葉桜の今、大分塔が立ってしまった話題ですが、ここで二子山花見ハイキングの話をさせて頂きます。
満開を過ぎた名残の桜に会うために、私は近年ハイカーの間でとみに脚光を浴びているハイキングコース、葉山の二子山を訪ねました。葉山は現在まで三浦郡葉山町として存在し、市ではなく群であり町なのです。それは何を意味するのか、そう田舎なのです。しかも都会が近いのに鉄道が無いとびっきりの田舎、大開発(ゴルフ場や批判が集中した国際村などはある)を免れた海あり山ありの太古の自然が息づいている田舎です。そんな葉山の中でも二子山周辺は最も原生の自然が残された特別の仙境、山桜が春色のグラデーションを描くのも当然の事と言えるのです。
そもそも、皆様は湘南の湘とは何を意味する語(漢字)だかお分かりですか? 何とそれは中国湖南省の別名(古名)を指す語だとか…。そして更にもう一歩進んでそれをひも解けば、洞庭湖に注ぐ湘江の湘の字だそうです…。日本の湘南はこの中国の優れた景勝地になぞらえて明治の頃に名付けられた名だと想像されます。如何に当時の明治の人々(主に漢文に精通していた文化人)がこの湘南の地に憧れを抱いていたかが解ります。
@阿部倉山の山桜

まずは京急新逗子駅を降りて南へ歩き出します。暫く先の桜山トンネルを抜けると長柄の交差点に出ます。そこを左折し逗葉新道に沿って歩を進めると阿部倉山が迫り、山肌に柔らかくたゆたう山桜の淡紅色が観えて来ます。ここで二子山の水を集めて流れる森戸川に沿って右折し、先程見えていた阿部倉山の裾を巻きながら森戸川沿いに延びる林道に入ります。
Aカワセミ

カワセミ(川蝉・翡翠)ブッポウソウ目カワセミ科
暫く林道を進むとやがて森林ゲートが立ち塞がり、ここで車は立ち入れなくなります。この先も道幅のある林道は続きますが、完全な徒歩の世界となるのです。ここでは葉山山楽会の会員が屯していて、地図や花案内などの冊子が売られていました。私は葉山の全ての山のハイキングコースが網羅記載されている案内地図を¥500で求めました。
そして先を進もうとすると声を掛けられました。「そっちじゃないよ!、あの森林ゲートの脇を廻り込んで行ってください」と。これが最初の道の間違い、どうも私はどちらかと言うと(どちらかと言わなくても)方向音痴の気があるらしく、もっと深い山の単独行では間違いなく遭難するだろうと自覚しました。とにかく一回転するともうどっちに行っていいか解らなくなるのですから?ヤバイです。まぁ、そんな本格の登山は一人でする気はさらさらありませんがね…。
さて正しい道を進んで行くとやがて林道は終わりを告げ、細い山道になりました。相変わらず左手には森戸川(川は河口に向かって左右が決まるので右岸は崖、左岸を歩く)があり、微かにせせらぎは聴こえていますが、そこには間違いなく静寂と言っていい静けさがありました。それでもあちこちからウグイスが美声で鳴き交わしているのが聴こえ、誠に深い森に入って来たものだと感慨も一入でした。その時、突然二羽のウグイスが僅かの時間差で「ピーーーキュロキュロキュロキュロロロロロ…、ケケキョ、ケケキョ、ケケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケッキョ、ケッキョ、ケッキョ……」と声をからませ合いハーホモ二ーを奏でました。未だ嘗て聴いた事の無い美しく重ねられた音声に、私は驚きと感興を持って聴き惚れたのでした。そう言えばこの山域はバードウォッチングのメッカとして知られた地域である事を思い出し、なるほどと合点した次第でした。そして更に流れの上の枝に青い鳥を発見し、瞬時にそれがカワセミである事に気付いた時、私の興奮は最高潮に達し、ここに来た甲斐を強く認識したのです。勢いカメラのシャッターを何度も切りましたが、私の指はもどかしくも強張って打ち損じ、結局このようなピンボケの写真しか撮れませんでした。自信の持てない写真で恐縮ですが、参考までにご覧ください。
B花花花
木の枝には野鳥達がさえずりを交わし、樹上には桜と山吹が乱れ咲く、そして地上には諸々の草花達の微笑み返し。正に美の饗宴、私が有頂天になってしまうのも無理なからぬところと言えましょう。どうぞ重々お察しください。
何時でも何処にでも、思い立ったら思い切り出か掛けてみる事が肝要、一歩踏み出せば新しい世界が観えて来ます。新たな希望が湧いてきます。人生が変わります。
T二輪草

優しく涼しげに木漏れ日の下で咲いていました。揺れる闇が返って白花を浮き立たせて魅せてくれています。静かに静かに…、一寸物憂げに…。私の心も涼やかに鎮まり、一時の憩いにありつけました。
U山吹

昔、小判を山吹と言ったとか、それ程に鮮やかな黄金色です。山吹の特徴は滝のように降り落ちる花、「まるで小判が降って湧いたよう」などと言っても、あながち、嘘偽りとは申せないでしょう。良く観れば、そんな風に観えなくもないですものね。綺麗?です。
V山桜

桜とは不思議な花ですね。私なんぞはこの花が咲かないと春が来た感じが致しません。もう体に血となり肉となり骨となって沁み付いてしまっています。これは他の花では代用できないもの、必要不可欠の花。もし太古より日本に桜がなかったなら、日本人の顔形や姿、また気質も変わっていたかも知れません。私の足はあと二十センチ長かっただろうし、鼻は後三センチは高かったでしょう。おまけに目の色は南洋の海のようにサファイアブルーかエメラルドグリーンに染められていたでしょう。性格ももっと粘り強かっに違いありません。それはとってもいいですね…、しかしそうは言っても、短足団子鼻で黒い瞳の短気で諦めが早い日本人でいいから桜にいて欲しい…。西行さんも言っています。如月の満月の宵に桜の下で死にたいと…。私も同感です…。
W立壺菫

この薄紫を好きな人は多い筈です。日本人はどちらかと言うとはっきり色を表さない人が多いからです。感情にしても理論にしても、曖昧を好むのです。だから花色の好みも同じで、単色の鮮やかな赤とか黄、オレンジや青などより微妙に混じり合った色を好む人が多いと想うのです。その代表がホタルブクロで紫とも桃とも白ともつかぬ微妙な色合いをしています。実は私もそんな色を愛好しいているのですよ。だから野生の花を好むのです。野生に単色はほんの一部を除いて余りありませんから…。よって私はこの野生の立壺菫が大好きです。この薄い紫とも空色とも水色ともつかぬ淡い色が好きなのです。その薫る色香が愛しいのです。
X山猫の目草

この山猫の目草の名はイントネーションと目指す意味合いが微妙で誤って読まれる方もいる事でしょう。「山猫・の目草」ではなく、「山・猫の目草」が正解です。山猫ではなく、山にある猫の目草と言いたいのです。それはこの草の兄弟に冠がない、ただのネコノメソウがある事を根拠としています。自信を持って?正しいと断言できます。
また猫の目の名の由来は花にあるのではなく、この草の刮ハ(サッカ・タネとタネを包む莢のようなもの)の形状が真昼の猫の目(細い瞳孔の…)に似るからです。何れ写真が撮れる事があれば、お知らせ致します。
C沢歩き

花を楽しみ寄り道をしながらも進むと、やがて山道は消え、そこには広場と一寸した休憩所があり、昼前なのに弁当を広げている人もいました。私は道を失い、今日二回目の迷い人になりました。仕方なく、その弁当の人に尋ねました。「この先の道はどこですか?」、すると「ああ、手前の道を折れ直ぐに沢に降り、そこの沢を歩くんです」と。『そうか、いよいよ沢歩きになるんだ…』と思いつつ弁当の人に礼と別れを告げ歩を進めました。直ぐに沢以外歩く道はなくなり、私はよろよろと石の頭の上を踏みしめ歩き始めます。ところがどうも年齢の所為か体バランスがよろしくなく、よろけてしまうのです。転ばぬよう力が入り体を固くするため益々バランスが悪くなりあっちにフラフラこっちにフララ、冷や冷やもので歩きました。そして何と瀞場に来るとそこは水浸しで歩くガレ道は無くなり、ハタと「どうしたらいいのだろう?水の中を歩くのかなー?嫌だなぁー」と困惑して辺りを見回すとありました。目印とその巻き道の入口が…。そこを上り始めると突然短いが断崖の壁が…。すると上からはロープがブラリ、何と鎖場ならぬロープ場が…。恐々必死にでも難なく上り詰めて直に森戸川に別れを告げ、二子山頂上への急登に掛かりました。そこからは延々と上り、でも標高は208mですから高が知れていますがね。帰路の東逗子方面の分岐点も怠りなく確認して頂上に登りました。
D上二子山山頂

山頂は森林を切り開いたらしく草原でした。丁度横浜方面が開けており、観晴らしが利きました。ランドマークも観えました。
E匂い立壺菫

山頂の一角に僅かながら匂い立壺菫が花開いていました。私の鼻は匂いは感じられなかったのですが、愛らしい花の風情に十分の満足を貰いました。何時も花を観て思う事ですが、花は私を喜ばすために咲いているのではなく、己の遺伝子を残すために咲いているのです。けれどもならば何故、人間の私は美しさを感ずるのでしょうか? まぁ、それは永遠の謎かも知れませんが、一つ言える事はその草が自分を残すために健気に最善を尽くした結果、たまたま人間にはその健気さが美しく観えた、ただそれだけなのかも知れません。されどもしかしたらこの草も人間も同じ親から生まれた同胞の兄弟だからかも知れません。その昔は愛し合っていたのかも…。でも残念ながら今は私の片恋なのですけれどね…。けれどそれも自由でいいですけどね…。自由に愛せるって素敵な事ですよね…。
*山頂からの下山で情けなくも第三の迷い道に陥り、下山ルートを間違えてしまいました。本当は山桜の園なる最も山桜の見所である東逗子沼間ルートを取る筈が、弁当のための休み処を探した際、道を間違えたのでした。疲労もあり、結局戻るのを諦め逗葉新道に下り、元来た長柄経由の逗子への道を取り帰路に付きました。
F長柄の庚申塚

何処の町にも街道にも、庚申塚はあるものです。日本人は多神教でありますが、中々信心深い、まぁそうでなければ食うか食われるかの古の浮世では神にすがるしか道も術もなかったのでしょう。百八つある煩悩、現代ではそんなに沢山ある人は少ないでしょうが、幾らかは誰でも持ち合わせているでしょう。信仰を上手に誰の指図も受けず自分の意思で持てると良いですね。私も持っています。勿論三上教です。信者は私一人です。
最後に

帰り道、振り返ったら、来た時と同じ光景がありました。嬉しい、「来年も宜しくな!、また楽しませてな!」、胸に熱いものが込み上げて来ました。