2018年10月27日

伊豆東海漫歩22 寸又峡ハイキングE 寸又峡、秋の花 2018.10.25

南アルプスは森林帯が大半ですので、日当たりの花ばかりでなく、日陰の花も咲きます。秋の日当たりには野菊類が多く咲きますが、木陰や水の滴る苔生した岩の上では、ユキノシタ類の日陰の花が咲きます。林道を歩くだけでも数種類の花を観る事が出来ました。

リュウノウギク(キク科)竜脳菊
葉を揉むと香木の竜脳に似た香りがあります。ご覧のように、一株で多くの花を咲かせます。ノコンギクとは違い白花ですね。秋の野花では一際美しく、好く目立ちます。

アキニキリンソウ
アキノキリンソウ(キク科)秋の麒麟草
何処の山でも大抵咲いています。先日の北海道でも、神威岬に沢山咲いていました。黄色の花、野の花では黄色は珍しいので、見付けた時の喜びが違いますね。別名は泡立ち草です。まあ、都市部の極め付けの雑草セイタカアワダチソウの近縁でもあります。

ノコンギク
ノコンギク(キク科)野紺菊
名の通り紺色の花、とは言っても紺とは少し異なる薄紫の色ですね。色幅があり、濃いものもあれば、白に近い種類もあります。この花も郊外から山地まで、幅広く日本に分布しています。

ジンジソウ
ジンジソウ(ユキノシタ科)人字草
ユキノシタと同様に5枚の花弁があります。その内の上部の3枚が極めて小さく、下の2枚が長くて大きい、故に人の字に観えるので人字草の名があります。ユキノシタ属の花は良く似ていますが、下の大文字草は大の形に観えますね。双方とも湿り気のある岩上に咲きます。写真は落石防止の金網が張ってある林道の切り岸に咲いていました。金網を突き抜けて成長したのですね。写真としては金網が煩いですが、これも自然の一風情、仕方ありません。

大文字草
ダイモンジソウ(ユキノシタ科)大文字草
ジンジソウと同様の場所に咲きます。良く観ると、ジンジソウに比べ、上の3枚の花弁が大きく、大文字に観えます。園芸栽培が盛んな野草で、丈夫な草です。
posted by 三上和伸 at 14:09| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊豆東海漫歩21 寸又峡ハイキングD 水の色の落差 2018.10.25

額には大量の汗、湯気が出ています。頭はボー、足はヨレヨレ、山と森と花に慰められながら歩いていると、森林警備員のおじさんに出会いました。おじさん「水が濁ってて残念でしたね?」、「最悪でしたね、まあ、予備検索が足りませんでしたね」。するとおじさん、車から写真を取り出して、本当の水の色を教えてくれました。「今年の春に撮ったものです」、「へー、ガイドブックと同じ色だね、これが観たかったのにな〜」。

夢の吊り橋とチンダル湖 監視員の写真 
左右の写真、ほぼ同じアングルの写真ですね。左は砂州ばかりで濁った水が少し、右は青い水が吊り橋の影を映して鮮やかでした。崖崩れの後も無いですね。
posted by 三上和伸 at 13:48| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊豆東海漫歩20 寸又峡ハイキングC 夢の吊り橋 2018.10.25

山奥の深い谷間は当然ながら高い断崖の下にあります。その谷間に降りるには、葛折りの長い階段の上り下りがあるのです。先の駐車場の主人が申したように、凄まじい上下行が必要でした。でもそこで逡巡しないのが我々の性質、行ってみなければ、その先に何があるか判りません。仮令、そこで足腰が立たなくとも、這い蹲ってでも貫徹しようとする固い決意?がありました。

夢の吊り橋 夢の吊り橋歩行
軟な吊り橋、人が歩けば橋は上下左右に揺れます。歩き始めた時は大した事なさそうでしたが、人が吊り橋に入れば入るほど揺れが激しくなって行くのです。鉄線の欄干を持たずに行くつもりが駄目でした。しっかり持って体を支えてエッチラオッチラ、結構怖かったですね。真下は大間ダムのチンダル湖、土砂崩れのために悲惨な水色をしていました。第一水その物も少なかったですね。砂州ばっかりで…。誰もがここで失望・落胆、天地の巡り合わせが悪かったのです。

ここも行きはヨイヨイ、帰りがコワイ、対岸には300段の階段が待っています。登り始めはスイスイ、でも直ぐにグッタリ、休んでは歩き、歩いては休む、呼吸が追い付かず口呼吸になって、喉がカラカラ、ホント、シンドカッタ…。

駐車場の主人のお茶屋さん、川根茶を売っているのですが、抹茶ソフトクリームも売ってました。冷たい喉越し、救われました。

posted by 三上和伸 at 13:24| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊豆東海漫歩19 寸又峡ハイキングB 天子トンネル 2018.10.25

天使トンネル
天子トンネル(天子山をぶち抜いたトンネル)
林業が盛んだったこの地域には、千頭森林鉄道なるトロッコ列車の軌道が敷かれていました。この天子トンネルもその一つだそうで、この林道の一部も森林鉄道の軌道だったそうです。断崖絶壁だったこの天子の山は難所だったようで、この先に行くには山を巻いて進まなければならなかったようで、このトンネルができたことで、大いに森林開発が進んだようでした。今日はその鉄道も廃止(S44年)され、夢の吊り橋に至る道として使われています。

210mのトンネルを抜けると、大間ダムの施設があり、夢の吊り橋は直ぐそこにありました。

寸又峡は、「21世紀に残したい日本の自然100選」と「新日本観光地百選」に選ばれています。


posted by 三上和伸 at 11:25| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

伊豆東海漫歩18 寸又峡ハイキングA 山と谷と花 2018.10.25

夢の吊り橋までは2km位、林道歩きは楽なものですが、吊り橋は谷底にあります。駐車場の主人が白髪の私を見て、「300段の階段があります。無理をなさらないで林道からでも夢の吊り橋は観られます…」、「そうですか、ありがとう…」。私はニヤッと嗤って歩き始めたのですよ。

林道は山の景色と山の花で溢れていました。今の時期は野菊ですね。愛らしい田舎娘、大好きな田舎娘、見詰め合い、幸せでした。

前黒法師岳      寸又峡の深い谷    朝日岳
デカくて高い山、そして限りなく深い谷と沢、これが南アルプスなのですね。この辺りの山は、標高は2000m弱、全山岩山ですが標高が低い分、森林が発達しているため、岩稜の山ではないのです。地味ですが存在感抜群です。

ノコンギク(野紺菊)   紅葉(ヤマウルシ?)
涼やかな薄紫、何処までも何処までも林道の縁に咲いています。「おお、私を歓待してくれるのか、ありがとう」、紅葉と野菊、春の新緑と菫の関係に近いですかね。
posted by 三上和伸 at 22:27| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊豆東海漫歩17 寸又峡ハイキング@ カジカ沢、山葵蕎麦 2018.10.25

千頭からは県道77号線、やはりかなりのワインディングロード(曲がりくねった山岳道路)、時々すれ違いがあり、今度はトラックではなく観光バス、こちらは更に大きいですからね。大変でした。ヘッドライトを点け、慎重に運転しました、今度は私が…。

そして77号のどん詰まり寸又峡温泉に着きました。車を駐車場に入れてハイキング、夢の吊り橋を目指して歩き始めました。直ぐに温泉街らしい橋がありました。温泉は流れていないようですが、このコンクリート造りの沢、それなりの風情がありました。そして昼食、この日は予めの当たり付きは無く、行き当たりバッタリの店選びでした。

寸又峡温泉は湯宿が7〜8軒、カフェ及び食事処が数軒、ホンの小さな温泉郷でした。長閑で好いですね。

カジカ沢 手造りの店・さとうのワサビ蕎麦
カジカ沢に架かる橋  山葵蕎麦
カジカ沢橋の行くて先にあったのが、「手造りの店・さとう」、口八丁のおかあさんと、調理担当のおとうさんがやっているお店。食べ物屋兼土産物屋ですね。冷やし蕎麦ではこの山葵蕎麦しか無く、私はこれを選びました。妻は温かいとろろ蕎麦でした。どちらも¥800ぐらいでした。

山葵蕎麦、入っているのは蕎麦と汁以外は全て山葵なのだそうですよ。山葵の葉と茎、そして擦り卸した山葵がこれでもか!と入っている代物でした。私がおかあさんに「辛くないの?」、おかあさん「甘いのですよ、好い山葵は甘いの!」ですって。「旨い!」、黒い蕎麦と山葵の風味、逸品でした。好物の蒟蒻の田楽も食べたのですよ。「美味しい!」、お土産に蒟蒻3袋(¥1,000)買って帰りました。重かった…


posted by 三上和伸 at 21:59| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊豆東海漫歩16 南アルプスあぷとライン列車 2018.10.25

新東名の静岡SAスマートICを始めて使って、国道362号に入りました。サービスエリアで少し休憩を取り、初めて使用のスマートIC、道を間違わないように慎重に抜けました。国道362号線は途中の中塚辺りから南アルプスの山岳道路になります。急峻なワインディングロードが続きます。この時、妻が運転手をしており、激しいハンドル捌きで快走していました。されど、極狭の道でトラックに相対しバックを強いられ、這う這うの体で窮地を抜け切りました。今思えば、ここは妻の運転で良かったと思っています。私でしたら激高し、トラック運転手と喧嘩になっていた事でしょう。私が車を降りて誘導し、妻は上手に対面通行を可能にしました。相手運転手、別れ際に「どうも…」。

峠を抜けると、一気に風光が開け、南アルプス南部の山々が観えてきました。岩山では無く緑滴る山ですが、連嶺の割りには高低差があり、南アルプス独特の坊主頭のドデカイ山達でした。朝日岳、前黒法師岳、沢口山、板取山、蕎麦粒山などが連なっていました。あの山たちの狭間に、これから行く寸又峡があるのです。

南アルプスあぷとライン
峠を下り切ると千頭の町に入ります。ここは夏休みにNちゃん一家と大井川鐡道トーマスに乗るためにやって来た所です。この日は、道の駅・音戯の里に寄ったついでに、広い構内の一角にあったあぷと式列車を眺めました。ここで妻は自然薯を買いました。そして今日、その自然薯を擦り卸し、麦とろを作って食べました。美味でした。

☆アプト式鉄道
難しいメカニックは解りませんが、車軸に歯車の車輪が付いているのです。同時に線路のレールの間にはやはり歯の付いたレールが敷いてあるのです。これで車輪の歯車と噛み合い高勾配を上るのです。

南アルプス・大井川の上流にダムを造るため、資材運搬用に敷設された鉄道です。日本の屋根・南アルプスのど真ん中に二つの大きな人造湖(井川湖、畑薙湖)が生まれ、ダムが沢山造られました。

工事が終わってからは観光用鉄道として生き残りました。今日、南アルプスの大自然と鉄ちゃん羨望のアプト式列車、見所は限りなく多数あるのです。

posted by 三上和伸 at 21:17| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月25日

伊豆東海漫歩15 寸又峡、(悪)夢の吊り橋 2018.10.25

崖崩れの跡 夢の吊り橋
またしても私は、旅の失敗をしてしまいました。大雑把な計画を立て、行ってみれば、期待を裏切る現実が…。何と寸又峡の夢の吊り橋は、悪夢の吊り橋に変容していました。エメラルドグリーンの湖水の水が、グレーに濁っていました。これは何を隠そう、再三訪れた台風の仕業でした。崖崩れが頻繁に起こり、土砂が川を埋め、水が濁ってしまったのだそうです。私の想像力の欠如によって、今回の旅は失敗に終わりました。紅葉も未だ始まっていませんでした。お恥ずかしい…
posted by 三上和伸 at 22:30| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月19日

伊豆・東海漫歩14 浜辺の散歩 2018.06.17

弓ヶ浜 DSCF8090[1].JPG 弓ヶ浜    
弓ヶ浜        妻が貝殻拾い     一人・大切な人
弓ヶ浜は静かな海岸です。南伊豆休暇村に着いて未だ陽も高かったので、浜辺を散歩しました。人影は疎ら、正に我らの独占状態、静かな浜辺を堪能しました。聴こえるのは潮騒だけ…

夕影の浜辺      盥岬(たらいみさき)遊歩道
大分時間も経ったので、陽の影が伸びてきました。静かに静かに影が這い寄せて来ました。そろそろ宿に戻ろうとした矢先、こんな立看板を見付けました。ここ弓ヶ浜から逢ヶ浜、盥岬、田牛(とうじ)海岸、竜宮島、サンドスキー場、碁石浜、吉佐実大浜までの遊歩道がある事が判りました。何時か歩きたいと、僅かな衝動に駆られました。


posted by 三上和伸 at 20:40| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊豆東海漫歩13 下田の吉田松陰 2018.06.17

幕末明治維新の英傑たちを数多育てた長州松下村塾の吉田松陰、彼の足跡の一つがこの下田にありました。松陰が何故この下田に来たかと言うと、それは当時この下田に日米和親条約を締結し終えたペリーが来ていたからで、吉田はペリーに会い、是が非でもアメリカに連れて行って貰おうとの交渉を画策していたのでした。しかし、ペリーは日本開国に神経を尖らせていたので、それを断固拒否、敢え無く松陰はそれを退け、下田奉行所に自首したのでした。ペリーの記述の依れば、ペリーの松陰への印象は極めて良く、その礼儀正しさや、漢文の優れた書法など、優秀な若者として捉えていたようです。

松陰の足跡は三島の彼方此方にありますが、短い旅ゆえ私の訪ねた場所は限られました。以下の三島神社、そして松陰が潜んだ弁天社のある弁天島を遠望しただけでした。それでも私が今回調べた松陰に縁ある下田の各場所を列記しておきます。

◎蓮台寺温泉・吉田松陰寓奇所(旧村山行馬郎邸)、蓮台寺温泉吉田松陰湯治の湯
◎吉田松陰投宿の宿(岡村屋跡)
◎吉田松陰拘禁の跡
◎吉田松陰踏海企ての跡   参考:吉田松陰・COM

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清水神社
ここを拠点にペリーの艦船に接近を図ります。

清水神社にある吉田松陰の石像 清水神社  弁天島  
誰かに傑作と言わしめた松陰の石像、昭和17年に下田清水神社に建立されました。

清水神社から海に向かって暫く進むと弁天島が観えてきます。今は陸続きとなっており、歩いて行けます。この反対側に弁天社があり、そこに潜んで松陰は1854年の4月24日に、ペリーの乗る旗艦ポーハタン号に向け密航を図りました。

posted by 三上和伸 at 16:25| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

伊豆東海漫歩12 ハリス記念館 2018.06.17

ペリーの日米和親条約の後、相互貿易の交渉人として乗り込んできたのが、外交官のタウンゼント・ハリスでした。玉泉寺を領事館としてそこに住み、江戸の幕府と交渉してきました。漸く1859年、ハリスの活躍で、日米修好通商条約が締結されました。日米の貿易がここから始まったのです。

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タウンゼント・ハリスの偉業と写真などの幕末の多くの資料を集めたハリス記念館。幕末を知る上で貴重な資料館です。ハリスの牛乳好きに因んで、ここでは牛乳を売っています。私も飲みました。美味しかったですよ。

西洋紫陽花      日本固有の額紫陽花
伊豆半島は額紫陽花の自生地としても知られています。ハリス記念館の脇の階段を上るとロシア人船員の墓があります。山懐に開かれた平地にあります。その山には代々そこに自生していた額紫陽花が今が盛りと咲いていました。階段の傍にあるのが植えられた西洋紫陽花であり、この二つの紫陽花が醸す風景は何処かで観たような気がしていました。そうです、あの江ノ島の沿道とそっくりなのでした。暖地の山際にはこういう光景が至る所で見受けられます。

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ロシア人船員の墓   日本の寺の風情
日露和親条約の交渉の場ともなった玉泉寺、この時下田に停泊していたロシア艦船が安政の大地震による津波で難破し、数人のロシア人船員が亡くなったそうです。ロシア人船員をここで葬り、墓を建てたと言うことです。横浜の外国人墓地よりも早い時期だそうです。


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posted by 三上和伸 at 22:19| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

伊豆東海漫歩11 玉泉寺 2018.06.17

天城峠を越えると直ぐ河津七滝なのですが、浄蓮の滝を観ましたし、河津七滝は時間が掛かるので今回は割愛しました。ループ橋を渡り、湯ヶ島温泉を越え、ここで下田街道を離れ、一路河津浜に向かいました。河津浜信号を右折して国道135号線に入り、下田玉泉寺を目指して車を飛ばしました。この道は東伊豆海岸の断崖の上を走る国道で、正に海洋絶景ロードです。険しい海岸線、流石に伊豆急もここでの線路の敷設は諦めたようで、この先は山間部をトンネルで抜け蓮台寺回りとして下田を目指しています。相模湾の洋上には伊豆大島、利島、新島、式根島、神津島が順次現れてきます。ふと目線が逸れて脇見運転に陥り易くなります。気を付けないと断崖絶壁を転げ落ち、海の藻屑となりかねません。
鬼ヶア、izoo(爬虫類動物園)、尾ヶ崎ウィング(伊豆諸島展望台)、竜宮島を過ぎれば白浜海岸、伊豆の海水浴場のベストワンの地域、いよいよ東伊豆道路も平坦な道になり、下田が近づいているのが判ります。玉泉寺は下田市街地の手前、爪木崎半島の根元、下田柿崎にありました。

玉泉寺山門                   玉泉寺本堂
明治維新の重要な位置を占めるのがこの下田玉泉寺です。ペリーによって開かれた日米の友好が、この玉泉寺で具体化されたのです。アメリカの領事として来日した駐日総領事・タウンゼント・ハリスが住まい領事館として使ったのが、この玉泉寺でした。身の回りの世話を下田の芸者だった斉藤きち(唐人お吉)に任せ、日米の懸け橋となり、大きな役目を担いました。お吉とハリスは様々な経緯があり、世間は色眼鏡で見ていましたが、実情はハッキリとしていません。世評に依ればハリスは敬虔な聖公会信徒で、生涯を独身・不犯で通したと言われています。お吉の堕落はここから始まったのかも知れませんね。その気満々だったお吉ですが、敢え無く振られてしまいました。後にハリスから離れたお吉でしたが、冷たい世間の目から逃れるように酒に溺れ、アルコール中毒となり、稲生沢川(現・お吉が淵)に身を投げ、亡くなりました。享年48歳でした。


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ハリスの石碑、星条旗掲揚場 カーター米大統領来賓記念碑 牛乳発祥の碑

ここが日本で初めて星条旗が舞ったところ、正に記念碑ですね。途中太平洋戦争はあったものの、日米の友好はこの地から始まったのです。ハリスの功績を讃えた石碑です。

1979年、カーターアメリカ大統領が奥さんと娘さんを連れて訪れた時の記念碑。この墓地に眠っているペリー艦隊の将兵の墓に詣でたそうです。

ハリスが病床時の15日間に飲んだ牛乳が、日本の牛乳売買の始まりだったそうです。その対価は1両3分だったそうです。伊豆で操業をした森永乳業がこの石碑を建てたそうです。

参考:休暇村南伊豆スタッフブログより




posted by 三上和伸 at 22:22| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

伊豆東海漫歩10 旧天城トンネル(峠)走破 2018.06.17

私達は今回の旅の余興として、一つのアドベンチャーを敢行しました。方向音痴の男に、地図が読めない女、そしてナビ扱いも下手糞、そんな二人の一寸した冒険、それは旧天城トンネルの潜行と天城越え林道の走破でした。

旧天城トンネル解説版
川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」などで有名な旧天城隧道(トンネル)。そこへ向かうには標高差のある曲がりくねった峠道を行かなくてはなりません。このワインディングロードを車で走破し、旧天城トンネルを貫通し、再びの下田街道へ抜け出さなければなりません。嘗ての若い私達は良く峠越えのドライブをしたものでした。年老いて再び、往時の興奮を求めて、果敢に挑戦したのです。

旧天城隧道は、1905年に開通した全長445.5mの石造りのトンネルです。アーチや側面など全てを切り石で造られた日本初の石造道路トンネルです。一時期登録有形文化財の指定を受けていましたが、2001年に道路トンネルとして初めて国の重要文化財に指定されました。

緑の天城峠
山深い天城はまだ新緑の香りで満ちていました。トンネル前の清々しい森、ここには数台止まれる駐車場がありました。長く険しい峠道を悪戦苦闘?して、漸く辿り着いた旧天城トンネル。暫し森の緑を眺めて一息つきました。

旧天城トンネル(湯ヶ島側)
ライトと照らし、低速ですが、思い切りアクセルを踏んで、旧天城トンネルを走破しました。トンネル内部には徒歩で辿るハイキング客がかなりいて、少々怖い気がしましたね。車一台分の幅しかないので、車同士のすれ違いは出来ません。ヘッドライトの点灯で、対面がいないことを確かめて、トンネル入りをしたのですよ。心霊スポットでもあるようで、一寸乙な気分で走破しました…
posted by 三上和伸 at 23:37| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

伊豆東海漫歩9 浄蓮の滝とワサビ田 2018.06.17

藤兵衛さんで美味しい蕎麦を頂き、一息入れて、再び下田街道を南下しました。次の目的地は、伊豆の旅では欠かせないと言うか、定番というか、ありふれたと言うか、しかし兎角避けて仕舞い勝ちな浄蓮の滝にしました。偶にはあの清々しい水の魅力を訪ねてみようと心に決めていたのです。されど滝見物は体力がいるのですね。大抵は険しい山道の上り下りとなります。行きはヨイヨイ帰りが恐い、ハアハアハアハア言いながら乳酸の溜まった足をヤットコサ挙げての帰路となります。これが滝見物の常道ですね。でもまだ老け込むには早すぎます。あと5年(10年)は頑張りましょ!

浄蓮の滝 
浄蓮の滝
さほど大きい滝ではありませんが、幅7m、落差は25mあります。伊豆火山の噴火により流れ出た溶岩が固まった玄武岩質の落差ある川床、その落差を一気に落ちる直瀑という種類の滝です。水量豊富な名瀑で、日本の滝百選に選ばれています。

浄蓮の滝のワサビ田
山葵田
伊豆は名水の里ですね。この南にも河津七滝(かわづななだる)があり、至る所に清らかな水が溢れています。農業では、この水を利用しない手はありませんよね。名水が豊富ならばワサビ(山葵)がありますね。伊豆はワサビの産地として名高いですね。長野・岩手の後塵を拝しますが、静岡県は全国第3位(505.2t)の生産量を誇っています。意外な産地としては東京都があります。全国7位で33tの生産があります。
posted by 三上和伸 at 06:55| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

伊豆東海漫歩8 ランチ・蕎麦処・藤兵衛 2018.06.17

韮山反射炉、願成就院、守山八幡宮と時間を掛けましたので、早お昼時になりました。浄蓮の滝で昼飯とするのを早めて、通りがかりの蕎麦屋さんに車を止めました。願成就院の駐車場を出て、ほんの数分で、籐兵衛なる蕎麦屋(伊豆の国市南條)の看板を見つけました。

振り子掛け時計
丁度12時を指しています。チャンと振り子もカウントしていて時計は正確な時を刻んでいました。
思わず私は、♪おおきなのっぽの古時計、おじいさんの時計♪ の歌を思い出し、好い気分で蕎麦が茹で上がるのを待ちました。何か、古くて落ち着いた店で、忙しない観光の後にリラックスできる居場所が得られました。

冷やし山かけ蕎麦
冷やし山掛け蕎麦
本格の山掛け蕎麦ですね。茹でて冷やした蕎麦に、山芋の擦り下ろしたものを掛けた品。汁は自分で適当に掛ける仕組みです。腰の利いた旨い蕎麦で、時と場所を忘れ、夢中で啜り込みました。ボリュームも満点で、食べても食べてもまだ食べられる凄い蕎麦、通りすがりに見つけた好い店でした。
posted by 三上和伸 at 23:22| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月12日

伊豆東海漫歩7 守山八幡宮 2018.06.17

源頼朝が配流されたのが伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)と伝えられています。地図で探せば、この北条郷の願成就院と守山八幡宮のすぐ傍、北条時政が治めていたこの地です。流人・頼朝は、やがて成長し、時政を従え、時政の娘・政子を嫁にもらい、いよいよ機が熟し、平家打倒を決意します。治承4年(1180年)8月15日、頼朝はこの地、守山八幡宮で源氏再興を祈願し、挙兵したそうです。守山八幡宮は、大山祇神(おおやまつみのかみ)を祭神として大化3年(最初の元号、647年)に創建されましたが、その後の延喜7年(907年)、宇佐八幡宮の八幡神が勧請され合祀されて、源氏の守り神の八幡宮となりました。頼朝の信仰に適う神社でした。源氏再興の端緒となりました。

守山八幡宮の鳥居
鳥居
願成就院の山門を出て、成就院に沿って歩めば、暫くの後、この守山八幡宮の鳥居に至ります。石の鳥居、これが何時建てられたかは知りませんが、頼朝が大願を果たして鎌倉に幕府を開き、鶴岡八幡宮を整備した時と時を同じくして、この神社を改修したことは史実のようです。その時はこの鳥居もあったのではないですかね。

守山八幡宮舞殿
舞殿
この八幡宮は、鎌倉の八幡宮と規模は違えども、同じ構成をもって建てられています。鳥居➡舞殿➡本殿(本宮)。鳥居から長い階段を上ると小広い平地に出て、そこにこの舞殿があります。

この舞殿では例年10月10日に五穀豊穣を願い、三番叟(さんばそう)が演じられます。三番叟とは日本の伝統芸能で、歌舞伎や能舞台での序で使われている式三番を指します。式一番が父尉(ちちのじょう、現在は行われない)、式二番が翁(おきな)で、それに次ぐ三番目の三番叟が演じられるのだそうですが、現代では主に式三番の三番叟が演じられているそうです。昔は一番二番は聖職者の呪術師が演じたそうですが、三番叟は猿楽師が演じたのです。現代でも三番叟は狂言師が演じるそうです。

拝殿と本殿
舞殿から更に長い階段を上ると拝殿が観えてきます。本殿は拝殿と繋がっており、拝殿の奥にあります。現在の本殿は、寛永9年(1632年)に久能城主榊原照久によって造営された建物だそうです。

守山八幡宮境内の蛍袋
蛍袋
階段の脇に咲いていました。訪れたこの頃の季節を感じさせてくれる野花です。
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posted by 三上和伸 at 22:17| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

伊豆東海漫歩6 願成就院と北条時政の墓 2018.06.17

韮山反射炉から反射炉カノン道路(大砲のカノン砲が由来)を継いで下田街道(136号線)を少し戻ったところの西側に願成就院(がんじょうじゅいん)があります。ここは静岡県伊豆の国市寺家83−1に存在する高野山真言宗の寺院です。山号は天守君山で、寺号が願成就院です。鎌倉幕府一代執権・北条時政が開基となって所領地に建てた寺院で、名目は頼朝の奥州制覇の願掛けのために建てた寺でしたが、実質は北条家の氏寺です。この辺りが北条家の所領で、頼朝が伊豆に流された韮山にあります。時政はそんな若い頼朝に仕え面倒を視たそうです。この寺の本尊・阿弥陀如来坐像は何を隠そう、あの天才仏師・運慶作です。運慶の若い頃の作品で、それは確かな真作と定められており、5体の仏像が国宝となっています。これらを観るためだけでも、ここを訪れる価値はあります。

願成就院の大御堂
大御堂(おおみどう)
このお堂には、運慶作の国宝仏像5躯が安置されています。それは中央にある本尊の木造阿弥陀如来坐像、左にある木造不動明王二童子立像、右に木造毘沙門天立像があり、眼前で手に取るように眺められます。不動明王像と毘沙門天像の胎内(内部)には、塔婆形名札が忍ばされてあって、そこには「文治2年、北条時政の発願により、運慶が造り始めた」との趣旨の記載があるそうです。これにより運慶の真作と判明し、国宝に格上げされ指定を受けたのです。大御堂の中には案内人がおり、これらの仏像の成り立ちや価値を詳しく述べ教えてくれます。大御堂の先には宝物館もあり、多くの品々により往時を偲ぶことが出来ます。

願成就院本堂 
本堂
お寺の本堂とは本来御本尊をお祀りする場所ですが、願成就院の本尊・阿弥陀如来は大御堂にありますので、ここは単なる書院、住職が住んで雑務をこなす場所のようです。大御堂は瓦葺きですが、ここは茅葺、好い雰囲気で並んでいます。

北条時政の墓
北条時政の墓
若き頼朝を支え、しかも頼朝に娘・政子を嫁がせた幸運もあり、時政は鎌倉幕府の中でも実力者となりました。頼朝亡き後、更に実権を握って初代の執権に上り詰めました。しかし、権力への欲望が強く悪だくみが過ぎ、子・政子と義時の姉弟に鎌倉から追放され、祖国の伊豆に戻りました。結局時政はこの地で亡くなりました。14代続いた執権政治の端緒を開いた時政、その墓もその名に相応しい立派な墓でした。
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2018年07月03日

伊豆東海漫歩5 韮山反射炉の茶畑 2018.06.17

反射炉の周りは小高い丘に囲まれていて、そこには展望台があり、その展望台の周りは茶畑になっています。この日は日曜日、何やら小学生らしき茶摘み娘が茶を摘んでいました。今こんなレクレーションが流行っているらしいですね。どこの茶畑でも茶摘みの催しがあるようです。紺絣にあかねタスキ、つげの傘はさしていませんでしたが、手ぬぐいは被っていました。何とも可愛い風情でした。

韮山反射炉茶畑の茶摘み
近所に茶づくりの工場があるようで、摘んだ茶葉はチャンとお茶にしてお土産になるようです。何時かノアちゃんユアちゃんを連れて茶摘みをしたいですね。

茶畑からの反射炉
展望台から望んだ反射炉、何処から観ても絵になりますね。

韮山反射炉展望台
この日は、富士は出ていなかったのですが、遠くの伊豆の山々が手に取るようでした。清々しい韮山反射炉展望台、様々な楽しみが出来るところです。
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2018年06月25日

伊豆東海漫歩4 韮山反射炉 2018.06.17

東名・新東名から伊豆縦貫道へ下り、国道136号線を経て、韮山反射炉に向かいました。例によって何時まで経ってもナビの扱いに不慣れな私達は今回も韮山反射炉への道に迷い児となり、山道を登りつつパークウェイ方面まで行ってしまいました。柔軟性が無いカー・ナビゲーターよ!もう少し賢くなれ! カーナビゲーションシステム、便利なようで便利でない!

反射炉は平地にあるのですよね。Uターンして平地に戻り、方向表示看板を頼りに韮山反射炉に辿り着きました。

幕末期はペリー来航もあり、国難の時代でした。巨大軍備を持った列強の脅威に晒された日本では、様々な人物が国を憂い、新たな活動に乗り出しました。伊豆韮山の代官だった江川英龍もそんな一人で、列強に対抗できるような大砲を造るために、反射炉の製造を手がけました。息子の英敏の代になって韮山に反射炉が完成しました。

反射炉とは鉄を溶かすための高温の溶解炉を指します。それは溶解室の天井がアーチ状に造られていて、焚かれた熱がそのアーチ天井に反射し、千数百℃の熱を発生させるのです。そして鉄を溶かしその鋼鉄で砲身を造るのです。この反射炉の周りには溶解した鉄を加工し大砲を造るための工場が並んでいたそうです。今は反射炉しか残っていませんがね。

韮山反射炉
炉体の外側は特産の伊豆石(緑色凝灰岩)の組積で出来ており、炉心には天城山山中で採掘された土で焼かれた耐火煉瓦を使用しています。煙突部分も耐火煉瓦を組み上げたもので、表面に漆喰が塗られているそうです。外壁を保護するための目立つ鉄フレームは、1957年の保存工事で追加されたものだそうです。

反射炉(観えるのは主に煙突) 鋳口と焚き口
焚き口に燃料(石炭)を放り込み、鋳口に銑鉄(せんてつ・粗製の鉄)をぶち込み反射炉で高温にし、銑鉄を鎔かします。鎔かされた鉄は静かに流されて大砲製造工場に流れ着くのです。

韮山反射炉製の砲台
江戸のお台場にも置かれた大砲、韮山反射炉はこんな大砲を造っていたのです。
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2018年06月22日

伊豆東海漫歩3 弓ヶ浜 神子元島(みこもとしま) 2018.06.17

宿から数分のところに弓ヶ浜はあるのですが、ここは白砂青松の美しい海岸です。周囲を黒松が囲み、浜は広く白い砂が敷き詰められています。海水浴場としても名高いですね。伊豆東海岸には名立たる海水浴場が目白押しですが、今井浜や白浜海岸と並ぶ優れた海水浴場です。私には、あのハワイのカイルア・ビーチを思い起こすほどの美しい衝撃でした。

盥岬から続く岩礁帯 弓ヶ浜 弁財天岬
盥岬の岩礁帯     弓ヶ浜、向いが弁財天岬  弁財天岬の岩礁
ここは手石湾と名す小さな湾、湾口には弁財天岬と盥岬(たらいみさき)が湾を囲み、海と山と岩礁が織りなす景勝地です。古くから風待ちの港とて活用されてきました。そして更なる美点は、ここからは特筆すべき景観が得られます。それは湾を突き抜けた遥か太平洋上にある無人島です。静岡県最南端の地で、あの御前崎より南にあります。

神子元島
神子本島(みこもとしま)
太平洋上に浮かぶ無人島、でも周囲は岩礁帯の根が多く、船の航行に危険が伴うようで、この無人島に無人の灯台が設置されたとの事。石廊崎からは東南東に9キロメートル先にあり、面積は0.1平方キロメートル、最長部が400メートル、標高は32メートルだそうです。始めは伊豆半島の一部だったそうでうすが、沈下のため周囲が海中に没し、この島と数多ある周囲の根だけを残したのだそうです。

大物釣りの穴場(漁師に頼んで渡して貰う)で、マグロやカンパチが釣れるそうです。また世界的なダイビングの名所で、シュモクザメの大群を観ることができる他、ザトウクジラやマッコウクジラの姿も観られるそうです。そして島から天を突き上げる神子本島灯台は世界歴史的灯台百選にも選ばれています。初点灯は明治3年11月11日だそうです。石造り(伊豆石使用)灯台としては日本最古だそうです。

ネットで調べましたが、そこには素晴らしい写真が掲載されていました。好いですね絶海の孤島、そして歴史的灯台、ウットリしました。

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2018年04月21日

伊豆東海漫歩2 サービスエリアの風物 2018.04.20

本来の目的は久能山東照宮の観光と由比の桜海老料理の賞味にありました。それでも旅をすれば思い掛けない風景に出会うものです。ほんの些細な風物でも心に残るものもあり、楽しめるものです。今回は東名高速を利用した旅であり、当たり前の如くに休憩や運転者交代につき、サービスエリアを使うものです。それぞれのサービスエリアにはそのエリア特有の施設があり、風景が広がっているものです。ここでは行き(下り)の足柄SAの施設と、帰りの富士川SAの施設と風景を紹介します。

足柄SAのペヤングタワー
足柄SAのペヤング・ソース焼きそばの富士タワー
御殿場市にある足柄SA、ここの売りは何はさておき富士山の眺望です。ところがこの日は生憎の曇り勝ちの空模様、富士は観えませんでした。まあ、休憩と運転手交代のため入った訳で、特段、富士が観えずともガッカリはしませんでしたが…。

それでも何と施設の玄関ホールには富士山がありました。ペヤング・ソース焼きそばで組み揚げたパック焼きそば製の富士山が、どんなつもりで造ったのは訳が分かりませんでしたが、一応写真を撮ってみました。

施設内のカフェ・タリーズからの眺め
観覧車      愛鷹山          富士川の新緑
富士川沿いに開かれた富士川SA(上り東京方面)は素晴らしい展望のサービスエリアです。残念ながら富士山は観えなかったのですが、それが観えれば最高のティータイムとなったことでしょう。
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2018年04月19日

伊豆東海漫歩1 由比の桜海老と久能山東照宮 2018.04.19

何とか画像挿入ができましたので、由井の桜海老料理と久能山東照宮の記事を書きます。

使用道路の東名及び国道1号が空いていましたので、快適な旅ができました。由比に着いたのは丁度昼時、お腹も空いていたので、早速、由比桜海老館に入りました。平日でしたがほぼ満席、それでも直ぐに着席できました。

生桜海老丼         桜海老かき揚げ蕎麦
私は桜海老かき揚げ蕎麦、妻は生桜海老丼にしました。少しずつ食べあいましたが、どちらも秀逸な味、生の桜海老はこの由比の地でしか食べられません。但しエビの殻がやや舌触りを削いでいます。春の桜海老は大振りなので殻が硬いのです。生桜海老は秋の稚エビが向いているそうです。かき揚げは脂の乗った春が旬、揚がった殻は香ばしさを増し食味抜群、春はかき揚げが向いていますね。勿論かき揚げだって生の桜海老を揚げたものなのですよ。衣はカリカリ、エビはプリッのかき揚げは、決して名物の干し海老を揚げたものではありません。生の桜海老を沢山使ったものです。

DSCF7746[1].JPG 久能山東照宮
久能山からの駿河湾      国宝・東照宮本殿
久能山東照宮へは勿論、日本平からのロープウェイで参ったもの。昔は下(浜)から千段余りの階段を上ったそうです。まあ、よくぞこんな物を千段余り資材を担ぎ上げて造ったものですね。人足の苦労と徳川家の威光が偲ばれます。

世界で稀なるドン深の湾の駿河湾、最深二千メートル、そのため海面から数百メートルを行き来して生き永らえる桜海老が生息できるのだそうです。桜海老は駿河湾だけしか採れない海の幸です。

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posted by 三上和伸 at 23:31| 伊豆・東海漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする