師が調律していたようです。そしてこのような調律師が多い事もまた事実であるのです。ピアノに関わる以上キチンとピアノを理解して欲しいと願わずにはいられませんでした。遣っ付け仕事は止めるように!

 *ペダルはアクション(打弦機構)と連動し音の強弱や音色の変化を促進させる装置。音楽的にピアノの表現範囲(能力)をより増大させる。

 *右ペダル
 サスティニングペダルと言いダンパー(止音する機構)を総上げし全ての弦を解放して瞬時に共鳴させる装置。豪壮華麗な華やかな音色音響が得られる。ハーフペダルでは幽かな音鳴り(残響)で夢幻的な音響を響かせ、更にソステヌートに近い効果も得られる。

 *左ペダル
 シフティングペダルまたはソフトペダルと言い、瞬時に響きをより小さくさせる装置。但しグランドピアノはハンマーの弦当たりの位置を移動させる事により極端に音色を変える事が可能となる。ハーフペダルで変幻自在の演奏効果が得られる。
posted by 三上和伸 at 22:36| ピアノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲185 ブログデザインを替えてみました。

 心落ち着かないネガティブな日々が続いており、いま一つ心が晴れません。想いも定まらずブログを書く気力も失せてきました。そこでブログデザインを替えて気分を一新してみました。南半球の生の躍動にあやかって己を発揚させればまた何か書けるような気がしたからです。目指すものは見えているのですから…。
posted by 三上和伸 at 09:02| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月10日

間奏曲184 心配の種は尽きません

 先日に被った玉突き事故による後遺症はなく、我が愛車も昨日すっかり綺麗に元通りとなり我が家に戻って来ました。これで一先ず安心をしました。ところが一つ済めば一つが始まり私の心配の種は尽きません。今日父を入院させました。十四日に手術だそうです。慌ただしく落ち着かない不安な暮れとなりそうです。否、間違いなくなるでしょう。覚悟を決めて父を見守ろうと決めました。頑張ります。皆様はどうぞお健やかに!
posted by 三上和伸 at 23:19| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

私の歳時記 2009.12.09 もう直ぐクリスマス

手作りのリース
 これは私の調律のお客様で娘のピアノの生徒さんでいらっしゃるご婦人より頂いたクリスマス・リースです。自然愛好家であるこの方は森に入りこのリースの素材を摘んでいらしたようです。イチイやヒノキの葉、赤と紫の木の実、そして愛らしい松ぼっくり(カラマツ?)、そんな素敵な森の材料で作られています。三上ピアノ調律所兼三上夏子ピアノ教室の玄関ドアーに飾りました。お客様や生徒さん達の喜ぶお顔が目に浮かぶようです。

 
posted by 三上和伸 at 22:45| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

音楽の話12 「ドリー」と「ワルツ」

 少し前まで放映されていた保険会社のテレビCM、宮崎あおいがパーソナリティーに扮して海を望む木立の中のスタジオから柔らかなナレーションで語りかけていたもの…。その背後をたゆとう美しい二つのピアノ音楽、皆様は誰の何という楽曲だかお分かりでしょうか?

 一つはガブリエル・フォーレが作曲した組曲「ドリー」op56 の中の第一曲「子守歌」、静かで穏やかな響きを持ち時間がゆっくりと過ぎゆくような優しい曲です。
 曲名の「ドリー」はこの曲を捧げられたエレーヌ・バルダック嬢の愛称「ドリー」に因んだものです。正に曲の愛らしさにピッタリのうってつけの名前ですね。フランスの作曲家らしくフォーレは奥床しくて上品です。そしてその上善意に溢れていて素敵な人格者ですね…。

 もう一つはヨハネス・ブラームスの「16のワルツ第15番変イ長調」op39-15、無骨なブラ-ムスにしては上品な曲であり優雅ささえ湛えています。でもやはりそこは北ドイツ人、その底に熱情と哀愁が潜んでいるようです。力強いセンチメンタリスト、それがブラームスですね…。

 正反対のように見える二人の音楽家、でもそこに人間の情と言う尊い感情で繋がっているように私には見えます。人間への深い共感とでも言いましょうか…、信頼とでも言いましょうか…。それはあの天才・モーツァルトにも繋がる精神です。涙無くしては聴けない音楽…。

 このCMの発案者の見識に敬意を表します。
  
 
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2009年12月06日

音楽の話11 ブラームス「ハンガリー舞曲」

 厳しい音楽の修行を終えて二十歳になったブラームスは世に出るために放浪の旅を決意しました。丁度知り合ったばかりのヴァイオリニストのエドワルト・レメーニと共に一旗揚げようとハンブルクを出発したのです。ドイツ各地でどさ周りの演奏会を開いては名を売るために奮闘しました。ヴァイオリンとピアノの二重奏が主体であり、モーツァルトやベートーヴェンなどのソナタの名曲や極たわいのない舞曲や娯楽作品も曲目に取り上げられたようです。その折、ハンガリー生まれのレメーニからはハンガリー・ジプシーの舞曲・チャルダッシュの数々を教え込まれ演奏しました。ブラームスはそれらのピアノパート譜を作り二重奏作品として五線譜に認め大切に保管しました。勿論何かの役に立てようとはこの時点では思い及ばなく、ただ愛するだけでしたが?

 レメーニとは結局その数ヶ月後にワイマールのフランツ・リスト(42歳)の邸宅で袂を分かちました。レメーニはすっかりリストにかぶれそこに居付き、ブラームスは一人失意の内にリスト邸を後にしました。リストはブラームスの天才を見抜けず、また貧乏育ちのブラームスもその金満なリストの生活振りに反発を覚え、芸術にもそりが合わぬものを痛感し、自ら下向したのでした。そしてその数ヶ月後に今度は一人でジュッセルドルフのロベルト・シューマン(43歳)を訪ね、首尾よく世に出る事に成功したのです。シューマンは音楽雑誌に「新しい道」(古典主義とロマン主義の結合の道を示唆する)と題して論文を寄稿し、ブラームスとその音楽の存在を世に知らし示しました。二十歳のブラームスは一躍ヨーロッパ楽壇の寵児となったのです。

 それから十六年後の1869年にレメーニから教わった大好きだったハンガリーのチャルダッシュをピアノ四手用に編曲し「ハンガリー舞曲集」(10曲)として出版をしました。これが大当たりをとり楽譜が売れに売れ、ブラームスの元には多額の印税が転がり込みました。(それでもしたたかな楽譜出版商に上手い事儲けられ、後にブラームスは「俺がもう少し利口ならばその儲けで城が建っただろうに」と述べたそうです)。しかしそれを妬んだレメーニからは、盗作であると訴訟を起こされ、二人は裁判で争いました。挙句の果ては、楽譜にはブラームス作曲とは記されておらず編曲となっていたので、ブラームスの言い分が通りました。ブラームスはこれに懲りて第二集(11曲)を出す時にはよりオリジナルのものを増やしたそうです。でもそのお陰かちょっとつまらなくはなりました。

 それでもこの大当たりは後のブラームスの財産となり、ブラームスは作曲の印税だけで生活が成り立つ音楽家では稀有の存在となりました。ハンガリー舞曲はブラームスの作曲家として成り立ちの重要なバックボーンの一つとなったのでした。

 哀愁と躍動と歓喜、ハンガリー舞曲は遍く人を引き付けるブラームスの代表作です。屈折した気難しい音楽を沢山書いたブラームスですが、この曲集とワルツ集だけは誰の心にも優しくしみ込んでくるブラームスのエッセンスがあります。そこには普段のブラームスの快活な横顔が見えます。

 ピアノ四手(連弾)、ピアノソロ、管弦楽用と多彩な編曲があり何れも大いに楽しめます。
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今宵の名曲14 フォーレ・レクイエムを聴いて

 近頃の私は父の病などで落ち着かない日々を過ごしています。心は荒れ、つまらない事で父母に辛い言葉を投げてしまいます。真に情けない息子であり、ここら辺りが私の人間としての限界かなと思い嘆いているところです。人間の器により人を慰める事も出来れば人を悲しませてしまう事もあるのです。心を清め心して人と向き合わなければならないと痛感しています。
 
 今宵、私はそんな鬱積した心を掃除するためにフォーレのレクイエムに頼りました。フォーレは自分の愛する父親の霊を慰めるためにこのレクイエムを書きました。キリスト教への深い信仰により美しく浄化された音楽は優しい孝行の心が感じられ胸を打ちます。私とはまるで違う愛に満ちた心根に私は涙し恥じ入りました。そしてその上で私はこのレクイエムに慰められ心の重苦しさから解き放たれのです。明日からはもう少し増しな人間になろうと…。

 
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2009年12月04日

間奏曲183 赤ちゃんと老人

 よく年老いるとは赤ちゃんに帰ると人は言いますが、それは全くの誤りだと私は想います。確かに下の世話まで受けるようになればまるで赤ちゃんのようですが、その頭の中は全然違います。赤ちゃんの脳は活発に働き激しい知識欲で燃えています。ありとあらゆる知識や現象を理解し吸収しようと活動し発展的です。一方一部の年老いた人の脳は記憶を失い自我を失い活動が止まった状態です。生きる意欲を失い、無の世界へ行進中です。悲しいかな今の我が父の姿が正にその状態です。私はその父の姿に嫌悪感すら感じてしまう事があります。しかしその姿は二十七年後の私の姿かもしれません。今、父は私の反面教師です。二十七年後の私はどんな姿をしているのか、それは私の努力にかかっているのでしょう。人間、最期まで努力が必要と、今の段階では私は理解できました。赤ちゃんのような発展性を死ぬまで持ちたいと強く願っています。
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2009年12月03日

間奏曲182 認知(認識)の差 

 今日は我が父を病院に連れて行き検査を受けさせました。結果は以前より心配されていた通り深刻なものでした。私達家族の上には暗雲がかかり前途は悲観的となりました。

 ところが当の父は意外と呑気であり、それは取りも直さずぼけの進行が進んでいる証明で、改めて今日深くそれを認識させられました。今の自分を正しく把握できていないのです。しかしそれは病の恐怖に戦かずにすみ幸せな事なのでしょうか。それとも自分を失い生きる意味さえ忘れてしまい不幸なのでしょうか。十年前の生に燃えていた義父の病と死に想いが重なります。多くを楽しみ覚醒していた義父に襲った病と死、その恐怖は如何ばかりであったのでしょうか。それに比べたら我が父は幸せなのでしょうか。この認知(認識)の差に何があるのでしょうか。私は考えます。どちらも不幸ですが、またどちらにも僅かな救いがある(あった)のではないでしょうか…。否、不幸ばかりかも知れません…。こんな事を思えば二人は怒るでしょうが…。

 生きるって悲しいですね、でもそこから何かを学べたらいいですね…。

 
posted by 三上和伸 at 00:18| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする