2012年02月04日

音楽の話64 N響アワー、リサ・バティアシュヴィリのブラームスヴィオリンコンチェルト

 ブラームスがどんな動機でヴィオリンコンチェルトを書いたのか? それはブラームスとしては珍しくはっきりしていて、よく知られています。作品完成(1878年)の前年の九月に、ブラームスは滞在していたドイツの温泉保養地バーデンバーデンで、たまたま大ヴァイオリニスト・サラサーテの演奏を聴きました。その時、非常な感銘を受け、自分も是非ヴァイオリンの協奏曲を書きたいものだと思ったのでした。

 当時最大のヴァイオリニストと言われていたサラサーテは、スペインの生まれで、このブラームスと同じく、ハンガリージプシーの音楽をこよなく愛して止まず、“ツィゴイネルワイゼン”と言うヴァイオリンの名曲を残した事で有名です。このツィゴイネルワイゼンも1878年の作で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の完成と同年であり、互いにジプシー音楽愛好なども似ており、不思議な縁があるようです。兎に角、サラサーテがいてくれたお陰で、この協奏曲が生まれた訳であり、私達ブラームスファンにとっては、サラサーテ様様ですね。

 その後、ブラームスはこの曲を作曲するにあたり、サラサーテ(当然、知り合いではなかったので)ではなく、盟友のヴァイオリニストのJ・ヨアヒムに相談をもちかけます。それはピアニストで作曲家のブラームスにとっては、ヴァイオリンは未知の存在であり、それまでヴァイオリンを独奏楽器とする大曲を書いていなかったため、演奏技法の奥義を知り、その演奏効果を確かめたかったからでした。

 ところがやがて、この製作途上の曲に、ブラームス以上の熱意(期待)を傾けてしまったヨアヒムの過剰なアドバイスに、ブラームスは辟易する事になります。ヨアヒムは仕上がりの遅延を待つ事ができず、自ら疾うに第一楽章に挿入する*カデンツァ(後に最も頻繁に取り上げられる有名なカデンツァ)も作曲し、呆れた事に初演の日時と劇場まで押さえてしまっていたのでした。「未だか未だか!」の矢の催促、完全主義者のブラームスにとっては耐え難いプレッシャーでした。ヨアヒムにしても自ら作曲はするものの、大作曲家の未来への使命感と言う偉大な努力精神を理解できなかったのです。徹底的に推敲するブラームスのやり方を解っていたのに、早く弾きたくて世に出したくて、忍耐できなかったのです。ブラームスは初め新たな試みとして、4楽章(協奏曲は普通3楽章)を念頭に入れていましたが、仕方なくその構成を変更し、中間の二つの楽章(緩叙楽章とスケルツォ)を割愛して、代わりに“弱々しいアダージョ”(ブラームス言)を第二楽章に入れて完成させたのでした。その割愛されたテーマ等の一部は、後のヴァイオリンソナタやピアノコンチェルトに転用されたと言われています。結局、すったもんだの末、何とか楽譜が間に合い、初演は1879年の元旦にライプツィヒで無事行われました。勿論、ヴァイオリンはヨアヒム、指揮がブラームスでした。初演は大成功で、ヨアヒムはその後も何十回となく演奏会で取り上げました。その熱意と努力をもって、この曲をベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と並び称される定番の曲に押し上げました。早い段階からこのヴァイオリン協奏曲が名曲と謳われるようになったのは、ヨアヒムの尽力の賜物でもありました。

 *カデンツァ(伊)
 曲の終止の前に挿入されるところの巨匠的演奏困難な自由な無伴奏の部分。普通コンチェルトの第一楽章と終楽章に用いられる。演奏家が作曲するのが常でブラームスでは、ヨアヒムやクライスラーのものが有名。しかし、有名作曲家M・レーガーのものもある。

 J・ヨアヒムはパガニーニやサラサーテとは一線を画する人で、巨匠性よりはアカデミカルなヴァイオリニストでした。多くの門弟を抱えオーケストラ要員を養成し、全ヨーロッパの各オーケストラのヴァイオリンパートに弟子を送りこみました。また弦楽四重奏団(ヨアヒムカルテット)を結成し、数多の室内楽作品を世に広めもしました。特筆すべきは、ベートーヴェン演奏のオーソリティー(権威)として、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲並びに弦楽四重奏曲の普及に最大限尽力した事です。今日のベートーヴェン演奏の土台を築いた演奏家の偉大な一人と言ってよく、それは決して過言ではありません。


 そんな多くの労力を割いて完成されたこのヴァイオリン協奏曲、内容は極めて深遠で複雑、ヴァイオリニストの間では難曲中の難曲と言われて、これを取り上げるのは勇気のいる事だと言われています。勿論それはテクニックの問題もありますが、その深い精神性にあります。兎に角、この曲の真価を発揮できた演奏は稀です。私もCDを含め幾多の演奏を耳にしましたが、満足を得られる演奏は皆無に等しかったのです。

 それでも、とうとう今回のN響アワーで、それを打ち破る演奏に出会えました。それはリサ・バティアシュヴィリと言うグルジア(旧ソ連のコーカサス地方の独立国)出身の女流ヴァイオリニストの演奏で、シャープな切れ味鋭いテクニック、加えてヴァイオリンの共鳴洞に豊かに共鳴する伸びやかな美音、それらを難なく操り、深遠な曲の精神に肉薄して行きます。ブラームスのこの気難しい曲が、いとも簡単な単純明快な音楽に聴こえてくるのです。“古い奴ほど新しいものを求める”と昔の唄にありますが、このヴァイオリン音楽も同じ事だと痛感しました。ブラームス(古い奴)にはこのシャープな美音(新しいもの)が必要でした。やっと、私が満足できるブラヴァイ?が聴けました。何と喜ばしい事か…。

 
posted by 三上和伸 at 23:16| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その他10 2010.03.30の天の月、地の花、これぞ贅沢の極みの一部訂正をしました

 先程、先日書いた“今日から二月、如月です”の記事を読み返していたところ、ふと、一昨年に書いた2010.03.30付けの“天の月地の花これぞ贅沢の極み”で如月を弥生と書いた誤りがある事に気付きました。恥ずかしなが今、訂正させて頂いた事をお知らせいたします。

 その記事は『寒さに我慢できれば、今宵こそ観月と花見が同時に出来る稀な一夜と申せます』に始まり、『誠に夢のような麗しき“弥生”の一夜です』で終わりますが、この弥生が誤り、この年の三月三十日は旧暦で言うと二月の十五日でした。この日は正に彼の西行が歌で詠んだ“如月の望月の頃”。未だ暦に不慣れだった私の旧暦・如月を弥生と称してしまった恥ずかしい誤り、どうぞお許しくだされ…。

 
posted by 三上和伸 at 09:23| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする