2021年04月08日

私の歳時記 静御前・八幡宮で「賎や賎(しづやしづ)」を舞う 2021.04.08

平安の芸子・白拍子の静御前は、義経と吉野に居ましたが、追手に追われ、生き別れになりました。やがて手の者に捕まり、鎌倉の頼朝の下に連れられました。名高い白拍子ゆえ、当然のように白拍子の舞を求められました。今は鏑流馬馬場になっている八幡宮の回廊で、静は、頼朝・政子のために、白拍子の舞を踊りました。多くの群衆も集まり、静は喝采を浴びたのでした。

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(しづの布を織る、麻糸をまるく巻いた苧環(おだまき)から糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪踏み分けて、姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しき

と謡い踊ったそうです。義経を慕う詠唱に、義経を滅ぼそうと考えていた頼朝は激怒しましたが、政子の取り成しで、その場は収まりました。その美しい歌舞音曲は、政子を始め、その子・大姫も心打たれ、頼朝に命乞いの請願をしました。但し、静は義経の子を宿しており、やがて生まれ、その子が男児だったため、子は由比の浜に投げ捨てられました。その後の静御前は行方知れずとなりましたが、陸奥の道すがらに伝説を残しています。きっと平泉の義経に会おうとしていたのかも知れません。


posted by 三上和伸 at 22:12| 私の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする