2010年07月28日

音楽の話22 ブラームスにはじまりブラームスにおわる


 釣りの世界では、よく「釣りは鮒にはじまり、鮒に終わる」と言うそうですが、私の音楽遍歴では、「ブラームスに始まりブラームスに終わる」が偽りのない所だと思います。十五歳の折に初めて買ったLPレコードはカラヤン指揮のブラームスの第一交響曲でした。それから四十五年の長い歳月、私はクラシック音楽を始め様々なジャンルの音楽を聴いてきました。ビートルズやサイモンとガーファンクル、カーペンターズにも酔いしれました。しかし歳を取るに従って多くを知り、人が解り、芸術を理解できるようになると、やはり、私を強く捕えて離さなかったのは西洋のクラシック音楽に他なりませんでした。バッハ、ヘンデルのバロック、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのウィーン古典派、ショパン、シューマンのピアノ、ワーグナー、ベルディのオペラ、ブルックナー、マーラーのシンフォニー、そしてシューベルト、シューマンの歌曲等々。どれもこれも素晴らしく私の心を捕えました。

 しかし、そうであったとしても私が最も熱狂するのはブラームス、最も愛するのはブラームスの音楽。彼の作品は人間の尊厳を衒いなく歌い上げる至高の芸術音楽です。私が今日までの長い年月に培ってきた音楽鑑賞眼で、この人の人間性と芸術を述べてみましょう。それは極めてシンプルでただ一つ、自己以外の人間のために涙を流す事です。人の痛み人の悲しみを自分の事として心で理解できる事です。そんな愛を積み重ねた末の永遠の美学・諦観をその音楽に籠められた事です。これこそが他の音楽家の誰もが掴み得なかった人間の芸術の帰結点です。私はこの音楽を知り得た事に深く感動しています。生まれてきて良かったと心底思い、その幸運を感謝している次第です。

 ただし、今の私の心には大きくモーツァルトの比重が増しつつあります。モーツァルトの音楽もブラームスと同様の稀有の美学・諦観が感じられるからです。人を愛さずにはいられないおめでたくも得難い大切な人…、真実の人…。この二人の音楽は確実に、否絶対に、私の生涯の心の拠り所となるのです。

 諦観とは: 諦はあきらかの意、観はみる事、従って諦観とは単純に言えば、ものごとをはっきりみると言う事です。また真理を表すともされています。それらを踏まえ哲学的に言えば、真理を悟るになります。それは悟りを開いて全てを許し認める事です。さらに芸術的美学的に言えば、悟りは愛に行き着き愛の真理のメッセージを与えるになります。諦観の美学は真の愛のメッセージなのです。
 諦観とは決して諦めがいいのではありません。諦めずに修行をし最後に悟りを開く、その境地を言うのです。
posted by 三上和伸 at 22:44| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする