2019年04月20日

終曲 旧弥生の十六夜の月 2019.04.20

2019.04.20 弥生の十六夜の月
古の暦上、十五日の宵が十五夜、次の日の十六日の宵は十六夜(いざよい)と呼びます。今月は満月が十五日でしたので、次の日の欠け始めた月を十六夜の月と呼べる機会が巡ってきました。十六夜が満月の時も多いのですからね。今年は6日あります。今年はありませんが、十七夜の月もあるのですよ。

十六夜の語源”いさよう”は古い言葉で「ぐずぐずして進みかねる」また「ためらう」の意味があります。十五夜の月と十六夜の月では、月の出が1時間ほど違い、十六夜の月の方が遅くなります。古の人々は、十五夜の月よりもぐずぐずして中々昇らない月に苛立ちを覚え、”いさよう月”として、十六夜の月と称したのです。

阿仏尼の紀行文・十六夜日記は、阿仏尼が京都から鎌倉へ旅立つ日が旧暦の十月十六日であったがために、この名称となりました。その鎌倉下向の直接の動機は実子藤原為相(ためすけ、冷泉家の祖)の財産相続に関するもので、母自らが、鎌倉幕府に訴え出たのでした。阿仏尼を始め息子の為相までもしばしば鎌倉を訪れています。歌壇の重鎮でもあった為相は鎌倉文化に影響を与え、為相の墓は鎌倉浄光明寺にあります。因みに阿仏尼の墓は、浄光明寺よりそう遠く無い、今大路の英勝寺傍の路傍にあります。鎌倉今大路散策の折、見つけるのは容易いです。
posted by 三上和伸 at 22:09| 終曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする