2019年11月21日

東京漫歩 オワーズ河岸の風景 ポール・セザンヌ 2019.11.04

セザンヌ・オワーズ河岸の風景
オワーズ河岸の風景 1873〜74 油彩 カンヴァス モナコ王宮コレクション
セザンヌは、それまで、ロマン主義的な暗い絵を描いて来ましたが、パリに出てからはモネやルノワール、ピサロの影響を受け、明るい絵の具を使うようになりました。後輩ですが、ファン・ゴッホと似たところがありますね。やはり、印象派の絵には誰でも、一度は感化され、影響されるようです。それでもセザンヌの絵は印象派の連中とは一味違う、力強さがありますね。シッカリとした存在感があります。観れば観るほど、その良さが感じられ、好きになって行きますね。こんなところも、味は異なりますが、ファン・ゴッホと共通点があります。

この絵は、印象主義に感化されていた時期に描かれました。印象派のピサロと共に移り住んだオーヴェル=シュル=オワーズの川岸の風景を描いた作品です。明るい色彩、しかし揺ぎ無い構成力も表していて、セザンヌらしい奥床しい絵です。
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2019年11月14日

東京漫歩 髪を整える浴女 ルノワール 2019.11.04

ルノワール・髪を整える浴女
1890年 油彩 カンヴァス モナコ王室コレクション
浴女は、ルノワールの題材としては多く、各年代に描かれています。晩年になるに従って裸婦は豊満になり、肉がダブついて描かれるようになりました。この髪を整える浴女は、比較的若い時代の作品であり、裸婦も肉のダブつきが無く、スレンダーに描かれています。印象派から脱した時期であり、古典主義に傾倒しています。
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東京漫歩 薔薇 ファン・ゴッホ 2019.11.04

薔薇
1890年5月 サン・レミ 油彩 カンヴァス ワシントン・ナショナル・ギャラリー
ゴッホは1890年の7月29日に亡くなるのですが、この薔薇は、その僅か2か月前に描きました。今回の出品の品の中では、特に美しい作品で、多くの来場者の視線を浴びていました。こんな絵が我が部屋の壁の片隅に置かれていたら、心は何時も、ある温かい潤いに満たされるでしょう。ムンクの時と同様に、私はこの絵を欲しいと思いました。白薔薇、観れば観るほど愛しくなりますね。
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2019年11月13日

東京漫歩 夕暮れの松の木 ファン・ゴッホ 2019.11.04

夕暮れの松の木
青と黄色が多いゴッホの絵ですが、この絵は、夕焼けの赤が使われています。仄かに空が赤く染まっています。松林があり、松には松ぼっくりが沢山付いています。畑の小路には女の人が一人歩いています。傘を差しているように観えますが、日傘でしょうかしらね。
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2019年11月12日

東京漫歩 糸杉 ファン・ゴッホ 2019.11.04

糸杉
1889年の6月は、殆ど風景を描いています。ここで漸く、ゴッホの一つの得意の対象・糸杉が現れます。地の草も山も、糸杉も雲も、そして三日月さえもうねりに任せています。しかし、どっしりと動かない完璧な構図、どんな風景写真より勝る、自然の叫びや息吹が感じられます。

糸杉は死の象徴と言われています。ゴッホも自分の死が近いとの予感があったのかも知れません。しかし、素晴らしい糸杉ですね。死と言うよりか、むしろまるで生命力に溢れていますね。ゴッホの創作意欲がこの木に乗り移っているようです。
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2019年11月09日

東京漫歩 サン=レミの療養院の庭 ファン・ゴッホ 2019.11.04

サン=レミの療養院の庭
サン=レミ療養院の庭(1889年)油彩・カンヴァス 青と黄色の補色の関係を利用しています。
アルルでの制作は実り豊かなものでしたが、ゴーギャンとの耳切り事件でゴーギャンとも決別し、精神の異常をきたしたゴッホは、同じ南仏プロバンスにあるサン・レミの療養院に入院します。しかし療養に勤めながらも、ひたすら絵を描きます。療養院の自分の部屋から見えている庭や麦畑が題材となり。多くの傑作をものにします。精神は壊れていて、生活能力(生活費の全てが弟の援助)も丸で無いゴッホでしたが、絵を描くことだけには、鬼のように頑な努力をしたそうです。人間は誰でも一つのことに精進すれば、ものになるものです。ゴッホは、これまでの画家が誰も描けなかった無双の傑作を次々と書きなぐったのです。生涯の作品は、2,100作を超えるそうです。
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2019年11月07日

東京漫歩 音楽のある展覧会行って来ました 2019.10.07

音楽のある展覧会のポスター
写真はヨハネス・ブラームス
東京港区六本木にある「ホテルオークラ東京別館アスコットホール」にて催されたウィーン楽友協会アルヒーフ(アーカイブに同じ)展、「19世紀末のウィーンと日本」と題した音楽のある展覧会へ行って来ました。

ウィーン(オーストリア)と日本、ウィーン万博(1873年)により深まったオーストリアと日本のお付き合いが、多くの資料で開陳されていました。そしてウィーン楽友協会の資料からのウィーンの楽聖達の自筆稿などの展示、ブラームスが残した多くの遺稿や遺産が紹介されていました。ブラームスが如何に日本に興味を持っていたか、改めて知る事となりました。
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2019年11月06日

東京漫歩 麦畑 ファン・ゴッホ 上野の森美術館 2019.11.04

ゴッホの麦畑(アルル)1888年6月
1888年からゴッホは南フランスのプロヴァンスのアルルに住まいを移します。共同生活(制作)をしていたゴーギャンと諍いを起こし、耳切り事件などがあり、ゴッホの精神は壊れ始めていました。しかし、創作意欲は旺盛で、プロヴァンスの麦畑を幾つか描いています。丁度刈り入れの時期が来た麦は黄金に輝き、ゴッホの大好きな黄色を多用して、素晴らしい麦畑の絵が生まれました。この先2年、ゴッホは大化けをして、向日葵や糸杉、天体の大傑作を残しました。自然だけがゴッホの心の拠り所でありました。
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2019年11月05日

東京漫歩 ジャガイモを食べる人々 ファン・ゴッホ 上野の森美術館 2019.11.04

ゴッホ作・ジャガイモを食べる人々・リトグラフ
ゴッホ初期の作品、1885年の春にオランダ・ニューネンで完成したようです。ミレーを尊敬し、ミレーを真似て農民画家として活動していた時期の代表作だそうです。描かれているのは、貧しくとも懸命に農作業をして、温かい家庭を築いている農民の夕餉の景色。背後が老婆、頭巾を被っている姉妹らしき女が二人と、帽子の爺さんと主人でしょうか? 北国・オランダの貧しき農民の主食はジャガイモです。ランプの下で、笑顔は無くとも、和やかに、夕餉を楽しんでいる風景が描かれていす。

ゴッホも一つのテーマで数作をものにしています。モデルのために一作、作者の自分に一作、親しき人に一作、売るための商売の一作。油彩もあるそうですが、これはリトグラフ(石版画)作品です。

*石板画
平らな石板の上に脂分を含んだ描画材料で絵を描きます。それを乾かして薬品を塗ります。描いた部分は絵具(脂分がある)に馴染み、白紙の部分は水に馴染みます。その石版に絵の具を塗って紙に刷ると、絵の具で描画した部分だけが紙に乗り、作品となります。
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東京漫歩 パイプと麦藁帽子の自画像 ファン・ゴッホ 上野の森美術館 2019.11.04

パイプと麦藁帽子の自画像
若い頃のゴッホは画家ミレーに心酔し、ミレーと同じように農村に住み、ミレーのような暗い絵の具で、貧しい農民を描いていました。芽がで無い儘、パリに渡ったゴッホは、当時流行りだしていた印象派の絵と画家を知り得ます。そこで感化を受け、暗い絵を描いてきたゴッホですが、一気に明るい絵の具を使い出します。そんな時代に描いたのが、この自画像だそうです。荒いタッチの油彩だそうで、明るい絵の具が使われています。

次第に精神が壊れて行く始まりの頃のゴッホの顔、強い美意識を持った眼光をしていますね。でも何だか私は仄々としてしまいます。ゴッホの絵には、張り裂けるような美意識と優しい人間性が感じられます。心が温かくなります。音楽のブラームスのように…。共通項は少ないですけど、この二人、酒好き、煙草好き、遊女好き?、そして日本贔屓(ジャポニスム)ですかね。


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2019年11月04日

東京漫歩 上野の森美術館のファン・ゴッホ展と音音のバラ寿司 2019.11.04

文化の日の振り替え休日の日。この日は、さだまさしが出演する東京芸大の第10代学長の沢和樹(ヴァイオリニスト)が企画した”和樹の部屋”を鑑賞しに、東京芸大・奏楽堂(新社屋)のコンサートに行って来ました。それにつけて、丁度上野の森美術館では御あつらえ向きに”ファン・ゴッホ展”をやっており、折角でしたので、ダブルヘッダーを組んだつもりとなり、午前・ゴッホ、午後・さだとして、一日一杯上野で遊んできました。

上野の森美術館・ファン・ゴッホ展
日曜にゴッホ展、玄人には「何を馬鹿な事をしているの、大混雑の中を…」と言われそうでしたが、否応なしに上野の森に30分並んで、行って来ました。ダブルヘッダーで、交通費が浮きますので、欲を掻いて、上野で一日遊びをしてきました。大好きなゴッホ、心にホカホカと灯りが灯りました。

音音 上野バンブーガーデン店のばらちらし
ゴッホ展の後はお食事、上野の森美術館のお隣が食堂の好立地、焼肉などもありましたが、バラエティが豊富な和食の”音音”と名乗る店に入りました。「この日はお寿司が好いな〜」と思い、食べ易そうな”バラちらし”にしました。私の思惑は当たりました。美味しかったのですよ。バラしたちらしだからバラちらし、生物や蓮などの具を小さく刻んでバラシてあるので、バラちらしと言うのだそうです。鮪赤身や鯛・コハダも小さいけれど美味しかったのでした。チャンと醤油皿もあるのですよ。


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2019年10月22日

東京漫歩 サントリーホール 2019.10.22

カラヤン広場シティーベーカリーのパン
サントリーホール前のパン屋
東京漫歩の終着点はサントリーホールでした。この日の最終目的は。このサントリーホールで聴く、ワーグナーとブルックナーのオーケストラ曲でした。ところが久し振りの漫歩で疲れが出てしまい、少し漫歩を端折り、サントリーホールに到着してしまいました。開場に1時間、開演に1時間半もの余分な時間を作って仕舞いました。そこで休息出来る店を探し、丁度目の前に打って付けのテラス付きのパン屋があったので、そこでパンとアイスコーヒーを買って座席に陣取りました。しかし煩い外国人のカップルがいて、嫌な男のはしゃいだバスの声がしたり、おばさん連が入って来て、甲高い壊れたソプラノの声が木霊したりしましたが、我慢・我慢・我慢、もう疲れて一歩も動けなかったのでした。しかもサントリーホールは入場前には絶対に入れてくれず、ロビーなどは皆無でした。「ロビー無いの!、休みたいんだけど!」、「すいません、お待ちください…」、待つには寒々と路上か、食堂かカフェか、金の掛かるホールでした。
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2019年10月21日

東京漫歩 国会議事堂、総理官邸、衆院第一議員会館 2019.10.16

国会前交差点は変則的な十字路です。桜田濠袂に佇めば、左が桜田門、右が甲州街道、直進すれば六本木街道、甲州街道と六本木街道の間が国会議事堂に通じる太い道路で、直進すれば、国会議事堂に突き当たります。

国会前庭からの国会議事堂
国会議事堂
日本国の国会が開催される建物です。現在の議事堂は、1936年(昭和11年)に帝国議会議事堂として、千代田区永田町1丁目7番1号に建設されました。この日は、議事堂前庭の林の中から撮影しました。

総理官邸 衆院第一議員会館
総理大臣官邸     衆院第一議員会館
どちらも国会議事堂の裏手(西側)にあります。

・総理官邸は、内閣総理大臣の公的執務室で、総理大臣の事務所として使われています。また行政府の内閣の閣議も開かれる場所です。総理官邸内には、総理の宿泊所となる総理公邸も完備されています。安倍さんはここにお住いのようです。

・衆院第一議員会館は、東京23区以外の衆議院議員が東京事務所として使っています。ここでは宿泊せず、その代わりに、議員宿舎と言う設備があります。


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東京漫歩 警視庁と警察庁 2019.10.16

桜田門を西へ向かうと、そこからの内堀通りが、国道20号線になるのですね。これが新宿を抜け、高尾を抜けて、甲府盆地へと馳せ下る甲州街道の始まりなのです。右に桜田濠を観、左に警察関係の庁舎群を観ながら歩くと、直ぐ国会前の交差点に至ります。そこからは、高い電波塔が二つ並んで観えますが、左が警視庁で右が総務省と警察庁です。国会前の交差点、広いですが、変則の十字路です。どうやら私は、日本の立法府の端緒に着きました。

桜田門から観る国会議事堂 警察関係庁舎ビル群

・桜田門からは桜田濠を挟んで、国会議事堂が観えます。その前にある緑は国会前庭と憲政記念館の森です。ここが、彼の幕末の大老・井伊直弼の屋敷があった所です。恐らく、この屋敷を出て桜田門に差し掛かったところで、桜田門外の変が起こり、井伊直弼は暗殺されたのです。

・桜田門から国会前の交差点の間は司法・警察・消防関係の役所が並んでいます。日本の法・警察・消防を司る元締め・本部が固まってある所です。北(写真左)から警視庁(東京の警察本部)、総務省、警察庁(全国の警察の元締め)、海難審判庁、消防庁。前面左の小さなビルが、警察総合庁舎、大きなビルには、海上保安庁と国土交通省が入っています。日本の安全を守る機関の中枢が固まっています。壮観です。
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2019年10月20日

東京漫歩 桜田門 2019.10.16

桜田門交差点には当然ながら、江戸城の南西門に当たる桜田門があります。江戸末期のこの辺りは、諸大名の江戸屋敷があった地域で、有名な桜田門外の変の井伊直弼の屋敷も、国会議事堂に近い憲政記念館の辺りにあったそうです。そして警視庁がある桜田門正面は、杵築藩(きつきはん)松平家の屋敷跡と言われています。

桜田門外門 桜田門内門 鉄と木材で出来た桜田門の門扉
外に面した高麗門(こうらいもん)内側にある渡櫓門(わたりやぐらもん)鉄と木材の門扉 
国の重要文化財に指定されている桜田門(正確には旧江戸城外桜田門)は、桝形門の構造で、四辺形の敷地に、直角に2つの門が並んで建っています。その理由は、導線に角度を付ける事で、敵の侵入を遅らせる役目を持たしているからだそうです。寛永十三年(1636年)に造られました。
    
桜田門内部から観た皇居と二重橋濠に丸の内
渡櫓門から観た光景。桜田濠から二重橋濠に続く、皇居外苑
堅牢な石垣に緑の松と光る水面、現代は丸の内のビル群が借景となって、独特の景観を創っています。美しいと言ったら江戸のお殿様に嗤われるかしら…。
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東京漫歩 桜田門交差点霞が関官庁街の風景 2019.10.16

国道1号(東海道)は日本橋が起点で、呉服橋を過ぎるとJRの高架橋を潜り、大手町に至ります。大手町からは左折し、日比谷通りを進み、日比谷で右折すると晴海通りになり、直ぐの祝田橋を過ぎると内堀通りとなります。そして桜田門を左折すれば、そこは桜田通りとなり、後に第2京浜国道となり、川崎・横浜に通じています。これが今の東海道です。

警視庁 桜田門から桜田通りを観る
警視庁   桜田門から桜田通り、左:法務省、右:警察庁、遠く霞が関ビル 
日比谷から晴海通りを西に進むと祝田橋に至り、そこからは内堀通りとなり、直ぐに桜田門の交差点が観えて来ます。そこを左折すれば、三田方面の桜田通りです。桜田通りは、日本の省庁街を貫く道路で、法務省・警視庁・警察庁・東京高等裁判所・外務省・農林水産省・経済産業省・財務省・国税庁、そして文部科学省があり、その隣に霞が関ビルがあります。正に日本の政治・経済・司法・教育の中心部です。

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2019年10月19日

東京漫歩 日比谷の眺め 2019.10.16

日比谷濠から観た皇居と丸の内のビル群 晴海通りと東京ミッドタウン日比谷 東京ミッドタウン日比谷
日比谷濠・皇居・丸の内 晴海通り・日比谷交差点 東京ミッドタウン日比谷
妻がハワイで遊んでいる日、私は東京漫歩を試みました。夜にサントリーホールでブルックナーの第7シンフォニーを聴く前に、少しの時間、日本の政治司法の中心の街歩きをしました。先ずは日比谷線で日比谷まで行き、霞が関・永田町を経由して、赤坂・サントリーホールを目指しました。

晴海通り・日比谷交差点周りの三景の眺めを写しました。

・晴海通りの通行標識、左折が大手町、直進が晴海・銀座、右折が日比谷通りで芝公園に向かいます。

・銀座に向かって左が日比谷濠、その両岸には、皇居と丸の内ビル群が収まります。水面に映る影が美しかったですね。

・日比谷公園の先に観えるのが東京ミッドタウン日比谷です。最近開店した日比谷の商業施設です。

ここからが大東京の核心部分、官庁街の先には国会議事堂があります。そして私のこの日の目的地・サントリーホールはその先にあります。
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東京漫歩 ネヴァーモア(1897年) ポール・ゴーガン 2019.10.11

ネヴァーモア ポール・ゴーガン
ゴーガンは、正にその生き様が破滅的で、謎めいた人ですね。ゴッホを始めとする画家仲間たちとも上手くやって行けず、二度に渡って南海の孤島タヒチに渡っています。結局、二度目に行った限り、戻って来れなかった訳で、タヒチの自然と女の中で、絵を描いて人生を終えました。

黒い肌の横たわる若い乙女、これから何が始まるのか、意味深ですが、平面的な絵が南国の黒い平安を表しているようで、不思議な落ち着きが感じられます。「ネヴァーモア」、二度と…しないの意味だそうですが、何をしないのでしょうか? 変な想像は止めにして、唯単に、この絵を愛すると致しましょう。
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東京漫歩 花瓶(1881年) クロード・モネ 2019.10.11

花瓶 クロード・モネ
モネ41歳の時に描き始めたそうですが、花の配置に悩んだそうで、放置され、その後晩年になって完成したそうです。創作とは悩みが憑き物(付きもの)、その相剋こそが芸術家の宿命であり使命、それに打ち勝った者のみが、未来に名を残すのです。

晩年は睡蓮に集中したそうですが、自らの自宅に「花の庭」「水の庭」を造園し、光の陰影を捉えた絵画を連作しました。庭は一般に公開されているそうです。


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東京漫歩 桟敷席 ピエール=オーギュスト・ルノワール 2019.10.11

桟敷席 ピエール=オーギュスト・ルノワール
桟敷席とは劇場の左右の階上にある特別席(ボックスシート)の事で、セレブが使う客席です。そこに席を占めた男女、着飾って得意満面ですが、何やら目線は舞台とは方向が違うようです。そうです、ここは男女の社交の場です。恋人同士でもありながら、お互いが好い男、好い女を目を皿のようにして見つけ出しています。女は客席全体の男の視線を意識しています。男は男で、オペラグラスを方々に向けて好い女を探しています。そんなパリの社交界の様子を描いたのが、ルノワールの桟敷席だと言う事です。ふくよかな女(モデル・ニニ・ロペス)の匂い立つ肌は、ルノワール独自のもの、魅力的です。
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2019年10月15日

東京漫歩 カード遊びをする人々 ポール・セザンヌ 2019.10.11

カード遊びをする人々 ポール・セザンヌ
ムンクもそうでしたが、セザンヌも同じテーマで連作をするタイプの画家でした。このカード遊びをする人々(男)もそうで、全部で5作あるようです。人物は最初の2作が4人~5人で多く、3作目からは二人の男に限られます。このコートールド美術館の物は4作目であって、最も対象がデフォルメされた作で、テーブルの傾き、人物の身体と頭部の大きさのアンバランスが強調された作品です。それでも、写実からは、かけ離れた作品なのに、何故か不思議な落ち着きが感じられます。見た目をありのまま描くのではなく、形や色のバランスを再構築して、一つの整った構図を表現しています。始めは判らないのですが、静かに眺めていると、『好いな〜』と惚れ込んでしまいます。有機的な摂理が感じられます。写真の発明で、絵に於ける写実を捨てたのだそうです。キュビスムの始まりです。
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2019年10月13日

東京漫歩 鉢植えの花と果物 ポール・セザンヌ 2019.10.11

鉢植えの花と果物 ポール・セザンヌ
鉢植えの花と果物
この果物は洋梨だそうです。ですからこれは「鉢植えの花と洋梨」の題名でも好いのですね。セザンヌの静物画は、ある静物の一つを美しく浮き立たせようとして、構成を考えて描いているのだそうです。この絵の場合は、真ん中にある一つの洋梨がポイントです。これに鑑賞者の目を集中させようと、皿の果物や鉢植えの花、そして背後の背景が描かれているのだそうです。鉢もやや捩じれていますしね。これも洋梨に注目せるための、構成の仕掛けなのだそうですよ。セザンヌは「絵を描く事は、キャンバスの中に構成を作る事だ」と言っています。絵が単なる描写では無く、一つのミクロな宇宙になっています。
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2019年10月12日

東京漫歩 アヌシー湖 ポール・セザンヌ 2019.10.11

アヌシー湖 ポール・セザンヌ
アヌシー湖
東京都美術館で行われているコートールド美術館展魅惑の印象派を鑑賞して来ました。音楽に比べ、絵に造詣は無いのですが、年取ると共に絵の魅力も感じるようになりました。年に数回、思い付きながら、美術展に行っています。好いものは良い、それが実感です。音楽同様、心に確かな熱のようなものが残ります。その熱で、暫くの期間、私は幸せに過ごせるのです。その幾つかの作品で、心に潤いが残るのです。

イギリスの実業家・サミュエル・コートールドが蒐集した絵画などのコレクションを核に設立されたのが、コートールド美術館。訳あって今回、日本で美術展を開く運びとなりました。コートールドが愛した画家は言うまでも無く印象派乃至ポスト印象派、そのコレクションはセザンヌが主体です。地味であったセザンヌの真価を見抜いた人です。大変な審美眼を持ったコレクターでした。

見事な立体感と構成力で描かれたセザンヌの作品、このアヌシー湖も実に分厚く重々しい作品です。それでも暗いが透明な色彩感で描かれています。どっしりと整った美しい湖に仕上げられているのです。それは観る者に、絵の持つ揺ぎ無い存在感を教えてくれます。
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2019年10月10日

東京漫歩 東京都美術館 コートールド美術館展 魅惑の印象派 2019.10.10

東京都美術館のオブジェ 東京都美術館窓からの上野の森 コートールド美術館展 魅惑の印象派
東京都美術館オブジェ 上野の森       美術展のポスター(マネのフォーリー・ベルジェールのバー)
かねてから望んでいたコートールド美術館展魅惑の印象派に行って来ました。イギリスの美術愛好家・コートールドが集めた印象派の絵画、セザンヌ、ゴーガンが素晴らしかったです。日を追って、幾つかの絵(ポストカード)を紹介して、印象を述べさせて頂きます。
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2019年10月08日

東京漫歩 「江戸のサンタマリア」目黒サレジオ教会 2019.10.08

目黒サレジオ教会
カトリック男子修道会サレジオ会が運営している教会です。正式名はカトリック碑文谷教会と言います。

イタリア17世紀後期の銅板油彩のマリア像(親指のマリア、カルロ・ドルチ作と言われる聖母像)・江戸のサンタマリアのために捧げられた教会です。

江戸のサンタマリア・親指のマリアは、江戸時代、遥々イタリアから日本にシドッチ神父が持ち込んだ芸術作品です。日本にキリスト教を根付かすために、カトリックキリスト教の象徴・聖母像を持ち込んで、布教に努めたのです。

「親指のマリア」は国の重要文化財に指定されており、現在は東京国立博物館に所蔵されています。この目黒サレジオ教会にはレプリカが飾られています。

この近くのお客様のピアノ調律の折り、写真だけ撮らせて頂きました。素敵な教会です。
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2019年06月05日

東京漫歩 グスタフ・クリムトの「ヘレーネ・クリムトの肖像」 2019.05.24

クリムトのヘレーネ・クリムトの肖像
ヘレーネ・クリムトの肖像
クリムト兄弟とその伴侶たちの相関図は微に入っていますが、このヘレーネ・クリムトは弟の娘であり、グスタフの姪に当たります。6歳だったそうですが、クリムトの筆致ですと、自然と色香が滲んできますね。少女の美しくなまめいた表情が表れてきています。クリムトの真価はやはり女性の描写にあるのですね。年齢は関係ないようです。

この女の子、私の孫のYちゃんに似ています。今、Yちゃんはそれまでの長い髪を切ってオカッパにしています。ヘレーネもオカッパ、その蠱惑のシルエットの瞳が潤んで、Yちゃんそのものなんです。
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2019年06月04日

東京漫歩 クリムトの「赤子(ゆりかご)」と「オイゲニア・プリマフェージの肖像」 2019.05.24

クリムトの赤子(ゆりかご) クリムトのオイゲニア・プリマフェージの肖像
赤子      オイゲニア・プリマフェージの肖像
布の風合いと色使い、クリムトのジャポニスムの影響が表れた作品です。赤子、ややグロテスクですが、重ねられた布の重さがこの赤子へ与えられた愛の量を暗示しているように思われます。貴婦人の肖像画、やや太目のふくよかな美人です。元は女優ですと。クリムトのパトロンの奥さんの肖像です。何と言う極彩色、衣装だけに留まらず、足元と部屋の壁、そして窓の外には薔薇園と雉?が、東洋のエキゾチシズム満載の華麗な絵画。これはこれで、好いですね。
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2019年06月03日

東京漫歩 グスタフ・クリムトの「女ともだちT」 2019.05.24

女ともだちT(姉妹たち)
1873年5月1日から10月31日まで、ウィーンでは「文化と教育」がテーマで、万国博覧会が開かれていました。この地に住んで後に名を挙げたのが、ブラームス(当時のウィーン学友協会芸術監督、作曲家、40歳)、フロイト(精神医学者、17歳)、マーラー(作曲家、13歳)、そしてグスタフ・クリムト(画家、11歳)でした。この4人は当然、この万博に参加(ブラームス)乃至観覧をした者達で、初参加の日本に強い興味を持ったのでした。

ブラームスは知古を頼って箏曲の演奏を聴き、音から写譜し、楽譜(遺品に存在する)を起こしたりして、その後の創作の一助にしたと言われています。晩年の作・クラリネット五重奏ロ短調などに、その片鱗(尺八をクラリネットに見立てた)を覗かせています。第2楽章中間部の、クラリネットの尺八風エキゾチシズムは、正にブラームスのジャポニスムの表出でした。

そして最もそのジャポニスムの影響を受けたのが画家になったクリムトであり、日本美術の紹介に努めたり、強い浮世絵の影響下に創作活動をしていました。この1907年作の「女ともだちT」にも強い浮世絵の影響が観えており、顔の輪郭の表面的な筆致や衣装の裾に観える市松模様など、まさに浮世絵の技法を踏襲しています。クリムトの日本趣味の奥床しい絵画です。
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2019年06月01日

東京漫歩 グスタフ・クリムトの「ユディトT」 2019.05.24

この日は、上野の東京都美術館で開催されていた「クリムト展」に行って来ました。グスタフ・クリムトは初め彫刻師や彫金師としてウィーン固有の工芸で名を馳せ、劇場や美術館の装飾の仕事を手掛けました。やがて彫金の技巧を取り入れた絵画を書き始め、ウィーン分離派の会長を務め、傑作絵画を次々と発表しました。女性の甘美な官能性を追求した爛熟したウィーン世紀末を代表する画家でした。クリムトは女好きでした。モデルとなった女性と次々と関係を持ち、私生児の数が15人を上回るとされています。されど単なる女好きではなかったようで、女性を核とした性・誕生・老い・死を見詰めている芸術家の目線が感じられます。

ユディトT グスタフ・クリムト
ユディトT
旧約聖書「ユディト伝」に登場するヘブライ人の寡婦(未亡人・後家)ユディトを描いた作品。ユディトの左手にはアッシリアの将軍・ホロフェルネスの首が携えられています。ユディトが住むユダヤの町ベトリアに進攻してきたホロフェルネス将軍をユディトが色で落とし、寝首を掻いて恍惚と酔い痴れている図の絵画です。西洋絵画(文化)では、ユディトかサロメだそうで、妖婦の2大象徴だそうです。

このモデルもクリムトの愛人だそうです。
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2019年05月24日

東京漫歩 上野動物園のモノレール 2019.05.24

クリムト展を鑑賞した後、少し時間がありましたので、隣りの動物園(シニア¥300)に入りました。ところがシャンシャンは50分待ち、これでは閉園時間になってしまうので、動物観察は止めにして、モノレール乗り遊びに変えました。モノレール創世期の少年時代に乗ったきりの上野動物園モノレール、残念ながら今年の10月で引退と決まったらしいので、お別れの意味を籠めて、2分弱の運行を楽しみました。¥150

上野動物園モノレール 上野動物園モノレール
西園の上空を行く   東園駅到着
このモノレール、正式名称を上野懸垂線と言うそうで、日本で初めてのモノレールだそうです。東京都交通局の運営で運行されているそうです。

上野動物園は不忍通りの東側が東園、一段低い西側が西園と言われています。この両園を結んでいるのがこの懸垂型モノレールです。上野動物園の全ての動物を観るためには、このモノレールは欠かせません。大事なモノレールです。

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2019年03月17日

東京漫歩 谷中七福神巡りF 東覚寺・福禄寿 2019.01.06

青雲寺からは少し距離がある今回最後の七福神参りのお寺・東覚寺に向かいました。もう既に谷中の風情は無くなっており、東京の何処にでもある下町をヒタ歩きました。景色と相俟って少し疲れが出て来ており、重い足を引きずる格好でした。それでも東覚寺の風情雰囲気は素晴らしく、直ぐに疲れは吹き飛びました。今回の谷中七福神巡りでは、不忍の池の弁財天の活気、歴史ある天王寺、そしてこの奇怪な風情の東覚寺が寺格の上でも規模の大きさでも一際秀でた寺院でした。

赤神仁王(石像金剛力士立像)
不動堂と赤紙仁王 右が阿像、左が吽像で阿吽の呼吸
この赤い紙が幾重にも貼り付けられているのがこの寺の仁王像なのですが、先ずは度肝を抜かされる事必至の奇怪な光景でした。何故にと問えばこうなります。己の体の悪く痛い部分と同じ仁王像の部位に布施で買った赤紙を貼ります。身代わり地蔵と同じ理屈で、赤紙を貼り付けた悪い患部が仁王の身代わりによって癒される仕組みとなっています。何とも特異な呪い(まじない)の風習を持つお寺でした。

不動明王の石板
本尊は不動明王で、門前に不動明王の石板があります。赤紙仁王像に不動明王石板、薬師の働きもあるそうで、この寺の霊験は命を護る事にあるようです。

本堂                         福禄寿の御朱印
ここに福禄寿が祀られています。杖と宝珠を持って、金襴の冠を被って、両手で経巻を握っているそうです。
東覚寺苑池の鯉 東覚寺の庭園

東覚寺は美しい回遊式庭園を持っています。七福神巡り、有意義ながら疲れも感じていました。されどこの庭を観、錦鯉と白椿を愛でれば、心に不思議な安らぎが感じられ、幸せな七福神巡りとなりました。
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2019年03月16日

東京漫歩 谷中七福神巡りE 青雲寺・恵比寿神 2019.01.06 

修性院から暫く北に進むと浄居山青雲寺があります。臨済宗妙心寺派で、谷中七福神・恵比寿神が祀られています。
今は冬なので判りにくいですが、本堂の両袂には枝垂桜が植えられています。先の修性院と同様に、花見寺として親しまれています。流石に臨済宗の寺、隣の日蓮宗修性院とは異なり、古色蒼然とした佇まいが素敵でした。

青雲寺 滝沢馬琴筆塚の碑
滝沢馬琴筆塚碑
多作だった読本作家が、その多量の使い古しの筆を葬り供養をしたのがこの筆塚です。滝沢馬琴の名が現れたのは明治期で、江戸では曲亭馬琴の名が使われていました。江戸深川の生まれで、下町に住み、多くの読本(よみほん、小説の一種)を残しました。
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2019年03月15日

東京漫歩 谷中七福神巡りD・修性院(しゅしょういん)・布袋尊 2019.01.06

道に迷いましたが、何とか地域人の優しさに助けられて、5番目の七福神の運啓山修性院に辿り着きました。修性院は谷中感応寺(現天王寺)の流れを汲む日蓮宗の寺院です。境内には枝垂桜があり、江戸時代より花見寺の愛称があり、花見客で賑わっていたそうです。

修性院本堂 修性院本堂 修性院・布袋尊御朱印
袂に枝垂桜、修性院。 本堂には木造の布袋尊が祀られています。中々立派な布袋尊でした。
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東京漫歩 谷中七福神巡り 谷中の街並み 2019.01.06 

谷中の猫
思いがけず旨い蕎麦を賞味したので、ご機嫌で歩き出しました。狭い商店の路地に入ると、可愛い猫ちゃんが待っていました。ここの住宅の住民なのでしょうね。台の上には新聞紙が敷き詰められ、そこにリラックスして鎮座していました。飼い主の優しさが偲ばれました。『君は愛されているね』、フフフ…。

谷中の街路 谷中銀座・夕やけだんだん
谷中通り       夕やけだんだん
猫と別れて再び谷中通りを歩き始めました。小さな商店が軒を連ねます。通行人も増えてきました。繁華街が近くにあると感じられました。もう直ぐ名高い谷中銀座です。道の先の向こう正面のマンションの下に谷中銀座がありました。

物凄い人出です。こんな混雑は嫌だなと思いつつも、夕焼け段々を下り、谷中銀座に入りました。ところが我々は地図を見誤りました。行けども行けども、次の修正院は見えて来ません。実は夕焼けだんだんを降りて直ぐに右に曲がらなくてはイケない所を、雑踏に紛れて、谷中銀座を貫通してしまったのでした。入口の焼き鳥屋の女主人に道を尋ねて、何とか急場を凌ぎました。


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2019年03月13日

東京漫歩 谷中七福神巡り・昼餉・松寿庵の蕎麦 2019.01.06

七福神の四件までを終わりそろそろお昼時、お腹が空いてきました。予め昼餉の当てを用意して来ませんでしたので、道すがら食事処を探しました。すると長安寺を出て直ぐにお蕎麦屋さんがありました。松寿庵、間口の狭い谷中の店らしい佇まい、入ってみれば食卓は六つほど、どれも塞がっていましたが、相席で着席できました。そのお一人のご婦人のお客様にお礼を言って、席に着きました。

蕎麦処・谷中松寿庵 松寿庵の谷中七福神そばの幟

谷中七福神そば 天笊
谷中七福神そば    天ざる
湯気が立っている谷中七福神そば、この店が元祖だそうで、NHKや高田純次のじゅん散歩で紹介された名物です。海老や海苔、鶉卵など七品が乗っかっており、どれが弁天でどれが毘沙門か忘れましたが、一品ずつ七福神に例えられて乗っています。妻はその具材のバラエティーを楽しんでいました。

私の注文は天ざる、天婦羅は一見すると華やかでなく地味な感じでしたが、口に入れてみれば食感好く、香ばしい逸品でした。蕎麦も喉越し良く適度が腰があり、蕎麦の香りが立った上物でした。流石に江戸の蕎麦、見てくれで無く、実がありました。
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2019年03月12日

東京漫歩 谷中七福神巡りC・長安寺・寿老人 2019.01.06

臨済宗妙心寺派の寺院です。山号が大道山、寺号が長安寺です。

本堂の中には寿老人が祀られています。狭い庭の一角に羅漢さまも祀られています。小作りながら風情あるお寺です。極めて質素な寺で、座禅・托鉢でお馴染みの臨済宗の寺に相応しい質実剛健さが現れていました。

上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場の22番札所で、谷中七福神の寿老人が祀られています。


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2019年03月11日

東京漫歩 谷中七福神巡りB・天王寺・毘沙門天 2019.01.06

天王寺までは谷中の墓地の中の道を歩きます。広い墓地には昔ながらの大きく立派な墓石が続きます。徳川慶喜を初めとした有名人の墓も多数あるようで、時よりその方々の墓への道標を見かけます。まあ私等はそんなものには目もくれず、ゆったりと楽しんで中道を歩きました。道の傍には桜が植えられており桜並木になっていました。春は上野公園から梯子して花見三昧の散策が出来ますね。これは今後の楽しみとして取って置きましょう。

しばらく歩めば名高い谷中の五重塔跡があります。…跡と言うくらいですから勿論、塔は残っていません。しかし礎石だけは残っていて、再構築は可能のようです。条件さえ揃えば、幸田露伴ゆかりの「五重塔」は何時か観られるに違いありません。関東は五重塔が少ないですから、是が非でも再構築を願います。

この塔は中々数奇な運命を辿ったのでした。都合2回、炎上焼失しています。創建は寛永12年(1644年)でしたが、明和9年(1771年)の目黒行人坂の大火(江戸三大大火の一つ、放火)で焼け落ちました。その後寛政3年には再建され昭和の時代まで存在していましたが、昭和32年の放火心中に依り再度焼失しました。再建運動もありましたが、残念ながら再建はされていません。

天王寺のお地蔵さん
天王寺のお地蔵さん
上野から辿れば、天王寺の最初の仏さまはこのお地蔵さんです。チャンと祠に入っています。大切にされていたのですね。

釈迦如来坐像
座高が4.8mの大仏・銅造釈迦如来坐像です。
釈迦如来坐像は元禄3年(1690年)の建立、「天王寺大仏」と呼ばれ、親しまれています。天王寺の元は日蓮宗の感応寺で、江戸幕府より弾圧を受け、天台宗に改宗しました。この大仏も感応寺の代で築かれたものです。天台宗天王寺になる寸前の建立だったようです。

天王寺本堂 谷中天王寺客殿
天王寺本堂       客殿
谷中霊園はこの天王寺の寺領を東京市に移譲した事に始まります。本来は広大な領地を持っていました。元禄年間には富くじの興業が幕府より認可され、目黒不動、湯島天神と共に「江戸の三富」と呼ばれました。


霜除けの下に万両と福寿草 雪吊り
冬の佇まいを魅せる霜除け雪除けの仕掛け、境内に冬の風情を湛えさせています。

毘沙門堂        毘沙門天の御朱印
札所は谷中七福神の毘沙門天、参詣の長い列が出来ていました。


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2019年01月31日

東京漫歩 谷中七福神巡り・谷中界隈のお店 2019.01.06

護国院辺り迄は住所的には台東区上野公園で、東京芸大などの学校が軒を連ねています。それでも尚も北に向かえば上野桜木、谷中と続いて行きます。間口の狭い古い民家のお店が姿を見せて来ます。もうここまで来ると漫ろ歩きの天国となります。次々にそんな小さな店を覗き見て品物をあれこれ物色し始めます。嵯峨の家で煎餅を買い、岡埜榮泉で豆大福を買い、近くの縁台で頬張りました。その美味しい事、正に極楽の東京漫歩でした。

煎餅の嵯峨の家
煎餅おかきの嵯峨の家
奥の座敷が煎餅工場(と言うよりは作業場)、お爺さんが一人、一生懸命煎餅を焼いています。香りが棚引いています。これは買わずにはいられません。ザラメと抹茶の煎餅を買いました。

豆大福・岡埜榮泉
豆大福の岡埜榮泉(おかのえいせん)
何か崩れそうなお店ですね。こんな店、もう何処にも有りませんよね。下町ならではの店、もう愛おしくって愛おしくって堪りませんでした。よくぞ今日まで続いていますよね。歓喜の豆大福、皆様も一度はお試しください。

谷中ビアホールの一角の古民家
谷中ビアホール
古民家を改築してビアホールにした中々粋な店、妻は可成りの触手を動かしていましたが、昼飯前でしたし、未だ七福神の二つまでしか走破していなかったので無念の我慢、可哀想でしたが、未だ午前中でしたからね。でもまた次回、立ち寄ってみたい店ではありました。

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2019年01月30日

東京漫歩 谷中七福神巡りA・護国院・大黒天 2019.01.06

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清水坂の道標
上野動物園の敷地と接する清水坂の路、当時は暗闇坂とも言われ、樹木繁る薄暗がりの小路だったようです。弘法大師縁の泉があり、清水坂の名はその泉の名に謂れがあります。都立上野高校を右に折れると暫くして護国院に至ります。

DSCF0405[1].JPG DSCF0404[1].JPG
護国院神楽殿     護国院本殿
天界が創建した東叡山寛永寺の最初の支院として護国院が建立されました。寛永寺の根本中堂が完成されるまでは、この護国院の釈迦堂が寛永寺第一の大伽藍であったそうです。谷中七福神の大黒天が祀られています。

護国院・大黒天御朱印
谷中七福神・大黒天の御朱印
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2019年01月19日

東京漫歩 谷中七福神巡り・森鴎外旧宅跡 2019.01.06

池之端の通りを不忍池に沿って辿れば直ぐに水月ホテル鴎外荘が出てきます。ここは文豪・森鴎外が一時住んだ場所で、ホテルの敷地内には鴎外の旧宅が保存されているそうです。流石に東京の文京区域、様々な著名人の縁の場所が現れて来ます。

「舞姫」を執筆した家だそうで、長男が生まれたのですが、直ぐに夫人と離婚しています。留学先のドイツの舞姫が「追っ掛け」となって日本に舞い込んだとか、芸術とプライバシーは表裏一体のものですね。表現には覚悟が必要でした。
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2019年01月10日

東京漫歩 谷中七福神巡り・不忍池弁才天 2018.01.06 

今回の谷中七福神巡りに当たって、ネットで分かり易い地図を求めていたのですが見当たらず、私がJR 上野駅インフォメーションで尋ねたら、愛らしいインフォメーションお姉さんが「それは京成上野駅に行けばあります。よろしくお願いします」と告げられたため、私達は京成上野駅へ向かいました。案ずる事なかれ、親切な京成のお姉さんから地図を頂きました。ここがこの旅の起点となりました。

天台宗・天海大僧正が比叡山延暦寺を模して創建したのが東叡山寛永寺、上野台地に広大な境内を持っていて、多くの伽藍が存在していました。しかし幕末の上野戦争で多くは焼け落ち、寛永寺は跡形もなくなりました。幕府憎しの明治政府は寛永寺境内を没収、その広大な敷地に、博物館や美術館、東京芸大などの学校や、動物園までも設置してしまいました。天海が琵琶湖に模して設営した不忍池も上野公園となり、ボート遊びが出来る娯楽施設へと変貌させられてしまいました。それでもこの池の中島にあった弁天堂は残されており、今日多くの参拝者で溢れています。

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不忍池の碑      弁財天堂       線香に咽ぶ弁天堂参道 
天海が東の比叡山として建立したのが上野寛永寺、比叡山には琵琶湖がありますが、天海はそれを江戸へ持って来ようとして不忍池を造りました。その中央には琵琶湖の竹生島に準えて弁天島が設営され、竹生島の弁才天(日本三大弁才天)よろしく、弁天堂が設営されたのでした。

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琵琶の碑
芸能上達の神・弁才天、それを象徴する琵琶の碑がありました。芸能芸術を愛する私としては最も愛着のある神様です。

不忍池弁才天御朱印
不忍池弁才天の御朱印
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2018年12月28日

東京漫歩 上野東照宮 2018.11.20

様々な話題を追い掛けて先月の東京漫歩の続きがお伝え出来なくて恐縮でした。上野公園から幾つかの神社仏閣西洋教会に寄り道して御茶ノ水駅まで、東京の下町を漫ろ歩きました。

主祭神には家康、吉宗、慶喜の徳川幕府将軍が祀られています。但し、創建当初は、家康、高虎、天海が祭神でした。

銅燈籠(重要文化財) 本殿(重要文化財) 
上野公園内にある上野東照宮、臨終の徳川家康が藤堂高虎と天海和尚に遺言したそうです。自分の魂が末永く鎮められる処を確保して欲しいと頼まれたのだそうです。当時の高虎の上野の屋敷内に上野東照宮は建てられました。現在の社殿は、孫の家光が改築したもの、平成21年から25年に掛けて修復工事がなされています。境内には広島原爆の種火が保存されているそうです。
  
上野東照宮
上野東照宮の御朱印
中央の御朱印には、創建時の祭神・家康・高虎・天海の文字が記されています。


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2018年11月22日

東京漫歩 ムンクの「マドンナ」 22018.11.21

ムンク作のマドンナ(版画)
(1895〜1902)版画版
ムンクのマドンナは幾つかのバリエーションがあり、この絵葉書のマドンナは版画版です。このバリエーションの最後の作品で、完成されたのは、1902年の事です。この版画版は最も意味深長な作品で、外の枠には男性の精子が描かれています。そして左下隅には胎児が描かれており、女性の二面性を示唆しています。生物的な面と精神的な面、女性の真実を見定め、全てを包含した女性を愛そうとしています。マドンナ=聖母、ダニー・ジュエル・プリッツィーヴェス=恋人、二人を重ね合わせた女がムンクの「マドンナ」なのでしょう。妖しい(怪しい)絵です。
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2018年11月20日

東京漫歩 ムンクの美しいリトグラフ「ブローチ エヴァ・ムドッチ」 2018.11.20

E・ムンク作 ブローチ エヴァ・ムドッチ
ブローチ エヴァ・ムドッチ 石板リトグラフ(絵葉書)
「叫び」や自画像で有名なムンクですが、それは美しい女性を描いた作品もあります。意味深長な「マドンナ」の連作もありますが、私が一番惹かれたのはこの「ブローチ エヴァ・ムドッチ」(ブローチをつけたエヴァ・ムドッチ)です。一時期恋人であった女性で、ヴァイオリンの名器ストラディバリウスを操るヴァイオリニストでした。美しい女性ですね、うねる髪と憂いを秘めた瞳が色香に満ちています。胸のブローチを中心に見事な構図で描いた作品です。
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2018年11月18日

東京漫歩 ムンク展、良かったです 2018.11.18

ムンク展のディスプレイ
ムンク展のディスプレイ
今日は、東京都美術館で開催されているムンク展に行って来ました。ムンクはノルウェーの画家で、暗く重いネガティブな表現で有名ですが、一枚一枚鑑賞している内に、私の心は温かさで満たされました。見事な構成で描かれた絵は、不思議な温かさがありました。ムンクは自作を我が子のように愛した画家だったそうです。売れて失うのを恐れて、何枚も同じモティーフの絵を描いたそうです。我が子のような大切な絵に囲まれながら仕事をし、独身で一生を全うしたそうです。ムンク、精神病質な絵ですが、愛に溢れた絵でした。馬鹿を言いますが、「一枚欲しいな…」と呟いていました。
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2018年04月30日

東京漫歩 喫茶と土産 新鶯亭の鶯団子と桃林堂の小鯛焼 2018.04.24

上野東照宮の五重塔 DSCF7814[1].JPG 鶯団子
動物園の出口を出た辺りには東京スカイツリーの観える場所があり、そこにこの甘味屋がありました。五重塔と動物園の日本の鳥の展示スペースの裏にあり、鶯の絶唱を聴いた後なので、その余韻で一息就くことにしました。この小鶯団子が売りの店であり、創業は何と103年の老舗、出された団子は目に鮮やかな美形でした。餡も滑らかな漉し餡、口当たりの好い団子でした。それでもやや甘め、妻の一言「甘いね…」。


寛永寺を参拝した後、上野駅へ戻るため、暫しこの上野桜木の町を徘徊しました。そこで行き当ったのがこの菓子舗・桃林堂、何となく好い雰囲気だったので、寄ってみました。中の狭い喫茶スペースでは外人さんが抹茶を楽しんでいました。私らは鶯団子を食べたばかりなので、喫茶は割愛、ここの名物らしい小鯛焼をテイクアウトしました。帰りしなにはまた外人さんがご来店、皆さんSNS仕込みなのかしらね…

風土菓・桃林堂は大阪と東京で和菓子のチェーン展開をしている店のようでした。東京ではこの上野店や青山・銀座などにも店があるようです。それでも一般的なチェーン店と異なるようで、この上野店、見た目は普通の町の和菓子屋さん、決してチェーン店とは思えない佇まいをしています。この小鯛焼もここの工房で作っているようですしね。値段は恐ろしくも高め、でもお味はこれまた恐ろしくも逸品、とんでもない傑作和菓子でした。
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2018年04月29日

東京漫歩 上野寛永寺 2018.04.24

上野寛永寺根本中堂
寛永寺は芝の増上寺と並んで徳川家の菩提寺でした。開基は徳川家光、開山は天海大僧正、天海は徳川家の参謀として江戸の町を造ったと言われています。その一環がこの寛永寺で、天台宗の僧侶として京都の比叡山をモデルとして造営されています。何と不忍池は琵琶湖に見立てたそうですよ。その巨大な大寺院は東の比叡山と言われ、東叡山寛永寺の山号寺号が付けられました。

時代は下り幕末になると、この寛永寺は皮肉な巡り合わせ受け、廃寺(消滅)寸前まで追い込まれた大寺院でした。辛うじて残りましたが、その寺領は10分の1までに減ってしまったのだそうです。現在ではその寺域には不忍池、上野公園、上野動物園、東京国立博物館、東京芸大があります。正に現在、上野公園と呼ばれる地域は丸々寛永寺の境内だったのです。慶応4年の上野戦争で、大半の伽藍が焼け落ち、その後の明治政府の徳川憎くしの政策により、殆ど全ての領地を没収されたのでした。それでも現代の日本に欠かせない重要な施設が軒を連ねていますね。寛永寺は近代日本に貴重な財産を与えたのでした。

この根本中堂は寛永寺本来の堂ではなく、焼失した本堂の代わりに、川越喜多院の本地堂を移築したものです。

寛永寺書院
書院
最後の将軍・徳川慶喜が水戸退去から二月、蟄居していた部屋があるそうです。慶喜の墓もこの直ぐ近くの谷中の墓地にあります。

旧寛永寺の五重塔
この塔は寛永16年に再建されたもの、二代目ですね。元々ここにあった塔でしたが、明治以降この地は動物園に代わりました。後に寛永寺から動物園に移譲され、現在は東京都の持ち物になっています。重要文化財の素晴らしい五重塔です。

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2018年04月25日

東京漫歩 上野動物園 2018.04.24

プーシキン美術館展が開かれている東京都美術館の隣が上野動物園です。今回の旅は非常に効率がよく、時間に余裕がありました。慌てずにのんびりと巡ることができ、楽ちんでした。美術展、シャンシャン詣で、ベストタイミングでした。

この日は入門ゲートでチケットを買い、未だシャンシャン観覧の人数に余裕があると、左の写真の整理券が配られます。私達が割り当てられた時間は、14:10で、それまでは自由であり、私達は一旦動物園を出て、美術展を観覧しました。その後美術館内の上野精養軒で昼食を取り、いそいそと再び動物園のゲートをくぐりました。シニアの私の入場券は半額です。子供料金ですね。

リンリン DSC_0597.JPG シャンシャン@
ジャイアントパンダの親子
リンリンは高見台でお休み、ここは時間制限なく自由に観られるのです。私はリンリンの顔を観ようと暫くここで待ちましたが、一向にリンリンは動く気配がなく、私はシビレを切らして、そこを立ち去りました。そうこうする内に時間が迫り、私達はあの行列に並びました。

シャンシャンは最近この木のてっぺんに登れるようになったとのこと。前足の筋力が着いたお陰らしく、このところここがお気に入りの場所となり、ここで腹這いになりネンネもしちゃうそうです。落ちないそうですよ。でもシンシンが心配?していますね。好い母親ですね、片時もシャンシャンの様子を見逃さず、視界に入れているようでした。父親、母親、子供、それぞれの役目は違うようで、母子の躍動の陰で父は孤独で無聊を囲っているように見えました。寂しそう…


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2018年04月24日

東京漫歩 プーシキン美術館展とシャンシャン 2018.04.24

今日の天候は今一つでしたが、暇に飽かせて上野公園に行ってきました。新聞屋の景品の東京都美術館でやっているプーシキン美術館展と、勿論こちらが本命のターゲットですが、ついでに隣接する動物園で、子🐼のシャンシャンを観てきました。平日にも拘らず上野公園は混雑していました。絵画を観るにしてもパンダを観るにつけても、イモ洗い状態、それでも何とか楽しめました。好い目の保養、幸せでした。

プーシキン美術展のルソーのパネル
ルソーのパネル
印象派を挟んで18世紀から20世紀に掛けての風景画を集めた展覧会でした。18世紀の渋い作品からモネやセザンヌ、ゴーギャンの印象派、そしてルソーやピカソの作品も展示されていました。私の大好物は音楽ですが、絵も好いですね。感動しました。

リンリン シンシン シャンシャン
リンリン         シンシン         シャンシャン
シンシンは活発に動いていましたが、リンリン(開放展示です)は終始この姿勢、シャンシャンも木に登って降りてきません。シャンシャン、始めはリンリン同様に観客にお尻を向けていましたが、少し反転して顔を見せました。可愛いったらありゃしない! 
posted by 三上和伸 at 22:31| 東京漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

東京漫歩…歌舞伎座ギャラリー 2017.06.30

築地へは都営浅草線の東銀座から向かいました。私は田舎者のお上りさんなので、東京漫歩と言っても初めての所ばかりなのですね。勿論東銀座は初めて、地下鉄が歌舞伎座タワーの真下にあるなんて本当に驚きでした。それでも歌舞伎座は道すがらの最期に考えていたので、直ぐに晴海通りを築地に向かい急ぎました。


歌舞伎座
築地食べ歩きに本願寺参拝、そして浜離宮コンサートを終えて、最後に歌舞伎座ギャラリーに立ち寄りました。着いたのは17時、閉館までは30分しかなかったのですが、折角の銀座詣で、少しでも歌舞伎の風情を味わいたくて入館しました。

舞台で使う物や歌舞伎の簡単な説明が展示されていました。歌舞伎には素人の私ですから、初めて観る物だらけで、時間制限の駆け足見学でありましたが、興味深く拝見しました。

小舟 
木船
海の舞台背景として使われました。


駕籠
駕籠
駕籠舁き(かごかき、人足)が二人で担いで人や物を運ぶもの。江戸時代のタクシーの役目を担ったものですね。

隈取の説明
隈取の説明がされています。歌舞伎独特の化粧ですね。

吉原仲之町の風景と助六の衣装
吉原仲之町の舞台風景(奥)と助六の衣装(前左)に傾城の鬘(けいせいのかつら、前右)
助六とは歌舞伎十八番の演目。助六所縁江戸桜の通称。2代目市川團十郎の当たり狂言。江戸の助六の衣装。傾城のかつら(鬘)とは美人(傾城)のかつら。奥は吉原仲之町の舞台風景(吉原の桜)

竹本用見台と三味線
竹本用見台(たけもとようけんだい)と三味線
竹本義太夫が語りの時に使った戯曲を読むために使った台。三味線に合わせて台本を見ながら語ります。

posted by 三上和伸 at 17:33| 東京漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

東京漫歩… 東御苑散策 2017.05.05

東京駅丸の内口 
東京駅丸の内口
上野からは山手線で東京駅へ、丸の内口に降ります。振り向けば直ぐに煉瓦造りの東京駅の威容が…。日本の代表駅、レトロな風情が美しいですね。私等はもう疲れでヘロヘロ、カフェを探して丸の内ビル街をウロチョロ、直ぐ無難なカフェが見付かりましたが、屋内は満員御礼…。仕方なく町の街路樹に据えてあるベンチに腰掛けてジンジャーエール・タイム、🍩もついでに頂きました。

巽櫓
桜田巽櫓
少し元気が出たので歩き出し、日比谷通(1国)りを渡り、和田倉噴水公園を漫ろ歩きました。噴水のミストに貴重な涼を得て、内堀通りに入りました。向かいには交番があり、「ピー、ピー」と警笛の声が…。『何があったんだろう?、可笑しいな〜、全然信号が変わらないじゃないか〜』と暫し静観の構え…。そうしたら黒塗りの高級車の列が仰々しく、何と窓からは皇后美智子妃が手を振られていました。何処にお出掛けなのか分からず仕舞いでしたが、直でお目に掛かったのは初めてでした。柔らかい笑顔を湛えられておられました。

皇居のお濠に出ました。ここは桔梗濠、真向かいに美しい桜田巽櫓が観えています。これは僅かに残った江戸城の櫓であり、三つ残った内の一つです。この桔梗濠伝いに右へ、大手門に向かいました。

大手門・高麗門 大手門・渡蔵門 松と石垣 
大手門(高麗門)   大手門(渡櫓門)   石垣の上の松
大手門は桜田門と同様に大名登城の門と決められていました。全ての大名が将軍に見えるにはこの二つの門のどちらかを潜ったのです。ここを通り、多くの大名達が本丸へ上がったのです。

武家屋敷(城)の門の造りは桝形門と言う形式で造られています。前後二つの門で出来ていて、その間が桝形(四辺形)に切っており、入場するには鉤型(¬型)で進むのです。高い石垣で囲われており、敵の来襲をここで防ぐのです。

百人番所
百人番所
江戸城の警護の番人たちの詰め所、伊賀衆、甲賀衆などと共に鉄砲隊もいたそうです。番所は三つあり、百人番所の他、同心番所、大番所があります。質素な佇まいですが、瓦屋根の風情と言い、すっきりとして整った建物です。

江戸城本丸天守跡 江戸城北方の眺望 江戸城南方の眺望 
江戸城天守閣跡(天守台)天守台の眺望北(武道館辺り)天守台の眺望南(東京駅方面)     
天守台の方位版
方位盤
明暦3年(1657年)の大火・振袖火事で、江戸城の天守閣・本丸が焼け落ち、その後再建のため、この天守台は整備されましたが、幕府の命により、天守は無用とし再建される事は無く、今日に至っているそうです。流石、天守台からの眺望は素晴らしく、群れ成すビルが無ければ、富士や筑波の山は手に取るように眺められた事でしょう。

ハクウンボク(白雲木)
白雲木
本丸跡の一角にこの白雲木が咲いていました。丁度花盛りの頃で、無数の白い小花を咲かせていました。白雲木は鎌倉瑞泉寺で有名な花なのですが、私は瑞泉寺のこれを観ずして白雲木と対面しました。

ビルの谷間に十日目の月
今となっては少し心残りがあります。本丸跡と松の廊下を確かめずに退出した事です。それでももう既に心も体も働かず、大手門を目指してしまったのでした。

東京駅への帰路、卯月の十日目の月が出ていました。白い月、我等の旅の首尾を祝うが如き、優しい月でした。


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posted by 三上和伸 at 16:02| 東京漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

東京漫歩… 上野公園散策 2017.05.05

国立西洋美術館 ソノサトキザクラ 射干(シャガ)
国立西洋美術館   ソノサトキザクラ(園里黄桜) シャガ(射干)   
JR上野東京ラインで一発で行けるようになった上野駅、便利になりましたね。チンタラチンタラの京浜東北線、あんな嫌な電車はありませんでした。気持ち良く降りて公園口出口へ、そこからはもう直ぐに上野公園、好いですよね、行楽地の中に駅があるみたいで…。

一寸先の正面が動物園ですが、その前の入ってすぐ右にあるのが国立西洋美術館。すこし前、世界文化遺産になったフランス人建築家の作品群の一つがこの国立西洋美術館です。建築家・ル・コルビュジェが設計した建築物が世界に17作品あるそうですが、その内訳は、フランス10、スイス2、ドイツ1、ベルギー1、アルゼンチン1、インド1、そして日本に1件です。国をまたいだ世界遺産は日本初、大陸をまたいでの世界遺産は世界初なのだそうです。凄い事ですね。

染井吉野が終わった園内は花的には寂しいものがありました。それでも遅咲きの桜・ソノサトキザクラが一本咲いていました。黄桜とは言え、かなり薄紅に染まっており、深い八重でもあり、特異な桜と言えますね。その出自も変わっていて、長野県須坂市にあったある銘木の桜の枝先に、八重で黄色の桜が咲き出したとか…。それを巧みに取り木をして増やしたのがこの桜だとか…。私が想うに世にも不思議な桜が生まれたのですね。どのような因果があるのでしょうか? 名はこの地の古名・園里を授けたとか…。

射干は丁度今が咲き時、園内の葉陰の至る所で咲いていました。これほど美しい花は滅多にあるものでないですが、丈夫で群生するため、余り大事にはされていません。
posted by 三上和伸 at 14:58| 東京漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする