2013年06月22日

新・横浜漫歩1-4 山下公園モニュメント巡り 横浜人形の家と青い目の人形縁のポーリン橋 2013.05.21

 ブラブラとフランス橋を辿るとやがて横浜人形の家が観えてきます。鉄筋コンクリート造りながら瀟洒な建物で、その内包したメルヘンの雰囲気を遺憾なく表に漂わせています。ここには小さなホール(赤い靴劇場)があり、昔から訪れていました。それは少女時代の娘達のピアノ発表会であったり、今日の娘・夏さんの主催するピアノ発表会であったり、時として私の仕事(ここのピアノ調律)の場であったり…。それでも、訪ねる目的が違えば、そこにある人形を観覧しようとは思わないのが人間の常、私も人形に見(まみ)える事はしませんでした。今回も残念ながら通り過ぎるだけ、されど何時か、じっくり閲覧見学させて貰いたいと念じています。

@人形の家(横浜ドールミュージアム)
フランス橋を渡り終えて観た横浜人形の家 横浜人形の家 ポーリン橋から振り返った人形の家
世界141カ国・14,000点の人形及び人形に関する資料を有する人形博物館。その常設展示室には、世界141ヶ国の民俗人形や江戸後期以降のからくり人形に雛人形、人間国宝・平田郷陽(ごうよう)作の衣装人形等があり、鑑賞できます。

開館は1986年6月で、今年で27年目。館長には、初代“兼高かおる世界の旅”の兼高かおる氏、二代目が俳優の石坂浩二。

Aポーリン橋から望むみなとみらいと山下公園通り 
ポーリン橋からのみなとみらい俯瞰 ポーリン橋道標 
♫青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド♫ の歌は、ご存知ですよね。この青い目の人形は、昭和2年、当時、緊張の高まった日米関係を修復するため、アメリカ人宣教師・シドニー・ギューリック博士の提唱に始まり、日本の渋沢栄一などの尽力も手伝い、アメリカ合衆国から日本に贈られたものだそうです。12,739体の青い目をした人形が、アメリカから日本に渡り、日本各地の幼稚園、小学校に配られたのでした。大感激で迎えられた人形たちは、それぞれの学び舎で大切に保管されました。勿論、答礼の日本人形も各学校からの寄付で賄われ、アメリカに渡りました。ところが、その後に起こった太平洋戦争により、これらの青い目の人形は敵視され、大半が焼かれ、焼失しました。それでも、この大切な日米の親善大使を愛した一部の良心が、そっと隠し持ち、全国で323体が残りました。その内の一体の女の子の人形がポーリンでした。ポーリンは横浜市西区の西前小学校(我が妻の母校)に貰われて生き残ったのです。

もう、お分かりですよね。ポーリン橋の名は、このポーリンちゃんに因んで名付けられました。
posted by 三上和伸 at 14:01| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする