2012年02月29日

私の歳時記 2012.02.29 今年は閏年で今日が閏日

 地球が太陽の周りを一回り(公転)する事を一年と言いまして、365日掛かります。ところが、それを正確に測れば365.242222日なのだそうです。従って一年は365日では0.242222日足りない訳で、それを4回足して(0.968888日)一日とし、4年に一回閏年を設けて366日とし調節しているのだそうです…。しかしそれでも、0.031112日の誤差が出るので、そのまた先の調節法があるそうです。そんな事先々まで考えると単細胞の私は頭が爆発してしまうので、考えるのはここまでにしますね。まあ、人間は細々とよく考える動物ですね、感心してしまいます。考える人は偉い!

 それにしても寒い閏日でしたね。横浜は豪雪で、私は仕事を休んで雪掻きに精を出しました。そして今は、腰が少々痛いです。男子サッカーも負けましたし、最悪の余り日でした。
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2012年02月28日

湘南漫歩5-9 早春の海辺巡り・浦賀紺屋町の蔵 2012.02.17

浦賀紺屋町の石蔵と漆喰塗の蔵
石蔵 漆喰塗の蔵
江戸(東京)湾の玄関口に当たる浦賀は、天然の良港としての恵まれた地形持ち、江戸後期には、下田から奉行所も移され、絶大な繁栄を誇っていました。当時の産業としては農耕の肥料としての干鰯の生産が主で、町には多くの干鰯を貯蔵する蔵が建てられました。蔵の主な造りとしては、石造りのものと木造に漆喰塗のものが作られました。丈夫な石蔵は当時の原型をほぼ留めており、鑑賞の価値は高いものがあり、漆喰塗のものは漆喰が剥げ落ち、その後をトタン板で覆ったものが多く、観賞価値はやや劣ります。それでも、当時とは目的は違えど、未だ使われている訳で、充分その現役の生活感は伝わって来て感動がありました。

現在でもかなりの数の蔵が残り往時の面影を残しています。歴史ある古き良き佇まいを魅せており、歴史散歩の醍醐味が味わえます。

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2012年02月27日

湘南漫歩5-8 早春の海辺巡り・愛宕山と石碑群 2011.02.17

@愛宕山から浦賀湾を望む(中程に東叶神社)
愛宕山からの浦賀港
燈明堂に別れを告げ、元来た道を戻り、今度は分岐を海沿いにとれば、そこは近年開業し出したヨットハーバーで、しかもその背後には白亜の高層のマンションが立ち並び、南フランスかアマルフィかエーゲ海?を何やら想わす異国情緒を醸していました。かつては浦賀ドック一辺倒の城下町であった港湾の町浦賀も、新たな波が寄せ、新しい顔が出来上がりつつあります。そしてそのマンションと言うのが、確か以前、横須賀出身の某有名若手俳優が高層階から落下する事件が起きたところであり、当時何度となくテレビニュースに登場していたものです。まあ、兎にも角にもその前を通過し、旧・紺屋町界隈に到達しました。

A咸臨丸出航の地の碑と中島三郎助の碑、そして与謝野夫妻の歌碑
咸臨丸の碑 
今回は残念ながら、私とした事が浦賀奉行所跡の川間地区を訪ね損ねました。幕末の開国の歴史に大きく係わったこの重要ポイントを私は外してしまいました。と言うのも、父の生まれ故郷であるこの浦賀川間地区は、私にとっても幼い日に慣れ親しんだ土地、しかし何故か心が騒ぎ、足を踏み入れられませんでした。恐らく変貌が怖かったのかも知れません、昔のあの大切な思い出が消えてしまいそうで…。臆病な私は失望するのが怖かったのでした。

その代わり、かつて一度も登った事のない愛宕山に登りました。ここは石碑の宝庫であり、歴史上名高い時事とそこで活躍したそれぞれの人物達を思い偲ぶ事ができます。先ずは、咸臨丸出港の地の碑(昭和35年建立)。品川沖を出発した咸臨丸は、ここ浦賀で準備を整え、1860年1月19日、アメリカへ出帆したのです。咸臨丸は、日米修好通商条約批准書の交換のための米軍艦・ポーハタン号を護衛する目的で、勝海舟や福沢諭吉、ジョン・万次郎などの日本の俊英を乗せ、日本船として初めてサンフランシスコまで、太平洋を横断したのでした。

そしてその咸臨丸を修理した事もある、元浦賀奉行所与力の中島三郎助の碑(明治24年建立)。中島は後の浦賀ドックの基礎を築いた事でも名高い幕末の志士です。剣術や砲術に長け、造船などの機械技術にも明るく、才気ある傑物であったと謂われています。佐幕派であり、最期は戊辰戦争の函館五稜郭で無念の討ち死にをしました。

そしてさらに与謝野寛(鉄幹)と晶子の歌碑(昭和59年11月3日建立)があります。昭和10年の3月3日に与謝野夫妻と同人の方々は観音崎、浦賀、久里浜へ吟行の旅をしたのだそうです。その時詠まれた歌が石碑に刻まれています。尚、この月の26日に鉄幹は没しました。恐らく、以下の歌は鉄幹の白鳥の歌(最期の)…。

参考までに、以下の歌が碑に刻まれています。

黒船を恐れし世などなきごとし浦賀に見るはすべて黒船 寛(鉄幹)

春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞘懸く 晶子

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2012年02月24日

湘南漫歩5-7 早春の海辺巡り・浦賀灯明堂 2012.02.17

浦賀灯明堂 説明書き
浦賀灯明ヶ崎の灯明堂      灯明堂の説明書き
久里浜のペリー上陸記念碑を後にし、しばらく進むと久里浜と浦賀を隔てる山が立ちはだかりました。そこを右に行けば千代ヶ崎で、有名な久里浜少年院や横須賀刑務所があります。恐らくその先に道は無く、海岸伝いに目的地の灯明ヶ崎には行けないだろうと踏んで、川間トンネル越えの道を選びました。ところがトンネル通過中に成田空港にいる妻からメールが届きました。あの♪今始まる新しい夢乗せて♪のはせがわみやこの歌がトンネル内に木霊し、私を「ドキッ」と脅かせました。慌てて開くと「いよいよ出発、行って来ます!」ですと…。私はトンネル内の強風に震えながらも何とか返事のメールを打ち返しました。「行ってらっしゃい!、気を付けてね。今僕は、浦賀を歩いています。これから江戸時代にあった灯台の址に向かいます。最高の漫ろ歩きをしています」と…。

やっとこさメールを打ち終えトンネルを抜けると、しばらくして浦賀湾が見えてきました。そこから右へと進路をとり、造成中の原野と山林の間の道を辿ると、やがて灯明堂は観えてきました。勿論、近年に復元したものですが、松林の植え込みの中、それは床しい江戸造りの建て物で、浮世絵のように美しい灯台でした。

詳しくは右の写真を拡大して説明書きをお読みください。この灯明台の後を引き受けたのが、この旅の最後のポイント、観音崎灯台なのですよ。

灯明堂在っての灯明ヶ崎の名ですね、灯明ヶ崎の名は近代に名付けられたようです。
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2012年02月23日

湘南漫歩5-6 早春の海辺巡り・東京湾フェリーとペリー記念碑 2012.02.17

くりはま花の国を裏門(東門)から退出をして、しばらくは庚申塔やら傳福寺を訪ねまわりました。そしてようやく、ここで海の端に立ち、この湘南漫歩の副題となっている早春の海辺巡りの本筋のページを開く事にいたしました。

@東京湾フェリー、久里浜港
東京湾フェリー
丁度、房総金谷からの便が入港して、船尾を向け接岸中でした。
かつては首都圏と南房総を結ぶ大動脈であった東京湾フェリーも、アクアラインや内房の高速道路化が進み、近年はかなりさびれた雰囲気が漂っています。この日も乗船する車と人は、駐車場や待合室でまばらであり、一抹の寂しさが募りました。時代ですね…。

私にはこの東京湾フェリーの思い出が多くあり、まだ若かりし頃、一歳前の長女を初めて泊りがけの旅に連れて行った折も、このカーフェリーを使いました。カモメが飛んでる蒼い海、広い空、家族三人ご機嫌の船旅でした。あの甲板での長女のはしゃぎっぷりは、未だに私の瞼に焼きついて離れず、想い浮かべれは胸が温みます。またその七八年前にはこのフェリーを使い、調律師に成りたての私は、最初で最後の房総の仕事に向かった事がありました。金谷からバスに乗り、確か岩井浜辺りのバスストップで降り、延々と一時間以上、山間部に向かって歩いた記憶があります。途方に暮れるとは正にこの事を言うのだなと、重い鞄に痺れた腕をかばいながら、心細く歩きました。やっとの事でお客様の家を見付け、素早く調律を済ませましたが、最早夜の帳は疾うに落ち、外は真っ暗闇となりました。こんな東西南北も判らぬ田舎道を、沿岸のバス通りに無事辿り着けるのかしらと心配しましたが、そこは渡りに舟、神様はチャンと救いの手を差し延べてくれていました。何とそこの息子さんが帰宅をすると、そこですかさずお母さんは「何某よ、この調律師さんをバス停まで送ってあげとくれ!」と…。私は即座に「シメタ、ヨカッタ、スクワレタ!、おお神よ神様よ!」と安堵し、内心で万歳三唱をしていました。ニッコリ…、夜遅く横須賀の家へ辿り着けました。

A若布干し
若布干し
一年生の海藻で夏には枯れるため、漁期は主に最も育った冬から早春だそうです。丁度今が盛りの頃らしく、海辺は若布干し一色の様相でした。磯の香りが強烈に鼻から肺臓までに達し、私も全身若布になってしまった錯覚に陥りました?。

Bペリー記念碑
ペリー記念碑
フェリー乗り場から暫く東に向かうと、道路を挟んで砂浜と向かい合った公園があります。ここが歴史上名高い日本開国の発端となったアメリカ合衆国東インド艦隊長官のペリーが上陸した地点で、ペリーは江戸幕府にアメリカ合衆国大統領フィルモアの親書を渡しました。1853年の7月8日に浦賀沖に現われた黒船艦隊は日本を大騒ぎに巻き込みながら、ようやくその7月14日には浦賀奉行の応対により、狭い浦賀湾を避け、広い久里浜湾に上陸を果たしたのでした。

その丁度48年後の1901年の7月14日、この地に米友協会によりこの写真の記念碑が建てられました。
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2012年02月21日

湘南漫歩5-5 早春の海辺巡り・庚申塔と傳福寺 2012.02.17

1、庚申搭群
神明町の庚申塔
日本人には神道と仏教の二大宗教がありますが、そこから派生する様々な教えや信仰が存在し、正に八百萬の神々、日本は人の数ほどに神様が溢れかえっている国なのですね?。そんな教えの一つが庚申会(庚申待ち)で、庚申(かのえさる・*60日に一度巡る日)の日に、自分の悪行を自分の体内に棲む三尸(三匹)の虫が上帝に密告しないように、猿田彦(神道)や青面金剛を祭り、寝ずに見張りをし徹夜するのだそうです。そして都合六回(360日)、その行を行えば、密告されずに命が延びるという事だそうです。その暁にこのように路傍に庚申塔を建てるのだそうです。日本の道端には何処でも庚申塔が見出せます。如何にこの庚申待ちの教えが広く流布していたかが、知れるところです。

でも何か嬉しいのですよね、この庚申塔や道祖神に会える事は…。昔の友や知己に出会ったような気持ちになります。 

2、傳福寺
傳福寺
この写真、過去と現在の有様を象徴しているように見えますね。本堂と薬師堂の間に垣間見える煙突は、今、渦中にある東京電力の久里浜火力発電所のものです。原発が使えなくなってからは、フル操業のようで、この日も激しい噴煙が、折からの強風に横一文字となって棚引いていました。

明星山傳福寺は浄土宗のお寺、戦国時代の創建だそうで、五百年近い歴史があります。昔は漁民のための仏様として親しまれていたようです。



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2012年02月20日

湘南漫歩5-4 早春の海辺巡り・花の国の彩 2012.02.17

1、アオキの実
アオキの実
花の国と言えどもこの季節、園内に花は少なく最も目に着いたのがこのアオキの紅い実でした。観れば艶々してはいても、所々に緑が覗き、何処となく地味な印象を感じさせるのが、この実の特徴と言えるかも知れません。万両のように深紅だったら、誰もこの実を放っては置かないでしょう。何気なく森に在り、何気なく観葉として人は庭に植えて飾る、そんな自然体な樹であり、この実なのですね。その奥床しさが私は好きです。

2、ヤブツバキ
ヤブツバキ
早春の三浦半島で一番初めに咲き出すのがヤブツバキ(藪椿)、私の愛する指折りの花の一つです。この椿、群れて咲くのも素晴らしいのですが、手折って一輪挿しにすると俄然この花は輝きを増してきます。群れて咲くもその一輪の美しさは、そんじょそこらの花とは別格の存在感を見せつけるのです。早春の頃、私はしばしば故郷の海辺を訪ねます。それはきっと私の心に潜在的に潜む、この花に会いたい気持ちがそうさせるからだと思っています。会うと何故か心が開かれるのです。

3、アイス・チューリップ
アイス・チュウリップ
アイス・チューリップ、正に名は体を表すと言う事で、このチューリップは球根を地中で凍結処理して咲かせたものなのです。極度の低温にあった球根は、未だ寒い冬の季節でも、凍結から解かれれば春が来たと錯覚し、咲き出してしまうのだそうです。しかも春のチューリップ(一週間の花持ち)に比べ花持ちが格段に良いそうで、ひと月は咲き続けるそうです。正に今が盛り?、見事な美しさでした。

4、エリカ(ジャノメエリカ)
エリカ花
エリカ(ジャノメエリカ)ツツジ科エリカ属 南アフリカ原産
「青い海をみつめて 伊豆の山かげに エリカの花は咲くという」と謡われる歌謡曲がありました。そう、大分昔の人(私を始め)ならきっと憶えている事でしょう。歌姫・西田佐知子が歌っていましたっけ…。当時の人々はこの歌のお陰で、エリカの美しい花の存在を知る事になりました。独特の歌い回しが魅力だった西田佐知子は、当時は俳優で現キャスターの関口宏と結婚して歌を断ってしまいました。惜しい…、恨んだぜ関口! でもまた聴きたいな…。

エリカには他にヒース(イギリスでは泥炭の原野の意、そこに咲くからヒース)と呼ばれるエリカ属の落葉低木があります。ハーブの一種ですが、北の大地の原野にお花畑となって咲き誇るそうです。何時か?イギリスに旅して観てみたいですね。
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2012年02月19日

湘南漫歩5-3 早春の海辺巡り・花の国のゴジラの滑り台 2012.02.17

ゴジラの滑り台 尾の滑降面
ゴジラの滑り台     尾の滑降面
第一作目(1954年)のゴジラ映画に於いて、関東に最初にゴジラが現われたのが観音崎の多々良浜(自然博物館やレストランマテリアの並びの浜)の設定でした。映画の大当たりを記念して、昭和33年にこの多々良浜の地にゴジラの滑り台が作られました。それは私の少年時代(私8歳)の事で、私も学校の遠足などで何度か訪れては、遊んだ記憶があります。それでもその後は風化の痛みがひどく、危険となり、昭和48年には取り壊されてしまいました。しかしこれで遊んだ多くの横須賀市民は残念に思い、再登場を願い有志達の運動が高まりを見せました。そして遂にその願いは叶い、この“くりはま花の国”に場所を移し、1999年に復活したのでした。こうして眺めていると、あの少年の当時の恐怖がまざまざと蘇ります。ますます迫力を増幅させて迫りくるのです。よって怖がりの私は寒さも手伝って悪寒が奔り、冷や汗ものとなりました。やっぱり怖いですよね。


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2012年02月18日

湘南漫歩5-2 早春の海辺巡り・くりはま花の国 2012.02.17

この日の朝は早起きをして、先ずシンガポールに旅立つ妻と義母を横浜Yキャットに送り届け、踵を返し車は西区の妻の実家に置き捨て、その足で京急戸部駅から京急に乗って久里浜に向かいました。妻は義母と義姉親娘との水入らずの血族旅行?、私は鬼の居ぬ間の洗濯旅行?、双方、願ってもないワクワクドキドキの旅立ちとなりました。但し、お金の掛け具合は天と地の差はありましたけれども…、勿論、それでいいのだ!

久里浜駅からは徒歩で第一歩を…、黒船商店街を抜け、フェリー乗り場方面に歩を進めれば、やがて“くりはま花の国”の看板が…、そこを右折し暫く行くと突き当たりに、正面玄関が見えて来ました。そして入るなり案内書きを確かめて一つ驚いた事に、なっ何と入園料がありません。只なのです、しかも24時間無休…、何時でも入れるのです。花が咲けば大変な見所となるゴージャス?な施設、お得です。是非、ご来場を…。

くりはま花の国
くりはま花の国(遠く、久里浜の町並みが望めます)
広大な里山を余り無理せず切り開いては、自然豊かな花の公園に仕立て上げられています。緩い勾配の続く遊歩道が広い園内を延々と貫いており、散歩コースとしては万人向きで、大変優れていると想われました。写真で観られるように所々に観望地点もあり、花を観たり景色を眺めたり、飽く事無く一日を楽しめる事でしょう。流石に今は早春、写真の段々の花畑にはビニールが被せられていましたが、ここはシーズンになれば一面の花々に覆われます。盛りは二期で、春から夏までがポピー、夏から秋がコスモス、この高角度からの花の眺め(眺望)はいかばかりか、さぞかし瞠目せざるを得ない景色が現われるでしょうね。
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2012年02月17日

湘南漫歩5-1 早春の海辺巡り・予告編 2012.02.17

愛宕山からの浦賀湾
 今日はお休みをとって、少年時代から馴染み深い思い出の地、久里浜、浦賀、観音崎を巡って来ました。今回は完全徒歩の一人旅で、自由気ままに記憶を紡ぎ、そして万感の思いを籠め彷徨い歩きました。早春の海辺の風景が素敵でした。明日以降、順を追ってお届けします。どうぞお楽しみに…。
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2012年02月16日

間奏曲521 苗字ランキング 2012.02.16

 今朝方のネットランキングで、苗字のランキングをやっていましたね。私もチラッと見て私の苗字の三上を調べてみました。そうしたら何と、今現在の三上姓を名乗る総人数は78.000人で全体の0.00065%で順位は285位だそうです。かなり低いランクなのですが、この三上、結構テレビドラマでは使われており、特にサスペンスドラマではしばしば登場してきます。それも主役の刑事ではなく、犯人や脇役の刑事で、その代表が、十津川警部の上役の三上刑事部長です。まあ、三上は発音し易く聞き易いので、他の名との差別化が容易なのが頻繁に使われる所以でしょう。更に登場人物が多様なら尚更にネ…。因みに我が長女の名・三上夏子は姓も名も年中登場してきて、本人は辟易しています。まあ、娘はテレビは余り見ないと言っていますが、我が家の夕飯時には観るともなく観ているので、その名の音が出て来る度に苦虫を潰したような顔?になっています。でも名そのものは好きな名だと申しており、名付けた私に感謝しているとの事…。良かったネ。

 ベストテンを発表しましょう。
1佐藤(1.928.000人、0.016%)、2鈴木、3高橋、4田中、5渡辺、6伊藤、7山本、8中村、9小林、10斎藤
posted by 三上和伸 at 18:55| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

星空ウォッチング34 残念! 早春深夜の天体ショーは外れでした 2012.02.16

 御免なさい、私が叶わぬ期待をした所為で、昨夜夜空を眺めてしまった方?もいらしゃったかしらね? 期待は裏切られ残念ながら、大外れでした。横浜の空はここ数日分厚い雲に覆われています。現在でも鉛色、重苦しい色ですね。まあ、めげずに頑張りましょう! 天体観測で一つ学び得る事があるとすれば、結果を焦らないで待つ余裕ができ、気持ちが鷹揚になる事かしらね。明日があるさ、一年後があるさ、十年後があるさ、…………。でもそうなると、もう少し寿命が必用ですかね? それでも、その範囲以内で観られるものを確実に観れば良いのですよね。それ以上何を望むと言うのでしょうか? されど、今年五月二十一日の金環日食だけは見逃せませんね? 運を天に任せるしかありませんが…ネ…。
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2012年02月15日

間奏曲520 しつこいですが、バレンタインの幸せ者 2012.02.15

お菓子の包みとカード 世界のチョコレート菓子
 ムフフフフ……、これ大好きな愛娘の長女より貰った大好きなチョコレート菓子のセット。しかも世界各国の製造の物で、添えられたカードには「パパへ、お菓子な 世界旅行 だよ! 夏子」と書かれてありました。何と言う気の利いたユーモア、そのハイセンスに脱帽してしまいました。娘は持つものですね。こんな時、ふと思いますね、私は幸せ者であると。僭越ながら、私は選ばれた人間?であると! ウヮッハッハッハッ……
posted by 三上和伸 at 23:34| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

星空ウォッチング33 今日は下弦の月、観えるかな 2012.02.15

 朝起きて、一寸外を歩いたら、とても暖かでした。昨日は寒さ厳しい辛い雨のバレンタインデイだったのに打って変ってね…。でも鬱陶しい雲は未だ取れず間近の低い空に垂れ込めています。スカッと晴れればいいのにね。と言うのにはですね…。今夜(とは言っても明日未明ですが)は下弦の月が出るのです。深夜の月なので滅多に見られないその月の出は夜中の零時半頃ですから、それまで待たなければなりませんが、今夜はどうしても観たい…。その訳はもう直ぐこの深夜の時間帯には冬の星座たちが西に沈んでしまうようになるからです。下弦の月と春の大曲線、そして冬の大六角形を同時に観たいのですよ。晴れればいいな…、夜更かししたいな…、眩く星屑の深夜の空の大海原に、漕ぎだしたいな…。

 *冬の大六角形(冬のダイアモンド)
 ぎょしゃ座のカペラ、ふたご座のポルックス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のリゲル、おうし座のアルデバランの各一等星を順に線で繋くと、冬の夜空に大きな六角形ができます。これが冬の大六角形(冬のダイアモンド)と呼ばれています。

 *春の大曲線
 柄杓形(ひしゃくがた)の北斗七星の柄のカーヴを辿りそのまま南に延長して行くと、うしかい座の黄色の一等星アークトゥウルスに至ります。そして尚、そのカーヴを延長をすると、おとめ座の真珠星スピカに到達します。この夜空に描かれる大きな曲線を春の大曲線と呼ぶのです。

 この時期の深夜には、双方が西と東の空に陣取って睨みあいを続けます。空気も未だ乾いていて透明度に優れ、それは見事な天文ショーとなります。
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2012年02月14日

間奏曲519 バレンタインデイ、愛を誓いましたか?

 ローマ帝国の時代に発祥したバレンタインデイ、何と古の長い歴史ある由緒正しい慣わしなのでしょうか。日本ではこの日を無理やり、女性から男性へ愛の告白をする日とされてしまっていますが、本来の趣旨は愛の誓いを立てる日、皆様は愛の誓いを立てられましたか? 私は先程妻からチョコレートのミスドーを貰い、そのお返しに、ブラームスのヴァイオリンソナタ第一番を聴きながら愛の誓いを立てました。何時何時までも裏切らず愛を貫き、どちらかが果てるまで沿い遂げようと…、妻のいない部屋で妻を思い…、誓いました。ブラームスの愛のヴァイオリンが優しく…、妻を思う私を励ましてくれているようでした。人生よ、ありがとう…。
posted by 三上和伸 at 22:55| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 2012.02.14 バレンタインデイ

バレンタインチョコ
フフフフフ…、今朝方私の愛する次女から頂きました、バレンタインチョコ…、ありがとう。嬉しいな!楽しいな! 聖ヴァレンティヌス(バレンタイン)さんに感謝しないといけませんよね。何しろ命を掛けてローマの兵士とローマの娘の愛(結婚)を守った司祭さんで、バレンタインデイの切っ掛けを作ってくれたのですからね。

 因みにローマ帝国時代の二月十四日は女神ユノの祝日だったそうで、この日がローマの兵士と娘が結ばれる切っ掛けを作った、恋の相手を選ぶ投票くじ引きの日だったそうなのですよ。この二人の結婚をローマ皇帝の妨害(ローマでは士気が下がる理由で兵士には結婚させなかった)から身を犠牲にして守ったのがバレンタインさんだったのです。女神ユノの祝日と聖バレンタインの献身が合わせ交わって、私達のバレンタインデイができたのですね。良かった良かった、ルンルンルン!

参考:ウィキペディア、バレンタインデー
posted by 三上和伸 at 09:24| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月13日

音楽の話66 N響アワーとブラームス 2012.02.13

 先日のN響アワー・“永遠の名曲たち”のシリーズで、ブラームスの第一シンフォニーが紹介されていました。このシリーズの交響曲では、ベートーヴェンの“第七”、モーツァルトの“ジュピター”、チャイコフスキーの“悲愴”、ドボルザークの“新世界”、シューベルトの“未完成”に続く六曲目で、やっとの事でのお目見えでした。でも、このN響アワーも来月でお終いだそう…、あと一曲の枠はどんな名曲が入るのでしょうか? 楽しみですね。それにしても、N響アワーも終わってしまい、新しいクラシック番組が始まるそうで、オーケストラ作品だけでない、ジャンルの広い番組になるのでしょうね。ピアノ独奏や歌曲やアリアの歌、もしくは室内楽など、まあ、期待し楽しみにしていましょう。私もテレビ買うかな?

 この“永遠の名曲たち”シリーズですが、もう少し続けて欲しかったですね。まだまだ他に“もの凄い名曲たち”がスタンバイ?していたのではないですかね。バッハだったら“マタイ受難曲”、“ミサロ短調”ヘンデルだったらオラトリオ“メサイア”、ハイドンだったらオラトリオ“天地創造”、“四季”、モーツァルトだったら“第四十番”、“ピアノ協奏曲群”、“レクイエム”、ベートーヴェンだったら“英雄”、“第五”、“第九”、“ミサソレムニス”、“ヴァイオリン協奏曲”、ブラームスだったら“第四”、“ドイツレクイエム”、“二曲のピアノ協奏曲”など。これまで紹介されてきた名曲を一回り凌ぐ、とびっきりの名曲たちなのにね、残念です。

 さて、ブラームスの一番シンフォニーについてと言うよりは、番組で西村朗氏が語った“ブラームスの志”について一言申し上げます。『私は、音の詩人になる』とゲーテを意識して言ったベートーヴェンの志の高さと同様の逸話が、ブラームスにもあるのです。ブラームスは少年の頃より読書に夢中で、その本の中の箴言(しんげん)や格言を「若きクライスラーの宝物の小箱」と題したノートに自ら書き記してきました。それの一部を紹介すると、「真の天才は、時として他人の讃辞で慰めをうることもあるが、想像力に溢れる感情を得れば、すぐにそのような松葉杖にすがる必要はなくなるものだ」(J・C・F・v・シラー)、「大衆の温和な反応は、中庸な芸術家にとっては励みとなるものだが、天才にとっては侮辱であり、また恐るべきものだ」(J・W・v・ゲーテ)、「暖かな想像力と兄弟の契りを結んだ明晰な理性は、まことの健やかさをもたらす魂の糧である」(F・F・H・ノヴァーリス)などがあります。正にブラームスの創作信条に一致する言葉たちです。これらを時々読み返しては、ブラームスは己の芸術活動の勇気と実践の範を得ていたのです。もの凄い志の高さですね、私はこれを三宅幸夫氏の著「ブラームス」で知り、驚き感動をしたのでした。

参考:三宅幸夫著「ブラームス」(新潮文庫)

 
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2012年02月12日

ピアノの話35 不可能を可能にする経験と技術 2012.02.12

今日の仕事は、ある幼稚園のピアノ調律でした。ところが、その内の一台のピアノの上にはオーディオセットが置かれてあり、はたと戸惑いを覚えました。普通なら、そのセットを降ろして屋根蓋を開き調律するのですが、それは地震による落下防止のために強力に接着されており、屋根の部分が固定されて動かなくなっていたのでした。勿論この場合、調律不能の烙印を押す事は容易い?のですが、そこは数々の仕事の修羅場?を潜り抜けて来たピアノ調律のプロの私、屋根をそのままにして調律を始めました。チューニングハンマーの位置取りと可動範囲は極端に狭かったのですが、工夫を重ね、難なく無事調律し終えました。

 50度の狭い可動範囲 180度の広い可動範囲
左が屋根蓋開閉不能のピアノ 右が普通にチューニングハンマーを使えるピアノ
僅か20cm有るか無いかの可動範囲、チューニングハンマーを立てられず寝かしたまま、屋根にぶつかり、ハンマートップにぶつかり、ポジション取りが大変でした。

低音部のT・ハンマー位置取り 中音部のT・ハンマー位置取り 高音部のT・ハンマー位置取り
左:低音部 右:中音部 下:高音部 それぞれの範囲のチューニングハンマーの位置取り
何と言っても、高音部の窮屈なハンマーの位置取りとハンマーの微妙な扱い方が難しかったのでした。完全な調律ができたのは、長年の経験と弛まぬ技術練磨の賜物と自信をもって言えるでしょう。
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星空ウォッチング32 真夜中の空、絢爛 2012.02.12

 今、外に出て、夜空を仰いでいました。もうこの時期の空は零時を回ると、俄然、絢爛の様相を呈してきます。流石に冬の大六角形は西に傾き高度を下げていますが、相変わらず見事な宝玉の輝きを魅せています。ところが東の空には春の大曲線が昇って来ており、北斗七星、アークトゥウルス、そして乙女の真珠星・スピカが神秘の光を投げ掛けて互角にわたり合っています。その冬春の星座を橋渡しする位置にいるのが、満月を四日過ぎた月(居待ち月)としし座に逗留中の火星です。スピカの直ぐ近くには土星まで現われ、己が存在を主張していました。眩く甘美な星降る夜…、酔い痴れて寝るのが惜しくて堪らない…、されど寝なければ明日が辛い…暫し悩める幸福な私でした…。仕方なく…、お休みなさい。
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2012年02月11日

間奏曲518 建国記念(の)日 2012.02.11

 今日は建国記念の日、古の紀元節と同じ月日ですが、それに纏わるタブーは触れずに置きましょう。でもね、こんなタブーがあるが故に、素直に国民が日本を思う事に消極的になってしまう…。誠に残念な事ですね。あの戦争の矛盾を未だに私達は抱えているのです。戦争とは末代の子子孫孫まで、祟りをもたらすものですね。北方領土の事もありますし…。

 取り敢えず、私達は私達個人で日本を思いましょう。日本の将来を憂いましょう。そして力強い覚悟を持ち日本を良くして行きましょう。少しでも日本の未来が快活になるように…、子子孫孫が希望に満ち溢れるように…。

 纏まらない意見を述べましたが、どうか、ご容赦を…。
posted by 三上和伸 at 23:39| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲517 冬もしくは早春の音 2012.02.10

 冬もしくは早春は、花が少なく寂しいものがあります。でも、視点?を変えてみれば目には見えぬ音があります。野鳥の鳴き声、風の声、そして特別の雪の降る音…。前者二つは暖地に住む者にも馴染みの音ですが、雪の降る音?は私達には未体験の音ですね。限りなく無音に近く深々と降ると言うからシンシンかしら、否否、雪国に住む人には微かだけれど、しかしチャンと確かに聴こえるのだそうですよ。耳を澄ませば雪の粒の大きさや雪の質の違いなども判るそうです。素敵ですね、神秘ですね、羨ましいです。一度安全な雪国で夜通し寝ないで布団に包まれぬくぬくとして聴きたいものですね。きっと、フワフワだとか、サラサラだとか、サワサワだとか、シャッシャッシャッだとかの音でしょう。雪害でお困りの方々には不謹慎で申し訳ありませんが、敢えて戯言を申し上げてしまうのは、それは暖地の雪を知らぬ者の、贅沢な、否、素朴な憧れなのです。平にお許しください。
posted by 三上和伸 at 00:18| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月10日

生き物大好き20 漸く、シジュウカラがさえずり始めました 2012.02.10

 午後は早めに帰宅し、確定申告の準備をしていたところ、庭でシジュウカラがさえずり始めました。ツッピ−、ツッピー、ツッピーと…、高音の透明な声で美しく和やかに…。一羽が枝に停まった姿で本式のさえずりをするのを聴くのは今年初めてで、それは昨春(夏前まで)以来の懐かしい声でした。私は嬉しさを隠せず、キーを打つ手を休めては、思わず聴き耳を立ててしまいました。毎年の事とは言え、帰って来てくれた事が有難く思えて心を動かし胸を熱くしてしまう、これが年を重ねた小父さんの今日この頃の心境と言うものでしょうかね? どんな者達でも、その善良の存在が私の孤独を埋めてくれます。良くできたものですね、この世界は…。感謝です。
posted by 三上和伸 at 16:00| 生き物大好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月09日

間奏曲516 接骨院に行って来ました 2012.02.09

 一晩寝たら痛みは軽くなりましたが、立った時、未だ体が真っ直ぐに伸びず“くの字”に曲がっています。そして伸ばそうとすると腰がとても痛い…。結局、接骨院に行って、温熱を当てられ、低周波のバイブレーションを掛けられ、院長のマッサージを受けて帰って来ました。痛みや凝りが一時的にせよ緩和され、人心地がつきました。その後は確定申告の準備をする予定でしたが、じっと座り詰めは腰に悪いので、休み休みの作業となり、はかどりませんでした。明日からは休みなしの仕事なので、少し心配です。さあ、風呂に入って早めに休む事にします。お休みなさい。
posted by 三上和伸 at 22:36| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月08日

間奏曲515 またしてもぎっくり腰、トホホホ… 2012.02.08

 再びか三度か四度か、分からぬ程ですが、またしてもぎっくり腰になってしまいました。午前の仕事中に何の前触れもなく、それは突然襲ってきました。今は歩けますが、腰が伸びず“くの字”に曲がっています。無理に伸ばそうとするととても痛いのです。明日朝、一番で接骨院に行こうと思っています。ここんとこ暫くご無沙汰でしたが、また接骨院が通いになってしまいました。

 長く座るのが辛く、ブログ書きは出来るか分かりませんが、明日、長いブログが書けたなら、腰の具合もそんなに悪くないを思ってください。ではお休みなさい。
posted by 三上和伸 at 23:29| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

ピアノの話34 近代現代グランドピアノアクション二種 2012.02.07

シュワンダー型レンナ―アクション  ダブルスプリング・スタンウェイ型ヤマハアクション
左:ディアパーソンピアノのレンナ―アクション 右:ヤマハアクション
左が十九世紀の末にヘルバーガー・シュワンダーが発明したシュワンダー型の近代アクション。右がスタンウェイ社が発明したダブルスプリングのスタンウェイ型アクション。ヤマハのグランドピアノにもこのスタンウェイ型アクションが使われています。

勿論、この二つのアクションとも、ダブルエスケープメント方式のアクションですが、よく見るとレぺテイションスプリングの形状が異なっています。スタンウェイ型のダブルスプリングの方が耐久力があり、動きの効果が俊敏です。但し、そのスプリング強弱調整はスクリュウを回すだけでできるシュワンダー型が使い易いと言えます。スタンウェイ型はスプリングをスプリング調整工具で抉(こじ)らなければならないのです。シュワンダー型は古いアクションですが、未だ廃れぬ優れた性能を持っているので、現代のグランドピアノにも使われ続けています。

ダブルエスケープメント方式の同音高速連打機能の説明は何れ近い内に…。
posted by 三上和伸 at 22:59| ピアノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

音楽の話65 三上夏子ピアノ教室のお勉強会・二重奏の試み 2012.02.05

 昨日は、年に二回ある定例の三上夏子ピアノ教室のお勉強会がありました。私達夫婦もそのお手伝いのために参加したのでした。私はピアノ調律と写真撮影(勝手に撮った)を担当し、楽しく貢献?をしました。何しろ愛らしい生徒さんが沢山参加しているので、お会いできるだけでも、おじいちゃん(の心境になり切っている私)としては、嬉しい限りなのです。皆は一生懸命この日の課題に取り組み頑張っていました。


二重奏の試み
講師模範演奏
今回は、アンサンブル(二重奏)を如何に上手に取り組むかが課題として取り上げられました。特別講師にはヴァイオリンのお兄さんのヴァイオリニストの熊田恵氏を招き、その導入を優しく教えて頂きました。何しろ生徒さん達は、普段はピアノソロか精々ピアノ連弾しかした事がないのですから、この日の試みは中々に有意義であったろうと想像されました。ヴァイオリンのお兄さんと共に日頃親しんだ名曲を合奏する楽しさ、アンサンブルの喜びを身を持って味わえたと確信しました。

 曲目はバッハやベートーヴェンのメヌエット(美しい)、モーツァルトのソナタ(素敵)、ブラームスのハンガリーダンスbT(拍手大喝采)、そして童歌や童謡など(愛らしい)で、初めは二重奏に面食らったお友だちも多かったのですが、熊田先生の親切な教えに生徒さん達は積極的にアンサンブルに参加し、楽しんでいました。

 熊田先生の合奏をするに当たっての教えの一端を、ここで私の見た目でお知らせしますね。それは曲の冒頭の呼吸の合わせ方についてなのですが、掛け声を掛けたり、対面で目を見合わせて呼吸を合わせるのではなく、二人の奏者が客席を向き、顔だけをやや斜めにして、相手を視界に入れ、そこで相手の呼吸(吐いて吸う瞬間)を測り、弾き出すのだそうです。面と見るのではなく、斜めからの視線で呼吸を測る、成る程な〜と感心したのでした。やはりそういう初歩の事でさえも、きちんと教えを請う事が大事なのだな〜と実感したのでした。
 
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2012年02月04日

音楽の話64 N響アワー、リサ・バティアシュヴィリのブラームスヴィオリンコンチェルト

 ブラームスがどんな動機でヴィオリンコンチェルトを書いたのか? それはブラームスとしては珍しくはっきりしていて、よく知られています。作品完成(1878年)の前年の九月に、ブラームスは滞在していたドイツの温泉保養地バーデンバーデンで、たまたま大ヴァイオリニスト・サラサーテの演奏を聴きました。その時、非常な感銘を受け、自分も是非ヴァイオリンの協奏曲を書きたいものだと思ったのでした。

 当時最大のヴァイオリニストと言われていたサラサーテは、スペインの生まれで、このブラームスと同じく、ハンガリージプシーの音楽をこよなく愛して止まず、“ツィゴイネルワイゼン”と言うヴァイオリンの名曲を残した事で有名です。このツィゴイネルワイゼンも1878年の作で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の完成と同年であり、互いにジプシー音楽愛好なども似ており、不思議な縁があるようです。兎に角、サラサーテがいてくれたお陰で、この協奏曲が生まれた訳であり、私達ブラームスファンにとっては、サラサーテ様様ですね。

 その後、ブラームスはこの曲を作曲するにあたり、サラサーテ(当然、知り合いではなかったので)ではなく、盟友のヴァイオリニストのJ・ヨアヒムに相談をもちかけます。それはピアニストで作曲家のブラームスにとっては、ヴァイオリンは未知の存在であり、それまでヴァイオリンを独奏楽器とする大曲を書いていなかったため、演奏技法の奥義を知り、その演奏効果を確かめたかったからでした。

 ところがやがて、この製作途上の曲に、ブラームス以上の熱意(期待)を傾けてしまったヨアヒムの過剰なアドバイスに、ブラームスは辟易する事になります。ヨアヒムは仕上がりの遅延を待つ事ができず、自ら疾うに第一楽章に挿入する*カデンツァ(後に最も頻繁に取り上げられる有名なカデンツァ)も作曲し、呆れた事に初演の日時と劇場まで押さえてしまっていたのでした。「未だか未だか!」の矢の催促、完全主義者のブラームスにとっては耐え難いプレッシャーでした。ヨアヒムにしても自ら作曲はするものの、大作曲家の未来への使命感と言う偉大な努力精神を理解できなかったのです。徹底的に推敲するブラームスのやり方を解っていたのに、早く弾きたくて世に出したくて、忍耐できなかったのです。ブラームスは初め新たな試みとして、4楽章(協奏曲は普通3楽章)を念頭に入れていましたが、仕方なくその構成を変更し、中間の二つの楽章(緩叙楽章とスケルツォ)を割愛して、代わりに“弱々しいアダージョ”(ブラームス言)を第二楽章に入れて完成させたのでした。その割愛されたテーマ等の一部は、後のヴァイオリンソナタやピアノコンチェルトに転用されたと言われています。結局、すったもんだの末、何とか楽譜が間に合い、初演は1879年の元旦にライプツィヒで無事行われました。勿論、ヴァイオリンはヨアヒム、指揮がブラームスでした。初演は大成功で、ヨアヒムはその後も何十回となく演奏会で取り上げました。その熱意と努力をもって、この曲をベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と並び称される定番の曲に押し上げました。早い段階からこのヴァイオリン協奏曲が名曲と謳われるようになったのは、ヨアヒムの尽力の賜物でもありました。

 *カデンツァ(伊)
 曲の終止の前に挿入されるところの巨匠的演奏困難な自由な無伴奏の部分。普通コンチェルトの第一楽章と終楽章に用いられる。演奏家が作曲するのが常でブラームスでは、ヨアヒムやクライスラーのものが有名。しかし、有名作曲家M・レーガーのものもある。

 J・ヨアヒムはパガニーニやサラサーテとは一線を画する人で、巨匠性よりはアカデミカルなヴァイオリニストでした。多くの門弟を抱えオーケストラ要員を養成し、全ヨーロッパの各オーケストラのヴァイオリンパートに弟子を送りこみました。また弦楽四重奏団(ヨアヒムカルテット)を結成し、数多の室内楽作品を世に広めもしました。特筆すべきは、ベートーヴェン演奏のオーソリティー(権威)として、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲並びに弦楽四重奏曲の普及に最大限尽力した事です。今日のベートーヴェン演奏の土台を築いた演奏家の偉大な一人と言ってよく、それは決して過言ではありません。


 そんな多くの労力を割いて完成されたこのヴァイオリン協奏曲、内容は極めて深遠で複雑、ヴァイオリニストの間では難曲中の難曲と言われて、これを取り上げるのは勇気のいる事だと言われています。勿論それはテクニックの問題もありますが、その深い精神性にあります。兎に角、この曲の真価を発揮できた演奏は稀です。私もCDを含め幾多の演奏を耳にしましたが、満足を得られる演奏は皆無に等しかったのです。

 それでも、とうとう今回のN響アワーで、それを打ち破る演奏に出会えました。それはリサ・バティアシュヴィリと言うグルジア(旧ソ連のコーカサス地方の独立国)出身の女流ヴァイオリニストの演奏で、シャープな切れ味鋭いテクニック、加えてヴァイオリンの共鳴洞に豊かに共鳴する伸びやかな美音、それらを難なく操り、深遠な曲の精神に肉薄して行きます。ブラームスのこの気難しい曲が、いとも簡単な単純明快な音楽に聴こえてくるのです。“古い奴ほど新しいものを求める”と昔の唄にありますが、このヴァイオリン音楽も同じ事だと痛感しました。ブラームス(古い奴)にはこのシャープな美音(新しいもの)が必要でした。やっと、私が満足できるブラヴァイ?が聴けました。何と喜ばしい事か…。

 
posted by 三上和伸 at 23:16| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その他10 2010.03.30の天の月、地の花、これぞ贅沢の極みの一部訂正をしました

 先程、先日書いた“今日から二月、如月です”の記事を読み返していたところ、ふと、一昨年に書いた2010.03.30付けの“天の月地の花これぞ贅沢の極み”で如月を弥生と書いた誤りがある事に気付きました。恥ずかしなが今、訂正させて頂いた事をお知らせいたします。

 その記事は『寒さに我慢できれば、今宵こそ観月と花見が同時に出来る稀な一夜と申せます』に始まり、『誠に夢のような麗しき“弥生”の一夜です』で終わりますが、この弥生が誤り、この年の三月三十日は旧暦で言うと二月の十五日でした。この日は正に彼の西行が歌で詠んだ“如月の望月の頃”。未だ暦に不慣れだった私の旧暦・如月を弥生と称してしまった恥ずかしい誤り、どうぞお許しくだされ…。

 
posted by 三上和伸 at 09:23| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

私の歳時記 2012.02.03 今日は節分、豆まきして恵方巻き食べました

 関東で節分に恵方巻きを何時頃から食べるようになったのか定かではありませんが、年々盛んとなり、近くのコンビニでは店の外で掛け声と共に売りさばいていました。商魂たくましいとはこの事ですが、買う方も買う方で、すっかりその商業ベースに取り込まれ、一種のブームで買っているようです。我が家も妻が、先程恵方巻きの束を抱えて帰って来ました。「そんなに買ってどうするの?」、「コンビニで安売りしていたの、売れ残りが沢山でたみたい、皆で一本ずつ食べましょう!」だって…。

 しかし、私は巻き寿司は大好きですが、恵方巻きの食べ方の作法は気に入りません。方角がどうとか、一本を喋らず丸ごと一気に食べなければならないとか、いい加減にせんかい! どんな食べ方をしようとカラスの勝手でしょ! 私は先程、大いにお喋りをしながら、チビチビと15分程をかけて楽しんで食べ終えました。楽しく食べなきゃ損ですよ、一気だなんて咽るか咽喉に詰まらせて窒息死するかだけですよ。まあでも、北寄りを向いて食べましたのですよ。と言うのも、私の食卓の位置が北を向いているだけの事なのですがネ…。でも美味しかった。

 そして今し方、豆まきをしました。心を籠めてしたのですよ。魔を除けて福を取り込むように…、我が家の繁栄を願って…。節分は一種の大晦日(季節の終りの日、立春、立夏、立秋、立冬の前日、普通は立春の前日だけを言う・広辞苑)、明日は新たな春を迎える真のお正月の立春です。今日、良い事悪い事、全てを収めて、また明日から頑張りましょう!
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2012年02月02日

間奏曲514 雪害心配です 2012.02.02

 横浜も寒いですが、僅かの暖房で難なく凌げます。私達は幸せです。それに比べれば雪国の何と大変な事か…。雪崩、雪下ろしの際の屋根からの落下、そして死…。映像で見るだけでは想像もできない困難があるのでしょう。健康な若者よ! 時間があったら雪下ろしを手伝ってさしあげたら如何でしょうか? 最早助け合わなければならない非常事態にあるのではないでしょうか?
posted by 三上和伸 at 23:56| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

私の歳時記 2012.02.01 今日から二月、如月です

 あっと言う間に正月も終わり、今日から二月です。昔風な言い方をすれば如月です。でも本当(旧暦)の今年の如月は、二月二十二日から始まるのですがね…。

 “きさらぎ”、素敵な音ですね。きさらぎには、如月の外に“衣更着”と“更衣”とも書く事があり、その意味は広辞苑によると、「この季節は尚寒く、着物(衣)を更に着重ねるから」だそうです。季節的には言いえて妙(微妙)ですね。それと言うのも、西行には次の歌があるからです。

 願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃

 きさらぎは二月、望月(満月)の頃とは十五日の頃、旧暦・春のど真ん中ですね。従って、今年で言えば三月の八日前後の頃です。まあ、少々早い気はしますが、旧暦では元旦もその年によって大きくずれるもの、旧暦の二月十五日にしても、今の暦で言えば三月中下旬と言っても誤りではないでしょう。然らばこの如月の季節、暦上、早い年で上旬ならば、重ね着をする程寒いと言うのも肯けますが、遅い年で十五日頃ならば、当然、桜も咲いていますよね。

 西行さんは、桜咲く満月の下で死にたいと仰っていました。月明かりに照らされた桜花、古のライトアップでしょうが、余分な灯りがない分、幽玄の世界が得られたのでしょうね。
posted by 三上和伸 at 23:52| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする