2011年07月19日

音楽の話50 N響アワー パパ・ハイドンの栄光を視聴して 2010.07.17

 一昨晩のN響アワーは、パパ・ハイドンの栄光と題してウィーン古典派の大作曲家・フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの偉業と、後の作曲家への影響を紹介していました。演奏された曲目はハイドンの交響曲第104番「ロンドン」の第一楽章、そしてプロコフィエフの古典交響曲OP25とブラームスのハイドンの主題による変奏曲Op56aでした。

 「ロンドン」交響曲はハイドンの二度に亘るロンドン訪問で発表された曲の一つである事からのちに「ロンドン」の名が着きました。ハイドン最後のシンフォニーで、ハイドンの特徴である短い旋律が小気味よく展開される爽快極まりない印象が残ります。ハイドンの音楽の極意とは心身の健やかさと私はみました。何時どんな時でも決して悲観的にならない陽性な力強い音楽です。

 プロコフィエフは20世紀の音楽家で、当時の流行である古典への回帰を目指した新古典主義の作風を示した作曲家でした。その代表作である古典交響曲を書いた動機は、20世紀の今日(当時)に、もしハイドンが生きていたならきっと現代の趣味も交えてこんな古典形式の交響曲を書くのではないか?、と実験したかったからなのだそうです。まあ、真面目なハイドンに比べればプロコフィエフは一寸天の邪鬼ですが、端正で爽快な明るさは十分ハイドン的だと思われました。

 ブラームスのハイドン変奏曲はブラームスのハイドン研究の副産物として生まれた曲です。ブラームスはそれまで存在した過去の音楽を徹底して研究した人で、ハイドンもその内の一人でした。ある日ハイドンの管楽器のための「ディヴェルティメント」の楽譜を見ていたところ、「聖アントニーのコラール」と記された旋律を発見しました。この旋律自体もハイドン作とは断定できないそうなのですが、ハイドンの譜面から見付け出されたので、後にこの旋律を主題として作られたこの変奏曲名をハイドンの主題による変奏曲としたのでした。ロマン派のブラームスの作品は前二曲に比べ、形式を重んじる点を除けば全く違う作品と言ってよいでしょう。主題旋律こそハイドンの姿そのままですが、変奏に至ると重いブラームスの感情が覆い被さって来ます。「ここには人間の一生がある」と言った指揮者もいたそうで、人間に拘ったブラームスの面目躍如たる傑作なのです。明るく爽やかな前二曲とは異次元の曲であり、これがロマン派なのです。

 番組が触れなかったハイドンのもう一つの運命をここで紹介しておきましょう。
 生前ないし死後暫くの間、ハイドンは栄光に包まれていたようです。この古典派の時代に最も楽譜が売れた作曲家がハイドンであったそうで、モーツァルト、ベートーヴェンを差し置いて当時はナンバーワンの作曲家だったのです。何しろ時代に適う爽快で健やかな音楽であったために王侯貴族は元より一般市民にも遍く愛されたのでした。ところが、十九世紀・ロマン派の時代になると次第にハイドンの評判は陰り、モーツァルトやベートーヴェンの陰に隠れるようになりました。その大きな原因はモーツァルトやベートーヴェンが持つ芸術のカリスマ性に比べ、一見凡庸なハイドンが劣るとみなされ、ある意味軽蔑されるまでに至ったのでした。演奏会に取り上げられるのは一部の標題が付けられた交響曲や室内楽に限られ、その他の大半の曲は眠りに就かされてしまったのでした。

 これに警鐘をならしたのが、19世紀の一部の音楽学者(フェルディナント・ポールなど)とポールの友人の作曲家・ブラームスでした。更にブラームスが無意識のうちに先駆けとなった新古典主義が20世紀に起こると、プロコフィエフを始めとした多くの作曲家が古典形式を重んじた作品を作るようになりました。するとやがて当然ながら交響曲・室内楽の父(始祖)・ハイドンを見直す機運が高まったのでした。今日、交響曲の全曲演奏や眠っていた室内楽や声楽曲にピアノ曲も多く取り上げられるようになり、ハイドンは完全なる復活を果たしたのです。但し、相変わらず芸術ファンはカリスマのドラマティックが好きなようで21世紀の現代でも、@モーツァルト、Aベートーヴェン、Bハイドン、のウィーン古典派の人気順位は19世紀のまま不動です…。

posted by 三上和伸 at 23:13| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする