2017年04月01日

ブラームスの名曲7 オルガンのためのフーガ変イ短調WoO8

ブラームスが少年の頃より抱いていた志は、偉大な音楽家(芸術家)になる事でした。本当の芸術とはどんなものか、ブラームスは思考を重ね、過去の文献を辿り、英知を見出しました。それはゲーテやシラーの芸術家の心得に関する格言(箴言)でした。

ゲーテ:「大衆の温和な反応は、中庸な芸術家にとっては励みとなるが、天才にとっては侮辱であり、また恐るべきものだ」。

シラー:「真の天才は、時として他人の賛辞で慰めを得る事もあるが、創造力溢れる感情を得れば、直ぐにそのような松葉杖にすがる必要がなくなるものだ」

以上のような芸術家の心得を少年時代に学び、その後大作曲家になった後もブラームスは死ぬまで、このような箴言(しんげん・いましめとなる短句)を守り通した作曲家でした。

奇異な音響で聴衆を驚かせる事は皆無で、聴衆(大衆)に阿ず(おもねず)、極力外的なパフォーマンスを避けた作曲活動をしました。

従って、ブラームスに慣れない聴衆は、ブラームスが何を言いたいのか、何を表現しようとしているのか、解らない人が多数いました。しかしブラームスはそんな事に頓着せず、自分が信ずるゲーテやシラーの箴言通りの生き方をしました。そんなブラームスが最も良く表れたのが、このオルガンのためのフーガ変イ短調です。

参考:三宅幸夫氏著のブラームス

これは不思議な曲です。私も最初は何が何だか解りませんでした。しかし何遍も重ねて聴いて行く内に、ブラームスの切実なる感情が聴き取れるようになりました。深い愛情と哀悼、そこにはブラームスの涙がありました。

自らピアニストとして愛したレパートリーの中に、ベートーヴェンのソナタ「葬送」があり、「ある英雄の死に捧ぐ」と題された「葬送行進曲」が変イ短調で書かれていたため、それに倣ってこのフーガを変イ短調にしたのだそうです。この感情は変イ短調でなければならぬとブラームスは確信を持っていたのです。直前に亡くなったシューマンに捧げるべく、ベートーヴェン縁の変イ短調を拝借したのだそうです。変イ短調は、♭が7つある特異な調性です。

参考:CD付きブックレットの山野雄大氏の解説



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2016年12月04日

ブラームスの名曲6 ⦅アガーテ⦆のイマージュ 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調、第2番ト長調 2016.12.03

夏の休暇で出向いた西北ドイツの都市ゲッティンゲンでブラームスは初心な娘アガーテと出会いました。やがて美しいソプラノの声を持つこの淑やかな娘にぞっこんとなり、アガーテもブラームスに応え、二人は恋に落ちました。指輪まで交わした二人でしたが、未練を残したクララとの三角関係を憂いたブラームスは、愚かにもアガーテと仲違いし、婚約破棄を言い渡されました。誰よりも素晴らしい女性を手放してしまったブラームス、その痛手は大きく、その直後から、アガーテの移り香に咽ぶが如き美しい二つの弦楽六重奏を書いて、束の間の恋の思い出として残しました。

第1番の変ロ長調は先に完成されて、そのアガーテへの醒めやらぬ感情が直線的に爆発します。そこにはブラームスの幾多の室内楽の中でも殊の外有名なバリエーション(第2楽章)があり、のたうつような愛欲が表現されています。嘗てのルイ・マル監督の1959年のフランス映画「恋人たち」で、ジャンヌ・モロー扮する女とその愛人が絡み付くように戯れながら森を彷徨うシーンで使われました。男女の愛欲が音楽によって高度に増幅されて行く際どいシーンは、一躍このバリエーションを有名にしました。

第1番に負けず劣らずの美しい第2番ですが、1番と同時進行していたのですが、完成は遅れ、1番から5年後の1865年に脱稿しました。従って1番のように直接的な熱情は少なく、青春の美しい思い出としての位置づけがされる曲です。愛おしく懐かしむような風情があります。そして特筆すべきは、ここにはアガーテへの愛の刻印が標されている事です。A−G−A−T(D)ーHーE(アガーテの音名)の刻印が…。第1楽章のコデッタ(小結尾部)に3回ほどこの音形が現われます。展開部の前の静かな一節、春の風のような仄かな愛が香ります。


一方のアガーテも負った痛手は相当なものであったようです。不信感もあったのでしょう。その後のアガーテは立ち直るのも遅く、婚期は遅れたそうです。でもブラームスが残したアガーテの痕跡は確かなもので、20世紀過ぎまで生きたアガーテは、ブラームスの愛を汲み取ったようでした。晩年には「大作曲家の思い出」?と名したエッセイを残しています。
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2016年11月22日

ブラームスの名曲5 歌曲「エーオルスのハープによせて」op19-5 2016.11.22

ブラームスは1857年(24歳)の秋から、北西ドイツのデトモルトの宮廷で音楽教師の職を得ました。この自然豊かな宮廷で、そこの子女の音楽講師をしたり、合唱団の指揮者をしたりして、職務に勤めました。大変気に入っていた仕事でした。

デトモルトの近くにはゲッティンゲンと言う大学を中心として栄えた大学都市があり、そこにはブラームスの同僚のオットー・グリムがいました。夏の休暇にグリムと合うために、ゲッティンゲンを訪れたブラームスは、そこで麗しい女性と懇意になります。それはこの地のゲッティンゲン大学教授の娘で、名をアガーテ・フォン・ジーボルトと言いました。早速二人は恋に落ち、指輪を交わして婚約を誓いました。しかし、ハンブルクの貧民窟出のブラームスと身分違いの上流階級の娘・アガーテ、そしてここで結婚しては、クララ・シューマンと縁が切れるのではないかとの不安、正気に返ったブラームスは、愚かにもアガーテに余計な手紙を出し、結婚に逡巡している旨を伝えてしまったのでした。失望したアガーテは、婚約破棄を主張し、敢え無く二人は離別の道を選びました。身分違いの恋でもあり、ブラームス、アガーテ、クララの三者によるブラームス自身が勝手に思い込んだ三角関係、結局この別れは、時の必然であったようです。大志を抱く芸術家の陥りやすい将来への狼狽があったようです。

それでも二人は幸福だったのです。ブラームスが作った歌曲を、ソプラノのアガーテが歌う、それは二人だけの時もあったでしょうし、仲間の集いの時もあったでしょう。兎に角二人は祝福されていたのです。作品14や作品19は、アガーテに歌ってもらうために書いた曲が並んでいます。「傷ついた少年」、「別れ」、「あこがれ」、「鍛冶屋」、「エーオルスのハープによせて」などが女歌で、アガーテが歌ったでありましょう。反対に「窓の外で」、「ソネット」、「恋人のもとへ」、「セレナード」、「口づけ」などが男歌、ブラームスのアガーテへの思いが籠められています。

アガーテ・フォン・ジーボルトは、幕末の有名なオランダ人(本当はドイツ人)医師・フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト(シーボルト)と親戚です。またアガーテは晩年に、ブラームスの思い出を語った手記を発表しています。

*フォン(von)はドイツ語の前置詞(英語のofと同じ)、主に貴族を示す言葉(姓)として使われました。これによればアガーテは貴族の出と言う事になります。アガーテが名、フォン・ジ−ボルトが姓です。


エーオルスのハープによせて メーリケ詩 op19−5

この古いテラスの
きづたの這う壁にもたれた,
風からうまれたミューズの奏でる
ふしぎなハープよ,
始めよ,
妙なる調べの嘆きを
ふたたび始めよ!

風よ,おまえたちは遥かかなたの
わたしがあんなに愛していた,
あの子の緑したたる
塚を撫でてきたんだね。
途中で春らんまんの花を掠め,
花の香をはらんで、
この心をうっとりと酔わせ,
ハープの絃吹き鳴らす。
風は愁いを含んだ美しい調べに魅せられ,
わが憧れの心の赴くままに吹きつのり,
やがてまた力を弱める。

さて、不意に,
風がいちだん強く吹きくれば,
ハープは美しい調べを奏で,
たちまち心を感動させながら,
再び甘美なおどろきへ誘う。
このとき満開のばらは風に揺れて,
わが足もとに花びらをみな撒き散らす。

素晴らしい詩ですね。風と花とハープ、そして弟への愛と悼み、余韻が囁く香りと響きの鎮魂歌。

エーオルスとはギリシャ神話の風の神の事、こう言った名は様々な発音があり、エーオルスをアイオロスとも呼びます。エーオルスのハープは、またの呼び名をエアリアンハープとも言い、自然の風で鳴る弦楽器です。気持ちの良い協和音で調弦されており、弦を通過した風が作る空気の渦(カルマン渦)が発音の源で、カルマン渦が発音のエネルギー源となっています。倍音系で共振する構造を持ち、本体の空洞に共鳴させて、大きな音を得る仕組みを持ちます。

この詩は元来、メーリケが弟の死を悼んで書いたもの、従って女声のためだけの歌ではありません。男性が歌っても一向に構わないのです。けれども、私には女声が好ましい、こんな繊細なメランコリーは、やはり女性が歌うもの…。私は偏見を持っています。歌は女が歌うもの…と…
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2016年11月21日

ブラームスの名曲4 歌曲「すぐ来てね」op97-5 2016.11.21

ブラームスの歌曲は、彼の生涯の全ての年代に亘って作曲されています。正にブラームスの自家薬籠中の産物だと言う事が出来ます。交響曲作家として大成し、見事なピアノ曲や室内楽曲も数多残しましたが、歌曲ほどの日常性は無かったと思われます。歌曲はブラームスの粋です。

日常的に、常に歌曲に関心を持っていましたが、その創作意欲が最高潮に達した瞬間は、やはりその陰に女性、主に女性歌手が存在した時でした。その愛する女性の名を列記すれば、その歌曲がどのように作曲されたか、大方の見当が付くものと思われます。それぞれの時代のブラームスの傍にいた女性歌手達です。

◎アガーテ・フォン・ジーボルト 関与曲:エアリアンハープに寄せて

*ベルタ・ポルプスキー(後結婚でファーバー) 関与曲:揺り籠の歌(ブラームスの子守唄)

*アマーリエ・バイス(既婚) 関与曲:アルトラプソディー

◎ユーリエ・シューマン(シューマンの三女、歌手で無い) 関与曲:ワルツ愛の歌、合唱曲「アルトラプソディー」

◎マリーエ・ルイーズ・ドゥストマン(ウィーン宮廷歌劇場歌手、ブラームスのウィーン進出を勧めた人)

◎エリザベート・フォン・シュトックハウゼン(歌手で無い) 関与曲:如何におわす我が女王

◎オッテリーエ・ハウアー

◎ヘルミーネ・シュピース 関与曲:歌の調べのように、まどろみはいよいよ浅く、他多数

*マリア・フェリンガー(既婚)

◎アリーチェ・バルビ(29歳差、当時31歳、ブラームスが60歳)

などの女性歌手が上げられます。この内、亭主持ちも何人かいますから、◎印が恋愛の対象と言えます。特に熱烈だったのが、アガーテ・フォン・ジーボルトとヘルミーネ・シュピースです。

アガーテ・フォン・ジーボルトは婚約者でありながら、後に婚約解消をします。アガーテは素晴らしいソプラノの持ち主…。クララ・シューマンを諦めて最初の恋。

そしてヘルミーネ・シュピースとの恋は、結ばれる寸前まで行くのですが、何故か自然消滅をしています。まあ、歳の差が26歳ありましたから、自然消滅は仕方がないと言えば仕方がない…、されどヘルミーネはずっとブラームスの求婚を待っていたそうです。ブラームスの優柔不断が災いしています。されどされど、それで良かったとブラームスファンは思いますでしょう。幸せ過ぎて腑抜けになり、その後の大傑作は生まれなかったかも知れませんでしたからね。

今日は、ヘルミーネを思いながら、友人の詩人・クラウス・グロートと作った「すぐ来てね」を紹介します。

ある日ブラームスとグロートはお茶(お酒?)を飲みながら、愛しいヘルミーネの話をしていました。ヘルミーネに出会って間もない二人は、共にヘルミーネにぞっこんで、賛美の言葉を並べ立てなければ居ても立ってもいられませんでした。そんな折、興が乗ったグロートはヘルミーネの言葉の仕草を真似て、一節の詩を認めました。それをブラームスに見せると、今度はブラームスが五線譜を取り出して、その詩にすらすらと曲を付けました。そこで出来上がったのが、この愛らしい「すぐ来てね」でした。ピアノに向かいブラームスが歌ったかどうかは定かでありませんが、恐らく私は歌ったと確信しています。ヘルミーネの美しい仕草に、熱い思いを籠めて…


  すぐ来てね 詩:クラウス・グロート op97-5

いったいなぜ毎日
待っているのかしら
庭の中では
百花繚乱の美しさよ。

ここに来て、美しく咲く花を
かぞえるのは誰でしょう。
花を眺める人は
ほとんどいないようなの。

わたしの親しい人たちは
藪から林へとそぞろ歩き、
わたしは、ほかの人たちも
夢見心地だろうと思うの。

わたしに誠意を示した
親しい人たちの中に
あなたがいてくださると
嬉しいのだけど!         訳詩:志田麓さん

慎ましくもやや滑稽なピアノ伴奏、それでも「すぐ来てね」と歌い出す歌は色に溢れていて麗しい乙女の香り、思わず微笑んでしまう初心な曲。
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2016年09月29日

ブラームスの名曲3 バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ドイツ3Bの証拠、ソナタとフーガ  

”ドイツ3B”と言う格付けがある事を、ご存知の方は多いと思います。これはバロック時代から古典・ロマン・近代までの凡そ300年の音楽の歴史の中で、その歴史の節目に存在し、その証人になった作曲家を三人選んだもので、その名のイニシャルがBで始まっていた事から、ドイツ3(大)Bと名付けられました。

その三人とは、バロックのバッハ、ウィーン古典派のベートーヴェン、ロマンから近代のブラームスで、その名付け親は、ブラームスの楽友である指揮者にしてピアニストのハンス・フォン・ビューローでした。

バッハは対位法を操り、様々な形式を見出し、バロック音楽を完成した人で、今日の音楽の礎を築いた人でした。また尚も偉大な宗教音楽家(ドイツ・プロテスタント)でもあり、神への帰依の下、音楽を神に捧げました。

ベートーヴェンは究極のソナタ形式を完成した人で、拡大された堅固なソナタ形式を用い、個人の考えや思想を表現しました。音楽が単なる娯楽の慰み物で無く、人間の感情や思想を具現する表現手段として活用する事を決断し、音楽を芸術の領域へ高めました。そして新たなロマン派音楽の台頭を示唆しました。

ブラームスはロマン派と近代の狭間に生き、過去の音楽を調べ、譜面も怪しかったルネサンスの昔から当代までを研究し尽くし、それを己の表現手段として活用した人でした。爛熟極まる19世紀末に、過去の音楽遺産を精査し、西洋音楽を総括したのでした。ロマンの果てに堕落し放題であった当時のロマン派音楽界を目覚めさせるために、過去の偉大な音楽に目を向けたのです。そこから確固たる形式と精神を掴み取って当代に再現しました。その形式と精神、そして近代人の複雑な感情を合致させた力強い作品を残しました。

ビューローはブラームスの作品を演奏するに従い、ブラームスがやっている事が、とんでもない破格の事であると気付くのです。ソナタ形式ではベートーヴェン足らんと欲する事、フーガではバッハの対位法に肉迫している事、ロマン派の誰もが向き合わなかった過去の偉大な音楽を研究し、継承しようとしている事、ビューローは驚愕したのでした。そこでいてもたってもいられず、バッハ、ベートーヴェンの序列にブラームスを加えようと、3Bの提唱となったのでした。

それは正しく正しい行動で、ブラームスの後には、近代の新古典主義が芽生えました。そしてそれだけでなく、その音楽の構造と作曲技法は、そのまま現代音楽にも継承されて行くのです。

ワーグナーが無調音階で新時代を予言したのと同様に、ブラームスは古典主義で現代に繋がったのです。今日の新しい音楽史研究の成果によれば、ブラームスはワーグナーよりもむしろ多く未来を見詰め、近代を通り越して、現代音楽の先駆けになったと言われています。


ブラームスがベートーヴェンとバッハを目標にして書いた沢山の曲の中から、今日は、ピアノソナタ第1番ハ長調op1とチェロソナタ第1番ホ短調op38を紹介します。

ピアノソナタ第1番は、作品番号が1番で、シューマンの手引きにより最初に出版された楽曲です。作曲の順番は、ソナタ嬰ヘ短調(第2番)の方が先らしいのですが、自分の一番の自信作と言う事で、あえてこのハ長調のソナタを作品1としました。

この1番の第1楽章は、正にブラームスがベートーヴェン足らんと欲して書いたピアノソナタのソナタ楽章と言えます。それはもう冒頭の第一主題を聴けば、誰の耳でも判ります。これは何と、あのベートーヴェンのピアノソナタの最大傑作”ハンマークラビーア”の冒頭に瓜二つだからです。ブラームスと言う人は、こうした臆面もない事を平気で行う習性がありました。第1交響曲(第4楽章をベートーヴェンの第9の歓喜の歌に真似た)、第4交響曲(第4楽章をバッハの主題によるシャコンヌでバッハを目指した)などもそうでした。ブラームスは、ベートーヴェンやバッハを尊敬してはいましたが、何者にも憚らない挑戦する気概を持っていたのです。

シューマンはこの1番のソナタを聴いて驚いたようです。ここにはロマン派の誰もが成し遂げられなかった、ソナタ形式の粋があるのを感じたからです。ここまでソナタを自分のものとしているブラームス、シューマンは思いました、「きっとコイツはベートーヴェンの跡継ぎの交響曲を書くだろう」と…

野心に満ちた曲で、決して明るい曲ではないのですが、ベートーヴェンに引けを取らないソナタ形式を駆使し、がっしりと構築され、そこに不敵な精神を盛り込んだピアノソナタです。

ソナタ形式
ソナタ形式とは、複数の同じ主題を使い、順に提示部、展開部、再現部と結尾(コーダ)とに分けられ、各部分を通して作曲される形式です。

◎提示部
第一主題⇒経過部(転調をしつつ)⇒第2主題(第1主調に対し5度上の属調に転調された調性)⇒経過部⇒コデッタ(小結尾部)

◎展開部
提示部と再現部の中間に位置する部分、幾つかの主題を活用し、変容させ、表現の幅を広げる部分

◎再現部
第1主題⇒経過部⇒第2主題(第1主題と同じ調性)⇒経過部

◎コーダ(結尾)
主に第1主題を変容した形で終わる


次は、チェロソナタ第1番ホ短調op38の第3楽章のフーガです。
フーガとはバッハが最も得意としていた形式です。和声の上にメロディーを歌わせる新技法ではなく、幾つかの声部が逃げっこ追い掛けごっこをする古い作曲形式です。これには対位法と言う作曲技法が不可欠です。対位法に熟達した上でなければ、フーガの作曲は成り立たないのです。単純なのはカノン(輪唱など)と言われていますが、フーガはより複雑に声部が絡み合った高級な曲式です。ここでもブラームスは、バッハ足らんと欲し、フーガを研究するのです。シューマンの死後、デュッセルドルフのシューマン家の近くに住み、クララと子供たちの世話をしている間と、その少し後、公職の無かったブラームスには無聊(ひま)があり、楽友のヨアヒム(ヨアヒムは多忙で、結果を出していたのは何時もブラームス)と対位法の研究に勤しみました。その果実として、オルガンのためのフーガを4曲(作品番号無し)ものにしました。ここでこれをヨアヒム(親友の大ヴァイオリニスト)に聴かせると、ヨアヒムは驚嘆し、後にある楽友に「バッハ並みだ!」と伝えたそうです。

フーガ形式
フーガとは、幾つかの声部が追いつ追われつを繰り返す形式で、一定の方式に従って進められて行きます。対位法の音楽に慣れない聴き手には、雲を掴む楽曲ですが、その変幻自在の構築性が強い緊迫感を生み出し、感動を呼びます。兎に角、説得力のある音楽を生み出します。

◎提示部
フーガの特徴は同じ旋律が、順次複数の声部に現れる事。

1、最初に一つの声部が旋律(主唱)を提示する。⇒経過句(結句)

2、主唱が終わったら、別の声部で主唱を繰り返す(応晿)。この時、全体を5度上げる乃至4度下げる(正応)。但し、属音は、原則として5度上げずに4度上げて(乃至5度下げて)主音にする(変応)。これは主音と属音を入れ替える事が求められるため。
*応晿が始まったなら、最初の声部では、やや遅れて、別の旋律を演奏する(対晿)。

3、3声以上ある場合は、第3の声部で主唱を演奏する。稀に応晿を演奏する事もある。

*第2の声部で対晿を演奏する。対象は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*最初の声部では、自由晿となる。

4、4声以上ある場合には、第4の声部で応晿を演奏する。しばしば主唱を演奏する事がある。
*第3の声部で、対晿を演奏する。対晿は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*第1、第2の声部では、自由晿となる。

5、以下、すべての声部で主唱もしくは応晿を演奏する。

以上で提示部が形成される。提示部は、一つのフーガの中に、異なる調で、数回現れる。

◎嬉游部
提示部と提示部の間には、嬉游部と呼ばれる自由の部分が挟まれる。。主唱や対晿などの素材で作られる。

◎追迫部
提示部―嬉游部を繰り返し、最後に追迫部が訪れる。追迫部では、主唱が終わらない内に応晿が入る。

提示部(主調)⇒嬉游部⇒提示部(主調以外)⇒嬉游部……⇒追迫部(主調)      ウィキペディア・フーガ参考

以上がフーガ形式の構造です。

チェロソナタ第1番のフィナーレ(第3楽章)は、こんなフーガ形式で成り立っています。バッハに憧れて、バッハに追いつこうとしたブラームス。それには対位法を取得してフーガを自在に扱う事が必用でした。これは、ブラームスの精神がフーガに乗り移った圧倒的なフィナーレです。傑作です。

posted by 三上和伸 at 15:46| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

ブラームスの名曲2 歌曲「雨の歌」OP59-3とヴァイオリンソナタ第1番ト長調OP78 2016.09.03

ブラームスを始めとした大作曲家は、交響曲などの大作を書く際、多くのモチーフ(動機のメロディーやリズム、主題とも言う)を用意しますが、当然使われるモチーフは10曲程度、残りは捨て去る事になります。ところがブラームスの場合、勿体ない主義なのか、その余ったモチーフを室内楽作品として再利用をしました。アイディアの限りを尽くして発案したモチーフ、それは素晴らしい出来映えのものばかりであり、そこに新たな作品を生み出す余地は高くあるのです。交響曲や協奏曲の前後には、必ずと言っていいほどブラームスには、室内楽の数々が生まれています。今回のヴァイオリンソナタ第1番もそのような経緯があるのです。

ヴァイオリンソナタ第1番の作曲の時期は、同じヴァイオリンの協奏曲ニ長調OP77が直前に発表されています。作品番号でも1番違い、正にヴァイオリンソナタ第1番はヴァイオリンコンチェルトの副産物と言う事ができます。

ソロ楽器の高度なメカニズムが不可欠な協奏曲は、ヴァイオリンの音域を極限まで使い、運指や弓使いにも激しいものが要求されます。本来ブラームスは、音楽の技巧性を疎んじ、抒情性や精神性を尊ぶ種類の作曲家だったので、協奏曲の作曲には、作曲後も本意を得た訳ではなかったようです。もっとヴァイオリンの中音域を用い、抒情的な作品が作りたかったようです。そこで、余った多くのモチーフの中から、飛び切りの美しい歌を拾い出し、ソナタ第1番を書きました。本当に書きたかったブラームス本来の優しい抒情詩…。そのソナタ第1番を、自らを慰める積りで書いたのでした。

因みにこの曲には、自らが書いた歌曲「雨の歌」のメロディーが使われています。同郷の詩人・クラウス・グロートの詩に付けた有名な歌曲「雨の歌」OP59-3。雨だれをモチーフとした雨に濡れた自然を歌う望郷の歌。ブラームスの故郷への想いが籠っています。

ヴァイオリンソナタ第1番の第3楽章の冒頭から、この歌は始まります。「タンタターン」と雨だれが…

 雨の歌        クラウス・グロート  OP59-3

 雨よ、滴をしたたらせて、

 ぼくのあの夢をまた呼び戻せ。

 雨水が砂地に泡立った時、

 幼い日にみたあの夢を!


 けだるい夏の蒸し暑さがものうげに

 爽やかな涼しさと競い、

 つやつやした木の葉は露に濡れ、

 田畠の緑が色濃くなった時。


 何と楽しいことだったことか、

 川の中に素足で立ったり、

 草に軽く手を触れたり、

 両手で泡をすくったりしたことは!


 あるいはほてった頬に

 冷たい雨の滴をあてたり、

 新たに立ち昇る香気を吸って、

 幼い胸をふくらませたりしたことは!


 露に濡れたうてなのように、

 また恵みの露にひたり、

 香気に酔いしれた花のように、

 幼な心も息づいて開いていた。


 ときめく胸の奥深くまで

 どの雨の滴もぞくぞくするほど冷やして、

 創造の神々しい営みは

 秘められた生命の中まで浸透した。


 雨よ、滴をしたたらせて、

 ぼくの昔の歌を呼び覚ませ!

 雨足が戸外で音を立てた時、

 部屋の中でぼくらがうたった歌を!


 あの雨の音に快い、しっとりとした

 雨垂れの音に再び耳をすまし、

 あどけない幼な心のおののきで

 ぼくの魂を静かに潤したいものだか。    訳詩:志田麓


誠に爽やかで美しい歌、されどヴァイオリンソナタはそれにも増して美しい…、この世には美しいものがあると、真に教えてくれるソナタです。
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2016年07月31日

ブラームスの名曲1 フェリックス・シューマン詩の「ぼくの恋は緑色」op63−5 2016.07.31

ブラームスが20歳の無名の青年期、世に出ようと踠いて(もがいて)いたのを掬い上げてくれたのが43歳のシューマンでした。見せた曲(ピアノソナタ1番2番)を一目(一聴)して気に入ったシューマンは、わざわざ嘗て主筆であった音楽雑誌にブラームスの名を紹介しました。それを恩に着たブラームスは、生涯の折々でシューマンの残した妻と7人の子の世話を焼きました。ブラームスがシューマン夫妻に出会ったころ、妻のクララは妊娠をしていました。そのお腹の子こそが、後の詩人・フェリックス・シューマンで、フェリックスが20歳の誕生日を迎えた時に、フェリックスが書いた詩を使い、ブラームスが歌曲を書いてプレゼントしました。それがこの曲「ぼくの恋は緑色」です。

このプレゼントに歓喜したのは、フェリックスだけではありませんでした。母のクララこそこのプレゼントを喜びました。幸薄い早世の我が末子の名を未来に伝えてくれたブラームス、フェリックスはブラームスと共に、永延に、音楽史の中に名を刻んだのです。

ぼくの恋は緑色 フェリックス・シューマン op63−5

ぼくの恋はにわとこの茂みのように緑色。
にわとこの茂みの上にその光をそそいで、
その茂みを芳香と歓喜で満たす、
陽の輝きのように、ぼくの恋は美しい。

ぼくの魂は小夜鳥のように翼をはり、
咲き薫るにわとこの木で身をゆすぶり、
歓声をあげ、甘い香りにうっとりして、
恋に酔う歌のかずかずをうたうのだ。   志田麓訳詩

抑揚の効いた流れるような曲、ブラームス歌曲の人気曲の一つ。



posted by 三上和伸 at 23:00| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする