江戸・日本橋を起点に、徳川家康が全国支配を整えるため、五街道の整備を始めました。東海道・日光街道を始めとして奥州街道、そして中山道と甲州街道の順に整備されてゆきました。各街道には一里(約4km)ごとに一里塚を設け、旅人が迷わないように、距離の計算の目安にしました。適当な間隔で宿場を設け、そこには人足と馬を備えました。参勤交代が通り、飛脚や旅人が行きかいました。江戸時代、庶民の間でも、旅は盛んになりました。私の周りにも神奈川宿や保土ヶ谷宿(一里塚があります)があり、旧東海道の道も知られています。
享保元年のこの日(西暦1716年6月4日)、この五つの街道の名称が決まりました。