2011年10月17日

鎌倉漫歩5-7 高徳院・長谷の大仏(鎌倉大仏) 2011.09.25

 旧大仏切通が終わる所は火の見下のバス停辺り…、ここは新切通の県道鎌倉藤沢線内にあります。丁度ここが旧切通と新切通が交わる地点であり、次に私は広い県道の新切通を鎌倉方面へ戻る形で高徳院を目指しました。暫く歩き大仏トンネルを抜ければ大仏坂、そこを下れば俄かに大繁華街の様相を呈してきます。人で溢れ、鎌倉大仏の高徳院は直ぐそこにあると察しが付きました。

@長谷の大仏(鎌倉大仏)
大仏
造立の始まりや経緯など不明な点の多い大仏、ある寺院の本尊として建てられた訳ではなく、最初に大仏ありきであったようです。造立後紆余曲折の末、浄土宗高徳院の本尊・阿弥陀如来坐像に収まったようです。

そもそも大仏は何から出来ているかご存じですか? 何と銭から出来ているのですと…。多くの庶民の寄進や中国の宋銭を集め煮溶かし鋳造されたのだそうです。従ってその金属の組成は鉛の比率が高い銅と錫の合金で青銅と言って良いのだそうです。銅像と言うよりも青銅像なのです。また造立から暫くは大仏殿があったそうですが、台風や地震により倒壊消滅し、それ以来露座となり「露座像の大仏」として青銅色の雄姿を魅せ続けています。

高さ13.35メートル、重さ121トン、関東大地震ほか幾多の大地震にも耐え抜いてきた大仏様、素晴らしいですね。

A観月堂
観月堂
大仏の裏手にある元ソウルの朝鮮王宮にあった建て物。1924年に譲られこの地に移築されたそうです。内部には江戸期に作られた観音菩薩像が安置されています。従ってこの地は鎌倉三十三観音の二十三番札所となっています。

B与謝野晶子の歌碑の案内板
歌碑の案内板
大仏造立700年を記念して建てられた歌碑、大仏を釈迦牟尼(牟尼は尊称)と称していますが本当は阿弥陀如来と必ず各種の案内書には注意書きがされています。阿弥陀如来では語呂に問題があったのかしらネ…、晶子さん…。
鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな
大仏の涼しげな顔を美男と崇め憧れた晶子、男女の機微に精通した晶子らしい熱情が感じられる歌です。歌に素人の私でも晶子の思いは伝わります。

C大仏後姿
大仏後姿
大仏は猫背です。そしてその猫背の背中が開いています。恐らく通風を得るための開口部なのでしょう。一寸興醒めですが、中で胎内巡りが行われているのでね…、新鮮な空気が必要ですからね…。私は胎内巡り…しませんでしたが。

ここで今回の鎌倉漫ろ歩きはお終いです。ああー、楽しかったー。

posted by 三上和伸 at 10:10| 《漫ろ歩きの旅》漫歩シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする