2020年10月25日

間奏曲 麒麟がくる 光秀と信長の大きな違い 2020.10.25

永禄11年(1568年)、光秀は細川藤孝の家臣として、信長と共に足利義昭を奉じ京に上りました。そして義昭が征夷大将軍となり、室町幕府第15代将軍の位に就いたのでした。この当時の光秀の頭にあったのは、義昭を奉じて戦国の世を終わりにし、足利幕府を再興する積もりでした。勿論、信長もこの意向に添って動いていましたが、信長、義昭、光秀の三者の思惑は異なりました。光秀と義昭は、その熱意は兎も角、同じ意を持っていましたが、信長は己の野望に燃えていました。義昭、光秀を利用し、天下統一の目論見を推進しようと、手ぐすね引いていたようでした。信長が義昭に贈った金銀や太刀、それを貧民のために使おうと考えた聖職者・義昭、信長はそれを鼻で嗤って義昭を見くびったのです。そして二条城の普請の際の土台にでも使えとの石仏への信長の扱い、それらを見ていた光秀の違和感、ここら当たりが後の光秀と信長の違いと離反の兆候として観えます。この違和感こそが、光秀の本能寺の謀反の前兆と思えます。少なくとも正義の人で一般人の光秀は、武人信長の深い野望には与し得なかったのだと思われます。
posted by 三上和伸 at 14:50| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする