2020年03月31日

ブラームスの名曲25 ファンタジア 第2曲イ短調OP116-2 2020.03.31

ブラームスの出生地は北ドイツの港町ハンブルク市で、大河・エルベ川の河口にある貧民街の出でした。港の酒場には多くの船乗りが集まり、遊女と共に乱痴気騒ぎを起こしたりしていました。貧しい家計を助けるため、天才少年ピアニストであったブラームスは、10代半ばの若さで、そんな酒場でピアノ弾きとして働きました。

ハンザ同盟で有名な都市で、ベルリンにもそう遠くはありません。彼のメンデルスゾーンもハンブルク生まれでしたが、フランスの進攻に嫌気がさした大富豪・メンデルスゾーン家は、ベルリンに居を移したのでした。

ブラームスの生家跡ではありませんが、その生家近くに、ブラームス・ミュージアムがあるそうです。またブラームス家は元々は、ハンブルクよりも北にあるデンマークに近いハイデ市にあったようです。ドイツ語・ハイデの意味は、ヒース(ハーブの一種)やエリカが咲いている荒野(湿原)を意味するようです。ブラームスの故郷はそんな自然の中にあったのです。ファンタジア第2曲には、そんな風景のバックグラウンドがあったのです。

ひたすら静かな湿原は、色取り取りの高山植物の花が咲き、ブラームスはそこに憩います。北海の潮風も靡き(なびき)、頬を擽り(くすぐり)ます。寂寥感(せきりょうかん・寂しさ侘しさ)の中でも、好い気持ちです。されどやがて陽は沈み、湿原は闇に染まります。すると辺りに仄青い光が揺蕩い(たゆたい)ます。その青い火、それは湿原に現れる鬼火です。この曲の中間部はまるでこの鬼火のよう…、遠く離れた避暑地に居ようとも、ブラームスはドイツ低地の夢を観たのです。切ない追憶の涙に暮ながら…、望郷の念が鬼火と共に、胸を焦がします。

ピアノ
エレーヌ・グリモー
ウィルヘルム・ケンプ
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ブラームスの名曲24 歌曲「鍛冶屋」 L・ウーラント OP19-4 2020.03.31

今度は、アガーテのソプラノ用の曲「鍛冶屋」です。娘が愛している鍛冶屋の男の仕事振りを眺めている歌です。その男の力強さ逞しさに、うっとりしている娘の姿が彷彿とされます。

「鍛冶屋」 L・ウーラント詩
わたしの恋人がハンマーを
振っているのが聞こえる、
ゴシゴシ、カーンという音が
あたりへ拡がってゆく、
ちょうど鐘の音のように
路地や広場をつたって。

まっ黒な煙突のそばに
あの人は座っているけど、
わたしがそばを通ると、
ふいごがゴウゴウ鳴って、
あの人のまわりでは
炎が音を立てて燃えあがる。

アッケラカンとした陽性な曲、心の陰影は皆無で、唯々、健康な女の絶対の恋心が歌われます。

訳詞:志田麓さん

演奏
@ソプラノ:ジェシィ−・ノーマン ピアノ:ダニエル・バレンボイム
Aソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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ブラームスの名曲23 歌曲「口づけ」 ヘルティー詩 OP19-1 2020.03.31

作品19は、アガーテへの愛が濃厚に現れた曲集です。その第1曲のシュチュエーション(場面)は、明るいが人影のない公園。ブラームスがアガーテの肩を抱き、そっと口づけをする場面です。恋人たちはそこに全ての官能を掛けます。震えながらする口づけ、蜜よりも甘かったに違いありません。

「口づけ」 L・C・ヘルティー詩
五月の花の木の下で
少女の手をもてあそび、
心をこめて愛撫し、
少女の瞳に映る
ぼくの顔を眺め、
震えながら最初の口づけをした。

するとその口づけはたちまち
身を焦がす炎のように
ぼくの全身に伝わった。
ぼくの唇から不滅の
情熱を注いだ人よ、
ぼくに涼風をおくってほしい!

年配の私でも、暫し青春時代を思い起こしてしまう歌(詩)ですね。私も忘れません。その唇の喜びと、熱い胸を。涼風に当たると気持ちが良かったことを…

演奏
バリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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私の歳時記 早春最後の日、今日はオーケストラの日 2020.03.31

今日は3月31日、3月の最終日です。気象的には早春の最後の日で、明日からは仲春になります。旧暦では月の名称がズレまして、今は弥生になったばかりで晩春ですね。春も酣(たけなわ、真っ盛り、盛り過ぎ)となるのですね。ところで、今年の旧暦は閏卯月(うるううづき)があるので、初夏が長いのです。入梅後まで、初夏が続きます。暦を作る上での調整期間です。

今日はオーケストラの日で、日本オーケストラ連盟が制定した記念日です。3月31日は、みみ1番、耳が良いとこじつけが出来ますので、この日になったそうです。まあ、クラシック音楽好きの私には、忘れてならない?日ではありますね。

オーケストラは、多くの楽器が使われています。それが本格的に成立したのは、バッハ・ヘンデルの後のハイドン・モーツァルトの時代です。オペラやシンフォニーが多く作られるようになり、それまで弦楽合奏だけであったものに、フルートやホルンが加わり、管弦楽の曲が作られるようになりました。

基本的な編成のパターンがあり、管楽器と弦楽器の比率が決められています。各管楽器1人に対して弦楽五部が第1バイオリン8人、第2バイオリン6人、ビオラ4人、チェロ3人、コントラバス2人が1管編成と言われます。普通使われているのは、2管編成(ベートーヴェン、ブラームス)で、各管楽器が2人ずつ、弦楽五部が、10人・8人・6人・4人・4人となり、3管編成(ワーグナー・ブルックナー・マーラー)では、各管楽器が3人、弦楽五部が14・12・10・8・6人となっています。

クラシック音楽も略称があるそうで、「第九」が有名ですが、ブラームスの第1交響曲は「ブラ1」、悲劇的序曲は「ひげじょ」、マーラーの第1交響曲「巨人」は「ジャイアンツ」、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は「マジンガー」だそうです。

参考:ウェブサイト・今日は何の日?毎日が記念日カレンダー
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2020年03月30日

終曲 九州旅行、取り止め😢 2020.03.30

志村けんさんの死は余りにもショックでした。それでもその志村さんが亡くなる前の昨日の午後早めに、5泊の各旅館に電話を入れ、宿泊キャンセルをしました。「残念ですが、新型コロナ肺炎蔓延のため、旅行を取り止めにします。落ち着いたら電話します。必ず訪ねます。その時はよろしくお願いします」。「はい、何時か必ず来てください。お待ちしています」。悲しいやり取りでした。
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間奏曲 麒麟がくる第11話 光秀、尾張・駿河の和議に奔走する 2020.03.29

三河にある織田の城・安祥城を巡る戦いで、今川が織田に勝利をし、竹千代(家康)の人質交換がなされました。それに乗じて今川軍の尾張進攻が激しさを増し、織田信秀(信長の父)が美濃の斎藤道三に援軍を要請します。しかし、それに応えることが出来ず、道三は光秀を使わして、光秀は信長の那古屋城へ入ります。光秀は、帰蝶のいる前で、信長と談判し、征夷大将軍の足利義輝に願い出て、和睦の裁定を賜る算段を決めました。

光秀のいる前で、信長は帰蝶に膝枕をさせます。帰蝶は優しく受け入れて、信長に微笑みます。信長は愛おしそうに、帰蝶の頬に手をやります。光秀の前で、イチャイチャしているのです。取りあえず、この縁組は、二人の間では成功しているように観えました。それでも帰蝶の身の安全を心配する光秀は、妙案を絞り出し、朽木(くつき、滋賀県高島市)に逃れていた将軍・義輝と面会し、義輝は快く、和議を進めてくれると約束してくれました。現代で言えば、仕事人間の中間管理職と想える明智光秀、ここから徐々にその優れた才能を発揮し、天下人に近づいて行くのです。

光秀の心に打たれた将軍・義輝は、涙を溜めつつ、「麒麟がくる平和な世は来ぬのう…」と述懐するのです。向井理演じる将軍義輝、凛々しくも美しい姿で、出色でした。


posted by 三上和伸 at 21:46| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 恐る恐るの確定申告 2020.03.30

今日の午前中、税務署へ行って来ました。妻がネットで申告をしたのですが、初めての事で、終了を知らせる合図が不確かであったため、その確認のために行きました。コロナウィルスがウヨウヨの税務署などに行きたくなく、ネットで済まそうとしたのですが、電脳ネット機器に不慣れな夫婦、申告完了の証を求めて、行きたくない税務署に足を傾けて仕舞いました。

コロナウィルス蔓延の今時に大集会の場所、沢山の人でごった返す申告税務署、マスクに手袋で、ガチガチの防衛装備で臨みました。何とか済ますことが出来、ホッと一息し、帰って来ました。我らの2019年度が終わりました。今日が我らの大晦日で、明日が新年です。
posted by 三上和伸 at 16:38| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 恐怖、志村けん死去 2020.03.30

ある程度の死者も出ていたのですが、何処か他人事のように感じていたコロナ肺炎、しかし、到頭恐ろしい事が起こりました。日本国民の誰もが身近に感じていた喜劇王の志村けんさんが、コロナウィールス肺炎で亡くなられたそうです。独り暮らしが肺炎早期発覚を遅らせたようです。でも、志村さんは我々日本人に警鐘を鳴らしてくれました。気を付けないと、「オレみたいになるよ!」。志村さんの無念を思って、常に自分の体と自問自答致しましょう。
posted by 三上和伸 at 16:10| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月29日

終曲 美しい女優・小田茜、好いですね 2020.03.29 

昼間、信濃のコロンボと言うサスペンスを観ていたら、美しい女優が出ていました。直ぐスマホで検索しましたら、小田茜と知り得ました。現在41歳、結婚して休業中との事、スレンダーな体、端麗な容貌、キツイ演技でしたが、直ぐ好きになりました。

公表サイズが、身長:164cm、体重:52kg、B83-W60-H86、Dカップ、股下:72cm、身長比:44.5%、BMI(体重〈52〉÷身長〈1.64〉の二乗):19.3(標準22より僅かに低いナイスバディ―)
posted by 三上和伸 at 23:23| 終曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラームスの名曲22 ファンタジア 第1曲ニ短調 OP116-1

ラテンシリーズを含む10年間(1876年〜1886年)は、ブラームスの創作の黄金時代と言えましょう。4曲の交響曲とヴァイオリンとピアノのコンチェルト及び二重協奏曲(ヴァイオリンとチェロの二重奏コンチェルト)を書き、古今東西の大作曲家の列の一等席に君臨した時代でした。しかし、長年の勢力集中の所為で、元気印のブラームスも健康上の憂いが出て来ました。もう交響曲もコンチェルトも書く体力と気力が失せていたのでした(第5交響曲断念)。遺書(1890年)まで認めたのですよ。残すはクラリネット室内楽と歌曲とオルガン曲、そして20曲のピアノの小品集です。それでも気力減退となったとしても、スケールの大きな作曲家は違います。ピアノ小品だけでも20曲(一夏で)ですよ。しかも全てが個性的で、まるで違う顔をした曲たちです。まあ、ブラームスは、やはり並いる作曲家とは桁違い、途轍もない創作力を持っていました。

晩年のピアノ小品は1892年に、20曲(OP116.117.118.119)全てが書かれています。ショックだった大曲の創作力の減退、それでもクラリネットの巨匠のリヒャルト・ミュールフェルトとの出会いで、4曲のクラリネット室内楽をものにし、復活しました。更に、ロマン溢れる心情は沸々と沸き上がり、詩の不足で歌曲を諦め、自家薬籠中(じかやくろうちゅう、思うままに使いこなせるもの)のピアノの小品に熱中しました。こうして世にも稀な墨絵風モノトーンのピアノ作品が生まれたのでした。この燻し銀のピアノ音楽こそが、私の愛する宝石たちです。

ファンタジアOP116の第1曲は、ピアノ小品シリーズの第1曲目です。さあ、追憶と懐古の始まりです。あの全盛のラテンシリーズとは180°の反転です。レモンの花咲くイタリア・ギリシャから遠ざかり、ブラームスはひたすら生まれ故郷の北ドイツ(低地ドイツ)を目指します。この第1曲の二短調で、厳しくも、その原点回帰の幕が切って落とされたのです。ここからは雪と氷の世界、私達は、霧に咽ぶ低地ドイツに連れ去られるのです。それでも晴れた宵は星が瞬きます。それは北極星かカシオペアか、それとも北斗七星か、五月の宵には薔薇の香りと満月が…、低地ドイツも美しい故郷です。

ピアノ
*エレーヌ・グリモー
*ウィルヘルム・ケンプ
*ヴァレリー・アファナシェフ
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ブラームスの名曲21 歌曲「別れ」「セレナード」 OP14-5、14-7 2020.03.29

1858年(25歳)は、ブラームスの創作意欲が隆盛を極めており、第1ピアノコンチェルトOP15を始め、管弦楽用の「セレナード」2曲(OP11と16)などを上梓しています。それにアガーテ・フォン・ジィ−ボルトから霊感を受けた13曲の歌曲(OP14と19)と3曲の二重唱曲(OP20)を作曲しています。ここではもう一度、OP14から1曲ずつの女歌・男歌の歌曲を選んで述べてみます。

「別れ」 伝承の詩 OP14-5
目を覚ませ、目を覚ませ、若者よ!
きみはこんなに長い間眠っていた、
外では鳥たちが明るい声でうたい、
御者(馬車の曳き手)は通りでさわいでいる。

目を覚ませ、目を覚ませ、番人は
かん高い声で呼び始めている、
恋人同士がいっしょにいる時、
ふたりは賢くなければならない。

若者はつい寝坊してしまった、
こんなに長く快く寝ていたから、
しかし娘は賢かったので、
若者に口づけをして目を覚まさせる。

別れ、別れはつらいものだ、
死神と同じように無情で、
死神は多くの元気な娘と
多くのやさしい若者を分け隔てる。

若者は自分の馬にとび乗って、
その場から速歩で急ぎ去って。
娘は長い間その後を見送った、
深い悲しみが娘を包んでいた。

テンポの速い、忙しないソプラノの歌です。走る馬の蹄の音を模した伴奏に、高いソプラノの女の声が追い掛けます。愚かな若者と賢い娘の恋、上手く行かなかったようです。ソプラノ・アガーテの、小気味良い声の特徴を最大限生かした曲調です。

「セレナード」 伝承の詩 OP14-7
おやすみ、おやすみ、いとしいひとよ、
ぐっすりおやすみ、ぼくの恋人!
天国にいる天使たちがみんな
きみを護ってくださるように!
おやすみ、おやすみ、いとしいひとよ、
ぐっすりおやすみ、おだやかな夜に!

ぐっすりおやすみ、そして今夜
ぼくの夢をみてくださいね!
ぼくもその時眠っていたら、
ぼくの心がきみを見守っいることを、
またあの頃ぼくの心が愛に燃えて
きみのことを思っていたことも。

木立では小夜鳥がうたっている、
月の光に照らせれながら。
月の光はきみの窓からさして、
きみの愛らしい部屋を覗きこみ、
まどろんでいるきみの姿を眺める。
だが、ぼくはひとり立ち去らねばならない!

セレナードと言えばシューベルトを思い起こさせます。天才的メロディーを持つ名曲ですが、ブラームスにも「セレナード」の名を持つ曲が数曲あります。このセレナードは極めて明るい作品で、長閑な恋の歌です。残念ながら、ブラームスにはシューベルトの旋律美はありませんが、その人間的ないじらしい歌は微笑ましいものがあります。少々気弱な性格の男、愛しい人の寝室の窓辺までは行きますが、行動(夜這い?)を起こせません。すごすごと引き下がって仕舞います。庶民のお伽噺です。

*小夜鳥=ナイチンゲール

演奏
@ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
Aバリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

訳詩:志田麓さん
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前奏曲 春の雪 2020.03.29

染井吉野に雪     山桜に雪
昨日の夜中から降っていた雨が、今日の早朝から雪に変わったようです。私は未明の”生さだ”を観て寝たので今朝は朝寝坊、9時過ぎに起きました。外は風が強いのに静か、直ぐピンと来ました。ガラス越しにも外が白くぼやけています。開けました、やはり雪でした。データを観ると、降水量は5mm前後が続いていましたが、積雪深がありません。恐らく気温が2℃位に落ちた7時過ぎから雪となったと想われます。我が横浜西部は、積雪深:2〜3mm位はありますね。

春の雪、弥生の⛄、今日はお休みですからね。好い眺めです。
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2020年03月28日

ブラームスの名曲20 歌曲「あるソネット」 13世紀民謡 OP14-4

この曲は男歌です。この詩に、ブラームスのアガーテに寄せる思いを代弁させています。ソネットとはヨーロッパに於ける十四行詩の事ですが、これは十二行ですね。長閑な曲で、恋の病を嘆いているようですが、反対に喜んでもいるようです。

「あるソネット」13世紀民謡 OP14-4
ああ、あの女(ひと)のことが忘れられたら、
あの美しく、愛らしく、なつかしい物腰、
あの眼差しと、やさしい唇が忘れられたら、
あるいは恋の病が癒えるだろうか!

だけど、ああ、わがこころの病は決して治らない!
しかもあのひとを求めることは狂気の沙汰だ!
あのひとに思いをかけると、決して離れまいという
勇気と生気が湧いてくるのだ。

いったい、どうしてあのひとが忘れられようか、
美しく、愛らしく、なつかしい物腰が、
あの眼差しと、あのやさしい唇が!
恋の病が決して治らない方がずっといいな!  訳詩:志田麓

まあ、単純な恋の歌ですが、アガーテを口説くには、適切な歌だったのでしょう。事実、二人は婚約指輪さえも交わしたのですからね。でも、ブラームスは煮え切らない男でしたね。大望を抱く男には、女は振り回されるもの。ここが人生の岐れ道だったのですね。ブラームスはアガーテと別れて、大作曲家への道を邁進します。

演奏
バリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ


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新とっておきの花・春A 淡紫の慎み・タチツボスミレ 2020.03.28

タチツボスミレ
桜が華やいでいるその下の地には何やら静かな花が咲いています。小さな小さな淡紫の花、桜に隠れるように、慎み深く咲いています。私は桜の頃、実は宙の桜よりも地の菫を探しています。見付けると、旧知の幼馴染みに会ったような温かい心が生まれます。淑やかな田舎娘を愛します。
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新とっておきの花・春@ 青の誘惑・忘れな草 2020.03.28

忘れな草
青と言っても空色ですかね。美しい色です。一般に園芸植物は群飾するのが当たり前ですが、私は好きになれません。柴桜などは仕方ありませんが、絵の具を流したかのような群植の花作りは如何なものか?

こうやって、スッキリと花の形を魅せるのも好いものです。折角一輪で、整った形をしているのですから、個性を強調してやるのが良いのです。没個性は、貧弱な庭造りです。
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前奏曲 未明、南南西の風強し、暴風雨、三孫と楽しい朝飯 2020.03.28

ベランダの水滴 落ち花弁
ベランダの水滴    道の落ち花弁
風は南南西で暴風、未明には雨も降り、ご覧のような風景となりました。桜ももう終わり、今年の桜は、変則的な咲き振り、開花が早かった割には咲き進むのが遅く、今や、未だ蕾を残している内から散り出しています。寒さに当たり、満を持しての咲き出しでは無かったので、不完全な未熟な咲き振りでした。これも地球温暖化の暖冬の所為でしょう。桜も暖冬には付いて行けていません。

たった今、三孫と一緒に朝飯を済ませたところです。和気藹藹、皆、本当に打ち解け合っており、美しい笑顔と、本音のお喋りが出来ています。大人数で食事が出来る楽しさを満喫しています。ジイジ、幸せです。
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2020年03月27日

前奏曲 三孫来店中 2020.03.27

染井吉野 柴桜 ハナニラ
染井吉野       芝桜         ハナニラ
昨日からNちゃんYちゃんRくんが来ています。Kさんママの一寸した幼児に託けて(かこつけて)三孫はやって来ました。昨日はお昼前に、近所の桜を眺めに花見と洒落ました。公園を巡り、ブランコ、鉄棒、滑り台を楽しんでいました。花はもっぱら大人たちの楽しみ、老若男女揃って、大いに楽しみました。

三孫はババチャンが作ったブドウパンを食べ、NちゃんYちゃんはナッチャンから、我が家のピアノでレッスンを受けました。1時間ずつ合わせて2時間、長時間でしたが、飽きる事無く、上々のレッスンが出来たようです。最近のNちゃんは7歳を過ぎました。どうやらひと山越えたようで、ピアノ演奏も上手になって来ました。8月には発表会も行われるようで、ジイジは楽しみにしています。コロナウィールス、収まると好いですね。

posted by 三上和伸 at 20:23| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月26日

ブラームスの名曲19 歌曲「傷ついた少年」 民謡 OP14-2 2020.03.26

愈々、アガーテ・フォン・ジーボルトの登場です。最初期(1853年)の3つの歌曲集の次の作品、OP14が生まれました。1858年、ゲッチンゲンで出会ったアガーテは、素人でしたが素晴らしいソプラノの美声を持つ娘でした。ブラームスを含めた仲間の集いで、美しい歌声を披露していました。ブラームスは心惹かれ、アガーテのために歌曲を書き、二人は婚約指輪まで交わしたのでした。このゲッチンゲンでは、多くの歌曲が作曲されます。OP14(8曲)、OP19(5曲)、Op20(二重唱曲・3曲)で、その殆どに、アガーテへの想いが投影されています。男歌、女歌があり、男歌はブラームスの感情が、女歌にはアガーテの心情が示されていると想われます。

傷ついた少年 民謡
娘がひとり朝早く起きて、
緑の森に散歩に行こうとした。
さて娘が緑の森に来た時、
そこに傷ついた少年を見つけた。

血で真っ赤になっていた少年は、
娘がその方に向いたら、もう息絶えていた。
わたしのいとしい人の墓のほとりで
追悼する淑女ふたりをどこで頼もうかしら。

いとしい人をお墓まで運んでゆく
六人の騎手をどこで頼もうかしら。
わたしはいつまで喪に服すのかしら、
河がみんなあふれるまでかしら。

もし河がみんなあふれないなら、
わたしの喪は終わらないのでしょうね。  訳詩:志田麓

ソプラノで歌われる短い歌曲、少年の死を悼む詩は不思議な雰囲気を醸し出しています。愛しい少年の死を目前にして、娘は軽いパニックを起こしているようです。埋葬や葬儀の事が頭を巡らしているようです。美しいメロディー、アガーテはきっと天使の美声で、歌った事でしょう。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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前奏曲 やはりコロナはヤバいもの 2020.03.26

世界各国で色々言われていますが、やはりコロナはヤバいもの、封鎖も辞さない世界の国々に比べたら、比較的自由に振る舞っている日本は危ないかも知れません。自宅待機もないし、イベントも行われています。人間の移動を極力抑える事が重要です。うつらない事、うつさない事、個人が出来る最良の方法です。体温を測りましよう、毎日…。 ショックですが、九州旅行は止めにします。
posted by 三上和伸 at 08:17| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月25日

終曲 志村けん、衝撃のコロナ感染 2020.03.25  

衝撃のニュースでしたね。喜劇王・志村けんがコロナウィールス感染ですと! お馴染みの芸能人にも感染者が出ました。志村は先程、テレビに出ていました。勿論VTRですけど、今入院中なのに、テレビ局、良く放送しましたね。何かイヤですね。知っている人が重症患者になるなんて、ヒタヒタと感染の恐怖が浸透して来ています。

私たちの九州旅行もどうなるのでしょうか? 思案投げ首と言った状態です。予約飛行機のキャンセル料が掛かりますしね。非常に行きたいのですが、この騒動中、不謹慎ですかね?
posted by 三上和伸 at 22:31| 終曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 光秀の妻、熙子について 2020.,03.25

未だ、登場したばかりですが、この戦国の良妻賢母の熙子を少し検索して観ました。明智氏とは親戚筋の家柄の妻木範熈の長女とされています。光秀との間に、三男四女をもうけたそうで、その子女たちは、光秀謀反からは、皆、辛酸を舐めたそうです。最も有名なのが細川ガラシャで、夫から疎遠され、キリスト教を信じ、悲劇的な最期を遂げています。

熙子の煕を漢和辞典で調べてみると、その字義は、かわく。光り輝く。ひろい。おこす。やわらぐ。たのしむ。よろこぶ。だそうです。この熙子を女優の木村文乃(ふみの)が演じています。喜びに満ち、光り輝き、柔ぎのある女・熙子を演じています。はまり役と期待しています。
posted by 三上和伸 at 10:13| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月24日

間奏曲 麒麟がくる第10話 光秀・信長・家康・帰蝶、一堂に会す 2020.03.24

史実に沿ったフィクションの麒麟がくる、それでも信長の那古野城(なごやじょう・名古屋城の前身)に光秀・信長・家康・帰蝶が一堂に会した図は凄いものがありました。戦国の世からほぼ統一を成した信長、その妻の帰蝶、三日天下でしたが、天下人になる寸前まで行った光秀、そして安泰の世を作った真の天下人家康、戦国の英傑が集まっていました。

光秀と信長の鉄砲談義、光秀と帰蝶の想いと目線の綾、幼い家康の今川義元を憎む恐ろしい言動、見応えがありました。信長・家康の同盟の下地がここに垣間見えました。

京に戻った駒の光秀への未練がましい可愛い姿、そして戦災孤児から身を救ってくれた桔梗紋の明智の武士の存在、駒は明智との縁を思い知らされて、ただ涙するのでした。そして深い明智との縁に、希望か絶望か判らないですが、駒は、得体の知れない不思議なときめきを覚えるのでした。

視聴率が上昇し始めているそうです。道三や信秀から離れた、信長や光秀の妻となる熙子を始め、新しい人物の登場に、期待が膨らんでいます。

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新とっておきの花 三溪園のフキノトウ・シャガ・ヤブコウジ・カラスノエンドウ 2020.03.20

フキノトウ(蕗の薹) シャガ(射干)

ヤブコウジ(藪柑子) カラスノエンドウ(烏の豌豆)
ヤブコウジ(藪柑子) カラスノエンドウ(烏の豌豆)

桜にばかりに注目が集まって仕舞いますが、地には色取り取りの花と実があります。それらの脇役を探すのも私の喜び、それぞれが自己を主張して、咲いて稔っています。自然は多くの喜びで満ちています。

@フキノトウ
蕗の花芽・花茎を蕗の薹と言います。薹を漢和辞典で調べてみると、野菜の花茎と出ています。写真のものは花茎・薹が立って仕舞っていますので、正に読んで字の如しの蕗の薹になっています。でもこれでは美味しく食べられませんね。出たばかりの葉に包まれた塊りが美味しいのですね。

Aシャガ
アヤメ科の常緑多年草、射干の語源は、漢方の射干(やかん)からきたもの。根茎を乾燥したものを、射干(やかん)と呼んだことに依ります。解毒作用があるそうです。

Bヤブコウジ(未熟な小さな実を付けています)
昔の貨幣に擬え、十両と呼ばれます。小さな実がなるからで、この実の数に依って各植物にランキングを付け、呼び習わしています。十両・ヤブコウジ、百両・カラタチバナ、千両・センリョウ、万両・マンリョウと続きます。

Cカラスノエンドウ
昔はヨーロッパなどで、食用にされていたそうです。それでもエンドウ豆などが作られっるようになって、見向きもされなくなり、徒の雑草と相成りました。
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間奏曲 青空、されど北風強し、花冷え 2020.03.24

黄海・日本海のダブルの高気圧、一方、太平洋には四つ子の低気圧、西高東低、寒気の風が殴り込んでいます。寒いです。正に、これが花冷え、もう花見どころではありませんね。桑原桑原、お家で炬燵?で、丸くなりましょう。
posted by 三上和伸 at 17:13| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 旧暦弥生の朔 2020.03.24

我が家裏庭の山桜 DSCF4880.JPG
裏山の山桜      我が標本木の染井吉野
さくら さくら
やよいのそらは
みわたすかぎり 
かすみか くもか
においぞいずる
いざや いざや
みにゆかん

今日から弥生の世界に入ります。春本番です。

現在私は、桜に囲まれて生きています。
posted by 三上和伸 at 08:29| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月23日

新生き物大好き 三溪園のカワセミ(川蝉・翡翠) 2020.03.20

沼にカワセミ(川蝉・翡翠)
クリックしてください、中央部にカワセミが…
三溪園は花ばかりではありません。大池を始め水場が多いので、水鳥も多く棲みついています。この日はツイていまして、睡蓮沼にカワセミが飛来しました。青い飛翔体がヒラヒラトと睡蓮沼の木立の枝先に…。私は見失いましたが、隣りのオジサンが、指差しして教えてくれました。感動しました。青い宝石・川蝉、自然は美しいものです。



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新とっておきの花 三溪園のカジイチゴ・アオキ・キブシ・ユキヤナギ 2020.03.20

注意力散漫の方には、見付け難い花達ですね。されど、植物愛好が少しでもあれば、地味ながら、個性際立つ風情に、心惹かれますでしょう。私も少し植物愛好がありますので、遂見入って仕舞い、写真を撮って仕舞います。思考力があるとは思えない花達ですが、それぞれがそれなりの美しさを持ち合わせます。ダーウィンの進化論、適応したものが生き残る、この花達の姿形が、生存のヒントになりそうです。

カジイチゴ(梶苺) 青木の花 キブシ(木五倍子)
カジイチゴ(梶苺)  アオキ(青木)    キブシ(木五倍子)

ユキヤナギ(雪柳)

@カジイチゴ
観音崎にも群落がありまして、海岸に群生するようです。そう、ここ本牧も、昔は海岸でした。実は美味しいのですよ。栽培もされています。

Aアオキ(雄花)
アオキは雌雄異株で、雌株と雄株があります。写真は雄株で、花色や形は雌雄同じですが、雄花には葯(花粉が出るところ)があります。クリックして良くご覧ください。

Bキブシ
色は地味ですが、小花を穂状に垂らす姿が何とも言えない風情を醸します。愛らしく、好いですね。大好きです。

Cユキヤナギ
睡蓮池の縁に咲いていました。水面に映り、白装束が美しかったです。
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前奏曲 今日は如月の晦・標本木・満開 2020.03.23

我が標本木・満開
今日は如月の晦、旧暦2月の晦日です。明日からは弥生です。我が庭の染井吉野の標本木も満開を迎えました。見事な咲きっぷりを示しています。但し、残念ながら空の色はグレー、青空に映える満開の桜は、明日以降となりますね。週末は雨らしい…、ここらあたりが散り始めですかね。

オリンピック・パラリンピックも暗雲が立ち始めましたね。折角ここまで準備をしてきたあらゆるオリンピックの関係者、お気の毒です。

posted by 三上和伸 at 08:27| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月22日

終曲 サンデーモーニング・唐橋ユミ、五輪延期を問う 2020.03.22

サンデーモーニングのスポーツキャスター・唐橋ユミさんが、自身のツイッターで、五輪の延期を提案していたそうです。被災地・福島出身の唐橋には五輪は大切なイベント、それでも最早復興五輪の大義が無くなりつつあるコロナ五輪、苦しい決断になるでしょうが、ここは一つ、今夏の開催を中止して、来年に夢を架けましょう。
posted by 三上和伸 at 23:17| 終曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新とっておきの花 コブシ(辛夷) 2020.03.20

コブシ(辛夷)
白樺 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国のあゝ北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな帰ろかな

1977年(昭和52年)4月5日発売の北国の春、私が27歳の時のヒット曲です。そこら中で流れていた、この詩、この曲、植物に興味が無かった私でしたが、初めて辛夷と言う花を意識させてくれました。白木蓮より小振りですが、芳香もあり、モクレン科の落葉高木です。

posted by 三上和伸 at 20:19| 新・とっておきの花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新とっておきの花 アセビ(馬酔木) 2020.03.20

山地に自生する常緑低木です。庭に植えられている株は園芸花されているので、本来は白ですが、紅花もあります。有毒で、食べると馬が酔うとされ、馬酔い木(まよいぎ)と書かれますが、牛馬は決してこの葉を食べません。牛馬は山菜のワラビすら食べません。桜と同時期に咲くために、花見には大抵見掛ける花ですね。

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新とっておきの花 桜三種 2020.03.20

山桜         染井吉野       大島桜
三溪園の至る所に、ピンクや白の桜が咲いていました。新品種の桜は見分けが付きませんが、古来よりある桜には目利きがあるので、紹介します。

今が盛りの、自生種の山桜、自生ではありませんが、天然種の大島桜、園芸種の染井吉野、この三種の桜が目立っていました。山桜や大島桜はほぼ満開、染井吉野は咲き出して間の無い三分咲き位ですかね。それぞれの美しさで、咲き競っていました。

*山桜
関東以南の山地に自生する野生の桜。サクランボが出来て、主に、このサクランボのタネから実生して育ちます。野には接ぎ木や挿し木、取り木などの人口繁殖株はありません。花色や葉色に、紅の濃淡があり、山では白い株、薄紅の株などが混在しており、美しい春色のグラデーションが観られます。花と同時に葉も広げます。

*染井吉野
東京の染井村で作られた人工繁殖の桜、全てがクローンなので、色の変化が無く、花期が統一されて咲きます。群植されても、同じ色で同じ時間(時期)に揃って咲きます。美しい桜の傑作で、桜と言えば、この花を指します。

*大島桜
染井吉野の片親で、園芸種の親の役目を担う事が多い桜です。伊豆七島に多く観られ、葉は黄緑、花は大輪の白、ほぼ同時に出ます。江戸彼岸桜同様に長命であり、最も立派に咲きます。 
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新横浜漫歩 三溪園・旧天瑞寺寿塔覆堂と苔庭 2020.03.20

旧天瑞寺寿塔覆堂 旧天瑞寺寿塔覆堂の苔庭
豊臣秀吉が母親のために建てた建物です。生前に長寿を願い建てるお墓を寿塔と言うそうで、その墓・石塔を覆うために建てられた覆堂です。中の石塔は未だに、京都大徳寺にあるそうです。

覆堂の周囲の庭は良く整備されている苔庭です。日本は湿気が多い国土をしています。苔が良く生えるのですね。それを美しく庭に侍らす、日本文化、好いですね。

posted by 三上和伸 at 15:07| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 三溪園の建物A 涵花亭(かんかてい)と亭榭(ていしゃ)

涵花亭(潤い花の東屋の意)亭榭(中央の東屋)
庭園に付き物なのが東屋です。これは洋の東西を見渡しても、必ず存在しています。三溪園にも二つの東屋があります。一つは大池の中の出島の上に涵花亭が、もう一つは、大名の奥座敷であった臨春閣からの小路の橋の上に立つ亭榭です。どちらの名にもある亭は東屋の意味、榭は屋根付きの台の意味があるそうです。春秋の陽気には、ここで寛ぎたいですね。野草を眺め、小鳥の歌を聴きながら、贅沢な時間が過ぎ行きます。
posted by 三上和伸 at 14:38| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 三溪園の建物@ 旧燈明寺三重塔 2020.03.20

室町時代・康正(こうしょう)3年(1457年)に建立された三重塔、国の重要文化財です。始めは京都・木津川市の燈明寺に建造されたものですが、燈明寺が廃寺となり、1914年に、三溪園に移築されたのでした。三溪園の小高い丘の上に移され、園内の至る所からでも眺められる場所として、この丘の地に、安置されたそうです。三溪園で最も古い建物で、三溪園の象徴です。大池の池越しからの眺めが最良です。
posted by 三上和伸 at 14:05| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 夕方まで☀☁、夜が☂ 2020.03.22

2020.03.22 高層雲を透過した朝日
上空の高層雲を透過した太陽、薄日が射しています。今日はお彼岸の六日目、明日が明けとなります。今日の天気は下り坂、夜には降水確率50%で、雨が降る予報が出ています。彼岸明けの明日は朝に雨で、その後の降水確率は低くなります。今日は22℃、明日が16℃、明日・明後日・明々後日は低めの気温となります。薄着はしない方が良いでしょう。春のお彼岸の最後の陽気、楽しみましょう!
posted by 三上和伸 at 07:53| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月21日

新食べ歩き にぎり一丁の寿司 2020.03.21

横須賀のお墓参りでは、ここ”にぎり一丁”で昼飯とする事が多いのです。ここは回転寿司ですが、ネタが良いので評判です。特に白身が素晴らしく、私は白身の魚の妙味をこの店で、実感したのでした。今日食べた寿司ネタをランキング形式で、旨さを評価したいと思います。

ホンマグロアカミ(本鮪赤身)
@ホンマグロの赤身
舌触り、コク、旨味、香り、そして赤身ゆえの爽やかさ、本マグロの赤身には、他の魚に無い、完全無欠の味わいがあります。

キンメダイ(金目鯛)
Aキンメダイ
本マグロ程ではありませんが、舌触り、コク、旨味、香り、爽やかさがあり、その上で、身がピンクに染まり、色も楽しめます。

ヒラメエンガワ(平目の縁側)
Bヒラメの縁側
決めの細かい歯触り・歯応えがあり、烏賊や貝などより歯切れ良く爽やか、歯が喜ぶアルデンテの楽しみがあります。

キビナゴ(黍魚子)
Cキビナゴ(黍魚子)
ニシン科の小魚、青と白、色が美しいですね。鰯とは違って爽やかな食味、南国鹿児島産だそうです。航空便で来るらしい、流通革命で、関東でも食べられるのですね。好きですね〜

イカゲソ(烏賊げそ)
Dイカゲソ
烏賊ですので、縁側より粘りがあり、食味は落ちます。でも味は濃いのですね。ネットリ、コリコリ、ジワッと旨味が…。
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私の歳時記 山桜咲く横横道路、我が菩提寺へ 2020.03.21

境内の山桜
横須賀の浦賀町にある我が菩提寺、浦賀の渡しや東叶神社が近くにあり、ペリーや浦賀奉行所、咸臨丸などに関わりを持った歴史ある町の寺です。この辺りは、開発からは取り残されており、海・山・人家のそこかしこに、幕末の風情を残しています。

ここに至る道すがら、朝比奈から三浦半島に抜ける横横道路には、所々に山桜が咲いており、正に春色の中を走り抜けました。待ちに待った季節が到来しました。寺の境内にも、本堂の甍の先には山桜が咲いており、今年の春のお彼岸は、山桜の中にありました。
posted by 三上和伸 at 19:59| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 彼岸5日目、今日は横須賀のお墓へ 2020.03.21

庭の染井吉野
三分咲き程度ですかね。それでも連日の春の陽気で、一気に開花は進み、来週には見頃を迎えるでしょう。コロナVの所為で、気分だけ慌ただしく、湿りがちな世の中ですが、攻めて心開いて、桜を愛でる事に致しましょう。桜は優しく、我らを迎えてくれます。孤独に楽しむ🌸、否、決して孤独ではありません。酒宴で盛り上がる花見こそ、独り善がりな花見ではありませんかね? 桜を出しにして酒を呑む?…では無く、もっと穏やかに…、静心を持って…、花と和んで...、桜を眺めましょう。一寸一口の試し酒くらいならば好いですがね。

昨日は突発的に、Yくん夫妻の前撮り撮影会に行って来ましたが、今日は一日後送りされた、我が三上家の菩提寺に参ります。父と私の姉弟が入っているお墓に、手を合わせて来ます。きっと、私を待っている事でしょう。
posted by 三上和伸 at 08:58| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月20日

新横浜漫歩 Yくん・K子さん、三溪園式前撮り撮影会 2020.03.20

甥のYくんとお嫁さんのK子さんが結婚式前に、思い出の写真撮影をするそうで、私達もお邪魔虫ながら、見学会を行いました。場所は横浜三溪園で、紋付羽織袴のYくんと打掛けのK子さん、様々の風物を背景に、仲良く熱々で、カメラマンの撮影に応えていました。40歳前のYくんに、30数歳K子さん、まあ、十代の若者の如くにメロメロ、観ている私も幸せになりました。

本牧三之谷・マンダリンブラフ 楓の新緑
ペリー言「マンダリンブラフ」 楓の新緑
三溪園の清々しい景色、春分の日の素晴らしい天気、正に天地が揃って祝福しているようでした。

DSCF4817.JPG 池と三重塔 染井吉野
東屋         池と三重塔      染井吉野 
こんな美し背景の中で、幸せ一杯の、最高の写真が撮れました。
posted by 三上和伸 at 23:00| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 今日は春分の日、彼岸への最短日 2020.03.20

2020.03.20 春分の日の染井吉野
今日は春分の日で彼岸の中日。太陽は真東から出て、真西に沈む日で、一年に二度ある目出度い稀な日です。極楽浄土がある西をハッキリ見定められる日です。故に彼岸なのです。彼岸とはあの世の究極の悟りの世界、涅槃とも言われます。彼岸の極楽浄土に住めるよう、努力を致しましょう。

今年の彼岸の中日、即ち春分の日の日時は、2020.03.20の12:50です。あと2時間半一寸で、彼岸の春分点を超えます。越えれば北半球は昼の長さが夜を勝るようになります。これから夏至まで、気候的にも、一番の隆盛期に入ります。
posted by 三上和伸 at 10:14| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 我が庭の標本木・染井吉野、咲き進む、本当の春 2020.03.20

我が庭の標本木・染井吉野
一昨日(3月18日)開花宣言をした横浜、グングンと咲き進んで、今朝はこんな具合になりました。美しいですね、季節に沿って咲く花。四季咲きにされた花が気の毒に思えるこの一期咲きの有り難さ見事さ、一年振りの染井吉野に会い見えました。

春ですね。小鳥が頻りに鳴いています。ウグイス、メジロ、シジュウカラ、声の美しい小鳥が鳴き競っています。桜に鶯・目白・四十雀、漸く、我が団地にも、本当の春がきました。
posted by 三上和伸 at 07:35| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

今日の出来事 千葉・野田少女虐待殺し、懲役16年 2020.03.19

今日、千葉野田の少女虐待殺しの裁判が結審し、父親に懲役16年の判決が出ました。私が返す返す残念に思う事は、少女の母親がこの父親を殺害できなかった事です。この父親、ここまで来たら、殺すしかないと、母親は思っていた筈です。少女を守り、明るい未来を約束するには、仮令、犯罪者になったとしても、この父親を殺すしか方法はなかったのです。心愛ちゃんを守れなくて本当に残念でした。ご冥福を祈ります。
posted by 三上和伸 at 22:25| 今日の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 山桜咲く 2020.03.19

山桜咲く、三浦半島
お彼岸の三日目、金沢八景にある義父の霊園まで、お墓参りに行きました。辺りはすっかり春めいて、種類の異なった桜が咲いていました。今年は染井吉野よりも、山桜が早く、見事な薄紅で山は彩られていました。昔はお彼岸前には咲かなかったのですが、近年は温暖化の影響もあり、年々、咲き急ぎの感があります。未だ月は如月なのですがね。
posted by 三上和伸 at 16:12| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 麒麟がくる第9話A、信長・帰蝶、光秀・熙子、相性が良いようです 202003.19

気性の激しい反面、フレンドリーな側面を持つ、信長の精神構造、第9話で、良く出ていました。男勝りの帰蝶にとっては信長は面白い相手、先ずは相性がピタリと嵌ったようです。覚悟を持って他家へ嫁いだ姫君・帰蝶、誇り高く堂々たる雰囲気を醸していました。帰蝶役の川口春奈も何やら堂々としてきて、その美しさと相俟って、帰蝶のはまり役となりつつあります。化けました。

一方の光秀は、将来の良妻賢母の熙子に夢中です。まるでお伽の国から出てきたような可憐なお姫様、女の優しさが溢れています。この熙子役には打って付けの風情を魅せる木村文乃、その顔の表情が演技の枠を超えて健気で美しい…、光秀の宝物となる熙子です。
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前奏曲 穏やかな朝、夕方から☂ 2020.03.19

2020.03.19 朝焼けの空 巻層雲の下に雨雲 巻層雲
今朝の雲
横浜の桜も開花宣言がでまして、愈々桜の季節到来ですね。まあ今年は、桜の下で茣蓙敷いて飲み会をする花見は出来なさそうですが、散歩がてらの歩き花見はできますよね。我が団地は桜の宝庫、部屋からバッチリ染井吉野の大木が観られるので、それで我慢ですかね。

穏やかな朝、ストーブも要りません。上空は巻雲が出ています。それを遮るように黒雲も出ています。二段構え(二層構え)の雲ですね。朝鮮半島付近と屋久島付近に低気圧があり、二段構えの前線が移動中で、関東も夕方から☂だそうで、お気を付けください。私は今日はお彼岸のお墓参りに行って来ます。
posted by 三上和伸 at 07:46| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月18日

間奏曲 麒麟がくる第9話 信長本性を表す 2020.03.15

駿河から三河へと戻る松平弘忠(家康の父)一行、峠道で、信長が送った刺客が弘忠を討ちます。この弘忠の首を信長が、信長・帰蝶の祝言の挨拶の折りに、親父の織田信秀に見せます。壺の中の弘忠の首を覗いた信秀は激怒し、信長の勇み足を詰り(なじり)ます。この恐ろしい殺戮、正に鬼気迫るものがありました。このドラマ、信長の異様な闘争心を見せ、将来の「本能寺の変」の伏線としているようです。こんな信長、光秀でなくても、殺さなければならない獣、この重い信長の勇み足、今後の信長・光秀の展開が楽しみです。信長役の染谷翔太、その面構えが好いですね。一種異様なサイコパスの精神構造を見事に演じていました。寒気がしました〜
posted by 三上和伸 at 22:12| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音楽の話88 ブラームスの作品、その最高傑作とは 2012.10.13

 *多くの大作曲家の中でも、その自らの作品の取り扱いに於いて、ブラームスほど変わっている作曲家はいないと想われます。それは、ブラームスが遺作を残さなかった作曲家であった事です。他の大方の大作曲家達は、自作の管理のルーズさから、作品が方々に紛れ、後の世に発見され、遺作として発表される機会が往々にしてあります。しかし徹底して作品管理を行ったブラームスの場合は、皆無に等しいと言う事です。何しろ、若い時代に恩人に献呈した未発表の楽譜でさえも、後年有無を言わさず取り返して破り捨てた人だそうで、その徹底ぶりが偲ばれます。その理由は、自尊心の強さ故の異常な自己批判にあり、自分の意に満たない作品を未来に残すのは恥と考えていたからです。全ての未発表の草稿は遺書を書くのと同時に、死ぬ前に整理して焼き捨てたのだそうです。恐らく、捨てられた作品を現存の作品に付け加え、作品ナンバーを並び変えるならば、優にOp.200(現存はOp.122)に達するだろうと想われます。故にブラームスとは、自作を完璧に管理した最初で最後?の大作曲家だったようで、依って極端に言えば、ブラームスには出来損ないの駄作はないのです。全てが傑作乃至名作及び秀作・力作・佳作と言えます。ベートーヴェンの中期が“傑作の森”と言われていますが、ブラームスにもそれが当てはまります。しかも、全期に亘ってそう言う事ができます。まあ、ベートーヴェンに比べたら、ブラームスの作品は歌曲に比重が偏り、大曲の絶対量はベートーヴェン(大量の傑作ピアノソナタがある)に劣りますから、ブラームスにそのような形容の名称は与えられなかったのです。


 *さて、最高傑作とは、傑作中の傑作を言うのですから、まずここでブラームスの傑作を30作に絞って私が選んで並べてみます。

☆器楽曲

◎交響曲・協奏曲
*交響曲・協奏曲は同時代(ロマン派)以降の他の作曲家の追随を許さぬ傑作揃いですから、全てを選びます。

1、交響曲第1番ハ短調Op68 
2、交響曲第2番ニ長調Op73
3、交響曲第3番ヘ長調Op90
4、交響曲第4番ホ短調Op98
5、ピアノ協奏曲第1番二短調Op15
6、ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op83
7、ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op77
8、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調Op102

 *ブラームスは交響曲でも協奏曲でも、長調・短調の調性の仕分けは半々にして残しました。誠、これほど整然と分けられて並んでいるところを見せられると驚きを隠せません。更に、交響曲のハ(1番)ニ(2番)ヘ(3番)ホ(4番)の並びは、そのまま大好きだったモーツァルトの「ジュピター」(交響曲第41番)の第4楽章の冒頭のテーマに重なります。恐らくブラームスは音楽の魂をそこから学び取り、それを自分の交響曲の精神の柱に据えたのです。これらを総合して鑑みれば、ブラームスの並々ならぬ自作の個性化への拘りが見え、強い管理意欲が見えてきます。一作一作を個性際立つ完璧な作品に仕上げて未来に残す、ブラームスは常にそれを念じていたと、私は確信しています。

〇ピアノ協奏曲第1番二短調Op15
 ピアノ協奏曲第1番Op15(1854〜1858年)は、若年の作で、その深い内容に比してオーケストレーション等が中期以降の充実には達していませんが、恩師・シューマンの達ての懇願で、初めシンフォニーとして着想されただけあって、空前のスケールを持った協奏曲です。しかもそこに直接シューマンの死(1856年、精神病院で)が重なっており、シューマンへの思い(第1楽章)とクララ(シューマンの妻)への愛(オフレコ?で第2楽章をクララの優しい肖像と名付けた)が激しく渦巻いており、正に音楽史の一齣(1ページ)を証明する傑作です。


〇交響曲第1番ハ短調OP68
 交響曲第1番の着想の原点を探れば、やはり第1ピアノ協奏曲と同様にローベルト・シューマンとの出会いに遡ります。あの時、瀕死(自殺未遂と精神病院での死)のシューマンから強く要望されたのが交響曲の作曲でした。その後直ぐにブラームスは2台のピアノのためのソナタとして着手し、それにオーケストレーションを施し、交響曲へと編曲しようと試みましたが、何分オーケストレーション(管弦楽化)の経験不足による未熟さから、この交響曲の試作は巧く事が運ばず、紆余曲折の末、幾つかの楽想(テーマ、モチーフ)を第1ピアノ協奏曲やドイツレクイエムに転用してしまいました。それでもまた別のテーマで交響曲の試みは継続されており、漸く40歳を超えた辺りから軌道に乗り始め、最大の難物・フィナーレに取り組み出し、とうとう1876年(43歳)に、長い産みの苦しみの末に完成に漕ぎ付けました。着想から20数年の歳月を用し、宿願の交響曲第1番は世に送り出されたのでした。その忍耐と努力、そしてその桁外れの執念は驚異的と言わざるを得ず、見事シューマンの大願に応えたのでした。

 ソナタ形式の達人が作ったソナタの権化と思われる怒りに満ちた第1楽章(シューマンへの返答、シューマンはこのような整然とした論理的なソナタ楽章を夢見ていた)、愛とロマンに身悶える第2楽章(クララへの愛)、典雅なブラームス特有のアレグレットの(スケルツォとは異なるフィナーレへの序奏的な繋ぎの楽章)第3楽章、人間愛が爆発する感動的な第4楽章(クララへの愛から人間愛・万物愛〈博愛〉へ昇華)、ベートーヴェン(論理的、超人的)とは違った音楽(よりロマン的)であり、魂(より庶民的)ですが、ここに偉大なシンフォニーの系譜は繋がったと私は確信しています。シューマンに促がされて20余年、ベートーヴェンの第9からは半世紀(52年)後、とうとう真のシンフォニーは復活したのです。

 ブラームスの交響曲には副題は皆無ですが、私はこの曲に“復活”の名を与えたいと願います。復活の名は他にあり、あるシンフォニー(マーラーの第2)に使われていますが、真にその名に相応しい傑作は、この曲を措いて他に無いでしょう。私は、ブラームス作曲交響曲第1番ハ短調「復活」と、自信を持って称します。

〇交響曲第2番ニ長調Op73
 ブラームスの創作の季節は夏(因みに秋から冬が音楽会シーズン、春はイタリア旅行)、それもウィーンではなく風光明媚な地方の避暑地、三十代後半より夏は地方に長期滞在(5月〜10月)をして、大曲を中心に仕上げるようになりました。しかも自分の別荘のように決まった家は持たず、その年の気分で候補地(若い頃は毎年変わり、特に気に入ると2〜3年続け、晩年に至るに従ってイシュルに定着)を絞り、家は賃貸物件(貸別荘)を借りていました。勿論ピアノも搬入しますがこれも賃貸、何しろ物に振り回されず身軽に動くのがブラームスの信条でしたから…。この時代には、このようなブラームスの意向に見合う賃貸業者が確かに存在していたようで、比較的簡単に移住?していたようです。

 1877年(44歳)、第2交響曲を一夏(6月〜9月)で完成させた地が、オーストリア南部にあるヴェルター湖畔の村・ペルチャッハでした。兎に角、快適に過ごすブラームスの創作意欲は凄まじいものがあったらしく、大曲の第2交響曲を僅か3ヶ月余りで脱稿し、それと同時に「新・愛の歌」ピアノ四手用Op65a、歌曲Op69、70、71、72―3と4、モテットOp74-1、二重唱のバラードとロマンスOp75-1、歌曲OP86-3、四重唱曲Op92-1などを完成させました。第1交響曲の難産とは打って変わって比較にならない健筆速筆、如何にこの曲のアイディアがブラームスに嵌ったか、窺い知る事が出来ます。

 元々自然愛好が強かったブラームスですが、この風光明媚な別天地・ペルチャッハはブラームスに改めて自然の中に住む喜びを与えてくれました。だからその山と湖の風光が、この交響曲に自然と入り込んでいるのは当然と言えましょう。角笛のホルンに小鳥のフルート、水面はチェロで森はコントラバス、さざ波にはヴィオラを使い、風はヴァイオリン、正にこの曲は牧歌と言って良いでしょう。それとも恐れ多くもベートーヴェンから拝借して田園?…。

 されどこの交響曲にはベートーヴェンにないあるブラームスの感情があります。それは正しく一年前の第1交響曲の大成功がもたらした強く確信的な思いでした。自信に溢れたブラームスにはもう恐れるものはなく、自由自在、天才のほとばしりは止まるところを知らず、激しい創作意欲を燃やし始めました。その絶好調の最初の作品がこの第2交響曲だったのでした。第1楽章は、無骨な舞踏と優雅な歌が織り成す情熱のラプソディー(狂詩曲)、雄叫び(益荒男、巨人、勇者)と哀願(手弱女、美女、優美)が激しく交錯します。第2楽章は独白の歌、優しく、愛しく、尚も痛々しい愛慕の歌…、静かな森に木霊します。第3楽章は愛らしいワルツ、素朴で健やか…、田舎者のワルツ…、私とお前のワルツ…。第4楽章は息せき切った熱狂のダンス、踊り狂ったその先に歓喜のファンファーレが押し寄せます。そのエンディングは正に圧巻、これぞ勝利のファンファーレ。

 さてこの第2も副題を付けると致しましょう。「牧歌」、「田園」もしくは「第二の田園」。まあそれらも良いですが、やはり自然よりはブラームスの思いを重視しましょう。これは単なる自然讃美のコマーシャル音楽ではなく、あらゆる感情が積み重なった人間賛歌のシンフォニーなのですから…。従って、「歓喜」、「勝利」、「勝利の歌」。どれも適切。私としては交響曲第2番ニ長調「勝利の歌」Op73、これでどうでしょう? 「ドイツレクイエム」、第1交響曲、傑作を次々と…。最早ブラームスは押しも押されもせぬ西洋音楽の第一人者、得意の絶頂と言って良いでしょう。そんなブラームスが答えた所信表明のシンフォニー、正に断固とした勝利宣言でした。

〇ヴァイオリン協奏曲ニ長調 OP77
 第1交響曲(1876年)の大成功で、ヨーロッパ楽壇の頂点に上り詰めたブラームスは、自信を深め、その翌年からの10年は正に順風満帆、毎年のように大傑作をものにして行きました。この10年で作られた作品には交響曲3曲(第2、第3、第4)、協奏曲3曲(ヴァイオリン協奏曲、第2ピアノ協奏曲、二重協奏曲)の他に室内楽曲6曲(第1ヴァイオリンソナタ、第2ピアノ三重奏曲、第1弦楽五重奏曲、第2チェロソナタ、第2ヴァイオリンソナタ、第3ピアノ三重奏曲)などが含まれており、都合12曲の大曲が生み出されています。特にその創作の核心のシンフォニーとコンツェルトの大曲はこの10年で大半が生み出されており、正に黄金の10年と称するに値すると言えます。誠ベートーヴェンの“傑作の森”に匹敵する激しい創作意欲の爆発が見られた時代であり、絶好調のブラームスがそこに現れているのです。

 1877年、第2交響曲を完成させた直後の9月に、ブラームスは避暑地ペルチャッハからバーデンバーデンに移動し、そこでたまたまサラサーテ(当代随一のヴァイオリンの巨匠)のヴァイオリン演奏を聴く機会を得ました。その艶やかなヴァイオリンの音色、超絶の技巧、ヴァイオリンの能力を極限まで発揮させる演奏にブラームスはすっかり感心して、自分も一つヴァイオリン協奏曲と作ってみたいと本気で思い始めました。その後、早速盟友の大ヴァイオニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムに相談してヴァイオリン演奏の奥義を教えて貰い、それを参考にしてヴァイオリン協奏曲の構想を練り始めました。

 年が変わり1878年の春(4月のひと月間)に、ブラームスは念願だったイタリア旅行(第一回目)を敢行します。これもこの時代のブラームスの自信の表れと推測できます。大成功と言う大きな区切りを果したブラームスは自信満々・自由奔放、愈々生活面でもやりたい放題が出来る身分となったのでした。この旅行は完全に私的なもので正に今で言う観光旅行、仕事半分の演奏旅行とは訳が違います。自由気儘にラテンの飯を食らい、散策し捲って各地の建造物や美術作品を鑑賞し尽くしました。ブラームスは当時のイタリア音楽(主にイタリアオペラ)には全く興味がなかったようで、ひと月間、ひたすら食い物物色と自然観光、そして市街探訪と美術建造品探索に明け暮れていたようです。その印象がこのヴァイオリン協奏曲やその後の作品(第1ヴァイオリンソナタ、第2ピアノ協奏曲、「哀悼歌」、第2ピアノ三重奏曲、第1弦楽五重奏曲、「運命の女神の歌」、第3交響曲)に反映されていきます。それらはブラームスの生来の快活さやお茶目さが際立った時代の産物だと、言えるかも知れません。そして陽光煌めくイタリアが如何にブラームスを鼓舞しまた反対に癒しを与えてくれたか、その陽性なラテンの空気に溢れた作品群を聴いてみれば、窺い知る事ができます。この時期の作品は、本来ブラームスが持つ特有の暗い北ドイツの空気感が失せ、明朗闊達な南欧の空気が幅を利かせています。「哀悼歌」や「運命の女神の歌」のような悲劇的な内容の作品にしても、イタリアのラテンの空気が横溢しています。ブラームスの音楽には稀な透明な響きがそこにはあるのです。第1交響曲(1876年、悲劇から希望の愛へ)から第4交響曲(1885年、例外的に暗すぎる噴怒の曲、晩年の北ドイツへの回帰の始まり)までの10年間は、ブラームスの生涯で太陽の季節と言って良いと思います。

〇ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 OP83
第1、第2交響曲で、決定的な成功を収めたブラームスは、最早並ぶ者の無い大作曲家として、自由を謳歌し始めます。降り掛かる詰まらぬ雑事を無視して、憧れのイタリアに観光旅行に出掛けます。お伴は親友の大学教授で外科医のテオドル・ビルロートで、イタリアに詳しいビルロートを案内役に仕立てて、ひと月(1878年の4月〜5月)の旅を楽しみました。ブラームスも予め、イタリアの歴史や美術建築を学び、資料も集めて、準備万端整えて、汽車でイタリアに向かいました。

イタリアの印象は格別でした。ブラームス言によれば、「魔法を掛けられたような毎日」の記録(手紙)が残っています。この素晴らしい印象を無駄にしたくないと考えたブラームスは、その経験をピアノ協奏曲の作曲に織り込もうと考えました。但し、ヴァイオリン協奏曲が先に着手され、この年の秋にヴァイオリン協奏曲OP77は書き上げられ、初演がなされました。次の年(1879年イシュルの別荘)には、ヴァイオリン協奏曲の副産物であるヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」OP78が作曲され、ピアノの名曲の「二つのラプソディー」OP79も作られました。その後、積年の音楽活動の功績が讃えられ、ブレスラウ大学(当時はドイツ領、現ポーランド)から名誉学位を授けられ(1879年)、その返礼に大学祝典序曲(1880年)を作曲しました。こう言った名誉ある授与には、本当は、大曲の交響曲の返礼が普通であったようですが、ブラームスの交響曲は広く深く推敲されなければ完成されない難物、名誉学位如きで書ける簡単な代物ではなかったのです。ブラームスは、もっと軽く考えて、楽しい学生歌を繋ぎ合わせた「大学祝典序曲」OP80を書きました。しかも、これとほぼ同時に、「悲劇的序曲」OP81も作曲しました。ブラームス曰く「楽しいものと悲しいものを対で書きたかった」の言葉を残しています。多忙を極めていましたので、大曲のピアノ協奏曲は後回しにされていました。

1881年の正月は、ブレスラウ大学に出向き、名誉学位の授与式に参列しました。1月4日には返礼曲の大学祝典序曲と新作の悲劇的序曲、そして第2交響曲を指揮しました。その後は2曲の序曲を広めるために、演奏旅行に出て、ドイツ各地やオランダまで足を延ばしています。落ち着いたところで、第2回目のイタリア旅行に出ます。3月25日に出発で、ブラームスとしては初めてイタリア語を学んで、旅に臨んだと言う事です。お仲間は、ビルロート(外科医)、M・ノッテボーム(ベートーヴェン研究家)、A・エクスナー(法律学者)、ウィーンの知識人ばかりの男友達が同行していました。途中、用事があり、皆は帰って仕舞ったようで、ブラームスはフィレンツェで2週間の一人旅を味わったそうです。自由の身になって、イタリア飯、イタリア建築、イタリア(ルネサンス)美術などを心置きなく味わったそうです。

ウィーンに戻ったブラームスは、5月から10月までの創作のための別荘をウィーン近郊のプレスバウムに求め、愈々この地で、第2ピアノ協奏曲の作曲に熱中します。しかし、その前に前年にベネチアで他界した友人の画家・フォイエルバッハ追悼のため、美しい合唱曲「ネーニエ(哀悼歌)」を作曲しました。ドイツの詩人・シラーの詩に付けた美しき者も死に行かなければならないがテーマの曲、哀れな友・フォイエルバッハのためにラテンの響きで、その魂を悼みました。

イタリアの風光を織り交ぜた最もイタリアを意識した曲・第2ピアノコンチェルト。建築物の大理石をイメージした古典の堅固で勇壮な第1楽章、まるで汽車の車窓の風景を切り取った、流れるようなスピード感溢れる第2楽章、街のカフェでコーヒーを啜りながら在りし日の追憶に涙する第3楽章、イタリア娘に声を掛けて散歩をしたり、はしゃぎ回る第4楽章…。あらゆる感情が渦巻いています。コンチェルトには珍しい4楽章制、50分を超える巨大な構造空間を有します。コンチェルトのキングです。


*1881年に第2回目のイタリア旅行をした後、避暑地のプレスバウムで第2ピアノ協奏曲OP83と「ネーニエ」OP82を完成させました。そしてその他にも、もう一曲、重要な歌曲集を書いています。それは、OP84の「ロマンスと歌曲」で、その5曲の内の第4曲が、ブラームスの歌曲の中でも屈指の名曲の「甲斐なきセレナード」です。ピアノ作品の「二つのラプソディー」OP79と歌曲の「甲斐なきセレナード」は、当時のブラームスが手放しで自慢する傑作でした。その後(1883年1月)、この曲を得意とする若きアルト歌手・ヘルミーネ・シュピースが現れます。ブラームスは一目でヘルミーネを気に入り、親娘ほど年齢が違う二人は恋に落ち、この娘は、その後、多くのブラームスの歌曲(狩人・乙女の歌・花は見ている・あそこの牧場に・すぐ来てね・別れ・歌の調のように・まどろみはいよいよ浅く・嘆き)と交響曲第3番を書かせるのです。

*1882年は、ハンス・フォン・ビューローとのコンサートツアーから始まりました。マイニンゲン・オーケストラの指揮者であったビューローには、第2ピアノコンチェルトの試演に、このオーケストラを使わせて貰い、世話になったので、二人でこのオーケストラを率い、ブラームスのピアノコンチェルト2曲の演奏旅行をしたのでした。二人とも指揮者でピアニストであったので、第1番ニ短調OP15は、ビューローがピアノ、ブラームスが指揮、反対に第2番変ロ長調OP83は、ブラームスがピアノ、ビューローが指揮と、役割分担を決めて臨みました。ベルリン・キール・ハンブルクで、演奏を行い、そこで二手に別れて、ブラームスはミュンスター、ユトレストを経由してウィーンに戻りました。ウィーンにはフランツ・リストが聴きに来ており、ブラームスは第2コンチェルトの総譜をリストから求められ、出版社から贈らせています。夏は避暑地をイシュルに定め、ピアノ三重奏曲第2番ハ長調OP87と弦楽五重奏曲第1番ヘ長調OP88、そして最後のオーケストラ伴奏付の合唱曲「運命の女神の歌」OP89を作曲しました。二つの室内楽は、どちらも明るい長調で書かれており、ほぼ同時期(初夏)に脱稿されています。この春はイタリアに行ってなく、直接避暑地に入り、一気に書き上げたようでした。問題は「運命の女神の歌」で、これはラテン(イタリア・ギリシャ)シリーズの最後を飾る作品で、古代ミケーネの雰囲気を醸し出した合唱曲です。傑作であり、何れ「ブラームスの名曲」の枠で記事を書きます。


〇交響曲第3番ヘ長調 OP90
ヘルミーネ・シュピースと初めて出会ったのが、1883年1月のクレ−フェルト(ドイツ北西の都市)で、ヘルミーネは、ブラームスの信頼するバリトン歌手・ユリウス・シュトックハウゼンの指導を受けていた才能豊かな若いアルト歌手でした。見目麗しく機知に富んだシュピースは、ブラームスの音楽に強い関心を抱いていて、ブラームスの前で「甲斐なきセレナード」を歌って聴かせたそうです。ブラームスはイチコロとなり、虜となって、夏の創作の別荘を、シュピースが住むヴィースバーデンに決めてしまいました。機会を作ってはシュピースと会えるように画策をし、二人は愛し合うようになりました。この時代、ブラームスは有名人であり、何処に行っても顔の知られた存在であり、忽ち、二人には噂が立ち、ゴシップのネタになりました。それでも二人はそんな事に意を介さず、仲良く逢瀬を重ねたのでした。もう結婚は衆目の必然でした。しかし、二人は結婚せず、シュピースは、唯自分のために数々の傑作歌曲を書いてくれるブラームスを許していました。でも本当はブラームスの求婚を待ち侘びていたそうです。可哀想なシュピース、それでもこの女性、凄いのですよ。クララ(ピアニスト)・アガーテ(令嬢)・ベルタ(歌手)・ユーリエ(シューマン三女)・エリザベート(ピアノの弟子)・ヘルミーネ(歌手)、ブラームスの恋の遍歴は色取り取りですが、その捧げられた曲の数は圧倒的に、このヘルミーネ・シュピースが多いのです。その最たる曲は、「すぐ来てね」、「歌の調のように」、「まどろみはいよいよ浅く」、「ヴァイオリンソナタ第2番」そして第3交響曲、名曲ばかり、傑作ばかりなのです。21世紀のブラームス愛好家の私にも、ヘルミーネは素晴らしい贈り物をくれたのです。ヘルミーネ!讃!

愛する人のいる快適なヴィースバーデンの地、普通の人なら有頂天になって仕舞うのに、ブラームスはやはり根っからの作曲家でした。早朝に起きて風呂に入り、コーヒーを淹れて葉巻(シガー)を吹かす、これが毎朝のブラームスの習いです。午前中は第3交響曲に熱中します。ブラームスの作曲は、ピアノの前で行わず、譜面台の前に立ってします。モーツァルトは大きなテーブルの上に楽譜を並べてしましたが、ブラームスは巨大な譜面台を使っていたそうです。頭にある音をピアノで確かめるのではなく、そのまま頭から譜面に書き降ろしていきます。最後に、ピアノ室に入って出来栄えを確かめたそうです。

午後は近くのレストランに昼飯に、友達やヘルミーネと連れ立ってレストラン飯にありつきます。飯の後は散歩、ブラームスは登山はしなかったですが、歩くのは好きで、五線譜と筆記具を片手に、野を散歩したそうです。きっと、ヘルミーネと長い散歩をしたようです。そしてその後は、もっぱら仲間内のサロンでコンサート。多くの歌曲や室内楽が演奏されたそうです。

夜は友や後援者たちが催す招待飯、ブラームスが年々肥満して行ったのは、このレストラン飯と招待飯の所為と言われています。

ヘルミーネと、こんな快適な夏を過ごしていたブラームス、そしてこの夏は第3交響曲を書こうとしていたブラームス。この第3交響曲が楽観的な楽しいものになったのは当たり前でした。古典とロマンの要素を取り入れて、見事に融合させた交響曲、簡潔の中に情熱が溢れています。

そして、この曲にはブラームスのモットー(スローガン)が明確に表示されています。第1楽章の冒頭で、管楽器が一斉に鳴らすF-A♭-Fの音型、これがドイツ語の”Frei aber froh”(自由だが喜ばしく)を表し、この自由だが喜ばしくがブラームスの平素持っているモットーと言う事です。これは第1(C-C#-C)や第2(D-C#-D)で使われたモチーフよりは、もっと意味深いもので、この曲の全編に亘って表れるこの曲のテーマと言えます。

しかもF-A-Fのへ長調ではなくて、F-A♭-Fのヘ短調で現れます。ここがブラームスの音楽の意味深い所で、悲喜交々が綯い交ぜになった、様々な感情を表そうとするブラームスの作曲技法なのです。自由だが喜ばしく、時として、歓喜と悲哀が相剋する、それがブラームスの音楽なのです。ベートーヴェンの第8とシューマンの第3を思わせる爽快なダイナミックス(活動性)と、モーツァルトと想わせる慈悲の心、生活を楽しむ、普段着のブラームスがそこにいます。

*楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット(1・4楽章)、ホルン4、トランペット2(1・4楽章)、トロンボーン3(1・2・4楽章)、ティンパニ(1・4楽章)、弦楽五部
第2第3楽章は、コントラファゴット・トランペット・ティンパニを使っていません。正に楽章ごとに、硬(1・4楽章)軟(2・3楽章)を変化させ際立たせています。爽快な第1楽章、劇的な第4楽章、森の芳醇な第2楽章、鎮魂の歌の第3楽章、快哉と哀悼が入り混じっています。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ(生気を持って快速に)
ヘ長調、6/4拍子、ソナタ形式
簡潔極まりないソナタ形式の楽章、冒頭にブラームスのモットーが鳴り、幕(曲)は一気に切って落とされます。快活で壮大、ソナタ形式の枠組みで、ブラームスの情熱が迸り出ます。

第2楽章 アンダンテ
ハ長調、4/4拍子、自由なソナタ形式
ブラームスの自然愛好が現れた楽章、シュピースと散歩して、小鳥の歌と、野の花を愛でたに違いありません。五線譜を持ち歩くブラームスですから、シュピースに歌わせる多くの歌曲のインスピレーションを得て、楽譜に書き込んだ事でしょう。地味で鄙びていますが、美しさはこの上ありません。大人にしか判らない墨絵のような音楽です。

第3楽章 ポコ・アレグレット
ハ短調、3/8拍子、三部形式
「自分だけが幸福で良いのかしら」、そんな思いで、死者のための悲歌を書きました。この曲をテーマにした小説、この曲をカバーした音楽が後の世に数多出ています。希代の名旋律です。有名なところでは、フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」、その映画の「さよならをもう一度」、「バビロンの妖精」、フランク・シナトラ、サンタナ、大貫妙子、平原綾香が詩を付けて歌っています。

第4楽章 アレグロ・ウン・ポコ・ソステヌート(やや抑えて快速に)
ヘ短調ーヘ長調、2/2拍子、自由なソナタ形式
最も闘争的な楽章、ウィーンフィルで初演した、指揮者ハンス・リヒターの言「これはブラームスの英雄だ!」の根拠となった楽章です。しかし、結尾は緩く静かな回想的な音楽です。様々にその理由を発信する評論家もいますが、これがブラームス本来の音楽の性質。硬軟、悲喜、理想と現実、このどれもが表裏一体となっているのがブラームスの音楽です。気負わずに、己の英知と価値観で、音楽と対していたのです。


*第3交響曲Op.90の出版が1883年、その2年後の1885年に第4交響曲op.98が完成しました。この間は、大曲は無く、主に歌曲と合唱曲が生まれています。Op.91の伴奏にヴィオラが入った女声(アルト歌手、ヨアヒム夫人・アマーリエ・ヨアヒムのために作曲)のための独唱歌曲、Op.92の四重唱曲、Op.93の合唱曲、そしてOp.94・95・96・97の4集は独唱歌曲です。更にその後の第4交響曲の後に出版されたOp.105.106.107と合わせて、恋人であったアルト歌手のヘルミーネ・シュピースに関係がある曲が含まれています。二つの交響曲の隙間には、多くの傑作歌曲が生まれたのでした。

ブラームスの趣味の一つは読書で、聖書を筆頭に、あらゆる分野の書物を読み漁っていたようです。社会の動静や物事全般に強い興味を抱いていたようで、その博識ぶりはクララを始め、友人の間では有名でした。新聞も熟読しており、仲間内で交わされた日清戦争の論議でも、大半は清国の勝利と論じていましたが、ブラームス一人が日本贔屓で、日本が勝つと断言していたそうです。事実1895年に日本の勝利で終わりました。ブラームスは常日頃、戦争のような社会悪を憎んでいました。人種差別による紛争など、人間の愚かさを断罪していました。但し交響曲のような絶対音楽では、その社会的芸術的思想は音でしか測れませんが、言葉を付けた音楽ではブラームスの思想が容易く観えて来ます。最晩年に遺書のようにして書いた聖書の言葉をテキストとした歌曲「4つの厳粛な歌」Op.121では、ブラームスの哲学が観えて来ます。人間とは何か、動物とどう違うのか、世界には大きな虐げ(戦争)がある、死とは何か、死の苦しみ、死の救いとは何か、そして人間は愛を持ち、希望を持ち、信仰を持って生きるべきである。人間の存在意義と生と死を見詰めています。これがブラームスの哲学であり、この第4交響曲の思想のバックボーンとなっています。この当時、非常に興味を持っていたギリシャ悲劇の影響もあり、この極めて思想的・闘争的な交響曲が生まれたのでした。

〇交響曲第4番ホ短調Op.98







◎管弦楽曲

*ブラームスには交響曲以外の管弦楽作品は多くはありません。しかも当時としてはオーケストレーションが地味で、傑作と言えるのはハイドン変奏曲の一曲だけと言って良いでしょう。他に大学祝典序曲と悲劇的序曲がありますが、傑作と言うには軽いでしょう。まあ、秀作・力作が相応しいと思います。それに2曲の管弦楽用のセレナーデ(Op11、Op16)、こちらは若年の作、交響曲への下準備としての習作の意味合いが濃厚です。それでもブラームスとしては珍しい砕けた開放感のある良い曲であり、私は愛聴しています。佳作と言って良いでしょう。

9、ハイドンの主題による変奏曲Op56a (Op56bは2台ピアノの作品)

◎室内楽曲
*ロマン派室内楽はブラームスの独壇場と言って良いでしょう。よくブラームスは、交響曲のような室内楽を書いた作曲家と言われています。それは、好意的な見解の中らずと雖も遠からず”で、小編成の室内楽作品でも、大編成の交響曲に準ずる重い内容のものを書いたからだと想われます。ブラームスの室内楽は、単なるサロンの遊びの音楽とは一線を画す、人生を語る交響曲のような音楽だったのです。また反対に、地味なオーケストレーションの交響曲は、多くの人々(対立する反対派・ワーグナー等)から、まるで室内楽のような交響曲だと揶揄されたのです。但しこれも中らずと雖も遠からず”で、朴訥な田舎者のブラームスは、けばけばしく飾り立て、格好よく見栄を切り、アジテーション高く聴衆を扇動する大仰なオーケストレーションを性格上使えなかったのです。地味にしかし深く愛と人生を語るシンフォニー、たとい室内楽の延長線上にあろうとも、それは最高の交響曲、それが判らず揶揄した反対派は、ロバ(王様)の耳だったのです。このようにブラームスの室内楽と交響曲は同一線上にあり、より社会性・普遍性が高い動機であれば交響曲に、より個人的な動機によれば室内楽へと書き分け、管理していたのです。結果的にブラームスの室内楽は、交響曲を完成した前後に書かれる事が多いのですが、それは交響曲を書く為に準備したモチーフ(テーマ)を余すところなく使い切った証として知る事が出来ます。ブラームスの場合、一曲の交響曲を書くには大量のモチーフ必要としたのであり、余ったモチーフを無駄にする事無く、室内楽に転用したのです。

10、弦楽六重奏曲第1番変ロ長調Op18
11、ピアノ五重奏曲ヘ短調Op34
12、クラリネット五重奏曲ロ短調Op115
13、ピアノ四重奏曲第3番ハ短調Op60
14、弦楽四重奏曲第3番変ロ長調Op67
15、ピアノ三重奏曲第1番ロ長調Op8
16、ホルン三重奏曲変ホ長調Op40
17、ヴァイオリンソナタ第1番ト長調Op78 
18、チェロソナタ第1番ホ短調Op36

*やはり室内楽でも、長調・短調を均等に選び、曲作りがなされています。しかも、多種・12種類もある楽器編成の内の一つの楽器編成による曲数は多くて3曲まで、その個性化を念頭に入れた執拗な計画性と管理性は並外れたものがあります。全24曲が内容の濃い秀作であり、9曲にして選ぶのは困難がありました。一番の選びどころは存在感の有無(優劣、だから傑作)にしました。全ジャンルの中で、弦楽五重奏曲とクラリネットソナタを選べなかったのが心残りですが、仕方がありません。その存在感が今一つでしたから…。

◎ピアノ曲
*19世紀はピアノの時代と言われています。発明から100年が過ぎ、進化の最中にあったピアノは益々高性能となりました。それと同時に産業革命の進展により富裕層が増大し、ピアノの需要が爆発的に伸びました。それらに呼応するように優れたピアニスト及びピアノ教師、そしてピアノ曲作曲家が輩出し、多くのピアノ作品が作られ演奏されました。シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、そしてブラームスと、ピアノを得手とする作曲家が煌星の如く現れ、史上最大最高の輝かしいピアノの時代を形作ったのでした。

そんな時代の最後を飾ったのがブラームスで、先輩5人の後を引き継いで立派なピアノ作品を生み出し、世に報いました。但し、ブラームスに於いては、常に言える事ですが、生まれた年代が遅すぎた作曲家だったという事です。多くの先達が多くの作品を残した後に生まれた作曲家、ブラームスが得る残された余地は少ないものでした。だから、ブラームスは過去に遡り昔の音楽を研究したのでした。まずシューマンに始まってシューベルト、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン、バッハ、ヘンデル、そして更に昔のバロック以前の者達の足跡も…。そこでブラームスは古の音楽技法に着目をし、古い形式の中に新たな発展の余地を認め、そこに近代の息吹を吹き込もうと想い立ちました。そこで出会った音楽形式とは、様々な様式の変奏曲(フーガ、カノン、パッサカーリアやシャコンヌ等)でした。ピアノ用の変奏曲、数は少ないですが、バッハやベートーヴェンには優れた鍵盤用の変奏曲がありました。勿論、ロマン派の時代にもこの様式の曲(メンデルスゾーン等)は無きにしもあらずでしたが、種類も傑作も少なく、ブラームスはそこにピアノ音楽の新天地を見出したのでした。

ブラームスのピアノ変奏曲は全部で7曲現存します。以下に記し、如何にブラームスが変奏曲に入れ上げてたかを紹介致しましょう。全てが初期から中期の初めにかけての作品です。
シューマンの主題による変奏曲Op9
自作主題による変奏曲Op21-1
ハンガリー歌曲による変奏曲Op21-2
ピアノ連弾用:シューマンの主題による変奏曲Op23
ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOp24
練習曲:パガニーニの主題による変奏曲(2集)Op35
2台ピアノ用:ハイドンの主題による変奏曲Op56-b

19、ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOp24
20、練習曲:パガニーニの主題による変奏曲(2集)Op35
21、二つのラプソディーOp79
22、(晩年の)ピアノ小品 Op116(7曲)、Op117(3曲)、Op118(6曲)、Op119(4曲)

*「二つのラプソディー」は生前のブラームスが最も愛好していたピアノ作品。誰にでもこの曲の演奏を進め、自らも好んでよく弾いていたと伝えられています。確か、エジソンの臘管レコードに自らの演奏で録音した史実が伝えられています。その原盤は残されていないようですが?

*晩年のピアノ小品は、ブラームス晩年の心境を吐露したエッセイのようなもの。正に音楽と人生を極めた達人の思いが綴られています。個人的に申しては何なのですが、これらの20曲は私の宝物です。苦悩で泣きたくなるとここに誘われます。感動と涙を持ってしばしば聴いています。

◎オルガン作品
*バロックを愛し、バッハに憧れたブラームスは、やはり素晴らしいオルガン独奏曲を書きました。若き頃のシューマンの死を目の当たりにして書いたもの凄いフーガ4曲…。そして今度は自分の死に目に書いた世にも優しい11のコラール前奏曲。正にオルガンと言う楽器は人間の死と共にあるのですね。オルガンは魂の響き…

23、11のコラール前奏曲Op122(オルガンソロ)


☆声楽曲
*ブラームスはよく器楽の作曲家と想われ、そんなイメージが定着していますが、とんでもない、ブラームスの創作の沃野には、器楽の領域と遜色のない広大な声楽曲の美田が広がっているのです。有伴奏、無伴奏(アカペラ)を含む100曲を超える重唱及び合唱曲と200曲を超える独唱歌曲、ドイツレクイエムの作者ブラームスこそ、ロマン派の最大の声楽曲作曲家と褒め称えても、それは過言とは無縁の言動でありましょう。

◎合唱曲・重唱曲
24、ドイツレクイエムOp45(ソプラノ、バリトン独唱、混声4部、オーケストラ、オルガン)
25、愛の歌・ワルツOp52(18曲、四重唱、合唱、ピアノ四手)
26、「祭典と記念の格言」Op109と三つのモテットOp110(無伴奏≪アカペラ≫混声8部、4部・8声部)

*人間の生と死を見詰めた音楽・ドイツレクイエム。これ以上優しさに溢れた音楽を私は未だに知り得ません。「幸なるかな」と歌いだされる冒頭の歌を聴けば、不思議に苦悩は安らぎ幸福感で満たされていきます。愛する者を失った絶望した人の魂を鎮める、不幸を幸福に変える魔力を持った真の傑作です。

*「愛の歌」・ワルツは、皆で寄り添い皆で合わせて歌う、重唱・合唱の喜びを味わせてくれる青春の歌です。ピアノ伴奏までも連弾なのですよ。ブラームスはある娘に恋をし、熱い思いを胸に幸せに包まれてこの曲集を作曲しました。お気に入りの詩人・ダウマーの詩に付けて…。そして「愛の歌」のタイトルが眩しい、刷り上がったばかりのその楽譜をこの娘に捧げたのでした。ところがこの娘はブラームスの思いを知らず、ある男と婚約を済ませてしまっていました。失恋の痛手を負い怒りに震えたブラームスは、ある曲を作曲する事で、その苦悩から己の心を救い出したのでした。その曲こそが彼の名作「アルトラプソディー」です。アルトの歌声がどれ程ブラームスを癒した事か…、偲ばれる逸話です。結局、この娘は大した者で、音楽史上の功労者ですよね。何しろ大作曲家ブラームスに恋心と失恋を合わせて味あわせ、二曲の傑作合唱曲を書かせてしまったのでしたからね…。この娘こそシューマンとクララの三女・ユーリエ・シューマンで、写真で見る限り、母・クララ似の美しい女性です。シューマンの残した四姉妹の中では最たる美人であったようで、唯一家庭を持った女性でした。確か、イタリアの貴族の男と結婚したとか…。

「アルトラプソディー」Op53とその他の「運命の歌」Op54、「運命の女神の歌」Op89、そして美しい「ネーニエ(哀悼歌)」Op82の優れた合唱曲もこれに付け加えたかったのですが、残念、落選させました。これらの合唱曲は真のブラームスファンの特別の名作。この燻し銀は私達の物…、誰にもあげない?。

*アカペラの曲は、合唱の原点に位置する曲種。この天国的な透明感は、平均律調律法では出せない和声(純正調)の響き、正に天上の音楽であり、ヨーロッパの教会に木霊する清澄な響きです。

◎独唱歌曲
*長年、ブラームスの歌曲を聴き続けていると、何と全ての歌が好きになってしまうのです。それは大袈裟に言うのではなく、それほど心に通う美しい歌達だからです。滑らかなカーブを描く旋律、素敵なピアノ伴奏、もう心が溶けていくのが分かります。ホントに好きで好きで堪らない歌曲、全200曲全部を取り上げたい、これが今の私の正直な思いです。でも仕方がない、心を鬼にして選択します。

27、歌曲・初期 
Op3-1「愛のまこと」、Op7-1「まことの愛」、Op7-5「悲しむ娘」、Op14-1「窓の外で」、Op19-4「鍛冶屋」、Op19-5「エアリアンハープ(アイオロスのハープ)によせて」、Op32-1「夜中に飛び起きて」、Op32-9「私の女王よ」、OP.33歌曲集「マゲローネのロマンス」、Op.43-1「永遠の愛」、Op43-2「五月の夜」、Op46-4「ナイチンゲールに」Op47-3「日曜日」、Op48-7「秋の気配」

28、歌曲・中期
Op49-4「ゆりかごの歌≪ブラームスの子守歌≫」、Op57-3「私は夢を見た」、Op57-4「ああ、このまなざしをそらして」、Op58-6「小路にて」、Op58-8「セレナード」、Op59-3「雨の歌」、Op59-6「お休み安らかにおやすみ」、Op59-7「傷ついた私の心」、Op59-8「君の青い瞳」、Op63-5「我が恋は緑」、Op63-8「郷愁U」、Op69-2「嘆きU」、Op69-7「海を越えて」、Op70-1「海辺の庭で」、Op70-2「ひばりの歌」、Op70-3「セレナード」、Op71-5「愛の歌」、Op72-1「昔の恋」、Op72-2「蜘蛛の糸」、Op72-3「おお、涼しい森よ」、Op72-4「失望」 

29.歌曲・後期
Op84-1「夏の夕べ」、Op84-4「甲斐なきセレナード」、Op85-1「夏の夕べ」、Op85-2「月の光」、Op85-3「乙女の歌」、Op84-6「森のしじまに」、Op86-2「野にひとりいて」、Op86-3「夢にさまよう人」、Op86-4「荒れ野を越えて」、Op86-6「死への憧れ」、Op91-1「ひそかな憧れ」、Op91-2「聖なる子守歌」、Op94-1「40歳になって」、Op94-2「現れ出でよ愛する影よ」、Op94-4「サッフォー風頌歌」、Op95-4「狩人」、Op95-6「乙女の歌」、Op96-1「死は冷たい夜」、Op96-2「僕たちはさまよい歩いた」、Op96-3「花は見ている」、Op96-4「航海」、Op97-4「あそこの牧場に」、Op97-5「すぐ来てね」、Op97-6「別れ」、Op105-1「歌の調べのように」、Op105-2「まどろみはいよいよ浅く」、Op105-3「嘆き」、Op105-4「教会の墓地で」、Op106-3「霜が降りて」、Op106-4「我が歌」、Op107-2「サラマンドラ」、Op107-3「乙女は話しかける」、Op107-4「ねこやなぎ」 

30、歌曲:「四つの厳粛な歌」Op121
第1曲「人の子等に臨むところは獣にも臨むからである」 伝道の書から
第2曲「わたしはまた日の下に行われるすべてのしいたげを見た」 伝道の書から
第3曲「ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか」 シラ書から
第4曲「たといわたしが人々の言葉や御使たちの言葉を語っても」コリント人への第一の手紙から  

*ブラームスは、死を間近に控えたところで、もう一度、あのレクイエムのような音楽を書きました。今度は大規模なものでなく、歌とピアノの歌曲として、未来の人々に聖書の言葉を借りて遺言を残しました。人間の存在意義、戦争の悲惨と愚、死とは何か、そして人間はどう生きるべきか。この歌は厳しく人間を断罪しています。ブラームスが言いたかったのは、「愛と信仰を持って希望に満ちて生きなさい」と言う事、ありふれた事ですが、それが一番難しい、永遠の宿題ですね。しかし、それを意識するかしないかで、人間の一生は大きく異なるものになります。心の何処かにきちんと意識を持って、生きて行きましょう。

さて、ブラームスの最高傑作はどの曲でしょうか? 交響曲第1番ハ短調、交響曲第4番ホ短調、ドイツレクイエム、四つの厳粛な歌、11のコラール前奏曲、(晩年の)ピアノ小品などが、私の思いに叶う作品です。どうしても一つ上げるとするならば、人間の優しさを前面に押し出した「ドイツレクイム」…、この優しさこそが人間の最大の価値、これは人類の傑作の一つです。 
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月に寄す 旧暦如月の廿四 有明の月A 2020.03.18 08:52

旧暦如月の廿四の月 有明の月
毎朝、好い天気。有明の月が良く観えます。真っ青な空の中に浮かぶ白い弓月、見付けにくいですが、太陽との角度を知れば、見付けられます。下弦の時は、太陽から西(右)45°です。下弦を過ぎていますから、西35°くらいですかね。因みに新月は0°、満月は180°ですね。
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2020年03月17日

ブラームスの名曲18 歌曲「調和」OP7-3、歌曲「民謡」OP7-4、歌曲「悲しむ娘」OP7-5 2020.03.17

暗いOP7の歌曲集、短調ばかりで書かれています。その中でも、ソプラノで歌う、静かで、優しいメロディーの美しい歌がありますので、紹介します。ブラームスが20歳に満たない頃作った歌曲です。

調和(共鳴) アイヒェンドルフ詩 OP7-3
静かな丘の森の中に
一軒の家が立っていて、
その森越しに家を眺めると、
淋しげなたたずまいだった。

ひっそりとしたある夕べ
娘がひとり中にいて、
絹の糸を紡いでいた、
娘の婚礼の衣裳のために。

婚礼の衣裳を作るための紡ぎ歌?。何故悲しいのでしょうか? 望まぬ婚礼なのかしら? 張り詰めた澄んだ空気が森を渡ります。

民謡(つばめは飛び去ってゆく) シュヴァーベンの民謡 OP7-4
つばめは遠い異国へ
飛び去ってゆくが、
ぼくは悲しくここにいる、
いやな、つらい時だ。

ここはちっとも気に入らないから、
世界の旅ができたらいいが!
おお、つばめよ、お願いだから、来て、
ぼくに道をおしえて、連れてゆけ!

南西ドイツ・シュヴァーベン地方の方言による詩に付けられた曲。男歌ですかね、若者は異国を夢に観るもの、ツバメの渡りに、切ない思いが込み上げて来ます。羽音のようなピア伴奏に乗って歌われます。

悲しむ娘 シュヴァーベンの民謡 OP7-5
母はわたしが嫌いだし、
わたしには恋しい人もいない。
ああ、わたしはなぜ死ねないの、
どうしたらいいんでしょう。

昨日は桜桃の奉納があったけど、
わたしを見かけたものはいないわ。
だって、わたしとてもかなしいから、
踊ったりしないんだもの。

十字架の墓標に供えてある
三輪のばらをそっとしておいてね、
この下で眠っている娘のことを
みなさんは知っていたの。 

*以上訳詩:志田麓さん

桜桃とはサクランボ、桜桃の奉納とはどんなものなのでしょうか? 娘は生きているのか?死んでいるのか? タイムスリップでもしたのかしら? 過去・現在・未来、今は何処? 不思議な曲です。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

posted by 三上和伸 at 21:51| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月に寄す 旧暦如月の廿三 彼岸の入り、有明の月 2020.03.17

旧暦如月の廿三 有明の月
2020.03.17 08:30の月
広義に、夜明け後に残っている白い月を有明の月と呼びます。下弦前後に有明の月は良く見つかります。最終的には晦の月で、夜明け前寸前に、細い眉月として観えます。今日は彼岸の入り、今日の月が、旧暦廿三の月で、春分(彼岸中日)が廿六の月、彼岸明けが廿九の月・晦で、晦の月の出と日の出の時間差は17分、晴れれば晦の月が観えるかも知れませんね。
posted by 三上和伸 at 09:46| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 彼岸入りの朝、横浜☀、酸ヶ湯積雪深:3m超 2020.03.17

彼岸入りの朝、雲(ひつじ雲)は多いながら晴れています。北緯30°(種子島・屋久島辺り)に高気圧があり、今日・明日の日本列島は晴れの区域に入ります。但し、沿海州から日本海には低気圧があり、東北(今日から)・北海道(数日後から)は、荒れ模様になります。酸ヶ湯の現在の積雪深は302cm、それでも南風に変るので、春の雨となるようです。

お彼岸です。関東は当分晴れが続くようで、お墓参りには好い陽気ですね。
posted by 三上和伸 at 07:44| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月16日

私の歳時記 旧暦如月の廿二 今日は社日(しゃにち) 2020.03.17

社とは土地(土)の神の事。今日は土地の神の日ですから社日です。

今日は戊午(つちのえうま)の日。暦注で、春分・秋分に一番近い戊(つちのえ)の日を言います。土の神を祀って、春は五穀豊穣を願い、秋は収穫のお礼参りをする日です。家庭菜園でもお花作りでも、あるいは本業の農家さんも、土に感謝いたしましょう。

因みに今日は旧初午です。二月の最初の午の日。伏見稲荷の神が降りた日。
posted by 三上和伸 at 08:04| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月に寄す 旧暦如月の廿二 下弦の月 2020.03.16 07:14

旧暦如月の廿二 下弦の月 2020.03.16
旧暦で言えば、今は如月の下旬、下旬の弦月(半月)と言えば下弦の月です。今朝の月は真夜中(今日未明)に出て、夜明けを迎えましたので、今は有明の月となっています。つまり、青い空に浮かぶ白い月になっています。下弦の有明の月です。
posted by 三上和伸 at 07:42| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月15日

間奏曲 ブランデー・ナポレオンXO 2020.03.15

ナポレオンXOブランデー
ドラゴンに入ったブランデー、ナポレオンXOだそうです。コストコで売っていました。お値段は¥10,000弱、勿論こんな贅沢はしませんでしたが。美しい琥珀色のブランデー、買う人いるのかしら?
posted by 三上和伸 at 22:50| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 遅れ馳せのホワイトデー、買いました 2020.03.15

コストコのストロベリー・トライフル ギリシャ・ヨーグルト
今日の午後、遅れ馳せのホワイトデーの贈り物を、コストコで買って来ました。ババチャン・Kさん・Nちゃん・Yちゃん・Rくんには、ストロベリー・トライフルを、小麦粉が駄目なナッチャンには、ギリシャ・ヨーグルトを買って来ました。ストロベリートライフルは明日、NちゃんYちゃんRくんとKさんに、ギリシャ・ヨーグルトはレッスンに来た時のナッチャンに。
posted by 三上和伸 at 22:43| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 今日は涅槃会(ねはんえ)、釈迦堂清凉寺のお松明 2020.03.15

今日は涅槃会、お釈迦様の命日(入滅の日)だそうです。と言っても、インドでは、その確かな記録はないようで、中国が勝手に、陰暦の2月15日と決め、それを太陽暦に直して、普通は3月15日に法要をされるのが、涅槃会と言うものだそうです。

この日は、京都三大火祭りの一つの「京都嵯峨清凉寺お松明式」が行われるそうで、高さ7mの松明が灯され、火勢の強弱に依り、この歳の農作物の豊凶を占うのだそうです。京都三大火祭りは、「鞍馬の火祭(10月22日)」、「五山の送り火(8月16日)」とこの「釈迦堂清凉寺のお松明(3月15日)」です。五山の送り火は観ましたので、次は鞍馬?、それとも釈迦堂?…
posted by 三上和伸 at 11:21| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 春の寒中、北東北⛄荒れ模様 2020.03.15

横浜は漸く晴れ?ましたが、春の寒中が続いており、気温は低めで推移しています。日本海に低気圧、春一番の様相ですが、大陸に高気圧が屯しており、気圧配置は西高東低で、北風が強まっています。東北は大荒れで、今の酸ヶ湯の積雪深は282cmですが、恐らく3mは超えるかも知れません。今後1週間の東京の降水確率は10%~30%で推移しますので、当分は雨が少ない見込みです。

今日が涅槃会(ねはんえ、釈迦が死んだ頃)。明日が下弦で、望月は過ぎて仕舞いましたが、桜も咲き出した事ですし、西行法師の「願わくは 花のもとにて 春死なん その如月の 望月の頃」に被ります。
posted by 三上和伸 at 09:30| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月14日

間奏曲 牡丹雪降る 2020.03.14

牡丹雪
天気予報が当たりましたね。ご覧のように、牡丹雪が降っています。柴は積もり始めています。今朝未明は10℃以上あった気温が、今は3.4℃、正に急降下しました。纏まった雨でしたが、それが霙に変わり、雪となりました。大粒の牡丹雪です。牡丹雪、ボタ⛄とも言いまして、中々風情ある風物です。何処も行かないので、楽しんでいます。
posted by 三上和伸 at 14:52| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 我が桜一輪、気温急降下寒くなります? 2020.03.14

2020.03.14 染井吉野開花一輪目
我が団地南面の庭の染井吉野が雨の中開花
ベランダに出て、ぼんやりと染井吉野を観ましたところ、薄紅の花が一輪、咲いて観えました。周りの蕾もピンクを帯びており、これから一気に咲き出す事でしょう。但し、気象データを観ると、これから一気に気温が急降下する見込み、お出掛けは服装にお気を付けなさいませ…。
posted by 三上和伸 at 08:44| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月13日

月に寄す 旧暦如月の十九 寝待月 2020.03.13

旧暦如月の十九 寝待月 2020.03.13
月の出が一気に遅くなっています。寝て待たなければイケません。しかも月の角度も緩くなって、観易くなっています。前月までは、首が痛くなっていましたが、今は楽に観えます。増々、潰れて歪んで来ました。月の入りは明日午前8時過ぎ、白い月が西に沈みます。
posted by 三上和伸 at 23:31| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラームスの名曲17 歌曲「まことの愛」 フェラント詩 OP7-1 2020.03.13

娘がひとり海辺に座り、
憧れの眼差しを彼方に投げる。
「いとしいお方、長い間どこにいるの。
こがれる思いに安らかになれないわ、
おお、今日にも帰って来ればいいのに!」

たそがれは近づき、夕陽は
空の果てに沈んでいった。
「波はあなたを連れもどしてくれないの。
わたしは目をいたずらに遠くに向ける。
いとしいお方、どこであなたに会えるでしょう」

海の波はやさしくて娘の足に戯れる。
幸せだった時の夢のように。
娘はひそかな力で海の底に誘われ、
海辺にははやその美しい姿は見当たらなかった、
娘はいとしい人を見つけたのだ。                     訳詩:志田麓

作品7は6曲全て短調で書かれています。暗い歌ばかりです。この曲も、結論を言えば、自殺の歌と言っても良いようです。海は優しい波で娘を死の底に誘っています。海の底・死の世界で、いとしい人を見つけたのです。美しいピアノ伴奏、切ない歌、名曲です。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
posted by 三上和伸 at 21:30| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 東大寺お水取り・修二会・お松明 2020.03.12~13

東大寺お水取り・修二会・お松明を正式に言うと、十一面悔過(じゅういちめんけか)と言うそうです。十一面悔過では、二月堂の本尊の大観音(おおかんのん・国宝)と小観音(こがんのん・国宝)に、罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣を祈願します。天平勝宝4年(752年)に始まり、その後、途絶えた事が無いそうです。

お水取りは、二月堂の本尊に、井戸・若狭井から汲むみ上げたお香水(おこうずい)を供えた事に由来し、修二会は、旧暦2月に修する法会に由来し、お松明は、毎夜松明を灯したことに由来するそうです。

12月16日に、11名の僧侶・練行衆が発表され、2月20日から前行の別火が始まり、3月1日から14日まで本業が行われます。本尊に供えるお水取りは、2月12日深夜(翌13日1時半頃)に行われます。

本業を行う練行衆の道灯りのために、大松明を持った童子が付き従います。12日深夜は、重さ70Kgの籠松明が使われます。それを振りかざし、正に豪放な修二会となるそうです。

一生に一度は、観てみたいですね。
posted by 三上和伸 at 10:31| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 薄日差す朝 2020.03.13

落ちた椿 染井吉野の蕾膨らむ
空には高層の雲が張り出ていますが、高層の雲ゆえ、日差しは透過され、地上に届いています。薄日が差す最低気温:8.2℃の暖かい朝です。春の実感が強く致します。今し方、ゴミ出しをしましたところ、椿が落ちて、笹に引っ掛かっている様を観ました。未だ、汚れが少ない椿で、落ちたばかりと想わせました。東京では、今日が開花日宣言と予想していましたが、横浜は如何かしら…。我が団地の桜は、未だですね。「急がなくて好いよ桜さん、ゆっくり咲こう!」。
posted by 三上和伸 at 08:32| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月12日

月に寄す 旧暦如月の十八 居待月 2020.03.12

旧暦如月の十八 居待月 2020.03.12
明日までは晴れそうですが、その後は、雲も多くなりそうですね。月も大分欠けまして、歪の楕円になっています。下弦を過ぎれば、有明の月になります。

先日の麒麟がくる、駒が京に帰るので、前夜は無礼講で、宴が催されました。京女の駒は今様で踊り、扇子の巧みな扱いが粋でした。満月を仰いで、光秀と一言二言、駒の心は、あの満月と同様に、光秀への恋心で、張り裂けそうでした。美しい月夜でした。
posted by 三上和伸 at 23:33| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新とっておきの花 早春の花・野草 2020.03.11


空中の花木の花も素晴らしいのですが、花好きの私が最も拘るのが野草の花です。本当に名も知れず咲いている路傍の花、名の無い花は無いのですが、その名を憶えてくれる人も少ない、地味な田舎娘達です。春の光の中で咲く、そんな野草・田舎娘、私には無常観さえ漂わせて観えます。胸を熱くする野草です。
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トウダイグサ(灯台草)
古人には燭台に観えたそう、啓蟄の頃になると顔を見せてくれます。鮮やかな黄緑色が美しい花、Nちゃん達には、「この草は毒があり、触ると痒くなるから触らないでね」と伝えてあります。

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ホトケノザ(仏の座)
紫と言えばスミレですが、スミレは桜の季節に咲きます。スミレより早く咲くホトケノザ、紫が良く目立ちます。

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オオイヌノフグリ
私の大好きな花、私は「路傍の青い星」と名付けました。太陽が照らないと咲かない花、陽の下で、あんなにキラキラ青く輝いていたのに、陽が陰ると、どこにあったのか解らなくなる花です。路傍の青い星よ!輝け!

ナズナ(薺)・ペンペングサ
チョイとピンボケでした。悪しからず。果実が三味線のバチのよう、ですからぺんぺん草の愛称があります。果軸を剥いて下げ、軸を捻って回すと、「ザラザラ」と音がします。写真はNちゃんがやりました。美味しく栄養価があり、近年、注目されている野菜です。どんな土地でも生える事から、雑草魂の草とも言われています。「ぺんぺん草も生えない(土地)」の慣用句は雑草魂の力も出ない、最低の土地(不耕作地)を言います。

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ツクシ(土筆)
トクサ科のシダ植物・スギナの胞子茎。スギナの地下茎から出る胞子茎で、この胞子に依って、繁殖を図っています。胞子は風に乗り遠くへ飛んで行きます。落ちた土地で、芽を出すのです。語源は「つくづく(熟)し」。意味は「よくよく」、「しみじみ」、「つくねん(ぼんやり)」。ぼんやりと、よくよくみれば、しみじみとします。土筆です。
posted by 三上和伸 at 22:18| 新・とっておきの花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新とっておきの花 早春の花・花木 2020.03.11

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アーモンドの花
あの節分の豆まきが行われた高部屋神社に続く公園、伊勢原市でも大きな有力の公園です。この公園にも、春が目覚めると咲き出す花が幾つかあります。最初が蝋梅、次が梅、そして梅が終り桜が咲くまでの僅かの間に咲くのがこのアーモンドです。バラ科サクラ属で、梅雨時には梅と同じで実が収穫できます。あの美味しいアーモンドはこんな綺麗な花なのです。

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ハクモクレン(白木蓮)
青い空に白い雲、そしてハクモクレンの豊かな花、花時はアーモンドと同じで、早春と仲春の間ですね。NちゃんYちゃんと私、三人で土筆採りのお散歩、ジイジが写真撮影で遅くなると、決まってどちらかが「ジイジ!、早く!」と大きな声で私を呼びます。

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シモクレン(紫木蓮)
こちらは白木蓮よりも少し花が遅いですね。丁度咲き出したばかりの紫の花、未だ、蕾が沢山着いています。渋い色調、白の豊饒とは違う、シックな紫、気品がありますね。
posted by 三上和伸 at 21:43| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 新型コロナV、パンデミック(世界的流行) 2020.03.12

到頭、WHOが新型コロナウィルスの世界的感染をパンデミックと断定しました。発生源は中国武漢周辺とされていますが、何せ今は、世界の114か国に拡大して、11万8,000人が感染者だそうで、パンデミック以外の何物でもないようです。

世界が流動を止め、世界経済が麻痺する恐れが出て来ています。小さな話ですが、私の仕事にも差し障りが出て来ています。感染されず・感染させない行動が必須です。辛いですが、雑踏や人混みに出る事を避けるしかありませんね。芸術家・芸能家には厳しい局面となります。映画・コンサート・観劇に不都合となります。実は今日、私共の二回目の能・狂言の鑑賞会だったのです。400人入りの能楽堂ですが、やはり不特定多数の人混みの中ですからね。大阪のライブハウスのようになったら大事です。鑑賞金放棄は私達には痛いですが、止めにしました。お金は興業元に入る訳ですから、それで良しとしました。
posted by 三上和伸 at 08:20| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月11日

月に寄す 旧暦如月の十七 立待の月  2020.03.11

旧暦如月の十七の月 立待の月 2020.03.11
NちゃんYちゃんRくんは、昨日の満月を観たそうです。横浜は雨でしたので観えず仕舞いでしたが、NちゃんYちゃんRくんは観たそうです。それに味を占めて、今宵も観られると楽しみにしていたのですが、今宵の月の出は19:35だったのですね。三孫はもう白河夜船の時間だったのでした。諦めて寝ました。

私等が家に着いたのが、8時頃、暫く経って、空を見上げたら、見事な立待月が観えました。雲に隠れる間もありましたが、雲から出れば、ご覧のように煌々と照り映えます。暫し、愛らしかった今日の三孫を想いながら、月を観ました。

今日は9年目の3.11、改めて被害に合われた方々のご冥福を祈ります。
posted by 三上和伸 at 23:18| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 NちゃんYちゃんと土筆採り 2020.03.11

土筆
今日はNちゃんYちゃんRくん家に遊びに行きました。咳が出るRくんのクリニック行きの間、NちゃんYちゃんの遊び相手になるために、訪ねたのでした。KさんママからNちゃんYちゃんを引き継いで、NちゃんYちゃんを引き連れて、お散歩がてら、土筆摘みに出掛けました。近所の公園には無く、自信満々のNちゃんの秘密の土筆処に案内してもらいました。それは丁度Nちゃんの通学路にあり、そこの斜面は土筆がツンツン、沢山生えていました。

NちゃんYちゃん一生懸命摘んだのですよ。私も負けずに頑張りました。

 土筆袴を取るNちゃん 収穫した土筆
お家に帰ったら皆で、一生懸命土筆の袴取りをしました。ほら、Nちゃんがやっているでしょ! こうして袴をとって10本一束に纏めたら、何と20束もありました。10本が20束、Nちゃんに全部の土筆の数を聞いたら、Nちゃん、チョイと考えて、「200本?」と答えました。「当たり!」、「凄いね!Nちゃん!、掛け算が出来たね!」。もうみんな楽しくて、和気藹藹、好い一日でした。

土筆のお浸し
Kさんがこさえてくれた土筆のお浸し、チョイと油も使っているのでコクがあり、美味しかったです。写真は我が家に持ち帰って、鰹節を掛けて頂きました。春の風味、美味しゅうございました!
posted by 三上和伸 at 23:01| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 春、青空と植物 2020.03.11

満開の沈丁花
蝋梅・梅、清冽な春の匂い、今は沈丁花が満開です。こうなると嗅覚が衰えている年配者でも、十分にその芳香を感じる事が出来ます。ホントに有り難いものですね。

丹頂草 雪割草
余りに小さくて見辛いかも知れませんが、クリック拡大して観てください。充分なピントで撮れている筈です。早春に咲く草、こじんまりと仄かに咲く春草の花、群れ咲く花に無い、無常が感じられます。

膨らんだ染井吉野の花芽 藪椿
今日は暖かく美しく晴れました。染井吉野の蕾も膨らんで、もう直ぐ開花が見込めそうです。椿は今が盛り、青空の下、見事な咲きっぷりです。
posted by 三上和伸 at 09:17| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月10日

訂正、あだっぽい(女がなよなよとなまめいて美しい様子)の漢字、仇っぽい(✖)を婀娜っぽい(〇)に訂正します。

ブラームスの名曲「スペインの歌」で、記事の末尾に書いた「仇っぽい」は間違いでした。本来の正しい漢字は「婀娜っぽい」でした。お詫びして訂正いたします。
posted by 三上和伸 at 21:11| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 麒麟がくる第8話A 帰蝶と駒の恋の終焉 2020.03.10

光秀が尾張に行っている間、道三から逃げて明智城にいた帰蝶、陽が降り注ぐ渡り廊下で駒と憩う時、二人の恋する乙女は、愛の告白をし合います。美濃・尾張の同盟の重責を担う帰蝶と、身分故の恋の悲哀を嘆く駒、光秀への恋は叶わぬ恋、二人は恋敵でありましたが、不思議な連帯感で結ばれていました。互いの麗しい振る舞いと優しい会話、何とも美しい二人の手弱女振り(たおやめぶり)、素晴らしかったです。ここで寂しいですが、帰蝶と駒の恋は終わりました。

近々、本命の女が出て来ます。熙子(ひろこ)と名乗る愛らしき女、光秀の本妻となるのです。熙子は木村文乃です。
posted by 三上和伸 at 20:38| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 麒麟がくる第8話@ 美濃・尾張同盟 2020.03.10

「同盟のゆくえ」と題された第8話。美濃と尾張が同盟を果たす話で、その証のために、美濃の姫・帰蝶が尾張の若殿の織田信長に輿入れをします。庶民と和む信長の人となりを探った光秀、そして美濃明智の荘に帰った光秀、待ち受けていた帰蝶にその報告をします。されど、この段になる前に、帰蝶の思惑は決まっていました。帰蝶の運命は最早決まっていたのです。美濃国の繁栄と安寧を願って、帰蝶は信長に嫁ぐ決意をしていたのでした。光秀も愛しい帰蝶を諦めて、断腸の思いで、国のために、信長に輿入れする事を勧めました。

この裏で、斎藤道三の嫡男・齋藤高政が、この同盟と婚姻に不満を抱きます。これは、何れ訪れる高政の道三殺し(長良川の戦い)の伏線としているようです。明智光秀も、この高政の親殺しに巻き込まれ、美濃を後にし、浪人の身となるのです。
posted by 三上和伸 at 18:47| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

ブラームスの名曲16 歌曲「スペインの歌」 スペイン民謡(ハイゼ訳詩) 2020.03.09

作品3と6と7は、シューマンに出会った頃の歌曲作品、若く瑞々しい歌が多く作られています。中でも3-1「愛の誠」、6-1「スぺインの歌」は良く歌われています。

スペインの歌 スペイン民謡(ハイゼ訳) OP 6-1
わたしの巻き毛の髪のかげに
いとしいひとがねむっているの。
おこそうかしら?−いけないわ!

毎朝早くわたしのちぢれ毛を
せっせとすいてみるけど、
骨折り損になってしまう、
だって風が掻き乱すもの。
巻き毛の髪のかげと風の音が
いとしい人を眠りに誘ったのね。
おこそうかしら?−いけないわ!

もうずっと前から思い焦がれて、
あのひとを生かすも殺すも
わたしの小麦色の頬しだいと、
恨めしそうにいうのを聞かされるわ、
おまけにわたしを蛇だといいながら、
わたしに寄り添って寝てしまった。
おこそうかしら?−いけないわ!

訳詩:志田麓

独特のスペイン風リズム、結構婀娜っぽい女の歌です。私は「カルメン」を思い出してしまいます。
posted by 三上和伸 at 21:45| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 束の間の晴れ? 2020.03.09

今日は、旧暦の如月の十五、今宵は、十五夜です。しかし、今宵の月は幾望の月、いわゆる満月前の小望月となります。明日は天気が崩れるので、満月は観られないかも知れません。降水確率の少ない、今日か明後日の擬満月を観ましょう。3月の満月は、ネイティブ・アメリカンは、ワームムーンと呼んでいます。ワームとはミミズのような虫の事、虫が這い出す3月、所謂、ネイティブアメリカン流の”啓蟄の月”です。
posted by 三上和伸 at 08:18| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月08日

間奏曲 👩マラソン、一山麻緒(22歳)五輪代表決定 2020.03.08

朝方、妻がテレビリモコンの上にコーヒーを溢しまして、壊してしまいました。機械内が完全に乾けば、直るかも知れないのですが、確実に元通りになる保証もないので、ヤマダ電機に買いに行きました。係りの人が東芝製品に見合うリモコンを進めてくれそれを買いました。序ですが、ヤマダ電機は日用品も扱っているので、トイレットペーパーとティシュペーパーも買って来ました。でもブランド品ではないのですよ。急遽、間に合わせの品を用意したようです。それでも、消費者は助かります。ピアノ教室と私の工房用に使う事にしました。

そんな用事を済ませていたので、名古屋ウィメンズマラソンを見損ないました。ネットでは、ワコールの一山麻緒が2時間20分29秒の好記録で、優勝をし、見事2020東京五輪の出場権内定を決めたそうです。

一山選手、目が一重で、細いのですが、走る姿が美しい選手です。全体に醸し出される雰囲気は、女らしく素敵ですね。先日の駅伝で優勝アンカーをした際の、しなやかな走りを観て、大好きになりました。
posted by 三上和伸 at 16:02| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 横浜は雨 2020.03.08

昨夜から降り出した雨は、今日未明には止んだのですが、再び明け方から降り出したようです。気温は平年より高目、四国の南に前線を伴った低気圧があり、東に進んでいます。どうやら菜種梅雨の様相を呈しています。お仕事が無いならば、ゆっくり自宅で休みましょう。新型コロナが猛威を奮っています。読書、テレビ、音楽鑑賞が適した天気です。私は朝から音楽鑑賞。ブラームスの歌曲を聴き通しています。
posted by 三上和伸 at 09:21| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月07日

ブラームスの名曲15 歌曲「愛の誠」 ライニック詩 op 3-1 2020.03.07

ブラームスの20歳頃の作品。世に出るため、ドサ回りをしていたブラームスが初めてシューマンを訪れた際に、持っていた自作の一つ。シューマンの前で、ピアノソナタ2曲とスケルツォなどを弾き、聴いて貰い、熱狂の賛辞を得ました。早速、出版社を紹介されて、若きブラームスの最初の楽譜が刷り上がりました。その中に歌曲があり、作品3(6曲)として世に出ました。中でも一番評価が高かったのが、この「愛の誠」で、そのため作品3の1として名を連ねました。

母と娘の愛の誠に於ける応答を歌ったものです。心配をする母、でも自信満々の娘、何処にでもある話です。

愛の誠 ライニック詩
「我が子よ、おまえの悩みを沈めなさい、
海の中へ、深い、深い海の中へ!」
石ならば海の底に沈んだままでしょうが、
私の悩みはいつも浮かび上がるものよ。

「それに、おまえの胸に懐く愛を
破り捨てて仕舞いなさい、わが子よ!」
花なら手折れば枯れるでしょうが、
わたしの愛はそんなに早くは消えないの。

「愛の誠なんて、ただ口先だけだったのよ、
風の中にそんなの吹きとばしなさいな!」
おお、おかあさん、岩が風に砕けても、
わたしの誠はあの人をつなぎとめるわ。

訳詩:志田麓

女歌で、一人の歌手が歌うのですが、母のパッセージでは不安げに諭すように、娘のパッセージでは愛を夢見るように、伴奏共々歌われます。

演奏
@ソプラノ:ジェシィ−・ノーマン ピアノ:ダニエル・バレンボイム
Aメゾソプラノ:ブリギッテ・ファスベンダー ピアノ:Irwin・Gage
Bソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

posted by 三上和伸 at 20:28| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月06日

間奏曲 麒麟がくる6話・駒・門脇麦 2020.03.03

6話と7話、話が前後してしまいますが、6話「三好長慶襲撃計画」に付いて何も述べていなかったので、ここに書きます。

前半は当時の京(京都)の勢力地図が紹介されます。当時の将軍は足利義輝、幕府管領(将軍補佐役)の細川晴元、その家臣の三好長慶、その配下の松永久秀、将軍奉公衆の三渕藤英と細川藤孝らが登場し、その力関係が示されます。光秀は後に盟友となる細川藤孝と心を通わせます。

家臣でありながら管領の晴元とは敵対している三好・松永を、晴元は闇討ちしようと刺客を送ります。そこを光秀が助太刀し、藤孝と共に三好・松永を助けます。藤孝との別れ際に、藤孝が光秀に「京に残りませんか、私達を助けてくれませんか」、光秀は故郷美濃が心配であり、美濃を大きく立て直してから上京すると答えました。

白眉は傷を負った光秀の介護に、美濃まで付き添った薬師の駒との道行き。夜になり、古寺の板の間で休む間に間、痛みと寒さで眠れぬ光秀に抱かれて、犬コロみたいに温かい己の体で光秀を温める駒。駒には幸せの一夜となったのでした。恥じらいと喜びの駒の表情、門脇麦は見事に純情娘を演じました。
posted by 三上和伸 at 21:41| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 干されタレント復帰続々 2020.03.06

元SMAPの稲垣吾郎、NHKの朝ドラで、ドラマ出演復帰、どんな役でもこなせる器用な俳優、今後は名バイプレーヤーとして活躍してくれるでしょう。過去に「湾岸警察署」とかで極悪の犯罪者を演じた映像を観ました。見事な演技でした。こんな役、一杯やって欲しいですね。エゲツナイジャニーズ事務所、今こそ見返してやれ!

そしてのん(能年玲奈)、こちらも3.11のNHKニュース7に特別生出演をするそうです。「あまちゃん」の東北復興を願ってじぇじぇじぇ! 

どんな事情があったか知れないですが、有能な女性タレントを干すなんて、とんでもない芸能事務所に入っていたのですね。現在25歳、若さ溢れる瑞々しい女優人生の一時を干されて台無しにされてしまいましたが、これからが本番、大河にも出て、名女優になりましょう。薄汚れた芸能事務所、捨て去れ!
posted by 三上和伸 at 20:31| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月に寄す 旧暦如月の十二 十二夜の月 2020.03.06 17:19

旧暦如月の十二の月 2020.03.06 17:19
今し方写した十二夜の月です。天気の浮き沈みが激しいので、明日は月は観れない見込みです。十五夜の月は観られそうですが、10日の満月は駄目そうですね。今年のスーパームーンは、4月8日です。ですから、今、月は肥満の真っ最中です。
posted by 三上和伸 at 17:50| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 Nちゃん謎かけ攻勢に四苦八苦 2020.03.06

新型肺炎の流行で、私の仕事も飛んでもなくなっています。今日も仕事が無く、家にいます。まあ、諦めムードです。NちゃんYちゃんもお家遊び、面白い遊びに目が無い年頃ですから、目敏く難しい謎かけなどに、興味を持ちました。今し方、お雛様の片づけをしました。そうしたらNちゃんから謎かけ攻勢、これからスマホを覗いて、Nちゃん謎かけを解くところです。

追伸:今妻が私のスマホを手に、工房に居る私を訪れました。これからNちゃんと対決です。

難しかった…
@テルテルボオズとかけまして、虫刺されとときます。その心は?
どちらも「   」でしょう。 答え「はれる(晴れる・腫れる)」。

A空の雲とかけまして、小魚の大群とかけます。その心は?
どちらも「   」です。 答え「いわし」。

B日本の昔のお城とかけまして、かえるとときます。 その心は?
どちらも「   」がいます。 答え「とのさま」。

Cふねとかけまして、ねん挫した時に使うものとかけます。その心は?
どちらも「   」でしょう。 答え「しっぷ(シップと湿布)」。
posted by 三上和伸 at 10:36| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月05日

月に寄す 旧暦如月の十一の月、啓蟄 2020.03.05

旧暦如月の十一の月 2020.03.05 
今日は二十四節気の一つ啓蟄です。啓蟄は春の蠢き(うごめき)、虫が目覚め動き出す時です。漸く、命が躍動する時が来たのです。

空は美しく晴れ、十一夜の月が煌々と照っています。周りには冬の大三角とオリオンが囲み、それは華やかな星月夜です。
posted by 三上和伸 at 21:47| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 陽が射して来ました 2020.03.05

2020.03.05 陽射し出る
未明まで降っていた雨も上がり、9時前には陽が射してきました。最低気温も7.3℃、平年(5.3℃)より高目であり、暖春の傾向が強いですね。過ごすには快適ですが、コロナウィールスがいる限り、本来の春の生活が出来なくて、詰まらないですね。NちゃんYちゃんRくんも学校幼稚園に行けず、謎かけなんかで楽しんでいますが、今日はお外で、思いっ切り楽しんで欲しいですね。体を使って、お腹を減らしましょう。但し、手洗いは確実にやってくださいね。
posted by 三上和伸 at 09:08| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月04日

前奏曲 日本も私もピンチ 2020.03.04

新型肺炎禍、日本各地の各種のサービス業に悪影響を与えています。濃厚接触の学校にイベントにスポーツ、それらにかかわる多くの仕事人が…、影響を受けています。私の仕事も、イベント中止を始め、各家庭のピアノの調律でも、後回しにされる傾向が出て来ています。当分は真面な仕事が出来そうにありません。まあ、生活不安にはなっていませんがね。
posted by 三上和伸 at 20:39| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月03日

終曲 雛祭りの晩餐 2020.03.03

五目寿司と蛤の潮汁
五目寿司に蛤の潮汁、雛祭りの日に、私がリクエストした夕餉の膳です。寿司は何でも好きですが、最も子供っぽい五目寿司が私の最も食べたい寿司ですね。子供の頃に母が作ってくれた五目寿司、これは母の味、懐かしい故郷の味、郷愁の味。正にグルメの原点となった愛しい食べ物です。

posted by 三上和伸 at 21:58| 終曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間奏曲 一目惚れ・伊原六花(いはらりっか・20歳) 2020.03.03

昨日観た「帰れま10」で、何やら一人の若い女性タレントが参加していました。お笑いメンバーに良く馴染んで、堂々とラーメンを頬張っていました。時折、コメントを挟んで、その受け答えや、言動が実に滑らかでした。良く観ると何とも若く可愛いタレントでした。笑顔が美しく、流し目の動きが蠱惑的であり、喋りも気持ち好く、一目で気に入りました。何処となくキャスターの高島彩似で、品の好い美人でした。ラーメン屋のメニューを当てる番組のようで、伊原は結構勘が鋭く、見事に当てていました。しかもオマケに、バブリーダンスを踊りまして、踊りが得意と見受けられました。

大阪の登美丘高校のダンス部の中心メンバーだったそうで、バブル期の風俗、バブリーダンスを高校の全国大会で踊って、注目された子です。元々芸能界に憧れていたようで、見事初志貫徹を果たし、芸能活動を成功させていました。ミュージカル女優が目標のようで、今後が楽しみなシンガー・アクトレスです。

ダンス部ですので、その肢体は見事な出来栄え?をしていました。ネットでは水着写真が載っていまして、楽しませて貰いました。

身長:160cm、体重:✖、B:85cm、W:56cm、H:85cm、素晴らしいプロポーション、あの久野真紀子並の肉体でした。
posted by 三上和伸 at 20:01| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月に寄す 旧暦如月の九 如月の上弦の月 2020.03.03

旧暦如月の九 2020.03.03上弦の月 旧暦如月の九 上弦の月 2020.03.03 18:55 宵の明星・金星 2020.03.03 18:55
 2020.03.03 15:16     2020.03.03 18:58    宵の明星・金星 2020.03.03 18.55    
最近、月を撮り損なって来まして、漸く上弦の月で、撮り損ないの終止符が打てました。オマケに宵の明星まで観られて、好い雛祭りになりました。雛祭りと上弦が合致したのです。楽しい一日となりました。
posted by 三上和伸 at 19:18| 月に寄す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 穏やかな朝、今日は雛祭り 2020.03.03

Yちゃん・バアバの紙お雛様
Yちゃん・ババチャンの紙お雛様
雲はありますが、穏やかな春の朝です。低気圧が幾つもありますが、日本列島はその狭間にあり、晴れています。明日以降は下り坂ですがね。今日は雛祭り、昔は流し雛などの禊(みそぎ)の節句でしたが、現代では女の子の成長を願う雛祭りとなりました。

先日、ババチャンがNちゃんYちゃんRくん家を訪れた際、ご覧のような、紙雛をYちゃんと二人で作ったそうです。きっとNちゃんYちゃんKさんのお雛様と一緒に雛祭りを楽しんでいることでしょう。新型コロナ禍の最中ですが、昨日もお友達が来てくれたようで、元気で、この災難を乗り越えようとしています。

私達は我が家のナッチャンのお雛様で雛祭り、今夜は五目寿司に蛤のお吸い物、楽しみです。
posted by 三上和伸 at 09:31| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の歳時記 上巳の節句 2020.0303 

ナッチャンのお雛様
上巳(じょうし)とは上旬の巳(み)の日の事です。古来中国ではこの日に、厄除けの儀式が行われていました。これが上巳の節句です。旧暦の3月ですから桃の咲く時期です。それ故に、桃の節句とも言われました。後に女児を祝う節句となりました。

元々は3月上旬の巳の日でしたが、三国時代の魏(ぎ)の国で、3月3日に行われるようになりました。日本にも奈良時代に伝わり、貴族の間で、厄除けの儀式として行われていました。

やがて時代が下ると、武家社会にも伝わり、更に江戸期になると、庶民の人形遊びと重なり、穢れ(けがれ)を川に流す「流し雛」の風習が起こりました。豪華な雛人形も作られるようになり、今日のお雛様の雛祭りの伝統習慣になりました。
posted by 三上和伸 at 08:43| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月02日

間奏曲 麒麟がくる・帰蝶・川口春奈 202003.02

昨日録画した「麒麟がくる」7話「帰蝶の願い」を観ました。漸く大河ドラマ代役の体制が整ったのか、帰蝶役の川口春奈の演技に精彩が感じられるようになってきました。封建時代の習いとして政略結婚がありまして、その担い手であった姫君、美濃守護代・齋藤道三の姫・帰蝶もその犠牲的精神で、戦国時代を生き抜いたのでした。顔も知らね相手(織田信長)の素性を調べて欲しいと、思いを寄せる光秀に請う帰蝶、透明感を漂わせる硬い表情の川口に、哀れを感じました。自分の役目を知っている帰蝶、せめて夫となる信長の人となりを知りたいと願います。切実な願い、女の覚悟と諦観を感じさせてくれました。素晴らしい、川口。
posted by 三上和伸 at 22:16| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 新型肺炎禍、我が仕事にも 2020.03.02

新型肺炎禍、愈々我が仕事にも拘って来ました。昨日、仕事から帰ったら、妻からの伝言「明日の約束の・・・さんから電話があって、明日の調律は肺炎禍が収まってからにしてしてくださいだって…」。「???」、全く何処までも心配する人はいるのですね。子供さんが家にいるからなのですね。子供さんに他人を近づけさせたくない、気持ちは解りますがね。そんな訳で、今日の私はお休みになりました。
posted by 三上和伸 at 08:31| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月01日

新とっておきの花 早春の花 2020.03.01

藪椿 オオアラセイトウ・ムラサキハナナ・ハナダイコン バイモ(貝母)
春ですね。栽培一年草ばかりが目立った庭も漸く季節の花が咲いてきました。短い散歩でも、色取り取りの季節の花が咲きだしています。今年は暖冬で、春が早く、思いもよらない花が咲きだしそうでした。

寒緋桜
寒緋桜(かんひざくら)
本来は緋寒桜(ひかんざくら)と呼ばれていましたが、彼岸桜(ひがんざくら)と音が紛らわしいので、近年は寒緋桜と呼ばれることが多くなりました。沖縄・台湾・中国南部に自生する桜です。近年は多く栽培され、関東地方でも咲いています。桜には珍しい濃色の花。

アセビ(馬酔木)
アセビ(馬酔木)
ツツジ科の常緑低木で、山地に自生します。花が可愛いので、庭にも植えられています。有毒植物で、馬酔い木(まよいぎ)と書きアセビと読ませます。但し、牛馬は決して食べません。さだまさしの「まほろば」の歌中にこの木が歌われています。「まよいぎ」と呼んでいます。

ヒマラヤユキノシタ
ヒマラヤユキノシタ
アフガンや中国のヒマラヤ山脈周辺に自生するユキノシタ。耐寒性が強く、暑さにも負けない、丈夫な草です。早春にピンクの花を群れて咲かせます。

藪椿
ヤブツバキ(藪椿)
日本の太平洋岸に自生する椿。伊豆大島のあんこ椿の元の花。美しいあんこ(娘・婦人)に例えられた美花です。冬の茶席には必要不可欠な花です。お客様だったお茶の先生の椿への思い入れは凄まじかった記憶があります。吉永小百合が五島の椿を宣伝していますね。吉永の声は嫌いですが、椿とともに映る映像は素敵でした。

オオアラセイトウ・ムラサキハナナ・ハナダイコン
ハナダイコン(花大根・ムラサキハナナ・ショカッサイ)
春の紫色を代表する花。海辺に咲くハマダイコンに似ています。ハマダイコンは完全な野生ですが、このハナダイコンは半野生です。人間が花ゲリラとなり、方々の空き地・荒地に種を放出したものが育って咲いています。

バイモ(貝母)
バイモ(貝母・アミガサユリ)
クロユリの仲間で、中国原産の観賞用の百合です。今年の暖冬が影響しており、既に蕾を持っています。数週間、早いですね。
posted by 三上和伸 at 09:38| 新・とっておきの花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前奏曲 今日からは気象的に春 2020.03.01

気象的には今日3月1日が春の始まりになるそうです。春の概念は他にもあり、立春、旧暦の睦月(旧元旦)など、その区切りとしては様々です。まあ、現代人にとっては、3月・4月・5月が春で、6月・7月・8月が夏、9月・10月・11月が秋で、12月・1月・2月が冬なのでしょうね。昨日が2月29日で冬の終わり、今日の3月1日が、春の始まりです。

横浜の最低気温:8.5℃、先ず暖かい朝です。北風は冷たいですが、春らしい陽射しがあります。南岸には前線があり、九州や沖縄では雨が降っています。北海道は⛄、青森・酸ヶ湯の積雪深は272cmです。
posted by 三上和伸 at 08:27| 前奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする