2008年05月31日

今宵の名曲この一枚8

 今宵の名曲ー8
 シューマン ピアノ協奏曲イ短調 OP.54 ラドゥ・ルプー(ピアノ) 指揮:アンドレ・プレビン ロンドン交響楽団

 ミューズのコンツェルト
 “禍福は糾える縄の如し”シューマンの生涯は、この中国のことわざの如く幸福と不幸が表裏をなして綾なし、波乱万丈の一生でした。
 芸術を愛する知性豊かな家庭に生まれたシューマンは、少年期より早くも音楽と文学の才を表し、将来はピアニストになる夢を抱いていました。家族の理解にも恵まれて、まずは大層幸福な人生の始まりでした。しかし青春期になると、不幸は前触れもなく突然やって来ました。まず姉が自殺をし、その直後に父が他界をしてシューマンは強い衝撃を受け、同時に父と言う大切な理解者を失ったのです。やがて母はシューマンの行く末を案じて法律家への道を強行に進め、シューマンはライプチッヒ大学の法科で学び始めます。しかしそれに嫌気が差したシューマンは、遂に母を説得して改めて音楽の道を歩むべく、精進する事になるのです。

 本格的にピアノを学ぶ為、当時の名ピアノ教授フリードリッヒ・ヴィークに師事し、ヴィークの住まいに住み込みで弟子入りをしました。そこには後に当代隋一の名女流ピアニストとなり、シューマンの最愛の妻となるヴィークの長女クララがいました。シューマンは20才、クララは11才であり、まだ恋愛には程遠い年齢でしたが、早熟のクララは密かにシューマンを愛していたのです。クララが15歳となると、二人は急速に接近し恋愛感情が燃え盛り、結婚を誓うようになりました。しかし、父ヴィークの反対は執拗で、この親娘と師弟は激しく争い、裁判沙汰にもなりました。最後はクララとシューマンが裁判に勝利し、二人はめでたく結婚する事になりました。やはり、この結婚だけを取ってみても禍福は表裏一体となって推移しており、正にシューマンの人生を象徴しているように思われます。この間、シューマンは激しい練習の為、指を故障しピアニストになる夢を断念しましたが、類稀な文才を活かし、新音楽時報なる音楽雑誌を発刊し、音楽批評の分野で健筆を振るいました。またそれに呼応する様に尋常ならざる創作意欲で傑作を連発し、作曲家の地位も確立し、ロマン派の名を世に標しました。(ライプツィヒ時代)

 ところが予てより心配されていた心の健康を害したシューマンは、転地療法を兼ね一家揃ってドレスデンに移り住みました。その甲斐はあり、健康を取り戻したしたシューマンは、再び創作意欲を燃やし、多くの名曲を生み出しました。クララはこのシューマンの病気による異変や回復、夫としての勤めや愛などをどの様に感じていたのでしょうか。恐らく、限りない不安と小さな安堵を繰り返し、幸福の内にも拭い切れない焦燥の日々を送っていたと思われます。でもクララにはピアノがありました。ステージに立ち演奏を披露する事で聴衆と辛苦を分かち合い、それがクララの心を平静へと落ち着かせ、明日へ生きる力となったのでしょう。音楽こそはクララの絶対的守護神だったのです。(ドレスデン時代)

 1850年、シューマンはデュッセルドルフからオーケストラと合唱団の指揮者を任せられ、シューマン一家はデュッセルドルフに引越しをします。初めは環境が変わり、張り切って職務をこなし、作品を作り続けましたが、やがて対人関係のもつれで大きなストレスを抱え、精神の均衡が崩れ始めました。塞ぎ込む事が多くなり、シューマン一家は辛い日々を送るようになります。そんな折、シューマンとその一家に明るい驚きを与えるある人物が舞い込んできました。それはドイツ国内で出世の旅をしていた20才のブラームスで、ブラームスは自分を世に出して欲しいと願い、シューマンを頼りシューマン家に来訪したのです。シューマンはブラームスの音楽に熱狂し、その願いを聞き入れ、再び新音楽時報にペンを取りブラームスの天才を世に知らせたのでした。正にブラームスの立身出世はここから始まり、ブラームスはその恩義を終生忘れず、古典復活の重い責務を果たしたのです。数ヵ月後、シューマンの病状は急変し、シューマンは遂に発狂し、ライン川へ身を投げます。幸い近くの船舶に助けられ一命は取り止めますが、しかし精神の損壊は甚だしく、精神病院に収容され、二度とそこから出る事は叶わなかったのです。二年半の間、一度としてクララに会う事はできず、狂気と絶望の末に天に召されたのです。(デュッセルドルフ時代)

 この当時、クララは完全に諦めの心境の中にありました。悲しみや苦しみは、際限なくその心に襲い掛かります。その苦難から己を守り逃れる道はシューマンを諦める事以外なかったのです。己を守り家族を守る、その事だけがクララに残された務めでした。働き手の居なくなったシューマン家の家計は逼迫し、クララは自ら演奏旅行を計画し働きに出ました。留守の間、7人の子供達の世話を焼いたのは何と、あのブラームスでした。ブラームスは一時期シューマン家のベビーシッターをしてクララを支えたのです。定職の無かったブラームスは自由の身であり、また子供好きだったのでお易い御用と、進んで子供達の優しいお兄ちゃんを演じたのでした。そしてクララから貰った生活費をきちんと管理し、家計簿まで付けていたそうです。(この微笑ましい逸話は大変以外らしく、何方に聞かせても笑いを取る事ができます。) やがてクララも落ち着きを取り戻し、一家の生活も軌道に乗り始めるとブラームスは少しずつ彼らの下から離れて行きます。それは恩人の家族を守る事ができた大きな満足を得て、もうこれ以上自分のすべき事はないと悟った事、そして貴夫人クララへの熱き思いを自らで断ち切るために...。

 この地獄の様な日々から立ち上がり、その後の半世紀を生き抜いたクララは、何を頼りに如何に生きたのか、私はこのぺージを書くにあたり少し考えてみました。ブラームスを始め友人達の支えも在ったでしょう。また子供達の成長の喜びも在ったに違いありません。しかし心底クララを喜ばせ、希望に胸を膨らませ、生き抜く糧となったのはシューマンの残した珠玉の作品群の存在に他なりません。「それを復習い、それと時を共にし、そして皆の前で披露する。そこには私とシューマンの思い出がぎっしりと詰まっている。今シューマンも私と共に生きている。」、そう実感し、日々演奏会に明け暮れていたのです。

 そんなシューマンの珠玉の作品の中でも取り分け美しい曲がこのピアノ協奏曲です。それは時に優しく、また時に悲しく、そして時に力強く喜ばしく響き渡り、そこにシューマンのクララへの愛が封印されています。他の誰であろうとも絶対に犯す事のできない強い絆で結ばれているのです。私の大好きな第二楽章(間奏曲)を聴いてみましょう。二人の語らいが静かに聞こえてきます。クララの声はピアノでシューマンの声はオーケストラで。二つの声は庭の蔓薔薇の蔓のように絡み合い俄かに溶け合って私を陶酔境へ連れ去ります。それはミューズの女神をも夢心地とさせる、白夜の夕暮れの仄かな絵のように美しい、夏の情景です。 
posted by 三上和伸 at 00:31| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする