鎌倉巡りを夫婦の趣味にし始めた私達は、心赴くと後先考えず出掛けることになります。以前のように仕事に忙殺されることは無くなり、平日でも空き時間はあるのです。休日は混雑する鎌倉、この歳になって巡ってきたチャンスです。それを活かさない手は無いのです。平日の古都巡り、素晴らしい発見があります。
今回は主に鎌倉の東(小町、大町)と南(材木座)を巡りました。鎌倉駅から若宮大路を横切って、先ずはおんめさま(大巧寺、安産祈願の寺院)から始めまりした。ところがこの日は庚戌(かのえいぬ)、腹帯を求める妊婦で境内は混雑していました。これでは御朱印どころではないと観念し、直ぐにおんめさまを後にしました。そこからは強行軍、小町大路の蛭子神社を皮切りに日蓮辻説法跡、東勝寺橋で滑川に拾文落とした青砥藤綱の碑を観て、東勝寺跡と北条高塒腹切り窟を眺めました。そして踵を返し、鎌倉レデンプトレスチン修道院を訪ねクッキーを買い、朱塗りの琴禅橋を渡り、床しい小町大路の裏通りを南下し、妙本字、ぼたもち寺(常栄寺)、八雲神社まで行き着きました。そしてその後は一気に材木座海岸まで足を延ばしました。少し古い案内書で見定めていた自家挽き粉で打った十割蕎麦を食べさせる蕎麦屋が見付からず、仕方なしに入った蕎麦屋(材木座の土手屋)が思いのほか旨く堪能した次第でした。材木座海岸で、世界最古の築港の和賀江の島(わかえのしま)を俯瞰し、光明寺を訪ねました。その鎌倉最大の山門の偉大さ、感動を覚えました。そして元来た道を辿り九品寺、脇の道に逸れて御所神社、来迎寺、長勝寺を経て私はもうクタクタ…。長勝寺前でバスに乗ろうとしたのですが本数が無く×、仕方なしに歩いたら何と上行寺と安養院を参拝し、御朱印まで頂いてしまいました。妻の絶っての希望で鎌倉野菜市場まで歩き通しました。この時すでに私の歩数計は20,000歩を越えていました。
東勝寺橋袂にある青砥藤綱の碑と滑川
伝説の人物青砥藤綱、北条家に仕えた高潔の武士と言われています。滑川に拾文落とした藤綱が家来に五拾文費やさせて拾文の銭を探させた逸話があります。合わせて六拾文の銭の損得を他者に諫められたが、藤綱は世の中に六拾文の銭が流通したと思えば、誰かの役に立っていると諭したそうです。
東勝寺跡 北条高塒腹切り窟(やぐら)
「いざかまくら!」の新田義貞の鎌倉攻め。それに追い落とされた第14代執権北条高時、とうとう一族郎党を巻き込んで氏寺東勝寺に火を放ち、自害して果てました。高時が割腹自殺をしたのが、直ぐ裏山にあるこの窟でした。今は固く守られて入れませんが、洞口には墓標が建っています。鎌倉有数のパワースポットだそうです。
東勝寺跡の更地の近くは住宅街が広がっていますが、その一角にレデンプトレスチン修道院があります。創立者マリア・セレスタによって1731年にイタリア・ナポリで開かれたキリスト教の修道院です。ここ鎌倉の修道院のシスターが作るクッキーが有名で、ここを訪れてクッキーを求める客が後を絶ちません。毎日売っています。私達も一袋(360円)頂きました。サクッとした口当たり、バターの香りが優しさを醸します。好いものです。
この日の歩数:20,962歩
追伸:この日、安養院の門前で私は不覚にもカメラを落としてしまいました。カメラは故障し、今日の午後カメラのキタムラへ修理に出しました。お陰でこの紙面にアップロード出来ずに、大半の写真は掲載不可能になりました。辛うじて旅の初めにスマホで撮った画像がありましたので、今回掲載しました。