2011年10月31日

私の歳時記 2011.10.31 ウメモドキの実 

 ウメモドキ
ウメモドキ(梅擬)モチノキ科モチノキ属
初冬の風物詩と言える紅い実、この季節の野鳥の餌として役立っているそうですが、人間にも精一杯の美を振舞ってくれています。擬(もどき)とは真似る、似せる、まがい等、余り良い意味合いではありませんが、梅に似た花(初夏)も紅い実も美しく決して梅のまがい物ではありません。昔人は少々意地悪な名付けをしたものですね。でもウメモドキ、私にはこの聞き慣れた音は意外に好ましく、心に響くものがあります。花、実、そして名、その全てが個性際立つ本物と私は称えてあげたいのです。
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2011年10月30日

間奏曲488 我が家の台風一過

 一昨夜の騒動の大嵐、昨日の台風一過、そして今日の希望に満たされた心の小春日和、その全てをもたらした青年の来訪が、我が家に新しい風を吹き込みました。そうです、次女が婚約をしたのです。「娘さんと結婚させてください」、「どうぞよろしくお願いします、娘を幸せにしてやってください」。それがその青年と私の挨拶口上の全てでした。

 よく娘を嫁がせる父親は寂しく口惜しいものがあり、相手の男を殴りたくなるなどと言われますが、私はそうではなく、ホッとしたものを感じています。何より娘の未来が新しく開けた事に喜びを感じます。肩の荷が一つ下り、責任をバトンタッチ出来る事に大いなる安らぎを得られました。ありがとう。
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2011年10月29日

新ダイエット日誌2 十月の記録

 張り切って新しいダイエット日誌を始めたのに水を差す夕方からの雨、二日目からこのザマですからやんなっちゃう!! 残念ながらウォーキングは中止にして筋トレだけを余分にやりました。このスロー筋トレ、腹筋だけは負荷が少ないようでお腹回りに筋肉痛はありませんが、腕立て伏せとスクワットは結構きつく上腕部と太腿は少々痛みが出て来ました。…と言う事は、効果がある証拠、今後が楽しみとなりました。

10月21日
筋トレ 腕立て、腹筋、スクワット、それぞれ30回 他に足上げ腹筋もしました
体重 朝81.6kg 200g増

10月22日
筋トレ 各20回計60回
歩数 7192歩
体重 81.7kg

10月23日
筋トレ 各20回計60回
歩数 7325歩
体重 81.8kg

10月24日
筋トレ 各20回計60回
歩数 7492歩
体重 81.5kg

10月25日
筋トレ 各20回計60回
歩数 8411歩
体重81.7kg 

10月26日
筋トレ 足上げ腹筋を交え各20回計80回
歩数 13,590歩 徒歩の仕事回り
体重 81,9kg 今のところ一向に減りません

10月27日
筋トレ 各20回計80回
歩数 7308歩
体重 81.8kg

10月28日
筋トレ 歯痛でなし
歩数 7684歩 徒歩の仕事回り
体重 81.8kg

10月29日
筋トレ 各20回計80回
歩数 7291歩
体重 81.8kg

10月30日
筋トレ 各20回計80回
歩数 7124歩
体重 81.7kg

10月31日
筋トレ 各20回計80回
歩数 8314歩
体重 81.9kg
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間奏曲487 歯医者に行き、家族も仲直り

 先程歯医者から戻りました。やっぱり虫歯で、左顎下の一番奥の歯に穴が開いていたそうです。レントゲンを撮って説明を受け、削って薬を塗り蓋をして今日はお終い、来週に痛みがなければ型を取って埋め被せる?そうです。これで一安心、よかったよかった、今痛みはまるでありません。嘘のように健やかです。

 そして家族騒動ですが、皆一同で謝り合いました。昨夜、あんなに怒声と泣き声が乱れ飛んだのに…。その原因はとてもデリケートな問題なので今は申し上げられません。何れ何時か、ほとぼりが冷めた頃に笑い話としてお話し出来るでしょう。よかったよかった…。
posted by 三上和伸 at 12:30| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲486 歯痛と家族騒動でネガティブな私…

 大分前から左下顎の奥歯が水に染みて痛みが出ていました。それがとうとう昨日の仕事中に疼き出し、さらに左首から肩までに痛みを伴った凝りが出て来ました。ピアノ調律は左手で鍵を打つので結構辛かったのですが、そこは仕事人(プロ)、痛みを忘れて仕事に打ち込みました。けれどお昼御飯は辛かった、左顎で噛まないようにして、飲み物も舌で上手くリードして咽喉に達しさせ飲み込ませました。変な食べ方で我ながら情けなくも可笑しかった…。

 夜になって、痛みは歯磨きの連続で軽減しましたが、今度は家族騒動…、いやはや、私は打ちひしがれて、皆は眠ってしまったのに一人眠りに着けず、午前二時までボーと起きていました。何事にも繊細な私?、歯も心も痛く極めてネガティブでした。睡眠導入剤を飲み床に着きました。

 今日、歯医者に行く積もりです。
posted by 三上和伸 at 09:10| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲485 三つ子の魂 2011.10.28

 「三つ子の魂百まで」と言いますが、私などはその典型と言えるでしょう。幼児期、買い被られ甘やかされて育った所為か、自分の思い通りにならないとストレスが溜まります。すると不機嫌になり我が儘を言い、周りの人を傷つけ迷惑を掛けます。自分では重々解っているのですがどうにも直りません。解っているけど止められないのです。今日も家族に暴言を吐き、大切な家族を傷つけてしまいました。誠に情けない体たらく、自己嫌悪に陥り傷ついています。「三つ子の魂百まで」、これは私の永遠に解けぬ足かせですね。どれ程、これで他人と自分を傷つけてきた事か…。許されぬ事ですが、親を恨みます。否、これも自分への買い被りか?…

 ですから教育と躾は大切なのです。我が子が可愛いならば決して甘やかせてはなりません。愛すれば愛する程、買い被らずに厳しく育てるべきです。若いお父さんお母さん、日本、否、世界を背負って立つ若者(普通の善良な人間、それこそが世界を背負う)に育って欲しくば、厳しく育てるべきです。
posted by 三上和伸 at 00:25| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

星空ウォッチング19 冬の星座現る 2011.10.26 23:20

 東の空におうし座とオリオン、もうこの時間になると冬の星座が現れます。そう言えば朝霜の降りる頃の霜降も過ぎお寒くなりました。早いものですね、今年も後ふた月です。何か焦りに似た心許ない気分に押し潰される気がします。でもまあ、気持ちを入れ替え心鎮めて晩秋の星空でも仰ぎましょう。チョイと寒いですが空は広いし星は一心に瞬いています。厭な事は星空の彼方に捨て去りましょう…。
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とっておきの花18 フジバカマ 2011.10.26

フジバカマ
フジバカマ(藤袴)キク科フジバカマ属
フジバカマは西日本に多く自生すると言われていますが減りつつあり、現在準絶滅危惧種に指定され、その存在が危ぶまれています。したがって東日本に住む私は尚更に、野にあるこの草をまだ見た事がありません。この庭にあるのも園芸店で買ったものであり、真の野生種ではないと想われます。しかし葉を乾燥させるとクマリンの芳香を発するので本物のフジバカマかも知れず、その種の確定は定かではありません。秋の七草の一つで渋い淡紫色が好ましく愛する人は多いようです。勿論、私もその一人です。
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2011年10月26日

間奏曲484 眞子様の振舞いに拍手、躾のお手本にしましょう  

 先日のテレビニュースで青年になられた眞子様の記者会見の模様を見て、やはり日本再生のキーポイントは教育に尽きると確信しました。その眞子様の立ち振る舞いは、やや目線が泳いでいるのが気になりましたが、それは緊張の表れ、質問には真摯に答えられ、意志の強さと柔らかな人間性が感じられました。当然ながら良識のある立派な教育と躾を授けられたのだなと感心し理解できました。そして願わくば日本人の子女が皆、この皇室の眞子様に施された教育と躾をある程度受けられたなら、日本の将来は安泰の万々歳なのになと私は想像しました。

 これまた先日の話ですが、スーパーJチャンで評論家の大谷昭宏氏が我物顔で振舞う交通マナー違反者を見て、「日本には最早マナーを守る良心は無くなった、もう高額の反則金で対処するしかない」と憤っていましたが、全くその通り、交通違反だけでなく、一部(大分・大人も子供も)の可笑しな人たちは注意を受けてもとんでもない屁理屈を並べて立て聞く耳を持ちません。私は何度もそのような場に出くわし、注意しても聞き入れて貰えず驚愕し呆れ果てた事が多々ありました。まるで異星人と会話しているようでした。全て教育と躾がなされていない果てのこの非常識・無節操この体たらく、日本は危ないですよ…、没落しますよ…。兎に角、戦後の無教育を今こそ反省し原点から見詰め直さないと日本人は危ない、眞子様へ成された教育と躾を全国民に…。
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2011年10月25日

野の花129 雑草と呼ばないで・盛秋 セイタカアワダチソウ 横浜 2011.10.25

セイタカアワダチソウ
セイタカアワダチソウ(背高泡立草)キク科アキノキリンソウ属
北アメリカ原産の帰化植物。「繁殖の権化」と私は呼んで忌み嫌っていますが、それはこの草にとって可哀想でしょうかしら? 棘はありませんがまるで鬼ヒトデのような風体、無限にある小花を密生させた巨大なお化け花房、これをおどろおどろしいと言わずして何をそう言えというのでしょうか…。御免ね…、可哀想な草、でも嫌いなんだから仕方が無い…。このアメリカ娘、毒など出さず日本の親戚アキノキリンソウのようにもう少しお淑やかならね…。この草は根から毒素(動物には無害)を出し先住の植物を駆逐して繁殖を計る侵略植物…。しかしやがて大群落が形成されるとその毒素で自らが自家中毒を起こして衰退すると言われるおまけ付き…。そう言えば今年はやや少なめですかね。されど油断は禁物、根絶は絶対なく、新天地で再び大暴れをします。何かに似ていますかね? 天は皮肉なもの、こんな草も作って仕舞うのです。
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とっておきの花17 ホトトギス 2011.10.25

ホトトギス
ホトトギス(杜鵑草・油点草)ユリ科ホトトギス属
昨年の秋と今年の夏に二回続けて刈り込まれてしまった私の野草の庭。私と団地の管理組合との意志の疎通の行き違いがあったのですが、この為に多くの草たちを失ってしまいました。噴怒は尽きませんが、悲観していても始まりません。今秋の刈り込みは体を張って阻止をしましたので、一安心、今また初心に戻り、一から育て直そうと決意をしたのです。

そんな中、幾つかの花が生き残り咲き始めました。その一つはホトトギス、白地に紫の斑点が見事、花弁のように見えるのが花被片で、外花被片三枚、内花被片三枚、合わせて六枚があります。このホトトギスは外花被片の方が色濃く大きめです。メシベは筒型に突き出て上部で三裂し、さらにそれぞれが二裂しています。この特異なメシベにも紫の斑点があり美しいです。盛秋の代表的な花で野菊や野原薊(あざみ)などと共に秋の野を彩っています。誠に秋を感じさせてくれる得難い花です。

名の由来は野鳥のホトトギスの腹にある斑点にこの花の斑点をなぞらえ、その名ホトトギスを貰い受けた事に依ります。誰が名付けたのか読み人知らずですが、長い年月の重さ故にか、よく馴染んだ良い名だと思われます。
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2011年10月23日

間奏曲483 瀬戸内寂聴渾身の辻説法

 昨日のテレビの震災ドキュメントで、瀬戸内寂聴師の震災地での辻説法を観ました。ご病気で臥せっておられた寂聴師ですが、完治とはいかなくとも元気を取り戻され、震災地に乗り込まれました。説法の様子ではお元気そのもののようで、あちこちの被災地を飛び回り、渾身の講話をされていました。特段何時もと変わった話は無かったと思われますが、自らの修羅場の経験を基にした心丈夫な存在感は並外れたものであり、慈母の頬笑みをもって投げ掛ける慰安の言葉に、被災者の皆様は深い安堵の表情を浮かべていました。泣きながら師に抱きつく人も多く、私も貰い泣きの嗚咽を堪えるのが至難でした。あの素晴らしい存在感、私は幾つになったら備える事ができるのでしょうか?
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2011年10月22日

ピアノの話32 昭和40年製ヤマハU2B 2011.10.22

昭和40年製造の大量生産前のヤマハU2B、木の多用や鹿皮の使用、接着には膠(ニカワ)を使い、銅巻き線は手巻き…。古き良き時代のピアノ造りが辛うじて残されているのが見て取れます。

@アクションの素材
アクションの素材
鍵盤のダウルボタンやジャックは木製(現在はプラスティック製)、木は軽さが良いとされています。バットとキャッチャー及びブライドルチップのスキンは鹿皮、鹿皮には人口皮革に無い繊維の目があり、バットは順目に貼り滑性に優れ、キャッチャーは逆目に貼り確かな捕獲性があります。ブライドルチップはしっかり原型を留め、ガタツキが出ていません。キャッチャーの接着はボンドのようですが、ハンマーシャンクには膠(現在はボンド)が使われています。音質的には膠がベストと想われます。

Aバットスプリングコード
バットスプリングコード
これは化学繊維と想われますが、変質が無く脆くなり切れる様子は全く見当たりません。化学繊維は化学繊維でも明らかに後の大量生産時のものと異なるようです。46年間、ビクともしなかった…。

