2020年05月21日

ブラームスの名曲45 歌曲「わが妃よ、そなたはなんと…」 Op.32-9 2020.05.21

真剣な恋、嘘と本音の探り合い、恋の駆け引き、許し合う恋、大人の恋、様々な恋の行方を著した作品32でしたが、愈々至福の愛の第9曲が生まれました。作曲当時に現れた新たなエロチカ(魅力的女性)が、この曲を作らせたのでした。それは16歳のエリザベートでした。ブラームスの生涯の友となる女性でした。始めはブラームスのピアノの弟子でしたが、その余りにも美しい魅力的な少女にブラームスは不安を感じ、やがてあのアガーテと同様の手痛い思いをするのではないかと危惧を持ちました。過ちに至るのを回避し、このエリザベートを友人のピアニストに預けて仕舞ったのでした。またしてもブラームスは深追いを避けたのでした。特別な関係になる事を断念したのでした。運命の志、大作曲家を夢見て…

「わが妃よ、そなたはなんと…」・変ホ長調 詩・ハーフィズ原詩・ダウマー訳のドイツ語訳の詩
わが妃よ、やさしい慈愛によって
そなたはなんと歓びに満ちていることよ!
さあ、ほほえみたまえ、すると春風が
わが心を吹きぬける、歓びに満ちて!

さわやかに咲きでたばらの花の輝きを
そなたの顔の輝きとくらべてみようか。
ああ、咲き誇るすべての花々にもまして、
そのたの花の”かんばせ”は歓びに満ちて!

荒涼たる枯野を通って”逍遥”したまえ!
すると緑の木陰が一面に拡がる、
たとえそこがたえがたい重苦しさに
いつも包まれていても、歓びに満ちて!

そなたの腕で息絶えることを許したまえ!
たとえはげしい”断末魔”の苦痛が胸の中を
掻きむしったとしても、死ぬことさえ
そなたの”かいな”の中では、歓びに満ちて!

*かんばせ=顔 *逍遥(しょうよう)=さ迷い歩く *断末魔(だんまつま)=息を引き取るまぎわの苦痛 *かいな=腕

プラーテンの詩のようなシンフォニックな響きは無く…、甘いコロコロと鈴を転がしたようなピアノ音が美しい…、優しく撫でるような指使いのピアノ伴奏です。まるで夢の世界を彷徨うようです。そこに恋心溢れる歌が歌われます。これは正にエリザベートの香り、エリザベートへの愛の歌曲です。16歳のしなやかな乙女のエロチィックなまでに研ぎ澄まされた姿態、そして噎せるような香り、官能性に溢れた音楽です。作品32の恋の歌曲集、到頭ここで、クライマックスを迎えました。ブラームスの屈指の名歌曲です。



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2020年05月19日

ブラームスの名曲44 歌曲「ぼくとぼくの好きな娘はこのような間柄だ」 Op.32-8

真剣な生死を分けるようなプラーテンの詩から、恋の遊戯を楽しむようなハーフィズの詩、真に正反対の詩です。恋の形態は数多あり、どれが好いかはその人次第、他人がとやかく言うものではありませんが、少し大人になると後者の恋に味わい深さを感じます。締めるところは締めて、遊びましょう。真心だけは忘れないで…。

「ぼくとぼくの好きな娘はこのような間柄だ」・変イ長調 詩・ハーフィズ原詩。ダウマードイツ語訳の詩
ぼくとぼくの好きな娘は残念ながら
ふたり互いにこのような間柄だ。
ばくは娘を喜ばすために何かをすることはできないし、
娘もぼくを苦しめるために何かをすることはできない。

もしぼくが娘の額に髪飾りを着けると、
そのことが娘を傷つける。
ちょうど愛情のこもったほほえみに対するように、
ぼくは娘の腹立たしい返事にも感謝する。

男心と女心、揺り籠のように揺れ動きます。遠慮と本音、怒ったり、怒られたり、でもそんな娘が好きなんだから仕方がありません。全てを許しましょう。


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2020年05月18日

ブラームスの名曲43 歌曲「きみは苦言を呈しようと思う」 Op.32-7

プラーテンの悲劇の短調からは離れて、ペルシャの詩人ハーフィズ原詩による明るい長調の歌曲になりました。ここから9曲までは長調で書かれています。やや極端ですが、ブラームスは様々な愛の形態を書きたかったのかも知れません。感情・情念の作曲家ブラームスは、喜怒哀楽の様々な人間の思いを、大きなふり幅で描いた作曲家でありました。どん底から絶頂へ、作品32は、そんな振幅を持った作品群です。

「きみは苦言を呈しようと思う」・ヘ長調 詩・ペルシャ詩人・ハーフィズ原詩・ダウマードイツ語訳の詩
きみは苦言を呈しようと思っているが、
きみがどんなに怒っていても、
いつも決して人の心を傷つけはしない。
きみの辛辣な話しぶりは
珊瑚礁で難破してしまい、
みんな純粋な好意に変る。
人の感情を害するためには、
言葉が唇を通さねばならず、
その唇は甘美そのものなんだから。

恋人は一寸意地悪な美しい人、恋人の辛辣な言葉も、自分を傷付けることは無い…。根は優しい娘と判っている訳で、甘美な唇からは甘い言葉しか聴こえて来ない…、ただその甘い香りに酔うだけ…
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2020年05月17日

ブラームスの名曲42 歌曲「ぼくが思い違いをしていたときみは言う」 Op.32-6

激情の果てから落ち着いて、思いを馳せれば、色々と思い浮かび、合点がいきます。されど絡まった糸のように恋の行方に確かなものはありません。悩み、傷つき、絡んだ糸を解して行きます。葛藤を繰り返し、大人になってゆくのです。

「ぼくが思い違いをしていたときみは言う」・ハ短調 詩・アウグスト・プラーテン
ぼくが思い違いをしていたときみは言い、
きっぱりとおごそかにそれを誓っている。
だがぼくは知っているよ、きみはぼくを愛していたが、
今はもう愛していないのだ、ということを。

かつてきみの美しい眼は燃えていたし、
きみの口づけもとても熱く燃えていたよ、
きみはぼくを愛していたことを告白したまえ!
それなのにきみはぼくをもう愛していないのだ。

新たな愛の誓いを繰り返すことを
ぼくが期待しているわけではない。
さあ、ぼくを愛していたことを白状したまえ、
そして今はもうぼくを愛してくれるな!

愛の苦悩に押し潰された若者が、少しずつ正気を取り戻しつつ、己を自問自答します。思い違いと言われましたが、現実は思い違いでなく、思った通りの事でした。あの日は確かに、きみがぼくを愛していたことを信じたい、でも時はもう遅い、恋の炎は脆く消え易い、恋は終わったのです。

三節の歌曲ですが、一節ごとに少しずつ、旋律を変えています。微に入り細をうがった歌曲です。
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2020年05月16日

ブラームスの名曲41 歌曲「いまいましい、おまえはぼくをまた」 Op.32-5

ヘ短調(第1曲)・二短調(第2曲)・二短調(第3曲)・嬰ハ短調(第4曲)と胸が潰れそうな曲が続く中、漸く肯定的な詩が現れます。未だ短調ですが、明らかに前の4曲とは雰囲気が違って来ました。こう言う手法は、シンフォニーに良く観られますが、この重要な歌曲にもその手法が使われました。

「いまいましい、おまえはぼくをまた」・ロ短調 詩・アウグスト・プラーテン
いまいましい、おまえはぼくをまた包もうと
するのか、邪魔な束縛よ!
空中へ昇って消え失せろ!
心に望みを注ぎ入れよ、
鳴り響く歌の中へ望みを注げ、
かぐわしい花の香を吸いながら!

さあ、風に向って進んでゆけ、
風がきみの頬を冷やすように。
楽しげに空に向かって挨拶せよ!
涯しのない空の中で果して
不安の気持が動くだろうか。
厭なものを胸から吐きだすがいい!

激しい3連符の伴奏の上に、朗々と歌われる鼓舞の歌、「元気を出せ!元気を出せ!若者よ!、不安を吐きだして前へ進め‼」。
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2020年05月15日

ブラームスの名曲40 歌曲「ぼくのそばを流れ去った河」 Op.32-4

怒りと不満、そして絶望、音を楽しむ音楽としては有り難くない感情です。それでも真の芸術家はそれを遠ざけたりはしません。己に向き合って、己を理解して、それを克服していくのです。それを音楽を創る過程として、そして材料として、作品に結び付けて行くのです。プラーテンの詩に、ブラームスは心を寄せたのです。

「ぼくのそばを流れ去った河」 詩・アウグスト・プラーテン
ぼくのそばを流れ去った、あの河は
今どこにあるのか。
ぼくがその歌に耳を傾けた、あの鳥は
今どこにいるのか。
あの娘がその胸に飾っていたばらの花は
今どこにあるのか。
ぼくをうっとりとさせた、あの口づけは
今どこにあるのか。
ぼくがかつてそうだった、あの人間、
ぼくがとっくの昔に
別の自分と取り替えてしまった、あの人間は
今どこにいるのか。

薔薇色だった人生が何処で狂ったのか、一人追憶に浸って、後悔を募らせます。5回、嘗ての幸せの在り処が何処に消えたのか、その所在を疑り、叫んでいます。人生に躓いた男の絶望感が溢れます。どんなに泣き喚いても後の祭、もう一回やり直せるか?、それは男次第です。そうです、ブラームスはやり直せたのです。これはブラームスの勝利の歌です。
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2020年05月14日

ブラームスの名曲39 歌曲「悲しくさまよい歩く」 Op.32-3

再びプラーテンの登場です。普段、歌は甘いイメージを持ちますが、ここでは終始沈痛です。救いが無い暗黒の曲です。

「悲しくさまよい歩く」 詩・アウグスト・プラーテン
ぼくは悲しく黙ってさまよい歩く。
きみは尋ねるが、なぜと問わないでくれ。
こんな多くの苦しみが心をゆすぶるのだ!
ぼくがゆううつ過ぎることがあろうか。

木は枯れて、香りは失せ、
黄に染まった木の葉は地面に散らばり、
にわか雨ははげしく襲ってくる。
ぼくがゆううつすぎることがあろうか。

前奏も後奏もない高々二節の歌(有節歌曲)ですが、重いニ短調の和音で貫かれています。一寸した恋のセンチメンタルな悩みでは無く、生死に拘わる深刻な苦悩を歌っています。日常が失われ、恋するきみとも別れなければならい運命なのか…。慟哭しています。人生の正念場です。
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2020年05月13日

ブラームスの名曲38 歌曲「もはやきみの許には行くまい」 Op.32-2

作品32の第2曲、こちらはダウマーの詩を使っています。詩人は違えども、内容は重苦しい恋の歌、老年の私からすれば、人生の経験がない若者は苦労をしてしまうのでしょう。恋とは不可解なもの、心を一つにすることは難しい…、努力が必要なのです。

「もはやきみの許には行くまい」 詩・ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー
もはやきみの許には行くまいと、
ぼくは決心して、誓いもしたが、
毎晩行ってしまうのだ。
あらゆる力とあらゆる抑制を
ぼくは失ったからだ。

ぼくはもはや生きながらえず、
たった今滅び去ってしまいたいが、
それでいて、きみのために、
きみとともに生きたいから、
決して死にたくはないのだが。

ああ、ひとことでいいから言ってくれ、
ただひとことをはっきりと!
ぼくに生か、または死を与えよ、
きみの気持ちだけがぼくに
きみの真実を打ち明けるのだ!

アガーテと別れてから暫くして、29歳(1862年)のブラームスは、ウィーン進出を果たします。この曲集は1864年に出版されていますが、この頃のブラームスはクララと親しく交友を続けていました。しかし、それは既に友情としての段階に昇華したものでした。必要欠くべからざる同志の楽友としての付き合いでした。ところがそこにもう一人、若く魅力的な女性が現れます。名はエリザベート・フォン・シュトックハウゼン、この16歳の魅力的な少女がウィーンのブラームスのピアノの弟子になるのでした。この悲劇的な歌曲集の最後の一曲が、世にも美しいエロチカになったのは、この少女無くしては考えられません。しかしブラームスはその美しさに恐れをなして、この少女を友人のピアニストに預けてしまうのです。アガーテとの苦い思い出が胸を過ったと言って間違いはないでしょう。この作品32の歌曲集、若いブラームスの自伝的な歌だったのかも知れません。

曲は第1節と第3節は、同じメロディーを使い暗い心情を語りますが、第2節は曲調ががらりと変わり、激情が溢れ出します。ブラームスの歌曲には珍しい3部形式を使っています。劇的な表現が目立ちます。
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2020年05月12日

ブラームスの名曲37 歌曲「なんととび起きたことか」 Op.32-1

それまでも良い歌曲作品を書いて来たブラームスでしたが、到頭この作品32に至って、ブラームスの歌曲作品の真の傑作が生まれました。これによってシューベルト・シューマンの歌曲と並び果せる事が出来たのでした。詩人プラーテンとダウマーの詩に付けた作品32の歌曲9曲は、ドイツ歌曲史の一つの頂点となりました。この歌曲集のそれぞれの曲には、題名がありません。詩の最初の一句を題名にしています。

「なんととび起きたことか」 詩・アウグスト・プラーテン
真夜中になんととび起きたことか、
そしてぼくは先へと惹かれるのを感じた、
夜番に見守られながら、ぼくは路地を去り、
深更にゴシック風のアーチの城門を
そっとくぐり抜けて、町の外へ出て行った。

水車の懸かった小川が峡谷の岩棚からほとばしり、
ぼくは橋から身をのりだして、
遥か下の川波を注意して眺めると、
波は夜の谷でゆるやかにうねってゆくが、
どれひとつとして返ってくる波はない。

空には無数の星が瞬きながら運行し、
天体の音楽を奏でているようだ。
星たちとともに月も穏やかな光をはなって、
測り知れぬほど遠い彼方の
夜空で星たちはキラキラ光っている。

ぼくは夜空を見上げてから、
あらためて地上を見下ろした。
おお、情けない、おまえは日々をどう過ごしたのか、
この夜半に、おまえのときめく胸の中の
後悔の念をそっと鎮めるがいい!

夜中にふっと目覚め、飛び起きて町の外へ、恋に悩む男の呟き、女々しいですが深刻さが溢れます。まるでピアノ曲のような伴奏と、切ない歌、付かず離れずにうねります。迫力に飛んでいます。完璧な歌曲です。

*夜番(よばん)=夜警 *深更(しんこう)=夜更け

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2020年05月10日

ブラームスの名曲36 3つのインテルメッツォ Op.117

Op.116ファンタジアの個性極まる作品群に比べれば、インテルメッツォと題されたこのOp.117は、比較的なだらかな大人しい曲集です。全20曲あるピアノ小品群の中でも、特異な存在です。一休みと言ったら良いのか、寛げると言ったらよいのか、多少の脱力感がある曲目です。情熱の躍動では無く、寂寥の沈潜、穏やかな曲たちです。

第1曲 アンダンテ・モデラート 変ホ長調
曲の冒頭には、ヘルダーの詩が掲げられています。「やすらかに眠れわが子よ、やすらかに、私はおまえが泣くのを見るのが辛い…」。静けさの中に融けこんでしまうような子守り歌。第1部は明るく希望があり、優しく赤子をあやしている風情です。されど中間部では、深い闇が訪れ、悲しみに沈みます。それは昔を偲ぶように…欝々と…。しかし第3部では再び、優しい子守り歌が聴こえ、元の安らぎが戻ります。

第2曲 アンダンテ・ノン・トロッポ・エ・コン・モルタ・エスプレッシオーネ 変ロ短調
枯葉が舞うような軽いエレジー(悲歌)です。形式的には凝っていて、ソナタ形式風です。渋いですが、ピアノを美しく響かせます。ブラームスにしてはお洒落な曲です。

第3曲 アンダンテ・コン・モート 嬰ハ短調
神秘的な暗いで出しです。空気が重く、覆い被さるようです。ブツブツと独白をしているようでもあります。中間部は明るく変化し、軽い踊りを踊るようで洒脱です。経過句を過ぎ、第3部で再び暗い空気が覆います。哀惜の情が、寂寥感を籠めて謳われます。

ブラームスとしては比較的柔らかい音楽で、肩の凝りがありません。バックグラウンドミュージックとしても、役立ちます。

ピアノ演奏
@ジュリアス・カッチェン
Aウィルヘルム・ケンプ
Bエレーヌ・グリモー
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2020年04月26日

ブラームスの名曲35 4つの歌 Op.17-4 第4曲 オシアンの『フィンガル』からの歌 2020.04.26

オシアンの『フィンガル』からの歌 スコットランド語の歌のドイツ語訳(古代・スコットランドの盲目の詩人・オシアンが作ったとされる叙事詩、その主人公がフィンガル)

泣くがいい、風がほえ叫ぶ巌の上で、
泣くがいい、おお、イニストアの娘よ!
大波の上にお前の美しい頭を垂れるがいい、
真昼時、太陽の光を浴びて
モーヴェンのしじまを渡ってゆく
山の精霊よりもお前は愛らしい。
彼は死んだ、お前の若者は青ざめて
カスリンの剣のもとに倒れた。
もはや勇気が、王たちの血を流そうと
お前の恋人を奮い立たせることはない。
トレナーは、やさしいトレナーは死んだ、
おお、イニストアの娘よ!
彼の灰色の犬たちが故郷の家で吠えている、
彼の幽霊が通りすぎるのを見て。
彼の弓は弦も張られずに玄関にかかっている、
のろ鹿の荒野には動きまわるものもいない。

2本のホルンとハープの美しい伴奏に乗って歌われる女声合唱、これは私の一つの理想の音楽です。日頃、私は、歌は女が歌うものと思っていますし、金管楽器で一番好きな楽器はホルンです。それにハープはピアノに勝る美音の弦楽器と言い得ます。正にこの曲は、私の美しさの定義に添っています。私の音楽ライブラリーの中の宝物です。

英雄なのでしょうか? イニストアの娘の恋人は…、もはや恋人・トレナーは死んだのです。もう弓も矢も使われないのです。荒野のトレナーの家は静けさの中です。

これはケルトの話ですが、ブラームスが生まれ育ったドイツの北西部からは、ケルトは近いのです。ブラームスの血の中にもケルトが血が含まれているかも知れませんね。この歌、ケルトへの共感が感じられます。
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2020年04月13日

ブラームスの名曲34 4つの歌 Op.17-3 第3曲:「花作り」 2020.04.13

「花作り」 ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ詩
どこへ私が行き、どこを眺める時も、
野原でも、森でも、谷間までも、
山から牧場へくだっても、
いとも美しく気高い女性よ、
私はおん身に千回も挨拶をおくる。

私は自分の花壇の中で
きれいでやさしい花をたくさん見つけ、
その花でたくさんの花冠を編み、
千の思いと挨拶とを
その花冠に編みこむのだ。

そのひとに花冠を捧げはしない、
そのひとはあまりに気高く、美しくて
あらゆるものを色あせさせるだろうから、
ただ、愛だけはほかのものとちがって
永遠に色あせずに心の中にとどまる。

私は陽気な男と思われていて
いつもせっせと働いている、
たとえこの胸がはり裂けようとも
私は掘りつづけ、掘りつづける、
そしてもうじき自分の墓を掘るのだ。

切ない歌ですね。それでも不変の愛は、気高い人に届くでしょう。そして幸せな人生の最後を迎えます。永遠の愛を胸に、死んでゆけるのです。長閑な愛の田園歌、そうありたいですね。
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2020年04月10日

ブラームスの名曲 4つの歌 OP.17 第2曲:シェークスピアの詩による歌 2020.04.10

「シェークスピアの詩による歌」ウィリアム・シェークスピアの原詩のドイツ語訳による

来たれかし、来たれかし、死よ!
そしてこの身を糸杉のもとに埋めてくれ。
解きはなて、私を解きはなて、苦悩よ、
世にも魅惑的な女性が私をうちのめした。
ローズマリーでもって私の屍衣を、
おお、それをしつらえてくれ!
愛が私の心に致命傷を与えるとしても、
心は誠実にそれを守るだろう。

花なんか、甘美な花なんかを
黒い柩の上に撒かないでくれ。
だれひとり、だれひとり、土の埋まっている
私の骨に別れの挨拶なんかしないでくれ。
嘆きや悲しみ吐息なんかはつかないで、
私をひとりっきりで埋めてくれ、
誠実な心のひとが私の墓をたずねて
涙を流したりはしない場所に。

のっぴきならない境遇の私、魅惑的女性への愛が叶わなくても、私は誠実に死を受け入れるだろう。心の荒野で思う諦観の理念、覚悟は決まっていたのです。

そんな深刻な話(詩)ですが、音楽は長閑で、お伽噺風です。荒野にホルンが鳴動します。女声の歌が撫でるように優しい…、そっと私を包み込んでくれます。異国にタイムスリップ、不思議な幸福感で満たされます。シェークスピアの哀悼の詩なのですね。それに反応するブラームスの音楽、どちらも素敵です。

演奏
モンテヴェルディ合唱
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
posted by 三上和伸 at 10:45| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月08日

ブラームスの名曲32 ファンタジア 第7曲・ニ短調・Op.116−7

作品116の7、最後の曲です。アレグロ・アジタートで、”激情的で快速に”の意味があります。第1曲の項で延べたとおりに、この曲は作品116の結尾の曲で、この曲集の締め括りの位置にあります。第2曲から第6曲まで、全ての季節の自らの様々な想いを物語って来ました。それらを総括する意味で、ここで締め括って終りを告げているのです。ソナタやフーガなど、形式に精通したブラームスは、やはり古典の申し子でした。このような形式に拘らない、自由なロマン的小品でさえも、起承転結は、きっちり付けるのでした。正に激情を籠めて、終りを告げています。
posted by 三上和伸 at 17:10| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月07日

ブラームスの名曲31 ファンタジア・第6曲ホ長調Op116ー6 2020.04.07

暖かい部屋には暖炉の赤い火が燃えています。窓辺に行けば、外は白い雪、サラサラと舞い降りています。闇に白い雪、でも遠くに街の灯りがボウと霞んで観えます。あの人はきっとあの町灯りの中にいるのでしょう。私は雪の精になって、あの人の元へ帰りたい…。フワフワと飛んで、貴方(貴女)の胸に帰りたい…

そんな趣の人を恋うる歌です。水蒸気の中に、雪と街の灯りが滲んでいます。

演奏
@ヴァレリー・アファナシェフ
Aエレーヌ・グリモー
Bウィルヘルム・ケンプ
Cジュリアス・カッチェン
posted by 三上和伸 at 19:29| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月06日

ブラームスの名曲30 ファンタジア・第5曲ホ短調 Op.116ー5

悲しいけれど、憧れに満ちた第4曲に比べれば、尚も悲しく深刻な第5曲、アンダンテのホ短調で書かれています。静かに静かに曲は進んで行きます。何処と無く躊躇いがちに…、囁くように…。集く虫の音が立ち、黄色に染まった葉が、あちこちでひらひらと舞っています。今は秋、寂しい季節です。次第に心は沈潜して行き、溜息が漏れ出ます。しかし、あの面影が胸に迫り、暫し心が乱れます。それでも秋色は直ぐに心慰め、青年(昔の)は、静かに心を閉じて仕舞います。もう直ぐ、枯葉の季節です。第5曲は、実に詩的な曲です。

演奏
@エレーヌ・グリモー
Aウィルヘルム・ケンプ
Bヴァレリー・アファナシェフ
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2020年04月05日

ブラームスの名曲29 ファンタジア 第4曲ホ長調Op.116-4 2020.04.05

ブラームスの音楽は自然の教示から出発していますが、そのまま自然を模倣したコマーシャル音楽では無く、一旦、心と体に取り込んで、醗酵させ、再構築された音楽です。写生では無く、自らの美意識で創造した音楽です。

第4曲は、ファンタジアに於いて初めて、長調の調性を使った曲です。ホ長調、アダージョの曲で、ゆったりとした大地に憩いう曲調です。満天の星、薔薇の香り、五月の夜はしみじみと更けて行きます。星が瞬きます。薔薇の微風が渡ります。貴女の優しい青い目が見詰めます。嫋やかな胸の膨らみが触れます。ああ、私は幸せだったのです。貴女は素晴らしい女性でした。この空の星のように…、咲き誇る薔薇のように…

余りにも美しい音楽です。この曲だけでも、ブラームスに出会った価値があります。
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ブラームスの名曲28 ファンタジア第3曲ト短調Op.116ー3 2020.04.05 

ブラームスの音楽の発露は何か?と問えば、それは自然の中にあると想います。四季折々の自然から感化された琴線が、過去の音楽、絵画、文学などから影響を受け、知識として蓄え、それがブラームスの全人格となって、音楽が作られます。彼は大芸術家でありましたが、それは音楽に限っての事です。論文や論評などは無く、ひたすら彼の思想や感情は、音楽で著されていたのです。作品116も自然から受けた感動から出発しています。

ブラームスは形式主義者でもあったので、この7曲のファンタジアも1曲と7曲は、序と結尾の形を取っています。自然への飽くなき愛好とそこから生まれる人間ドラマは、中間の第2曲から第6曲までで、2曲・早春の鬼火、3曲・春の嵐と怒涛、4曲・五月の夜、5曲・秋の枯葉、6曲・雪の精、と私は勝手に決めつけています。序(第1曲)と鬼火(第2曲)は紹介しましたので、今回は第3曲の春の怒涛です。

第3曲は、ト短調で書かれています。全7曲中、5曲が短調、2曲が長調で、あのシンフォニーやコンチェルトの長調・短調が同数の見事に仕分けられたものと比べると違和感があります。それでもこの最晩年の時期のブラームスの心境は、悲しいものが心の糧だったようで、それに全精力を注ぎ込んだようです。寂寥(せきりょう・詫び寂び)と諦観(ていかん・悟り)、されど自然愛・人間愛に満ちています。古今東西、似たものがありません。世に並ぶものが無い、ピアノ曲の傑作です。

遠くで雷光が煌めき、突然の強雨、雷鳴も轟き始めました。空は荒れ狂い、暫くは春の嵐が続きました。しかしやがて雨が止むと、遠く北海の怒涛が聴こえます。小さくなったり、大きくなったり、それは次第にリズムを帯びて、まるでダンスのよう…。血沸き肉躍るダンス、心に幽かな快楽が訪れたのでした。




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2020年04月04日

ブラームスの名曲27 4つの歌 Op17 第1曲:高らかにハープの音がひびく 2020.04.04

ピアノ協奏曲第1番の作曲、そして芳しくないこの曲の評判、デトモルトでの公職もあり、ブラームスは多忙により、焦燥を極めていました。その上アガーテとの失恋もあり、ブラームスは失意のどん底にいました。それでも天才の創作意欲は衰えず、管弦楽用セレナード2曲、弦楽六重奏1番や多くの合唱曲を書きました。そんな合唱曲の中にあって、作品17の女声合唱曲は特異な存在であり、不思議な光彩を放っていました。

デトモルト勤務中に、ある女声合唱団(後のハンブルク女声合唱団)と親しくなり、指揮者として就任し、指導を授けました。始めは素人集団でしたので、ブラームスは無給で、面倒を看たそうです。そんな中、当然レパートリーにする曲が必要となり、作品17の女声合唱曲集が生まれました。ところがこの曲は独特のもので、何と伴奏が2本のホルンと、1台のハープに依るものでした。悲しい曲集ながら、牧歌的な趣が濃厚で、北ヨーロッパの冷涼な空気に満ちています。何故ホルンかと言えば、デトモルト滞在中にホルン奏者のアウグスト・コルデスと親しくなったからであり、後年、ブラームスはコルデスのために、名作・ホルン三重奏を書いています。

このハンブルク女声合唱団の中に、後にウィーンで結婚したベルタ・ファーバーがいました。ブラームスとファーバー家は親しく付き合うようになり、ベルタの第一子誕生の折りには、ブラームスは、有名なブラームスの子守り歌(揺り籠の歌)をベルタにプレゼントしたのでした。

「高らかにハープの音がひびく」 フリードリヒ・ルペルテイ詩
高らかにハープの音がひびく、
愛とあこがれをかきたてながら、
その音は奥深くしみ入って心をかき乱し、
眼に涙をわき出させる。

おお、ひたすら流れ落ちるがいい、涙よ、
おお、おののいて高鳴るがいい、心よ!
愛としあわせとは墓場に埋もれた、
私の生命は失われてしまった!

冷涼な空気感の中、ハープが細かくアルペジオを掻き鳴らし、2本のホルンが伸びやかに歌います。そこに女声合唱が、優しい宗教色を滲ませて、切なく歌ってくれます。北国の透き通った響きが胸に染み入ります。

コルデスのホルンが如何に素晴らしい音であったか、しみじみと伺えます。

演奏
モンテヴェルディ合唱団
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
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2020年04月01日

ブラームスの名曲26 「アイオロスの竪琴に寄せて」 エドワルド・メーリケ OP19−5

アイオロス(エーオルスとも)の竪琴とは、風の力で鳴る琴です。普通はエアリアンハープ乃至ウィンド・ハープとも言われています。ギリシャ神話の風の神・アイオロスの名を頂いて付いた名前です。木製の筐体(きょうたい・共鳴体の箱)と弦のみで出来た楽器で、弦に風が通過する際に起きるカルマン渦が弦を掻き鳴らす仕組みです。古代ギリシャ時代(インドに原型)に有った楽器でしたが、その後廃れ、17世紀半ばに復元され、18・19世紀には愛好されていたようです。このメーリケの詩やR・シューマンの言動(ショパンのエチュードOP25-1をエアリアンハープのように綺麗だと言った)などに顕れていて、文献に残されています。そしてこの楽器は、そのまま今日まで残っています。私は実際に聴いたことが無いので、その音色は申し上げられませんが、自然の風で鳴るなんて、不思議な神秘の、床しい音がするのでしょうね。

「アイオロスの竪琴に寄せて」 メーリケ詩
この古いテラスの
きづたの這う壁にもたれた、
風から生まれたミューズの奏でる
ふしぎなハープよ、
始めよ、
妙なる調べの嘆きを
ふたたび始めよ!

風よ、おまえたちは遥かかなたの、
わたしがあんなに愛していた、
あの子の緑したたる
塚を撫でてきたんだね。
途中で春らんまんの花を掠め、
花の香をはらんで、
この心をうっとりと酔わせ、
ハ−プの弦を吹き鳴らす。
風は愁いを含んだ美しい調べに魅せられ、
わが憧れの心の赴くままに吹きつのり、
やがてまた力を弱める。

さて、不意に、
風がいちだんと強く吹きくれば
ハープは美しい調べを奏で、
たちまち心を感動させながら、
再び甘美なおどろきへ誘う。
このとき満開のばらは風に揺れて、
わが足もとに花びらをみな撒き散らす。

メーリケの美しい詩に寄り添って、尚も美しいメロディーを添えたブラームス、本当に素晴らしいブラームス初期の歌曲の傑作です。これはメーリケが弟の死を悼んで書いた詩作です。ですから男が歌おうが女が歌おうが一向に構いません。それでも私は女歌として聴いています。この薔薇の風が奏でるアイオロスの竪琴、薔薇は女です。そう、アガーテです。

演奏
@ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
Aメゾソプラノ:ブリジッテ・ファスベンダー ピアノ:Irwin・Gage
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2020年03月31日

ブラームスの名曲25 ファンタジア 第2曲イ短調OP116-2 2020.03.31

ブラームスの出生地は北ドイツの港町ハンブルク市で、大河・エルベ川の河口にある貧民街の出でした。港の酒場には多くの船乗りが集まり、遊女と共に乱痴気騒ぎを起こしたりしていました。貧しい家計を助けるため、天才少年ピアニストであったブラームスは、10代半ばの若さで、そんな酒場でピアノ弾きとして働きました。

ハンザ同盟で有名な都市で、ベルリンにもそう遠くはありません。彼のメンデルスゾーンもハンブルク生まれでしたが、フランスの進攻に嫌気がさした大富豪・メンデルスゾーン家は、ベルリンに居を移したのでした。

ブラームスの生家跡ではありませんが、その生家近くに、ブラームス・ミュージアムがあるそうです。またブラームス家は元々は、ハンブルクよりも北にあるデンマークに近いハイデ市にあったようです。ドイツ語・ハイデの意味は、ヒース(ハーブの一種)やエリカが咲いている荒野(湿原)を意味するようです。ブラームスの故郷はそんな自然の中にあったのです。ファンタジア第2曲には、そんな風景のバックグラウンドがあったのです。

ひたすら静かな湿原は、色取り取りの高山植物の花が咲き、ブラームスはそこに憩います。北海の潮風も靡き(なびき)、頬を擽り(くすぐり)ます。寂寥感(せきりょうかん・寂しさ侘しさ)の中でも、好い気持ちです。されどやがて陽は沈み、湿原は闇に染まります。すると辺りに仄青い光が揺蕩い(たゆたい)ます。その青い火、それは湿原に現れる鬼火です。この曲の中間部はまるでこの鬼火のよう…、遠く離れた避暑地に居ようとも、ブラームスはドイツ低地の夢を観たのです。切ない追憶の涙に暮ながら…、望郷の念が鬼火と共に、胸を焦がします。

ピアノ
エレーヌ・グリモー
ウィルヘルム・ケンプ
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ブラームスの名曲24 歌曲「鍛冶屋」 L・ウーラント OP19-4 2020.03.31

今度は、アガーテのソプラノ用の曲「鍛冶屋」です。娘が愛している鍛冶屋の男の仕事振りを眺めている歌です。その男の力強さ逞しさに、うっとりしている娘の姿が彷彿とされます。

「鍛冶屋」 L・ウーラント詩
わたしの恋人がハンマーを
振っているのが聞こえる、
ゴシゴシ、カーンという音が
あたりへ拡がってゆく、
ちょうど鐘の音のように
路地や広場をつたって。

まっ黒な煙突のそばに
あの人は座っているけど、
わたしがそばを通ると、
ふいごがゴウゴウ鳴って、
あの人のまわりでは
炎が音を立てて燃えあがる。

アッケラカンとした陽性な曲、心の陰影は皆無で、唯々、健康な女の絶対の恋心が歌われます。

訳詞:志田麓さん

演奏
@ソプラノ:ジェシィ−・ノーマン ピアノ:ダニエル・バレンボイム
Aソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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ブラームスの名曲23 歌曲「口づけ」 ヘルティー詩 OP19-1 2020.03.31

作品19は、アガーテへの愛が濃厚に現れた曲集です。その第1曲のシュチュエーション(場面)は、明るいが人影のない公園。ブラームスがアガーテの肩を抱き、そっと口づけをする場面です。恋人たちはそこに全ての官能を掛けます。震えながらする口づけ、蜜よりも甘かったに違いありません。

「口づけ」 L・C・ヘルティー詩
五月の花の木の下で
少女の手をもてあそび、
心をこめて愛撫し、
少女の瞳に映る
ぼくの顔を眺め、
震えながら最初の口づけをした。

するとその口づけはたちまち
身を焦がす炎のように
ぼくの全身に伝わった。
ぼくの唇から不滅の
情熱を注いだ人よ、
ぼくに涼風をおくってほしい!

年配の私でも、暫し青春時代を思い起こしてしまう歌(詩)ですね。私も忘れません。その唇の喜びと、熱い胸を。涼風に当たると気持ちが良かったことを…

演奏
バリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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2020年03月29日

ブラームスの名曲22 ファンタジア 第1曲ニ短調 OP116-1

ラテンシリーズを含む10年間(1876年〜1886年)は、ブラームスの創作の黄金時代と言えましょう。4曲の交響曲とヴァイオリンとピアノのコンチェルト及び二重協奏曲(ヴァイオリンとチェロの二重奏コンチェルト)を書き、古今東西の大作曲家の列の一等席に君臨した時代でした。しかし、長年の勢力集中の所為で、元気印のブラームスも健康上の憂いが出て来ました。もう交響曲もコンチェルトも書く体力と気力が失せていたのでした(第5交響曲断念)。遺書(1890年)まで認めたのですよ。残すはクラリネット室内楽と歌曲とオルガン曲、そして20曲のピアノの小品集です。それでも気力減退となったとしても、スケールの大きな作曲家は違います。ピアノ小品だけでも20曲(一夏で)ですよ。しかも全てが個性的で、まるで違う顔をした曲たちです。まあ、ブラームスは、やはり並いる作曲家とは桁違い、途轍もない創作力を持っていました。

晩年のピアノ小品は1892年に、20曲(OP116.117.118.119)全てが書かれています。ショックだった大曲の創作力の減退、それでもクラリネットの巨匠のリヒャルト・ミュールフェルトとの出会いで、4曲のクラリネット室内楽をものにし、復活しました。更に、ロマン溢れる心情は沸々と沸き上がり、詩の不足で歌曲を諦め、自家薬籠中(じかやくろうちゅう、思うままに使いこなせるもの)のピアノの小品に熱中しました。こうして世にも稀な墨絵風モノトーンのピアノ作品が生まれたのでした。この燻し銀のピアノ音楽こそが、私の愛する宝石たちです。

ファンタジアOP116の第1曲は、ピアノ小品シリーズの第1曲目です。さあ、追憶と懐古の始まりです。あの全盛のラテンシリーズとは180°の反転です。レモンの花咲くイタリア・ギリシャから遠ざかり、ブラームスはひたすら生まれ故郷の北ドイツ(低地ドイツ)を目指します。この第1曲の二短調で、厳しくも、その原点回帰の幕が切って落とされたのです。ここからは雪と氷の世界、私達は、霧に咽ぶ低地ドイツに連れ去られるのです。それでも晴れた宵は星が瞬きます。それは北極星かカシオペアか、それとも北斗七星か、五月の宵には薔薇の香りと満月が…、低地ドイツも美しい故郷です。

ピアノ
*エレーヌ・グリモー
*ウィルヘルム・ケンプ
*ヴァレリー・アファナシェフ
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ブラームスの名曲21 歌曲「別れ」「セレナード」 OP14-5、14-7 2020.03.29

1858年(25歳)は、ブラームスの創作意欲が隆盛を極めており、第1ピアノコンチェルトOP15を始め、管弦楽用の「セレナード」2曲(OP11と16)などを上梓しています。それにアガーテ・フォン・ジィ−ボルトから霊感を受けた13曲の歌曲(OP14と19)と3曲の二重唱曲(OP20)を作曲しています。ここではもう一度、OP14から1曲ずつの女歌・男歌の歌曲を選んで述べてみます。

「別れ」 伝承の詩 OP14-5
目を覚ませ、目を覚ませ、若者よ!
きみはこんなに長い間眠っていた、
外では鳥たちが明るい声でうたい、
御者(馬車の曳き手)は通りでさわいでいる。

目を覚ませ、目を覚ませ、番人は
かん高い声で呼び始めている、
恋人同士がいっしょにいる時、
ふたりは賢くなければならない。

若者はつい寝坊してしまった、
こんなに長く快く寝ていたから、
しかし娘は賢かったので、
若者に口づけをして目を覚まさせる。

別れ、別れはつらいものだ、
死神と同じように無情で、
死神は多くの元気な娘と
多くのやさしい若者を分け隔てる。

若者は自分の馬にとび乗って、
その場から速歩で急ぎ去って。
娘は長い間その後を見送った、
深い悲しみが娘を包んでいた。

テンポの速い、忙しないソプラノの歌です。走る馬の蹄の音を模した伴奏に、高いソプラノの女の声が追い掛けます。愚かな若者と賢い娘の恋、上手く行かなかったようです。ソプラノ・アガーテの、小気味良い声の特徴を最大限生かした曲調です。

「セレナード」 伝承の詩 OP14-7
おやすみ、おやすみ、いとしいひとよ、
ぐっすりおやすみ、ぼくの恋人!
天国にいる天使たちがみんな
きみを護ってくださるように!
おやすみ、おやすみ、いとしいひとよ、
ぐっすりおやすみ、おだやかな夜に!

ぐっすりおやすみ、そして今夜
ぼくの夢をみてくださいね!
ぼくもその時眠っていたら、
ぼくの心がきみを見守っいることを、
またあの頃ぼくの心が愛に燃えて
きみのことを思っていたことも。

木立では小夜鳥がうたっている、
月の光に照らせれながら。
月の光はきみの窓からさして、
きみの愛らしい部屋を覗きこみ、
まどろんでいるきみの姿を眺める。
だが、ぼくはひとり立ち去らねばならない!

セレナードと言えばシューベルトを思い起こさせます。天才的メロディーを持つ名曲ですが、ブラームスにも「セレナード」の名を持つ曲が数曲あります。このセレナードは極めて明るい作品で、長閑な恋の歌です。残念ながら、ブラームスにはシューベルトの旋律美はありませんが、その人間的ないじらしい歌は微笑ましいものがあります。少々気弱な性格の男、愛しい人の寝室の窓辺までは行きますが、行動(夜這い?)を起こせません。すごすごと引き下がって仕舞います。庶民のお伽噺です。

*小夜鳥=ナイチンゲール

演奏
@ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
Aバリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

訳詩:志田麓さん
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2020年03月28日

ブラームスの名曲20 歌曲「あるソネット」 13世紀民謡 OP14-4

この曲は男歌です。この詩に、ブラームスのアガーテに寄せる思いを代弁させています。ソネットとはヨーロッパに於ける十四行詩の事ですが、これは十二行ですね。長閑な曲で、恋の病を嘆いているようですが、反対に喜んでもいるようです。

「あるソネット」13世紀民謡 OP14-4
ああ、あの女(ひと)のことが忘れられたら、
あの美しく、愛らしく、なつかしい物腰、
あの眼差しと、やさしい唇が忘れられたら、
あるいは恋の病が癒えるだろうか!

だけど、ああ、わがこころの病は決して治らない!
しかもあのひとを求めることは狂気の沙汰だ!
あのひとに思いをかけると、決して離れまいという
勇気と生気が湧いてくるのだ。

いったい、どうしてあのひとが忘れられようか、
美しく、愛らしく、なつかしい物腰が、
あの眼差しと、あのやさしい唇が!
恋の病が決して治らない方がずっといいな!  訳詩:志田麓

まあ、単純な恋の歌ですが、アガーテを口説くには、適切な歌だったのでしょう。事実、二人は婚約指輪さえも交わしたのですからね。でも、ブラームスは煮え切らない男でしたね。大望を抱く男には、女は振り回されるもの。ここが人生の岐れ道だったのですね。ブラームスはアガーテと別れて、大作曲家への道を邁進します。

演奏
バリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ


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2020年03月26日

ブラームスの名曲19 歌曲「傷ついた少年」 民謡 OP14-2 2020.03.26

愈々、アガーテ・フォン・ジーボルトの登場です。最初期(1853年)の3つの歌曲集の次の作品、OP14が生まれました。1858年、ゲッチンゲンで出会ったアガーテは、素人でしたが素晴らしいソプラノの美声を持つ娘でした。ブラームスを含めた仲間の集いで、美しい歌声を披露していました。ブラームスは心惹かれ、アガーテのために歌曲を書き、二人は婚約指輪まで交わしたのでした。このゲッチンゲンでは、多くの歌曲が作曲されます。OP14(8曲)、OP19(5曲)、Op20(二重唱曲・3曲)で、その殆どに、アガーテへの想いが投影されています。男歌、女歌があり、男歌はブラームスの感情が、女歌にはアガーテの心情が示されていると想われます。

傷ついた少年 民謡
娘がひとり朝早く起きて、
緑の森に散歩に行こうとした。
さて娘が緑の森に来た時、
そこに傷ついた少年を見つけた。

血で真っ赤になっていた少年は、
娘がその方に向いたら、もう息絶えていた。
わたしのいとしい人の墓のほとりで
追悼する淑女ふたりをどこで頼もうかしら。

いとしい人をお墓まで運んでゆく
六人の騎手をどこで頼もうかしら。
わたしはいつまで喪に服すのかしら、
河がみんなあふれるまでかしら。

もし河がみんなあふれないなら、
わたしの喪は終わらないのでしょうね。  訳詩:志田麓

ソプラノで歌われる短い歌曲、少年の死を悼む詩は不思議な雰囲気を醸し出しています。愛しい少年の死を目前にして、娘は軽いパニックを起こしているようです。埋葬や葬儀の事が頭を巡らしているようです。美しいメロディー、アガーテはきっと天使の美声で、歌った事でしょう。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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2020年03月17日

ブラームスの名曲18 歌曲「調和」OP7-3、歌曲「民謡」OP7-4、歌曲「悲しむ娘」OP7-5 2020.03.17

暗いOP7の歌曲集、短調ばかりで書かれています。その中でも、ソプラノで歌う、静かで、優しいメロディーの美しい歌がありますので、紹介します。ブラームスが20歳に満たない頃作った歌曲です。

調和(共鳴) アイヒェンドルフ詩 OP7-3
静かな丘の森の中に
一軒の家が立っていて、
その森越しに家を眺めると、
淋しげなたたずまいだった。

ひっそりとしたある夕べ
娘がひとり中にいて、
絹の糸を紡いでいた、
娘の婚礼の衣裳のために。

婚礼の衣裳を作るための紡ぎ歌?。何故悲しいのでしょうか? 望まぬ婚礼なのかしら? 張り詰めた澄んだ空気が森を渡ります。

民謡(つばめは飛び去ってゆく) シュヴァーベンの民謡 OP7-4
つばめは遠い異国へ
飛び去ってゆくが、
ぼくは悲しくここにいる、
いやな、つらい時だ。

ここはちっとも気に入らないから、
世界の旅ができたらいいが!
おお、つばめよ、お願いだから、来て、
ぼくに道をおしえて、連れてゆけ!

南西ドイツ・シュヴァーベン地方の方言による詩に付けられた曲。男歌ですかね、若者は異国を夢に観るもの、ツバメの渡りに、切ない思いが込み上げて来ます。羽音のようなピア伴奏に乗って歌われます。

悲しむ娘 シュヴァーベンの民謡 OP7-5
母はわたしが嫌いだし、
わたしには恋しい人もいない。
ああ、わたしはなぜ死ねないの、
どうしたらいいんでしょう。

昨日は桜桃の奉納があったけど、
わたしを見かけたものはいないわ。
だって、わたしとてもかなしいから、
踊ったりしないんだもの。

十字架の墓標に供えてある
三輪のばらをそっとしておいてね、
この下で眠っている娘のことを
みなさんは知っていたの。 

*以上訳詩:志田麓さん

桜桃とはサクランボ、桜桃の奉納とはどんなものなのでしょうか? 娘は生きているのか?死んでいるのか? タイムスリップでもしたのかしら? 過去・現在・未来、今は何処? 不思議な曲です。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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2020年03月13日

ブラームスの名曲17 歌曲「まことの愛」 フェラント詩 OP7-1 2020.03.13

娘がひとり海辺に座り、
憧れの眼差しを彼方に投げる。
「いとしいお方、長い間どこにいるの。
こがれる思いに安らかになれないわ、
おお、今日にも帰って来ればいいのに!」

たそがれは近づき、夕陽は
空の果てに沈んでいった。
「波はあなたを連れもどしてくれないの。
わたしは目をいたずらに遠くに向ける。
いとしいお方、どこであなたに会えるでしょう」

海の波はやさしくて娘の足に戯れる。
幸せだった時の夢のように。
娘はひそかな力で海の底に誘われ、
海辺にははやその美しい姿は見当たらなかった、
娘はいとしい人を見つけたのだ。                     訳詩:志田麓

作品7は6曲全て短調で書かれています。暗い歌ばかりです。この曲も、結論を言えば、自殺の歌と言っても良いようです。海は優しい波で娘を死の底に誘っています。海の底・死の世界で、いとしい人を見つけたのです。美しいピアノ伴奏、切ない歌、名曲です。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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2020年03月09日

ブラームスの名曲16 歌曲「スペインの歌」 スペイン民謡(ハイゼ訳詩) 2020.03.09

作品3と6と7は、シューマンに出会った頃の歌曲作品、若く瑞々しい歌が多く作られています。中でも3-1「愛の誠」、6-1「スぺインの歌」は良く歌われています。

スペインの歌 スペイン民謡(ハイゼ訳) OP 6-1
わたしの巻き毛の髪のかげに
いとしいひとがねむっているの。
おこそうかしら?−いけないわ!

毎朝早くわたしのちぢれ毛を
せっせとすいてみるけど、
骨折り損になってしまう、
だって風が掻き乱すもの。
巻き毛の髪のかげと風の音が
いとしい人を眠りに誘ったのね。
おこそうかしら?−いけないわ!

もうずっと前から思い焦がれて、
あのひとを生かすも殺すも
わたしの小麦色の頬しだいと、
恨めしそうにいうのを聞かされるわ、
おまけにわたしを蛇だといいながら、
わたしに寄り添って寝てしまった。
おこそうかしら?−いけないわ!

訳詩:志田麓

独特のスペイン風リズム、結構婀娜っぽい女の歌です。私は「カルメン」を思い出してしまいます。
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2020年03月07日

ブラームスの名曲15 歌曲「愛の誠」 ライニック詩 op 3-1 2020.03.07

ブラームスの20歳頃の作品。世に出るため、ドサ回りをしていたブラームスが初めてシューマンを訪れた際に、持っていた自作の一つ。シューマンの前で、ピアノソナタ2曲とスケルツォなどを弾き、聴いて貰い、熱狂の賛辞を得ました。早速、出版社を紹介されて、若きブラームスの最初の楽譜が刷り上がりました。その中に歌曲があり、作品3(6曲)として世に出ました。中でも一番評価が高かったのが、この「愛の誠」で、そのため作品3の1として名を連ねました。

母と娘の愛の誠に於ける応答を歌ったものです。心配をする母、でも自信満々の娘、何処にでもある話です。

愛の誠 ライニック詩
「我が子よ、おまえの悩みを沈めなさい、
海の中へ、深い、深い海の中へ!」
石ならば海の底に沈んだままでしょうが、
私の悩みはいつも浮かび上がるものよ。

「それに、おまえの胸に懐く愛を
破り捨てて仕舞いなさい、わが子よ!」
花なら手折れば枯れるでしょうが、
わたしの愛はそんなに早くは消えないの。

「愛の誠なんて、ただ口先だけだったのよ、
風の中にそんなの吹きとばしなさいな!」
おお、おかあさん、岩が風に砕けても、
わたしの誠はあの人をつなぎとめるわ。

訳詩:志田麓

女歌で、一人の歌手が歌うのですが、母のパッセージでは不安げに諭すように、娘のパッセージでは愛を夢見るように、伴奏共々歌われます。

演奏
@ソプラノ:ジェシィ−・ノーマン ピアノ:ダニエル・バレンボイム
Aメゾソプラノ:ブリギッテ・ファスベンダー ピアノ:Irwin・Gage
Bソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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2019年04月21日

ブラームスの名曲14 ネーニエ(哀悼歌)Op.82 2019.04.17

ブラームスと言う作曲家は、見栄や虚飾を嫌った内気で内省的な人であったようです。ほぼ彼の全曲を聴いて気付いたのは、ブラームスの作品は多岐に渡っていますが、オペラだけは書いていません。たったひとつと言って良いほどに、彼の作品目録にはオペラというジャンルがないのです。このように内に秘めた情念や思想を持つ作曲家として、それを表現するには正直者であったブラームスにとって、オペラは不向きであったようです。生涯の内にオペラ試作の痕跡はあったようですが、それもカンタータ(リナルド)などに代わってしまっています。

ブラームスはリアリストでありました。嘘八百を紡いで、歌物語(オペラ)を書くことはブラームスの性格上無理だったようです。まあベートーヴェンもそれに近く、オペラは「フィデリオ」一曲に留まっています。人間の真実を音楽にしたブラームス、嘘を付かないノンフィクションの音楽に徹したのでした。

それでもブラームスは、当時の最大の声楽曲の作曲家でありました。歌曲と合唱曲を合わせて都合300曲は書いています。どれもこれも傑作で、駄作は一曲もありません。オペラの代わりになる十分な歌の曲が並んでいます。ここでは、リアリストのブラームスが作った声楽曲の一つ「ネーニエ」を紹介します。

ネーニエは、ウィーンで知り合った画家=アンゼルム・フォイエルバッハがベネチアで死んだのを偲んで、1881年に作曲されました。画家・フォイエルバッハの作風は、古典の知識を持ち、彫像のような優美さと気高さがあり、古代ギリシャ芸術の簡素さを持っていたと伝えられています。ブラームスはそんなフォイエルバッハの画家としての器量に見合った古代ギリシアの三篇の神話を盛り込んだシラーの詩・ネーニエを見出します。それをオーケストラ付きの合唱曲に仕上げたのでした。フォイエルバッハの母に捧げたところ、その哀れな母親は大層喜んで、生涯この曲を聴くのを楽しみにしていたそうです。

ネーニエ(哀悼歌)  詩・フリードリッヒ・フォン・シラー

美しき者とて滅びねばならぬ!、それこそが人々と神々を支配する掟

地獄のゼウスの青銅の心臓を動かすことはない

かつてたった一度だけ 愛がその闇の主の心を溶かしたことはあったが

出口にたどり着かぬうちに、厳しくも、彼はその贈り物を取り返したのだ

アフロディテさえも かの美しい少年の傷を癒すことはないだろう

その華奢な体をかの猪が残酷に引き裂きしものを

神々の英雄をも その不死の母が救うことはなかったのだ

スケイアの門にて倒れ、彼が死の運命を受け入れしときにも

けれども彼女は海底よりネレウスの娘たちと共に上がり

偉大な息子のために嘆きの歌を歌ったのだ

見よ!神々が泣いている、女神たちも皆泣いている

美しきものが色あせることに 完全なるものも死にゆくことに

愛する者の口より出ずる嘆きの歌は素晴らしいものだ

なぜなら凡人たちは音も立てずに冥界へと降りてゆくのだから


古代ギリシアの三篇の神話
・オルフェウスが死んだ妻エウリディーチェを冥界から連れ戻そうとした話
・美の女神・アフロディテがキューピットの矢を間違って受けて仕舞い、愛する事になった人間の美少年アドニスが、猪に殺されてしまった話
・アキレス腱のアキレスが、唯一の弱点・踵を射られて死んでしまい、アキレスの母で海神ネレウスの娘・テティスが姉妹を引き連れて海から上がり、嘆きの歌を歌った話。

シラーはこの三篇を上手くつなげ、哀悼の想いを詠い上げたのです。

素晴らしい友人だった者への哀悼の歌、ブラームスのネーニエ

参考:梅丘歌曲会館 詩と音楽よりから引用
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2019年02月11日

ブラームスの名曲13 「愛の歌」「昔の恋」 2019.02.11

先程まで作品69から作品94までを聴き通しました。作品69、70、71、72、84、86、94。どれもこれもブラームス中期の名曲ばかりで、全て紹介したいのはやまやまですが、そんなに簡単ではありません。今回は作品71-5の「愛の歌」と作品72-1の「昔の恋」をお伝えしましょう。後は次回以降に…。

ヘルティの「愛の歌」の詩は有名で、シューベルトやメンデルスゾーンも曲を付けています。但し、ブラームスの「愛の歌」が今日では広く歌われており、一番有名です。当時のテノール歌手・グスタフ・ワルターの強い希望で、高音用のハ長調を原調としていますが、ブラームスは低音域のニ長調が良いと考えていたようです。男声のテノール用の歌曲です。

愛の歌  詩・ヘルティ  作品71-5

ぼくの青春の心を奪った
天使のように浄らかな人が
杜の中をさまようときは
鳥の歌もいっそう美しく響く。

いとしい人の指が
すずらんの花を摘んだ所では、
谷や野の花はいっそう赤く、
芝生はいっそう青々とする。

あの人抜きではすべてがむなしく、
花や草も枯れしぼみ、
春の夕映えもぼくには
美しくも楽しくも思われない。

いとしい恋しいきみよ、
けっしてぼくを見捨てたもうな、
この野さながらに、ぼくの心にも
歓喜の花が咲きでるように!

「昔の恋」はブラームス歌曲の傑作の一つです。ト短調の曲で微妙なメランコリーが表現されています。過去と現在が行きつ戻りつするような不安な気分にさせます。やはり主人公は昔の恋に思い煩っているのです。昔の恋は独語ではアルテ・リーベと申します。今も存在しますが、横浜日本大通にはこんな名のレストランがありました。妻と数回行った記憶があります。若き田舎者(25歳ぐらい)でした私はその西洋そのものの空間に驚いて、料理を味わう余裕などありませんでした。でも美食のカルチャーショックは受けました。好い雰囲気の好いレストラン、お伽噺のような幸せがあります。

昔の恋  詩・カール・カンディドゥス  作品72-1

黒い羽のつばめが
遠い国から帰って来る。
おとなしいコウノトリも来て、
新たな幸せをもたらす。

こんな春の朝に
霞につつまれて、暖かく、
むかしの悩みをまた
味わうような気がする。

誰かがそっと肩を叩いたような、
一羽の鳩が飛んだので、
その羽音が聞こえたような、
ぼくはそんな気持ちなのだ。

扉をトントン叩く音がするけれど、
だれもそとにはいないし、
ジャスミンの馨りをすったが、
ぼくは花束ひとつ持っていない。

遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ、
ひとつの目がぼくを見つめている、
むかしの夢がぼくをとらえて、
ぼくに夢の跡を追わせるのだ。

訳詩:志田麓さん

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2018年08月23日

ブラームスの名曲12 ホルン三重奏曲変ホ長調Op40

ブラームスには作品番号の付いた室内楽作品は全部で24曲あります。勿論、ハイドンやモーツァルトに比べればものの数ではありませんが、どれを採っても優れた作品ばかりであり、その全作品は現代でも頻繁に演奏会に取り上げられています。全く駄作は無く、各曲が個性的であり、恐らく完全無欠の作品群と申しても異論は無いでしょう。聴く側にとっての難点は交響曲同様に娯楽性が少ない事、聴衆に阿らない(おもねらない)ブラームスの、その堅い鰹節のような音楽、ジックリ噛み込んで、その濃厚な妙味を味わいましょう。歯が悪くてはブラームスは聴けません?。

管楽器を使用した室内楽は全部で5曲あります。それはクラリネットに偏っていて、クラリネットの室内楽は4曲もあります。即ち、残りの一曲が金管楽器のホルンを使ったもので、このホルン三重奏曲変ホ長調Op40です。フルートもオーボェもファゴットもトランペットもありません。ブラームスはモーツァルトのような遊び心が無かったのかも知れません。まあ、私のブラームス感から申せば、自然愛好者でロマンチスト更に感傷的なブラームスですから、フルートの巨匠性やオーボェのハイテンション、ファゴットのコミカル性やトランペットの饒舌性は不向きと思われます。内向的な正直者のブラームスには、ホルンとクラリネットが適宜と思われます。因みに弦楽器ではチェロとヴィオラが最適です。願わくばブラームスに、チェロとヴィオラ、そしてクラリネットとホルンの協奏曲を書いて欲しかったですね。世界中の今申した楽器の名演奏家達がつくづく言っています。「ブラームスに私の楽器のコンチェルトを書いて欲しかった」。因みにそう言った各楽器の稀代の名プレーヤーを紹介しておきます。ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)、ユーリー・バシュメット(ヴィオラ)、レオポルト・ウラッハ(クラリネット)、リヒャルト・ミュールフェルト(クラリネット)。

発想は1857年から勤務していたデトモルト時代に遡ります。デトモルト宮廷にあったオーケストラのホルン奏者アウグスト・コルデスと知り合った事から始まります。ブラームスはそこでコルデスの吹くホルンの音色に魅了され、何時かホルンを使った曲を書いてみたいと念じ、原案を認めていました。但し、この時期に発表されたホルンを使った曲は、Op17の女性三部合唱で、二本のホルンとハープの伴奏の珍しい、しかし美しい合唱曲でした。

そしてその後の1865年に、念願だったホルンを使った室内楽が誕生しました。それはホルン三重奏曲変ホ長調Op40でした。ここで使われたホルンは何と、現代のオーケストラで使われているヴァルブホルン(有弁ホルン、フレンチホルン・ウィンナーホルン)では無く、ブラームスは無弁のナチュラルホルンを指定しました。ブラームスとはこう言う男、音楽界の誰もが喝采した新しく発明されたヴァルブ付きのホルンには背を向け、依り自然な音色が出るナチュラル(無弁)ホルンを選んだのでした。無弁ホルンは、倍音系の音以外はホルンの朝顔(広がった部分)を手で押さえ、その開閉で、音階の全ての音を出す事が可能です。ブラームスは音楽界に小さいけれど新たな提言をしたのでした。尚、現代では滅多に無弁ホルンは使われていません。

楽器編成、ホルン、ヴァイオリン、ピアノ

第1楽章
1部(A部)ーアンダンテ、変ホ長調、2/4拍子 2部(B部)ーポーコ・ピウ・アニマート(少し、だんだん強く、活気を持って)、ト短調、9/8拍子。
以上の部分の複合二部形式。冒頭の楽章にソナタ形式を使わない特異な楽章の並びを持ちます。これはバロック時代の教会ソナタの楽章配置と言われています。先の二つの部分を、ABABABの形で並べています。長閑な田園の趣があります。美しい自然に心時めいて...、貴女を想って…、物思いに耽って…。極めてロマンティックな楽章です。

第2楽章
スケルツォ、アレグロ、変ホ長調、3/4拍子、複合三部形式。
草原で踊り狂う活発な諧謔曲、されど中間部はポコッと穴が抜けたようにそこに湖が現れます。センチメンタルな風が渡ります。

第3楽章
アダージョ・メスト、変ホ短調、三部形式、6/8拍子。
アダージョ、ゆったりとしたピアノのリズムに乗ってホルンとヴァイオリンが呼応しながら歌って行きます。メスト、それは悲し気なメロディー。母の死へのレクイエムのよう…。母への感謝が溢れて…。

第4楽章
フィナーレ。アレグロ・コン・ブリオ、変ホ長調、6/8拍子、ソナタ形式。
ここで初めてソナタ形式が現れます。第3楽章の悲しみは忘れてホルンが奔放に爆発します。生き生きとした生命力に溢れます。


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2018年08月22日

ブラームスの名曲11 クラリネット五重奏曲ロ短調Op115 2018.08.21

四つの交響曲、四つの協奏曲、ドイツレクイエム、数多の室内楽とピアノ曲、そして無数の歌曲、功成り名を遂げヨーロッパ楽壇の第一人者となったブラームスには名誉が押し寄せました。ブレスラウ大学から名誉博士の学位(1879年)、プロイセンから功労勲章(1887年)、オーストリア皇帝よりレオポルト勲章(1889年)、ハンブルク市からは名誉市民権(1889年)、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから「芸術と科学に対する金の大勲章」(1895年)数々の栄誉が授与されました。

しかし、絶頂期を迎えたまでは良かったのですが、体調悪化も手伝い、ブラームスは第5交響曲執筆を断念、創作力の衰えを痛感しました。「歳を取り過ぎた、もう引退だ」と言い、余った草稿を破り捨て燃やしてしまい、遺書の執筆を始めました(1890年)。

ところがマイニンゲンオーケストラのクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトと知り合い(1891年)、その素晴らしいクラリネットの魅力に取り付かれたのでした。直ぐにその年の内に、ブラームスは2曲のクラリネット室内楽を作曲してしまいます。ブラームスとクラリネット、ここで運命的な出会いが始まったのでした。この後、ブラームスが死ぬまでに、都合4曲のクラリネット室内楽が産み出されたのです。ミュールフェルトが一番待ち望んでいたのがクラリネット協奏曲でしたが、残念ながらクラリネット協奏曲は無視されました。年老いたブラームスは己を知っていて無理をせず協奏曲は諦めて、飛び切りの室内楽の名曲を4曲を書くのでした。

ブラームスの創作力はクラリネットによって蘇りました。第5交響曲とクラリネット協奏曲は実現できませんでしたが、クラリネット室内楽の他に20曲に及ぶピアノ小品、ブラームスの遺言とも言える歌曲「四つの厳粛な歌」とオルガンのコラール前奏曲が生れたのです。ブラームス最後の傑作の噴出でした。

クラリネットの室内楽は4曲あります。最初がクラリネット三重奏曲イ短調Op114、次にクラリネット五重奏曲ロ短調Op115、そして3年後に二曲のクラリネットソナタ第1番ヘ短調Op120-1と第2番変ホ長調Op120-2が作曲されました。全てが名曲中の名曲ですが、一際優れて傑作なのがクラリネット五重奏曲ロ短調です。但し、最も深い内容を持つために、その表現は晦渋であり、聴き辛さが否めません。全体に暗い情緒が横溢しており、晴れる事の無い悲しみに沈んでいます。他の3曲は比較的聴き易く、遊び心も満載されているのですが…。

ある評論家がこれと同じ編成を持つモーツァルトのクラリネット五重奏との比較をしています。モーツァルトの方は晴れ晴れとした天上的な悲しみ、ブラームスの方は欝々とした地上的な悲しみ、ブラームスは余りにもリアリスティック(現実主義的)で、音楽の精神の浄化作用に欠けていると言いました。なるほど中っているなと感心しましたが、それは音楽の側面のほんの一部を証したもの、音楽は快楽的に浄化作用をするだけでは無いのです。唯単に人を気持ち良くするためだけに音楽があるのではありません。音楽と共に慟哭して知り得る音楽もあるのです。ブラームスは深く心に刻み付ける音楽、心が共感する音楽、そこにブラームスの精神の浄化作用があるのです。

第1楽章はロ短調のアレグロでソナタ形式6/8拍子、諦観に溢れていますが、闘争心もあります。曲全体を統率する第1主題と、それに呼吸を合わせ哀願するような第2主題で構成されています。明確な楽章で、ソナタ形式の粋が感じられます。

第2楽章はロ長調のアダージョで三部形式3/4拍子、ハンガリア風の情緒があります。悲しい郷愁に溢れていて、ブラームスの心の内の楽園は、こう言ったものかも知れません。しかし中間部は可なり異なります。クラリネットが巨匠風に活躍し、ジャポニスク(日本風)に影響を受けたブラームスのエキゾチシズム(異国情緒)が溢れます。このクラリネットの独奏はまるで日本の尺八を連想します。風雅と喧騒が重なり合い、エキサイティングな興奮が生み出されます。リアリストのブラームスとしてはエンターテインメントに擦り寄った数少ない楽句と言えます。

第3楽章はニ長調のアンダンティーノで間奏曲風、三部形式で4/4拍子。中間部のプレスト(2/4拍子)が主要部で、両端のアンダンティーノは、前奏と後奏の役目を果たしています。プレストは焦燥感があり、せかせかした印象もありますが、そのささくれをアンダンティーノの優しい歌が慰めてくれます。

第4楽章はロ短調コンモート(動きを持って)でヴァリエーション、2/4拍子。この楽章は最早人に聴かせる音楽からは逸脱しています。これはまるでブラームスの独白のよう…。自らで自らを慰める音楽、ロマン派ではなく近代の音楽…。
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2018年07月28日

ブラームスの名曲10 ジプシーの歌「幾度も思い起こすか」 op103-7 2018.07.28

ハンガリー舞曲を書いたように、ハンガリージプシーの音楽に惚れていたブラームスが書いたハンガリー風の歌曲「ジプシーの歌」。活発な元気印の歌が大半ですが、中に一曲、愛らしい抒情歌があります。それがこの「幾度も思い起こすか」です。詩(詞)を観れば男歌と思われますが、普通は女性ソプラノが歌うようです。フーゴ・コンラートのテキストが使われています。優しい心根の美しいメロディーの歌です。

ジプシーの歌第7曲「幾度も思い起こすか」(ハンガリー民謡から)フーゴー・コンラート独語訳詩

幾度も思い起こすか,いとしいひとよ.

きみ(あなた)がかつて聖なる誓いによって約束したことを!

ぼく(わたし)を裏切ったり,捨てたりしないでほしい.

ぼく(わたし)がきみ(あなた)をどんなに愛しているのか,わからないかね(わからないのかしら).

ぼく(わたし)がきみ(あなた)を愛しているように,きみ(あなた)もぼく(わたし)を愛してほしい.

そうしたら,神の恩寵(おんちょう)がきみ(あなた)に注がれるよ(注がれるわよ)!  

                               訳詩:志田麓さん

                        カッコ内は私が女歌に変えました。

ジプシーは音楽民族でありまた舞踏民族、その音楽は独特のリズムやメロディーがあり、愛や情熱が籠められたものが多いのです。それを愛したブラームス、他のハンガリー生まれの作曲家を尻目にドイツ人がジプシーの香り高い名曲を書いてしまう、F・リスト当たりのハンガリー作曲家は忸怩たる思いが込み上げたでしょう。まあ、誰が作ったって好いじゃありませんか、素敵な名曲ならばね。
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2018年07月25日

ブラームスの名曲9 ヴァイオリンソナタ第1番ト長調Op.78「雨の歌」2018.07.25

今までライブドアブログ「葛原岡ハイキングコース」を書いていたのですが、この間、常に我がラジカセから流れていたのは、ヘンリク・シェリング(vn)とアルトゥール・ルービンシュタイン(p)の1960年録音のブラームスヴァイオリンソナタ全集でした。ブラームスには3曲のヴァイオリンソナタがありまして、1番、2番が中年の作、3番が老境の作で、3番だけ短調で書かれています。古今東西のヴァイオリンソナタの中で、このブラームスの3つ作品は傑作で、他に並ぶ作品は少ないと思われます。

1番は「雨の歌」と題されていて、第3楽章に自作の歌曲「雨の歌」のテーマが使われています。「タンタターン」この雨垂れのテーマです。このテーマが変容されて、澱みなく展開されて行きます。これほど流動的で無駄のない音楽は、ブラームスとしては稀で、インスピレーションに溢れています。全作品の中でも最も爽やかな曲の一つです。

でも私が好きなのは第2楽章、ブラームスの緩徐楽章では珍しい”アダージョ”が使われています。しっとりと歌われて行きます。まるで夢見るように...。木陰のテラスで物思いに耽るように...。そして中間部では、追憶が追いかけます。それはレクイエムのように哀悼に満ちて…。今は亡き、花嫁に寄せる哀悼歌…。心が捩れるほどに狂おしいレクイエム…。これがブラームスの感情、これがブラームスの精神。

シェリング、ルービンシュタイン、これ以上の演奏はありません。絶妙のブラームスです。
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2017年06月29日

ブラームスの名曲8 歌曲「野の侘しさ」 OP86-2

娘の夏子が伴奏の仕事を請け負ったそうです。その曲の中にブラームスの歌曲作品86-2「野の侘しさ」がありました。先日夏子は私の部屋を訪れ、この曲のCDを貸してくれと所望しました。そして先程、一寸した甘いお菓子を添えてこれらのCDを返して寄こしました。そこで久し振りに、フィッシャー・ディースカウが歌うこのブラームスの「野の侘しさ」を聴いてみました。

「野」は野、もしかしたら麦畑かも知れません。「侘しさ」とは日本語で言えば、力が抜ける感じ、心細い、頼りない、もの悲しい、くるしい、つらい、みすぼらしい、貧しい、やりきれない、困った事だ、おもしろくない、つまらない、物静かである、心さびしい、などが広辞苑には書いてあります。

否定的なネガティブな意味が並んでいます。されどこのブラームスの「野の侘しさ」は、むしろ肯定的で、ポジティブな要素が多分にあります。ここでは、もの悲しい、物静かである、心寂しいが、的確かと思われます。

たった一人野に出て、孤独を味わい、自然に融けて、自由を楽しんでいる、そこにこの世に生きる喜びがしみじみと湧き上がるのです。野の緑、空の青、雲の白、こおろぎの歌、野の侘しさの中、生と死を想うブラームスが浮遊しています。

野の侘しさ OP86-2 詩:ヘルマン・アルマース

高く生い茂れるみどりの草にいこい、
私はじっと空を見上げている。
まわりでこうろぎはたえまなく鳴き続け、
空の青さはわが身のまわりを美しく取り巻く。

白く美しい雲は、あたかも静かな夢のように、
深い青の中を軽くすぎて行く。私もまたずっと前に死んでしまって、
雲と共に際なき空を、楽しく去りゆく思いがする。

バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ ピアノ:イェルク・デムス
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2017年04月01日

ブラームスの名曲7 オルガンのためのフーガ変イ短調WoO8

ブラームスが少年の頃より抱いていた志は、偉大な音楽家(芸術家)になる事でした。本当の芸術とはどんなものか、ブラームスは思考を重ね、過去の文献を辿り、英知を見出しました。それはゲーテやシラーの芸術家の心得に関する格言(箴言)でした。

ゲーテ:「大衆の温和な反応は、中庸な芸術家にとっては励みとなるが、天才にとっては侮辱であり、また恐るべきものだ」。

シラー:「真の天才は、時として他人の賛辞で慰めを得る事もあるが、創造力溢れる感情を得れば、直ぐにそのような松葉杖にすがる必要がなくなるものだ」

以上のような芸術家の心得を少年時代に学び、その後大作曲家になった後もブラームスは死ぬまで、このような箴言(しんげん・いましめとなる短句)を守り通した作曲家でした。

奇異な音響で聴衆を驚かせる事は皆無で、聴衆(大衆)に阿ず(おもねず)、極力外的なパフォーマンスを避けた作曲活動をしました。

従って、ブラームスに慣れない聴衆は、ブラームスが何を言いたいのか、何を表現しようとしているのか、解らない人が多数いました。しかしブラームスはそんな事に頓着せず、自分が信ずるゲーテやシラーの箴言通りの生き方をしました。そんなブラームスが最も良く表れたのが、このオルガンのためのフーガ変イ短調です。

参考:三宅幸夫氏著のブラームス

これは不思議な曲です。私も最初は何が何だか解りませんでした。しかし何遍も重ねて聴いて行く内に、ブラームスの切実なる感情が聴き取れるようになりました。深い愛情と哀悼、そこにはブラームスの涙がありました。

自らピアニストとして愛したレパートリーの中に、ベートーヴェンのソナタ「葬送」があり、「ある英雄の死に捧ぐ」と題された「葬送行進曲」が変イ短調で書かれていたため、それに倣ってこのフーガを変イ短調にしたのだそうです。この感情は変イ短調でなければならぬとブラームスは確信を持っていたのです。直前に亡くなったシューマンに捧げるべく、ベートーヴェン縁の変イ短調を拝借したのだそうです。変イ短調は、♭が7つある特異な調性です。

参考:CD付きブックレットの山野雄大氏の解説



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2016年12月04日

ブラームスの名曲6 ⦅アガーテ⦆のイマージュ 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調、第2番ト長調 2016.12.03

夏の休暇で出向いた西北ドイツの都市ゲッティンゲンでブラームスは初心な娘アガーテと出会いました。やがて美しいソプラノの声を持つこの淑やかな娘にぞっこんとなり、アガーテもブラームスに応え、二人は恋に落ちました。指輪まで交わした二人でしたが、未練を残したクララとの三角関係を憂いたブラームスは、愚かにもアガーテと仲違いし、婚約破棄を言い渡されました。誰よりも素晴らしい女性を手放してしまったブラームス、その痛手は大きく、その直後から、アガーテの移り香に咽ぶが如き美しい二つの弦楽六重奏を書いて、束の間の恋の思い出として残しました。

第1番の変ロ長調は先に完成されて、そのアガーテへの醒めやらぬ感情が直線的に爆発します。そこにはブラームスの幾多の室内楽の中でも殊の外有名なバリエーション(第2楽章)があり、のたうつような愛欲が表現されています。嘗てのルイ・マル監督の1959年のフランス映画「恋人たち」で、ジャンヌ・モロー扮する女とその愛人が絡み付くように戯れながら森を彷徨うシーンで使われました。男女の愛欲が音楽によって高度に増幅されて行く際どいシーンは、一躍このバリエーションを有名にしました。

第1番に負けず劣らずの美しい第2番ですが、1番と同時進行していたのですが、完成は遅れ、1番から5年後の1865年に脱稿しました。従って1番のように直接的な熱情は少なく、青春の美しい思い出としての位置づけがされる曲です。愛おしく懐かしむような風情があります。そして特筆すべきは、ここにはアガーテへの愛の刻印が標されている事です。A−G−A−T(D)ーHーE(アガーテの音名)の刻印が…。第1楽章のコデッタ(小結尾部)に3回ほどこの音形が現われます。展開部の前の静かな一節、春の風のような仄かな愛が香ります。


一方のアガーテも負った痛手は相当なものであったようです。不信感もあったのでしょう。その後のアガーテは立ち直るのも遅く、婚期は遅れたそうです。でもブラームスが残したアガーテの痕跡は確かなもので、20世紀過ぎまで生きたアガーテは、ブラームスの愛を汲み取ったようでした。晩年には「大作曲家の思い出」?と名したエッセイを残しています。
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2016年11月22日

ブラームスの名曲5 歌曲「エーオルスのハープによせて」op19-5 2016.11.22

ブラームスは1857年(24歳)の秋から、北西ドイツのデトモルトの宮廷で音楽教師の職を得ました。この自然豊かな宮廷で、そこの子女の音楽講師をしたり、合唱団の指揮者をしたりして、職務に勤めました。大変気に入っていた仕事でした。

デトモルトの近くにはゲッティンゲンと言う大学を中心として栄えた大学都市があり、そこにはブラームスの同僚のオットー・グリムがいました。夏の休暇にグリムと合うために、ゲッティンゲンを訪れたブラームスは、そこで麗しい女性と懇意になります。それはこの地のゲッティンゲン大学教授の娘で、名をアガーテ・フォン・ジーボルトと言いました。早速二人は恋に落ち、指輪を交わして婚約を誓いました。しかし、ハンブルクの貧民窟出のブラームスと身分違いの上流階級の娘・アガーテ、そしてここで結婚しては、クララ・シューマンと縁が切れるのではないかとの不安、正気に返ったブラームスは、愚かにもアガーテに余計な手紙を出し、結婚に逡巡している旨を伝えてしまったのでした。失望したアガーテは、婚約破棄を主張し、敢え無く二人は離別の道を選びました。身分違いの恋でもあり、ブラームス、アガーテ、クララの三者によるブラームス自身が勝手に思い込んだ三角関係、結局この別れは、時の必然であったようです。大志を抱く芸術家の陥りやすい将来への狼狽があったようです。

それでも二人は幸福だったのです。ブラームスが作った歌曲を、ソプラノのアガーテが歌う、それは二人だけの時もあったでしょうし、仲間の集いの時もあったでしょう。兎に角二人は祝福されていたのです。作品14や作品19は、アガーテに歌ってもらうために書いた曲が並んでいます。「傷ついた少年」、「別れ」、「あこがれ」、「鍛冶屋」、「エーオルスのハープによせて」などが女歌で、アガーテが歌ったでありましょう。反対に「窓の外で」、「ソネット」、「恋人のもとへ」、「セレナード」、「口づけ」などが男歌、ブラームスのアガーテへの思いが籠められています。

アガーテ・フォン・ジーボルトは、幕末の有名なオランダ人(本当はドイツ人)医師・フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト(シーボルト)と親戚です。またアガーテは晩年に、ブラームスの思い出を語った手記を発表しています。

*フォン(von)はドイツ語の前置詞(英語のofと同じ)、主に貴族を示す言葉(姓)として使われました。これによればアガーテは貴族の出と言う事になります。アガーテが名、フォン・ジ−ボルトが姓です。


エーオルスのハープによせて メーリケ詩 op19−5

この古いテラスの
きづたの這う壁にもたれた,
風からうまれたミューズの奏でる
ふしぎなハープよ,
始めよ,
妙なる調べの嘆きを
ふたたび始めよ!

風よ,おまえたちは遥かかなたの
わたしがあんなに愛していた,
あの子の緑したたる
塚を撫でてきたんだね。
途中で春らんまんの花を掠め,
花の香をはらんで、
この心をうっとりと酔わせ,
ハープの絃吹き鳴らす。
風は愁いを含んだ美しい調べに魅せられ,
わが憧れの心の赴くままに吹きつのり,
やがてまた力を弱める。

さて、不意に,
風がいちだん強く吹きくれば,
ハープは美しい調べを奏で,
たちまち心を感動させながら,
再び甘美なおどろきへ誘う。
このとき満開のばらは風に揺れて,
わが足もとに花びらをみな撒き散らす。

素晴らしい詩ですね。風と花とハープ、そして弟への愛と悼み、余韻が囁く香りと響きの鎮魂歌。

エーオルスとはギリシャ神話の風の神の事、こう言った名は様々な発音があり、エーオルスをアイオロスとも呼びます。エーオルスのハープは、またの呼び名をエアリアンハープとも言い、自然の風で鳴る弦楽器です。気持ちの良い協和音で調弦されており、弦を通過した風が作る空気の渦(カルマン渦)が発音の源で、カルマン渦が発音のエネルギー源となっています。倍音系で共振する構造を持ち、本体の空洞に共鳴させて、大きな音を得る仕組みを持ちます。

この詩は元来、メーリケが弟の死を悼んで書いたもの、従って女声のためだけの歌ではありません。男性が歌っても一向に構わないのです。けれども、私には女声が好ましい、こんな繊細なメランコリーは、やはり女性が歌うもの…。私は偏見を持っています。歌は女が歌うもの…と…
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2016年11月21日

ブラームスの名曲4 歌曲「すぐ来てね」op97-5 2016.11.21

ブラームスの歌曲は、彼の生涯の全ての年代に亘って作曲されています。正にブラームスの自家薬籠中の産物だと言う事が出来ます。交響曲作家として大成し、見事なピアノ曲や室内楽曲も数多残しましたが、歌曲ほどの日常性は無かったと思われます。歌曲はブラームスの粋です。

日常的に、常に歌曲に関心を持っていましたが、その創作意欲が最高潮に達した瞬間は、やはりその陰に女性、主に女性歌手が存在した時でした。その愛する女性の名を列記すれば、その歌曲がどのように作曲されたか、大方の見当が付くものと思われます。それぞれの時代のブラームスの傍にいた女性歌手達です。

◎アガーテ・フォン・ジーボルト 関与曲:エアリアンハープに寄せて

*ベルタ・ポルプスキー(後結婚でファーバー) 関与曲:揺り籠の歌(ブラームスの子守唄)

*アマーリエ・バイス(既婚) 関与曲:アルトラプソディー

◎ユーリエ・シューマン(シューマンの三女、歌手で無い) 関与曲:ワルツ愛の歌、合唱曲「アルトラプソディー」

◎マリーエ・ルイーズ・ドゥストマン(ウィーン宮廷歌劇場歌手、ブラームスのウィーン進出を勧めた人)

◎エリザベート・フォン・シュトックハウゼン(歌手で無い) 関与曲:如何におわす我が女王

◎オッテリーエ・ハウアー

◎ヘルミーネ・シュピース 関与曲:歌の調べのように、まどろみはいよいよ浅く、他多数

*マリア・フェリンガー(既婚)

◎アリーチェ・バルビ(29歳差、当時31歳、ブラームスが60歳)

などの女性歌手が上げられます。この内、亭主持ちも何人かいますから、◎印が恋愛の対象と言えます。特に熱烈だったのが、アガーテ・フォン・ジーボルトとヘルミーネ・シュピースです。

アガーテ・フォン・ジーボルトは婚約者でありながら、後に婚約解消をします。アガーテは素晴らしいソプラノの持ち主…。クララ・シューマンを諦めて最初の恋。

そしてヘルミーネ・シュピースとの恋は、結ばれる寸前まで行くのですが、何故か自然消滅をしています。まあ、歳の差が26歳ありましたから、自然消滅は仕方がないと言えば仕方がない…、されどヘルミーネはずっとブラームスの求婚を待っていたそうです。ブラームスの優柔不断が災いしています。されどされど、それで良かったとブラームスファンは思いますでしょう。幸せ過ぎて腑抜けになり、その後の大傑作は生まれなかったかも知れませんでしたからね。

今日は、ヘルミーネを思いながら、友人の詩人・クラウス・グロートと作った「すぐ来てね」を紹介します。

ある日ブラームスとグロートはお茶(お酒?)を飲みながら、愛しいヘルミーネの話をしていました。ヘルミーネに出会って間もない二人は、共にヘルミーネにぞっこんで、賛美の言葉を並べ立てなければ居ても立ってもいられませんでした。そんな折、興が乗ったグロートはヘルミーネの言葉の仕草を真似て、一節の詩を認めました。それをブラームスに見せると、今度はブラームスが五線譜を取り出して、その詩にすらすらと曲を付けました。そこで出来上がったのが、この愛らしい「すぐ来てね」でした。ピアノに向かいブラームスが歌ったかどうかは定かでありませんが、恐らく私は歌ったと確信しています。ヘルミーネの美しい仕草に、熱い思いを籠めて…


  すぐ来てね 詩:クラウス・グロート op97-5

いったいなぜ毎日
待っているのかしら
庭の中では
百花繚乱の美しさよ。

ここに来て、美しく咲く花を
かぞえるのは誰でしょう。
花を眺める人は
ほとんどいないようなの。

わたしの親しい人たちは
藪から林へとそぞろ歩き、
わたしは、ほかの人たちも
夢見心地だろうと思うの。

わたしに誠意を示した
親しい人たちの中に
あなたがいてくださると
嬉しいのだけど!         訳詩:志田麓さん

慎ましくもやや滑稽なピアノ伴奏、それでも「すぐ来てね」と歌い出す歌は色に溢れていて麗しい乙女の香り、思わず微笑んでしまう初心な曲。
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posted by 三上和伸 at 22:22| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

ブラームスの名曲3 バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ドイツ3Bの証拠、ソナタとフーガ  

”ドイツ3B”と言う格付けがある事を、ご存知の方は多いと思います。これはバロック時代から古典・ロマン・近代までの凡そ300年の音楽の歴史の中で、その歴史の節目に存在し、その証人になった作曲家を三人選んだもので、その名のイニシャルがBで始まっていた事から、ドイツ3(大)Bと名付けられました。

その三人とは、バロックのバッハ、ウィーン古典派のベートーヴェン、ロマンから近代のブラームスで、その名付け親は、ブラームスの楽友である指揮者にしてピアニストのハンス・フォン・ビューローでした。

バッハは対位法を操り、様々な形式を見出し、バロック音楽を完成した人で、今日の音楽の礎を築いた人でした。また尚も偉大な宗教音楽家(ドイツ・プロテスタント)でもあり、神への帰依の下、音楽を神に捧げました。

ベートーヴェンは究極のソナタ形式を完成した人で、拡大された堅固なソナタ形式を用い、個人の考えや思想を表現しました。音楽が単なる娯楽の慰み物で無く、人間の感情や思想を具現する表現手段として活用する事を決断し、音楽を芸術の領域へ高めました。そして新たなロマン派音楽の台頭を示唆しました。

ブラームスはロマン派と近代の狭間に生き、過去の音楽を調べ、譜面も怪しかったルネサンスの昔から当代までを研究し尽くし、それを己の表現手段として活用した人でした。爛熟極まる19世紀末に、過去の音楽遺産を精査し、西洋音楽を総括したのでした。ロマンの果てに堕落し放題であった当時のロマン派音楽界を目覚めさせるために、過去の偉大な音楽に目を向けたのです。そこから確固たる形式と精神を掴み取って当代に再現しました。その形式と精神、そして近代人の複雑な感情を合致させた力強い作品を残しました。

ビューローはブラームスの作品を演奏するに従い、ブラームスがやっている事が、とんでもない破格の事であると気付くのです。ソナタ形式ではベートーヴェン足らんと欲する事、フーガではバッハの対位法に肉迫している事、ロマン派の誰もが向き合わなかった過去の偉大な音楽を研究し、継承しようとしている事、ビューローは驚愕したのでした。そこでいてもたってもいられず、バッハ、ベートーヴェンの序列にブラームスを加えようと、3Bの提唱となったのでした。

それは正しく正しい行動で、ブラームスの後には、近代の新古典主義が芽生えました。そしてそれだけでなく、その音楽の構造と作曲技法は、そのまま現代音楽にも継承されて行くのです。

ワーグナーが無調音階で新時代を予言したのと同様に、ブラームスは古典主義で現代に繋がったのです。今日の新しい音楽史研究の成果によれば、ブラームスはワーグナーよりもむしろ多く未来を見詰め、近代を通り越して、現代音楽の先駆けになったと言われています。


ブラームスがベートーヴェンとバッハを目標にして書いた沢山の曲の中から、今日は、ピアノソナタ第1番ハ長調op1とチェロソナタ第1番ホ短調op38を紹介します。

ピアノソナタ第1番は、作品番号が1番で、シューマンの手引きにより最初に出版された楽曲です。作曲の順番は、ソナタ嬰ヘ短調(第2番)の方が先らしいのですが、自分の一番の自信作と言う事で、あえてこのハ長調のソナタを作品1としました。

この1番の第1楽章は、正にブラームスがベートーヴェン足らんと欲して書いたピアノソナタのソナタ楽章と言えます。それはもう冒頭の第一主題を聴けば、誰の耳でも判ります。これは何と、あのベートーヴェンのピアノソナタの最大傑作”ハンマークラビーア”の冒頭に瓜二つだからです。ブラームスと言う人は、こうした臆面もない事を平気で行う習性がありました。第1交響曲(第4楽章をベートーヴェンの第9の歓喜の歌に真似た)、第4交響曲(第4楽章をバッハの主題によるシャコンヌでバッハを目指した)などもそうでした。ブラームスは、ベートーヴェンやバッハを尊敬してはいましたが、何者にも憚らない挑戦する気概を持っていたのです。

シューマンはこの1番のソナタを聴いて驚いたようです。ここにはロマン派の誰もが成し遂げられなかった、ソナタ形式の粋があるのを感じたからです。ここまでソナタを自分のものとしているブラームス、シューマンは思いました、「きっとコイツはベートーヴェンの跡継ぎの交響曲を書くだろう」と…

野心に満ちた曲で、決して明るい曲ではないのですが、ベートーヴェンに引けを取らないソナタ形式を駆使し、がっしりと構築され、そこに不敵な精神を盛り込んだピアノソナタです。

ソナタ形式
ソナタ形式とは、複数の同じ主題を使い、順に提示部、展開部、再現部と結尾(コーダ)とに分けられ、各部分を通して作曲される形式です。

◎提示部
第一主題⇒経過部(転調をしつつ)⇒第2主題(第1主調に対し5度上の属調に転調された調性)⇒経過部⇒コデッタ(小結尾部)

◎展開部
提示部と再現部の中間に位置する部分、幾つかの主題を活用し、変容させ、表現の幅を広げる部分

◎再現部
第1主題⇒経過部⇒第2主題(第1主題と同じ調性)⇒経過部

◎コーダ(結尾)
主に第1主題を変容した形で終わる


次は、チェロソナタ第1番ホ短調op38の第3楽章のフーガです。
フーガとはバッハが最も得意としていた形式です。和声の上にメロディーを歌わせる新技法ではなく、幾つかの声部が逃げっこ追い掛けごっこをする古い作曲形式です。これには対位法と言う作曲技法が不可欠です。対位法に熟達した上でなければ、フーガの作曲は成り立たないのです。単純なのはカノン(輪唱など)と言われていますが、フーガはより複雑に声部が絡み合った高級な曲式です。ここでもブラームスは、バッハ足らんと欲し、フーガを研究するのです。シューマンの死後、デュッセルドルフのシューマン家の近くに住み、クララと子供たちの世話をしている間と、その少し後、公職の無かったブラームスには無聊(ひま)があり、楽友のヨアヒム(ヨアヒムは多忙で、結果を出していたのは何時もブラームス)と対位法の研究に勤しみました。その果実として、オルガンのためのフーガを4曲(作品番号無し)ものにしました。ここでこれをヨアヒム(親友の大ヴァイオリニスト)に聴かせると、ヨアヒムは驚嘆し、後にある楽友に「バッハ並みだ!」と伝えたそうです。

フーガ形式
フーガとは、幾つかの声部が追いつ追われつを繰り返す形式で、一定の方式に従って進められて行きます。対位法の音楽に慣れない聴き手には、雲を掴む楽曲ですが、その変幻自在の構築性が強い緊迫感を生み出し、感動を呼びます。兎に角、説得力のある音楽を生み出します。

◎提示部
フーガの特徴は同じ旋律が、順次複数の声部に現れる事。

1、最初に一つの声部が旋律(主唱)を提示する。⇒経過句(結句)

2、主唱が終わったら、別の声部で主唱を繰り返す(応晿)。この時、全体を5度上げる乃至4度下げる(正応)。但し、属音は、原則として5度上げずに4度上げて(乃至5度下げて)主音にする(変応)。これは主音と属音を入れ替える事が求められるため。
*応晿が始まったなら、最初の声部では、やや遅れて、別の旋律を演奏する(対晿)。

3、3声以上ある場合は、第3の声部で主唱を演奏する。稀に応晿を演奏する事もある。

*第2の声部で対晿を演奏する。対象は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*最初の声部では、自由晿となる。

4、4声以上ある場合には、第4の声部で応晿を演奏する。しばしば主唱を演奏する事がある。
*第3の声部で、対晿を演奏する。対晿は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*第1、第2の声部では、自由晿となる。

5、以下、すべての声部で主唱もしくは応晿を演奏する。

以上で提示部が形成される。提示部は、一つのフーガの中に、異なる調で、数回現れる。

◎嬉游部
提示部と提示部の間には、嬉游部と呼ばれる自由の部分が挟まれる。。主唱や対晿などの素材で作られる。

◎追迫部
提示部―嬉游部を繰り返し、最後に追迫部が訪れる。追迫部では、主唱が終わらない内に応晿が入る。

提示部(主調)⇒嬉游部⇒提示部(主調以外)⇒嬉游部……⇒追迫部(主調)      ウィキペディア・フーガ参考

以上がフーガ形式の構造です。

チェロソナタ第1番のフィナーレ(第3楽章)は、こんなフーガ形式で成り立っています。バッハに憧れて、バッハに追いつこうとしたブラームス。それには対位法を取得してフーガを自在に扱う事が必用でした。これは、ブラームスの精神がフーガに乗り移った圧倒的なフィナーレです。傑作です。

posted by 三上和伸 at 15:46| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

ブラームスの名曲2 歌曲「雨の歌」OP59-3とヴァイオリンソナタ第1番ト長調OP78 2016.09.03

ブラームスを始めとした大作曲家は、交響曲などの大作を書く際、多くのモチーフ(動機のメロディーやリズム、主題とも言う)を用意しますが、当然使われるモチーフは10曲程度、残りは捨て去る事になります。ところがブラームスの場合、勿体ない主義なのか、その余ったモチーフを室内楽作品として再利用をしました。アイディアの限りを尽くして発案したモチーフ、それは素晴らしい出来映えのものばかりであり、そこに新たな作品を生み出す余地は高くあるのです。交響曲や協奏曲の前後には、必ずと言っていいほどブラームスには、室内楽の数々が生まれています。今回のヴァイオリンソナタ第1番もそのような経緯があるのです。

ヴァイオリンソナタ第1番の作曲の時期は、同じヴァイオリンの協奏曲ニ長調OP77が直前に発表されています。作品番号でも1番違い、正にヴァイオリンソナタ第1番はヴァイオリンコンチェルトの副産物と言う事ができます。

ソロ楽器の高度なメカニズムが不可欠な協奏曲は、ヴァイオリンの音域を極限まで使い、運指や弓使いにも激しいものが要求されます。本来ブラームスは、音楽の技巧性を疎んじ、抒情性や精神性を尊ぶ種類の作曲家だったので、協奏曲の作曲には、作曲後も本意を得た訳ではなかったようです。もっとヴァイオリンの中音域を用い、抒情的な作品が作りたかったようです。そこで、余った多くのモチーフの中から、飛び切りの美しい歌を拾い出し、ソナタ第1番を書きました。本当に書きたかったブラームス本来の優しい抒情詩…。そのソナタ第1番を、自らを慰める積りで書いたのでした。

因みにこの曲には、自らが書いた歌曲「雨の歌」のメロディーが使われています。同郷の詩人・クラウス・グロートの詩に付けた有名な歌曲「雨の歌」OP59-3。雨だれをモチーフとした雨に濡れた自然を歌う望郷の歌。ブラームスの故郷への想いが籠っています。

ヴァイオリンソナタ第1番の第3楽章の冒頭から、この歌は始まります。「タンタターン」と雨だれが…

 雨の歌        クラウス・グロート  OP59-3

 雨よ、滴をしたたらせて、

 ぼくのあの夢をまた呼び戻せ。

 雨水が砂地に泡立った時、

 幼い日にみたあの夢を!


 けだるい夏の蒸し暑さがものうげに

 爽やかな涼しさと競い、

 つやつやした木の葉は露に濡れ、

 田畠の緑が色濃くなった時。


 何と楽しいことだったことか、

 川の中に素足で立ったり、

 草に軽く手を触れたり、

 両手で泡をすくったりしたことは!


 あるいはほてった頬に

 冷たい雨の滴をあてたり、

 新たに立ち昇る香気を吸って、

 幼い胸をふくらませたりしたことは!


 露に濡れたうてなのように、

 また恵みの露にひたり、

 香気に酔いしれた花のように、

 幼な心も息づいて開いていた。


 ときめく胸の奥深くまで

 どの雨の滴もぞくぞくするほど冷やして、

 創造の神々しい営みは

 秘められた生命の中まで浸透した。


 雨よ、滴をしたたらせて、

 ぼくの昔の歌を呼び覚ませ!

 雨足が戸外で音を立てた時、

 部屋の中でぼくらがうたった歌を!


 あの雨の音に快い、しっとりとした

 雨垂れの音に再び耳をすまし、

 あどけない幼な心のおののきで

 ぼくの魂を静かに潤したいものだか。    訳詩:志田麓


誠に爽やかで美しい歌、されどヴァイオリンソナタはそれにも増して美しい…、この世には美しいものがあると、真に教えてくれるソナタです。
posted by 三上和伸 at 18:30| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月31日

ブラームスの名曲1 フェリックス・シューマン詩の「ぼくの恋は緑色」op63−5 2016.07.31

ブラームスが20歳の無名の青年期、世に出ようと踠いて(もがいて)いたのを掬い上げてくれたのが43歳のシューマンでした。見せた曲(ピアノソナタ1番2番)を一目(一聴)して気に入ったシューマンは、わざわざ嘗て主筆であった音楽雑誌にブラームスの名を紹介しました。それを恩に着たブラームスは、生涯の折々でシューマンの残した妻と7人の子の世話を焼きました。ブラームスがシューマン夫妻に出会ったころ、妻のクララは妊娠をしていました。そのお腹の子こそが、後の詩人・フェリックス・シューマンで、フェリックスが20歳の誕生日を迎えた時に、フェリックスが書いた詩を使い、ブラームスが歌曲を書いてプレゼントしました。それがこの曲「ぼくの恋は緑色」です。

このプレゼントに歓喜したのは、フェリックスだけではありませんでした。母のクララこそこのプレゼントを喜びました。幸薄い早世の我が末子の名を未来に伝えてくれたブラームス、フェリックスはブラームスと共に、永延に、音楽史の中に名を刻んだのです。

ぼくの恋は緑色 フェリックス・シューマン op63−5

ぼくの恋はにわとこの茂みのように緑色。
にわとこの茂みの上にその光をそそいで、
その茂みを芳香と歓喜で満たす、
陽の輝きのように、ぼくの恋は美しい。

ぼくの魂は小夜鳥のように翼をはり、
咲き薫るにわとこの木で身をゆすぶり、
歓声をあげ、甘い香りにうっとりして、
恋に酔う歌のかずかずをうたうのだ。   志田麓訳詩

抑揚の効いた流れるような曲、ブラームス歌曲の人気曲の一つ。



posted by 三上和伸 at 23:00| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする