2018年12月02日

日本の景色… 小田原・早雲寺 2018.11.29

箱根旧街道をひたすら下って行くと、箱根湯本の温泉街に至ります。昔の湯元温泉はこの旧街道沿いに多くの旅籠がありました。今日でもそれは変わらず、旅館・ホテルが立ち並んでいます。そんな中、湯元小学校の向かいに早雲寺はありました。余り参拝者には親切な寺では無いようで、張り紙に御朱印は却下の文字がありました。楽しみにしていた妻には気の毒な思いをさせました。

湯の街の寺なのでしょうか、山号は金湯山、寺号が早雲寺、開基は二代の北条氏綱、臨済宗大徳寺派の寺院です。小田原北条家の菩提寺です。

早雲寺本堂と銀杏
本堂
背後に大樹の銀杏の木がありました。見事に黄葉していました。

ここは豊臣秀吉の小田原攻めの拠点となったところで、北条降参、小田原城開城の折には、秀吉に依り焼き払われています。氏政は切腹、えげつない秀吉ですね。早雲寺は後の江戸の世にて再興されました。

連歌師・宗祇の墓 
連歌師・宗祇の碑
宗祇=室町後期の連歌師。和歌の西行、俳句の芭蕉と並ぶ三大漂泊詩人と謳われています。旅の途中のこの箱根湯本の旅籠で亡くなりました。この石塔は墓では無く、碑だそうです。亡骸は箱根のすぐ隣の駿河桃園(裾野市)の定輪寺に葬られています。

連歌=和歌の五七五・七七を基本に、大勢の別人で、これを百句連ねて一作品とする作風、長連歌と言います。

小田原北条氏五代の墓
小田原北条氏五代の墓
北条氏政などは他所で葬られているそうですが、一応の小田原藩主北条氏の五代の墓と言われています。
左から早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の墓。氏政の時代に関八州を治めたとされ、最大石数は240万石だったそうです。
posted by 三上和伸 at 20:57| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする