2018年11月07日

北海道漫歩終章 笑顔で「お疲れさま」 2018.09.25

帰路の日航機
JALの羽田行き便、3人のキャビンアテンダントがいました。一人が若く可愛い愛嬌のある顔の人、もう一人は冷静な顔色を変えない人、そして更にもう一人は、キャスターの伊藤聡子似の優しい人。私は、伊藤聡子さんが大好きなので、もう居ても立っても居られないほど有頂天でした。ジュースをくれたり、コーヒーをくれたり、その都度に柔らかい微笑み、私はもう蕩けていました。時々笑顔で見詰め合い、お互い満更でもない様子を見せたり、私の視線を少し意識してくれたり、幸せな1時間を過ごしました。帰り際、振り返って彼女を見ると、微笑んで「お疲れさまでした」、私も「お疲れさま…」、私の愛が通じた瞬間でした。
posted by 三上和伸 at 22:58| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩39 さらば北海道、また会う日まで! 2018.09.25

午後に入ってから旭川空港近くのレンタカー屋に入り、車を返して空港まで送ってもらいました。飛行機は4時の出発、それまで時間が余ったので、空港のラーメン屋で昼食、旭風ラーメン、北海道最後の飲食店となりました。私は塩ラーメン、やはり妻が嫌いな太麺でした。妻は残念そうな風情、でもね、ここは北海道、大体太麺が多いですよね。博多では無いのだからね。私は美味しく食べました。そして暇な時間を利用して妻はお土産の爆買い、私はデッキに出て飛行機見物、楽しい時間でした。

旭川ラーメン
旭風ラーメンの旭川ラーメンの塩ラーメン、どうも私は醤油や味噌よりもシンプルなあっさり塩味が好きですね。特にラーメンは塩に限りますね。

デッキから飛行機眺め、飛行場には1機しかおらず、これはANAの飛行機、私たちの便より一つ早い出発便、牽引車に引かれ駐機場にきて、整備を受けています。ジェット燃料の給油も受けていますね。

滑走路に向かう全日空機
出発です。自力で走り、滑走路へと向かいます。見事な離陸をしましたが、写真は失敗、残念でした。

帰路の日航機
これが私達を乗せるJALの飛行機、やはりANAと同様に牽引車に引かれ、搭乗口まで引かれてきました。羽田までお世話になる飛行機です。どんなキャビンアテンダントさんが乗るのかしら…、楽しみです。

芦別岳
大きな山体の山が観えていました。地図で調べたところによると、芦別岳と思われました。但し、二つの山が重なっているようでもあります。もう一つは夕張岳…。ありがとう北海道!、楽しゅうございました。さらば北海道!また会う日まで!
posted by 三上和伸 at 20:36| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月06日

北海道漫歩38 大雪山・旭岳C 旭岳の植生 2018.09.25

遊歩道歩きで、草の花と草紅葉、そして実を見つけました。旭岳も紅葉の時期ですから自然の花園でも花は僅かにしかありませんでした。それでも大きな喜びでした。高山の花確かに見付けました。

エゾリンドウ(蝦夷竜胆)
陽光がないので花は閉じたまま、リンドウ類は光が強くないと開きません。これがこの花の生まれ持った宿命です。それでもシッカリと受粉をして子孫を残します。花と昆虫の駆け引き、青空の下、選ばれた虫がこの花の蜜を吸えるのですね。

チングルマの紅葉
チングルマ(稚児車)の草紅葉
真夏に白い花を咲かせ、花の後は花柱が変じて小さな毛叩きのようになり、それが無くなれば、秋の草紅葉になります。けれどこれは決して草では無く、低木なのです。チングルマはバラ科の落葉低木なのです。大雪山はチングルマの大群落があるので有名です。7月下旬はこの白い花で埋め尽くされます。

シラタマノキ(シロモノ)
シラタマノキ(白玉の木、シロモノ)ツツジ科
高山の岩礫地に生えるツツジ科の常緑小低木、こんな高山にあれど、紅葉もしなければ落葉もしない強者です。夏に白い花を咲かせ、秋に白玉の実を結びます。

大雪植物の垂直分布の説明
植物の垂直分布を説明しています。
posted by 三上和伸 at 21:44| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩37 大雪山・旭岳B 旭岳遊歩道散策 2018.09.25

遊歩道をゆっくり進むと、次第に旭岳の姿が迫ってきます。前面にある幾つかの噴気孔からは、白い噴煙が立ち上っています。まあ、毒ガスでは無いようで、案内図を見る限り、姿見の池から先に噴気孔への道筋がありました。周囲に高い木は無く、緑の全ては這松です。所々には急坂の岩の階段があり、慎重に歩かないと転げ落ちて大怪我をしてしまいます。一心不乱に前を見て歩きました。

大雪山旭岳
大雪山最高峰の旭岳です。観えているあの山頂が北海道の天辺です。なだらかに裾を引く優雅な姿ですが、この山も5〜6百年前に噴火しているそうです。北海道の中心部の大雪山、ここから西には恵庭岳や樽前山と有珠山、羊蹄山に北海道駒ケ岳があります。そして東には雌阿寒岳、雄阿寒岳、摩周火山(摩周湖はカルデラ)、羅臼岳、知床硫黄山などの活火山があります。更に北方四島のクナシリ・エトロフにも活火山が犇めいています。

旭岳の噴煙
盛大に噴煙を噴き上げていました。旭岳は毒ガスの山では無さそうですが、巨大な大雪山の一角には毒ガス噴出地域があるそうです。勿論そこは立ち入り禁止になっています。

この辺りは這松帯ですね。その這松の中に点在する紅葉が疎らながら観えています。全て低木であり、ツツジの仲間もありそうです。

鏡池の逆さ旭 満月沼
鏡池         満月沼
小さな池ですから、細波も立たず、空や周囲の景色を映すようです。鏡池は旭岳を映し、満月沼は空を映していました。真っ暗闇でしたなら、恐らく月・星が映り、美しいでしょう。天の川も水面に映る事でしょう。でもここまでどうやって辿り着くのでしょうか? そして帰れますかね? 確か、ロープウェイ最終便は、夕方でしたよね。 

水と岩と紅葉の饗宴
ロープウェイ姿見駅の駅前にある池と池畔。よく観ると自然の石庭が出来上がっています。石に水に紅葉と緑、中々の景色でした。

posted by 三上和伸 at 15:52| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩36 大雪山・旭岳A 姿見駅で 2018.09.25

大雪山は一つの山体としては、日本で一番広い山域を持っているそうです。そこに多くのピーク(山頂)が犇めき合い、最高峰はこの旭岳(2,291m)です。本州の富士山や南北アルプスに比べれば、低いように感じますが、そこは北海道の高山、寒地の極限の気象条件があります。故に日本一早い紅葉を魅せてくれます。

大雪山旭岳ロープウェイ
旭岳ロープウェイ(最上駅・姿見駅で)
黄葉の山麓を見下ろしながらロープウェイは昇ります。森林限界を超えるとロープウェイ最上の姿見駅に着きます。ここからは全て徒歩となります。神威岬以来のハイキングとなります。ここで一思い『ウォーキングシューズかスニーカーを履いてくればよかった。やはり高山の岩道はゴツイ…』

旭岳遊歩道案内図
遊歩道案内板
姿見駅にある案内板を観て、コースを決めました。最長の姿見の池までは少々キツそうでしたので、第2展望台、擂鉢池、鏡池、第3展望台、満月沼経由の路を選びました。靴も靴でしたからこれで丁度よかったですね。

さて、どんな景観に巡り合えるか?、どんな花や実に出会えるのか?、もしかしたら”ナキウサギ”や”シマリス”に会えるのか? ワクワクドキドキのハイキング始まりました。

ヒグマの目撃情報が多数あるようですね。こいつにだけには会いたくないですからね。森林限界から上は食べ物が余りないですから、ヒグマもいませんが、森林帯には多いようです。徒歩の下山は止めて、ロープウェイ利用を勧めてています。

大雪山旭岳
遊歩道から観た旭岳(2.291m)、北海道最高峰
バリバリの活火山だそうです。見事な噴煙が上がっています。これを観れば、俄かに寒気が湧いてきますね。御嶽山のように大噴火したらどうなるでしょうか? まあそんな兆候は観えませんでしたが、火山など何処でどうなっているか知れたものではありません。唯々祈るのみでした。

這松(ハイマツ)の中の路ですね。動物の声は聴こえませんでした。今は秋、大小の動物たち、冬眠を控えての食い倒れの季節ですよね。ナキウサギ・シマリス、私には見付けられませんでした。

posted by 三上和伸 at 08:43| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月05日

北海道漫歩35 大雪山・旭岳@ 麓の紅葉 2018.09.25

三浦綾子記念文学館での出来事、朝一で入館し、暫し展示物を鑑賞し始めた矢先、何を勘違いしているのか、数人の女性の館員がお喋りに花を咲かせていました。余りにも耳障りなので、私はその館員たちを一喝しました。「何を勘違いしているの!、私達は静かに鑑賞したいのです。非常識なお喋りはいい加減にしなさい!」。彼女たちは「申し訳ありませんでした」と言い、さっと各々の仕事場に散らばっていきました。

再び静かに鑑賞に勤しみ、三浦綾子の波乱の生涯に胸を打たれていました。私らはいい加減にフラフラと生きていますが、「人間の原罪」を見詰め考察し、その在処を探し求める、求道使的な生き方をした綾子に光世、宗教とは斯くも壮絶なものとは知りませんでした。でも私はもっとふしだらに生きて行きたい、小さな幸せを糧にして…。

もうそろそろ飽きて来た頃、妻があるパンフレットを持ってやってきました。この館に置いてあったもので、大雪山の紅葉の見頃を伝えたパンフレットでした。「ねえ、大雪山旭岳に行かない?紅葉が綺麗らしいよ」、そう言えば旭岳は大雪の山の中ではこの旭川に一番近い山、「紅葉か?好いね、行こう!」と私達は三浦綾子記念文学館を出て、大雪山旭岳へ向かいました。

白樺 紅葉
ロープウェイに乗り、旭岳を目指しました。この辺りは白樺林が多いのですが、もう既に散っており、白い樹皮が剥き出しになっていました。まあ、縁起は悪いですが、死化粧をしたような独特の美しさを魅せる白樺、新緑・黄葉とも素晴らしいですが、丸裸になった白樺ほど美しいものは無いと思っています。今回は好いものが沢山見られました。

大雪山の紅葉 大雪山の紅葉
寒地の山の中腹はやはり黄色が多いですね。本州のナナカマドは北海道では少ないようです。全山殆どが黄色、黄葉を堪能しました。

大雪山の紅葉 大雪山の紅葉
白樺と紅葉 大雪山の紅葉
大雪山の紅葉 大雪の紅葉
白樺と紅葉 
針葉樹と白樺の間に黄色の黄葉、今まで観たことがない、異次元の紅葉でした。

posted by 三上和伸 at 21:47| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

北海道漫歩34 三浦綾子記念文学館 2018.09.25

この旅の最後の朝、ホテルのビッフェで朝食を摂り、最初の観光は三浦綾子記念文学館と決めていました。キリスト教的な原罪をテーマとした「氷点」は私達の青春時代にブームを巻き起こしていました。しかしながら、ドロドロとした愛憎劇は私には不向きで、内藤洋子演じる陽子だけは密かに応援し、義母の新珠美千代には嫌悪を感じていました。それでもその新珠美千代さんは熱演だったそうで、新たな女優としての新境地を開いたとの評価を勝ち得たそうです。氷点、寒地・旭川らしい題名ですが、この氷点、その人間が自身の原罪の在り処を、自己認識する瞬間の心理状態を指すそうです。人は様々、そんな人の奥深くを垣間見ようとする作家、私には異次元の人ですね。

三浦綾子記念文学館 旭川市外国樹種見本林
三浦綾子記念文学館  旭川外国樹種見本林
小説「氷点」の舞台ともなった旭川外国樹種見本林の隣に建った三浦綾子記念文学館、綾子と夫で歌人の三浦光世の足跡や生涯が紹介され私達に感動を呼びました。病苦など、苦難の人生だったようですが、ベストセラー「氷点」を始め、多くの文学作品を世に送り出しました。良かったですね。
posted by 三上和伸 at 09:30| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

北海道漫歩33 大雪地ビール園のジンギスカン鍋 2018.09.24

旭川駅まで行って少し探しましたが、大雪地ビールありました。中々重厚な建物で、好い感じでした。料理が更に美味しければ尚更だったんですが、今一つでした。あの何年か前の北海道サッポロビール園で食べたジンギスカンが余りのも美味しかったので、その味が忘れられず、大雪地ビール園には、比べて可哀想でしたが、私には落第点でした。

ジンギスカン鍋 ジンギスカンのおにぎり
美味しかったのはここまで、この後にラム肉が焼かれますが、私の好みではありませんでした。あの日の失敗、ニッカから戻る際、何故札幌で降りてサッポロビール園に行かなかったのか?、それがこの日の失敗に結びつきました。あの日ジンギスカンを食べていれば、この日はここに来ていませんよね。何処かで旨いステーキでも食べていたでしょうに…  但し、妻はご機嫌でした。地ビール旨かったそうです。私、繊細な食通、あちら豪快な酒通、違いが大きいですね。
posted by 三上和伸 at 18:43| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月01日

北海道漫歩32 旭川の中秋の名月、くれたけイン旭川 2018.09.24

国道237号を北へ走り、大都会・旭川に入りました。流石北海道第2の街、広い大通りにビルの群れ、カーナビに従い、この日の宿泊ホテル・くれたけイン旭川に着きました。夕食は外食とし、明日の朝食だけを頼みました。ごく普通のビジネスホテル、部屋は狭いが落ち着いた雰囲気がありました。今回の旅の最後の宿、ゆっくり寝られるでしょう。

空は怪しげで何時降るかも判らなかったのですが、今宵の晩餐のお目当ての大雪地ビール園へ、ジンギスカン鍋を食べに向かいました。場所は旭川駅の直ぐ傍でした。都合15分ぐらい歩きましたかね。外観は素敵な大雪地ビール園でした。

中秋の名月イン旭川
NちゃんYちゃんと約束していた十五夜の月、幸運にも旭川のビルの谷間で観えました。雲間に滲んだ中秋の名月でしたが、思わず顔が綻びました。今宵寝る前にKさんにメールを打って、NちゃんYちゃんに報告してもらおうと心に誓いました。
posted by 三上和伸 at 22:55| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩31 美瑛の丘D 北西の丘展望台 2018.09.24

北西の丘展望公園
中々お洒落な展望台がありました。もう既に陽光は西に傾き、光線は鈍く、遠望も利かなくなりつつありました。この日はこれでお終いと、中の階段を上り、展望台に入りました。
美瑛の丘
これが美瑛最後の景色、正にお伽の国、水田主体の日本の村には無い、エキゾチックな田園風景でした。一つの故郷の風景として心に残りました。これから先、時としてこの風景を思い出す時が来るかもしれません。優しく、懐かしく、瞼の裏に滲んで観えるでしょう。
posted by 三上和伸 at 11:57| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩30 美瑛の丘C セブンスターの木 2018.09.24

ケンメリの木から少し北へ行くと今度はセブンスターの木、たばこのセブンスターの観光用パッケージに使われた柏(かしわ)の木があります。ブナ科の落葉樹なのですが、枯れた葉が翌年まで落ちず、新葉が芽吹いてから落ちる木なので、ユズリハの如く有り難がられる樹木です。広く大きい葉は芳香があり、柏餅に使われます。お馴染みの葉っぱですね。

DSCF9373[1].JPG
それほどの大木ではありませんが、確かな存在感を示しています。

白樺の並木道
近くには白樺の並木もあります。これも中々に美しい…

美瑛の丘 セブンスターの木と農地
パッチワークの路、メルフェンチックです。農作業は辛いでしょうが、美しい景色の中で出来る、遣り甲斐の笑顔が観えるようです。但しそれは、部外者の甘い幻想かしら…
posted by 三上和伸 at 11:45| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月31日

北海道漫歩29 美瑛の丘B カフェ・ツリーテラス 2018.09.24

ケンとメリーの木と感激の対面を果たし、私はその思いを心に刻め付けるために、このポプラの木と名車スカイラインGTを記念したカフェに立ち寄りました。ここでゆっくりコーヒーを楽しみ、ポプラを眺め、遥かなる46年前の思い出を噛み締めました。改めて今、CMソング・フォーク・デュオ・バズのケンとメリー〜愛と風のように〜を聴き直しました。青春でした。

カフェ・ツリーテラスからのケンメリの木
広い敷地、簡素なイスとテーブル、思う存分ゆったり出来るカフェテラスでした。視野に妻以外の人の姿が入らない場所、貴重な心の洗濯が出来ました。

ケンメリの木の子孫
あのポプラは壮健にに観えますが、既に年老いているとの事、ポプラの寿命はそんなに長いものでは無さそうです。従ってチャンと次世代のポプラが2本用意されていました。何れ移し替える時が来るかも知れません。代が代わったらもう一度、観に来てみたい…

ケントメリーのスカイライン
名車スカイラインGT、
これがケンとメリーのスカイラインです。22歳の私が憧れた車でした。まだ自動車免許も持ってない私でしたがね。
posted by 三上和伸 at 21:30| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩28 美瑛の丘A ケンとメリーの木 2018.09.24

1972年にスカイライン2000GTをケンとメリーのスカイラインと称してモデルチェンジをしました。先代の愛のスカイライン同様に売れに売れて、日産の主力車種になりました。日本中を旅行して回るコマーシャル戦略に乗り、北海道のこのポプラの木をケンとメリーの木と名付け、イメージキャラクターとしました。それ以来このポプラの木は人気を博し、絶え間なく観光客が訪れています。現在では駐車場もありカフェも出来、ドライブ旅行客としては便利になっています。パッチワークの路エリアの農地の間にスクッと立つケンメリの木、颯爽とした大樹です。

長く憧れていたスカG(スカイラインGT)のケンとメリーの木、積年の思いを果たせました。

ケントメリーの木 ケントメリーの木
学名のポプラの名は、僅かな風でも囁くように音を発するため震える、即ちポプラと名付けられたそうです。英名ではコットンウッド、綿毛の先に種子が付き、それが風で飛ばされます。兎に角大量の綿毛なので、道が綿毛で白く染まります。

ケンとメリーのポプラはイタリアポプラ(イタリアヤマナラシ)で、ポプラの仲間では最も秀麗な姿をしています。


posted by 三上和伸 at 17:45| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩27 美瑛の丘@ 四季彩の丘より 2018.09.24

美瑛の丘には二つのエリアがあるそうです。国道237号を挟んで、南東の区域がパノラマロードエリア、北西の地域がパッチワークの路エリアです。この双方のエリアには、展望公園が幾つかあり、モザイク画のような農地と十勝の山並みが眺められます。そしてパノラマロードには、かんのファームや拓真館、四季彩の丘などの施設があり、パッチワークの路エリアには、ケンとメリーの木やセブンスターの木など、嘗てのコマーシャル映像で使われた樹木が残っています。

四季彩の丘 美瑛の丘
四季彩の丘からのパノラマロードエリアの眺め
美瑛の丘とは即ち、稲、麦類、豆類、甜菜(テンサイ、サトウダイコン)、馬鈴薯、酪農飼料などを作付けする農地の風景を指す言葉だそうです。それらがキチッと作物ごとに区分けされて作られており、熟度の違いにより、モザイク模様を呈します。それを楽しみ、有り難がるのがこの地域の旅行の醍醐味と言えるのでしょう。極めて人工的な美しさですが、田園とはそう言うものでしょう。
posted by 三上和伸 at 16:45| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩26 にこにこ・きっちんのカツカレー 2018.09.24

美瑛・ニコニコキッチン ニコニコキッチンのカツカレー
美瑛町中心街を、レストランを捜し捜しして車を走らせていたらありました。全くの行き当たりバッタリのお店でしたが、大当たりでした。ガイドブックにも載っていない可愛いお店、お昼のラストオーダーでしたが、私はお定まりのカツカレーを注文しました。極めて家庭的な食堂でしたが、出てきた料理は✊、あのニセコノーザンリゾートアンヌプリのカツカレーを凌ぐ美味しさでした。これで¥600、正に完成度の高い、お値打ちの料理でした。
posted by 三上和伸 at 10:31| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

北海道漫歩25 白樺街道 2018.09.24

美瑛の町から青い池を通り越し白金温泉までの道を白樺街道と称しています。兎に角、沿道は果てし無く続く白樺の樹林です。快適なドライブの相棒は何時までも何処までも白樺なのです。白樺は本州では高山の樹木ですが、高緯度の北海道では何処にでも存在する当たり前の木です。本当に気持ちの良い白樺ドライブ街道でした。

白樺街道
車窓から見え続ける白樺林、何れ黄葉が訪れ、葉が無くなれば、白い樹皮が輝き出します。きっと素晴らしい光景が現れるでしょう。

追伸:この白樺街道の白樺の群生は、大正15年の十勝岳噴火後に自生したものだそうです。十勝岳が発した泥流の上に定着した白樺林だそうです。従ってこの白樺たちのルーツは92年前に遡る事が出来ます。新しい自然の遺産です。白樺は先駆性があるそうで、山火事や噴火泥流後に逸早く発芽するそうで、各地に白樺だけの林・白樺純林が観られます。
posted by 三上和伸 at 23:04| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩24 青い池 2018.09.24

美瑛白金・青い池 美瑛白金・青い池
美瑛白金にある青い池
活火山十勝岳が源流の一つとされている美瑛川。噴火による泥流で美瑛川の氾濫を防ぐため、この付近に堰堤(1989年)が設けられました。次第に川の水は堰堤まで流れ込み、小さな池になったそうです。それが青い池です。偶発的に生まれた人造池です。直ぐ傍には、美瑛川が流れています。

青の原因は、この付近の湧水には水酸化アルミニウムなどの白色系の粒子が含まれているそうで、本流の水と反応し、コロイド分散体が出来るそうです。そこを光が投射されると、青色の光線がコロイド分散帯に衝突して反射し、池水が美しい青色に観えるのだそうです。

立ち枯れの木と青い池の水、あの大正池の青版の美しい池が誕生したのです。発見(1997年)したのは近在のカメラマン、自身の写真集に依って、世に紹介されました。

posted by 三上和伸 at 22:36| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩23 美瑛・四季彩の丘 2018.09.24

富良野から旭川に続く国道237号線はフラワーロードであり、俗に花人街道237(はなびとかいどうにさんなな)と言うのだそうです。その中には風のガーデン、ファーム富田、日の出ラベンダー公園、フラワーランドかみふらの、上野ファームの五つの施設があります。唯これらの主な栽培植物はラベンダーなので、9月下旬では観られません。私達は無駄をせず、園芸栽培の花がパッチワーク状に咲き誇る四季彩の丘(しきさいのおか)を訪ねました。

四季彩の丘 四季彩の丘
四季彩の丘 四季彩の丘
四季彩の丘 四季彩の丘

サルビア、ハナビシソウ、マリーゴールド、ケイトウ、クレオメ、コキア、ペチュニア、ヒャクニチソウ、ダイリア、キンギョソウなどが咲いている巨大花畑を探勝しました。絵具を播き散らかしたような色彩美、全体が丘なので見晴らしが利いて、ホントに見事な眺めを堪能しました。
posted by 三上和伸 at 15:43| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩22 富良野六花亭からの景色 2018.09.24

旅先で勘違いばかりしている私達ですが、今回の旅での最大の勘違いは六花亭の庭園・六花の森がこの富良野にあると勘違いした事でした。本当は帯広にあるのですね。ひたすら疑わずに六花亭を探し回ってやっとの事で、富良野・六花亭に辿り着きましたが、そこは庭園などは無く、ワインを造るのでしょう葡萄畑がありました。泣く泣く女店員に聞いてみました。女店員「お客様、残念ですが、お客様が仰っている自然の花の庭園は、六花の森の事ですね。それはここではなく、帯広市の郊外にあるのです。是非お時間がおありでしたら出掛けてみてください」と六花の森のパンフレットを渡してくれました。私、茫然自失、落胆失望、これから帯広は無理、仕方なく、人が作った大花園・四季彩の丘に向かうことにしました。

富良野六花亭の眺め
富良野六花亭から観る北海道の脊梁山地
それでも富良野六花亭は素晴らしい展望がありました。雲が掛かっていて何の山だか判りませんでしたが、恐らく十勝岳当たりでしょう。あの彼方に北海道の屋根があります。
posted by 三上和伸 at 09:39| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

北海道漫歩21 芦別スターライトホテル 2018.09.23

旧暦葉月の十四夜の月
旧暦葉月の十四の月
翌日が十五夜、翌々日が満月の月模様、この日は良く晴れてスターライトホテルの屋上からご覧の十四夜の月が仰げました。しかしながら、月が余りにも明るいので、他の星は霞んでしまいました。火星、そして夏の大三角は良く観えましたがね。

お風呂は良かったですね。しかし食事は最低でした。ディナー、モーニングともビュッフェでしたが、料理は冷めており安直な造り、南伊豆もそうでしたがここもそう…、大きな造りの旅館はこれが限界なのでしょう。ガッカリでした。
posted by 三上和伸 at 21:35| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩20 ログハウス・サロンコンサート 2018.09.23

初め、私達は宝水ワイナリーへの道も迷ったのでした。どんなに電子機器が発達しましても、やはり人間の勘が必要と思われます。されど近年はその勘も鈍り気味、旅先の迷い道はどうにもなりませんね。ナビに頼れば増々勘が鈍り、ナビの無能さは勘では補えなくなっています。

メイプルロッジの紅葉  ログハウスの森 
メイプルロッジ前庭の紅葉と樹間の青い空
迷った挙句、私達は仕方なしにサロンコンサート会場近くにあるロッジハウス・メイプルロッジに行きました。お土産コーナーを見ていたら何と、宝水ワインが置いてありました。すかさずそこの女店員に尋ねてみたところ、女店員は宝水ワイナリーの場所を教えてくれました。そこで念願の宝水ワイナリーを訪ねる事が出来たのでした。

宝水ワイナリーを出て、午後にサロンコンサート会場のログハウスに着きました。このログハウスはこのコンサートの企画をした一員のオーナーのものでした。このオーナーさんは自らの生活空間のログハウスを提供してくださったのでした。

ピアノはやや古いですがヤマハのG3号、2本ペダルのやつでした。それでも確かな調律がなされていて、音質も良かったですね。窓の外には林が…、素晴らしい背景でコンサートが始められました。

ご挨拶   ヴァイオリンとピアノのアンサンブル
曲目はA・ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」、温かく可愛い曲です。本来はチェコ語の歌曲だそうです。

三上夏子、ピアノ演奏
ピアノ・ソロでは、モーツァルトのピアノソナタ第13番変ロ長調K333を演奏しました。清楚ながら無邪気な曲、モーツァルトの一面を良く表した曲です。夏子は透明な響きを通して、モーツァルトの無邪気さを表現しました。

余興には恵・夏子のバロックダンスが踊られました。大喝采でした。

音楽紙芝居、新聞に載りました
地元の小学校で行われた音楽紙芝居「ブルクミュラーの冒険」、話題を集めたようで、地元の新聞の取材を受け、紹介されました。三上夏子の作品として、誇りある1ページを開きました。
posted by 三上和伸 at 21:14| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月24日

北海道漫歩19 宝水ワイナリー 2018.09.23

田舎は区画が広いのですね。ですからカーナビが細かく機能しないのです。特に新参のお店などは尚更です。宝水ワイナリー、再び迷い道に嵌りました。やっとの事でヤケクソで見付けた先には、特上のソフトクリームが待っていました。逸品の味に溜飲を下しました。

葡萄ソフト
ワイナリーですから、葡萄の生産者なのですね。従って美味しい葡萄ジュースもあるのです。濃縮された赤ブドウのエキスの中のソフトクリーム、葡萄の香りで食べるソフトクリームですね。

宝水園の葡萄
直ぐ傍には葡萄畑がありました。見事に黒い実が付いています。これが赤ワインになるようです。北海道は雪解けから秋に向かって、葡萄の生育期間が短いそうで、工夫が必要との事でした。されど葡萄作りに適した気候だそうで、良いワインが出来るそうです。害虫も少なさそうですしね。唯、野鳥だけは被害が多いようです。この時点では、まだ収穫前だそうで、規則的に空砲を撃って撃退していました。

宝水ワイナリー
宝水ワイナリー
映画のロケ地にもなったとかで、中々レトロな雰囲気を醸し出しています。丘の上の一軒家醸造所、赤い屋根がメルフェンチックです。

群雲と青空 田園
遮るものがない、天高く広い丘、長閑な北海道の景色が連なっています。

ノコンギク カワラボウフウ
ノコンギク(キク科) カワラボウフウ(セリ科)
空き地には野の花が咲いていました。秋ですから秋の代表的な花がありました。セリ科のボウフウは、レース編みのような花、小さい花が固まって咲きます。涼しげです。

posted by 三上和伸 at 20:48| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩18 三笠天然温泉太古の湯 2018.09.22

ニッカウヰスキーを出て、小樽で札樽道に入り、札幌から一路、道央三笠インターに向かいました。小樽、積丹、ニセコ、余市と最高の旅をしてきましたが、そろそろエネルギーが消耗気味となり、今一つポジティブな発想が欠けてきました。車中妻が提案をしました。「札幌で降りてサッポロビール園に行かない?」、ところが私はその提案に触手が動きませんでした。兎に角疲れていたのでした。大都会札幌の迷路を泳ぎ、目的地に着くのが億劫となっていたのでした。一気に三笠インターまで走らせ、三笠温泉太古の湯に到着させました。

太古の湯は期待したほどの施設ではありませんでした。スーパー銭湯紛い?の物量作戦の温泉、大きな風呂に、大勢の客、私は落ち着きませんでした。以前から秘湯の宿を巡って来た私には楽しめませんでした。人の裸ばかりにぶち当たる、大嫌だ、もっと自然を感じながら静かな湯浴みがしたかったのでした。

夕食は出来合いの料理、美味しかったのですが、写真を撮り損ねました。それだけ私は気持ちが沈んでいたのでしょう。燃え上がる情熱が希薄でした。部屋は落ち着いた好い部屋でした。兎に角、休みたい一心でした。

太古の湯の朝食
ごく普通のブュッフェ。それでもこれは悪くなかったです。ある程度の品数があり、普通の食事が出来る、それだけで有り難いですよね。ここでも牛乳が美味しかった!

休む願いは叶えられました。一晩で再びの情熱が蘇りました。この日は我が娘夏子の出演するコンサートがあります。この旅の一つの目的であったコンサート、楽しみを前に、ホンの前座の楽しみ、北海のワイナリー、宝水ワイナリーを訪ねる事に決めていました。本当は150万本の向日葵が咲く北竜町の「ひまわりの里」を考えていたのですが、問い合わせたところによると豈図らんや、「もう全て刈り込みました」ですって…。従って妻の好物がある宝水ワイナリーに決めたのです。
posted by 三上和伸 at 17:00| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩17 ニッカウヰスキー余市蒸留所 2018.09.22

有島記念館の波紋音(はもん)の演奏に心を残しつつも、私達はニッカウヰスキー余市蒸留所を目指しました。倶知安経由で国道5号を爽快に走れば、あっと言う間にニッカウヰスキー余市蒸留所へ到着しました。ところがその後が大変でした。工場入門の大渋滞があり、暫しニッカを目前にして立往生しました。平日なのにこの騒ぎ?、ドラマ・マッサンの人気は衰えていませんね。

ニッカウヰスキーは、ウィスキー製造者・竹鶴政孝が1934年に北海道余市に設立し、初めは大日本果汁株式会社としました。ウィスキーは製造年月が掛かるため、最初は地元で造られていた林檎を使って、りんごジュースを製造販売していました。やがてウィスキーの期も熟し、ウィスキー販売が始まりましたが、そのブランド名はニッカ、はてさてニッカの名にはどんな謂れがあるのか謎が残りますね。それは誠に唐突で意外な謂れ。ニッカウヰスキーのニッカは、大日本果汁株式会社の名を短縮して日と果を取り、ニッカとなったのでした。ニッカ、ハイカラな名前と思いきやトンデモナイ、単なる短縮語なのでした。味噌はカタカナ語にした事ですね。ニッカ、旨そうな好い名前です。日果としたら、まずそうでダサいですね。
ポットスティルのオブジェ
ポットスティルのオブジェ
ウィスキー製造過程の心臓部がこのポットスティル、この蒸留器から滴り出た命のアルコールがウィスキーとなります。下戸の私ですが、ウィスキーの香りは好きですね。

旧竹鶴邸
旧竹鶴邸
ここでリタと政孝の甘い生活がなされました。まあ、勇気がある二人でしたね。大正の昔の国際結婚、リタ(ジェシー・ロベルタ・カウン、スコットランド出身)は頑張りました。

貯蔵庫
貯蔵庫の一つ、国の登録有形文化財
日本とは異なりますが、好い景色ですね。西洋が感じられます。

リタハウス
リタ・ハウス
ブレンド技術の研究に使われた建物ですが、とてもそうは思えません。頭には???が浮かびます。竹鶴リタの名が何故研究室名に…。それでも一時期、ここではイギリス伝統のアフタヌーンティーが行われ解放されていたようで、イギリス・スコットランド女性の奥さんに因んだ名となったのでしょう。リタさん、ドラマ・マッサンに描かれた女性とは少し違うように伝わっています。優しくて大人しい女性だったそうです。一度里帰りをしていますが、その後は日本で夫を支え頑張りました。政孝より先に死んだようです。政孝は泣き暮らしたそうです。

セルフタイマー撮影所
セルフタイマー写真の場
私達も失敗しながら撮りました。1枚だけ成功しました。

蒸留棟        ポットスティル
国の登録有形文化財です。ここでモルト・ウィスキーが出来上がります。

樽材の展示
ウィスキーの樽材
ミズナラのようですね。
posted by 三上和伸 at 11:02| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

北海道漫歩16 有島記念館 2018.09.22

狼狽え迷えどもミルク工房の目的を果たした私達は、意気軒昂に次の目的地の彼の文豪・有島武郎(ありしまたけお)の有島記念館へ急ぎました。今度はしっかり行き先を入力し、比較的細いくねくねした農道紛いの道を走りました。北海道の直線道路ではなく曲がりくねった道、私は反ってこのような道に好感触を得ました。

道の両側に白樺を植えたアプローチ、中々お洒落な記念館でした。北海道らしい雰囲気が横溢していました。何か好い気分になりますね。殆どこの作家に興味が無くとも…。一つの文化的行楽地として楽しめますね。

有島武郎
或る女、カインの末裔、生まれ出づる悩みなどの作品がある明治・大正期の小説家、白樺派の文豪として名を成しましたが、生来の気質からか、妻の死後、幼い子を残して、人妻(波多野秋子・雑誌編集者)と心中、子細は解りませんが、秋子から誘われて死んだのだそうです。

ニセコの大地主(父親から受け継いだ)でしたが、それを小作人に分け与えたとか、この時期は共産主義に染まっていたからとの見解もあります。

有島武郎記念館と羊蹄山
羊蹄山が観えています。素晴らしい背景をもった有島記念館。この日は音楽イベントが行われていまして、無料でしたので、暫くの間、聴かせて頂きました。面白かったですよ。楽器は何と鉄の筒、波紋音(はもん)と言う楽器を使ったコンサートでした。この楽器の奏者としては有名な永田砂知子さんが演奏者でした。初めて観る打楽器でした。神社仏閣にある鐘の延長線上にあるものと思えば想像が付くかもしれません。正に余韻の長く深い音響、清らかな音の氾濫と言ったら言い当てられるかもしれません。好い気持ちになり、癒されました。お恥ずかしいですが音楽を聴いていて、久し振りで居眠りをしてしまいました。されど旅路が待っていました。妻に促されて、心残りながらそこを立ち去りました。
posted by 三上和伸 at 09:00| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

北海道漫歩15 ニセコ高橋牧場ミルク工房 2018.09.22

大海に浮かぶ笹舟の如くアッチにフラフラ、コッチにフラフラ、終いには違う高橋牧場の牧徒に尋ねれば、「あっ、それはミルク工房の事でないの?、もう一寸行って、右折して左折すればあるよ!」と教えられ、教えられた通りに行けば、見えて来ました“高橋牧場ニセコミルク工房”。やっとの事で長い迷い道から解放されました。

高橋牧場ニセコミルク工房
ミルク工房全景
何を隠くしましょう…、このミルク工房は我らが宿・ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリの直ぐ傍、私達は飛んでもない別世界の旅路に迷い込んで蠢いていたのでした。気に恐ろしやナビの怪!
ニセコアンヌプリ
ニセコアンヌプリ(1308m)
ミルク工房はニセコアンヌプリの麓にありました。周囲は山に囲まれています。真向かいには、ニセコアンヌプリ、東に羊蹄山、昨日のような快晴であれば、間違いなく私達はニセコアンヌプリ頂上から羊蹄山の絶景を観ていた事でしょう。頂上付近を遠望すれば、ロープウェイの鉄塔とロープが観えており、その夏用のゴンドラの姿が想像されます。きっと私達はそのゴンドラの高い料金を払っていた事でしょう。この曇天(初めは小雨)では確かな眺望は得られませんし、時間とお金の無駄としてアンヌプリ登頂は割愛しました。

 羊蹄山
羊蹄山(1898m)
ニセコアンヌプリ山麓の広大な草原、その奥遠く頭に雲を乗せた羊蹄山がありました。成層火山の穏やかな山容、富士山を小さくした山の形ですね。北海道では名山の誉れ高い山です。大雪・トムラウシ・日高山系に次ぐ標高を持っています。
広大な敷地を持つ高橋牧場。牧場の施設は一番奥にあります。工房で販売されるお菓子類は全てこの牧場の搾りたての牛乳で造られているそうです。私達はホルスタイン牧場で牧場を満喫?したので牧場探索は割愛、ここではバームクーヘン工房、チーズ工場、自然工房・ニセコの森&トンボ玉工房のニセコの風、及びニセコ野菜耕房’s、そして売店があるミルク工房本店を覗きました。

ニセコの森&ニセコの風、ニセコ野菜耕房’s、バームクーヘン工房
ここではNちゃんYちゃんにお土産を買ったのですよ。フクロウさんの孫の手、孫に孫の手なんて可笑しいですね。

バームクーヘン、美味しそうでした。でも何でも買ってはお財布が空になって仕舞います。我慢が肝心な時もあるのです。

 ロールベールラップサイロと耕運機
左がロールベールラップサイロ、右がそれを造るベーラー。
現代酪農畜産では、大きな塔型のサイロではなく、簡単なロールベールラップサイロが使われています。青草を円筒型に密閉ラップ(ポリエチレンラップ)し、サイロを作るを機械が使われているのです。干し草飼料が簡単に造られるようになったのだそうです。

シュークリームと飲むヨーグルト
ニセコノーザンリゾートアンヌプリの朝食をしっかり食べたので、二人ともお腹が一杯でした。ミルク工房にはレストランやカフェがありましたが、ここでは飲むヨーグルトとシュークリームで済ませました。本場の味、✊グー
posted by 三上和伸 at 14:26| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩14 ホルスタイン牧場の風景 2018.09.22

ドライブ旅行の年中行事?、カーナビゲーションシステムへの対応の悪さ。小樽まではスムーズでしたが、積丹→ニセコでは数か所で右往左往、しかし大事には至らずに、ここまで来ましたが、愈々出ましたエヤーポケット、何処へ案内されるのか疑心暗鬼、超便利なものですが、時として恐ろしい牙を剥きましたね。レンタカーの中にも書かれてありました。「ナビへの苦情は一切承りません」と。

ナビへの入力が悪うございました。高橋牧場は高橋牧場なのですが、そこへニセコミルク工房と打たなくてはならなかったのですね。各地?の高橋牧場に案内され、ニセコ・真狩間を往復させられてしまいました。

このヒルウッドホルスタインズ牧場もそうです。恐らくここも高橋牧場なのでしょうが、我等の目的地とは大分様相が違いました。やれやれ… それでも好奇心の塊の私、車を降りて一応探検、人はいそうでしたが、誰一人出て来て私達を案内してくれませんでした。

HILLWOOD  HOLSTEINS 牧場
ヒルウッドホルスタインズ(丘と森のホルスタイン達?)と書かれている牧舎、中は倉庫のようでした。

それでも裏に回れば居ました。ホルスタイン種の乳牛です。ホルスタイン種はオランダのフリースラント地方で作出された乳牛、ドイツのホルスタイン地方で改良された優良な種です。ホルスタインと言えば北ドイツ、大作曲家・ブラームスのルーツでもあります。白地に黒の斑、年間の1頭当たりの搾乳量は5000キログラム以上だそうです。

干し草倉庫・サイロ
サイロ
青草をこの塔の中に密封し、嫌気性菌の働きにより醗酵させ、腐敗を防ぎ、栄養価を高めます。この飼料製造工程が、その牧場の真価を表します。立派なサイロがありました。

posted by 三上和伸 at 10:23| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月18日

北海道漫歩13 真狩村(まっかりむら)の名水 2018.09.22

真狩の湧水 真狩の湧水
真狩村の湧水、手前の蛇口から水を汲みます。溢れた水は透明の流れとなって沢をつくります。

またしても何時もの事で、カーナビに振り回されて時間を浪費してしまいましたが、高橋牧場には辿り着けず、何と羊蹄山の南側の真狩村の湧水の郷に至ってしまったのでした。湧水はここではなく、ニセコの甘露水を目指していたのですが、昨夕の暗い中で見付けられず、諦めていたのでした。まあ、ニセコの水と羊蹄山の水、違いはありますが、天然のミネラルウォーターに違いはありません。ここでも良しと、有り難くペットボトルに汲んで、この日の水分としました。ニセコ山、羊蹄山、折角銘水処に来て喉を潤さずに帰っては申し訳が立ちませんからね。来た甲斐がありませんから…。
posted by 三上和伸 at 21:27| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月17日

北海道漫歩12 ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリホテル 2018.09.21

あれほど素晴らしかった空模様も、午後からは下り坂、とは言っても雨は降らず、鉛色のどんよりとした空に代わりました。最早観光どころではなく、ひたすらホテルを目指しました。

神威からは国道229号・カブトラインを南下し岩内へ、岩内からはニセコパノラマラインでニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリまで、ほぼノンストップで走り抜きました。途中には岩内の円山展望台やニセコの神仙沼と言う一級の景勝地もあったのですが、もう私達は積丹の海で満腹となっており、疲れもピークに達していて、唯々ホテルで休みたいと願っていたのでした。

ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリホテル
ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリホテル
世界屈指のスキーリゾートであるニセコ。当然宿も沢山あり選び放題でしたが、如何せん冬用のホテルが大半であり、私共も少し戸惑いました。唯、着いてみれば郷に入っては郷に従うで、普通のビジネスホテル感覚で寛ぎました。

ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリのバー
ホテルのバー
私達は夕食を食べ損なっていて、ホテルに相談したところ、¥4,000のブュッフェがあると聞きました。レストランはブュッフェのみのようでした。そこで相談、「一品料理を食べさせてくれないかしら?」、「好いですよ、品数は少ないですが、サービスできます」。そこで私達が提供された食事処は、このホテルのバーでした。バーの開店はやや遅く、それまではカフェとして営業しているそうで、私達はここで夕食としました。庭の白樺林が背景として観えるバー、限りなくリラックスできました。

ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリのカツカレー ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリのクラブハウスサンドウィッチ
カツカレーにクラブハウスサンドウッチ
島武意の断崖海岸の上下行、神威岬トレッキングの往復行、私達は疲れ切っていました。「今日は遣り過ぎだね」、「明日は筋肉痛が出るね」。「ゆっくり温泉に浸かって、寝坊をしよう」。食欲も低く、これで丁度良い分量でした。

ニセコ・ノーザンリゾート・アンヌプリの朝食
朝食はビュッフェ、牛乳が特別に美味しかったですね。北海道は乳製品が好いですね。他に炒り卵、ソーセイジ、パン、そしてシリアル。西洋人向けのホテルですからシリアルもありました。私の普段の朝食ですからね、シリアルは…。

物凄い筋肉痛、やっとの事で歩いている有様、少々運動不足でこの旅を迎えてしまいました。それでも、この日は比較的楽な日程、ニセコ界隈の牧場や有島武郎記念館、それにニッカウヰスキー工場、まあ前日に比べたら遊んでいるようなもの、楽勝ですね。
posted by 三上和伸 at 21:44| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月16日

北海道漫歩11 しゃこたんブルーB 神威岬 2018.09.21

旨い刺身で腹を満たして爽快にドライブ。県道913号から再び国道229号に合流して神威岬をフロントガラスに捉えながら走ると、沿道の風景が一変しました。樹林が少なくなり草原となり、天が広く高くなり、急に明るい陽光が降り注いで来ました。どうやら神威岬の半島の付け根に来たらしいのです。愈々、本日のメインイベント・神威岬に到着しました。思った以上に駐車場は広く立派なレストハウスもありました。

神威岬案内板
神威岬案内板
牛や羊を放牧しているのではないのですが正に牧場のような草原、岩稜の丘が風雪に晒された結果として樹木が生えず草原になっているのです。だから素敵な事に、本州以南では高山に咲く野花達が道端を彩ってくれているのです。私の大好きな花達、感動でした。

エゾカワラナデシコ ハクサンフウロ
エゾカワラナデシコ  ハクサンフウロ

アキノキリンソウ   ツリガネニンジン

ハマナス(浜梨) ヤマハハコ
ハマナス       ノコギリソウ
歩き出すと道端は高山のお花畑となります。直ぐ海なのにハマナス以外は海の野花でなく、山の花が咲いているのです。もっと北の礼文島も同じような高山植物が群れているそうです。神威岬、小さな礼文がありました。

光る海
西側の海。既に陽は西に傾き始めており、私の大好きな光る海が実現されていました。陽光が容赦なく照り付け、海だけでなく、丘や草原にも降り注ぎます。眩しい…、サングラスが必携でしたが、遅かりし由良之助、顔、腕は真っ赤に焼けました。夜のニセコの温泉が肌に染みました。

神威岬山門
女人禁制の地・神威岬
神威岬、神宿る神霊の地と言うことで、嘗ては女人禁制だったそうです。危険な地でもあるので、それは当然と言えば当然ですね。でも現代の私達には通用しないもの、老?若男女、頑張って往復1時間の海岸トレッキングを楽しみました。

目指せ神威岬
殆どがこのような階段状の尾根道、アップダウンの連続、険しい事夥しい…。焦らずにゆっくりと歩む以外に老骨の身には進む方法がありません。兎に角転ばないようにしないといけません。救急搬送だけは避けるように心がけ歩きました。

しゃこたんブルーの素晴らしい海の色、遠くは藍色、山影は蒼色、渚はライトブルーにエメラルドグリーン、正に千変万化する海の色、この多様な海の色をしゃこたんブルーと称するのですね。

悲劇の海、水無しの立岩、念仏トンネル
これは岬半島の中間部にある岩礁地帯ですが、何と昔はこの渚をぐるっと回って岬灯台と余別の町を往来していたのだそうです。

大正元年(1912年)10月29日、神威灯台長夫人と灯台補助員夫人、そしてその3歳の次男がこの岩礁帯を巡る際、高波にのまれて亡くなったのだそうです。それから地元民はこの岩礁帯を回らずに通れるトンネルを掘る事に全力を尽くしました。念仏を唱え鐘を打ち鳴らしながら掘り進むにつれ、とうとう大正7年11月8日に開通となり、その名を念仏トンネルと称したそうです。義経伝説の女郎子のように、無慈悲な自然の驚異に晒された二人の婦人と幼子、神威は悲劇に覆われていました。

半島の根元 薄原の階段
来た道を振り返る。連綿と続く神威岬半島。中央の尾根伝いの道は「チャレンカの道」と名付けられました。この道があったなら、三人の悲劇は起こらなかったでしょうに…。灯台守家族の壮絶な苦難は無かったでしょうに…。

神威半島の草原帯、薄の原が連なります。その先が岬半島の付け根部、そして更に先に薄っすら浮かぶのが積丹岳に余別岳。両山とも1,200m峰です。

険しい岩山と裸の岩塊、賽の河原風の景色が続きます。

愈々岬先端に近づきつつあります。眼前の岩山を越えれば、岬灯台、そして最先端に連なる義経伝説の神威岩に到達します。あと一息です。

神威岬灯台
明治21年(1888年)8月25日に北海道で5番目の灯台として初点灯されました。現在は無人化されています。

神威岬先端と神威岩 神威岩
神威岬と神威岩
この絶佳の風景が、義経・ジンギスハン伝説を生みました。地図上で、この真っ直ぐ先を辿れば、ユーラシア大陸であり、モンゴル帝国です。女郎子・シララ姫の願いを振り払って源義経はモンゴルに渡ったのです。

posted by 三上和伸 at 21:48| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月10日

北海道漫歩10 お食事処・積丹の幸・みさき 2018.09.21

島武意を出る前、予め中りを付けていた人気食事処の“みさき”…。予約はしていなかったのですが平日でもあり、この時期は名物の生ウニは禁漁となっており、混雑は無いとみて訪ねました。確かに生ウニの丼(¥3,000〜)は食べられなかったのですが、空いた名店で緩々と、美味しい刺身を食べられました。夫婦共々大満足の昼食となりました。

積丹の幸・みさき 刺身定食
積丹町日司町(ひづかまち)の積丹の幸・みさき。恐らく積丹ではbPのお店、生ウニの季節(7〜8月)は大行列が出来るそうです。私達は楽々空いた店で、幸福な食事が得られました。

刺身定食。生蛸、甘海老、帆立貝貝柱、帆立貝の紐、鮪赤身、そして白身魚(聞きそびれました)の刺身。臭み無しの新鮮なもの、舌触りに歯応えが素晴らしい…。烏賊の塩辛も乙な物。
posted by 三上和伸 at 23:00| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩9 しゃこたんブルーA 島武意海岸 2018.09.21

美国港から再び雷電国道(R‐229号)を北上し、積丹半島の最北を目指します。やがて途中国道を右に折れ、県道913に入ります。この道こそが積丹岬へと通じているのです。案内板の島武意海岸(しまむいかいがん)の標識を落とさずに右に折れるとあと一息、島武意海岸の駐車場に到達します。一般車はここが行き止まり、車を降りて案内板に向かいます。この旅の一つの目的地であった島武意海岸、日本の渚100選に選ばれている飛び切りの海の景勝地です。

案内板を観て私は愕然としたのでした。相変わらずの予習不足で、この海岸がこれ程規模の大きいものだとは思っていなかったのでした。ここを100%楽しむには一日掛かりだなと思いました。時間割を気にしていない妻は、この案内板を観て全部回る気でいました。「冗談じゃないよ!、そんな事をしたら夜になっちゃうよ!」。“女郎子岩(じょろっこいわ、シララ姫)”に思いを残しながらも全行程は避け、200m近くある断崖遊歩道の往復だけにしました。シララ姫、源義経に纏わる伝説があるらしいのです。頼朝に追われて北へ逃げ延びた義経は、何と平泉では死なず、この北海道の神威岬から大陸に逃れたのだそうです。英雄色を好む。その時、アイヌの娘シララ姫と愛を交わしたのだそうです。シララは旅立つ義経の船を追い、岬の岩を幾つも飛び越えたのですが遂に入水、そしてその海中から突然女郎子岩が飛び出したのだそうです。島武意の女郎子岩はシララ姫の化身だそうです。

断崖ばかりの険しい海岸、内陸から海辺に出るのが難しい積丹の海です。ですから初めは何と人道のトンネルです。観光客には足の弱い人も沢山います。登山をして山を越えるには余りにも過酷です。そこで人道トンネル、バスや車を遠ざけるにはこれしか無かったのですね。

島武意海岸
これがトンネルを抜けて初めての景色、大小の様々な形の岩峰がばら撒かれた海岸です。この色がしゃこたんブルー、透明でライトなブルー、正に蒼い宝石の海です。日本海は穏やかな海でした。風が無い麗らかな陽気、我等は幸運でした。

葛折れの断崖の道を中ほどまで下った位置に来ました。海は増々透明度を上げ、蒼く輝いています。写真は左から北方面、真ん中、南方面、もう惚れ惚れと眺めるしかありませんでした。

島武意北部 屏風岩 積丹出岬
            屏風岩      出岬 
浜は砂ではなくゴロタ石でした。当然ですよね、山山山、岩岩岩、周りに川が無いので、砂は集まらないのですね。波に削られ磨かれた丸いゴロタ石、波打ち際まで行きましたが、その歩き難い事。されど転ばずに二人して、水に触れました。沢水のような冷たさは無かったですね。ご覧のように、殆ど人が観えません。200mの高低差を上下する客は余りいませんでした。

ツリガネニンジンの仲間のようですね。北国の海岸は積雪と強風で、余り木が育たないのです。従って野花の天国となります。神威岬もそうでしたが、我らが知っている山の花が、ここでは海風に揺れています。突然の逢瀬、私は歓喜に咽びました。

トンネルを潜って駐車場に。次は神威岬、でもその前に海鮮の食事です。




posted by 三上和伸 at 17:15| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

北海道漫歩8 しゃこたんブルー@ 水中展望船・ニューしゃこたん号 2018.09.21

午前8時半に小樽を出発して国道5号線を西進、直ぐの余市は明日に回して余一を通過し国道229号線へ。今度はひたすら北上し、トンネルと断崖上を走る素晴らしい景観道路・シリパライン(シリパ岬)を行けば、やがて水中展望船・ニューしゃこたん号の発着場がある美国(びくに)漁港に着きました。是非とも海底探検をしたいと思い、この船に乗り込んだのでした。

ニューシャコタン号操舵室 イカ釣り船
ニューしゃこたん号の操舵室、出港と同時にイカ釣り船が港内に入って来ました。その寄せる波がニューしゃこたん号にぶち当たり、暫く落ち着くのに手間が掛かりました。波消しブロックの先を抜けると、日本海の大海原に出ました。

漁港近くにある宝島、特異な形をしていまして、ドローン撮影をすれば、右の写真の景観となります。ハート形の楽しい無人島です。

これが”しゃこたんブルー”の海の色です。水中展望の際、アナウンスで教えてくれたブルーの意味、それは海底の岩に付着する石灰分の所為だとか。白い石灰分がサンゴ礁と同様の色の変化をもたらすそうです。透明でライトなブルー、美しいですね。

この船は時期的なものもあるのでしょうか、水中は面白くありませんでした。ウニの幼生や小魚が群れてはいましたが、サンゴ礁の海のような神秘的な景観はありませんでした。それでも、船上からの断崖海岸の絶景は余すところなく鑑賞できましたし、海鳥への餌やりも出来ました。一種の興奮がありますね、飛ぶもの相手ですと。空中のパンの耳に食らいつく逞しいカモメ、カラスも交じっていました。

ハマナス ハマナスの実
ハナナス(浜梨)花、優しい薄紅 実、透明感滴る朱色 
漁港の空き地に群生していました。ハマナス、北海道では何処にでも生えています。




posted by 三上和伸 at 22:47| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月08日

北海道漫歩7 日本郵船小樽支店、田中酒造本店、手宮線遺構、積雪地の信号 2018.09.21

運河散策の後と翌朝の麟友朝市探訪の折にこれらを訪ねました。ホンの一時の振れ合いながら楽しめました。小樽は人を飽きさせませんね。次から次へと優れた風物が現れます。短い時間でしたが、多くを学びました。
急日本郵船小樽支店
旧日本郵船株式会社小樽支店
1885年に創設された船会社。三菱グループの旗艦会社。北海道開発の中心となった小樽の発展に船会社として貢献しました。旧日本郵船小樽支店のこの建物は明治39年に落成、昭和44年には、国の重要文化財に指定されました。近世ヨーロッパ復興建築様式の石造二階建ての建築です。

田中酒造本店
本店店舗は昭和2年(1927)に建てられた木造二階建ての建物で、小樽市の歴史的建造物に指定されています。店舗内部は昭和レトロの風情に溢れた美しい佇まいを魅せています。試飲(利き酒)が出来まして、妻は何種類かの日本酒を利いていました。1本買いましたよ。

管営幌内鉄道手宮駅
手宮線の遺構
北海道では最初の鉄道で、官営幌内鉄道の一部として1880年に開通したそうです。手宮(小樽港)ー札幌ー幌内(三笠、空知炭田)を結び、主に石炭を運搬していました。

寒地向き縦信号
積雪地の信号、縦式ですね。
posted by 三上和伸 at 22:31| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

北海道漫歩6 小樽の歴史的建造物・倉庫群 2018.09.20-21

明治・大正・昭和期の小樽は、北海道の玄関口として栄えます。開拓地入植の入り口として人が行き交い、膨大な量となった石炭や農作物に海産物の出入で、海運が盛んとなりました。やがて手狭になった小樽港の効率化に伴い、運河、そして運河を囲む倉庫群が建てられました。今日海運は下火となりましたが、残された運河と倉庫群の遺構が大きな観光資源となり、小樽は再び栄えています。

旧小樽倉庫・運河プラザ 鯱(シャチホコ)
現在はお土産屋などがある運河プラザと、小樽市博物館に使用されています。屋根にはシャチホコ(鯱)が飾られ、航行の安全の象徴とされています。

小樽運河bP・澁澤倉庫
地ビールのビアホールなどに改築された倉庫、蔦が絡まり秋には紅葉し美しい、正に小樽運河の象徴と言えます。

急渋沢倉庫跡のゴールドストーン 倉庫ライブハウス・ゴールドストーン
倉庫ライブハウス・ゴールドストーン・旧澁澤倉庫
倉庫がライブハウスに変身したのです。本格的な音響設備を整えて生れ変わりました。これは画期的な建物です。中にはカフェもあり、お洒落なライブハウスです。

DSCF9042[1].JPG DSCF9044[1].JPG
旧右近倉庫
明治20年に完成した倉庫、柱や梁は木造、壁が石造、大きな倉庫です。

倉庫の屋根と十一屋の月
倉庫の屋根上に昇った十一夜の月、北の倉庫街に詩情が溢れます。



posted by 三上和伸 at 21:49| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道漫歩5 小樽麟友朝市の朝食 2018.09.21

麟友朝市の朝食・天丼 麟夕朝市のサンマ焼きとサンマ刺身
宿泊したビジネスホテルには朝食をリザーブしていなかったので、早起きをして散歩(20分)がてら、昨日知り得た麟夕朝市(朝4時から)での朝食を目指しました。お腹ペコペコだってので、早速食堂に入り、上記の品を注文しました。

左が私の注文した天丼、右が妻の注文の秋刀魚焼き定食。魚介に少し難のある私は迷った末に、昨晩と同じような天婦羅ご飯に…。魚介大好き人間の妻は、旬の秋刀魚定食にしました。秋刀魚の刺身も盛られてありました。

天丼、見た目は今一つでしたが、口に入れてみれば「あら、美味し!」。ご飯の上には、サクサクした海老天が2本、白身の魚、後は当たり前の野菜天が乗っていました。味噌汁も中々...、朝から美食をしました。

食べ終わってからはゆっくり市場の魚の品定め、少しの乾物を買って、NちゃんYちゃんRくんにホッケの開きを郵送で贈り、我が家には茹でタラバガニを一尾送るよう頼みました。親切な客あしらい、気分よくブラブラ散歩で、ホテルを目指しました。
posted by 三上和伸 at 11:08| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月06日

北海道漫歩4 花ごころの海鮮料理 2018.09.20

小樽地ビール・小樽倉庫bP 小樽地ビール小樽倉庫bPイベントバンド
旅すれば、可笑しな場面に出くわす事も度々あります。ナイトクルージングで知った運河倉庫の地ビール園(小樽倉庫bP)で、¥1000飲み放題のイベントが行われていました。それを知った妻はもう行く気満々、私もドイツ料理で腹を満たすのも悪くないとここを訪ねたのでありました。しかし魅力のあるものには裏があります。訳も分からずチケットを買ったまでは良かったのですが、ビールを注いで貰うまでに長蛇の列、席は完全に満席、これではビールを注いでもらっても立ち飲みするしかありません。私たちはやっとそのヤバい混雑のカラクリに気が付き、チケット代を払い戻させました。皆が飲んでる旨そうな地ビール、さぞかし妻は残念至極であった事でしょう。

花ごころ小樽店(旧安田銀行小樽支店) 旧安田銀行小樽支店
気を取り直して、初め候補に挙げていた素敵な海鮮処に仕切り直しをしました。この店は小樽市指定建造物で、嘗ては安田銀行小樽支店でした小樽を代表する建造物の中にあります。戦前が安田銀行、戦後は富士銀行が入り、その後は新聞社の社屋になりましたが、近年はこの花ごころが海鮮の食事処を商っています。ギリシャ様式の建築物の中で海鮮料理、安価ながら高品質の美味しいお店でした。

花ごころのお摘みセット
海鮮や特産品の色々
ハムやチーズにローストビーフ、イクラに烏賊の塩辛、旬の香の物などが並んでいました。妻はこれを肴にチビリチビリ、数種?のアルコールを楽しんでいました。

花ごころの握り寿司 花ごころの天婦羅
私はこちら、8貫の寿司に海老や野菜の天婦羅。上品な姿と風味、北海道最初の晩餐、堪能しました。
posted by 三上和伸 at 21:27| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月05日

北海道漫歩3 小樽運河ナイトクルージング 2018.09.20

小一時間漫ろ歩いて再び港町のクルーズ発着場に出向いたところ、丁度18時出発の便がありました。待合所は若者が中心で、年配は我々だけでした。胆振地震の影響は大きいと踏みました。しかも夜まで遊ぶとは、我々の能天気さに自ら呆れていました。それでもこれは十分に魅力的な遊びであり、運河に反射するガス灯の灯りに添えて、空には十一夜の月が鮮やかでした。絶景でした。

次の出発は18:00、この時は薄暮、されどこれからは闇が追いかけます。ナイトクルーズにはベストなタイミング、私は内心シメシメと合点が入っていました。妻も楽しそう。早速、ライフジャケットを腹に巻き付け、出発しました。運航舵取り、そして解説案内は若き女性、一人で捌くその手際の良さに惚れ惚れとしました。女性の職場進出、女性に敬意を払う私は喝采しました。女性は能力が高い!

臨海運河南下 十一夜の月
南運河を南に運航、南の空には、丁度十一夜の月が浮いていました。月を見ながらの夜の運河巡り、何とも好い月の巡り合わせでした。正に快晴の空の真っ新な月、楽しめました。

南運河(臨海地区) 蔦の絡まる倉庫
南運河のドン詰まりを回転して、今度は北運河を目指します。南運河の倉庫群は殆どに商業施設が入り込んで、レストランやコンビニになっていました。蔦が絡まる倉庫、これもレストランになっていました。営業中です。好い雰囲気ですね。この後の晩餐の候補として留意しました。

壁の蔦が僅かに紅葉していますね。緑から紅に、美しい自然の壁画。絵心も擽られますね。

運河北上 ガス灯
ぼんぼりのようなガス灯が、淡く運河の水を染めています。開港当時のガス灯を残したのですね。横浜の馬車道が日本のガス灯の始まりですが、小樽にも大正ロマンが残されています。貴重な風景です。

小樽港内 旭橋
運河の外に出ました。小樽港ですね。水は静かで運河の続きのようですが、外海に繋がっています。小樽湾と外海は堤防で隔てられています。強い季節風が吹くため、その昔、巨大な堤防(日本初のコンクリート堤防)が造られたのです。小樽港、静かな海が約束されています。

操業中の北海製罐、灯りが付き、ガタゴトと音を上げて操業していました。時刻は7時前、残業ですかね。

倉庫にゴールドストーンの証明文字が観えますね。現在この倉庫はライブハウスとして使われているそうです。この杮落としをしたアーティストが誰だか判りますか。彼のチェッカーズの藤井フミヤだそうですよ。
posted by 三上和伸 at 21:57| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月04日

北海道漫歩2 小樽運河散策 2018.09.20

明治・大正の時代に小樽は北海道の玄関口となりました。多くの開拓者が船便で小樽港より入植し、各地の開拓地に運ばれました。次第に産業改革が進み、石炭や農作物の物流、そしてニシンの水揚げにより、小樽港は繁栄しました。しかしやがて手狭になり、そこで考案されたのが運河で、日本初の沖合を埋め立てた港湾運河が完成されました。倉庫群が立ち並び、一大流通基地として繁栄を重ねてきました。ところが昭和・平成になり時代が進むと、海運の事業は下火となり、小樽運河も埋め戻される危機が訪れたのでした。それでもその産業遺産としての価値は高く、次第に観光施設として見直され、観光運河としての道が開けました。今日小樽は観光都市としての賑わいを見せています。多くの観光客が詰めかけるようになりました。

15時過ぎに新千歳到着、レンタカーの借り出しもスムーズに行われ、私達は勇んで、小樽に向かいました。時間も時間、それに震災の煽りもあり、札樽自動車道は空いていました。思う存分の高速運転が可能でした。運転人生初のストレスのない走行ができました。回復した天候のまだ空の青い内に、小樽運河に到着しました。

駅と運河の中間点にある中央通り傍の「スマイルホテル小樽」に宿を取っていた私達は、ホテルに車を寄せ駐車させて貰い、ブラブラと港に向かい歩き出しました。ここで思案、早々と遊覧船に乗ろうか?暗くまで待ってライトアップのナイト・クルージングにしようか迷いましたが、折角、夜間運航を計画していたのですから、遊覧船は後回しにして、運河の遊歩道を歩き始めました。船着き場のオニイサンに聞いたところ、「南運河は観光化してお店ばかりだから北運河に行くと好いよ、昔が残っているから」。合点!私達は北運河を目指しました。

運河プロムナード
小樽北運河
北運河のプロムナードを歩いて南を振り返ったところ、人影も疎らで静かな運河が横たわっていました。そう、我々はこう言う風景を望んでいたのでしたね。「オニイサン、アリガト!」

北海製罐株式会社 運河クルージング
北海製罐の工場と倉庫 昼間のクルーズ船
缶詰の缶を製作している工場と倉庫、如何にも古そうな会社ですね。でもまだ現役だそうです。忘れましたが有名な飲料の缶を造っているのだそう。右側に観える建物、屋外階段など独特の造りをしていますね。仮面ライダーのロケーションでも使われたそうです。確か悪の総統のアジトだったとか。

右写真はこの辺りで出会ったクルーズ船、満員でしたね。こういう時は手を振るのがエチケット、私も馬鹿面下げて手を振りました。

北運河に係留されているイカ釣り船 イカ釣り用のメタルハライドランプ
北運河は広いので、イカ釣り船などの船舶が係留されています。漁火のランプ、凄いですね。何しろ大変な光度を発揮するようです。宇宙ステーションから夜の日本海を観ると、このメタルハライデランプの光が眩く眺められるそうです。このエネルギーには、大変な量の重油を消費するそうです。沢山イカが釣れなければ赤字が出るそうです。イカ一尾の経費が20円相当だそうです。

ハマナス(浜梨)の実
ハマナス(浜梨)の実
恐らく運河の橋の袂に自然に生えたのでありましょう。見事に赤い実を付けていました。正に充実の稔り、実りの秋ですね。花も美しければ実も美しい、♬小樽の運河にハマナスの実なる頃♬

 小樽北運河 三上水産
この辺りが北運河のドン詰まり、私達は元来た道を辿り、港町の運河クルーズの発着所に向かいました。三上水産😃
posted by 三上和伸 at 14:38| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月28日

北海道漫歩1 羽田ー新千歳、空の旅 2018.09.20

9月20日、私達は午前中に我が家を離れました。小降りの中、リムジンバスに乗って羽田空港へ…。どんよりとした空で、とても行楽日和とは思えませんでした。しかし気象情報では、北海道は午後から回復の見込みで、翌日は晴天の予報が出ていました。私達には悲観の色はありませんでした。羽田で食事、丁度ラーメンの大勝軒があったので、そこの客になりました。少々塩味がキツメでしたが、食べ応えのあるヘビー級のラーメンでした。私は先ず先ずでしたが、妻の顔は怪訝でした。妻は細麺好きだったのですね。 

羽田空港
羽田の日航エリアです。私達の行きの飛行機はジェットスター新千歳行きで、14時頃の出発でした。客室乗務員(スチュワーデス)は二人、共に美人さんでしたが、若い子の方が好みでした。私が見詰めるので、多少、意識があったようでした。愛らしい微笑みが返ってきました。

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羽田上空       秋雨前線の雲上に紺碧の空
離陸、羽田上空、暗い視界、一気に加速して高度12000mに達するとご覧のような雲の上、私は雲上人になりました。この雲は停滞(秋雨)前線の雲、その雲の上は真っ青の世界、さっきの曇天が嘘のような宇宙の青さが目に染みました。

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積雲の群れ      陸奥湾上空、正面に夏泊ア、平地が青森市、奥が津軽半島、右が下北半島・牛ノ首岬
青森上空、さっきまでの前線の雲は遂に失せ、今度は積乱雲の赤ちゃんの積雲が広がりました。その隙間からは下界が垣間見え、地理が得意な私の目には、青森県の津軽半島と下北半島が見極められました。下北半島の中央部にある恐山の宇曽利山湖(うそりざんこ)までが確認できました。そして津軽海峡から北海道へ、汐首岬と函館山が観えました。

苫小牧沖 新千歳空港上空
苫小牧沖       新千歳空港上空、遠くに苫小牧市
渡島半島の先端・恵山を掠めて噴火湾に入りました。中都市の苫小牧が一望の下に眺められました。ここからは直ぐ新千歳空港、胆振大地震の厚真町が隣に位置しています。心を鎮めて着陸を待ちました。 
posted by 三上和伸 at 11:18| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月26日

北海道漫歩序章 旭川の十五夜の月 2018.09.24

旭川の十五夜の月
Nちゃんと約束していた十五夜の月、私達は北海道・旭川の路傍で観ました。この日は夕立が酷く、ジンギスカン鍋を食べていた間に強雨が始まってしまいました。思いもしないタクシーでホテルまで帰りました。

Kさんからは、伊勢原の十五夜の月の写メールが届きました。そしてナッチャンからは長万部の月が写メールで送られてきました。旭川と長万部に伊勢原、三方の中秋の名月が揃いました。私達、ナッチャン恵ちゃん、そしてKさん、パパさん、Nちゃん、Yちゃん、Rくんもきっと観たことでしょう。

posted by 三上和伸 at 07:32| 北海道漫歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする