2012年03月03日

湘南漫歩5-10 早春の海辺巡り・東西叶神社と浦賀の渡し 2012.02.17

旅もいよいよ佳境を迎え、今話題の東西の叶神社を浦賀の渡しで西から東へ結んで辿り、二つの叶神社を詣でました。この道程で参拝を済ませれば、“願いが叶う”の叶神社の叶うの御利益が得られるとの言い伝えを、実践する事になります。果たして、私の願い?は叶えられるでしょうか? 何の願いかって? 大見栄を切れば世界平和、小さく願えば我が家の幸福。そして私を含めた人間の愚かさからの脱却と再生…。
  
@西叶神社
西叶神社
東西の叶神社としては、この西叶神社が古くからあり、浦賀の総鎮守の位置にあったそうです。御祭神は誉田別尊(ほんたわけのみこと・応神天皇)及び比売大神(ひめのおおかみ)と息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと・神巧皇后)を併せた八幡大神とするそうです。

1181年、神護寺文覚上人が、京都石清水八幡宮より勧進し、源頼朝の源氏再興を願って創建されました。そして後の1186年に、源氏再興の大願が叶った事から、叶大明神と称されるようになったそうです。源氏縁の神社だったのですね。 

A浦賀の渡し
渡し船 船中からの眺め
浦賀の渡し・愛宕丸   海の彼方に房総の鋸山が観える
浦賀は、細長い入り江状の港湾を巡るようにして東西と北に町があり、西と東の間には海があります。従って、東西の交通は湾を北へぐるりと回らなくてはならず、不便がありました。その不便を補うために、古くから渡し船がありました。

始まりは、伊豆下田から奉行所が浦賀に移されてしばらくのちの頃、享保10年(1725年)には運航されていたそうで、船は一艘で船頭は二人だったそうです。明治になると、東西浦賀の17町内会の共同体が運営するようになり、公営交通機関となりました。この頃の営業時間は朝6時から夜10時までで、運賃は1厘5毛、夜間はその倍額だったそうです。大正時代になると最盛期を迎え、一日の利用客は1000人にも達したそうで、もう一つ300メートル内湾に別のルートがあったそうです。

昭和18年4月には浦賀町が横須賀市と合併し、横須賀市からの委託運営となりました。昭和30年代後半には機械化され、相変わらず木の船でしたが、ポンポン船となりスピードアップも図られました。私が多くこの渡船に乗ったのはこの機械化の前後で、幼子の時代は二人の船頭で一人が櫂(かい・平たい棒状の漕ぎ棒)を操り、もう一人が舵を定めていました。ギッチラコ、ギッチラコと進み、水面がすぐ目の前にたゆたい、海の怖さと爽快さの記憶が今も私の体に染みついています。その後は勿論ポンポン船も乗りました。でも、あの手漕ぎのスリルと爽快さはもうありませんでした。そして今回の渡し船もすこぶる安心の乗り物、スリルとは無縁のものでした。因みに、何故私がこの渡し船にかなりの頻度で乗ったかと言うと、三上家の墓(菩提寺)が東浦賀あったのですが、当時の父の実家は西浦賀にあったからでした。お墓参りの帰りに父の実家に立ち寄る事も多く、それでこの渡しも多く利用したのでした。

現在の船は強化プラスティック製で、平成10年8月9日初就航の愛宕丸です。ダイアはなく、船着き場に船があれば、直ぐ乗れますし、対岸にあればブザーを鳴らし呼び寄せる事ができます。営業は、朝7時から夕6時まで、料金は大人150円、子供50円、その他(自転車等ペットも?)50円です。

因みに、航路は“浦賀海道”と名付けられ、歴とした水上の市道(2073号線)だそうです。海の市道、何とも素敵ですね!

B東叶神社
東叶神社
元禄元年(1688年)に浦賀が東と西に別れた時に西浦賀にある西叶神社から分祀されて建てられた神社だと言う事です。御祭神は西に同じの誉田別尊(ほんたわけのみこと・応神天皇)です。社殿は本殿と拝殿(写真)に別れてあり、本殿は深い森(神奈川県指定・常緑広葉樹林)の山上にあり、藪椿の森を含め、極めて神秘的です。また、勝海舟縁の井戸もあり、大層楽しめるお社です。

Cシロヤブツバキ(白藪椿)
シロヤブツバキ
私の愛する屈指の花の一つ藪椿、その原生の白花…、何て素敵なのでしょう。大分以前に、私が初めて白い藪椿に出会ったのが、この東叶神社の神の森でした。あの感動を再び、そして三度、四度…、何度観ても最初の感動が波のように私に押し寄せてきます。私は深い感動と感謝を籠めて、この写真を写しました。ありがとう、そしてまた来年もネ…。何時までも元気で私と会ってね…。

参考:ウェブサイト「横須賀の文化と歴史・浦賀の渡船」(横須賀市観光情報「ここはヨコスカ」)
参考:叶神社公式ホームページ

posted by 三上和伸 at 23:58| 《漫ろ歩きの旅》漫歩シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする