2012年07月30日

音楽の話78 リトルコンサートの曲目と解説

 遅くなりましたが、7月14日に行われた大関はるみ・三上夏子両先生主催のリトルコンサートの全曲目をお知らせ致します。

☆第一部・ピアノソロ演奏
1、はさみとぎ、白鳥            トンプソンより
2、カンツォネット                ネーフェ
  メヌエット                   ラモー
3、バースデーケーキ、ポップコーン屋さん  トンプソンより
4、ソナチネOp.36                ゲジケ
5、人形の夢と目覚め              オースチン
6、ソナチネOp.34-2 第1楽章         アンドレ
7、ソナチネ第1番Op.13-1 第1楽章   カバレフスキー
8、ソナチネOp.36-4 第1楽章       クレメンティ
9、バターつきパン(一本指のワルツ)     モーツァルト
10、メヌエット                  ハイドン

*曲の説明
1、はさみとぎ、白鳥 …トンプソンより
  以上の曲を収めたジョン・トンプソン編集の現代ピアノ教本は、それまでにあった単なる運指運動の教則本とは異なり、既存の名曲や親しみ易い旋律を使用した芸術性の高いピアノ教本です。しかもそれに合わせた解説も加えており、無味乾燥な忍耐を押し付ける事のない楽しいピアノレッスンを目指したものと言えます。

2、カンツォネット …ネーフェ
  メヌエット    …ラモ−
  クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(1748-1799)は、モーツァルトと同時代に活躍したドイツの音楽家(作曲家、指揮者、オルガニスト)で、ベートーヴェンの先生としても有名な人です。オペラの一種である“ジングシュピール(ドイツ語の歌芝居)”を最も得意とし、多くのジングシュピール作品を書き上げ上演しました。“歌”の意味を持つこの曲・カンツォネットはピアノ小品ですが、旋律を歌う事に重きを置いた曲作りがなされており、音楽に於ける歌の大切さを示唆しています。
 
  ジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)は、フランスバロックの作曲家及び音楽理論家です。特に音楽理論家として名高く、和声と調性を理論的に体系化した最初の人と言われています。メヌエットとは比較的ゆっくりとした四分の三拍子の踊りの曲ですが、起源はフランスの民族舞踏とされています。ラモーの生きたバロックの時代には宮廷舞踏として盛んに演奏され踊られました。恐らくラモーは、このメヌエットの他にも沢山のメヌエットを作った事でしょう。

3、1、のトンプソンを参考にしてください。

4、ソナチネOp.36 …ゲジケ
  アレクサンドル・ゲジケ(1877-1957)は、近代ロシアの作曲家兼ピアニスト兼オルガニストです。バッハ演奏の権威で、モスクワ音楽院のピアノ教授でもありました。作品は、交響曲に室内楽、そしてピアノ曲など多数あります。

 ☆ソナチネは、“小さくて短い器楽曲(楽器で演奏する)”を指す音楽用語です。ソナタ(伊語の“演奏される”の意で器楽で奏される曲)から派生したソナタの小型版を意味し、初心者向きに楽想的にも演奏技術的にも平易な曲作りがされてます。

5、人形の夢と目覚め …オースチン
  テオドール・オースチン(1813-1870)は、ドイツのピアノ教師にして作曲家です。丁度ショパンやシューマンと同時代の音楽家で、優れたピアノ教師として名を成した人です。それでもショパンやシューマンとは異なり、その作り出したピアノ曲は、初心者や子供を対象にした自分の弟子たちへのサロン小品でした。ところが当時これが大当たりを取り、オースチンの名は世界(当時は欧州・北米)に轟きました。現在でもその作品「人形の夢と目覚め」、「アルプスの夕映え」、「花売り娘」などは世界の子供たちに愛されており、日本では発表会の定番ですね。因みにオースチンと同時期に同様の立場を持った人にヨハン・ブルクミュラー(1806-1874)がいます。その作品の「素直な心」「アラベスク」「貴婦人の乗馬」などの載った「25の練習曲Op.100」は何方にもお馴染みですね。

6、ソナチネOp.34-2 …アンドレ
  アンドレが誰だか判りません。何れ判明次第、ここに加筆する事にします。

7、ソナチネOp.13-1 …カバレフスキー
  ドミトリー・カバレフスキー(1904-1987)は、ロシア(実際はソ連)の作曲家兼ピアニストにして著述家です。ロシア革命(1905年《第一次》及び1917年《第二次》)と共に生まれたと言っていい生年を持ち、ソ連の隆盛と崩壊(1991年)をソ連の共産主義に寄り添って体験したソ連の御用音楽家です。しかしその音楽は教育にも向けられており、ソ連音楽教育の中心的存在でもありました。優れた子供用の作品も多々あります。このソナチネもその一つですね。

8、ソナチネOp.36-4 …クレメンティ
  ムツィオ・クレメンティ(1752-1832)は、イタリアローマで生まれ、イギリスで活躍しイギリスで没したイタリア人の音楽家です。その経緯は十代の頃にイギリスの知人に貰われて行ったと言うのが真実のようです。その職種や経歴も多彩で、作曲家兼ピアニスト及び指揮者の他に、ピアノ制作や楽譜出版の会社の経営(社長)までもしたのでした。80歳で没した当時としては破格の長生きで、生涯二度の結婚をしており、その二人の妻(クレメンティ52歳で18歳妻、59歳で26歳妻、正にダブルスコア以上)はこれまた破格の若年であったそうです、凄い???。

 生涯に膨大な数のピアノ作品を残しており、ベートーヴェンが高く評価したソナタは何と100曲、そして大冊の練習曲集「グラドゥス・アド・パルナッスム」やソナチネがあります。近年クレメンティの再評価の機運が高まり、これらの全曲録音がなされた上に、新版の全曲出版の準備もされているようです。但し、最も世に知られているのが今回生徒さんが弾いた曲を含めたOp.36の6曲のソナチネ集であり、それは番号が増すに従い難易度が上がるそうです。

9、バターつきパン(一本指のワルツ) …モーツァルト
  ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、ザルツブルクに生まれウィーンで没したオーストリアの作曲家です。“神童”として何方もご存知ですが、悪口を言ったりする、結構人間的な人であったようです。前項のクレメンティをベートーヴェンは高く評価したのですが、モーツアルトは評価しませんでした。それどころかむしろ酷評までしています。恐らくそこには二人(ベートーヴェンとモーツァルト)の音楽へのスタンスの違いが表れているように感じます。音(ピアノ音)の官能性や活発性への好みの違いが表れているのですね。モーツアルトの音楽は繊細にして端麗、そしてその優しさが胸(心、涙)に響きます。ベートーヴェンの音楽は細心にして豪気、壮快な論理が腹(筋肉、快哉)に轟きます。私は両者の音楽を長年聴いてきて、つくずくそう思います。さてその理屈?で言うと、クレメンティはどちらかしら…。自ずと解りますよね。

10、メヌエット …ハイドン
  フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)は、古典形式を完成させたウィーン古典派の音楽家です。節度ある健全な思想の持ち主で、後の作曲家のお手本になる大先生でした。勿論最大の弟子はベートーヴェン(モーツァルトはライバル)で、革新的に生きたベートーヴェンでも、その音楽の根本はハイドンの教えに基づいています。ハイドンはオーストリア帝国の貴族の一人(エステルハージ公)に長い事使えて来ました。そしてその仕事と言えば、その貴族や親族の接待及び慰安のために音楽を書き演奏する事でした。貴族と言えば宮殿、宮殿では毎夜?夜会が行われます。そこで始まるのがダンスです。この当時のダンスでは主にメヌエットが踊られます。ハイドンもメヌエットを作曲したのでした。因みにメヌエットはダンスにだけに用いられるのではなく、音楽の一つの形式としても存在しています。この典雅な舞曲は、シンフォニー等の第3楽章にも使われているのです。


☆第二部・ピアノソロ演奏
11、ソナチネ ト長調     アットウッド
12、ワルツ イ短調       ショパン
13、プレリュード 第一番    バッハ
14、サラバンド        ヘンデル
15、エリーゼのために    ベートーヴェン

*曲の説明  
11、ソナチネト長調 …アットウッド
  不勉強の所為でアットウッドの正確な正体が知れません。当てずっぽうですが、恐らくトーマス・アットウッドと言う名のイギリスの音楽家だと思われます。モーツァルトの弟子の一人と言う事で、18世紀後半から19世紀前半に活躍したのでしょう。モーツァルトご自慢のお弟子だったそうです。

12、ワルツイ短調 …ショパン
  ご存じ、ピアノの詩人のフレデリック・ショパン(1810-1849)の曲…。故郷ポーランドの鄙びた雰囲気と大都会パリの雅が見事に溶けた甘く切ない情緒が素晴らしい…。それはピアノの美音を全て知り尽くして書いた完全無欠のピアノ音楽。もう魔術としか言いようがありません。

13、プレリュード 第一番 …ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
  平均律クラビーアの最初の曲でハ長調の前奏曲、分散和音が美しくしっとりとして安らぎに満ちています。この後の万物実る豊饒の沃野(本編)を前にしたほんの心ばかりの慰めの曲、でもそれだからこそ、これは美しいのです。

14、サラバンド …ヘンデル(1685-1759)
  バッハ(同い年)の唯一の対抗馬だったジョージ・フレデリック・ヘンデル(独名・ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル)は、ドイツ生まれで後にイギリスに帰化した人です。ストイック(冷静な、平然とした、禁欲的な)なバッハに比べ豪快で快楽的なヘンデル、二人は正反対な性格に見えますね。バッハは宗教曲が本分ですが、ヘンデルはオペラが主舞台でした。この辺りも明確であり極めて対照的ですね。まるで19世紀のワーグナーとブラームスの関係に似ていますね。サラバンドの起源は面白く、16世紀頃にスペインの植民地(南米)から逆輸入されたのが始まりと言う事です。勿論元はヨーロッパの舞曲で、それが南米に渡りサラバンドの名を頂戴し再び戻って流行ったと言う事で、バロック時代には舞曲の定番となりました。二分の三拍子のリズムで引きずるように重々しく踊られるようです。

15、エリーゼのために …ベートーヴェン
  誰彼が、ピアノレッスンを始める動機となる遍く知れ渡ったピアノ小品…。愛する恋人エリーゼ?(テレーゼ?)に成り変わって書いた乙女心の時めきの詩…。野人・ベートーヴェンは恥も外聞も捨て?、女心を取り上げたのでした。


☆第三部・連弾とソロ演奏・三上先生の模範演奏
≪ハッピー・ソング≫
1、きらきらぼし
2、まきばのうたごえ
3、ハッピー・バースディー・トゥ・ユー

≪ディズニー・ワールド≫
4、不思議の国のアリス
5、星に願いを(ピノキオ)
6、いつか王子様が(白雪姫)、ホール・ニュー・ワールド(アラジンの魔法のランプ)、三上先生のソロ演奏

≪ジプリの世界1≫
7、となりのトトロ
8、さんぽ
9、風のとおり道
10、ねこバス

☆第四部・連弾演奏
≪ジプリの世界2≫
★魔女の宅急便
11、海の見える街
12、やさしさに包まれたなら
★天空の城ラピュタ
13、君をのせて
≪ロマンチック・ロシア≫
14、「ピーターと狼」より ピーター
15、「白鳥の湖」より 情景

*曲の説明
14、「ピーターと狼」より ピーター …セルゲイ・プロコフィエフ
  近代ロシアの作曲家・セルゲイ・プロコフェフ(1891-1953)が世の子供の管弦楽への理解を促がす目的で書いた教育的作品です。登場人物(動物も)がそれぞれ特定の楽器で特徴的に表わされます。例えば快活なピーターは弦楽器で表わし、強靭な狼は重厚なホルンで…、小鳥は愛らしいフルートで表わし、アヒルはのんびりとしたオーボエといったふうに…。ここでは弦楽の替わりにピアノでピーターを表わします。さて、ピアノのピーターは如何でしたか?

15、「白鳥の湖」より 情景 …ピョートル・イリッチ・チャイコフスキー
  ロシアを代表する作曲家・チャイコフスキー(1840-1893)は多岐に亘る種類の音楽を書きましたが、その中でも取分けバレエ音楽が高い人気を誇っています。俗に言う“三大バレエ”は「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」で、チャイコフスキーならではの豪華で美しい管弦楽を聴く事ができます。その至る所にエキゾチックな名旋律がちりばめられ、眩く陶酔の境地に誘われます。もしも今、もの悲しい「白鳥の湖」の情景の音楽を聴けば、立ち所に遠い北国の神秘の湖に降り立つ事ができます。さあ、皆で行きましょう、白鳥の湖へ…。


☆第五部・ソロ演奏
1、6つのウィーンソナチネkv.439b 第6番 第1楽章  モーツァルト
2、ソナタkv.545 第3楽章               モーツァルト 
3、ウクライナ民謡による7つの陽気な変奏曲        カバレフスキー
4、小さなニグロ                     ドビュッシー
5、ルーマニア民族舞曲                   バルトーク

*曲説明
1、6つのウィーンソナチネkv.439b 第6番 第1楽章 …モーツァルト
  三上先生の曲選びは広範囲に亘っていますね。音楽文献やネットを当たっても出ていないものがあります。このウィーンソナチネも調べる術はありませんでした。仕方ないのでここではモーツァルトのお金の話を一言…。モーツァルトはお金に困っていたと言われていますが、それは本当らしいです。私が訪ねたウィーンのモーツァルトハウスでの説明によると、モーツァルト自身が書いた借金の申し込みの手紙が複数残されているそうです。収入は多く(今のお金で数千万円)、このモーツァルトハウス(フィガロの結婚を書いた時期に住んでいた)も立派な建物で部屋数(10室位)も多かったのです。可笑しな話ですね。ここではその原因は知る事はできませんでしたが、恐らく、私の想像では、賭け事を始めとしたモーツァルトの無駄遣いにあったと思われます。そしてオペラその他の興業の失敗もあったのかも知れませんね。生活不安がモーツァルトの寿命を縮めた可能性は充分想像がつきますね。

2、ソナタkv.545 第3楽章 …モーツァルト
  このソナタは有名ですから何方でもご存知でしょう。モーツァルト特有の軽味のある爽やかな曲ですが、じっと聴き入ると何故か胸に迫るものがあります。時としてですが、私は泣いてしまう事があります。それはモーツァルトが無意識に身につけていた“もののあはれ”の情念に私の思いが呼応するからです。私はそれを諦観と言います。ブラームスとまた違う諦観が確かにここにあります。

3、ウクライナ民謡による7つの陽気な変奏曲 …カバレフスキー
  ウクライナはポーランドよりも更に東の東部ヨーロッパの国、東隣りはロシアです。昔はキエフ大公国、一昔前はソビエト連邦の一地方だった所です。恐らく違う民族が住んでいたのに無理やりに大連邦に併合されてしまってね、胸が痛みます。それでも近年独立を果たし誇りを取り戻しました、目出度い事です。この地方にあった民謡をソ連のカバレフスキーは子供向けに7つの変奏曲に仕立て上げました。まあ、ソ連時代の産物であり、ウクライナの人々はこの曲をどう思われているか知る由もありませんが、一つの歴史を物語る証拠のようなものかも知れません。それでもそんな事はどうでもよく、私が気に入ったのはこの曲の名、この陽気な変奏曲の名はとても良いですね。何か聴かなくても見ただけで陽気になってしまいますね。また聴きたいな…。

4、小さなニグロ …ドビュッシー
  後に曲の名が替えられてしまう…何て事は、作者は想いもしなかったでしょうね。近代フランスの大作曲家・クロード・ドビュッシー(1862-1918)が最初に名付けた名は“小さな黒ん坊”であったのです。ところが黒ん坊は差別語であるそうで、近年に黒人にしたのですがこれも差別だと言う事で最後はニグロに…。しかしこれも差別だと言われてしまえばもう黒色人種を指す言葉はなくなります。唯一あると言えば、アフリカ系民族。だから“小さなアフリカン”で良いですよね。何か馴染みませんかね?…。それでもこの曲に籠められたジャズのエッセンスは正しくアフリカン、アフリカンにしましょ。

5、ルーマニア民族舞曲 …バルトーク
  バルトーク・ベーラ(姓はバルトークで名がベーラ、姓名の並びは日本と同じ、1881-1945)はハンガリー最大の作曲家。民謡(民族音楽)の収集に全力を挙げ、民族音楽研究家としても名高いものがあります。バルトークはその収集した宝とも言える民謡の素材から独自の音楽を作り出します。このルーマニア民族舞曲もルーマニアで収集した素材要素から完成されたものでしょう。中学生のお姉さんがこの曲を弾きました。それは落ち着いて聴き映えのする良い演奏でした。

  
☆大関はるみ先生、ソプラノ独唱  ピアノ伴奏:三上夏子先生 
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より ママも知るとおり ピエトロ・マスカーニ(イアリア、1863-1945)
「カヴァレリア・ルスティカーナ」とは“田舎の兵士”の意味で、このお話は男女四人の愛の葛藤を描いた一幕ものの悲劇です。田舎の兵士・トゥリッドゥが除隊して故郷へ帰ると許嫁のローラは既に馬車屋のアルフィオに嫁いでしまっていました。そこでトゥリッドゥは心ならずも純情な娘・サントゥッツッアと恋をして自らを慰めようとしました。ところがローラへの思いは止まず、ローラも拒絶するではなく、嫉妬に狂ったトゥリッドゥはアルフィオにローラの不義を告げてしまいます。そこでアルフィオは怒り、妻を奪われぬようにトゥリッドゥに決闘を挑みます。結局、トゥリッドゥはアルフィオに殺されてしまい悲劇の幕は降ろされます。

「ママも知るとおり」は純情な娘・サントゥッツッアがトゥリッドゥの母に愛するトゥリッドゥと自分の危機を訴え歌うアリアです。まあ、男は馬鹿ですよね、ないものねだりばかりして…。でもそうさせる女は悪魔ですね。女は言い寄られれば悪い気はしませんものね、つい甘い言葉で誘ってしまいます。これが人間ですよね。これが男と女ですね。オー怖い〜

 ☆サントゥッツッアのアリア「ママもしるとおり」の歌詞

あなたもご存知です、お母さん、トゥリッドゥは兵隊に
いくまえにローラと二世をちぎったことを。
除隊したらローラは人妻でした、それであの人は新しい
 愛をもって
自分の心を燃やしてきた炎を消そうと思ったのです。
わたしを愛してくれました、わたしもあの人を愛しました。
 わたしの楽しみをいえば

なんでもうらやましがるあの女は、嫉妬のあまり、
 自分の夫を忘れてしまうのです……
わたしからあの人を奪いました、
 わたしは名誉をなくしました:
ローラとトゥリッドゥは好き合っています、
 わたしは泣いています。泣いています!  *小林英夫氏の対訳

 大関先生は、切ないサントゥッツッアの思いを込めて、ドラマティックに歌ってくれました。
            
posted by 三上和伸 at 21:30| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする