2012年02月23日

湘南漫歩5-6 早春の海辺巡り・東京湾フェリーとペリー記念碑 2012.02.17

くりはま花の国を裏門(東門)から退出をして、しばらくは庚申塔やら傳福寺を訪ねまわりました。そしてようやく、ここで海の端に立ち、この湘南漫歩の副題となっている早春の海辺巡りの本筋のページを開く事にいたしました。

@東京湾フェリー、久里浜港
東京湾フェリー
丁度、房総金谷からの便が入港して、船尾を向け接岸中でした。
かつては首都圏と南房総を結ぶ大動脈であった東京湾フェリーも、アクアラインや内房の高速道路化が進み、近年はかなりさびれた雰囲気が漂っています。この日も乗船する車と人は、駐車場や待合室でまばらであり、一抹の寂しさが募りました。時代ですね…。

私にはこの東京湾フェリーの思い出が多くあり、まだ若かりし頃、一歳前の長女を初めて泊りがけの旅に連れて行った折も、このカーフェリーを使いました。カモメが飛んでる蒼い海、広い空、家族三人ご機嫌の船旅でした。あの甲板での長女のはしゃぎっぷりは、未だに私の瞼に焼きついて離れず、想い浮かべれは胸が温みます。またその七八年前にはこのフェリーを使い、調律師に成りたての私は、最初で最後の房総の仕事に向かった事がありました。金谷からバスに乗り、確か岩井浜辺りのバスストップで降り、延々と一時間以上、山間部に向かって歩いた記憶があります。途方に暮れるとは正にこの事を言うのだなと、重い鞄に痺れた腕をかばいながら、心細く歩きました。やっとの事でお客様の家を見付け、素早く調律を済ませましたが、最早夜の帳は疾うに落ち、外は真っ暗闇となりました。こんな東西南北も判らぬ田舎道を、沿岸のバス通りに無事辿り着けるのかしらと心配しましたが、そこは渡りに舟、神様はチャンと救いの手を差し延べてくれていました。何とそこの息子さんが帰宅をすると、そこですかさずお母さんは「何某よ、この調律師さんをバス停まで送ってあげとくれ!」と…。私は即座に「シメタ、ヨカッタ、スクワレタ!、おお神よ神様よ!」と安堵し、内心で万歳三唱をしていました。ニッコリ…、夜遅く横須賀の家へ辿り着けました。

A若布干し
若布干し
一年生の海藻で夏には枯れるため、漁期は主に最も育った冬から早春だそうです。丁度今が盛りの頃らしく、海辺は若布干し一色の様相でした。磯の香りが強烈に鼻から肺臓までに達し、私も全身若布になってしまった錯覚に陥りました?。

Bペリー記念碑
ペリー記念碑
フェリー乗り場から暫く東に向かうと、道路を挟んで砂浜と向かい合った公園があります。ここが歴史上名高い日本開国の発端となったアメリカ合衆国東インド艦隊長官のペリーが上陸した地点で、ペリーは江戸幕府にアメリカ合衆国大統領フィルモアの親書を渡しました。1853年の7月8日に浦賀沖に現われた黒船艦隊は日本を大騒ぎに巻き込みながら、ようやくその7月14日には浦賀奉行の応対により、狭い浦賀湾を避け、広い久里浜湾に上陸を果たしたのでした。

その丁度48年後の1901年の7月14日、この地に米友協会によりこの写真の記念碑が建てられました。
posted by 三上和伸 at 22:35| 《漫ろ歩きの旅》漫歩シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする