ブラームスは、劇的効果を極力抑えた音楽作りをしています。大袈裟になることを好まず、その関心は、専ら人間の心の奥深い襞、そこに分け入ることを目指しています。一夜の音楽の興奮ではなく、千夜に思いを馳せる思索と感情の音楽、人間の心理の表現を第一に考えた音楽家でした。
そんなブラームスにとって、歌は最も適したジャンルでした。シューマンに見い出された頃より、ピアノ曲、室内楽曲、管弦楽曲も作っていましたが、何にも増して、歌曲こそが、ブラームスが最初に秀でたジャンルでありました。Op.32とOp.33の二つの傑作歌曲をものにしたブラームスが、この後に選んだ曲種が合唱曲でした。ブラームスはやはり、人間が発する声と歌に関心が深かったのでした。優れた文学的素養も身に着けていたブラームス、詩の選び方にも独特の才能がありました。ブラームスの歌の抑揚は、詩の抑揚とぴったり寄り添い、自然に流れるメロディーを持っています。
30歳代の合唱作品を列挙してみますと、宗教合唱曲Op.37、女声合唱曲Op.44、ドイツレクイエムOp.45、カンタータ《リナルド》Op.50、愛の歌Op.52、アルトラプソディーOp.53、運命の歌Op.54、勝利の歌Op.55、新愛の歌Op.65など都合9編が10年の間に作られています。傑作・名作ばかり、正にブラームスの合唱曲の黄金時代と言えるのです。
巨大な作品であるドイツレクイエム、長時間の緊張に強いられていたブラームスは、漸くレクイエムを完成させ、大きな成功を収めました。気分が緩むのは当然で、ユーリエへの思いとともに、歓喜の内にこの愛の歌ーワルツを作曲しました。ブラームスの創作意欲についてクララ・シューマンが述べています。夫のローベルト・シューマンには常に産みの苦しみが着いて回っていたとのこと。しかし、ブラームスは喜々として作曲する強い創作意欲があり、クララは17歳も年下のブラームスを強く尊敬したのだそうです。その伝で、ブラームスは何の苦労も知らず、最高に楽しんで、この愛の歌ーワルツを完成させたのです。
四手のピアノ(連弾の事)と四声部の歌で構成されています。歌は四重唱もしくは四部合唱でも良く、柔軟な指示がされています。詩はゲオルク・ダウマーが訳した外国の愛の歌の歌集(ポリュドーラ)で、18の詩に曲が付けられています。また歌無しでも良く、連弾ピアノワルツ集でも可能とされています。3/4拍子のワルツ、もしくはレントラーで、気難しさは皆無で、愛の喜び、人生の喜びを歌う楽しい曲集です。
第1曲「いってくれ、世にも愛らしい少女よ」
いってくれ、世にも愛らしい少女よ、
クールなぼくの胸の中に、
そのまなざしでもって、この荒々しい、
この焼けつく感情を投げこんだ少女よ! (男歌)
お前は心をやわらげる気持ちはないのか?
あんまりおぼこ過ぎるものだから
愛の喜びも知らずに夜をすごす気なのか、
それとも、ぼくに来て欲しいのか? (男歌)
愛の喜びを知らずに夜をすごすなんて
そんなつらい償いをする気はないわ。
どうぞ来て頂戴、黒い眼の若者よ、
来て頂戴、星のまたたく時に。 (女歌)
逢引き?、夜這い?、陽気ですが、意味深な言葉が並びます。まあ、男と女、やる事は何処の世界でも同じですから、興奮の一夜となるのでしょうね。好いですね。目くるめく陶酔の一夜。