2019年07月06日

間奏曲 ヒイバアバ元気が戻る 2019.07.06

梅雨に入ってから元気が無かった母でしたが、ここに来て漸く機嫌が直って来ました。ナッチャンが言うには梅雨鬱だそうですが、私にはそうは観えません。殆どが室内での生活ですし、太陽を浴びる事は普段から少ないのですから、雨が原因とは思えません。私が思うには、やはり生きる希望です。心を時めかす事が少なくなるのが年寄りの慣いですけれど、少しでも何かをして生産をする、それが必要と私は痛感します。それがシッカリ身に付いていれば、時間を持て余す事は少なくなります。そんな生活習慣を会得してこなかった曽バアバですから、これからが学びとなります。少しでも何かをする事、生産する事が出来始めれば、生きる気力も増してくると想えます。

ですから、今のヒイバアバはナッチャンが作ってくれた塗り絵をしています。そして妻が進めた日記も書くようになりました。妻が面会すれば、日記を書いていますし、私が面会すれば、一緒に塗り絵をしています。私達の役目は、ヒイバアバのやる気を促す事です。一緒にやり出せば、やる気を起こし、そこに喜びを見出せます。行動を起こさなければ何も生みません。
posted by 三上和伸 at 23:19| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 今日はピアノの日 2019.07.06

文献に記されてあるのでしょうか?、オランダ商館医の身分で日本に上陸したドイツ人医師シーボルト(フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト)が日本にピアノを持ち込んだ日が1823年(文政6年)7月6日だったと言う事が…。その事実に基づいて今日のこの日の7月6日は、目出度くも日本のピアノの日に指定されました。日本の地に存在を許された最初のピアノが、このドイツ人医師シーボルトが持ち込んだ舶来のピアノでした。ピアノ業界に身を置く者としてはやはり、通り過ぎは出来ないですね。シーボルトは医学を始め多くの西洋文化を日本に持ち込みましたが、反対にまた多くの日本文化(北斎などの絵画、膨大な植物標本と種子、日本地図)を持ち去る事もしました。それは功罪相半ばする行いでした。

日本地図などの文献を海外に持ち出そうとして起こしたシーボルト事件、国外追放となったシーボルトでしたが、日本に持ち込んだピアノを、知り合い(患者)だった萩の豪商・熊谷五右衛門義比(よしかず)に譲りました。イギリス製の小型のスクエアピアノで、昭和の戦後にその存在が明らかになりました。近年、ピアノ製造職人を招いて修復を行い、現在ではこのピアノを使って音楽会も開かれています。

横幅:168cm、奥行き:62cm、5オクターヴ半だそうで、現代のピアノより2オクターヴ足りないですね。尚、音響板には、熊谷五右衛門義比への献呈の辞がサインと共に、書かれているそうです。 参考:RAGTIMEMAのダイアリーより 

余談ですが、このシーボルトと親戚関係にあったのが、作曲家ブラームスの恋人(婚約者)であったアガーテ・フォン・ジィーボルトです。アガーテの父親がシーボルトと従兄弟の関係です。アガーテはシーボルトの従兄弟のゲッチィンゲン大学産科医学教授・ヤーコプ・フォン・ジィーボルトの次女です。
posted by 三上和伸 at 21:01| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする