2023年05月31日

ブラームスの名曲90 歌曲「春の慰め」Op.63-1 詩:シェンケンドルフ 2023.05.31

作品63の歌曲は9曲あり、1874年に出版されています。詩人は最初の4曲がシェンケンドルフ、次の2曲がシューマンの遺児のフェリックス・シューマンの詩、最後の3曲が同郷の友の詩人・クラウス・グロートの詩です。

シェンケンドルフは19世紀前半の公務員でしたが、ナポレオンとの戦いで、プロイセン(旧ドイツ)軍の士気を煽るため詩を書き始めた素人の詩人のようです。しかし、ブラームスは合計5作に曲を付けています。ここでは4曲が載せられています。

フェリックス・シューマンはシューマン夫妻の末子で、シューマンの死に際に生まれた生年月日を持ち、遺児と言って良いほどの存在でした。ブラームスが深く関わっていたとして、フェリックスはブラームスの子では無いのかと噂されもしました。後に詩人となったフェリックスのために、ブラームスはフェリックスの詩の中から2作を選んで付曲しました。「青春の歌」と題されて、幼いながらも清潔な詩が選ばれています。フェリックスと母クララの喜びは大きなものでした。フェリックスも音楽史の末席にその名を刻みました。

クラウス・グロートはブラームスと同郷の北部ドイツ(ホルスタイン)生まれの詩人です。大変気の合った親友で、美しきアルト歌手・ヘルミーネ・シュピースの気を取り合った仲です。以前に紹介した「雨の歌」などは低地ドイツの面影が溢れる作品でした。

歌曲「春の慰め」Op.63-1 イ長調 詩:シェンケンドルフ 日本語訳:志田麓
すいせんの香がぼくのまわりに漂い、
春のそよ風がぼくに話かける、
いとしい人よ、朝焼けの光に目を覚ませ、
咲き薫る花輪がきみを待っている、
憂い顔の人よ!

ただ、きみはそれを得ようと努めるべきで、
もはや惰眠をむさぼってはならない、
睡りを覚まして、野原に出てきたまえ!
緑の木陰できみは見つけるだろう、
その花輪を。

わたしたち、花の香はみんなきみに好意を
懐いている、かわいそうな、恋に悩む子よ、
きみは遊び仲間のわたしたちにいつも誠実だった、
だからわたしたちも喜んで早速きみに手伝ってあげる、
春風は。

わたしたちはきみの歎声を恋する女(ひと)の許に運んで、
その寝室を花輪で飾ってあげよう。
きみが恋人と別れて、独り悲しく佇むとき、
わたしたちはきみの恋する女(ひと)を
見守ってあげよう。

朝焼けの輝きのうちに目を覚ませ、
ミルテの花冠がもうきみを待ちわびている。
いとしい人よ、春はよい便りを告げている、
もう嘆いたり、涙を流したりしたもうな、
憂い顔の人よ!

ミルテ=銀梅花(ぎんばいか)のこと。長く白い雄しべが美しい花。

ぼくは恐らくキューピット、気の弱いきみを花の香と春風の力を借りて、きみと恋する人(女)を結び付けてやるよ。さあ早く、うじうじしないで野原に出てお出で! わたしたち(キューピットと花の香、そして春風)が恋する人を言いくるめて、その気にさせてあげるよ! ミルテの花のように美しい人(女)だよ。

ロンド形式で構成された歌曲、春の生気に満ちた花園の歌。生き生きと元気で麗しい!





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2023年05月26日

ブラームスの名曲89 歌曲「きみの青い瞳」Op.59-8 詩::クラウス・グロート 2023.05.26

歌曲「きみの青い瞳」Op.59-8 変ホ長調 詩:クラウス・グロート 日本語訳:志田麓
きみの青い瞳は静かに堪えている、
ばくはその奥底まで覗きこむ。
ぼくが何を見ようとするのかと尋ねるの、
ぼくは元気な自分を観ているんだ。

燃えるような双の瞳がぼくを焦がし、
その名残りがなおこの胸を痛める。
きみの瞳は澄んだ湖のようだが、
また湖さながらに冷たいのだ。

ばくが恋焦がれるきみ、そのきみの瞳は青く美しい、じっと見つめると、そこにはぼくが映っている。元気なぼく、それともきみの美しさにおどおどするぼく? ぼくはもうきみに夢中、でもきみはぼくに無関心、その湖のように冷たい瞳でぼくを一瞥するだけなのだ。でも素敵な人(女)、冷たく澄んだ青い瞳の人(女)。

あの作品32の9の「私の女王」のような官能に満ちたピアノ伴奏、狂おしくも愛しい歌、恋はままならないが、それに見悶えるのはこの世の常です。思うに任せない女こそ魅力的なのです。ブラームス歌曲の傑作の一つです。
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2023年05月25日

ブラームスの名曲88 歌曲「傷ついたわたしの心」Op.59-7 クラウス・グロート 2023.05.25

歌曲「傷ついたわたしの心」Op.59-7 ホ短調 詩:クラウス・グロート 日本語訳:志田麓
ぼくの傷ついた心は穏やかな安らぎを求める、
おお、その心に安らぎを吹き込みたまえ!
ぼくの心は泣き、不安げに羽ばたいてきみの許に飛んでゆく、
おお、その心を受け入れたまえ!

光が重苦しい雲間から洩れるように、
きみはその心に向かってうなずく、
おお、きみのやさしい光でほほえみ続けたまえ、
ぼくを導く星なるきみよ!

悲しいですがドラマティックで美しい曲です。ぼくは傷つき易い男、何で傷ついたのか分かりませんが、傷ついた心は穏やかな安らぎを求めています。きみの許に飛んでゆくのであれば、そのきみは優しく麗しい乙女なのかしら…。そんな時、雲間から一筋の光が漏れてきています。その希望の光にぼくは慰めを見出したのです。愛するきみは星のように美しい光を放つ乙女(ひと)なのですね。

ダイナミックな前奏で始まる曲、見事な伴奏に乗って歌われ、またダイナミックな間奏が続きます。二節が歌い終わると、今度は静かな後奏が続きます。そして最後は短調から長調に転調されます。微かな希望の光が現れます。
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2023年05月23日

ブラームスの名曲87 歌曲「さよなら、さよなら」Op59-6 詩:ダウマー 2023.05.23

歌曲「さよなら、さよなら」Op.59-6 イ短調 詩:ダウマー 日本語訳:志田麓
さよなら、さよならと
あなたは毎晩わたしに言って、
このはかない言葉に、おお
どんなに歎かなねばならないことか!

あなたがわたしの心の火を
あまり強くは燃えあがらせず、
さよなら、さよならという
言葉をわたしに告げたことを!

ブラームスは東洋と西洋を結ぶ文明観を持ったダウマーの詩作を愛しました。ブラームスの歌曲200曲の中で、最多の17曲がダウマーの詩で埋められています。ブラームス自身も東洋的な文化に惹かれていたようで、ウィーンの万博でも東洋の特に日本に関心を示したようでした。日本の外交官の妻が演奏する筝曲の自筆譜もブラームスの遺品に残されており、その執着ぶりが伺い知れます。あのクラリネット五重奏の第2楽章、尺八のようなクラリネット、弦のトレモロは正に琴の発音に通ずるものがあります。

既に愛を受け入れる準備が出来ている恋人に、蛇の生殺しのように思わせぶりをする男、こんな男は多いものです。マザーコンプレックスが根本にあるようです。ブラームスもこんな男でした?
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2023年05月20日

ブラームスの名曲85 歌曲「雨の歌」Op,59-3 詩:クラウス・グロート 2023.05l20

歌曲「雨の歌」Op.59-3 詩:クラウス・グロート 日本語訳:志田麓
雨よ、滴をしたたらせて、
ぼくのあの夢をまた呼び戻せ。
雨水が砂地に泡立った時、
幼い日にみたあの夢を!

けだるい夏の蒸し暑さがものうげに、
爽やかな涼しさと競い、
つやつやした木の葉は露に濡れ、
田畠の緑が色濃くなった時。

何と楽しいことだったことか、
川の中に素足で立ったり、
草に軽く手を触れたり、
両手で泡をすくったりしたことは!

あるいはほてった頬に
冷たい雨の滴をあてたり、
新たに立昇る香気を吸って、
幼い胸をふくらませたりしたことは!

露に濡れたうてなのように、
また恵みの露にひたり、
香気に酔いしれた花のように、
幼心も息づいて開いていた。

ときめく胸の奥深くまで
どの雨の滴もぞくぞくするほど冷やして、
創造の神々しい営みは
秘められた生命の中まで浸透した。

雨よ、滴をしたたらせて、
ぼくの昔の歌を呼び覚ませ、
雨足が戸外で音を立てた時、
部屋の中でぼくらがうたった歌を!

あの雨の音に快い、しっとりとした
雨垂れの音に再び耳をすまし、
あどけない幼な心のおののきで
ぼくの魂を静かに潤したいものだが。

同郷の詩人で友としての交友もあったクラウス・グロートの詩に付けた有名な曲です。ブラームスはこの作品を愛し、2回曲付けを行っています。前作も作品番号はありませんが、しっかり残っており、時々歌われています。しかもその愛好は止まず、何とヴァイオリンソナタ第1番の第3楽章のテーマとして使われています。こちらはヴァイオリンソナタの最右翼の傑作として評価されています。

タッタターンの雨垂れがテーマとなっています。それは全曲につきまとい常に姿を現してきます。子供の頃の雨の思い出を歌っており、自然から授かった生命の神秘と自然への恩義を郷愁と共に思い出し、自然の有難さを歌っています。

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2023年05月18日

ブラームスの名曲84 歌曲「湖上で」Op.59-2  詩:ジムロック

歌曲「湖上で」op.59-2 詩:ジムロック 日本語訳:志田麓
青い空、青い大波
湖水をめぐる葡萄山
彼方には白雪をいただいて
きらめく青い山なみ。

小舟は波にのって揺れ、
淡い霧が立ち昇りまた降って、
快い天国のような平和が
輝いている世界を包む。

波立つ心よ、目をひらけ、
あたりを眺め、鎮まるのだ!
頭上と水面の二つの空から
幸せと安らぎを享けよう。

塔や丘、叢や町を映して、
湖面が応えるさまを見よ!
世界には何と美しいものがあるかを
さあ、歌の中に映しだすがよい!

単純明快な他愛のない詩、チロルかスイスか何処かの湖の畔、湖は葡萄畑や白銀の山を映しだしています。気持ちの良い風景、前奏からして心地よい自然の風景の中に飛び込んでゆきます。第3節だけ変化を利かせて歌の説得力を持たせています。起承転結の芸術の定番を行く曲です。詩よりも音楽が優れた完璧な曲です。

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2023年05月17日

ブラームスの名曲83 歌曲「夕靄は垂れこめて」Op.59-1  詩:ゲーテ

作品59になると、そろそろ中期の歌曲の傑作が現れてきます。丁度交響曲第1番の完成への追い込み期であり、その合間をぬって歌曲の作品も多く作られていました。

歌曲「夕靄(ゆうもや)は垂れこめて」Op.59-1 詩:ゲーテ 日本語訳:志田麓
夕靄は垂れこめて、
近間も遠方さながらに、
穏やかな光を放つ
宵星がまず昇ってきた。
何もかもおぼろにゆらぎ、
霧は這うようにあがり、
暗く奥深い夜空を
穏やかな湖面は映す。

いま東の空のあたりに
月の昇る気色があり、
しだれ柳もしなやかな枝は
間近な水面に戯れる。
揺れ動く枝の影の間に
妙なる月影がゆらぎ、
爽やかさが眼から胸に
なごやかにしみわたる。

夕暮れの自然を見事な文体で表現しています。流石にゲーテですね。この典雅な趣味はブラームスの趣味にも共通しています。そして私にも共通の風雅です。この深い低音の静けさ、歌もピアノも自然に溶け込んでいます。夕靄が流れて覆っていた湖面、やがて晴れて月が昇りました。月は低く、柳の枝に纏わります。そして暫くすれば湖面を煌々と照らします。月は満月ですね。

ブラームスがゲーテの詩につけた歌曲は全部で5曲、少ないですね。でも合唱曲には素晴らしい傑作「アルトラプソディー」や「運命の女神の歌」があります。ブラームスはゲーテから芸術の信念を学んでいました。ブラームスの音楽のどの曲にもゲーテの信念が息づいています。



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2023年05月16日

ブラームスの名曲82 歌曲「セレナーデ」Op.58-8 詩:シャック

歌曲「セレナーデ」Op.58-8 イ短調 詩:シャック 日本語訳:志田麓
いとしい婦人(ひと)よ、きみの目を覚まさぬように、
夜風は静かにそよいでいる!
噴水は大理石の水盤に
そっとそのしぶきを散らしている。

噴水が水滴をしたたらせて、
波紋がつぎつぎに拡がるように、
ぼくの胸も、この歌をうたいながら、
ひそかに震えときめいている。

わがツィターの音よ、鳴り響け、
翼も軽く舞い上がり、
ぶどうの蔓の絡まった格子窓から
美しい人の部屋に忍びこめ!

その人のその夢の中へ歌ってくれ、
愛するドロレスよ、珠玉の言葉を
受け容れてくれる余地が
きみの耳殻の中にはないだろうかと。

おお、きみの腕が友を熱く抱きしめ、
きみの口からの口づけが
燃えるように友の胸に伝わる、
ただひとときを友に与えよ!

きみは友をすっかり忘れたのか。
友は独り淋しく露台に佇み、
いとすぎの梢の向うの空に懸かる
三日月はもう色あせている。

噴水が水滴をしたたらせて、
波紋がつぎつぎに拡がるように、
ぼくの胸もこの歌を歌いながら、
ひそかに震えときめいている。


・セレナーデ:思いを寄せる女性の家の窓辺で夕べに歌い奏する音楽
・ツィター:手の中に入る小さな弦楽器。
・ドロレス:スペインに多くある女性の名
・耳殻:外耳

愛する女の窓辺で恋の歌を歌うのがセレナーデ、スペイン風のセレナーデで、ピアノ伴奏はギターの爪弾きに似て軽い雰囲気があります。ぼくの歌うセレナーデがきみの耳の奥に入ってくれるなら、ぼくは幸せになれます。淡い恋心の裏に深い欲望があります。それを隠し、ひたすら女に取り入ろうとするのがセレナーデです。これが古き西洋の恋の儀式なのです。日本では恋文(恋の和歌)ですかね。

曲は明るく晴れやか、流麗で淀みなく流れます。暗い歌が続いたOp.58でしたが、ブラームス、最後は明るく締めました。
posted by 三上和伸 at 21:54| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月15日

ブラームスの名曲81 歌曲「夢は去り」Op.58-7 詩:ヘッベル 2023.05.15

歌曲「夢は去り」Op.58-7 詩:ヘッベル 日本語訳:志田麓
ぼくは菩提樹の下で横になって、
その葉陰では小夜鳥が啼いていた。
その啼き声はぼくを快い夢路へ誘い、
それはずいぶん長い間続いていた。

さて、とうとう目が覚めると、鳥はいなくて、
枯れ葉がぼくの身体を覆っている。
だが残念ながら、薄暗い場所のように、
埃が燃えつきた残り火を隠していないのだ。

小夜鳥(ナイチンゲール)が啼く菩提樹の木の下、その麗しい声を聴いて暫し微睡みました。詩人は甘い夢を見ていたのでした。しかし、目を覚ませばそこは闇の世界、もう小夜鳥は去り、詩人の夢も去ってしまいました。ただし、燃え切らぬ詩人の胸の火は、フツフツと煙を上げているようでした。

難解な詩ですね。一節は明快な詩が連綿と続きますが、二節になると突然に険悪となります。隠し切れない恋の炎が赤く観えます。この闇を越えれば朝陽が昇ってきます。
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2023年05月14日

ブラームスの名曲80 歌曲「小路にて」Op58-6 詩:ヘッベル 2023.05.14

歌曲「小路にて」Op58-6 詩:ヘッベル ニ短調 日本語訳:志田麓
ぼくは路地を見下ろしている、
あの向うに娘は住んでいた、
あの荒れ果てた、人気のない窓を
月はなんと明るく照らしていることか。

おお、美しい月の光よ、
とても沢山照らすものがあるのに、
なぜ空虚なあの場所のあたりで
亡霊のように漂っているのか!

路地を見下ろしているぼくと月の光を重ね合わせています。忘れられぬ恋心は月の光のように恋人の窓に注ぎます。多くの楽しみがあるのに、何故空虚な恋人に拘るのか、それは忘れられない恋の残り香のようなもので、弱くて善良な魂はそれを切り捨てられないのです。でもストーカーになってはなりません。恋に自由は鉄則です。そっと忘れてやることが大事です。
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ブラームスの名曲79 歌曲「憂鬱」Op.58-5 詩:カンディドゥス 2023.05.14

歌曲「憂鬱」Op.58-5 詩:カンディドゥス 変ホ短調
ぼくの胸は苦しくて、
苦痛のあまり
泣きたいようだ!
考えあぐね、生活に疲れて、
常世の闇の中に
首をつっこみたいほどだ。

僅か一節の変ホ短調の歌、ピアノの豊かな和音に沈むようにゆっくりと歌われます。希望が無く、世を儚んで痛切ですらあります。常世の闇、永遠の暗闇に首を突っ込んでしまいそう、死への憧れが頭を擡げています。生は苦痛、死は安息、されど誘惑には負けてはなりません。闘うのではなく、諦めるのです。諦めている内に再び希望は蘇ります。兎に角、生きることです。
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2023年05月11日

ブラームスの名曲78 歌曲「つれない娘」Op.58-3 カラブリア民謡(コーピッシュ訳) 2023.05.11

「つれない娘」 詩:カラブリア民謡・コーピッシュ独訳 日本語訳:志田麓
ばくは暗い森の中で
一頭の雌虎に出会ったが、
ぼくの涙によって
雌虎を馴らすことができた。

ぼくは固い岩石、
そうだ、大理石が
滴る雫に穿たれて、
ものの姿になるのを見た。

さてきみは、そのようにやさしい、
魅力溢れるいとしい人よ、
ぼくのつく溜息や深い悲哀を
きみは平気で笑っているんだね。

詩はユーモアに溢れた表現をしています。雌虎を手懐けたりとか、滴る涙で大理石をうがったりとか、でも女を口説くのは生易しいものではありません。小手先(口先)だけではなく、真心が無いとね。犠牲を引き受けないと駄目ですね。

ブラームスとしては小気味よく軽い曲、ブラームスも「ぼく」には同情もしていません。明るく笑い飛ばした曲ですね。
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2021年09月30日

ブラームスの名曲77 歌曲「目隠し鬼」Op.58-1 2021.09.30

私流に決めさせてもらえば、前回の作品57までがブラームス歌曲の初期で、今回の作品58からは中期となります。青春期の恋の歌が多かった初期に比べ、次第に大人びた歌が多くなり、自然への憧れが増して来ています。そして人生を模索する歌や過去を追憶する歌なども多くなります。ブラームスの歌曲は、取り立てて聴き手を覚醒させる表現は少なく、詩のままに自然と歌いだされた歌曲です。目立ちませんが、その地味な音の流れの中にブラームスならではの優しい心が揺蕩って(たゆたって)います。襞の細かい、微妙な感情の表現がなされた奥床しい歌曲たちです。今後、傑作歌曲が次々と現れます。

「目隠し鬼」 詩:イタリア民謡(アウグスト・コピッシュ独訳)
真っ暗の中を探しに行く、
ねえきみ、どこに隠れているの。
ああ、ぼくをじりじりさせようとして、
あの娘はいつも隠れているんだ。

真っ暗闇の中を探しに行く、
ねえきみ、どこに隠れているの。
隠れ場所が見付からないから、
ぼくはぐるぐる迷っているんだ。

きみのために死ぬものは、
不安でしかたがないんだ!
ねえきみ、かわいそうに思って、
こっちへ来てくれたまえ!

つれない娘の思わせ振りに翻弄される少年、鬼ごっこに擬えて、少年の困惑ぶりを表現しています。若さゆえの迷い、私も思い当たる節があります。老齢の身となっては面映ゆい出来事、そんな娘は直ぐに忘れ去ってしまえばいいのに…。でもそれが出来ないのは、恋に初心だからですね。その初心な心、もう忘れてしまいましたが、素敵な宝物ですね。

シチリア島の民謡が素で、イタリア語をドイツ語に訳されたテキストを使っています。1871年にバーデン・バーデンで作曲された作品58の第1曲です。忙しないリズムが、鬼ごっこの雰囲気を醸しています。ぐるぐると回されて、翻弄される少年の心理を表しています。

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2021年05月08日

ブラームスの名曲76 歌曲「真珠のネックレス」Op.57-7

「真珠のネックレス」 詩:ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー
きみの首にかけられた
真珠のネックレスは、
きみの美しい胸の上で、
なんと楽しげに揺れていることよ!

心情と官能を与え、
悦楽で陶酔させる、
この世ならぬ快楽なる胸よ!

このような胸に心地よく
抱かれることが
われに許されるときには、
こんな熱い人の情けが
どのような胸にときめくかを、
なぜ真っ先に感じなければならないか。

恋人の豊かな胸に架けられた真珠の首飾り、ピアノの左手の伴奏に胸のイメージを持たせ、右手の細かい音粒を真珠に見立てています。呼吸の度に胸は上下し、首飾りの真珠が揺れます。正に官能的光景であり、男は恍惚と陶酔させられます。首飾りと同じように、この胸に抱かれたい、男の永遠の憧れ、ときめく胸を持つ女性。
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ブラームスの名曲75 歌曲「時には穏やかな光が輝く」 Op.57-6 

「時には穏やかな光輝く」 詩:ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー
この顔から時折穏やかな光が
わたしのほうに向かって輝くけれど、
ああ、だが愛を示す表情が
わたしたちの心を破りそうになる。
楽しくなるために、愛が求めるものを、
この眼差は明かしてくれないのだ。

相手の思わせ振りな表情を読んで、その微妙な心の動きと屈折した感情が僅かな猜疑心を生みます。もっと平易で確かな愛を明かしてくれれば好いのだけれど…。されど、その詩の意味合いからは程遠い、ブラームスの優しい音楽が流れます。少し不満やわだかまりがあるけれど、惚れたわたしの弱みか、優しく許してしまうのですね。恋は不平等です。


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2021年04月29日

ブラームスの名曲74 歌曲「ああ、この眼差を背けたまえ」 Op.57-4

「ああ、この眼差を背けたまえ」 詩:ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー
ああ、この眼差、この顔を背けたまえ!
常に新たな情熱と悲嘆をもって
わが心中を満たしたまうな!

悩める魂がいつか安らぎ、
熱い血潮がわが血管の中を
熱病のような激しさでめぐらぬ時、

きみの瞳の輝きのたまゆらな閃きが
極度の苦痛を呼び覚まして、
蛇のようにわが胸を咬み破る。  訳詩:志田麓

*たまゆら=一瞬 一説に かすか

ヘ短調で書かれた悲観的な歌曲。かなり劇的な音楽です。一人称は「わが」ですから、男でも女でもどちらでも当て嵌まります。恋い煩う自分を、もう見詰めないで欲しい…。折角心を鎮めているのだから…。それでもあなたの瞳の一瞬の閃きが、われを襲い、地獄へ突き落とすのです。蛇のように、我が心に咬み付くのです。恋は幸福ばかりでなく、不幸ももたらします。このエキセントリックな心境をどうたち直せるか、人間の力が試されるのです。考察が必須です。


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2021年04月28日

ブラームスの名曲73 歌曲「ぼくは夢をみた」 Op.57-3

「ぼくは夢をみた」 詩:ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー
ぼくはきみと親しくなった夢をみた、
だが目を覚ます必要はまずなかった。
夢の中でもう既に感じていたから、
それは夢だ、夢なんだということを。

一人称は「ぼく」ですが、伴奏も旋律も極めて静かで優しいのです。ですからこれは女性に歌わせるのが好ましいと思わずにはいられません。非現実の夢のまた夢、ベッドで観る、甘く切ない物憂いの心情、恋する乙女の静かな歌です。
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2021年04月25日

ブラームスの名曲72 歌曲「きみが時折ほほえんでくれさえしたら」 Op.57-2

「きみが時折ほほえんでくれさえしたら」 詩:ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー(原詩:ハーフィズ〈ペルシャの詩人〉)
きみが時折ほほえんでくれさえしたら、
この激しい情熱に時には
涼風を送ってくれさえしたら、
ぼくは何ごとも耐え忍んで、
この愛情に苦痛を与えることでも、
すべてきみのなすがままに任せよう。

ペルシャの詩人・ハーフィズの一節だけの短い詩、ぼくが主人公で、きみが愛する恋人です。でも主人公がきみ(女)で、恋人がぼく(男)だとしても、成り立つ歌ですね。私のCDでは女声のソプラノ(ジュリアナ・ボンセ)が歌っています。その高音の女の声が適切に響いて、私を夢見心地に誘ってくれます。その半音階の柔らかくくねる歌い回しが、何とも言えない女の色香を感じさせるのです。
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ブラームスの名曲71 歌曲「森で囲まれた頂きから」 Op.57-1

半年前に、ブラームスの初期の歌曲(op.3.6.7.14.19.32.33.43.46.47.48.49)の紹介を済ませて、暫く休んでいましたが、今回より、中期の歌曲(op.57以降)の紹介をしようと思っています。

op.578つの歌曲は、これまでのブラームスの歌曲からは少し逸脱した画期的な作品群で、全音階的進行が主流だったブラームスの歌曲に、新たに半音階的旋律を使用した歌曲群になっています。当時、仲間内では喧々諤々のオブジェクションとなり、話題となったのでした。

「森でかこまれた頂から」 詩:ゲオルグ・フリードリヒ・ダウマー
森でかこまれた頂きから
私は愛の涙で濡れた瞳の
熱い視線を、あなたを緑で包む
故郷の野の方へ投げている。

私は泉の上に視線を投げる、
ああ、この泉と共にひと波でも、
おお、友よ、故郷にいる
あなたの方へ流れてゆけたら。

頭上の雲の去来に
私は視線を向けている。
ああ、友よ、故郷のあなたの許に
雲のように漂ってゆけたら。

立の幸せと苦しみの種なるあなたを
私はどんなに魅惑したいことでしょう。
この唇で、この眼差で、この胸で、
あなたの心と魂を!

女歌です。女から遠く離れて住む男への、強烈な愛が迸り溢れる歌です。男は故郷に住む幼馴染かしらね。ある時は、泉の流れに乗って、またある時は、雲に乗って空を漂い、貴方の下に戻りたい。女のダイナミックな愛欲、唇・眼差・胸の膨らみ、全てを使って貴方と一緒になりたい。切ない女の思いの丈をぶちまけた歌です。

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2020年10月15日

ブラームスの名曲70 歌曲「たそがれ」 Op.49-5

「たそがれ」 詩:アドルフ・フリードリッヒ・シャック
ようこそ、たそがれどきよ!
まえからきみが何よりも好きなんだ、
どんな傷の痛みも和らげて、
ぼくらの心をやさしく包んでくれるから。

仄かに明るいたそがれに、
夕べの湿った風の中を
白昼のまばゆい輝きを厭とう(嫌がる)
さまざまの姿が漂ってゆく。

夢と思い出の数々が
幼かった頃から近づいてきて、
霊たちの言葉でささやいてくれる、
過ぎ去った幸せなことなどを。

故郷の家の幼なじみの
仲間たちのところへ帰ってゆくと、
かつてぼくらを抱きしめてくれた、
あの腕がまたぼくらに差し伸べられる。

長い間の別離の悲しみの後に、
みまかった(死んだ)人々の
懐かしい胸に今やもう一度
ぼくらは休らうことができるのだ。

まどろみはおだやかに
まぶたをおおいはじめると、
あの人々のいる国からぼくらに
幸せな平和が訪れて来る。

幼い頃に優しかった人が霊になり、天から言葉を投げかけてくれる黄昏時、何て良いのでしょう、こんな夕暮れは…。ぼくらは心が安らぎ、幸せな気分になれます。幼き頃の思い出と霊との会話、ドイツレクイエムやネーニエを書いたブラームスの真骨頂を表す歌曲です。
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2020年10月14日

ブラームスの名曲69 歌曲「ゆりかごの歌」 Op.49-4 2020.10.14

「ゆりかごの歌」 詩:少年の魔法の角笛
おやすみ、おやすみ、
バラの花を枕辺に飾り、
ナデシコを花瓶に刺してある。
さあ、布団の中に入りなさい!
神さまのお心のまま、
あすの朝また目を覚ますでしょう。

おやすみ、おやすみ、
天使たちに見守られて、
夢の中で天使たちはおまえに
クリスマスの樹を見せてくれる。
さあ、幸せに快くお眠り、
そして天国の夢をみなさいね!

ご存知のブラームスの子守り歌、ブラームスのオリジナル曲で、一番有名な曲です。世界中に知れ渡った曲で、クラシック音楽の中でも特別の存在です。詩は少年の魔法の角笛からの童謡で、揺り籠の揺れを模した優しいピアノ伴奏が美しく、メルヘンの世界を彷彿とさせます。結婚せず、子を作らなかったブラームスがこんな曲を書いたのです。人間を見詰め見通した天才の想像力の産物ですね。

アガーテと別れた当時、ブラームスは故郷ハンブルクでハンブルク女声合唱団を指導していました。そこで出会ったのが合唱団員のベルタ・ファーバー(旧姓ポルプスキー)でした。ベルタは後にウィーンで結婚し、子どもを儲けました。ウィーンでも交流のあったブラームスはベルタの第2子が生まれたのを機に、このゆりかごの歌を作り、ベルタにプレゼントしました。喜んだベルタでしたが、この貰った曲が世界中を駆け回るとは夢にも思わなかったことでしょう。ベルタも音楽史を彩る素敵なお母さんになって、名を残しました。
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2020年10月13日

ブラームスの名曲68 「すみれによせて」 Op.49-2

「すみれによせて」 詩:ルートヴィッヒ・クリストフ・ハインリッヒ・ヘルティー
すみれよ、あのこがこの泉を訪れるまで、
きみの青いうてなのなかに
この哀愁の涙をかくしておくれ!
あのこがわらってきみを芝生から摘みとり、
その胸をきみの花で飾ろうとしたら、

おお、あのこの胸に縋って(すがって)いいたまえ、
きみの青いうてなのなかの滴は、
一生泣きながらすごして、
死ぬことを望んでいる、
誠実な若者の心から湧きでたものと。

*うてな(臺)=花の萼、花の基

ロマンティックと言うよりもセンチメンタルと称した方が適切と思われます。まあ、すみれと言う花は、人をこんなにもセンチメンタルにさせる魔力がある花と言えますね。私も大好きな花、この花を観ると、何か懐かしい故郷へ帰って来た喜びが湧き出ます。音楽は澱み無く軽やかに流れます。優しい風の中で憩う歌。
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ブラームスの名曲67 歌曲「日曜日の朝に」 Op.49-1

「日曜日の朝に」 詩:ハイゼ訳のイタリア民謡
日曜日の朝に、美しく着飾った
きみがどこへ行ったのか、知ってるよ。
また、きみを見かけた人たちも大勢いて、
きみのことを告げ口しに来てくれた。

みんなの話を聞いて、大声で笑ったが、
わたしは夜自分の部屋で泣いた。
みんなの話を聞いて、歌い始めたが、
ひとりになると、切なく手をもみ合わせた。

恋愛は自由ですからね。この場合は裏切られたのか、まだそこまでの浅い恋だったのか。それでも詩を読むに従って、この男にとっては深刻な恋で、裏切られたのですね。多かれ少なかれ、こんな恋は経験済みの人が多いですよね。それなりにつき合ったとしても、周りは常に誘惑が溢れています。素敵な人ほど、求愛されることは多いですね。そんな女を手に入れるには、真心を尽すしかありません。そして自由を保障する事です。広い寛容の心を持つ事です。振られたって好いじゃないですか。許しましょう。

このハイゼの詩集には、フーゴ・ヴォルフも関心があったようで、「日曜日の朝に」は避けていますが、他の詩には曲を付けています。ヴォルフは既にブラームスがこの詩に曲付けした事を知っていたようでした。鉢合わせをしないように賢明にこの詩を避けたようでした。ヴォルフにとっては目の上のたん瘤だったブラームス、一時期、ブラームスをこき下ろすのにヴォルフはその時間と労力を浪費してしまったのでした。音楽的立場の違いが生んだ悲劇でした。
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2020年10月11日

ブラームスの名曲66 歌曲「秋思」 Op.48-7

「秋思」 詩:アドルフ・フリードリッヒ・シャック(ドイツ)
身を切るような風に夏の最後の花が
死ぬほどの痛手を受けて、
ここかしこに黄や赤に染まった
木の葉がひとひらずつそよぐ時のように、
暗く曇った、冷え冷えとした日が
わたしの生活を脅かしている。
おお、心臓よ、永遠の鼓動を続けながら、
なぜ死に対しておののいているのか。
すっかり葉の落ちた木立を見まわしたまえ!
風が枯れ木をゆさぶるように、何故きみは
この最後のはかない喜びをなぶるのか。
安心したまえ、この喜びもやがて消えよう。

秋思(しゅうし)=秋のものおもい なぶる=いじめる、責めさいなむ

夏が終り秋が忍び寄って来ます。日本人のように、四季の自然の変化に、喜ぶのとは違って、苛立つのがヨーロッパの北国の人達です。太陽は望めず、曇天の下の雪と氷の世界に従うのです。その鬱陶しさに精神を病む者も出ると聞きます。祭の後の静けさ、死の静けさ、夏の祭を恋い慕うも、既にそれは過去の夢。それでも心落ちつけて、じっと耐えようではないか? 北国の人は辛抱強く、次の真夏の夢に託そうとしています。

ピアノが透明な響きで秋の雰囲気を醸しています。それでも歌は深刻な歌い回しに終始しています。秋の物思い、不安と希望、共感を籠めて消え入るように終わります。


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2020年10月10日

ブラームスの名曲65 歌曲「涙の慰め」 Op.48-5

「涙の慰め」 詩:ヨハン・ウォルフガンク・フォン・ゲーテ
きみがそんなに悲しげなのは何故なんだ、
すべてのものが楽しげに見えるのに。
きみの眼を見るとよくわかるんだが、
きっと、きみはないていたんだね。

「ぼくがひとりで泣いていたとしても、
それはぼく自身の苦悩からなのだ。
そして涙はやさしく流れて、
ぼくの心を軽くしてくれるんだよ。」

陽気な友だちがきみを誘うんだ、
ぼくらの仲間に入りたまえ!
どんなものをなくしたとしても、
その失った気持ちを打ち明けたまえ!

「きみたちはそうぞうしく騒いで、
哀れなぼくの苦しい胸中をわかってくれない。
いやいや、何もなくしたわけではない、
どんなに物足りない気持ちだとしても。」

それならさっさと元気を出したまえ、
きみはまだ若い人じゃないか。
その年頃には力もあるし、
何かを獲得する勇気もでるよ。

「いやいや、それを手に入れることは出来ない。
ぼくからあまりにも遠く離れていて、
ちょうどあの空の星のように、
高い所で美しく輝いているのだ。」

星か、星はこいねがうのではなく、
そのきらびやかさを楽しむものだ。
晴れた夜空を見上げると、
いつも大きな歓びにひたれるよ。

「うれしい昼の間はたいてい、
うっとりして空を見上げているよ、
夜にはぼくの気のすむまで、
泣くにまかせてくれたまえ。」

前出のOp.47-5「恋する女の手紙」と同様に、この「涙の慰め」も、1858年のアガーテと恋をしていたゲッティンゲンで書かれた作品です。「恋する女の手紙」は女歌で、ソプラノのアガーテが歌ったであろうことは自明の理ですが、こちらの「涙の慰め」は男歌で、翌年にはアガーテと別れているので、ブラームスの失恋の心境を表しているのではないかと思われます。2段が1節の詩で、全部で4節8段の詩で書かれています。「」無しが友人の言葉であり、「」ありが本人の言葉です。上下で対話の形を持って作られています。友人の上段の曲は長調で書かれ、本人の下段の曲は悲しい短調で書かれています。それでも激高する場面は皆無で、淡々と歌われていきます。沈んだ空気は極めて憂鬱です。

この曲集は1868年に出版されたものです。この二つの曲は、10年も前に作曲したアガーテとの恋歌ですが、ブラームスは捨てられなかったのですね。思い出が一杯詰まっていますから…。アガーテも曲の存在は知っていたのでしょう。歌ったこともあった歌でしたから…。でも10年も経ってから出版した事はアガーテも驚いた事でしょうね。ブラームスには愛着があったのですね。


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2020年10月09日

ブラームスの名曲64 歌曲「黄金が愛情にまさる」 Op.48-4

「黄金が愛情にまさる」 詩:ボヘミア民謡・ヴェンツィヒ訳
悲しげな光をはなつ星よ、
おまえが泣いてくれたらいいが!
わたしの黄金の星よ、
もしもおまえに心があるなら、
キラキラ光る涙を流してほしいけど。

夜どおし悲しみにあふれて、
わたしといっしょに泣いてくれたら、
あの娘が金持の花嫁の
黄金の力でむりやりわたしを
いとしい人から引き離すことを。

少し矛盾がある言葉遣いをしている詩ですね。金持の花嫁のあの娘が、黄金の金力で、わたしをいとしい人から引き離しました。ああ、わたしの星よ、どうか泣いておくれ…。こんな意味でしょうかね。愛と金、人間にとってどちらも魅力的なものですが、それも程度問題ですね。愛を得るには金も必要ですが、金だけでは愛は得られません。金では買えぬ人間的魅力が無いと愛は続きません。本当の愛は金から一番離れたところに存在します。この後から金は稼ぐもの…
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2020年10月08日

ブラームスの名曲63 歌曲「娘の愛の歎き」 Op.48-3

「娘の愛の歎き」 詩:少年の魔法の角笛より
ふたつの湧きでる泉を見たい人には、
わたしの悲しい双眸(そうぼう、二つの瞳)を見てもらいましょう、
その眼には泣きの涙が溢れていますよ。

たくさんの大きく深い傷を見たい人には、
わたしの深く傷ついた心を見てもらいましょう、
愛がわたしの心を奥深くまで傷つけたのですよ。

この曲も少年の魔法の角笛の詩を使って書かれています。在り来りの詩でも童謡や童話には魔法の味付けがありますね。娘の悲しい愛の歎き、それでもこの曲は、詩の悲しさにそぐわないロ長調で書かれています。ブラームスはこの詩に、冷めたものを感じていたのかも知れません。悲しみ泣いている人、深く心が傷ついている人、そんな人は自分を見てもらいたくはないですよね。見てくれる人にもよりますが…。それでもやはり見てもらいたいのですかね。人も恋愛も微妙なものです…。


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2020年10月06日

ブラームスの名曲62 歌曲「心変わりした男」 Op.48-2

「心変わりした男」 詩:少年の魔法の角笛より
庭にいっしょに行きましょう、
美しいバラの花が咲いているから。
ばらの花がとても沢山あるから、
好きな処でばらを一輪摘みます。

わたしたちはしょっちゅう一緒にいて、
恋人はわたしになんと誠実だったことか!
だからわたしの恋人が不実になろうとは、
わたしには思いもよらぬことでした。

猟師が森の中の緑の芝生で
吹く角笛の音が聞こえませんか。
緑色の帽子をかぶったあの猟師が
わたしの恋人を誘惑したのです。

ドイツのルートヴィッヒ・アヒム・フォン・アルニムとクレメンス・ブレンターノが収集した民衆歌謡の詩集を「少年の魔法の角笛」と言います。ドイツの「マザーグース」と呼ばれ、親しまれました。ブラームスは1855年10月に、この中の4節からなる民謡詩の最初の3節に曲を付け、「心変わりした男」と題し発表しました。

わたしと恋人はしょっちゅう一緒にいて幸せでした。ところが急に恋人は不実になり、わたしには思いもよらぬことで、わたしは失望しました。森には不思議な角笛を吹く猟師がいたのです。緑色の帽子をかぶった猟師が愛する恋人を誘惑したのです。角笛の甘い音で誘惑したのです。しかし、「心変わりした男」の題名とは矛盾した詩ですね。もしかしてこれはわたしの心変わりの言い訳、恋人が誘惑に乗ったのではなく、わたしが不実になった? 緑の帽子も角笛を吹く猟師も、みんなでっち上げ?
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2020年10月04日

ブラームスの名曲61 歌曲「あの娘のもとに」 Op.48-1 2020.10.04

「あの娘のもとに」 詩:ヴェンツィヒ訳の作者不詳のボヘミアの詞
月が光を投げて、
ぼくはまたあの娘のもとに、
どうしているだろうかと、
行かずにはいられない。

ああ、あの娘は絶望して、
もう一生ぼくに、
会えないだろうと、
歎きに歎くから。

月が沈んだけれど、
ぼくはいそいで行った。
だれもあの娘を
かどわかさないように!

小鳩よ、クークー啼け、
そよ風よ、さやさや吹け、
だれもあの娘を
かどわかさないように!

好きな娘の心変わりが心配な男の歌。月が光ると不安になり、あの娘の様子が気掛かりになります。月が沈んでしまった、もう休んではいられない、あの娘のもとへ急がないと…。小鳩よそよ風よ、ぼくに味方をしてくれ、ぼくの大好きなあの娘がそそのかされないように…。旋回するような円舞曲風の伴奏が忙しなく過ぎ行きます。まるで男の心の焦りが切ないように…。ホ短調・3/4拍子
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ブラームスの名曲60 歌曲「恋する女の手紙」に付いての追伸 2020.10.04

どんな作品でも、一つの曲を論じるには、様々な文献を当たります。それでも全てを知る前に止むを得ず論じて仕舞う場合も無きにしも非ずです。この作品47-5のゲーテの詩による「恋する女の手紙」も肝心要の情報を漏らしてしまいました。1868年の出版なのですが、この内の第2曲は1855年の作、そして肝心の第5曲「恋する女の手紙」は、1858年のゲッティンゲンで書かれており、そこに住むアガーテ(アガーテ・フォン・ジ−ボルト)との恋愛中に書かれていたのでした。

あなたの眼からわたしの眼に注がれる眼差、
あなたの口からわたしの口に与えられる口づけ、
わたしのように、そのことを少し知っている者には、
何かほかのものが楽しいと思われるでしょうか。

恐らく、恋の絶頂を迎えていた時期と符合するこの作品、ブラームスとアガーテは、見つめ合い、口づけをする仲になっていたのですね。

あなたから離れ、わたしの家族からも遠ざかって、
わたしは常にあれこれと思いを馳せていると、
いつもあの時、ただ一度の時に思い当り、
わたしは泣きだしてしまったのです。

離れ離れになる事もあり、独り住まいで、思いを馳せていると不安が募り、女(アガーテ)は泣いてしまう事もありました。

すると不意にまた涙がかわいて、
あなたは愛をこめて、この静けさに思いを秘め、
あなたの思いが遠いこの地に届くと思うのです。

冷静になると、きっとブラームスはわたしを思っていると信じ、またこの地に戻って来てくれる筈と信じたいのですね。

この愛の息吹のささやきをお聴きください。
この世で唯一つのわたしの幸せはあなたのお心です。
あなたのやさしいお気持ちの証しをお示しになって!

お強請りされたブラームス、大作曲家になる大志を抱いていたブラームスは痛恨の手紙を書いてしまうのです。「愛しているけど、束縛はされたくない」、結婚なんて、束縛を良しとする行為なのです。アガーテは失望し、婚約破棄を言い出すのです。二人は別れました。それでもこの恋で、多くの作品が残りました。そのほやほやの作品の一つが、このゲーテ詩の「恋する女の手紙」でした。
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2020年09月30日

ブラームスの名曲59 歌曲「恋する女の手紙」 Op.47-5 2020.09.30

「恋する女の手紙」 詩:ヨハン・ウォルフガンク・フォン・ゲーテ
あなたの眼からわたしの眼に注がれる眼差、
あなたの口からわたしの口に与えられる口づけ、
わたしのように、そのことを少し知っている者には、
何かほかのことが楽しいと思われるでしょうか。

あなたから離れ、わたしの家族からも遠ざかって、
わたしは常にあれこれと思いを馳せていると、
いつもあの時、ただ一度の時に思い当り、
わたしは泣きだしてしまったのです。

すると不意にまた涙がかわいて、
あなたは愛をこめて、この静けさに思いを秘め、
あなたの思いが遠いこの地にきっと届くと思うのです。

この愛の息吹のささやきをお聴きください。
この世で唯一つのわたしの幸せはあなたのお心です。
あなたのやさしいお気持ちの証をお示しになって!

女歌ですね。少し晩稲(おくて)のまだ生娘の恋歌です。何とも心震える女心を歌っています。こんな初心な女、それでもやはり女は女、哀れな自分の境遇を伝えつつも、シッカリ恋の証をお強請りしています。恋の駆け引き、女に勝たせてやるのが男の務めです?

自在に変化するピアノ伴奏、乙女の心理に沿って一体感を強めて行きます。その心理描写、並の作曲家が書ける代物ではありません。
posted by 三上和伸 at 20:11| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月29日

ブラームスの名曲58 歌曲「日曜日」 Op.47-3 2020.09.29

「日曜日」 L・ウ−ラント編集による民謡集より
そこでまる一週間も
恋人に会わなかったが、
ある日曜日にその娘が
戸口に立っているのを見た。
とても美しい娘だよ、
とても美しい恋人だよ、
今日娘の許にいられたら!

そこでまる一週間も
笑いがおさまりそうもない、
ある日曜日にその娘が
教会に行くのを見たから。
とても美しい娘だよ、
とても美しい恋人だよ、
今日娘の許にいられたら!

毎日曜日に教会で会う美しき娘、そっと陰から見守る内気な青年、これが恋の始まりですね。恋人と申していても、未だ相愛とは言えない関係です。切ない思いが胸を込み上げ、「一緒にいられたらいいな〜」と唯、憧れを抱くだけの青年ですが…。さあ、勇気を振り絞って愛の告白をしましょう。案ずるより産むが易し…。お前が動かなければ始まらない…。

この曲はブラームスの歌曲の中でも有名なもの、たしか日本の音楽の教科書にも載っていた記憶があります。ノリが良く調子が良いので歌い易い明るい曲です。前奏無しで単刀直入に歌が入り込んで来ます。2節の歌で、前奏は無いものの、間奏と後奏が美しいピアノ音で著されています。恐らく歌が青年で、ピアノが娘です。元気な歌と美しいピアノが見事な対比で曲をまとめています。
posted by 三上和伸 at 22:14| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月28日

ブラームスの名曲57 歌曲「恋の炎」 Op.47-2 2020.09.25

「恋の炎」 詩:ハーフィズ(ゲオルク・フリードリッヒ・ダウマー訳詩)
激しく燃える恋の炎と
心を苛むあやゆる苦悩を隠す
ことができようか。まわりの風がすべて、
ぼくの悲しみの理由を話すゆえに。

ほくがきみの行く道の埃にまみれていることを、
なぜきみはけなそうとし、またけなせるのか。
宿命を訴えるがいい。
それはすべての人間を襲うものだ!

すべての人々がどのように道を選ぶべきかを、
自らの、永遠の宿命が定めたゆえ、
ぼくから名誉も、信仰も、分別も奪えという
命令がきみの巻き毛に与えられたのだ。

前曲の「言伝て」と同じ作者の詩、前作の優しい恋歌とは打って変わって難解な詩、若い主人公の猜疑と苦悩が見え隠れしています。巻き毛が蠱惑的な恋人は悪女かしら…、でもその小悪魔的な女にイチコロなのがこの男の宿命なのです。名誉・信仰・分別を忘れて溺れてしまおう…

詩に合わせヘ短調で書かれていてブラームスの音も劇的です。ダイナミックなピアノ伴奏に乗って、迷い苦しむ歌が続きます。最後に納得したかのように、諦めの気持ちで終わります。
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2020年09月24日

ブラームスの名曲56 歌曲「言伝て(言って)」 Op47-1 2020.09.24

「言伝て」 詩:ハーフィズ(ゲオルク・フリードリッヒ・ダウマー訳)
そよ風よ、和やかに愛らしく、
あの娘の頬をそっと撫でて、
あの巻き毛をやさしくなぶり、
あまりいそいで吹きぬけるな。

哀れなわたしがどうしているかと、
もしあの娘が尋ねてくれたら、
「あの方はひどく思い悩んで、
とてもみじめな身の上ながら、

あなたのやさしいお心を知って、
いまは再び爽やかな気持ちで、
生きる希望が湧きました」と伝えよ。

ペルシャの詩人・ハーフィズの詩をダウマーがドイツ語に訳したテキストに依ります。優しくて爽やかな恋の歌です。そよ風を仲立ちにして、色香漂う娘の心を知り、異性を愛するときめきを知った男、この想いをまたそよ風に託します。幸せに溢れて…。

冒頭に、グラツィオーソ(優雅に)の指示があります。そよ風を模したアルペジオの伴奏が軽やかに進み、それに乗って恋心が優雅に歌い出されます。娘の肌と髪の匂い、それらを孕んだ風(はらんだかぜ)が心地よい、深く息を付けば、最早、男の心と体には幸福が漲ります。ブラームスは見事に風をつかみ、恋の奥義を開きました。

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2020年09月20日

ブラームスの名曲55 歌曲「小夜鳥に」 Op.46-4 2020.09.20

「小夜鳥に」 詩:ヘルティー(ルートヴィッヒ・クリストフ・ハインリッヒ)
りんごの木の花咲く枝から
恋の炎の燃え立つ歌を
豊かな音色で浴びせるな、
おお、小夜鳥よ!

おまえは美しい歌声を響かせて
わたしの愛の調べを呼び覚ます。
人を酔わせるおまえの叫びは
はや、わたしの心の絃を奮わせる。

すると、この臥床から眠りは去り、
死人のように青ざめ、やつれて、
わたしは涙に濡れた眼差しで
空をじっと見つめている。

小夜鳥よ、暗闇の緑の葉陰へ、
杜の木立の中へ飛び去って、
巣のいとしい妻に口づけを与えよ、
逃げ去れよ、逃げ去れよ!

小夜鳥とはナイチンゲールの事。夜に美しい声で鳴きます。その切ない声に感化された主人公は、琴線を刺激され眠気が覚めて仕舞いました。上手く行かない恋に、心細く心配は募るばかりです。それでも美しく鳴いてくれた小夜鳥、迷わず妻の許に帰り、妻を安心させなさい! わたしも何時か、そんな妻を見付けるよ!

ヘルティーは18世紀のドイツの詩人、早死にでしたが、美しい詩を書きました。ブラームスも5作に曲を付けています。

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2020年09月18日

ブラームスの名曲54 歌曲「マジャールの女」 Op.46-2

「マジャールの女」 詩:ゲオルク・フリードリッヒ・ダウマー
その気高い姿の眼のとろかすような
不思議な輝きに見入ったとき、
自分の眼の明るい閃きも
その光を失ってしまったのだ。

おお、神よ、私たちを歎かせ苦しめようとて、
何という姿をお造りになったのでしょう。
きらめく魅惑の光をたたえた、
このような黒い瞳の姿を!

あの瞳の輝きは私を眩惑して、
この世のあらゆる歓びを味わせる。
そして私の眼の届く限り、
どこを見ても真っ暗なのだ。

戯れ歌のように、静かに口遊んでいる歌です。真剣に愛を紡ぐのではなく、何か心ここに非ずの気怠さが潜んでいます。ブラームスとしては珍しいネガティブな歌です。でも私はこの気怠さが好みです。私は時々、このメロディーを口遊みます。何も考えずに気怠くネ…

*マジャ−ル(マジャル)人
モンゴロイド(アジア系人種、モンゴル・中国・東アジア)の遺伝子を持つコーカサイド(ヨーロッパ・中近東・北アフリカ・北西インドの人種)のハンガリー人を指します。混血を繰り返して現在の人種に至りました。

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2020年09月16日

ブラームスの名曲53 歌曲「花輪」 Op.46-1

「花の冠」 詩:ゲオルク・フリードリッヒ・ダウマー
この戸口の上に飾られよ、
ぼくの目の悲哀の涙で
しとどに濡れた花輪よ!
愛の目からは涙が溢れるものだ。

やさしい涙よ、お願いだから、
あまりに早く滴り落ちるな!
あの人が優雅な歩き方で戸口に
近づくまで、涙を溜めておこう、
ぼくにはつれない、いとしい人が。

あの人が来たら、涙がどっと
その金髪の上に流れるよう、
またその涙は苦悩の夜に
ぼくの目から溢れでたものと、
あの人が悟ってくれるように。

若き恋とはこうしたものでありましょうか? 私はもう少しシャンとしていましたがね。努力しても自分の思いが叶わない、でもこれは想いを相手に預け過ぎです。へりくだる男はモテません。意志を持って愛する事が必要です。誠意が通じなければ、諦める事が大事です。恋々とせず、お互いの自由を保障する事が恋の流儀です。

それでも音楽が美しい、伴奏のタタタンが動機となって曲が進みます。夢の中を彷徨うかのように、女々しくも陶酔に満ちた歌が歌われます。そして尚も、ブラームスの歌曲としては珍しく、前奏の他に後奏を長く引きずります。如何にも名残惜しそうに…、美しく…。
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2020年09月15日

ブラームスの名曲52 歌曲「領主フォン・ファルケンシュタインの歌」 Op.43-4

「領主フォン・ファルケンシュタインの歌」 詩:L・ウーラント編集の詩集より
領主フォン・ファルケンシュタインは
広い野を横切って馬を進めた。
領主は道端に立つ何者を見たが、
それは白衣をまとったひとりの娘だった。

「ファルケンシュタインさま、ごきげんよろしゅう!
あなたさまは一国の領主でしたら、
あらゆる乙女らの純潔にかけて、
私の手に捕らわれ人をお返しください!」

「捕らわれ人を返すわけにはゆかない、
その者は塔の中で朽ち果てよう!
ファルケンシュタインの二つの高い城壁の間に
一つの奥まった塔がそばだっている。」

「ファルケンシュタインの二つの高い城壁の間に
一つの奥まった塔がそばだっているのなら、
私はその城壁のほとりに立って、
あの人を助け出すことを試みましょう。」

娘は塔の周囲を何度も廻って言った、
「いとしい方、あなたはこの中にいらっしゃるの、
あなたにお会いできないなら、
私は気を失ってしまいますわ。」

娘は塔の周囲りを何度も廻って、
塔の戸を開けようとして言った、
「夜が一年間も続くとしても、
一時間だって厭だとは思わないわ。」

「私たちの領主の家来のように、
私が鋭利な短剣を持っていいなら、
いとしい人のためにわたしはその短剣で
フォン・ファルケンシュタインと闘うのだけど!」

「乙女と闘うわけに参らぬ、
それがわが名誉を汚すことになろう!
おまえに捕らわれ人を返すゆえ、
その者と共に国を立ち去れ!」

「この国から出て行きはしません、
何か人の物を盗んだわけではないから。
もし私が何かを残してきたとしたら、
それをまた取って来てもいいわけです。」

L・ウーラントが収集した低ドイツ語による民謡です。領主が娘に言い負かされて、罪人か何か知れませんが、曰くの恋人を取り返されてしまう物語です。一つの滑稽話と見ることが出来ます。ブラームスは、大道芸的な語り物として、この歌曲を書きました。ブラームスのイメージとしてはコミカル過ぎると思われますが、ブラームスは苦虫を噛み潰したような音楽ばかりを書いていたわけではありません。自分を知っていたので真面目な作品が多いですが、偶には、こんなふざけた音楽も書いたのです。あの大学祝典序曲もそんな音楽です。極めてふざけて陽気です。

*ルートヴィッヒ・ウーラント
ドイツ南部のテュービンゲン出身の詩人・ドイツ文学者、弁護士でもあり、国会議員でもありました。
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2020年09月06日

ブラームスの名曲51 歌曲「五月の夜」 Op.43-2

「五月の夜」 詩:ルートヴィヒ・クリストフ・ハインリッヒ・ヘルティー Op.43-2
白金の月影が
林の繁みを洩れて、
まどろむような光は
芝生一面にひろがり、
小夜鳥の鳴くとき、
私はもの悲しく藪から薮へさまよう。

葉陰に身を隠して、
番(つがい)の鳩が恋に酔うて
クークーと啼きかわすが、
私は向きをかえて、
なおも暗さの増す木陰を求め、
孤独の涙は流れる。

朝焼けの光のように、
わが心に浮かんでくる
ほほえんでいる面影よ、
私はこの世でいつあなたに会えようか。
すると孤独の熱い涙はふるえ、
頬をつたってはふりおちる。

朝焼けの光に浮かんでいる恋人はこの世の人なのでしょうか? 西洋の五月はもうすぐ夏と言う春の盛りの季節です。花も咲き乱れ、鳥たちは恋の歌を歌います。それでも私は涙を落とすばかり、切なくも悩ましい五月の夜、花の香さえ、涙を誘います。でも何時かはきっと会える、希望を持って行きましよう。

この曲も傑作です。この切なさ、この諦観、ブラームスのエッセンスが香る絶佳の歌です。やはり、ブリギッテ・ファスベンダーで聴きましょう。絶品です。
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ブラームスの名曲50 歌曲「とわ(永遠)の愛」 Op.43-1 2020.09.06

「とわ(永遠)の愛」 詩:ヴェンツィヒ Op.43-1
暗い、なんと暗いことよ、森も野も!
はや夜は訪れ、ものみな静まる。
いずこにも灯りは見えず、煙もとだえ、
ひばりも今は黙っている。

若者は村から出て、
恋人を家へ送ってゆく。
柳の林のほとりを通りながら、
思いのたけをさまざまに語る。

「恥辱に耐えて、歎いているのなら、
ぼくゆえに人から辱しめられるなら、
ぼくらの愛を早く終わらせよう、
かつて結ばれた時も早かったように。
雨や風によって別れることにしよう、
かつて結ばれて時も早かったように。」

語るは乙女、乙女は語る、
「わたしたちの愛は離れないわ!
はがねも鉄も本当に固いけれど、
わたしたちの愛はもっと堅いのよ。

鉄もはがねも鍛えなおせるけど、
わたしたちの愛を誰が変えましょう。
鉄もはがねも溶けさるかも知れないけど、
わたしたちの愛はとわに続くのよ!」

弱い男と強い女の恋、古今東西、恋の形態は様々ありますが、この歌の形がほぼ理想的と思われる方が多いのではありませんか? 男は女に救われる、でしたら女は何に救われるのでしょうか? それは男の熱意です。恋は男の心意気、弱くても努力をすれば好いのです。愛して愛して尚も愛す、女はそれを歓喜で受け止めます。

ブラームス歌曲の傑作の一つです。1864年、ブラームス31歳の作品です。ウィーンで作曲しました。ピアノ五重奏・弦楽六重奏2番・チェロソナタ1番・ホルン三重奏、そして「ドイツレクイエム」を作曲していた頃のものです。充実し切っており、ブラームス歌曲の中期を告げる歌です。

私の好きな録音は、ドイツのメゾソプラノ歌手ブリギッテ・ファスベンダーが1982年の4月にハンブルクで録音したものです。ブラームスの全18曲の歌曲が収められたアルバムです。暗いメゾの声音(こわね)ながら正確な音程、見事な発音、迫力に満ちた歌唱を聴かせてくれます。「とわの愛」は絶唱です。
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2020年08月19日

ブラームスの名曲49 アルトラプソディーOp.53 2020.08.19

生と死について、己の持っている全てを出し切ったドイツレクイエム、重い難物を書き終えて、喜び勇んで書いた愛の歌ーワルツOp.52、しかし捧げたユーリエ(シューマンの三女)は最早他人の妻、怒りと悲しみに打ちひしがれたブラームスが心の糧にしたのが、このゲーテの詩作でした。ブラームスはこの詩に失恋の痛手を注ぎ込み、見事な傑作に仕上げました。ブラームスは自らの創作力で、立ち直ったのでした。ユーリエ、素晴らしい音楽の守護女神、ブラームスに、そして我らブラームスファンに、珠玉の傑作2作をプレゼントしてくれました。

ハルツはドイツ中東部に控える山脈です。鬱蒼とした山地で、嘗てゲーテもここを歩いて登ったそうです。その時の紀行詩が「冬のハルツ紀行」です。ブラームスと同じで、ゲーテも恋に悩む人であったようです。18世紀のゲーテと19世紀のブラームス、二人の悲しい心が美しく一つに溶け合っています。

三部形式の形を取り、第一部は陰鬱なハ短調で、オーケストラに乗ってアルト独唱がレチタチィ−ボ風(叙唱・語り風)に歌われます。冬のハルツの神秘的な背景が表現されます。第2部はアリア(歌唱・抒情的な歌)で、自分の境遇や心境、恋のつまずきが歌われます。嫉妬や憎しみの感情が心を蝕んで行く過程が露呈されます。第3部はハ長調に変わり、神の竪琴の一音が彼を目覚めさせます。乾いた心にも直ぐ傍に愛の泉がある事を教えられます。男声合唱にも励まされ、青年は心を癒し、新たな自分を見出すのです。彼が主人公なのにアルト独唱、疑問ですが、されど、アルトは、心を語るには打って付けの音域なのです。ソプラノほど色っぽく無く、テノールのような軽薄も無い、バリトン・バスの不安定な音感もありません。知的なアルトがベストなのです。

原詩 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ
『ゲーテの「冬のハルツ紀行」からの断章』 author:ISATTさんの訳詩に依ります。

しかし、ひとり離れていくのは誰か?
茂みの中に、小道は見えなくなる。
彼の後ろで、木ずれの音がする、
灌木の枝と枝とが(立てる音)。
(踏みしだかれた)草は立ちなおり、
荒野が彼を呑み込んでしまう。 第1部

ああ、誰がその苦痛を癒すだろう?
癒しの香油を毒薬に化かしてしまった者の(苦痛を)。
人としての憎しみを、
溢れる愛から飲んでしまった者の(苦痛を)。
まず人が蔑み、今は人を蔑む者となり、
彼はひそかに消耗する、
自分自身の価値を
満たされることのないエゴイズムに。 第2部

あなたの竪琴が、
愛の父なる神よ、ひとつの音が
彼の耳に聴こえるのならば、
彼の心を元気付けてください!
彼の曇った眼差しを開いてください、
数限りない泉があることに、
渇している者のすぐ隣に、
不毛の地でも! 第3部

演奏=アルト(コントラアルト):クリスタ・ルートヴィヒ ウィーン楽友協会合唱団 カール・ベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
好い曲だとは思っていました。しかし数ある録音を聴いてきましたが、真のブラームス的感動を得られずにいました。ところが先日購入したカール・ベーム指揮ウィーンフィルのブラームス交響曲全集には、オマケにこの「アルトラプソディー」が付いていました。一聴した途端、私はこの曲の虜となりました。16分10秒に及ぶゆったりとしたテンポ、ベーム・ウィーンフルの深い響きに乗ったルートヴィッヒの歌唱、正に苦悩から希望へと飛躍するコントラアルトの絶唱でした。これこそがブラームスでした。抉るような苦悩の表現、希望に満ちた愛の歌声、私の魂にグサリと刺さりました。この充足感、もう、私は離れられなくなりました。

クリスタ・ルートヴィヒは長らくウィーン国立歌劇場のメンバーでした。声域はメゾ・ソプラノでしたが、音域が広く、アルトからソプラノまで、様々なオペラの役柄を担って来ました。オーストリアの宮廷歌手の称号を与えられ、オーストリア・ドイツの各地の歌劇場に出演しました。そしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場にも登場し、その名声は世界的となりました。1928年3月16日生まれで、92歳、存命です。

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2020年08月09日

ブラームスの名曲48-17 愛の歌ーワルツOp52-18 「繁みがふるえている」 2020.08.09

第18曲「繁みがふるえている」
繁みがふるえている、
一羽の小鳥が、飛び立ちながら
かすめていったのだ。
おなじように、私の心も
愛と、悦びと、苦悩とに
かき乱されて、ふるえている。
お前のことを思いながら!

未練がましい詩作ですが、まだ恋心は冷えてはいないようです。胸は時めいているのですね。作戦を練り直して、今度は正面突破で立ち向かうしかありません。正々堂々と恋をしましょう。尊敬と信頼を持って、希望を膨らませましょう。

ブラームスの愛の歌ーワルツOp52はこれでお終いです。様々な愛の形の詩を吟味して、曲を付けています。一曲一曲は小さいけれど、多岐にわたり個性が際立ち、十分な内容を持っています。恋愛の多様さを感じさせてくれました。
posted by 三上和伸 at 23:25| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラームスの名曲48-16 愛の歌ーワルツOp52-17 「歩きまわるんじゃない、ぼくの光明よ」 2020.08.09

第17曲「歩きまわるんじゃない、ぼくの光明よ」
歩きまわるんじゃない、ぼくの光明よ、
家の外の原っぱなんかを!
お前の足が、やわらかい足が
ひどく濡れる、ひどく荒れる。

あそこじゃなにもかも水びたしだ、
お前の通る道も、わき道もーー
あそこでぼくの眼があんなに沢山
涙を流したものだから。

これは完全な失恋の歌ですね。テノールの男が歌っています。もう僕を放って置いてくれと自棄を起こしています。僕の光明は光明で無くなり、禍のタネに過ぎなかったのです。涙で洗い流しました。
posted by 三上和伸 at 13:14| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月08日

ブラームスの名曲48-15 愛の歌ーワルツOp52-16 「恋は真っ暗な、深い穴だ」 2020.08.08

第16曲「恋は真っ暗な、深い穴だ」
恋は真っ暗な、深い穴だ、
ひどく危険な底なしの井戸だ。
まんまと落ちこんだ哀れな私は
もう聞くことも、見ることもできない。
ひたすら恋しいひとを思い、
ひたすら悲しみにうめくばかり。

恋の予感、恋の流儀、恋の喜びに震えて来ましたが、終曲に近づいて、失恋の悩みを訴える歌も出て来ました。恋は儘ならないもの。その事を知る事も大事、経験を重ねて大人の愛を育むのです。相手に左右されるのではなく、自分の意志を掴むのです。そうすれば恋愛は美しく成就します。

恋の迷路に迷い込んだ私、二進も三進も行かなくなりました。一生懸命尽くしても、暗闇を脱するのは難しい…。そこで、諦める事も大切、相手を縛ってはなりません。相手に自由を与え、自分も自由になるのです。そして新しい恋をすれば好いのです。好い男、好い女、そんなもの、腐るほどいる。
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ブラームスの名曲48-14 愛の歌ーワルツOp52-15 「夜鶯があんなに美しく歌っている」 2020.08.08

第15曲「夜鶯があんなに美しく歌っている」
夜鶯があんなに美しく歌っている、
夜空に星がきらめく時に。
私を愛しておくれ、したわしい心よ、
私にキスしておくれ、闇にまぎれて!

*夜鶯(よるうぐいす)=小夜啼鳥(さよなきどり)、西洋ではナイチンゲールと呼ばれ、詩作には良く出てきます。宵の口や明け方に良く鳴きます。

星が煌めき始める頃、ナイチンゲールも鳴き出します。まるで私に同情するように美しく悲しげに…。こんな夜は慕わしい貴方の愛が欲しい、できるなら貴方のキスが欲しい…。欲しがってばかりの恋人、困ったものですね。女歌なら許されますが、男歌なら止めて欲しい…。愛とは与えるもの、欲しがるものではありません。大人なら…、優しく愛しましょう。それでも女々しい詩でありながら、ブラームスの音楽は明るく美しい…、大人の音楽になっています。
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2020年08月07日

ブラームスの名曲48-13 愛の歌ーワルツOp52-14 「ごらん、波がなんと明るいことか」 2020.08.07

第14曲「ごらん、波がなんと明るいことか」
ごらん、波がなんと明るいことか、
月が下界を見おろす時に!
お前、ぼくの愛するひとよ、
ぼくをもう一度愛しておくれ!

月が煌々と水面を照らしています。月夜には魔力が潜むと古から伝わっています。光る波の不思議な力が僕を目暗らまし、僕は狂おしく錯乱してしまいました。愛するお前よ、もう一度僕を愛して欲しいと、懇願せずにはいられなくなるのです。でもそれは錯覚です。意思を相手に託しては駄目なのです。自分の力でもう一度、愛を掴み直しましょう。男はひたすら愛することです。それが駄目なら、直ぐに引き下がることです。次の女性を見つけましょう。
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ブラームスの名曲48-12 愛の歌ーワルツOp52-13 「小鳥が大気をそよがせて飛ぶ」 2020.08.07

第13曲「小鳥が大気をそよがせて飛ぶ」
小鳥が大気をそよがせて飛ぶ、
いこいの枝を求めながら。
心はひとつの心にあこがれる、
至福にいこわせてくれる場所を。

小鳥は私…、私は安住の地を求めています。私の心は貴方(貴女)の心に憧れています。幸せ一杯な優しい貴方の胸の中に…。こんな境地を歌っています。男と女は求め合います。そこに安らぎがあり、終の棲家があります。
posted by 三上和伸 at 17:44| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月04日

ブラームスの名曲48-11 愛の歌ーワルツOp.52-11と12 「いいや、ぼくは世間の奴らと」「錠前屋よ、起きろ!」 2020.08.04

第11曲「いいや、ぼくは世間の奴らと」
いいや、ぼくは世間の奴らと
仲よくつきあうわけにはいかない、
奴らはものごとを、一切万事、
悪意にとるのが十八番なんだから!

ぼくがうきうきしていると、
浮気心を抱いているといわれる、
ぼくがおとなしくしていると、
恋わずらいだとうわさされる。

第12曲「錠前屋よ、起きろ!」
錠前屋よ、起きろ! 起きて、錠前を作ってくれ、
数かぎりなく!
世間の奴らのたちの悪い口にはめてやりたいんだ、
どいつにもこいつにも!

第11曲と12曲は繋がっていて、一括りにされています。同じメロディーが使われていて、11曲が前置きで、12曲が結論です。周りの評判を気に病んでいる青年がいます。若さとはこう言うもので、自棄(やけ)を起こし、自分自身を失ってしまっています。私のように年配になると、周りの評価など気にせず、唯我独尊の境地に浸ります。己が信ずる道を歩めば、結果は自然と付いてきます。そこに駄目な私が存在するなら、それは努力が足りなかった、思慮が足りなかった結果です。反対に、にこやかな私が居れば、私の人生は成功したのです。自棄を起こさず努力する事、そうすれば美しい終末が観えて来ます。ブラームスはこの時点で、それを知っていたのではないかしらね…。少なくとも先達の思想(文芸作品)の中だけでも…。
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2020年08月02日

ブラームスの名曲48-10 愛の歌ーワルツOp.52-10 「おお、なんとおだやかに」 2020.08.02 

第10曲「おお、なんとおだやかに」
おお、なんとおだやかに水の流れが
草原をうねっていることだろう!
おお、なんとすばらしいことだろう、
愛と愛が出会うことは!

詩を読めば、一瞬の内に草原の嫋やかな小川が目に拡がります。二俣の川の合流する場所もあることでしょう。異なる質の水が合わさり、一つの流れとなって下ります。恋も同じ、二つの魂が溶け合い、一つの家庭が出来上がって行きます。個性は違えども色が交ざり、虹色の川となって河口へ下ります。
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ブラームスの名曲48-9 愛の歌ーワルツOp.52-9 「ドナウの岸辺に」 2020.08.02

第9曲「ドナウの岸辺に」
ドナウの岸辺におうちが一軒、
娘ざかりが窓からのぞく。
あの子箱入り、難攻不落、
戸口にゃ、鉄のかんぬき十本。
お笑い草だよ、かんぬき十本。
ガラスみたいにぶっとばしてやるさ!

元気の良い若者たちの憧れの的がドナウの岸辺の一軒家に住んでいます。窓から観える彼女はとても魅力的でした。ところがここの親父は箱入り娘が大事でなりません。あらゆる防御を張っています。古今東西、こんな親父に戦いを挑む若者は跡を絶ちません。きっと誰かが美しい果実を頂くことになるのでしょう… それは私です?… 音楽は、メルヘンチックな優しい語らいに、威勢の良い啖呵が交錯します。でも結局、娘を思いやる心情が勝ります。


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2020年07月31日

ブラームスの名曲48-8 愛の歌ーワルツOp.52-8 「お前のひとみがそんなにやさしく」 2020.07.31

第8曲「お前の瞳がそんなにやさしく」
お前の瞳がそんなにやさしく、
そんなに愛らしくぼくを見つめると、
ぼくの心を灰色にとざしている
悲しみはみんな消えてしまう。

この愛の美しく燃える炎を
塵のようにとび散らせてはならない!
ほかの誰かが、ぼくほど誠実に
お前を愛することは決してないだろう。

優しく愛らしい瞳が、僕に愛の核心を教えてくれました。男には良くある思いであり、錯覚でもあります。ここで男の価値を決める決断があります。愛しい娘を幸せにできるのか? 誠実な男は常にそれを考えています。そして確たる勝算が立てば、男は意を決し、プロポーズをするのです。娘を最上の幸せで包み込むのです。
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2020年07月30日

ブラームスの名曲48-7 愛の歌ーワルツOp52-7 「私のいのち、私の愛するひとと」 2020.07.30

第7曲「私のいのち、私の愛するひとと」
私のいのち、
私の愛するひとと
以前はとってもうまく
いっていた、
一枚の壁どころか、
十枚の壁を通して
恋人の眼力は
私を見つけだしたものだ。

それが今は、悲しいことに、
あのつめたい男の眼の前に
くっつくようにして
立っていても、
私に気づかないのだ、
彼の眼も、心も

よくある話の男の心変わりと言うものですね。こんな男は無いもの強請りをする性悪な男です。付き合って相手の全てが解ってしまえば、興味を失う男です。直ぐに別れたほうが好いですね。恋とは、相手の心が解り、それに馴染むことで、愛着が生まれるのですね。尊敬も信頼も生まれるのです。そう言うものに、価値を見出せない男は、捨て去るに限りますね。無理していても、碌でもない結果に陥るだけです。直ぐに新しい男を見付けるべきです。

男女の心の襞に分け入る愛の歌、ポジティブな歌ばかりではありません。ちゃんとネガティブなものも用意してあります。このCDではアルトの声部の女声の歌になっています。
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2020年07月29日

ブラームスの名曲48-6 愛の歌ーワルツOp52-6 「一羽の小さな、かわいい小鳥が」 2020.07.29

第6曲「一羽の小さな、かわいい小鳥が」
一羽の小さな、かわいい小鳥が飛んできた、
果物がたわわに実っている庭園に。
私が小さな、かわいい小鳥だったら
ためらわずにおなじようにするだろうよ。

わる賢こいもち竿がそこに待ち伏せていた、
哀れな小鳥はもう逃げられなかった。
私が小さな、かわいい小鳥だったら
用心して、あんな真似はしないだろうよ。

小鳥はきれいな娘の手に入り、その手は
果報者の小鳥をいじめはしなかった。
私が小さな、かわいい小鳥だったら
やっぱりためらわずにおなじようにするだろうよ。

空想上のお伽噺ですね。一人称の私、これは男の子ですね。小さな小鳥になって男の子は果物畑に入りました。でも、そこには鳥もち着きの捕鳥枝がありました。小鳥の男の子はまんまと捕まり、きれいな娘のものになりました。きれいな娘は小鳥を大事にし、愛しました。果報者の小鳥になった男の子、籠の鳥ながら、幸せに暮らしたとさ・・・。籠の代償はあれど、こんな幸せも悪くないかもね…。皮肉を込めたお話しながら、音楽はあくまでも美しい…、それは小春日和の午後のひと時に起きた出来事…


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ブラームスの名曲48-5 愛の歌ーワルツOp52-5 「緑のホップのつるが」 2020.07.29

第5曲「緑のホップのつるが」
緑のホップのつるが
地面を這っている。
若い、きれいなあの娘の
心は重くふさぎこんでいる。

ねえ、ちょっと、緑のつるよ、
お前はどうして上に伸びないの?
ねえ、ちょっと、きれいな娘さん、
なんだってそんなに胸が重いの?

つるがどうして伸びあがれよう、
支柱の力も借りないで?
娘がどうして朗らかになれよう、
恋人と遠く離れているのに?

短調の寂しい曲調、遠距離恋愛の娘の気持ちを蔓に代弁させています。この時代、交通機関が発達していませんでしたからね。でも娘さん、寂しいでしょうけれど、ここは忍耐、恋人を信じましょう。信じることから愛が生まれます。恋人はきっと貴女に喜びを与えてくれます。まことの愛の喜びを!
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2020年07月28日

ブラームスの名曲48-4 愛の歌ーワルツOp52-4 「夕べの美しいくれないのように」 2020.07.28

第4曲「夕べの美しいくれないのように」
夕べの美しいくれないのように
あわれな娘の私は燃えあがりたい、
ただひとりのひとの気に入るために
とめどなく歓喜をとび散らせたい。

女は女で、燃えるような恋がしたいのです。但し、誰でも好いのではなくて、心に決めた人と。女も男と同じように、そこが難しいのです。でもきっと上手くいきます。思いを募らせ、辛抱強く待てば…、女は淑やかに待つのです。女性は余裕があるのですね。明るく軽く、囁くような歌です。ブラームスも十分にその事は解っているようです。
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ブラームスの名曲48-3 愛の歌ーワルツOp.52-3 「おお、女というものは」 2020.07.28

第3曲「おお、女というものは」
おお、女というものは、女というものは
なんと歓喜を露と消えさせることか!
ぼくが早くから坊主になっていたら
この世に女なんかありはしなかったのに!

女性に興味津々の男の子、でも普通は、中々思いを遂げさせてくれません。一生不犯の僧職に着いてしまえば、女性に気を取られることはなかったのに…。ああ、でも本当は、女性と仲良くなりたい、こんな素敵な存在は、他にはないのだから…。哀願するような歌、優しく切ない音楽です。


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ブラームスの名曲48-2 愛の歌ーワルツOp.52-2 「巌の上を水が流れる」 2020.07.28

第2曲「巌の上を水が流れる」
巌の上を水が流れる
激しい勢いで、せき立てられて。
その時、吐息することを知らない者は
愛のもとでそれを学ぶのだ。

たった四行の一節の詩、具体的なようで、そうでも無い表現です。想像を凝らせば、激情の果てには、碌でも無いことが起きるもの、一寸一息、息を挟んで、思いを整える必要があります。愛することで、それが観えてきます。冷静に、相手に思い遣りを持ちましょう。
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2020年07月26日

ブラームスの名曲48-1 愛の歌ーワルツOp.52-1 「いってくれ、世にも愛らしい少女よ」 2020.07.26

ブラームスは、劇的効果を極力抑えた音楽作りをしています。大袈裟になることを好まず、その関心は、専ら人間の心の奥深い襞、そこに分け入ることを目指しています。一夜の音楽の興奮ではなく、千夜に思いを馳せる思索と感情の音楽、人間の心理の表現を第一に考えた音楽家でした。

そんなブラームスにとって、歌は最も適したジャンルでした。シューマンに見い出された頃より、ピアノ曲、室内楽曲、管弦楽曲も作っていましたが、何にも増して、歌曲こそが、ブラームスが最初に秀でたジャンルでありました。Op.32とOp.33の二つの傑作歌曲をものにしたブラームスが、この後に選んだ曲種が合唱曲でした。ブラームスはやはり、人間が発する声と歌に関心が深かったのでした。優れた文学的素養も身に着けていたブラームス、詩の選び方にも独特の才能がありました。ブラームスの歌の抑揚は、詩の抑揚とぴったり寄り添い、自然に流れるメロディーを持っています。

30歳代の合唱作品を列挙してみますと、宗教合唱曲Op.37、女声合唱曲Op.44、ドイツレクイエムOp.45、カンタータ《リナルド》Op.50、愛の歌Op.52、アルトラプソディーOp.53、運命の歌Op.54、勝利の歌Op.55、新愛の歌Op.65など都合9編が10年の間に作られています。傑作・名作ばかり、正にブラームスの合唱曲の黄金時代と言えるのです。

巨大な作品であるドイツレクイエム、長時間の緊張に強いられていたブラームスは、漸くレクイエムを完成させ、大きな成功を収めました。気分が緩むのは当然で、ユーリエへの思いとともに、歓喜の内にこの愛の歌ーワルツを作曲しました。ブラームスの創作意欲についてクララ・シューマンが述べています。夫のローベルト・シューマンには常に産みの苦しみが着いて回っていたとのこと。しかし、ブラームスは喜々として作曲する強い創作意欲があり、クララは17歳も年下のブラームスを強く尊敬したのだそうです。その伝で、ブラームスは何の苦労も知らず、最高に楽しんで、この愛の歌ーワルツを完成させたのです。

四手のピアノ(連弾の事)と四声部の歌で構成されています。歌は四重唱もしくは四部合唱でも良く、柔軟な指示がされています。詩はゲオルク・ダウマーが訳した外国の愛の歌の歌集(ポリュドーラ)で、18の詩に曲が付けられています。また歌無しでも良く、連弾ピアノワルツ集でも可能とされています。3/4拍子のワルツ、もしくはレントラーで、気難しさは皆無で、愛の喜び、人生の喜びを歌う楽しい曲集です。

第1曲「いってくれ、世にも愛らしい少女よ」
いってくれ、世にも愛らしい少女よ、
クールなぼくの胸の中に、
そのまなざしでもって、この荒々しい、
この焼けつく感情を投げこんだ少女よ! (男歌)

お前は心をやわらげる気持ちはないのか?
あんまりおぼこ過ぎるものだから
愛の喜びも知らずに夜をすごす気なのか、
それとも、ぼくに来て欲しいのか? (男歌)

愛の喜びを知らずに夜をすごすなんて
そんなつらい償いをする気はないわ。
どうぞ来て頂戴、黒い眼の若者よ、
来て頂戴、星のまたたく時に。 (女歌)

逢引き?、夜這い?、陽気ですが、意味深な言葉が並びます。まあ、男と女、やる事は何処の世界でも同じですから、興奮の一夜となるのでしょうね。好いですね。目くるめく陶酔の一夜。




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2020年07月25日

ブラームスの名曲47 傑作合唱曲2編 2020.07.25

先日の歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」の終了で、初期(前期)の歌曲の大半の紹介をし終えました。中期・後期に移る前に今しばらくは、30歳代に沢山書かれた重唱・合唱曲を紹介してゆきたいと思います。ブラームスの30歳代は、管弦楽曲は無く(伴奏としては多く使う)、室内楽は4曲、それにピアノバリエーションがパガニーニ変奏曲の1曲と、器楽曲よりも声楽曲に偏った年代でした。特に大傑作「ドイツレクイエム」に費やされた時間は長く、その副産物の合唱曲が数多作曲された訳で、この時代はブラームスの合唱曲の黄金時代と言ってよいでしょう。壮大深遠な「ドイツレクイエム」は後回しにして、ここでは「愛の歌ーワルツ」Op.52と「アルトラプソディー」Op.53の2曲を紹介したいと思っています。

この2曲に限定したのには訳がありまして、この2曲の陰には、ブラームスの私生活面に大きな影響を及ぼした、若く美しい娘がいたからでした。その名はユーリエ・シューマン、シューマン家の三女で、母クララ似の上品な娘でした。いつの間にか、このシューマン家の三女に恋心を抱いたブラームスは、大好きな詩人・ゲオルク・ダウマーの詩集『ポリュドーラ』(主にイランの詩人・ハーフェズなどの翻訳詩集)を選び、この詩を使い、無上の幸福感の中で、ユーリエのために、18曲の愛の歌を作曲しました。インクの匂いが鮮烈な刷り上がったばかりの楽譜を、ブラームスはユーリエに捧げました。ところがどうしたことでしょう、ユーリエは困惑するばかり。この時、ユーリエはイタリアの貴族と婚約を済ませたばかりでした。ブラームスは失恋したのです。

失恋したブラームス、普通の男なら焼けになって酒を煽るだけですが、ブラームスは根っからの作曲家、こんな日のために、ある素晴らしい詩を仕入れて温めていたのです。その詩の名は、ゲーテの「冬のハルツ紀行」、ブラームスは自らに怒りを込めて傑作を書きました。「アルトラプソディー」、嘆きと憂い、そして慰めに満ちた真の傑作です。

陽の「愛の歌」、陰の「アルトラプソディー」、とんでもない両極端の性格を持つ、二つの傑作を作らせたユーリエ・シューマン、音楽史に貢献した素敵な女性です。

曲紹介は、次回から…
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2020年07月21日

ブラームスの名曲46-O 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第15曲「まことの愛はとこしえに」 2020.07.21

あらすじN
ペーターとマゲローネは、この再会の地に、宮殿(離宮)を建てた。そしてこの地に一本の苗木を植えた。毎年花が咲くその木を愛でては、この喜びの歌を歌い暮らした。(第15曲「まことの愛はとこしえに」)。

第15曲「まことの愛はとこしえに」
まことの愛は絶えることなく、
いつまでも生きながらえる。
どんな疑いも愛に不安を抱かせず、
愛の勇気は衰えることもない。

嵐と死が群れ集うておびやかし、
移り気へといざなうとも、
愛はそれらの危険に
真心をもてたちむかう。

心の重荷となっていたものが、
霧が晴れるように崩れおちて、
明るい春の日差しには
広い世界が開かれる。

幸福は愛によって
必ず勝ち得られ、
時は消え失せ、
逃げ去ってゆき、

この世ならぬ楽しみが
酔いしれて、
歓びときめく胸を
鎮めかつ充たす。

その楽しみは永遠に
苦しみと袂を分ち、
快く幸せな、この世ならぬ楽しみが
いついつまでも消え去らないように!

苦難を乗り越え、純愛を貫いたペーターとマゲローネ。男の行動と女の守り、古今東西、男と女はこんなものですね。そこに愛があり、忍ぶ心があれば、恋愛はそして結婚は、上手く行きます。これは、ティークの恋人たちへのエールであり、ブラームスの若人への応援歌ですね。恋をし、人を信じ、幸福になりましょう。ブラームスの傑作歌曲集「マゲローネのロマンス」はこれで終了です。
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2020年07月20日

ブラームスの名曲46-N 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第14曲「何と楽しく爽やかに」 2020.07.20

あらすじM
消息を絶った息子ペーターの身を案じていた父母のもとに、御用達の漁師が大きな魚を献上してきた。料理人が捌くと魚の中からあの母親がペーターに渡した三つの指輪が出てきた。父母はまだペーターが生きているのではないかと、一縷の望みを抱く。

ペーターはズリマの歌が聴こえないところまで来ると、勇気を振り絞って、大海原に漕ぎ出す。航海中、逆境に負けぬように第14曲の「何と楽しく爽やかに」を歌い自らを励ましながら大海を漂流する。やがて渡りに船のフランスへ向かうキリスト教徒の船と出会う。ペーターは助けられ、地中海の小島で休憩をとることになった。ペーターは一人、花畑で、マゲローネのことを思っていると、不意に眠りに落ちてしまう。出帆の銅鑼(どら)が鳴るのにペーターは覚めず、置いてけぼりを食ってしまう。失神していたペーターを、島を訪れていた漁師が発見し、ペーターを羊飼いの老夫婦の下に連れてゆく。ペーターは、この老夫婦の世話になった。ところがこの老夫婦は、浪々のマゲローネが身を寄せている夫婦であり、マゲローネは直ちに、ペーターの存在に気づく。二人は再会を喜び、ペーターの故郷へ帰り、ペーターは両親にマゲローネを紹介する。目出度し目出度し、二人は結婚する。

第14曲「何と楽しく爽やかに」
何と楽しく爽やかにわが心の高まることか。
すべての不安はかげをひそめ、
この胸は新たな勇気をだし、
新たな望みが目覚める。

星くずは海に映り、
水面は黄金色に光っている。
わたしはあちこち波に揺られて、
苦楽をよそにして漕いでいた。

疑惑とためらう心は
やがて薄れていった。
舟をゆすぶる大波よ、
憧れてやまぬ故郷へとわたしを運んでくれ。

おぼろにかすむ、なつかしい彼方から
故郷の歌がが呼んでいる。
どの星からもあのひとが
優しい瞳で見おろしている。

親しい波よ、しずまれ、
船路遥かにわたしを運べ、
あのいとしいひとの家へ、
やがてわたしの幸せへとつれてゆけ!

第14曲「なんと楽しく爽やかに」は、子供でも容易に読むことができる明快な歌でした。ズリマには可哀想でしたが、ズリマと別れて、ペーターは再度、自由を獲得しましたね。自分の意志、それを叶えることこそが本当の自由、解き放たれたペーターは思いのままの行動を起こします。困難が待ち受けても、願いは叶うものです。努力さえすれば…。男は愛する者のために身を投げるのです。

訳詞:志田麓さん、あらすじ参考:フリー百科事典『ウィキペディア』ティークのマゲローネのロマンス


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2020年07月18日

ブラームスの名曲46-M 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第13曲「恋人よ、何処に(ズリマ)」 2020.07.18

あらすじL
スルタンの下で2年の歳月を生きて来たペーター、この国で身分を認められ、尊敬を集めて来たが、スルタンの娘の美女ズリマが、ペーターに心を寄せていた。ズリマは頻りとペーターにモーションを掛け、この恋は周囲にはばかる恋と自覚して、ペーターに駆け落ちを迫った。2年の歳月で、マゲローネを失ったと錯覚したペーターは、ズリマの求愛に応え、駆け落ちを承諾する。しかし前夜、夢でマゲローネに会い、改めてマゲローネへの愛と自らの信仰(ペーターはキリスト教、ズリマはイスラムで、異教徒)を守る決意をする。当夜、小舟でズリマと待ち合わせをするに当り、それに背き、ペーターは一人で船出をする。「わたしはここよ!」とズリマは合図のための歌(第13曲「恋人よ、何処に」)を歌い、ペーターを待っている。ズリマよ気の毒に、おまえはペーターに裏切られたのだよ。

第13曲「恋人よ、何処に」
あなた、どこでためらっているの、
そのよろめく足どりで。
小夜鳥が憧れと口づけの
話しをしてくれているのに。

樹々は黄金の輝きの中で
ささやいているし、
夢は窓から
わたしに忍びよる。

ああ、貴方はときめく胸の
焦がれをごぞんじなの。
苦しみと楽しみに充ちた
この想いと望みとを。

おおいそぎで
わたしを救いだしてね。
夜の間に
ここから逃れましょう。

帆は風をはらみ、
恐れなどとるにたらず、
波の彼方には
祖国がある。

故郷を離れたものは、
故郷へと向かって行け!
愛は力強く
その心をひきつける。

聞け!楽しげに
海の波はざわめき、
波頭は勇ましく
とびはねてくる、

波に何の嘆きがあろうか。
波はあなたを呼んでいる!
波はそれと知って、
愛をここから連れ去ろうとしている。

ペーターは女たらしではありませんがモテ男で、絶世の美女から愛される運命を持った男でした。白肌の美人に、黒光りの艶肌の美女、二人にモテてしまった幸せな男でした。一人は裏切ってしまいましたが、最初のマゲローネには男の操を立てました。可哀想なのが黒光りのズリマ、身分は上々でしたが、異教徒でした。日本からは想像しがたいですが、これらの民族は宗教が第一、それを犯しては全てを失います。人間として破棄されてしまうのですね。ズリマは破滅を逃れました。

愛らしいズリマ、異国情緒漂うオリエンタルな曲で、黒いズリマの躍動感が溢れます。魅力的な音楽です。

全15曲の歌は、第1曲が三人称で、ペーターの歌は11曲に上っています。マゲローネは第11曲の「光も輝きも消え失せて」の1曲で、あと1曲がこのズリマの第13曲「恋人よ何処に」です。
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2020年07月17日

ブラームスの名曲46-L 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第12曲「悲しい別れに」 2020.07.17

あらすじK
漂流したペーターは命からがら出くわしたムーア人(北アフリカの黒人イスラム教徒)に捕らえられた。屈強な騎士のペーターの、その体躯の良さから、ムーア人はバビロンのスルタン(国王)にペーターを差し出した。スルタンはペーターを気に入り、庭番に任命する。それでもペーターは片時もマゲローネを忘れられず、思いの丈を歌い、ツィターを掻き鳴らす。第12曲「悲しい別れに」。

第12曲「悲しい別れに」
まことの心をも破るような
別離は避けられないものなのか。
いな、わたしはこれを生きることとは呼ばない。
死ぬことはこれほど辛いことではないのだから。

わたしが羊飼いの音をきくと、
心から悲しくなってしまい、
夕焼の空をみると、
たまらなくきみを想い焦がれる。

いったいまことの愛情はないものだろうか。
苦悩と別離は避けられないものだろうか。
もしわたしが愛されないままでいるとしても
それでも希望の幻影を抱いているのだろうか。

しかし今はこんなに嘆かずにはいられない、
墓場のほかどこに希望があるだろうかと。
遠く離れて惨めさをかこって行かねばならない、
ひそかにこの心は破れようとするのに。

バビロンのスルタンの宮殿の庭で、ペーターはマゲローネを思い、身悶えをします。心を決めてひたすら待っているマゲローネの心根に比べれば、男は弱いものです。ボロボロのペーター、ここにはサルタンの娘ズリマが手ぐすね引いてペーターを誘惑しようとしているのです。さて、ペーターの男の価値が問われる運命が押し寄せています。ツィターのアルペジョオに乗って、ペーターの嘆き節が聴かれます。ペーターは、マゲローネの愛に応えられるのでしょうか。第6の傑作

posted by 三上和伸 at 20:42| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラームスの名曲46-K 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第11曲「光も輝きも消え失せて」 2020.07.17

あらすじJ
幸せな眠りから目覚めたマゲローネ、しかし辺りにぺーターの姿はなく、マゲローネは一人とり残されてしまった。ペーターを待つが、幾ら待ってもペーターは帰ってこない。もはやペーターの身に何かが起こったのだと判断し、マゲローネは野を越え山を越え街を越えて、一人で旅をする。やがて、山小屋に住む老夫婦と出会い、静かで穏やかなこの地に老夫婦と一緒に暮らし始める。羊飼いの仕事を手伝い、近くの海岸に難破漂着した人々を助けたりしながら、ペーターを待っている。一人でいる時は、自らの心境を歌にして、語り歌う。歌曲集の中の唯一のマゲローネの歌、第11曲「光も輝きも消え失せた」を…。

第11曲「光も輝きも消え失せた」
光も輝きも
何と早く消え失せることか。
朝になると
花輪がしおれてしまっている、

きのうはあんなに華やかに
咲きほこっていたのに。
その花輪は
暗い夜の中にしぼんでしまったのだから。

人の世の波は
彼方へと過ぎ去り
海の波が明るく染まるとも、
何の甲斐もないことだ。

陽は傾き、
夕焼は消え失せ、
影はしのびよって
夕闇はひろがる。

このように愛情は
荒海へと去っていった。
ああ、愛情が墓のほとりまで
続けばよいのに。

しかもわたしたちは
深い苦悩へと目覚め、
小舟は砕け、
光は消えた。

美しい国から
遠くへだたった、
荒れはてた浜辺に運ばれて、
夜の帳(とばり)につつまれている。

蝶よ花よと歌われ育った姫マゲローネでしたが、その心は気丈で雌伏に耐え、ペーターの船が辿り着くのを待っています。難破した人々を助けているのも、ペーターがここに来て助けを求めることを信じての行為です。切ない思いの心を押し殺しての幽かな希望の歌です。美しい歌です。第5の傑作です。
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2020年07月15日

ブラームスの名曲46-J 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第10曲「ざわめくがよい、泡立つ波よ」 2020.07.15

あらすじI
マゲローネの胸の赤い包みにはペーターの3つの指輪が入っていた。二人の愛の証をマゲローネが大切にしている、ペーターは嬉しくて感動していた。心が緩んだその隙に、カラスが飛んできて、その3つの指輪の袋を奪って飛び去った。石を投げ付けるもカラスは怯まず、ペーターは指輪を取り戻すことができなかった。やがて海岸に出ると、カラスは沖の岩場に指輪を落として去って行った。ペーターは、浜に捨てられていた小舟に乗り、その岩まで指輪を取りに行こうと海上に出た。しかし、嵐が襲い、小舟は流され、ペーターは漂流し、とうとう、ペーターはマゲローネの下に返ることができなかった。ペーターは絶望する。(第10曲「ざわめくがよい、泡立つ波よ」)

第10曲「ざわめくがよい、泡立つ波よ」
さあ、ざわめくがよい、泡立つ波よ、
そしてわたしをめぐってうねるがよい!
不幸せがわたしのまわりで声高に吼え、
恐ろしい海がたけり狂おうとも!

わたしは吹きすさぶ嵐を笑い、
さかまく怒涛をあざけろう。
おお、巌がわたしを打ち砕けばいいのに!
よいめぐりあわせにはならないだろうから。

わたしは欺くまい、
難破して、わだつみの底深く沈もうとも!
わたしの瞳は愛の星を見ようとして、
晴れやかになることはもはやあるまい。

さあ雷雨を伴って山から吹きおろし、
わたしに襲いかかれ、嵐よ、
巌が互いにうち砕き合うように!
わたしは破滅した男なのだ。

甘い愛撫の先には皮肉にも困難が待ち受けていました。不吉な黒い鳥カラスが悪役を演じています。マゲローネを想うも雷鳴は轟き、さかまく波に揉まれて絶望の淵・わだつみに飲み込まれてしまうのです。全曲で最も悲劇的な曲、第1、第4交響曲を書いたブラームスの手になる疾風怒濤の曲調、見事な曲です。第4の傑作

*わだつみ=海の神・海神、この詩の場合は、海そのものを指しています。

posted by 三上和伸 at 09:08| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月14日

ブラームスの名曲46-I 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第9曲「憩え、愛しい人よ」 2020.07.14

あらすじH
その夜、マゲローネとペーターは密やかに出立した。二人は馬で、海岸沿いの森の中を進んだ。朝になると、二人が駆け落ちした事が発覚した。ナポリ王は追手を差し向けたが、二人は見付からなかった。ペーターとマゲローネは、幸せに包まれたが、やがてマゲローネが疲れて、丁度良い木陰で休むことにした。休むマゲローネに、ペーターは優しく子守り歌を歌った。第9曲の子守り歌「憩え、愛しい人よ」。ペーターは、マゲローネの胸元にある赤い包みを見つけた。その中にはペーターがマゲローネに捧げた3つの指輪が入っていた。ペーターはニッコリと微笑んだ。

第9曲「憩え、愛しい人よ」
憩え、愛しいきみよ、
緑の小暗い木の下闇に。
牧場の草はそよぎ、
木陰のそよ風はきみを爽やかにし、
まことの愛は目覚める。
眠れ、眠れと
杜は静かにささやく。
わたしはいつまでもきみのもの。

黙ってくれ、葉陰の歌声よ、
そして愛しい人の憩をさまたげるな!
小鳥たちの群れはその寝息をうかがい、
にぎやかな歌声も静まっている。
愛しいきみよ、きみの眼を閉じたまえ。
眠れ、眠れ、
葉陰を洩る(もる)光の中に!
わたしはきみのためにみはってあげよう。

メロディーよ、ささやきを続けよ、
静かな小川よ、さあ、せせらぎの音を立てよ。
美しい愛の幻想は
メロディーにつれて浮かぶ、
やさしい夢はそのあとを追う。
杜のささやきの間を縫って
黄金色の蜜蜂は群れ集い、
その羽音できみを寝つかせてくれる。

夜通し馬にまたがり逃避行、追手からは逃れましたが、マゲローネはお疲れです。森の木陰でペーターはマントを広げ、愛しい人を膝枕で休ませました。そして静かに子守り歌の第9曲の「憩え、愛しい人」を歌います。静かで優しいシンコペーションのリズム、透明な伴奏の響き、眠れ、眠れとマゲローネを眠りに誘うペーターの歌、美しい光景です。第3の傑作にして、全曲でナンバーワンの曲、美し過ぎます。

posted by 三上和伸 at 19:24| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月13日

ブラームスの名曲46-H 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第8曲「お前とは別れねばならぬ」 2020.07.13

あらすじG
ところが、ナポリ王はマゲローネを別の貴族と結婚させようとしていた。そして再び騎士トーナメントを開催し、決着をつけようとした。マゲローネは逢瀬の際ペーターに、ナポリ王の意向から逃れるために、私と駆け落ちをして欲しいと願い出た。潔く、その言葉を受け入れたペーターは駆け落ちの支度をし、残されし愛しのリュートに、別れの歌を歌う。(第8曲「お前と別れねばならぬ」)

第8曲「お前と別れねばならぬ」
おまえと別れねばならぬ、
愛する絃の調べよ。
遥かに求める目的へと
駆けて行かねばならぬ時だ。。

わたしは闘いのために、
獲物を求めて出で立つのだ。
さて獲物を得たなら、
急いでもどろう。

朝焼けの光の中にわたしは
獲物を持って馳せ返る。
ここにある槍や甲冑も
われらを護ってくれよう。

さあ、愛する武具よ、
たわむれにそれを着けたこともあったが、
今はこの新たな道で
わが武運を護ってくれ!

すばやく大波に身を躍らせ、
その美しい流れに挨拶すれば、
はや多くの者どもはその底に呑まれたが、
勇敢な泳ぎ手は浮かび上がっている。

ああ、気高い血を流し、
わが貴い宝なる、
喜びを守ることの、
嬉しさよ!
辱しめをこうむらないよう、
勇気をもたぬものがあろうか。

手綱をゆるめよ、
幸多き夜よ!
翼を広げて去れ、
遥かな丘の彼方に
やがて夜明けの光が微笑みかけるように!

マゲローネの願いに快諾したペーターでしたが、やはり不安は大きかったのです。歌い手でもあるペーターは伴侶のリュートに暫しの別れを告げます。歌を紡いでいる内に、この先の様々な戦いが浮かんできます。それでも、そこは騎士の雄、次第に覚悟が決まって、戦闘モードに勢います。きっとマゲローネと幸せになれる! そう信じて奮い立ちます。
posted by 三上和伸 at 22:21| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月12日

ブラームスの名曲46-G 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第7曲「この唇の震えはあなたのためか」 2020.07.12

あらすじF
約束の時間に、秘密の通路を伝って乳母の部屋を訪ねたペーターは、マゲローネと再開する。口づけをして愛を確かめ合った後、ペーターはマゲローネに、第三の指輪を捧げる。マゲローネは、ペーターの首に金の鎖を掛け、もう一度口づけをする。時間が来て別れるとペーターは自室に戻り、愛の興奮に悶えながら幸せに浸る。そしてリュートを爪弾き、第7曲「この唇の震えはあなたのためか」を歌う。

第7曲「この唇の震えはあなたのためなのか」
この捧げる甘い口づけは、
この唇の震えて求めるはあなたのためだったのか。
この世がこんな快楽を与えてくれるのか。
ああ、目の前に何と光と輝きがただよい、
何とあらゆる官能が唇を求めたことか!

澄んだ目の中に憧れの色が輝き、
それがわたしをやさしくさし招き、
わたしが目をふせると、
微風は愛の調べを奏でた。

双子星のように
瞳は輝き、頬には
黄金の髪が波打ち、
眼差しと微笑みが羽ばたきし、
さらに快い言葉が
深い想いさえも呼び起こした。

おお、口づけよ、貴方の口が何と燃えるように赤かったことか!
わたしが死んだら、
死の中にこそ生をみたことだろう。

歌を聴く前に、この詩を朗読してみましょう。何と美しい言葉が羅列していることか。ティークはペーターに雄弁な舌を与え語らせています。マゲローネが美しさだけでなく、豊麗な官能性までも備えている女性でした。もうペーターはメロメロ、この先死んでも好いと錯覚してしまうほど、マゲローネは稀なる美女でした。

ブラームスの音楽は、こってりと重ったるい豊満感は無く、”微に入り細をうがつ”表現で、サラリと歌わしています。詩の色濃い官能性には惑わされず、清潔にあっさりと歌わせます。後味が好いですね。第2の傑作です。
posted by 三上和伸 at 13:11| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月11日

ブラームスの名曲46-F 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第6曲「あふれる喜び」 2020.07.11

あらすじE
翌日、教会で騎士(ペーター)に会った乳母は、姫の騎士への信頼を語り、その翌日に、マゲローネと二人で会う場を設けると言った。ペーターは茫然となり、自室に帰ってからも、期待と不安で一杯だった。翌日起床をしたペーターは、この後の姫との逢瀬を想い落ち着かず、その揺れる心境を紛らわすために、リュートを弾き語りに歌った。(第6曲「あふれるよろこび」)。

*リュート=アラビア(ペルシャ)発祥の弦楽器・バルバットが原型で、後にアラブではウード、ヨーロッパではリュート、そして中国や日本では琵琶に発展した。

第6曲「あふれる喜び」
この喜びをいったいどのように
心に抱いていたらいいのだろう。
心のときめきのために
魂が逃げ去らないようにするには。

さて愛の時が
過ぎ去ってしまったら、
はやどの岸辺にも花のさかないときに、
もの淋しい砂漠で
味気ない生活を続ける気に、
どうしてなるだろうか。

時は鉛のように重い足を曳きずって
何とのろのろと一歩一歩進んで行くことか!
さて、わたしが別れなければならないときには、
時の歩みは何と羽のように軽く飛ぶことだろう!

深い誠実な胸の
憧れに充ちた力よ、脈打て!
竪琴の音のこだまして消えてゆくように、
生のいと美わしい喜びは飛び去ってゆく。
ああ、なんと速く、たまゆらにしか
わたしがこの喜びに気づかぬうちに。 *たまゆら=一瞬

時の深い流れよ、
ざわめきながら流れつづけよ、
明日の日はやがて今日と変わり、
その歩みを留めることはない。
おまえは楽しげに、また静かに、
わたしをここまで運んで来たのだから、
行く末はどうなろうと、
今度も運び続けてくれるだろう。

かけがえのないあのひとが招くのだから
わたしを可愛そうだなどといってくれるな。
この命の終わるまで、
愛はわたしの思い焦がれるに任せはすまい!
いな、流れはますます広くなり、
空はしだいに明るくなり、
船を漕ぐ手も軽くわたしは流れを下り、
愛も命もみな墓場まで伴ってゆこう。

あーでもないこーでもないと中間部の所々に屈折がありますが、これがティークの饒舌の語り癖、ペーターは、マゲローネの思いに励ませされて、第6曲は元気に始まります。明るく爽快に進み、中間部はやや撓んでギクシャクしますが、最後は勢力を込めた歓喜が爆発します。これから先、山あり谷ありの物語ですが、取り敢えず、ペーターとマゲローネは愛を確認して、好い関係を結びつつあります。

1862年、ブラームス29歳の作です。傑作の第1ピアノ協奏曲を上梓し、室内楽やピアノ変奏曲、そして多くの歌曲や合唱曲を書いた時代。ブラームスの創作力が爆発した時期です。

posted by 三上和伸 at 17:44| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月10日

ブラームスの名曲46-E 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33  第5曲「あなたは哀れな者を」 2020.07.10

あらすじD
ペーターは再び教会で乳母と会い、王女の様子を聞いて安堵する。そして第2の指輪を乳母に渡す。乳母は速やかにマゲローネの元に戻り、その指輪を渡す。それを観たマゲローネはたいそう驚いた。夢で騎士が自分の指にはめてくれた指輪と同じだったからだ。同時に渡された羊皮紙には、やはりペーターの愛の歌が書かれていた。(第5曲「あなたは哀れな者を」)。

第5曲「あなたは哀れな者を」
あなたはこの哀れなものを
慈悲深く憐れんでくださるのか。
ではこれは夢ではないのか。
何と小川がせせらぎ、
何と波の音がざわめき、
何と木の梢がさやぐことか。

私は不安な牢獄の
奥深く捕らわれていたのに、
今やわたしに光が射してきた。
何と光がたわむれていることか!
その光はわたしのものおじした顔を
まぶしく照らしだしている。

ではわたしはそれを信じてよいのだろうか。
わたしからこのうれしい夢を
奪うものはいないのだろうか。
けれど夢は消えやすいもの、
ただ愛することだけが生きること、
これこそわが意にかなった道なのだ。

何とのびのびと晴れやかなことか!
今ははや道を急ぐことをやめよ、
その旅杖を捨てよ!
おまえは困難に打ち勝ったのだ、
いと聖なる場所を
見いだしたのだから。

恋に晩稲のペーター、自分を卑下してうじうじしていましたが、マゲローネの前向きな愛に励まされて、次第に精神が高揚してきました。困難に打ち勝った、聖なる場所を見出した、何時の世も、男は女に助けられています。女なくして男は奮い立ちません。この哲学、古今東西、一緒ですね。ブラームスもそのことは百も承知、ペーターに肩入れして、力強い音楽を書きました。

1862年、ブラームス29歳の作。
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2020年07月09日

ブラームスの名曲46-D 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第4曲「愛は遠い国から訪れた」 2020.07.09

あらすじC
部屋に籠ったマゲローネは謎の騎士(ペーター)への恋心に思い煩い、乳母に相談する。乳母はその申し出に驚いたが、姫の思いにほだされて、謎の騎士(ペーター)に会いに行く事にする。翌日、乳母が教会を訪れると、騎士は祭壇の前に伏し、祈りを捧げていた。乳母からマゲローネ姫の思いが伝えられると、ペーターは名を名乗らず、身分だけを伝え、母から預かった三つの指輪の中の一つを乳母に差し出した。そしてそれをマゲローネ姫に渡すように頼んだ。

マゲローネの元に戻った乳母は、ペーターの言葉を伝え、ペーターから受け取った指輪と羊皮紙(羊の皮で出来た紙)を渡す。その羊皮紙には、ペーターがマゲローネへの思いを籠めた詩が綴られていた。(その詩の歌が第4曲「愛は遠い国から訪れた」)。その詩に心打たれたマゲローネが、その指輪を紐に通し、首に掛けて眠りに着くと、彼の騎士(ペーター)がマゲローネの指に、指輪をはめる夢を観る。

第4曲「愛は遠い国から訪れた」
愛が遠い国から訪れて、
それに続くものとてなかった。
さて女神がわたしに目くばせして、
快い絆をわたしに絡ませた。

するとわたしの心は悩みを知り、
涙が目をくもらせた。
ああ!愛の幸とは何というものだろう、
このたわむれは何ゆえだろうか。

その姿は愛らしくのべた、
「このあたりに見かけたのはあなただけ、
常に人の心をとらえていた、
愛の魔力を知りたまえ」と。

わたしの願いはすべて風そよぐ青空にただよい、
ほめ言葉も暁の夢か、
潮騒の音さながらに思われる。

ああ、誰が今わたしの鎖をといてくれるのか。
この腕はかたくしばられ、
憂いがわが身に群がるものを。
わたしを助けようとするものは誰もいないのか。

希望がわが前に建ててくれる
鏡を見てもよかろうか。
ああ、この世の何とまやかしなことか!
わたしはこの世に頼ることはできない。

おお、さりとておまえに力を与えてくれる
確信のゆるがぬようにせよ。
唯一の女性がおまえを愛していないなら、
悩める者に残されたのはにがい死のみだから。

少し屈折した詩なので、判り難いかも知れません。クドクドと憂いや悩みを綴るのが西洋文化のようです。青二才の恋かも知れませんね。丁度あの「逃げ恥」の平匡のように…。それでも最後の一節に思いは現れています。ブラームスの歌と伴奏は明快で、撫でるように優しく、ペーターのマゲローネへの愛で満ちています。

1861年、ブラームス28歳の作。


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2020年07月08日

ブラームスの名曲46-C 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第3曲「これは悲しみなのか、喜びなのか」 2020.07.08

あらすじB
武者修行中のペーターは銀の鍵を兜に懸け、身分がバレないようにし、トーナメントに出場した。見事に勝ち進み、皆の称賛を得る。されど謙虚に自らを名乗り出ることはしなかった。その姿に見惚れた王女マゲローネは宴席でペーターと話し、私を訪ねて欲しいと哀願した。マゲローネの美しさにぞっこんとなったペーターは、帰路の泉の畔で一人、マゲローネに恋い焦がれ、「これは悲しみなのか、喜びなのか」を歌う。

第3曲「これは悲しみなのか、喜びなのか」
わが胸を過ぎるもの、
それは悲しみなのか、喜びなのか。
昔の望みはみな消えて、
数知れぬ新たな花が咲き誇る。

涙にかすむ目で
遠い星空を仰ぐわが心の、
何とやるせなく焦がれることよ!
あの星に近づいていいものだろうか。

ああ、涙ははふり落ちて、
あたりは暗い。
わが希望の甦ることはなく、
未来の希望は失われた。

さあ、動きを求める心臓よ、鼓動せよ、
さあ、涙よ、はふり落ちよ。
ああ、喜びはさらに深い悲しみにすぎず、
人生は暗い墓場なのだ。

わたしは罪なくして耐えなければならないのか。
夢の中でわが想いのすべてがとまどうのは、
どういうわけだろう。
わたしにはもはや自分がわからない。

おお、わが声をきいてくれ、やさしい星たちよ、
おお、わが声をきいてくれ、緑の野よ、
愛よ、このおごそかな誓を聞け。
愛から遠ざかっているくらいなら、
いっそ死んでしまいたい。
ああ、愛の眼差しの光の中にこそ、
人生があり、希望があり、幸福があるものを!

美しい娘と出会ってしまいました。向こうは満更でもなさそうです。ここで真面目な男としては、「僕で好いんだろうか?」と切なくも否定的な思いが募るのです。それでも一生懸命考えれば、「僕こそこの娘に相応しい男だ!」と実感するようになります。苦悩と覚醒が織りなす素晴らしい男歌、この歌曲集の最初の傑作です。

ブラームス28歳の作品、Op.33マゲローネのロマンスの第1集の第3曲です。これで第1集の終了で、次回は第2集の第1曲です。

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2020年07月06日

ブラームスの名曲46-B 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第2曲「げに!敵には弓矢を」 2020.07.06

あらすじ2
祝福を受けて旅立ったペーターは、意気軒昂に、古歌を朗々と口遊む。(ここで第2曲「げに!敵には弓矢を」が歌われる)。やがてナポリに辿り着いたペーターは、美しいナポリ王女マゲローネの事を知る。そして折よくマゲローネの臨席する騎士トーナメントが開催されるのを知る。

第2曲「げに!敵には弓矢を」
げに!敵には
弓矢をむけよ。
あわれなものは常に
悲歌の涙にくれるにせよ、
天つ日の照らすところ、
気高い者は栄光に輝く。
巌はけわしくとも、
幸いこそその友となる。

第1曲の詩「それを悔いた者はまだいない」は三人称(他称)で書かれているので、この第2曲がペーターの最初に登場する歌です。ペーターが上機嫌で口遊む歌で、これからの旅を予感させる前途洋々の明るい歌です。短調で書かれていて、その分、力強さが際立っています。

騎士トーナメント(ジョスト)
*騎士トーナメント=ヨーロッパで行われていた騎士の一騎打ち競技、「ジョスト」と言う。馬上槍試合の事。

1861年(ブラームス28歳)の作曲。マゲローネのロマンスの第1集の第2曲。
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2020年07月05日

ブラームスの名曲46-A 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 第1曲「それを悔いた者はまだいない」 2020.07.05

騎士トーナメント(ジョスト)
騎士トーナメント(マゲローネのロマンスのブックレット)
あらすじ1
若きプロヴァンス伯爵ペーターが、騎士トーナメントの折、出会った諸国漫遊の歌い手から、諸外国を回って、見聞を広めることを勧められた。(ここで、第1曲・「それを悔いた者はまだいない」が歌われる)そこで外国へ旅立つ意思を固めたペーターは、両親を説得した。渋る母親だったが、我が子の成長のためと納得し、ペーターに三個の指輪を与え、愛する女性ができたなら、その女性に与えよと許可を出した。

第1曲「それを悔いた者はまだいない」
元気な青春時代に、
世界を遍歴するために、
駒にまたがって旅したもので、
それを悔いた者はまだいない。

山や草原、
静かな森、
きれいに着飾った
乙女たちや淑女たち、
黄金の飾りなど、
みんな美しい姿で人を喜ばす。

さまざまの姿が
不思議な様子で掠めすぎ、
酔いしれた若い心に
夢のように望みが燃えたぎる。

誉れがその行く手にはやくも
薔薇の花をまき散らし、
愛情と愛撫、
月桂樹と薔薇が
彼をますます高めてくれる。

彼のまわりは喜びにあふれ、
敗れ去った敵らは
その英雄を羨む。
やがてことのほか気に入った乙女を
慎ましやかに選びとる。

さて山や野、
静かな森を
あとに旅立ち、
この上ない幸福感が
涙にくれる父母や、
その憧れをすべて包み込む。

月日が経ってから、
団欒の折にその人は
息子に物語り、
若気の報いの
自分の傷を見せてやる。
そのように老年にしてなお若々しく、
人生のたそがれを照らす光となっている。

長い物語と歌曲集の始まりの歌、序曲ですね。ペーターは馬に乗って進んで行きます。未知の国の未知の人(女)、そして未知の出来事を見聞する喜びに震えながら、勇ましく歩み始めます。その武勇伝を子息に伝える夢を見ながら…。

ブラームス28歳の1861年の作曲。第1集第2曲

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2020年07月04日

ブラームスの名曲46-@ 歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」Op.33 概略 2020.07.04

ブラームスが14〜15歳の頃、父の友人の家で過ごした時に、そこの娘と一緒に読んだ「民族童話集」の中に、この「ティークのマゲローネのロマンス」と言う物語がありました。ブラームスが仲良くなったリーシェンと仄々と読んだ思い出の物語、後年、アガーテと別れた直後に、既婚のリーシェンと会う機会があり、互いの人生の変化を思い、懐かしみ、その時、この物語の中にあった15編の詩に、曲を付けることを思い立ちました。

1862年に書き始められましたが、最初は第1集と第2集の6曲を書いて、しばらく中断し、8年後の1869年の12月までに、残りの第5集までを完成させました。

それまでブラームスが書いてきた歌曲は、比較的単純な有節歌曲が主体でしたが、今回は完全な物語の筋を持った物語歌曲でした。叙事的な独唱カンタータ風で、スケールの大きな曲が並んでいます。懸念されるのは、小説の中にある詩のみに付曲された訳で、全体の物語のストーリーを聴き手が把握するには、歌だけでは不完全とされています。聴き手があらかじめこの物語を読んで把握するか、もしくは、第三者の進行のナレーションが必要と言われています。それでも全15曲を歌い終えるのに60分弱を要する大曲です。曲目として、演奏会に取り上げるには演奏者としても骨の折れる仕事かも知れませんが、真の傑作ですので、是非、何遍も取り上げて欲しいと思います。できる限り、聴かせて頂きたく思います。ファンの願いです。

あらすじは次回より、順次曲紹介の折に書きます。

◎ティークのマゲローネのロマンス(1797年)
ヨハン・ルートヴィッヒ・ティ−ク(1773〜1853)は、ドイツ・ベルリン生まれのドイツ初期ロマン派の作家・劇作家。中世の民話から取材した「民話集」が主要な作品で、「長靴をはいた牡猫」、「金髪のエクベルト」、そして今回の「美しいマゲローネの不思議な愛の物語」などの著作があります。



posted by 三上和伸 at 21:37| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月21日

ブラームスの名曲45 歌曲「わが妃よ、そなたはなんと…」 Op.32-9 2020.05.21

真剣な恋、嘘と本音の探り合い、恋の駆け引き、許し合う恋、大人の恋、様々な恋の行方を著した作品32でしたが、愈々至福の愛の第9曲が生まれました。作曲当時に現れた新たなエロチカ(魅力的女性)が、この曲を作らせたのでした。それは16歳のエリザベートで、ブラームス自ら避けて深い仲にはなりませんでしたが、ブラームスの生涯の友となる女性でした。始めはブラームスのピアノの弟子でしたが、その余りにも美しい魅力的な少女にブラームスは不安を感じ、やがてあのアガーテと同様の手痛い思いをするのではないかと危惧を持ちました。過ちに至るのを回避し、このエリザベートを友人のピアニストに預けて仕舞ったのでした。またしてもブラームスは深追いを避けたのでした。特別な関係になる事を断念したのでした。結婚は野望の妨げになると信じ、運命の志の、大作曲家を夢見て…。

「わが妃よ、そなたはなんと…」・変ホ長調 詩・ハーフィズ原詩・ダウマー訳のドイツ語訳の詩
わが妃よ、やさしい慈愛によって
そなたはなんと歓びに満ちていることよ!
さあ、ほほえみたまえ、すると春風が
わが心を吹きぬける、歓びに満ちて!

さわやかに咲きでたばらの花の輝きを
そなたの顔の輝きとくらべてみようか。
ああ、咲き誇るすべての花々にもまして、
そのたの花の”かんばせ”は歓びに満ちて!

荒涼たる枯野を通って”逍遥”したまえ!
すると緑の木陰が一面に拡がる、
たとえそこがたえがたい重苦しさに
いつも包まれていても、歓びに満ちて!

そなたの腕で息絶えることを許したまえ!
たとえはげしい”断末魔”の苦痛が胸の中を
掻きむしったとしても、死ぬことさえ
そなたの”かいな”の中では、歓びに満ちて!

*かんばせ=顔 *逍遥(しょうよう)=さ迷い歩く *断末魔(だんまつま)=息を引き取るまぎわの苦痛 *かいな=腕

プラーテンの詩のようなシンフォニックな響きは無く…、甘いコロコロと鈴を転がしたようなピアノ音が美しい…、優しく撫でるような指使いのピアノ伴奏です。まるで夢の世界を彷徨うようです。そこに恋心溢れる歌が歌われます。これは正にエリザベートの香り、エリザベートへの愛の歌曲です。16歳のしなやかな乙女のエロチィックなまでに研ぎ澄まされた姿態、そして噎せるような香り、官能性に溢れた音楽です。作品32の恋の歌曲集、到頭ここで、クライマックスを迎えました。ブラームスの屈指の名歌曲です。



posted by 三上和伸 at 20:37| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

ブラームスの名曲44 歌曲「ぼくとぼくの好きな娘はこのような間柄だ」 Op.32-8

真剣な生死を分けるようなプラーテンの詩から、恋の遊戯を楽しむようなハーフィズの詩、真に正反対の詩です。恋の形態は数多あり、どれが好いかはその人次第、他人がとやかく言うものではありませんが、少し大人になると後者の恋に味わい深さを感じます。締めるところは締めて、遊びましょう。真心だけは忘れないで…。

「ぼくとぼくの好きな娘はこのような間柄だ」・変イ長調 詩・ハーフィズ原詩。ダウマードイツ語訳の詩
ぼくとぼくの好きな娘は残念ながら
ふたり互いにこのような間柄だ。
ばくは娘を喜ばすために何かをすることはできないし、
娘もぼくを苦しめるために何かをすることはできない。

もしぼくが娘の額に髪飾りを着けると、
そのことが娘を傷つける。
ちょうど愛情のこもったほほえみに対するように、
ぼくは娘の腹立たしい返事にも感謝する。

男心と女心、揺り籠のように揺れ動きます。遠慮と本音、怒ったり、怒られたり、でもそんな娘が好きなんだから仕方がありません。全てを許しましょう。


posted by 三上和伸 at 20:55| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月18日

ブラームスの名曲43 歌曲「きみは苦言を呈しようと思う」 Op.32-7

プラーテンの悲劇の短調からは離れて、ペルシャの詩人ハーフィズ原詩による明るい長調の歌曲になりました。ここから9曲までは長調で書かれています。やや極端ですが、ブラームスは様々な愛の形態を書きたかったのかも知れません。感情・情念の作曲家ブラームスは、喜怒哀楽の様々な人間の思いを、大きなふり幅で描いた作曲家でありました。どん底から絶頂へ、作品32は、そんな振幅を持った作品群です。

「きみは苦言を呈しようと思う」・ヘ長調 詩・ペルシャ詩人・ハーフィズ原詩・ダウマードイツ語訳の詩
きみは苦言を呈しようと思っているが、
きみがどんなに怒っていても、
いつも決して人の心を傷つけはしない。
きみの辛辣な話しぶりは
珊瑚礁で難破してしまい、
みんな純粋な好意に変る。
人の感情を害するためには、
言葉が唇を通さねばならず、
その唇は甘美そのものなんだから。

恋人は一寸意地悪な美しい人、恋人の辛辣な言葉も、自分を傷付けることは無い…。根は優しい娘と判っている訳で、甘美な唇からは甘い言葉しか聴こえて来ない…、ただその甘い香りに酔うだけ…
posted by 三上和伸 at 22:00| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

ブラームスの名曲42 歌曲「ぼくが思い違いをしていたときみは言う」 Op.32-6

激情の果てから落ち着いて、思いを馳せれば、色々と思い浮かび、合点がいきます。されど絡まった糸のように恋の行方に確かなものはありません。悩み、傷つき、絡んだ糸を解して行きます。葛藤を繰り返し、大人になってゆくのです。

「ぼくが思い違いをしていたときみは言う」・ハ短調 詩・アウグスト・プラーテン
ぼくが思い違いをしていたときみは言い、
きっぱりとおごそかにそれを誓っている。
だがぼくは知っているよ、きみはぼくを愛していたが、
今はもう愛していないのだ、ということを。

かつてきみの美しい眼は燃えていたし、
きみの口づけもとても熱く燃えていたよ、
きみはぼくを愛していたことを告白したまえ!
それなのにきみはぼくをもう愛していないのだ。

新たな愛の誓いを繰り返すことを
ぼくが期待しているわけではない。
さあ、ぼくを愛していたことを白状したまえ、
そして今はもうぼくを愛してくれるな!

愛の苦悩に押し潰された若者が、少しずつ正気を取り戻しつつ、己を自問自答します。思い違いと言われましたが、現実は思い違いでなく、思った通りの事でした。あの日は確かに、きみがぼくを愛していたことを信じたい、でも時はもう遅い、恋の炎は脆く消え易い、恋は終わったのです。

三節の歌曲ですが、一節ごとに少しずつ、旋律を変えています。微に入り細をうがった歌曲です。
posted by 三上和伸 at 11:42| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月16日

ブラームスの名曲41 歌曲「いまいましい、おまえはぼくをまた」 Op.32-5

ヘ短調(第1曲)・二短調(第2曲)・二短調(第3曲)・嬰ハ短調(第4曲)と胸が潰れそうな曲が続く中、漸く肯定的な詩が現れます。未だ短調ですが、明らかに前の4曲とは雰囲気が違って来ました。こう言う手法は、シンフォニーに良く観られますが、この重要な歌曲にもその手法が使われました。

「いまいましい、おまえはぼくをまた」・ロ短調 詩・アウグスト・プラーテン
いまいましい、おまえはぼくをまた包もうと
するのか、邪魔な束縛よ!
空中へ昇って消え失せろ!
心に望みを注ぎ入れよ、
鳴り響く歌の中へ望みを注げ、
かぐわしい花の香を吸いながら!

さあ、風に向って進んでゆけ、
風がきみの頬を冷やすように。
楽しげに空に向かって挨拶せよ!
涯しのない空の中で果して
不安の気持が動くだろうか。
厭なものを胸から吐きだすがいい!

激しい3連符の伴奏の上に、朗々と歌われる鼓舞の歌、「元気を出せ!元気を出せ!若者よ!、不安を吐きだして前へ進め‼」。
posted by 三上和伸 at 19:39| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月15日

ブラームスの名曲40 歌曲「ぼくのそばを流れ去った河」 Op.32-4

怒りと不満、そして絶望、音を楽しむ音楽としては有り難くない感情です。それでも真の芸術家はそれを遠ざけたりはしません。己に向き合って、己を理解して、それを克服していくのです。それを音楽を創る過程として、そして材料として、作品に結び付けて行くのです。プラーテンの詩に、ブラームスは心を寄せたのです。

「ぼくのそばを流れ去った河」 詩・アウグスト・プラーテン
ぼくのそばを流れ去った、あの河は
今どこにあるのか。
ぼくがその歌に耳を傾けた、あの鳥は
今どこにいるのか。
あの娘がその胸に飾っていたばらの花は
今どこにあるのか。
ぼくをうっとりとさせた、あの口づけは
今どこにあるのか。
ぼくがかつてそうだった、あの人間、
ぼくがとっくの昔に
別の自分と取り替えてしまった、あの人間は
今どこにいるのか。

薔薇色だった人生が何処で狂ったのか、一人追憶に浸って、後悔を募らせます。5回、嘗ての幸せの在り処が何処に消えたのか、その所在を疑り、叫んでいます。人生に躓いた男の絶望感が溢れます。どんなに泣き喚いても後の祭、もう一回やり直せるか?、それは男次第です。そうです、ブラームスはやり直せたのです。これはブラームスの勝利の歌です。
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2020年05月14日

ブラームスの名曲39 歌曲「悲しくさまよい歩く」 Op.32-3

再びプラーテンの登場です。普段、歌は甘いイメージを持ちますが、ここでは終始沈痛です。救いが無い暗黒の曲です。

「悲しくさまよい歩く」 詩・アウグスト・プラーテン
ぼくは悲しく黙ってさまよい歩く。
きみは尋ねるが、なぜと問わないでくれ。
こんな多くの苦しみが心をゆすぶるのだ!
ぼくがゆううつ過ぎることがあろうか。

木は枯れて、香りは失せ、
黄に染まった木の葉は地面に散らばり、
にわか雨ははげしく襲ってくる。
ぼくがゆううつすぎることがあろうか。

前奏も後奏もない高々二節の歌(有節歌曲)ですが、重いニ短調の和音で貫かれています。一寸した恋のセンチメンタルな悩みでは無く、生死に拘わる深刻な苦悩を歌っています。日常が失われ、恋するきみとも別れなければならい運命なのか…。慟哭しています。人生の正念場です。
posted by 三上和伸 at 19:40| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

ブラームスの名曲38 歌曲「もはやきみの許には行くまい」 Op.32-2

作品32の第2曲、こちらはダウマーの詩を使っています。詩人は違えども、内容は重苦しい恋の歌、老年の私からすれば、人生の経験がない若者は苦労をしてしまうのでしょう。恋とは不可解なもの、心を一つにすることは難しい…、努力が必要なのです。

「もはやきみの許には行くまい」 詩・ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー
もはやきみの許には行くまいと、
ぼくは決心して、誓いもしたが、
毎晩行ってしまうのだ。
あらゆる力とあらゆる抑制を
ぼくは失ったからだ。

ぼくはもはや生きながらえず、
たった今滅び去ってしまいたいが、
それでいて、きみのために、
きみとともに生きたいから、
決して死にたくはないのだが。

ああ、ひとことでいいから言ってくれ、
ただひとことをはっきりと!
ぼくに生か、または死を与えよ、
きみの気持ちだけがぼくに
きみの真実を打ち明けるのだ!

アガーテと別れてから暫くして、29歳(1862年)のブラームスは、ウィーン進出を果たします。この曲集は1864年に出版されていますが、この頃のブラームスはクララと親しく交友を続けていました。しかし、それは既に友情としての段階に昇華したものでした。必要欠くべからざる同志の楽友としての付き合いでした。ところがそこにもう一人、若く魅力的な女性が現れます。名はエリザベート・フォン・シュトックハウゼン、この16歳の魅力的な少女がウィーンのブラームスのピアノの弟子になるのでした。この悲劇的な歌曲集の最後の一曲が、世にも美しいエロチカになったのは、この少女無くしては考えられません。しかしブラームスはその美しさに恐れをなして、この少女を友人のピアニストに預けてしまうのです。アガーテとの苦い思い出が胸を過ったと言って間違いはないでしょう。この作品32の歌曲集、若いブラームスの自伝的な歌だったのかも知れません。

曲は第1節と第3節は、同じメロディーを使い暗い心情を語りますが、第2節は曲調ががらりと変わり、激情が溢れ出します。ブラームスの歌曲には珍しい3部形式を使っています。劇的な表現が目立ちます。
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2020年05月12日

ブラームスの名曲37 歌曲「なんととび起きたことか」 Op.32-1

それまでも良い歌曲作品を書いて来たブラームスでしたが、到頭この作品32に至って、ブラームスの歌曲作品の真の傑作が生まれました。これによってシューベルト・シューマンの歌曲と並び果せる事が出来たのでした。詩人プラーテンとダウマーの詩に付けた作品32の歌曲9曲は、ドイツ歌曲史の一つの頂点となりました。この歌曲集のそれぞれの曲には、題名がありません。詩の最初の一句を題名にしています。

「なんととび起きたことか」 詩・アウグスト・プラーテン
真夜中になんととび起きたことか、
そしてぼくは先へと惹かれるのを感じた、
夜番に見守られながら、ぼくは路地を去り、
深更にゴシック風のアーチの城門を
そっとくぐり抜けて、町の外へ出て行った。

水車の懸かった小川が峡谷の岩棚からほとばしり、
ぼくは橋から身をのりだして、
遥か下の川波を注意して眺めると、
波は夜の谷でゆるやかにうねってゆくが、
どれひとつとして返ってくる波はない。

空には無数の星が瞬きながら運行し、
天体の音楽を奏でているようだ。
星たちとともに月も穏やかな光をはなって、
測り知れぬほど遠い彼方の
夜空で星たちはキラキラ光っている。

ぼくは夜空を見上げてから、
あらためて地上を見下ろした。
おお、情けない、おまえは日々をどう過ごしたのか、
この夜半に、おまえのときめく胸の中の
後悔の念をそっと鎮めるがいい!

夜中にふっと目覚め、飛び起きて町の外へ、恋に悩む男の呟き、女々しいですが深刻さが溢れます。まるでピアノ曲のような伴奏と、切ない歌、付かず離れずにうねります。迫力に飛んでいます。完璧な歌曲です。

*夜番(よばん)=夜警 *深更(しんこう)=夜更け

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2020年05月10日

ブラームスの名曲36 3つのインテルメッツォ Op.117

Op.116ファンタジアの個性極まる作品群に比べれば、インテルメッツォと題されたこのOp.117は、比較的なだらかな大人しい曲集です。全20曲あるピアノ小品群の中でも、特異な存在です。一休みと言ったら良いのか、寛げると言ったらよいのか、多少の脱力感がある曲目です。情熱の躍動では無く、寂寥の沈潜、穏やかな曲たちです。

第1曲 アンダンテ・モデラート 変ホ長調
曲の冒頭には、ヘルダーの詩が掲げられています。「やすらかに眠れわが子よ、やすらかに、私はおまえが泣くのを見るのが辛い…」。静けさの中に融けこんでしまうような子守り歌。第1部は明るく希望があり、優しく赤子をあやしている風情です。されど中間部では、深い闇が訪れ、悲しみに沈みます。それは昔を偲ぶように…欝々と…。しかし第3部では再び、優しい子守り歌が聴こえ、元の安らぎが戻ります。

第2曲 アンダンテ・ノン・トロッポ・エ・コン・モルタ・エスプレッシオーネ 変ロ短調
枯葉が舞うような軽いエレジー(悲歌)です。形式的には凝っていて、ソナタ形式風です。渋いですが、ピアノを美しく響かせます。ブラームスにしてはお洒落な曲です。

第3曲 アンダンテ・コン・モート 嬰ハ短調
神秘的な暗いで出しです。空気が重く、覆い被さるようです。ブツブツと独白をしているようでもあります。中間部は明るく変化し、軽い踊りを踊るようで洒脱です。経過句を過ぎ、第3部で再び暗い空気が覆います。哀惜の情が、寂寥感を籠めて謳われます。

ブラームスとしては比較的柔らかい音楽で、肩の凝りがありません。バックグラウンドミュージックとしても、役立ちます。

ピアノ演奏
@ジュリアス・カッチェン
Aウィルヘルム・ケンプ
Bエレーヌ・グリモー
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2020年04月26日

ブラームスの名曲35 4つの歌 Op.17-4 第4曲 オシアンの『フィンガル』からの歌 2020.04.26

オシアンの『フィンガル』からの歌 スコットランド語の歌のドイツ語訳(古代・スコットランドの盲目の詩人・オシアンが作ったとされる叙事詩、その主人公がフィンガル)

泣くがいい、風がほえ叫ぶ巌の上で、
泣くがいい、おお、イニストアの娘よ!
大波の上にお前の美しい頭を垂れるがいい、
真昼時、太陽の光を浴びて
モーヴェンのしじまを渡ってゆく
山の精霊よりもお前は愛らしい。
彼は死んだ、お前の若者は青ざめて
カスリンの剣のもとに倒れた。
もはや勇気が、王たちの血を流そうと
お前の恋人を奮い立たせることはない。
トレナーは、やさしいトレナーは死んだ、
おお、イニストアの娘よ!
彼の灰色の犬たちが故郷の家で吠えている、
彼の幽霊が通りすぎるのを見て。
彼の弓は弦も張られずに玄関にかかっている、
のろ鹿の荒野には動きまわるものもいない。

2本のホルンとハープの美しい伴奏に乗って歌われる女声合唱、これは私の一つの理想の音楽です。日頃、私は、歌は女が歌うものと思っていますし、金管楽器で一番好きな楽器はホルンです。それにハープはピアノに勝る美音の弦楽器と言い得ます。正にこの曲は、私の美しさの定義に添っています。私の音楽ライブラリーの中の宝物です。

英雄なのでしょうか? イニストアの娘の恋人は…、もはや恋人・トレナーは死んだのです。もう弓も矢も使われないのです。荒野のトレナーの家は静けさの中です。

これはケルトの話ですが、ブラームスが生まれ育ったドイツの北西部からは、ケルトは近いのです。ブラームスの血の中にもケルトが血が含まれているかも知れませんね。この歌、ケルトへの共感が感じられます。
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2020年04月13日

ブラームスの名曲34 4つの歌 Op.17-3 第3曲:「花作り」 2020.04.13

「花作り」 ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ詩
どこへ私が行き、どこを眺める時も、
野原でも、森でも、谷間までも、
山から牧場へくだっても、
いとも美しく気高い女性よ、
私はおん身に千回も挨拶をおくる。

私は自分の花壇の中で
きれいでやさしい花をたくさん見つけ、
その花でたくさんの花冠を編み、
千の思いと挨拶とを
その花冠に編みこむのだ。

そのひとに花冠を捧げはしない、
そのひとはあまりに気高く、美しくて
あらゆるものを色あせさせるだろうから、
ただ、愛だけはほかのものとちがって
永遠に色あせずに心の中にとどまる。

私は陽気な男と思われていて
いつもせっせと働いている、
たとえこの胸がはり裂けようとも
私は掘りつづけ、掘りつづける、
そしてもうじき自分の墓を掘るのだ。

切ない歌ですね。それでも不変の愛は、気高い人に届くでしょう。そして幸せな人生の最後を迎えます。永遠の愛を胸に、死んでゆけるのです。長閑な愛の田園歌、そうありたいですね。
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2020年04月10日

ブラームスの名曲 4つの歌 OP.17 第2曲:シェークスピアの詩による歌 2020.04.10

「シェークスピアの詩による歌」ウィリアム・シェークスピアの原詩のドイツ語訳による

来たれかし、来たれかし、死よ!
そしてこの身を糸杉のもとに埋めてくれ。
解きはなて、私を解きはなて、苦悩よ、
世にも魅惑的な女性が私をうちのめした。
ローズマリーでもって私の屍衣を、
おお、それをしつらえてくれ!
愛が私の心に致命傷を与えるとしても、
心は誠実にそれを守るだろう。

花なんか、甘美な花なんかを
黒い柩の上に撒かないでくれ。
だれひとり、だれひとり、土の埋まっている
私の骨に別れの挨拶なんかしないでくれ。
嘆きや悲しみ吐息なんかはつかないで、
私をひとりっきりで埋めてくれ、
誠実な心のひとが私の墓をたずねて
涙を流したりはしない場所に。

のっぴきならない境遇の私、魅惑的女性への愛が叶わなくても、私は誠実に死を受け入れるだろう。心の荒野で思う諦観の理念、覚悟は決まっていたのです。

そんな深刻な話(詩)ですが、音楽は長閑で、お伽噺風です。荒野にホルンが鳴動します。女声の歌が撫でるように優しい…、そっと私を包み込んでくれます。異国にタイムスリップ、不思議な幸福感で満たされます。シェークスピアの哀悼の詩なのですね。それに反応するブラームスの音楽、どちらも素敵です。

演奏
モンテヴェルディ合唱
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
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2020年04月08日

ブラームスの名曲32 ファンタジア 第7曲・ニ短調・Op.116−7

作品116の7、最後の曲です。アレグロ・アジタートで、”激情的で快速に”の意味があります。第1曲の項で延べたとおりに、この曲は作品116の結尾の曲で、この曲集の締め括りの位置にあります。第2曲から第6曲まで、全ての季節の自らの様々な想いを物語って来ました。それらを総括する意味で、ここで締め括って終りを告げているのです。ソナタやフーガなど、形式に精通したブラームスは、やはり古典の申し子でした。このような形式に拘らない、自由なロマン的小品でさえも、起承転結は、きっちり付けるのでした。正に激情を籠めて、終りを告げています。
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2020年04月07日

ブラームスの名曲31 ファンタジア・第6曲ホ長調Op116ー6 2020.04.07

暖かい部屋には暖炉の赤い火が燃えています。窓辺に行けば、外は白い雪、サラサラと舞い降りています。闇に白い雪、でも遠くに街の灯りがボウと霞んで観えます。あの人はきっとあの町灯りの中にいるのでしょう。私は雪の精になって、あの人の元へ帰りたい…。フワフワと飛んで、貴方(貴女)の胸に帰りたい…

そんな趣の人を恋うる歌です。水蒸気の中に、雪と街の灯りが滲んでいます。

演奏
@ヴァレリー・アファナシェフ
Aエレーヌ・グリモー
Bウィルヘルム・ケンプ
Cジュリアス・カッチェン
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2020年04月06日

ブラームスの名曲30 ファンタジア・第5曲ホ短調 Op.116ー5

悲しいけれど、憧れに満ちた第4曲に比べれば、尚も悲しく深刻な第5曲、アンダンテのホ短調で書かれています。静かに静かに曲は進んで行きます。何処と無く躊躇いがちに…、囁くように…。集く虫の音が立ち、黄色に染まった葉が、あちこちでひらひらと舞っています。今は秋、寂しい季節です。次第に心は沈潜して行き、溜息が漏れ出ます。しかし、あの面影が胸に迫り、暫し心が乱れます。それでも秋色は直ぐに心慰め、青年(昔の)は、静かに心を閉じて仕舞います。もう直ぐ、枯葉の季節です。第5曲は、実に詩的な曲です。

演奏
@エレーヌ・グリモー
Aウィルヘルム・ケンプ
Bヴァレリー・アファナシェフ
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2020年04月05日

ブラームスの名曲29 ファンタジア 第4曲ホ長調Op.116-4 2020.04.05

ブラームスの音楽は自然の教示から出発していますが、そのまま自然を模倣したコマーシャル音楽では無く、一旦、心と体に取り込んで、醗酵させ、再構築された音楽です。写生では無く、自らの美意識で創造した音楽です。

第4曲は、ファンタジアに於いて初めて、長調の調性を使った曲です。ホ長調、アダージョの曲で、ゆったりとした大地に憩いう曲調です。満天の星、薔薇の香り、五月の夜はしみじみと更けて行きます。星が瞬きます。薔薇の微風が渡ります。貴女の優しい青い目が見詰めます。嫋やかな胸の膨らみが触れます。ああ、私は幸せだったのです。貴女は素晴らしい女性でした。この空の星のように…、咲き誇る薔薇のように…

余りにも美しい音楽です。この曲だけでも、ブラームスに出会った価値があります。
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ブラームスの名曲28 ファンタジア第3曲ト短調Op.116ー3 2020.04.05 

ブラームスの音楽の発露は何か?と問えば、それは自然の中にあると想います。四季折々の自然から感化された琴線が、過去の音楽、絵画、文学などから影響を受け、知識として蓄え、それがブラームスの全人格となって、音楽が作られます。彼は大芸術家でありましたが、それは音楽に限っての事です。論文や論評などは無く、ひたすら彼の思想や感情は、音楽で著されていたのです。作品116も自然から受けた感動から出発しています。

ブラームスは形式主義者でもあったので、この7曲のファンタジアも1曲と7曲は、序と結尾の形を取っています。自然への飽くなき愛好とそこから生まれる人間ドラマは、中間の第2曲から第6曲までで、2曲・早春の鬼火、3曲・春の嵐と怒涛、4曲・五月の夜、5曲・秋の枯葉、6曲・雪の精、と私は勝手に決めつけています。序(第1曲)と鬼火(第2曲)は紹介しましたので、今回は第3曲の春の怒涛です。

第3曲は、ト短調で書かれています。全7曲中、5曲が短調、2曲が長調で、あのシンフォニーやコンチェルトの長調・短調が同数の見事に仕分けられたものと比べると違和感があります。それでもこの最晩年の時期のブラームスの心境は、悲しいものが心の糧だったようで、それに全精力を注ぎ込んだようです。寂寥(せきりょう・詫び寂び)と諦観(ていかん・悟り)、されど自然愛・人間愛に満ちています。古今東西、似たものがありません。世に並ぶものが無い、ピアノ曲の傑作です。

遠くで雷光が煌めき、突然の強雨、雷鳴も轟き始めました。空は荒れ狂い、暫くは春の嵐が続きました。しかしやがて雨が止むと、遠く北海の怒涛が聴こえます。小さくなったり、大きくなったり、それは次第にリズムを帯びて、まるでダンスのよう…。血沸き肉躍るダンス、心に幽かな快楽が訪れたのでした。




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2020年04月04日

ブラームスの名曲27 4つの歌 Op17 第1曲:高らかにハープの音がひびく 2020.04.04

ピアノ協奏曲第1番の作曲、そして芳しくないこの曲の評判、デトモルトでの公職もあり、ブラームスは多忙により、焦燥を極めていました。その上アガーテとの失恋もあり、ブラームスは失意のどん底にいました。それでも天才の創作意欲は衰えず、管弦楽用セレナード2曲、弦楽六重奏1番や多くの合唱曲を書きました。そんな合唱曲の中にあって、作品17の女声合唱曲は特異な存在であり、不思議な光彩を放っていました。

デトモルト勤務中に、ある女声合唱団(後のハンブルク女声合唱団)と親しくなり、指揮者として就任し、指導を授けました。始めは素人集団でしたので、ブラームスは無給で、面倒を看たそうです。そんな中、当然レパートリーにする曲が必要となり、作品17の女声合唱曲集が生まれました。ところがこの曲は独特のもので、何と伴奏が2本のホルンと、1台のハープに依るものでした。悲しい曲集ながら、牧歌的な趣が濃厚で、北ヨーロッパの冷涼な空気に満ちています。何故ホルンかと言えば、デトモルト滞在中にホルン奏者のアウグスト・コルデスと親しくなったからであり、後年、ブラームスはコルデスのために、名作・ホルン三重奏を書いています。

このハンブルク女声合唱団の中に、後にウィーンで結婚したベルタ・ファーバーがいました。ブラームスとファーバー家は親しく付き合うようになり、ベルタの第一子誕生の折りには、ブラームスは、有名なブラームスの子守り歌(揺り籠の歌)をベルタにプレゼントしたのでした。

「高らかにハープの音がひびく」 フリードリヒ・ルペルテイ詩
高らかにハープの音がひびく、
愛とあこがれをかきたてながら、
その音は奥深くしみ入って心をかき乱し、
眼に涙をわき出させる。

おお、ひたすら流れ落ちるがいい、涙よ、
おお、おののいて高鳴るがいい、心よ!
愛としあわせとは墓場に埋もれた、
私の生命は失われてしまった!

冷涼な空気感の中、ハープが細かくアルペジオを掻き鳴らし、2本のホルンが伸びやかに歌います。そこに女声合唱が、優しい宗教色を滲ませて、切なく歌ってくれます。北国の透き通った響きが胸に染み入ります。

コルデスのホルンが如何に素晴らしい音であったか、しみじみと伺えます。

演奏
モンテヴェルディ合唱団
指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー
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2020年04月01日

ブラームスの名曲26 「アイオロスの竪琴に寄せて」 エドワルド・メーリケ OP19−5

アイオロス(エーオルスとも)の竪琴とは、風の力で鳴る琴です。普通はエアリアンハープ乃至ウィンド・ハープとも言われています。ギリシャ神話の風の神・アイオロスの名を頂いて付いた名前です。木製の筐体(きょうたい・共鳴体の箱)と弦のみで出来た楽器で、弦に風が通過する際に起きるカルマン渦が弦を掻き鳴らす仕組みです。古代ギリシャ時代(インドに原型)に有った楽器でしたが、その後廃れ、17世紀半ばに復元され、18・19世紀には愛好されていたようです。このメーリケの詩やR・シューマンの言動(ショパンのエチュードOP25-1をエアリアンハープのように綺麗だと言った)などに顕れていて、文献に残されています。そしてこの楽器は、そのまま今日まで残っています。私は実際に聴いたことが無いので、その音色は申し上げられませんが、自然の風で鳴るなんて、不思議な神秘の、床しい音がするのでしょうね。

「アイオロスの竪琴に寄せて」 メーリケ詩
この古いテラスの
きづたの這う壁にもたれた、
風から生まれたミューズの奏でる
ふしぎなハープよ、
始めよ、
妙なる調べの嘆きを
ふたたび始めよ!

風よ、おまえたちは遥かかなたの、
わたしがあんなに愛していた、
あの子の緑したたる
塚を撫でてきたんだね。
途中で春らんまんの花を掠め、
花の香をはらんで、
この心をうっとりと酔わせ、
ハ−プの弦を吹き鳴らす。
風は愁いを含んだ美しい調べに魅せられ、
わが憧れの心の赴くままに吹きつのり、
やがてまた力を弱める。

さて、不意に、
風がいちだんと強く吹きくれば
ハープは美しい調べを奏で、
たちまち心を感動させながら、
再び甘美なおどろきへ誘う。
このとき満開のばらは風に揺れて、
わが足もとに花びらをみな撒き散らす。

メーリケの美しい詩に寄り添って、尚も美しいメロディーを添えたブラームス、本当に素晴らしいブラームス初期の歌曲の傑作です。これはメーリケが弟の死を悼んで書いた詩作です。ですから男が歌おうが女が歌おうが一向に構いません。それでも私は女歌として聴いています。この薔薇の風が奏でるアイオロスの竪琴、薔薇は女です。そう、アガーテです。

演奏
@ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
Aメゾソプラノ:ブリジッテ・ファスベンダー ピアノ:Irwin・Gage
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2020年03月31日

ブラームスの名曲25 ファンタジア 第2曲イ短調OP116-2 2020.03.31

ブラームスの出生地は北ドイツの港町ハンブルク市で、大河・エルベ川の河口にある貧民街の出でした。港の酒場には多くの船乗りが集まり、遊女と共に乱痴気騒ぎを起こしたりしていました。貧しい家計を助けるため、天才少年ピアニストであったブラームスは、10代半ばの若さで、そんな酒場でピアノ弾きとして働きました。

ハンザ同盟で有名な都市で、ベルリンにもそう遠くはありません。彼のメンデルスゾーンもハンブルク生まれでしたが、フランスの進攻に嫌気がさした大富豪・メンデルスゾーン家は、ベルリンに居を移したのでした。

ブラームスの生家跡ではありませんが、その生家近くに、ブラームス・ミュージアムがあるそうです。またブラームス家は元々は、ハンブルクよりも北にあるデンマークに近いハイデ市にあったようです。ドイツ語・ハイデの意味は、ヒース(ハーブの一種)やエリカが咲いている荒野(湿原)を意味するようです。ブラームスの故郷はそんな自然の中にあったのです。ファンタジア第2曲には、そんな風景のバックグラウンドがあったのです。

ひたすら静かな湿原は、色取り取りの高山植物の花が咲き、ブラームスはそこに憩います。北海の潮風も靡き(なびき)、頬を擽り(くすぐり)ます。寂寥感(せきりょうかん・寂しさ侘しさ)の中でも、好い気持ちです。されどやがて陽は沈み、湿原は闇に染まります。すると辺りに仄青い光が揺蕩い(たゆたい)ます。その青い火、それは湿原に現れる鬼火です。この曲の中間部はまるでこの鬼火のよう…、遠く離れた避暑地に居ようとも、ブラームスはドイツ低地の夢を観たのです。切ない追憶の涙に暮ながら…、望郷の念が鬼火と共に、胸を焦がします。

ピアノ
エレーヌ・グリモー
ウィルヘルム・ケンプ
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ブラームスの名曲24 歌曲「鍛冶屋」 L・ウーラント OP19-4 2020.03.31

今度は、アガーテのソプラノ用の曲「鍛冶屋」です。娘が愛している鍛冶屋の男の仕事振りを眺めている歌です。その男の力強さ逞しさに、うっとりしている娘の姿が彷彿とされます。

「鍛冶屋」 L・ウーラント詩
わたしの恋人がハンマーを
振っているのが聞こえる、
ゴシゴシ、カーンという音が
あたりへ拡がってゆく、
ちょうど鐘の音のように
路地や広場をつたって。

まっ黒な煙突のそばに
あの人は座っているけど、
わたしがそばを通ると、
ふいごがゴウゴウ鳴って、
あの人のまわりでは
炎が音を立てて燃えあがる。

アッケラカンとした陽性な曲、心の陰影は皆無で、唯々、健康な女の絶対の恋心が歌われます。

訳詞:志田麓さん

演奏
@ソプラノ:ジェシィ−・ノーマン ピアノ:ダニエル・バレンボイム
Aソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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ブラームスの名曲23 歌曲「口づけ」 ヘルティー詩 OP19-1 2020.03.31

作品19は、アガーテへの愛が濃厚に現れた曲集です。その第1曲のシュチュエーション(場面)は、明るいが人影のない公園。ブラームスがアガーテの肩を抱き、そっと口づけをする場面です。恋人たちはそこに全ての官能を掛けます。震えながらする口づけ、蜜よりも甘かったに違いありません。

「口づけ」 L・C・ヘルティー詩
五月の花の木の下で
少女の手をもてあそび、
心をこめて愛撫し、
少女の瞳に映る
ぼくの顔を眺め、
震えながら最初の口づけをした。

するとその口づけはたちまち
身を焦がす炎のように
ぼくの全身に伝わった。
ぼくの唇から不滅の
情熱を注いだ人よ、
ぼくに涼風をおくってほしい!

年配の私でも、暫し青春時代を思い起こしてしまう歌(詩)ですね。私も忘れません。その唇の喜びと、熱い胸を。涼風に当たると気持ちが良かったことを…

演奏
バリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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2020年03月29日

ブラームスの名曲22 ファンタジア 第1曲ニ短調 OP116-1

ラテンシリーズを含む10年間(1876年〜1886年)は、ブラームスの創作の黄金時代と言えましょう。4曲の交響曲とヴァイオリンとピアノのコンチェルト及び二重協奏曲(ヴァイオリンとチェロの二重奏コンチェルト)を書き、古今東西の大作曲家の列の一等席に君臨した時代でした。しかし、長年の勢力集中の所為で、元気印のブラームスも健康上の憂いが出て来ました。もう交響曲もコンチェルトも書く体力と気力が失せていたのでした(第5交響曲断念)。遺書(1890年)まで認めたのですよ。残すはクラリネット室内楽と歌曲とオルガン曲、そして20曲のピアノの小品集です。それでも気力減退となったとしても、スケールの大きな作曲家は違います。ピアノ小品だけでも20曲(一夏で)ですよ。しかも全てが個性的で、まるで違う顔をした曲たちです。まあ、ブラームスは、やはり並いる作曲家とは桁違い、途轍もない創作力を持っていました。

晩年のピアノ小品は1892年に、20曲(OP116.117.118.119)全てが書かれています。ショックだった大曲の創作力の減退、それでもクラリネットの巨匠のリヒャルト・ミュールフェルトとの出会いで、4曲のクラリネット室内楽をものにし、復活しました。更に、ロマン溢れる心情は沸々と沸き上がり、詩の不足で歌曲を諦め、自家薬籠中(じかやくろうちゅう、思うままに使いこなせるもの)のピアノの小品に熱中しました。こうして世にも稀な墨絵風モノトーンのピアノ作品が生まれたのでした。この燻し銀のピアノ音楽こそが、私の愛する宝石たちです。

ファンタジアOP116の第1曲は、ピアノ小品シリーズの第1曲目です。さあ、追憶と懐古の始まりです。あの全盛のラテンシリーズとは180°の反転です。レモンの花咲くイタリア・ギリシャから遠ざかり、ブラームスはひたすら生まれ故郷の北ドイツ(低地ドイツ)を目指します。この第1曲の二短調で、厳しくも、その原点回帰の幕が切って落とされたのです。ここからは雪と氷の世界、私達は、霧に咽ぶ低地ドイツに連れ去られるのです。それでも晴れた宵は星が瞬きます。それは北極星かカシオペアか、それとも北斗七星か、五月の宵には薔薇の香りと満月が…、低地ドイツも美しい故郷です。

ピアノ
*エレーヌ・グリモー
*ウィルヘルム・ケンプ
*ヴァレリー・アファナシェフ
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ブラームスの名曲21 歌曲「別れ」「セレナード」 OP14-5、14-7 2020.03.29

1858年(25歳)は、ブラームスの創作意欲が隆盛を極めており、第1ピアノコンチェルトOP15を始め、管弦楽用の「セレナード」2曲(OP11と16)などを上梓しています。それにアガーテ・フォン・ジィ−ボルトから霊感を受けた13曲の歌曲(OP14と19)と3曲の二重唱曲(OP20)を作曲しています。ここではもう一度、OP14から1曲ずつの女歌・男歌の歌曲を選んで述べてみます。

「別れ」 伝承の詩 OP14-5
目を覚ませ、目を覚ませ、若者よ!
きみはこんなに長い間眠っていた、
外では鳥たちが明るい声でうたい、
御者(馬車の曳き手)は通りでさわいでいる。

目を覚ませ、目を覚ませ、番人は
かん高い声で呼び始めている、
恋人同士がいっしょにいる時、
ふたりは賢くなければならない。

若者はつい寝坊してしまった、
こんなに長く快く寝ていたから、
しかし娘は賢かったので、
若者に口づけをして目を覚まさせる。

別れ、別れはつらいものだ、
死神と同じように無情で、
死神は多くの元気な娘と
多くのやさしい若者を分け隔てる。

若者は自分の馬にとび乗って、
その場から速歩で急ぎ去って。
娘は長い間その後を見送った、
深い悲しみが娘を包んでいた。

テンポの速い、忙しないソプラノの歌です。走る馬の蹄の音を模した伴奏に、高いソプラノの女の声が追い掛けます。愚かな若者と賢い娘の恋、上手く行かなかったようです。ソプラノ・アガーテの、小気味良い声の特徴を最大限生かした曲調です。

「セレナード」 伝承の詩 OP14-7
おやすみ、おやすみ、いとしいひとよ、
ぐっすりおやすみ、ぼくの恋人!
天国にいる天使たちがみんな
きみを護ってくださるように!
おやすみ、おやすみ、いとしいひとよ、
ぐっすりおやすみ、おだやかな夜に!

ぐっすりおやすみ、そして今夜
ぼくの夢をみてくださいね!
ぼくもその時眠っていたら、
ぼくの心がきみを見守っいることを、
またあの頃ぼくの心が愛に燃えて
きみのことを思っていたことも。

木立では小夜鳥がうたっている、
月の光に照らせれながら。
月の光はきみの窓からさして、
きみの愛らしい部屋を覗きこみ、
まどろんでいるきみの姿を眺める。
だが、ぼくはひとり立ち去らねばならない!

セレナードと言えばシューベルトを思い起こさせます。天才的メロディーを持つ名曲ですが、ブラームスにも「セレナード」の名を持つ曲が数曲あります。このセレナードは極めて明るい作品で、長閑な恋の歌です。残念ながら、ブラームスにはシューベルトの旋律美はありませんが、その人間的ないじらしい歌は微笑ましいものがあります。少々気弱な性格の男、愛しい人の寝室の窓辺までは行きますが、行動(夜這い?)を起こせません。すごすごと引き下がって仕舞います。庶民のお伽噺です。

*小夜鳥=ナイチンゲール

演奏
@ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
Aバリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

訳詩:志田麓さん
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2020年03月28日

ブラームスの名曲20 歌曲「あるソネット」 13世紀民謡 OP14-4

この曲は男歌です。この詩に、ブラームスのアガーテに寄せる思いを代弁させています。ソネットとはヨーロッパに於ける十四行詩の事ですが、これは十二行ですね。長閑な曲で、恋の病を嘆いているようですが、反対に喜んでもいるようです。

「あるソネット」13世紀民謡 OP14-4
ああ、あの女(ひと)のことが忘れられたら、
あの美しく、愛らしく、なつかしい物腰、
あの眼差しと、やさしい唇が忘れられたら、
あるいは恋の病が癒えるだろうか!

だけど、ああ、わがこころの病は決して治らない!
しかもあのひとを求めることは狂気の沙汰だ!
あのひとに思いをかけると、決して離れまいという
勇気と生気が湧いてくるのだ。

いったい、どうしてあのひとが忘れられようか、
美しく、愛らしく、なつかしい物腰が、
あの眼差しと、あのやさしい唇が!
恋の病が決して治らない方がずっといいな!  訳詩:志田麓

まあ、単純な恋の歌ですが、アガーテを口説くには、適切な歌だったのでしょう。事実、二人は婚約指輪さえも交わしたのですからね。でも、ブラームスは煮え切らない男でしたね。大望を抱く男には、女は振り回されるもの。ここが人生の岐れ道だったのですね。ブラームスはアガーテと別れて、大作曲家への道を邁進します。

演奏
バリトン:アンドレアス・シュミット ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ


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2020年03月26日

ブラームスの名曲19 歌曲「傷ついた少年」 民謡 OP14-2 2020.03.26

愈々、アガーテ・フォン・ジーボルトの登場です。最初期(1853年)の3つの歌曲集の次の作品、OP14が生まれました。1858年、ゲッチンゲンで出会ったアガーテは、素人でしたが素晴らしいソプラノの美声を持つ娘でした。ブラームスを含めた仲間の集いで、美しい歌声を披露していました。ブラームスは心惹かれ、アガーテのために歌曲を書き、二人は婚約指輪まで交わしたのでした。このゲッチンゲンでは、多くの歌曲が作曲されます。OP14(8曲)、OP19(5曲)、Op20(二重唱曲・3曲)で、その殆どに、アガーテへの想いが投影されています。男歌、女歌があり、男歌はブラームスの感情が、女歌にはアガーテの心情が示されていると想われます。

傷ついた少年 民謡
娘がひとり朝早く起きて、
緑の森に散歩に行こうとした。
さて娘が緑の森に来た時、
そこに傷ついた少年を見つけた。

血で真っ赤になっていた少年は、
娘がその方に向いたら、もう息絶えていた。
わたしのいとしい人の墓のほとりで
追悼する淑女ふたりをどこで頼もうかしら。

いとしい人をお墓まで運んでゆく
六人の騎手をどこで頼もうかしら。
わたしはいつまで喪に服すのかしら、
河がみんなあふれるまでかしら。

もし河がみんなあふれないなら、
わたしの喪は終わらないのでしょうね。  訳詩:志田麓

ソプラノで歌われる短い歌曲、少年の死を悼む詩は不思議な雰囲気を醸し出しています。愛しい少年の死を目前にして、娘は軽いパニックを起こしているようです。埋葬や葬儀の事が頭を巡らしているようです。美しいメロディー、アガーテはきっと天使の美声で、歌った事でしょう。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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2020年03月17日

ブラームスの名曲18 歌曲「調和」OP7-3、歌曲「民謡」OP7-4、歌曲「悲しむ娘」OP7-5 2020.03.17

暗いOP7の歌曲集、短調ばかりで書かれています。その中でも、ソプラノで歌う、静かで、優しいメロディーの美しい歌がありますので、紹介します。ブラームスが20歳に満たない頃作った歌曲です。

調和(共鳴) アイヒェンドルフ詩 OP7-3
静かな丘の森の中に
一軒の家が立っていて、
その森越しに家を眺めると、
淋しげなたたずまいだった。

ひっそりとしたある夕べ
娘がひとり中にいて、
絹の糸を紡いでいた、
娘の婚礼の衣裳のために。

婚礼の衣裳を作るための紡ぎ歌?。何故悲しいのでしょうか? 望まぬ婚礼なのかしら? 張り詰めた澄んだ空気が森を渡ります。

民謡(つばめは飛び去ってゆく) シュヴァーベンの民謡 OP7-4
つばめは遠い異国へ
飛び去ってゆくが、
ぼくは悲しくここにいる、
いやな、つらい時だ。

ここはちっとも気に入らないから、
世界の旅ができたらいいが!
おお、つばめよ、お願いだから、来て、
ぼくに道をおしえて、連れてゆけ!