Bペダルと手動マフラー
二本ペダル ペダル突き上げ棒 
この時代のピアノは二本ペダルが標準型(写真左)、しかもペダルからアクションへ動力の伝達をつかさどるペダル天秤(写真左の上部・白木の角材)と突き上げ棒(写真右)は木造りです。美しく削り出され工作されています。写真はソフトペダルの突き上げ棒。

手動マフラー
二本ペダルゆえ弱音器が付かないのがこの頃のピアノの常(習い)、後に騒音問題が世間を騒がせたおり、窮余の策としてこの後付けの手動マフラー(写真)が考案されました。騒音を気使う家庭ではこれを取り付けたのです。私も良く頼まれて取り付けました。

右隅の錘(おもり)を上げ下げしてマフラーを作動(ON:OFF)させる。慣れれば使い易い…。
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2011年10月21日

間奏曲482 カダフィ大佐死す 2011.10.20

 独裁者を倒した革命家が独裁者に変貌する、そして再び革命が起き、革命の英雄だった独裁者が死を持って失墜する…。歴史は繰り返す…、実に人間の業とは度し難いもの、誰がカダフィ大佐の轍を踏まぬと言い切れるでしょうか? 

 私達の民主主義国にしても格差があり、大金持ちもいれば極貧の者もいます。誰かさんの口癖だった競争原理や自己責任と喝破されてしまえばそれまでですが、努力をしても報われない人もいれば濡れ手に粟の人もいるのです。どうも資本主義が行き詰っているようで、今の世の中世界のあちこちで不公平感が蔓延っています。職種や人種に係わらず努力した正面な人が真に報われる世の中にしたいですね。さもなければ第二第三のカダフィが断末魔の呻き声を上げなければならなくなるでしょう。良民は怒っています。少しおかしくなってきた日本にしても例外ではありません。
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2011年10月20日

新ダイエット日誌1 2011.10.20

 昨晩のためしてガッテンをご覧になられましたか? そこでは食事療法やウォーキングの外に更にダイエットの効果を増す手段はやはり筋肉トレーニングであると提案し、年配者向けの筋トレを教えていました。そのやり方とはスローテンポで行う、腕立て伏せ、腹筋運動、それにスクワットで、それぞれを10回ずつ朝晩に行うと効果的と言うものでした。私のダイエットの現状は相変わらずのウォーキング一辺倒で、ややリバウンド気味(現在81.4kg)でしたので、この方法を採り入れる事にしました。今日から始めまして、今後新ダイエット日誌として体重を基本に記録を取り続けたいと思っています。目標は昨年来の悲願75.0kgとします。

筋トレ スクワット:朝晩で20回、腕立て:朝晩で20回、腹筋:朝晩で20回

ウォーキング 歩数:7191歩 距離:6.5km 時間:65分

体重 朝:81.4kg
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2011年10月19日

音楽の話55 三上夏子コンサートの曲目解説

フレデリック・ショパン(1810〜1849) 軍隊ポロネーズ
正しくはポロネーズイ長調Op40−1、ショパン二十八歳の1838年10月の作。太鼓やラッパの響きに似たフレーズ(箇所)があると言われ、勇壮で爽快、故に『軍隊』の名で親しまれるようになりました。

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750) インヴェンションとシンフォニア
インヴェンションが二声部のもの、シンフォニア(多声曲の意味)が三声部で、それぞれ15曲ずつ合わせて30曲が作られています。勿論このバッハの時代はピアノはまだ出来たてのホヤホヤの時代、当然チェンバロやクラビコードを念頭に入れてバッハはこれらを書いたのです。その目的は、自分の息子(フリーデマン・バッハ)の音楽教育のため…、20人程の子持ち(前妻と後妻で)であったバッハはかなりの教育パパであったようです、凄い…。短い曲達ですが、その数を揃え尽くす発想の迸りは凄まじく、この曲集を聴いただけでもバッハは音楽の巨人だと思い知る事でしょう。

ピアノ版、ロマンの香りがしてクラビコードでは表せない深い響きがあります。

セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953) ピーターと狼
このコンサートではピアノ独奏用の編曲版を使いピアノソロで演奏されますが、本来はオーケストラ用の管弦楽組曲です。子供の管弦楽入門を手助けする役目を担い、45歳のプロコフィエフが教育用に書いたものです。物語性を重視した子供向けの内容ながら音楽的にも優れた感性を魅せており、完成度の高い傑作です。

登場する人物並びに動物には、そのキャラクターにドンピシャの楽器が当てはめられています。ピーターは弾むような弦楽五部、小鳥は軽やかなフルート、ユーモラスなアヒルにはオーボエ、鳥たちを狙う猫がクラリネット、低音で口うるさいピーターのおじいさんはファゴット、思わず笑っちゃいます。そして大きく恐ろしい狼が迫力満点の三本のホルン、さらに狼退治の猟師の鉄砲にはティンパニー、全て見事なものです。さて三上先生はピアノでどんな風にこれらのキャラクターを弾き分けるのかしらネ、楽しみ…。

posted by 三上和伸 at 23:50| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

その他 ピアノの話30へ写真の追加

チュウニングピン巻口の爪 銅巻き線の玉(輪)
ピアノの話30の銅巻き線の断線と張弦Aの記事に以上の写真を追加添付しました。一つ(左)はチュウニングピン巻口の爪及び高音部のヒッチピンに掛ける玉の形態を示すもの、もう一つは銅巻き線の玉(輪)の形態を示すもの。ピアノによっては全弦が玉のものもありますが、一般的に玉(輪)は銅巻き線に使われ、鋼鉄弦は一つのヒッチピンに渡し込むように二弦が張られます。例外(ピアノ設計上)としては三弦の内の端数になった一弦の場合で、その弦の端緒に玉(輪)を作り、一つのヒッチピンに掛けて張る事があります。写真左の内の右がそのサンプルです。

*玉(輪)の作り方 
銅巻き線は専用の玉作り機がありますが、今は手元にないので紹介はできかねます。

鋼鉄弦は張弦者自らが作ります。まずヒッチピンの太さと同程度かやや太めの釘(五寸釘位・金棒)をバイスその他で固定します。(私はドライバーとペンチで手の内で作ります)。弦の一方の端緒をペンチで挟み、釘に掛け一重乃至二重の輪を作り、その根元(首元)から弦の本体に沿って三重のコイルにして捲き上げます。端の余分を程良く断ちます。
posted by 三上和伸 at 22:35| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月17日

音楽の話54 音楽会のお知らせ 2011.10.17

 一年振りで、我が娘・三上夏子が音楽紙芝居の催しを行います。勿論、ピアノのソロもお聴かせいたします。11月3日文化の日PM2:00より、以下の要領で開演いたします。ご希望の方にはお手数をおかけしますがご連絡くだされば幸いに思います。

音楽紙芝居“ピーターとおおかみ”

ピアノ・朗読 三上夏子

<ピアノソロ>
♪軍隊ポロネーズ F.ショパン
♪インヴェンション第1番 JS.バッハ
♪シンフォニア第1番 JS.バッハ
♪他

<音楽紙芝居>
♪ピーターとおおかみ S.プロコフィエフ 
(ピアノ独奏用/F.ダンヒル編曲)
紙芝居の絵 飯田裕子

2011年11月3日(木・祝)
14:00開演 (13:30開場)

岩崎記念館ゲーテ座ホール
〒231-0862 横浜市中区山手町254 TEL045-623-2111
元町中華街駅からアメリカ山エレベーターに乗り直ぐ

全席自由 大人2000円 子供1000円 未就学児大歓迎

チケットお問い合わせ先 アンサンブル・サマンサ natsuko-samantha-pf@hotmail.co.jp
三上和伸 otonotanoshimi_mikami@yahoo.co.jp

毎回、楽しい音楽会になっています。お子様の目の輝きが違います。是非親子でいらしてください。お待ちしています。
posted by 三上和伸 at 22:27| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉漫歩5-7 高徳院・長谷の大仏(鎌倉大仏) 2011.09.25

 旧大仏切通が終わる所は火の見下のバス停辺り…、ここは新切通の県道鎌倉藤沢線内にあります。丁度ここが旧切通と新切通が交わる地点であり、次に私は広い県道の新切通を鎌倉方面へ戻る形で高徳院を目指しました。暫く歩き大仏トンネルを抜ければ大仏坂、そこを下れば俄かに大繁華街の様相を呈してきます。人で溢れ、鎌倉大仏の高徳院は直ぐそこにあると察しが付きました。

@長谷の大仏(鎌倉大仏)
大仏
造立の始まりや経緯など不明な点の多い大仏、ある寺院の本尊として建てられた訳ではなく、最初に大仏ありきであったようです。造立後紆余曲折の末、浄土宗高徳院の本尊・阿弥陀如来坐像に収まったようです。

そもそも大仏は何から出来ているかご存じですか? 何と銭から出来ているのですと…。多くの庶民の寄進や中国の宋銭を集め煮溶かし鋳造されたのだそうです。従ってその金属の組成は鉛の比率が高い銅と錫の合金で青銅と言って良いのだそうです。銅像と言うよりも青銅像なのです。また造立から暫くは大仏殿があったそうですが、台風や地震により倒壊消滅し、それ以来露座となり「露座像の大仏」として青銅色の雄姿を魅せ続けています。

高さ13.35メートル、重さ121トン、関東大地震ほか幾多の大地震にも耐え抜いてきた大仏様、素晴らしいですね。

A観月堂
観月堂
大仏の裏手にある元ソウルの朝鮮王宮にあった建て物。1924年に譲られこの地に移築されたそうです。内部には江戸期に作られた観音菩薩像が安置されています。従ってこの地は鎌倉三十三観音の二十三番札所となっています。

B与謝野晶子の歌碑の案内板
歌碑の案内板
大仏造立700年を記念して建てられた歌碑、大仏を釈迦牟尼(牟尼は尊称)と称していますが本当は阿弥陀如来と必ず各種の案内書には注意書きがされています。阿弥陀如来では語呂に問題があったのかしらネ…、晶子さん…。
鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな
大仏の涼しげな顔を美男と崇め憧れた晶子、男女の機微に精通した晶子らしい熱情が感じられる歌です。歌に素人の私でも晶子の思いは伝わります。

C大仏後姿
大仏後姿
大仏は猫背です。そしてその猫背の背中が開いています。恐らく通風を得るための開口部なのでしょう。一寸興醒めですが、中で胎内巡りが行われているのでね…、新鮮な空気が必要ですからね…。私は胎内巡り…しませんでしたが。

ここで今回の鎌倉漫ろ歩きはお終いです。ああー、楽しかったー。

posted by 三上和伸 at 10:10| 《漫ろ歩きの旅》漫歩シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月16日

音楽の話53 ブラームスのウィーンカールスガッセの家

 ブラームスのウィーンの家に付いてご質問がありましたのでお答えいたします。
 
 それはカール教会が近くにあるカールスガッセ(小路)4番地にあった(現在はない)借家で、ブラームス38歳の1871年から死の年の1897年まで26年間に亘り住んだアパートです。独身を貫き創作に全てを捧げたブラームスは生涯自分の家を持たなかった人で、贅沢は言わず、己の生活や創作に支障がない限りどんな住まいでもよかったのです。翻って考えれば、このカールスガッセのアパートは楽友協会やオペラ座(ブラームスはオペラは書きませんでしたがオペラ大好きな人)に近く、己の活動に便利だったようで、大変気に入っていたと想われます。実際、私もこの辺りを歩きましたが、ブラームスの快適さが充分偲ばれる素晴らしい立地と確信しました。

 このアパートの様子やウィーンに於けるブラームスの日々の暮らし振りが写真入りで紹介されている良い冊子があるので、紹介いたします。それは三宅幸夫著の「ブラームス」(新潮文庫)で、その140〜141ページに記載があり、そこには寝室、音楽室(ピアノ室、シュトライヒャーのグランドピアノが置かれてある)、書斎(厖大な書物と楽譜があり、音楽学者でウィーン学友協会司書のマンディチェフスキーが好意で管理をしていた)の三部屋があると書かれ、ピアノ室の壁にはラファエロの「システィナの聖母」やベートーヴェンの胸像が掛けられてあると記されています。勿論、ヘルムート・ノヴァークの手で描かれたピアノ室の精密な水彩画の写真も添付されており、小机やロッキングチェアー等のインテリアも描かれてあり、ブラームスのピアノ室の模様を臨場感たっぷりに垣間見る事ができます。

 また、同時にブラームス行き付けの大衆レストラン「赤いはりねずみ」(当時は大衆向け、現存していると聞きます)や健脚のブラームスがよく散歩をしたウィーン市立公園、そして散歩中のブラームスを程良くデフォルメしユーモラスに描いた傑作と言われているオットー・ベーラーの影絵などが素晴らしい色彩で紹介されています。是非ご覧あれ!

posted by 三上和伸 at 11:30| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月14日

ピアノの話31 重厚なる逸品 ニューヨークスタンウェイモジュラー型

ニューヨークスタンウェイモジュラー型 アクション
デザインはシンプルで近代的、しかし木目の質感は素晴らしく堅牢な造りで重厚な佇まいを魅せています。木を扱う名工の作、観た途端思わず、ピアノって良いな…と口走ってしまいます。しかも音質も柔らかく優しい甘さを持ち、アットホームな落ち着きがあります。決してがなり立てるような音ではなくしっとりと心に染み入る音です。百年使える逸品です。

一見するとスピネットタイプと見紛うデザイン、しかしながらアクション(写真右)を見れば一目瞭然、スピネット型のドロップアクションではなく、簡易型のアップライトアクションが据え付けられています。従ってこれはモジュラー型と断定されます。スピネットは素敵ですがドロップアクションが欠点であり、その穴を埋め代替となったのがモジュラー型ピアノでした。日本のメーカーもアメリカ輸出用(ヤマハM−Tなど)に多くが生産されました。アメリカ人はスピネットにしろモジュラーしろこのタイプが好きなようです。優雅な部屋のインテリアには最適なピアノですからね。

この家のご主人もアメリカ在住の折、お買い求めになられたそうです。素敵な買い物をされました。
posted by 三上和伸 at 23:06| ピアノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

鎌倉漫歩5-6 裏大仏ハイキングコースと大仏坂切通 2011.09.25

 銭洗弁天から再び源氏山の尾根道に戻り、そこから高徳院を目指し裏大仏ハイキングコースに入りました。尾根上を行く気持ちの良い山道で、時に清涼な樹林の下に、また時に視界は広濶と開け眼下の眺望を楽しみながら…。木の根が地面を這いつくばりつまずき易かったり、台風15号の影響で倒木もあり、多少歩き辛いきらいはありましたが、難なく踏破できる優れたハイキングコースでした。

@裏大仏ハイキングコース
相模湾の眺め
写真をクリックし最大に拡大してください。伊豆大島が見えます。
途中、素晴らしい観望地点がありました。方向は真南を向いており、由比ヶ浜、相模湾、そしてその先には何と伊豆大島が薄っすらと観えています。撮影の時、私は大島には全く気付いていませんでした。我が家に戻り編集の際、拡大映像を見てそれと気付きました。すかさず地図を出し、方向性を確かめましたが、それは紛れもなく伊豆大島でした。その意外な発見に何とも言えぬ嬉しさを覚え、恐らく我が面は締まりなくほくそ笑んでいた事でしょう。

A大仏坂切通
大仏坂切通 大仏切通のやぐら
あともう少しで大仏の裏手に至るところ、突然、右手に長大な木の階段が現われました。丁度その時二人のお婆ちゃんが私の先にあり、この階段を上り始めていました。階段の入り口には大仏切通の道標が…。私も迷わず階段を上り始め、二人のお婆ちゃんの後を追いました。その階段の途中二人は私に先に行くように道を譲ってくれました。間違いなく二人はハイカーであると確信しました。しかし、棒の杖を突いてヨタヨタと歩く二人、大丈夫かしらと心配になりました。それでもここまで来たのだからきっと大丈夫、この先もヨチヨチ歩いて乗り越えて行くのだろうなと感心さえしたのでした。心配したり感心したり心は大忙しでした。

鎌倉七口*の一つの大仏切通、この大仏切通は現在新旧二つの切通があるのです。新しい方は江戸期に開通したもので現在の県道鎌倉藤沢線です。そしてこの古い方は鎌倉時代の1241〜1250年頃に開削されたのだそうです。新切通の県道と平行に走っていて小高い山中にあり、近年まで忘れ去られていたために往時の姿を良く残しているそうです。その証として写真右のやぐら(岩窟)の存在があるのです。

*鎌倉七口=地方より鎌倉に出入りするための七つの切通(出入口)、朝比奈、巨福呂坂、名越、極楽寺坂、亀ヶ谷坂、化粧坂、そして大仏(坂)の各切通。
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鎌倉漫歩5-5 銭洗弁財天 2011.09.25

 源氏山からは裏大仏ハイキングコースに至る道が延びていますがその前に、銭洗弁財天に立ち寄ってみました。頼朝の夢枕に出て建立されたと言う点では、近くにある佐助稲荷神社と同じですが、この日はここ銭洗弁天だけを訪ねました。源氏山周辺は頼朝に纏わる謂れある史跡が多い所です。

@銭洗弁財天洞門(入口)
銭洗弁財天洞門
巳年の文治元年(1185年)巳月巳日に頼朝の夢枕に現われた宇賀福神の『ここに湧く清水で神仏を供養すれば天下泰平になる』のお告げに従い創建されたと謂われています。後に天下とはかけ離れて、銭(金)をこの水で洗い使えば増えて戻るとの信仰が広まり、銭洗弁財天の名となり広く流布したと言う事です。 参考:成実堂出版・鎌倉湘南ベストガイド

A銭洗いの儀式
銭洗いの儀式
境内に湧く“銭洗水”で設えられた笊に銭を入れ洗います。居合わせた皆皆は一心不乱に銭や札を洗っていました。私もやってみました。その後の私の実入りが良くなったかどうか? このブログを読まれる方ならご想像がつかれるでしょう?
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2011年10月12日

鎌倉漫歩5-4 化粧坂切通と源氏山 2011.09.25

 阿仏尼の墓を詣でた後、暫くは横須賀線沿いを進みました。本当に静かで長閑な扇ヶ谷(おおぎがやつ)、歩く喜びが体から溢れます。やがて横須賀線とも別れ、道なりに左に折れれば海蔵寺へと連なりますが、今日は海蔵寺はパスしてその手前を道標に従い化粧坂経由で源氏山に向かいました。その名も不思議な化粧坂(けわいざか)とその切通、是非とも観たく上りたく、興味津々心も躍りました。

@化粧坂切通(けわいざかきりどおし)
化粧坂切通
化粧坂切通の名の由来は実に恐ろしいものがあります。諸説があると言われていますが、総じて討ち取られた首の首実験をするためにその首の化粧をした場所だとか…。それが幕府滅亡の大将・北条高時であったのか、その他の武将の首であったのか、今は定かではないようです。鎌倉の通行の難所・切通では多くの戦闘が行われ数多の首が化粧をされたようです。

源氏山に至る曲がりくねった急坂の岩の切通、チョイと息は弾みますが、難なく源氏山に辿り着けます。

A源氏山
源氏山
さだまさしの“縁切り寺”で、〜源氏山から北鎌倉へ〜と歌われる源氏山とは低い丘ですが、源頼朝が平家討伐を祈願した場所として大切にされています。今は源氏山公園として整備されており、頼朝像が建ち意気軒昂に鎌倉の街を睥睨しています。写真の頼朝像の先に観える小高い高みが源氏山山頂です。ハイカー気分で80数段を攀じ登ると山頂で石塔があり、時が止まったかのような静寂が現れました。但し蝉時雨は凄かった…。
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2011年10月11日

野の花128 ヤブミョウガ 鎌倉化粧坂切通 2011.09.25

ヤブミョウガ ヤブミョウガの実
ヤブミョウガの花       ヤブミョウガの実(2010.10.07)神武寺
ヤブミョウガ(藪茗荷)別名:ハナミョウガ(花茗荷)ツユクサ科ヤブミョウガ属
変わっている事に、この草は茎の中程に厚く大きい濃緑の葉をまとめて付けます。極めて瑞々しく美しい葉だと思いました。秋の初めに白い小さな花を付け、暫くすれば青藍色の粋な実となります。とにかく花も実も小さいながら、人を驚かす事のできる魅力を秘めています。

化粧坂の端緒にあった花、この花株は若いが故に今の開花となったようです。辺りの株は全て花は無く青い実が実っていました。花を観られた事は幸運の産物、私は内心ほくそ笑み、そしてめぐり合わせの妙を感謝したのでした。
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2011年10月10日

鎌倉漫歩5-3 英勝寺と阿仏尼の墓 2011.09.25

隣合わせにありながら、鎌倉時代の渋い壽福寺とは少し趣きの異なるたおやかな英勝寺、それは取りも直さずこの寺が江戸期に創建された尼寺である事を物語っています。現在の鎌倉で唯一の尼寺、それは庭の造りや花の咲かせ方にも表れています。この日は彼岸花が咲き始めてそれに蝶が舞い群がり、極彩色の天上の風景さながらの景観を魅せていました。

@英勝寺仏殿
仏殿
東光山英勝寺は徳川家康の側室・お梶の方、後の英勝院尼の創建で、仏殿には三代将軍家光の寄進した阿弥陀三尊如来像が安置されています。また境内には水戸の徳川光圀建立の祠堂(位牌を祀る所)もあり、江戸初期の文化建築に触れる事ができます。

A鐘楼
鐘楼
鐘楼は袴腰付き楼閣形式で造られ、楼の足の部分が袴を履かせられたかのように覆われています。梵鐘には江戸初期の儒学者・林道春撰の碑文が刻まれているそうです。鐘楼の前には曼珠沙崋(彼岸花)、すこぶる印象的でした。

B阿仏尼の墓
阿仏尼の墓
英勝寺を出て、やはり今小路を北に辿れば暫くして、英勝寺の土手を穿って造ったやぐら(岩倉・窟)がありました。中には石塔があり、これが彼の十六夜日記の阿仏尼の墓と謂われています。質素ながら多重塔もあり、この鎌倉の女流歌人は今に伝えられています。昔から阿仏尼さんはファンが多かったのですね。今度十六夜日記、読んでみようかしら…。
posted by 三上和伸 at 21:51| 《漫ろ歩きの旅》漫歩シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ピアノの話30 銅巻き線の断線と張弦A

昨年の11月28日付のピアノの話22で銅巻き線の張弦に付いて述べました。そこでは写真を添付しておらず、言葉だけの説明に終始しました。されどその説明は細に亘り詳しく述べられていると思います。今回写真は撮れましたが、前回の解説との重複は避けたいので、今回は写真を基に捲き方のみをご説明致します。詳細に付いては、ピアノの話22もご参考までにお読みください。

切れたのは23Gの二本弦の内の右弦、数日前、その断線した巻き線を部品メーカーに送り新たな巻き線を作って(捲いて)貰いました。そしてこの日、それを携え張弦をするためにお客様を訪ねました。

@対象のピアノと新しい巻き線
ピアノと新しい巻き線
上前板、鍵盤蓋、下前板を外し、さらにアクションを外したピアノ。全弦がむき出しになり、23Gの右弦がチュウニングピン巻口から上部ベアリングの位置まで残骸として残り、そのベアリングの位置で切れているのが分かる。古い弦は部品メーカーが処分するのが通例で最早ないが、鍵盤の上には新しい弦が置いてある。

A残骸の弦を外す
弦を外す
ニッパーで弦の端緒を挟み、コイルとなっている捲き口を回し戻しチュウニングピンから外す。外したらチュウニングハンマーをチュウニングピンに差し込み、チュウニングピンを三回転回し戻して置く。何故なら、弦は三回転巻きだから、新たに巻く場合は三回転戻さなければチュウニングピンは元の正しい位置には収まらない。

先ずは銅巻き線の一方の端緒の玉(輪)をヒッチピンにはめ込んで置く。
Bワイヤーカッターで余分な弦を切り落とす
弦長整え
銅巻き線は一方の端緒が玉(輪)でこちらが鉄骨のヒッチピンに取り付けられる、もう一方の端緒はチュウニングピンに三回転のコイルにして捲かれる。元々、チュウニングピン側はコイルの分とピアノによってチュウニングピンと上部ベアリング間の長さがまちまちであるため、余分に長目に作ってある。従って正しく必要な弦の長さを得るため余分な弦を切り落とす必要がある。この際、三回転のコイルを作る分を加算して断つ。その長さは一定だが、それを得る目安は技術者によって異なり様々である。私の目安は小指、薬指、中指、人差し指の四本分の幅の長さで、まず左手の親指とその他の指で弦を挟み持ち、ベアリングピンに掛け、チュウニングピンに小指を置き、そのままの格好で、上部の人差し指の最上部に当たる弦の一点をワイヤーカッターで断つ。写真は自演自撮で左手はカメラに持ち替えた為、弦を放した格好だが、本来は左手でしっかり弦を挟み込んでいる。

C三回転のコイルに捲く
捲き始める
チュウニングピン内のホール(弦通し穴)に下から弦の端緒を指し込み、ホール上部からはみ出ない程度に留める。但し差し込みが足りないと爪が小さく、何かの拍子で外れる可能性がある。必ず最奥部まで差し込む。

左手人差し指でしっかりチュウニングピンと弦の接点付近を押さえ、チュウニングハンマーを右回転で回す。ガクッと半月状に弦が曲げられるがこれが爪である。これがしっかり出来ていれば弦のチュウニングピンからの脱落はない。

更に回転させると三回転のコイルが出来上がり、その上更に回転させれば弦は固く張って来る。コイル作りで重要なのは回転させながら順次弦を緩やかに隙間なく奥に送り込む事である。弦を重ねさせたり、手前に送ったりでは良いコイルは出来ない。

D銅巻き線を捩じる
捩じり
銅巻き線を雑音の無いより安定した音鳴りにするには芯線(銅巻き線の芯になる鋼鉄線)と軟銅線の密着が必要となってくる。従って軟銅線の巻き方向と同方向に一回転ほど捩じる。このピアノ(巻き線)は右回転。

一旦弦を緩め、玉をヒッチピンから外し、ドライバーを玉に挿して弦を捩じり、そのまま元のヒッチピンに戻す。同時に駒ピンにも弦を掛けて置く。

Eかき上げ
かきあげ
コイルをかきあげながらチュウニングハンマーで弦をある程度強めの張り加減にする。コイルが密着し美しい三重コイルとなる。

F爪の処理
爪の処理 左:チュウニングピン巻口の爪と右:高音部ヒッチピンに掛ける玉(輪)
出っ張った爪をチュウニングピン内ホールに押し込み密着をさせる。

G弦のベアリング、ヒッチピン、駒ピンへの密着
弦の密着 銅巻き線の玉(輪)
調律の狂いや雑音の防止、さらによりよい音鳴りの実現に各接点部の密着は絶対に欠かせない。張弦をする者は肝に銘じて欲しい。

Hかき下げ
かき下げ
これが美し張弦の証。コイルの最前列がピンホールの半分を覆う位置に整える。

最後に調律をして完成。アフターサービスは頻繁に念入りに。

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2011年10月09日

私の歳時記 2011.10.09 今日は寒露、そして十三夜

 今日は、秋も深まり草々が冷たい朝露を結ぶ頃…と言われる寒露です。秋分の次の節気で日暮も早くなり、釣瓶落としの太陽が忙しなく沈む時節となりました。今は秋の虫が静かにしかし切なく片時も休まず鳴いています。深々と夜が更けて行くのが実感され、もの寂しい…、そして人恋しい…、そんな季節になったのですね。

 そして今夜は、彼の宇多法皇や息子の醍醐天皇が愛した十三夜の月の宵です。しかし生憎今の横浜には月は雲隠れして見えていません。午後から厚い雲が出てきてしまいました。残念ですが先日の中秋の名月前後の稀に見る観月日和に相殺されてしまった形で、今年の十三夜の月は運がなかったようです。まあ、これが自然、素晴らしい十三夜の月は来年以降に期待すると致しましょう。

 

 
posted by 三上和伸 at 21:07| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月08日

間奏曲481 体調不良、精神も不良 2011.10.08 

 涼しくなりましたね。皆様は、体調の方は如何ですか? 暑さが過ぎ去りほっとされていらっしゃる方も多い事でしょう? ところが私は残念ながら体調が、余りよろしくはありません。夏の汗疹(体中の痒み)は癒えて来たのですが、秋の花粉等によるアレルギー反応に悩まされ始めました。頭(頭皮の湿疹)、目(涙目)、鼻(くしゃみ、鼻汁)が痒くて堪りません。私の場合は春より秋の方が酷くて悩ましいのです。イネ科の草やブタクサの花粉の仕業かしらネ。真冬まで我慢しなくては…。

 しかも、何だかストレスも溜り疲労気味の所為か一昨日寝違え、今首が回らず肋骨の筋肉も痛くてなりません。従ってアレルギーのくしゃみをすると大変な事になるのです。くしゃみをもよおすとまず身構え、なるべく痛みが奔らないように肋骨を抑えてクシュと小さくくしゃみをするのです。でも思わず条件反射で痛っ!と叫んでしまいます。恐怖です。

 そして更に悪い事にどうも不整脈が出そうなのです。秋になると何時もそうですが、血圧も上がり気味になります。昨日はウォーキングもさぼりました。その上に便秘が解消したと思ったら今度は極端の下り腹、踏んだり蹴ったりで精神も衰弱しそうです。くそー!!!

 でも、大丈夫、一寸休んだからね、二日休んだブログ書きも書く気になって来ましたし…、ウォーキングも今これから行く事にしました。不整脈は心配ですが、逡巡していても始まりません。だめなら、即止めればいいのですから…。グァンバリます。
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2011年10月05日

園芸ノート14 スミレのタネ採り 2011.10.05

すみれの果実(刮ハ) スミレのタネ
先日、我が家の近所に生えていたスミレからタネが入った果実を貰ってきました。今度のお休みにタネ蒔きをしようと考えたからでした。勿論、秋の発芽では来春に花は咲かないのが普通なので、再来年のお楽しみなんですがね。可愛い紡錘形の果実、ラグビーボールのようですね。刮ハ(さっか)と言う形態の果実、この中に沢山のタネが入っていたのでした。

封筒にスミレと書いてこの中に果実を入れます。一日二日すると果実が乾燥して三裂し、タネを乗せた三つの皮が二つ折りに縮みます。するとタネは勢いよく飛ばされ散乱します。でも封筒の中で飛ばされているのでパチパチと音がなるだけなのです。私はこの音を楽しみながら、タネも失う事無く封筒の中に溜り、一挙両得となるのです。楽しい! そしてシメシメ…。

追伸:本当は次の事を書きたかったのですが、時間切れで書けず、よって今書きますね。以前にスミレは繁殖にしたたかな性質を持つとお伝えしました。それは自家受粉に付いてでしたが、今回採ったタネも勿論自家受粉の閉鎖花からできたタネでした。そしてもう一つは、写真をクリックして最大にすればタネの莢への付け根だった所に白い小さな物質が見えてきます。これが蟻の好む食べ物になり、スミレは己でタネを飛散させる仕組みの外に蟻に運ばせ繁殖の距離範囲をさらに広げる術も持ってるのです。蟻は巣穴に持ち込んだタネの付け根を食べ、再びタネは邪魔だから外(地表)に出します。スミレは難なく遠くで発芽できるのです。利口な花でしょ。
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鎌倉漫歩5-2 巽神社と壽福寺 2011.09.25

鎌倉駅西口を出て直進すると市役所前の十字路に行き当たります。そこを右(北)に折れると長閑な商店街の今小路の一本道となります。その途中の右手には巽神社が見出せます。狭い敷地ながらも立派な社が堂々と構えていました。見学をし参拝を済ませ再び今小路をさらに奥に進み商店がなくなる頃、やがて一辻奥まった所に壽福寺の総門が観えてきます。旅の最初は焦らずのんびり、正に漫ろ歩きの体で彼方此方キョロキョロ観て歩き、一人旅、気分爽快満面の笑み…。

@巽神社
巽神社
平安初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷(東北地方)征伐の途上、武運を祈願したとされる社。後に再建された後、現在地に遷座されこの先にある壽福寺の鎮守社となります。壽福寺からは巽(南東)の方角に当たる事からこの時、巽神社の名となったのだそうです。由緒ある社なのですね、坂上田村麻呂…、凄いですね。鎌倉は頼朝が幕府を開く前からも歴史に係わって来た要衝だったのですね。祭神は雷の神と火の神。

A壽福寺総門
総門
亀谷山壽福金剛禅寺と称し、鎌倉五山*の中の第三位で最古の禅寺、源頼朝の死後その菩提を弔うために妻・北条政子が建立しました。開基は明菴栄西(みんなんえいさい)で日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧です。また栄西はやはり日本に初めてお茶の苗木を持ち込んだ僧で、壽福寺の宝物となった喫茶養生記なる書物を著わした人物です。日本人にお茶を飲む習慣を根付かせた張本人です。

*鎌倉にある代表的な五つの禅寺、1建長寺、2円覚寺、3壽福寺、4浄智寺、5浄明寺の順。

B本堂
本堂
総門を潜ると真っ直ぐに伸びた石畳があり、その先正面には山門があります。しかしこの山門より先は公開を控えているため、本堂は山門から垣間見るしかありません。それでも美しい仏殿をこれまた美しい柏槇(びゃくしん・伊吹)が守っている様はさらに美しい…。

C北条政子の墓(供養塔)
北条政子の墓
山門前を左に折れ、境内を捲きながら裏山に歩を進めると墓地が広がっていました。ここには俳人・高浜虚子や作家・大仏次郎などの著名人の墓があり、参詣の人々の絶えない寺でもあります。そして更に何よりの大物がその最奥のやぐら*の中に眠っています。北条政子、皆様はこの女性の生き様を如何思われますか? 愛、信仰、欲望、名誉、闘争、権力。様々な言葉が虚しく思い浮かびます。余り印象は良くないですね。しかし、愛する夫・頼朝が折角手に入れた武士の政権、それを守るために己を捨て奔走したのでしょう、鬼となり阿修羅となり我が子を殺してまでも…。政子もまた、時代に翻弄された可哀想な女性だったのかも知れません。政子の喜びや悲しみはどれ程のものだったのか…。正に想像を絶する空前絶後の女の生き方、私にはそれくらいしか言えませんが…。

*鎌倉石の山を垂直に切り開き、そこに横穴を開けて造った横穴墳墓、五輪塔が建てられています。政子のやぐらの右隣りには実子で三代将軍の実朝のやぐらもあります。
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2011年10月03日

食べ歩き・間食 桜葉ソフト(クリーム) グリーンヒル土肥 2011.09.11

 写真を撮り損ねたので掲載をためらったのですが、このドライブイン、ボツにするには余りにも惜しいので、言葉だけでご紹介致します。

 金山で有名な土肥から国道136号線を土肥(船原)峠に向かう道すがらに…、ポツンと佇むたった一軒の店。グリーンヒルズ土肥の名の下におおき牛乳の屋号が書かれた看板が見目麗しく飛び込んできたのでした。「ここ!、ここに寄って!」と妻が…、「え!、ここ!」と言った途端、私は急ブレーキをかけUターンをして車を駐車場に着けました。

 「面白そうなお店でしょ、今朝ここの前を通った時、目を付けていたのよ!」と嬉しそう。まずは店内の食堂を見て驚きました。何とラーメンのスープが醤油、味噌、牛乳となっていて選べるではないですか。流石は牛乳屋の店、この通称牛乳ラーメンは西伊豆の名物になっているらしく店は若者の姿が目立ちました。また一寸高額?ですが、牛乳も美味しそう…。でも私はラーメンも牛乳もパスし、聞き慣れない不思議な名の“桜葉ソフト”を食べました。それは得も言われぬ桜の葉の爽やかな風味、かなり甘いですが、そこらで売っているソフトクリームとは格が違う秀逸なものでした。暑かったので妻と一緒にぺロリぺロリ…、舌と喉が喜びました。おいしかった! よろしかったら皆様もおおき牛乳にお立ち寄りください。
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2011年10月02日

自然の風景43 堂ヶ島海岸 2011.09.11

伊豆は何処でも山の終りは海であり、そこには大岸壁が海に傾れ込んでいます。最大のものは波勝の大赤壁であり、落差が260メートルもあるのです。ここ堂ヶ島も同じく断崖ばかりの海であり、その断崖の堆積岩による地層の美しさこそが、何よりの観光資源となっています。私達はそれらを観察し楽しむために観光遊覧船に乗りました。

@堂ヶ島の断崖
堂ヶ島海岸
水中土石流の堆積によって形成された地層、様々な色相の縞模様や岩石の硬軟による凸凹が興味を誘い、白く輝く軽石凝灰岩が美意識を刺激してくれます。誠に冴え冴えとした風景を魅せてくれ、爽快さが後に残りました。


A天窓洞
天窓洞
この岸壁の軽石凝灰岩などの岩石は極めて柔らかく、波浪の浸食を受け易いのです。従ってここ堂ヶ島では海食洞穴の横穴が発達しており、その洞穴内を観光遊覧船が巡ります。ある洞穴では天井が落下し大きな天窓が生じており、暗い洞から空を仰げ、特別の素晴らしい景観が得られています。そこだけに光が差し、その下の海は青く輝き、稀なる夢幻の光景を呈します。これを天窓洞と言います。
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食べ歩き・昼餉 堂ヶ島・瀬浜寿し 2011.09.11

地魚寿し
平目、金目、槍烏賊、鯵
蛸、柚子塩の達磨烏賊、鮑、印度鮪の赤身
チョイと少なめの地魚のにぎりでしたが、旅館の朝飯を食べ過ぎたので程良い加減で腹に収まりました。この日は暑く、やはり残暑の季節には爽やかな寿司が有難い食べ物となりました。金目、鯵、鮑、中々のご馳走でした。
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日本の景色55 天草干し 伊豆田子漁港 2011.09.11

天草干し
今は何方でも食べている寒天やところてん(心太)の原材料・天草(テングサ)、それを海中から採取してこうして地面(現代ではアスファルト?)に天日干しにしてから心太は作られます。

心太(こころふと)、いい名ですね。このところてんの名は心太が最初に在り来で、この“こころふと”が後に時間を掛け“ところてん”へと転訛したそうです。心太の名は奈良の正倉院の書物の中にも見出されるそうで、中国から渡来したところてんは日本でも既に奈良時代から食べられていたのですね。

*ところてんの製法と食べ方
テングサを洗って晒し、煮てカスをとった汁を型に流し込んで凝固させる。冷やしたところてんを心太突きで突き出して細条にしたものを、辛子醤油や黒密のタレで食べる。

*寒天はところてんを凍結乾燥させたもの、昼夜の寒暖差(適度な)が大きい晴天乾燥した冬の内陸部(長野県茅野地方等)で作られる。水に戻して食べる。 参考:広辞苑

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2011年10月01日

自然の風景42 大田子海岸から望む小島と奇岩 2011.09.11

黄金崎から更に南に向かうと、今回の旅の最終目的地の堂ヶ島の手前に、鄙びた漁村・田子があります。ここには素敵な海岸があり、以前から一度訪ねてみたかったのでした。私は今回、積年の願いを叶えました。

大田子海岸
左:尊の島、中央:田子島(左:男島、右;女島)、その右:弁天島、手前の奇岩がメガネッチョ、更に右:ライオン島
大田子海岸、ここもやはり夕陽の名所として知られています。多くのカメラマンの憧れの的なのだそうですが、それはある時期の特別の夕景を指します。春分秋分の日の夕日は何と写真の田子島の男島と女島の間に落ちるのだそうです。誠に仄々としたメルヘンチックな光景が想像されます。きっと優しい風景なのでしょうね。何時かはその時期に訪れてみるのも一興です。否、何時か必ず…、訪れたいですね…。
posted by 三上和伸 at 23:15| 自然の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする