少し古い指揮者の話ですが、フランスの名指揮者に、ピエール・モントゥーがいました。1875年の今日に生まれ、亡くなったのが1964年7月1日でした。1911年から有名なバレエ団・ディアギレフのロシアバレエ団の指揮者を務め、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」、「春の祭典」、ラベルの「ダフニスとクロエ」、ドビュッシーの「遊戯」などのバレエの初演を振りました。超難曲の初演の指揮をする事は、並大抵の事ではなったようですが、見事にその重責を果たしたそうです。若い頃にはブラームスに会って、ブラームスの前でヴァイオリンを弾いたそうです。それがモントゥーの生涯の誉れで、人に語っていたそうです。
生粋のフランス人には珍しく、生涯、ブラームスの音楽を愛し、交響曲第2番ニ長調op.73を指揮するのが最大の楽しみだった男でした。後進の指導もシッカリやって、ネヴィル・マリナー、アンドレ・プレヴィン、デイヴィッド・ジンマンなどの名指揮者を育てました。臨終の時が泣かせます。N・マリナーが駆け付けた時、「死んであの世に行ったら、ブラームスに謝らなくてはいけないんだ。『何度やっても上手く弾けなくて、すいません』と…」と言い残し、ドイツレクイエムのスコアをしっかり抱きしめて死に臨んだと言う事でした。私には解ります、その気持ちが…、私が死んだら簡単な葬式で好いから、「ドイツレクイエムの第4楽章『あなたの住まいはなんと気持ちのいいことでしょう』を、リピートで流し続けて欲しい」と頼もうと思っています。