南西ドイツ・シュヴァーベン地方の方言による詩に付けられた曲。男歌ですかね、若者は異国を夢に観るもの、ツバメの渡りに、切ない思いが込み上げて来ます。羽音のようなピア伴奏に乗って歌われます。

悲しむ娘 シュヴァーベンの民謡 OP7-5
母はわたしが嫌いだし、
わたしには恋しい人もいない。
ああ、わたしはなぜ死ねないの、
どうしたらいいんでしょう。

昨日は桜桃の奉納があったけど、
わたしを見かけたものはいないわ。
だって、わたしとてもかなしいから、
踊ったりしないんだもの。

十字架の墓標に供えてある
三輪のばらをそっとしておいてね、
この下で眠っている娘のことを
みなさんは知っていたの。 

*以上訳詩:志田麓さん

桜桃とはサクランボ、桜桃の奉納とはどんなものなのでしょうか? 娘は生きているのか?死んでいるのか? タイムスリップでもしたのかしら? 過去・現在・未来、今は何処? 不思議な曲です。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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2020年03月13日

ブラームスの名曲17 歌曲「まことの愛」 フェラント詩 OP7-1 2020.03.13

娘がひとり海辺に座り、
憧れの眼差しを彼方に投げる。
「いとしいお方、長い間どこにいるの。
こがれる思いに安らかになれないわ、
おお、今日にも帰って来ればいいのに!」

たそがれは近づき、夕陽は
空の果てに沈んでいった。
「波はあなたを連れもどしてくれないの。
わたしは目をいたずらに遠くに向ける。
いとしいお方、どこであなたに会えるでしょう」

海の波はやさしくて娘の足に戯れる。
幸せだった時の夢のように。
娘はひそかな力で海の底に誘われ、
海辺にははやその美しい姿は見当たらなかった、
娘はいとしい人を見つけたのだ。                     訳詩:志田麓

作品7は6曲全て短調で書かれています。暗い歌ばかりです。この曲も、結論を言えば、自殺の歌と言っても良いようです。海は優しい波で娘を死の底に誘っています。海の底・死の世界で、いとしい人を見つけたのです。美しいピアノ伴奏、切ない歌、名曲です。

演奏
ソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ
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2020年03月09日

ブラームスの名曲16 歌曲「スペインの歌」 スペイン民謡(ハイゼ訳詩) 2020.03.09

作品3と6と7は、シューマンに出会った頃の歌曲作品、若く瑞々しい歌が多く作られています。中でも3-1「愛の誠」、6-1「スぺインの歌」は良く歌われています。

スペインの歌 スペイン民謡(ハイゼ訳) OP 6-1
わたしの巻き毛の髪のかげに
いとしいひとがねむっているの。
おこそうかしら?−いけないわ!

毎朝早くわたしのちぢれ毛を
せっせとすいてみるけど、
骨折り損になってしまう、
だって風が掻き乱すもの。
巻き毛の髪のかげと風の音が
いとしい人を眠りに誘ったのね。
おこそうかしら?−いけないわ!

もうずっと前から思い焦がれて、
あのひとを生かすも殺すも
わたしの小麦色の頬しだいと、
恨めしそうにいうのを聞かされるわ、
おまけにわたしを蛇だといいながら、
わたしに寄り添って寝てしまった。
おこそうかしら?−いけないわ!

訳詩:志田麓

独特のスペイン風リズム、結構婀娜っぽい女の歌です。私は「カルメン」を思い出してしまいます。
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2020年03月07日

ブラームスの名曲15 歌曲「愛の誠」 ライニック詩 op 3-1 2020.03.07

ブラームスの20歳頃の作品。世に出るため、ドサ回りをしていたブラームスが初めてシューマンを訪れた際に、持っていた自作の一つ。シューマンの前で、ピアノソナタ2曲とスケルツォなどを弾き、聴いて貰い、熱狂の賛辞を得ました。早速、出版社を紹介されて、若きブラームスの最初の楽譜が刷り上がりました。その中に歌曲があり、作品3(6曲)として世に出ました。中でも一番評価が高かったのが、この「愛の誠」で、そのため作品3の1として名を連ねました。

母と娘の愛の誠に於ける応答を歌ったものです。心配をする母、でも自信満々の娘、何処にでもある話です。

愛の誠 ライニック詩
「我が子よ、おまえの悩みを沈めなさい、
海の中へ、深い、深い海の中へ!」
石ならば海の底に沈んだままでしょうが、
私の悩みはいつも浮かび上がるものよ。

「それに、おまえの胸に懐く愛を
破り捨てて仕舞いなさい、わが子よ!」
花なら手折れば枯れるでしょうが、
わたしの愛はそんなに早くは消えないの。

「愛の誠なんて、ただ口先だけだったのよ、
風の中にそんなの吹きとばしなさいな!」
おお、おかあさん、岩が風に砕けても、
わたしの誠はあの人をつなぎとめるわ。

訳詩:志田麓

女歌で、一人の歌手が歌うのですが、母のパッセージでは不安げに諭すように、娘のパッセージでは愛を夢見るように、伴奏共々歌われます。

演奏
@ソプラノ:ジェシィ−・ノーマン ピアノ:ダニエル・バレンボイム
Aメゾソプラノ:ブリギッテ・ファスベンダー ピアノ:Irwin・Gage
Bソプラノ:ジュリアン・ボンセ ピアノ:ヘルムート・ドイッチェ

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2019年04月21日

ブラームスの名曲14 ネーニエ(哀悼歌)Op.82 2019.04.17

ブラームスと言う作曲家は、見栄や虚飾を嫌った内気で内省的な人であったようです。ほぼ彼の全曲を聴いて気付いたのは、ブラームスの作品は多岐に渡っていますが、オペラだけは書いていません。たったひとつと言って良いほどに、彼の作品目録にはオペラというジャンルがないのです。このように内に秘めた情念や思想を持つ作曲家として、それを表現するには正直者であったブラームスにとって、オペラは不向きであったようです。生涯の内にオペラ試作の痕跡はあったようですが、それもカンタータ(リナルド)などに代わってしまっています。

ブラームスはリアリストでありました。嘘八百を紡いで、歌物語(オペラ)を書くことはブラームスの性格上無理だったようです。まあベートーヴェンもそれに近く、オペラは「フィデリオ」一曲に留まっています。人間の真実を音楽にしたブラームス、嘘を付かないノンフィクションの音楽に徹したのでした。

それでもブラームスは、当時の最大の声楽曲の作曲家でありました。歌曲と合唱曲を合わせて都合300曲は書いています。どれもこれも傑作で、駄作は一曲もありません。オペラの代わりになる十分な歌の曲が並んでいます。ここでは、リアリストのブラームスが作った声楽曲の一つ「ネーニエ」を紹介します。

ネーニエは、ウィーンで知り合った画家=アンゼルム・フォイエルバッハがベネチアで死んだのを偲んで、1881年に作曲されました。画家・フォイエルバッハの作風は、古典の知識を持ち、彫像のような優美さと気高さがあり、古代ギリシャ芸術の簡素さを持っていたと伝えられています。ブラームスはそんなフォイエルバッハの画家としての器量に見合った古代ギリシアの三篇の神話を盛り込んだシラーの詩・ネーニエを見出します。それをオーケストラ付きの合唱曲に仕上げたのでした。フォイエルバッハの母に捧げたところ、その哀れな母親は大層喜んで、生涯この曲を聴くのを楽しみにしていたそうです。

ネーニエ(哀悼歌)  詩・フリードリッヒ・フォン・シラー

美しき者とて滅びねばならぬ!、それこそが人々と神々を支配する掟

地獄のゼウスの青銅の心臓を動かすことはない

かつてたった一度だけ 愛がその闇の主の心を溶かしたことはあったが

出口にたどり着かぬうちに、厳しくも、彼はその贈り物を取り返したのだ

アフロディテさえも かの美しい少年の傷を癒すことはないだろう

その華奢な体をかの猪が残酷に引き裂きしものを

神々の英雄をも その不死の母が救うことはなかったのだ

スケイアの門にて倒れ、彼が死の運命を受け入れしときにも

けれども彼女は海底よりネレウスの娘たちと共に上がり

偉大な息子のために嘆きの歌を歌ったのだ

見よ!神々が泣いている、女神たちも皆泣いている

美しきものが色あせることに 完全なるものも死にゆくことに

愛する者の口より出ずる嘆きの歌は素晴らしいものだ

なぜなら凡人たちは音も立てずに冥界へと降りてゆくのだから


古代ギリシアの三篇の神話
・オルフェウスが死んだ妻エウリディーチェを冥界から連れ戻そうとした話
・美の女神・アフロディテがキューピットの矢を間違って受けて仕舞い、愛する事になった人間の美少年アドニスが、猪に殺されてしまった話
・アキレス腱のアキレスが、唯一の弱点・踵を射られて死んでしまい、アキレスの母で海神ネレウスの娘・テティスが姉妹を引き連れて海から上がり、嘆きの歌を歌った話。

シラーはこの三篇を上手くつなげ、哀悼の想いを詠い上げたのです。

素晴らしい友人だった者への哀悼の歌、ブラームスのネーニエ

参考:梅丘歌曲会館 詩と音楽よりから引用
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2019年02月11日

ブラームスの名曲13 「愛の歌」「昔の恋」 2019.02.11

先程まで作品69から作品94までを聴き通しました。作品69、70、71、72、84、86、94。どれもこれもブラームス中期の名曲ばかりで、全て紹介したいのはやまやまですが、そんなに簡単ではありません。今回は作品71-5の「愛の歌」と作品72-1の「昔の恋」をお伝えしましょう。後は次回以降に…。

ヘルティの「愛の歌」の詩は有名で、シューベルトやメンデルスゾーンも曲を付けています。但し、ブラームスの「愛の歌」が今日では広く歌われており、一番有名です。当時のテノール歌手・グスタフ・ワルターの強い希望で、高音用のハ長調を原調としていますが、ブラームスは低音域のニ長調が良いと考えていたようです。男声のテノール用の歌曲です。

愛の歌  詩・ヘルティ  作品71-5

ぼくの青春の心を奪った
天使のように浄らかな人が
杜の中をさまようときは
鳥の歌もいっそう美しく響く。

いとしい人の指が
すずらんの花を摘んだ所では、
谷や野の花はいっそう赤く、
芝生はいっそう青々とする。

あの人抜きではすべてがむなしく、
花や草も枯れしぼみ、
春の夕映えもぼくには
美しくも楽しくも思われない。

いとしい恋しいきみよ、
けっしてぼくを見捨てたもうな、
この野さながらに、ぼくの心にも
歓喜の花が咲きでるように!

「昔の恋」はブラームス歌曲の傑作の一つです。ト短調の曲で微妙なメランコリーが表現されています。過去と現在が行きつ戻りつするような不安な気分にさせます。やはり主人公は昔の恋に思い煩っているのです。昔の恋は独語ではアルテ・リーベと申します。今も存在しますが、横浜日本大通にはこんな名のレストランがありました。妻と数回行った記憶があります。若き田舎者(25歳ぐらい)でした私はその西洋そのものの空間に驚いて、料理を味わう余裕などありませんでした。でも美食のカルチャーショックは受けました。好い雰囲気の好いレストラン、お伽噺のような幸せがあります。

昔の恋  詩・カール・カンディドゥス  作品72-1

黒い羽のつばめが
遠い国から帰って来る。
おとなしいコウノトリも来て、
新たな幸せをもたらす。

こんな春の朝に
霞につつまれて、暖かく、
むかしの悩みをまた
味わうような気がする。

誰かがそっと肩を叩いたような、
一羽の鳩が飛んだので、
その羽音が聞こえたような、
ぼくはそんな気持ちなのだ。

扉をトントン叩く音がするけれど、
だれもそとにはいないし、
ジャスミンの馨りをすったが、
ぼくは花束ひとつ持っていない。

遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ、
ひとつの目がぼくを見つめている、
むかしの夢がぼくをとらえて、
ぼくに夢の跡を追わせるのだ。

訳詩:志田麓さん

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2018年08月23日

ブラームスの名曲12 ホルン三重奏曲変ホ長調Op40

ブラームスには作品番号の付いた室内楽作品は全部で24曲あります。勿論、ハイドンやモーツァルトに比べればものの数ではありませんが、どれを採っても優れた作品ばかりであり、その全作品は現代でも頻繁に演奏会に取り上げられています。全く駄作は無く、各曲が個性的であり、恐らく完全無欠の作品群と申しても異論は無いでしょう。聴く側にとっての難点は交響曲同様に娯楽性が少ない事、聴衆に阿らない(おもねらない)ブラームスの、その堅い鰹節のような音楽、ジックリ噛み込んで、その濃厚な妙味を味わいましょう。歯が悪くてはブラームスは聴けません?。

管楽器を使用した室内楽は全部で5曲あります。それはクラリネットに偏っていて、クラリネットの室内楽は4曲もあります。即ち、残りの一曲が金管楽器のホルンを使ったもので、このホルン三重奏曲変ホ長調Op40です。フルートもオーボェもファゴットもトランペットもありません。ブラームスはモーツァルトのような遊び心が無かったのかも知れません。まあ、私のブラームス感から申せば、自然愛好者でロマンチスト更に感傷的なブラームスですから、フルートの巨匠性やオーボェのハイテンション、ファゴットのコミカル性やトランペットの饒舌性は不向きと思われます。内向的な正直者のブラームスには、ホルンとクラリネットが適宜と思われます。因みに弦楽器ではチェロとヴィオラが最適です。願わくばブラームスに、チェロとヴィオラ、そしてクラリネットとホルンの協奏曲を書いて欲しかったですね。世界中の今申した楽器の名演奏家達がつくづく言っています。「ブラームスに私の楽器のコンチェルトを書いて欲しかった」。因みにそう言った各楽器の稀代の名プレーヤーを紹介しておきます。ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)、ユーリー・バシュメット(ヴィオラ)、レオポルト・ウラッハ(クラリネット)、リヒャルト・ミュールフェルト(クラリネット)。

発想は1857年から勤務していたデトモルト時代に遡ります。デトモルト宮廷にあったオーケストラのホルン奏者アウグスト・コルデスと知り合った事から始まります。ブラームスはそこでコルデスの吹くホルンの音色に魅了され、何時かホルンを使った曲を書いてみたいと念じ、原案を認めていました。但し、この時期に発表されたホルンを使った曲は、Op17の女性三部合唱で、二本のホルンとハープの伴奏の珍しい、しかし美しい合唱曲でした。

そしてその後の1865年に、念願だったホルンを使った室内楽が誕生しました。それはホルン三重奏曲変ホ長調Op40でした。ここで使われたホルンは何と、現代のオーケストラで使われているヴァルブホルン(有弁ホルン、フレンチホルン・ウィンナーホルン)では無く、ブラームスは無弁のナチュラルホルンを指定しました。ブラームスとはこう言う男、音楽界の誰もが喝采した新しく発明されたヴァルブ付きのホルンには背を向け、依り自然な音色が出るナチュラル(無弁)ホルンを選んだのでした。無弁ホルンは、倍音系の音以外はホルンの朝顔(広がった部分)を手で押さえ、その開閉で、音階の全ての音を出す事が可能です。ブラームスは音楽界に小さいけれど新たな提言をしたのでした。尚、現代では滅多に無弁ホルンは使われていません。

楽器編成、ホルン、ヴァイオリン、ピアノ

第1楽章
1部(A部)ーアンダンテ、変ホ長調、2/4拍子 2部(B部)ーポーコ・ピウ・アニマート(少し、だんだん強く、活気を持って)、ト短調、9/8拍子。
以上の部分の複合二部形式。冒頭の楽章にソナタ形式を使わない特異な楽章の並びを持ちます。これはバロック時代の教会ソナタの楽章配置と言われています。先の二つの部分を、ABABABの形で並べています。長閑な田園の趣があります。美しい自然に心時めいて...、貴女を想って…、物思いに耽って…。極めてロマンティックな楽章です。

第2楽章
スケルツォ、アレグロ、変ホ長調、3/4拍子、複合三部形式。
草原で踊り狂う活発な諧謔曲、されど中間部はポコッと穴が抜けたようにそこに湖が現れます。センチメンタルな風が渡ります。

第3楽章
アダージョ・メスト、変ホ短調、三部形式、6/8拍子。
アダージョ、ゆったりとしたピアノのリズムに乗ってホルンとヴァイオリンが呼応しながら歌って行きます。メスト、それは悲し気なメロディー。母の死へのレクイエムのよう…。母への感謝が溢れて…。

第4楽章
フィナーレ。アレグロ・コン・ブリオ、変ホ長調、6/8拍子、ソナタ形式。
ここで初めてソナタ形式が現れます。第3楽章の悲しみは忘れてホルンが奔放に爆発します。生き生きとした生命力に溢れます。


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2018年08月22日

ブラームスの名曲11 クラリネット五重奏曲ロ短調Op115 2018.08.21

四つの交響曲、四つの協奏曲、ドイツレクイエム、数多の室内楽とピアノ曲、そして無数の歌曲、功成り名を遂げヨーロッパ楽壇の第一人者となったブラームスには名誉が押し寄せました。ブレスラウ大学から名誉博士の学位(1879年)、プロイセンから功労勲章(1887年)、オーストリア皇帝よりレオポルト勲章(1889年)、ハンブルク市からは名誉市民権(1889年)、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから「芸術と科学に対する金の大勲章」(1895年)数々の栄誉が授与されました。

しかし、絶頂期を迎えたまでは良かったのですが、体調悪化も手伝い、ブラームスは第5交響曲執筆を断念、創作力の衰えを痛感しました。「歳を取り過ぎた、もう引退だ」と言い、余った草稿を破り捨て燃やしてしまい、遺書の執筆を始めました(1890年)。

ところがマイニンゲンオーケストラのクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトと知り合い(1891年)、その素晴らしいクラリネットの魅力に取り付かれたのでした。直ぐにその年の内に、ブラームスは2曲のクラリネット室内楽を作曲してしまいます。ブラームスとクラリネット、ここで運命的な出会いが始まったのでした。この後、ブラームスが死ぬまでに、都合4曲のクラリネット室内楽が産み出されたのです。ミュールフェルトが一番待ち望んでいたのがクラリネット協奏曲でしたが、残念ながらクラリネット協奏曲は無視されました。年老いたブラームスは己を知っていて無理をせず協奏曲は諦めて、飛び切りの室内楽の名曲を4曲を書くのでした。

ブラームスの創作力はクラリネットによって蘇りました。第5交響曲とクラリネット協奏曲は実現できませんでしたが、クラリネット室内楽の他に20曲に及ぶピアノ小品、ブラームスの遺言とも言える歌曲「四つの厳粛な歌」とオルガンのコラール前奏曲が生れたのです。ブラームス最後の傑作の噴出でした。

クラリネットの室内楽は4曲あります。最初がクラリネット三重奏曲イ短調Op114、次にクラリネット五重奏曲ロ短調Op115、そして3年後に二曲のクラリネットソナタ第1番ヘ短調Op120-1と第2番変ホ長調Op120-2が作曲されました。全てが名曲中の名曲ですが、一際優れて傑作なのがクラリネット五重奏曲ロ短調です。但し、最も深い内容を持つために、その表現は晦渋であり、聴き辛さが否めません。全体に暗い情緒が横溢しており、晴れる事の無い悲しみに沈んでいます。他の3曲は比較的聴き易く、遊び心も満載されているのですが…。

ある評論家がこれと同じ編成を持つモーツァルトのクラリネット五重奏との比較をしています。モーツァルトの方は晴れ晴れとした天上的な悲しみ、ブラームスの方は欝々とした地上的な悲しみ、ブラームスは余りにもリアリスティック(現実主義的)で、音楽の精神の浄化作用に欠けていると言いました。なるほど中っているなと感心しましたが、それは音楽の側面のほんの一部を証したもの、音楽は快楽的に浄化作用をするだけでは無いのです。唯単に人を気持ち良くするためだけに音楽があるのではありません。音楽と共に慟哭して知り得る音楽もあるのです。ブラームスは深く心に刻み付ける音楽、心が共感する音楽、そこにブラームスの精神の浄化作用があるのです。

第1楽章はロ短調のアレグロでソナタ形式6/8拍子、諦観に溢れていますが、闘争心もあります。曲全体を統率する第1主題と、それに呼吸を合わせ哀願するような第2主題で構成されています。明確な楽章で、ソナタ形式の粋が感じられます。

第2楽章はロ長調のアダージョで三部形式3/4拍子、ハンガリア風の情緒があります。悲しい郷愁に溢れていて、ブラームスの心の内の楽園は、こう言ったものかも知れません。しかし中間部は可なり異なります。クラリネットが巨匠風に活躍し、ジャポニスク(日本風)に影響を受けたブラームスのエキゾチシズム(異国情緒)が溢れます。このクラリネットの独奏はまるで日本の尺八を連想します。風雅と喧騒が重なり合い、エキサイティングな興奮が生み出されます。リアリストのブラームスとしてはエンターテインメントに擦り寄った数少ない楽句と言えます。

第3楽章はニ長調のアンダンティーノで間奏曲風、三部形式で4/4拍子。中間部のプレスト(2/4拍子)が主要部で、両端のアンダンティーノは、前奏と後奏の役目を果たしています。プレストは焦燥感があり、せかせかした印象もありますが、そのささくれをアンダンティーノの優しい歌が慰めてくれます。

第4楽章はロ短調コンモート(動きを持って)でヴァリエーション、2/4拍子。この楽章は最早人に聴かせる音楽からは逸脱しています。これはまるでブラームスの独白のよう…。自らで自らを慰める音楽、ロマン派ではなく近代の音楽…。
posted by 三上和伸 at 13:45| ブラームスの名曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

ブラームスの名曲10 ジプシーの歌「幾度も思い起こすか」 op103-7 2018.07.28

ハンガリー舞曲を書いたように、ハンガリージプシーの音楽に惚れていたブラームスが書いたハンガリー風の歌曲「ジプシーの歌」。活発な元気印の歌が大半ですが、中に一曲、愛らしい抒情歌があります。それがこの「幾度も思い起こすか」です。詩(詞)を観れば男歌と思われますが、普通は女性ソプラノが歌うようです。フーゴ・コンラートのテキストが使われています。優しい心根の美しいメロディーの歌です。

ジプシーの歌第7曲「幾度も思い起こすか」(ハンガリー民謡から)フーゴー・コンラート独語訳詩

幾度も思い起こすか,いとしいひとよ.

きみ(あなた)がかつて聖なる誓いによって約束したことを!

ぼく(わたし)を裏切ったり,捨てたりしないでほしい.

ぼく(わたし)がきみ(あなた)をどんなに愛しているのか,わからないかね(わからないのかしら).

ぼく(わたし)がきみ(あなた)を愛しているように,きみ(あなた)もぼく(わたし)を愛してほしい.

そうしたら,神の恩寵(おんちょう)がきみ(あなた)に注がれるよ(注がれるわよ)!  

                               訳詩:志田麓さん

                        カッコ内は私が女歌に変えました。

ジプシーは音楽民族でありまた舞踏民族、その音楽は独特のリズムやメロディーがあり、愛や情熱が籠められたものが多いのです。それを愛したブラームス、他のハンガリー生まれの作曲家を尻目にドイツ人がジプシーの香り高い名曲を書いてしまう、F・リスト当たりのハンガリー作曲家は忸怩たる思いが込み上げたでしょう。まあ、誰が作ったって好いじゃありませんか、素敵な名曲ならばね。
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2018年07月25日

ブラームスの名曲9 ヴァイオリンソナタ第1番ト長調Op.78「雨の歌」2018.07.25

今までライブドアブログ「葛原岡ハイキングコース」を書いていたのですが、この間、常に我がラジカセから流れていたのは、ヘンリク・シェリング(vn)とアルトゥール・ルービンシュタイン(p)の1960年録音のブラームスヴァイオリンソナタ全集でした。ブラームスには3曲のヴァイオリンソナタがありまして、1番、2番が中年の作、3番が老境の作で、3番だけ短調で書かれています。古今東西のヴァイオリンソナタの中で、このブラームスの3つ作品は傑作で、他に並ぶ作品は少ないと思われます。

1番は「雨の歌」と題されていて、第3楽章に自作の歌曲「雨の歌」のテーマが使われています。「タンタターン」この雨垂れのテーマです。このテーマが変容されて、澱みなく展開されて行きます。これほど流動的で無駄のない音楽は、ブラームスとしては稀で、インスピレーションに溢れています。全作品の中でも最も爽やかな曲の一つです。

でも私が好きなのは第2楽章、ブラームスの緩徐楽章では珍しい”アダージョ”が使われています。しっとりと歌われて行きます。まるで夢見るように...。木陰のテラスで物思いに耽るように...。そして中間部では、追憶が追いかけます。それはレクイエムのように哀悼に満ちて…。今は亡き、花嫁に寄せる哀悼歌…。心が捩れるほどに狂おしいレクイエム…。これがブラームスの感情、これがブラームスの精神。

シェリング、ルービンシュタイン、これ以上の演奏はありません。絶妙のブラームスです。
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2017年06月29日

ブラームスの名曲8 歌曲「野の侘しさ」 OP86-2

娘の夏子が伴奏の仕事を請け負ったそうです。その曲の中にブラームスの歌曲作品86-2「野の侘しさ」がありました。先日夏子は私の部屋を訪れ、この曲のCDを貸してくれと所望しました。そして先程、一寸した甘いお菓子を添えてこれらのCDを返して寄こしました。そこで久し振りに、フィッシャー・ディースカウが歌うこのブラームスの「野の侘しさ」を聴いてみました。

「野」は野、もしかしたら麦畑かも知れません。「侘しさ」とは日本語で言えば、力が抜ける感じ、心細い、頼りない、もの悲しい、くるしい、つらい、みすぼらしい、貧しい、やりきれない、困った事だ、おもしろくない、つまらない、物静かである、心さびしい、などが広辞苑には書いてあります。

否定的なネガティブな意味が並んでいます。されどこのブラームスの「野の侘しさ」は、むしろ肯定的で、ポジティブな要素が多分にあります。ここでは、もの悲しい、物静かである、心寂しいが、的確かと思われます。

たった一人野に出て、孤独を味わい、自然に融けて、自由を楽しんでいる、そこにこの世に生きる喜びがしみじみと湧き上がるのです。野の緑、空の青、雲の白、こおろぎの歌、野の侘しさの中、生と死を想うブラームスが浮遊しています。

野の侘しさ OP86-2 詩:ヘルマン・アルマース

高く生い茂れるみどりの草にいこい、
私はじっと空を見上げている。
まわりでこうろぎはたえまなく鳴き続け、
空の青さはわが身のまわりを美しく取り巻く。

白く美しい雲は、あたかも静かな夢のように、
深い青の中を軽くすぎて行く。私もまたずっと前に死んでしまって、
雲と共に際なき空を、楽しく去りゆく思いがする。

バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ ピアノ:イェルク・デムス
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2017年04月01日

ブラームスの名曲7 オルガンのためのフーガ変イ短調WoO8

ブラームスが少年の頃より抱いていた志は、偉大な音楽家(芸術家)になる事でした。本当の芸術とはどんなものか、ブラームスは思考を重ね、過去の文献を辿り、英知を見出しました。それはゲーテやシラーの芸術家の心得に関する格言(箴言)でした。

ゲーテ:「大衆の温和な反応は、中庸な芸術家にとっては励みとなるが、天才にとっては侮辱であり、また恐るべきものだ」。

シラー:「真の天才は、時として他人の賛辞で慰めを得る事もあるが、創造力溢れる感情を得れば、直ぐにそのような松葉杖にすがる必要がなくなるものだ」

以上のような芸術家の心得を少年時代に学び、その後大作曲家になった後もブラームスは死ぬまで、このような箴言(しんげん・いましめとなる短句)を守り通した作曲家でした。

奇異な音響で聴衆を驚かせる事は皆無で、聴衆(大衆)に阿ず(おもねず)、極力外的なパフォーマンスを避けた作曲活動をしました。

従って、ブラームスに慣れない聴衆は、ブラームスが何を言いたいのか、何を表現しようとしているのか、解らない人が多数いました。しかしブラームスはそんな事に頓着せず、自分が信ずるゲーテやシラーの箴言通りの生き方をしました。そんなブラームスが最も良く表れたのが、このオルガンのためのフーガ変イ短調です。

参考:三宅幸夫氏著のブラームス

これは不思議な曲です。私も最初は何が何だか解りませんでした。しかし何遍も重ねて聴いて行く内に、ブラームスの切実なる感情が聴き取れるようになりました。深い愛情と哀悼、そこにはブラームスの涙がありました。

自らピアニストとして愛したレパートリーの中に、ベートーヴェンのソナタ「葬送」があり、「ある英雄の死に捧ぐ」と題された「葬送行進曲」が変イ短調で書かれていたため、それに倣ってこのフーガを変イ短調にしたのだそうです。この感情は変イ短調でなければならぬとブラームスは確信を持っていたのです。直前に亡くなったシューマンに捧げるべく、ベートーヴェン縁の変イ短調を拝借したのだそうです。変イ短調は、♭が7つある特異な調性です。

参考:CD付きブックレットの山野雄大氏の解説



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2016年12月04日

ブラームスの名曲6 ⦅アガーテ⦆のイマージュ 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調、第2番ト長調 2016.12.03

夏の休暇で出向いた西北ドイツの都市ゲッティンゲンでブラームスは初心な娘アガーテと出会いました。やがて美しいソプラノの声を持つこの淑やかな娘にぞっこんとなり、アガーテもブラームスに応え、二人は恋に落ちました。指輪まで交わした二人でしたが、未練を残したクララとの三角関係を憂いたブラームスは、愚かにもアガーテと仲違いし、婚約破棄を言い渡されました。誰よりも素晴らしい女性を手放してしまったブラームス、その痛手は大きく、その直後から、アガーテの移り香に咽ぶが如き美しい二つの弦楽六重奏を書いて、束の間の恋の思い出として残しました。

第1番の変ロ長調は先に完成されて、そのアガーテへの醒めやらぬ感情が直線的に爆発します。そこにはブラームスの幾多の室内楽の中でも殊の外有名なバリエーション(第2楽章)があり、のたうつような愛欲が表現されています。嘗てのルイ・マル監督の1959年のフランス映画「恋人たち」で、ジャンヌ・モロー扮する女とその愛人が絡み付くように戯れながら森を彷徨うシーンで使われました。男女の愛欲が音楽によって高度に増幅されて行く際どいシーンは、一躍このバリエーションを有名にしました。

第1番に負けず劣らずの美しい第2番ですが、1番と同時進行していたのですが、完成は遅れ、1番から5年後の1865年に脱稿しました。従って1番のように直接的な熱情は少なく、青春の美しい思い出としての位置づけがされる曲です。愛おしく懐かしむような風情があります。そして特筆すべきは、ここにはアガーテへの愛の刻印が標されている事です。A−G−A−T(D)ーHーE(アガーテの音名)の刻印が…。第1楽章のコデッタ(小結尾部)に3回ほどこの音形が現われます。展開部の前の静かな一節、春の風のような仄かな愛が香ります。


一方のアガーテも負った痛手は相当なものであったようです。不信感もあったのでしょう。その後のアガーテは立ち直るのも遅く、婚期は遅れたそうです。でもブラームスが残したアガーテの痕跡は確かなもので、20世紀過ぎまで生きたアガーテは、ブラームスの愛を汲み取ったようでした。晩年には「大作曲家の思い出」?と名したエッセイを残しています。
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2016年11月22日

ブラームスの名曲5 歌曲「エーオルスのハープによせて」op19-5 2016.11.22

ブラームスは1857年(24歳)の秋から、北西ドイツのデトモルトの宮廷で音楽教師の職を得ました。この自然豊かな宮廷で、そこの子女の音楽講師をしたり、合唱団の指揮者をしたりして、職務に勤めました。大変気に入っていた仕事でした。

デトモルトの近くにはゲッティンゲンと言う大学を中心として栄えた大学都市があり、そこにはブラームスの同僚のオットー・グリムがいました。夏の休暇にグリムと合うために、ゲッティンゲンを訪れたブラームスは、そこで麗しい女性と懇意になります。それはこの地のゲッティンゲン大学教授の娘で、名をアガーテ・フォン・ジーボルトと言いました。早速二人は恋に落ち、指輪を交わして婚約を誓いました。しかし、ハンブルクの貧民窟出のブラームスと身分違いの上流階級の娘・アガーテ、そしてここで結婚しては、クララ・シューマンと縁が切れるのではないかとの不安、正気に返ったブラームスは、愚かにもアガーテに余計な手紙を出し、結婚に逡巡している旨を伝えてしまったのでした。失望したアガーテは、婚約破棄を主張し、敢え無く二人は離別の道を選びました。身分違いの恋でもあり、ブラームス、アガーテ、クララの三者によるブラームス自身が勝手に思い込んだ三角関係、結局この別れは、時の必然であったようです。大志を抱く芸術家の陥りやすい将来への狼狽があったようです。

それでも二人は幸福だったのです。ブラームスが作った歌曲を、ソプラノのアガーテが歌う、それは二人だけの時もあったでしょうし、仲間の集いの時もあったでしょう。兎に角二人は祝福されていたのです。作品14や作品19は、アガーテに歌ってもらうために書いた曲が並んでいます。「傷ついた少年」、「別れ」、「あこがれ」、「鍛冶屋」、「エーオルスのハープによせて」などが女歌で、アガーテが歌ったでありましょう。反対に「窓の外で」、「ソネット」、「恋人のもとへ」、「セレナード」、「口づけ」などが男歌、ブラームスのアガーテへの思いが籠められています。

アガーテ・フォン・ジーボルトは、幕末の有名なオランダ人(本当はドイツ人)医師・フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト(シーボルト)と親戚です。またアガーテは晩年に、ブラームスの思い出を語った手記を発表しています。

*フォン(von)はドイツ語の前置詞(英語のofと同じ)、主に貴族を示す言葉(姓)として使われました。これによればアガーテは貴族の出と言う事になります。アガーテが名、フォン・ジ−ボルトが姓です。


エーオルスのハープによせて メーリケ詩 op19−5

この古いテラスの
きづたの這う壁にもたれた,
風からうまれたミューズの奏でる
ふしぎなハープよ,
始めよ,
妙なる調べの嘆きを
ふたたび始めよ!

風よ,おまえたちは遥かかなたの
わたしがあんなに愛していた,
あの子の緑したたる
塚を撫でてきたんだね。
途中で春らんまんの花を掠め,
花の香をはらんで、
この心をうっとりと酔わせ,
ハープの絃吹き鳴らす。
風は愁いを含んだ美しい調べに魅せられ,
わが憧れの心の赴くままに吹きつのり,
やがてまた力を弱める。

さて、不意に,
風がいちだん強く吹きくれば,
ハープは美しい調べを奏で,
たちまち心を感動させながら,
再び甘美なおどろきへ誘う。
このとき満開のばらは風に揺れて,
わが足もとに花びらをみな撒き散らす。

素晴らしい詩ですね。風と花とハープ、そして弟への愛と悼み、余韻が囁く香りと響きの鎮魂歌。

エーオルスとはギリシャ神話の風の神の事、こう言った名は様々な発音があり、エーオルスをアイオロスとも呼びます。エーオルスのハープは、またの呼び名をエアリアンハープとも言い、自然の風で鳴る弦楽器です。気持ちの良い協和音で調弦されており、弦を通過した風が作る空気の渦(カルマン渦)が発音の源で、カルマン渦が発音のエネルギー源となっています。倍音系で共振する構造を持ち、本体の空洞に共鳴させて、大きな音を得る仕組みを持ちます。

この詩は元来、メーリケが弟の死を悼んで書いたもの、従って女声のためだけの歌ではありません。男性が歌っても一向に構わないのです。けれども、私には女声が好ましい、こんな繊細なメランコリーは、やはり女性が歌うもの…。私は偏見を持っています。歌は女が歌うもの…と…
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2016年11月21日

ブラームスの名曲4 歌曲「すぐ来てね」op97-5 2016.11.21

ブラームスの歌曲は、彼の生涯の全ての年代に亘って作曲されています。正にブラームスの自家薬籠中の産物だと言う事が出来ます。交響曲作家として大成し、見事なピアノ曲や室内楽曲も数多残しましたが、歌曲ほどの日常性は無かったと思われます。歌曲はブラームスの粋です。

日常的に、常に歌曲に関心を持っていましたが、その創作意欲が最高潮に達した瞬間は、やはりその陰に女性、主に女性歌手が存在した時でした。その愛する女性の名を列記すれば、その歌曲がどのように作曲されたか、大方の見当が付くものと思われます。それぞれの時代のブラームスの傍にいた女性歌手達です。

◎アガーテ・フォン・ジーボルト 関与曲:エアリアンハープに寄せて

*ベルタ・ポルプスキー(後結婚でファーバー) 関与曲:揺り籠の歌(ブラームスの子守唄)

*アマーリエ・バイス(既婚) 関与曲:アルトラプソディー

◎ユーリエ・シューマン(シューマンの三女、歌手で無い) 関与曲:ワルツ愛の歌、合唱曲「アルトラプソディー」

◎マリーエ・ルイーズ・ドゥストマン(ウィーン宮廷歌劇場歌手、ブラームスのウィーン進出を勧めた人)

◎エリザベート・フォン・シュトックハウゼン(歌手で無い) 関与曲:如何におわす我が女王

◎オッテリーエ・ハウアー

◎ヘルミーネ・シュピース 関与曲:歌の調べのように、まどろみはいよいよ浅く、他多数

*マリア・フェリンガー(既婚)

◎アリーチェ・バルビ(29歳差、当時31歳、ブラームスが60歳)

などの女性歌手が上げられます。この内、亭主持ちも何人かいますから、◎印が恋愛の対象と言えます。特に熱烈だったのが、アガーテ・フォン・ジーボルトとヘルミーネ・シュピースです。

アガーテ・フォン・ジーボルトは婚約者でありながら、後に婚約解消をします。アガーテは素晴らしいソプラノの持ち主…。クララ・シューマンを諦めて最初の恋。

そしてヘルミーネ・シュピースとの恋は、結ばれる寸前まで行くのですが、何故か自然消滅をしています。まあ、歳の差が26歳ありましたから、自然消滅は仕方がないと言えば仕方がない…、されどヘルミーネはずっとブラームスの求婚を待っていたそうです。ブラームスの優柔不断が災いしています。されどされど、それで良かったとブラームスファンは思いますでしょう。幸せ過ぎて腑抜けになり、その後の大傑作は生まれなかったかも知れませんでしたからね。

今日は、ヘルミーネを思いながら、友人の詩人・クラウス・グロートと作った「すぐ来てね」を紹介します。

ある日ブラームスとグロートはお茶(お酒?)を飲みながら、愛しいヘルミーネの話をしていました。ヘルミーネに出会って間もない二人は、共にヘルミーネにぞっこんで、賛美の言葉を並べ立てなければ居ても立ってもいられませんでした。そんな折、興が乗ったグロートはヘルミーネの言葉の仕草を真似て、一節の詩を認めました。それをブラームスに見せると、今度はブラームスが五線譜を取り出して、その詩にすらすらと曲を付けました。そこで出来上がったのが、この愛らしい「すぐ来てね」でした。ピアノに向かいブラームスが歌ったかどうかは定かでありませんが、恐らく私は歌ったと確信しています。ヘルミーネの美しい仕草に、熱い思いを籠めて…


  すぐ来てね 詩:クラウス・グロート op97-5

いったいなぜ毎日
待っているのかしら
庭の中では
百花繚乱の美しさよ。

ここに来て、美しく咲く花を
かぞえるのは誰でしょう。
花を眺める人は
ほとんどいないようなの。

わたしの親しい人たちは
藪から林へとそぞろ歩き、
わたしは、ほかの人たちも
夢見心地だろうと思うの。

わたしに誠意を示した
親しい人たちの中に
あなたがいてくださると
嬉しいのだけど!         訳詩:志田麓さん

慎ましくもやや滑稽なピアノ伴奏、それでも「すぐ来てね」と歌い出す歌は色に溢れていて麗しい乙女の香り、思わず微笑んでしまう初心な曲。
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2016年09月29日

ブラームスの名曲3 バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ドイツ3Bの証拠、ソナタとフーガ  

”ドイツ3B”と言う格付けがある事を、ご存知の方は多いと思います。これはバロック時代から古典・ロマン・近代までの凡そ300年の音楽の歴史の中で、その歴史の節目に存在し、その証人になった作曲家を三人選んだもので、その名のイニシャルがBで始まっていた事から、ドイツ3(大)Bと名付けられました。

その三人とは、バロックのバッハ、ウィーン古典派のベートーヴェン、ロマンから近代のブラームスで、その名付け親は、ブラームスの楽友である指揮者にしてピアニストのハンス・フォン・ビューローでした。

バッハは対位法を操り、様々な形式を見出し、バロック音楽を完成した人で、今日の音楽の礎を築いた人でした。また尚も偉大な宗教音楽家(ドイツ・プロテスタント)でもあり、神への帰依の下、音楽を神に捧げました。

ベートーヴェンは究極のソナタ形式を完成した人で、拡大された堅固なソナタ形式を用い、個人の考えや思想を表現しました。音楽が単なる娯楽の慰み物で無く、人間の感情や思想を具現する表現手段として活用する事を決断し、音楽を芸術の領域へ高めました。そして新たなロマン派音楽の台頭を示唆しました。

ブラームスはロマン派と近代の狭間に生き、過去の音楽を調べ、譜面も怪しかったルネサンスの昔から当代までを研究し尽くし、それを己の表現手段として活用した人でした。爛熟極まる19世紀末に、過去の音楽遺産を精査し、西洋音楽を総括したのでした。ロマンの果てに堕落し放題であった当時のロマン派音楽界を目覚めさせるために、過去の偉大な音楽に目を向けたのです。そこから確固たる形式と精神を掴み取って当代に再現しました。その形式と精神、そして近代人の複雑な感情を合致させた力強い作品を残しました。

ビューローはブラームスの作品を演奏するに従い、ブラームスがやっている事が、とんでもない破格の事であると気付くのです。ソナタ形式ではベートーヴェン足らんと欲する事、フーガではバッハの対位法に肉迫している事、ロマン派の誰もが向き合わなかった過去の偉大な音楽を研究し、継承しようとしている事、ビューローは驚愕したのでした。そこでいてもたってもいられず、バッハ、ベートーヴェンの序列にブラームスを加えようと、3Bの提唱となったのでした。

それは正しく正しい行動で、ブラームスの後には、近代の新古典主義が芽生えました。そしてそれだけでなく、その音楽の構造と作曲技法は、そのまま現代音楽にも継承されて行くのです。

ワーグナーが無調音階で新時代を予言したのと同様に、ブラームスは古典主義で現代に繋がったのです。今日の新しい音楽史研究の成果によれば、ブラームスはワーグナーよりもむしろ多く未来を見詰め、近代を通り越して、現代音楽の先駆けになったと言われています。


ブラームスがベートーヴェンとバッハを目標にして書いた沢山の曲の中から、今日は、ピアノソナタ第1番ハ長調op1とチェロソナタ第1番ホ短調op38を紹介します。

ピアノソナタ第1番は、作品番号が1番で、シューマンの手引きにより最初に出版された楽曲です。作曲の順番は、ソナタ嬰ヘ短調(第2番)の方が先らしいのですが、自分の一番の自信作と言う事で、あえてこのハ長調のソナタを作品1としました。

この1番の第1楽章は、正にブラームスがベートーヴェン足らんと欲して書いたピアノソナタのソナタ楽章と言えます。それはもう冒頭の第一主題を聴けば、誰の耳でも判ります。これは何と、あのベートーヴェンのピアノソナタの最大傑作”ハンマークラビーア”の冒頭に瓜二つだからです。ブラームスと言う人は、こうした臆面もない事を平気で行う習性がありました。第1交響曲(第4楽章をベートーヴェンの第9の歓喜の歌に真似た)、第4交響曲(第4楽章をバッハの主題によるシャコンヌでバッハを目指した)などもそうでした。ブラームスは、ベートーヴェンやバッハを尊敬してはいましたが、何者にも憚らない挑戦する気概を持っていたのです。

シューマンはこの1番のソナタを聴いて驚いたようです。ここにはロマン派の誰もが成し遂げられなかった、ソナタ形式の粋があるのを感じたからです。ここまでソナタを自分のものとしているブラームス、シューマンは思いました、「きっとコイツはベートーヴェンの跡継ぎの交響曲を書くだろう」と…

野心に満ちた曲で、決して明るい曲ではないのですが、ベートーヴェンに引けを取らないソナタ形式を駆使し、がっしりと構築され、そこに不敵な精神を盛り込んだピアノソナタです。

ソナタ形式
ソナタ形式とは、複数の同じ主題を使い、順に提示部、展開部、再現部と結尾(コーダ)とに分けられ、各部分を通して作曲される形式です。

◎提示部
第一主題⇒経過部(転調をしつつ)⇒第2主題(第1主調に対し5度上の属調に転調された調性)⇒経過部⇒コデッタ(小結尾部)

◎展開部
提示部と再現部の中間に位置する部分、幾つかの主題を活用し、変容させ、表現の幅を広げる部分

◎再現部
第1主題⇒経過部⇒第2主題(第1主題と同じ調性)⇒経過部

◎コーダ(結尾)
主に第1主題を変容した形で終わる


次は、チェロソナタ第1番ホ短調op38の第3楽章のフーガです。
フーガとはバッハが最も得意としていた形式です。和声の上にメロディーを歌わせる新技法ではなく、幾つかの声部が逃げっこ追い掛けごっこをする古い作曲形式です。これには対位法と言う作曲技法が不可欠です。対位法に熟達した上でなければ、フーガの作曲は成り立たないのです。単純なのはカノン(輪唱など)と言われていますが、フーガはより複雑に声部が絡み合った高級な曲式です。ここでもブラームスは、バッハ足らんと欲し、フーガを研究するのです。シューマンの死後、デュッセルドルフのシューマン家の近くに住み、クララと子供たちの世話をしている間と、その少し後、公職の無かったブラームスには無聊(ひま)があり、楽友のヨアヒム(ヨアヒムは多忙で、結果を出していたのは何時もブラームス)と対位法の研究に勤しみました。その果実として、オルガンのためのフーガを4曲(作品番号無し)ものにしました。ここでこれをヨアヒム(親友の大ヴァイオリニスト)に聴かせると、ヨアヒムは驚嘆し、後にある楽友に「バッハ並みだ!」と伝えたそうです。

フーガ形式
フーガとは、幾つかの声部が追いつ追われつを繰り返す形式で、一定の方式に従って進められて行きます。対位法の音楽に慣れない聴き手には、雲を掴む楽曲ですが、その変幻自在の構築性が強い緊迫感を生み出し、感動を呼びます。兎に角、説得力のある音楽を生み出します。

◎提示部
フーガの特徴は同じ旋律が、順次複数の声部に現れる事。

1、最初に一つの声部が旋律(主唱)を提示する。⇒経過句(結句)

2、主唱が終わったら、別の声部で主唱を繰り返す(応晿)。この時、全体を5度上げる乃至4度下げる(正応)。但し、属音は、原則として5度上げずに4度上げて(乃至5度下げて)主音にする(変応)。これは主音と属音を入れ替える事が求められるため。
*応晿が始まったなら、最初の声部では、やや遅れて、別の旋律を演奏する(対晿)。

3、3声以上ある場合は、第3の声部で主唱を演奏する。稀に応晿を演奏する事もある。

*第2の声部で対晿を演奏する。対象は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*最初の声部では、自由晿となる。

4、4声以上ある場合には、第4の声部で応晿を演奏する。しばしば主唱を演奏する事がある。
*第3の声部で、対晿を演奏する。対晿は応晿(主唱)に合わせて変化させられうる。
*第1、第2の声部では、自由晿となる。

5、以下、すべての声部で主唱もしくは応晿を演奏する。

以上で提示部が形成される。提示部は、一つのフーガの中に、異なる調で、数回現れる。

◎嬉游部
提示部と提示部の間には、嬉游部と呼ばれる自由の部分が挟まれる。。主唱や対晿などの素材で作られる。

◎追迫部
提示部―嬉游部を繰り返し、最後に追迫部が訪れる。追迫部では、主唱が終わらない内に応晿が入る。

提示部(主調)⇒嬉游部⇒提示部(主調以外)⇒嬉游部……⇒追迫部(主調)      ウィキペディア・フーガ参考

以上がフーガ形式の構造です。

チェロソナタ第1番のフィナーレ(第3楽章)は、こんなフーガ形式で成り立っています。バッハに憧れて、バッハに追いつこうとしたブラームス。それには対位法を取得してフーガを自在に扱う事が必用でした。これは、ブラームスの精神がフーガに乗り移った圧倒的なフィナーレです。傑作です。

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2016年09月03日

ブラームスの名曲2 歌曲「雨の歌」OP59-3とヴァイオリンソナタ第1番ト長調OP78 2016.09.03

ブラームスを始めとした大作曲家は、交響曲などの大作を書く際、多くのモチーフ(動機のメロディーやリズム、主題とも言う)を用意しますが、当然使われるモチーフは10曲程度、残りは捨て去る事になります。ところがブラームスの場合、勿体ない主義なのか、その余ったモチーフを室内楽作品として再利用をしました。アイディアの限りを尽くして発案したモチーフ、それは素晴らしい出来映えのものばかりであり、そこに新たな作品を生み出す余地は高くあるのです。交響曲や協奏曲の前後には、必ずと言っていいほどブラームスには、室内楽の数々が生まれています。今回のヴァイオリンソナタ第1番もそのような経緯があるのです。

ヴァイオリンソナタ第1番の作曲の時期は、同じヴァイオリンの協奏曲ニ長調OP77が直前に発表されています。作品番号でも1番違い、正にヴァイオリンソナタ第1番はヴァイオリンコンチェルトの副産物と言う事ができます。

ソロ楽器の高度なメカニズムが不可欠な協奏曲は、ヴァイオリンの音域を極限まで使い、運指や弓使いにも激しいものが要求されます。本来ブラームスは、音楽の技巧性を疎んじ、抒情性や精神性を尊ぶ種類の作曲家だったので、協奏曲の作曲には、作曲後も本意を得た訳ではなかったようです。もっとヴァイオリンの中音域を用い、抒情的な作品が作りたかったようです。そこで、余った多くのモチーフの中から、飛び切りの美しい歌を拾い出し、ソナタ第1番を書きました。本当に書きたかったブラームス本来の優しい抒情詩…。そのソナタ第1番を、自らを慰める積りで書いたのでした。

因みにこの曲には、自らが書いた歌曲「雨の歌」のメロディーが使われています。同郷の詩人・クラウス・グロートの詩に付けた有名な歌曲「雨の歌」OP59-3。雨だれをモチーフとした雨に濡れた自然を歌う望郷の歌。ブラームスの故郷への想いが籠っています。

ヴァイオリンソナタ第1番の第3楽章の冒頭から、この歌は始まります。「タンタターン」と雨だれが…

 雨の歌        クラウス・グロート  OP59-3

 雨よ、滴をしたたらせて、

 ぼくのあの夢をまた呼び戻せ。

 雨水が砂地に泡立った時、

 幼い日にみたあの夢を!


 けだるい夏の蒸し暑さがものうげに

 爽やかな涼しさと競い、

 つやつやした木の葉は露に濡れ、

 田畠の緑が色濃くなった時。


 何と楽しいことだったことか、

 川の中に素足で立ったり、

 草に軽く手を触れたり、

 両手で泡をすくったりしたことは!


 あるいはほてった頬に

 冷たい雨の滴をあてたり、

 新たに立ち昇る香気を吸って、

 幼い胸をふくらませたりしたことは!


 露に濡れたうてなのように、

 また恵みの露にひたり、

 香気に酔いしれた花のように、

 幼な心も息づいて開いていた。


 ときめく胸の奥深くまで

 どの雨の滴もぞくぞくするほど冷やして、

 創造の神々しい営みは

 秘められた生命の中まで浸透した。


 雨よ、滴をしたたらせて、

 ぼくの昔の歌を呼び覚ませ!

 雨足が戸外で音を立てた時、

 部屋の中でぼくらがうたった歌を!


 あの雨の音に快い、しっとりとした

 雨垂れの音に再び耳をすまし、

 あどけない幼な心のおののきで

 ぼくの魂を静かに潤したいものだか。    訳詩:志田麓


誠に爽やかで美しい歌、されどヴァイオリンソナタはそれにも増して美しい…、この世には美しいものがあると、真に教えてくれるソナタです。
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2016年07月31日

ブラームスの名曲1 フェリックス・シューマン詩の「ぼくの恋は緑色」op63−5 2016.07.31

ブラームスが20歳の無名の青年期、世に出ようと踠いて(もがいて)いたのを掬い上げてくれたのが43歳のシューマンでした。見せた曲(ピアノソナタ1番2番)を一目(一聴)して気に入ったシューマンは、わざわざ嘗て主筆であった音楽雑誌にブラームスの名を紹介しました。それを恩に着たブラームスは、生涯の折々でシューマンの残した妻と7人の子の世話を焼きました。ブラームスがシューマン夫妻に出会ったころ、妻のクララは妊娠をしていました。そのお腹の子こそが、後の詩人・フェリックス・シューマンで、フェリックスが20歳の誕生日を迎えた時に、フェリックスが書いた詩を使い、ブラームスが歌曲を書いてプレゼントしました。それがこの曲「ぼくの恋は緑色」です。

このプレゼントに歓喜したのは、フェリックスだけではありませんでした。母のクララこそこのプレゼントを喜びました。幸薄い早世の我が末子の名を未来に伝えてくれたブラームス、フェリックスはブラームスと共に、永延に、音楽史の中に名を刻んだのです。

ぼくの恋は緑色 フェリックス・シューマン op63−5

ぼくの恋はにわとこの茂みのように緑色。
にわとこの茂みの上にその光をそそいで、
その茂みを芳香と歓喜で満たす、
陽の輝きのように、ぼくの恋は美しい。

ぼくの魂は小夜鳥のように翼をはり、
咲き薫るにわとこの木で身をゆすぶり、
歓声をあげ、甘い香りにうっとりして、
恋に酔う歌のかずかずをうたうのだ。   志田麓訳詩

抑揚の効いた流れるような曲、ブラームス歌曲の人気曲の一つ。



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