”ドイツ3B”と言う格付けがある事を、ご存知の方は多いと思います。これはバロック時代から古典・ロマン・近代までの凡そ300年の音楽の歴史の中で、その歴史の節目に存在し、その証人になった作曲家を三人選んだもので、その名のイニシャルがBで始まっていた事から、ドイツ3(大)Bと名付けられました。
その三人とは、バロックのバッハ、ウィーン古典派のベートーヴェン、ロマンから近代のブラームスで、その名付け親は、ブラームスの楽友である指揮者にしてピアニストのハンス・フォン・ビューローでした。
バッハは対位法を操り、様々な形式を見出し、バロック音楽を完成した人で、今日の音楽の礎を築いた人でした。また尚も偉大な宗教音楽家(ドイツ・プロテスタント)でもあり、神への帰依の下、音楽を神に捧げました。
ベートーヴェンは究極のソナタ形式を完成した人で、拡大された堅固なソナタ形式を用い、個人の考えや思想を表現しました。音楽が単なる娯楽の慰み物で無く、人間の感情や思想を具現する表現手段として活用する事を決断し、音楽を芸術の領域へ高めました。そして新たなロマン派音楽の台頭を示唆しました。
ブラームスはロマン派と近代の狭間に生き、過去の音楽を調べ、譜面も怪しかったルネサンスの昔から当代までを研究し尽くし、それを己の表現手段として活用した人でした。爛熟極まる19世紀末に、過去の音楽遺産を精査し、西洋音楽を総括したのでした。ロマンの果てに堕落し放題であった当時のロマン派音楽界を目覚めさせるために、過去の偉大な音楽に目を向けたのです。そこから確固たる形式と精神を掴み取って当代に再現しました。その形式と精神、そして近代人の複雑な感情を合致させた力強い作品を残しました。
ビューローはブラームスの作品を演奏するに従い、ブラームスがやっている事が、とんでもない破格の事であると気付くのです。ソナタ形式ではベートーヴェン足らんと欲する事、フーガではバッハの対位法に肉迫している事、ロマン派の誰もが向き合わなかった過去の偉大な音楽を研究し、継承しようとしている事、ビューローは驚愕したのでした。そこでいてもたってもいられず、バッハ、ベートーヴェンの序列にブラームスを加えようと、3Bの提唱となったのでした。
それは正しく正しい行動で、ブラームスの後には、近代の新古典主義が芽生えました。そしてそれだけでなく、その音楽の構造と作曲技法は、そのまま現代音楽にも継承されて行くのです。
ワーグナーが無調音階で新時代を予言したのと同様に、ブラームスは古典主義で現代に繋がったのです。今日の新しい音楽史研究の成果によれば、ブラームスはワーグナーよりもむしろ多く未来を見詰め、近代を通り越して、現代音楽の先駆けになったと言われています。
ブラームスがベートーヴェンとバッハを目標にして書いた沢山の曲の中から、今日は、ピアノソナタ第1番ハ長調op1とチェロソナタ第1番ホ短調op38を紹介します。
ピアノソナタ第1番は、作品番号が1番で、シューマンの手引きにより最初に出版された楽曲です。作曲の順番は、ソナタ嬰ヘ短調(第2番)の方が先らしいのですが、自分の一番の自信作と言う事で、あえてこのハ長調のソナタを作品1としました。
この1番の第1楽章は、正にブラームスがベートーヴェン足らんと欲して書いたピアノソナタのソナタ楽章と言えます。それはもう冒頭の第一主題を聴けば、誰の耳でも判ります。これは何と、あのベートーヴェンのピアノソナタの最大傑作”ハンマークラビーア”の冒頭に瓜二つだからです。ブラームスと言う人は、こうした臆面もない事を平気で行う習性がありました。第1交響曲(第4楽章をベートーヴェンの第9の歓喜の歌に真似た)、第4交響曲(第4楽章をバッハの主題によるシャコンヌでバッハを目指した)などもそうでした。ブラームスは、ベートーヴェンやバッハを尊敬してはいましたが、何者にも憚らない挑戦する気概を持っていたのです。
シューマンはこの1番のソナタを聴いて驚いたようです。ここにはロマン派の誰もが成し遂げられなかった、ソナタ形式の粋があるのを感じたからです。ここまでソナタを自分のものとしているブラームス、シューマンは思いました、「きっとコイツはベートーヴェンの跡継ぎの交響曲を書くだろう」と…
野心に満ちた曲で、決して明るい曲ではないのですが、ベートーヴェンに引けを取らないソナタ形式を駆使し、がっしりと構築され、そこに不敵な精神を盛り込んだピアノソナタです。
ソナタ形式
ソナタ形式とは、複数の同じ主題を使い、順に提示部、展開部、再現部と結尾(コーダ)とに分けられ、各部分を通して作曲される形式です。
◎提示部
第一主題⇒経過部(転調をしつつ)⇒第2主題(第1主調に対し5度上の属調に転調された調性)⇒経過部⇒コデッタ(小結尾部)
◎展開部
提示部と再現部の中間に位置する部分、幾つかの主題を活用し、変容させ、表現の幅を広げる部分
◎再現部
第1主題⇒経過部⇒第2主題(第1主題と同じ調性)⇒経過部
◎コーダ(結尾)
主に第1主題を変容した形で終わる
次は、チェロソナタ第1番ホ短調op38の第3楽章のフーガです。
フーガとはバッハが最も得意としていた形式です。和声の上にメロディーを歌わせる新技法ではなく、幾つかの声部が逃げっこ追い掛けごっこをする古い作曲形式です。これには対位法と言う作曲技法が不可欠です。対位法に熟達した上でなければ、フーガの作曲は成り立たないのです。単純なのはカノン(輪唱など)と言われていますが、フーガはより複雑に声部が絡み合った高級な曲式です。ここでもブラームスは、バッハ足らんと欲し、フーガを研究するのです。シューマンの死後、デュッセルドルフのシューマン家の近くに住み、クララと子供たちの世話をしている間と、その少し後、公職の無かったブラームスには無聊(ひま)があり、楽友のヨアヒム(ヨアヒムは多忙で、結果を出していたのは何時もブラームス)と対位法の研究に勤しみました。その果実として、オルガンのためのフーガを4曲(作品番号無し)ものにしました。ここでこれをヨアヒム(親友の大ヴァイオリニスト)に聴かせると、ヨアヒムは驚嘆し、後にある楽友に「バッハ並みだ!」と伝えたそうです。
フーガ形式
フーガとは、幾つかの声部が追いつ追われつを繰り返す形式で、一定の方式に従って進められて行きます。対位法の音楽に慣れない聴き手には、雲を掴む楽曲ですが、その変幻自在の構築性が強い緊迫感を生み出し、感動を呼びます。兎に角、説得力のある音楽を生み出します。
◎提示部
フーガの特徴は同じ旋律が、順次複数の声部に現れる事。
1、最初に一つの声部が旋律(主唱)を提示する。⇒経過句(結句)
2、主唱が終わったら、別の声部で主唱を繰り返す(応晿)。この時、全体を5度上げる乃至4度下げる(正応)。但し、属音は、原則として5度上げずに4度上げて(乃至5度下げて)主音にする(変応)。これは主音と属音を入れ替える事が求められるため。
*応晿が始まったなら、最初の声部では、やや遅れて、別の旋律を演奏する(対晿)。
3、3声以上ある場合は、第3の声部で主唱を演奏する。稀に応晿を演奏する事もある。
*第2の声部で対晿を演奏する。対象は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*最初の声部では、自由晿となる。
4、4声以上ある場合には、第4の声部で応晿を演奏する。しばしば主唱を演奏する事がある。
*第3の声部で、対晿を演奏する。対晿は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*第1、第2の声部では、自由晿となる。
5、以下、すべての声部で主唱もしくは応晿を演奏する。
以上で提示部が形成される。提示部は、一つのフーガの中に、異なる調で、数回現れる。
◎嬉游部
提示部と提示部の間には、嬉游部と呼ばれる自由の部分が挟まれる。。主唱や対晿などの素材で作られる。
◎追迫部
提示部―嬉游部を繰り返し、最後に追迫部が訪れる。追迫部では、主唱が終わらない内に応晿が入る。
提示部(主調)⇒嬉游部⇒提示部(主調以外)⇒嬉游部……⇒追迫部(主調) ウィキペディア・フーガ参考
以上がフーガ形式の構造です。
チェロソナタ第1番のフィナーレ(第3楽章)は、こんなフーガ形式で成り立っています。バッハに憧れて、バッハに追いつこうとしたブラームス。それには対位法を取得してフーガを自在に扱う事が必用でした。これは、ブラームスの精神がフーガに乗り移った圧倒的なフィナーレです。傑作です。