2019年06月28日

鎌倉漫歩 東慶寺E 切り岸に咲く花 2019.06.05

切り岸に咲くイワタバコとイワガラミ
鎌倉は山に囲まれた狭い土地であり、道も家も墓も敷地難に喘いでいました。そんな中、敷地を増やす意味で、山を削り出し、切通し(街道)や窟(やぐら、墓や倉庫にする)、そして切り岸(垂直に削り出した崖、土地を広くする)が発達しました。丁度、鎌倉の岩石は鎌倉石で、凝灰質砂岩であったために加工がし易く、多くが切り出され、岩石(塀、階段)として活用され、その跡に、切通しや窟、そして切り岸が残りました。狭い谷戸にある寺院は大抵が切り岸を持っており、狭い敷地を最大限に利用すべく、積極的に切り岸造成を行いました。

切り岸は長年の間に、二通りの形態が現れて来ます。一つは太陽に晒されて乾いた切り岸、もう一つが日陰のじめじめした切り岸。乾いた切り岸は元の岩石の色が色濃く残った切り岸、日陰の切り岸は分厚く苔生した深緑の切り岸、この日陰の切り岸こそが、新たな植物を育む苗床となるのです。イワタバコにイワガラミは、そんな日陰の切り岸が安住の地となったのです。
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2019年06月27日

鎌倉漫歩 東慶寺C 八重咲きドクダミ 2019.06.05

ヤエドクダミ
ドクダミ科ドクダミ属の多年草です。ドクダミは一属一種で、ドクダミ属ではこの種しかないのです。しかし、一重咲きと八重咲きがあります。この八重咲きは変種なのか園芸種なのか、確かな事は不明のようです。白い花弁のように観えるのが総苞片(葉の一種)で、一重咲きが4弁、八重咲きは勿論多弁です。本当の花は上部の黄色の部分で、雄蕊と雌蕊が密生しています。薬草として利用され、ドクダミ茶は有名です。美味しくは?せんが…

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2019年06月23日

鎌倉漫歩 東慶寺B 金仏 2019.06.05

紅額紫陽花      金仏     蛍袋
紫陽花や蛍袋の参道を真っ直ぐ進むと、左に寒雲亭、右に書院と本堂があります。更に進むとご覧のような金仏(こんぶつ)に行き当たります。立派な大仏であり、花(下野草)も添えられ、泰然とした風情がありました。ところがこの金仏に関する情報は少なく、残念ながら詳しい説明は出来ません。唯一つお教え出来る事は、この金仏は覚山尼の夫・北条時宗の廟・仏日庵に正対しているとの事です。円覚寺・建長寺・明月院・東慶寺、この辺りは北条の地です。鎌倉幕府を支えた質実剛健の武士・北条の気風が溢れていました。 
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鎌倉漫歩 東慶寺A 鐘楼と梵鐘 2019.06.05

東慶寺鐘楼 東慶寺梵鐘
鐘楼     梵鐘 
鐘楼は、円覚寺管長で後に東慶寺住職になった釈宗演(しゃくそうえん)禅師の居士(弟子のようなもの)の神津猛氏が寄進した材で建立されました。大正5年の事でした。一方梵鐘は古く、元弘2年(1332年)に作られたものだそうです。鐘楼の天井には雲竜の図があり、一度観てみる価値があります。山門を潜って直ぐ左側にあります。境内の美しい佇まいの中にあります。存在感があります。
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鎌倉漫歩 東慶寺@ 山門 2019.06.05

東慶寺山門
鎌倉幕府八代執権・北条時宗の菩提を弔うために、出家した妻・覚山尼(かくさんに)が開山となり建立された尼寺です。覚山尼の教えを基に、江戸時代は縁切り寺として名高く、世の多くの不幸な女房達を離縁に導いた寺でした。現在は尼寺では無くなり、臨済宗円覚寺派の禅の教えを広めています。

多くの女房が、この山門まで逃げ延びて、暴力亭主を離縁に追い込んだのだそうです。
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2019年06月22日

鎌倉漫歩 道すがらの河骨 2019.06.05

コウホネ
鉢の木を出て歩み始めると、鎌倉お上りさんの夫婦に道を尋ねられました。「すいません、明月院へはどう行ったら良いのでしょうか?」。「簡単です。この先、踏切を渡ったら左へ行きます。そして川に沿って右に曲がります。そこからは人波が続いていますので、それに従って一緒に行ってください。明月院に行き当たります」と答えました。私たちは東慶寺を目指し鎌倉街道を漫ろ歩き始めました。そこで店の名は記憶にありませんが、その玄関先に水鉢があり、日本の睡蓮の河骨が咲いていました。一輪だけでしたが艶やかな青い葉の上に、凛々しく咲いていました。
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鎌倉漫歩 鉢の木のランチ・入れ子膳 2019.06.05

明月院を出たところで丁度昼時、予めの決め事は無かったので、歩きながら決めました。と言っても道すがらの鉢の木を利用したのですがね。鎌倉に通いつつも、高級店には入った事が無く、少し逡巡しました。それでもこの後の予定は東慶寺だけでしたので、ややお高かかったのでしたが、都合の良い店選びとなりました。並んで2軒あるのですが、鉢の木新館に入店しました。本来、鉢の木は精進料理の店ですが、普通の懐石料理も出しています。私たちが頼んだ品も動物性蛋白が少々使われていました。

鎌倉ビール
鎌倉ビール
こちらもややお高いのですが、折角の鎌倉詣で、ビールも鎌倉の産を選びました。イケる口の妻が大半を飲み、私は一口頂きました。「😋美味しい…、香りが好いね」、濃色の香りの好いビールでした。

出された鎌倉ビールは、商品名が「月」、アルトタイプ(ドイツ・デュッセルドルフで発展したビール)で、アルコール分は6.0度でした。商品説明には、色は褐色、香りは上品、苦みを抑えたすっきりと端正な味わいだそうです。


鉢の木入れ子膳 穴子の天婦羅
品は「入れ子膳」   穴子の天ぷら
精進料理風ですが、チャンと海老や鯵、それに穴子が並んでいました。ご飯に吸い物、香の物に胡麻豆腐、左の鉢は主に煮物・焼き物、右の鉢には酢の物と揚げ物が入っていました。松花堂弁当の流れを汲んでいますね。上品ながら味わいの濃い、本物の日本料理でした。¥3,600 ★★★ ・入れ子=箱を重ねて組み入れるが本来の意味。この場合、料理で詰まった二つの鉢が入れ子を指すようです。弁当の重に見立てている。

妻が着ているブラウスは着物を解いて仕立てたもの。このブラウスが気になったのか、隣の席のご婦人が「貴方がたは明月院にいらっしゃいましたね。そのブラウスが目に焼き付いてしまったので、失礼ながら尋ねました」、「あらそうですか。こんな柄のブラウスを着ている人はいませんものね。これは着物を解いて私が作ったブラウスです」、「はぁ〜、そうですか。驚きました。ホント、素敵なブラウスなので、忘れられなくなりましたの」、新潟の女性で、観光で鎌倉に来ていらしたのだそうでした。暫し世間話が…。あの凄い明月院の雑踏の中、憶えているなんて、女性の衣類への興味は、半端ないですね。
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鎌倉漫歩 明月院J 竹林 2019.06.05

近年の山の風景の困った所、それは秩序を失った竹林にあります。働き手を失った竹林の所有者は、竹林の手入れを損ない、竹林を荒れ放題の荒野にしてしまっています。竹の繁殖力は凄まじく、地下茎に依って次々と森を侵略して行きます。多くの樹木が枯れ、鬱蒼たる竹林に支配されているのです。日本の竹林の所有者さん、私財を投げ打って、森を返してください。

明月院にも竹林があります。竹寺・報国寺程ではありませんが、良く整えられた竹林です。艶々とした竹の肌、繊細な葉、一種の清々しさが竹林にはあります。明月院は竹で終わりとしました。
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鎌倉漫歩 明月院I 花菖蒲と岩煙草 2019.06.05

狭い谷戸を切り開いて敷地を得る、鎌倉の何処の寺でもそうした切り岸が存在します。土色の崖が見得ており、そこに苔や草が生え、岩煙草のような名花が咲き出します。花菖蒲や楓などは作り物ですが、その他の何でもない草の花は、自然に生えて咲き出す野生の花達です。

南面の山から清水が湧き出ており、それを引いてこの花菖蒲池が造られています。様々な品種が咲き競い、華やかな花園を形成しています。

春の枝垂桜に借景の山桜、初夏の躑躅に五月、梅雨の紫陽花に花菖蒲、岩煙草、夏の山百合に百日紅、秋の萩に彼岸花、晩秋の紅葉。

花菖蒲(6月初旬)と紅葉(12月初旬)の2回、この裏庭園に入れます。

posted by 三上和伸 at 13:44| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉漫歩 明月院H 裏庭園・白州の庭にオブジェ、炭焼き窯 2019.06.05

砂利の庭月見台 モニュメント下弦過ぎの月(三日月)
白州の庭に可愛いオブジェ 下弦過ぎの月(三日月かも)のオブジェ
池と花菖蒲池の間に白州の庭があります。そこは楽しくも可愛らしい石のオブジェが侍らしてあります。満月に三日月、そして紅葉の赤地蔵に、紫陽花色の青地蔵、そして🐇と🐢の童話の世界、砂利の築山が設えてありました。

炭焼き窯
戦前に使われていた炭焼き窯、しっかり今日まで残してあります。気持ちの良い裏庭園の空間の中に特異な風情を醸す遺品、時の移ろいを感じずにはいられませんでした。
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2019年06月21日

鎌倉漫歩 明月院G 裏庭園・裏悟りの窓 2019.06.05

裏庭からの悟りの窓
楓などの木立に囲まれた悟りの窓、裏悟りの窓と言って良いでしょう。表裏を観る事が出来る、味わい深いものがあります。明月院の最上級の景観です。
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鎌倉漫歩 明月院F 裏庭園・池 2019.06.05

裏庭園の池
今は花菖蒲の見頃、そこでこの時期は特別に、花菖蒲鑑賞として、裏庭園に入る事が出来るのです。本堂の脇の木戸を潜ると木立の先に池がありました。静かな池で、水面を観、菖蒲の前に、一時の潤いを貰いました。恐らく何処の寺でも月見の池を用意しているものです。大沢の池のように京都などではそんな寺が数多あるようですが、鎌倉にもあるのです。中秋の名月や十三夜の頃、ここのお坊さんたちは、池の畔に立ち、水面に映る名月を眺めるに違いありません。羨ましい…限りです。
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鎌倉漫歩 明月院E 本堂(方丈)と悟りの窓 2019.06.05

明月院本堂(方丈)
方丈の扁額が掛かっているのが本堂、方丈とは代々の住職の執務室のこと。本来は一丈四方の部屋のことで、四畳半の広さの部屋を言います。時代を経るにしたがって段々広くなって行きましたが…

本堂とは、その寺の本尊が祀られている建物、ここのご本尊は、聖観世音菩薩です。ですから明月院は本堂と方丈が共有しているお寺ですね。質素な禅宗のお寺らしい佇まいです。

明月院悟りの窓
悟りの窓、夏椿が活けられています。
これが紫陽花と並んで有名な明月院の売りの代物です。ここからは裏庭が覗けます。前庭、裏庭、表裏一体となって、禅を極める悟りの部屋なのですね。その象徴がこの丸窓です。この窓を撮影するには長蛇の列を並ぶのです。待つ甲斐はあります。不思議な魅力があります。心が透き通るよう…。
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鎌倉漫歩 明月院D 枯山水庭園 2019.06.05

明月院枯山水庭園
本堂の前には美しい枯山水の庭園があります。丁度刈り込んだ嫋やかな曲面に、五月のピンクが印象的でした。この庭園は、須弥山(しゅみせん)を模った構造をしており、古代印度の世界観を表しているそうです。左に岩山の須弥山を模した巨石が積まれており、見事な仏教庭園を魅せていました。

・須弥山(しゅみせん)
古代インドの世界観の中心となった山。古代インド神話のスメール山(メール山、suは善を意味する接頭辞)の漢字音訳語です。
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鎌倉漫歩 明月院C 瓶の井《甕の井》(つるべのい・かめのい) 2019.06.05

瓶の井(つるべ(かめ)のい)
瓶の井(甕の井)、鎌倉十井(かまくらじっせい)の一つです。開山堂の東向かいにあり、東屋風の屋根の下に静かに佇んでいます。鎌倉石の岩盤を垂直に掘り貫いた井戸で、その様が釣瓶のようだったことから瓶の井と名付けられたようです。現在でも飲むに足る水だそうで、十井の中で貴重な存在です。
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鎌倉漫歩 明月院B 明月院やぐらとやぐら群 2019.06.05

宗猷堂(開山堂)
開山堂の周囲は、鎌倉石が削り出された崖になっており、そこには多くのやぐら(窟)が掘られていました。中心には上杉憲方の墓と言われる明月院やぐら(羅漢洞)があり、周囲にも幾つかのやぐらが掘られていました。深い理由は解りませんが、鎌倉時代の墓は、平地にあるものばかりでなく、崖や山を穿ったやぐら(窟)や洞が多く使われていました。身分の上下は無く、北条政子や源実朝の墓(供養塔)も寿福寺のやぐらの中にあります。

明月院やぐら(羅漢洞)
明月院やぐら(羅漢洞)
明月院を開基した関東管領の上杉憲方の墓(供養塔)があります。内部は暗くて良く判りませんが、見えているのが香炉で、その後ろに憲方の宝筐印塔(ほうきょういんとう、供養塔の前身)があり、そしてその背面の崖面には、釈迦如来、多宝如来の浮彫があります。

やぐら群 やぐら群
やぐら群
何方の墓か供養塔か知れませんが、幾つかのやぐら群がありました。古色蒼然たる様、古の魂が浮遊する不吉な佇まいを見せていました。
posted by 三上和伸 at 10:20| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月20日

鎌倉漫歩 明月院A 宗猷堂(そうゆうどう、開山堂)と花想い地蔵 2019.06.05

花地蔵 宗猷堂(開山堂)
花想い地蔵  宗猷堂(開山堂)

明月院の事の始まりは、鎌倉幕府五代執権の北条時頼の最明寺に始まります。時頼の死後、最明寺は廃寺となりますが、その息子・八代執権の時宗により、代わりに禅興寺(明治元年廃寺)が建てられます。後の世に、その禅興寺の塔頭として建てられたのが明月院です。従って北条時頼の縁の地(時頼の私邸跡地)であったので、この地明月院に時頼の廟と墓があります。

明月院は室町時代に、上杉憲方(うえすぎのりまさ)が開基で、密室守厳(みっしつしゅごん)が開山として建てられた寺です。宗猷堂(そうゆうどう)は、開山の密室守厳の木像が安置されているために、開山堂となりました。

開山堂の前には、季節の花を抱えた花想い地蔵が祀られています。人は花の思い出の中に生きているそうです。大切な人、愛しいもの、それは何時も花の思い出の中に存在しているのだそうです。
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2019年06月19日

鎌倉漫歩 明月院@ 明月院ブルーの姫紫陽花 2019.06.05

明月院ブルー 明月院の紫陽花 姫紫陽花

竹林と明月院ブルー
この日は紫陽花の頃合いとしては少し早かったかも知れません。発色は今一つでしたが、新鮮な紫陽花が観られました。明月院ブルーの姫紫陽花は花の濃淡が命、全部同じ色では詰まらないのです。植物学者牧野富太郎が見出したと言われる姫紫陽花、日本古来の紫陽花で、本紫陽花と並ぶ品種です。イギリス名は「ロゼア」、シーボルトのローズに因んでいますね。
posted by 三上和伸 at 16:52| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月05日

鎌倉漫歩 紫陽花を訪ねて… 2019.06.05

姫紫陽花 額紫陽花
明月院ブルーの姫紫陽花   東慶寺の額紫陽花

今日は一日お休みをして、鎌倉漫歩に遊びました。今回は欲張らずに、北鎌倉の花の寺を二軒巡りました。平日だと言うのに凄い人通り、北鎌倉の駅から明月院まで、紫陽花詣での信徒さん達で溢れかえっていました。恐らくここと長谷は大変な人だかりとなっていたでしょう。鎌倉・紫陽花、bPの人気スポットですからね。

明月院の紫陽花は姫紫陽花で、ライトなブルー。これを明月院ブルーと称して、マニアの絶対人気となっています。今日の姫紫陽花の発色度は今一つでしたが、この淡いブルーが私好みと言えるのです。明月院の紫陽花は、この明月院ブルー一色で、他の品種は受け付けない絶対純血主義を貫いています。色々な色を観たけりゃ長谷へ行けばよい、そんな誇りある方便を言って悦に入る、北条時頼の臨済宗のお寺です。

反対に花の寺として特異な存在が東慶寺です。縁切り寺として世に名高い時宗の妻・覚山尼(かくざんに)が始めた寺です。ここも花の寺として売りの花が二種あります。紫陽花や梅は色々ありますが、そんなものはどうでも良い、岩煙草と岩絡みの原種の誇り高い花が自然に生えているのです。これは壮観です。岩煙草はこれから、岩絡みは今が盛り、近日中にこれらの花も紹介いたします。
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2018年12月21日

鎌倉漫歩 二階堂川の紅葉 2018.12.07

二階堂川の紅葉
紅葉と食事を目的として始めた旅でしたが、食事は兎も角として、紅葉の本命の獅子舞谷が今一つでしたので、僅かながら不本意な思いの旅でした。それでも本来の紅葉の美を味合わせてくれる最高の景色がここにありました。二階堂川の畔に染まった一景、有り難く心慰められました。
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鎌倉漫歩 獅子舞谷の楓 2018.12.07

獅子舞谷の楓獅子舞谷の楓獅子舞谷の楓
獅子舞谷の楓DSCF0115[1].JPG獅子舞谷の楓
永福寺跡を離れ、二階堂川に沿って歩くと、山の端に行き当たります。そこからは道も細くなり岩も現れ、沢伝いの急登の道に入ります。ここが獅子舞の谷です。前日の雨で、登山道はぬかるんでおり、丸で田圃状態だと居合わせた登山客が嘆いていました。非常に滑るので妻共々、細心の注意を払って、上り下りを完了しました。

獅子舞谷は中腹に入ると突然楓が多くなります。これは自生の楓であり、ひたすら紅の華やぎを魅せていました。天候不順で今年の紅葉は外れ年でありましたが、それでも紅葉は美しく、ある程度の満足はありました。良き年もあれば悪しき年もあります。自然はその都度、精一杯の美を魅せてくれます。私らもそれに殉じましょう。来年は良き年でありますように…
posted by 三上和伸 at 18:00| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

鎌倉漫歩 永福寺跡(ようふくじあと) 2018.12.07

源氏の統領・源頼朝には強い信仰心がありました。天下分け目の戦の連続、その心の平静を保つには信仰が欠かせなかったのかも知れません。それは守り神である八幡神・鶴岡八幡宮を鎌倉幕府の中心に据えた事や、歴代の源氏の祖や戦火に倒れた敵味方の兵士の御霊を弔うために、次々と大寺院を建立した事に表れています。頼朝が建てた大寺院は三寺あり、八幡宮の近在の雪ノ下と二階堂に二寺あり、そして最後の一寺は、実朝の代で鶴岡八幡宮内に建立された八幡宮神宮寺があります。

三大寺院の最初に建てられたのが勝長寿院(ちょうしょうじゅいん、1185年建立)でした。平家に殺された頼朝の父・源義朝の菩提を弔うための寺院、大御堂(おおみどう)と呼ばれ、現鎌倉市雪ノ下の大御堂が谷にありました。源氏の菩提寺の一つでしたが、焼失と再建が繰り返され、やがて足利(室町)時代になると足利氏の庇護も薄くなり、結局廃寺となりました。

三大寺院の二番目に建てられたのが、今回紹介します永福寺です。永福寺と書いて呉音読みで「ようふくじ」と読みます。鎌倉幕府成立の為に、平家や奥州藤原氏との長年に亘る戦いがありました。弟の源義経との争いもありました。頼朝はそれらの多くの戦死者を敵・味方を問わず弔うために、現鎌倉の二階堂に永福寺を建立(1194年)したのでした。功成り名を遂げた頼朝でしたが、ここまで多くの犠牲者を出しました。頼朝の心を苛むものは、頼朝のために死んだ巨万の兵の怨霊でした。その御霊と亡霊を抑え込むために、頼朝は永福寺を建てたのでした。

三大寺院最後に建てられたのが頼朝の死後、頼朝の命に依り、鶴岡八幡宮内に神仏習合の神宮寺(1208年建立)が建立されました。これは明治の代まで続いたのですが、明治の神仏分離策の廃仏毀釈によって寺の全てが破壊されました。文化財破壊の明治政府の最も愚かな政策でした。鎌倉は歴史上の多くの財宝を失いました。


永福寺(ようふくじ)復元図 DSCF0104[1].JPG
永福寺復元想像図
頼朝が平泉で観た中尊寺の大長寿院(二階大堂)を模して建てたのが、この二階建て大堂・二階堂です。北(写真右)に薬師堂、南に阿弥陀堂を配し、その両脇には翼楼が従っています。三つの堂は廻廊(複廊)で繋がっており、宇治の平等院さながらの景観が望めたでしょう。

そしてその東側前面には200mを超える池が造られ、中島も橋も存在していました。この全体の構図は、同じ平泉の藤原秀衡が建てた無量光寺を模したとされており、無量光寺は京(宇治)の平等院を模したとされています。結局、鎌倉永福寺は、結果として京の平等院に似た構造を持つ寺院だったのでした。

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遺跡発掘の説明板
長く放置され荒地だった永福寺跡を、鎌倉世界遺産獲得の決定打にしようと、遺跡発掘が行われました。史跡指定の翌年の1967年度から土地の公有化を推進し、2007年以降に、復元整備工事を始めました。2017年6月、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂の基壇(礎石)と苑池の復元が完了し、公開されました。

永福寺遺構 永福寺の池
苑池
鎌倉二階堂の谷戸に広がる永福寺跡、周囲の一部は住宅地となっていますが、四方を山に囲われた鎌倉らしい立地をしています。大伽藍の基壇が復元され、その前に大きな池が掘られています。

永福寺遺構 永福寺の遺構 遣水
基壇・翼楼      基壇翼楼       遣水、池の水源
基壇         基壇         手前から薬師堂・二階堂・阿弥陀堂の基壇の並び
復元された永福寺跡
数々の礎石が置かれた基壇、復元はここまでだそうですが、その大伽藍の巨大さが想像されます。焼けず残っていれば国宝・世界遺産に当然成るべき稀有の遺跡です。

posted by 三上和伸 at 22:57| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

鎌倉漫歩 覚園寺(かくおんじ) 2018.12.07

覚園寺は鎌倉の寺院の中でも特異な寺。前庭までは入れますが、その先は解説付きの¥500の入館料が必要です。まあ、それは良いのですが、自由に観覧出来なく、しかも写真撮影は厳禁です。旅行記に残したい私としては、ご馳走を前に絶食させられているようなもの…。鼻持ちならない?状況ですね。勿論、仏様を撮るような事はしませんが、責めて薬師堂などの建物や棟立の井(鎌倉十井の一つ、現在は土砂に埋もれて見難いそう)くらいは撮らして頂きたい、真に残念なお寺さんです。

二代執権北条義時が地蔵堂を創建、九代執権北条貞時が覚園寺とし、足利尊氏が焼失した寺を再建しました。

DSCF0080[1].JPG
薬師堂に薬師三尊像(日光月光像と薬師如来像)・十二神将像、愛染堂に阿弥陀如来像・鉄造不動明王・愛染明王坐像、地蔵堂に木造地蔵菩薩立像(黒地蔵、重要文化財)が安置されています。

覚園寺の仏
愛染堂前に掲げられたこの堂にある仏様。不動明王、愛染明王、そして阿閦如来(あしゅくにょらい、密教では金剛界五仏の一つ、東方にいて大円鏡智を表す)。

覚園寺境内の紅葉
見事な紅葉がありました。

覚園寺・薬師如来の御朱印
本尊の薬師如来の御朱印。中々達筆なお坊さんでした。

posted by 三上和伸 at 22:23| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎌倉漫歩 鎌倉の小路 2018.12.07

風流な家 鎌倉の小路
鎌倉宮から覚園寺までの小路は、とても粋な小路です。片腹には側溝があり、鎌倉連山からの清水が流れています。緩々と歩けば古風な家と庭の木々が赤や黄に色付き、好い雰囲気を醸し出しています。優しい心で歩けました。
posted by 三上和伸 at 07:49| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月08日

鎌倉漫歩 大塔宮(だいとうのみや、鎌倉宮) 2018.12.07

後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりながしんのう)を祭神とした神社です。建武の中興の時、時の後醍醐天皇と共に鎌倉幕府打倒に力を尽くした人物、足利尊氏の裏切りにより捕らえられ、この地、東光寺(鎌倉宮の前身の寺院)の土牢に幽閉され殺されました。明治維新の後、明治天皇は自分の祖先である護良親王を大切に思い、この地に護良親王を祭神として祀り、大塔宮を建立しました。

全国でも珍しい白い鳥居ですが、これには意味があります。白は純粋の白、天の赤は真心の赤、護良親王の功績と人柄を表したそうです。境内には僅かな紅葉が彩を添えていました。

大塔の宮(鎌倉宮)の御朱印
境内には仙台市や三島大社から贈られた神鹿がいたそうです。平成4年に最後の一頭が死んだそうで、現在では御朱印の中で存在を示しています。


posted by 三上和伸 at 22:19| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

鎌倉漫歩 東勝寺跡とレデンプトレスチン修道院 2018.05.18

鎌倉巡りを夫婦の趣味にし始めた私達は、心赴くと後先考えず出掛けることになります。以前のように仕事に忙殺されることは無くなり、平日でも空き時間はあるのです。休日は混雑する鎌倉、この歳になって巡ってきたチャンスです。それを活かさない手は無いのです。平日の古都巡り、素晴らしい発見があります。

今回は主に鎌倉の東(小町、大町)と南(材木座)を巡りました。鎌倉駅から若宮大路を横切って、先ずはおんめさま(大巧寺、安産祈願の寺院)から始めまりした。ところがこの日は庚戌(かのえいぬ)、腹帯を求める妊婦で境内は混雑していました。これでは御朱印どころではないと観念し、直ぐにおんめさまを後にしました。そこからは強行軍、小町大路の蛭子神社を皮切りに日蓮辻説法跡、東勝寺橋で滑川に拾文落とした青砥藤綱の碑を観て、東勝寺跡と北条高塒腹切り窟を眺めました。そして踵を返し、鎌倉レデンプトレスチン修道院を訪ねクッキーを買い、朱塗りの琴禅橋を渡り、床しい小町大路の裏通りを南下し、妙本字、ぼたもち寺(常栄寺)、八雲神社まで行き着きました。そしてその後は一気に材木座海岸まで足を延ばしました。少し古い案内書で見定めていた自家挽き粉で打った十割蕎麦を食べさせる蕎麦屋が見付からず、仕方なしに入った蕎麦屋(材木座の土手屋)が思いのほか旨く堪能した次第でした。材木座海岸で、世界最古の築港の和賀江の島(わかえのしま)を俯瞰し、光明寺を訪ねました。その鎌倉最大の山門の偉大さ、感動を覚えました。そして元来た道を辿り九品寺、脇の道に逸れて御所神社、来迎寺、長勝寺を経て私はもうクタクタ…。長勝寺前でバスに乗ろうとしたのですが本数が無く×、仕方なしに歩いたら何と上行寺と安養院を参拝し、御朱印まで頂いてしまいました。妻の絶っての希望で鎌倉野菜市場まで歩き通しました。この時すでに私の歩数計は20,000歩を越えていました。

青砥藤綱の旧暦の碑 東勝寺橋からの滑川
東勝寺橋袂にある青砥藤綱の碑と滑川
伝説の人物青砥藤綱、北条家に仕えた高潔の武士と言われています。滑川に拾文落とした藤綱が家来に五拾文費やさせて拾文の銭を探させた逸話があります。合わせて六拾文の銭の損得を他者に諫められたが、藤綱は世の中に六拾文の銭が流通したと思えば、誰かの役に立っていると諭したそうです。

東勝寺跡 北条高塒腹切り窟(やぐら)
東勝寺跡       北条高塒腹切り窟(やぐら)
「いざかまくら!」の新田義貞の鎌倉攻め。それに追い落とされた第14代執権北条高時、とうとう一族郎党を巻き込んで氏寺東勝寺に火を放ち、自害して果てました。高時が割腹自殺をしたのが、直ぐ裏山にあるこの窟でした。今は固く守られて入れませんが、洞口には墓標が建っています。鎌倉有数のパワースポットだそうです。

レデンプトレスチン修道院 レデンプトレスチン修道院のクッキー
東勝寺跡の更地の近くは住宅街が広がっていますが、その一角にレデンプトレスチン修道院があります。創立者マリア・セレスタによって1731年にイタリア・ナポリで開かれたキリスト教の修道院です。ここ鎌倉の修道院のシスターが作るクッキーが有名で、ここを訪れてクッキーを求める客が後を絶ちません。毎日売っています。私達も一袋(360円)頂きました。サクッとした口当たり、バターの香りが優しさを醸します。好いものです。

この日の歩数:20,962歩

追伸:この日、安養院の門前で私は不覚にもカメラを落としてしまいました。カメラは故障し、今日の午後カメラのキタムラへ修理に出しました。お陰でこの紙面にアップロード出来ずに、大半の写真は掲載不可能になりました。辛うじて旅の初めにスマホで撮った画像がありましたので、今回掲載しました。
posted by 三上和伸 at 20:07| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

鎌倉漫歩 花見三昧2 檑亭、大倉幕府跡、若宮大路、鶴岡八幡宮 2018.03.28

序=昨夜はカメラからPCへのダウンロードが上手くできず、花見三昧2が書けなくて失礼しました。お待ちになられて拍子抜けの方もいられたかも知れません。恐縮でした、残念でした。

昨日は粗計画通りの旅が出来ました。出だしは車で北鎌倉・檑亭まで…。ところが横浜新道が混雑、慌てて戸塚警察を左折して、金井・田谷・影取を抜けて川名方面へ、川名から西鎌倉を辿り鎌倉山へ…。予定より15分遅れて蕎麦処・檑亭へ着きました。もう北鎌倉山は沿道の染井吉野と山肌の山桜で桜花一色、車渋滞の屈折などは雲散霧消、幸せ一杯となりました。

檑亭の庭から観る山桜 檑亭の山桜 北鎌倉の桜風景
檑亭からの山桜1     檑亭の山桜2                   北鎌倉の山桜と染井吉野
檑亭は広大な別荘地を庭園に設えたもの。そこに江戸期に建てられた豪農の屋敷を移築して始められた会席蕎麦屋です。この日は結婚式が行われていました。文金高島田の花嫁が、静々と小径を…、庭園の一風情、好いものでした。座敷は予約で会席料理が楽しめますが、そんなご大層は何かの記念日にすれば良いのであって、物見遊山の行楽では蕎麦で充分です。蕎麦は更科系(白い蕎麦)ながら太い麺、余りお目にかからない蕎麦でした。喉越しと言うよりはむしろ噛む蕎麦、されど爽やかさは失せてはいませんでした。

庭は大いに楽しめるものですが、ここでは紹介しきれないので、改めて別の紙面でお伝えします。兎に角仄かな山桜が春を謳歌していました。陽光溢れる庭を巡れば少し汗ばみ、長袖ネルシャツの腕をたくし上げて爽快無比でした。

鎌倉市内への下り坂は木立越しに絶景が観られる道。山に山桜、宅地には染井吉野、春のグラデーションが美しかったです。

鎌倉幕府大蔵館東御門の碑 源頼朝の墓 来迎寺裏山の山桜
鎌倉幕府東御門(みかど)の碑 源頼朝の墓  時宗・来迎寺裏庭の山桜のグラデーション
味覚と見聞に満足し、再び車に乗って鎌倉心臓部へ…。二階堂で車を止め、大蔵(鎌倉)幕府跡を巡りました。各交差点には嘗ての鎌倉幕府府内の道標の碑があります。主なものには、鎌倉幕府跡、東御門(ひがしみかど)に西御門(にしみかど)、今は学校(清泉小学校)などが立ち並んで、昔日の面影はありませんが、800年前には確かにここが日本の中心地でした。直ぐ傍には頼朝の墓と大江広元の墓が並んでおり、ここは古色蒼然たるものがありました。広元の墓は窟の中でした。

その足で西御門の先の来迎寺に出向きました。静かな鎌倉の住宅地の先に来迎寺はありました。踊念仏の一遍上人縁の時宗の寺、その裏山は山桜の園、それは美しい山桜のグラデーションが観られました。

  八幡宮流鏑馬馬場の静桜 八幡宮源氏池の染井吉野 若宮大路の桜並木
 八幡宮流鏑馬馬場の静桜   八幡宮源氏池の染井吉野   若宮大路の桜並木 
西御門の来迎寺から雪ノ下に入り八幡宮を目指しました。八幡宮を東鳥居から入るとそこは流鏑馬馬場。直ぐその傍に静桜がありました。ほぼ満開の様子、小さな木でしたが中々艶やかな花でした。後20年も経てば大樹となり、見事に咲き誇るでしょう。静御前の生れ変わりの桜。源義経の悲劇の愛妾・静は、白拍子の舞姫でした。鎌倉祭りにはその静の舞が観られるそうです。何時か混雑覚悟で行ってみたいですね。

若宮大路は改修なって若木の染井吉野が整列しています。そこを今流行りの着物乙女がそぞろ歩きます。派手なレンタル着物、妻は呆れていましたが、私はニヤニヤ、好いものでしたね。

posted by 三上和伸 at 22:51| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

鎌倉漫歩1 23,726歩を踏破した六浦路 2018.01.31

朝比奈切通 本来は朝夷奈(あさいな)切通  やぐら(窟) 滑川の源流 太刀洗水 十二所神社
横須賀線を大船で降りて神奈中バス金沢八景駅行きに乗り朝比奈へ…。直ぐに道標に従い朝比奈切通の細道へ入り、暫く民家の軒先を抜け森の中へ…。道祖神を見返りつつ坂を上ればやがて荒々しい鎌倉石の岸壁が現われました。これが朝比奈切通しです。深く削り取られた岩の狭間、正に異空間、時には切通しの崖面にはやぐらが…、鎌倉の昔人の人足の労苦が偲ばれました。頂上が横浜と鎌倉の境、そこからは滑川の水源となる沢水が滴り、やがて切通も終わり、太刀洗い水を見付けました。梶原景時が上総介広常を撃った際に、太刀にへばり付いた血を洗った伝説の鎌倉五銘水の一つ…。そして滑川沿いの平坦な道を行くと県道に出、そこには十二所神社が目前にありました。

朝比奈峰本の天丼
丁度昼時になり、二人とも腹ペコ…。今回の食事処は二軒考えていました。一つが浄妙寺境内にある石窯ガーデンテラス、もう一つがこの創作蕎麦懐石料理の峰本朝比奈店でした。出発点が問題でした。鎌倉から順に巡れば昼時には石窯ガーデンテラス、朝比奈から巡ればこの峰本しか思い浮かびません。私達は当然乍ら峰本を選びました。私の天丼、これは普段食べている天丼とは異なもの…。タマネギ、卵も使われ、玉子とじ(親子丼)のような天丼…。ツユダクでそれなりの味、されど私は納得は出来ませんでした。それでも添えられていた蕎麦に茶碗蒸し・胡麻豆腐などの料理が美味しかったので、許しました。妻は蕎麦懐石、こちらはサクサクした海老天が…、天婦羅はこうで無くっちゃね。

大江稲荷
大江稲荷神社
食事を終え暫く歩き明王院を目指していたところ、ふと路地の奥にこの鳥居が観えました。私達は空かさずこの鳥居の社を見つけ出そうと近付きました。由緒を辿れば頼朝の右腕であった嘗ての知将大江広元を祀った神社である事が判りました。広元はこの辺りに住まいを構えていたと言われます。ほんの小さなお稲荷様でも、古の大切な由緒があるものです。

五大堂明王院        八百善
思わぬ発見をした大江神社でしたが、本命としていた明王院は茅葺屋根の静かな寺でした。嘗て訪問したのですが、すっかり忘れていたその面影、それでも月日は私を成長させたようで、今の私には床しく観えた寺でした。五大堂明王院。五大とはインド哲学にルーツがある思想、地・水・火・風・空の五大であり、それが長い年月を経て大切な仏教思想に育まれたのだそうです。

八百善は入口は違えども明王院の境内に立地する料理屋です。創業享保二年の老舗で、今ではあまり知られていない江戸料理を出す店で、その江戸料理の粋を現代に伝えているとされています。料理は高価ですが、その内一度は…

浄妙寺本堂 
浄妙寺 稲荷山 浄妙広利禅寺
鎌倉五山の第五位に位する臨済宗建長寺派の寺院。開基は足利義廉で最初は真言宗の極楽寺と称したそうです。後に禅宗の寺院となり、浄妙寺と改名しました。

今は蝋梅に代り梅の季節が到来しています。白梅に本堂屋根の白銅色が良く冴えています。美しい風景でした。

石窯ガーデンテラス    テラスから浄明寺の町
浄妙寺の境内を上り詰めると、突然洋風建築が現れます。歴史漫歩をしている我々ですが、思わずズッコケてしまうのが」普通の人間の習いでしょう。でも庭(スコットランド・ガーデン)の造りが良く、直ぐに違和感は無くなりました。

石窯ガーデンテラスのハーブティーとプリン 鎌倉石窯ガーデンテラスのプリン
石窯ガーデンテラスのハーブティーとプリン
オヤツに立ち寄りました。質素な旅を心掛けてはいますが、一寸した贅沢も好いものです。徒歩の旅で火照った体を覚ますには好いガーデンテラスでした。ハーブティーの鋭利な香り、プリンのふくよかな風味、甘味が心を解しました。

報国寺本堂 報国寺竹林
報国寺本堂        孟宗竹の庭・竹寺
功臣山報国寺、臨済宗建長寺派の禅宗のお寺です。寺の格は比較的低く、五山・十刹の下の諸山となっています。本尊は釈迦三尊です。六浦路の寺の中では最も人気があるのがこの報国寺です。その手入れの良さは、京都の寺と遜色がありません。本当によく手入れがされています。何よりも美しいのが竹の庭で、艶々とした瑞々しい孟宗竹が繁茂しています。その竹の小路を歩けば、清々しい気分にさせてくれます。

杉本寺苔生した鎌倉石の参道 杉本寺本堂
苔生した参道のきざはし 幟乱立の茅葺の本堂
杉本寺は天台宗のお寺で、開山は行基と伝えられています。大蔵山 杉本寺、別称が杉本観音。その名の通り本尊の仏として三体の十一面観音像が祀られており、中央と向かって右の十一面観音像が国の重要文化財です。この寺の特徴は、この重文の仏を間近で観る事(拝む事)が出来る事で、その磊落さ故、気持ちの良い貴重なお寺です。

左の仁王 吽の仁王 右の仁王 阿の仁王
仁王像 阿吽(あうん)の呼吸の内、左が吽の仁王、右が阿の仁王。口が閉じているのが吽の仁王、口が開いているのが阿の仁王、それで見分けます。

愈々本日の大本命杉本寺です。鎌倉最古の寺で、天平の創建と聞きます。茅葺の仁王門と本堂を持ち、仁王門から本堂に至る参道は苔生した鎌倉石の階段で、丸く削れたその減り加減が時の悠久を感じさせ、極めて乙でした。坂東三十三観音の一番の札所です。

荏柄天神社
梅の荏柄天神
美しい紅梅が咲き始めた荏柄天神、丁度受験シーズンで、訪れる参拝者は若い人が多かったですね。どうか天神様のご利益がありますように…。

紅梅を楽しみ、一息ついて、棒になった足を引きずり鎌倉駅に辿り着きました。新春の鎌倉漫歩は終わりました。

posted by 三上和伸 at 23:33| 鎌倉漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする