2012年02月13日

音楽の話66 N響アワーとブラームス 2012.02.13

 先日のN響アワー・“永遠の名曲たち”のシリーズで、ブラームスの第一シンフォニーが紹介されていました。このシリーズの交響曲では、ベートーヴェンの“第七”、モーツァルトの“ジュピター”、チャイコフスキーの“悲愴”、ドボルザークの“新世界”、シューベルトの“未完成”に続く六曲目で、やっとの事でのお目見えでした。でも、このN響アワーも来月でお終いだそう…、あと一曲の枠はどんな名曲が入るのでしょうか? 楽しみですね。それにしても、N響アワーも終わってしまい、新しいクラシック番組が始まるそうで、オーケストラ作品だけでない、ジャンルの広い番組になるのでしょうね。ピアノ独奏や歌曲やアリアの歌、もしくは室内楽など、まあ、期待し楽しみにしていましょう。私もテレビ買うかな?

 この“永遠の名曲たち”シリーズですが、もう少し続けて欲しかったですね。まだまだ他に“もの凄い名曲たち”がスタンバイ?していたのではないですかね。バッハだったら“マタイ受難曲”、“ミサロ短調”ヘンデルだったらオラトリオ“メサイア”、ハイドンだったらオラトリオ“天地創造”、“四季”、モーツァルトだったら“第四十番”、“ピアノ協奏曲群”、“レクイエム”、ベートーヴェンだったら“英雄”、“第五”、“第九”、“ミサソレムニス”、“ヴァイオリン協奏曲”、ブラームスだったら“第四”、“ドイツレクイエム”、“二曲のピアノ協奏曲”など。これまで紹介されてきた名曲を一回り凌ぐ、とびっきりの名曲たちなのにね、残念です。

 さて、ブラームスの一番シンフォニーについてと言うよりは、番組で西村朗氏が語った“ブラームスの志”について一言申し上げます。『私は、音の詩人になる』とゲーテを意識して言ったベートーヴェンの志の高さと同様の逸話が、ブラームスにもあるのです。ブラームスは少年の頃より読書に夢中で、その本の中の箴言(しんげん)や格言を「若きクライスラーの宝物の小箱」と題したノートに自ら書き記してきました。それの一部を紹介すると、「真の天才は、時として他人の讃辞で慰めをうることもあるが、想像力に溢れる感情を得れば、すぐにそのような松葉杖にすがる必要はなくなるものだ」(J・C・F・v・シラー)、「大衆の温和な反応は、中庸な芸術家にとっては励みとなるものだが、天才にとっては侮辱であり、また恐るべきものだ」(J・W・v・ゲーテ)、「暖かな想像力と兄弟の契りを結んだ明晰な理性は、まことの健やかさをもたらす魂の糧である」(F・F・H・ノヴァーリス)などがあります。正にブラームスの創作信条に一致する言葉たちです。これらを時々読み返しては、ブラームスは己の芸術活動の勇気と実践の範を得ていたのです。もの凄い志の高さですね、私はこれを三宅幸夫氏の著「ブラームス」で知り、驚き感動をしたのでした。

参考:三宅幸夫著「ブラームス」(新潮文庫)

 
posted by 三上和伸 at 22:46| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする