2018年08月19日

伊豆東海漫歩13 下田の吉田松陰 2018.06.17

幕末明治維新の英傑たちを数多育てた長州松下村塾の吉田松陰、彼の足跡の一つがこの下田にありました。松陰が何故この下田に来たかと言うと、それは当時この下田に日米和親条約を締結し終えたペリーが来ていたからで、吉田はペリーに会い、是が非でもアメリカに連れて行って貰おうとの交渉を画策していたのでした。しかし、ペリーは日本開国に神経を尖らせていたので、それを断固拒否、敢え無く松陰はそれを退け、下田奉行所に自首したのでした。ペリーの記述の依れば、ペリーの松陰への印象は極めて良く、その礼儀正しさや、漢文の優れた書法など、優秀な若者として捉えていたようです。

松陰の足跡は三島の彼方此方にありますが、短い旅ゆえ私の訪ねた場所は限られました。以下の三島神社、そして松陰が潜んだ弁天社のある弁天島を遠望しただけでした。それでも私が今回調べた松陰に縁ある下田の各場所を列記しておきます。

◎蓮台寺温泉・吉田松陰寓奇所(旧村山行馬郎邸)、蓮台寺温泉吉田松陰湯治の湯
◎吉田松陰投宿の宿(岡村屋跡)
◎吉田松陰拘禁の跡
◎吉田松陰踏海企ての跡   参考:吉田松陰・COM

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清水神社
ここを拠点にペリーの艦船に接近を図ります。

清水神社にある吉田松陰の石像 清水神社  弁天島  
誰かに傑作と言わしめた松陰の石像、昭和17年に下田清水神社に建立されました。

清水神社から海に向かって暫く進むと弁天島が観えてきます。今は陸続きとなっており、歩いて行けます。この反対側に弁天社があり、そこに潜んで松陰は1854年の4月24日に、ペリーの乗る旗艦ポーハタン号に向け密航を図りました。

posted by 三上和伸 at 16:25| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする