序=昨夜はカメラからPCへのダウンロードが上手くできず、花見三昧2が書けなくて失礼しました。お待ちになられて拍子抜けの方もいられたかも知れません。恐縮でした、残念でした。
昨日は粗計画通りの旅が出来ました。出だしは車で北鎌倉・檑亭まで…。ところが横浜新道が混雑、慌てて戸塚警察を左折して、金井・田谷・影取を抜けて川名方面へ、川名から西鎌倉を辿り鎌倉山へ…。予定より15分遅れて蕎麦処・檑亭へ着きました。もう北鎌倉山は沿道の染井吉野と山肌の山桜で桜花一色、車渋滞の屈折などは雲散霧消、幸せ一杯となりました。
檑亭からの山桜1 檑亭の山桜2 北鎌倉の山桜と染井吉野
檑亭は広大な別荘地を庭園に設えたもの。そこに江戸期に建てられた豪農の屋敷を移築して始められた会席蕎麦屋です。この日は結婚式が行われていました。文金高島田の花嫁が、静々と小径を…、庭園の一風情、好いものでした。座敷は予約で会席料理が楽しめますが、そんなご大層は何かの記念日にすれば良いのであって、物見遊山の行楽では蕎麦で充分です。蕎麦は更科系(白い蕎麦)ながら太い麺、余りお目にかからない蕎麦でした。喉越しと言うよりはむしろ噛む蕎麦、されど爽やかさは失せてはいませんでした。
庭は大いに楽しめるものですが、ここでは紹介しきれないので、改めて別の紙面でお伝えします。兎に角仄かな山桜が春を謳歌していました。陽光溢れる庭を巡れば少し汗ばみ、長袖ネルシャツの腕をたくし上げて爽快無比でした。
鎌倉市内への下り坂は木立越しに絶景が観られる道。山に山桜、宅地には染井吉野、春のグラデーションが美しかったです。
鎌倉幕府東御門(みかど)の碑 源頼朝の墓 時宗・来迎寺裏庭の山桜のグラデーション
味覚と見聞に満足し、再び車に乗って鎌倉心臓部へ…。二階堂で車を止め、大蔵(鎌倉)幕府跡を巡りました。各交差点には嘗ての鎌倉幕府府内の道標の碑があります。主なものには、鎌倉幕府跡、東御門(ひがしみかど)に西御門(にしみかど)、今は学校(清泉小学校)などが立ち並んで、昔日の面影はありませんが、800年前には確かにここが日本の中心地でした。直ぐ傍には頼朝の墓と大江広元の墓が並んでおり、ここは古色蒼然たるものがありました。広元の墓は窟の中でした。
その足で西御門の先の来迎寺に出向きました。静かな鎌倉の住宅地の先に来迎寺はありました。踊念仏の一遍上人縁の時宗の寺、その裏山は山桜の園、それは美しい山桜のグラデーションが観られました。
八幡宮流鏑馬馬場の静桜 八幡宮源氏池の染井吉野 若宮大路の桜並木
西御門の来迎寺から雪ノ下に入り八幡宮を目指しました。八幡宮を東鳥居から入るとそこは流鏑馬馬場。直ぐその傍に静桜がありました。ほぼ満開の様子、小さな木でしたが中々艶やかな花でした。後20年も経てば大樹となり、見事に咲き誇るでしょう。静御前の生れ変わりの桜。源義経の悲劇の愛妾・静は、白拍子の舞姫でした。鎌倉祭りにはその静の舞が観られるそうです。何時か混雑覚悟で行ってみたいですね。
若宮大路は改修なって若木の染井吉野が整列しています。そこを今流行りの着物乙女がそぞろ歩きます。派手なレンタル着物、妻は呆れていましたが、私はニヤニヤ、好いものでしたね。