2008年03月21日

今宵の名曲この一枚2

 今宵の名曲 モーツァルト・ピアノソナタ第10番ハ長調 k330 リリー・クラウス(ピアノ)
 涙の天使 美しきアンダンテ・カンタービレ(第2楽章)

 モーツァルトの音楽は軽やかで淀みなくそして快い、とても平明な音楽です。その人気は極めて高く、今日モーツァルトを嫌いな人は限りなく少ないと思われます。しかし私は若い頃、余り魅力を感じず決して好きとは言えなかったのです。その貴族的で澄ました所が気に入らなかったのでした。私は若い男に良くあるパフォーマンスの効いた豪快に畳み掛ける様な作品が好みでした。今思い出せばそれは全く無知のなせる話でお恥ずかしい限りですが、若いとはその様な事なのでしょう。当時の私にはモーツァルトは理解できない不可思議な作曲家だったのです。

 やがて歳を重ね人生も半ばを過ぎると人の世の無常を感じ、次第に世間や自分が目に見えて来ました。それは子供から一端の大人になったと言う、言わば精神的成長の証でしょう。すると私の音楽愛好は変化を兆し、今までさほど気に留めなかった作曲家の作品まで聴き入るようになりました。そして漸く大人になった私の心にはモーツァルトが美しく響くようになったのです。このモーツァルトの不思議は一体何なのか、何処から来るのか、私にはいよいよ一つの思いが浮かび上がって来ました。

 モーツァルトの音楽は音そのもの美しさや音の運動の面白さに加えもう一つ、芸術に大切なある要素を初めて音楽に具現したものと思われます。それは人の心の複雑な襞であり、俗に感情と呼ばれる精神の浮き沈みです。人は生来孤独であり、それを忘れるために仕事や恋をし、家庭を築いて行きます。そして傷付け傷付けられ、やっとの思いで生き抜いて行きます。最期は身も心もボロボロとなり神にすがり身を委ねるのです。この人間の生き様を熟知していたモーツァルトは、人の心の隙間を埋める為、音楽にそれを託しました。寝食を省みず身を削って未来の人々の為に音楽を残したのです。こんな芸術を誰が知り得るのでしょうか。青臭い若僧に判る筈はありません。我等が大人、やっと大人になれた人々のみが真に判る音楽だったのです。

 モーツァルトの音楽には涙が隠されています。その晴朗な響きの中に涙が潜んでいるのです。そして涙は優しい温もりに変わり、慰めになるのです。モーツァルトを聴く事は涙に触れる事、それは正に魂の救いであり、希望です。涙の天使、その慈悲深い魂はこのアンダンテ・カンタービレの中にも住んでいます。私は今宵も泣きました。そして幸せでした。
posted by 三上和伸 at 23:40| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする