2018年08月25日

交響曲列伝3 ヨーゼフ・ハイドン1 「めんどり」「時計」 2018.08.25

1、生い立ち
ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)はオーストリア東部のハンガリーの国境近いローラウという村で生まれました。車大工の息子だったそうで、理由は判らないのですが、やがて親戚の家(叔父が音楽教師)に出されます。そこで叔父から音楽的才能を見出され、聖歌隊員になる事を勧められます。ハイドンの音楽修業はウィーンのシュテファン寺院の聖歌隊から始まりました。ボーイソプラノの非常な美声の持ち主だったようで、直ぐに聖歌隊の主要メンバーとなりました。されどやがて変声期を迎えるのが男の宿命、余りの美声故に、当時流行り出した男性ソプラノ・カストラータになるべく虚勢を勧められます。しかしそれが嫌で這う這うの体で逃げ出したハイドンは、その後10年ほどは職種を転々として独学で作曲を学びます。

2、エステルハージ時代
作曲家としての名声が上がった時代で、ハンガリーの大貴族・エステルハージ侯に仕え、その宮廷の持つオーケストラの楽長を長く務めました。侯爵や家族、また来賓者を持て成す音楽(交響曲、室内楽等)を数多書き、演奏しました。ここでは様々なエピソードが残されており、その一つに「告別交響曲」にまつわる話があります。夏の離宮での事、楽団員に休暇をくれない侯爵を説得するために、ハイドンはある企みを持ち交響曲を作曲しました。それは何と、その交響曲の第4楽章に仕掛けがあり、演奏中に次々と演奏者を退出させてしまう暴挙に出たのです。第一オーボェ、第二ホルン、ファゴット、第一ホルンに第二オーボエが楽譜をたたみ蝋燭を吹き消し退出し、次に弦楽器の諸君が引き下がります。後は第一ヴァイオリンと指揮者のハイドンだけが残り、消え入るような最弱音が聴こえるだけとなりました。そして真っ暗闇の中を二人は「バイバイ・告別」をし、立ち去ってしまったのでした。聴いていたエステルハージ侯は合点がいきました。「解ったよハイドン君、諸君は明日帰ってもよろしい!」。ハイドンは健全なユーモアの持ち主だったそうです。

3、独立時代
1790年以降、30年仕えたエステルハージ家から解雇されたハイドンは、自由を謳歌するようになり、イギリス(ロンドン)やフランス(パリ)の楽壇とかかわりを持ち、ヨーロッパ随一の人気作曲家となります。モーツアルトや新人のベートーヴェンなどは問題としないナンバー1の大作曲家になりました。書きたい曲が自由に掛ける境遇を得、オラトリオ「天地創造」と同「四季」を発表し、ハイドンは後世に残る名曲を残しました。その上この時期、交響曲の傑作を連発し、「驚愕」「奇蹟」「軍隊」「時計」「太鼓連打」「ロンドン」などの愛称のある交響曲を書きました。

ハイドンはモーツアルトと違って自然愛好や人物観察に独特の感性があったようで、愛称の多い交響曲の中で、巧みにそれらを描写しているのが目立ちます。ユーモアもあり、兎に角ハイドンの交響曲は明るく健全で自然体です。但し、それ故にカリスマ偏重の19世紀ではその評判は地に落ち、忘れ去られた巨匠となったのでした。辛うじてブラームス当たりがその業績を認め、復権を示唆しています。20世紀になると漸く古典の素晴らしさに感化を受けたプロコフィエフなどがハイドンを認める言動をしています。

1、交響曲第83番ト短調「めんどり」Hob.T:83
第1楽章の第2主題が雌鶏の鳴き声風になっていて、後世に”めんどり”のあだ名が付いたそうです。軽妙な音型で、誰が聴いても「あっ、鶏だ、めんどりだ!」と思わず口を突いて声が出てしまうに違いありません。

2、交響曲第101番ニ長調「時計」Hob.T:101
第2楽章が有名で、時計の振り子の振動に乗って美しいメロディーが歌われます。正に「時計」の副題通りの音楽です。カリスマ性以外は何でも持ち合わせているハイドン、微笑んでウットリ、魅力的な音楽です。


posted by 三上和伸 at 20:52| 交響曲列伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする