明日のYちゃん三歳誕生会のプレゼントに"あるCD"を買ったのですが、ついでに私の趣味も付け足してしまいました。つい目に止まったバティアシュヴィリのブラームス、以前にN響アワーで聴いた感動が忘れられなくて思わず買ってしまいました。
演奏は、バティアシュヴィリは完璧でしたが、指揮者が今一つでしたね。少々オケの出番が走り過ぎで、第1楽章で特に急かされた印象で嫌でした。そして驚かされたのはカデンツァがヴァイオリンだけでなくティンパニーが加わっていた事、カデンツァは演奏家が自由にできるので、こんな演出も有りかも知れませんが、如何なものでしょうか?、大変疑問に思いました。唯、解説のブックレットによれば、バティアシュヴィリは注目に値する発言もみられました。「この楽章が難しいのは、この種の作品がドイツ語の構造に沿っているからです。一つ一つの音符を全て歌うような音質で演奏し、途切れてはなりません。それと同時に、モザイクの小片をはめていくように楽節から楽節へ一歩ずつ進むのではなく、大きな弧を描くような構造を創り上げ、大きな視点で音楽を捉える事が重要です」と述べています。確かに、バティアシュヴィリの演奏は、大きく繋がっていました、延々とね…。
愛の音楽である第2楽章はバティアシュヴィリの独壇場です。深く愛しく時に輝かんばかりに愛の歌を歌います。リズムの饗宴である第3楽章は愉快でお茶目な印象ですが、ヴァイオリンの音の美しさは際立っています。こんなに美しい第3楽章は珍しい…。因みにこの演奏のヴァイオリンはブラームスの盟友のヨゼフ・ヨアヒムが持っていたもの、ストラディバリウス「ヨアヒム」が(貸与の形で)使われたのだそうです。
最後にバティアシュヴィリは、クララ・シューマンによるシューマンとブラームスの作曲家としての評価印象を述べています。「クララは夫シューマンの傍で、シューマンが音符の一つ一つを書き出す苦労を目の当たりにしてきた。作曲とは苦労の末に為されるのが普通とみてきた。ところがブラームスをみると、ブラームスは易々と作曲をしている。それに驚き、ブラームスにとって作曲とは戦いで無く喜びだと確信した。クララにとってブラームスは新鮮に映り、心惹かれたのだ」と…。クララ、シューマン、ブラームスの三角関係は、愛欲で無く、尊敬から生まれている事を示唆しているようです。
参考:アクセル・ブリュッゲマン著(訳:広瀬大介)のCD付属のブックレット