2021年02月14日

間奏曲 麒麟がくるラストは意味深・光秀は天海か? 2021.02.14

麒麟がくるが終わって一週間、先ほどNHKでは、渋沢栄一の「青天を衝け」がやっていました。私は未だ麒麟がくるロスのため、青天を衝けは観ませんでした。恐らく、今年一年は大河ドラマは観ないつもりです。

麒麟がくるのエンディングは意味深なものでした。山崎の戦で死んだ筈の光秀が、生きていると、劇中で駒が足利義昭に言っていました。山崎の戦以降、光秀が生きていて隠れ住んでいるとの噂は、400年後の現在までありました。もう少し想像を逞しくすれば、光秀は徳川家康と江戸の町を創った天海僧正だと言う推論さえ出たのでした。これは二人の生年がほぼ同時代である事、光秀が死んだ頃には、天海は比叡山(光秀の坂本城は比叡山の麓)で修行をしていたことなどが、理由に挙げられています。光秀は落ち延びて、比叡山で出家して修行をし、天海と名乗り僧になったという事です。そして徳川家康と再会し、江戸幕府開府に力を尽したという事です。

春日局(光秀の側近の斎藤利三の娘)など、江戸幕府には明智の名に関わる人物がいた事が証明されているのです。麒麟がくるの物語の中でも、ことさら光秀と家康の関係の良好さを強調していました。信長は光秀と家康の仲を疑っていたのです。信長は二人の仲を嫉妬していたように描かれています。光秀には家康が意中の人であり、麒麟の世は、秀吉では無く、自分乃至家康が創る世であると信じていたのかも知れません。

主役の長谷川博己も言っていました。生き残った光秀の行く末を演じたいと、天海に化けた特別の続編を望むと言っていました。これら全てが作者・池端俊策氏の願いだったのかも知れません。平和を望んだ武将、明智光秀は、芸術家のような武将でした。
posted by 三上和伸 at 22:15| 間奏曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする