2020年08月29日

新横浜漫歩 山下公園モニュメントD 大桟橋(メリケン波止場)と横浜ベイブリッジ 2020.08.26

大桟橋豪華客船 横浜ベイブリッジ
豪華客船の大桟橋   湾岸道路のベイブリッジ
古には「鉄桟橋」、戦前は「メリケン波止場」、そして現在は「大桟橋」と呼ばれています。1990年代に入ると、豪華客船によるクルーズ客が増え、波止場も手狭となり、世界に門戸を開き、一般公募として大桟橋の建築が始まりました。外国人設計者の案に寄り、新港が完成しました。みなとみらいのビル群が真正面に拡がり、左からランドマークタワー⇔灯台、クイーンズスクエア⇔ウェイブ、ホテルヨコハマグランドインターコンチネンタルの帆船(ヨット)の横浜のシンボルが観えます。その隙間を縫って、神奈川沖の富士山も観えるのです。芝生の広場もあり、絶好の景勝地となりました。

そして振り返れば、ご覧のような湾岸道路に架かるベイブリッジが観えます。その右横には氷川丸も観えています。横浜のシンボルの大半が観えるのです。
posted by 三上和伸 at 16:39| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 山下公園モニュメントC 日本郵船氷川丸 2020.08.26

山下公園1のモニュメントは、何と言ってもこの氷川丸ですよね。1930年(昭和5年)に竣工された12,000t級の貨客船です。長らく北太平洋航路で活躍し、2016年からは、横浜市の博物館船として、一般に公開されています。

氷川丸は横浜船渠(せんきょ・ドック、現三菱重工業横浜製作所)で建造されました。太平洋戦争時は病院船として使われ、戦後は1960年まで貨客船として、北太平洋航路で運航を続けました。運行終了後は横浜山下公園に係留され、港横浜のシンボルとなっています。戦前より唯一現存する貨客船であり、貴重な文化遺産として、2016年の8月には、国の重要文化財に指定されました。何時見ても素敵な船です。2度ほど船内を閲覧しましたが、あと少し歳を取ったら、3回目を実施したいと思っています。

posted by 三上和伸 at 11:28| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月28日

新横浜漫歩 山下公園モニュメントB かもめの水兵さんの碑 2020.08.26

次に見付けたのがかもめの水兵さんの碑です。これも有名な童謡で、作詞者武内俊子がハワイ旅行をする叔父の足利瑞義(浄土真宗本願寺派・勝願寺住職)を、昭和8年に、横浜メリケン波止場(大桟橋当たりの客船港)まで送りに来た際に、波止場に飛び交う白いかもめの印象を綴りました。直ぐ作曲者に電話連絡、その場で曲はほぼ出来上がりました。作曲は盟友の河村光陽で、レコーディングの歌は光陽の息女の順子が歌いました。空前の大ヒットとなったようです。
かもめの水兵さんの碑
かもめの水兵さん
並んだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ 浮かんでる

かもめの水兵さん
駆け足水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波をチャップチャップ 越えていく

かもめの水兵さん
ずぶ濡れ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波でチャップチャップ お洗濯

かもめの水兵さん
仲良し水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ 揺れている

実にリズムに乗り易い詩ですね。歌を担当した河村順子は、一瞬の内に憶えたそうです。
posted by 三上和伸 at 23:21| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 山下公園モニュメントA 赤い靴はいてた女の子像 2020.08.26

ホテルニューグランドを出て、暫く歩きました。炎天下の中、本当の漫ろ歩き、汗を掻き掻き歩きました。やっと会いたかった赤い靴はいてた女の子に出合えました。作詞家野口雨情は、集めた情報から、本当にあった赤い靴はいてた女の子の境遇を題材にして、詩を書きました。異人さん(外人さん・アメリカ人宣教師)に連れられてアメリカに行った少女、しかし実はアメリカに行かずに、日本の孤児院で夭逝したとの真実?がありました。ところがこの説は誤りだと後にクレームが起き論争となりました。事実は闇の中、それでも赤い靴はいてた女の子は実在したそうです。そして雨情の詩と共に、私達の心の片隅にホンノリと存在しています。
赤い靴はいてた女の子像 赤い靴はいてた女の子像 赤い靴はいてた女の子像
可愛く美しい少女ですね。静かに謹んで海を眺めています。

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

赤い靴 観るたびに 考える
異人さんに 逢う(あう)たび 考える

幻の5
生まれた 日本が 恋しくば
青い海 眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
異人さんに たのんで 帰って来(こ)

5番は草稿にはありましたが、発表はされませんでした。悲しい思いを少しでも紛らわすように、5番は作られたのですね。それでも結局、5番は割愛されました。悲しみのままで終わらす効果を選んだのですね。
posted by 三上和伸 at 21:32| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月27日

新横浜漫歩 山下公園モニュメント@ 水の守護神像 2020.08.26

ホテルニューグランド利用客には、駐車料サービス4時間無料の特典があります。食事に1〜2時間を要したとしても、後2時間ほどは駐車時間に余裕があります。そこで山下公園近辺の行楽に時間が割けるのです。私達は炎暑に中の山下公園散策を試みました。

水の守護神像
ホテルニューグランドと水の守護神像
先程まで食事をしていたホテルニューグランドが映り込んだ水の守護神の像の噴水。この像は、横浜市初の姉妹都市となったアメリカカリフォルニア州サンディエゴ市から1960年(昭和35年)7月に贈られたものです。噴水仕掛けになっており、涼し気で火照った体には有り難いモニュメントでした。

背後に映るホテルニューグランド、高層建築が新館で、左の低層建築が本館です。
posted by 三上和伸 at 22:47| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 横浜市役所新庁舎 2020.08.27

ホテルニューグランドに向かう前、僅かな時間があったので、横浜市役所の新庁舎を訪ねました。私達のようなフリーランス職人には余り用事が無く、縁遠い施設ですが、一度は尋ねてみる価値がありそうでしたので、覗いてみました。

市庁舎ロビー 市庁舎ロビー 市庁舎ロビー
これまでの市庁舎は関内駅前にありまして、立地的には大変便利な所にありました。それでも庁舎は狭く、多くの分室が周辺に散らばっていました。手狭になり、老朽化も進み、業務に不便をきたし始めたために、新築移転が検討され、2020年の1月31日に竣工された中区本町6丁目の新庁舎に移転しました。それに伴い横浜市庁舎を横浜市役所と名を改め、本格的に使われ始めています。地上32階地下2階の巨大なビルで、商業施設などもあり、横浜市の新しい顔となっています。

商業施設2階の展望デッキより眺めるみなとみらいのビル群と大岡川上手の旧市街のビル群(野毛・日ノ出町方面)
みなとみらいのビル群は横浜の海に因んだ設定により建設されました。左からランドマークタワーが灯台、中のクイーンズスクエア3棟はウェイブ(波)、そして右端の半円形ビルがヨット(帆船)に因んだホテルヨコハマグランドインターコンチネンタルです。横浜と海、見事なコンセプトの結実が証明されています。




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2020年08月17日

新横浜漫歩 炎暑の三溪園 2020.08.17

若菜ではテイクアウトで、妻の母・義母のために、蒲焼一人前を焼いてもらいました。コロナ禍の昨近、義母は美味しい蒲焼が食べられないとこぼしていたそうなのです。大喜びの義母にそれを届け、私達は灼熱の三溪園に出向き、普段の散歩の代用にしました。少々、乱暴でしたが、腹ごなしには丁度良い運動でした。

睡蓮の葉にミソハギ
睡蓮の葉が南門の前に拡がる広大な海(池ですが、海に見立てています)に浮かんでいました。しかし睡蓮は午後には花を閉じて仕舞うのですね。午睡をするので睡蓮と言うのです。私達は少々訪問が遅すぎました。睡蓮は朝開いて、午後には閉じるのです。代わりに湿地が好きなミソハギが咲いていました。禊萩と言われる盆の花で、今が盛りですね。

旧燈明寺三重塔     東屋・涵花亭
灼熱の太陽の下、汗を掻きながらの散歩となりました。水面を介して飛び込んで来る美景が私を鼓舞して歩かせてくれました。何時来ても愛せる風景、原三溪殿、見事な風景をありがとう。
      
大池 雁ヶ音茶屋の氷あずき
大池                  大池池畔の雁ヶ音茶屋の氷あずき
大池池畔のお茶屋さん、雁ヶ音茶屋で氷あずきを頂きました。水面を渡る風に、一口の氷あずき、私の皮膚と胃袋が涼を感じていました。スプーンの一口一口が、涼みの境地に近づかせました。私の暑熱が少しずつ冷めて行きました。

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2020年03月22日

新横浜漫歩 三溪園・旧天瑞寺寿塔覆堂と苔庭 2020.03.20

旧天瑞寺寿塔覆堂 旧天瑞寺寿塔覆堂の苔庭
豊臣秀吉が母親のために建てた建物です。生前に長寿を願い建てるお墓を寿塔と言うそうで、その墓・石塔を覆うために建てられた覆堂です。中の石塔は未だに、京都大徳寺にあるそうです。

覆堂の周囲の庭は良く整備されている苔庭です。日本は湿気が多い国土をしています。苔が良く生えるのですね。それを美しく庭に侍らす、日本文化、好いですね。

posted by 三上和伸 at 15:07| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 三溪園の建物A 涵花亭(かんかてい)と亭榭(ていしゃ)

涵花亭(潤い花の東屋の意)亭榭(中央の東屋)
庭園に付き物なのが東屋です。これは洋の東西を見渡しても、必ず存在しています。三溪園にも二つの東屋があります。一つは大池の中の出島の上に涵花亭が、もう一つは、大名の奥座敷であった臨春閣からの小路の橋の上に立つ亭榭です。どちらの名にもある亭は東屋の意味、榭は屋根付きの台の意味があるそうです。春秋の陽気には、ここで寛ぎたいですね。野草を眺め、小鳥の歌を聴きながら、贅沢な時間が過ぎ行きます。
posted by 三上和伸 at 14:38| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 三溪園の建物@ 旧燈明寺三重塔 2020.03.20

室町時代・康正(こうしょう)3年(1457年)に建立された三重塔、国の重要文化財です。始めは京都・木津川市の燈明寺に建造されたものですが、燈明寺が廃寺となり、1914年に、三溪園に移築されたのでした。三溪園の小高い丘の上に移され、園内の至る所からでも眺められる場所として、この丘の地に、安置されたそうです。三溪園で最も古い建物で、三溪園の象徴です。大池の池越しからの眺めが最良です。
posted by 三上和伸 at 14:05| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月20日

新横浜漫歩 Yくん・K子さん、三溪園式前撮り撮影会 2020.03.20

甥のYくんとお嫁さんのK子さんが結婚式前に、思い出の写真撮影をするそうで、私達もお邪魔虫ながら、見学会を行いました。場所は横浜三溪園で、紋付羽織袴のYくんと打掛けのK子さん、様々の風物を背景に、仲良く熱々で、カメラマンの撮影に応えていました。40歳前のYくんに、30数歳K子さん、まあ、十代の若者の如くにメロメロ、観ている私も幸せになりました。

本牧三之谷・マンダリンブラフ 楓の新緑
ペリー言「マンダリンブラフ」 楓の新緑
三溪園の清々しい景色、春分の日の素晴らしい天気、正に天地が揃って祝福しているようでした。

DSCF4817.JPG 池と三重塔 染井吉野
東屋         池と三重塔      染井吉野 
こんな美し背景の中で、幸せ一杯の、最高の写真が撮れました。
posted by 三上和伸 at 23:00| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

新横浜漫歩 港の見える丘公園 2020.02.24

正午過ぎに、我が家でNちゃんYちゃんRくん一家と待ち合わせをし、横浜山手に向かいました。この日はナッチャン恵ちゃんの音楽紙芝居公演の日、場所は横浜山手の山手111番館。ここは港の見える丘公園の一角にあり、この公園は、横浜の観光スポットとして富に有名です。ベイブリッジの横浜港を眼下に臨み、園内には四季折々の花が咲き乱れ、憩いの一時が約束されます。コンサート開演まで、少し時間があったので、みんなで散策をしました。NちゃんYちゃんRくんは大はしゃぎ、園内を探索し捲って、晴れ晴れとしたお顔で、コンサートに臨みました。

コクリコ坂国際信号旗とベイブリッジ
コクリコの丘
まんが・アニメで有名になったコクリコ坂、そのコクリコ坂と言えば、この横浜山手のフランス山の辺りに設定されていました。それを記念して、この横浜港を一望できる港の見える丘公園の一角に、国際信号旗のレプリカが設置されました。ここに来れば、あの優しい物語を追憶できます。

コクリコ坂国際信号旗と早春の花
パープル・ガーデン
ヒアシンス、プリムラ、パンジーなどの紫系の花を咲かせていました。港の見える丘公園は5月の薔薇が有名ですが、早春の今は、紫の花で彩られていました。お洒落な構図が庭園デザイナーの見識の高さを物語っていました。見事です。

キリンが観える
キリンが観える
港で、巨大なコンテナーを積み下ろしするのがガントリークレーンです。このクレーン、キリンさんに似ていますよね。ここから観えるのは、本牧ふ頭と想われますが、このキリンさんが立ち並んでいます。横浜及び日本の貿易・流通の拠点ですね。

大仏次郎記念館とティールーム霧笛、Rくんが彷徨
元町の名レストラン・霧笛楼とは関係なさそうなのですが、ティールーム霧笛、好い立地にありますね。元町よりも更に霧笛が聴こえる山手の丘の上にあるのですからね。テラス席で三孫が遊んでいたら、ここのお姉さん(ウェイトレス?)に、「お客様の席ですから、遊ばないでね」と注意されてしまいました。
イギリス館と滝のオブジェ
イギリス館と滝のコンクリートオブジェ
ここは正に子供達の遊びの楽園、もう三孫ははしゃぎ回って、走り回って、大変な騒ぎ。喜々とした笑顔を観るにつけ、連れて来て良かったな〜と心から思えるのでした。

横浜山手西洋館・山手111番館
山手111番館
開演時間も迫った折、漸く山手111番館に辿り着きました。中ではナッチャン恵ちゃんがお待ちです。玄関に立てば、次々とお客様、山田小夜子先生、大関はるみ先生、甥のYくんとお嫁さんのK子さん。嬉しいコンサートでした。


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2020年01月13日

新横浜漫歩 横浜南部市場に買い物 2020.01.13

本マグロづくし定食 大海老天重
本マグロづくし定食(妻)  大海老天重(私)
正月も終わり、お節も食べ切り、我が家の台所も、米を始めとして、食料が欠乏してきました。そこで今日は、南部市場に食料買い出しにいきました。近くのコストコは止めて南部市場に…。それは勿論、南部市場に、本マグロの横濱屋本舗食堂があるからです。今回は妻が本マグロづくし定食を、私は大海老天重にしました。本マグロに未練がありましたが、どうしても天婦羅が食べたくて、天重にしました。サクッとした衣、プリッとした大海老、最高でした。

三浦産大根 特大キャベツ 新潟米・特a・新之助
三浦産の極太大根 特大キャベツ 新潟米・新之助
大根が¥120、キャベツが¥98 新之助は5K・¥2680でした。今まで米はcoopで買っていましたが、妻が無洗米で無くても良いと申したので、南部市場の米屋で、話題の米・新之助を買いました。

グリーンピース
市場で買ったグリーンピースを、私が莢から豆を取りだして、グリーンピースご飯を炊きました。グリーンピースの香りが立って、新之助の米の味は、今一つピンときませんでした。明日以降、改めて、新之助の味を楽しもうと思っています。
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2019年11月28日

新横浜漫歩 能「江野島」 横浜能楽堂 2019.11.21

能は、猿楽(さるがく・平安時代発祥)から進化した伝統芸能の一分野で、狂言と共に明治維新以降に能楽と呼ばれるようになりました。狂言が最小の演者で、台詞中心に滑稽話を演じるのに比べ、能は大人数で演じる音楽劇で、囃子方(はやしかた)の伴奏と地謡(じうたい)の合唱を伴って、各配役が謡(うたい)を朗誦して物語を進行させます。シテ(仕手・為手)が主役、ワキ(脇)が脇役、その他は、シテヅレ、ワキヅレなどの配役が出演します。地謡は8人の合唱で、斉唱(ユニゾン、無和声)で謡われます。能の囃子方は四拍子(しびょうし)とも言われ、笛方(能管)、小鼓方、大鼓方、太鼓方の4人が演奏します。そしてこの囃子方の掛け声が、劇中、頻繁に掛けられます。「ヤ」「ハ」「ヨーイ」「イヤー」の掛け声が、四拍子方4人の演奏のタイミングを取るのと同時に、シテ・ワキその他の演者への合図にもなるのです。全体の音の流れをこの掛け声が絞めています。

「江野島」
【所】相模国 江野島 【頃】不詳
【作者】観世永俊(世阿弥の流れ・親類) 大鼓方・能作曲者
【初演】1534年(天文2年)

【役】
シテ:漁翁・五頭龍王 中森寛太
ツレ:漁夫 桑田貴志 辯才天 永島充
子方:十五童子 富坂耀 富坂唐
ワキ:勅使 森常好
ワキツレ:従者 舘田義博 則久英志
鵜ノ鳥ノ精 仲邑修一

シテ:主役 ツレ:脇役 ワキ:脇役 ワキツレ:脇方に属するツレ

【囃子方】
大鼓:安福光雄
太鼓:林雄一郎
小鼓:幸正昭
笛:藤田貴寛

【地謡】
中森健之助
遠藤和久
小島英明
駒瀬直也
佐久間二郎
観世喜正
鈴木啓吾
田所宜夫

【後見】
遠藤喜久
観世喜之
奥川恒治

以上の役者と演奏者で「江野島」は上演されました。

【あらすじ】
1、欽明天皇の御代において、相模の国の海上に、ひとつの島が出現したとの知らせを受け、勅使一行が現地に派遣された。

2、現地に赴くと、漁翁と若い漁師が現れ、「江野島」と名付けられた島の経緯を語る。

3、更にふたりは、島を守る龍口明神の故事を語った後、漁翁は自分こそが明神の化身だと明かし、姿を消す。

4、その夜、勅使一行が島にとまっていると、辯才天が眷属の十五童子を引き連れて現れる。

5、辯才天が美しい舞を舞っていると、やがて五頭龍王も現れて舞う。

6、勅使の前に進み出た龍王と辯才天は、末永く治世を守る事を誓い、龍王は島の周りを飛び巡り、辯才天は紫雲に乗って霊験を示す。

7、実にありがたい、神の御示現であった。

江野島の辯才天と深澤沼に住む五頭龍王の恋物語。人民に悪さをする極悪の龍王でしたが、江野島を作った辯才天が龍王を諭し、二人で、江野島王国を創ったお話。中世・戦国時代に作られた能の大作「江野島」です。

囃子方の素晴らしい演奏に乗って、シテやワキにツレが謡を朗誦します。面を付け、漁翁と五頭龍王を演じた中森寛太、そして素晴らしい辯才天の踊りを舞った永島充、初めての能であり、初めての曲でしたが、大いに感動を貰いました。その真剣な演技と音楽、また観たいと強く思いました。日本の伝統芸能も素晴らしい!

参考:鎌倉能舞台・中森健之助氏の解説文に依ります。
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2019年11月22日

新横浜漫歩 狂言「竹生島参」 2019.11.21

狂言とは能と共に、昔は猿楽と言われていたそうです。明治以降、猿楽は能楽と呼ばれるようになり、狂言は猿楽の滑稽味を洗練させた伝統芸能で、笑劇の一つです。

狂言の語源は、道理に合わない物言いや、飾り立てた言葉を意味する仏教用語だそうで、滑稽、冗談、嘘、騙しなどの行いを狂言と言うようになったのだそうです。

能は仮面を着けて謡を朗詠する音楽劇で、悲劇的・象徴的要素が濃厚ですが、狂言は物真似や道化など、日常的な風刺を利かせた話芸が特徴で、洗練された庶民的な笑劇と言えます。

「竹生島参」
出演者
太郎冠者(召使い)・野村萬斎 主人・深田博治 後見・月岡晴夫
太郎冠者が主人に内緒で、琵琶湖の竹生島参りをしたそうです。それを知った主人は、懲らしめるために、太郎冠者を訪ねました。信心深く竹生島(弁才天)参をした事を知ると、主人はその道中の土産話を聞きたいと求めます。太郎冠者は、龍・犬・猿・蛙・蛇(朽ち縄)などを登場させ、その名をダジャレ(秀句)で言い包め、主人を煙に巻くお話です。

初めての狂言、放たれる言葉は古語、チンプンカンプンですが、何となく解ります。そして何時の間にか笑っているのです。萬斎の様式に則った見事な演技に喝采が湧きました。
posted by 三上和伸 at 22:29| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

横浜漫歩 横浜能楽堂 2019.11.21

横浜能楽堂は、掃部山公園の一角に建てられた能楽専門の能楽堂だそうです。1996年3月に竣工されました。周囲には神奈川県立図書館、県立音楽堂があり、横浜の文化の中心を成しています。一般にはこの辺り一帯は紅葉坂と称されています。

横浜能楽堂 横浜能楽堂・能舞台
横浜能楽堂の能舞台
この能舞台は、歴史的に由緒ある能舞台で、1875年(明治8年)に、東京・根岸の前田斉泰(加賀藩主)邸に建てられました。そして後に東京・染井の松平頼寿(華族、旧高松藩主の8男)邸に移築され、旧染井能舞台と称され、さらにその後に、この横浜能楽堂に移築されました。関東最古の能舞台だそうです。

舞台には鏡松が築かれ、松竹梅(老松・若竹)が描かれています。三方が開け放されており、屋根を支える四本の柱に囲まれた3間四方堅板張りの京間の本舞台と、その脇の後座(あとざ)・地謡座(じうたいざ)からなります。左には演者が通る橋掛り(はしがかり)が通じ、渡り廊下風の補助舞台となります。その終いには、揚幕が垂らされています。そしてにその奥は鏡の間、さらに奥が楽屋となっているそうです。

・地謡(じうたい)
能・狂言で、舞台の隅(地謡座)で、列座した者たちが斉唱する謡(うたい)。
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2019年11月21日

横浜漫歩 掃部山公園(かもんやまこうえん) 2019.11.21

今日は能と狂言を楽しもうと、桜木町の山の上(西区紅葉ヶ丘)にある横浜能楽堂に行きました。少し早かったので、暫くは、隣りにある掃部山公園を散策しました。階段を上ると直ぐに、彦根藩主で幕末の大老であった井伊掃部頭直弼の銅像がありました。ここは日本の鉄道発祥の地でお馴染みの横浜桜木町、この辺りはそれに従事した外国人技術者の居留地があったところで、明治になり、直弼亡き後の彦根藩士がここの土地を購入して、井伊家に譲渡したそうです。それでこの山は掃部山と名付けられたのだそうです。

井伊掃部頭直弼の銅像(横浜掃部山公園) ツワブキ 掃部山からのランドマークタワー
井伊掃部頭直弼の銅像 ツワブキ  ランドマークタワー
直弼と横浜、何の関係もない両者でしたが、先ほど申した経緯のため、こんな立派な銅像が建ちました。1909年の横浜開港50周年記念の事でした。園内の今はツワブキが盛りで、日本庭園は黄色に染まっていました。眼下にはみなとみらいのビル群が望め、鉄道発祥の目出度い地も、近代化の嵐に埋没してしまいました。

古き日の掃部山公園の花見
時代を思わす写真、着物姿が目立ちます。
大正期に、井伊家から横浜市に寄付されて、掃部山公園は横浜市のものになりました。それからは桜が植樹され、ここは横浜の桜の名所となりました。写真は大正・昭和前期のものと想われ、写された人物は全て着物姿です。茶店もあって、花見、賑わっていますね。今でも約200本の桜が咲くそうです。
posted by 三上和伸 at 21:50| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月12日

新横浜漫歩 横浜英和学院礼拝堂 2019.10.03

横浜英和学院礼拝堂
1880年、アメリカのメソジストプロテスタント派宣教師ブリテンが創設したのが横浜英和学院の前身のブリテンスクールです。横浜山手で初めました。後に同じ山手で新校舎を建設、その際に、10枚のステンドガラスが設置されたマカスリン礼拝堂が建てられました。そして1916年に、山手から蒔田に移ったのですが、この礼拝堂は蒔田に移築され、その際、天井の梁とステンドグラスも引き継がれる事となったそうです。

横浜英和学院礼拝堂のパイプオルガン(左翼) 横浜英和学院礼拝堂のパイプオルガン(右翼) 横浜英和学院礼拝堂のパイプオルガン(右翼)
左翼のパイプ群    右翼のパイプ群    低音パイプ
礼拝堂内の二階席にあるパイプオルガンです。左右二対に設えられてあり、この日は音を聴く事は出来なかったのですが、素敵な構えをしたオルガンでした。設置の際の詳しい説明が無かったので、ただドイツ製だと言う事は判ったのですが...。

横浜英和学院礼拝堂のステンドグラス 横浜英和学院礼拝堂のステンドグラス 横浜英和学院礼拝堂のステンドグラス
山手から蒔田に引き継がれたステンドグラス、横浜最古のステンドグラスで、並びにこの教会は、日本最古のステンドグラスのある教会と言えるのだそうです。
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2019年10月07日

新横浜漫歩 蒔田駅前 2019.10.03

蒔田町の番地標識
先日の10月3日に、横浜英和学院のパイプオルガンの演奏を聴きに蒔田を訪れたのですが、蒔田(宮元町4丁目)の町は、すっかり新興宗教の大山祇命(おおやまねずのみこと)の門前町と変わっていました。昔を知っている私としては、その宗教ビル群が乱立する驚きの新風景、隔世の感がありました。

新興宗教の大山祇命(おおやまねずのみこと)神示教会の本部のビル群
戦後始まった宗教のようで、最初は横浜市戸部町にあったそうですが、奉祭神・大山祇命の化身とされた森日出子の出生地とされる蒔田(宮元町)に移りました。信徒は80万人だそうで、その隆盛振りがこのビル群に象徴されています。有名人の信者も多いとか?

雷神堂・蒔田店    煎餅焼き窯
結構昔からある煎餅屋です。チェーン店だそうで、本部はおばあちゃんの原宿・巣鴨にあるそうです。

雷神堂煎餅・ぬれかり 雷神堂煎餅・ぬれかり
煎餅ぬれかり
焼いて割って垂れに付けてもう一回焼く、手間のかかった煎餅、繊細ながらパリッと割れる固焼き煎餅、✊グー


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2019年10月01日

新横浜漫歩 NちゃんYちゃんと一緒に横浜漫歩・ブロンズ像・ヤブラン・シロバナヒガンバナ・帆船日本丸 2019.09.29

人形の家の玄関にある銅像
ポーリンちゃんとは少し隔たった、同じ人形の家の入口に置かれています。所蔵されているスイスの民族人形をモデルにした3体のブロンズ像です。左からホルン(角笛)を吹く像、真ん中が太鼓を叩く像、右がアコーディオンを演奏する像です。

昼食は別行動だったRくんとKさんママに落ち合って、一緒にメガドンキ山下のフードコートを利用しました。カレーかパンか揉めましたが、グルメYちゃんの一声で、サンマルクカフェでパンを食べる事になりました。私はフレンチ・トーストに🍓パフェを頼みました。勿論、Rくんは💤💤💤(お休み)でしたが、NちゃんYちゃんにはスプーンを多く貰って、🍓パフェを食べ合いました。リーズナブルで、美味しかったのですよ‼‼‼ 人形の家からドンキまでの花壇には、季節の花が咲いていました。ヤブランに白い彼岸花、個性際立つ花でした。

帆を張った帆船日本丸
この日は総帆展帆(そうはんてんぱん)の日でした。帰り掛けの車中から見事に展帆された帆船日本丸が観えました。
posted by 三上和伸 at 09:02| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新横浜漫歩 NちゃんYちゃんと一緒に横浜漫歩・サンリオ展覧会で工作遊び 2019.09.29

サンリオ展覧会 サンリオのお遊び企画
人形の家ではサンリオキャラクターの展覧会をやっていました。まあ、NちゃんYちゃんには、ポーリンちゃんよりもこちらの企画がお目当てでして、こう言った工作物は大好きな二人でしたので、大喜びでした。

砂絵製作中のYちゃん ポムポムプリン
Yちゃんの工作風景  Yちゃん作”ポムポムプリン”の砂絵
欲張りなNちゃんYちゃん、3つの工作全部をやったのですよ。ジイジはYちゃんの隣にいたので、その作業風景と、Yちゃん作品の撮影に成功しました。NちゃんとNちゃん作品が撮れなかったので、残念でした。Nちゃん、ゴメンね😢
posted by 三上和伸 at 07:26| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月30日

新横浜漫歩 NちゃんYちゃんと一緒に横浜漫歩・ポーリン橋とポーリンちゃん 2019.09.29 

ポーリン橋      青い目の人形・ポーリンちゃんの銅像
RくんとKさんママが謎のお出掛けをしたので、私達はNちゃんYちゃんを連れて、横浜人形の家へ出掛けました。ここには世界の多くの人形が展示されており、人形に興味が無くとも、世界の民族の文化や風習に接することが出来、暫しの時間、仮初の世界旅行が出来ます。

玄関には青い目の人形のポーリンちゃんの銅像が置かれており、愛嬌を振り撒いています。気が付かない人は通り過ぎてしまいますが、一度はご覧になると好いですね。本物は、横浜市西区にある西前小学校に今も保管されています。昭和の初め、日米友好の懸け橋となった青い目の人形(アメリカ合衆国より日本の小学校などに、12,739体の青い目の人形が贈られた。人形使節・友情人形)、その代表選手が横浜のポーリンちゃんです。

posted by 三上和伸 at 22:03| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月03日

新・横浜漫歩2 箱根駅伝と旧東海道・保土ヶ谷一里塚 2014.01.02

私が観戦した位置は保土ヶ谷一里塚付近、ここを通過した選手達を順を追って撮影しました。トップ通過は駒沢大。第2グループには早稲田大などの強豪チームが連ねていました。最下位は国士舘大、しかし、この時点では不明でしたが、山梨学院大が棄権になったとか、気の毒な事でした。
露払いのパトカー
⇓露払い?のパトカー…、後方には放送車。いよいよその先にはトップの選手が、何処の大学か?
駒大、断然トップ   
⇓ダントツで駒沢大、悠々と走る。
第2グループ
⇓早稲田、東洋、明治、順天堂の強豪大学が…、必死でトップの駒沢を追う。 
第3グループ
⇓青学大、道路脇スレスレに、一際応援の声が高まる 
第4グループ
⇓拓大、強靭な体躯を持つ黒人選手、拓大は唯一伊豆大島合宿をしたそう。 
第5グループ
⇓日大、法政、中央学院
第6グループ
⇓中央大 
第7グループ
⇓国学院大、帝京大  
第8グループ
⇓ 城西大
第9グループ
⇓神奈川大、東農大
第10グループ
⇓恐らく、大東大?のランナーでしょう
最終グループ
⇓国士舘大、最後尾のランナー…かと思いきや、京急戸部駅付近で山梨学院大の黒人ランナーが棄権をしたのだとか。この区間では“びけ”(びり)ではなかったのですね。
締めの白バイ 
締めの白バイ?が悠々と…、終わったよ?と観戦の私達に引導を渡す。

松並木と一里塚
箱根駅伝の国道一号・東海道に行くには我が家から歩いて小一時間。朝早目に家を出たので少し時間に余裕があり、保土ヶ谷宿の旧跡を訪ねてみました。現東海道と旧東海道では、明らかに道の所在が違います。平行には走っていますが、違う道と言っても良いのです。されど一部に交差している場所もあり、この保土ヶ谷一里塚の辺りも保土ヶ谷橋から保土ヶ谷町に掛けて数百メートルを共有しています。まあ、駅伝もここを走るので、今回はこの保土ヶ谷一里塚の近くに観戦の陣取りをしました。

旧東海道保土ヶ谷宿松並木 保土ヶ谷一里塚
江戸期に植えられた松並木も一部を除き枯れ果てしまった現在、それを憂えた地元民(宿場蕎麦主人等)が有志を募り、松並木復活を願いを街道の一部に松を植えました。そして現東海道の車道の中央部分にあったとされていた一里塚も、それに伴い復元したのでした。一里塚に植えられている樹木は榎(えのき)か松と決められているそうで、これは落葉樹ですから榎ですね。江戸日本橋から八つめの一里塚、一里4キロメートル、八つ目だから日本橋から32キロメートル。江戸から二泊目の宿となるのかしらね?
 
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2013年07月06日

新・横浜漫歩1-5 山下公園モニュメント巡り 世界の広場から水の階段を経て石のステージへ 2013.05.21

 あり得ない長さのプロローグ(序章)でしたが、大切な史実を包含した特別の対象ばかりでしたので、少し時間を掛けました。ここからは山下公園のモニュメント巡り、楽しい記念物ばかりが登場します。どうぞ気楽にお付き合いください。

 ポーリン橋を渡り、いよいよ山下公園に入りました。普段は桜木町・開港広場の方面から入園する山下公園ですが、この日は反対側の元町寄りの東口から…。先ずは花のアーチを潜りその先で最初に見つけたのが、世界の広場。そこからは、水の階段を繋ぎとして水の流れに導かれ、最終の石のステージまで到達できます。世界の広場から水の階段に掛けては水路に多くの海洋生物のモザイクタイル画が施されています。可愛い海の生き物達のモニュメントを一つ一つ観て行きますので、どうぞ、ご一緒に…

1、世界の広場
世界の広場、羅針盤型の噴水 羅針盤型の泉(噴水) 世界の広場に向かって
写真左:奥から観た世界の広場、遠くみなとみらいが浮かぶ 写真中:羅針盤型の泉 写真右:対面から観た世界の広場、水路には海洋生物のオブジェが…
1988年に横浜博覧会が開かれるのに合わせて、それまで手付かずであった公園東側を整備する事にしたのだそうです。先ずは車で訪れる膨大な数のお客様のために巨大駐車場(1階部分、446台収納)を造り、その階上部一面に膨大な土を入れ広場にしました。その広場こそが現在の世界の広場で、あるコンセプトを掲げて広場中央に、モニュメントが造られました。それは港・横浜に相応しく、羅針盤を模った(かたどった)オブジェで、「横浜から世界の海に漕ぎ出そう」の冒険をイメージしているそうです。そしてその中央に設えた噴水から溢れ出る水が、途中の水の階段を下りながらそこに在る海洋生物のモニュメントを摺り抜け、、最下部の石のステージ前の池まで到達するように設計されています。

2、水の階段・海の生き物のモニュメント
広場内の段差を駆け降り、真一文字に石のステージまで直進する水の道・水の階段。その水路の中には次々とモザイクタイルの海洋生物が現れます。一つ一つ数えながら歩くのは、何か七つの海をミニ航海している風で、楽しめました。

@タツノオトシゴ(竜の落とし子)
タツノオトシゴ
最初に現れるのがこのタツノオトシゴ、そうとは見えませんが、これも魚なのですね。立ち姿で尻尾を藻に絡ませて、流されないように、自分の体を支えている姿を映像その他でよく見掛けます。ですから泳ぎは余り上手ではなく、確か胸鰭等を使っておっとりと立ったまま泳ぐようです。一番の特徴は繁殖にあります。何とメスがオスのお腹の中(育児嚢)に卵を産むそうで、オスは孵化するまで大切に卵を守ります。やがて孵化した稚魚はオスのお腹から出て来ます。大きさは20mm弱ですが、もう立派に親と同じ姿をしています。地方によっては安産のお守りになってます。

*水路はここから一段降下します。水の階段の階段たる所以の片鱗?が現れます。

Aシーラカンス 
シーラカンス 
化石しか発見されず疾うに絶滅したとされていたシーラカンス。ところが1938年、南アフリカで生きて現存する事が発表され世界を騒然とさせました。とは言っても、私は未だ生まれていなかったのですが、その騒然の驚愕は充分に想像されます。何せ、私の生年の僅か12年前ですから、正に20世紀中盤の世紀の大発見だったのです。その姿形が魚類で初めて陸上に上がったとされる現存する生きた化石・肺魚に似ており、鰭が特徴的であり、今にも歩き出しそうな雰囲気を醸し出しています。そして何よりその名が素晴らしい、“シーラカンス”幻想性極まりない願っても無い飛び切りの名前でした。3億5000万年前から変化していない魚体を持つ新たな生きた化石・シーラカンス、このシーラカンスは遺伝子を変えずとも生きて行く事ができる、安定した環境で生活してきた一属だと言う事です。私も子供の頃から憧れていた存在でした。よく友人達と口角泡を飛ばして語り合ったものでした。

Bホラガイ(法螺貝)
巻貝(法螺貝) 
日本最大の巻貝で、貝殻を楽器として用い、古今の修験道で使い、嘗ては戦国合戦の出陣の合図にも使われました。ブォオオオオオオ…とかプォオオオオオオ…という音が出、音の高低の変化も利くようです。現代でも法螺貝の演奏教室があるそうです。面白そー、でも横浜にあるのかしら? 今度聞いてみますね。

番外:雀の水浴び
スズメが水浴び
人にとっても憩いの場である水の階段、それでもこの雀ほどにここを必要とする者?はいないでしょう。飲み水は勿論の事ですが、野鳥が生きる上で大切なのは水浴び(砂浴びも)、汚れ(脂粉)や寄生虫を処理するのに絶対必要なのです。この雀クン、私がいるのにお構いなくせっせと水を浴びていました。「誰がいてもやる事はやる!」とでも言ってるようで必死さが伝わってきました。「おー、イイジャンイイジャン(横浜弁)、使えばイイジャン、心置きなく…」。 

Cアンコウ(鮟鱇)
アンコウ1 アンコウ2 
このオブジェ、アンコウ特有の頭(背中上部)から延びる触手(擬餌状体)は付いて無かったのですが、このデカ口、間違いなくアンコウと思われます。深海に棲み、砂に埋もれ動かず、頭のヒラヒラを振っては餌と思わせ、寄って来た小魚をパクリ…。ホントに詐欺師紛いの騙しのテクニックに長けた嫌らしい魚なのです。でもその食用の様々な各部位の身は七つ道具と言われ秀逸、グルメ魚として有名です。私は今一なのですが、実は本物の優れた料理には未だ出会っていないのです。ですから本物に出会えたなら、認識は変わるかも知れません。何れ、大洗辺りに出向いて、本物を賞味したいと思っています。フフフ、その時はお知らせしますね。

Dマンボウ(翻車魚)
マンボウ 
可愛くて滑稽で茫洋として、本当に魚?と疑ってしまいますが、フグの親戚の魚なのです。そう言えばその滑稽さがフグに似ています。鰭(ヒレ)の動かし方も似ているし…、目が可愛いし…、口も小さいし…。但し鰭の数はフグより少ないですね。おっとりとしてスローモーな動き、攻撃性からは程遠い善良な生き物、観ていてホントに安らぎます。食べ物もクラゲや動物プランクトン、動きの鈍い深海海老や深海烏賊など。動きの速い生き物は食べられません。また各地方の別称も多く、キナンボ(北海道)、ウキ・ウキキ・ウキギ(東北、浮き木)、マンザイラク(神奈川)、ウオノタユウ(瀬戸内、タユウとは親方の事)、シリキレ(鹿児島、尻が切れているから)、バラバ−・バーバラボー(大分、これは愉快)、カマブタ(静岡、フフフ、ウァハッハッ!)などなど。ついでに海外の名を紹介すると、月の魚(仏、伊、独、トルコ)、太陽の魚(米、インドネシア)、頭の魚(タヒチ)、泳ぐ頭(独)、もっとついでに、学名はモラモラ(ラテン語)、面白い!!!。

Eヒラメ(鮃・平目)
ヒラメ
カレイを含め幼魚(体長数センチ)の頃のヒラメは、目が体の両側に付いていて、普通の魚と変わらないのだそうです。ところが、成長と共に片方の目が移動し、ある時、頭の頂点を乗り越え、一方の側に二つ並んでしまうのです。扁平な体の内、目がある方が上(褐色の体色)になり、目の無い方が下(白い体色)になります。「左ヒラメ、右カレイ」と言われますが、ヒラメの右目は左に移動し、カレイの左目は右に移動します。写真の魚絵は目が体の左側にあるのでヒラメと判ります。料理盛り付けの際、ヒラメは頭(目)を左に尾は右に、大変よろしい形をしています。反対のカレイは、残念ながら、盛り付けによろしくない魚です。味の差は別として、この盛り付けの善し悪しが高価さの違いになったとも言われています。カレイくん、残念でしたね。変態の左右の差で負けるなんてね、口惜しいでしょう、怒っているでしょう、プンプン…。但し、ヒラメカレイ、一族全部がそうではないそうで、左のカレイもいれば、右のヒラメもいるそうです。ヒラメとカレイの一番の見分け方は口と歯を見る事。ヒラメは口が裂け大きく歯もデカイ肉食系、カレイは口も歯も小さくおちょぼ口の草食系、これが決め手! 

Fシャコ(蝦蛄)
シャコ 
ご存知、寿司ダネの逸品、でも最近のお寿司屋さん(回転寿司)では余り見掛けなくなりましたね。美味しかったのにどうしたのでしょうか。東京湾の金沢文庫柴港が高級なシャコの水揚げ港だったのですが? あの辺りの漁師さんは大丈夫なのでしょうか? 何ね、昔、あの辺りに仕事に行っていたものですからね、漁師さん家に…。今度、お寿司屋さんにでも行ったら聞いてみますね。

Gシャコガイ
シャコガイ
サンゴ礁に棲む世界最大級(オオシャコガイが最大)の二枚貝。食べられるそうですが、私は食べた事がありません。沖縄に行けば食べられるのかしら? 何時か沖縄に行って食べてみたいですね、美ら海水族館にも行きたいし…。味は恐らくアサリを大味にしたような感じですかね。でもたっぷりと腹一杯、食傷するまで食べられそうです。

Hカニ?
カニ? 
可愛いオブジェですが、果たしてカニでしょうか? 少々デフォルメがキツイです。

I大階段と帆立貝
水の大階段と帆立貝
中々迫力のある風景です。このモニュメント群の中では最大の見物と言えます。水が心地よく流れています。爽快と同時に力感があります。いいですね、カッコよい!

Jホタテガイ(帆立貝)
ホタテガイ 
殻を開き、殻の上蓋を立てると、丁度、帆掛け舟が帆を立てているように見えるから帆立貝、当然と言えば当然ですが、いいネーミングです。自然を一杯吸収して大きく太って美味しくなったような気がしてきます。貝の中でも屈指の美味を誇ります。生で食べても良し、干して食べても良い。殆ど貝柱を食べるものですが、紐も中々イケます。干し貝柱は、崎陽軒のシウマイの中にも入っているそうで…、あの濃厚な旨味の素は、帆立貝柱なのですね。トローリとしたりシコシコしたり、海の香りもふんだんで絶品、「アー食べたい!」

Kマッコウクジラ(抹香鯨)
マッコウクジラ マッコウクジラの尻尾 
かなりデフォルメされた作品、それでも何となくマッコウクジラと判断できます。オデコが大きいし、歯も立派、尻尾も可愛い?。マッコウクジラのマッコウ(抹香)とは、粉末状のお香を指す言葉です。この抹香のような香りの香料(竜涎香・りゅうぜんこう)がこのクジラの腸内から取れるので、こう呼ばれるに至りました。昔はこの鯨の糞が稀に海岸に流れ着き、そこに含まれる竜涎香を採取した人は、大儲けをしたと謂われています。特別高価な香り、何かロマンの香りが立ち昇りますね。私も海岸に住んで、毎日竜涎香を探し回ろうかしら…、仙人のように…、世捨て人のなりをして…。あっ、でも世捨て人は、そんな欲は掻かないんですよね?

Lトビウオ(飛び魚)
トビウオ
大型の魚や鳥や怪獣に追いかけ回されて、とうとうこの魚は翼を持つに至りました。一度に数百メートルは飛ぶそうで、小さな翼ながら凄い飛翔力ですね。翼は胸鰭(むなびれ)が巨大化したもので、トビウオの遺伝子は自らの一族郎党?の存続を掛けて進化を選んだのですね。私も一度でいいから船上の甲板で、彼らを眺めてみたい…。そして甲板に飛び込んで来たら捕まえて塩焼きにして食べてみたい…。きっと極上の味がするでしょう。だって、巨大魚や鳥、海豚や鯨が目の色を変えて追い掛け回すのですから…、美味しいに決まっています。じゃなきゃトビウオは翼など持つ訳ありませんものね。美味しく生まれた悲運、可哀想…

Mヒトデ(人手)
ヒトデ
可愛い海の生き物・ヒトデ、これはどうしてもNちゃんと見たいですね。そして教えてあげるんだ…、「ほら、可愛いだろ…、これはヒトデって言うんだよ。人の手みたいだから人手て言うんだ。でも何だかお星様みたいだね…、そうかこれはお星様が海に落ちて空に帰れなくなっているんだ…、可哀想だね…、Nちゃん!」。

N最後の段段
階段最下部
最後の段段、もうこの先にオブジェはなく、大口開けた怪魚の滝と滝壺の池があるだけです。さあ水達よ一気に下りたまえ、爽快と言う快楽を楽しみながら…

O怪魚の滝と静寂の池
怪魚の滝と静寂の池
水の流れ、水の階段はここまで、とうとう終点に着きました。「ああー楽しかった、またね…」

P石のステージ
石のステージ
各種の催事が開かれています。石のステージ、一寸、踊ってみたくなりますよね? 是非皆様もどうぞ! 
posted by 三上和伸 at 10:53| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月29日

新・横浜漫歩1-4 の追伸 山下公園モニュメント巡り 青い目の人形・ポーリンちゃん 2013.06.28

青い目の人形・ポーリンちゃん
前回のお話で、ポーリンちゃんをご紹介したまでは良かったのですが、残念ながら写真がありませんでした。何せ、旅を急ぐあまり遠目勝ちとなり、ポーリンちゃんを観落としてしまったのでした。注意散漫な私ですから、そんな事日常茶飯事ですが、肝心要の愛らしい少女スターを欠いてしまうなんて、本当に愚かでお恥ずかしい…。ショックで逡巡し、このシリーズを先に進めなかったのですが、今日、再び訪ねて写真をものに出来、これで前を向く事ができました。

昭和初期の日米親善大使の役を果たした青い目の人形・ポーリンちゃん。その愛らしい姿は今でもオブジェとなって、ここ人形の家の前にあります。純粋無垢ながら、一寸誇らし気でもあります。
posted by 三上和伸 at 00:12| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月22日

新・横浜漫歩1-4 山下公園モニュメント巡り 横浜人形の家と青い目の人形縁のポーリン橋 2013.05.21

 ブラブラとフランス橋を辿るとやがて横浜人形の家が観えてきます。鉄筋コンクリート造りながら瀟洒な建物で、その内包したメルヘンの雰囲気を遺憾なく表に漂わせています。ここには小さなホール(赤い靴劇場)があり、昔から訪れていました。それは少女時代の娘達のピアノ発表会であったり、今日の娘・夏さんの主催するピアノ発表会であったり、時として私の仕事(ここのピアノ調律)の場であったり…。それでも、訪ねる目的が違えば、そこにある人形を観覧しようとは思わないのが人間の常、私も人形に見(まみ)える事はしませんでした。今回も残念ながら通り過ぎるだけ、されど何時か、じっくり閲覧見学させて貰いたいと念じています。

@人形の家(横浜ドールミュージアム)
フランス橋を渡り終えて観た横浜人形の家 横浜人形の家 ポーリン橋から振り返った人形の家
世界141カ国・14,000点の人形及び人形に関する資料を有する人形博物館。その常設展示室には、世界141ヶ国の民俗人形や江戸後期以降のからくり人形に雛人形、人間国宝・平田郷陽(ごうよう)作の衣装人形等があり、鑑賞できます。

開館は1986年6月で、今年で27年目。館長には、初代“兼高かおる世界の旅”の兼高かおる氏、二代目が俳優の石坂浩二。

Aポーリン橋から望むみなとみらいと山下公園通り 
ポーリン橋からのみなとみらい俯瞰 ポーリン橋道標 
♫青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド♫ の歌は、ご存知ですよね。この青い目の人形は、昭和2年、当時、緊張の高まった日米関係を修復するため、アメリカ人宣教師・シドニー・ギューリック博士の提唱に始まり、日本の渋沢栄一などの尽力も手伝い、アメリカ合衆国から日本に贈られたものだそうです。12,739体の青い目をした人形が、アメリカから日本に渡り、日本各地の幼稚園、小学校に配られたのでした。大感激で迎えられた人形たちは、それぞれの学び舎で大切に保管されました。勿論、答礼の日本人形も各学校からの寄付で賄われ、アメリカに渡りました。ところが、その後に起こった太平洋戦争により、これらの青い目の人形は敵視され、大半が焼かれ、焼失しました。それでも、この大切な日米の親善大使を愛した一部の良心が、そっと隠し持ち、全国で323体が残りました。その内の一体の女の子の人形がポーリンでした。ポーリンは横浜市西区の西前小学校(我が妻の母校)に貰われて生き残ったのです。

もう、お分かりですよね。ポーリン橋の名は、このポーリンちゃんに因んで名付けられました。
posted by 三上和伸 at 14:01| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

新・横浜漫歩1-3 山下公園モニュメント巡り プロローグ3 フランス山 2013.05.21

@愛の母子像
愛の母子像
港の見える丘公園からフランス山の領域に入ると、先ず見えて来るのがこの愛の母子像。今思い出しても涙ぐんでしまう程の悲しい出来事。米軍の飛行機が民家に墜落して、二人の幼い姉妹とその母親が亡くなったのでした。これはその三人の犠牲者の魂を弔うために作られたブロンズ像です。

昭和52年(1977年)9月27日、横浜市緑区荏田町(現・青葉区荏田北)に米軍機が墜落、直ぐに幼子の二人が死亡、一旦助け出された母親も愛娘二人の死に耐え切れず、慟哭と失意の内に後を追うように亡くなりました。

この三人は生前、海が観たいと言っていたそうです。そこでその願いを叶えて貰おうと寄付を募り、この地に愛の母子像が建てられたと言う事です。私は知りませんでした。従って寄付もしていません。せめて今の私に出来る事は、今ここで祈る事、御冥福を願う事。私は手を合わせました。

A港の見える丘公園とフランス山の見取り図
港の見える丘公園とフランス山の見取り図 フランス山の歴史見取り図
山手の核心、港の見える丘公園とフランス山の見取り図。山手の成り立ちを知る事が出来、日本近代史の理解に役立ちます。

Bフランス領事館及び領事公邸で使った井戸と水汲みの風車
フランス領事館の井戸 フランス山の風車 井戸と風車の説明板
フランス領事館及び領事公邸で使った井戸と水汲み風車(実物大模型) そしてその説明板 
愛の母子像の直ぐ傍には領事館で使った井戸の遺構があります。明治29年、領事館竣工時に設置されたもので、深さ30メートル、井戸の構造はレンガ造りで、円形に積むため、レンガは扇形をしています。山手には上水道はなく、井戸を掘る事が必用でした。そして本来はこの井戸の上に風車を備え、深い井戸から風の力を借りて水を汲んだのです。調査発掘の際、井戸の周りには、風車の土台の遺構が四基あったそうで、今はそれぞれ保存をされているそうです。現在の風車は、他所にあった風車の記録を参考に制作された実物大模型のもの…。しかも設置されている場所も井戸の上ではなく、旧領事公邸の遺構の脇に設置されています。そそっかしい(私も)方は、誤った認識をされる可能性があるかと思われますので念のため…。

Cフランス領事館跡
AUROREと刻まれた女性の像 フランス領事館 
フランス山の最下部、谷戸坂の登り口に、フランス領事館はありました。その入り口付近にあったこの女性のブロンズ像、不思議に想い調べてみましたが、私には調べる術はありませんでした。管理者の緑の協会に問い合わせるべきだったかも知れません。フランス山の最高部にあった領事公邸とは違い、領事館は元町に近い低い所にありました。今は公園として整備されており、その一角に整備の際、出土した遺構の欠片が大切に保存展示されています。まあこの公園、少々造られ過ぎの感は否めませんが…。

Dフランス橋からの風景
フランス橋 フランス橋袂のヤマボウシ フランス橋から観たマリンタワー
フランス山と山下公園を結ぶ第一の橋がフランス橋。これを渡れば横浜人形の家に至ります。眼下に元町や中村川が俯瞰できる一度は渡ってみたい、横浜の新たなプロムナードです。丁度季節のヤマボウシ(山帽子)と旧横浜のシンボル・マリンタワーが清々しく…、それは私の嬉しい風景でした。
posted by 三上和伸 at 23:15| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

新・横浜漫歩1-2 山下公園モニュメント巡り プロローグ2 アメリカ山と港の見える丘公園 2013.05.21

 遅れに遅れている新・横浜漫歩1、これから暫くは、この横浜漫歩の記事の掲載に全力を上げる事にします。

元町商店街を西から東に縦走、途中厳島神社に立ち寄り参拝、そしてウチキパンでパンと牛乳を買物して、みなとみらい線の元町中華街駅に辿り着きました。ここにはアメリカ山行きのエレベーター(改札出て右直ぐ)があり、数ある急登の坂道を登らなくとも、楽チンで山手の山上に上がれます。いいですね、江の島のエスカーか各地景勝地のゴンドラか、極度の時間短縮にもなり、いい役割を果たしてくれています。さあ、エレベーターに乗って一気にアメリカ山へ! 足自慢なら、谷戸坂、見尻坂、貝殻坂へ。桜の頃は最高です。

@アメリカ山公園
アメリカ山の薔薇のアーチ
最上階のエレベーターの扉が開くと、そこはアメリカ山公園。花壇の花々と横浜の眺望を独り占めする明るく開けた公園です。この時は丁度薔薇の季節、蔓薔薇のアーチが見事でした。

アメリカ山の名の起こりは? 開港当時の昔、この山手97番地にアメリカ公使館が出来る予定だったそうです。ところがどう言う成り行きか知れませんが、公使はここに住む事はなく、建設が中止になり、アメリカ公使館は出来ませんでした。それでもここがアメリカの所有地であった事は確かなようで、後にアメリカと縁が深い事からアメリカ山と呼ばれるようになったのだそうです。 

Aイギリス館
イギリス館 
昭和12年に、この地に建てられた鉄筋コンクリート2階建ての旧英国総領事公邸です。このように建物は立派に残ったのですが、今日、ここがイギリス山と呼ばれない素朴な疑問が残ります。どうしてか、どんな理由があったのか、まあ、イギリス館の名さえ残れば、イギリス山など必要ない、が真相でしょうか。誠に残念な事です。されど建物が残った事は幸いと言えるのでしょう。横浜の歴史を伝える建物として、無料で閲覧出来る上、今現在でも、一階のホール(音楽会用)と二階の会議室は頻繁に使われ、役に達っていますものね。

B深紅の薔薇・ヴィクトル・ユーゴー
薔薇・ヴィクトル・ユーゴー(フランス産) 
フランスの文豪の名を授かった薔薇、それがユーゴーにとって、また薔薇にとって光栄であったのかどうなのか、知る由もありませんが、美しい深紅の薔薇、見事ですね。レ・ミゼラブルの著者に相応しい華麗なる大輪は、観る者を雄渾な小説の世界に誘います。真に輝かしい薔薇と私は実感しました。

C大佛次郎記念館
大沸次郎記念館 
横浜市(西区英町)出身の文豪・大佛次郎の記念館。この小説家のペンネームの大佛の名は、ご本人が鎌倉長谷の大仏の裏手に住んだ事によるそうです。生まれが横浜、後の住まいが鎌倉、この二つの街と猫を愛した人だそうで、神奈川県民の私として、嬉しい事ですね。ここには、この小説家の原稿及び肖像が納められているそうです。

D「コクリコ坂」の国際信号旗
コクリコ坂のハタとベイブリッジ ウチキパンのカレードーナッツとセサミスウィートポテト 
アニメ「コクリコ坂から」の舞台(モデル)になったのが横浜山手の丘の上。丁度、下宿・コクリコ荘のあった場所が、この写真の位置、港の見える丘公園のど真ん中でした。この旗は、下宿を賄う松崎海が、毎朝コクリコ荘の庭で揚げていた旗(を模したもの)。新山下を経た横浜港からよく観えます。その国際信号旗の意味は「安全な航行を祈る」だそうです。あのアニメをご覧になられた方ならこの旗…、想いは一入のものがあるでしょう。

右のパンと牛乳は元町・ウチキパンで買ったもの、港の景色を観ながら食べました。

Eハマナス(浜梨)
ハマナス(浜梨) 
港の観える丘公園には、薔薇の女王・ローズだけではなく、北国の野生薔薇・ハマナスも植えてあります。本来は北海の原野に咲く花、一重の薔薇色、豪華さはないけれど、そこには澄み切った清楚な味わいがあります。北の青空によく似合う、北の乙女の薔薇です。

Fフランス山への渡り橋
フランス山へ繋ぐ橋
ここで港の見える丘公園はお終い、この先はフランス山の領域になります。横浜山手で最も深い森、メルヘンの森にようこそ!
posted by 三上和伸 at 17:34| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

新・横浜漫歩1-1 山下公園モニュメント巡り プロローグ1、元町 2013.05.21

元町の玄関
横浜元町商店街入り口
横浜スタジアムから本牧・根岸に向かう道路の一角に、この元町通り商店街の入り口があります。私は石川町駅付近からこの道路を突っ切って元町通りに入りました。ここは我等田舎者の男の来るところではないのですが、仕方がありません。お昼ご飯には“ウチキパン”のパンを港の景色を観ながら頂くと言う、切なる目的(願望)がありましたので…

元町通りとウチキパン
元町通り ウチキパン
お洒落と言う一点でこの商店街の各店舗のコンセプトは決まっています。衣料にしても家具にしても雑貨にしても食事にしても… でもね、ウチキパンにはそこを乗り越えてもう一つ素朴と言う味付けがあるようで、私は好きなのです。ここに見えるウチキパンのお店、余りお洒落とは言えませんよね。何か田舎者でも入れる安心感がありますね。

元町厳島神社
元町厳島神社
お洒落でハイカラな町・元町。でもこんな可愛い神社があるのです。元町四丁目の路地の奥、フェリス女学院の真下の崖(ブラフ)に沿って…。まあ、ここの四神は全部女神様なんだそうで、それはこの女の園に合っていますよね。F女学院、お洒落なハイカラさん、流行に敏い女の街。それでも、ここの佇まいは静かで質素。私は嬉しく人心地つきました。

元町厳島神社由来
元町厳島神社由来
興味がお有りでしたら、お読みください。

金比羅宮と皇大神宮
金比羅宮と皇大神宮への誘導板 金比羅宮と皇大神宮
この矢印で折れると、もう二つ、可愛いお宮が現れます。 よく見たのですが、どちらがどちらだか分かりませんでした。丁度参拝にみえていたご婦人に尋ねてみました。ところが「さあ…、どちらがどちらなのでしょうか?、私は知りません」、「失礼しました。まあ、この看板の左右の並び通りなのでしょうね。フフフフ…」、「フフフフフ…」。
posted by 三上和伸 at 13:34| 新・横浜漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする