ブラームスの音楽の発露は何か?と問えば、それは自然の中にあると想います。四季折々の自然から感化された琴線が、過去の音楽、絵画、文学などから影響を受け、知識として蓄え、それがブラームスの全人格となって、音楽が作られます。彼は大芸術家でありましたが、それは音楽に限っての事です。論文や論評などは無く、ひたすら彼の思想や感情は、音楽で著されていたのです。作品116も自然から受けた感動から出発しています。
ブラームスは形式主義者でもあったので、この7曲のファンタジアも1曲と7曲は、序と結尾の形を取っています。自然への飽くなき愛好とそこから生まれる人間ドラマは、中間の第2曲から第6曲までで、2曲・早春の鬼火、3曲・春の嵐と怒涛、4曲・五月の夜、5曲・秋の枯葉、6曲・雪の精、と私は勝手に決めつけています。序(第1曲)と鬼火(第2曲)は紹介しましたので、今回は第3曲の春の怒涛です。
第3曲は、ト短調で書かれています。全7曲中、5曲が短調、2曲が長調で、あのシンフォニーやコンチェルトの長調・短調が同数の見事に仕分けられたものと比べると違和感があります。それでもこの最晩年の時期のブラームスの心境は、悲しいものが心の糧だったようで、それに全精力を注ぎ込んだようです。寂寥(せきりょう・詫び寂び)と諦観(ていかん・悟り)、されど自然愛・人間愛に満ちています。古今東西、似たものがありません。世に並ぶものが無い、ピアノ曲の傑作です。
遠くで雷光が煌めき、突然の強雨、雷鳴も轟き始めました。空は荒れ狂い、暫くは春の嵐が続きました。しかしやがて雨が止むと、遠く北海の怒涛が聴こえます。小さくなったり、大きくなったり、それは次第にリズムを帯びて、まるでダンスのよう…。血沸き肉躍るダンス、心に幽かな快楽が訪れたのでした。