ブラームスが20歳の無名の青年期、世に出ようと踠いて(もがいて)いたのを掬い上げてくれたのが43歳のシューマンでした。見せた曲(ピアノソナタ1番2番)を一目(一聴)して気に入ったシューマンは、わざわざ嘗て主筆であった音楽雑誌にブラームスの名を紹介しました。それを恩に着たブラームスは、生涯の折々でシューマンの残した妻と7人の子の世話を焼きました。ブラームスがシューマン夫妻に出会ったころ、妻のクララは妊娠をしていました。そのお腹の子こそが、後の詩人・フェリックス・シューマンで、フェリックスが20歳の誕生日を迎えた時に、フェリックスが書いた詩を使い、ブラームスが歌曲を書いてプレゼントしました。それがこの曲「ぼくの恋は緑色」です。
このプレゼントに歓喜したのは、フェリックスだけではありませんでした。母のクララこそこのプレゼントを喜びました。幸薄い早世の我が末子の名を未来に伝えてくれたブラームス、フェリックスはブラームスと共に、永延に、音楽史の中に名を刻んだのです。
ぼくの恋は緑色 フェリックス・シューマン op63−5
ぼくの恋はにわとこの茂みのように緑色。
にわとこの茂みの上にその光をそそいで、
その茂みを芳香と歓喜で満たす、
陽の輝きのように、ぼくの恋は美しい。
ぼくの魂は小夜鳥のように翼をはり、
咲き薫るにわとこの木で身をゆすぶり、
歓声をあげ、甘い香りにうっとりして、
恋に酔う歌のかずかずをうたうのだ。 志田麓訳詩
抑揚の効いた流れるような曲、ブラームス歌曲の人気曲の一つ。