2018年10月16日

北海道漫歩11 しゃこたんブルーB 神威岬 2018.09.21

旨い刺身で腹を満たして爽快にドライブ。県道913号から再び国道229号に合流して神威岬をフロントガラスに捉えながら走ると、沿道の風景が一変しました。樹林が少なくなり草原となり、天が広く高くなり、急に明るい陽光が降り注いで来ました。どうやら神威岬の半島の付け根に来たらしいのです。愈々、本日のメインイベント・神威岬に到着しました。思った以上に駐車場は広く立派なレストハウスもありました。

神威岬案内板
神威岬案内板
牛や羊を放牧しているのではないのですが正に牧場のような草原、岩稜の丘が風雪に晒された結果として樹木が生えず草原になっているのです。だから素敵な事に、本州以南では高山に咲く野花達が道端を彩ってくれているのです。私の大好きな花達、感動でした。

エゾカワラナデシコ ハクサンフウロ
エゾカワラナデシコ  ハクサンフウロ

アキノキリンソウ   ツリガネニンジン

ハマナス(浜梨) ヤマハハコ
ハマナス       ノコギリソウ
歩き出すと道端は高山のお花畑となります。直ぐ海なのにハマナス以外は海の野花でなく、山の花が咲いているのです。もっと北の礼文島も同じような高山植物が群れているそうです。神威岬、小さな礼文がありました。

光る海
西側の海。既に陽は西に傾き始めており、私の大好きな光る海が実現されていました。陽光が容赦なく照り付け、海だけでなく、丘や草原にも降り注ぎます。眩しい…、サングラスが必携でしたが、遅かりし由良之助、顔、腕は真っ赤に焼けました。夜のニセコの温泉が肌に染みました。

神威岬山門
女人禁制の地・神威岬
神威岬、神宿る神霊の地と言うことで、嘗ては女人禁制だったそうです。危険な地でもあるので、それは当然と言えば当然ですね。でも現代の私達には通用しないもの、老?若男女、頑張って往復1時間の海岸トレッキングを楽しみました。

目指せ神威岬
殆どがこのような階段状の尾根道、アップダウンの連続、険しい事夥しい…。焦らずにゆっくりと歩む以外に老骨の身には進む方法がありません。兎に角転ばないようにしないといけません。救急搬送だけは避けるように心がけ歩きました。

しゃこたんブルーの素晴らしい海の色、遠くは藍色、山影は蒼色、渚はライトブルーにエメラルドグリーン、正に千変万化する海の色、この多様な海の色をしゃこたんブルーと称するのですね。

悲劇の海、水無しの立岩、念仏トンネル
これは岬半島の中間部にある岩礁地帯ですが、何と昔はこの渚をぐるっと回って岬灯台と余別の町を往来していたのだそうです。

大正元年(1912年)10月29日、神威灯台長夫人と灯台補助員夫人、そしてその3歳の次男がこの岩礁帯を巡る際、高波にのまれて亡くなったのだそうです。それから地元民はこの岩礁帯を回らずに通れるトンネルを掘る事に全力を尽くしました。念仏を唱え鐘を打ち鳴らしながら掘り進むにつれ、とうとう大正7年11月8日に開通となり、その名を念仏トンネルと称したそうです。義経伝説の女郎子のように、無慈悲な自然の驚異に晒された二人の婦人と幼子、神威は悲劇に覆われていました。

半島の根元 薄原の階段
来た道を振り返る。連綿と続く神威岬半島。中央の尾根伝いの道は「チャレンカの道」と名付けられました。この道があったなら、三人の悲劇は起こらなかったでしょうに…。灯台守家族の壮絶な苦難は無かったでしょうに…。

神威半島の草原帯、薄の原が連なります。その先が岬半島の付け根部、そして更に先に薄っすら浮かぶのが積丹岳に余別岳。両山とも1,200m峰です。

険しい岩山と裸の岩塊、賽の河原風の景色が続きます。

愈々岬先端に近づきつつあります。眼前の岩山を越えれば、岬灯台、そして最先端に連なる義経伝説の神威岩に到達します。あと一息です。

神威岬灯台
明治21年(1888年)8月25日に北海道で5番目の灯台として初点灯されました。現在は無人化されています。

神威岬先端と神威岩 神威岩
神威岬と神威岩
この絶佳の風景が、義経・ジンギスハン伝説を生みました。地図上で、この真っ直ぐ先を辿れば、ユーラシア大陸であり、モンゴル帝国です。女郎子・シララ姫の願いを振り払って源義経はモンゴルに渡ったのです。

posted by 三上和伸 at 21:48| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする