2019年10月29日

日本の景色 流鏑馬の装束と馬の鞍 2019.10.28

射手登場 流鏑馬装束 小笠原流・流鏑馬
頭には萎烏帽子(なええぼし)・綾藺笠(あやいがさ)を被り、衣類は射籠手(いごて、左上半身左腕)、水干(すいかん、上下)、行縢(むかばき・鹿皮)、物射沓(ものいぐつ)、弓、鏑矢(かぶらや)、弦巻(つるまき、弦の携帯具)、空穂(うつぼ、矢を入れる具)、太刀、腰刀などを備えています。

流鏑馬馬
流鏑馬用の馬の鞍、日本独特なのが鐙(あぶみ)だそうです。全部揃えると50万円位は掛かるそうです。
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日本の景色 小笠原流流鏑馬・兵どもが夢の跡 2019.10.28

見事的中 流鏑馬実技
左手に弓を持ち、素早く右手で鏑矢(かぶらや)を取り、弦(つる)に噛ませ、弓を引く、そして的を射る。これを250mの馬走りの中の三個所の的を射る、これが流鏑馬の試技です。約50m間隔で的が置かれています。50mを走る内に以上の動作をしなければなりません。現代の馬は中世の馬より速いそうで、区間3秒だそうです。瞬時に動作をしなければならないので、高い集中力を要します。そしていざ射的の際に、大きな掛け声を上げるのが習いです。それは「インヨーイ!」、詰まり「陰陽射」だそうで、陰と陽に分けられる森羅万象の物事の全部を射るそうです。

激しい馬の走り、馬走りにはボコボコと穴が開いていきます。正に「兵どもが夢の跡」です。

座っている武士が審判役、左手が書記係。
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2018年12月08日

日本の景色 結婚式の行列 鶴岡八幡宮 2018.12.07

鶴岡八幡宮に入った途端、何やら境内の参道の石畳は、一時、通行規制が布かれていました。すると鏑流馬馬場の辺りから綿帽子の花嫁の一行が現れ出で、参道に差し掛かりました。そして石畳の中央を雅楽体の先導に従い、しゃなりしゃなりと舞殿へ向け行進して行きました。どうやら鶴岡八幡宮で結婚式が行われるようでした。

DSCF0044[1].JPG
八幡宮参道、正面下・舞殿と上・本宮
舞殿の前の白装束の人が神官、参道右に並ぶのが雅楽隊、制帽頭の人が通行規制をした警備員。流鏑馬馬場から歩み寄る花嫁花婿の行列を待ち構えております。

神官と雅楽隊
花嫁花婿の一行が到着次第、整列して舞殿へ向かいます。

DSCF0048[1].JPG
雅楽隊を先頭に皆整列して舞殿へ向かっています。その時既に音曲は開始されていました。笙(しょう)や竜笛(りゅうてき)、篳篥(ひちりき)などが使われていたようです。雅な音色が境内を巡りました。
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2018年12月03日

日本の景色 鈴廣の蒲鉾 2018.11.29

小田原鈴廣のちくわのお味見
お味見の竹輪
小田原では一番の販売をする鈴廣、車旅の我々には好都合のお店です。何しろ箱根に旅すれば、御殿場口にも小田原口にも鈴廣のドライブインの販売店があるからです。私達は帰り掛けに何時も、鈴廣に立ち寄ります。その都度買う品は違いますが、唯一同じものは蒲鉾です。小田原の蒲鉾は使われる材料の魚が違います。普通のスーパーに売られているのはスケトウダラの練り物が使われます。しかし小田原鈴廣の材料はグチ(イシモチ)と言う小魚を使います。グチを使うとプリンと歯応えがあり美味しいのです。

今回は、さつま揚げ、伊達巻、ワサビ漬け、そして板蒲鉾を買いました。
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2018年12月02日

日本の景色… 小田原・早雲寺 2018.11.29

箱根旧街道をひたすら下って行くと、箱根湯本の温泉街に至ります。昔の湯元温泉はこの旧街道沿いに多くの旅籠がありました。今日でもそれは変わらず、旅館・ホテルが立ち並んでいます。そんな中、湯元小学校の向かいに早雲寺はありました。余り参拝者には親切な寺では無いようで、張り紙に御朱印は却下の文字がありました。楽しみにしていた妻には気の毒な思いをさせました。

湯の街の寺なのでしょうか、山号は金湯山、寺号が早雲寺、開基は二代の北条氏綱、臨済宗大徳寺派の寺院です。小田原北条家の菩提寺です。

早雲寺本堂と銀杏
本堂
背後に大樹の銀杏の木がありました。見事に黄葉していました。

ここは豊臣秀吉の小田原攻めの拠点となったところで、北条降参、小田原城開城の折には、秀吉に依り焼き払われています。氏政は切腹、えげつない秀吉ですね。早雲寺は後の江戸の世にて再興されました。

連歌師・宗祇の墓 
連歌師・宗祇の碑
宗祇=室町後期の連歌師。和歌の西行、俳句の芭蕉と並ぶ三大漂泊詩人と謳われています。旅の途中のこの箱根湯本の旅籠で亡くなりました。この石塔は墓では無く、碑だそうです。亡骸は箱根のすぐ隣の駿河桃園(裾野市)の定輪寺に葬られています。

連歌=和歌の五七五・七七を基本に、大勢の別人で、これを百句連ねて一作品とする作風、長連歌と言います。

小田原北条氏五代の墓
小田原北条氏五代の墓
北条氏政などは他所で葬られているそうですが、一応の小田原藩主北条氏の五代の墓と言われています。
左から早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の墓。氏政の時代に関八州を治めたとされ、最大石数は240万石だったそうです。
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2017年06月30日

日本の景色…歌舞伎座、築地、浜離宮コンサート 2017.06.30

築地へは、京急品川経由の都営浅草線を使い東銀座で降りました。そこからは晴海通りを歩いて7〜8分で築地場外市場に着きました。この晴海通りを挟んで向かいには大伽藍・築地本願寺があり、私達は食事の後、参詣に向かいました。そこでは意外な事に、仏閣でパイプオルガンの演奏を聴く幸いを得る事になり、本望の浜離宮朝日ホールでの音楽会の前に、前菜のコンサートを聴く機会を得ました。

歌舞伎座
歌舞伎座
背後には歌舞伎座タワーが聳え、正面だけが在りし日の伝統芸能の在処を教えてくれています。4階建てで1964席、歌舞伎座タワー部には5階のみ歌舞伎座ギャラリーが存在し、歌舞伎のあれこれを紹介しています。

築地場外市場 築地すしざんまい本店
築地場外市場                   すしざんまい本店
ここから市場内に入って行き、あれこれ、寿司処を探したのですが、時間は11時前、そうそう悠長な事は出来ませんでしたので、目を瞑ってここ!と決めたのがすしざんまい本店、玄関で10分並んで中待合に、そして直ぐテーブル席に着席して注文、しかしそれからが長かった…。やっと来たのが以下の料理、どうです?美味しそうでしょ!

まぐろざんまい 特選すしざんまい
まぐろざんまい      特選すしざんまい
まぐろは本マグロ、部位は4通り、大トロ、中トロ、赤身、炙りトロ、流石は本マグロ、どの部位も絶品でした。

築地本願寺 築地本願寺のパイプオルガン
築地本願寺
古代インド仏教様式の本堂、私は少し違和感を感じましたが、鉄筋コンクリートの重要文化財の大伽藍でした。堂内は広い空洞となっており、特別に設えられた壮大なパイプオルガンは素晴らしい音響で鳴り、いやがうえにも宗教心をそそられてしまいます。但し、抹香の香りは棚引いていますが、目を瞑れば、そこが西洋の教会なのか日本の仏閣なのか訳が分からなくなります。パイプオルガン、これは正に西洋の響きです。

シュトライヒャーのフォルテピアノ
古色蒼然のブラームスの響き
ブラームス時代のシュトライヒャーフォルテピアノ
シュトライヒャーはウィーンのピアノです。柔らかく渋い音色ですが、決して呆けた音ではなく、その音の粒は、ピアノ全体に美しく共鳴しています。これはリストを弾くピアノで無く、ブラームスを奏でるピアノですね。
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2012年05月17日

日本の景色61 比叡山延暦寺 2012.05.04

石山寺参詣の後、私はこの期に及んで、断腸の思いで苦渋の選択をしました。その選択とは大津の三井寺をパスする事…。近江八景の“三井の晩鐘”の梵鐘の鐘撞きを断念せねばならぬ事…。本当に口惜しく思いましたが、前日の渋滞に対する見通しの甘さに端を発した押せ押せの計画消化不良…。それを解消するには行程の割愛しかありません。心を鬼にして私は決断したのでした。三井寺パス、延暦寺にゴー!

1、延暦寺・東塔、根本中堂(国宝)
文殊楼から観た根本中堂 根本中堂の甍(いらか)
弘法大師・空海と並ぶ平安時代の高僧、伝教大使・最澄が開いた天台宗の寺院。その核心がこの根本中堂で、延暦7年に建立されました。高野山と並び、日本仏教の総本山とされ、ここから多くの有能な僧を輩出しました。その中には、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)などの新たな宗派の開祖が含まれており、天台宗・最澄の懐の深さが際立って見えます。私は宗教心のない人間なので、その教えや経典などには興味はありませんが、国宝に指定されたお堂などの建造物には興味があり、この建物の特に屋根の甍(いらか)の美しさに見惚れました。思わず、♫ 甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり ♫ と歌ってしまいました。

2、念願の鐘撞き
念願の鐘撞き ワンちゃんも参詣
何と、諦めていた鐘撞きが、この延暦寺でできました。しかも三井寺の300円よりも断然安い50円で!、ホント感激しました。どうです、この得意満面の嬉しそうな笑顔は?、ホント、大願成就?しました。

因みに、娘・夏子も鐘撞きしたのですよ。更に、なっ、何と、妻までも鐘を撞いていました。やっぱり、50円の威力は凄まじいものがありましたね。鐘撞き堂は街の繁盛ラーメン店の如く長蛇の列、でも一人一撞き(連打禁止)ですから直に順番は回って来ました。楽しかった!

写真:右 シェットランドシープドッグのワンちゃんも、鐘撞き堂に来ていました。ホントにお利口さんで、きちんと仲良く二頭並んで鐘の音を聞いていました。「どう?、鐘の音は?、素敵だろ? 人間は面白い事するだろー?、でも、君達も面白い事するよね、羊を追い回したり、フリスビーをしたり、ボール遊びもするよね? 人間も犬もおんなじだよね!、面白がる事は…、ワッハッハッハッ!!」、「ワンワン!」。

3、境内のホンシャクナゲ(本石楠花)
境内の石楠花
この石楠花は日本の山野に自生するホンシャクナゲで、富山県、長野県、愛知県以西の西日本の山野に観られる石楠花です。日本の野生の石楠花では、最も立派な花を咲かせる事で知られた種で、その様は豪華そのものです。比叡山の境内のあちこちに植えられており、八重桜と並び、今が盛りの趣きを呈していました。
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2012年05月14日

日本の景色60 石山寺 滋賀県大津市石山寺 2012.05.04

1、黎明の散歩と朝の腹ごしらえ
石山寺門前町の藤 瀬田川のボート練習 朝餉
早起きをして瀬田川河畔や石山寺門前町を歩くと想いも掛けない景色が現われました。松江高専の生徒のボート練習は早朝から始まっており、朝未だ来(あさまだき)の薄明の中、必死にオールを漕いでいました。それでも観る側は楽チンなもの、選手にとっては薄情な見物人の私でしたが、気持ち良いのだから仕方がありません、大いに楽しませて貰いました。「選手諸君、爽快感をありがとう」と言っている端では、今が盛りの藤が優美に垂れており、私の早朝散歩はご機嫌の内にフィナーレとなりました。

黎明の長い散歩を終えた私が宿に戻ると、暫くして朝餉の支度が始まりました。テキパキと仕事をする仲居さん、私よりも年長でしょうか、中々の元気の持ち主でした。散歩のお陰か仲居さんのお陰か、気持ちの良い朝ご飯となりました。何と私と妻はお代りをしました。旅での食欲は尋常ならざるものがありますね。兎に角、お腹が空きます。

2、近江八景・石山秋月
近江八景絵図
石山寺は瀬田川の西岸の小高い丘の上にあり、ここから東は遮るものがなく、月の出は手に取るように望む事ができます。従って、石山寺から仰ぐ中秋の名月は、殊の外見事な風物と言え、近江八景の内の重要な一景に選ばれ、「石山秋月」と称されたのです。彼の紫式部もこの寺に籠り、十五夜の月を愛でながら源氏物語の構想を練ったと伝えられています。ここから幽玄の月を眺めたならば、さぞかし妖気を授かり、物語の様々な着想を得たであろう事は、想像に難くありません。今回、天才・紫式部の全貌のほんの一端にでも触れられた事は、文学音痴の私にとっても、旅の大きな収穫であったと言えるでしょう。

3、東大門(重要文化財)
東大門
車を旅館に置かせて貰って、私達はゆるゆると歩いて石山寺に向かいました。良く整備されたタイル張りの道(参道)が旅館の前を横切っており、それを辿り難なく東大門に到着しました。大きく立派な門であり、国の重要文化財に指定されています。

この写真は私が早朝散歩をした折に写したもの、従って門の扉は開いていません。開門一時間前で、門前には人っ子一人居ず、閑散としていました。

4、敷石の参道と大黒堂
躑躅咲く敷石の参道 大黒堂
東大門を潜り抜けると木戸銭口までは敷石の参道が暫く続きます。ひと月前は、恐らく桜花の回廊だったでありましょうこの敷石の参道…。今はご覧のように躑躅が艶やかに咲き誇っていました。それを軒先のように覆うのは、葉桜と楓の新緑…。この寺は素晴らしい参詣の道を用意してくれていました。道の左には白壁の塀が連なり、その中には幾棟かの建物が並び立ち、右側には大黒堂なる可愛らしい建造物がありました。まだ、本堂や多宝塔は全く見えず、誠に広大な奥行きのある寺と判断され、驚かされました。

5、硅灰石(けいかいせき・国の天然記念物)の境内
硅灰石の山水の庭 硅灰岩の露頭 
石山寺のそもそもの名の起こりは、境内のあちらこちらに剥き出しになっている岩石が元になっています。この岩石の蛾蛾たる累々とした様が信仰と結び付いてここに寺院を建てた訳であり、石山寺の名は最初から決まっていたも同然の当然の命名であったのです。これは硅灰石と言われ、石灰岩と花崗岩が接触し、作用熱により変質したもので、このように地表に現われるのは極めて稀だそうで、自然科学的に貴重であり、国の天然記念物に指定されています。

洞穴となっている自然の岩棚を山水の庭園(左写真)にし、池に鯉を泳がせたり、神々しい岩塊(右写真)の聳える先に国宝となった多宝塔を覗かせたり、心憎い景観演出を施した見事な造園の寺であると感心させられたのでした。

6、蓮如堂(左・重要文化財)と本堂(奥・国宝)、そして紫式部“源氏物語の間”
蓮如堂と本堂 源氏物語起草の部屋
西暦747年、聖武天皇の勅願で僧・良弁の開基により建立された東寺真言宗の古刹…。本尊は如意輪観音で、観音様が祀られており、従って、西国三十三箇所観音霊場十三番札所だそうです。国宝の本堂は木組みの上に堂が乗る“懸け造り”の建築様式で、京の清水寺と同じ様式であり、これは観音様を祀る寺院に多いのだそうです。木組みの足柱を撮るのを怠り、それはこの日一番の情けなくも残念なしくじりをしてしまい、今も大きな心残りとして残っています。

そして何よりこの石山寺を有難く有名にしたのは、古代文学との係わりであったと言えるでしょう。右大将藤原道綱の母の「蜻蛉日記」や菅原高標(たかすえ)の女の「更級日記」、そして清少納言の「枕草子」にはこの寺が登場するそうです。更に真打ち?には紫式部の存在があり、この「紫式部源氏物語の間」に於いては、式部がここに来籠し、ここで名月を愛でながら源氏物語起草の切っ掛けを作ったとしての言伝えが残されています。誠、ロマンティック極まりない平安の香りを未だ残しており、文学の寺と言う事ができるでしょう。

7、多宝塔(国宝)
多宝塔(国宝)
日本三塔の一つとされる美しい多宝塔…。多くの建造物が居並ぶ石山寺ですが、一際異彩を放つ建物が、この多宝塔でありました。
鎌倉時代初期の建久五年(1194年)の建立。高さ17.2メートルで、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)。内部には本尊の大日如来坐像が安置されています。快慶作で、国の重要文化財。

参考:ウェブサイトウィキペディア石山寺他
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2012年05月12日

日本の景色60 近江八景 2012.05.03~05

近江八景絵図 三上山遠望
拡大すると良く観えます     三上山(大津S・Aより)
この薄紙の複写絵図(写真・左)は、近江八景を墨絵で描いたもので、石山寺の宿・月乃屋山荘の夕餉の膳の上に埃除けに掛けてあったものです。三人分の膳の上に三枚ふわりと掛けてありました。私達三人は、それを見た途端、ギラリと目を輝かせ、三者ともそれを所望しました。とても素敵だったし、俄然、近江八景に興味を惹かれたからで、どうしても欲しくなったのでした。しかも、よくよく見ると、何と近江八景には入りませんが、三上山なる山と名文字が…、私達が垂涎の眼差し?を向けるのも分かって頂けるでありましょう。結局、それを頂けたので、三人はご満悦、ニッコリと笑顔を交わし合いました◎。大事に大事に持ち帰りました…。

そもそも、八景とは、瀟湘(しょうしょう)八景が始まりで、それは中国湖南省の洞庭湖周辺の景勝地を八つ選んだものだそうです。その趣きある風流に憧れ日本でも、各地で八景を称した景勝地が選び出され、人々の感嘆を得たのでした。例えば私達の身近なところでは、駅名にもなっている金沢八景があります。その数ある八景の中でも近江八景は日本最初の八景であり、広く人心に流布した最も由緒ある景勝地と言えます。次に、近江八景の八つの景色を紹介します。

*石山秋月《いしやまのしゅうげつ》…石山寺
*勢多(瀬田)夕照《せたのせきしょう》…瀬田の唐橋
*粟津晴嵐《あわづのせいらん》…粟津
*矢橋帰帆《やばせのきはん》…矢橋
*三井晩鐘《みいのばんしょう》…三井寺(園城寺)
*唐崎夜雨《からさきのやう》…唐崎神社
*堅田落雁《かたたのらくがん》…浮御堂(うきみどう)
*比良暮雪《ひらのぼせつ》…比良山系

歌川広重に見事に素晴らしい近江八景の浮世絵があります。その背景にある山は比叡山を含む比良山系ですが、唯一、勢多夕照の瀬田の唐橋には、右写真の三上山が描かれています。是非、広重の浮世絵・近江八景もご覧になられてください。素晴らしいですよ!

参考…ウェブサイト、近江八景ウィキペディア
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2012年05月09日

日本の景色59 瀬田川 大津市石山寺 2012.05.04

瀬田川
熟睡はしたものの老人性早起き症候群?の私は、目覚めれば居ても立っても居られず?(寝て居られず)布団から飛び起きました。そして薄明の下にある仄暗い川辺へと繰り出しました。そこは実に気持ちの良い瀬田川の景色が広がっており、あの遠く黒く観えるビルの先には、きっと琵琶湖が広がっているに違いないと、なにやら確信めいたものが私にはありました。

瀬田川は琵琶湖に発し、京都府に入ると宇治川と名を変え、更に桂川(鴨川と合流した)に合流して淀川となり、大阪湾に流れ下ります。ここは、琵琶湖より流れ出て川となり、2キロ余り下った下流の地。更に下流には堰(せき)があり水を止めており、まるで静かな湖のよう…。琵琶湖が続いている感じがしました。この満々と湛えられた静かな流れを利用してボ−ト競技の練習が行われており、この朝も幾つかの大学のボート競技部の生徒達が練習に参加していました。岸辺でコーチをしていた先生?に聞いてみました。「お早うございます。どちらからいらしたのですか?」、「はい、島根県の松江からです。松江の松江高専と言う学校です」。実直そうな、いいお顔をしていました。けれども生徒に叱咤激励する姿は、鬼コ−チさながらであり、かなりの使命感の持ち主と感じられました。頑張る人を観ているのは気持ちがいい! 私は清々しさを感じ、心晴れやかに「お邪魔しました、失礼します」と言い残し、立ち去りました。
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2012年05月06日

日本の景色58 彦根城・天守と玄宮園、そしてそこに咲く花 2012.05.03

 小説及び大河ドラマの“花の生涯”の主人公で江戸幕府最後の大老…。あの彦根藩第十五代藩主井伊直弼の居城が、この彦根城でした。代々の彦根藩主の中でも、やはり政治舞台の前面に顔を押し出した直弼が一番光り輝いており、城内・園内は直弼一色でありました。但し、現代は何やら“ゆるキャラ”などと言うものが生息し、その代表的存在のご当地の“ひこにゃん”は、今や直弼を食うスターとなっているようです。されど、私達は現地到着が五分遅れとなり、この現代スターのネコちゃんには会えませんでした。娘の残念がる事か…、否、私も…。

1、彦根城・天守(国宝)
彦根城天守
牛蒡積(ごぼうずみ)の美しい石垣の上に、尚更に美しい三階三重の天守が乗っています。生憎の曇天でしたが、薄墨の空にくっきりと、その天守は際立って観えました。

日本の城で、国宝に指定されているのは*四つの城で、その国宝四城の内の一つがこの彦根城です。勿論、城内全てが国宝ではなく、その天守こそがそれに値するのです。京極高次の築いた大津城をこの地に移築したそうで、慶長12年(1607年)に完成されたのです。

*国宝四城…姫路城・松本城・犬山城・彦根城の四城

2、玄宮園(げんきゅうえん、大名庭園)から観る天守と逆天守
玄宮園
天守を借景にした玄宮園。池に映る天守や建物が美しい調和を魅せています。元々は彦根藩主の下屋敷であったところで、四代藩主の井伊直興により造園されました。九月の虫の音を聞く会や、十一月の錦秋の玄宮園紅葉ライトアップなどの催しも行われており、四季の風雅を愛でる良家の伝統が色濃く残されているようです。

*玄宮園の名の謂れ…この庭園は近隣の近江八景(池を琵琶湖に見立てる等)を模写して造られたとされる縮景庭園。近江八景を中国湖南省の景勝地・瀟湘八景(しょうしょうはっけい)に見立て、この瀟湘八景の地にあった古代中国の玄宗皇帝の離宮に因み名付けられた。

3、埋木舎(うもれぎのや)の門辺り
埋木舎(うもれぎのや)
井伊直弼が青春時代を過ごした館。万能の才を持っていたと謂われる直弼の文武の礎を培った住まい。ここから江戸幕府幕末の大老が生まれ出たのです。

*時間切れで私達は、この埋木舎の見学は叶いませんでした。


4、園内に咲く花
@金鳳花(キンポウゲ)
キンポウゲ(金鳳華)
この花も次の蓮華草も、梅桜のように人が植えた花でなく、自然に生えたもの。その何気ない花の表情が優しさを伝えて嬉しいのです。ほんの一時の憩いが有難く思えました。

A蓮華草(れんげそう)
レンゲソウ(蓮華草)
昔、この地の田に、肥料(緑肥)として植えられたものの生き残り(二年生野性化種)…。昔は一面のレンゲ畑が、この地にも広がっていたのでしょう…、今は何処へ行っても少なくなってしまいましたが…。また観たいですね、一面のレンゲ畑…。
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2012年03月27日

日本の景色37 真白き富士の嶺、緑の江の島 2012.03.27

真白き富士の嶺、緑の江の島
    ↑富士    ↑江の島
葉山鐙摺港より クリックしてください、でも富士はぼんやりですいません
 ♫真白き富士の嶺、緑の江の島♫、と歌い出される美しい歌は、実は私の母校の歌です。確か、メロディーはイギリス民謡か何かで、詩は近所の女子高の先生が書いたそうです。母校の歌と言っても校歌ではなく、ある悲惨な事故の追悼歌なのです。それは明治の頃の生徒によるボート遭難死の実話であり、当時この歌は、同情心も相俟って大変なヒット曲となりました。日本全国に知れ渡って小学唱歌の一つとなり、未だに歌われています。私も湘南のこの景色を前にすると、知らず知らずの内に口ずさんでいます。私がこの学校に在籍していた唯一の…、自分自身の証と…、言えなくはないでしょう。
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2012年01月31日

日本の景色56 菜の花と相模湾 二宮吾妻山 2012.01.30

菜の花と相模湾 雪の大山

仕事先の二宮・小田原で、少し時間に余裕ができたので、二宮の吾妻山に登ってみました。まあ登ると言っても、杖を突いたお年寄りでも登っていたくらいの丘程度の山ですが、三百段余りある急な階段は気を付けるに越した事はありません。ゆっくり慎重に上りましょうね。

私はJR二宮駅南口のロータリー内にある有料駐車場に車を置き、駅改札がある弧線橋を渡り北口に出ました。町役場を目指して進むと役場の手前の道の端に吾妻山公園の入口がありました。のっけから踏みしろの詰まった石の急な階段が立ちはだかり、私は二段跳びでしゃにむに上り始めました。ところが途中から息切れがして心臓はバクバク、呼吸はヒーヒー、そして激しい空気の入れ替わりに咽て、止め処なく咳き込みました。前を歩いていた年配のご婦人が私の咳き込みに業を煮やして?突然振り返り、その手のひらに飴を乗せ私に差し出しました。「だいじょぶ?どうぞ?」、「あっ、ありがとうございます。助かります、ニカッ!」。私はお礼を言いつつサッと包みを破り、飴をなめ始めました。ハーブの香りが心地よく咳は俄かに止み、人心地つきました。「感謝、感謝」

途中には銀色に染まる丹沢山塊の展望が得られ、殊の外、大山が立派に観えました。なだらかながら見事な三角錐を描いて悠然とそびえ立ち見事でした。大山展望はこの西湘南辺りからの角度が最良と確信しました。

石の階段が終わると山の鞍部に出ます。それからもう一足、土の段を上れば広濶に開けた芝生の広場に至ります。そしてその先には一面の菜の花畑が広がっているのでした。誰しもが「ワーッ、凄い!」と歓声を上げる事請け合いですが、この歓声は後二つ程“おまけ”が付きます。一つは菜の花の先の富士山…、そしてもう一つが眼下に広がる相模湾…。「ワーッ」、「ワーッ」、「ワーッ」と三回叫ばなければならないのです。この日は残念ながら富士には低い雲が纏わりついて、絶景はいま一つ…。ですから、相模湾と菜の花の写真を掲載しました。
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2011年10月02日

日本の景色55 天草干し 伊豆田子漁港 2011.09.11

天草干し
今は何方でも食べている寒天やところてん(心太)の原材料・天草(テングサ)、それを海中から採取してこうして地面(現代ではアスファルト?)に天日干しにしてから心太は作られます。

心太(こころふと)、いい名ですね。このところてんの名は心太が最初に在り来で、この“こころふと”が後に時間を掛け“ところてん”へと転訛したそうです。心太の名は奈良の正倉院の書物の中にも見出されるそうで、中国から渡来したところてんは日本でも既に奈良時代から食べられていたのですね。

*ところてんの製法と食べ方
テングサを洗って晒し、煮てカスをとった汁を型に流し込んで凝固させる。冷やしたところてんを心太突きで突き出して細条にしたものを、辛子醤油や黒密のタレで食べる。

*寒天はところてんを凍結乾燥させたもの、昼夜の寒暖差(適度な)が大きい晴天乾燥した冬の内陸部(長野県茅野地方等)で作られる。水に戻して食べる。 参考:広辞苑

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2011年09月28日

日本の景色54 修禅寺奥の院 伊豆修善寺 2011.09.10

温泉街から修禅寺奥の院までは片道4キロの道程、本来だったら歩きたいところでしたが、高額の駐車料金に追い立てられ、車で向かいました。修善寺の一部の駐車場業者は何てえげつないのでしょう。これでは車での来訪者は落ち付いて観光ができません。そして観光客ばかりではありません。客の腰が定まらなければお土産屋を始め各業者の売り上げにも差し障りがでるのではないですか。只にしろとは言いませんがせめて一日500円がいいところではないですかね?一般的には…。私達も時間に余裕があればハリストス正教会や源範頼の墓も観たかったのですよ。まあ、恨み事はこれ位にして、奥の院周辺の素敵な風景を紹介致しましょう。

@石垣の棚田
石垣の棚田
東日本には石垣造りの棚田は少ないのだそうです。大抵は土手乃至コンクリートの土止め…。ここには少ないながら石垣の棚田がありました。これよりもう少し上り行けば奥の院に至ります。温泉街から奥の院までの道は全て棚田の中を通じており、黄金の稲穂が頭を垂れ、正に実りの秋の真只中にありました。

A道祖神
道祖神
棚田の土手の上にはさえの神・道祖神が建てられていました。恐らく、この先の奥の院への道標として役立ってきたのでしょう。何時終わる事なく悠久の時を超え静かに静かに…、この道端の神々は旅人・信者を見守ってきたのです。

B修禅寺奥の院
奥の院 
空海が修行のために滝行を行ったとされる場所。そもそもの修禅寺の起こりはこの奥の院からと伝えられています。嘗てはここに護摩堂なる建物があったそうです。今はその再興に官民揃って動いており、多額の寄進が寄せられているようです。駐車場脇の巨大な立て看板にはその寄進者(社)と金額がうやうやしくも列記されていました。
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2011年09月21日

日本の景色53 修禅寺 2011.09.10

 先程は書き始めたばかりの修禅寺のページを誤って掲載してしまい、失礼しました。実は私の仕事が台風で中止になり暇ができたので、それではブログを書こうかと調べ物をしていたら「ご飯だよ!」の掛け声が…。それで慌てて“保存”のキーを押して部屋を出てしまい、それっきりになったのでした。食後も妻と長女・夏子(お弟子のレッスンに来訪中、でも午後のレッスンは全て中止だとか…)を交えての談笑で時間を潰してしまい、その内大荒れの天気に…。勤め先の幼稚園から帰宅しない次女が心配となり、皆して落ち着かなくなりながらもあーでもないこーでもない…、やがてやっと次女から電話が掛かり、車で迎えに行ったのでした。行きも帰りも大変な暴風雨の中、怖かったです。そしてその後、修禅寺を後に回して怖い台風15号のブログを書いた次第でした。

 さて、これからは修禅寺のページを書きます。あっ、今耳を澄ませば、先程までの暴風の咆哮は何処へやら…、秋の虫が一斉に鳴き始めています。美しい声…、平和が訪れました。これで秋の夜長、心落ち着けてブログが書けますね。

修禅寺
面白いですね、お寺は修禅寺、地名は修善寺。疑問に思いチト調べてみました。ところがこれが中々の難題、色々文献を当たったのですが見当たらず、「古い?ガイドブックなら出ているだろう」と鎌?をかけたらありました、実業之日本社刊のブルーガイド伊豆に確かに…。

それに依ると修禅寺はまたの名を桂谷山寺、創建当時は福知山修善万安禅寺であり、その名の中に修善と禅寺があるのが分かります。従って寺の名は修禅寺(しゅうぜんじとも読む)、地名は修善寺(しゅぜんじと読む)になったのだそうです。 参考:実業之日本社ブルーガイド伊豆

弘法大師が祖とも謂われていますが、それは伝説の域を出ないようで、普通には大師縁の寺と言われています。それは創建当時は弘法大師の真言宗であったためで、平安時代の古刹である事は疑いのない史実であるようです。しかし、鎌倉時代になると臨済宗の禅寺へと変わり、現在では禅宗の一派・曹洞宗の永平寺派に属しています。禅の道を修める寺、正に名は体を表す、いい名前が付いたのですね。

本尊は大日如来、この仏は太陽の光と熱を神格化したものだそうで、光は物事を正しく見極める知恵、熱は情(心)を意味するのだそうです。この本尊の大日如来は創建当時から現在まで変わらないそうです。 修禅寺御朱印の栞より

 
posted by 三上和伸 at 21:44| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

日本の景色52 三嶋大社 2011.09.10

 晴天の恵みを無駄にせず大観山で富士と芦ノ湖の大展望を楽しんだ後、私達は箱根峠より国道一号に合流し、一気に箱根山南東斜面を馳せ下って三嶋大社に到達しました。嘗てから訪ねたいと願っていた三嶋大社、そこはその願いに違わぬ美しい鎮守の森と清冽な富士の伏流水を湛える神池、そして豪壮な社殿が見事でした。源頼朝が源氏再興を期して旗揚をしたのがこの神社。この由緒ある歴史的神社は大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の御二柱を三嶋大明神と称し御祭神としています。

 境内には御神木として、樹齢1200年の金木犀の巨木があります。国の天然記念物に指定されており、見事な薄黄色で咲くそうです。残念ながら、この日は未だ蕾もなく葉木星?のまま、九月下旬には観られるそうです。

 また、頼朝以来武門の信仰が厚く、毎年八月十七日には流鏑馬神事が行われるそうです。まあ、それは我が地方に近い鎌倉鶴岡八幡宮でも行われ、こちらは九月十六日だそうです。旧暦、新暦の混同がありますが、この日は頼朝の源氏再興の旗揚げの日に因んでんいるようです。

@手水舎 
手水舎
三島は名高い柿田川湧水などで知られる水の都。富士の伏流水が豊かに湧き出ています。この三嶋大社の境内にも引水されており、ふんだんに使われています。この手水舎の水も富士の伏流水で凄く冷たいのですよ。一服の清涼剤として役立っていました。暑かったので有難や有難や! そして結局それらの水は側溝を伝い神池に流入します。信仰の厚い手、その熱で温みを与えられた水は神池に棲む鯉を健やかに育てます。全く無駄がないのです。

A本殿
本殿
震災倒壊により、1866年に再建されました。三間社流造(柱が四本のながれづくり)で総欅素木(白木)造り(そうけやきしらきつくり)、本殿の手前に構える舞殿を含め国の重要文化財に指定されています。

B結婚式
結婚式
この日は友引、お目出度い日でここ三嶋大社も結婚式ラッシュでした。丁度式の最中に巡り合い美しい花嫁とその衣装の後姿が垣間見えました。巳子さんの装束も素敵でした。そして見渡すと境内にはもう式を済ませた新郎新婦とご家族が何組か屯し写真撮影が行われていました。正に人生の門出、その瞬間に居合わせた私は思わず「頑張れよ!」と内心で声掛けをしていました。いいですね、結婚式。

C厳島神社
厳島神社
神池の中に美しい朱塗りのお社がありました。何とも瀟洒な佇まい、見惚れてしまいました。それにこれまた朱色の欄干を持つ橋があり、渡ってみました。優雅な心持ちで参拝を済ませました。頼朝の妻の政子の建立であり、この夫婦のこの神社に寄せる信仰の深さに驚嘆を憶えました。
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2011年09月11日

日本の景色51 石垣の棚田 修善寺 2011.09.10

石垣の棚田
暑い土日でしたね。私達は汗まみれになりながら伊豆の旅を楽しみました。様々な目的を持った旅でしたが、今思えば、何よりも石垣の棚田の風景が素晴らしかったです。豊かな稲穂が頭を垂れ、刈り取りを待つだけでした。

取り敢えず、帰宅の報告を致します。只今帰りました。
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2011年08月15日

日本の景色50 熱川温泉の源泉自噴塔 2011.08.13

熱川温泉源泉
熱川温泉自噴塔

 数百の源泉を誇る熱川温泉の街には写真のような自噴塔があり活発に白い湯煙りを上げています。この自噴塔はこの日私達が利用した海鮮料理屋“にしき”の裏手にあり、ここは美味しい魚介を味わうのと同時に温泉街の気分も楽しむ事ができるのです。源泉の温度は100度℃だそうで細菌の繁殖が皆無な湯で、清潔快適な湯浴みができるのだそうです。伊豆の旅では日帰りが多い私達ですが、何時かここに泊って温泉三昧といきたいものです。

 昔、女優・新珠美千代主演で「細うで繁盛記」というテレビ劇がありましたが、その舞台となった温泉旅館「山水館」はこの熱川温泉の設定でした。この旅館の繁盛の源泉は伊勢海老料理と言う事で筋書きが進みましたが、実際にこのドラマに依り、伊勢海老料理が全国に知れ渡り、その後の海浜旅館の定番料理になったのでした。伊勢海老の刺身や鬼殻焼きは最高のグルメですものね…、高価過ぎますが…。
posted by 三上和伸 at 22:54| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

日本の景色49 帆船日本丸・横浜みなとみらい21 2011.06.26

この日私は娘夏子が歌の伴奏で出演する音楽会に出向きました。場所はみなとみらいホールで、私は紅葉坂を経てみなとみらい地区に入りました。すると何と言う事でしょう。帆船日本丸が帆を張り誇らしげに観えてきました。この日はたまたま帆を上げる日だったようで、久し振りに完全なる帆船日本丸の姿を仰ぐ事ができました。まだ音楽会には間があったので日本丸を観ながら散歩する事にしました。まず動く歩道に上がり、写真の幅に納まるほどのポイントを探して歩きました。程良い所で写真をものにし、その後は汽車道に入り、ワールドポーターズを過ごして国際橋を渡り、みなとみらいホールに至りました。チョイと楽しい短い散歩でした。
帆船日本丸
昭和5年に各地にある商船学校の共有の練習帆船として建造されました。そして長い練習航海の末、昭和60年にみなとみらい21地区の石造りドックに係留保存される事になったのです。

posted by 三上和伸 at 23:22| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

日本の景色48 天竜ライン下り 2011.05.15

とうとう、天竜ライン下りの舟に乗ってしまった私達二人、泣こうが喚こうがもう後の祭り、ここは船頭に任せて川面からの眺めを楽しむ事に致しましょうと…。しかも何と可愛いガイドちゃん(若かったので)が付いてきて、もう私はニンマリ、高額の遊覧券以上の楽しみを獲得できご満悦でした。

1、もみじ橋(吊り橋)付近
もみじ橋付近
客の中から「何か水の色が変!?」との質問が出て、ガイドちゃんが訛りの掛かった可愛い声で答えていました。「大雨の後はこんニャー色で濁るンニャー、石灰が溶けてるンニャ、ホントの色はエメラルドグリーンニャ」だって…。うろ覚えなんでこんな風にガイドちゃんが言ったかどうか定かではないのですが、とにかく可愛い訛りっぷりなのでした。このお姉ちゃん、自らは地グロではなく焼けているだけだと言っていましたが、確かに毎日川面の反射光を浴びていればこうなるなと私は怠りなく想像していました。いいのかね嫁入り前?の体なのに、こんな過酷な職業に就いて…。しかし水を得た魚のように生き生きと仕事をする様はそんな他人事の心配を寄せ付けぬ程に実に心地よいものがありました。歌も歌ってくれたのですよ。愛らしいソプラノの声で、一寸外し気味だったけれど…。船頭二人との三人四脚、いい意味で客を酔わせる船旅だったと実感しました。最後の降りしなに私は一言彼女に聞いてみました。「面白かったけど君は毎日この仕事をしてるの?」と…、すると今度は綺麗な標準語で「はい、毎日しています」、更に私が「感想を感想ノート書いといたから読んでね」と言ったら真っ白な歯を見せて「嬉しいです、ありがとうございます」と喜んでいました。黒光りの肌だけど目のくりっとした中々の美人さんでした。本当に私は惚れっぽい性質ですね、寅さんといい勝負かも。妻の冷ややかな目線も感じないではなかったのですが???…。さくら風の妻よ、兄ちゃんを許してくれ…。

このもみじ橋はこの後再び戻った昇仙峡からハイキングをした折に渡った吊り橋です。この橋の袂には素晴らしい藤の花が咲いていました。後日お目にかけますね。

2、飯田線鉄橋辺り
飯田線鉄橋
JR飯田線は愛知県豊橋駅から長野県伊那市の辰野駅に下る地方鉄道です。赤石山脈と木曾山脈が鬩ぎ合う狭間に流れる天竜川に並行して線路は敷かれています。特に静岡県佐久間駅から長野県天竜峡駅間は名にし負う山岳渓谷鉄道となっています。JRの中で日本一の急勾配地点があり、激しいカーブの連続だそうで、しかも川を捲いて対岸に行かず戻って来る橋梁(S字橋梁)もあるそうで、極めて魅力的な鉄道だそうです。是非、今度は飯田線列車の旅を計画したいですね。

写真は天竜峡を出て暫く行った所、残念ながら列車には遭遇しませんでした。まぁ、一時間に上下合わせて二本のダイアですから無理もないでしょうが、出来たら天竜川を渡る飯田線を観たかったです。でもね、この後暫くして私達は飯田線に乗ってこの鉄橋を渡ったのですよ。ライン下りですから舟は下りの一通、だからバスか電車で元来た所に戻らなければならないのです。私達は計画通り電車で戻ったのです。ニコッ!

3、唐笠港
終着・唐笠港
川幅一杯に鯉幟が揚げられているのが唐笠港、ここがライン下りの終着点、この時間ではバスはなく、電車も40分待ちでした。港から坂を上った所が飯田線唐笠駅、同舟の皆様は暇潰しに持て余し気味でしたが、活発な私達は辺りを歩き回り何かないかしら、出来たら茶店でもないものかと探しましたがそんなものはありませんでした。私は何枚か花の写真を撮り、妻は朴の木(ホオノキ)の葉を何枚も摘んで駅に戻ってきました。「凄いね!どうするの?」と私…。「干して朴葉味噌を作るんだ、これ朴葉でしょ?この木の上の方に大きな白い花が咲いていたよ!」と妻…。「ムムム…、良く見付けたね!」私は妻に出し抜かれ悔しい思いに…一人沈みました。

4、飯田線、天竜峡行き
飯田線
もう嬉しくて嬉しくて、私は妻をボックス席に座らせて、私は私で車内を歩き回ってより良いシッターチャンスを逃すまいとポイント探しに躍起となっていました。ところが例の鉄橋を渡り掛けた時、カメラがストを起こし、シャッターがジャストミートしませんでした。私は放心状態となり、浮かぬ顔で席に戻ったところ、妻が「失敗したの?そんな事もあるよ、もう一杯撮れたじゃない。欲張んないの!」。慰められたのか叱られたのか良く分からなかったけれど、今は取り敢えずありがとさん!慰められたと確信しています。
posted by 三上和伸 at 17:53| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

日本の景色47 下栗の里 2011.05.14

下栗の里に咲く山桜
今、下栗の里は桜の季節を迎えていました。かと言ってこの里に染井吉野が植わっている訳ではありません。ここは標高千メートルの高地、咲いているのは山にある山桜です。沢山はありませんが、透明な空気に磨かれてとても美しいのですよ。この写真の桜もまだ咲き出したばかり、紅色の葉は見えますがまだ開いていません。本当に清らかで素敵ですね。改めて桜の美しさに感動したのでした。 
  
下栗の里俯瞰
以前に私はある旅行本を見て、この下栗の里の写真を知りました。嘗て見た事も無い面白い構図の地形であり、世には不思議な所(平家の落人伝説があるのも肯けます)があるものだなと感心した次第でした。そして最近の引越しのサカイのCMの映像、本当に驚きました。CMソングも大好きになったので、是非とも行ってみなくてはならないと、思いを強めたのでした。

下栗の里、期待通りの心和む山里で、恐らく私は暫くはこの地のリピーターになるであろうと確信しているところです。今秋にも必ず紅葉を愛でに行こうと意を強くしています。と言うのも、今回素晴らしい新緑(写真は撮り損ねました)に出会えたからです。新緑プラス寒冷地イコール紅葉絶佳は絶対的方程式と言って間違いはありません。私の心はもう近未来の秋にタイムスリップしてしまいました。

posted by 三上和伸 at 23:35| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

日本の景色46 開港広場界隈 2011.04.10

私は同行の二人の淑女の目を盗んでは、開港広場周辺をうろつき回りました。どうも年々、歳取るに従って単独行動を取るのが好きになりました。人と上手く合わせられなくなる老人性独善主義が頭をもたげているようです。まあ、孤独にならぬよう、今後は人づき合いに細心の注意を払い己を律していこうと思っているところです。

1、開港広場と横浜海岸教会(交差点南側)
開港広場と横浜海岸教会
手前に開港広場、その奥に海岸教会
日本大通り(国道133号線)から大桟橋に向かう最後の交差点がここ開港広場前の変則的な四差路です。ここは近代横浜の出発点として最重要の歴史的な地です。開港広場と隣接する開港資料館の辺りは、1854年に日米和親条約の締結が行われた場所で、当時同行したアメリカの御用画家が描いたその場の絵(開港資料館内に複製画がある)には、現在玉楠の木として開港資料館の中庭に保全されている楠が往時の巨大な姿で認められます。

横浜海岸教会は、1872年に日本初のプロテスタント教会として発足した日本基督公会が、三年後の1875年にこの地に建立した聖堂です。現在の建物は1933年に再建されたもので、白壁に緑の屋根が被せられ美しい佇まいを魅せています。思わず足を止め、暫し見物を楽しんでしまいました。この日は桜と新緑に包まれており、尚更の鮮やかさがありました。誰のために鳴らしているのか知る術はなかったのですが、塔の鐘が高い音を立て床しく鳴り響いていました。私は立ち去りがたく、うじうじとそこに根を生やしていたところ、あの人からは怒りのメールが…、心を残しすごすごとあの人の許へ向かいました。

2、開港広場前交差点西側
開港資料館と北欧料理スカンディア
左が開港資料館、その屋根の上には日本大通りを挟んだ向かいにある神奈川県庁の塔“キング”が覗いています。交差点の右向かいには私達が昼餉に使ったスカンディアがあります。横浜らしい洒落た良い眺めです。

3、シルクセンター(交差点東側)
シルクセンター
ここの開港当時の番地は英一番館(現在は山下町1)でした。イギリスの生糸貿易会社のオフィースがあった場所です。そして何よりも記憶に残すべき事は、ここが日本のシルクロードの終着点だった事実です。この先は少し行けば大桟橋であり、大桟橋の出来る前は、ここから直ぐの今は象の鼻と呼ばれる堤防に守られた区域が、荷上げ荷下げの重要な桟橋でありました。ここから海を渡り、ヨーロッパ・アメリカに日本の絹糸は売られていったのです。

シルクセンターは戦後の生糸貿易の振興のため、蚕糸業の国際的PRの場として1956年に設立された施設です。一時はかなりの繁栄を見せホテルなどの経営も試みられましたが、現在はホテルは廃業され寂しいものがあります。横浜ファンとしてはやるせないですね。

4、波止場のレトロな土産物屋(交差点北側奥)
レトロなお店
象の鼻公園に面している如何にも波止場のムード漂うお店、私は店の商品には興味はありませんが、この店の佇まいには大層惹かれました。古臭く一寸小汚い風情、中々乙なものがありますね。
posted by 三上和伸 at 22:57| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

日本の景色45 さくら・サクラ・桜 2011.04.10

今年の桜は咲き渋って心配されましたが、漸く満開を迎えました。恐らく散るのは早かろうと想われ、日曜日のこの日が最初で最後の花見時と確信し、横浜の花処を梯子しました。大岡川クルージングに始まって元町公園を散策し、根岸森林公園まで足を延ばしました。

1、横浜大岡川花見クルージング

@、大観覧車と桜
大観覧車と桜
大桟橋から出港した船は横浜港を大回りにして大岡川の最河口部に入りました。そこは空前の巨大なビルが犇めき合うみなとみらい地区。ランドマークタワーやクィーンズスクエア、そしてパンパシフィックにインターコンチネンタルのホテル群が覆い被さり迫りきました。地面より低い水面から仰ぎ見た眺めは、より高低差が際立ち圧巻でした。

このコスモワールドの大観覧車も正に天空の一角を仕切り、巨大な円を描き廻っていました。足下の万葉の湯の桜がほんのりと色を添え、横浜の新しい景色を創って魅せてくれました。

A、大岡川花見クルージング
大岡川クルージング
この一興を提案したのは妻でした。何処かでチラシを貰い、触手を動かしたのだそうです。ところが予約は四月三日としましたが、大岡川の桜は殆ど咲いておらず、主催した会社から電話があり、「どうしますか? キャンセルもできますが、一週間延ばす事も出来ます。出来れば延ばして頂きたいのですが?」と…。私達もキャンセルするつもりでいたので渡りに船、「親切な会社だね!」と感心したのでした。勿論、私達は一週間延ばす事にし、四月十日の花見となった次第でした。

ゆったりとあちら任せで楽しむ花見、こんなのんびりした花見も乙なものだと私はご満悦となりご機嫌でした。乗り合わせた若き三組のカップルのお仲間達と和気あいあい、はち切れんばかりの三人美女は眩しく愛らしく、私は桜を観ては三美女を眺め、また三美女を観ては桜を眺め、正に両目に花を楽しんだのでした。

横浜の下町を流れる大岡川。やや雑然とした感は否めませんでしたが、水面に映す枝垂れた染井吉野は色めき立ち、その都会の春色は素晴らしかった…。

2、マリンタワーと桜
元町公園の桜 
大桟橋から本町まで歩き、そこから11系統のバスに乗り、元町公園前を目指しました。まあ、歩いても知れたものでしたが、事情があり乗り物を使いました。ところで何と11系統のバスは横浜市営から神奈中バスに変わっていました。驚きました。市交通局の減量化(弱体化)、まあそれもご時勢かも知れませんが、前の市長の悪しき?置き土産でしょうかね???

てっぺんの山手から元町公園の中をゆっくり下り元町まで…。今度は歩いて桜を楽しみました。ここからは丁度正面に古きよき横浜のシンボル・マリンタワーが観えます。中々いいアングルです。年配者には涙ものの景色ですよね?…、懐かしさに包まれたワンショット…。

余録:ペットバー
ペットバー
元町に下り着いたら苦難が待ち受けていました。何と連れのお二人(義母も入れて)は元町のウィンドウショッピングに夢中? 私を置き去りにして知らんぷり、私は仕方なく美女鑑賞に勤しみました。まあ多少年配が多いのが元町の欠点ですがね…結構楽しめました。

それにしても犬連れの多い街ですね。こんな代物もありました。犬の水飲み場だそうです。結構有名だそうで、テレビにも登場したそうです。

3、根岸森林公園
桜の向こうに旧競馬場の廃墟
レストハウスの展望台からは桜山と旧横浜競馬場の一等馬見所の廃墟が観えます。誠に不思議な景観で、観る者の感性をザワつかせエキゾチックな空想に誘います。廃墟探訪がある人々に人気があるのが分かる気がします。優雅な桜山に奇怪な廃墟、その隔絶と調和に私は心惹かれました。
posted by 三上和伸 at 22:33| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月28日

日本の景色44 永平寺 2011.02.06

 福井県吉田郡永平寺町にある永平寺は誠に雪深い北陸の山寺でした。臨済宗と同様の禅宗の寺でひたすら座禅を組んで修行をする曹洞宗の大本山です。鎌倉時代の僧・道元が宗祖で中国に渡って学び持ち帰った悟りの教えです。

 因みに曹洞宗とは元来は中国禅宗の宗派です。同じ曹洞宗の大本山・横浜鶴見の総持寺とこの永平寺は教えは同じでも異なる宗派のようです。

1、永平寺の鳥瞰図
永平寺・鳥瞰図
流石に大本山、広大な敷地の中に多くの伽藍が建てられています。それもその筈、ここは禅の修行の場、現在でも百人を超す多数の若き修行僧が集い日夜座禅など厳しい勤めを果たしているそうです。写真で分かる通り各建物は屋根付きの回廊で結ばれており、多くは木の階段となっていますが、それらはピカピカに磨かれています。そこら当たりにもこの寺の修行の凄まじさの一端が垣間見られました。塵一つ落ちてはいなかったのでした。

2、雪の伽藍
雪の伽藍
恐らく仏殿だと思うのですが、建物が多くて混乱し、何がどの建物だか訳が分からなくなりました。私の弱点・方向音痴が露呈したのでした。妻が傍にいなければ間違いなく迷子になっていたでしょう。

しかし、雪の伽藍、素敵でしょう? こうして雪が乗っている屋根もあれば雪下ろしの済んだ屋根もありました。雪がある方が美しいですが、雪は建物を痛めるのでしょう。雪下ろし、順番にやっているようでした。ホントに大変そうでしたよ。

3、永平寺の御朱印
永平寺の御朱印
永平寺の御朱印、しっかり妻は頂いていました。また他に千円の瓦の寄付をして簡単な数珠を貰っていました。曹洞宗は義父の菩提寺の宗派、その大本山の御朱印と数珠なので有難味は一入のようでした。この事だけでも良い旅ができました。本当によかった。しみじみとそう思うのでした。
posted by 三上和伸 at 23:38| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

日本の景色43 金沢兼六園の冬景色 2011.02.06

氷り付いた霞ヶ池 
兼六園の中心をなす霞ヶ池、薄い氷が張り正に冬真っ只中の風景を魅せていました。朝一番の訪問なのに既に客は引きも切らず人が溢れており、写真の撮り難い事夥しかったのでした。有名な池の袂の唐崎松の雪吊りは、最早人を入れずに写す事は困難で、早々に諦め、対岸の内橋亭(茶屋)を中心に据え一枚をものにしました。冬の兼六園の静けさが表現できて満足をしました。

雪吊りの赤松
一枚でも雪吊りの松を撮りたかったので園内を隈なく歩き素敵な赤松を見付けました。立派な松に雪吊り、金沢の兼六園に来た甲斐がありました。

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2011年02月09日

日本の景色42 鯉幟の寒晒し 郡上八幡吉田川 2011.02.05

鯉幟の寒晒し
日本一の清流と謳われる長良川、そして更に清らかな支流の吉田川、その水の清さ故にこの郡上八幡が水の都と称えられるのは当然と合点したのでした。丁度、糊を洗い落とす寒晒しの作業を終えた後なのでしょうか、職人さんは居ず、鯉幟だけがピンと枠に張られ清々と川を泳いでいました。絵になる素敵な風情を醸しており、私はここに来れた幸せを噛み締めたのでした。

 郡上八幡は古くから藍の本染めの生産地なのだそうです。

 
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2011年02月08日

日本の景色41 郡上八幡城 2011.02.05

郡上八幡城
郡上八幡城
昭和八年(1933)に再建された木造の城。町の所々から仰ぎ見る事が出来ます。再建された木造の城では最古だそうですが、そんな事は大した事ではありません。要は美しければよいのであり、その事で言えばこれ程美しい山城は滅多にないと思われます。石垣は野面積(のづらつみ)と称す荒々しい組み方で戦国時代の特徴を残すものだそうです。誠にロマンチック…、私は惚れ惚れと観上げ飽きる事はありませんでした。

 またこの城の元の砦を築いた戦国の武将・遠藤盛数の娘が後の山内一豊の妻だそうで、この城山公園に夫唱婦随の二人の像があります。私達は観れませんでしたが…。
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2011年02月06日

日本の景色40 白川郷 2011.02.05

雪の合掌の家
先程、白川郷から帰って来ました。

雪に埋もれた村、雪を頂いた合掌の茅葺屋根、それは痺れるような清らかな白の世界。私達の住まいとは隔絶された美しい別世界がありました。
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2010年11月06日

日本の景色39 箱根仙石原の茅原 2010.10.23

箱根仙石原
仙石原は箱根火山のカルデラ内に位置し、元は芦ノ湖に続くカルデラ湖であったと言われています。やがて長い年月を掛けその湖が干上がり湿原と草原に姿を変えたのだそうです。現存する湿原としては箱根湿生花園内に保存されており、園内を巡れば湿原の今日の様子がつぶさに観察できます。

 一方、草原として名高いのはこのススキの原であり、近年では春三月に野(山)焼きが行われて雑木類が生えるのを抑え、益々ススキが隆盛を極め美しい茅原となっています。直ぐ近くには箱根外輪山の金時山も聳えて観えます。その金時山を眺めながらこの茅野を散策すれば秋の風情を十分に楽しめて素敵です。
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2010年09月28日

日本の景色38 日向薬師 2010.09.26

日向薬師本堂
表丹沢の山懐に抱かれた古刹。日本三大薬師の一つと数えられ、古から厚い信仰を集めてきました。本尊は木造薬師如来三尊像で、無病息災、病気治癒の霊験あらたかです。

深い森に包まれた参道は石段と岩の露出の段が交互に現れ滑らないように慎重に進みます。喘ぎ喘ぎ上ればやがて茅葺屋根が観えてきます。最後の石段を踏破すれば広い境内に出て、茅葺の大伽藍は眼前にありました。思いっきり深呼吸をしてお参りをしました。

参拝後、持参したお結びを境内の休み処で食べました。その美味しかった事、お腹ぺこぺこで食べるお結びほど、その美味しさと食べ応えを感じる食品はありませんね! 素朴な食べる喜びの原点を感じました。
posted by 三上和伸 at 22:24| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

日本の景色37 田園に咲く曼珠沙華(彼岸花) 日向薬師 2010.09.26

 彼岸明けのこの日、私は待ちに待った曼珠沙華(彼岸花)に会いに伊勢原の日向薬師に足を運びました。以前からここは曼珠沙華の群生地として名高く、曼珠沙華を愛する私としてはどうしても訪れたい憧れの土地でした。 

 この日は妻が娘の主催する子供のためのバロックダンス教室のお手伝いをするため同行せず、私の一人旅となりました。そこで車は止めにして、徒歩バス電車で移動する事にしました。朝、妻にお結びを作って貰い、それと買い置きの一本十七円の大型スーパーの飲料水を一緒にショルダーバッグに入れ、家を出ました。ワクワク、イソイソ、ドキドキ、私の胸は曼珠沙華と同じように赤々と燃えあがるのでした。
 
 因みに…、私の一人旅は同行者がいる旅とはまるで違います。そうです、乏しい懐(お小遣い)具合なので超ケチケチ旅行をするのです。出費は必要不可欠の最小に留め、グルメなどは見向きもせず、お結びやコンビニパンで済ましてへっちゃらです。ひたすら歩いて見聞に努め、この日も花と蝶に水と風の音、そして歴史ある伽藍の重厚な佇まいを楽しみました。 

畔に咲く曼珠沙華 土手一面の曼珠沙華 柿畑の曼珠沙華
日向薬師の山裾には田園が広がり、そこに数万本の曼珠沙華が花開きます。趣きある棚田の畔は至る所、赤一色に染め抜かれていました。誠に色鮮やかで目の覚める思いでした。丁度、田の稲は刈り取られたばかりで天日干しにされており、更に風情を添えていました。きっと美味い米なのでしょう。お百姓さんの働く姿は機敏そのもので、それを証明しているように見えました。

歩数:12,294歩

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2010年09月01日

日本の景色36 祈りの旅の記憶・御朱印帳

御朱印帳
戸隠神社の御朱印です。濃い墨、美しくも重い文字、私の好きな書ですね。
 誤解を恐れずに申せば、私達は全く宗教心とは縁遠い存在であり、信仰は何時も心の中にあります。信仰とは自分が開くもの、未熟ながら自分なりの愛と希望と信念を持って生きているのが、私達夫婦の共通点です。

 そんな私達ですから、このブログに著わされているように、節操もなく多神教的に様々な神仏や海外の聖の領域を訪ね、親しみを覚え楽しんでいます。その教義や式典にも興味を惹かれますが、何よりもそこに顕われている歴史や文化、そして自然に溶け込んだ神秘的な神殿や伽藍の佇まいが大好きなのです。まあ、完全に観光として接していると申せば、宗教心の厚い方々には叱れるかもしれませんね。すいません。

 その巡礼の旅の思い出として、何時しか妻は御朱印を集め始めました。朱印帳を買い求め、一か所一か所訪ね歩き御記帳を頂き、思い出の拠り所とするのです。私も時々眺めさせて貰い、あの寺、あの社を思い返しては思い出に浸るのです。きっとそこには何がしかの信仰の安らぎがあるのかも知れませんね…。
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日本の景色35 別所温泉・安楽寺・三重塔 2010.08.16

 常楽寺より元来た道を戻り、温泉街の手前を右に反れれば深い谷戸伝いの道となります。暫く歩み再び右に道を逸れればそこが安楽寺の参道の入り口となります。棒の足をなだめつつ、ゆるゆると緩い坂を上り詰めれば漸く本堂に辿り着けました。しかし、国宝の八角三重塔はそこから更に階段を上った先、ほうほうの体で上り切れば有難や、国宝の三重塔は眼前にありました。

八角三重塔(国宝)
八角三重塔
別所温泉が信州の鎌倉と呼ばれているのは何故か? それにはこの安楽寺を差し置いては語れないものがあります。信州最古の禅寺と言われる安楽寺は、往時鎌倉幕府北条氏の手厚い庇護を受けもし、鎌倉第一の禅寺・建長寺とも深い縁がありました。禅宗の寺の集まりが鎌倉なれば、禅宗の名刹の誉れ高い安楽寺があるこの別所温泉を、信州の鎌倉と呼び習わすのは当然の道理と言えるでしょう。

 安楽寺が誇るものと言えば禅宗の教えですが、もう一つこの寺が世に問うものと言えば、この木造八角三重塔に他なりません。日本で唯一の八角の塔で順唐様式の造りになっています。鎌倉末期の建造で国宝に指定されています。

 午後の傾いた光の中で観た三重塔は、くすんだ重厚な光を投げ掛けていました。私に信仰の偉大さとその膨大な時間の重さを知ら示しました。ふと、私は時空を超え暑ささえも忘れ、時間旅行の狭間に遊びました。この三重塔こそ今回の旅の白眉でした。
posted by 三上和伸 at 22:50| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

日本の景色34 別所温泉・常楽寺 2010.08.16

真夏の午後のお寺詣り、二人ともそろそろ顎を出し掛けていましたが、妻の御朱印集めの情熱(執念)と私の風光の中の漫ろ歩き好きが後押しして何とか笑顔で巡る事ができました。風情ある温泉街の路地を抜ければやがて豊かな緑が滴り、常楽寺の境内が見えてきました。

常楽寺本堂
茅葺の本堂
茅葺の本堂、緑の植え込みと溶け合って美しい佇まいを魅せています。いやが上にも郷愁を誘われ、一番好きな風景と誰もが言ってしまいそうな眺めがそこにありました。私は少しそこに佇みうっとりと観望しました。

 昔は最澄が伝えた天台宗台蜜教学の信州の中心で、隆盛を極めたそうです。またこの本堂の裏手からは北向観世音菩薩が発見され、この寺は現・北向観音の本坊だそうです。

石造多宝塔(重要文化財)
石造多宝塔
石で造られた多宝塔、真ん中にある二層でひさしを付けたものが本来の多宝塔です。塔内に釈迦如来・多宝如来を安置するそうです。

 鬱蒼とした林内にあり、神秘的な暗さが印象に残りました。
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2010年08月28日

日本の景色33 別所温泉・北向観音 2010.08.16

 北向観音は別所温泉街の只中にあります。その顕著な表れは参道の入り口にある手洗い口すすぎ場の水で、これは慈悲の泉なる温泉なのです。かなりの高温で熱く感じられました。さらに境内にある手水舎にも温泉が使われており、やはり慈悲の泉と呼ばれています。この源泉は境内にあるそうで正に温泉街の観音様と言うに相応しい古寺と思います。遠くにあっても相向き合っている南向きの長野・善光寺と合わせてお参りすれば、更に霊験あらたかだそうです。

 愛染堂と愛染桂(北向観音境内)
愛染堂 愛染桂

彼の戦国の雄・直江兼続に、己の兜に愛の文字を掲げさせたのは恋愛の守護仏・愛染明王への信仰心。その愛染明王を祀ってあるのが、この愛染堂、傍にある愛染桂の霊木と共に縁結びの神・神木としてここに存在しています。良縁を求める方は一度訪れてみては如何でしょうか。きっと良い兆しが顕れるでしょう。また縁ありし者でも、心新たに念ずれば、更なる愛の高みに上り詰める事が可能ではないでしょうか…。私も心して念じてみます。魅せます。

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2010年08月27日

日本の景色32 上田城掘割 2010.08.16

上田城の掘割
真田幸村の父昌幸が築いた城。勿論幸村も居城としていました。二度の徳川の大軍を退けた堅牢な城で、それは石垣の石組や不気味に城外に通じていると言われる真田井戸、そして美しく造られたこの掘割に顕われていました。

 この城跡周辺を散策していたところ、私達夫婦は私の我が儘と過失ではぐれてしまいました。私に突然魔が差したのか、不吉な予感がし、慌てて妻を探し廻りました。しかしいくら探しても妻の姿は見付けられません。仕方なく駐車場の車まで戻りましたが、妻の姿はありませんでした。無情にも時間は過ぎ行き、再びの悪い予感が過ぎり、妻は私に失望し、失踪したのではないかとか、誰かに誘拐されたのではないかとか思いは乱れ、正直、私は己を失い掛けました。携帯電話を持たない私は当然妻の携帯のアドレスも判らず、仕方なしに私の実家の母に公衆電話で「今、ママと待ち合わせをしているけど、電話できないので、お母さんからママの携帯に電話して、僕は車で待っているからと伝えてくれない」と頼みました。何故、上田から横須賀の母なのか? この当時は二人の娘も義母もフランスにいたからであり、私が憶えて掛けられる電話番号は実家以外にはなかったのでした。幸い母の携帯は妻の携帯にダイレクトで通じるようになっており、首尾よく事は解決しました。直ぐに妻は私の前に現われました。その顔には満面の笑みがこぼれていました。…

posted by 三上和伸 at 23:57| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

日本の景色31 信濃国分寺 2010.08.16

 国分寺とは、聖武天皇の勅願によって天平13年(741年)に国家鎮護のため国分尼寺と共に国毎に建立された寺院を指します。僧職を置き、その国内の僧尼の監督をさせ、朝廷からの特別の保護がありました。奈良の東大寺を総国分寺としました(広辞苑)。信濃の国ではここ上田にあり、今は創建時の建物はなく、そこは国分寺跡の史跡公園として残っています。現在の国分寺はこの史跡公園から国道18号を挟んで直ぐ北にあり、世間では八日堂と呼ばれ親しまれています。本尊は薬師如来です。

 1、三重塔(重要文化財)
三重塔
国道沿いに仁王門があり、暫く行くと本堂八日堂が観えてきます。その手前右にこの三重塔はあります。室町時代の造りであり、銅板の屋根の反りの強さが美しさの源と言われています。

 2、八日堂(本堂)
お薬師様の提灯
御本尊のお薬師様の提灯が下がる本堂。八日堂の名で親しまれています。それは正月の7日(夜)八日に縁日(だるま市)が立つからで、大変な賑わいを見せるそうです。そこではだるまの外に蘇民将来符なる招福除災の護符が売られるそうで、ドロヤナギの材を六角に削り出した男根に似せたもので、そこに七福神を描き、六面に二字ずつ「大福長者蘇民将来子孫人也」の十二文字が記されているそうです。この日は残念ながら見過ごしました。恐らく売店ではレプリカのお土産のようなものは売っていたでしょう。

 3、蓮の花
国分寺の蓮
境内の続きには広大な蓮池が広がり、沢山の花を咲かせていました。そしてその先には水田も続き、稲は若い穂を付けていました。誠に鄙びた風景を魅せており、田舎を旅する喜びが溢れました。
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2010年08月22日

日本の景色30 随身(神)門と杉並木、そして戸隠神社奥社と戸隠山 2010.08.15

 1、随身門
随身門
これが奥社参道の中程にある随身門(ずいしんもん)です。この門の左右には神像が安置されています。これは、昔、神社が仏寺の仁王門の仁王に倣ったもので、奥社の祭神を守る守護神です。ここからこの参道は奥社まで杉並木となります。

 2、杉並木
杉並木
随身門から奥社本殿の直下まで、参道の両側を約500mに亘って壮大な杉並木が続きます。夏でも涼しい風が渡っており、ゆっくり歩めば清々しい参拝ができます。慶長十七年(1612年)、徳川幕府より一千石の朱印地を拝領した際、記念に植樹されたクマスギだそうです。現在樹齢約400年を経過して巨木化しています。

 3、戸隠神社奥社と戸隠山
奥社と戸隠山
祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)。天照大神が天岩戸にお隠れになった時、その岩戸を開き振り飛ばしたのがこの怪力無双の神・天手力雄命。そして振り飛ばされてこの戸隠の地に納まったが現在の戸隠山と言う楽しい神話があります。その戸隠山がこの奥社の背後に迫る峨峨たる岩山なのです。往時には高野山、比叡山と並ぶ修験道の一大勢力の山だったのです。

 奥社信仰には開運、心願成就、五穀豊穣の御利益があるそうです。
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2010年08月19日

日本の景色29 戸隠神社中社 長野市 2010.08. 15

戸隠神社中社の鳥居と三本杉
中社の鳥居とその背後には三本杉
祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽を創案し岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神とされます。
鳥居の先、石段を上れば右側に三本杉が現われます。根は一つで、元から三本に分かれてそのまま垂直に聳えています。樹齢九百年の巨大な御神木で天然記念物に指定されています。
  
 周囲には戸隠蕎麦の名店が軒を連ね、宿坊を兼ねた店もあり、中社は戸隠で最も繁華な佇まいを見せています。どの店も繁盛しており、どの店を利用するかは思案のしどころです。今回は徳善院蕎麦・極意に決めました。その蕎麦の姿形や味わいは後日食べ歩きの項で紹介いたします。お楽しみに…
posted by 三上和伸 at 07:33| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の景色28 戸隠神社宝光社 長野市 2010.08.15

戸隠神社宝光社
学問や技芸に裁縫と、更に安産や女性に纏わる神・天表春命(あめのうわはるのみこと)の祀られた神社。女性のための神社と言えるのでしょうか? 
入母屋造り、銅板葺き、妻入り(三角形の側面に出入り口がある建築様式)の建物。軒先には美しい彫刻が施されています。

 私はこの神社の手水舎(てみずや、手洗い所)で素敵な女性と出会いました。ほぼ同時に水に触れた時「冷たいですね!」と口々に感動の言葉を発しました。それから参道の百九十余段を上り詰め、「ハーハー、ヒーヒー、ゼーゼー」と咽んだ後、参拝し終えて少しお話をしました。とても感じよくお話ができました。楽しかったです。三重の真実さん、メールありがとうございました。


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2010年08月17日

日本の景色27 善光寺 長野市 2010.08.15

長野善光寺
善光寺本堂(国宝)
創建は皇極天皇元年(西暦642年)だそうです。
度重なる火災に遭っており、現在の建物は宝永四年(1707年)の江戸中期の再建だそうです。
檜皮葺き(ひわだぶき)の撞木(しゅもく・T字形)造りの建物、これは国宝建築の中で日本最大だそうです。
誠に巨大な木の建造物であり、その威容に圧倒されました。焚かれた線香の煙も旺盛で、その賑わい振りが窺えました。

 *立て看板の説明書きを参考にしました。
posted by 三上和伸 at 22:43| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

日本の景色26 信濃の古刹の下調べ

 明日明後日の旅では、信濃の国の古刹や古の神社を訪ねて来ようと思っています。善光寺に始まり戸隠神社に参り、信濃国分寺を詣で、別所温泉の三つの寺を巡ります。何れも国宝や重要文化財の建物が多く存在します。

 今、参考本やネットを使ってその下調べをしているとろです。そしてそんな中、興味深い事実が分かりました。もちろんご存じでいられる方も多いでしょうが、私は知らずにいて興味を引かれ、なるほどと感心をしたのでした。

 それは塔(三重塔など)とは本来何だったのか? 何の役目を果たしていたのか? そんな事が分かりました。それはお釈迦様のお墓なのだそうです。そこにはちゃんと舎利と言うお釈迦様のお骨まであるそうです。このお墓が本来の信仰の対象だったのだそうです。それが次第に変えられてしまい、本堂が信仰の中心になったのだそうです。

 この知識を得ただけでも今回の探訪は今までと違ったものになる筈です。益々楽しみになってきました。後日写真を交えてご報告致します。
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2010年08月05日

日本の景色25 葉山の棚田とヒマワリ 葉山町上山口 2010.08.05

葉山の棚田
 「にほんの里100選」にも選ばれて、今や有名になってしまった葉山の棚田。今更ここで取り上げるのも何だとは思いましたが、私は棚田の景色が大好きなので、敢えて掲載させて頂きました。今日は葉山の仕事だったので…、つい空き時間に訪ねてしまいました。

 私がこの棚田を知るきっかけとなったはNHK教育TVの番組であり、そのとき紹介されていたお百姓さんの鍬一本で畔を造る妙技に感心させられたのでした。あの心奪う技の素晴らしさは、この見事に下刈されて現われた今の美しい畔の曲線に生きていると思い当たりました。あの感動が蘇りました。

ヒマワリ
 この辺りは、春には二輪草や山瑠璃草などの野の花が咲き乱れる所ですが、今は夏、野の花はなく、その代りに向日葵が色を添えてくれていました。暑い夏にはピッタリの風景でした。
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2010年07月27日

日本の景色24 鎌倉の田園と茅葺の家 鎌倉市笛田 2010.07.27


鎌倉の田園 茅葺の民家

 今日の午前のお客様は鎌倉市笛田の方、そのお家へ向かう途中、美しい水田を見付けました。青々として気持ちが良く、少し眺めていたかったのですが、遅刻が怖いので仕方なく、仕事を終えた帰り道に楽しみました。路上駐車をしていたので短時間で歩き回り、道の奥の茅葺の民家まで訪ねました。辺りを見回せば二件の茅葺屋根が確認できて嬉しくなりました。まだ残っているのですね。奇跡的ですね。その上、このお家、どうやらお住みになられていうようです。本当に素敵ですね。嬉しい事です。
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2010年04月12日

日本の景色23 南アルプス・白峰三山と桃 一宮町より

白峰三山と桃
白峰三山(農鳥岳3023m 間ノ岳3189m 北岳・古名:白峰3193m)
 笹子トンネルを抜け、暫く車を走らせると突然甲府盆地が見晴らせます。そして何とその正面には膨大な山脈が立ちはだかり、美しいスカイラインを描いて観えてきます。正にこれが日本の屋根の南の山塊、南アルプスこと赤石山脈です。私達はこの地にある釈迦堂パーキングエリアに車を止め、暫しの間休息と南アルプス観望に費やす事にしました。さらにここは有名な甲府盆地の桃源郷であり、周囲は桃畑が大きな広がりを見せていました。私はエリアから抜け出しその農園の桃畑の一角に分け入り桃の花を楽しみました。そして園内から西を仰ぎ素晴らしい真白な白峰三山を桃越しに写真撮影をしました。富士山、穂高槍連峰と並び称される日本山岳の精華が目に染みました。
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2010年04月10日

日本の景色22 花三昧三題 2010.04.10

 先程、花詣での日帰りの旅から戻りました。高速道路の渋滞に巻き込まれ難渋しましたが、忍耐の末、やっとの事で我が家に帰れました。ホッと一息です。
 それにしても絶好の行楽日和に恵まれて最高の旅ができました。山の風景に麗しの花、そして旨いものと何から何まで素晴らしく、怖いくらいの幸運が待ち受けていました。
 まずは好天に呼応し欄慢と咲き競い、我が世の春を謳歌していた桃と桜の咲き振りを紹介します。

山梨県一宮町の桃
モモ
モモ(桃、バラ科サクラ属)写真は食用の桃
昔中国から渡来した樹木。梅と同様に極めて有用な植物であり、その有難さは誰もが感じているところです。花も綺麗ですが実はもっと素敵であり、その美味しさは筆舌に尽くし難いものがあります。また葉も重要であり、薬用にされます。

高遠城址の小彼岸桜
コヒガンザクラ
コヒガンザクラ(小彼岸桜、バラ科桜属)
マメザクラとエドヒガンザクラの雑種とされています。両者の特徴が端的に表れていて、紅が強く、極めて小振りの愛らしい品種です。楚々として上品ですが華麗でもあり、麗しき乙女の風情が濃厚です。本当に美しい桜で、園内では方々で感嘆の溜息が聞えていました。

日本最古の桜・山高神代桜(エドヒガンザクラ) 山梨県武川実相寺
山高神代桜
エドヒガン(江戸彼岸、バラ科サクラ属)
エドヒガンは山野に自生する桜で、桜の中では最も長生する種です。全国には多くの名木を産しており、桜の王者です。この山高神代桜もエドヒガンの名木で樹齢二千年と言われています。主幹は折れて無く傷みも激しいですが、脇から伸ばした枝に豊かに花を付けます。およそ二千回も花を咲かせたはずで、その天文学的な数値の偉大さを知るにつけ、私は驚き呆れ、ただただ感動に押し潰されるのです。
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2010年04月07日

日本の景色21 観音崎灯台 2010.04.06

父を見舞い母を実家に送り届けた後、陽気も素晴らしく時間もあったので、観音崎に出向きました。この春の時期の海岸の花が気になっていたのであり、花追い人の私としては外せぬものでした。春欄満の岸辺には期待通りの花々が満ち溢れ、楽しい一時を過ごせました。

観音崎灯台
日本初の西洋式灯台。海の銀座・浦賀水道の安全を担い日々灯火を点滅させています。観音崎の森の高台にあり、海岸からは美しい白亜の塔として望めます。私の子供時代からの馴染みであり、私の大切な心の原風景の一つです。

 *後ほどこの日見付けた花々をご紹介いたします。
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2010年03月07日

日本の景色20 横須賀美術館

 昨日の雨の土曜日、私は妻と連れだって横須賀市観音崎にある横須賀美術館を訪ねました。父への見舞いの前の時間を当てたのと誰かさんの朝寝坊のため、大幅な時間短縮となりましたが大いに楽しめました。
 所蔵品展では大正・昭和初期の東京:まちの風景が素晴らしいと思いました。古色蒼然のレトロな風景は熟年の私には何となく記憶の端に残ってる風景であり、懐かしさで胸が染みました。
 現代の画家たちのワンダーシニアサーティー展は流石に現代のもの、その一部は私のような年齢の者にも見応えある作品もありましたが、古い鑑賞眼ではにっちもさっちもいかぬものも多くありました、まるで前衛音楽を聴いているかのような…。意味があるのでしょうが、感性と心に触れてこないのはどうしたものでしょうか?
 そして併設されてる谷内六郎館は誰にでも親しめる優れた会場でした。確か?あかとんぼの旋律がながれ「週刊新潮は明日発売されます」のテレビCMでお馴染みだった週刊新潮の表紙絵。私も随分買った覚えがあります。その原画と六郎氏自身が書いた表紙の言葉が沢山展示されていました。正に懐かしさの極みであり、彼の言葉も絵と同様に優しさに溢れていて涙ものでした。
 
横須賀美術館玄関ホールから観た風景
広い玄関ホールからガラス越しに観た東京湾、巨大タンカーが見える
 美術館は前面が東京湾に開かれ背後は観音崎公園の照葉樹林が迫り、自然豊かな絶好のロケーションにありました。晴れていれば更にその感興は増したでありましょう。
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2010年01月13日

日本の景色19 成田山新勝寺額堂

 額堂
新勝寺額堂
文久元年(1858年)に建てられた入母屋造りの堂。全面を吹き放しにした見事な建物、絵馬を掲げるために造られたのだそうです。素敵ですね。
 この写真の中に我が愛妻が写っています。カッコいい後ろ姿で佇んでいる女性です。
 
 新勝寺の鳥瞰図
鳥瞰図
 これを見ると新勝寺の歴史ある建物の配置が判ります。光明堂や釈迦堂は昔の本堂であった建物、いずれも国の重要文化財であり美しいお堂です。
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2010年01月12日

日本の景色18 成田山門前町 2010.01.11

 我が父母の用命で昨年に続き私達夫婦は成田山に詣でました。参拝をし父母のお守りを買い求め境内を巡りました。そして楽しみにしていた門前町の散策をしました。古い家並の続く参道には雑踏が溢れ信仰の深さとそれとは対極の物見遊山が混在していました。もちろん私たちは使いの用事はありましたが、物見遊山の客と言えました。楽しい散歩と美味しい昼餉にあり付きました。
 
成田山門前町 大野屋の鰻重  
成田山門前町(総門を出てすぐの家並) 大野屋の鰻重
 花餅の飾りが軒を愛らしく彩っている家並の先には古式床しい塔のような屋根が見えました。この建物が私達の昼餉で利用した大野屋で元々は古い旅館のようでした。店内は浮世絵の軸物のポスターが飾られ赤い団扇が置かれており、江戸の料理屋の風情が濃厚で彼の時代にタイムスリップしたような錯覚を楽しみました。鰻重は前年の駿河屋とは大分異なり、やや口触りに質感のある食べ応えを感じました。これはこれで中々の味でした。妻は先年の駿河屋のとろける味が好みと申していましたが、私はこの大野屋が気に入りました。鰻は美味しいですね…、疲労で食欲が萎えていた私ですが美味しく食べられました。
 
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2009年10月18日

日本の景色17 御嶽神社里宮

御嶽神社里宮
御岳神社里宮
 御岳山山頂にある御嶽神社は修験者達の行の到達点ですが、私達のような観光客には麓の王滝村にある里宮が用意されています。車で乗り付け簡単に参拝ができ便利です…と思ったら御岳山は修験道の山、そう易々と安易には拝ませてはくれませんでした。なんと奥の礼拝所に行くには371段の急な階段を上らなくてはならなかったのです…妻は行く気満々で逡巡する私を強く促しました。メタボの私にはちょいと辛い参拝となりましたが、せっかくの事ですから妻の願いも聞き入れ、行者になったつもりで頑張りました。ヒィーヒィーゼイゼイ深い鎮守の森を登ればやっとの事で礼拝所に行き当たりました。心臓はバクバクと荒れ狂い、足はパンパンに強張っていました。ほっと一息きと暫し休みをとり、息を整え参拝を済ませました。心地よい満足感と共に元来た階段を慎重に降り、下界に戻りました。無事に戻れて?よかったよかった!
 妻は社務所で御朱印を頂き更に満足を深めたようでした。よかったね!

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2009年09月28日

日本の景色16 美瑛の丘 2009.9.23

1、空に一番近い木
空に一番近い木
 なだらかな丘を巡れば素敵なハート型の木に出会いました。こちらから眺めれば、何か空の中に浮かんでいるようで、とても気持ち良さそうでした。「オーイ木よ!、空が近くでいいなあー、僕もそこまで行くからなー、待っててなー。」と心で叫んでしまいました。真に美瑛の丘は空の近くにありました。

 2、原色のお花畑
原色花畑
 原色の花畑、壮観です。これは何方でも観れば興奮を抑え切れないようで、方々から歓声が上がっていました。私も大いに楽しんで「雪が降るまでのもう一時、御苦労な事だが美しく咲き継いで、私達を愉しませておくれね!」と花達にエールを送りました。
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日本の景色15 田園と山の美瑛 2009.9.23

P9230451.JPG
広がる田んぼに十勝岳連峰
 北海道の中央に広がる富良野盆地、そこには広大な田んぼが広がり今や黄金に色づいており、そろそろ稔りの時を迎えているようでした。北海道のイネは茎の節が2〜3節の矮性の種で、短期間で実を付ける種だそうです。夏が短い北海道ならではの稲なのですね。見た感じ、短く見えますよね…。
 遠くに十勝岳が望め北海道らしい胸の空くような広々とした風景でした。
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2009年09月26日

日本の景色14 旭山動物園 2009.9.23

ゴマフアザラシ遊泳のシルエット
ゴマフアザラシ
 期待の高かった旭山動物園でしたけれど、残念ながら満足のいくものではありませんでした。その主な理由は敷地や施設が狭い事、動物の種類や数が少ない事、園内は傾斜がきつく行ったり来たりに骨が折れる事などです。当然、大混雑になり気持のよい動物園散策ができなくなります。結果、欲求不満が募り不快感が増すばかりとなるのです。狭い割には疲れる動物園と言えるでしょう。
 そして反対にマスコミを含め、私達の側にも問題はあります。話題を煽るマスコミ、それに食らい付く私達、夏休みや連休には許容量を超えた節操のない見物客(私達を含め)が殺到し、労多くして楽の少ない動物園詣でとなるのです。「分かっているけど止められない」、人間て悲しいものですね…。でもそのバイタリティーは大したものですよね!。
 またこの日は暑く、午後に訪れた私達を待ち受けていたのは、暑さにやられて力なく横たわりお休みしている動物達ばかりでした。TVで見たあの生き生きとした仕草や動作は見られず、残念至極拍子抜けをしてしまいました。やはり涼しい季節の午前中に訪ねなければならなかったのですね…。
 そんな中この胡麻斑海豹(ゴマフアザラシ)だけは元気に水槽の中を泳ぎ回っていました。例の強化プラスティックのパイプの中にも何度も入り、私達を楽しませてくれました。但し私のデジカメは反応が悪く、このパイプの中のアザラシは上手く写せませんでした。でも私の真上を遊泳するアザラシは見事…、捉える事ができました。可愛いでしょ!。
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2009年05月09日

日本の景色13 箱根漫遊 2009.5.9

連休の混雑を回避して待ち、連休直後の今日、箱根に出掛けてみました。その思惑は見事にはまり、東名高速はスカスカ、あっと言う間に御殿場に着きました。その後も混雑はほぼなく、帰路の厚木の事故渋滞5分のみで、極めて短時間で充実した行楽を楽しめました。
 今回の箱根では妻と次女を伴い、箱根・山のホテルの有名な躑躅を賞美し、仙石原のしずく亭で自然薯料理に舌鼓を打ちました。


 1、乙女峠からの富士
富士山
 御殿場より箱根山を上り始め、しばらく行くと乙女峠にでます。ここは富士を眺める絶好のポイントであり、しばし休憩をとりました。それと言うのも、ここまでの車中、常に車窓には富士が顔を覗かせ私達を楽しませていました。そこで運転手の私にもゆっくりと富士を楽しませようと、ここで小休止としたのです。
 この日は大雨の翌日、雨に洗われて新緑は萌え、空気は澄み、富士は余すところなく秀麗な雄姿を見せていました。


 2、仙石原・しずく亭の昼餉 
自然薯の麦とろ自然薯の蒲焼
@左が自然薯の麦とろ    A右が自然薯の蒲焼
 私の愛する木漏れ日のドライブ、乙女峠からしばらくは新緑の中の道を走りました。その気持ち良さに私の呼吸は深く大きくなり、心身の疲労が癒されるようでした。心も体も軽かったのです。
 仙石原交差点を右に折れ、薄の原野の終わる辺りに、しずく亭はあります。この日は何故か店は空いており、ゆったりとした昼餉の時をもてました。勿論、私の麦とろは旨く、三杯飯をかき込みました。妻に「がつがつ食べないで、良く噛んでね!」と諭され、良く噛んでみると麦のプルンとした小気味良い食感が感じられて、新鮮でした。妻も次女も健啖であり、見る見るうちにお櫃は空となり、お代わりしたのですよ!。あっぱれ!

柳の綿毛
 B春の淡雪・柳の綿毛 しずく亭の庭にて
 しずく亭での食事中、窓の外を眺めたところ、何かの綿毛が淡雪の如く風に舞っていました。店の人の話によると昨日から始まっているとの事、皆で感心して見入りました。私は初めて見ましたが、その綿毛の主は柳の果実であり、基部に長い綿毛を持ち、熟すと風に乗り遠くへ飛び散るのです。この近くには何かの柳の雌木があるのです。因みに柳は雌雄異株であり、綿毛を出すのは雌木だけです。
 時折風が強まるとそれは一気に流れ来たり、やや激しく舞い踊って素敵でした。私はしばし我を忘れ、一心に眺め写真に撮りました。 
 写真を一回クリックすると拡大されます。上下左右に動かすと綿毛は見える筈です。


 3、山のホテルと躑躅
山のホテルと躑躅
 桜の散ったこの時期、花と言えば普通、躑躅が続くものと思われます。躑躅の名所は何と言っても館林が有名で、ここは数多の種が揃っていると聞きますが、横浜近郊ではこのホテルの庭園が広く巷に知られています。園芸種主体ですが、色取り取りの花が咲き始めていました。五分咲きと言う事で、まだ少し早目でしたが、特に霧島系の紅や薄紅が競って咲いており、壮観でした。芦の湖や富士も垣間見え、背景の良さも手伝って素晴らしい景観を誇っていました。一見の価値は十二分にあります。
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2009年04月11日

日本の景色12 飛鳥漫遊 明日香村 2009.4.5

 1、菜の花咲く棚田
菜の花の棚田
 大和の旅二日目は飛鳥を巡りました。まずは早朝に朝飯前の散歩をしました。宿の周囲は里山に棚田が段を成して並び、日本の田舎の原風景が広がっていました。決して晴れ渡ってはいなかったのですが空気が透明で旨く、私達は清々しい気分に浸りました。正に“早起きは三文の得”を久々にこの地で体得したのでした。朝食後身支度を済ませた私達はこの日の予定を確認し、気持ち良い宿泊に感射を抱きながら宿を出ました。
 最初の目当てはこの宿と山続きにある石舞台古墳で、我らが飛鳥観光の幕は開かれました。石舞台古墳の周囲もやはり棚田が山の裾まで広がっており、そこに鮮やかな黄色の菜の花が植えられていました。その風景はやはり日本そのものであり、日本人の私には懐かしい、心和む優しさがありました。



 2、石舞台古墳
石舞台古墳
 まるで重戦車の趣があります。遠くから眺めても力強い存在感があり、近付くにつれてはその岩の巨体に圧倒されました。横穴式の石室が露出しており、皆、中に入っていましたが私は止めました。何だか気持ち悪かったからなのです。こう申せば皆様は、私がかなりの意気地なしと思われるかも知れませんね?…。そうです、私はとても怖がりなのです…。とにかく中に入るのは嫌で、外から惚れ惚れと眺めました。その花崗岩の岩の質感が素晴らしかったのです。
 日本の代表的な方形墳で、盛り土が風化で失われたため、天井石が露出した姿になっています。石の形状により、この名が付いたそうですが、他にも旅芸人がこの石を舞台代りにして演じたとか、狐が女に化けて石の上で舞いを見せたとか、名に纏わるささやかで楽しい言い伝えもあるそうです。被葬者は蘇我馬子ではないかと言われています。   
 参考 飛鳥保存財団発行「飛鳥」 

 
 *高松塚古墳
 国営飛鳥歴史公園館の駐車場に車を置いて、だらだらと十分ほど歴史公園内を歩くと高松塚壁画館に行き当たりました。周辺は里山のもと田園が広がっており、高松塚古墳は壁画館の裏山に当たる丘にありました。周囲を工事壁で囲われ、今正に修復工事中でした。私達は辺りを散策し、文武天皇陵まで足を伸ばしました。天皇陵からは田圃が続き、ここで私はレンゲソウとキンポウゲを見つけたのでした。この二つの花はブログ“野の花”で紹介したものです。そちらをご覧ください。
 壁画の模写は素晴らしいの一語に尽きます。男子群像、女子群像、日像、月像。青龍(東)、白虎(西)、玄武(北)の方位を示す四神の図(南の朱雀はないようです)。星座を示す星宿図等。色彩の鮮やかさ、筆致の精妙さ、真に美しく驚くに値します。私は感動しました。何時か本物が観られると良いですね!。
 参考 高松塚壁画館のしおり


 *キトラ古墳
 宿でキトラ古墳の有様を尋ねたところ、現在は修復中で見られないとの事、残念ながら現地を訪れるのは止めにしました。宿でその壁画のあれこれを少し学びました。


 *キトラ古墳壁画
 高松塚古墳壁画に続き、それと並ぶ美しさを持つのがキトラ古墳壁画です。こちらは人の群像の図は無いようですが、四神は全てあり、四神の周りの十二支の獣頭人身像もあり、そして天井の天文図があります。写真を見ただけでもその美しさ素晴らしさが判ります。私は何時かは見たいと思います。特に美しい朱雀を…。そしてその日は必ず来ると信じています。
 今年の五月には青龍、白虎の特別公開があるそうです。場所は飛鳥資料館です。遠いので再びの飛鳥詣では、私には限りなく不可能ですが…。
 参考 朝日新聞“キトラBOOK”


 3、亀石
亀石
 可愛らしい亀が彫られた巨岩、人家のすぐ傍にあり、隣は素朴なお店でした。自転車が幾らか停めてあり、サイクリングの若者たちが見学にきていました。やはり亀石は人気があるようです。この場所を探すのに、チョイと苦労はさせられましたが、頑張って探し当てられてよかった!。我が娘達のたっての希望の対面でもありましたから…。良かったね…。
 おまけにこの近くで、涼しげで美しいナズナの群落も見つけたのですよ!。嬉しかった…。


 4、飛鳥寺
飛鳥寺
 明日香の沃野にしっとりと佇む飛鳥寺、今はこじんまりとした寺ですが、創建当初は壮大な大伽藍であったそうです。度重なる火災で荒廃し修復を繰り返し、今日のこの姿に収斂されました。日本最古の仏教寺院であり質素な構えですが、その姿には当時の乱れた世を仏教の教えで治めようとした、時の権力者達の強い熱意が偲ばれました。
 参考 飛鳥寺のしおり


 5、飛鳥大仏(釈迦如来坐像・銅像・重要文化財)
飛鳥大仏
 推古天皇が聖徳太子や蘇我馬子らと誓いを立てて発願し、鞍作鳥(くらつくりのとり・止利仏師)によって造られた日本最古の大仏です。高さ3メートル、銅15トン、黄金30キログラムを用いて造られました。そして天皇を始めとした歴々の居並ぶ前で、大仏開眼の法要は行われました。皆、どれ程の感動を持ってこれを見たのでしょうか。恐らく万感迫るものがあったでしょう。大きな満足、掛け替えのない心の宝を得たに違いありません。天下国家を治めるため、その一念、その鴻鵠の志こそがこの大仏開眼を可能にしたのでした。
 それから1400年、今もこの大仏は多くの人々を慰め、救っています。この大仏を眺めるにつけて、私は確たる思いが巡り、閃きました。人の志の大切さ偉大さ、これこそが人を生かし救う道であると…。
 この大仏は二度の火災により大破しており、殆ど原型を留めていません。それ故に、飛鳥の様式を備えておらず、国宝になれないそうなのです。しかしそんな事は、私達にはさしたる問題ではありません。何はともあれ今日までそこに存在していた事実だけでも、1400年の大きく重い価値があるのです。
 参考 飛鳥寺のしおり
posted by 三上和伸 at 23:37| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

日本の景色11 吉野山漫遊 2009.4.4

 私達一家四人は長女の誘いに乗り、吉野、飛鳥(明日香村)に旅をしました。初日の吉野は生憎の雨で苦難の旅となりましたが、荒天の旅も乙なものと覚悟を決め、霞むおぼろ気な桜を愛で、神社仏閣の佇まいを楽しみました。日本の歴史の表舞台となった記念すべき名所であり、その時の重さを感じ取る事ができました。

 
 1、吉野の山桜・下千本の桜
下千本の桜
 吉野山は金峯山寺(きんぶせんじ)を主とする信仰の山です。その金峯山寺の御本尊・蔵王権現像は桜の木で彫られていました。それ故に桜が珍重され保護・献木が行われ、吉野山一帯に植えられ吉野は広大な桜山となったのです。桜木は古来より白山桜が選ばれ、それは今日までも変わらず、この山桜が植えられています。江戸期に生まれた染井吉野の遥か昔から植えられていたもので、伝統は違えずに守られています。葉と花が同時に出る山桜は深い色彩の陰影に富み、山を晴れやかな春色に染め抜きます。この日は雨に煙り春色とは申せませんでしたが、幽玄な佇まいを見せ感動的でした。
 尚、金峯山寺の案内には、新たな献木を募る記事がありました。桜山は益々絢爛を極め、私達を誘う事でしょう。私も三度目の逢瀬を今から楽しみにしています。


 2、金峯山寺(きんぶせんじ)・蔵王堂(国宝)
金峯山寺の蔵王堂
 紀伊半島の中央を占める大峰山脈、その端緒が吉野山で、そこから山上ヶ岳に至る金峯山の道は、万葉の頃より山岳信仰の聖地でした。七世紀末、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)がこの金峯山で修業をし、蔵王権現を頂き、その姿を桜の木で刻み、お堂を建てて祀りました。それが金峯山寺であり、蔵王堂です。但し、蔵王堂は後に戦で焼け落ち、現在の蔵王堂は豊臣秀吉が安土桃山時代に建立したものです。
 今回は金峯山経塚遺宝特別展が開かれており、参拝と同時に多くの宝物を閲覧しました。


 3、柿の葉寿司
柿の葉寿司
 雨の中傘を差し、歩いて観光をしていると疲れも出、また腹も減り、私達は茶店で昼食を取る事にしました。私は冷えた体を温めるため、狐うどんを所望しましたが、後の三人は名物の柿の葉寿司を注文していました。うどんは薄口の関西風で汁が旨く、私は「うどんはこうでなくちゃならない!」と一人納得し、すこぶるご機嫌でした。皆がたのんだ柿の葉寿司の味は如何かな? 勿論大変美味しく頂けたそうです。素朴で温かみのある見るからに美味しそうな寿司ですよね!…ね!…?
 ところで私のうどん指名は正解でした。体が温まり、その後の体調は優れましたが、妻は旅行後風邪をひき苦しみました。気の毒な事をしました。無理にでもうどんを勧めておけばよかったのにね…。
 追伸 妻の御膳には温かいソーメン(ニューメン)が入っていたそうです。風邪ひきを悪化させたのは冷えた食べ物ではなかったようです。悪しからず。


 4、吉水神社(重要文化財)
吉水神社
 吉水神社は明治維新に神社と名が改まりましたが、それまでは吉野修験宗の僧坊(元吉水院)でありました。この元吉水院が最初に歴史の表舞台に上ったのは、頼朝に追われた弟の源義経の亡命先となった折節でした。弁慶と静御前を連れ、この院を頼り潜伏したのでした。後の彼らの命運は皆様良くご存じの顛末ですが、この夫婦の、この地での今生の別れは哀れ極まりなく、正に悲劇的ですね…。
 また後醍醐天皇の南朝の皇居としても、この院は重要な役割を果たし歴史に名を刻みました。この地での後醍醐天皇の心持は如何なものであったか? この歌が何がしかの思いを表していると思われます。“花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音”。義経の時と同様に、やはりこの吉野の院は潜伏、遷幸の地となり、歴史の悲劇の舞台となりました。今、様々を想えば、何ともその時の重さと空気の重さが感じられる、雨の降り止まぬ吉水神社でした。 
 更に豊臣秀吉もこの院の歴史の舞台に登場しています。この院を本陣として、秀吉自らが花見の宴を開いたのであり、それは末代まで語り継がれる前代未聞の花見でありました。先の二人の英雄の時代とは趣を異にした登場であり、この元吉水院は豪華絢爛の輝かしい舞台ともなり得たのでした。
 そして更なる舞台は、一目千本の現代の桜の舞台。それを望む最高の「見わたしの いとよき所」の広場がすぐ傍にあります。この日は雨霧に何も見えず、ただ虚しく乳白色が広がるばかりでした。多くの旅人は皆、呆然とそこに佇んでおりました。私もその内の一人として「残念!」…。
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2009年02月25日

日本の景色10 瀬戸家の雛飾り 2009.2.22

1、寄棟造りの古民家・瀬戸家の佇まい
茅葺の古民家
 茅葺の寄棟造りの美しい古民家。あしがり郷の代々の名主・瀬戸家の住まいでした。現在は開成町の公の施設として町民に供用されています。その風情は鄙びてしっとりと佇み、遠い昔の田舎にタイムスリップしたようです。茅葺の家に住んだ事がない私にも不思議な懐かしさが込み上げてきて、ちょっと、住んでみたい気がしました。

 2、雛人形と吊るし雛
雛人形と吊るし雛 

雛人形と吊るし雛
 瀬戸家に代々伝わる雛人形の数々が展示されています。そしてそのお雛様の傍には吊るし雛が飾られ、益々の賑わいと美しさを演出しています。そこには女児誕生の喜びが横溢しており、観る者全てを優しい幸福感で包んでくれるのです。私達も幸せのお裾分けを頂きました。
 吊るし雛は誰でも作れるそうで、妻はその作り方の手引き(冊子)を求めました。その内作り出す事でしょう。

 3、お雛様と布のぽっくりの雛型
お雛様とぽっくり
 真に愛らしいぽっくり(木履)の雛型。お雛様の前にはべらせました。そのいとおしさに私は思わずシャッターを切りました。女児を育てた私達夫婦には心に響く堪らない光景でした。

 4、親王飾り
親王飾り
 小さく繊細な親王飾り、でも中々に凝った作りのようです。愛らしいお内裏様とお雛様、仄々とした優しい風情で奥床しさが漂っています。

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2009年02月24日

日本の景色9 松田の河津桜 2009.2.22

 1、河津桜と富士
河津桜と富士
 神奈川県松田町の河津桜は、松田山西畑公園に植えられています。ここは松田駅の北・徒歩20分の高台にあり、桜は山の斜面を覆い尽くし、下からでも美しい景色を見せています。それは二月の大気の清冽に踊り、超早咲きの優雅な花が早い春を告げています。
 ここの何よりの売りは桜と富士を同じ画面で見られる事です。真白き富士の嶺を薄紅に染める河津桜、日本の二大象徴の共演は正に圧巻であり、他の追随を許しません。

 2、河津桜の花房
河津桜
 寒緋桜と早咲きの大島桜の自然混合と言われ、両者の優れた因子を受け継いだ傑作と言えます。花の色、花の形、花の密度、何を問うても素晴らしいの一言です。後はどれ程の大木になるかどうか?、私はそれを見届けたいと思っています。大いなる夢を描きながら…、長生きをして…。

3、富士と菜の花
富士と菜の花
 松田山の尾根続きには嵯峨山があり、そこにはあぐりパーク嵯峨山苑の農園があります。秋からはミカン狩りで賑わいますが、今は菜の花が山の斜面一杯に咲き乱れ旅人を出迎えてくれます。それは桜同様に山を春色で染めており、遠くからでも良く見えます。でも一寸頑張り山を登れば、更に素晴らしい眺めを手にできるのです。富士と菜の花、それは富士と桜に負けず劣らずの素敵な春色を披露しています。
 
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2009年01月12日

日本の景色8 成田山新勝寺

 年老いた父の世話を焼く健気な私の母は忙しく、毎年詣でている成田山に父を置いて行けないと私達夫婦に泣き付いてきました。そのため父がデイサービスに出向く日と私達の休みの日を重ねて選んで、母を成田山に連れて行く事にしました。その好都合の日はこの一月十二日をおいて他になく、私達は今日この日に成田山へ詣でる事に決めたのでした。父が出掛けるのを見計らって車で母を迎えに行き、午後、父が帰宅するまでの僅かな時間で成田詣でを成し遂げて戻るべく、急ぎ出掛けました。そしてそれは首尾よく目的を完遂し、母の願いは叶いました。

 成田山新勝寺(成田山、成田不動)
 真言宗智山派の大本山、本尊は不動明王(大日如来が一切の悪魔煩悩を降伏するために変化して憤怒{ふんぬ}の相{形相}をあらわしたもの)。(広辞苑より) 正に厄除けの守護御本尊です。
 
 成田山釈迦堂
釈迦堂
 安政5年(1858年)に建立された旧本堂。この新勝寺には、仁王門、三重塔、額堂、光明堂、そしてこの釈迦堂の計五棟の国の重要文化財に指定された建築物があります。中でもこの釈迦堂は大きく立派です。現在の大本堂は残念ながら現代の工法で建立されたもので、建築的価値云々よりも実用一辺倒と言うものです。これも時代です。(フリー百科事典ウィキペディアより)

成田山は利根川や霞ケ浦に近く、それは当然ながら川魚料理が名物となります。多くの参拝客に振舞われる川魚料理、門前には鰻店や佃煮屋が軒を連ねています。私達も駿河屋と言う店に入り、川魚料理を味わいました。

 新勝寺門前の駿河屋の川魚料理(鯉の洗いと川海老の空揚げ)
川魚料理
 鯉は脂の乗りが素晴らしくしっとりとして、信州の田舎宿で出されるものに比べ格段に旨かったのです。川海老は香ばしく珍味であり、イケるクチには乙な肴でありましょう。値段は驚くほど安価。

 鰻重
鰻重
 脂の乗りが尋常でなく、口に入れると旨味と共にとろけてしまいます。食べる度に興奮を覚え、あっと言う間に平らげてしまいました。お陰で腹は膨れ今夜もお散歩が欠かせなくなりました。こちらの値段はそれなりに高価。

 後記:午後帰路の道すがら、お天気雨に遭いました。これは昔から”狐の嫁入り”と言い伝えられており、私は何時もその表現の愛らしさに感動してしまい、この雨振りが大好きです。待ち侘びてさえいるのです。微かな雨が三度ほど降り、その愛らしい狐の嫁入りが車のフロントガラスを濡らしました。

 お散歩日誌
 歩数 約9000歩
 距離 約7000m
 時間 約90分
 体重 85,6kg
posted by 三上和伸 at 20:58| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

日本の景色7 諏訪大社

 1、諏訪大社
諏訪大社秋宮
諏訪大社下社秋宮
 人々からはお諏訪様と呼ばれて親しまれている諏訪大社は四社あり、其の内、諏訪湖の南の上社には本宮と前宮の二社が、諏訪湖の北の下社には春宮と秋宮の二社があります。上社は男神であり、下社は女神であるそうです。また日本全国には諏訪神社と呼ばれる一万有余の分社があり、一大勢力を欲しい儘にしています。そう言えば、私の実家の氏神も諏訪神社でお諏訪様と呼ばれておりました。
 今回は美ヶ原探勝の後に和田峠超えで訪れたもので、最初は下社秋宮に参りました。門前は賑やかな町並みを見せ境内は参拝者が多く、その信仰の確かさが窺えました。この写真右端には御柱(おんばしら)が写っています。御柱とは樅の木の大木で、七年に一度の大祭(式年造営御柱大祭と称し社殿の建て替えも含みます。)で山中より曳き出され、社殿の四隅に建てられるものです。八ヶ岳や八島高原より曳き出された用材を男衆が途中崖の急斜面を曳き落としたり、川を曳き渡したり、また道程二十数キロメートルを数千人で曳き回したりして、社殿に曳き建てられます。この勇壮剛気な神事は他に比肩するものはなく、正に奇祭と言うに相応しいものです。この大祭を眺めては如何に諏訪大社が強大であり、その民の信仰の厚さが知れるものです。(諏訪大社由緒略誌より) 次回の御柱大祭は平成22年に行われるそうです。 
 次の春宮は秋宮に比してずっと簡素であり、静けさに満ちていました。どちらかと言うと私はこの静けさが感じられる宮を好みますが、神社とは仏閣と異なり、本来はより元気で前向きな祈願をする所であり、私の心根・心境は寺向きと考えられます。私の人生の姿勢はもしかしたら後ろ向きかも知れませんね?
 夕暮れが迫り、やや焦燥を覚えながら最後に参拝を済ませたのが上社本宮となりました。流石に本宮と名乗るだけの事はあり、それは一目見ただけで得心できました。その重厚で神秘的な佇まいは真に素晴らしく、千年前より時の歩みが止まっている感が深かったのでした。そしてそれは私には極めて快く、居心地の良い時間と空間でした。ふと気付くと私の傍らにいる中年の男性は一心に手を合わせていました。それは真摯に、しかしすがりつくような執拗を滲ませ、不乱に拝み続けていました。私は妙に気に掛かり、何かあったのかしら? 病気かしら? 大きな決断に迫られているのかしら?…と様々な想像を巡らしてしまいました。するとその時、時を告げる太鼓が打ち鳴らされ、私はドキリとし脳が思考を停止しました。打ち止まぬ長い太鼓の音声に私の意識は一気に時を遡り、再び千年の時空を彷徨いました。そしてそのたゆたいに身を委ね、腹の底から心地よく覚醒され、晴れやかに解放されたのでした。
 何時もの様に我妻は御朱印を頂いて嬉しそうでした。閉門の際の時の太鼓の高鳴りは妻も驚き、それに中々良い印象を得たようで、彼女の手帳に感動を込めて記されていました。妻の手帳はちゃんと同意を得て見せて貰ったのですよ!

 2、万治の石仏
万治の石仏
 下社春宮の西方、案内の旗を頼りに小路を辿ると川に突き当たり、橋を渡ると箱庭の如き田んぼに行き当たりました。石仏はその奥にひっそりと佇んでいました。何処となく愛嬌のある、ほのぼのとした親しみを感じさせ、これを愛した芸術家もいたそうです。短期間でその首が伸びたと言う不思議をTVで紹介され、突然有名になりました。その道すがらに幟がでるまでになったのですから大したものです。首は修繕され元に戻ったとの事です。
posted by 三上和伸 at 23:55| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月06日

日本の景色6 美ヶ原牧場にて

 1、美ヶ原牧場
美ヶ原牧場
 溶岩台地のほぼ全域を占める美ヶ原牧場。その中央を突っ切って横たわる横断道路より写しました。この両側の柵の中には夏になると沢山の牛達が放牧され、草を食んでいます。それは長閑な雰囲気を醸し出し、メルヘンの夢あふれる別天地です。

 2、王ヶ頭(2034m)
王ヶ頭
 王ヶ頭は美ヶ原の最高点であり、この地のシンボルと言えます。しかしこの写真でもお気付きのように電波塔が林立しており、ここからの眺めはまるで戦艦のようであり、極めて人工的です。周囲はやはり広大な美ヶ原牧場となっており、昔から夏の数か月間は放牧が行われています。夏にここを訪れれば牛と戯れる?事ができます。声を掛けるとこちらに寄って来て草をねだります。牛は善良そのもので愛らしく愛しいものです。

 3、畜魂碑
畜魂碑
 この牧場に放牧される牛はまだ仔牛で、しかも全てが雌牛です。麓の酪農家たちがより優れた乳牛を育てるために、一夏、雌の仔牛をこの牧場に預けるのです。仔牛たちは自然の中で生活し、旺盛に草を食み、よく体を動かし、丈夫な牛に育って行きます。やがて秋になり草も枯れると、それぞれの酪農家の牧舎に帰ります。そして子をはらみ、出産して乳牛としての役割を果たし始めます。しかし何れ年老いて乳が出なくなれば畜肉として処理されてしまうのです。何と言う無残な生き様なのでしょうか。全てが私達人間の為の一生なのです。そんな牛達を供養する為にこの碑が建てられました。私もしばしの間、感謝を込めて手を合わせました。

 4、美しの塔の前で
美しの塔
 美ヶ原牧場のシンボルとなっています。高さ6メートルで昭和29年に建てられました。晴れた日には目印となり、霧の日には上部に付いている鐘でハイカーが道に迷わないように位置を知らせています。塔中央には詩人・尾崎喜八の【登リツイテ不意ニ開ケタ眼前ノ風景ニ シバラクハ世界ノ天井ガ抜ケタカト思ウ…】。の詩碑と高原開発の始祖・山本俊一郎の像がはめ込まれています。(山と渓谷社 トラベルJOYより)。
 恥ずかしながら、塔の前の男は筆者です。
posted by 三上和伸 at 23:29| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月26日

日本の景色5 日光、祈りの旅 2008.10.18

 私は元来、繊細な心で我儘な性格を持ち、人に気兼ねをする人間なので、他人と一緒の旅は苦手です。それで大抵は妻や娘達、そして父母と旅をしてきたのですが、娘達は成人し父も老衰で動けなくなったので、今では妻と二人の二人三脚の旅が多くなりました。二人きりであれば、たとえ旅先で喧嘩をしようとも直ぐに許し合え仲直りができ、そしてそれがより強固な信頼を得る切欠となる事も充分知り得たのでした。これからの人生もこのよき相棒と様々な地を巡り、心に刻みつけられる感動に出会いたいと切望しています。年老いて動けなくなるまで、二人で旅して居たいと思います。
 今回は、世界遺産・日光の神仏と文化に触れ山谷の紅葉を愛でる旅を計画しました。そして思いどうり、この地の興味の尽きない風光風土を堪能する事ができました。
 
 1、二荒(山)神社
二荒山神社 
 日光の守り神・男体山を御神体とする山岳信仰由来の神社です。その起源は、勝道上人が男体山(二荒山)の開山を果たした折節であり、この日光の地に祭られました。さらに男体山山麓の中禅寺湖畔に中宮祠があり、男体山山頂には奥宮があります。(日本旅行社、日光案内図より)
 鬱蒼とした杉の巨木に囲まれた、古式床しい神社でした。東照宮の絢爛とは好対照をなしており、静けさの中で参拝をする事ができました。その静寂の祈りが心の落着きを取り戻せるのです。

 2、化灯篭(唐銅灯篭)
化灯籠
 二荒山神社の山内にある唐銅の灯篭。お化け灯篭と称されて有名になりました。その名の由来には三つの伝説があるそうで、その一つをここで紹介します。{昔、この燈篭が蓑を着、笠を被り、化け物のように夜な夜な山内を出歩いていたそうだ。これを見た社家や僧侶は驚いて「ふざけた灯篭だ」と言って刀で切りまくったのだそうだ。それで今もこの様に灯篭には刀痕が鮮やかに残っているのだ。}(日本旅行社、日光案内図より)
 
 3、見ず、言わず、聞かずの三猿
見ず、言わず、聞かずの三猿
 神厩舎の長押(なげし)に飾られた彫刻で、猿が馬を病気から守ると言う信仰から猿が題材に選ばれたそうです。左から右に八面の猿の彫刻があり、猿が生まれてから子を産むまでを物語風にあらわしたものです。その真意は人に教訓を与える事で、人間を猿に見立てて風刺したものです。その第二面が「小さい(子供の)時には悪い事は見ず、言わず、聞かず」の三猿で、特に有名です。(日本旅行社、日光案内図より) 
 
 4、神厩舎
神厩舎
 神馬は従来、木の柵や木立に繋がれて過ごしていました。ところが東照宮造営にあたり、初めて神馬のために厩舎が建てられました。それがこの建物・神厩舎です。(日本旅行社、日光案内図より)
 この日は厩舎の中に、つぶらな瞳で美しい毛並みの愛らしい白馬が繋がれていました。これが神馬でしょうか? 美味しそうに… 夢中になって飼い葉を食んでいました。

 5、陽明門
陽明門
 絢爛豪華な正に目を奪う門、東照宮建築の白眉と言えます。日の暮れるまで見ても見飽きないとの事で「日暮門」とも呼ばれたそうです。その陽明門の名は、京都御所十二門の内の名称を朝廷から頂いたもので、正面の額「東照大権現」の書は御水尾天皇の筆によるものです。門をくぐり抜け、向って右から二番目の柱一本は渦巻状の紋様が他の十一本とは逆で、これは魔除けの逆柱と言われています。(日本旅行社、日光案内図より)
 この宮の設計者・天海和上は家康を神に祭り上げ、徳川の権勢を盤石のものとする為、この東照宮を建立しました。それは前代未聞の財と人力を注ぎ込み、最高の墓を造る事で徳川の威光を世と朝廷に示したのです。
 私はこの東照宮を訪れるのは今回で三度目ですが、何故かその都度、心の落ち着きを得られた試しがありません。それはその雑踏のせいと私は思い込んでいましたが、どうもそれだけではなさそうなのです。この建築様式のこれでもかこれでもかと言った押しの強いパフォーマンスの圧力に、私は居心地の悪さを禁じ得ないのだと気付いたのです。何故か判りませんが、芸術とは異なる何か得体の知れぬ強い力が加わっているように感じるのです。そこに優れた宮の持つ、心鎮める深い奥行きが無いと感じます。 

 6、眠り猫
眠り猫
 彫刻師・左甚五郎作の猫の彫刻。東回廊の潜り門にあります。構図は“牡丹の花に眠る猫”で、牡丹の咲く頃は猫が最も眠くなる季節だそうです。(日本旅行社、日光案内図より)
 そんな楽しい彫刻ですが、猫は隙が無く怜悧に見えます。完璧に彫られていて完成度が高く、美しいと感じました。
 猫の彫刻、誰の発案だか知りませんが、実に興味深いものです。

 7、輪王寺の数珠
輪王寺の数珠
 私は宗教に疎く、この意味で信仰があるとは言えません。そしてそれはこの私と同様に、大方の日本人の現状でしょう。しかし自然を愛し、芸術を愛する私はそれらに心寄せて深く味わい、その時の心境は清らかで祈りの法悦と何ら代わる所はありません。世の平和を祈り、家族の幸福を祈る、この祈りとは正に人の心に開花した善であり、信仰心と同意語に思われます。また道祖神を巡ったり、神仏に手を合わせると何故か心が癒され、軽やかな心持ちになれます。自然であれ芸術であれ神殿であれ仏像であれ、どんなものにも神(善)は宿るのであり、それを認識できるかできないか、それに心開くか開かないかは見る側の眼力(心眼の力)の有る無しによるのです。然らば私は宗教は持たないが、己が心で信仰心を持っていると言っても誤りではないでしょう。
 また、私は世事にも疎く、世の慣習や行儀作法が苦手です。それは私の親の躾が悪かった事もありますが、私自身がその様な儀礼や常識の知識に関心がなかったからなのです。還暦間近になっても恥ずかしながら、私は数珠の一つも持たなかったのですから…。そんな私を半ば諦め、半ば憐れんでいるのが妻であり、今回、私に輪王寺の数珠を買ってくれました。有り難く頂いて心改めて居る所です。
posted by 三上和伸 at 22:54| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月10日

日本の景色4・安曇野漫歩 2008.10.05

 乗鞍岳観光を楽しんだ私達は、翌朝宿を後にし一気に安曇野に向かいました。途中“さかた菓子舗”の“手作りおやき”を土産に買い求め、その内の二個をこの日のおやつとしました。その後、ほたか(穂高)の町に至り、この日の目当ての一つの穂高神社に詣でました。残念ながら今、穂高神社は改築中でシートが張り巡らされ、写真撮影は儘なりませんでした。しかし、妻は御朱印を頂きご満悦であり、二人楽しく安曇野漫歩へ繰り出しました。

@道祖神を訪ねて
文字を刻んだ道祖神像を彫った道祖神
 安曇野やここから北に続く塩の道には多くの道祖神が祀られ、旅の安全の守護と道標の役目を果たしてきました。また江戸時代の安曇野では五穀豊穣と民の幸せを願い、辻つじに建立されました。現代の私達にはそのような切迫した願いはありませんが、旅の楽しみの対象の一つとして存在してくれているのです。しかし、一つ一つ巡って行くといつの間にか心は優しく解き放たれ、平安な気分へと導かれます。今もこの道端の神は神通力を失っていないようです。
◎道祖神:道路の悪魔を防いで行人を守護する神。自然石、文字をきざむもの、像を彫るものなどいろいろの形がある。くなどのかみ。たむけのかみ。ひきものかみ。さいのかみ。さえのかみ。(広辞苑)
呼び名も沢山あるようです。

A碌山美術館
碌山美術館
 道祖神巡りを終えた私達は、いよいよ本日のメインイベント碌山美術館を訪ねました。私は昔、もう少し若い頃にここを訪ねた記憶がありますが、その時は若気の至りか余り感激はしませんでした。しかし、今回は、私も年を取り大分美の鑑賞の術を積んだ後なので大いに感動をし、芸術の持つ凄さや素晴らしさを体得できました。碌山は私の予断を越えた天才であったのであり、その作品は威光を放っていました。
 碌山(荻原守衛/1879-1910)はこの穂高町に生まれ、近代彫刻の先駆者として傑作をものにし、僅か三十年余りの短い生涯を終え、東京に没しました。碌山は初め絵画に目覚め画家を志し、アメリカ、そして後にパリに留学しました。そのパリ留学中に彫刻家ロダンと出合った事が碌山の人生の大きな転機となりました。ロダン作の考える人に見入られ、その力強さ、その精神の輝きに心打たれ、自身彫刻家に転身する事を決断しました。ロダンに導かれ暫く遊学していましたが、死の二年程前に帰国を果たし、激しい意欲を持って創作に打ち込みました。しかし、その無理が祟ったのか、絶作の「女」を完成した後、突然発病し明治四十二年四月二十二日に帰らぬ人となりました。まだまだ多くの傑作をものにできたでありましょうに、その無念さは想像に難くありません。(碌山美術館備え付けのしおりより)
 その作品には、文覚、デスベア、北條虎吉像(重要文化財)、女(重要文化財)などがあり、若年の芸術家の作品とは思えない成熟が感じられます。私には精神の力強い表出が感じられたのでした。特に「女」は美しく、その対象は碌山の叶う事のない苦悩の恋人・相馬黒光と言われ、そう思い眺めていると何やら熱く悲しい心持ちとなり、不思議な感動が込み上げてきました。
 
 余談・安曇野の美味いものニ題
 信州は冷涼地特有の産物が豊かにあり、我々暖地の都会人には羨ましい限りです。松茸や蜂の子の高級品から馬肉、岩魚、鰍(カジカ)などの中級品、蕎麦に林檎に野沢菜などの庶民的な物まで数えればかなりの数に上ります。熊や鹿も食べられるそうです。然るに私達夫婦はどちらかと言えば庶民派なので松茸や馬肉は止めにして、昼には蕎麦をおやつには野沢菜や胡桃味噌餡の入ったおやきを頂きました。
 穂高上原のそば処“常念”の蕎麦(二枚・¥1,000位)は程好い腰があり、するりと喉を通る喉越しが良く上等なものでした。水がよいからこの旨さがでるのでしょう。そして何より他県の蕎麦に比して素晴らしい所は、特産の山葵と蕎麦との相性にありました。つーんと鼻に抜ける山葵の辛さと香りが絶品で蕎麦の芳香と絡み合い、それは見事な風味を醸し出していました。 
 松本市新村の“さかた菓子舗”のおやき(一個・¥200位)は、値は少々張りますが、ぎっしりと詰まった豊かな具に小麦粉の皮の香りが混ざり合い美味しく、私のおやきの一押しです。思わずガブリとかぶり付き、食べ応えは十分でした。何と言おうとも、信州は旨い!!! 
posted by 三上和伸 at 07:52| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

日本の景色3 水上のSL

 日本の景色3 水上のSL 2008/08/08
デゴイチ
水上駅のD-51(デゴイチ)
 私達は谷川岳天神平に遊び、その後一ノ倉沢の大岸壁を楽しんだ後、再び水上温泉に戻りました。それは妻が記念にここから葉書を出したいと言い出したからであり、郵便局に寄るために国道から駅前の道へと逸れました。然らばその時、私達は水上駅の引込み線にデゴイチが停車しているのを見つけたのでした。恐らく私は過去にD51に乗った記憶はなく、初めて目にした気がしました。勇壮ながら整った姿は黒光りし美しく輝き、私達は車を降りて暫しうっとりと観覧しました。石炭は炊かれており、薄っすらと黒煙を上げ辺りは焦げ臭い臭いで充満していました。この出会いは正に偶然であり、私達は旅の終わりに素敵なプレゼントを貰い感激しました。そして郵便局で葉書を投函した後、水上I.Cより関越自動車道に乗り、満足を胸に我が家へと向かいました。
posted by 三上和伸 at 18:07| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

日本の景色2 茅葺の民家 藤原郷

 日本の景色2 茅葺の民家 藤原郷 2008/08/07
茅葺の民家
 豪雪の地・藤原は寒村であり、真にひなびた佇まいを見せていました。この日も辺りに野猿が出没し、村人の作った野菜を盗み、食い散らかしていました。恐らく近くには熊も棲んでいるに違いありません。何だか薄ら寒い思いもしないではありませんでした。そんな山深い有様は今も昔も変わらないのでしょうが、大きく変わったものも残念ながら存在しています。それは近くを流れていた利根川が堰き止められ、巨大なダムとダム湖が幾つも造られてしまった事です。ここから上流の利根川流域は全てダム湖と化し、国民を潤す為とは言え、過去に凄まじい自然破壊が行われていたのです。
 また時を同じくして、村民の生活も激変し次第に過疎化が深刻となり、村は衰えて行きました。その住まいであった茅葺の民家も老朽化が進み、次々と取り壊され消えて行き、近代的な家屋に生まれ変わりました。私は以前、この村の消え行く茅葺の民家を撮り続けていたある写真家の話を週刊誌で知り、心の片隅にずっとそれを抱いてきました。何時かは訪れたいと願いつつも、他の事に現を抜かしてそれを果たさずにいたのです。今回漸く上州の旅を計画したのを機に訪ねてみようと思い立ち、この日この地に足を踏み入れました。村落はダム湖の上部にあり、森林に包まれた美しい村でした。バス便もあり、所々にバス停がありました。この先には宝川温泉もあり、この県道は尾瀬にも繋がっており、それは当然であると思いました。辺りは田んぼであり、その稲はまだ穂が出る前で緑が美しく輝き、真に麗しい田園風景を見せてくれました。田んぼの間には民家があり、私はゆっくりと車を走らせて茅葺屋根を探しました。そしてかなり走り回った後、漸く一軒のうらぶれた茅葺屋根の家を見つけました。しかしそれ以降、探し当てたのは茅葺の民家を利用した店舗のみとなり、あえなく私の宝物探しは終焉を迎えました。私の訪問は余りに遅すぎました。でもそれは解っていた事でした。それでも私は探してみたかったのです。一軒でも二軒でもいいから住んでいて、きちんと手入れがされている家があるのではないかと、淡い期待を抱いていたのです。写真の家は最早住んでいる気配はなく、かなり荒れていました。悲しいですがこれが日本の現状なのであり、日本全国何処へ行っても同様でしょう。白川郷や五箇山等は地域の助け合いもあり見事に保護されており、正に特別の存在なのです。しかしそのお陰か知りませんが商業主義が成り上がりつつあるようで、茶店や土産物屋でごったがえしています。これも私には残念な事です。
 
posted by 三上和伸 at 23:15| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

日本の景色1 榛名神社

日本の景色1 榛名神社
参道からの渓谷神蛇の滝本殿
 私の妻には御朱印を頂き収集する趣味があり、私達はなるべく各地の神社仏閣に係わる旅をするように目的地を選択しています。但し私にはそのような趣味はなく、妻の願いを叶えるのも夫の大切な役目と心得、さらに妻の喜ぶ顔を見るのは嬉しいものがあるのでそうするのです。また神社仏閣とは、深い山にあるのが普通であり、自然を愛する私としても都合よく、それは互いに相寄り添うものがあり、共に楽しい旅ができると言うものです。
 榛名神社は榛名山の南西の山麓に位置する神社で、正に深山幽谷の広大な敷地を有しています。境内は清流あり滝ありの渓谷沿いにあり、杉の巨木が生い茂り、恐ろしげな奇岩が所々で露出していました。林の隙間の日当たりには玉紫陽花や山百合が咲き競い、風雅な佇まいを演出していました。また石垣の岩壁を岩煙草が覆い尽し、艶めかしい葉の上に妖艶の紫花を咲かせており、正に白日夢のように幻想的でした。神を持たない私にもこの境内の雰囲気は素晴らしく見え、大いに楽しめたのでした。さらに参道沿いには七福神が祭られており、一体一体にご挨拶をして本殿まで上り詰めました。巨岩に囲まれた本殿の光景は荘厳でありまた神秘的であり、私達は真摯な心根に浄化され参拝を済ませました。妻は御朱印を頂き心柔らかな満面の笑みを浮かべて見えました。
posted by 三上和伸 at 23:49| 日本の景色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする