2011年06月19日

音楽の話46 ある指揮者へのお礼状 

 大分前、指揮者で音楽教育家のある方のピアノの調律に伺ったところ、私はその方から三枚のCDを頂きました。それは、ご自身が指揮をされたアマチュアのオーケストラの演奏のもので、過去数回の演奏会の会場録音のものでした。その時、「後日でもいいから感想を聞かせて欲しい…」と請われたので、私は以後数十日間、その三枚のCDを長時間掛けて何回も聴かせて頂きました。そしてお礼状を差し上げ、その中で若干の拙い感想を述べさせて頂いたのでした。以下にその感想の一部を抜粋して掲載いたします。

 …前略…

 さて、本題の三枚のCDについて申し上げます。
まずは立派なCDを頂戴しありがとうございました。有難く拝聴しました。今日までに都合十数回は聴かせて頂きました。二年前に頂いた第三シンフォニー「英雄」にも驚かされましたが、今回も同様に驚愕しました。ベートーヴェン、素晴らしい出来栄えでした。第一、第五、第七シンフォニーに於いては、テンポ、リズム、ハーモニーのベイシックがしっかりしており、フォルテッシモの全合奏は本物のシンフォニーの響き、正にベートーヴェンの精神が輝いて聴こえ感動しました。歪みのない端正な造形の中に力強い力感が籠められており、見事な効果を上げていると感心しました。そして心憎い歌い回しの妙、三曲の緩叙楽章が美しいのは旋律の歌い回しに長けているから…。その歌い回しで強い説得力を生み出しているから…。自然に心に入ってきて心を揺らし、聴き手を偉大な人間ベートーヴェンへ導きます。歌う事、この得難く素晴らしい音楽表現は貴方の得意分野と私は推察しました。

 …中略…

 最後にワーグナーとブラームスのCDについて私の私見を交えて述べさせて頂きます。
 この時代の批評家フーゴ・ヴォルフは、よくワーグナー及びリストと敵対するブラームスとを比較して論じていました。勿論、ヴォルフはワーグナー派の人なのでワーグナーを持ち上げ、ブラームスをこき下ろす立場を取っていました。その言によれば、ワーグナーは充実から創作を試みるが、ブラームスは充実を渇望するところから創作を始めると指摘しました。当たらずと雖も遠からず、と言えるかも知れません。ヴォルフは中々鋭い鑑賞眼を持っていたのでした。私は若い頃にこの言葉に拘って随分両者を比較して聴いたものでした。その結果、やはり私は例え渇望から生まれようともブラームスの妥協のない真剣な愛の音楽を一番に愛していると再確認したのでした。勿論、ワーグナー派の人々の音楽を嫌う事は全くなく、作品によっては定番の愛する曲も多々あります。但し、劇場的娯楽作品が大半で、それはそれで楽しめばよいのですが、ブラームスのような愛、希望、信頼(信仰)の三つの精神を前面に押し出しての人間音楽はそれ程多くはないと感じるのも確かです。

 頂いた三枚のCDの内の一枚は正にこのロマン派の両巨頭の代表作、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」とブラームスの管弦楽用の「ハイドン変奏曲」でした。私は大変な興味を持って聴かせて頂きました。何回も納得・得心するまで聴きました。

 ワーグナー、美しい…。ヴォルフの伝で言えば、充実しきった満足から生まれていると言わざるを得ません。勿論、その美しさの理由は、この「ジークフリート牧歌」が名曲であるのと同時に貴方の演奏が素晴らしかったからに他なりません。オーケストラもよく貴方の意向に応えて細部にまで鮮やかさが増しています。私はこの美しさに驚き、陶酔し、最後は感動して胸の熱くなるのが感じられたのです。ワーグナーは血湧き肉躍り、その斬新に驚嘆し、壮大なフィクションに熱狂し陶酔するだけのものと思っていた私には驚きでした。この「ジークフリート牧歌」には、一庶民の日常の愛と安らぎがあったのですね…。私はそれを貴方の演奏から体感する事ができました。素晴らしい…。

 一方、もう一人の指揮者の方のブラームスの「ハイドン変奏曲」ですが、多少不鮮明さの残る決して美しい響きの演奏ではありませんでした。しかし、終りに向かうに従って次第に感興が増して、音楽は形になってゆきました。そのそこかしこに庶民ブラームスの愛の精神は現われていたと感じました。まあ、ブラームスは音の美による陶酔熱狂ではなく、愛燃える心の音楽、それは十分達せられていたと思いました。

 …以降略… 
posted by 三上和伸 at 08:58| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする