東京都交響楽団の第881回定期演奏会Aシリーズを聴いて来ました。曲目はドボルザークのチェロコンチェルトとブラームスのシンフォニー第2番の2曲でした。演奏者はチェロが宮田大、指揮が私注目の人・小泉和裕、ソロ・コンサートマスターが矢部達哉でした。都響には、私達家族の知り合いの第2ヴァイオリンの主席奏者・遠藤香奈子さんがいらっしゃいます。この日も指揮者の左横奥、第2ヴァイオリンの最前列に座っておられました。
チェロの宮田大は、出るコンクール全てで第1位を取る逸材です。使用楽器は1698年製のストラディヴァリウス”シャモニー”で、見事な音色を放っていました。ソロ・コンサートマスターの矢部達哉は、チェロ・コン第3楽章で独奏チェロと独奏ヴァイオリンが絡む二重奏があり、それに加わりました。流石は名ヴァイオリニスト矢部達哉、宮田より美しい演奏でした。指揮の小泉和裕は、指揮者では私の注目の人、師匠のカラヤンと同様の完全暗譜の人。コンチェルトでも暗譜で、指揮台の前には譜面台はありません。私より数歳上の世代ですが、瘦身の体躯で颯爽と指揮棒を振ります。一点の迷いも無い、完璧な指揮法を披露します。
ドヴォルザークのチェロコンチェルトロ短調は、古今東西の数少ないチェロ・コンの中では、第一級の作品です。兎に角美しいメロディーが横溢しており、オーケストラの扱いも堂に入った見事な出来栄えです。何不足ない名曲ですが、唯一つ、私だけの想いですが、ドヴォルザークには人の魂に捧げるメッセージが足りません。美しく見事な技量の旋律家ですが、魂を揺さぶるメッセージに不足しているのです。でもそれだけで十分ではないかと言われてしまったなら、それはそれで仕方がないことです。美しい音を楽しむのが音楽なのですからね…。
教えてはいませんが、ドヴォルザークの師匠格に当たるのがブラームスです。ドヴォルザークが不遇の頃、オーストリア政府が実施した奨学金制度に何度も応募をし、審査員のブラームスにその才能を見出された事がありました。多額の奨学金を手にしたドヴォルザークは、そこでオーケストラ楽員(ヴィオラ奏者)を止め、作曲に専念する事が出来たのです。特に当時のブラームスは、ドヴォルザークの旋律美に惹かれており、旋律作曲家としての才能を高く評価していました。大当たりを取ったハンガリー舞曲(ブラームス作曲)と同様のスラブ舞曲の作曲も勧めました。
ブラームスはドヴォルザークと違い、旋律作家としては今一つでしたが、一つのモチーフ(動機)を有機的に発展させる構成力に優れていました。そしてそこに、人間の魂の発露となる心の声(思想・感情)を畳み込み、重厚・深淵な交響曲を書きました。ベートーヴェンの英雄主義とは異なる、より人間的な庶民的な交響曲を書きました。ベートーヴェンが激烈な闘争と克己であるならば、ブラームスは悟りの境地・諦観でした。
但し、第2シンフォニーはところに依り諦観(第2・第3楽章)ですが、それよりも勝っていたのが、自己完結であり、勝利宣言でした。「ドイツレクイエム」、第1シンフォニーと続けざまに傑作をものにしたブラームス、もうブラームスには敵は無く、当代随一の作曲家に上り詰めたのでした。その断固とした勝利宣言こそが、この第2シンフォニーでした。
交響曲第2番ニ長調作品73
自然溢れる優美な避暑地・ペルチャッハ(オーストリア・ケルンテン地方)に滞在し、一夏で完成させたシンフォニー第2。第1シンフォニー完成で、積年の憑き物(シューマンの遺言・交響曲作曲)を落としたブラームスは得意の絶頂となり、新しいアイデアの明るいシンフォニーを書きました。緑の山々、静寂の森と湖、小鳥の囀りに風の音、そして村人のダンス。それらに囲まれて毎日快適に過ごしました。凡人では遊び呆けてしまうところですが、ブラームスは毎日、シコシコと作曲に励みました。早朝(5〜6時)起きて風呂に入り、コーヒーを淹れ、葉巻を吹かし、朝飯とします。午前中は作曲に専念し、長時間の散歩の後の昼飯や晩飯は招かれ飯やレストランで食事。これを毎日繰り返し、たった4ヶ月で演奏時間40分を上回る交響曲を仕上げて仕舞いました。遅筆ブラームスと言われていますが、それは嘘ですね。
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ《甚だしくないアレグロ》 ニ長調、3/4拍子 ソナタ形式
武骨なダンスと優美な歌が織り交ざった楽章。遠くで角笛が木霊して、それに合わせるように小鳥が歌っています。やがてダンスの環ができ、乙女の優しい歌が聴こえます。切ない切ない歌です。次第にダンスの環は熱を帯び、荒れ狂って行きます。展開部は益荒男と手弱女の歓喜のデュエット、激しく絡み付き執拗に絡み合っていきます。エンディングはホルンの愛の告白。告白の後は愛しみの抱擁と受け入れ、仲睦まじく溶け合います。
第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ《甚だしくないアダージョ》 ロ長調、4/4拍子 ソナタ形式
愛に溢れる自然賛歌のポエム、全楽章の中で最も諦観を帯びた楽章で、ブラームスらしいロマンが香ります。自然の中で男女がかくれんぼをしているように入り乱れます。男女のテーマが行ったり来たり…。ブラームスの真骨頂の重くねっとりとした愛の歌が歌われます。
第3楽章 アレグレット・グラチオーソ(クワジ・アンダンティーノ《アレグレットと言っても殆どアンダンティーノのように》) ト長調 3/4拍子
愛らしいワルツ、グラチオ−ソ(優雅)に一息つく楽章。アダージョの余韻とフィナーレの興奮を前にしたつなぎの楽章。
第4楽章 アレグロ・コン・スピリト《元気に・生気に満ちて》 ニ長調 2/2拍子 ソナタ形式
歓喜に満ちたフィナーレ、息せき切った激しいダンス。これでもかこれでもかと踊り狂った後に訪れる勝利のファンファーレ。前三つの楽章の熱い自然賛歌の後に断固たる勝利宣言が展開します。ブラームスは得意の絶頂にありました。
難曲中の難曲と言われているブラームス第2のフィナーレ、小泉都響は速いテンポで隙間無く整然と、完璧に仕上げていました。ブラボー連呼の熱狂は無かったものの、私一人は鳥肌が立ち震えていました。心中で何度もブラボーと叫んでいました。
4階の中央から観た東京文化会館大ホール、この位、離れていればこその求心的音響、音楽の構築が透かし模様のように良く観え(聴こえ)ます。