2018年07月12日

伊豆東海漫歩7 守山八幡宮 2018.06.17

源頼朝が配流されたのが伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)と伝えられています。地図で探せば、この北条郷の願成就院と守山八幡宮のすぐ傍、北条時政が治めていたこの地です。流人・頼朝は、やがて成長し、時政を従え、時政の娘・政子を嫁にもらい、いよいよ機が熟し、平家打倒を決意します。治承4年(1180年)8月15日、頼朝はこの地、守山八幡宮で源氏再興を祈願し、挙兵したそうです。守山八幡宮は、大山祇神(おおやまつみのかみ)を祭神として大化3年(最初の元号、647年)に創建されましたが、その後の延喜7年(907年)、宇佐八幡宮の八幡神が勧請され合祀されて、源氏の守り神の八幡宮となりました。頼朝の信仰に適う神社でした。源氏再興の端緒となりました。

守山八幡宮の鳥居
鳥居
願成就院の山門を出て、成就院に沿って歩めば、暫くの後、この守山八幡宮の鳥居に至ります。石の鳥居、これが何時建てられたかは知りませんが、頼朝が大願を果たして鎌倉に幕府を開き、鶴岡八幡宮を整備した時と時を同じくして、この神社を改修したことは史実のようです。その時はこの鳥居もあったのではないですかね。

守山八幡宮舞殿
舞殿
この八幡宮は、鎌倉の八幡宮と規模は違えども、同じ構成をもって建てられています。鳥居➡舞殿➡本殿(本宮)。鳥居から長い階段を上ると小広い平地に出て、そこにこの舞殿があります。

この舞殿では例年10月10日に五穀豊穣を願い、三番叟(さんばそう)が演じられます。三番叟とは日本の伝統芸能で、歌舞伎や能舞台での序で使われている式三番を指します。式一番が父尉(ちちのじょう、現在は行われない)、式二番が翁(おきな)で、それに次ぐ三番目の三番叟が演じられるのだそうですが、現代では主に式三番の三番叟が演じられているそうです。昔は一番二番は聖職者の呪術師が演じたそうですが、三番叟は猿楽師が演じたのです。現代でも三番叟は狂言師が演じるそうです。

拝殿と本殿
舞殿から更に長い階段を上ると拝殿が観えてきます。本殿は拝殿と繋がっており、拝殿の奥にあります。現在の本殿は、寛永9年(1632年)に久能城主榊原照久によって造営された建物だそうです。

守山八幡宮境内の蛍袋
蛍袋
階段の脇に咲いていました。訪れたこの頃の季節を感じさせてくれる野花です。

posted by 三上和伸 at 22:17| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする