今朝方の「一日の初めに…」で申した音楽会、行って来ました。東京シティフィルの定期演奏会で、演目は牛田智大(うしだともはる)のピアノによるベートーヴェンのピアノコンツェルト第5番の「皇帝」とブラームスのアルノルト・シェーンベルク編曲のオーケストラ版のピアノ四重奏曲第1番ト短調でした。
ベートーヴェンの皇帝は、何と弱冠17歳と言う牛田のソロで演奏され、その若々しい清潔なピアノは好ましいものでした。帰宅後三上夏子に報告した所、夏子も良く知っていて「どうだった?」と尋ねられました。「まあ、曲が単純明快な解り易いものだからね。ピアノを綺麗に響かせ、澱み無い好い演奏だったよ」と答えました。事実、実に明快な演奏で、リズム感、テンポ感が優れていました。
ブラームスは中々微妙な印象を受けました。ブラームスのファンだったシェーベルクでしたが、ブラームスの音楽の娯楽性の無さと室内楽の不人気に業を煮やしたようで、「一つ俺がブラームスのこの室内楽を誰もが喜ぶ聴き易いものにしてやろう」、そんな気持ちでこの曲のオーケストラ版の編曲を手掛けたのでした。
果たしてそれは成功か?失敗か?、全4楽章の内、第1第3楽章は失敗…、第2楽章はまあまあ…、大成功は第4楽章、これが私の印象でした。第4楽章だけを編曲すれば良かったのにね…。
第1楽章の原曲は、室内楽特有の緊迫感の強い求心的な作品で、これをオーケストラ(シンフォニー)にするのは無理がありました。説得力の無いふやけた楽章になっていました。シェーンベルク、二進も三進も行かなかったようです。
第2楽章はスケルツォですからそれ程の違和感は無かったですね。問題は第3楽章、もう効果を上げ感動を煽ろうと四苦八苦するシェーンベルクが見えてきます。まるでブルックナーの緩徐楽章みたいになっていました。これでもかこれでもかと法螺を吹くのですよ。リアリズムのブラームス、ブルックナー風の法螺はないのです。
大成功の第4楽章(ツィゴイナ―風のロンド)、この楽章はもう既にハンガリー舞曲ですからね。実際のハンガリー舞曲はオーケストラ版が素晴らしいのですからね。ですからここでは大成功を収めているのです。ジプシー音楽独特の粘る哀愁と熱狂のリズム、圧巻のエンディングは狂乱の坩堝、脳髄を麻痺させるパンチ力に満ちていました。ブラボーが鳴り止みませんでした。