2014年01月03日

新・横浜漫歩2 箱根駅伝と旧東海道・保土ヶ谷一里塚 2014.01.02

私が観戦した位置は保土ヶ谷一里塚付近、ここを通過した選手達を順を追って撮影しました。トップ通過は駒沢大。第2グループには早稲田大などの強豪チームが連ねていました。最下位は国士舘大、しかし、この時点では不明でしたが、山梨学院大が棄権になったとか、気の毒な事でした。
露払いのパトカー
⇓露払い?のパトカー…、後方には放送車。いよいよその先にはトップの選手が、何処の大学か?
駒大、断然トップ   
⇓ダントツで駒沢大、悠々と走る。
第2グループ
⇓早稲田、東洋、明治、順天堂の強豪大学が…、必死でトップの駒沢を追う。 
第3グループ
⇓青学大、道路脇スレスレに、一際応援の声が高まる 
第4グループ
⇓拓大、強靭な体躯を持つ黒人選手、拓大は唯一伊豆大島合宿をしたそう。 
第5グループ
⇓日大、法政、中央学院
第6グループ
⇓中央大 
第7グループ
⇓国学院大、帝京大  
第8グループ
⇓ 城西大
第9グループ
⇓神奈川大、東農大
第10グループ
⇓恐らく、大東大?のランナーでしょう
最終グループ
⇓国士舘大、最後尾のランナー…かと思いきや、京急戸部駅付近で山梨学院大の黒人ランナーが棄権をしたのだとか。この区間では“びけ”(びり)ではなかったのですね。
締めの白バイ 
締めの白バイ?が悠々と…、終わったよ?と観戦の私達に引導を渡す。

松並木と一里塚
箱根駅伝の国道一号・東海道に行くには我が家から歩いて小一時間。朝早目に家を出たので少し時間に余裕があり、保土ヶ谷宿の旧跡を訪ねてみました。現東海道と旧東海道では、明らかに道の所在が違います。平行には走っていますが、違う道と言っても良いのです。されど一部に交差している場所もあり、この保土ヶ谷一里塚の辺りも保土ヶ谷橋から保土ヶ谷町に掛けて数百メートルを共有しています。まあ、駅伝もここを走るので、今回はこの保土ヶ谷一里塚の近くに観戦の陣取りをしました。

旧東海道保土ヶ谷宿松並木 保土ヶ谷一里塚
江戸期に植えられた松並木も一部を除き枯れ果てしまった現在、それを憂えた地元民(宿場蕎麦主人等)が有志を募り、松並木復活を願いを街道の一部に松を植えました。そして現東海道の車道の中央部分にあったとされていた一里塚も、それに伴い復元したのでした。一里塚に植えられている樹木は榎(えのき)か松と決められているそうで、これは落葉樹ですから榎ですね。江戸日本橋から八つめの一里塚、一里4キロメートル、八つ目だから日本橋から32キロメートル。江戸から二泊目の宿となるのかしらね?
 
posted by 三上和伸 at 00:18| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月06日

新・横浜漫歩1-5 山下公園モニュメント巡り 世界の広場から水の階段を経て石のステージへ 2013.05.21

 あり得ない長さのプロローグ(序章)でしたが、大切な史実を包含した特別の対象ばかりでしたので、少し時間を掛けました。ここからは山下公園のモニュメント巡り、楽しい記念物ばかりが登場します。どうぞ気楽にお付き合いください。

 ポーリン橋を渡り、いよいよ山下公園に入りました。普段は桜木町・開港広場の方面から入園する山下公園ですが、この日は反対側の元町寄りの東口から…。先ずは花のアーチを潜りその先で最初に見つけたのが、世界の広場。そこからは、水の階段を繋ぎとして水の流れに導かれ、最終の石のステージまで到達できます。世界の広場から水の階段に掛けては水路に多くの海洋生物のモザイクタイル画が施されています。可愛い海の生き物達のモニュメントを一つ一つ観て行きますので、どうぞ、ご一緒に…

1、世界の広場
世界の広場、羅針盤型の噴水 羅針盤型の泉(噴水) 世界の広場に向かって
写真左:奥から観た世界の広場、遠くみなとみらいが浮かぶ 写真中:羅針盤型の泉 写真右:対面から観た世界の広場、水路には海洋生物のオブジェが…
1988年に横浜博覧会が開かれるのに合わせて、それまで手付かずであった公園東側を整備する事にしたのだそうです。先ずは車で訪れる膨大な数のお客様のために巨大駐車場(1階部分、446台収納)を造り、その階上部一面に膨大な土を入れ広場にしました。その広場こそが現在の世界の広場で、あるコンセプトを掲げて広場中央に、モニュメントが造られました。それは港・横浜に相応しく、羅針盤を模った(かたどった)オブジェで、「横浜から世界の海に漕ぎ出そう」の冒険をイメージしているそうです。そしてその中央に設えた噴水から溢れ出る水が、途中の水の階段を下りながらそこに在る海洋生物のモニュメントを摺り抜け、、最下部の石のステージ前の池まで到達するように設計されています。

2、水の階段・海の生き物のモニュメント
広場内の段差を駆け降り、真一文字に石のステージまで直進する水の道・水の階段。その水路の中には次々とモザイクタイルの海洋生物が現れます。一つ一つ数えながら歩くのは、何か七つの海をミニ航海している風で、楽しめました。

@タツノオトシゴ(竜の落とし子)
タツノオトシゴ
最初に現れるのがこのタツノオトシゴ、そうとは見えませんが、これも魚なのですね。立ち姿で尻尾を藻に絡ませて、流されないように、自分の体を支えている姿を映像その他でよく見掛けます。ですから泳ぎは余り上手ではなく、確か胸鰭等を使っておっとりと立ったまま泳ぐようです。一番の特徴は繁殖にあります。何とメスがオスのお腹の中(育児嚢)に卵を産むそうで、オスは孵化するまで大切に卵を守ります。やがて孵化した稚魚はオスのお腹から出て来ます。大きさは20mm弱ですが、もう立派に親と同じ姿をしています。地方によっては安産のお守りになってます。

*水路はここから一段降下します。水の階段の階段たる所以の片鱗?が現れます。

Aシーラカンス 
シーラカンス 
化石しか発見されず疾うに絶滅したとされていたシーラカンス。ところが1938年、南アフリカで生きて現存する事が発表され世界を騒然とさせました。とは言っても、私は未だ生まれていなかったのですが、その騒然の驚愕は充分に想像されます。何せ、私の生年の僅か12年前ですから、正に20世紀中盤の世紀の大発見だったのです。その姿形が魚類で初めて陸上に上がったとされる現存する生きた化石・肺魚に似ており、鰭が特徴的であり、今にも歩き出しそうな雰囲気を醸し出しています。そして何よりその名が素晴らしい、“シーラカンス”幻想性極まりない願っても無い飛び切りの名前でした。3億5000万年前から変化していない魚体を持つ新たな生きた化石・シーラカンス、このシーラカンスは遺伝子を変えずとも生きて行く事ができる、安定した環境で生活してきた一属だと言う事です。私も子供の頃から憧れていた存在でした。よく友人達と口角泡を飛ばして語り合ったものでした。

Bホラガイ(法螺貝)
巻貝(法螺貝) 
日本最大の巻貝で、貝殻を楽器として用い、古今の修験道で使い、嘗ては戦国合戦の出陣の合図にも使われました。ブォオオオオオオ…とかプォオオオオオオ…という音が出、音の高低の変化も利くようです。現代でも法螺貝の演奏教室があるそうです。面白そー、でも横浜にあるのかしら? 今度聞いてみますね。

番外:雀の水浴び
スズメが水浴び
人にとっても憩いの場である水の階段、それでもこの雀ほどにここを必要とする者?はいないでしょう。飲み水は勿論の事ですが、野鳥が生きる上で大切なのは水浴び(砂浴びも)、汚れ(脂粉)や寄生虫を処理するのに絶対必要なのです。この雀クン、私がいるのにお構いなくせっせと水を浴びていました。「誰がいてもやる事はやる!」とでも言ってるようで必死さが伝わってきました。「おー、イイジャンイイジャン(横浜弁)、使えばイイジャン、心置きなく…」。 

Cアンコウ(鮟鱇)
アンコウ1 アンコウ2 
このオブジェ、アンコウ特有の頭(背中上部)から延びる触手(擬餌状体)は付いて無かったのですが、このデカ口、間違いなくアンコウと思われます。深海に棲み、砂に埋もれ動かず、頭のヒラヒラを振っては餌と思わせ、寄って来た小魚をパクリ…。ホントに詐欺師紛いの騙しのテクニックに長けた嫌らしい魚なのです。でもその食用の様々な各部位の身は七つ道具と言われ秀逸、グルメ魚として有名です。私は今一なのですが、実は本物の優れた料理には未だ出会っていないのです。ですから本物に出会えたなら、認識は変わるかも知れません。何れ、大洗辺りに出向いて、本物を賞味したいと思っています。フフフ、その時はお知らせしますね。

Dマンボウ(翻車魚)
マンボウ 
可愛くて滑稽で茫洋として、本当に魚?と疑ってしまいますが、フグの親戚の魚なのです。そう言えばその滑稽さがフグに似ています。鰭(ヒレ)の動かし方も似ているし…、目が可愛いし…、口も小さいし…。但し鰭の数はフグより少ないですね。おっとりとしてスローモーな動き、攻撃性からは程遠い善良な生き物、観ていてホントに安らぎます。食べ物もクラゲや動物プランクトン、動きの鈍い深海海老や深海烏賊など。動きの速い生き物は食べられません。また各地方の別称も多く、キナンボ(北海道)、ウキ・ウキキ・ウキギ(東北、浮き木)、マンザイラク(神奈川)、ウオノタユウ(瀬戸内、タユウとは親方の事)、シリキレ(鹿児島、尻が切れているから)、バラバ−・バーバラボー(大分、これは愉快)、カマブタ(静岡、フフフ、ウァハッハッ!)などなど。ついでに海外の名を紹介すると、月の魚(仏、伊、独、トルコ)、太陽の魚(米、インドネシア)、頭の魚(タヒチ)、泳ぐ頭(独)、もっとついでに、学名はモラモラ(ラテン語)、面白い!!!。

Eヒラメ(鮃・平目)
ヒラメ
カレイを含め幼魚(体長数センチ)の頃のヒラメは、目が体の両側に付いていて、普通の魚と変わらないのだそうです。ところが、成長と共に片方の目が移動し、ある時、頭の頂点を乗り越え、一方の側に二つ並んでしまうのです。扁平な体の内、目がある方が上(褐色の体色)になり、目の無い方が下(白い体色)になります。「左ヒラメ、右カレイ」と言われますが、ヒラメの右目は左に移動し、カレイの左目は右に移動します。写真の魚絵は目が体の左側にあるのでヒラメと判ります。料理盛り付けの際、ヒラメは頭(目)を左に尾は右に、大変よろしい形をしています。反対のカレイは、残念ながら、盛り付けによろしくない魚です。味の差は別として、この盛り付けの善し悪しが高価さの違いになったとも言われています。カレイくん、残念でしたね。変態の左右の差で負けるなんてね、口惜しいでしょう、怒っているでしょう、プンプン…。但し、ヒラメカレイ、一族全部がそうではないそうで、左のカレイもいれば、右のヒラメもいるそうです。ヒラメとカレイの一番の見分け方は口と歯を見る事。ヒラメは口が裂け大きく歯もデカイ肉食系、カレイは口も歯も小さくおちょぼ口の草食系、これが決め手! 

Fシャコ(蝦蛄)
シャコ 
ご存知、寿司ダネの逸品、でも最近のお寿司屋さん(回転寿司)では余り見掛けなくなりましたね。美味しかったのにどうしたのでしょうか。東京湾の金沢文庫柴港が高級なシャコの水揚げ港だったのですが? あの辺りの漁師さんは大丈夫なのでしょうか? 何ね、昔、あの辺りに仕事に行っていたものですからね、漁師さん家に…。今度、お寿司屋さんにでも行ったら聞いてみますね。

Gシャコガイ
シャコガイ
サンゴ礁に棲む世界最大級(オオシャコガイが最大)の二枚貝。食べられるそうですが、私は食べた事がありません。沖縄に行けば食べられるのかしら? 何時か沖縄に行って食べてみたいですね、美ら海水族館にも行きたいし…。味は恐らくアサリを大味にしたような感じですかね。でもたっぷりと腹一杯、食傷するまで食べられそうです。

Hカニ?
カニ? 
可愛いオブジェですが、果たしてカニでしょうか? 少々デフォルメがキツイです。

I大階段と帆立貝
水の大階段と帆立貝
中々迫力のある風景です。このモニュメント群の中では最大の見物と言えます。水が心地よく流れています。爽快と同時に力感があります。いいですね、カッコよい!

Jホタテガイ(帆立貝)
ホタテガイ 
殻を開き、殻の上蓋を立てると、丁度、帆掛け舟が帆を立てているように見えるから帆立貝、当然と言えば当然ですが、いいネーミングです。自然を一杯吸収して大きく太って美味しくなったような気がしてきます。貝の中でも屈指の美味を誇ります。生で食べても良し、干して食べても良い。殆ど貝柱を食べるものですが、紐も中々イケます。干し貝柱は、崎陽軒のシウマイの中にも入っているそうで…、あの濃厚な旨味の素は、帆立貝柱なのですね。トローリとしたりシコシコしたり、海の香りもふんだんで絶品、「アー食べたい!」

Kマッコウクジラ(抹香鯨)
マッコウクジラ マッコウクジラの尻尾 
かなりデフォルメされた作品、それでも何となくマッコウクジラと判断できます。オデコが大きいし、歯も立派、尻尾も可愛い?。マッコウクジラのマッコウ(抹香)とは、粉末状のお香を指す言葉です。この抹香のような香りの香料(竜涎香・りゅうぜんこう)がこのクジラの腸内から取れるので、こう呼ばれるに至りました。昔はこの鯨の糞が稀に海岸に流れ着き、そこに含まれる竜涎香を採取した人は、大儲けをしたと謂われています。特別高価な香り、何かロマンの香りが立ち昇りますね。私も海岸に住んで、毎日竜涎香を探し回ろうかしら…、仙人のように…、世捨て人のなりをして…。あっ、でも世捨て人は、そんな欲は掻かないんですよね?

Lトビウオ(飛び魚)
トビウオ
大型の魚や鳥や怪獣に追いかけ回されて、とうとうこの魚は翼を持つに至りました。一度に数百メートルは飛ぶそうで、小さな翼ながら凄い飛翔力ですね。翼は胸鰭(むなびれ)が巨大化したもので、トビウオの遺伝子は自らの一族郎党?の存続を掛けて進化を選んだのですね。私も一度でいいから船上の甲板で、彼らを眺めてみたい…。そして甲板に飛び込んで来たら捕まえて塩焼きにして食べてみたい…。きっと極上の味がするでしょう。だって、巨大魚や鳥、海豚や鯨が目の色を変えて追い掛け回すのですから…、美味しいに決まっています。じゃなきゃトビウオは翼など持つ訳ありませんものね。美味しく生まれた悲運、可哀想…

Mヒトデ(人手)
ヒトデ
可愛い海の生き物・ヒトデ、これはどうしてもNちゃんと見たいですね。そして教えてあげるんだ…、「ほら、可愛いだろ…、これはヒトデって言うんだよ。人の手みたいだから人手て言うんだ。でも何だかお星様みたいだね…、そうかこれはお星様が海に落ちて空に帰れなくなっているんだ…、可哀想だね…、Nちゃん!」。

N最後の段段
階段最下部
最後の段段、もうこの先にオブジェはなく、大口開けた怪魚の滝と滝壺の池があるだけです。さあ水達よ一気に下りたまえ、爽快と言う快楽を楽しみながら…

O怪魚の滝と静寂の池
怪魚の滝と静寂の池
水の流れ、水の階段はここまで、とうとう終点に着きました。「ああー楽しかった、またね…」

P石のステージ
石のステージ
各種の催事が開かれています。石のステージ、一寸、踊ってみたくなりますよね? 是非皆様もどうぞ! 
posted by 三上和伸 at 10:53| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月29日

新・横浜漫歩1-4 の追伸 山下公園モニュメント巡り 青い目の人形・ポーリンちゃん 2013.06.28

青い目の人形・ポーリンちゃん
前回のお話で、ポーリンちゃんをご紹介したまでは良かったのですが、残念ながら写真がありませんでした。何せ、旅を急ぐあまり遠目勝ちとなり、ポーリンちゃんを観落としてしまったのでした。注意散漫な私ですから、そんな事日常茶飯事ですが、肝心要の愛らしい少女スターを欠いてしまうなんて、本当に愚かでお恥ずかしい…。ショックで逡巡し、このシリーズを先に進めなかったのですが、今日、再び訪ねて写真をものに出来、これで前を向く事ができました。

昭和初期の日米親善大使の役を果たした青い目の人形・ポーリンちゃん。その愛らしい姿は今でもオブジェとなって、ここ人形の家の前にあります。純粋無垢ながら、一寸誇らし気でもあります。
posted by 三上和伸 at 00:12| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月22日

新・横浜漫歩1-4 山下公園モニュメント巡り 横浜人形の家と青い目の人形縁のポーリン橋 2013.05.21

 ブラブラとフランス橋を辿るとやがて横浜人形の家が観えてきます。鉄筋コンクリート造りながら瀟洒な建物で、その内包したメルヘンの雰囲気を遺憾なく表に漂わせています。ここには小さなホール(赤い靴劇場)があり、昔から訪れていました。それは少女時代の娘達のピアノ発表会であったり、今日の娘・夏さんの主催するピアノ発表会であったり、時として私の仕事(ここのピアノ調律)の場であったり…。それでも、訪ねる目的が違えば、そこにある人形を観覧しようとは思わないのが人間の常、私も人形に見(まみ)える事はしませんでした。今回も残念ながら通り過ぎるだけ、されど何時か、じっくり閲覧見学させて貰いたいと念じています。

@人形の家(横浜ドールミュージアム)
フランス橋を渡り終えて観た横浜人形の家 横浜人形の家 ポーリン橋から振り返った人形の家
世界141カ国・14,000点の人形及び人形に関する資料を有する人形博物館。その常設展示室には、世界141ヶ国の民俗人形や江戸後期以降のからくり人形に雛人形、人間国宝・平田郷陽(ごうよう)作の衣装人形等があり、鑑賞できます。

開館は1986年6月で、今年で27年目。館長には、初代“兼高かおる世界の旅”の兼高かおる氏、二代目が俳優の石坂浩二。

Aポーリン橋から望むみなとみらいと山下公園通り 
ポーリン橋からのみなとみらい俯瞰 ポーリン橋道標 
♫青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド♫ の歌は、ご存知ですよね。この青い目の人形は、昭和2年、当時、緊張の高まった日米関係を修復するため、アメリカ人宣教師・シドニー・ギューリック博士の提唱に始まり、日本の渋沢栄一などの尽力も手伝い、アメリカ合衆国から日本に贈られたものだそうです。12,739体の青い目をした人形が、アメリカから日本に渡り、日本各地の幼稚園、小学校に配られたのでした。大感激で迎えられた人形たちは、それぞれの学び舎で大切に保管されました。勿論、答礼の日本人形も各学校からの寄付で賄われ、アメリカに渡りました。ところが、その後に起こった太平洋戦争により、これらの青い目の人形は敵視され、大半が焼かれ、焼失しました。それでも、この大切な日米の親善大使を愛した一部の良心が、そっと隠し持ち、全国で323体が残りました。その内の一体の女の子の人形がポーリンでした。ポーリンは横浜市西区の西前小学校(我が妻の母校)に貰われて生き残ったのです。

もう、お分かりですよね。ポーリン橋の名は、このポーリンちゃんに因んで名付けられました。
posted by 三上和伸 at 14:01| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

新・横浜漫歩1-3 山下公園モニュメント巡り プロローグ3 フランス山 2013.05.21

@愛の母子像
愛の母子像
港の見える丘公園からフランス山の領域に入ると、先ず見えて来るのがこの愛の母子像。今思い出しても涙ぐんでしまう程の悲しい出来事。米軍の飛行機が民家に墜落して、二人の幼い姉妹とその母親が亡くなったのでした。これはその三人の犠牲者の魂を弔うために作られたブロンズ像です。

昭和52年(1977年)9月27日、横浜市緑区荏田町(現・青葉区荏田北)に米軍機が墜落、直ぐに幼子の二人が死亡、一旦助け出された母親も愛娘二人の死に耐え切れず、慟哭と失意の内に後を追うように亡くなりました。

この三人は生前、海が観たいと言っていたそうです。そこでその願いを叶えて貰おうと寄付を募り、この地に愛の母子像が建てられたと言う事です。私は知りませんでした。従って寄付もしていません。せめて今の私に出来る事は、今ここで祈る事、御冥福を願う事。私は手を合わせました。

A港の見える丘公園とフランス山の見取り図
港の見える丘公園とフランス山の見取り図 フランス山の歴史見取り図
山手の核心、港の見える丘公園とフランス山の見取り図。山手の成り立ちを知る事が出来、日本近代史の理解に役立ちます。

Bフランス領事館及び領事公邸で使った井戸と水汲みの風車
フランス領事館の井戸 フランス山の風車 井戸と風車の説明板
フランス領事館及び領事公邸で使った井戸と水汲み風車(実物大模型) そしてその説明板 
愛の母子像の直ぐ傍には領事館で使った井戸の遺構があります。明治29年、領事館竣工時に設置されたもので、深さ30メートル、井戸の構造はレンガ造りで、円形に積むため、レンガは扇形をしています。山手には上水道はなく、井戸を掘る事が必用でした。そして本来はこの井戸の上に風車を備え、深い井戸から風の力を借りて水を汲んだのです。調査発掘の際、井戸の周りには、風車の土台の遺構が四基あったそうで、今はそれぞれ保存をされているそうです。現在の風車は、他所にあった風車の記録を参考に制作された実物大模型のもの…。しかも設置されている場所も井戸の上ではなく、旧領事公邸の遺構の脇に設置されています。そそっかしい(私も)方は、誤った認識をされる可能性があるかと思われますので念のため…。

Cフランス領事館跡
AUROREと刻まれた女性の像 フランス領事館 
フランス山の最下部、谷戸坂の登り口に、フランス領事館はありました。その入り口付近にあったこの女性のブロンズ像、不思議に想い調べてみましたが、私には調べる術はありませんでした。管理者の緑の協会に問い合わせるべきだったかも知れません。フランス山の最高部にあった領事公邸とは違い、領事館は元町に近い低い所にありました。今は公園として整備されており、その一角に整備の際、出土した遺構の欠片が大切に保存展示されています。まあこの公園、少々造られ過ぎの感は否めませんが…。

Dフランス橋からの風景
フランス橋 フランス橋袂のヤマボウシ フランス橋から観たマリンタワー
フランス山と山下公園を結ぶ第一の橋がフランス橋。これを渡れば横浜人形の家に至ります。眼下に元町や中村川が俯瞰できる一度は渡ってみたい、横浜の新たなプロムナードです。丁度季節のヤマボウシ(山帽子)と旧横浜のシンボル・マリンタワーが清々しく…、それは私の嬉しい風景でした。
posted by 三上和伸 at 23:15| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

新・横浜漫歩1-2 山下公園モニュメント巡り プロローグ2 アメリカ山と港の見える丘公園 2013.05.21

 遅れに遅れている新・横浜漫歩1、これから暫くは、この横浜漫歩の記事の掲載に全力を上げる事にします。

元町商店街を西から東に縦走、途中厳島神社に立ち寄り参拝、そしてウチキパンでパンと牛乳を買物して、みなとみらい線の元町中華街駅に辿り着きました。ここにはアメリカ山行きのエレベーター(改札出て右直ぐ)があり、数ある急登の坂道を登らなくとも、楽チンで山手の山上に上がれます。いいですね、江の島のエスカーか各地景勝地のゴンドラか、極度の時間短縮にもなり、いい役割を果たしてくれています。さあ、エレベーターに乗って一気にアメリカ山へ! 足自慢なら、谷戸坂、見尻坂、貝殻坂へ。桜の頃は最高です。

@アメリカ山公園
アメリカ山の薔薇のアーチ
最上階のエレベーターの扉が開くと、そこはアメリカ山公園。花壇の花々と横浜の眺望を独り占めする明るく開けた公園です。この時は丁度薔薇の季節、蔓薔薇のアーチが見事でした。

アメリカ山の名の起こりは? 開港当時の昔、この山手97番地にアメリカ公使館が出来る予定だったそうです。ところがどう言う成り行きか知れませんが、公使はここに住む事はなく、建設が中止になり、アメリカ公使館は出来ませんでした。それでもここがアメリカの所有地であった事は確かなようで、後にアメリカと縁が深い事からアメリカ山と呼ばれるようになったのだそうです。 

Aイギリス館
イギリス館 
昭和12年に、この地に建てられた鉄筋コンクリート2階建ての旧英国総領事公邸です。このように建物は立派に残ったのですが、今日、ここがイギリス山と呼ばれない素朴な疑問が残ります。どうしてか、どんな理由があったのか、まあ、イギリス館の名さえ残れば、イギリス山など必要ない、が真相でしょうか。誠に残念な事です。されど建物が残った事は幸いと言えるのでしょう。横浜の歴史を伝える建物として、無料で閲覧出来る上、今現在でも、一階のホール(音楽会用)と二階の会議室は頻繁に使われ、役に達っていますものね。

B深紅の薔薇・ヴィクトル・ユーゴー
薔薇・ヴィクトル・ユーゴー(フランス産) 
フランスの文豪の名を授かった薔薇、それがユーゴーにとって、また薔薇にとって光栄であったのかどうなのか、知る由もありませんが、美しい深紅の薔薇、見事ですね。レ・ミゼラブルの著者に相応しい華麗なる大輪は、観る者を雄渾な小説の世界に誘います。真に輝かしい薔薇と私は実感しました。

C大佛次郎記念館
大沸次郎記念館 
横浜市(西区英町)出身の文豪・大佛次郎の記念館。この小説家のペンネームの大佛の名は、ご本人が鎌倉長谷の大仏の裏手に住んだ事によるそうです。生まれが横浜、後の住まいが鎌倉、この二つの街と猫を愛した人だそうで、神奈川県民の私として、嬉しい事ですね。ここには、この小説家の原稿及び肖像が納められているそうです。

D「コクリコ坂」の国際信号旗
コクリコ坂のハタとベイブリッジ ウチキパンのカレードーナッツとセサミスウィートポテト 
アニメ「コクリコ坂から」の舞台(モデル)になったのが横浜山手の丘の上。丁度、下宿・コクリコ荘のあった場所が、この写真の位置、港の見える丘公園のど真ん中でした。この旗は、下宿を賄う松崎海が、毎朝コクリコ荘の庭で揚げていた旗(を模したもの)。新山下を経た横浜港からよく観えます。その国際信号旗の意味は「安全な航行を祈る」だそうです。あのアニメをご覧になられた方ならこの旗…、想いは一入のものがあるでしょう。

右のパンと牛乳は元町・ウチキパンで買ったもの、港の景色を観ながら食べました。

Eハマナス(浜梨)
ハマナス(浜梨) 
港の観える丘公園には、薔薇の女王・ローズだけではなく、北国の野生薔薇・ハマナスも植えてあります。本来は北海の原野に咲く花、一重の薔薇色、豪華さはないけれど、そこには澄み切った清楚な味わいがあります。北の青空によく似合う、北の乙女の薔薇です。

Fフランス山への渡り橋
フランス山へ繋ぐ橋
ここで港の見える丘公園はお終い、この先はフランス山の領域になります。横浜山手で最も深い森、メルヘンの森にようこそ!
posted by 三上和伸 at 17:34| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

新・横浜漫歩1-1 山下公園モニュメント巡り プロローグ1、元町 2013.05.21

元町の玄関
横浜元町商店街入り口
横浜スタジアムから本牧・根岸に向かう道路の一角に、この元町通り商店街の入り口があります。私は石川町駅付近からこの道路を突っ切って元町通りに入りました。ここは我等田舎者の男の来るところではないのですが、仕方がありません。お昼ご飯には“ウチキパン”のパンを港の景色を観ながら頂くと言う、切なる目的(願望)がありましたので…

元町通りとウチキパン
元町通り ウチキパン
お洒落と言う一点でこの商店街の各店舗のコンセプトは決まっています。衣料にしても家具にしても雑貨にしても食事にしても… でもね、ウチキパンにはそこを乗り越えてもう一つ素朴と言う味付けがあるようで、私は好きなのです。ここに見えるウチキパンのお店、余りお洒落とは言えませんよね。何か田舎者でも入れる安心感がありますね。

元町厳島神社
元町厳島神社
お洒落でハイカラな町・元町。でもこんな可愛い神社があるのです。元町四丁目の路地の奥、フェリス女学院の真下の崖(ブラフ)に沿って…。まあ、ここの四神は全部女神様なんだそうで、それはこの女の園に合っていますよね。F女学院、お洒落なハイカラさん、流行に敏い女の街。それでも、ここの佇まいは静かで質素。私は嬉しく人心地つきました。

元町厳島神社由来
元町厳島神社由来
興味がお有りでしたら、お読みください。

金比羅宮と皇大神宮
金比羅宮と皇大神宮への誘導板 金比羅宮と皇大神宮
この矢印で折れると、もう二つ、可愛いお宮が現れます。 よく見たのですが、どちらがどちらだか分かりませんでした。丁度参拝にみえていたご婦人に尋ねてみました。ところが「さあ…、どちらがどちらなのでしょうか?、私は知りません」、「失礼しました。まあ、この看板の左右の並び通りなのでしょうね。フフフフ…」、「フフフフフ…」。
posted by 三上和伸 at 13:34| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする