今日は高名な作曲家の命日が目立ちます。少しクラシック音楽に首を突っ込んでいる人であれば、ご存知の名前でしょう。
ビゼー(1838〜1875)はフランスの19世紀の作曲家で、神童であったので、多くの期待を集めましたが、世渡りが下手で、中々成功までは至りませんでした。苦しい生活の中で、漸く劇付随音楽の「アルルの女」が成功してその管弦楽の色彩感が高い評価を受けました。早世でしたので、命の尽きるまで、飛んでも無い傑作を一つ作ってこの世を去りました。その飛んでもない傑作とはオペラ「カルメン」です。但し、この作品がウィーンで大評判をとったのをビゼーは知らずに死んでいたのです。1875年のこの日、ビゼーは亡くなりました。因みに同時代の作曲家ブラームスはオペラを書かなかったのですが、大のオペラファンで、一番好きだったオペラは「カルメン」でした。ウィーンで「カルメン」の舞台がかかると必ず聴きに行ったとのこと…。
ケッヘルは作曲家としては二流ですが、モーツアルト研究者としては一大偉業を成し遂げています。モーツアルトの大多数の作品を研究し、その作品に作品番号をつけて整理し易くしてくれたのでした。これも好い仕事です。
ヨハン・シュトラウスU(1825〜1999)は、正にワルツ王(美しく青きドナウ・ウィーンの森の物語・南国の薔薇・皇帝円舞曲)、そして後年はオペレッタ(こうもりなど)も作曲し、ウィーンの大衆音楽を牽引しました。まあ下世話な物語が多く男女の痴話話ばかりですが、これもブラームスは好きであったようです。世界を駆け巡る(ロシアやアメリカまで)大衆の大スターでしたが、ブラームスが認めたお陰で、ヨハン・シュトラウスは、ウィーンの楽壇にも大いに認められたのだそうです。ブラームス(ブラームスが5歳年下)とヨハン、好い関係であったようです。ブラームスの死後2年の1999年のこの日、ウィーンで亡くなりました。