2020年03月18日

音楽の話88 ブラームスの作品、その最高傑作とは 2012.10.13

 *多くの大作曲家の中でも、その自らの作品の取り扱いに於いて、ブラームスほど変わっている作曲家はいないと想われます。それは、ブラームスが遺作を残さなかった作曲家であった事です。他の大方の大作曲家達は、自作の管理のルーズさから、作品が方々に紛れ、後の世に発見され、遺作として発表される機会が往々にしてあります。しかし徹底して作品管理を行ったブラームスの場合は、皆無に等しいと言う事です。何しろ、若い時代に恩人に献呈した未発表の楽譜でさえも、後年有無を言わさず取り返して破り捨てた人だそうで、その徹底ぶりが偲ばれます。その理由は、自尊心の強さ故の異常な自己批判にあり、自分の意に満たない作品を未来に残すのは恥と考えていたからです。全ての未発表の草稿は遺書を書くのと同時に、死ぬ前に整理して焼き捨てたのだそうです。恐らく、捨てられた作品を現存の作品に付け加え、作品ナンバーを並び変えるならば、優にOp.200(現存はOp.122)に達するだろうと想われます。故にブラームスとは、自作を完璧に管理した最初で最後?の大作曲家だったようで、依って極端に言えば、ブラームスには出来損ないの駄作はないのです。全てが傑作乃至名作及び秀作・力作・佳作と言えます。ベートーヴェンの中期が“傑作の森”と言われていますが、ブラームスにもそれが当てはまります。しかも、全期に亘ってそう言う事ができます。まあ、ベートーヴェンに比べたら、ブラームスの作品は歌曲に比重が偏り、大曲の絶対量はベートーヴェン(大量の傑作ピアノソナタがある)に劣りますから、ブラームスにそのような形容の名称は与えられなかったのです。


 *さて、最高傑作とは、傑作中の傑作を言うのですから、まずここでブラームスの傑作を30作に絞って私が選んで並べてみます。

☆器楽曲

◎交響曲・協奏曲
*交響曲・協奏曲は同時代(ロマン派)以降の他の作曲家の追随を許さぬ傑作揃いですから、全てを選びます。

1、交響曲第1番ハ短調Op68 
2、交響曲第2番ニ長調Op73
3、交響曲第3番ヘ長調Op90
4、交響曲第4番ホ短調Op98
5、ピアノ協奏曲第1番二短調Op15
6、ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op83
7、ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op77
8、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調Op102

 *ブラームスは交響曲でも協奏曲でも、長調・短調の調性の仕分けは半々にして残しました。誠、これほど整然と分けられて並んでいるところを見せられると驚きを隠せません。更に、交響曲のハ(1番)ニ(2番)ヘ(3番)ホ(4番)の並びは、そのまま大好きだったモーツァルトの「ジュピター」(交響曲第41番)の第4楽章の冒頭のテーマに重なります。恐らくブラームスは音楽の魂をそこから学び取り、それを自分の交響曲の精神の柱に据えたのです。これらを総合して鑑みれば、ブラームスの並々ならぬ自作の個性化への拘りが見え、強い管理意欲が見えてきます。一作一作を個性際立つ完璧な作品に仕上げて未来に残す、ブラームスは常にそれを念じていたと、私は確信しています。

〇ピアノ協奏曲第1番二短調Op15
 ピアノ協奏曲第1番Op15(1854〜1858年)は、若年の作で、その深い内容に比してオーケストレーション等が中期以降の充実には達していませんが、恩師・シューマンの達ての懇願で、初めシンフォニーとして着想されただけあって、空前のスケールを持った協奏曲です。しかもそこに直接シューマンの死(1856年、精神病院で)が重なっており、シューマンへの思い(第1楽章)とクララ(シューマンの妻)への愛(オフレコ?で第2楽章をクララの優しい肖像と名付けた)が激しく渦巻いており、正に音楽史の一齣(1ページ)を証明する傑作です。


〇交響曲第1番ハ短調OP68
 交響曲第1番の着想の原点を探れば、やはり第1ピアノ協奏曲と同様にローベルト・シューマンとの出会いに遡ります。あの時、瀕死(自殺未遂と精神病院での死)のシューマンから強く要望されたのが交響曲の作曲でした。その後直ぐにブラームスは2台のピアノのためのソナタとして着手し、それにオーケストレーションを施し、交響曲へと編曲しようと試みましたが、何分オーケストレーション(管弦楽化)の経験不足による未熟さから、この交響曲の試作は巧く事が運ばず、紆余曲折の末、幾つかの楽想(テーマ、モチーフ)を第1ピアノ協奏曲やドイツレクイエムに転用してしまいました。それでもまた別のテーマで交響曲の試みは継続されており、漸く40歳を超えた辺りから軌道に乗り始め、最大の難物・フィナーレに取り組み出し、とうとう1876年(43歳)に、長い産みの苦しみの末に完成に漕ぎ付けました。着想から20数年の歳月を用し、宿願の交響曲第1番は世に送り出されたのでした。その忍耐と努力、そしてその桁外れの執念は驚異的と言わざるを得ず、見事シューマンの大願に応えたのでした。

 ソナタ形式の達人が作ったソナタの権化と思われる怒りに満ちた第1楽章(シューマンへの返答、シューマンはこのような整然とした論理的なソナタ楽章を夢見ていた)、愛とロマンに身悶える第2楽章(クララへの愛)、典雅なブラームス特有のアレグレットの(スケルツォとは異なるフィナーレへの序奏的な繋ぎの楽章)第3楽章、人間愛が爆発する感動的な第4楽章(クララへの愛から人間愛・万物愛〈博愛〉へ昇華)、ベートーヴェン(論理的、超人的)とは違った音楽(よりロマン的)であり、魂(より庶民的)ですが、ここに偉大なシンフォニーの系譜は繋がったと私は確信しています。シューマンに促がされて20余年、ベートーヴェンの第9からは半世紀(52年)後、とうとう真のシンフォニーは復活したのです。

 ブラームスの交響曲には副題は皆無ですが、私はこの曲に“復活”の名を与えたいと願います。復活の名は他にあり、あるシンフォニー(マーラーの第2)に使われていますが、真にその名に相応しい傑作は、この曲を措いて他に無いでしょう。私は、ブラームス作曲交響曲第1番ハ短調「復活」と、自信を持って称します。

〇交響曲第2番ニ長調Op73
 ブラームスの創作の季節は夏(因みに秋から冬が音楽会シーズン、春はイタリア旅行)、それもウィーンではなく風光明媚な地方の避暑地、三十代後半より夏は地方に長期滞在(5月〜10月)をして、大曲を中心に仕上げるようになりました。しかも自分の別荘のように決まった家は持たず、その年の気分で候補地(若い頃は毎年変わり、特に気に入ると2〜3年続け、晩年に至るに従ってイシュルに定着)を絞り、家は賃貸物件(貸別荘)を借りていました。勿論ピアノも搬入しますがこれも賃貸、何しろ物に振り回されず身軽に動くのがブラームスの信条でしたから…。この時代には、このようなブラームスの意向に見合う賃貸業者が確かに存在していたようで、比較的簡単に移住?していたようです。

 1877年(44歳)、第2交響曲を一夏(6月〜9月)で完成させた地が、オーストリア南部にあるヴェルター湖畔の村・ペルチャッハでした。兎に角、快適に過ごすブラームスの創作意欲は凄まじいものがあったらしく、大曲の第2交響曲を僅か3ヶ月余りで脱稿し、それと同時に「新・愛の歌」ピアノ四手用Op65a、歌曲Op69、70、71、72―3と4、モテットOp74-1、二重唱のバラードとロマンスOp75-1、歌曲OP86-3、四重唱曲Op92-1などを完成させました。第1交響曲の難産とは打って変わって比較にならない健筆速筆、如何にこの曲のアイディアがブラームスに嵌ったか、窺い知る事が出来ます。

 元々自然愛好が強かったブラームスですが、この風光明媚な別天地・ペルチャッハはブラームスに改めて自然の中に住む喜びを与えてくれました。だからその山と湖の風光が、この交響曲に自然と入り込んでいるのは当然と言えましょう。角笛のホルンに小鳥のフルート、水面はチェロで森はコントラバス、さざ波にはヴィオラを使い、風はヴァイオリン、正にこの曲は牧歌と言って良いでしょう。それとも恐れ多くもベートーヴェンから拝借して田園?…。

 されどこの交響曲にはベートーヴェンにないあるブラームスの感情があります。それは正しく一年前の第1交響曲の大成功がもたらした強く確信的な思いでした。自信に溢れたブラームスにはもう恐れるものはなく、自由自在、天才のほとばしりは止まるところを知らず、激しい創作意欲を燃やし始めました。その絶好調の最初の作品がこの第2交響曲だったのでした。第1楽章は、無骨な舞踏と優雅な歌が織り成す情熱のラプソディー(狂詩曲)、雄叫び(益荒男、巨人、勇者)と哀願(手弱女、美女、優美)が激しく交錯します。第2楽章は独白の歌、優しく、愛しく、尚も痛々しい愛慕の歌…、静かな森に木霊します。第3楽章は愛らしいワルツ、素朴で健やか…、田舎者のワルツ…、私とお前のワルツ…。第4楽章は息せき切った熱狂のダンス、踊り狂ったその先に歓喜のファンファーレが押し寄せます。そのエンディングは正に圧巻、これぞ勝利のファンファーレ。

 さてこの第2も副題を付けると致しましょう。「牧歌」、「田園」もしくは「第二の田園」。まあそれらも良いですが、やはり自然よりはブラームスの思いを重視しましょう。これは単なる自然讃美のコマーシャル音楽ではなく、あらゆる感情が積み重なった人間賛歌のシンフォニーなのですから…。従って、「歓喜」、「勝利」、「勝利の歌」。どれも適切。私としては交響曲第2番ニ長調「勝利の歌」Op73、これでどうでしょう? 「ドイツレクイエム」、第1交響曲、傑作を次々と…。最早ブラームスは押しも押されもせぬ西洋音楽の第一人者、得意の絶頂と言って良いでしょう。そんなブラームスが答えた所信表明のシンフォニー、正に断固とした勝利宣言でした。

〇ヴァイオリン協奏曲ニ長調 OP77
 第1交響曲(1876年)の大成功で、ヨーロッパ楽壇の頂点に上り詰めたブラームスは、自信を深め、その翌年からの10年は正に順風満帆、毎年のように大傑作をものにして行きました。この10年で作られた作品には交響曲3曲(第2、第3、第4)、協奏曲3曲(ヴァイオリン協奏曲、第2ピアノ協奏曲、二重協奏曲)の他に室内楽曲6曲(第1ヴァイオリンソナタ、第2ピアノ三重奏曲、第1弦楽五重奏曲、第2チェロソナタ、第2ヴァイオリンソナタ、第3ピアノ三重奏曲)などが含まれており、都合12曲の大曲が生み出されています。特にその創作の核心のシンフォニーとコンツェルトの大曲はこの10年で大半が生み出されており、正に黄金の10年と称するに値すると言えます。誠ベートーヴェンの“傑作の森”に匹敵する激しい創作意欲の爆発が見られた時代であり、絶好調のブラームスがそこに現れているのです。

 1877年、第2交響曲を完成させた直後の9月に、ブラームスは避暑地ペルチャッハからバーデンバーデンに移動し、そこでたまたまサラサーテ(当代随一のヴァイオリンの巨匠)のヴァイオリン演奏を聴く機会を得ました。その艶やかなヴァイオリンの音色、超絶の技巧、ヴァイオリンの能力を極限まで発揮させる演奏にブラームスはすっかり感心して、自分も一つヴァイオリン協奏曲と作ってみたいと本気で思い始めました。その後、早速盟友の大ヴァイオニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムに相談してヴァイオリン演奏の奥義を教えて貰い、それを参考にしてヴァイオリン協奏曲の構想を練り始めました。

 年が変わり1878年の春(4月のひと月間)に、ブラームスは念願だったイタリア旅行(第一回目)を敢行します。これもこの時代のブラームスの自信の表れと推測できます。大成功と言う大きな区切りを果したブラームスは自信満々・自由奔放、愈々生活面でもやりたい放題が出来る身分となったのでした。この旅行は完全に私的なもので正に今で言う観光旅行、仕事半分の演奏旅行とは訳が違います。自由気儘にラテンの飯を食らい、散策し捲って各地の建造物や美術作品を鑑賞し尽くしました。ブラームスは当時のイタリア音楽(主にイタリアオペラ)には全く興味がなかったようで、ひと月間、ひたすら食い物物色と自然観光、そして市街探訪と美術建造品探索に明け暮れていたようです。その印象がこのヴァイオリン協奏曲やその後の作品(第1ヴァイオリンソナタ、第2ピアノ協奏曲、「哀悼歌」、第2ピアノ三重奏曲、第1弦楽五重奏曲、「運命の女神の歌」、第3交響曲)に反映されていきます。それらはブラームスの生来の快活さやお茶目さが際立った時代の産物だと、言えるかも知れません。そして陽光煌めくイタリアが如何にブラームスを鼓舞しまた反対に癒しを与えてくれたか、その陽性なラテンの空気に溢れた作品群を聴いてみれば、窺い知る事ができます。この時期の作品は、本来ブラームスが持つ特有の暗い北ドイツの空気感が失せ、明朗闊達な南欧の空気が幅を利かせています。「哀悼歌」や「運命の女神の歌」のような悲劇的な内容の作品にしても、イタリアのラテンの空気が横溢しています。ブラームスの音楽には稀な透明な響きがそこにはあるのです。第1交響曲(1876年、悲劇から希望の愛へ)から第4交響曲(1885年、例外的に暗すぎる噴怒の曲、晩年の北ドイツへの回帰の始まり)までの10年間は、ブラームスの生涯で太陽の季節と言って良いと思います。

〇ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 OP83
第1、第2交響曲で、決定的な成功を収めたブラームスは、最早並ぶ者の無い大作曲家として、自由を謳歌し始めます。降り掛かる詰まらぬ雑事を無視して、憧れのイタリアに観光旅行に出掛けます。お伴は親友の大学教授で外科医のテオドル・ビルロートで、イタリアに詳しいビルロートを案内役に仕立てて、ひと月(1878年の4月〜5月)の旅を楽しみました。ブラームスも予め、イタリアの歴史や美術建築を学び、資料も集めて、準備万端整えて、汽車でイタリアに向かいました。

イタリアの印象は格別でした。ブラームス言によれば、「魔法を掛けられたような毎日」の記録(手紙)が残っています。この素晴らしい印象を無駄にしたくないと考えたブラームスは、その経験をピアノ協奏曲の作曲に織り込もうと考えました。但し、ヴァイオリン協奏曲が先に着手され、この年の秋にヴァイオリン協奏曲OP77は書き上げられ、初演がなされました。次の年(1879年イシュルの別荘)には、ヴァイオリン協奏曲の副産物であるヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」OP78が作曲され、ピアノの名曲の「二つのラプソディー」OP79も作られました。その後、積年の音楽活動の功績が讃えられ、ブレスラウ大学(当時はドイツ領、現ポーランド)から名誉学位を授けられ(1879年)、その返礼に大学祝典序曲(1880年)を作曲しました。こう言った名誉ある授与には、本当は、大曲の交響曲の返礼が普通であったようですが、ブラームスの交響曲は広く深く推敲されなければ完成されない難物、名誉学位如きで書ける簡単な代物ではなかったのです。ブラームスは、もっと軽く考えて、楽しい学生歌を繋ぎ合わせた「大学祝典序曲」OP80を書きました。しかも、これとほぼ同時に、「悲劇的序曲」OP81も作曲しました。ブラームス曰く「楽しいものと悲しいものを対で書きたかった」の言葉を残しています。多忙を極めていましたので、大曲のピアノ協奏曲は後回しにされていました。

1881年の正月は、ブレスラウ大学に出向き、名誉学位の授与式に参列しました。1月4日には返礼曲の大学祝典序曲と新作の悲劇的序曲、そして第2交響曲を指揮しました。その後は2曲の序曲を広めるために、演奏旅行に出て、ドイツ各地やオランダまで足を延ばしています。落ち着いたところで、第2回目のイタリア旅行に出ます。3月25日に出発で、ブラームスとしては初めてイタリア語を学んで、旅に臨んだと言う事です。お仲間は、ビルロート(外科医)、M・ノッテボーム(ベートーヴェン研究家)、A・エクスナー(法律学者)、ウィーンの知識人ばかりの男友達が同行していました。途中、用事があり、皆は帰って仕舞ったようで、ブラームスはフィレンツェで2週間の一人旅を味わったそうです。自由の身になって、イタリア飯、イタリア建築、イタリア(ルネサンス)美術などを心置きなく味わったそうです。

ウィーンに戻ったブラームスは、5月から10月までの創作のための別荘をウィーン近郊のプレスバウムに求め、愈々この地で、第2ピアノ協奏曲の作曲に熱中します。しかし、その前に前年にベネチアで他界した友人の画家・フォイエルバッハ追悼のため、美しい合唱曲「ネーニエ(哀悼歌)」を作曲しました。ドイツの詩人・シラーの詩に付けた美しき者も死に行かなければならないがテーマの曲、哀れな友・フォイエルバッハのためにラテンの響きで、その魂を悼みました。

イタリアの風光を織り交ぜた最もイタリアを意識した曲・第2ピアノコンチェルト。建築物の大理石をイメージした古典の堅固で勇壮な第1楽章、まるで汽車の車窓の風景を切り取った、流れるようなスピード感溢れる第2楽章、街のカフェでコーヒーを啜りながら在りし日の追憶に涙する第3楽章、イタリア娘に声を掛けて散歩をしたり、はしゃぎ回る第4楽章…。あらゆる感情が渦巻いています。コンチェルトには珍しい4楽章制、50分を超える巨大な構造空間を有します。コンチェルトのキングです。


*1881年に第2回目のイタリア旅行をした後、避暑地のプレスバウムで第2ピアノ協奏曲OP83と「ネーニエ」OP82を完成させました。そしてその他にも、もう一曲、重要な歌曲集を書いています。それは、OP84の「ロマンスと歌曲」で、その5曲の内の第4曲が、ブラームスの歌曲の中でも屈指の名曲の「甲斐なきセレナード」です。ピアノ作品の「二つのラプソディー」OP79と歌曲の「甲斐なきセレナード」は、当時のブラームスが手放しで自慢する傑作でした。その後(1883年1月)、この曲を得意とする若きアルト歌手・ヘルミーネ・シュピースが現れます。ブラームスは一目でヘルミーネを気に入り、親娘ほど年齢が違う二人は恋に落ち、この娘は、その後、多くのブラームスの歌曲(狩人・乙女の歌・花は見ている・あそこの牧場に・すぐ来てね・別れ・歌の調のように・まどろみはいよいよ浅く・嘆き)と交響曲第3番を書かせるのです。

*1882年は、ハンス・フォン・ビューローとのコンサートツアーから始まりました。マイニンゲン・オーケストラの指揮者であったビューローには、第2ピアノコンチェルトの試演に、このオーケストラを使わせて貰い、世話になったので、二人でこのオーケストラを率い、ブラームスのピアノコンチェルト2曲の演奏旅行をしたのでした。二人とも指揮者でピアニストであったので、第1番ニ短調OP15は、ビューローがピアノ、ブラームスが指揮、反対に第2番変ロ長調OP83は、ブラームスがピアノ、ビューローが指揮と、役割分担を決めて臨みました。ベルリン・キール・ハンブルクで、演奏を行い、そこで二手に別れて、ブラームスはミュンスター、ユトレストを経由してウィーンに戻りました。ウィーンにはフランツ・リストが聴きに来ており、ブラームスは第2コンチェルトの総譜をリストから求められ、出版社から贈らせています。夏は避暑地をイシュルに定め、ピアノ三重奏曲第2番ハ長調OP87と弦楽五重奏曲第1番ヘ長調OP88、そして最後のオーケストラ伴奏付の合唱曲「運命の女神の歌」OP89を作曲しました。二つの室内楽は、どちらも明るい長調で書かれており、ほぼ同時期(初夏)に脱稿されています。この春はイタリアに行ってなく、直接避暑地に入り、一気に書き上げたようでした。問題は「運命の女神の歌」で、これはラテン(イタリア・ギリシャ)シリーズの最後を飾る作品で、古代ミケーネの雰囲気を醸し出した合唱曲です。傑作であり、何れ「ブラームスの名曲」の枠で記事を書きます。


〇交響曲第3番ヘ長調 OP90
ヘルミーネ・シュピースと初めて出会ったのが、1883年1月のクレ−フェルト(ドイツ北西の都市)で、ヘルミーネは、ブラームスの信頼するバリトン歌手・ユリウス・シュトックハウゼンの指導を受けていた才能豊かな若いアルト歌手でした。見目麗しく機知に富んだシュピースは、ブラームスの音楽に強い関心を抱いていて、ブラームスの前で「甲斐なきセレナード」を歌って聴かせたそうです。ブラームスはイチコロとなり、虜となって、夏の創作の別荘を、シュピースが住むヴィースバーデンに決めてしまいました。機会を作ってはシュピースと会えるように画策をし、二人は愛し合うようになりました。この時代、ブラームスは有名人であり、何処に行っても顔の知られた存在であり、忽ち、二人には噂が立ち、ゴシップのネタになりました。それでも二人はそんな事に意を介さず、仲良く逢瀬を重ねたのでした。もう結婚は衆目の必然でした。しかし、二人は結婚せず、シュピースは、唯自分のために数々の傑作歌曲を書いてくれるブラームスを許していました。でも本当はブラームスの求婚を待ち侘びていたそうです。可哀想なシュピース、それでもこの女性、凄いのですよ。クララ(ピアニスト)・アガーテ(令嬢)・ベルタ(歌手)・ユーリエ(シューマン三女)・エリザベート(ピアノの弟子)・ヘルミーネ(歌手)、ブラームスの恋の遍歴は色取り取りですが、その捧げられた曲の数は圧倒的に、このヘルミーネ・シュピースが多いのです。その最たる曲は、「すぐ来てね」、「歌の調のように」、「まどろみはいよいよ浅く」、「ヴァイオリンソナタ第2番」そして第3交響曲、名曲ばかり、傑作ばかりなのです。21世紀のブラームス愛好家の私にも、ヘルミーネは素晴らしい贈り物をくれたのです。ヘルミーネ!讃!

愛する人のいる快適なヴィースバーデンの地、普通の人なら有頂天になって仕舞うのに、ブラームスはやはり根っからの作曲家でした。早朝に起きて風呂に入り、コーヒーを淹れて葉巻(シガー)を吹かす、これが毎朝のブラームスの習いです。午前中は第3交響曲に熱中します。ブラームスの作曲は、ピアノの前で行わず、譜面台の前に立ってします。モーツァルトは大きなテーブルの上に楽譜を並べてしましたが、ブラームスは巨大な譜面台を使っていたそうです。頭にある音をピアノで確かめるのではなく、そのまま頭から譜面に書き降ろしていきます。最後に、ピアノ室に入って出来栄えを確かめたそうです。

午後は近くのレストランに昼飯に、友達やヘルミーネと連れ立ってレストラン飯にありつきます。飯の後は散歩、ブラームスは登山はしなかったですが、歩くのは好きで、五線譜と筆記具を片手に、野を散歩したそうです。きっと、ヘルミーネと長い散歩をしたようです。そしてその後は、もっぱら仲間内のサロンでコンサート。多くの歌曲や室内楽が演奏されたそうです。

夜は友や後援者たちが催す招待飯、ブラームスが年々肥満して行ったのは、このレストラン飯と招待飯の所為と言われています。

ヘルミーネと、こんな快適な夏を過ごしていたブラームス、そしてこの夏は第3交響曲を書こうとしていたブラームス。この第3交響曲が楽観的な楽しいものになったのは当たり前でした。古典とロマンの要素を取り入れて、見事に融合させた交響曲、簡潔の中に情熱が溢れています。

そして、この曲にはブラームスのモットー(スローガン)が明確に表示されています。第1楽章の冒頭で、管楽器が一斉に鳴らすF-A♭-Fの音型、これがドイツ語の”Frei aber froh”(自由だが喜ばしく)を表し、この自由だが喜ばしくがブラームスの平素持っているモットーと言う事です。これは第1(C-C#-C)や第2(D-C#-D)で使われたモチーフよりは、もっと意味深いもので、この曲の全編に亘って表れるこの曲のテーマと言えます。

しかもF-A-Fのへ長調ではなくて、F-A♭-Fのヘ短調で現れます。ここがブラームスの音楽の意味深い所で、悲喜交々が綯い交ぜになった、様々な感情を表そうとするブラームスの作曲技法なのです。自由だが喜ばしく、時として、歓喜と悲哀が相剋する、それがブラームスの音楽なのです。ベートーヴェンの第8とシューマンの第3を思わせる爽快なダイナミックス(活動性)と、モーツァルトと想わせる慈悲の心、生活を楽しむ、普段着のブラームスがそこにいます。

*楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット(1・4楽章)、ホルン4、トランペット2(1・4楽章)、トロンボーン3(1・2・4楽章)、ティンパニ(1・4楽章)、弦楽五部
第2第3楽章は、コントラファゴット・トランペット・ティンパニを使っていません。正に楽章ごとに、硬(1・4楽章)軟(2・3楽章)を変化させ際立たせています。爽快な第1楽章、劇的な第4楽章、森の芳醇な第2楽章、鎮魂の歌の第3楽章、快哉と哀悼が入り混じっています。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ(生気を持って快速に)
ヘ長調、6/4拍子、ソナタ形式
簡潔極まりないソナタ形式の楽章、冒頭にブラームスのモットーが鳴り、幕(曲)は一気に切って落とされます。快活で壮大、ソナタ形式の枠組みで、ブラームスの情熱が迸り出ます。

第2楽章 アンダンテ
ハ長調、4/4拍子、自由なソナタ形式
ブラームスの自然愛好が現れた楽章、シュピースと散歩して、小鳥の歌と、野の花を愛でたに違いありません。五線譜を持ち歩くブラームスですから、シュピースに歌わせる多くの歌曲のインスピレーションを得て、楽譜に書き込んだ事でしょう。地味で鄙びていますが、美しさはこの上ありません。大人にしか判らない墨絵のような音楽です。

第3楽章 ポコ・アレグレット
ハ短調、3/8拍子、三部形式
「自分だけが幸福で良いのかしら」、そんな思いで、死者のための悲歌を書きました。この曲をテーマにした小説、この曲をカバーした音楽が後の世に数多出ています。希代の名旋律です。有名なところでは、フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」、その映画の「さよならをもう一度」、「バビロンの妖精」、フランク・シナトラ、サンタナ、大貫妙子、平原綾香が詩を付けて歌っています。

第4楽章 アレグロ・ウン・ポコ・ソステヌート(やや抑えて快速に)
ヘ短調ーヘ長調、2/2拍子、自由なソナタ形式
最も闘争的な楽章、ウィーンフィルで初演した、指揮者ハンス・リヒターの言「これはブラームスの英雄だ!」の根拠となった楽章です。しかし、結尾は緩く静かな回想的な音楽です。様々にその理由を発信する評論家もいますが、これがブラームス本来の音楽の性質。硬軟、悲喜、理想と現実、このどれもが表裏一体となっているのがブラームスの音楽です。気負わずに、己の英知と価値観で、音楽と対していたのです。


*第3交響曲Op.90の出版が1883年、その2年後の1885年に第4交響曲op.98が完成しました。この間は、大曲は無く、主に歌曲と合唱曲が生まれています。Op.91の伴奏にヴィオラが入った女声(アルト歌手、ヨアヒム夫人・アマーリエ・ヨアヒムのために作曲)のための独唱歌曲、Op.92の四重唱曲、Op.93の合唱曲、そしてOp.94・95・96・97の4集は独唱歌曲です。更にその後の第4交響曲の後に出版されたOp.105.106.107と合わせて、恋人であったアルト歌手のヘルミーネ・シュピースに関係がある曲が含まれています。二つの交響曲の隙間には、多くの傑作歌曲が生まれたのでした。

ブラームスの趣味の一つは読書で、聖書を筆頭に、あらゆる分野の書物を読み漁っていたようです。社会の動静や物事全般に強い興味を抱いていたようで、その博識ぶりはクララを始め、友人の間では有名でした。新聞も熟読しており、仲間内で交わされた日清戦争の論議でも、大半は清国の勝利と論じていましたが、ブラームス一人が日本贔屓で、日本が勝つと断言していたそうです。事実1895年に日本の勝利で終わりました。ブラームスは常日頃、戦争のような社会悪を憎んでいました。人種差別による紛争など、人間の愚かさを断罪していました。但し交響曲のような絶対音楽では、その社会的芸術的思想は音でしか測れませんが、言葉を付けた音楽ではブラームスの思想が容易く観えて来ます。最晩年に遺書のようにして書いた聖書の言葉をテキストとした歌曲「4つの厳粛な歌」Op.121では、ブラームスの哲学が観えて来ます。人間とは何か、動物とどう違うのか、世界には大きな虐げ(戦争)がある、死とは何か、死の苦しみ、死の救いとは何か、そして人間は愛を持ち、希望を持ち、信仰を持って生きるべきである。人間の存在意義と生と死を見詰めています。これがブラームスの哲学であり、この第4交響曲の思想のバックボーンとなっています。この当時、非常に興味を持っていたギリシャ悲劇の影響もあり、この極めて思想的・闘争的な交響曲が生まれたのでした。

〇交響曲第4番ホ短調Op.98







◎管弦楽曲

*ブラームスには交響曲以外の管弦楽作品は多くはありません。しかも当時としてはオーケストレーションが地味で、傑作と言えるのはハイドン変奏曲の一曲だけと言って良いでしょう。他に大学祝典序曲と悲劇的序曲がありますが、傑作と言うには軽いでしょう。まあ、秀作・力作が相応しいと思います。それに2曲の管弦楽用のセレナーデ(Op11、Op16)、こちらは若年の作、交響曲への下準備としての習作の意味合いが濃厚です。それでもブラームスとしては珍しい砕けた開放感のある良い曲であり、私は愛聴しています。佳作と言って良いでしょう。

9、ハイドンの主題による変奏曲Op56a (Op56bは2台ピアノの作品)

◎室内楽曲
*ロマン派室内楽はブラームスの独壇場と言って良いでしょう。よくブラームスは、交響曲のような室内楽を書いた作曲家と言われています。それは、好意的な見解の中らずと雖も遠からず”で、小編成の室内楽作品でも、大編成の交響曲に準ずる重い内容のものを書いたからだと想われます。ブラームスの室内楽は、単なるサロンの遊びの音楽とは一線を画す、人生を語る交響曲のような音楽だったのです。また反対に、地味なオーケストレーションの交響曲は、多くの人々(対立する反対派・ワーグナー等)から、まるで室内楽のような交響曲だと揶揄されたのです。但しこれも中らずと雖も遠からず”で、朴訥な田舎者のブラームスは、けばけばしく飾り立て、格好よく見栄を切り、アジテーション高く聴衆を扇動する大仰なオーケストレーションを性格上使えなかったのです。地味にしかし深く愛と人生を語るシンフォニー、たとい室内楽の延長線上にあろうとも、それは最高の交響曲、それが判らず揶揄した反対派は、ロバ(王様)の耳だったのです。このようにブラームスの室内楽と交響曲は同一線上にあり、より社会性・普遍性が高い動機であれば交響曲に、より個人的な動機によれば室内楽へと書き分け、管理していたのです。結果的にブラームスの室内楽は、交響曲を完成した前後に書かれる事が多いのですが、それは交響曲を書く為に準備したモチーフ(テーマ)を余すところなく使い切った証として知る事が出来ます。ブラームスの場合、一曲の交響曲を書くには大量のモチーフ必要としたのであり、余ったモチーフを無駄にする事無く、室内楽に転用したのです。

10、弦楽六重奏曲第1番変ロ長調Op18
11、ピアノ五重奏曲ヘ短調Op34
12、クラリネット五重奏曲ロ短調Op115
13、ピアノ四重奏曲第3番ハ短調Op60
14、弦楽四重奏曲第3番変ロ長調Op67
15、ピアノ三重奏曲第1番ロ長調Op8
16、ホルン三重奏曲変ホ長調Op40
17、ヴァイオリンソナタ第1番ト長調Op78 
18、チェロソナタ第1番ホ短調Op36

*やはり室内楽でも、長調・短調を均等に選び、曲作りがなされています。しかも、多種・12種類もある楽器編成の内の一つの楽器編成による曲数は多くて3曲まで、その個性化を念頭に入れた執拗な計画性と管理性は並外れたものがあります。全24曲が内容の濃い秀作であり、9曲にして選ぶのは困難がありました。一番の選びどころは存在感の有無(優劣、だから傑作)にしました。全ジャンルの中で、弦楽五重奏曲とクラリネットソナタを選べなかったのが心残りですが、仕方がありません。その存在感が今一つでしたから…。

◎ピアノ曲
*19世紀はピアノの時代と言われています。発明から100年が過ぎ、進化の最中にあったピアノは益々高性能となりました。それと同時に産業革命の進展により富裕層が増大し、ピアノの需要が爆発的に伸びました。それらに呼応するように優れたピアニスト及びピアノ教師、そしてピアノ曲作曲家が輩出し、多くのピアノ作品が作られ演奏されました。シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、そしてブラームスと、ピアノを得手とする作曲家が煌星の如く現れ、史上最大最高の輝かしいピアノの時代を形作ったのでした。

そんな時代の最後を飾ったのがブラームスで、先輩5人の後を引き継いで立派なピアノ作品を生み出し、世に報いました。但し、ブラームスに於いては、常に言える事ですが、生まれた年代が遅すぎた作曲家だったという事です。多くの先達が多くの作品を残した後に生まれた作曲家、ブラームスが得る残された余地は少ないものでした。だから、ブラームスは過去に遡り昔の音楽を研究したのでした。まずシューマンに始まってシューベルト、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン、バッハ、ヘンデル、そして更に昔のバロック以前の者達の足跡も…。そこでブラームスは古の音楽技法に着目をし、古い形式の中に新たな発展の余地を認め、そこに近代の息吹を吹き込もうと想い立ちました。そこで出会った音楽形式とは、様々な様式の変奏曲(フーガ、カノン、パッサカーリアやシャコンヌ等)でした。ピアノ用の変奏曲、数は少ないですが、バッハやベートーヴェンには優れた鍵盤用の変奏曲がありました。勿論、ロマン派の時代にもこの様式の曲(メンデルスゾーン等)は無きにしもあらずでしたが、種類も傑作も少なく、ブラームスはそこにピアノ音楽の新天地を見出したのでした。

ブラームスのピアノ変奏曲は全部で7曲現存します。以下に記し、如何にブラームスが変奏曲に入れ上げてたかを紹介致しましょう。全てが初期から中期の初めにかけての作品です。
シューマンの主題による変奏曲Op9
自作主題による変奏曲Op21-1
ハンガリー歌曲による変奏曲Op21-2
ピアノ連弾用:シューマンの主題による変奏曲Op23
ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOp24
練習曲:パガニーニの主題による変奏曲(2集)Op35
2台ピアノ用:ハイドンの主題による変奏曲Op56-b

19、ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOp24
20、練習曲:パガニーニの主題による変奏曲(2集)Op35
21、二つのラプソディーOp79
22、(晩年の)ピアノ小品 Op116(7曲)、Op117(3曲)、Op118(6曲)、Op119(4曲)

*「二つのラプソディー」は生前のブラームスが最も愛好していたピアノ作品。誰にでもこの曲の演奏を進め、自らも好んでよく弾いていたと伝えられています。確か、エジソンの臘管レコードに自らの演奏で録音した史実が伝えられています。その原盤は残されていないようですが?

*晩年のピアノ小品は、ブラームス晩年の心境を吐露したエッセイのようなもの。正に音楽と人生を極めた達人の思いが綴られています。個人的に申しては何なのですが、これらの20曲は私の宝物です。苦悩で泣きたくなるとここに誘われます。感動と涙を持ってしばしば聴いています。

◎オルガン作品
*バロックを愛し、バッハに憧れたブラームスは、やはり素晴らしいオルガン独奏曲を書きました。若き頃のシューマンの死を目の当たりにして書いたもの凄いフーガ4曲…。そして今度は自分の死に目に書いた世にも優しい11のコラール前奏曲。正にオルガンと言う楽器は人間の死と共にあるのですね。オルガンは魂の響き…

23、11のコラール前奏曲Op122(オルガンソロ)


☆声楽曲
*ブラームスはよく器楽の作曲家と想われ、そんなイメージが定着していますが、とんでもない、ブラームスの創作の沃野には、器楽の領域と遜色のない広大な声楽曲の美田が広がっているのです。有伴奏、無伴奏(アカペラ)を含む100曲を超える重唱及び合唱曲と200曲を超える独唱歌曲、ドイツレクイエムの作者ブラームスこそ、ロマン派の最大の声楽曲作曲家と褒め称えても、それは過言とは無縁の言動でありましょう。

◎合唱曲・重唱曲
24、ドイツレクイエムOp45(ソプラノ、バリトン独唱、混声4部、オーケストラ、オルガン)
25、愛の歌・ワルツOp52(18曲、四重唱、合唱、ピアノ四手)
26、「祭典と記念の格言」Op109と三つのモテットOp110(無伴奏≪アカペラ≫混声8部、4部・8声部)

*人間の生と死を見詰めた音楽・ドイツレクイエム。これ以上優しさに溢れた音楽を私は未だに知り得ません。「幸なるかな」と歌いだされる冒頭の歌を聴けば、不思議に苦悩は安らぎ幸福感で満たされていきます。愛する者を失った絶望した人の魂を鎮める、不幸を幸福に変える魔力を持った真の傑作です。

*「愛の歌」・ワルツは、皆で寄り添い皆で合わせて歌う、重唱・合唱の喜びを味わせてくれる青春の歌です。ピアノ伴奏までも連弾なのですよ。ブラームスはある娘に恋をし、熱い思いを胸に幸せに包まれてこの曲集を作曲しました。お気に入りの詩人・ダウマーの詩に付けて…。そして「愛の歌」のタイトルが眩しい、刷り上がったばかりのその楽譜をこの娘に捧げたのでした。ところがこの娘はブラームスの思いを知らず、ある男と婚約を済ませてしまっていました。失恋の痛手を負い怒りに震えたブラームスは、ある曲を作曲する事で、その苦悩から己の心を救い出したのでした。その曲こそが彼の名作「アルトラプソディー」です。アルトの歌声がどれ程ブラームスを癒した事か…、偲ばれる逸話です。結局、この娘は大した者で、音楽史上の功労者ですよね。何しろ大作曲家ブラームスに恋心と失恋を合わせて味あわせ、二曲の傑作合唱曲を書かせてしまったのでしたからね…。この娘こそシューマンとクララの三女・ユーリエ・シューマンで、写真で見る限り、母・クララ似の美しい女性です。シューマンの残した四姉妹の中では最たる美人であったようで、唯一家庭を持った女性でした。確か、イタリアの貴族の男と結婚したとか…。

「アルトラプソディー」Op53とその他の「運命の歌」Op54、「運命の女神の歌」Op89、そして美しい「ネーニエ(哀悼歌)」Op82の優れた合唱曲もこれに付け加えたかったのですが、残念、落選させました。これらの合唱曲は真のブラームスファンの特別の名作。この燻し銀は私達の物…、誰にもあげない?。

*アカペラの曲は、合唱の原点に位置する曲種。この天国的な透明感は、平均律調律法では出せない和声(純正調)の響き、正に天上の音楽であり、ヨーロッパの教会に木霊する清澄な響きです。

◎独唱歌曲
*長年、ブラームスの歌曲を聴き続けていると、何と全ての歌が好きになってしまうのです。それは大袈裟に言うのではなく、それほど心に通う美しい歌達だからです。滑らかなカーブを描く旋律、素敵なピアノ伴奏、もう心が溶けていくのが分かります。ホントに好きで好きで堪らない歌曲、全200曲全部を取り上げたい、これが今の私の正直な思いです。でも仕方がない、心を鬼にして選択します。

27、歌曲・初期 
Op3-1「愛のまこと」、Op7-1「まことの愛」、Op7-5「悲しむ娘」、Op14-1「窓の外で」、Op19-4「鍛冶屋」、Op19-5「エアリアンハープ(アイオロスのハープ)によせて」、Op32-1「夜中に飛び起きて」、Op32-9「私の女王よ」、OP.33歌曲集「マゲローネのロマンス」、Op.43-1「永遠の愛」、Op43-2「五月の夜」、Op46-4「ナイチンゲールに」Op47-3「日曜日」、Op48-7「秋の気配」

28、歌曲・中期
Op49-4「ゆりかごの歌≪ブラームスの子守歌≫」、Op57-3「私は夢を見た」、Op57-4「ああ、このまなざしをそらして」、Op58-6「小路にて」、Op58-8「セレナード」、Op59-3「雨の歌」、Op59-6「お休み安らかにおやすみ」、Op59-7「傷ついた私の心」、Op59-8「君の青い瞳」、Op63-5「我が恋は緑」、Op63-8「郷愁U」、Op69-2「嘆きU」、Op69-7「海を越えて」、Op70-1「海辺の庭で」、Op70-2「ひばりの歌」、Op70-3「セレナード」、Op71-5「愛の歌」、Op72-1「昔の恋」、Op72-2「蜘蛛の糸」、Op72-3「おお、涼しい森よ」、Op72-4「失望」 

29.歌曲・後期
Op84-1「夏の夕べ」、Op84-4「甲斐なきセレナード」、Op85-1「夏の夕べ」、Op85-2「月の光」、Op85-3「乙女の歌」、Op84-6「森のしじまに」、Op86-2「野にひとりいて」、Op86-3「夢にさまよう人」、Op86-4「荒れ野を越えて」、Op86-6「死への憧れ」、Op91-1「ひそかな憧れ」、Op91-2「聖なる子守歌」、Op94-1「40歳になって」、Op94-2「現れ出でよ愛する影よ」、Op94-4「サッフォー風頌歌」、Op95-4「狩人」、Op95-6「乙女の歌」、Op96-1「死は冷たい夜」、Op96-2「僕たちはさまよい歩いた」、Op96-3「花は見ている」、Op96-4「航海」、Op97-4「あそこの牧場に」、Op97-5「すぐ来てね」、Op97-6「別れ」、Op105-1「歌の調べのように」、Op105-2「まどろみはいよいよ浅く」、Op105-3「嘆き」、Op105-4「教会の墓地で」、Op106-3「霜が降りて」、Op106-4「我が歌」、Op107-2「サラマンドラ」、Op107-3「乙女は話しかける」、Op107-4「ねこやなぎ」 

30、歌曲:「四つの厳粛な歌」Op121
第1曲「人の子等に臨むところは獣にも臨むからである」 伝道の書から
第2曲「わたしはまた日の下に行われるすべてのしいたげを見た」 伝道の書から
第3曲「ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか」 シラ書から
第4曲「たといわたしが人々の言葉や御使たちの言葉を語っても」コリント人への第一の手紙から  

*ブラームスは、死を間近に控えたところで、もう一度、あのレクイエムのような音楽を書きました。今度は大規模なものでなく、歌とピアノの歌曲として、未来の人々に聖書の言葉を借りて遺言を残しました。人間の存在意義、戦争の悲惨と愚、死とは何か、そして人間はどう生きるべきか。この歌は厳しく人間を断罪しています。ブラームスが言いたかったのは、「愛と信仰を持って希望に満ちて生きなさい」と言う事、ありふれた事ですが、それが一番難しい、永遠の宿題ですね。しかし、それを意識するかしないかで、人間の一生は大きく異なるものになります。心の何処かにきちんと意識を持って、生きて行きましょう。

さて、ブラームスの最高傑作はどの曲でしょうか? 交響曲第1番ハ短調、交響曲第4番ホ短調、ドイツレクイエム、四つの厳粛な歌、11のコラール前奏曲、(晩年の)ピアノ小品などが、私の思いに叶う作品です。どうしても一つ上げるとするならば、人間の優しさを前面に押し出した「ドイツレクイム」…、この優しさこそが人間の最大の価値、これは人類の傑作の一つです。 
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2020年02月24日

音楽の話 三上夏子・熊田恵、音楽紙芝居「ピーターとおおかみ」 2020.02.24

横浜山手西洋館・山手111番館 山手111番館の吹き抜け構造のホール
美しく晴れた振り替え休日の午後、山手・港が見える公園内にある山手111番館で、三上夏子が弾く音楽紙芝居「ピーターとおおかみ」が上演されました。会場は山手西洋館の中にある小さなホールでした。美しい早春の花が咲く山手111番館、NちゃんYちゃんRくんにパパママと、束の間のお散歩を楽しんだ後、会場に入りました。

ホールは二階にあり、三階建ての西洋館は、二階三階が吹き抜け構造になっていました。天井から釣り下がるシャンデリアの辺りはベランダ構造になっており、洋館のお洒落な風情が滲んでいました。

「ピーターとおおかみ」開演の挨拶
開演のご挨拶
ロシアの作曲家・セルゲイ・プロコフィエフが書いた「子供のための交響的物語」で、子供にオーケストラの楽器の役割を説明する、交響作品です。そのピアノの編曲版が、この日弾かれた楽譜です。

ピーターの件
ピーターの件
ピーターは弦楽五部で演奏されます。明るく快活な男の子です。

アヒルと小鳥の件
アヒルと小鳥の件
アヒルはオーボエ、小鳥はフルートです。二人はライバルのようで、良く喧嘩をします。この日も喧嘩をして、アヒルは池に入り、ガーガーと鳴きます。小鳥は水面すれすれに飛んで、アヒルを揶揄います。クラリネットの猫はノンビリと木の上の葉陰でお昼寝、ピーターも外で遊んでいると、ファゴットのお爺さんが「ブツブツ」と文句を垂れ、ピーターにおおかみが来ると注意をし、ピーターを家に閉じ込めて仕舞います。

おおかみの件
そこへお爺さんの言う通りにおおかみがやって来ました。お腹を空かせています。3本のホルンの合奏がおおかみのテーマです。力強く険しい遠吠えを模したホルンの咆哮が聴こえます。そしてアヒルに近づくとアヒルを一飲みにしてしまいました。それでも逃げて助かった小鳥と力を合わせ、ピーターは見事におおかみを生け捕りにしてしまいます。そこにティンパニ・バスドラムの猟師が現れて、ピーターと一緒におおかみを動物園に預けに行きます。ピーター、おじいさん、ことり、ねこ、そして猟師、みんなで動物園まで行進だ! 曲は華々しく終わります。でもさて、丸呑みにされたアヒルくんはどうなったのでしょうか? 動物園でおおかみは、クシャミをしたそうです。アヒルくんはおおかみの口から無事生還したそうな〜

紙芝居・語り手を演じた恵ちゃん、そしてオーケストラを意識して弾いたピアノの弾き手ナッチャン、二人の見事な音楽紙芝居絵巻は終わりました。超満員の会場、割れる拍手大喝采でした。NちゃんYちゃん、大喜び! Rくんはその辺を彷徨い歩いていました。ピーターのクラリネットの猫のように…



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2020年01月11日

音楽の話 三上夏子音楽紙芝居コンサート開催 2020.01.11

DSCF4091.JPG
久し振りですが、三上夏子が音楽紙芝居「ピーターと狼」を再演します。横浜山手芸術祭参加の公演で、場所は山手西洋館・山手111番館にて演奏します。日にちは2月24日で、14時からの開演です。入場無料、限定30名です。是非お出でください。

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2019年07月17日

音楽の話 都響・第881回定期演奏会 ドボチェロコンとブラ2を聴く 2019.07.16

都響第881回定期演奏会Aシリーズチケット
東京都交響楽団の第881回定期演奏会Aシリーズを聴いて来ました。曲目はドボルザークのチェロコンチェルトとブラームスのシンフォニー第2番の2曲でした。演奏者はチェロが宮田大、指揮が私注目の人・小泉和裕、ソロ・コンサートマスターが矢部達哉でした。都響には、私達家族の知り合いの第2ヴァイオリンの主席奏者・遠藤香奈子さんがいらっしゃいます。この日も指揮者の左横奥、第2ヴァイオリンの最前列に座っておられました。

チェロの宮田大は、出るコンクール全てで第1位を取る逸材です。使用楽器は1698年製のストラディヴァリウス”シャモニー”で、見事な音色を放っていました。ソロ・コンサートマスターの矢部達哉は、チェロ・コン第3楽章で独奏チェロと独奏ヴァイオリンが絡む二重奏があり、それに加わりました。流石は名ヴァイオリニスト矢部達哉、宮田より美しい演奏でした。指揮の小泉和裕は、指揮者では私の注目の人、師匠のカラヤンと同様の完全暗譜の人。コンチェルトでも暗譜で、指揮台の前には譜面台はありません。私より数歳上の世代ですが、瘦身の体躯で颯爽と指揮棒を振ります。一点の迷いも無い、完璧な指揮法を披露します。

ドヴォルザークのチェロコンチェルトロ短調は、古今東西の数少ないチェロ・コンの中では、第一級の作品です。兎に角美しいメロディーが横溢しており、オーケストラの扱いも堂に入った見事な出来栄えです。何不足ない名曲ですが、唯一つ、私だけの想いですが、ドヴォルザークには人の魂に捧げるメッセージが足りません。美しく見事な技量の旋律家ですが、魂を揺さぶるメッセージに不足しているのです。でもそれだけで十分ではないかと言われてしまったなら、それはそれで仕方がないことです。美しい音を楽しむのが音楽なのですからね…。

教えてはいませんが、ドヴォルザークの師匠格に当たるのがブラームスです。ドヴォルザークが不遇の頃、オーストリア政府が実施した奨学金制度に何度も応募をし、審査員のブラームスにその才能を見出された事がありました。多額の奨学金を手にしたドヴォルザークは、そこでオーケストラ楽員(ヴィオラ奏者)を止め、作曲に専念する事が出来たのです。特に当時のブラームスは、ドヴォルザークの旋律美に惹かれており、旋律作曲家としての才能を高く評価していました。大当たりを取ったハンガリー舞曲(ブラームス作曲)と同様のスラブ舞曲の作曲も勧めました。

ブラームスはドヴォルザークと違い、旋律作家としては今一つでしたが、一つのモチーフ(動機)を有機的に発展させる構成力に優れていました。そしてそこに、人間の魂の発露となる心の声(思想・感情)を畳み込み、重厚・深淵な交響曲を書きました。ベートーヴェンの英雄主義とは異なる、より人間的な庶民的な交響曲を書きました。ベートーヴェンが激烈な闘争と克己であるならば、ブラームスは悟りの境地・諦観でした。

但し、第2シンフォニーはところに依り諦観(第2・第3楽章)ですが、それよりも勝っていたのが、自己完結であり、勝利宣言でした。「ドイツレクイエム」、第1シンフォニーと続けざまに傑作をものにしたブラームス、もうブラームスには敵は無く、当代随一の作曲家に上り詰めたのでした。その断固とした勝利宣言こそが、この第2シンフォニーでした。

交響曲第2番ニ長調作品73
自然溢れる優美な避暑地・ペルチャッハ(オーストリア・ケルンテン地方)に滞在し、一夏で完成させたシンフォニー第2。第1シンフォニー完成で、積年の憑き物(シューマンの遺言・交響曲作曲)を落としたブラームスは得意の絶頂となり、新しいアイデアの明るいシンフォニーを書きました。緑の山々、静寂の森と湖、小鳥の囀りに風の音、そして村人のダンス。それらに囲まれて毎日快適に過ごしました。凡人では遊び呆けてしまうところですが、ブラームスは毎日、シコシコと作曲に励みました。早朝(5〜6時)起きて風呂に入り、コーヒーを淹れ、葉巻を吹かし、朝飯とします。午前中は作曲に専念し、長時間の散歩の後の昼飯や晩飯は招かれ飯やレストランで食事。これを毎日繰り返し、たった4ヶ月で演奏時間40分を上回る交響曲を仕上げて仕舞いました。遅筆ブラームスと言われていますが、それは嘘ですね。

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ《甚だしくないアレグロ》 ニ長調、3/4拍子 ソナタ形式
武骨なダンスと優美な歌が織り交ざった楽章。遠くで角笛が木霊して、それに合わせるように小鳥が歌っています。やがてダンスの環ができ、乙女の優しい歌が聴こえます。切ない切ない歌です。次第にダンスの環は熱を帯び、荒れ狂って行きます。展開部は益荒男と手弱女の歓喜のデュエット、激しく絡み付き執拗に絡み合っていきます。エンディングはホルンの愛の告白。告白の後は愛しみの抱擁と受け入れ、仲睦まじく溶け合います。

第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ《甚だしくないアダージョ》 ロ長調、4/4拍子 ソナタ形式
愛に溢れる自然賛歌のポエム、全楽章の中で最も諦観を帯びた楽章で、ブラームスらしいロマンが香ります。自然の中で男女がかくれんぼをしているように入り乱れます。男女のテーマが行ったり来たり…。ブラームスの真骨頂の重くねっとりとした愛の歌が歌われます。

第3楽章 アレグレット・グラチオーソ(クワジ・アンダンティーノ《アレグレットと言っても殆どアンダンティーノのように》) ト長調 3/4拍子
愛らしいワルツ、グラチオ−ソ(優雅)に一息つく楽章。アダージョの余韻とフィナーレの興奮を前にしたつなぎの楽章。

第4楽章 アレグロ・コン・スピリト《元気に・生気に満ちて》 ニ長調 2/2拍子 ソナタ形式
歓喜に満ちたフィナーレ、息せき切った激しいダンス。これでもかこれでもかと踊り狂った後に訪れる勝利のファンファーレ。前三つの楽章の熱い自然賛歌の後に断固たる勝利宣言が展開します。ブラームスは得意の絶頂にありました。

難曲中の難曲と言われているブラームス第2のフィナーレ、小泉都響は速いテンポで隙間無く整然と、完璧に仕上げていました。ブラボー連呼の熱狂は無かったものの、私一人は鳥肌が立ち震えていました。心中で何度もブラボーと叫んでいました。

東京文化会館大ホール
4階の中央から観た東京文化会館大ホール、この位、離れていればこその求心的音響、音楽の構築が透かし模様のように良く観え(聴こえ)ます。

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2015年06月07日

音楽の話105 稀代の名旋律・G・F・ヘンデルの”私を泣かせてください” 2015.06.07

今宵の名曲は、ヘンデルの歌劇〈リナルド〉から”私を泣かせてください”を紹介しましょう。

大分前、孫のNちゃんにプレゼントしたCD・ヒーリングボイスの中にあったこの可愛い歌(アルミレーナのアリア)、私はこの歌を聴いて、心底歌の素晴らしさに目覚めました。

勿論、私の中ではブラームスの歌曲が最高の歌ですが、そこに無い本来人間の声だけが持つ魅力に目覚めたのです。優しい肉体から発する絹の声、楽器の冷徹とは違う人間の血の暖かさが感じられる恋人の声、否、母の声、私はそれに惑溺したのです。

もう離れられません、ヘイリー・ウェステンラが歌う”私を泣かせてください”、私は全身全霊で聴き惚れます。全身全霊で溺れます。こんな歌の聴き方もあって好いでしょう。

バッハと並ぶバロック音楽の巨星・ヘンデル。但し、謹厳なバッハとは違い、劇的且つ明朗闊達、美しさに溢れています。今日に於いて、バッハに比べ一般的でないのはヘンデルの持ち味がオペラに偏っていることです。されど次第にヘンデルのオペラも上演の機会が増え、ヘンデルの新たな側面が浮き彫りにされつつあるようです。ヘンデルの”私を泣かせてください”、バッハには書けない、おおらかにしてしなやかな正に稀代の名旋律です。

ヘイリー・ウェステンラはニュージーランド出身のアイルランド系のソプラノ歌手。美声の持ち主で、未だ若い美人歌手です。私は好きですね、惚れ込んでいます。女の優しさ、女のしなやかさを感じさせてくれます。
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2014年10月26日

音楽の話104 Nちゃんへのプレゼント、ウィーンフィル・ベスト&グレーテスト 2014.10.23

 嘗てNちゃんに贈ったCDで唯一無かったのが、オーケストラのジャンル。ピアノ曲に様々な楽器のそれぞれの合奏曲、そしてイギリス(スコットランド)民謡の歌がありましたが、管弦楽作品はありませんでした。そこで今日、横浜高島屋の”竹久夢二展”を観覧したついでにCD屋によって、この”ウィーンフィル・ベスト&グレーテスト”なるCDを買ってきました。この記事を書き終えた暁にはNちゃんに手渡しましょう。

 交響曲、交響詩、序曲、バレエ、ダンス、ウィンナ・ワルツとポルカにマーチなど。全24曲が入っているCD2枚組のものです。演奏は勿論ウィーンフィルですが、指揮者が13人とバラエティーに富んでいます。これはベスト&グレーテストのタイトル通りに優れたものです。それぞれの曲の第一級の演奏と言って過言はありません。NちゃんはきっとCDを破壊するほど?気に入ってくれるでしょう。

CD1
@バレエ〈くるみ割り人形〉作品71〜行進曲(チャイコフスキー)指揮・カラヤン
タンタタタタンタンタンタターで始まるお馴染みの曲。少女クララのくるみ割り人形が、夢の中で王子様に変身し、クララをお菓子の国に連れて行ってくれるクリスマスの晩の物語…。チャイコフスキーのメロディーのアイディアが光る名曲。お菓子のように愛らしい曲で一杯!

Aワルツ〈美しく青きドナウ〉作品314(ヨハン・シュトラウスU世)指揮・ボスコフスキー
ヨハン・シュトラウスU世の最高傑作、知り合いのブラームスも羨んだそのメロディー、絶品です。ララララー、ファン、ファン、ララララー、ファン、ファンで始まる単純なメロディーですが、メロディーなんて複雑に書けばいいものではないようです。単純にして明快、軽快にして華麗、ワルツを超えた芸術の域に達したワルツです。

Bトリッチ・トラッチ・ポルカ作品214(ヨハン・シュトラウス二U世)指揮・クナッパーツブッシュ
鞭を打ち鳴らして軽快に始まるトリッチ・トラッチ・ポルカ。ポルカとはチェコに起源を持つ2拍子乃至3拍子の舞曲。速度を上げた快活なダンスです。このヨハン・シュトラウスの時代には、ワルツと並んで沢山のポルカが作られました。ワルツもポルカも所詮は軽音楽、ブラームスの芸術(重)音楽とは成り立ちが違いますが、同時代をウィーンで生きた二人、当然名士の二人は知り合いでした。しかしその関係はブラームスの片思いであったらしい…。ヨハンの音楽を愛したヨハンネス…。されどヨハン(シュトラウス)は全然ヨハンネス(ブラームス)なんか理解していませんでした。重苦しい詰まらぬ音楽だと思っていたらしい…。トリッチ・トラッチとはドイツ(語)のお喋りの擬音らしい、日本語にしてみればペチャクチャペチャクチャ。

Cバレエ〈白鳥の湖〉作品20〜情景(チャイコフスキー)指揮・レヴァイン
オーボエがラーラララララーララーララーララララララーと歌い始める哀愁に満ちたメロディー、誰でも知っているメジャー中のメジャーな音楽です。もうこれを聴いたら一気に森に囲まれた美しい湖に連れ去られてしまいますね。もう私達は湖畔の乙女?ですよ。劇的な感情移入の仕掛けに満ちた魔術師的な作曲技法、天才です。

D交響詩〈はげ山の一夜〉(ムソルグスキー/リムスキー・コルサコフ編曲)指揮・ゲルギエフ
これも天才が作った野心作。聖ヨハネ祭の夜に妖怪達が集ってドンチャン騒ぎをしている様子を描いた音楽。野蛮が渦巻く下品で狂気に満ちたエンタテイメント(娯楽・楽しみ)。天をも揺るがす熱狂のダイナミクス(活動性)。全てを忘れて怪しい快楽を爆発させます。されど、末尾は眠るように上品に終わります。否、朝の訪れかな? 狂宴?に酔い痴れて朝寝するのかしら?

E交響詩〈ツァラトゥストラはかく語りき〉作品30〜導入部(リヒャルト・シュトラウス)指揮・マゼール
ブー………(超低音)、ジャ−ジャージャーーー、ジャジャーーーーン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン、ジャージャージャーーー、ジャジャーーーーン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン、ジャージャージャー−−、ジャジャーーーーン、ジャジャジャーー、ジャー、ジャジャジャー、ジャジャジャー、ドン、ジャジャジャー、ジャーーー、ジャーーーン、ジャーーーン、ブーン(オルガンの余韻)
導入部だけなんですけれど、キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」に使われ、一躍有名になりました。管弦楽の真の天才R・シュトラウス、これ程雄弁にしかも鮮やかにエポック(新時代の言論)を表現しえたとんでもない導入部、何時聴いてもスカッとしますね。ツァラトゥストラ(ニーチェ作の主人公の名・ゾロアスター教の預言者、ゾロアスターをドイツ語読みにするとツァラトゥストラ)はこう語り出したのですね。

F交響曲第2番ニ長調作品43〜フィナーレ(ヤン・シベリウス)指揮・マゼール
ヤン・シベリウス、才能もありましたけど、殆ど祖国愛だけでフィンランドの楽聖になりました。長命で晩年は完全に創作から足を洗い、悠々自適の老後を送ったそうです。巨額の年金を貰っていたそうで、それで遊んで暮らしていたらしい?…。まあ、インスピレーション(着想・霊感)の枯渇もあったかも知れませんね。何しろ人間の業に深く関わった作曲家ではなかったようでしたからね。ただ祖国愛だけで?…。素晴らしく涼しい巧みなオーケストレーション、それは冷気漂うフィンランドの自然そのものですね。そこに熱い祖国愛、涼しくて熱いこの第2は彼の最高傑作の一つ(他に傑作として第7がある)、フィナーレは本当に力強い堂々たる音楽で、私は力瘤を作りながら聴いたものでした。私が若かりし頃(中学生)の好きな作曲家でした。何と1957年没、これは私が7歳の時でしたのですよ。つい先日?まで生きていた伝説の楽聖、私と同じ空気を吸っていた方、本当に憧れました。

G歌劇〈フィガロの結婚〉序曲(モーツァルト)指揮・プリッチャード
歌劇の序曲としては傑作であり、度々オーケストラの演奏会でも取り上げられる名曲です。これを聴けば後の本編が如何に面白いか、聴衆に強い期待感を抱かせます。エンタテイナー(娯楽提供者)として抜群の巧みさを魅せたモーツァルトの面目躍如たる一面を垣間見せていますね。正にモーツァルトとはオペラの人、これを聴く限り、その観が強いですね。

H交響曲第40番ト短調作品550〜第1楽章:モルト・アレグロ(モーツァルト)指揮・カラヤン
ラララ、ラララ、ララララン、ラララ、ラララ、ララララン、ラララ、ラララ、ララララン、ラララ、ラララ、ララララン、ララララララララ、ララララララララランラララララーーーララランランラ…ラララン、ランラン、ララランララランラララン…、と始まる第1楽章。速いテンポで悲しみが走り抜けていきます。モーツァルトの一つの本質が観えた曲。そうモーツァルトの本質は、この曲で色濃く表した涙の人…。人間を知り尽くし、悟りの末に辿り着いた諦観の人。明るく快活な曲の中に秘めた涙、大抵のモーツァルトの音楽は秘められた隠し涙の音楽でしたが、この曲は涙を前面に押し出した悲しい曲です。悲劇の交響曲と言っていいでしょう。大方の人間は孤独で悲しいものだ、モーツァルトはそう見抜いていて、そこに深い共感を抱き、涙で迷える子羊達に語り掛けます。迷える子羊達はそこで諭され、慰められて、力を貰います。そしてまた明日を生きるのです。私もそんな人間の一人です。モーツァルトは私の守り神です。私は泣きながらモーツァルトを聴きます。

I喜歌劇〈こうもり〉序曲(ヨハン・シュトラウス二世)指揮・カラヤン
ワルツやポルカの名人、娯楽音楽の達人が書いたオペレッタ(喜歌劇)、軽快この上ない娯楽作品に仕立て上げられています。ホント、聴けば聴くほどに楽しくノリノリになっちゃう、娯楽作品の傑作です。この曲で楽しくならない方は音楽鑑賞の才能がないと悲観してください…

Jディヴェルティメント第17番k.334〜第3楽章:メヌエット(モーツァルト)指揮・ボスコフスキー
これは何の曇りのない音楽。愛らしさと楽しさに溢れています。けれどよくよく聴いてみてください。私は、その美しさに聴き惚れた先に、その美しさに涙してしまうのです。きっと皆様もそうであろうと想像します。モーツァルトは涙の天使なのです。
 因みに指揮のボスコフスキーは当時のウィーンフィルのコンサート・マスターです。ウィーン流の名の知れたヴァイオリニストでした。

Kアンネン・ポルカ作品117(ヨハン・シュトラウス二世)指揮・カラヤン
アンネンとはオーストリア・グラーツにあったアンネン・ザール(ホール)のアンネンだそうです。ここで友人の祝賀行事があったそうで、そのためにヨハンはわざわざこのポルカを作って、友人のために演奏をしたのでした。昔、大相撲に安念山と言う力士がいたのですが、私はこの曲を聴くと何時も安念山を思い出してしまいました。アンネン、音は同じでもまるで違うものですね、アンネン!

*CD2記載中に誤作動をしてしまい、CD2の記事を消してしまいました。仕方がないので、今夜のところはCD1だけの掲載と致します。何れCD2も書き直します。どうぞお待ちください…
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2014年01月13日

音楽の話103 ドコモ・海のCM音楽はブラームスのハイドンの主題による変奏曲 2014.01.13

 広く大きな海原の映像が映し出され、それに寄り添うように、ゆったりとした音楽が流れます。海と音楽でドコモ携帯の何処までも繋がるをイメージした気持ちのよいCM作品ですが、この音楽こそが管弦楽用変奏曲の傑作・ブラームスのハイドンの主題による変奏曲Op56aです。伴奏に乗って冒頭のオーボエの美しい主題の旋律が奏でられますが、一般に解り易いのはここまでで、以下に続く9つの変奏部分は渋く難解です。されどこの難解な部分こそがブラームスの真骨頂であり、ある指揮者の言に依ると「ここに人生の全てがある」だそうで、その傑作の真価を証明しています。まあ、ブラームスとは聴衆の理解力を無視した曲作りをしたり、人目を引いて受けを狙う姑息なパフォーマンスを嫌ったりした稀有の作曲家であったと言う事実が、このハイドンの主題による変奏曲でも垣間見られます。最も聴衆に受けるのが、このハイドンの主題の部分であり、以下の変奏曲は初心者にはチンプンカンプンなのです。それでも、第6変奏の隆々たるダイナミクス(活動性)や第7変奏の愛の歌などは比較的解り易く、その素晴らしさの片鱗を感知する事が出来ます。

 この美しい主題は、ハイドンの“野外音楽のためのフェルトパルティ−エン”と名付けられた曲集の中にあり、ハイドンはこの主題に“聖アントニーのコラール”と名付けました。ブラームスもそれを踏襲してこの名を用いましたが、現代では「聖アントニーのコラール」は省かれて、ハイドンの主題による変奏曲で名が通っています。ところで何故どうしてどうやって、ブラームスがこの主題を見付けたか?、その経緯とは?…。それは当時仲の良かったハイドン研究家(音楽学者)のフェルディナント・ポールと二人してウィーン楽友協会等のハイドンの資料を漁り、ハイドンを徹底的に研究していたからだと言われています。そしてその副産物として、この変奏曲は生まれたのでした。

 その研究の最中、ブラームスの目に留まったのがこの美しい旋律を持つこの主題でした。ブラームスはシメシメとほくそ笑み、「これは何かの役に立ちそうだな」と呟いたとか?。直にこの主題を使い、初めは2台のピアノのための変奏曲として作曲し、すぐさま管弦楽用に昨曲(編曲)し直しました。このため、作品番号としては、最終目的であった管弦楽用を56aに、試験的な2台ピアノ用を56bに定めました。ブラームスのハイドン研究は、学究が目的のF・ポールとは一線を画し、全てが己の創作の礎とするためにありました。従ってブラームスには言葉による創作(研究論文)は皆無(無関心)なのでした。されどブラームスは学者以上の理解力を示したと言われ、学者連中からは深く尊敬されていたようです。当然ですよね、それを礎に遥かに素晴らしい新作をものにしてしまう実力者だったのですからね。

 因みに、この主題・聖アントニーのコラールはハイドンの真作では無いらしく、当時歌われていた巡礼の歌ではないかとされています。
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2013年10月29日

音楽の話102 名作詞家・岩谷時子さん、ご冥福を祈ります 2013.10.29

 昭和の歌謡曲に芸術の香りを吹き込んだ作詞家・岩谷時子さんが亡くなられました。今日付けの朝日新聞朝刊に、岩谷さんの略歴が記され、その業績と代表曲が紹介されていました。見れば懐かしい曲が並んでいました。中でも「愛の賛歌」(訳詞、越路吹雪・歌)や「夜明け歌」(岸洋子)は、今思い返しても誠に芸術性の高い歌謡曲に昇華されていました。また「王様と私」や「ラ・ミゼラブル」などの多くのミュージカルの訳詞もされたとか…。余り知られてないようですが、重厚で大きな仕事もなされたようです。

 「君といつまでも」で一世を風靡した加山雄三は、「お会いしていなかったら、今の僕はないと思います」と低姿勢に述べています。その意外な奥床しさが私には微笑ましく思え、加山を見直しました。
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2013年10月26日

音楽の話101 三上夏子音楽紙芝居公演のお知らせ 2013.10.26

三上夏子音楽紙芝居チラシ
三上夏子音楽紙芝居のご案内(クリック拡大してご覧ください)
来る11月3日に、三上夏子音楽紙芝居の第五回公演を行います。今回の演目は、サン‐サーンスの組曲「動物の謝肉祭」とプーランクの「ぞうのババール」の二本立てです。とは言っても、席は入れ替え制ですので、両演目をご覧頂くにはチケットはそれぞれお買い求め頂く必要があります。でも低料金ですので、ご負担は軽いと思われます。是非、通し券でどうぞ!

演目@音楽紙芝居(物語・三上夏子)
動物の謝肉祭 サン‐サ−ンス(シャルル・カミーユ、1835~1921)
この曲の成立には次のような逸話があります。1886年、サン‐サーンスが演奏旅行を終えて気楽に立ち寄った保養地・オーストリアのクルディム(所在は不明)での事。時は謝肉祭の真っ最中。友人のチェリストに謝肉祭最終日の音楽会に一曲書いてくれないかと所望されました。サン‐サーンスは快く引き受け、この「動物の謝肉祭」を二台のピアノとオーケウストラのために作曲しました。しかしながら、この話はいささか眉唾ものと思われます。謝肉祭の期間は一週間前後と言われています。サン‐サーンスのこの地の到着が仮に謝肉祭初日であったとしても、たった一週間で作曲し、リハーサルを済ませ、演奏会当日までに仕上げられるのでしょうか? 甚だ疑問が残りますね。たとい、それに近い経緯はあったにせよ、有名人の周辺には誇張やはったりは付きものですよね…

謝肉祭(カーニバル)とは、四旬節(40日間)の前日までの一週間に亘って行われる肉に感謝する祭です。四旬節とはイエス・キリストの40日間に及ぶ断食に纏わる節目で、肉食禁止の期間です。従って肉を断つ前のこの一週間に人々は大いに肉を食らい、大酒を飲み、仮面を被り踊り狂うのです。まあ、謝肉祭は一大イベントであり、無礼講が許される期間です。恋愛、酒、美食、踊が幅を利かせ、それには当然音楽は必須です。古今東西この日の為に、またこの日を懐かしんで、優れた音楽が生まれたのです。日本だってそうですよ。山口百恵も歌っていました。

サン‐サーンスはそんな下世話な人間の祭に、ユーモアと皮肉を籠め、面白可笑しく、動物に見立てて謝肉祭を描きました。誠、フランス人・サン‐サーンスの軽妙なるエスプリ(精神・機知・才知)が随所に閃いた、個性際立つ傑作です。

動物の謝肉祭・登場人物(動物)と小曲名
第一曲「序奏とライオンの行進」
第二曲「おんどりとめんどり」
第三曲「ろば」
第四曲「亀」
第五曲「象」
第六曲「カンガルー」
第七曲「水族館」
第八曲「耳の長い登場人物」
第九曲「森の奥に住むかっこう」
第十曲「鳥」
第十一曲「ピアニスト」
第十二曲「化石」
第十三曲「白鳥」
第十四曲「終曲」

*日本画家・直井有子さんの紙芝居絵が見事に音楽に寄り添ってくれています。

演目A朗読とピアノ(ジャン・ド・ブリュノフの絵本による音楽物語)
ぞうのババール プーランク(フランシス・ジャン・マルセル、1899~1963)
ジャン・ド・ブリュノフ作のぞうのババール ぞうのババール
ブリュノフが書いた雄の子象の出世絵物語。それをプーランクの甥や姪達が夢中で読んでいたのを見掛け、この物語に音楽を付けてみようと試みました。ブリュノフに台本を書いて貰い、途中第二次大戦で完成が遅れましたが、1945年に無事完成をみました。甥や姪の喜びは大変なものであったと言われています。私はプーランクには不案内で、この曲も私には処女作品で、一音たりとも聴いていません。ですから非常に楽しみにしてるのです。どんな朗読音楽になるのやら、プーランクとは如何なものなのか、夏さん、“K”氏、成功を祈ります。

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2013年09月29日

音楽の話100 桐谷美玲出演のキャノン・ピクサスのCM音楽はブラームスハンガリアンダンスbT 2013.09.29

 今を時めく?美しい女優・桐谷美玲が出ているキャノン・ピクサスのCM音楽は、ブラームス編曲のハンガリー舞曲第5番嬰へ短調です。可憐な桐谷と野蛮なハンガリアンダンス、その組み合わせの評価は微妙ですが、美女と野獣で良いんじゃないかと私は思います。どちらも私の好みでありますしね。良いですね、桐谷美玲…。

 ハンガリアンダンスbTは、ブラームスの全21曲のハンガリー舞曲集の中では一番有名な曲で、ハンガリアンダンスと言えばこの曲と言う事ができます。元は他人の作ったチャルダッシュでしたが、ブラームスは世界を股に掛けるヴァイオリニスト・E・レメーニ(ハンガリー人、明治時代日本にも来た)からこの曲を教えられ、後にハンガリー舞曲集の一曲としてアレンジの形で出版しました。ところがこれが大当たりをとり、楽譜は売れに売れ、それを妬んだレメーニからは訴えられ裁判沙汰となりました。結局アレンジ《編曲》とした事がブラームスに幸いして裁判ではブラームスが勝ちました。しかしブラームスはこれに懲りて、以後の楽譜出版にはより慎重になったと言われています。実に嫉妬とは恐ろしいものです。特に男の嫉妬はね?…。まあ、レメーニも馬鹿ですね。身の程を超えた欲をかいたのですよ。
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2013年09月25日

音楽の話99 吉右衛門・ハウス食品のCM音楽はベートーヴェンの第八 2013.09.25

 中村吉右衛門が出ているハウス食品のCM音楽は、ベートーヴェンの交響曲第八番ヘ長調OP93の第一楽章の冒頭です。明るく颯爽として幸運が開けるような前向きな音楽です。ハウス食品の盛んなイメージに見事に合致していて巧い選曲と言えます。ほぼ同時に作曲された“のだめカンタービレ”でお馴染みとなった第七の熱情と壮大はありませんが、普段のベートーヴェンを彷彿とさせる健康美溢れるシンフォニーです。この後が第九で、この小さなシンフォニー・第八で縮んだ分、巨大な第九で大ジャンプするのです。ベートーヴェンらしい大化けですね。
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2013年09月07日

音楽の話98 古田・役所の大和ハウスCM音楽はブラ一 2013.09.07

 先日たまたま見て驚きました。CMでブラ一が使われていた事を…。大和ハウスのCMで、古田新太が役所広司の仮面を被って踊るヤツ…。最後に役所の仮面を脱ぎ棄てて、古田の得意満面の顔が仰々しいヤツ…。役所は仰天し、怒りと屈辱で打ち拉がれるヤツ…。そこで流れるのがブラームス・交響曲第一番・第一楽章の冒頭のヤツ…。激しい怒りを籠め、屈辱を振り払おうとする役所の激情に、ブラ一がモノの見事に嵌って圧巻です。まあ、お笑いであり、ブラームスとしては、余りいい場面での登場ではありませんが、“噴怒”、“激情”、“克己”を表すこの第一楽章の触りを知る意味では、是非聴いて頂きたいですね。面白い!
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2013年04月19日

音楽の話97 またぞろ「亡き王女のためのパヴァーヌ」が話題に… 2013.04.18

 私のブログのアクセス解析を観たところ、またぞろキムタク・たけし出演のCM音楽を話題としたページがヒットしています。変だなと思っていた矢先、先日テレビを観て気付きました。映像は違うのですが再び「亡き王女のためのパヴァーヌ」が流れていました。誠、何時になってもこの音楽は、人を引き付ける強い魔力があるようで、驚き感心をしている次第です。まあ、キムタク・たけしが出なくとも、充分に注目を浴びたであろうこの曲は、やはり希代の名曲である事に疑う余地はありません。曲は哀悼の思いの籠ったロマンティックな名旋律がパヴァーヌのリズムに乗って数回現れます。しかも心憎いほどの手際の良さで楽器を変えて現れるのです。ラヴェルは巧妙です。私達はその哀悼の思いとその手際で酔わされるのです。優しい悼みの音楽、被災地への永遠なる哀悼がここに籠められていると、真に実感します。
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2013年04月15日

音楽の話96 “みをの会”コンサ−ト、見事でした 2013.04.14

 娘・夏子も大関先生の伴走者として出演した“みをの会”の演奏会。数えればもう20回目だそうで、大変目出度く記念すべき音楽会でした。今回は10名の方々が出演なされましたが、ここでは、大関はるみ先生の歌唱と三上夏子のピアノ伴奏、そして山田小夜子先生のピアノソロ演奏を紹介させて頂きます。

大関はるみ先生の歌曲及びオペラアリア、伴奏:三上夏子
声楽家・大関はるみ先生と三上夏子

1、私は安らぎを失い    G・ヴェルディ
2、ああ、悲しみの聖母様  G・ヴェルディ
3、オペラ「仮面舞踏会」より 私の最後の願い G・ヴェルディ
4、オペラ「道化師」より 大空を晴れやかに  R・レオンカヴァルロ

何と言っても「仮面舞踏会」の「私の最後の願い(死にましょう、でもその前に)」が圧巻でした。夫の上司との不倫を疑われた妻・アメリアは、夫に死ねと言われてしまいます。アメリアは「私は死にましょう。でもその前に一度で良いから息子と会わせて欲しい…」と夫に哀願します。この悲劇の女性の子を想う悲しい願いをはるみ先生は、激しい情念を籠め劇的に歌ってくれました。正にアメリアがはるみ先生に乗り移ったかのように…。三上夏子もよく先生を下支えして、優しい美音で包んでいました。聴くうちに、私の心は次第に感動で押し潰され、涙腺に衝撃が走りました。度々、目頭を熱くしうろたえましたが、寸でのところで落涙を止めました。人間を劇的に描くヴェルディのオペラ、素晴らしい…

山田小夜子先生のピアノソロ演奏

二人のピアニスト、山田小夜子先生、三上夏子

1、ダンス(スティリア風タランテラ) C・ドビュッシー
2、タランテラ(順礼の年「ヴェネチアとナポリ」bR) F・リスト

今回の演目は二曲のタランテラ。タランテラとはイタリア・ナポリに発祥した舞曲だそうです。その名の由来も面白く、大昔、“タラント”と言う町に伝わる“タランチュラ”伝説に始まるとか。毒蜘蛛タランチュラに噛まれると、その毒が回らないように踊り続けなければならない言伝えがあるそうで、それが舞曲・タランテラに繋がったようです。因みにタランテラとはどんな踊りかと申せば、8分の3乃至8分の6拍子の早いテンポで踊られるもので、一人で踊るのではなく、二人以上が輪になって踊る群舞だそうです。最初は右回りに、次は左回りに、そしてその後はその繰り返しに。しかもそのテンポは時間を経るに従って次第に速度を増し落後者が相次ぎ、最後は誰一人踊れなくなる速さに達するとか!。面白そうですね、何時かその場面を観てみたいですね。

リストのタランテラ、超絶技巧を駆使したもの凄いピアノ曲。並のピアノ弾きには歯が立たない音楽のつわものです。リストは、長年研鑽した己のピアノ演奏テクニックを世に問う為、次々とこう言ったテクニック重視のピアノ音楽を書き連ねました。時は下り現代、何とこの難攻不落の城塞に挑んだのがか弱き女性、二児(大人ですが)の母(お孫さんあり)。母は強かった、渾身の瞬発力、透徹の集中力、そして絶え間ない努力の賜物。私の肌はゾクゾクと泡立ち、エンタテイメントの魔力に打ちのめされました。ブラボー!
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2013年04月04日

音楽の話95 4月3日はブラームスの命日、ドイツレクイエムを聴き冥福を祈りました 2013.04.04

 昨日も触れましたが、4月3日はブラームスの命日です。116年前の今日のこの日、ブラームスは64年の生涯を閉じました。その人生は努力また努力の繰り返しで、もの凄い知力と体力を持ち、多作にして傑作揃い、正に八面六臂の活躍をした天才でした。しかも20世紀になりなんとする近代に於いて、あの大バッハや英雄・ベートーヴェンと並び称された作曲家はブラームス唯一人、時代の評価を遥かに越えた未来を睨んだ哲人音楽家でした。

 ブラームスの命日に第一に思い浮かぶ曲は、ドイツレクイエムを置いて他にはないでしょう。私はブラームスを偲びその冥福を祈るために、昨深夜にこの曲を聴いたのですが、冥福を祈るどころか反対に涙と深い慰めを貰ってしまったのです。これでもかこれでもかと呆れるくらいブラームスは優しい…。ブラームスは何時も全身全霊で涙を誘い、また全身全霊で幸せを運ぶ…。ブラームスとは音楽の精の涙と幸せを同時にもたらす愛に溢れた稀有の音楽なのです。私はこの世に生まれて幸運であり、しかも強運でもあったと想っています。何故ならばこの世でブラームスを知り得たのだから…、その音楽と巡り合えたのだから…。

 
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2013年03月13日

音楽の話94 PANIS ANGELICUS 〜ちいさなクラシック〜を聴いて 2013.03.10

 十九世紀フランスの大作曲家セザール・フランク(1820〜1890、ベルギー生まれ)が作曲したパニス・アンジェリクス。この敬虔な讃美歌をタイトルとした愛らしいCDを先日見付けましたので、ここに紹介致します。因みにこのパニス・アンジェリクスは全14曲中の最後を飾っており、このCDの慎ましくも美しい清廉のイメージを代表しているものと言えます。サクソフォーン、ハンドベル、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、ハープ、リコーダー、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、イングリッシュホルン、ボーイ・ソプラノ、そしてオーボエなど、多彩な楽器群を擁しており、幼児(乳児も)を含め、クラシック音楽入門には打って付けのCDと言って良いでしょう。従って、私が我が愛しの孫娘にも聴かせたいと願うのは、無理なからぬ事と言えるでしょう?

第1曲 E・サティ:ジュ・トゥ・ヴ(アルディ・サクソフォーン・クヮルテット)
「あんたが欲しいの」を意味する“ジュ・トゥ・ヴ”、世紀末のパリで流行ったサティの歌曲(シャンソン)。これをアンニュイ(気だるい)で退廃的なサクソフォーンの音でリメイク、サティにはサクソフォーンがお似合いです。聴けば体から力が抜けてゆき、小粋でヤクザ?な安息が訪れます。

第2曲 J・パッヘルベル:カノン・アンダンテ(ハンドベル)
余りにも有名なパッヘルベルのカノン、ハンドベルが汲めども尽きぬカノンの反復を澄んだ金属音で響かせます。この甲高い音は言葉では言い尽くせない不思議な力を持っています。聴けば知らず知らずに胸が熱くなり、知らず知らずに涙が溢れます。鐘、それは教会や寺院で使われますが、この演奏に触れるとその理由が何とはなしに判る気がして来ます。何か尊いものが宿っているようです。

第3曲 F・シューベルト:アヴェ・マリア(森下幸路 ヴァイオリン、カール=アンドレアス・コリー ピアノ)
希代のメロディスト・シューベルトの快心の作、ここでは女性の声の代わりにヴァイオリンが歌ってくれます。ピアノ伴奏の分散和音も美しく、蠱惑(こわく・たぶらかしまどわす)と敬虔が一体となった神秘の曲…。正に音楽の神髄と言ったところです。

第4曲 J・S・バッハ:G線上のアリア(アルディ・サクソフォーン・クヮルテット)
G線とはヴァイオリンの一番太い弦(左の弦)の事。バッハは自作の管弦楽組曲第3番のアリアから、この一本弦だけを使って演奏出来るヴァイオリン独奏曲を編曲しました。これまた音楽の神髄と謳われる一代名旋律で、如何にバッハと言えどもこんな見事な旋律はそうそう幾つも湧き出るものではありません。そこには良心と献身が表されており、先のサティーの気だるいサクソフォーンとは別世界の健康美が際立ちます。同じサクソフォーンとは思えない前向きのバッハがそこにいるのです。

第5曲 F・リスト:ラ・カンパネッラ(カール=アンドレアス・コリー ピアノ)
ご存知、在りと在らゆる技巧派ピアニストの試金石となる曲、これは冴えたタッチで正確に弾かなくては様になりません。その技は一朝一夕では得られない高度なもので、ピアノの高音を撫でるように扱い玉のように転がし鐘の美音を紡ぎ出します。しかも正確な高音調律(特に三弦のユニゾンの正確さ)を要求され、調律師の技も試される調律師泣かせの曲、正に官能美際立つエンタテイメントの傑作です。

第6曲 E・サティ:ジムノペディ第1番(藤森亮一 チェロ、カール=アンドレアス・コリー ピアノ)
正に気だるいサティの真骨頂。これがフランス近代の空気なのでしょうか、聴けば思わずパリの街角にタイムスリップしてしまいます、行った事も無いのに…。そして気付けばこれはワルツ(のリズム)なのですね。でも3拍目が省略されていてありません。ブンチャッチャがワルツですが、ブンチャーーとなっています。省略の極致?、粋?で面白い?思い付き(工夫)?、サティ、素敵ですね。

第7曲 C・ドビッシー:亜麻色の髪の乙女(篠崎和子 ハープ)
本来はピアノ曲ですが、ここではハープが使われています。ピアノに比べ線が細く高貴でソフトな感触、仄かな靄(もや)に包まれているようで気持ちがいいですね。亜麻色とは黄色がかった淡い褐色の事だそう、日本では亜麻糸の色ですが、西洋では一般に髪の毛の色を指します。金髪をくすませた感じ?が亜麻色?、黄色がかった褐色の髪の乙女、余り見た事ないですけどね。それにしてもドビュッシーのピアノ曲、都会的でお洒落ですね、一点の汚れもなくホントに美しい…。余談ですが、我が最愛のブラームスとは天と地との差があります。ブラームス、土の香りする田舎者?(決して侮蔑ではありません、愛してます)、ダサイ!(愛してます)ですね。

第8曲 F・クープラン(1668〜1733):愛のウグイス(江崎浩司 リコーダー、長久真実子 チェンバロ、風早一恵 ヴィオラ・ダ・ガンバ)
フランスバロックの作曲家・クープラン、そのクラブサン(チェンバロ)曲集の中の一曲。ここではリコーダーがチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏で旋律を歌います。リコーダーの所為か鄙びた田舎の雰囲気が濃厚ですが、トリルを多用する旋律は華やぎを持ち盛んで、しかも切なささえも感じさせてくれます。葦笛(リコーダー)がいいですね。

第9曲 J・アルカデルト(1504〜1568):アヴェ・マリア(藤森亮一 チェロ、カール=アンドレアス・コリー ピアノ)
世俗音楽を歌詞を変えて宗教曲に仕立て直す事を、「コントラファクトゥム」と言うそうです。この盛期ルネッサンス・フランドル楽派のアルカデルトはその達人だったそうです。この「アヴェ・マリア」もそのような曲、最初は通俗曲のシャンソン「人は愛るすために何でもやる」と言うヒット曲だったそうですが、後にそれの歌詞を変えて宗教曲「アヴェ・マリア」と題して世に送りました。まあ、これが現代まで残ったのは不思議ですが、『それなりにいい曲だなあ』、と言う事にしましょう。

第10曲 W・A・モーツァルト(1756〜1791):アヴェ・ヴェルム・コルプス(池田昭子 イングリッシュ・ホルン、石田三和子 ピアノ)
カトリック教会の聖体祭のミサで歌われる聖体讃美歌がこの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。ラテン語の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とは、「めでたし、まことのお体よ」と言う意味らしい…。ラテン語、読みはローマ字読みで読めなくはないのですが、意味は五里霧中、本当に判り易い訳を付けてくれないと困ります。されどラテン語などはどうでもよく主役は音楽で、モーツァルトが素晴らしい…。死の年に書いた曲で、死の影もない事はないですが、何よりも主イエスと聖母マリアを讃える信仰心が涙を誘います。モーツァルトにとって、信仰も生も死も、浄化された音楽であり、美なのですね。これは美し過ぎます。

第11曲 P・I・チャイコフスキー:葦笛の踊り(クローバーベルフレンズ ハンドベル)
宝石のように美しいメロディーが雨霰と降り注ぐチャイコフスキーのバレエ音楽。その中でも飛び切りの名旋律が飛び交う「くるみ割り人形」。これはもう事件ですよね?。何て愛らしい葦笛のメロディー、これこそ、赤ちゃんに聴かせたいですよね。ハンドベルの愛らしさは赤ちゃんそのものです…、ハイハイ、これを聴いてハイねんね…チュッ!

第12曲 C・ドビュッシー(1862〜1918):小さな羊飼い(カール=アンドレアス・コリー ピアノ)
この「子供の領分」(6曲のピアノ組曲)の中の一曲は、このCDの中ではハイレヴェル…。緻密で美しく神秘的、しかも情緒に屈折があり深みが増しています。この曲集は当時3(5)歳だったドビュッシーの愛娘のエマ(エンマ?、あだ名はシュシュ)に捧げられています。“子供の…”と言う曲名は兎も角、何故この曲が?何故この曲集が?、こんな高度な曲が幼子(娘)に?。考えるに…、それはこれがそれだけの自信作だったからかも知れませんね。私もこんな宝石をNちゃん(孫娘)にプレゼント出来たらなー。待て待て、お前の得意な愛で出来た宝石(心)をあげたら良いじゃないかね…、ドビュッシーよりも素敵な?…ね…

第13曲 グリーンスリーヴス(みつかいうたいて)(ウィリアム・W・スピアマン ボーイ・ソプラノ)
何方もご存知の美しい旋律、皆様も一度は歌われたかと思われます。恐らく、中学の音楽の授業で?、級友と一緒に…。起源は16世紀のイングランドの民謡で作者は不詳です。また訳解らない“みつかいうたいて”の名称は、「御使いは歌いました」と言う意味と思われ、ここで歌われている歌(歌詞)の題名です。民謡・グリースリーヴスのメロディーに乗せて歌われるクリスマスキャロルと言う事です。

〜みつかいうたいて 英語原題・What Chiid Is This?〜 歌詞の一部(ウェブサイト・ウィキペデアより参照)

うた1
こはいかなる子であるか
マリア様のひざにて眠りぬ
天使が祝のあいさつを送り
羊飼いらの眺めしときに

斉唱1
まこと彼こそ王キリスト
羊飼い守り天使の称える
急ぎ急ぎて祝め称えよう
かの幼子、マリアの子よ
*以下、うた2、斉唱2、うた3、斉唱3と続きます。

第14曲 C・フランク:パニス・アンジェリクス(池田昭子 オーボエ、石田三和子 ピアノ)
このCDのタイトルに使われた宗教曲の名曲。名の如く天使のパン(糧)と呼ばれるこの曲は初め3声のミサ曲の中の合唱曲として作られました。後にフランク自身が自作の「荘厳ミサ曲」の改定の際に、この曲を独唱曲に編曲して荘厳ミサに追加しました。まあ、私達東洋人にキリスト教を理解するのは難しいですが、こうやってしっとりと優しく歌ってくれれば、その信仰の一途な思いは判るような気がします。
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2013年01月01日

音楽の話93 更けゆく大晦日、第九で年越し 2012.12.31

 やはり冷えてきましたね。今度はお正月寒波ですかね。今、ストーブに当たりながら暖かくしてブログを書いています。先程まで第九を聴いていました。怒り(第一楽章)、熱狂(第二楽章)、祈り(第三楽章)、そして歓喜(第四楽章)。不穏な空気が蔓延していたヨーロッパ・ウィーンに於いて、生命の危険を顧みず命がけで書いたシンフォニー第九、それは充分今日でも通用するインパクトを有しています。私は世への怒りに震え、渾身のリズムに熱狂し、祈りに忘我し、歓喜の雄叫びを上げました。ベートーヴェンの熱情を我のものとし、私は今、新年を迎える勇気を得ました。
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2012年11月13日

音楽の話92 エリスマン邸生演奏、聴いてきました 2012.11.13 曇りのち晴れ

エリスマン邸、紫で飾られて…
テーブルには紫の布が敷かれ、その上には蝋燭や食器が置かれ、何やら華やいだ雰囲気が溢れていました。夏子の演奏には何よりの演出、彼の時代を偲ばせる風情の中での演奏、今回は大変楽しいものになりました。

但し、残念ながら、今回は調律の狂いが甚だしく、ピアノのコンディションは最悪でした。ここで透明なブリリアントなピアノの響きが得られたなら、雰囲気と相俟って願っても無い最高の魅せ場、聴かせ場だったのにね…。まあでも、ショパンもモーツァルトも良い演奏でした。

天才・モーツァルトのアンダンテカンタービレ、その中間部の転調の素晴らしさは、正にこれこそ天才の産物ですね。このような素晴らしい転調はシューベルトにも見られますが、モーツァルトのような悲喜こもごものまるで秋の空のような替わり身の早さの妙技はないでしょう。今泣いた烏がもう笑う、モーツァルトの音楽は、思い遣り溢れる感情の瞬間芸なのですね。愛しい音楽です。
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2012年11月12日

音楽の話91 明日は娘のエリスマン邸生演奏 2012.11.12

 明日、11月13日の火曜日10時30分から11時30分まで、娘・三上夏子のエリスマン邸ピアノ生演奏が行われます。例のモーツァルト・アンダンテ・カンタービレも聴く事が出来る筈です。お暇なら是非いらしてください。私もお待ちしています。

 一つ残念なお知らせがあります。エリスマン邸は、来年の1月から3月まで、建物の改修工事に入るそうで、その都合で娘の生演奏もお休みになります。エリスマン邸と娘の契約は続くそうで、4月には再開の見通しだそうです。鬼が嗤いますが?、来年もどうぞ宜しくお願い致します。
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2012年11月08日

音楽の話90 モーツァルト、k330 2012.12.08

 娘・三上夏子のブログを見ていたら、モーツァルトのk330のピアノソナタの事が書かれていました。このソナタは私の大好きな曲で、先月のエリスマン邸での娘の生演奏の際、私がリクエストして弾いて貰ったものでした。どうもそれが影響したのか、娘もこの曲に惹かれたのか、定かではありませんが、ブログにも登場させて、パパとしては嬉しい事ですね。しかも友人からお借りしたG・グールドの演奏の評価・説明までもしていてね。頼もしい限りです。まあ今後とも、この曲を宜しくお願いしますよ。パパは、この曲を聴くと、モーツァルトの魔力の虜と化し、時として夢心地になり、時として涙に暮れ、また時として有頂天になります。真の天才にしか書けない、楽しく嬉しい曲…。しかしそれだけで済まさない、優しさに包まれた悲しい涙も忘れずにプレゼントしてくれる曲…。モーツァルトは人格さえも天才なのですよ、一寸だらしないところもありますが…。
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2012年11月03日

音楽の話89 ららら♪クラシック A・プレヴィンのモーツァルトを聴きました 2012.10.28

 アンドレ・プレヴィンがN響の名誉客演指揮者に就任したとか、大変いい知らせですね。バッハ、モーツァルトにベートーヴェン、そしてブラームスを中心とする正統派クラシックを得意とする現在のプレヴィン、本当に嬉しい事です。これからこのような作曲家のプログラムが聴けると思うとワクワクしてきます。モーツァルトの沢山のシンフォニーと出来ればブラームスの第3・第4辺りを聴きたいですね。この日の番組の回想の場面には、チラッとブラ4が出てきましたが、壮年期のプレヴィンの端正なスタイルの演奏で、ほんのさわり(冒頭とエンディング)でしたが、私は感動しました。

 さて、この日のプログラムは、モーツァルトの最初と最後のシンフォニー、第1番変ホ長調k16と第41番ハ長調k551「ジュピター」でした。大変興味深いプログラミングで、楽しみに聴きました。

 最初は、モーツァルト8歳の時の第1番。習作の域を脱した作品で、そこかしこにモーツァルト後年の才気が感じられました。その美しい響きと哀感の籠った短調の歌謡性は、晩年のモーツァルトの美学の萌芽を既に感じさせました。モーツァルトはこの時点で、最早、天才を獲得していたのだなと実感しました。

 「ジュピター」は名にし負う名演奏、全編に亘って才気と優しさで満ちていました。第2楽章の憂いを秘めた優しい諦観、誰が何と言っても、この優しさと悲しみのシンパシーは、他のどんな音楽よりも最上のもの。正に音楽の幸福そのものです。第4楽章の才気溢れる冴え切った論理性と力強い説得力、圧倒的迫力でエンディングを迎えました。正に歓喜の快哉、感動でした。

 そして印象的だったのは、リハーサルの最中の楽団員に対してのプレヴィンの発言、「モーツァルトを尊敬し過ぎてはいけません」と…。権威に圧倒され、自由な自発性を損ねては、音楽は生きて来ないと、そう言った意味合いのアドバイスをしたのでした。そしてこうも付け加えました。「音を出すのは楽団員であって、指揮者は指揮棒一本持っているだけの無力な存在です。だから優秀なオーケストラでは、先ず初めは、オーケストラの演奏を聴きます。そしてそこで必要なアドバイスをすればいいのです」と…。この発言を聞いて『凄い指揮者だな、これからが楽しみだ…』と私は静かにほくそ笑んだのでした。

 ☆追伸
 主席第2ヴァイオリンの長峰高志氏がスタジオ出演されていて、引き立て役ならではの面白い話を沢山されていました。主なお話は、先程のプレヴィン発言と同様の“演奏の自由と自発性”でした。わざわざ第41番第2楽章の譜面(スコア)に注意書きを入れ、6連符の一音一音の音の長さを、それぞれ百分の一秒単位で変化させて示し、その自由な自発性を誇示して見せていました。成程、N響名演の裏には、こんな縁の下の力持ちの下支えが隠されていたのだなと、感心させられました。
 
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2012年10月10日

音楽の話87 娘・夏子のエリスマン邸生演奏、行ってきました 2012.10.09

 朝一番の幼稚園の仕事を終え、エリスマン邸に駆け付けました。秋も深まりつつあり、心地よい風も渡り涼しさも増し、いよいよ芸術に親しむ季節となりました。清々しいエリスマン邸には夏子のピアノが優しくたゆたい、午前の一時を豊かなものにさせてくれました。そして今日は、前回の後、私がリクエストしたモーツァルトのアンダンテカンタービレ(ピアノソナタk.330第2楽章)を、弾いてくれました。涙なくしては聴く事が出来ないモーツァルトのエッセンス・アンダンテカンタービレ、大好きな曲…、私は幸せでした。
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2012年10月04日

音楽の話86 東京駅リニューアルデビューのCM音楽はマラ5のアダージェット 2012.10.4

 先日、昔日の東京大空襲で焼失した三階部分と立派なドームが修復され、リニューアルされた東京駅が開業しました。巷の話題になっており、私が映像を観る限りでは、それは素晴らしい懐古の趣きがあり、良いものに感じました。しかもそれに先んじて放映されていたTVCMが秀逸であったので、これが私を始め多くの人々の瞠目を集め、話題沸騰の呼び水となり結果に繋がったと確信しました。それは勿論、映像の威力も確かでしたが、それにも益して背後に使われた音楽の選定が的確でした。映像と音楽が見事に合致し最高の効果を上げました。関係者の積年の思いが籠められた東京駅駅舎、その懐古の情が、これまた懐古の憧憬で溢れんばかりの音楽にしっかりと溶け合っています。もう何も要りません、ただただ酔い痴れそこに佇み、涙するだけです。ああ、昔は良かったなー、多くの孤独な魂が母の胸に帰れたのです。

 使われたのは、近代オーストリアのシンフォニー作曲家・グスタフ・マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調の第4楽章アダージェットです。アダージェットと言えばマーラー、マーラーと言えばアダージェット、映画「ベニスに死す」で使われたマーラーの小さな分身のような緩叙楽章です。第5は出来栄えとしては全体的に今一つで、傑作とは言い難い作品ですが、このアダージェットだけは天から降りて来た産物です。近代世紀末の孤独、焦燥、不安、恐怖、それらに苛まれていたマーラーだからこそ書ける音楽、強い懐古の情と深い慰安が横溢しています。ハープのオブリガート(序奏)で綴る弦楽の宴は余りにも美しく、正に天から降りて来た妙なる調べです。

 ベートーヴェンの第9・第3楽章、ブルックナーの第8・第3楽章に並ぶ、最も美しいシンフォニーの緩叙楽章で、ビューティフルシンフォニーのビッグ3です。
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2012年09月24日

音楽の話85 ブラームス、アイラブ!!! 2012.09.24

 根っからのブラームスファンである私は、“ク−クー”のフランス音楽に魅了されている時間でも、ブラームスを心の底で意識していたようです。『こんなに美しく書けなかっただろうし、こんなにお洒落にフレーズを処理できなかっただろうな、ブラームスは…』などと思ってしまっていたのです。“クークー”の二人には失礼極まりない告白ですが、この思いは何処からか私の心の内部に突然やって来て、駆け巡り、自分ではどうしようもなかったのです。

 不器用でダサく垢抜けなくて芋っぽいブラームス、こんな雑言を言えば、他のブラームスファンからは、石を投げ付けられかねませんが、これは私の正直な実感です。ブラームスはとても貧しい出で、粗野?な田舎者でした。されどブラームスには、他の作曲家の誰もが持ち得なかった素晴らしい性質(性格、信条)がありました。それは嘘をつかず正直な事。聴衆の受けを狙わず、むやみに大袈裟に飾り立てない事。己を失わず等身大の自分を表現する事(気取らない事)。中心に据える題目(命題、表現の目的)は、官能(感覚)の美しさで無く、精神美である事。愛さずにいられない強い使命感がある事。未来の人類のために仕事をした事。

 こんなに素晴らしい愛の伝道師・ブラームス。私は愛して愛して止みません。ブラームス、アイラブ! あのイギリス館のサンルームで、私が若き音楽家達に伝えたかったのは、この事です。
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音楽の話84 “クーク−”、リハーサルの後の一寸した会話 2012.09.22

 ゲネプロ(ゲネラル・プローゼ≪独語≫=最終リハーサル)の後、イギリス館のサンルームで皆が休んでいる間に、一寸した会話がありました。私、「フランスもの(フランスの作品、今回はラヴェル、ドビッシー、ビゼー)はお洒落だね…、聴いてて美しく心地よい、ウットリしちゃうネ!…ドイツのブラームスとは訳が違うね、ブラームスはダサくて芋っぽい! でもそこがいいんだけどネ!僕としては…」。皆は、「微笑い…」、「笑い…」、「嗤い…?」、「苦笑い…!」。そこで夏子が空かさず「また始まっちゃった、ブラームス談義が…、語り出すと長くなるから、パパ、今日はそこまでにしてネ!」と割って入り、私は釘を刺されてしまいました。『仕方ない、皆との音楽談義はこの次にするか…』と私は傷心の内にすごすごとサンルームを退散しました。心に大粒の涙を抱えて…
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2012年09月22日

音楽の話83 ピアノデュオ“クークー”、大変良かったです 2012.09.22

 ピアノデュオ“クークー”のコンサートは、無事盛況の内に終演を迎えました。その成功の証は何よりも満席の客席の賑わいが物語っていました。“クークー”の名の如くに閑古鳥が鳴く事も無く、このカッコウの名を持つピアノデュオは満場のお客様をウットリとさせました。ここに来て、齊藤さやか、三上夏子の二人の若きピアニストは、進歩を遂げており、人を音で楽しませるエンターティナーの素養が滲み出てきました。とにかく美しいピアノ音が全曲を貫いており、私は酔い痴れました。このピアノを調律した私として、調律師冥利に尽きると感じ、満足を貰いました。また来年、鬼が嗤いますが、“クークー”コンサートの企画を期待しています。

“クークー、リハーサル風景、イギリス館”
三上夏子・齊藤さやか、譜捲りをお願いした藤川亜悠子(声楽家)さん

 ここでその曲目をお知らせします。そして二人が相談して著わしたプログラムの中の曲目解説も、合わせてお載せいたします。簡単ながら適切な一口解説です。参考までにご覧頂ければ幸いに思います。

亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル・フランス)
…むかしスペインの宮廷で小さな王女様が踊ったようなパヴァーヌ。
これは葬送の哀歌ではなく、古き良き時代に想いを馳せてほのぼのと幸せになるための曲なのです。
*私の感想…お二人さんのご意見とは異なり、私の耳には哀歌に聴こえます。ほのぼのと懐かしみ、ほのぼのと幸せを噛み締めている。それは解ります。それでも、私の感情の襞の奥には拭い去れない悲しみが隠れています。その悲しみが時を経て幸せを産むのです。

小組曲(ドビュッシー・フランス)
1、小舟にて…貴族のお城、広大な庭園のお池に小舟を浮かべて舟遊び。
2、行列…貴族のご婦人たちの優雅な行列、ペットに連れているのは何とお猿さん!
3、メヌエット…古式ゆかしき貴族の舞踏会の思い出。
4、バレエ…軽やかに踊るバレリーナ、中間部は優雅なワルツを。
*私の感想…ドビュッシーの素晴らしいハーモニーと心に染み入るようなメロディー、これぞピアノ、ピアノ音が耳に優しく心地よい…。

こどもの遊び(ビゼー・フランス)
1、ぶらんこ(夢想)…ぶらんこ好きだった? うん!好きだったよ。へー、私は怖かったなぁ…
2、こま(即興曲)…わー!! 目が回る?!
3、お人形(子守歌)…お人形と戯れる可愛い女の子。え?私の事?
4、回転木馬(スケルツォ)…メリーゴーランドのこと。張り切り過ぎて、天までかけてゆく!
5、羽根つき(幻想曲)…バトミントンのこと。オリンピック、素晴らしかったですね。
6、ラッパと太鼓(行進曲)…おもちゃの兵隊さん登場♪
7、シャボン玉(ロンティーノ)…ふわり、ふわり、どこへ行くのかな。
8、隅とり鬼ごっこ(スケッチ)…部屋の四隅の安全地帯に向けて、壁伝いに走り回るゲームのこと。
9、目隠し鬼(夜想曲)…鬼さんこちら!手の鳴る方へ!
10、馬とび(奇想曲)…日本では馬とび、フランスではひつじとび、アメリカではカエルとびって言うらしい。
11、小さな旦那さまと小さな奥さま(二重奏)…ほほえましい、おままごと。
12、舞踏会(ガロップ)…優雅なダンスパティーというよりも、運動会みたい!
*私の感想…ビゼーが子供のために工夫を凝らして書いた音楽。曲の種類を子供の遊びに見立ててそれぞれ当てはめた興味深い秀作。成程と大人も唸ります。

 楽しい一時をありがとう。
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2012年09月11日

音楽の話82 娘のエリスマン邸生演奏で得たもの 2012.09.11

 無類の音楽好きの家族でも、毎晩のように家庭音楽会を開いていられるほど、皆は閑人ではありません。いくら娘がピアノ弾きだろうと、それなりの曲目を揃えるのは並大抵ではないからです。何時もそれを望んでいた聴くだけの私は、ないものねだりの願いが叶わず、残念に思っていました。弾き手がその気にならなければ、音楽会は始まりませんものね。ところが何と、ここに来てその思いが叶ったのです。月一回ですが定期的に、娘・三上夏子がエリスマン邸で生演奏を披露するに至ったのでした。勿論、本人の自らの向上心や音楽普及への使命感がそれを始める動機だったのでしょうが、私としては渡りに舟、毎月一回、娘の生演奏で家庭音楽会?を聴けるようになったのですから…。これから当分の期間(数年〜)、楽しめる筈です。私の長年の願いは叶いました。一つの大いなる幸福を私は手に入れました、幸運な事に…。
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音楽の話81 三上夏子エリスマン邸ピアノ生演奏、今日です 2012.09.11

 午前(10:30-11:30)の山手エリスマン邸に、妙なるピアノの音が響き渡ります。三上夏子が贈る憩いの一時、三上夏子ピアノ生演奏は今日行われます。今日で5回目となりますが、小さなピアノとの相性も工夫の成果が表れ、ますます美しい響きを獲得しています。是非、お出でください、楽しめますよ。私も伺います。ではエリスマン邸でお会いしましょう。
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2012年09月04日

音楽の話80 ピアノデュオ“クークー”コンサートチケット完売のお知らせ 2012.09.04

 ピアノデュオ“クークー”コンサートは満員御礼札止めとなりました。御購入ありがとうございました。まあ、客席60席のイギリス館のコンサートルーム、当然と言えば当然ですが、即完売となるのは必定でした。素敵な部屋ですが、定員が少な過ぎますね。せめて100席あったらいいのにね。

 何と私と妻は立ち見席ですと、これはいけませんね、夏子さん。一番の恩人?の私達夫婦に何と言う冷遇、あんたの父は怒っています?。
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2012年08月27日

音楽の話79 ピアノデュオ“クークー”コンサート開催のお知らせ

 娘・三上夏子と相方のピアニスト・齊藤さやかさんが出演するピアノデュオ“クークー”の演奏会のお知らせを致します。二人は子供の音楽教室時代の同門同志で後に同じ音大を卒業した間柄…、在学当時より互いを認め合いピアノデュオ“クークー”を結成しました。ここ暫く二人のデュオはお休みしていましたが、今回目出度く、再びのコンサート開催に漕ぎ付けました。大変喜ばしく私も楽しみにしています。

 ☆プログラム
ドビュッシー…小組曲…四手連弾のための
ビゼー…こどもの遊びOp22…四手連弾のための

 2012.09.22 横浜イギリス館 開場14:00 開演14:30 ◎チケット料金2000円

 因みに“クークー”とは? もうお分かりの方もいらっしゃるかと思われますが、フランス語で郭公(カッコウ)を指す言葉です。その命名の経緯は、二人の恩師が開いた八ヶ岳音楽合宿に共に参加した折、森で鳴いていた郭公の声の美しさに聴き惚れて名付けたのだそうです。まあ、今回の会場(客席)に閑古鳥が鳴かぬよう頑張りましょうね!
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2012年07月30日

音楽の話78 リトルコンサートの曲目と解説

 遅くなりましたが、7月14日に行われた大関はるみ・三上夏子両先生主催のリトルコンサートの全曲目をお知らせ致します。

☆第一部・ピアノソロ演奏
1、はさみとぎ、白鳥            トンプソンより
2、カンツォネット                ネーフェ
  メヌエット                   ラモー
3、バースデーケーキ、ポップコーン屋さん  トンプソンより
4、ソナチネOp.36                ゲジケ
5、人形の夢と目覚め              オースチン
6、ソナチネOp.34-2 第1楽章         アンドレ
7、ソナチネ第1番Op.13-1 第1楽章   カバレフスキー
8、ソナチネOp.36-4 第1楽章       クレメンティ
9、バターつきパン(一本指のワルツ)     モーツァルト
10、メヌエット                  ハイドン

*曲の説明
1、はさみとぎ、白鳥 …トンプソンより
  以上の曲を収めたジョン・トンプソン編集の現代ピアノ教本は、それまでにあった単なる運指運動の教則本とは異なり、既存の名曲や親しみ易い旋律を使用した芸術性の高いピアノ教本です。しかもそれに合わせた解説も加えており、無味乾燥な忍耐を押し付ける事のない楽しいピアノレッスンを目指したものと言えます。

2、カンツォネット …ネーフェ
  メヌエット    …ラモ−
  クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(1748-1799)は、モーツァルトと同時代に活躍したドイツの音楽家(作曲家、指揮者、オルガニスト)で、ベートーヴェンの先生としても有名な人です。オペラの一種である“ジングシュピール(ドイツ語の歌芝居)”を最も得意とし、多くのジングシュピール作品を書き上げ上演しました。“歌”の意味を持つこの曲・カンツォネットはピアノ小品ですが、旋律を歌う事に重きを置いた曲作りがなされており、音楽に於ける歌の大切さを示唆しています。
 
  ジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)は、フランスバロックの作曲家及び音楽理論家です。特に音楽理論家として名高く、和声と調性を理論的に体系化した最初の人と言われています。メヌエットとは比較的ゆっくりとした四分の三拍子の踊りの曲ですが、起源はフランスの民族舞踏とされています。ラモーの生きたバロックの時代には宮廷舞踏として盛んに演奏され踊られました。恐らくラモーは、このメヌエットの他にも沢山のメヌエットを作った事でしょう。

3、1、のトンプソンを参考にしてください。

4、ソナチネOp.36 …ゲジケ
  アレクサンドル・ゲジケ(1877-1957)は、近代ロシアの作曲家兼ピアニスト兼オルガニストです。バッハ演奏の権威で、モスクワ音楽院のピアノ教授でもありました。作品は、交響曲に室内楽、そしてピアノ曲など多数あります。

 ☆ソナチネは、“小さくて短い器楽曲(楽器で演奏する)”を指す音楽用語です。ソナタ(伊語の“演奏される”の意で器楽で奏される曲)から派生したソナタの小型版を意味し、初心者向きに楽想的にも演奏技術的にも平易な曲作りがされてます。

5、人形の夢と目覚め …オースチン
  テオドール・オースチン(1813-1870)は、ドイツのピアノ教師にして作曲家です。丁度ショパンやシューマンと同時代の音楽家で、優れたピアノ教師として名を成した人です。それでもショパンやシューマンとは異なり、その作り出したピアノ曲は、初心者や子供を対象にした自分の弟子たちへのサロン小品でした。ところが当時これが大当たりを取り、オースチンの名は世界(当時は欧州・北米)に轟きました。現在でもその作品「人形の夢と目覚め」、「アルプスの夕映え」、「花売り娘」などは世界の子供たちに愛されており、日本では発表会の定番ですね。因みにオースチンと同時期に同様の立場を持った人にヨハン・ブルクミュラー(1806-1874)がいます。その作品の「素直な心」「アラベスク」「貴婦人の乗馬」などの載った「25の練習曲Op.100」は何方にもお馴染みですね。

6、ソナチネOp.34-2 …アンドレ
  アンドレが誰だか判りません。何れ判明次第、ここに加筆する事にします。

7、ソナチネOp.13-1 …カバレフスキー
  ドミトリー・カバレフスキー(1904-1987)は、ロシア(実際はソ連)の作曲家兼ピアニストにして著述家です。ロシア革命(1905年《第一次》及び1917年《第二次》)と共に生まれたと言っていい生年を持ち、ソ連の隆盛と崩壊(1991年)をソ連の共産主義に寄り添って体験したソ連の御用音楽家です。しかしその音楽は教育にも向けられており、ソ連音楽教育の中心的存在でもありました。優れた子供用の作品も多々あります。このソナチネもその一つですね。

8、ソナチネOp.36-4 …クレメンティ
  ムツィオ・クレメンティ(1752-1832)は、イタリアローマで生まれ、イギリスで活躍しイギリスで没したイタリア人の音楽家です。その経緯は十代の頃にイギリスの知人に貰われて行ったと言うのが真実のようです。その職種や経歴も多彩で、作曲家兼ピアニスト及び指揮者の他に、ピアノ制作や楽譜出版の会社の経営(社長)までもしたのでした。80歳で没した当時としては破格の長生きで、生涯二度の結婚をしており、その二人の妻(クレメンティ52歳で18歳妻、59歳で26歳妻、正にダブルスコア以上)はこれまた破格の若年であったそうです、凄い???。

 生涯に膨大な数のピアノ作品を残しており、ベートーヴェンが高く評価したソナタは何と100曲、そして大冊の練習曲集「グラドゥス・アド・パルナッスム」やソナチネがあります。近年クレメンティの再評価の機運が高まり、これらの全曲録音がなされた上に、新版の全曲出版の準備もされているようです。但し、最も世に知られているのが今回生徒さんが弾いた曲を含めたOp.36の6曲のソナチネ集であり、それは番号が増すに従い難易度が上がるそうです。

9、バターつきパン(一本指のワルツ) …モーツァルト
  ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、ザルツブルクに生まれウィーンで没したオーストリアの作曲家です。“神童”として何方もご存知ですが、悪口を言ったりする、結構人間的な人であったようです。前項のクレメンティをベートーヴェンは高く評価したのですが、モーツアルトは評価しませんでした。それどころかむしろ酷評までしています。恐らくそこには二人(ベートーヴェンとモーツァルト)の音楽へのスタンスの違いが表れているように感じます。音(ピアノ音)の官能性や活発性への好みの違いが表れているのですね。モーツアルトの音楽は繊細にして端麗、そしてその優しさが胸(心、涙)に響きます。ベートーヴェンの音楽は細心にして豪気、壮快な論理が腹(筋肉、快哉)に轟きます。私は両者の音楽を長年聴いてきて、つくずくそう思います。さてその理屈?で言うと、クレメンティはどちらかしら…。自ずと解りますよね。

10、メヌエット …ハイドン
  フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)は、古典形式を完成させたウィーン古典派の音楽家です。節度ある健全な思想の持ち主で、後の作曲家のお手本になる大先生でした。勿論最大の弟子はベートーヴェン(モーツァルトはライバル)で、革新的に生きたベートーヴェンでも、その音楽の根本はハイドンの教えに基づいています。ハイドンはオーストリア帝国の貴族の一人(エステルハージ公)に長い事使えて来ました。そしてその仕事と言えば、その貴族や親族の接待及び慰安のために音楽を書き演奏する事でした。貴族と言えば宮殿、宮殿では毎夜?夜会が行われます。そこで始まるのがダンスです。この当時のダンスでは主にメヌエットが踊られます。ハイドンもメヌエットを作曲したのでした。因みにメヌエットはダンスにだけに用いられるのではなく、音楽の一つの形式としても存在しています。この典雅な舞曲は、シンフォニー等の第3楽章にも使われているのです。


☆第二部・ピアノソロ演奏
11、ソナチネ ト長調     アットウッド
12、ワルツ イ短調       ショパン
13、プレリュード 第一番    バッハ
14、サラバンド        ヘンデル
15、エリーゼのために    ベートーヴェン

*曲の説明  
11、ソナチネト長調 …アットウッド
  不勉強の所為でアットウッドの正確な正体が知れません。当てずっぽうですが、恐らくトーマス・アットウッドと言う名のイギリスの音楽家だと思われます。モーツァルトの弟子の一人と言う事で、18世紀後半から19世紀前半に活躍したのでしょう。モーツァルトご自慢のお弟子だったそうです。

12、ワルツイ短調 …ショパン
  ご存じ、ピアノの詩人のフレデリック・ショパン(1810-1849)の曲…。故郷ポーランドの鄙びた雰囲気と大都会パリの雅が見事に溶けた甘く切ない情緒が素晴らしい…。それはピアノの美音を全て知り尽くして書いた完全無欠のピアノ音楽。もう魔術としか言いようがありません。

13、プレリュード 第一番 …ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
  平均律クラビーアの最初の曲でハ長調の前奏曲、分散和音が美しくしっとりとして安らぎに満ちています。この後の万物実る豊饒の沃野(本編)を前にしたほんの心ばかりの慰めの曲、でもそれだからこそ、これは美しいのです。

14、サラバンド …ヘンデル(1685-1759)
  バッハ(同い年)の唯一の対抗馬だったジョージ・フレデリック・ヘンデル(独名・ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル)は、ドイツ生まれで後にイギリスに帰化した人です。ストイック(冷静な、平然とした、禁欲的な)なバッハに比べ豪快で快楽的なヘンデル、二人は正反対な性格に見えますね。バッハは宗教曲が本分ですが、ヘンデルはオペラが主舞台でした。この辺りも明確であり極めて対照的ですね。まるで19世紀のワーグナーとブラームスの関係に似ていますね。サラバンドの起源は面白く、16世紀頃にスペインの植民地(南米)から逆輸入されたのが始まりと言う事です。勿論元はヨーロッパの舞曲で、それが南米に渡りサラバンドの名を頂戴し再び戻って流行ったと言う事で、バロック時代には舞曲の定番となりました。二分の三拍子のリズムで引きずるように重々しく踊られるようです。

15、エリーゼのために …ベートーヴェン
  誰彼が、ピアノレッスンを始める動機となる遍く知れ渡ったピアノ小品…。愛する恋人エリーゼ?(テレーゼ?)に成り変わって書いた乙女心の時めきの詩…。野人・ベートーヴェンは恥も外聞も捨て?、女心を取り上げたのでした。


☆第三部・連弾とソロ演奏・三上先生の模範演奏
≪ハッピー・ソング≫
1、きらきらぼし
2、まきばのうたごえ
3、ハッピー・バースディー・トゥ・ユー

≪ディズニー・ワールド≫
4、不思議の国のアリス
5、星に願いを(ピノキオ)
6、いつか王子様が(白雪姫)、ホール・ニュー・ワールド(アラジンの魔法のランプ)、三上先生のソロ演奏

≪ジプリの世界1≫
7、となりのトトロ
8、さんぽ
9、風のとおり道
10、ねこバス

☆第四部・連弾演奏
≪ジプリの世界2≫
★魔女の宅急便
11、海の見える街
12、やさしさに包まれたなら
★天空の城ラピュタ
13、君をのせて
≪ロマンチック・ロシア≫
14、「ピーターと狼」より ピーター
15、「白鳥の湖」より 情景

*曲の説明
14、「ピーターと狼」より ピーター …セルゲイ・プロコフィエフ
  近代ロシアの作曲家・セルゲイ・プロコフェフ(1891-1953)が世の子供の管弦楽への理解を促がす目的で書いた教育的作品です。登場人物(動物も)がそれぞれ特定の楽器で特徴的に表わされます。例えば快活なピーターは弦楽器で表わし、強靭な狼は重厚なホルンで…、小鳥は愛らしいフルートで表わし、アヒルはのんびりとしたオーボエといったふうに…。ここでは弦楽の替わりにピアノでピーターを表わします。さて、ピアノのピーターは如何でしたか?

15、「白鳥の湖」より 情景 …ピョートル・イリッチ・チャイコフスキー
  ロシアを代表する作曲家・チャイコフスキー(1840-1893)は多岐に亘る種類の音楽を書きましたが、その中でも取分けバレエ音楽が高い人気を誇っています。俗に言う“三大バレエ”は「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」で、チャイコフスキーならではの豪華で美しい管弦楽を聴く事ができます。その至る所にエキゾチックな名旋律がちりばめられ、眩く陶酔の境地に誘われます。もしも今、もの悲しい「白鳥の湖」の情景の音楽を聴けば、立ち所に遠い北国の神秘の湖に降り立つ事ができます。さあ、皆で行きましょう、白鳥の湖へ…。


☆第五部・ソロ演奏
1、6つのウィーンソナチネkv.439b 第6番 第1楽章  モーツァルト
2、ソナタkv.545 第3楽章               モーツァルト 
3、ウクライナ民謡による7つの陽気な変奏曲        カバレフスキー
4、小さなニグロ                     ドビュッシー
5、ルーマニア民族舞曲                   バルトーク

*曲説明
1、6つのウィーンソナチネkv.439b 第6番 第1楽章 …モーツァルト
  三上先生の曲選びは広範囲に亘っていますね。音楽文献やネットを当たっても出ていないものがあります。このウィーンソナチネも調べる術はありませんでした。仕方ないのでここではモーツァルトのお金の話を一言…。モーツァルトはお金に困っていたと言われていますが、それは本当らしいです。私が訪ねたウィーンのモーツァルトハウスでの説明によると、モーツァルト自身が書いた借金の申し込みの手紙が複数残されているそうです。収入は多く(今のお金で数千万円)、このモーツァルトハウス(フィガロの結婚を書いた時期に住んでいた)も立派な建物で部屋数(10室位)も多かったのです。可笑しな話ですね。ここではその原因は知る事はできませんでしたが、恐らく、私の想像では、賭け事を始めとしたモーツァルトの無駄遣いにあったと思われます。そしてオペラその他の興業の失敗もあったのかも知れませんね。生活不安がモーツァルトの寿命を縮めた可能性は充分想像がつきますね。

2、ソナタkv.545 第3楽章 …モーツァルト
  このソナタは有名ですから何方でもご存知でしょう。モーツァルト特有の軽味のある爽やかな曲ですが、じっと聴き入ると何故か胸に迫るものがあります。時としてですが、私は泣いてしまう事があります。それはモーツァルトが無意識に身につけていた“もののあはれ”の情念に私の思いが呼応するからです。私はそれを諦観と言います。ブラームスとまた違う諦観が確かにここにあります。

3、ウクライナ民謡による7つの陽気な変奏曲 …カバレフスキー
  ウクライナはポーランドよりも更に東の東部ヨーロッパの国、東隣りはロシアです。昔はキエフ大公国、一昔前はソビエト連邦の一地方だった所です。恐らく違う民族が住んでいたのに無理やりに大連邦に併合されてしまってね、胸が痛みます。それでも近年独立を果たし誇りを取り戻しました、目出度い事です。この地方にあった民謡をソ連のカバレフスキーは子供向けに7つの変奏曲に仕立て上げました。まあ、ソ連時代の産物であり、ウクライナの人々はこの曲をどう思われているか知る由もありませんが、一つの歴史を物語る証拠のようなものかも知れません。それでもそんな事はどうでもよく、私が気に入ったのはこの曲の名、この陽気な変奏曲の名はとても良いですね。何か聴かなくても見ただけで陽気になってしまいますね。また聴きたいな…。

4、小さなニグロ …ドビュッシー
  後に曲の名が替えられてしまう…何て事は、作者は想いもしなかったでしょうね。近代フランスの大作曲家・クロード・ドビュッシー(1862-1918)が最初に名付けた名は“小さな黒ん坊”であったのです。ところが黒ん坊は差別語であるそうで、近年に黒人にしたのですがこれも差別だと言う事で最後はニグロに…。しかしこれも差別だと言われてしまえばもう黒色人種を指す言葉はなくなります。唯一あると言えば、アフリカ系民族。だから“小さなアフリカン”で良いですよね。何か馴染みませんかね?…。それでもこの曲に籠められたジャズのエッセンスは正しくアフリカン、アフリカンにしましょ。

5、ルーマニア民族舞曲 …バルトーク
  バルトーク・ベーラ(姓はバルトークで名がベーラ、姓名の並びは日本と同じ、1881-1945)はハンガリー最大の作曲家。民謡(民族音楽)の収集に全力を挙げ、民族音楽研究家としても名高いものがあります。バルトークはその収集した宝とも言える民謡の素材から独自の音楽を作り出します。このルーマニア民族舞曲もルーマニアで収集した素材要素から完成されたものでしょう。中学生のお姉さんがこの曲を弾きました。それは落ち着いて聴き映えのする良い演奏でした。

  
☆大関はるみ先生、ソプラノ独唱  ピアノ伴奏:三上夏子先生 
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より ママも知るとおり ピエトロ・マスカーニ(イアリア、1863-1945)
「カヴァレリア・ルスティカーナ」とは“田舎の兵士”の意味で、このお話は男女四人の愛の葛藤を描いた一幕ものの悲劇です。田舎の兵士・トゥリッドゥが除隊して故郷へ帰ると許嫁のローラは既に馬車屋のアルフィオに嫁いでしまっていました。そこでトゥリッドゥは心ならずも純情な娘・サントゥッツッアと恋をして自らを慰めようとしました。ところがローラへの思いは止まず、ローラも拒絶するではなく、嫉妬に狂ったトゥリッドゥはアルフィオにローラの不義を告げてしまいます。そこでアルフィオは怒り、妻を奪われぬようにトゥリッドゥに決闘を挑みます。結局、トゥリッドゥはアルフィオに殺されてしまい悲劇の幕は降ろされます。

「ママも知るとおり」は純情な娘・サントゥッツッアがトゥリッドゥの母に愛するトゥリッドゥと自分の危機を訴え歌うアリアです。まあ、男は馬鹿ですよね、ないものねだりばかりして…。でもそうさせる女は悪魔ですね。女は言い寄られれば悪い気はしませんものね、つい甘い言葉で誘ってしまいます。これが人間ですよね。これが男と女ですね。オー怖い〜

 ☆サントゥッツッアのアリア「ママもしるとおり」の歌詞

あなたもご存知です、お母さん、トゥリッドゥは兵隊に
いくまえにローラと二世をちぎったことを。
除隊したらローラは人妻でした、それであの人は新しい
 愛をもって
自分の心を燃やしてきた炎を消そうと思ったのです。
わたしを愛してくれました、わたしもあの人を愛しました。
 わたしの楽しみをいえば

なんでもうらやましがるあの女は、嫉妬のあまり、
 自分の夫を忘れてしまうのです……
わたしからあの人を奪いました、
 わたしは名誉をなくしました:
ローラとトゥリッドゥは好き合っています、
 わたしは泣いています。泣いています!  *小林英夫氏の対訳

 大関先生は、切ないサントゥッツッアの思いを込めて、ドラマティックに歌ってくれました。
            
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2012年07月18日

音楽の話77 リトルコンサート 2012.07.14

 先日の7月14日には、大関はるみ・三上夏子両先生の主催するピアノ発表会・リトルコンサートが行われました。大勢の愛らしい生徒さん達が次々と登場し、様々なピアノ音楽を披露してくれました。皆様の普段の努力の成果がここに一気に花開いたのです。正にそれは精華そのもの、まるで音楽の精がピアノの音を借り、語り掛けて来るようでした。私はしっかり、それを受け止めましたよ、皆様の心を…。そして私は幸せでした、ありがとう。

 音楽は作者、演奏者、鑑賞者の三者のコミュニケーションで成り立つ芸術です。そしてその中心にいるのが演奏者です。演奏者は作者に成り変わって作品の精神(愛)を鑑賞者に伝えなければなりません。理解力と表現力が必用なのですね。どうか、出演された皆様は、この事も参考に入れられて、今後も精進してください。演奏とは愛を伝える行い、愛を伝えましょう。

1、小さい生徒さんのソロの演奏
生徒さんのソロ
巨大なフルコンサートピアノを弾く小さい生徒さん、愛らしいですね。しかも何やら気品も漂っています。健気にも愛を語っているのでしょうね。

2、三上先生のソロ演奏
三上夏子先生のソロ
ピアノの前に掲げられているのは白雪姫の絵ですかね、チューをしてますね。三上先生オリジナルの紙芝居パフォーマンス、これに目を輝かさないお子さんはいません。目の力を利して耳の集中を増す作戦。これからもどんな作品が出て来るのか楽しみですね。今回はディズニーの白雪姫から「いつか王子さまが」とアラジンの魔法のランプから「ホール・ニュ−・ワールド」でした。

3、一寸お姉さんの連弾(デュオ)演奏
生徒さんの連弾
一寸くっつき過ぎに見えますがそれだけ心が通い合ったのでしょう。睦まじい姿を見せてくれた連弾でした。二人しての演奏はアンサンブルの基本形、正に心を一つにして愛を語るのです。これが平和の基本形ですね。

4、大関はるみ先生のアリア絶唱
アリア熱唱
何時も素敵な歌唱を披露してくださる声楽家の大関はるみ先生。声量のあるダイナミックな歌唱に定評があります。今回はイタリア近代の歌劇作曲家マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」からサントゥッツァが歌うアリア「ママも知る通り」でした。

追伸:全曲目の詳しい説明は後日の音楽の話に掲載します。
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2012年07月10日

音楽の話76 今日は娘・夏子の山手エリスマン邸ピアノ生演奏 2012.07.10

 第三回目になりますが、今日の10時30分から11時30分まで、山手エリスマン邸で娘・夏子がピアノ生演奏を行います。お天気もまずまずなので、宜しかったら聴きにいらしてください。今回、私は仕事で行けませんが、宜しくお願い致します。素敵な喫茶室も夏子同様お待ちしています。午前の一時を贅沢?にお過ごしください。
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2012年06月21日

音楽の話75 今日は夏至、最も“ブラ2”の似合う頃 2012.06.21

 夏至、嬉しいですね。私は根が寂しがり屋の所為か、上げ潮の盛んな賑わいのある春分から夏至の季節が大好きです。正に緑萌え立ち生命の息吹きが湧き立つ頃、この陽性な爆発する気分に最も相応しいシンフォニーと言えば、何と言っても“ブラ2”ことブラームスの交響曲第二番ニ長調OP73ですね。毎年この明るい季節になると、聴きたくなる曲です。

 優雅で繊細な恋人を愛撫するようなテーマ(主題)とそれとは正反対の武骨な舞踏が弾ける第一楽章、エンディングのホルンの求愛の歌は山の彼方まで響き渡ります。続く第二楽章は田園(自然)の中の幸福と追憶。チェロがこの上ない自然への賛歌を歌い、ホルンが優しくそれに応えます。それは田園に暮らす人の喜びで満ち溢れています。しかしやがてメランコリーの伴った短調の追憶に導かれ、思いの丈をぶちまけた分厚いロマンティシズムで覆われます。それでも最後は諦めて、名残惜しげにコーダ(終結)に向かい、静かに消えてゆきます。第三楽章は愛らしい舞曲、されどブラームスらしく何処か武骨、それでもやはりブラームスはブラームス、結尾には仄かに諦観が忍びより印象的…。そして歓喜の爆発の終楽章。これほど溌剌とした音楽が他にありましょうか? イントロからエンディングまで、息つく暇がない究極の絶好調音楽、最後のトランペットのファンファーレは、正にこの時期のブラームスの勝ち誇った心境を余すところなく表わしていて強烈です。

 第一シンフォニーで圧倒的成功を収めて、当時のヨーロッパ楽壇の第一人者となったブラームス。その直ぐ後で自信満々の内に書いたのが、この第二シンフォニー。これは誰も言わない事ですが、このシンフォニーこそ、ブラームスの「勝利の交響曲」だと私は確信しています。もしこの交響曲に私が名を着けるとするなら、交響曲第二番ニ長調「田園の歓喜」とするでしょう。田園(自然)はブラームスの創作の最大の泉(原点)、そこからブラームスは愛を育み、音楽へと変貌させ、哲学(人生・シンフォニー)を語るのです。
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2012年06月12日

音楽の話74 娘のエリスマン邸ピアノ生演奏、聴いてきました 2012.06.12

1、エリスマン邸ピアノ生演奏
エリスマン邸ピアノ生演奏
妻と私そして次女も駆け付けてくれ、夏子のピアノ生演奏を家族で聴いてきました。ピアノはカワイ製のモジュラー型、アップライトピアノよりも小型のピアノ。それでも調律したばかりだそうで、二三の音の音質の異音と旋律音域の強硬度の異和感を除けばまずまずの出来栄えで、充分楽しめました。

曲目は“ベートーヴェンのエリーゼのために”や、モ-ツァルトの“ピアノソナタ”を中心に組み立てられており、何方でも楽しめる内容となっていました。丁度一時間の演奏で、その間に時よりエリスマン邸見物のお客様が足を止められ聴いてくださいました。優れた技巧美の家具が置かれた部屋はムード満点であり、そこに流れるピアノ音楽は一段と絢爛の度合いを増し、私達に雅なロマンを与えてくれました。

2、エリスマン邸喫茶室
エリスマン邸喫茶室(カフェ)
聴き始めて30分程経ったところで、少し離れてフィルターを掛けて聴きたいと思い、気に入っている隣にある喫茶室に出向きました。美味しいエリスマンブレンドのコーヒーを飲みながら、一室隔てたフィルターを通したピアノに聴き入ると得も言われぬリラックスが得られ、至福の時を過ごせました。男性の三人組が来店し、お喋りの雑音が気になるまで、聴き惚れていました。誠に贅沢な時間でした。
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2012年06月10日

音楽の話73 三上夏子、山手エリスマン邸ピアノ生演奏のお知らせ

 来る6月12日(火曜日)、我が娘・三上夏子が再び山手エリスマン邸でピアノ生演奏を行います。時間は午前10:30〜11:30です。お時間がお有りでご興味を持たれる方は是非お出掛けください。今回は私も散歩がてら聴きに行く予定でいます。もし宜しかったらエリスマン邸でお会い致しましょう。御遠慮なくお声を掛けてください。どうぞよろしく…。
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2012年06月09日

音楽の話72 キムタク・たけし出演のトヨタのCMに使われた音楽、ラヴェルの“亡き王女のためのパヴァーヌ”について 2012.06.09

 キムタクの信長とたけしの秀吉が現代に蘇ってトヨタの車に乗って被災地の石巻を訪れるCM。たけしが海に向かって「馬鹿野郎!」と叫ぶのが印象的ですが、それよりももっと素晴らしいのが、その背後に流れる柔和な音楽(演奏は今一つ)。それはヴァージンロードを行進する時に使われる舞曲・パヴァーヌのリズムに乗ってホルンが慰めを籠めて切なく歌い出します。正にロマンティックにして厳かな哀悼の曲。きっと被災者だけでなく、多くの日本人がこの音楽から慰安を受け取っている事でしょう。私もこのCMを聴く?と何時も胸がジーンとなり、感動で涙ぐんでしまいます。

 亡き王女とは誰の事か? モーリス・ラヴェルはその問いに、こう答えたそうです。「それは単なる修辞句に過ぎない」と…。まあ、詩的で流れの良い語呂合わせ的なものと申して良いかも知れません。されど、ここにある亡き王女に捧げた憧れに満ちた優しい感情、それは紛れもなくある人を思っての結果だと私は直感するでしょう。例え、それが架空の恋人であったとしても…。
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2012年05月08日

音楽の話71 三上夏子ピアノ生演奏のお知らせ 2012.05.08

 本日(5月8日)、山手エリスマン邸に於いて、我が娘・三上夏子がピアノ生演奏を行います。時間は午前10:30より11:30までです。ご興味がおありでしたら、是非、お訪ねください。

 追伸…このエリスマン邸で行われるピアノ生演奏では、三上夏子の出演は毎月一回で、火曜日と決められています。但し、日にちは未定であり、確定次第、娘と私のブログ上に掲載いたします。ご興味をお持ちの方、お時間に余裕のあられる方は是非お立ち寄りください。エリスマン邸には、美味しいコーヒーが味わえるレトロで素敵な喫茶室があります。お茶飲みがてらにどうぞ…。次回は6月12日の火曜日午前10時30分~11時30分に決まりました。
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2012年04月26日

音楽の話70 ウェディングピアノ(音楽の話69)、曲目に欠落があり、エルガーの「愛の挨拶」を追加しました

 四月十五日付けの音楽の話69・ウェディングピアニスト三上夏子の記事で、曲目列記に於いてエドワード・エルガーの「愛の挨拶」が欠落していました。歳の所為でしょうか、列記項目が多くなると目こぼしをしがちになり、困ったものです。最も結婚式に相応しい曲を落としてしまうなんて、私も焼きが回ったもので、恥ずかしい限りです。反省し、本文に加筆し追加をしました。歳に負けずに頑張らなくっちゃ!

 エドワード・エルガー(1857~1934)はイギリス近代の大作曲家で、この「愛の挨拶」の他にも、行進曲「威風堂々」第一番やチェロ協奏曲などの名作が多くあります。とにかく、美しいメロディーを作り出す天才的創造性を持った作曲家で、近年、愛好者が増えています。

 「愛の挨拶」は、エルガーが恋人(後に妻)のキャロライン・アイス・ロバーツに、婚約の折に捧げた曲と謂われています。エルガーより八歳年長で、エルガーに比べ身分の高い(まだまだ階級制度が色濃く残っていた時代でした)身分違いのキャロラインでしたが、二人の愛は強く周囲の反対を押し切り、この曲の存在と共に目出度く結ばれたのです。優しい愛がまるで挨拶を交わすが如くたゆたう真の名旋律であり、古今東西のどんな名曲よりも結婚式に相応しい音楽と言えます。
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2012年04月15日

音楽の話69 ウェディングピアニスト・三上夏子 2012.04.14

結婚式のピアニスト
私もそうですが、現代の第一子とは難しい立場の子であると思います。勿論、次がなければ一人っ子となり、親の寵愛を一身に受けて成長します。しかしながら、第二子が生まれれば第一子の立場は大いに変化し、親の愛(係わり)は半分に減ります。否、それどころか手の掛かる第二子の為に親の係わりは半分以下になり、そこで第一子は孤独となり、場合によっては、第二子に激しい嫉妬心を燃やすようになるのです。それが成長により高じれば、やがて円満な兄弟の交わりができなくなります。私などはその典型であり、恥かしながら、この年になって尚の事、弟とよい交際はできていません。ところが我が第一子・夏子はそうではありません。この日、第二子であり次女である花嫁が、披露宴の式次第の手紙の朗読の中で、こう述べました。『性格は違うのに、息がぴったり合うお姉ちゃんは、私にとって大切な存在です。今日は素敵なピアノ演奏をありがとう』と…。親として最高に誇らしい瞬間でした。

この花嫁のたっての願望により、姉の夏子がこの披露宴の音楽プロディースを担当しました。リクエストを参考にした曲目選びから楽譜の選択、譜読みから試弾リハーサルそして本番、更なる上に式次第の目次の打ち合わせなどなど、八面(三面)六臂の活躍をしました。演奏は安らぎに満ちたピアノ音で、優しく会場に響き渡りました。談笑その他の騒音で聴こえぬところも多々ありましたが、対角線上の最遠の席にいた私は、常に演奏に聴き耳を立て、その宝石のように美しいピアノ音楽を余す所なく聴き取りました。素敵でした。

以下に曲目を列記致します。
1、乙女の祈り テクラ・バダジェフスカ
2、ショパンのワルツ
3、バッハのプレリュード
4、愛の挨拶 エドワード・エルガー
5、くるみわり人形より ピヨトル・チャイコフスキー(花嫁のリクエスト)
  @小序曲 
  Aトレパーク
  B花のワルツ
6、ブラームスのワルツ(私のリクエスト)
7、トロイメライ ロベルト・シューマン
8、軍隊ポロネーズ フレデリク・ショパン
9、アダージョ・カンタービレ ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
10、いつか王子様が
11、くまのプーさん
12、ララルー
13、美女と野獣
14、不思議の国のアリス
15、星に願いを
16、右から二番目の星
17、ホール・ニュー・ワールド
18、桜 こぶくろ (新郎のお母さんに捧げて)
19、アメージング・グレース
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2012年04月10日

音楽の話68 ネクスコ中日本のCM音楽は交響詩「フィンランディア」

 画面には高速道路を疾走する車、その背景に勇ましく流れる行進曲風の音楽。ネクスコ中日本の新東名高速道・御殿場三ケ日間開通を知らせるCMですが、その映像に見事に合致した音楽が素晴らしい効果を上げています。これはフィンランド近代の大作曲家・ヤン・シベリウスの出世作にして代表作の交響詩「フィンランディア」(1899年)で、クライマックスに至る前の経過句(パッセージ)の部分ですが、北国の冷涼な響きながらワクワクする力強いダイナミズムを感じさせます。不思議な事に、現代のコンクリート文明の映像にも、この曲のダイナミズムは良くマッチしているようです。

 曲はこの後、讃美歌にも載せられた彼の有名な旋律の合唱歌が始まりますが、これには、当時のロシア圧政へのレジスタンスの意味合いが濃く出ており、その名「フィンランディア」の名の如く、シベリウスの愛国の精神が爆発しています。当時のフィンランド国民はこの曲に勇気を貰い、やがてロシアを打ち破り、フィンランドは独立(1917年)を果たしたのです。
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2012年04月01日

音楽の話67 N響アワー最終回スペシャルを視聴して、ありがとうN響アワー

 N響アワーもとうとう終わってしまいましたが、二週に亘って放送された最終回スペシャルは、思い出に溢れ、中々に面白かったと思いました。それでも第二週目の選曲には、いささか疑問は残りました。一曲目のベルリオーズの幻想シンフォニー「舞踏会」は良いにしても、最後の曲のチャイコフスキーの第五のフィナーレには驚きました。まあ、最多のリクエストを集めたのですから仕方ありませんが、それは多分に第二楽章のホルンの独奏の素晴らしさによるもの…、出来るものなら、この日の二曲目にこの第五の第二楽章を入れ、本当の最後にはベートーヴェンの英雄シンフォニーのフィナーレで締め括って欲しかったです。

 しかし、第一週目は、素晴らしい選曲でした。何と、ロマン派後期の三大交響作家*リヒャルト・ワーグナー、アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームスの競演であり、演奏も文句のつけようがなく(ブラ四を除いて)、最高に満足の出来る出色のものでした。

*リヒャルト・ワーグナーは交響曲作家ではありませんが、ワーグナーの楽劇は歌と芝居を持つ巨大な交響曲と言われています。その管弦楽法と和声は後の交響曲作曲家に多大な影響を及ぼしました。

 順風満帆で突き進む快速帆船の如く空前の音響で鳴り響くワーグナー。「さあ、これから最高の音楽劇が始まるぜ! 皆用意はいいか!」とでも叫んでいるような楽劇「ニュルンベルクの名歌手」前奏曲…。歓喜の爆発と熱い陶酔、ワーグナーならではの豪快な傑作前奏曲です。威風堂々たる指揮振りのホルスト・シュタインは、充実しきった音響効果を持つこの曲に打って付けの指揮者でしたね。

 私淑するワーグナーの管弦楽法を引き継いで、それで巨大なシンフォニーを仕立て上げたブルックナーは、敬虔なカトリック信者で、そのシンフォニーは、神の創った世界と自然を表していると言われています。この日二曲目に演奏された第八シンフォニー(フィナーレ)は、ブルックナーの全作品中の最高傑作で、美しい旋律、深く透明な音響(和声)、独特の肉躍る律動を持つ、壮大な絵巻物のようなシンフォニーです。私が思うに、恐らく、古今東西のシンフォニーの中でも最も美しいシンフォニー(並ぶものと言えばシューベルトの「未完成」)と言えるでしょう。指揮のロブロ・フォン・マタチッチは、この天才的閃きを持つ大シンフォニーを魂を籠め、厳しく具現していました。

 最後はブラームスの「第四」で締めましたが、それは第一夜としては、ベストの選択と言っていいでしょう。と言うのは、最後(第二夜)のフィナーレにするには余りに暗い曲だからです。この曲は「ドイツレクイエム」、第一シンフォニーと並ぶブラームスの最大傑作で、そのテーマは信仰、愛、希望、そしてその先にある“戦争と平和”です。乱熟と矛盾に満ちた十九世紀の終りに、ブラームスは社会の不穏な空気を敏感に感じ取っていました。それに不安を感じたブラームスは、バッハの「マタイ受難曲」に倣い、この曲を近代の受難曲として、シンフォニーの形で、未来の市民のために書きました。その第四楽章は、愛と慰め、そして怒りと悲しみに満ちています。この深遠複雑な噴怒のシンフォニーの演奏は困難を極め、指揮者は途轍もない緊張を強いられます。前二曲の指揮者とこの曲の指揮をしたウォルフガンク・サバリッシュの顔の表情を見比べればそれが良く解ります。サバリッシュの何と疲労に満ちた苦しげな顔、されど大成功とは言い難い…。「第四」は傑作の中の傑作です。
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2012年02月13日

音楽の話66 N響アワーとブラームス 2012.02.13

 先日のN響アワー・“永遠の名曲たち”のシリーズで、ブラームスの第一シンフォニーが紹介されていました。このシリーズの交響曲では、ベートーヴェンの“第七”、モーツァルトの“ジュピター”、チャイコフスキーの“悲愴”、ドボルザークの“新世界”、シューベルトの“未完成”に続く六曲目で、やっとの事でのお目見えでした。でも、このN響アワーも来月でお終いだそう…、あと一曲の枠はどんな名曲が入るのでしょうか? 楽しみですね。それにしても、N響アワーも終わってしまい、新しいクラシック番組が始まるそうで、オーケストラ作品だけでない、ジャンルの広い番組になるのでしょうね。ピアノ独奏や歌曲やアリアの歌、もしくは室内楽など、まあ、期待し楽しみにしていましょう。私もテレビ買うかな?

 この“永遠の名曲たち”シリーズですが、もう少し続けて欲しかったですね。まだまだ他に“もの凄い名曲たち”がスタンバイ?していたのではないですかね。バッハだったら“マタイ受難曲”、“ミサロ短調”ヘンデルだったらオラトリオ“メサイア”、ハイドンだったらオラトリオ“天地創造”、“四季”、モーツァルトだったら“第四十番”、“ピアノ協奏曲群”、“レクイエム”、ベートーヴェンだったら“英雄”、“第五”、“第九”、“ミサソレムニス”、“ヴァイオリン協奏曲”、ブラームスだったら“第四”、“ドイツレクイエム”、“二曲のピアノ協奏曲”など。これまで紹介されてきた名曲を一回り凌ぐ、とびっきりの名曲たちなのにね、残念です。

 さて、ブラームスの一番シンフォニーについてと言うよりは、番組で西村朗氏が語った“ブラームスの志”について一言申し上げます。『私は、音の詩人になる』とゲーテを意識して言ったベートーヴェンの志の高さと同様の逸話が、ブラームスにもあるのです。ブラームスは少年の頃より読書に夢中で、その本の中の箴言(しんげん)や格言を「若きクライスラーの宝物の小箱」と題したノートに自ら書き記してきました。それの一部を紹介すると、「真の天才は、時として他人の讃辞で慰めをうることもあるが、想像力に溢れる感情を得れば、すぐにそのような松葉杖にすがる必要はなくなるものだ」(J・C・F・v・シラー)、「大衆の温和な反応は、中庸な芸術家にとっては励みとなるものだが、天才にとっては侮辱であり、また恐るべきものだ」(J・W・v・ゲーテ)、「暖かな想像力と兄弟の契りを結んだ明晰な理性は、まことの健やかさをもたらす魂の糧である」(F・F・H・ノヴァーリス)などがあります。正にブラームスの創作信条に一致する言葉たちです。これらを時々読み返しては、ブラームスは己の芸術活動の勇気と実践の範を得ていたのです。もの凄い志の高さですね、私はこれを三宅幸夫氏の著「ブラームス」で知り、驚き感動をしたのでした。

参考:三宅幸夫著「ブラームス」(新潮文庫)

 
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2012年02月06日

音楽の話65 三上夏子ピアノ教室のお勉強会・二重奏の試み 2012.02.05

 昨日は、年に二回ある定例の三上夏子ピアノ教室のお勉強会がありました。私達夫婦もそのお手伝いのために参加したのでした。私はピアノ調律と写真撮影(勝手に撮った)を担当し、楽しく貢献?をしました。何しろ愛らしい生徒さんが沢山参加しているので、お会いできるだけでも、おじいちゃん(の心境になり切っている私)としては、嬉しい限りなのです。皆は一生懸命この日の課題に取り組み頑張っていました。


二重奏の試み
講師模範演奏
今回は、アンサンブル(二重奏)を如何に上手に取り組むかが課題として取り上げられました。特別講師にはヴァイオリンのお兄さんのヴァイオリニストの熊田恵氏を招き、その導入を優しく教えて頂きました。何しろ生徒さん達は、普段はピアノソロか精々ピアノ連弾しかした事がないのですから、この日の試みは中々に有意義であったろうと想像されました。ヴァイオリンのお兄さんと共に日頃親しんだ名曲を合奏する楽しさ、アンサンブルの喜びを身を持って味わえたと確信しました。

 曲目はバッハやベートーヴェンのメヌエット(美しい)、モーツァルトのソナタ(素敵)、ブラームスのハンガリーダンスbT(拍手大喝采)、そして童歌や童謡など(愛らしい)で、初めは二重奏に面食らったお友だちも多かったのですが、熊田先生の親切な教えに生徒さん達は積極的にアンサンブルに参加し、楽しんでいました。

 熊田先生の合奏をするに当たっての教えの一端を、ここで私の見た目でお知らせしますね。それは曲の冒頭の呼吸の合わせ方についてなのですが、掛け声を掛けたり、対面で目を見合わせて呼吸を合わせるのではなく、二人の奏者が客席を向き、顔だけをやや斜めにして、相手を視界に入れ、そこで相手の呼吸(吐いて吸う瞬間)を測り、弾き出すのだそうです。面と見るのではなく、斜めからの視線で呼吸を測る、成る程な〜と感心したのでした。やはりそういう初歩の事でさえも、きちんと教えを請う事が大事なのだな〜と実感したのでした。
 
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2012年02月04日

音楽の話64 N響アワー、リサ・バティアシュヴィリのブラームスヴィオリンコンチェルト

 ブラームスがどんな動機でヴィオリンコンチェルトを書いたのか? それはブラームスとしては珍しくはっきりしていて、よく知られています。作品完成(1878年)の前年の九月に、ブラームスは滞在していたドイツの温泉保養地バーデンバーデンで、たまたま大ヴァイオリニスト・サラサーテの演奏を聴きました。その時、非常な感銘を受け、自分も是非ヴァイオリンの協奏曲を書きたいものだと思ったのでした。

 当時最大のヴァイオリニストと言われていたサラサーテは、スペインの生まれで、このブラームスと同じく、ハンガリージプシーの音楽をこよなく愛して止まず、“ツィゴイネルワイゼン”と言うヴァイオリンの名曲を残した事で有名です。このツィゴイネルワイゼンも1878年の作で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の完成と同年であり、互いにジプシー音楽愛好なども似ており、不思議な縁があるようです。兎に角、サラサーテがいてくれたお陰で、この協奏曲が生まれた訳であり、私達ブラームスファンにとっては、サラサーテ様様ですね。

 その後、ブラームスはこの曲を作曲するにあたり、サラサーテ(当然、知り合いではなかったので)ではなく、盟友のヴァイオリニストのJ・ヨアヒムに相談をもちかけます。それはピアニストで作曲家のブラームスにとっては、ヴァイオリンは未知の存在であり、それまでヴァイオリンを独奏楽器とする大曲を書いていなかったため、演奏技法の奥義を知り、その演奏効果を確かめたかったからでした。

 ところがやがて、この製作途上の曲に、ブラームス以上の熱意(期待)を傾けてしまったヨアヒムの過剰なアドバイスに、ブラームスは辟易する事になります。ヨアヒムは仕上がりの遅延を待つ事ができず、自ら疾うに第一楽章に挿入する*カデンツァ(後に最も頻繁に取り上げられる有名なカデンツァ)も作曲し、呆れた事に初演の日時と劇場まで押さえてしまっていたのでした。「未だか未だか!」の矢の催促、完全主義者のブラームスにとっては耐え難いプレッシャーでした。ヨアヒムにしても自ら作曲はするものの、大作曲家の未来への使命感と言う偉大な努力精神を理解できなかったのです。徹底的に推敲するブラームスのやり方を解っていたのに、早く弾きたくて世に出したくて、忍耐できなかったのです。ブラームスは初め新たな試みとして、4楽章(協奏曲は普通3楽章)を念頭に入れていましたが、仕方なくその構成を変更し、中間の二つの楽章(緩叙楽章とスケルツォ)を割愛して、代わりに“弱々しいアダージョ”(ブラームス言)を第二楽章に入れて完成させたのでした。その割愛されたテーマ等の一部は、後のヴァイオリンソナタやピアノコンチェルトに転用されたと言われています。結局、すったもんだの末、何とか楽譜が間に合い、初演は1879年の元旦にライプツィヒで無事行われました。勿論、ヴァイオリンはヨアヒム、指揮がブラームスでした。初演は大成功で、ヨアヒムはその後も何十回となく演奏会で取り上げました。その熱意と努力をもって、この曲をベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と並び称される定番の曲に押し上げました。早い段階からこのヴァイオリン協奏曲が名曲と謳われるようになったのは、ヨアヒムの尽力の賜物でもありました。

 *カデンツァ(伊)
 曲の終止の前に挿入されるところの巨匠的演奏困難な自由な無伴奏の部分。普通コンチェルトの第一楽章と終楽章に用いられる。演奏家が作曲するのが常でブラームスでは、ヨアヒムやクライスラーのものが有名。しかし、有名作曲家M・レーガーのものもある。

 J・ヨアヒムはパガニーニやサラサーテとは一線を画する人で、巨匠性よりはアカデミカルなヴァイオリニストでした。多くの門弟を抱えオーケストラ要員を養成し、全ヨーロッパの各オーケストラのヴァイオリンパートに弟子を送りこみました。また弦楽四重奏団(ヨアヒムカルテット)を結成し、数多の室内楽作品を世に広めもしました。特筆すべきは、ベートーヴェン演奏のオーソリティー(権威)として、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲並びに弦楽四重奏曲の普及に最大限尽力した事です。今日のベートーヴェン演奏の土台を築いた演奏家の偉大な一人と言ってよく、それは決して過言ではありません。


 そんな多くの労力を割いて完成されたこのヴァイオリン協奏曲、内容は極めて深遠で複雑、ヴァイオリニストの間では難曲中の難曲と言われて、これを取り上げるのは勇気のいる事だと言われています。勿論それはテクニックの問題もありますが、その深い精神性にあります。兎に角、この曲の真価を発揮できた演奏は稀です。私もCDを含め幾多の演奏を耳にしましたが、満足を得られる演奏は皆無に等しかったのです。

 それでも、とうとう今回のN響アワーで、それを打ち破る演奏に出会えました。それはリサ・バティアシュヴィリと言うグルジア(旧ソ連のコーカサス地方の独立国)出身の女流ヴァイオリニストの演奏で、シャープな切れ味鋭いテクニック、加えてヴァイオリンの共鳴洞に豊かに共鳴する伸びやかな美音、それらを難なく操り、深遠な曲の精神に肉薄して行きます。ブラームスのこの気難しい曲が、いとも簡単な単純明快な音楽に聴こえてくるのです。“古い奴ほど新しいものを求める”と昔の唄にありますが、このヴァイオリン音楽も同じ事だと痛感しました。ブラームス(古い奴)にはこのシャープな美音(新しいもの)が必要でした。やっと、私が満足できるブラヴァイ?が聴けました。何と喜ばしい事か…。

 
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2012年01月15日

音楽の話63 谷村新司と三人の女性シンガー 2012.01.15

 先程まで、BSTBSで谷村新司を中心とした音楽番組を視聴しました。出演は他に、坂本冬美、松浦亜弥、手嶌葵の三人で、オリジナルの曲やスタンダードナンバー他を歌い、私を大いなる陶酔に導いてくれました。これほど質の高い歌唱が聴けたのは久方振りでした。勿論、それは四人の歌手の実力ですが、プロデューサーを始めとしたスタッフの方々の活躍の賜物でもあったのでしょう、見事な音楽番組でした。

 谷村と坂本の詞の意味を歌に反映する解釈の巧さ、正に言葉が歌に乗り、一直線に聴く者の琴線に触れてきます。特に坂本の明瞭な発音によるメゾソプラノの声は絹織物のように優しく、私をしっとりと包み込んだのでした。現在日本のナンバーワン歌姫と称して偽りはないでしょう。

 松浦と手嶌は若い女性シンガーらしく透明なソプラノの高音が素晴らしく、しかも音程も確かで並々ならぬ歌唱力を示していました。松浦はアイドルの愛らしさを持って女性らしく、手嶌は更に透明な美声で神秘的に…。私の愛して止まないソプラノの声を有らん限り堪能させてくれました。

 坂本の絶品の歌い回し、松浦の歌唱の巧さの意外性、そして先だっての日本生命CMソング・手嶌の初容姿、驚く事が多々あり興味津々の幸せな二時間でした。
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2011年12月18日

音楽の話62 リクシルのCM、ショパンのノクターンが素晴らしい 2011.12.18

 どうも私はテレビ鑑賞の際のCM音楽に惹かれてしまう傾向にあります。先だっての日本生命の「瑠璃色の地球」や「ケ・セラ・セラ」、一代前のドコモの「ブラ一終楽章」、二年前のアリコの「フォーレ・ドリー」と「ブラ・ワルツ」等々、CMプロデューサーの面目躍如たる選曲の妙が感じられ感心します。そして今度はリクシルの家庭電化機器?に使われているショパンのノクターン一番。松下奈緒扮する若く美しいお嫁さんを心の中で弄くって罵倒する木村多江の小姑。妙に切なく、しかし余りにも美しいショパンのピアノはこの嫁の美と小姑の屈折を見事に表していると申したらショパンは草葉の陰で怒るかしら? しかし切なく美しい! 理想のピアノ曲、ショパン…。ノクターン一番変ロ短調に乾杯!
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2011年12月13日

音楽の話61 秀逸、日本生命のCMソング 2011.12.13

 今、私が一番楽しみにしているCMに、綾瀬はるかが出演している日本生命の二つがあります。勿論、綾瀬は大好きな女優で、しなやかで美しく極めて魅惑的です。しかし、私がもっと惹かれるのはこの二つのCMに使われている二曲の歌です。

 一つは、以前に松田聖子が大ヒットさせた「瑠璃色の地球」で、松本隆作詞、平井夏美作曲の傑作です。これをここでは手嶌葵(てしまあおい)と言う若い歌手がカヴァーをして歌っています。柔らかく透明感に満ちた美声を持ち、色香の勝る松田とはやや異なる雰囲気を漂わせています。その透明感が綾瀬の甘美な映像にものの見事に合致して美しいものです。気が付けば、私は綾瀬に見惚れ、更に手嶌に聴き惚れているのです。

 もう一つは、何方でもご存じの永遠の名曲、ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ(Que・sera・sera)」で、これが流れると私は満面に笑みを浮かべ、思わず歌い出してしまいます。「ケ・セラ・セラ…」って…。弾むような調子の良さ、歯切れのいいシャープな発音と歌い回し、ドリス、絶品です!
「ケ・セラ・セラ(Que・sera・sera)」はスペイン語に由来するフレーズだそうですが、真のスペイン語の語彙ではないそうです。“おまじない”もしくは“掛け声”みたいなものですかね。英語の歌詞に「Whtever・Will be・Will be)」があり、これが「なるようになる」だそうです。
ドリス・デイは1924年生まれの存命だそうで、もう直ぐ90歳になるのですね。
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2011年12月10日

音楽の話60 ブラームスの歌曲「霜が置いて」について 2011.12.10

 今朝の降霜で想い浮かべたブラームスの歌曲「霜が置いて(降りて)」。素敵な歌なので紹介します。燻し銀のような渋い歌ですが、そこに凍てつく冷涼な空気とその反対の切なくも優しい心の温もりが感じられます。嘗て北国に住んでいた人間の故郷を想う歌です。

 作詞者のK・グロートと作曲者のブラームスは共に北ドイツのホルスタイン地方の出身、そこの冬は雪と氷の世界。秋の終りに霜が降るともう冬はそこまでやって来ています。長く辛い遣る瀬ない冬、作者二人の冬に対する想いが重なりあい、無常観を醸し幻想的に綾なして行きます。

霜が置いて クラウス・グロート詩 ブラームス曲 OP106-4

ぼだいじゅの木に霜が置いて,
銀のような光を放っていた。
夢の中で明るく輝いている
妖精のような, きみの家を見た。

そしてきみの部屋の窓が開いていたので,
きみの部屋の中を見ることができた。
すると, きみは陽の光の中に歩み入った,
妖精の中でいちばん暗い感じのきみよ!

ぼくは幸せな歓びに震えた,
春のように暖かく, すばらしい気持ちで。
そのときぼくはすぐきみの挨拶に
霜と冬の気配を感じとっていた。 志田麓 訳詩
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2011年11月18日

音楽の話59 A・プレヴィン渾身のドイツレクイエム 2011.11.13N響アワー放送分

 何故、プレヴィンがこの時期この日本で、ドイツレクイエムなのか…。この曲が大好きだから?…。それもあるでしょう、しかし、果たしてそれだけでしょうか? 私の想像では恐らく東日本大震災の被災者の鎮魂のために、この曲を選んだのではないでしょうか。まあ、会場は東北では無く東京のNHKホールですし、被災者が聴くか聴かぬかは兎も角としても、日本全土にこの曲を響かせたかったのかも知れません。この曲ほどそれに相応しい音楽は他にありません。生きる者も死する者も神(真理)の前では等しく平等であり、信じる(信仰ある)者は救われて幸福になれる、ブラームスが聖書の中で科学的に捉えた力強い真理です。「大丈夫、皆、苦悩から解き放たれて天国に行けます」を優しく教えています。まるで鎌倉時代の「念仏を唱えれば浄土に行ける」の仏教に通じるものがあります。私は何度泣いたでしょうか…。感極まり、悲しくも幸せな慰安の一時、ブラームスの音楽は悲しみの中に幸せを見出す音楽、だからこそ正直で人間的であり、愛と希望に溢れています。 
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2011年11月03日

音楽の話57 三上夏子コンサート音楽紙芝居大盛況 2011.11.03

ピーターとオオカミ大団円 
飯田裕子氏の美しい水彩画、これに三上夏子脚色の楽しいお話とピアノ演奏が綾なします。大団円に進むに従って手拍子が重なり音楽紙芝居“ピーターとおおかみ”は興奮を高めていきました。最後に子供たちとこのお話しについての応答があり、質問に答える子供たちの笑顔は輝いて見えました。良かった良かった。

満員札留め、大変な盛況の内に幕は切って落とされました。当日券を求めるお客様も多く、右往左往し多少の混乱がスタッフの側にありました。今後は反省をもとに更なる円滑な催しにしたいと演者・スタッフ一同心に決めています。ご期待ください。ご鑑賞ありがとうございました。
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2011年11月01日

音楽の話56 三上夏子コンサートチケット“ほぼ”完売、御礼申し上げます 2011.11.01

 三上夏子コンサートのチケットがほぼ完売となりました。後は当日券を若干残すのみです。皆様のご期待ご厚情有難く感謝いたします。今、夏子は本番に向け最後の調整をしています。きっとその日は美しい音が響くでしょう。楽しいお話しが聞けるでしょう。そして飯田裕子氏の素敵な紙芝居絵が観られる事でしょう。

 しかし、父親とは可笑しなものですね。煙たがられ、悪戯にしても無視される事もありますが、性懲りもなく娘達を応援してしまいます。何時の間にかそれに無我夢中となっているのです。まあともかく、こんな事を一生続けられたら幸せと念じています。チケットを買ってくださった皆様、ありがとうございました。
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2011年10月19日

音楽の話55 三上夏子コンサートの曲目解説

フレデリック・ショパン(1810〜1849) 軍隊ポロネーズ
正しくはポロネーズイ長調Op40−1、ショパン二十八歳の1838年10月の作。太鼓やラッパの響きに似たフレーズ(箇所)があると言われ、勇壮で爽快、故に『軍隊』の名で親しまれるようになりました。

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685〜1750) インヴェンションとシンフォニア
インヴェンションが二声部のもの、シンフォニア(多声曲の意味)が三声部で、それぞれ15曲ずつ合わせて30曲が作られています。勿論このバッハの時代はピアノはまだ出来たてのホヤホヤの時代、当然チェンバロやクラビコードを念頭に入れてバッハはこれらを書いたのです。その目的は、自分の息子(フリーデマン・バッハ)の音楽教育のため…、20人程の子持ち(前妻と後妻で)であったバッハはかなりの教育パパであったようです、凄い…。短い曲達ですが、その数を揃え尽くす発想の迸りは凄まじく、この曲集を聴いただけでもバッハは音楽の巨人だと思い知る事でしょう。

ピアノ版、ロマンの香りがしてクラビコードでは表せない深い響きがあります。

セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953) ピーターと狼
このコンサートではピアノ独奏用の編曲版を使いピアノソロで演奏されますが、本来はオーケストラ用の管弦楽組曲です。子供の管弦楽入門を手助けする役目を担い、45歳のプロコフィエフが教育用に書いたものです。物語性を重視した子供向けの内容ながら音楽的にも優れた感性を魅せており、完成度の高い傑作です。

登場する人物並びに動物には、そのキャラクターにドンピシャの楽器が当てはめられています。ピーターは弾むような弦楽五部、小鳥は軽やかなフルート、ユーモラスなアヒルにはオーボエ、鳥たちを狙う猫がクラリネット、低音で口うるさいピーターのおじいさんはファゴット、思わず笑っちゃいます。そして大きく恐ろしい狼が迫力満点の三本のホルン、さらに狼退治の猟師の鉄砲にはティンパニー、全て見事なものです。さて三上先生はピアノでどんな風にこれらのキャラクターを弾き分けるのかしらネ、楽しみ…。

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2011年10月17日

音楽の話54 音楽会のお知らせ 2011.10.17

 一年振りで、我が娘・三上夏子が音楽紙芝居の催しを行います。勿論、ピアノのソロもお聴かせいたします。11月3日文化の日PM2:00より、以下の要領で開演いたします。ご希望の方にはお手数をおかけしますがご連絡くだされば幸いに思います。

音楽紙芝居“ピーターとおおかみ”

ピアノ・朗読 三上夏子

<ピアノソロ>
♪軍隊ポロネーズ F.ショパン
♪インヴェンション第1番 JS.バッハ
♪シンフォニア第1番 JS.バッハ
♪他

<音楽紙芝居>
♪ピーターとおおかみ S.プロコフィエフ 
(ピアノ独奏用/F.ダンヒル編曲)
紙芝居の絵 飯田裕子

2011年11月3日(木・祝)
14:00開演 (13:30開場)

岩崎記念館ゲーテ座ホール
〒231-0862 横浜市中区山手町254 TEL045-623-2111
元町中華街駅からアメリカ山エレベーターに乗り直ぐ

全席自由 大人2000円 子供1000円 未就学児大歓迎

チケットお問い合わせ先 アンサンブル・サマンサ natsuko-samantha-pf@hotmail.co.jp
三上和伸 otonotanoshimi_mikami@yahoo.co.jp

毎回、楽しい音楽会になっています。お子様の目の輝きが違います。是非親子でいらしてください。お待ちしています。
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2011年10月16日

音楽の話53 ブラームスのウィーンカールスガッセの家

 ブラームスのウィーンの家に付いてご質問がありましたのでお答えいたします。
 
 それはカール教会が近くにあるカールスガッセ(小路)4番地にあった(現在はない)借家で、ブラームス38歳の1871年から死の年の1897年まで26年間に亘り住んだアパートです。独身を貫き創作に全てを捧げたブラームスは生涯自分の家を持たなかった人で、贅沢は言わず、己の生活や創作に支障がない限りどんな住まいでもよかったのです。翻って考えれば、このカールスガッセのアパートは楽友協会やオペラ座(ブラームスはオペラは書きませんでしたがオペラ大好きな人)に近く、己の活動に便利だったようで、大変気に入っていたと想われます。実際、私もこの辺りを歩きましたが、ブラームスの快適さが充分偲ばれる素晴らしい立地と確信しました。

 このアパートの様子やウィーンに於けるブラームスの日々の暮らし振りが写真入りで紹介されている良い冊子があるので、紹介いたします。それは三宅幸夫著の「ブラームス」(新潮文庫)で、その140〜141ページに記載があり、そこには寝室、音楽室(ピアノ室、シュトライヒャーのグランドピアノが置かれてある)、書斎(厖大な書物と楽譜があり、音楽学者でウィーン学友協会司書のマンディチェフスキーが好意で管理をしていた)の三部屋があると書かれ、ピアノ室の壁にはラファエロの「システィナの聖母」やベートーヴェンの胸像が掛けられてあると記されています。勿論、ヘルムート・ノヴァークの手で描かれたピアノ室の精密な水彩画の写真も添付されており、小机やロッキングチェアー等のインテリアも描かれてあり、ブラームスのピアノ室の模様を臨場感たっぷりに垣間見る事ができます。

 また、同時にブラームス行き付けの大衆レストラン「赤いはりねずみ」(当時は大衆向け、現存していると聞きます)や健脚のブラームスがよく散歩をしたウィーン市立公園、そして散歩中のブラームスを程良くデフォルメしユーモラスに描いた傑作と言われているオットー・ベーラーの影絵などが素晴らしい色彩で紹介されています。是非ご覧あれ!

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2011年09月09日

音楽の話52 N響アワー、フォーレのレクイエムを視聴して 2011.09.04放送分

 地デジ化で自分のテレビが観られなくなってからN響アワーを楽しめず、ブログにもその話題が載せられなくなりました。でも今回のフォーレ・レクイエムは何としても視聴したく思い、次女に頼んで録画をして貰いました。ところがその録画したものを観るのにタイミングが合わず中々観られませんでした。テレビ鑑賞の時間は家族誰でも大体同じ夜の時間帯なのでチャンネル権のない私はビデオはあっても観られなかったのです。ウォーキングの時間を削れば何とかなったのですが…、そうもいかず…。それでも昨日、一昨日、先一昨日と細切れですが何とか観る事ができました。そこでその感想を今夜述べたいと思います。

 まずは素晴らしい演奏、感動しました。入祭唱が響くや否や私は南フランスの片田舎の教会に連れ去られました。暗い聖堂に一条の光が差したようにレクイエムの奉献唱(第二曲)は響き渡ります。柔らかくくぐもった音色、バリトンの独唱でさえ柔らかい…、しかしそれは決して混沌と濁っているのではなく透明です。何とも矛盾した言い方になってしまいますが、それ程柔らかく繊細な響きなのです。「聖なるかな」と歌い出されるサンクストゥス(第三曲)、これほど憧れに満ちたフランス音楽が他にあるでしょうか?、ハープの伴奏と弱音器を付けたヴァイオリンが本当に美しい…、夢心地のようです。全曲の白眉、ソプラノ独唱を持ったピエ・イエズス(第四曲)、フォーレの音楽家としての最高のアイデアが迸り出た曲、私は聖母マリア様が歌ってくれているように錯覚しました。哀悼の音楽なのに、私は罰当たりにも幸せ(法悦)を感じてしまいました。永遠の安息を願うアニュス・デイ「神の子羊」(第五曲)とリベラ・メの「我を解き放ちたまえ」(第六曲)、死に行く人間の願望と見送る人の哀惜、それが相俟ってこの音楽としては人間的な色彩を帯びます。生けるもの全てへの共感と憐憫が感じられました。そして最期は天国にて(第七曲)、天使が死者の霊を天国に導きます。優しいフォ−レの優しい音楽、決してがなりたてる事のない静かで奥床しい風情、知性と気品に溢れています。それは受けよう売ろうと言う下心のない精神、そんな清潔な音楽がこの世に存在する事を知るのも大切な経験です。

 最後に、作曲が仕事の解説者はいみじくもこう述べました。「フォーレは誰のためにレクイエムを作曲したのか? それは自分のためである」と。「自分に書いたから、このような素晴らしい曲が書けたのだ」と。正にその通りでしょう。その創作の手前に捧げるべき人がいて、その創作の先に聴衆がいるのです。その作曲の動機は父や母の死でしょう。しかし、自分が好み愛せる自分が聴きたい音楽を書いたのです。偉大な創作家にはそれしかないのです。解説者はそれを骨の髄まで知り尽くしているのです。司会の女子アナは分からないようでしたが…。
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2011年07月20日

音楽の話51 さだまさしアルバム帰去来を聴いて 2011.07.20

 我が家の車の中には沢山のCDが入っています。その大半は妻の愛するさだまさしの歌で、二人で乗る時は必ずさだを掛けています。勿論、私一人で乗る時は家のCD庫からブラームスを始めとしたクラシック音楽を持ち込み聴いていますが、何時も車を使い聴いているのは私なので、妻が一緒の時ぐらいはせめて妻の好きなものに譲る事にしているのです。しかしそれでも、旅行で2日以上“さだ漬け”になるといい加減辟易してきます。暗く重いさだ(の歌)、皆様もご想像できる事でしょう。ところが私の愛するブラームスも重く暗い…、常にそれに親しんできた私は「重く暗い」に益々耐性ができているようで、辟易しながらもさだを最後まで聴き通してしまいます。しかも多種多作で400曲もあるので、手を替え品を替え、案外楽しんでしまうのです。私曰く、「さだまさしは日本の歌謡界には類稀な破格の吟遊詩人だ!」です。

 先日、お盆の法会に向かった折りに妻が掛けたさだのCDの声は妙に若やいでいました。直ぐに尋ねてみると、そのCDはまださだが二十代の時に吹き込まれた“帰去来”と言うアルバムでした。少し前、コンサートに出向いた折に購入したものだそうです。デュオグループ“グレープ”を解散した直後のもので、さだの再始動再浮上の原点となった作品でした。@多情仏心、A線香花火、B異邦人、C冗句、D第三病棟、E夕凪、F童話作家、G転宅、H絵はがき坂、I指定券、J胡桃の日、K多情仏心が納められており、正に意欲的な力作と言ってよいアルバムでした。何よりも私が気に入ったのはその若きさだの声…、現在のさだが失ってしまった三つの美点、伸びやかで透明な高音、端正で丁寧な歌い回し、溢れる気品がありました。歌っていいなと本当に思える心地よさがありました。
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2011年07月19日

音楽の話50 N響アワー パパ・ハイドンの栄光を視聴して 2010.07.17

 一昨晩のN響アワーは、パパ・ハイドンの栄光と題してウィーン古典派の大作曲家・フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの偉業と、後の作曲家への影響を紹介していました。演奏された曲目はハイドンの交響曲第104番「ロンドン」の第一楽章、そしてプロコフィエフの古典交響曲OP25とブラームスのハイドンの主題による変奏曲Op56aでした。

 「ロンドン」交響曲はハイドンの二度に亘るロンドン訪問で発表された曲の一つである事からのちに「ロンドン」の名が着きました。ハイドン最後のシンフォニーで、ハイドンの特徴である短い旋律が小気味よく展開される爽快極まりない印象が残ります。ハイドンの音楽の極意とは心身の健やかさと私はみました。何時どんな時でも決して悲観的にならない陽性な力強い音楽です。

 プロコフィエフは20世紀の音楽家で、当時の流行である古典への回帰を目指した新古典主義の作風を示した作曲家でした。その代表作である古典交響曲を書いた動機は、20世紀の今日(当時)に、もしハイドンが生きていたならきっと現代の趣味も交えてこんな古典形式の交響曲を書くのではないか?、と実験したかったからなのだそうです。まあ、真面目なハイドンに比べればプロコフィエフは一寸天の邪鬼ですが、端正で爽快な明るさは十分ハイドン的だと思われました。

 ブラームスのハイドン変奏曲はブラームスのハイドン研究の副産物として生まれた曲です。ブラームスはそれまで存在した過去の音楽を徹底して研究した人で、ハイドンもその内の一人でした。ある日ハイドンの管楽器のための「ディヴェルティメント」の楽譜を見ていたところ、「聖アントニーのコラール」と記された旋律を発見しました。この旋律自体もハイドン作とは断定できないそうなのですが、ハイドンの譜面から見付け出されたので、後にこの旋律を主題として作られたこの変奏曲名をハイドンの主題による変奏曲としたのでした。ロマン派のブラームスの作品は前二曲に比べ、形式を重んじる点を除けば全く違う作品と言ってよいでしょう。主題旋律こそハイドンの姿そのままですが、変奏に至ると重いブラームスの感情が覆い被さって来ます。「ここには人間の一生がある」と言った指揮者もいたそうで、人間に拘ったブラームスの面目躍如たる傑作なのです。明るく爽やかな前二曲とは異次元の曲であり、これがロマン派なのです。

 番組が触れなかったハイドンのもう一つの運命をここで紹介しておきましょう。
 生前ないし死後暫くの間、ハイドンは栄光に包まれていたようです。この古典派の時代に最も楽譜が売れた作曲家がハイドンであったそうで、モーツァルト、ベートーヴェンを差し置いて当時はナンバーワンの作曲家だったのです。何しろ時代に適う爽快で健やかな音楽であったために王侯貴族は元より一般市民にも遍く愛されたのでした。ところが、十九世紀・ロマン派の時代になると次第にハイドンの評判は陰り、モーツァルトやベートーヴェンの陰に隠れるようになりました。その大きな原因はモーツァルトやベートーヴェンが持つ芸術のカリスマ性に比べ、一見凡庸なハイドンが劣るとみなされ、ある意味軽蔑されるまでに至ったのでした。演奏会に取り上げられるのは一部の標題が付けられた交響曲や室内楽に限られ、その他の大半の曲は眠りに就かされてしまったのでした。

 これに警鐘をならしたのが、19世紀の一部の音楽学者(フェルディナント・ポールなど)とポールの友人の作曲家・ブラームスでした。更にブラームスが無意識のうちに先駆けとなった新古典主義が20世紀に起こると、プロコフィエフを始めとした多くの作曲家が古典形式を重んじた作品を作るようになりました。するとやがて当然ながら交響曲・室内楽の父(始祖)・ハイドンを見直す機運が高まったのでした。今日、交響曲の全曲演奏や眠っていた室内楽や声楽曲にピアノ曲も多く取り上げられるようになり、ハイドンは完全なる復活を果たしたのです。但し、相変わらず芸術ファンはカリスマのドラマティックが好きなようで21世紀の現代でも、@モーツァルト、Aベートーヴェン、Bハイドン、のウィーン古典派の人気順位は19世紀のまま不動です…。

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2011年07月11日

音楽の話49 N響アワー、プロコフィエフ面白かった 2011.07.10

 昨晩のN響アワーのセルゲイ・プロコフィエフのピアノコンツェルト第2番ト短調Op16は中々楽しめました。若さ故の力感のある尖った曲でしたが、ピアノの音と音響への飽くなき欲望が感じられ、なるほどプロコフィエフ、納得しました。その音のダイナミクスの興奮と官能が唐突と気紛れの筆致によく寄り添い圧倒的でした。クラシック音楽はこんな斬新な楽しみもあるのですね。 それにしてもこのピアニスト、もの凄い汗掻きですね。驚きましたし、心配もしました。滝のような汗が間違いなく鍵盤を濡らしており、鍵盤が滑って大ミスを犯すのではないかと…。まあ、良く聴き取れませんでしたが、大丈夫だったようですね。但し、汗みどろのハンカチをピアノのチューニングピン傍のプレートに置いたのを見ては、今度はピアノが心配になりました。薄く錆止めが必用かもね…。とにかくそれ程の熱演だったと言う事ですかね…。

 
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2011年07月04日

音楽の話48 N響アワー、モーツァルト・ジュピターシンフォニーを視聴して 2011.07.03

 長らくドラマ〜仁〜に夢中だった私の許に、N響アワーが帰って?きました。〜仁〜終了は残念ですが、これで心置きなくN響の演奏が鑑賞できます。しかも今夜の演目は何とモーツァルトの“ジュピター”であり、これは聴かねばならぬと思いテレビのスイッチを押しました。

 しかしこんな事を書くと皆様は不思議がるかも知れません。幾らでもテレビ機能を使えば録音録画が出来るではないかと…。ところが我が家のテレビは旧式のテレビだったので地デジは勿論の事、録音録画もできなかったのです。つい最近、遅ればせながら録音録画可能の地デジテレビを買いました。今後は使い方を学び、行く行くは録音録画機能を活用しオペラなどを楽しみたいと願っています。

 さて、モーツァルトのジュピターですが、解説者・西村朗氏の言わんとしていた諸説が見事に演奏に反映されており、まずまずよかったと思います。特にモーツァルトの作曲技法の粋を見せつけた第一楽章と終楽章は良かったと思いました。この二つの楽章に限っては爽やかな余韻が残る秀演でした。但し、第二楽章のアンダンテカンタービレと第三楽章のメヌエットはニュアンスの乏しい平板な出来でした。このアンダンテカンタービレは晩年のモーツァルトの心境を最大限に映す諦観に溢れた曲の白眉であり、こんなに何も語れないおざなりの演奏ではモーツァルトではありません。この指揮者、モーツァルトの緩叙楽章をやるには十年早いと言わざるを得ません。技術は秀でも情感が劣ではモーツァルトは詰まらないのです。

 この後に演奏されたアシュケナージ指揮の合唱曲アヴェ・ヴェルム・コルプスは、これはもう晩年のモーツァルトの心境が余すところなく出た慰めに満ちた演奏でした。音楽って良いな、モーツァルトって良いなと心底思える涙の感動がありました。

 余談
 司会の女子アナの悪声、何とかなりませんかね…。極めて耳触りが悪いのですが…、彼女には可哀想ですが…、私は音・声に厳しいのです。プロなんですからね…。
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2011年06月21日

音楽の話47 柴田杏里・ギターコンサート 2011.06.19

 一昨日は私のお客様の松島和子さんプロデュースのギター演奏会に行ってきました。チケットではギターソロは柴田杏里さんとなっていましたが、不勉強の私故、初めて知るお名前で杏里さん?…、はてさて男性か女性か?…それすら分からずそれを楽しみに?、私は会場に出向いたのでした。…果たして男か女か?どんなギタリストの方だったかですって?知りたい? 残念?女性ではなく、今年還暦を迎えた私とほぼ同世代の男性のギタリストでした。

 「クラシックギターの演奏はとても難しく骨の折れる行為である」と、昔の知り合いのギターの先生が嘆いていたのを聞いた事があります。私も少しの期間、練習をした事もあり、その熟達への困難さはよく知っています。柴田杏里さんも自らのあがり症を告白し、ステージでのギター演奏の困難さに触れていました。しかし、私にはそんな苦しさは皆目感じられませんでした。敢えて言うなら冒頭の一曲目にやや戸惑いがあったようですが、プログラムが進むに連れ全開となり、充実した演奏を繰り広げていたと思われました。思わず私は「ギターっていいな!」と呟いていました。ピアノとはまた違う繊細なタッチ、アットホームな優しい響き。一時の贅沢な時間と寛ぎをくれたのでした。

 この日の呼び物は何と言ってもバッハのシャコンヌで、私の期待もそこにありました。30の精緻なシャコンヌと言う形式の変奏曲で、本来はヴァイオリンの名曲ですがそれのギター版であり、こんな難曲をギターでしかも暗譜で弾くなんて驚きました。杏里さんは並大抵のギタリストではありませんね。但し私としては、ブラジルを始めとする南米の曲や、グラナドス、アルベニスのスペインの作曲家の作品により親近感を覚えました。実にお洒落でエキゾティックでこれぞギターと言える素敵な演奏でした。
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2011年06月19日

音楽の話46 ある指揮者へのお礼状 

 大分前、指揮者で音楽教育家のある方のピアノの調律に伺ったところ、私はその方から三枚のCDを頂きました。それは、ご自身が指揮をされたアマチュアのオーケストラの演奏のもので、過去数回の演奏会の会場録音のものでした。その時、「後日でもいいから感想を聞かせて欲しい…」と請われたので、私は以後数十日間、その三枚のCDを長時間掛けて何回も聴かせて頂きました。そしてお礼状を差し上げ、その中で若干の拙い感想を述べさせて頂いたのでした。以下にその感想の一部を抜粋して掲載いたします。

 …前略…

 さて、本題の三枚のCDについて申し上げます。
まずは立派なCDを頂戴しありがとうございました。有難く拝聴しました。今日までに都合十数回は聴かせて頂きました。二年前に頂いた第三シンフォニー「英雄」にも驚かされましたが、今回も同様に驚愕しました。ベートーヴェン、素晴らしい出来栄えでした。第一、第五、第七シンフォニーに於いては、テンポ、リズム、ハーモニーのベイシックがしっかりしており、フォルテッシモの全合奏は本物のシンフォニーの響き、正にベートーヴェンの精神が輝いて聴こえ感動しました。歪みのない端正な造形の中に力強い力感が籠められており、見事な効果を上げていると感心しました。そして心憎い歌い回しの妙、三曲の緩叙楽章が美しいのは旋律の歌い回しに長けているから…。その歌い回しで強い説得力を生み出しているから…。自然に心に入ってきて心を揺らし、聴き手を偉大な人間ベートーヴェンへ導きます。歌う事、この得難く素晴らしい音楽表現は貴方の得意分野と私は推察しました。

 …中略…

 最後にワーグナーとブラームスのCDについて私の私見を交えて述べさせて頂きます。
 この時代の批評家フーゴ・ヴォルフは、よくワーグナー及びリストと敵対するブラームスとを比較して論じていました。勿論、ヴォルフはワーグナー派の人なのでワーグナーを持ち上げ、ブラームスをこき下ろす立場を取っていました。その言によれば、ワーグナーは充実から創作を試みるが、ブラームスは充実を渇望するところから創作を始めると指摘しました。当たらずと雖も遠からず、と言えるかも知れません。ヴォルフは中々鋭い鑑賞眼を持っていたのでした。私は若い頃にこの言葉に拘って随分両者を比較して聴いたものでした。その結果、やはり私は例え渇望から生まれようともブラームスの妥協のない真剣な愛の音楽を一番に愛していると再確認したのでした。勿論、ワーグナー派の人々の音楽を嫌う事は全くなく、作品によっては定番の愛する曲も多々あります。但し、劇場的娯楽作品が大半で、それはそれで楽しめばよいのですが、ブラームスのような愛、希望、信頼(信仰)の三つの精神を前面に押し出しての人間音楽はそれ程多くはないと感じるのも確かです。

 頂いた三枚のCDの内の一枚は正にこのロマン派の両巨頭の代表作、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」とブラームスの管弦楽用の「ハイドン変奏曲」でした。私は大変な興味を持って聴かせて頂きました。何回も納得・得心するまで聴きました。

 ワーグナー、美しい…。ヴォルフの伝で言えば、充実しきった満足から生まれていると言わざるを得ません。勿論、その美しさの理由は、この「ジークフリート牧歌」が名曲であるのと同時に貴方の演奏が素晴らしかったからに他なりません。オーケストラもよく貴方の意向に応えて細部にまで鮮やかさが増しています。私はこの美しさに驚き、陶酔し、最後は感動して胸の熱くなるのが感じられたのです。ワーグナーは血湧き肉躍り、その斬新に驚嘆し、壮大なフィクションに熱狂し陶酔するだけのものと思っていた私には驚きでした。この「ジークフリート牧歌」には、一庶民の日常の愛と安らぎがあったのですね…。私はそれを貴方の演奏から体感する事ができました。素晴らしい…。

 一方、もう一人の指揮者の方のブラームスの「ハイドン変奏曲」ですが、多少不鮮明さの残る決して美しい響きの演奏ではありませんでした。しかし、終りに向かうに従って次第に感興が増して、音楽は形になってゆきました。そのそこかしこに庶民ブラームスの愛の精神は現われていたと感じました。まあ、ブラームスは音の美による陶酔熱狂ではなく、愛燃える心の音楽、それは十分達せられていたと思いました。

 …以降略… 
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2011年05月28日

音楽の話45 ブラームス歌曲「まどろみはいよいよ浅く」について 2011.05.29

 先日取り上げた「歌の調べのように」op105-1と同時期に作られた歌曲、あの美しきアルト歌手ヘルミーネ・シュピースに捧げられた名歌曲「まどろみはいよいよ浅く」op105-2を紹介しましょう。この二曲は性格のまるで違う好一対の歌曲と言えます。「歌の調べのように」は明るく活発で一寸蠱惑的な乙女の風情を描いた曲です。グロートの詩も意味深く見事で若き乙女の香りがそこはかとなく漂っています。反対に「まどろみはいよいよ浅く」は深い悲しみに沈んだ女を著わした曲と言えます。ヘルマン・リングの詩は極めて直接的な表現でそこにロマンの想像性や詩的創造性が足りない気がします。何故ブラームスはこのように取るに足らない詩に歌を付けたのでしょうか。それにはブラームスの詩の選び方に独特な個性があった事が起因しています。ブラームスは詩の芸術としての善し悪しよりも歌を付け易いリズム感のある詩を好んで使っていたようです。その端的な表れは民謡を好んだ事、民謡に曲付けをしたりドイツ民謡集の編纂にも大きな貢献をしました。取るに足らない詩「まどろみはいよいよ浅く」もそのようなブラームスの嗜好には都合のよい詩であったのでしょう。詩から受ける印象よりも何十倍も魅力的なイメージにして正にこの詩を大変身させています。ブラームスにとっては詩より自分の音楽的イメージが大切であり、自分の音楽こそは詩の何倍もの意味を表現できると確信を持っていたのです。

さて「まどろみはいよいよ浅く」ですが、常に悲しみの感情を深く潜行させていきます。二度感情を高ぶらせますが、直ぐそれも萎えて悲しみの中に沈んで行きます。その歌そのピアノ伴奏のどの一音を取ってみても、それは深い悲しみに覆われています。ブラームスもこの女主人公の悲しみに心底共感しています。心底同情もしています。そしてそれはやがてもっと偉大な芸術的境地へと駆け上がって行きます。この悲しみを万人のものとする普遍性を…。その普遍性こそがブラームスの芸術的境地・諦観なのです。

当時、若かったヘルミーネはどうやってこの歌を歌ったのかしらネ。まあ、「歌の調べのように」は地で行けたでしょうが、この歌は恐らく想像を駆使しての骨の折れる歌唱だった筈です。でもブラームスを虜にしたその人その歌唱、とんでもない想像力の持ち主だったのかもね。美しきヘルミーネの写真を紹介したいのはヤマヤマですが著作権があってままなりません。私が絵を上手なら描いてさしあげるのにネ? 残念です。ホントに愛らしく素敵な女性です。

まどろみはいよいよ浅く ヘルマン・リング・詩

わがまどろみはいよいよ浅く、
わが憂いは、ヴェールのように
震えながら、おおいかぶさってくる。
私はよく夢の中できく、
あなたが戸口の外で叫んでいるのを。
誰も皆寝静まって、
戸を開ける者もいない。
私は目を覚まして、
むせび泣く。

そうだ、私は死なねばならないだろう。
私が蒼く冷たくなったとき、
あなたは別の女に接吻するだろう。
五月のそよ風がふく前に、つぐみが森でうたう前に、
もう一度、私に会うつもりなら、
おお、早く来てください!   志田麓・訳詩
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2011年05月23日

音楽の話44 ブラームスの歌曲「歌の調べのように」について 2011.05.23

先日、音楽の話42で取り上げたブラームスの歌曲の一曲、クラウス・グロートの詩による「歌の調べのように」について一言…。以下に志田麓氏の訳詩も載せてみました。ご参考までにどうぞ…。

歌の調べのように  クラウス・グロート・詩

歌の調べのように何かが
そっとわたしの心をよぎり、
春の花のように咲きでて、
花の香のように漂ってゆく。

けれども、言葉でそれを捉えて、
目の前に想い浮かべようとすれば、
灰色の霧さながらに色褪せて、
鏡面の息の曇りのように消える。

さりながら、詩歌のなかには
ある香気が秘められていよう、
それは、涙に濡れた眼がやさしく
静かにふくらむ蕾から誘う香りだ。   志田 麓・訳詩

 何とも仄かな恋心が詠われています。この詩を書いたクラウス・グロートはブラームスと同郷の詩人であり友人でもありました。共に集い、冗談を言い合ったりした気心の知れた友、しかも一人の若き女性を愛した恋敵?でもあったのです。その女性の名はヘルミーネ・シュピース、ビロードの歌声を持つ才気に富んだアルト歌手でした。二人は夜を徹してヘルミーネについて語り合い賛美し合いました。そんな夜、この詩は生まれたのです。直ぐにブラームスは詩に歌を付け一曲の歌曲に仕上げました。この詩、この歌、二人のヘルミーネに寄せる思いがピタリと寄り添った歌曲、こんなに優しく思い遣りの籠った歌曲は二つとないでしょう。美しい名歌です。

 さてヘルミーネはこの二人の内どちらを愛したでしょうか?、勿論ブラームスですよね。ヘルミーネはブラームスの求婚を待ち侘びていたと言われています。優柔不断、罪な男ですね、ブラームスは…。結局二人の恋は自然消滅となったのですが、この恋で多くの傑作歌曲が世に出たのです。勿論捧げられたのはヘルミーネ、レパートリー・財産としたヘルミーネは誇りと愛着を持ってこれらの歌曲を歌い続けたそうです。取り分けこの「歌の調べのように」はヘルミーネのテーマ、この曲こそは正にヘルミーネの生き写しのようだと謂われています。

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2011年03月27日

音楽の話43 平原綾香、ジュピター熱唱 2011.03.27

 今さっき、夕飯時にフジテレビから流れてきた歌にシビレました。それは平原綾香が歌うジュピターで、入魂の歌唱に胸を打たれました。その迸る情熱と表現への飽くなき探求心・集中力、私はその芸への献身と努力に心打たれたのです。オクターブを上げ下げして同じメロディーを二通りに歌いこなす、その音色の変化に驚きました。誠に音域が広くなければできない技、低音から高音まで見事に歌い切れていました。これは普段(不断)の努力の結果でしょう。きっと、被災地の皆様に、その情熱は届いた事でしょう。何の苦労もしていない私にも、確実に届きましたからね…。

 因みにこの歌の原曲について一言。
 この歌は平原の提案によって選曲され詞が付けられたものです。原曲はイギリス近代の作曲家グスタヴ・ホルストの管弦楽組曲・「惑星」の第4曲・「木星」の第4テーマ、アンダンテ・マエストーソです。長大な全曲の中で最も有名な件で惑星とはこの曲と思われている方も多い事でしょう。実は私もそうで、この木星ばかりが際立ち全曲的には余り印象に残らないのです。本当は7曲あり、火星、金星、水星、木星、土星、天王星、海王星と続きます。ところがそれを良く見ると最初の三つの順がおかしく、しかも地球は入っていません。それはその作曲の動機が天文学を元にしたのではなく、占星術に因っているからだと一般的には言われているそうです。面白いですね。
                                      参考:ウィキペデァ、グスターヴ・ホルストより

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2011年03月21日

音楽の話42 ブラームスの歌曲が胸に染む 

 今日もまた、私の熱源・ブラームスを聴いています。今夜は大好きなソプラノのジェシー・ノーマンの歌う歌曲にしました。「テレーゼ」Op86―1、「死への憧れ」op86-6、「ひそかな憧れ」op91-1、「聖なる子守唄」op-91-2、「ジプシーの歌」op103-1〜11、「歌の調べのように」op105-1、「まどろみはいよいよ浅く」op105-2など。

 ピアノの前奏も後奏も極めて短いシンプルな曲ばかりですが、豊かな感情の旋律がたゆたう愛すべき歌達です。やがて私のハートは深い安らぎに満ちて私は柔らかい涙を流します。それは決して不幸な涙ではなく、愛潤う幸福の涙です。

 歌曲の作曲家は短命な人が多いのですが、ブラームスはその中でも比較的長生きをした人です。ですから歌曲でも色彩感は地味ですが、人生を探求する重みが感じられます。「死への憧れ」や「歌の調べのように」それに「まどろみはいよいよ浅く」などは人の世の無常を感じさせる大人の音楽です。真に絶品です。
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2011年03月19日

音楽の話41 ブログ書き、防寒着でブラームスを聴きながら 2011.03.19

 今さっき、墓参と買い出しのブログを書きましたが、その折、暖房は使わず長袖シャツに股引き、上下のスエットにセーター、そして別のセーターの袖を襟巻代わりにした出で立ちで事を成しました。しかも灯りは手元の電灯のみ、電気も石油も供給不足なので、窮余の策として私が考えたのです。そして、あと一つの大きな熱源、それはブラームスの音楽…。二曲のヴィオラソナタを聴きました。ヴィオラの暖かい音、女声とも男声ともつかぬ中性的な音色、そのしっとりとして切ない音が諦観を滲ませ私を温め慰めてくれたのです。更にピアノの力強い前向きの響き、善意と情熱の迸り、正に百人力の暖房でした。
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2011年03月11日

音楽の話40 映画「ショパン…」の追伸

 映画の中で、ショパンとサンドが出会う社交サロンをロスチャイルド家と称していましたが、これは故意に違えた設定の名で、本当はマリー・ダグー伯爵夫人のサロンの事です。若く美貌のマリーは、このサロンの女主人、年老いたダグー伯爵と政略結婚をさせられた身の有閑マダムでした。当時は、この映画にも顔を出していたショパンの親友の大ピアニスト・フランツ・リストと恋仲でした。勿論不倫の恋で、何と暫く後には二人はスイスに駆け落ちをしたのです。後に大作曲家R・ワーグナーの妻となるコジマを始め三人の子を儲けましたが、結局は不和となり別れました。しかし、ワーグナーとコジマの血は現代でも絶える事はなく、子孫は今もワーグナーの作品の演出家として活躍しています。…と言う事はリストとマリーの血も現代に脈々と流れ生き継いでいると言う事です。マリーさん、貴女は生きてる、本当に素敵な事ですね!

 映画でのリスト役は余り上品ではなく、本物とは月とスッポンでしたが、そんな事はどうでもよく、私はマリー・ダグー伯爵夫人が観たかったのです。映画を観る前から、マリーは必ず出てくると思い込み、それは楽しみにしていたのです…、残念でした。まあ、何時かフランツ・リストの映画が出来ればマリーの艶姿が拝めるのでしょうね。楽しみです…。

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2011年03月10日

音楽の話39 映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」を観て

 珍しく映画を鑑賞してきました。私が新聞の広告で見付けて決めた訳で、妻を誘ったら喜んでついて来ました。

 美男美女のオンパレードで男にしても女性にしてもそれなりに楽しめました。但し内容はマザコンの親子・ジョルジュ・サンド親子とショパンの激しい嫉妬による相克…。まあ、物語を物語として劇的に盛り上げるにはこのような手法は致し方ないと思われますが、余りにドロドロしていて気持ちの良いものではありませんでした。普通はもう少し誇り高い尊厳があると思うのですが…。特にサンドの描き方が汚らしかったです。私が思うには本当のサンドはもう少しいい人であった気がします。さもなければショパンは病身であれだけの量の傑作をものになんかはできません。きっとショパンはサンドに病の体を癒されていたと思われます。気持ち良く曲作りが出来るようにと…。何がどうなって二人は別れたのか本当のところは謎でしょう。しかし、別れて直ぐにショパンは死んでしまいました。如何にショパンには守護女神が必要であったか分かろうと言うものですね。残念な事です、別れずにいたなら、もう少し名曲が増えたであろうに?と思われます…。

 音楽は全編に亘り素晴らしいものでした。プレイエルその他のピアノで奏でられるコンツェルト、ワルツ、ノクターン、マズルカ、プレリュード。そして何よりも素晴らしかったのがエチュード。「革命」、「黒鍵」、「エアリアン・ハープ」。ピアノだけが持つ音の魔術、誰をも虜にする旋律の歌い回し、完璧なまでの完成度。正に不世出の天才ですね。改めて驚愕しました。 
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2011年01月09日

音楽の話38 スティールパンて言う楽器知ってますか?

 今日の午後は私のお客様でエレクトーン奏者の松島和子先生の御推薦でパンポップパラダイスと言うグループのコンサートに行ってきました。このグループは日本では漸く注目をされ始めたスティールパンと言う楽器のアンサンブルだと聞きました。果たしてどんな音が鳴るのやら、私は皆目見当が付かず恐る恐る、しかし興味津々に開演を待ちました。

 鳴った瞬間驚きました。管とも付かず、弦とも付かぬ、面白い音…、ピアノにも似ているし、チェレスタのようでもあるし…。太鼓や鉄琴のようにスティールのドラムを撥(スティック)で敲いて鳴らすのですが、強く快活かとも思えば、柔らかくしなやかな表現も可能です。中々表現の幅の広い楽器でもあるのですね。大きさも幾つもあり、低音用から高音用までこのグループでは五種類ぐらいあり、素敵なアンサンブルが出来るのでした。これがドラム缶で出来ているなんて、しかも一つのスティールパンで音階が可能だなんて! そして更に南米のトリニダード・トバコ生まれだ何て! 本当に私にはカルチャーショック以外の何ものでもありませんでした。このグループ、女性七人男性一人の編成ですが中々のタレント揃いで魅力的です。大変楽しいステージでした、気に入りました。情熱大陸等の優れた曲は間違いなく音楽そのものでしたね。
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2011年01月04日

音楽の話37 サウンドオブミュージック

エーデルワイス
エーデルワイス
 何回観ても感動しますね、サウンドオブミュージック。アルプスの絶景に響く宝石のような歌。歌姫・ジュリー・アンドリュースの力強く伸びやかな歌が素晴らしいです。役柄から女の魅力満開とまではいきませんが、清楚な優しさは十分魅力的です。圧巻は大佐の歌うエーデルワイスの歌、祖国への愛の籠った感動的な歌です。エーデルワイスはオーストリアの誇りと言われる花で、アルプスの星と謳われています。日本名は薄雪草(ウスユキソウ)で、白い綿毛が美しく愛らしい花です。私はこの時、思い立ちました。今年はエーデルワイスを山ほど育てようと…。有らん限りの力で育てようと…。ああ、また一つ夢が産まれました。狂おしいほどに心舞い上がる甘い夢が…。
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2011年01月01日

音楽の話36 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート

 大晦日そして元旦と、夜は家にいたので、私はTXでクラシック音楽を沢山聴けて楽しい時を過ごせました。昨晩は第九、そしてクラシックハイライト、それに新年のカウントダウンのジルベスターコンサートを楽しみました。ジルベスターとはドイツ語で聖ジルベスターの日の意で大晦日を指します。コバケン(指揮者・小林研一郎の事)指揮の東フィルでマーラーの第二「復活」の第五楽章を演奏しました。私の見た目では見事なエンディングで傾れ込み興奮の坩堝と化した刹那、新年の号砲が鳴ったと判断しました。何よりもその聴衆のスタンディングオベーションのブラボーコールの凄まじさがそれを物語っていました。

 そして元旦の夜(日本時間では)の先程は、音楽の都・ウィーンのニューイヤーコンサートです。主にヨハン・シュトラウスのワルツやポルカが演奏されましたが、こちらはクラシック音楽と言えども娯楽性の強いもの、肩肘張らずに気楽に楽しめる音楽です。しかしその芸術性は高く、聴くに従って乗り乗りとなりいい気分にさせられ魅了されました。彼のブラームスもこれらの音楽を大層愛好していて二人は親交を結んだようで、ブラームスとヨハン・シュトラウスが並んで撮られた写真が多数残されています。最後の「美しく青きドナウ」では若きバレリーナのバレエの群舞が踊られていましたが、その会場は何と「ブラームスザール」(ブラームスを記念した小ホール)でした。踊り手たちは勢い良くそこから観客の待つ大ホールに傾れ込みましたが、その僅かの時間の間にドアー越しにブラームスの胸像が垣間見えました。私の感激が如何に大きかったか、皆様はお分かりになられるでしょうか? 否、きっと皆様なら私の切なる思いを分かってくださるに違いありません。
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2010年12月31日

音楽の話35 大晦日の第九

 寅年の私の還暦の年である今年も後数十分足らず、大晦日の夜も更けて行きます。今第九を聴き素晴らしい演奏に感激していたところです。これぞベートーヴェンと称えられるべき演奏で、大袈裟な振りもなくとても端正でした。

 音楽を他の芸術に負けない地位に築き上げたベートーヴェン、その最大の証がこの第九です。ベートーヴェンは常々「わたしは音の詩人になる」と公言していました。それは詩人のゲーテやシラーを意識しての言動でした。果たしてベートーヴェンは詩人になれたのか、現代ではそれを疑う者は皆無でしょう。人類の平和を命がけ(自身の病気や反動勢力からの弾圧)で音楽に表したのですから…。「大詩人」です。

 その後はクラシックハイライト2010を視聴しました。小澤征爾のチャイコフスキーや佐渡裕のヴェルディのレクイエム、樫本大進他のブラームスのピアノ四重奏曲ト短調も素晴らしかったです。でも私を虜にしたのはロイヤルバレエの吉田都のジュリエットでした。こう申すと私の女性の好みがばれてしまいますが、えっ、もうとっくにばれている? ほんともう骨抜きにされちゃいました。バレエ、オペラ、フィギュアスケート、これらは正しく女性のものですね。勿論鑑賞の側からすれば絶対に男のものですけれどね…。男に生まれた幸福を最大限に味わえる瞬間ですよね。

 最後に一言。庄司紗矢香のヴァイオリン・ストラディヴァリウスの以前の持ち主は何と彼のブラームスの盟友のヴァイオリニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムだったそうです。凄い事ですね、十九世紀後半のヴァイオリンの権威の持ち物だったんですものね。因みにヨアヒムはあの傑作・ベートーヴェンのヴァイオリンコンツェルトを世に広めた立役者です。また更に、ブラームスがヴァイオリンコンツェルトを書いている間にブラームスが辟易するほど「未だか未だか何時完成するのか」とおねだりの催促をした人でもあるそうです。既に第一楽章のカデンツを自ら作曲し初演の段取りまで決め、曲が完成するのをひたすら待っていたそうです。ヨアヒムとはそんな男です。勿論、この曲はヨアヒムに捧げられ、ヨアヒムは全ヨーロッパにこの曲を知らし示しました。
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2010年12月30日

音楽の話34 バロックの香り、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ 2010.12,12

 娘・三上夏子とその仲間がオープニングでバロックダンスを踊ったヴィオラ・ダ・ガンバのフェスティバル。その会場の一室にヴィオラ・ダ・ガンバと愛らしいチェンバロが商品展示されていました。私はその手工芸の逸品に魅了され、眺め、それに触れてみました。チェンバロに至っては弾いてみました。か細いですが雅な妙なる響きが返ってきました。ああ、いいなー、欲しいな…と思っても値段を見たら考えてしまいますね。でも…、きっと何時か…。

1、種種のヴィオラ・ダ・ガンバ
ヴィオラ・ダ・ガンバ
音域の違いがある種種の大きさがあります。それぞれに種別名があり、高い(小さい)方からトレブル、テナー、バスなどがあります。バスはチェロに似てますがチェロにあらず、もっと柔らかくくすんで落ち着いた音が鳴ります。様々な弦楽器が滅んだ中にこのヴィオラ・ダ・ガンバは現代まで生き残り今再び復権しています。静かな古の音が喧噪の現代に鳴り響くのです。

2、小型のチェンバロ
チェンバロ チェンバロ
正に手工芸の賜物。贅沢な事に大屋根の裏側や音響板には鮮やかな絵が施されています。その雅やかな風情は現代人に得難い潤いを与えてくれます。機能優先のピアノとは隔絶の感がありますね。贅と遊び心に溢れています。

 因みに演奏会では本格の二段鍵盤のフルスケールのものが使われていました。これはこの日出演されたチェンバリストの方の愛器の持ち込みだそうで、私は写真を撮りましたが、ここでの掲載は避けました。

 尚、ヴィオラ・ダ・ガンバと小型のチェンバロの写真は出展されたムジカ・アンティカ・湘南さんに許可を頂き掲載しました。
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2010年12月26日

音楽の話33 下栗の里に響く歌声

 私が今一番好きな歌は引越しのサカイのCMで使われている優しい歌、思わず聴き惚れてしまいます。〜今始まる新しい夢乗せて 明日を照らすように光の笑顔を 咲かせよう〜 うろ覚えなので正確ではないかも知れませんがそう歌われます。作詞作曲と歌はシンガーソングライターのハセガワミヤコで、ソプラノの伸びやかで爽やかな歌声は腹の底からの快感をもたらします。歌とは本来こうでなければならないと納得してしまうのです。背景は田舎の学校の教師が転任で生徒たちと泣く泣く別れ引越しをする場面。サカイがその引越しを担当しています。そしてこの場面で使われている自然の里が、長野県飯田市にある下栗(しもぐり)の里なのです。ここは南アルプスの麓にある日本のチロルと言われている天空の里で、私も前々から行ってみたいと思っていた所でした。今回このCMを知ったお陰で本気で行ってみたくなりました。来春当たり行ってみようかな…。近くにはしらびそ高原もあります。

 とにかく歌と言い映像と言い、近年にない秀逸なCMです。私的?な評価で…。

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2010年12月18日

音楽の話32 オペラ座の怪人

 昨晩はオペラ座の怪人を視聴し時間切れでブログが書けませんでした。まあ、書こうと思えば書けましたが、昨今の私は疲労困憊の体、お風呂に入って休みました。腰も痛いし…。それでも妻と娘に風呂の争奪戦で敗れて床に就いたのは日が変わってからでしたが…。トホホホ…。

 そのオペラ座の怪人、面白かったです。

 パリオペラ座ガルニエ宮(建築士ガルニエの設計)を模したセット?は広大深遠で素晴らしく、正に自分がそこに迷い込んでしまったかのような臨場感がありました。私は一人ではとても入って行けそうにないと恐怖しました。実際にも竣工当時、様々な怪事件が起こりました。一つは地下水脈を破り抜き、一部の部屋が水浸しになったとか、また一つには巨大なシャンデリアが落ちると言う事故もありました。その奇怪さも手伝ってか広大な地下空間には怪人が住むと言う噂までが広まったのだそうです。そうです、この物語はそんな話をヒントに生まれたのです。

 この映画での物語の中心は怪人のエリック、女優のクリスティーヌ、更にラウル・シャイニー子爵の三角関係にあります。何時の世も嫉妬は人間の棄てられぬ業、その苦悩と怒りが劇的な展開を生みます。ハラハラドキドキ、二人の男は剣を振り回し対決します。クリスティーヌの選ぶ男はどちらに転ぶのか? 観てる我々にも予断を許しません。しかし、最後はクリスティーヌの清純な思いに屈し、エリックはクリスティーヌを諦めます。怪人にも人の心はあったのでした。
 
 人間の愛と業、数十年後、それを見詰め直すラストシーンが意味深長でした。

 音楽は言わずと知れた優れたもの、オルガンの全奏による怪人のテーマに始まって美しい歌が目白押しです。まあ、レチタティーボ(叙唱)の違和感は私の好みではないのですが、オペラやミュージカルでは仕方のない様式なのでしょう。劇団四季のメンバーによる日本語の歌でしたが、怪人、クリスティーヌ、ラウル子爵、それにプリマドンナ、総じて歌手は素晴らしかったです。特に美しかったのは前半のクリスティーヌと先生?の娘との二重唱で、二つの繊細な声が見事に重なりました。そして見事だったのは、怪人、クリスティーヌ、ラウル子爵の息もつかさぬ歌い回しの水際立った三重唱でした。 
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2010年11月09日

音楽の話31 ファドの女王・アマーリア

 妻がポルトガルから買ってきてくれた土産の中にファドのCDがありました。勿論、妻はリスボンのレストランでライブを聴いたそうで、興奮冷めやらぬ思いを私にぶつけてきました。ギターラ(ポルトガルギター)とヴィオラ(クラシックギター)の二本のギターの伴奏で歌われ、男女の歌手が出演していたなどと教えてくれました。そしてその歌の内容も男女の下世話な痴話から人生の哀歓を滲ませる真面目なものまで幅広く奥行きがあるなどと申しておりました。私は羨ましく思い、早速そのCDを車に持ち込み、それから毎日仕事や買い物の移動時間に聴き続けました。

 CDのタイトルには英語で「ファドの女王・アマーリア」と書かれてあり、後は曲目ほか全ての活字がポルトガル語で私には全く意味不明でした。仕方なくネットで調べたところ、ファドの女王と呼ばれているのはアマーリア・ロドリゲス以外になく、このCDはこのアマーリアの歌のものであると分かりました。全十三曲の歌が入っており、どれもこれも素晴らしく私はこの歌姫に魅了され魂を奪われました。

 歌姫、それは私にとって特別の存在、オペラのマリア・カラス、ドイツリートのエリザベト・シュワルツコップ、ミュージカルのジュリー・アンドリュース、ポップスのカレン・カーペンター、歌謡曲のテレサ・テン、そんな女性たちが想い浮かびます。うぶな少女、輝く乙女、貞淑な妻、優しい母、そして魔性の女、女の喜びと悲しみ、その全てを持ち合わせその全てを歌い出せるのが歌姫。このアマーリア・ロドリゲスもそんな歌姫の一人であると私は断言できます。

 ファドは運命とか宿命を表すポルトガル語、イタリアのカンツォーネやフランスのシャンソンと並ぶポルトガルの民族歌謡です。ファドは1820年頃に生まれ、やがて多くの名歌手が生まれ隆盛を極めて行きます。そして遂に二十世紀半ばにアマーリア・ロドリゲスが現れ、絶頂を極めます。アマーリアの歌は半世紀を過ぎた今日でも全く古さを感じさせない、最も新しい今生まれたばかりのような音楽です。

 参考:ウィキぺディア・ポルトガルファド
 
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2010年11月07日

音楽の話30 ドラマ挿入曲の巧み

 先程まで観ていた草薙剛主演の99年の愛・ジャパニーズアメリカンズの挿入曲にブラームスの第三シンフォニーの第三楽章ポコ・アレグレットが使われていました。延々と展開される日系人442部隊とドイツ軍の凄惨極まりない戦闘シーンの中で…、悲しげにしかし不思議な慰めを持って美しく…。それは死に行く両軍戦士へのレクイエムのように…、その死を悼む葬送行進曲のように…。ブラームスが三十年前に死んだ恩師シューマンを偲んで書いたこのポコ・アレグレットが…、いみじくも的を射て見事に使われていました。このドラマの音楽担当をされた千住明氏の慧眼に恐れ入り感心しました。
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2010年10月18日

音楽の話29 N響アワー、「音楽ジャーナリスト・シューマン」を視聴して

 昨夜のN響アワー、ジャーナリストシューマンはよく知られた話題ですが中々面白かったです。ただ少々大袈裟だと思いました。シューマンはシューベルト、ショパン、ブラームス以外にも多くの音楽家を紹介し絶賛もしています。しかも大成せず歴史に埋もれた人も数多くいるのです。シューマンの眼力が百発百中では決してなかったのも事実なのです。シューベルトのグレートシンフォニー、ショパンやブラームスの天才。これらの傑作や傑物は何れ遅かれ早かれ世に出るものなのです。

 但し、ブラームスの創作の進路の方向付けをしたのは紛れもなくシューマンとその妻クララに他なりません。この素晴らしい夫婦の愛の幸福と悲惨な運命。二十歳そこそこの多感な青年ブラームスが間近で垣間見たこの二人。その愛と悲劇の顛末が何時の時代に於いてもブラームスの創作の原点(愛と生と死)になったのは事実です。シュ−マンの主題による変奏曲、ピアノコンツェルト一番、一連のオルガンのためのフーガ、、ドイツレクイエム、「愛の歌」ワルツ、アルト・ラプソディー、歌曲「青春の歌」(シューマンの末子フェリックスの詩)、第一シンフォニー、第三シンフォニー、一連のピアノ小品、歌曲「四つの厳粛な歌」。それらの傑作の全てはシューマン夫妻に繋がっています。それほどブラームスはシューマン一家を愛したのです。

 番組で流されたブラームスの第三の三楽章。この悲しいポコ・アレグレットは単なる甘い歌ではありません。恐らくはシューマンに寄せる葬送のアレグレットです。こんなに美しい葬送行進曲はこの世に二つと存在しません。シューマンの死から三十年も経とうと言う、ブラームス五十歳の時のシンフォニーです。
                                   
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2010年10月17日

音楽の話28 娘・夏子のピアノコンサート 2010.10.16

 我が娘・三上夏子のピアノコンサートが盛況の内に行われました。家族親族と友人達で作り上げた手作りのミニ音楽会。ピアノソロと音楽紙芝居の二本立て、美しくも楽しい欲張った音楽会です。小さなお客様の真剣な眼差しが眩しい音楽会でした。

 一部:ピアノソロ
1、エリーゼのために ベートーヴェン
 エリーゼとは誰なのか、長い間、論争がありました。実はエリーゼは誤った架空の名で、本当はテレーゼと言う名が正しいのだそうです。しかもこの曲が作られた時期には二人のテレーゼが存在していたと言う事です。現在では後の恋人テレーゼ・マルファッティがこのエリーゼのモデルに定まったようです。こんな素敵な曲を貰えて嬉しかったでしょうね。名前までも音楽史に刻まれて…。

2、トルコ行進曲 モーツァルト
 エキゾティックなトルコ風マーチ、この頃のウィーンの町ではこのような音楽が好まれていたのです。作曲家は敏感に時代の嗜好を嗅ぎ別けるものです。モーツァルトも時代に乗り、流行にあやかったのです。本来はピアノソナタ第十一番の終楽章に置かれていたもの。

3、エチュード「エオリアン・ハ−プ」作品25−1 ショパン
 同時代の作曲家R・シューマンがエオリアン・ハープのように美しいと言って絶賛した曲。正に分散和音の上に乗った甘いメロディーのたゆたいはハープそのものかも知れません。ピアノの美しい響きとくっきりとした甘い旋律はショパンにしか書けない音楽の宝石ですね。

4、エチュード「革命」作品10−12 ショパン
 ショパンは甘い音楽を書いた女性的な人と想われがちですが、この「革命」のような激しい男性的な曲も書きました。ショパンの祖国ポーランドのワルシャワに攻め入ったロシア軍に対して激しい怒りを込めて書いた曲。この「革命」はショパンの愛国心の告白でもあるのです。

 演奏はよくこなされた堂に入ったものでした。間のとれたメロディーの歌い回しにピアノの美音が重なり、官能的でもありました。成長の証が見えました。

 プログラムがやや軽いように思いました。無理難題かもしれませんが、一曲でもいいから大曲が聴きたかった…。例えばショパンのバラード一番のような…。


 二部:音楽紙芝居「動物の謝肉祭」 サン=サーンス 
 フランスのサン=サーンスが書いた見事な音楽描写力を発揮した娯楽作品。動物園の様々な動物と皮肉な目で見た人間が生き生きと描かれています。  
DSCN1519[1]
第七曲「水族館」の絵を前にした三上夏子と日本画家の直井有子さん

*三上夏子…桐朋学園大学音楽学部演奏科(ピアノ専攻)を卒業後、後進の指導並びに演奏活動もしています。特に子供のためのコンサートには力を注いでいて今回で三回を数えます。とにかく音楽は人に聴かせる事が信条と述べており、生徒さん達にも人前で弾かせるために常に手作りのサロンコンサートを企画しています。

*直井有子…女子美術大学を卒業後、同大学院日本画科を修了、後進の指導の傍ら創作活動も盛んに行っています。今回は「動物の謝肉祭」の素晴らしい紙芝居絵を描いてくれました。  

DSCN1538[1]
第十四曲「終曲」、動物皆が勢揃いしている場面、賑やかな大団円です。

 お友達の画家の直井有子さんが描いた素敵な紙芝居の絵。この精緻で色鮮やかな絵を観ながら音楽を聴きます、気の利いたお話しでその間を埋めながら…。入れ替わり立ち替わりに次々と絵は捲られ動物と人間が登場してきます。私としては第一曲の「ライオンの行進」第五曲の「ゾウのワルツ」第七曲の「水族館」第十三曲の「白鳥」が好きになりました。特に白鳥はこの組曲の白眉であり、これほどの名旋律は滅多にありません。ここでは絵と音楽が一体となり得も言われぬ白鳥の優しさに溢れていました。
 
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2010年10月11日

音楽の話27 ベートーヴェンのディアべりの主題による三十三の変奏曲 

 ベートーヴェン ディアベリの主題による三十三の変奏曲 ハ長調 作品120
 ウィーンの楽譜出版商のディアベリは、自ら作曲したワルツを主題に五十人の作曲家に五十の変奏曲を書いて貰い出版しようと考えました。そこでディアべリはウィーン在住の五十人の作曲家に自作のワルツの譜を送り付け作曲を依頼をしました。勿論ベートーヴェンもその中の一人でした。当時のベートーヴェンは「第九」や「ミサソレムニス」を抱え超多忙であり、しかも体調も悪化し最初は渋々引き受けたのでした。しかし次第にその作曲にとりつかれ、苦心惨憺の末、最後は巨大な傑作に仕立て上げてしまいました。何がベートーヴェンをそうさせたのか、この変哲もない主題の中に何を見出したのか?、それは曲を探れば自ずと解るもの…。でもそう簡単ではありません、専門家以外では。まあ、素人(愛好者)の私達はじっくりと聴いて感動をする事が大切…。そうすれば三十三曲の内の一つ一つの違いが鮮明となり、そのベートーヴェンの専心の熱意の片鱗位は覗けるでしょう。誤解を恐れず極論すれば、主題はたまたまそこにあったものでさして重要でなく、どんな主題でもその要素をとことん使い回して己の想いを語る事。それが重要であり、それこそが大作曲家の常なる指標です。

 変奏曲とは普通一つの主題の様々な要素を使い曲想を変化させていく音楽形式で、作曲家の創造性や技術力が試されるジャンルです。執拗にテーマの中の旋律・和声・リズムを分解し、そこから余すところなく様々な楽想を引き出し、幾つものそれぞれ異なる曲を作り出すのです。その内、主題の和声を変えず旋律を修飾するだけの変奏を修飾変奏と言い、要素の全てを変容させ、一曲一曲を全く性格の違う曲に変化させる変奏を性格変奏と言います。ベートーヴェンはこの性格変奏の名人だったのです。勿論、このディアべリ変奏曲も性格変奏で書かれた作品で、古今の変奏曲の中でも最高傑作の一つと言われています。

 ところで何故三十三曲かと言えば、そこにはベートーヴェンの強い誇りと決意の表れがあると言われています。それはバッハへの対抗心であり、バッハのゴールドベルク変奏曲への挑戦です。このバッハのゴールドベルク変奏曲は三十ニの変奏を持つ曲であり、ベートーヴェンはどんなに苦労しても一つでも多く書いてバッハを凌駕したかったのです。

 後にドイツ三B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを指す)を提唱したH・F・ビューローはこの三人の変奏曲の大家の作曲技法の卓越を並び称し称えました。ブラームスもこの性格変奏の大家で二人の先輩に負けない変奏曲を作りました。例えばヘンデル変奏曲やパガニーニ変奏曲などで、更に管弦楽用のハイドン変奏曲もあります。

 ベートーヴェンの音楽は不思議な魅力を持っています。耳が聞こえまいが内臓が弱ろうが、どんなに体調が悪くてもその作り出す響きは透明で清潔で喜悦があります。激しい躍動があり力に溢れた歓喜があり澄み切った祈りもあるのです。そして飽くなき人類への愛と善意に満ち溢れています。己の苦悩を人類の希望に昇華させる強い威力を持っていたのです。そんなベートーヴェンがこの三十三の変奏曲の中にも生きています。三十一変奏の深い祈りのラルゴ、三十二変奏の断固としたフーガ、終曲の典雅なメヌエット。それは正にベートーヴェンが辿り着いた人文音楽の豊饒の沃野であり、また高く巨大な峰です。 
 
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2010年10月03日

音楽の話26 N響アワー、ネヴィル・マリナーのブラームス第一番

 先程までネヴィル・マリナーの指揮でブラームスの第一番ハ短調のシンフォニーを聴いていました。

 演奏は力強く迫力に溢れたもので、特に弦楽の合奏が素晴らしくN響の力量をよく表していました。事実、番組の冒頭で流されたインタビューの中でマリナーはN響の弦楽器群を褒めており、その言葉通りの演奏がなされたのでした。マリナーはイギリスの指揮者で室内オーケストラを主催した人でもあり、弦楽合奏を大切にする人です。古典交響曲の復活を目指したこのブラームスの交響曲は当時の金管楽器に頼り切った交響曲や管弦楽曲とは異なり弦楽合奏最重要の曲であり、その意味でもマリナーとN響の共演はすこぶる最適なものでした。

 一楽章からして緩みのない端正な古典的演奏で、しかも二楽章三楽章と楽章を重ねるに従って情熱の籠った響きを醸し出し感動的でした。ひたひたと力感を高め行進する終楽章は圧巻であり、圧倒的なクライマックスに到達しました。久し振りでN響アワーの放送に心臓の高鳴りを覚えました。

 インタビューの中でマリナーが語るその師・ピエール・モントゥーとの思い出話やモントゥーとブラームスの交流関係の逸話は大変興味深いものがありました。モントゥー(初めはヴィオラ奏者)はストラヴィンスキーの一連のバレエ音楽の初演を担当したフランスの名指揮者で、彼のブラームスとはブラームスのピアノ四重奏をヴィオラ奏者として共演する縁があり、それ以来ブラームスの熱心なファンとなりました。ブラームスの交響曲を演奏する事が生涯の幸せとなり、特に第二交響曲を熱狂的に愛したそうです。モントゥー死の直前の床でモントゥーがマリナーを前にして言ったうわ言「死んだらあの世でブラームスに謝らなくてはいけない。あなたのシンフォニーを上手に演奏出来なくて御免なさいと…」。86歳になったマリナーは懐かしむように話しました。
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2010年09月29日

音楽の話25 コンサートのお知らせ

 我が娘・三上夏子がコンサートを開く事になりました。主に子供を対象にした親しみ易い音楽会ですが、大人も十分に楽しめる内容です。ピアノソロあり、音楽紙芝居の弾き語りありのワクワクドキドキものの催しです。是非一度ご覧になってください。私が自信をもってお勧めいたします。

 以下の趣旨で行われます。

 音楽会への招待状Xol.3 動物の謝肉祭  三上夏子(ピアノ・お話) 直井有子(紙芝居の絵)

プログラム
〜ピアノソロ〜
エリーゼのために(ベートーヴェン)
トルコ行進曲(モーツァルト)
エチュード・革命(ショパン)他

〜音楽紙芝居〜
動物の謝肉祭(サン=サーンス) 夏子先生の弾き語りです。面白いですよ。

2010年10月16日(土)
13:30会場 14:00開演

岩崎記念館 ゲーテ座ホール 港の見える丘公園の向かいです。

全席自由 大人2000円 子供1000円 未就学児大歓迎

チケット・お問い合わせ 
アンサンブル・サマンサ natsuko-samantha-pf@hotmail.co.jp
三上夏子ブログ     http://natsuko-samantha-pf.seesaa.net/
三上和伸メールアドレス otonotanoshimi_mikami@yahoo.co.jp
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2010年09月12日

音楽の話24 世界の小澤は大丈夫か

 大病をして復帰する矢先、今度は腰痛に祟られてしまいました。二度の停滞…、疾風の如く走り続けてきた小澤征爾にとっては悔しいものがあった事でしょう。でもそれは新たなステップと前向きに考えるべきでしょうし、休んで自分を振り返るいい機会になると私は想像していました。先日のNHKニュース9で青山キャスターの取材インタビューに答えた小澤も、やはりそのような前向きの心境を述べていました。

 その心境とは、「今まで世界を忙しく廻り、走り続けてきて長い時間じっくり音楽を考える事がなかったが、今回大病をしたお陰で時間が持て音楽と向き合えました。そして今は改めて音楽を素晴らしいと想い益々大好きになりました」。

 この言動は驚くべきものであり、この時、私は初めて小澤の演奏を聴いてみたいと思いました。音楽の極意を悟った生まれ変わった小澤の演奏が…。そうです、音楽とはただ音楽的に美しく見事に演奏すればいいものではありません。絶え間なく演奏活動をしていれば、そんなものはすぐ上達するのです。そうではなく、そこに人の心のあらゆる感情と精神が表せなければならないのです。考えを尽くし想いを尽くして演奏されなければ面白く聴けない音楽も沢山あるのです。感動で打ち震え打ちのめされる最高の音楽が…。その稀有の音楽の奥義の存在が、今回の小澤の言葉の端々に感じられたのです。

 まあ、チャイコフスキーもいいですが、何よりもベートーヴェンとブラームスの最高のシンフォニーが聴きたいですね。「英雄」「運命」「第九」、そして「ブラ一」「ブラ四」、何れその機会がある事を念じています。

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2010年09月05日

音楽の話23 三上夏子主催、サロンコンサートVol.8〜ダンス!ダンス!ダンス!〜

野口英世記念館・長浜ホール
 玄関の前に生茂る楠の大木、それに映える白と緑の木造の建物、長浜ホールは本当に素敵な可愛いホールです。そんな可愛いホールで更に可愛らしいお友達が音楽会を開きました。

 今回は小さな幼稚園生から小学六年生までが演奏をしてくれました。ソロやご家族と一緒の連弾、そして皆で歌う合唱の伴奏をしたり、何時ものバラエティーに富んだ楽しい音楽の集いでした。
 
 因みに曲目を紹介いたしましょう。

1、もりのおんがくかい(外国民謡)
  かっこう(ドイツ民謡)

2、おばあちゃまのお話し(メトード・ローズより
  はれのくも(三善晃)
  みみをすまして(もりのなかでより)
 
3、ちょうちょ(もりのなかでより/スペイン民謡)
  とんでうつって(三善晃)
  きのいいあひる(ボヘミア民謡)
  なみをこえて(ローザス)   

4、歌うねずみ(トンプウソンより)
  かわいいおんがくか(ドイツ民謡)

5、側天運動(バーナム)
  ダブリンの町(トンプソンより)

6、かえるのコーラス(トンプソンより)
  チム・チム・チェリー(メリー・ポピンズより)
  きらきらぼし(フランス民謡)

7、ララルー(ワンワン物語より)

8、チャップスティック(ヒルスター)
  15の練習曲より5番(ツェルニー)

9、ピエロ(カバレフスキー)
  楽しき農夫(シューマン)

10、むかしの歌(メトード・ローズより)
  ファとの約束(三善晃)
  大きな古時計(ワーク)

11、チューリップ(井上武士)
  30番の練習曲より8番(ツェルニー)
  ワルツaモール(遺作)(ショパン)

 そして三上夏子先生による模範演奏です。今回はポピュラーのピアノ曲で、久石譲のオリジナル作品の『人生のメリーゴーランド』を弾いてくれました。久石ワールドの華やかで繊細な感性が余すところなく表現されていました。立派な演奏でした。

 第二部は楽しい楽しいダンスの時間。マーチ、ガボット、メヌエットなどをお友達のピアノ演奏に合わせて踊ります。パパもママも子供と一緒に輪になって踊ります。自らがバロックダンスの踊り手である三上先生が皆にバロックダンスのイロハを教えてくれます。和気あいあいと大声で笑いながら沢山の汗をかきました。「ああ、面白かった!」。

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2010年07月28日

音楽の話22 ブラームスにはじまりブラームスにおわる


 釣りの世界では、よく「釣りは鮒にはじまり、鮒に終わる」と言うそうですが、私の音楽遍歴では、「ブラームスに始まりブラームスに終わる」が偽りのない所だと思います。十五歳の折に初めて買ったLPレコードはカラヤン指揮のブラームスの第一交響曲でした。それから四十五年の長い歳月、私はクラシック音楽を始め様々なジャンルの音楽を聴いてきました。ビートルズやサイモンとガーファンクル、カーペンターズにも酔いしれました。しかし歳を取るに従って多くを知り、人が解り、芸術を理解できるようになると、やはり、私を強く捕えて離さなかったのは西洋のクラシック音楽に他なりませんでした。バッハ、ヘンデルのバロック、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのウィーン古典派、ショパン、シューマンのピアノ、ワーグナー、ベルディのオペラ、ブルックナー、マーラーのシンフォニー、そしてシューベルト、シューマンの歌曲等々。どれもこれも素晴らしく私の心を捕えました。

 しかし、そうであったとしても私が最も熱狂するのはブラームス、最も愛するのはブラームスの音楽。彼の作品は人間の尊厳を衒いなく歌い上げる至高の芸術音楽です。私が今日までの長い年月に培ってきた音楽鑑賞眼で、この人の人間性と芸術を述べてみましょう。それは極めてシンプルでただ一つ、自己以外の人間のために涙を流す事です。人の痛み人の悲しみを自分の事として心で理解できる事です。そんな愛を積み重ねた末の永遠の美学・諦観をその音楽に籠められた事です。これこそが他の音楽家の誰もが掴み得なかった人間の芸術の帰結点です。私はこの音楽を知り得た事に深く感動しています。生まれてきて良かったと心底思い、その幸運を感謝している次第です。

 ただし、今の私の心には大きくモーツァルトの比重が増しつつあります。モーツァルトの音楽もブラームスと同様の稀有の美学・諦観が感じられるからです。人を愛さずにはいられないおめでたくも得難い大切な人…、真実の人…。この二人の音楽は確実に、否絶対に、私の生涯の心の拠り所となるのです。

 諦観とは: 諦はあきらかの意、観はみる事、従って諦観とは単純に言えば、ものごとをはっきりみると言う事です。また真理を表すともされています。それらを踏まえ哲学的に言えば、真理を悟るになります。それは悟りを開いて全てを許し認める事です。さらに芸術的美学的に言えば、悟りは愛に行き着き愛の真理のメッセージを与えるになります。諦観の美学は真の愛のメッセージなのです。
 諦観とは決して諦めがいいのではありません。諦めずに修行をし最後に悟りを開く、その境地を言うのです。
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2010年07月26日

音楽の話21 モーツァルト「キラキラ星変奏曲」K.265

 この曲の成立には諸説ありますが、言い伝えの一つとしては、1778年、モーツァルト二十二歳の時に作曲されたものだと言われています。パリ滞在の折に当時流行っていたシャンソン「ああ、お母さん聞いて」を主題にして作られました。それも自分の演奏会用のレパートリーとしてだけでなく、この当時のパリのピアノのお弟子さん用にも考えられた曲でした。何とモーツァルトは弟子思いの良い先生だったのですね。しかもこんな名曲を…、天才の無限の創造力を感じない訳にはいきませんね。

 因みにその他の曲の成立にまつわる話では、1781〜82年のウィーン進出後の、モーツァルト二十五歳の頃の作だとの説もあります。このシャンソンはその当時ウィーンでも流行しており、これをテーマとして自分の弟子たちのために書いたとも言われています。

 ところで「キラキラ星変奏曲」の名は後世に付けられたもので、モーツァルトの生前には「トゥインクル、トゥインクル、トゥインクルスター」と歌いだされるキラキラ星の詩は存在していませんでした。ですから本来のこの曲の名は「ああ、お母さん聞いて」の主題による12の変奏曲 ハ長調 K.265です。私が馴染んだこのメロディーと言えばエイ・ビー・シー・ディー・イー・エフ・ジーと歌われるABCの歌としてのものです。聴けば思わず「エイビーシーディー」と歌い出してしまいます。

 *主題 単純明快で楽しげな主題、何だか嬉しくて歌い出したくなります。

 *第一変奏 さあ、始まるよ!とでも言っているよう…、滑らかにスピードを上げ、快活で生き生きとしています。

 *第二変奏 右手がとても力強くなってきました。左手は忙しなく動いています。楽しくて元気一杯と言う感じ。ご機嫌です。

 *第三変奏 ジャンプした歌い回しとトリルが小気味よくシャープです。日本的に言えばこぶしがきいている? 気持ちいい!

 *第四変奏 益々元気、右手のメロディーが官能的に響きます。正にピアノならではの美音です。  

 *第五変奏 一寸おどけて囁くようで思わせ振りな表情、不思議な感覚でお喋りしているようでもあり、踊っているようでもあります。 

 *第六変奏 元気でユーモラス、イケイケドンドンと言うおどけた感じがいいですね。

 *第七変奏 音階を多用して変化に富んでいます。ジェットコースターに乗っている感じ、目まぐるしくて爽快です。

 *第八変奏 突然ハ短調になりました。神秘的で謎めいています。過ぎ去った遠くを見詰めているようです。

 *第九変奏 また明るくなりました。皆で輪になって遊ぶ感じ、何かのゲームでもしているのかな?

 *第十変奏 壮麗に重厚に響くピアノ、音が天から降り注いできます。音の洪水に浸りましょう。

 *第十一変奏 これぞモーツァルトと言える纏綿とした情緒、正に天使の歌声、その天国的な美しさに思わず涙ぐんでしまいます。何と言ってもこの変奏曲の白眉です。

 *第十二変奏 元気に華やかに終曲を迎えました。どうだった?楽しかった? 残念だけれどもうお終いだよ、では元気でね、とでも言っているよう…。

 変奏曲とは作者の多様な感情の集合体、娘三上夏子の演奏はこれらの宝石のような感情を様々に弾き分けていました。快活、憂愁、諧謔、優美、官能、そのどれもが優しい音の中にありました。
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2010年04月22日

音楽の話20 生誕二百年の不平等

 皆様もご存じかと思われますが、今年は生誕二百年の大作曲家が二人います。ショパンにシューマンですが、どうもシューマンはショパンに比べ人気の面で旗色が悪いようです。新聞のコンサート広告などを見てもショパンの記念演奏会は沢山ありますが、シューマンのは余り見かけません。残念な事です。

 ショパンはピアノの詩人と呼ばれていますが、シューマンは何と呼ばれているか分かりますか? 実は何もないのです。シューマンこそはショパンに負けず劣らずのピアノの詩人であると私は確信しているのですが…。その作品の交響練習曲やクライスレリアーナはピアノ音楽の傑作であり、ショパンのエチュードやバラードなどに比べ、なんら遜色はありません。ただ一つ言える事はショパンの圧倒的な娯楽性の説得力による人気の高さが優る事でしょう。そのピアノの響きの甘い陶酔は他のどんな作曲家にも真似できない唯一無二の天分でしょう。しかしシューマンには優しい心があります。そっとピアノに触れる繊細で奥床しい溜息のような音があります。あのトロイメライを思い浮かべてください。そこには誰をも安らかな夢に誘い込む慈しみの愛があります。
 もっとシューマンに注目してください。
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2010年04月16日

音楽の話19 この名曲この一枚  ブラームス ピアノ協奏曲第二番変ロ長調OP83

   ブラームス ピアノ協奏曲第二番変ロ長調OP83
     ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス
     指揮:カール・ベーム ウィーンフィルハーモニー
     使用ピアノ:ベーゼンドルファー(ウィーン)  録音:1867年(ウィーン)

 *ブラームスの時代
 西洋クラシック音楽が最も進歩し爛熟したのが十九世紀、古典派の末期からロマン派の時代です。そしてこの時代はピアノと管弦楽にオペラの時代とも言われています。ピアノの進化と競うように演奏技法も超絶技巧化し、協奏曲やソナタ、珠玉のピアノ小品などの名曲が次々と生み出されました。また管弦楽では多くの種類の楽器が取り入れられオーケストラの大編成化が進みました。そしてそれに適合した巨大な交響曲や色彩豊かな大規模の管弦楽曲が誕生しました。更に産業革命の進展により富裕層(ブルジョワ階級)が台頭し観客が増え、オペラの上演が活発化しました。今日上演される大半のオペラはこの世紀に作られました。
 この音楽の発展は国別にみても大きな変動があり、イタリアやフランス及びドイツ・オーストリアの音楽先進国のみならず、イギリスやスペイン、ロシアにポーランド、チェコ、ハンガリー、そして北欧などの周辺諸国にも波及をし、大きなうねりとなり広がりを見せました。 

 この隆盛を極めた十九世紀後半に時流に逆らい古典形式の作曲法に拘りその権威として活躍したのがドイツの大作曲家ブラームスです。ここではその曲作りに於いて、何処でどんな発想を持ってどのように作曲したか第二ピアノ協奏曲を例にして述べてみましょう。
 まずはこの第二ピアノ協奏曲作りに大きく係わったイタリア旅行と夏の避暑地についてお話し致します。
 
  *イタリア旅行
 よくブラームスは大作曲家の歴史的系譜の最後を飾る人と言われ、それまでの西洋音楽を総括した作曲家として評価されています。それは自分より前の時代の音楽の大部分を研究し尽くし、あらゆる作曲法を熟知し使えた作曲家だからです。対位法、和声法、旋律法、リズムを駆使したソナタ形式、変奏曲形式、フーガ、カノンなど、凡そ試さない形式・音楽法は無いと言われています。そんなブラームスであるからこそ古い時代の文化や歴史に興味を示さない筈はありません。ブラームスは古代のギリシャやローマの文化遺跡に強い憧れを抱き文献を読み漁って来ました。百聞は一見に如かず、何時か訪れたいと願っていましたが、長年の懸案であった交響曲を首尾よく二作もものにし、肩の荷が降りたのか1878年の四月、漸く勇んで憧れのイタリア行きを決行しました。そしてその後死ぬまでの十九年間に都合九回もイタリアを訪れたのであり、その熱狂と執心振りが窺い知れます。北ドイツ人のブラームスにはイタリアは真に心安らぎ心時めく、レモンの花咲く南方のパラダイスだったのです。

 憧れのイタリアは余りにも強烈で新鮮な驚きをブラームスに与えました。この印象はその後の数年のブラームスの作品に表れてきます。鉛色のブラームスの響きにイタリアの薫風と青い空が顔を出します。特にこのピアノ協奏曲に顕著に表れています。

 *ブラームスの夏の避暑地
ブラームスは比較的若い時分(三十歳ぐらい)から新作の作曲は夏の避暑地で行うのが慣例となりました。特に大作は夏の六ヶ月間に集中して行い、仕上がらなかったら翌年に回しました。
 バーデンバーデン、リヒテンタール、ペルチャッハ、ミュルツシュラーク、トゥーン、イシュル、プレスバウムなどの田舎の自然豊かな避暑地を気の向くままに選び出し借家としました。夏の創作(五月から十月)の家として使いました。
 
 春五月になると避暑地に家とピアノを借りて住み始めます。日課としては早朝に起き出し、まず風呂に入り、葉巻をくわえながらコーヒーを沸かして至福の時を過ごします。そしてやおら巨大な譜面台の前に立って作曲に取りかかります。午前中一杯作曲に精を出し、午後は自由に人と会ったり人を訪ねたり、散歩をしたりして過ごします。散歩の折には愛する自然から多くの着想を得てご満悦で五線譜にペンを走らせていたそうです。ブラームス曰く「新しいメロディーの花が次々に現れるのでそれを踏み付けないように(忘れないように)しないとね…」。それは大切に保管され何時か何らかの曲で日の目を見る事になるのです。また読書にも多くの時間を割く本の虫であり、聖書を始め様々な分野の書物を読み漁っていたと言われています。極度の近眼だったらしく読書は得意だったのかも知れませんね。その結果並外れた慧眼博識の持ち主となりそれは音楽に遺憾なく発揮されています。食事は昼も夜も友人の家でお呼ばれに与かるか行き付けのレストランで済ませます。まあ独り身ですから気楽に生活していたようです。何しろブラームスにとって夏は創作の季節、自然や人と戯れながらもやるべき仕事は最大限にこなしたようです。

 やがて紅葉が美しい十月になると都会(ウィーン等)に戻り新作の出版やお披露目の演奏旅行に入ります。また寸暇を惜しんではオペラを始め様々なコンサートにも出向き、一冬を忙しく飛び回っていました。

 *名曲完成の手順
 ブラームスにとって一つの大曲を作る時、その端緒を簡単に始める事はありません。どんな様式でどんなテーマの曲を作りたいのか、綿密に計画を立てます。そして普段から考えていた幾つかテーマメロディーから選び抜いてその曲に最も相応しい主題を決定します。それが決まると余ったテーマメロディーは他の曲を作るのに使われ決して無駄にはされません。ブラームスの場合、交響曲の後に室内楽が多く作られますが、その一部は余ったテーマで作られる事が多いのです。

 避暑地に入り、立てられた計画通りに作曲は精力的に進められます。一夏を費やして書かれた曲はピアノで試演され友人達などに批評を請います。そしてこの批評感想などを参考にして入念な仕上げに入ります。このピアノ協奏曲の場合は更に楽友のビューローが指揮をしてたマイニンゲンのオーケストラを使い試演を繰り返し完成させました。ブラームスは何時もどんな作品でも、あらゆる手段を使い完璧な作品に仕上げていたのです。
 
 *ピアノ協奏曲第二番変ロ長調Op83
 ブラームスの第二ピアノ協奏曲は古今のピアノ協奏曲の最右翼に位置する壮大深遠なモンスターです。最後の大作曲家・ブラームスの創作能力の絶頂期を示す作品の一つです。
 イタリアで着想され、避暑地プレスバウムで大方が完成され、更にマイニンゲンで実際にオーケストラを使って試演され補筆されました。余すところなく完成された完璧な曲です。

 二回のイタリア旅行の後に作曲されました。ブラームスの全作品の中でも最もイタリアの印象が強い作品です。曲中のそこかしこにイタリアの青い空が現われ、ご機嫌で観光に廻るブラームスを彷彿とさせます。石畳、石の建築物、大理石の彫刻。粋なカフェ、美しい娘達、洒落た路地に佇む家並。そんな題材が綯い交ぜになってこの爽快無比な巨大なコンツェルトに収斂されていきます。

 青い空に天馬駆ける縦横無尽の第一楽章。透徹の眼力と熱狂が織りなすダイナミックなスケルツォ。街角のカフェで観る白日夢のアンダンテ。街を陽気に練り歩く洒落ておどけたロンド、そこには美しい乙女の素肌が輝いて観えます。そしてそこから無骨な男の夢が…、大人の男の偉大なロマンが溢れ出て止みません。

 *バックハウスのベーゼンドルファー
 鍵盤の獅子王(バックハウスのニックネーム)が叩き込むベーゼンドルファー、しかしそのピアノは決して悲鳴を上げません。深く温かく壮大に鳴り響き、正に大理石の質感…。その光沢は底光りをして天まで届きそうです。天馬駆け廻る精神の高揚、官能の響き、バックハウスとベーゼンドルファーにしか成し得ない最高のブラームスがここにあります。

 *ベームとウィーンフィル
 睨んだら外さないベームの眼力、ウィーンフィルが官能の響きで応えています。アンダンテの大人の夢…、追憶…、官能…、これは正に音楽の宝です。

 
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2010年03月28日

音楽の話18 2010 リトルコンサート 2010.03.28

  娘・三上夏子先生と先輩声楽家の大関はるみ先生の主催するピアノ発表会・リトルコンサートが横浜ゲーテ座で開かれました。小さな子供から大人までが緊張で震えながらも楽しく誇らしげに出演しました。溌剌とした曲、優しい曲、楽しい曲、思いの籠った曲、様々な曲が選ばれていました。
 後半にはディズニーのベストナンバーが兄弟、親子、生徒同士、また生徒と先生のコンビでピアノデュオの形で演奏されました。その楽しさ、優しさ、大きな喜び、そこには音楽の大切な夢がありました。見守る家族の愛がありました。素敵な事ですね!
 先生方の歌とピアノ、そして年長の方々の素晴らしい腕前、本当に感心いたしました。音楽の将来は当分大丈夫ですね!

           演奏曲目と寸評
1、ちょうちょう             スペイン民謡

 2、 歌                     ゲジケ

3、おもちゃを片付けなさい       ビュイグ=ロジェ 

4、アンダンテ(びっくりシンフォニーより)   ハイドン

5、ソナチネ                  チュルク

6、おかしなできごと、メロディー     カバレフスキー

7、ソナチネ OP.36-1 C-dur T      クレメンティー 
 
 *ここまでは可愛いお子様たちのおませな服装、背伸びの演奏、そして親御さんたちの無我夢中…。誠に微笑ましい風景を見せてくれました。仄々としました。みんなしっかり弾けて偉いね、頑張ったね。凄い!

8、かっこう                 ドイツ民謡
   チューリップの王女様           サティー 
 *サティーのアンニュイな雰囲気がとても良かったですね。ふっと力が抜けてリラックスができました。

9、アレグロ                モーツァルト
 *軽快で愛らしい曲、お話しているよう、一生懸命弾いていました。

 10、二つのドイツのダンス          ベートーヴェン
 *ベートーヴェンは清潔な人柄、そのベートーヴェンの爽やかさが感じられました。軽快で踊りたくなりますね。

 11、みじかいうた、ピエロ          カバレフスキー
 *寂しい歌と面白い曲が対比されています。中でもピエロって面白いね! 私も楽しかったです。

 12、メロディー、勇敢な騎手          シューマン
 *シューマンの優しさがよく出ていました。仄暗いところがシューマンらしくて素敵ですね。

 13、人形の夢と目覚め              オースチン
 *発表会の定番の曲ですね。これを弾けるなんて素晴らしいです。ゆったりと丁寧に弾けていましたね。

 14、気まぐれなロバ              ベルトミュー
 *愉快なロバさんの曲、楽しいけど綺麗なフレーズもあり、そこが美しく弾けました。パーマとシックなドレスが素敵な子、お辞儀も綺麗でした。

 15、ソナチネ OP.157-4               スピンドラー
 *中々の努力家さんかしら、力強く元気に弾けました。丁寧さもありました。

 16、ソナチネ第六番 F-dur U ロンド     べ-トーヴェン
 *よく弾かれる有名なベートーヴェンのソナチネ、健やかで美しいメロディーがあり、勿論貴方の演奏は美しかったですよ! 

 17、ソナチネ OP20-1 Gーdur T         ドゥシェック
 *しっかりとした構成をもって演奏しました。ソナチネもここまでくると難しいですね。よく頑張りました。

 18、エリ−ゼのために             べ-トーヴェン  
 *ピアノを志す人の一つの目的がこの曲です。囁くようでもあり、夢見るようでもあり、ドラマティックでもあります。嬉しそうに弾いていましたね。良かったね。

 19、ポロネーズ B-dur(遺作)           ショパン
 *可愛らしポロネーズですね。こんな曲があるなんて知りませんでした。ポロネーズのリズムに乗って弾むようでした。

 20、ノクターン                  リヒナー   
 *明るい町の灯りが見えます。静かな夜のムードが漂います。ゆったりとして綺麗なピアノの響きでした。

 21、プロムナード、タランテラ、マーチ     プロコフィエフ 
 *お洒落で楽しい現代の音楽、粋にさらりと弾くのが肝要ですね、お洒落にね。それが出来ていたと思いました。

 22、即興曲 OP.90-4 As-dur           シューベルト
 *この中学生は天性のエンターティナーですね。聴かせどころを心得ています。見事な演奏でした。

 23、トルコ行進曲                モーツァルト
 *エキゾチックなトルコ風の行進曲、当時のヨーロッパでは流行してました。コーヒーもトルコから伝わった飲み物なのですよ。確実に丁寧に異国情緒を表現できました。

 ヴァイオリンとピアノのデュオ
 メヌエット G-dur〜g-moll             j.s.バッハ
 *ピアノの冷涼な響きを聴き続けた後にヴァイオリンの音、何て暖かく聴こえたのでしょうか。ピアノのロマンティックとはまた別の人の声に近いヴァイオリンのリリシズム、素敵でした。

 三上夏子先生の演奏
 「ああ、ママ聞いてちょうだい」による変奏曲(キラキラ星変奏曲)       W・A・モーツァルト
 *美しいピアノの音、このこぼれおちる美音は指のタッチの微妙な使い方に秘密があります。生徒の皆さんも先生の教えをきちんと守って良い音で弾けるようになってください。
 変奏曲とは一つのメロディーテーマ(主題)を様々に変化させて作り出す曲です。その変化の度に人間(作者)のあらゆる思いや感情が込められていきます。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、変奏曲とは人間の思いのデパートなのです。
 そんな感情の変化を三上先生はその美音の中に摘み取っていきます。時には華やかに時には喜ばしく、また時には悲しみに満ち溢れて…。素晴らし感動を求めて…。人の心の表現者として…。
 音楽とは人の感情の鏡です。その鏡が磨かれれば磨かれる程そこには新たな音楽芸術の未来が広がってくるのです。まだ見ぬ世界が現われてくるのです。

 大関はるみ先生の歌唱
 不思議の国のアリス、これが恋かしら(シンデレラ)、右から二番目の星(ピータ−パン)
 大関先生はイタリア歌劇のアリアやイタリア歌曲を専門とする声楽家です。美しく豊かな声を持ちスケールの大きな歌唱を聴かせてくださいます。またイタリア語の歌ばかりではなく、ドイツ語の歌曲や英語の歌、はたまた日本の歌曲や唱歌も歌ってくださいます。優しく温かい心の持ち主であり、それが歌によく表れてます。ディズニーの愛らしい歌をありがとうございました。
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2010年03月24日

音楽の話17 ストレスと涙、そして音楽と

 先日放送されたフジテレビ「エチカの鏡」でストレスに勝つ方法を教えていました。朝太陽光にあたるとか、リズム運動をするとか、幾つかの方法を伝授していました。その中に特に私の目を引き付けたのが泣く事でした。泣いた時に起こる精神の浄化作用がストレスを解放する強い効果がある事を伝えていました。
 
 例えば子供は日常的にストレスが生じれば泣いてそのストレスを解放しますが、大人はそう易々と泣く事はできません。過酷な非日常の強いストレスがあれば泣く事もあるでしょうが、大抵の大人は自分の窮地では余り泣かないのです。苦悩する事はあっても泣くのは敗北と思って最後の最後まで泣けないのです。依って益々ストレスを溜め込む事になります。

 ではどうしたら大人は泣いてストレスを発散できるのでしょうか。番組では自分の好きなメロドラマなどを見せて出場者を泣かせていました。メロドラマの優しさに溢れる悲劇性、これこそが大人を簡単に泣かせる妙薬であるのが解ります。ここで安易ではありますが、ストレスの解放がなされたのです。しかしそこに何か白々しい軽い作りもの真実味のなさが見え隠れするのも否めません。お涙頂戴の真実味のなさが…。

 それではどこに真実味のある泣いてストレスを解放できる在り処があるのでしょうか。それは飽くなき探求の末に完成された芸術作品の中にあります。作者は己の悲しみを人類の悲しみとして捕えます。人の涙を自分の涙として表現します。その眼差しは人類への優しさに満ちています。それは文学であろうと絵画であろうと、そして音楽であろうとも…。優れた人の優れた作品には必ず愛と涙のメッセージがあるのです。例えばモーツァルトのレクイエムのように…、ブラームスの歌曲「おお死よ、なれこそいたまし」OP121ー3のように…。
 
 
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2010年03月21日

音楽の話16 バロックダンスの楽しみ

 今日は我が娘・三上夏子が出演したバロックダンスの発表会を観覧してきました。群舞あり、ソロあり、デュエットありの楽しい舞踏の会でした。夏子先生はソロでメヌエットを愛らしく踊り、またデュエットではG・F・ヘンデルのオペラ「ジュリアス・シーザー」の中の音楽に振付した演目を踊りました。何時も二人でデュオをしているヴィオリニストの青年演じるシーザーと息を合わせて、若き日のクレオパトラを妖艶?に演じました。

宮廷の衣装 
 宮廷の美しいドレスを着けて踊りました。馬子にも衣装かも知れませんが、とてもエレガントで愛らしいでしょ! 父親の私が言うのも何ですが、麗しい娘の姿に惚れ惚れとしました。踊りは愛らしく清純さが際立ちました。

横からの姿
 横から見たドレスのフォルム、流れる線とふっくらしたボリュームが美しいと思いました。
 因みにこの衣装は妻が縫いました。妻もバロックダンスを嗜んでおり、以前、研究家の先生に教えを請い、この宮廷のドレスを制作したのでした。
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2010年03月14日

音楽の話15 NHKN響アワー、「春の祭典」を聴いて

 S.ビシェコフ指揮のN響でストラヴィンスキーの「春の祭典」とG.マーラーの「アダージェット」を聴きました。
 神秘的土俗的な踊りの音楽「春の祭典」、ストラヴィンスキー三大バレエの最後にして最高最大の作品です。何よりもそのリズムの熱狂した野蛮さが大胆で圧倒的ですね。正に血沸き肉踊る音楽の持つ原始的な快感を呼び覚ます音楽です。インタビューで指揮のS.ビシェコフはバッハ、ベートヴェン、ワーグナーを引き合いに出しこう述べました、「この曲は音楽の流れを変える革新的な曲で、次世代の作曲家に大きな影響を与えた。皆この曲が頭から離れず困惑しているのだ」と…。確かに私もそう思います。しかし当のストラヴィンスキーはこの曲を最後にこのような作風からはおさらばしているのです。その後のストラヴィンスキーは十九世紀に成し遂げたブラームスの古典主義的な道を推し進め新古典主義へと軌道を修正しています。この曲は彼の野蛮で知的な野心を満足させる言わば実験的お遊びだったのかも知れませんね…。
 演奏は迫真のもので、リズムと管弦楽法の知的且つ原始的快楽を極度に発揮した熱狂的なものでした。私も興奮し心臓の高鳴りが聞こえました。

 G.マーラーと言えば交響曲第五番第四楽章「アダージェット」、さる映画音楽に使われお馴染みとなりました。現代の日本でもテレビドラマなどに使われています。美しい音響を持つ安らぎに満ちた陶酔の音楽で、心癒される方も多い事でしょう。
 常日頃のマーラーの心を悩ませていたのは死への恐れ、運命への呪い、そこから逃れるためにマーラーは音楽と女性の中に没頭したのでした。この余りにも美しい音の洪水の中に…、アルマと名乗る魔性の女の胸の内に…。私達もその魔性の洪水に溺れるのが、マーラーの正しい聴き方です。
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2010年02月08日

音楽の話14 NHKN響アワー、故スウィトナー・メモリアル

 N響の名誉指揮者であった旧東ドイツの指揮者オットマール・スウィトナーが亡くなったそうです。八十七歳だったそうで天寿を全うされたようです。しかしその現役引退は早く、まだ七十歳に届かぬ内の事だそうで、その原因はパーキンソン氏病の発病に依るのだそうです。番組中、生前のインタビューのビデオが流され、「手が震えるようになり、指揮棒が震えてはお終いだと思った。誰にでも何時かは終わりが来る、少し早いが引退は自分で決めた」と語っていました。その語り口は淡々としていましたが、やはり悲劇的であり、私は切なく心動かされるものがありました。
 
 番組では比較的若い時代の客演のウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲と晩年の名誉指揮者時代のブラームスの交響曲第三番へ長調が放送されました。
 ウェーバーは流石に若々しく颯爽として活動的な演奏でした。しかも決して格調の高さは失わず、ドイツ国民オペラの伝統の確かさを感じさせました。
 ブラームスの第三は稀にみる名演奏だったと思います。特に渋い色彩の第二楽章アンダンテや美しい旋律を持つ第三楽章ポコ・アレグレットの大人の音楽は素晴らしかった。強弱の意味深い付け方、息の長い微妙な歌い回し、ニュアンス、美しい和声の響き、大人の音楽のブラームスを大人のスウイトナーが演奏した第三、正に大人だけしか解らない格別の音楽でした。こんな演奏ができる大人の指揮者は現在いるのでしょうか? またこれから新たに現れるのでしょうか? それは甚だ疑問であると私には思えます。しかし現われてくれなければ困ります。そうでなければ昔のCDばかり聴かなくてはなりませんから…。音楽をもっと素晴らしく、意味深く、面白くしてくれなければ大人は詰まりませんよね! 

 最後にスウィトナーはブラームスの第三をこう語りました。「第三はブラームスの他の三曲の交響曲に比べ演奏される機会は一番少ない。それはこの曲がどの楽章も静かに終わるからだ。現代は喧噪の時代だ、だからこの静かな曲は人気が上がらないのだ。でも私はこの静かさを大切にしたい。できる限り取り上げたいと思っていた。」
 私も全く同感です。静かに消え入る音楽に込められた情け深い感情、それはパフォーマンスに明け暮れる今日までの芸術に対するアンチテーゼだと思います。皮肉屋ブラームスは当時の聴衆にこんな皮肉を込めて問うたのです。ところが当時この曲は人気絶大でありました。当時の人々は少し今と違い音楽をよく知っていたのかも知れませんね? この名指揮者スウィトナーのように…。スウィトナーは古き良き時代の精神を知る得難い指揮者だったのでした。
 
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2010年01月16日

音楽の話13 アンドレ・プレビンのベーゼンドルファー

 昨晩のNHK教育の芸術劇場で久々のプレビン弾くベーゼンドルファーの音が聴けました。と言うのはプレビンはスタンウェイよりもウィーンのベーゼンドルファーを好んで弾き、五六年前もやはりベーゼンドルファーで日本の舞台に立った事があり、その模様もTVで視聴したからです。
 
 今回はモーツァルトのピアノ四重奏ト短調とプレビン自作のビリー・ザ・キッドを取り上げた歌の曲が聴けました。それと言うのも昨晩ブログを書いていて芸術劇場の開始時間を忘れてしまい、気が付いてTVをつけた時はすでにピアノ四重奏のアンダンテに及んでおり、残念ながらコンチェルトとピアノ四重奏の白眉・第一楽章アレグロは聴きそびれました。合い変わらずの体たらくであり、お恥ずかしい限りです。

 ですから、ここではベーゼンドルファーピアノの音の素晴らしさだけを述べたいと思います。
 なぜプレビンはベーゼンドルファーを選ぶのでしょうか? 弾いている姿を見ているとプレビンはこのピアノが好きで好きで堪らないと言った風情でピアノを愛しんでいるのがよく判ります。大切に大切に弾いていますね…。それはこのベーゼンドルファーの中音と次高音の太く豊かな響きに酔っているから…、スタンウェイの華やかな透明さとはまた違う、しっとりとした絹の肌触りに包まれているから…、とでも申せましょうか?

 そして何よりもベーゼンドルファーの素晴らしさは音の清潔性にあると思います。スタンウェイの軽く華やかであだっぽい色彩の官能性に比べ、太く豊かで微妙な音色を持つ清潔な精神性…、清らかに美しいのがベーゼンドルファーなのです。だからベーゼンドルファーはモーツァルトとベートーヴェンを弾くのに最適なピアノだと私は確信しています。
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2009年12月07日

音楽の話12 「ドリー」と「ワルツ」

 少し前まで放映されていた保険会社のテレビCM、宮崎あおいがパーソナリティーに扮して海を望む木立の中のスタジオから柔らかなナレーションで語りかけていたもの…。その背後をたゆとう美しい二つのピアノ音楽、皆様は誰の何という楽曲だかお分かりでしょうか?

 一つはガブリエル・フォーレが作曲した組曲「ドリー」op56 の中の第一曲「子守歌」、静かで穏やかな響きを持ち時間がゆっくりと過ぎゆくような優しい曲です。
 曲名の「ドリー」はこの曲を捧げられたエレーヌ・バルダック嬢の愛称「ドリー」に因んだものです。正に曲の愛らしさにピッタリのうってつけの名前ですね。フランスの作曲家らしくフォーレは奥床しくて上品です。そしてその上善意に溢れていて素敵な人格者ですね…。

 もう一つはヨハネス・ブラームスの「16のワルツ第15番変イ長調」op39-15、無骨なブラ-ムスにしては上品な曲であり優雅ささえ湛えています。でもやはりそこは北ドイツ人、その底に熱情と哀愁が潜んでいるようです。力強いセンチメンタリスト、それがブラームスですね…。

 正反対のように見える二人の音楽家、でもそこに人間の情と言う尊い感情で繋がっているように私には見えます。人間への深い共感とでも言いましょうか…、信頼とでも言いましょうか…。それはあの天才・モーツァルトにも繋がる精神です。涙無くしては聴けない音楽…。

 このCMの発案者の見識に敬意を表します。
  
 
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2009年12月06日

音楽の話11 ブラームス「ハンガリー舞曲」

 厳しい音楽の修行を終えて二十歳になったブラームスは世に出るために放浪の旅を決意しました。丁度知り合ったばかりのヴァイオリニストのエドワルト・レメーニと共に一旗揚げようとハンブルクを出発したのです。ドイツ各地でどさ周りの演奏会を開いては名を売るために奮闘しました。ヴァイオリンとピアノの二重奏が主体であり、モーツァルトやベートーヴェンなどのソナタの名曲や極たわいのない舞曲や娯楽作品も曲目に取り上げられたようです。その折、ハンガリー生まれのレメーニからはハンガリー・ジプシーの舞曲・チャルダッシュの数々を教え込まれ演奏しました。ブラームスはそれらのピアノパート譜を作り二重奏作品として五線譜に認め大切に保管しました。勿論何かの役に立てようとはこの時点では思い及ばなく、ただ愛するだけでしたが?

 レメーニとは結局その数ヶ月後にワイマールのフランツ・リスト(42歳)の邸宅で袂を分かちました。レメーニはすっかりリストにかぶれそこに居付き、ブラームスは一人失意の内にリスト邸を後にしました。リストはブラームスの天才を見抜けず、また貧乏育ちのブラームスもその金満なリストの生活振りに反発を覚え、芸術にもそりが合わぬものを痛感し、自ら下向したのでした。そしてその数ヶ月後に今度は一人でジュッセルドルフのロベルト・シューマン(43歳)を訪ね、首尾よく世に出る事に成功したのです。シューマンは音楽雑誌に「新しい道」(古典主義とロマン主義の結合の道を示唆する)と題して論文を寄稿し、ブラームスとその音楽の存在を世に知らし示しました。二十歳のブラームスは一躍ヨーロッパ楽壇の寵児となったのです。

 それから十六年後の1869年にレメーニから教わった大好きだったハンガリーのチャルダッシュをピアノ四手用に編曲し「ハンガリー舞曲集」(10曲)として出版をしました。これが大当たりをとり楽譜が売れに売れ、ブラームスの元には多額の印税が転がり込みました。(それでもしたたかな楽譜出版商に上手い事儲けられ、後にブラームスは「俺がもう少し利口ならばその儲けで城が建っただろうに」と述べたそうです)。しかしそれを妬んだレメーニからは、盗作であると訴訟を起こされ、二人は裁判で争いました。挙句の果ては、楽譜にはブラームス作曲とは記されておらず編曲となっていたので、ブラームスの言い分が通りました。ブラームスはこれに懲りて第二集(11曲)を出す時にはよりオリジナルのものを増やしたそうです。でもそのお陰かちょっとつまらなくはなりました。

 それでもこの大当たりは後のブラームスの財産となり、ブラームスは作曲の印税だけで生活が成り立つ音楽家では稀有の存在となりました。ハンガリー舞曲はブラームスの作曲家として成り立ちの重要なバックボーンの一つとなったのでした。

 哀愁と躍動と歓喜、ハンガリー舞曲は遍く人を引き付けるブラームスの代表作です。屈折した気難しい音楽を沢山書いたブラームスですが、この曲集とワルツ集だけは誰の心にも優しくしみ込んでくるブラームスのエッセンスがあります。そこには普段のブラームスの快活な横顔が見えます。

 ピアノ四手(連弾)、ピアノソロ、管弦楽用と多彩な編曲があり何れも大いに楽しめます。
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今宵の名曲14 フォーレ・レクイエムを聴いて

 近頃の私は父の病などで落ち着かない日々を過ごしています。心は荒れ、つまらない事で父母に辛い言葉を投げてしまいます。真に情けない息子であり、ここら辺りが私の人間としての限界かなと思い嘆いているところです。人間の器により人を慰める事も出来れば人を悲しませてしまう事もあるのです。心を清め心して人と向き合わなければならないと痛感しています。
 
 今宵、私はそんな鬱積した心を掃除するためにフォーレのレクイエムに頼りました。フォーレは自分の愛する父親の霊を慰めるためにこのレクイエムを書きました。キリスト教への深い信仰により美しく浄化された音楽は優しい孝行の心が感じられ胸を打ちます。私とはまるで違う愛に満ちた心根に私は涙し恥じ入りました。そしてその上で私はこのレクイエムに慰められ心の重苦しさから解き放たれのです。明日からはもう少し増しな人間になろうと…。

 
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2009年11月30日

音楽の話10 NHK「オーケストラの森」 スクロバチェフスキ指揮の読響  ラヴェル・ボレロを聴いて

 1927年、ラヴェルは高名なバレリーナ・イダ・ルビンステインから一幕もののバレエ音楽を依頼されました。最初は他の作曲家の作品の編曲を考えましたが上手く事は運ばず、自らのオリジナルでスペイン風のバレエ音楽「ボレロ」を仕上げイダに応えました。
 バレエは男女のジプシーが酒場で熱狂的に踊る振り付けで、イダ・ルビンステインがジプシー女に扮して同年初演されました。
 
 曲は一つのリズムパターンで終始し、スペイン舞曲のボレロに乗って主題とその応答だけが楽器を替えながら繰り返されます。最初はフルートに始まり様々な木管楽器が主題を演奏し次に金管楽器へと引き継がれます。曲の展開はなく、その音色の変化が一つの聴きどころとなるのです。更に弦楽器が加わり次第に緊張と興奮は増して行きます。最後に全合奏となり熱狂的クライマックスで曲を閉じます。この間、全曲を一つの大きなクレッシェンドとして最弱音(冒頭のドラムの刻むリズム)から最強音(全合奏の終止)まで次第に強さを増して奏されるように設定されています。正に前代未聞の楽曲構成となっており初演当時より近年まで大いなる物議を醸し出して来ました。

 演奏は木管・金管の各ソリストたちが卒のない達者な腕を披露していました。流石に一流のプロの腕前は違うなと安心して聴く事ができ感心させられました。このような曲はソリストの感性が大きくものを言う曲目なのです。
 指揮のスクロバチェフスキは巨匠の風格漂う毅然とした指揮振りで全曲を見事な統率力で構成しました。幽かなドラムのささやきに始まって圧倒的なエンディングまで、極めて爽快で端正な音の絵巻を描き出していました。

 *モーリス・ラヴェル(フランス、1875〜1937)
 ドビュッシー、サティと並ぶフランス近代の作曲家。極めて精緻な管弦楽法を駆使しオリジナル作品や編曲作品を作出した。またピアノ作品にも名作が多く、今日でもピアノコンサートの曲目に頻繁に登場している。
 管弦楽作品=スペイン奇想曲、バレエ「ダフニスとクロエ」、バレエ「ラ・ヴァルス」、バレエ「「ボレロ」など。
 ピアノ曲作品=「ソナチネ」、「鏡」、「夜のガスパール」、「クープランの墓」、「水の戯れ」など。
 編曲作品=ムソルグスキー「展覧会の絵」など。

  
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2009年11月23日

音楽の話9 NHKN響アワー、サンティ指揮N響のブラームス交響曲第一番を聴いて

 サンティはイタリアのオペラ指揮者でオペラの世界では極めて高い評価を勝ち得たマエストロです。ところが近年はコンサート活動にも熱心であり、日本ではN響を指揮してお馴染みとなりました。
 インタビューではヴェルディとブラームスを愛していると公然と述べ、その愛する根拠は二人の作曲家が共通して持っている論理性にあると主張しています。もちろんそれは私も同感ですが、二人の作曲家の美点は決して論理性だけではないでしょう。その論理に寄り添うように表れる豊かな人間性に最大の魅力があると思います。サンティは見たところ雄弁ですが舌足らずのようであり、本当はこの二人の作曲家の世の真理を見詰める深い人間性を愛しているのだと私は推察しました。

 またサンティはヴェルディのオペラ「ファルスタッフ」とブラームスの第一交響曲を引合いに出し、二人の天才ならオペラであろうがシンフォニーだろうが双方どちらでも同様の傑作が書けると珍説を述べていました。これはサンティが優れた音楽家ではあるが言葉は苦手であると言う事を証明しているように思われます。思っている事と言っている事が矛盾しています。ブラームスが「ファルスタッフ」のようなオペラを書ける訳はなく、同様にヴェルディがブラームスのような交響曲を書ける資質を持ち合せているとは思えないのです。ヴェルディもブラームスもジャンルは違うが同様の優れた内容(人間性に溢れた)を持つ音楽が作れるとサンティは言いたかったのでしょう…。

 サンティのブラームス交響曲第一番はよい演奏でした。愛するだけあってよく考えられ練り込まれた優れた出来栄えだったと思いました。まあ第二、第三楽章はややあっさりとして情緒がもの足りなく感じられもしましたが、第一楽章とフィナーレは力感に溢れて見事でした。特に愛の勝利を高らかに歌うフィナーレは曲が進むに連れて益々激しく力強さを増し圧倒的な感動をもたらしました。それは嵐の様な会場のブラボーコールがおざなりでなく高温の熱を帯びていた事に証明されるでしょう…。私も興奮で肌が粟立ちました。

 *ジュゼッペ・ヴェルディ(イタリア、1813〜1901)
 イタリアオペラ最高の作曲家、シェイクスピアの戯曲から題材を選んだ作品もあり人間の心理を劇的に描いた。「リゴレット」、「アイーダ」、「オテロ」、「ファルスタッフ」などオペラ作品多数、他にレクイエムなど

 *ヨハネス・ブラームス(ドイツ、1833〜1897)
 古典主義とロマン主義を結合し新たな音楽芸術を創造した。それにより二十世紀の現代音楽に道筋を示した。深い人間性に根ざした感動的な作品が多い。ドイツ3B(バッハ、ベ−トーヴェン、ブラームス)の一人。交響曲4曲、協奏曲4曲、室内楽曲、ピアノ曲、ドイツレクイエム、歌曲など多数

 以上を見てお解りのように、ヴェルディはオペラばかり、ブラームスはオペラは一曲も書いていません。サンティがいかに矛盾した考えを述べていたかがお分かりでしょう。
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2009年07月17日

音楽の話8 ヨハン・シュトラウスU ワルツ「美しく青きドナウ」

ハンガリーのドナウ川
ハンガリー・ビシュグラードの要塞付近より
 満々と水を湛え、滔々と流れるドナウ川、正に大河の風格です。
 ウィーンではドナウ運河は行きましたが、ドナウ川本流には行きませんでした。代わりにハンガリー・ビシェグラードの高台からのドナウを載せました。恐縮です。

 ワルツ「美しく青きドナウ」は最も有名なクラシック音楽と言えます。この「美しく青き…」の語は日本人に強い関心を促し、今までの多くの日本人はドナウ川の青さ美しさを疑う者はいなかったと思われます。ところが昨今、日本人の海外旅行が盛んになり、ドナウ地方を訪れる方も増えました。その方々は異口同音に「ドナウは青くも美しくもなかった。」とおっしゃいました。今回、私は初めてこのドナウを見てこう思いました。大河の中流域はこんなものだと、川には多くの成分が混ざり溶けています。その結果微生物の繁殖が盛んとなり水は混濁し、緑掛かって見えるのです。大都市の中心を流れる川が清流の煌めきを持つなどありえないのです。ではなぜヨハン・シュトラウスは「美しく青きドナウ」と名してこの曲を書いたのでしょうか?。それにはそこにオーストリア人の重苦しい政治的事情が存在していたのでした。
 この時代はオーストリアとプロシア(ドイツ)が戦争(普墺戦争)を始め、フランスのナポレオンV世が調停し、オーストリアは領土の一部をプロシアに奪われてしまいました。その結果プロシアはドイツ民族の国家・ドイツ帝国となり、独立を果たしたのです。そんな暗い世相に嘆くオーストリア国民を明るい歌で救おうと指揮者・ヘルベックはワルツ王・ヨハン・シュトラウスに作曲の依頼をしたのでした。無名の詩人・ベックの詩「美しき青きドナウ」をテキストにシュトラウスは男声合唱団向けにワルツを書きました。それがこの曲・ワルツ「美しく青きドナウ」です。“ウィーンの誇りドナウ”を美しく青いと讃えたのはオーストリア国民を励ます意味で当然の使命だったのです。故国を想うその優しさが世にも稀な美しい曲を書かせたのでした。
 この曲は、現在では女声合唱や混声合唱でも演奏されます。また合唱なしの管弦楽だけの演奏でも親しまれています。立派な志しで書かれた曲ですが、管弦楽曲の娯楽作品であり、肩肘張らずに楽しめます。皆様も是非どうぞ。
 ウィーン生まれのウィーン育ち、生粋のウィーン子であるヨハン・シュトラウスは故国ウィーン(オーストリア)の為に働きました。ヨーロッパ全土、ロシア、アメリカを又に掛け、演奏旅行に明け暮れました。その全ての土地で絶賛を博し名を成し、ウィーンを世界に知らし示したそうです。従って、そのウィーン市民としての国際貢献は高く評価され、オーストリア第一の外交官と讃えられたそうです。 
 
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2009年06月05日

音楽の話7 典雅なバロックの踊り 2009.6.5

バロックの踊り子たち
上の写真はフランスの絵本 “Vieilles chansons et rondes”から拝借し掲載したものです。バロックダンスはこの少女たちが着ているこんな衣装で踊ります。可愛いでしょ?

 我が長女が出演したバロックダンスのコンサートに行ってきました。久し振りに古典衣装で踊る娘を見て、馬子にも衣装かな?と思いつつも、その優美な姿に驚きを新たにしました。ソロの舞踏はなく、お仲間たちとのデュエットと群舞が踊られました。出し物は、チェンバロとフルート・トラベルソ(古楽器)の合奏に乗ってデュエットで踊る優雅なサラバンド(18世紀のバレエ作品、A・C・デトゥシュ作曲、G・L・ペクール振付)とヴァイオリンとピアノに合わせ、輪舞で織り成して踊るロンド(19世紀のサロンダンス、L・フォンタのダンス集、原曲A・カンプラ)、そしてカスタネットを全員で打ち鳴らしながらの群舞のサラバンド(19世紀のサロンダンス、L・フォンタのダンス集、原曲A・C・デトゥシュ)及び娘・夏子のピアノ演奏で楽しく踊り尽くすサロン風メヌエット(19世紀のサロンダンス、シャルドヌレ作曲・振付)で、これらの曲が順次踊られました。
 古楽の音色の落ち着いた響と優雅で楽しいバロックダンス、夢心地の舞踏会は瞬く間に大団円となりました。もっともっと見ていたい聴いていたい!、名残惜しみつつも会場を後にしました。 
 
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2009年06月01日

音楽の話6 ブルーメン・フィル第31回定期演奏会を聴いて 2009.5.30

 ある方から招待券を頂いて、ミューザ川崎シンフォニーホールで行われたブルーメン・フィルのコンサートを聴いてきました。ブルーメンとはドイツ語で花の事だそうで素敵な名を持つ日本のオーケストラです。このオーケストラはアマチュアの方々の集まりだそうで、プロを目指し年三回の演奏会を開いて努力しているようです。今回は指揮者に森口真司を招いて、ドボルザークの弦楽合奏「ノットゥルノ(伊語で夜のという意味) ロ長調」、同じくドボルザークの交響詩「水の精」、そしてブラームスの交響曲第2番ニ長調が演奏されました。
 年に三回しか行わない演奏会、それを目指して必死に練習を積むメンバー達、そして当日の本番もひた向きに曲に没頭し、見事な効果を上げ力強い弾きっ振りでした。プロには中々見られない体当たりの演奏で、音楽をする喜びが溢れて好感が持てました。近頃のアマチュアは驚く程の進歩を遂げているようです。指揮の森口も確かな統率力を発揮して、オーケストラを奮い立たせよく制御していました。 
 特にブラームスの「第二」はリズミックで力強く私は気に入りました。森口の見識高い解釈の実現にオーケストラは結束し必死に答えていました。但しホルンの音外れには閉口しましたが…、コケますよ!。「第二」はホルンとチェロが主役の交響曲です。第一ホルンさん、努力してください。
  
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2009年03月14日

音楽の話5 第252回神奈フイル定期を聴いて 2009.3.13

 昨夜、私は久し振りでオーケストラの演奏会を聴きに行きました。それは神奈川フィルハーモニーの252回目の定期公演で、ハンス=マルティン・シュナイト指揮のブラームス、ブルックナーの合唱作品がプログラムでした。
 シュナイトはドイツの指揮者で長くミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団の音楽監督を務めた巨匠です。その芸域は広く、宗教曲からオペラ、更に交響作品までに及びます。楽曲への深い理解を基に見事な統率力を発揮し、幾多の名演奏をものにしてきました。この日のブラ−ムスも流石に長い経歴を物語り、優れた解釈を施していました。ただ78歳と高齢であり、足も悪そうでステージで何時つまずいて転ばれるかと心配で、冷や冷やして見ていました。しかしご本人は至ってご機嫌であり、ヨチヨチとゆっくり歩かれて、聴衆の微笑を誘っていました。
 冒頭に演奏されたのはブラームスの「悲劇的序曲」であり、この戦争の悲惨を表した名曲を強い緊張感で演奏し、私に曲の正しい姿を見せて(聴かせて)くれました。しかもテンポは非常に緩く、よく歌わせ、それは難しい試みで驚きでしたが、少しの乱れなくオーケストラを統率し続けたのは老練の技と思われ感心しました。
 二曲目はオーケストラと合唱の作品「哀悼の歌」が選ばれました。実はこの作品は私の愛する曲で、この日のプログラムの中では最も楽しみにしてきたものです。これはシラーの詩に依る死する者への哀れみが歌われます。「美しい者、愛する者も死ななくてはならない」、このシラーの美しい詩に託してブラームス自身の芸術のテーマ・無常観を表したものと言えます。友人の画家フォイエルバッハの死がきっかけで作られた曲で、その死を悼みその遺業を称え、その母に慰めを捧げる目的で書かれた曲と伝えられています。
 演奏はブラームスが憧れていた南欧の香り高い美しい響きで、大方のところは良かったと思いました。しかしこの日の最初の合唱作品だった事で、いま一つ合唱が乗らず不明瞭だったと思われます。良い演奏とは作品の姿形、作者の感情や思想が明瞭に聴き手に伝わる演奏です。そう規定すれば少し不満の残る出来栄えと思いました。真の感動には届かなかったと思います。
 三曲目は同じブラームスの合唱作品「運命の歌」でした。こちらはこの日一番の出来だったようで、私は感動しました。人間の悲しい運命を表したヘルダーリンの詩に歌を付けた曲で、そこにブラームスの戦争と平和への思いが籠められています。従って言える事はこのブラームスの音楽は音響(娯楽)で魅せるものではなくて、心の美しさ優しさの思想・情念で問う音楽だと言う事です。理論の焦点の一点を激しく目指すアンサンブルでこそ、この曲の真の姿が見えて来るのです。そんな表現の理想がこの日の演奏にあった気がしました。優れたコンサートだったと思います。
 
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2009年01月18日

音楽の話4 日本ブラームス協会編 ブラームスの「実像」より ブラームスのピアノを読んで

 1、ブラームスの生きた時代とピアノの進化
 ブラームスは1833年にドイツのハンブルクに生まれ、1897年オーストリアのウィーンで没しました。この64年間の欧州音楽界はロマン派の全盛期から近代へと移行し始めた時期に区分されます。このブラームスの生きた時代は産業革命の更なる隆盛の時と重なり、富裕層の増大により、ピアノの需要が爆発的に伸びた時期でもありました。多くのピアノメーカーが創業し、競い合い、優れたピアノが次々と産み出されていったのです。ささやかなフォルテピアノの時代から現代のピアノに遜色のない近代ピアノまでのピアノ革新の時代…。この時代を生きた最高の証人、希代の大音楽家ブラームスがそれと如何に関わり、それらのピアノをどの様に使ったか、この論文がそれを教えてくれました。 

 2、ブラームスの所有したピアノ(愛器)
 ブラームスが自宅で長期間所有したピアノは、2台がよく知られています。何れも小型のグランドピアノでウィーンで作られた旧式のものです。一台目は1856年にクララ・シューマンより譲られたピアノで1839年製造の“グラーフ”でした。音域は6オクターブ半。下1点「は」から4点トまで。シングル・エスケープメント方式のアクション(打弦機構)を持つ、総木造り、皮張りハンマーのものでした。このグラーフピアノは1862年までブラームスが下宿先で使い、その後はブラームス所有のまま点々と置き場所が変わり、1873年シューマン夫妻とブラームスが使ったピアノとしてモーツァルトやベートーヴェンのピアノと並んでウィーン万国博覧会に出展されました。さらにその後はウィーン楽友協会の所有となり、今日ではウィーン美術史美術館に貸し出されているそうです。調律ピン・ピン板周りの故障らしく、現在は調律不能、使用不能だそうです。
 二台目は1872年ブラームスが新しいアパートに引っ越した際、ウィーンのピアノメーカー・シュトライヒャーから借り受けたグランドピアノです。この”シュトライヒャー”もやはり弦の平行張り及びウィーン型のシングル・エスケープメントアクションを持つ小型のグランドピアノでした。ブラームスはこのメーカーのピアノを高く評価し愛好しており、クララを始め様々な友人知人に勧めています。そしてこのピアノはブラームスの生涯最後のピアノとなり、この主の死をも見守ったピアノです。ところがこのブラームスのシュトライヒャーは、ブラームスの死後、数奇な運命を辿る事になります。ここでは本文を掲載しその顛末をお教え致します。『ブラームスの死後、友人たちは彼のアパートがそのまま記念館として保存される事を望んだが、1906年建物は取り壊されてしまった。ブラームスの部屋にあった家具調度品のほとんどは家主が持ち続け、後にウィーン楽友協会が譲り受け保管する事になった。結局それらはウィーン市の歴史博物館に送られたが、第2次世界大戦のおり、ほとんどの家具が破壊されブラームスのシュトライヒャーも激しい損傷を受けた。現在残ってるのは、一本の脚と譜面台、それが全てである。』 真に残念であり、戦争の愚かさをこんなところでも知る事となるのです。そして戦争はブラームスの最も忌み嫌うものだったのです。

 *グラーフピアノ演奏の録音
 ウィーンのピアニスト、イェルク・デームスがグラーフピアノを使い演奏した録音が残されているそうです。それはデームス自身が所有している1839年製のグラーフを使用した録音で、極めてコンディションのよいピアノだそうです。曲目は「ベ−トーヴェン ディアベリ変奏曲」(Archiv 2708 025)、エリー・アメリンクとの「シューマン歌曲集 国内盤ハルモニア・ムンディBVCD5OII」、「シューマンの幻想小曲集作品12より抜粋」(HMS17 064,29 29069/7,また30 485K)です。

 3、ブラームスのピアノ感、使用したピアノのあれこれ
 ブラームスが所有したピアノは以上の二台の外はこの論文に登場しませんが、彼が演奏会やピアノ工房での試演で弾いたピアノは数限りなくあり、その感想や要望は多くこの本文に書き込まれています。その一部を選んでここに書き出してみます。

 *『ブラームスの書簡集、あるいは記録などを見ると、この作曲家は長いキャリアのなかで、実に様々なピアノを弾いていた事がわかる。彼はその時点時点でのピアノ製造の最新の進歩過程を、自ら世間にデモンストレーションしていたのであった。』(本文より)

 *少年期のブラームスは、貧しい家庭の事情があり、家にピアノがなく師の家やピアノ工房を訪ねてはピアノの稽古に励んでいたらしいのです。その師がオットー・フリードリッヒ・ヴィリバルト・コッセル(コッセルはブラームスの天才を見出した最初の師で、ブラームスを教えるためわざわざブラームス家の近所に引っ越して来て、ピアノをブラームスに使わせたと言われています。)であり、そのピアノメーカーがハンブルクのバウムガルテン・ウント・ハインスで、後にブラームスは自身の第一ピアノ協奏曲のハンブルク初演(1859年3月24日)で、このメーカーのコンサートグランドを使いました。

 *ピアノアクションにはシングル・エスケープメントとダブル・エスケープメントの方式があり、フランスのエラールが特許(1808年、1821年再特許)をとったダブル・エスケープメント方式が次第に優勢となりつつありました。ブラームスも1850年代よりエラールに親しんでおり、高い評価を下しています。上記のピアノコンツェルトも初めはエラールが使えないので初演を一年延期したくらいでした。(結局は使えず、バウムガルテン・ウント・ハインスを使いました。)この頃クララ・シューマンもイギリス公演の折り、エラールを寄贈され所有しており(1856年)、クララの家でもブラームスはエラールを弾いています。またイギリスのブロ−ドウッドも1867年にクララにピアノを寄贈し、ブラームスはクララの家でクララとこのピアノで連弾を楽しんだと伝えられています。(ピアニスト、フローレンス・メイ回想録より)
 当代随一の女流ピアニストには多くのメーカーが接近し、自社の広告塔になるように望んだようです。 

 *エスケープメント方式
 鍵盤を押し下げるとその奥(先)は梃子(てこ)の原理で押し上げられ、その動力がアクションを押し上げ、同時にハンマーを突き上げ(ジャックと言う梃子で)て打弦します。しかし弦に当たる瞬時手前でハンマーがアクション(ジャック)から自由に解き放たれなければハンマーは弦を押しつけて振動を止めてしまい音は鳴りません。そのハンマーの弦への押し付けから逃がす仕組み(ジャックをハンマーから外す仕組み)をエスケープメント方式と呼ぶのです。そして解き放たれたハンマーはその運動の惰力(惰性)で弦を打ちます。シングル・エスケープメントは逃がすだけであり、従って同音連打は鍵盤を一度元に戻さなければ次の音は鳴らせません。ダブル・エスケープメントはハンマーを逃がし打弦した後、”レペテイションレバ−(反復梃子)”で少しハンマー(ハンマーの根元にある鹿革のローラー)を持ち上げ、ジャック(直接ハンマーを突き上げる梃子)とローラーの接触を解除し、ジャックを瞬時に打弦可能な元の位置に戻す仕組みです。鍵盤を元の位置まで戻さなくても再び打弦できる機構であり、素早い同音連打が可能となるのです。(難しいでしょうか?)深くお知りになりたければメールを下さい。
 メールアドレス otonotanoshimi_mikami@yahoo.co.jp

 *1862年には”ベーゼンドルファー”で演奏会を開いたと記録が残されています。しかし1865年から1875年まではウィーンでの演奏会には主にシュトライヒャーを使用しています。この年代ではベーゼンドルファーよりシュトライヒャーを高く評価し、好んで使っていたようです。ベーゼンドルファーはこの雌伏を肥やしとし、やがて世界の名器へと躍り出るのです。

*1985年のアメリカに於いて、アメリカにある1868年製のシュトライヒャーピアノを使って、初期鍵盤楽器講座の演奏会が行なわれました。ピアニスト・セス・カーリンはこの時ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲作品24」を演奏しました。カーリンは「木目調の音……より人間的、有機的」と称しました。そして「高音部は天使のように甘く、鐘の音のよう」と絶賛しました。更に第22変奏の「オルゴール風」では、「まるでチェレスタのようだ」と述べています。ブラームスのピアノ作品のオーケストラのような多彩な音色を表すには、格好のピアノだと述べたそうです。

 *1875年以降からのブラームスは、ウィ−ンの演奏会ではほとんどベーゼンドルファーを弾くようになりました。それはシュトライヒャーの経営の衰えが深刻さを増した事によります。品質でもこの頃はベーゼンドルファーに太刀打ちできなくなっていたのであり、やがてシュトライヒャーは会社を閉じます。またブラームスは私的な演奏会(サロンでの)ではしばしば、”エールバー”ピアノを弾く機会が増えました。それはこのエールバーのサロンでは自作の管弦楽曲のピアノ連弾での試演が企画されたからで、第2、第4交響曲や第2ピアノ協奏曲の披露演奏がなされました。

 *ブラームスは演奏旅行のお陰で、各地でヨーロッパ製及びアメリカ製のコンサートピアノを弾く機会を得ました。それを列挙すると、以下の顔ぶれとなりました。中々の有名メーカーが並んでいます。ベヒシュタイン、ブリュットナー、シュタインヴェク、クレムス、トラウ、リップ、クナーベ、イバッハ、バッハマン、マント、ヤコビ、スタンウェイ。

 *1881年、ブラームスの第2ピアノ協奏曲はベーゼンドルファーを使ってブダペストで初演されました。その後間もなくシュツトガルトで行われる同曲の演奏会にブラームスは友人にピアノの確保の注文をしています。「“ベヒシュタイン”か“スタンウェイ”をシュツトガルトに運んでくれないか、運送料は払うから」と…。この年代はベヒシュタインを殊の外、信頼していたようです。
 当時のベヒシュタインは現代のピアノに匹敵する優れたものであったと言われています。低音弦の交叉張り、一体型の鋳鉄製フレーム、ダブル・エスケープメント(シュワンダー型)。ベヒシュタインは強く、ビロードのような音を持つと言われたそうです。この協奏曲の指揮を任されたハンス・フォン・ビューローは「弱音が素晴らしく均一で、音に喜びがあり、しかも弾き易い……私達はタッチと音色の陰影が必要とされる場面で、様々な演奏の場を提供されるのだ」と賛辞を送っています。
その後のブラームスは度々ベヒシュタインを使っていたようで、その信頼は厚かったようです。またニューヨークの“スタンウェイ&サンズ”もハンブルク経由で入って来るようになり、ブラームスは試し弾きをしています。その感想は残念ながらこの本文には入っていませんがきっと気に入った事でしょう。また更にブラームスはボストンの”メイスン&ヘムリン”のピアノの開発にも間接的に関わっています。それと言うのも以前に、このメイスン&ヘムリンのピアノ設計者となるピアノ・デザイナー、リヒャルト・ゲルツと親しくなり、ピアノについて様々な意見交換をしたのでした。恐らくゲルツはブラームスに多くの教えを請い、感化されていたと思われます。きっとメイスン&ヘムリンにはブラームスの息吹が吹き込まれているのでしょう。著者もメイスン&ヘムリンはブラームスの無骨さに相応しいと述べています。

 *最後にブラームスのベーゼンドルファーへの賛辞を記しておきましょう。52才の夏、ブラームスはル−トヴィッヒ・ベ−ゼンドルファーに文書でこう述べています。「ベーゼンドルファーの何と言う素晴らしさ、それは鬱陶しい雨降りを、夏の晴天に変えてくれるのです」と。
 ブラームスは多くのピアノメーカーを育てたと思われます。時には厳しく、また時には熱心に、ピアノの真実を教えたに違いありません。それはベーゼンドルファーやベヒシュタイン、スタンウェイが見事に21世紀まで世界の名器として生き残った事に証明されています。
        ジョージ Sボザース、スティーヴン Hブレディ著  
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2009年01月14日

音楽の話3 シューマン ピアノ五重奏

 シューマン ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44
 昨年のクリスマスプレゼントに我が長女から貰ったものは、CD券(ミュージックギフトカード)でした。子供が成長し大人になると子供からプレゼントされるものが増え、反対にこちらからあげるものは極端に減りました。それは嬉しいような寂しいような、何だか面映ゆい気持ちであり、有り難い事ですが親の立場は益々なくなりつつあるようです。
 先日の仕事の帰りに、私はこのCD券を携え横浜新星堂を訪ねました。この時、新星堂は在庫一掃の半額セールを実施していました。それならばと雑然と棚に並べられた大量の品を哀れな老眼の目で必死に隈なく見定め、私は三組のCDを買い求めました。その一枚としてピアニスト、アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とプロ・アルテ弦楽四重奏団の共演したシューマンのピアノ五重奏曲を選びました。シューマンはブラ−ムスやモーツァルトに次ぐ私の大好きな作曲家で、特にピアノとピアノの入った曲目(協奏曲、室内楽、歌曲等)を気に入っています。このピアノ五重奏曲はピアノと弦楽四部が合奏する曲で、それぞれのパートが美しい旋律を掛け合いながら進みます。常にぴったりと寄り添い互いに慈しみ合い語り合っているように聞こえます。その豊かな官能性と繊細な抒情性…、人間の愛と男の優しさに溢れたシューマンならではの作品で、後のシューマンの致命的な病などまるで感じさせない幸福な音楽です。この幸福が何時までも続けば良かったのにと思わずにはいられない、それ程までの幸福感が横溢しています。但しそれでも第二楽章はやや悲しく、甘い追憶の情緒が溢れます。しかしその悲しみさえ幸福の神に包まれた魂の裏返しに過ぎません。恐らく、愛妻クララとの苦難に満ちた結婚までの日々が思い出されているのでしょう…。ロマン派の室内楽を味わうには絶好の曲であり、愛と優しさを感じさせてくれる名曲です。お勧め致します。
 演奏者は故人であり、CDは古い録音で音質は冴えませんが、その演奏は音楽をする喜びに溢れていて好感が持てます。シュナーベルは小作りですが大変お洒落な演奏でシューマンの世界を優しく開いて聴かせてくれます。
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2009年01月08日

音楽の話2 日本ブラームス協会編 「ブラームスの実像」を読んで 

 一昨日より読み始めた本の一番目の感想文を投稿します。よかったらお読みください。

 第一章 交響曲第一番ハ短調ウィーン初演評 E・ハンスリック著 1876.12.17 
 ブラームスが長い年月を掛け、渾身の力を振絞って書いた第一交響曲はカールスルーエ(ドイツ南部の都市)で最初の初演?がなされました。それは恐らくこの交響曲の試運転の様なもので、ブラームスはその後の大都市での初演を前にして“出来”や“評判”を確かめておきたかったようです。そしてマンハイム、ミュンヘンで好評を博し、いよいよ音楽の都ウィーンでの初演に漕ぎ着けました。1876年12月17日、ブラームスの交響曲第一番はウィーン楽友協会大ホールに轟き渡り、ウィーンの聴衆に深い感銘を与えたのでした。この時、この曲の論評をしたのがウィーン音楽評論界のドン(首領)、エドワルド・ハンスリックでした。
 
 今まで私は、数少ないブラームスを著した書物を読み漁ってきました。ところがハンスリックのウィーン初演評はまだ読んだ事がなく、一度読みたいと願っていたところでした。昨年の暮、横浜中央図書館でその論評の入ったこの書物を見つけ、正月休みに読もうと思い借りて置いたのです。一昨日より第一交響曲の項を読み始め、今その感想を述べたいと思います。 

 ハンスリックはその権威ある存在に拘わらず依姑贔屓が過ぎると言われており、ブラームスを擁護し、ワーグナーを扱き下ろす立場をとってきました。ワーグナーとその一派からは目の敵にされ、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルグの名歌手」の中の敵役、哀れな役人ベックメッサーのモデルとして名指しされています。またブラームスはこの偏狭のハンスリックに対し一定の距離を置いて接していたようです。後年、ブラームスは「支持してくれるのは有り難いが、彼は俺の本当の姿を全然分かってはいない」と述べたそうです。しかし私はこの論評を読んでハンスリックは大方のところではブラームスを理解していたように思われました。

 『楽界全体が、これほどまでに切なる思いで、一人の作曲家の最初の交響曲を待ち望んでいたというのも、ほとんど例のないことだ。これはとりもなおさず、ブラームスがとてつもなく高度で、しかも複雑な形式を用い、飛び抜けた作品が書けると信じられていたことを、はっきり物語っている。』の冒頭で始まる論評では、彼はブラームスの交響曲を作曲する上での妥協のない厳しさと一般受けを狙わない正直さ故にこの曲が直ぐには理解されないが、後々繰り返し聴けば解って来る筈であると説いています。それは私も全く同感で、私もレコード及びCDで何千回もこのブラームスの曲を聴いてきた人間で、今ようやくブラームスの全貌が見えてきたところです。またハンスリックはベートーヴェンを引き合いに出し、ブラームスこそは、ベートーヴェンの後期(第九やミサ・ソレムニス、ピアノソナタ第二十八番以降、弦楽四重奏曲第十二番以降などを書いた時期)に最も近づいた人であると述べます。そして『ベートーヴェンの音楽の主たる特質の一つは、相手(聴衆)を魅了するよりも、心服させるという倫理的要素であると言われている。正にこれが、彼自身の音楽と全ての”娯楽的音楽”とを明確に区別するものだが、だからと言って後者が芸術的に無価値だと言うのではない。ベートーヴェンのこの倫理的性格は陽気ななかにも真摯な心を失わず、永遠なる神に捧げた魂をもあらわに見せているが、これはまたブラームスのなかにもはっきりと見出されるのである。』と説くのです。然るにこれだけブラームスを理解しているにもかわらず、何故前述したブラームスの『ハンスリックは俺をまるで解っていない』になるのでしょうか。それは以下の叙述にその理由が決定的に現われていると思います。『ベートーヴェンの様式は、彼の人生が終わりに近づくにつれ、しばしば不透明で乱雑、そして独断的になり、彼の内面は悩める気質の中に埋没していった。』、及び『ブラームスは、感性の美しさを犠牲にしてまでも偉大なもの、厳粛なるもの、重々しいもの、あるいは複雑なものをいささか好み過ぎるようである』に答えがあると思います。ブラームスはそう言った外形的なものに拘ったのではなく、己の思い、己の思想に正直であり、それを音に忠実に具現した結果、偉大なもの、厳粛なるもの、重々しいもの、複雑なものになったのです。その根本の思想は愛(博愛)であり、希望(生きる…)であり、信仰(信頼)です。ハンスリックはブラームスのそこが解らなかったのです。真の芸術家は美しく立派なものを書こうとはしますが、それが目的ではなく、人生の真理の表現を目指しているのです。ベートーヴェンしかり、ブラームスしかりです。
posted by 三上和伸 at 23:55| 今宵の名曲・音楽の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

音楽の話1 大晦日 第九とレクイエムを聴く

 今年の大晦日は紅白歌合戦も格闘技も見る積りはありませんでした。それに確たる理由はないのですが、心がそれらを求めなかったと言う事です。今年はもっと温かいもの心を潤してくれるもので年を越したく思いました。
 まずN響の第九を聴きました。闘争の一楽章、それに続く熱狂的舞踏の二楽章、ベートーヴェンの力に満ちた論理性が展開されて行きます。ところが三楽章、美しい流れの中に甘い追憶と静かな祈り…、ベ−トーヴェンの新境地、苦悩の告白が述懐されます。そこには晩年のベートーヴェンの切実な辛苦と疲弊が感じられ心に響きます。しかし第四楽章で最後の力を振り絞り人類の共存を謳います。それは正義と善意に満ちていて極めて哲学的であり思想的です。ベートーヴェンはゲーテに影響を受けていて「俺は音の詩人になる」と述べたそうです。この第九こそはベートーヴェンが命を掛けた偉大な作品であり、真に音の詩人に値するベートーヴェンのベートーヴェン的音楽です。
 そんなベートーヴェンを聴いた後、もっと心を埋めたくて私はモーツァルトのレクイエム(鎮魂曲・死者のためのミサ曲)を聴きました。このレクイエムと言うジャンルは時々聴きたくなる音楽で、その事で言えば私は特異な音楽愛好家だと思っています。親族の命日や彼岸の折りにも良く聴きます。レクイエムは死者の魂を鎮める曲ですが、生者にも広く心開かれた曲です。極論すれば生者に慰めを与える音楽と言えます。このモーツァルトの八曲目の「涙の日」とそのアーメン終止を聴けば、私は涙と嗚咽なくして聴き終わる事はありません。十三曲目「祝せられたまえ」や終曲の「永遠の光を輝かせたまえ」を聴くなら、深い心の平安を得る事ができるのです。そしてそれから力を得て、私は再び生きる希望を輝かすのです。 

 万歩計便り(2008.12.31) 6321歩
 三日月と金星は大分接近しており、今夜は手を伸ばし中指と薬指を開きピースサインをした間隔にあります。明晩はおそらく月が金星より東に抜けるかも知れません。大変美しく、是非ご覧あれ!
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2008年08月23日

今宵の名曲・この一枚13 ヘンデル

今宵の名曲13
ヘンデル
ヘンデル 水上の音楽(ハレ版) 組曲第1番ヘ長調HWV.348 組曲第2番ニ長調HWV.349 組曲第3番ト長調HWV.350 
王宮の花火の音楽HWV.351(クリュザンダー版) 指揮;ネヴィル・マリナー アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

 時代及び世の東西を問わず、時の権力者は風流風雅を好むものです。故に夏の暑さの盛りには舟遊びなどが行われて、涼を楽しむ行事が盛んだったのです。古の日本でも皇室や貴族は池に小舟を浮かべ、そこに雅楽隊を設えて音曲を楽しみ、夏の風雅を満喫したようです。そしてそれと全く同様に十八世紀のイギリスでも、時の国王ジョージ一世がテームズ川で舟遊びの行事を催し、涼を楽しんだのです。(1715/08/22)

 この時、音楽隊(オーケストラ)の楽曲を作曲したのがヘンデルであり、その曲こそがこの水上の音楽なのです。多勢の楽人を乗せた音楽隊の舟はこの壮麗典雅な楽を響かせ、国王の乗る舟に近づいて行きます。音楽好きの国王は大層驚き感激し大はしゃぎをし、この曲を大変気に入りました。国王のヘンデルへの愛顧は揺ぎ無いものとなり、ある理由で国王の機嫌を損ねていたヘンデルでしたが、ここで大いに認められて再びイギリス王室の音楽家として地位を確立したのです。音楽は自然の広大な空間に共鳴するように豊かに大らかにそして涼やかに流れ行きます。極めて外に向いた明朗闊達な音楽であり、ヘンデルの豪快な気質がよく表れた見事な作品です。私達も王族の気分となり、この曲を掛け心に舟を浮かべ聴いてみましょう。きっと貴方の窓辺にも涼しい川風が流れ来るでしょう。そしてふっと汗が引く事でしょう…。

 王宮花火の音楽は、当時の紛争の終結を祝う花火大会のために書かれたヘンデル作の野外音楽です(1749/4/27)。従って初めはブラスバンドのために書かれたものであり、当時は百本の管楽器が夜空に轟いたそうです。正に壮大なるパフォーマンスであり、華々しいイベントであったのです。一度この設定で私達もこのブラスバンド版を聴いてみたいものですね…花火を射ち上げる前の期待を込めた一興として…。その最高のスペクタクルが実現されたならば、歓喜は爆発し、話題騒然となる事は必至と思われます。是非、興行主の皆様、御検討をよろしくお願い致します。
 後にこの曲は作曲者自身の手によって演奏会用に編曲されました。今日、私達が聴いているのはこの編曲されたものであり、オーケストラで奏され、より豊麗な美しさに満ちています。
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2008年07月20日

今宵の名曲・この一枚12 リスト

 今宵の名曲12
リスト
 リスト ピアノ協奏曲第一番変ホ長調 マルタ・アルゲリッチ(ピアノ) 指揮:クラウディオ・アッバード ロンドン交響楽団
 パフォーマンスに徹した娯楽音楽の快作

 ベートーヴェンの弟子で、有名なピアノ教則本の著者であるカール・ツェルニーの薫陶を受けたリストは、メキメキとピアノ演奏の腕を上げ、ピアノの神童と誉めそやされました。そして当時の大ベートーヴェンに謁見を許され「音楽とは人を喜ばせ幸福にするもの、それができるのは幸運なのだ、しっかりやりなさい。」と励まされたのです。リストはこの言葉を生涯忘れず己を叱咤激励し、このベートーヴェンの遺訓に准じました。この様に心に掛け替えのない宝を持った者は幸せです。リストの後年の努力と成功はこの時すでに約束されたものだったに違いありません。リストが十一歳の時のウィーンデビュー演奏会での出来事でした。

 幼くして衝撃のデビューを果たしたリストは父と共にヨーロッパ各地を転々とし、演奏旅行に奔走しました。行くところ行くところ大成功を収めリストは神童の名を欲しい侭にし、その名声はヨーロッパ全土を駆け巡りました。しかし父の死と失恋をきっかけに心折れたリストは失意のどん底に陥り、社交界への出入りもやめ演奏会も開けなくなりました。聴衆の前から消えたリストを当時の人々は「リストは死んだ」と噂していたそうです。そんな中、リストはパリでヴァイオリンのパガニーニを知る事になります。パガニーニのヴァイオリンは変幻自在の音色と技巧を駆使した未だ嘗て聴いた事のない衝撃的な音楽でした。正にヴァイオリンの魔術師と異名を取る画期的な演奏だったのです。リストは感動し、激しい衝動に駆られ、「俺はピアノのパガニーニになる」と決意し、以来ひたすらピアノ演奏技法の工夫研究に没頭します。この研究成果は正に絶大であって、その後のリストのヴィルトオーゾ(巨匠)としての地位を確立させ、新たな領域のピアノ作品群を誕生させる原動力となりました。そしてそれはリストを音楽史上の偉大な作曲家の一員に押し上げる力となったのです。また楽器としてのピアノの進歩にもそれが大きく寄与した事を忘れてはなりません。現代のピアノの素晴らしさはリストを始め、こうしたピアノ作曲家並びにピアニストの発想と進言の賜物であると言えます。長らく日本の演奏会用ピアノの能力が低迷していた事実は、このピアノ作曲家やピアニストの有益な進言が得られなかったからであり、日本にリストやショパン、またドビュッシーやラベルがいたら、日本のピアノは五十年早く、今のレヴェルに到達した事でしょう。

 ピアノ演奏の領域に画期的な新技法を開陳したリストは公私共に盛んとなり、パリ社交界へも進出し、その栄華はいよいよ本物となりつつありました。するとそこには必然として女性の存在が浮上してきます。リストと女性、それは彼の父親が一番心配していた組み合わせです。男前であり、その長身の身のこなしや風情はクールであり、しかも新進気鋭のピアニストときては正にスターであり、女が放って置く筈はありません。多くの名家の子女達が取り巻きとなり追っ駆けとなって言い寄りました。しかし流石はエキセントリックな芸術家、うぶな生娘等には鼻も引っ掛けず、専ら貴族の人妻を口説いては不倫に現を抜かしていたのです。あの父親の死に際の予言はここに見事に的中してしまったのであり、リストは生涯女性との軋轢に苦しむ事となります。

 まず初めの女性は、後にリストの三人の子供を産み、しかもその内の次女が後年大作曲家ワーグナーの妻となり、その子供(ジークフリート)を産んだコジマであり、正に西洋音楽史上に自己の血脈の一筋を注入した女性、パリ社交界の花形マリー・ダグー伯爵夫人です。マリーは若く豊潤な美貌の持ち主でありながら、年老いたダグー伯爵と愛のない政略結婚を強いられた身であり、色男リストとの出会いは正に運命的でした。マリーは当時最も有名な社交クラブ・ダグー伯爵家のサロンを主催していました。そこに出入りできるのは文化人やセレブだけであり、それは正に当時の上流階級の社交場であり、リストもショパンもここで自作を披露し名を成して行ったのでした。因みにショパンとジョルジュ・サンドの出会いもこのサロンでした。リストは美しき女主人マリーに恋をし、しきりに口説き始めます。しかし初めマリーはこれを避けていました。もしそれを許したなら抜き差しならぬ関係となり、不倫の烙印を押されてしまいます。マリーはぎりぎりの所で自分を抑えていたのです。しかし欲望の泉は止め処なく溢れ出し、遂に決壊する時を迎えてしまいました。マリーはパリと夫を捨て、リストの下に走り、スイス・ジュネーブに愛の巣を持ちました。パリ社交界はこの二人に非難轟々となり、マリー・ダグー伯爵夫人は多くの知己を失い財産までも無くしてしまったのです。
 駆け落ちをした二人は、仲良く生活を始め、三人の子を儲け暫くは幸福でした。しかしやがて不和が忍び寄り別居するようになります。そしてその五年後には話し合いの末、完全に別れる事になりました。その主な原因はマリーの嫉妬にあると言われています。リストが女性に“持てる”のは当然と熟知していた筈のマリーでしたが、虚栄心の強いマリーはそれを頭で解っていても心で許せなかったのです。私が思うにはリストは成熟した男の持つ思慮と優しさが足りなかったように思われます。己が愛した筈の女性、そのマリーの女性としての資質に理解が浅く、無責任であったと言う事です。リストの恋は盲目の恋だったのです。

 家族と別れたリストはピアニストとしての自分に全精力を注ぎ込み、ピアノ演奏及び演奏技法研究に没頭します。そしてその世間の評価はいよいよ最高のものとなり、リストは当代随一の名ピアニストとして名を成し楽壇の中心となります。そして多くの弟子や取り巻きを抱え、リスト一派の形態をなして行きます。これが後にワーグナーやブルックナーにヴォルフ、さらにリヒャルト・シュトラウスやマーラー等の作曲家達が賛同する新ドイツ派(ワーグナー派)へと発展して行くのです。

 1847年、リストは再び人妻と不倫をします。その女性の名はカロリーネ・フォン・ザイン・ヴィットゲンシュタイン伯爵夫人であり、この人こそは、リストが今日作曲家リストとして世界に名を成していられる要因となった真の恩人と言えるのです。カロリーネはリストにこう言ったそうです。「ピアニストや指揮者などは、死んで時代が進めば何れ忘れられてしまうものよ、作曲をなさい、優れた作品を残せば貴方の名は末代まで残るのよ。永遠の命が与えられるのよ。」と…。この優れた進言に私はこの女性の芸術への愛と造詣の深さを感じ、関心させられました。ピアノ演奏に固執し作曲にそれ程興味を示さなかったリストですが、これを切欠に作曲にも精を出すようになります。リストの佳曲、名曲のほとんどがカロリーネと出合い(1847年)ワイマールで同棲し始めた(1849年)以降に作られた作品であり、如何にカロリーネの存在が大切であったかが知られます。しかしリストには女性との幸福は難題のようです。カロリーネとヴィットゲンシュタイン伯爵との離婚は宗教上難しく、紆余曲折の末、1861年成立不可能となりました。これに失望したカロリーネはワイマールのリストの下を去り、宗教生活に入ってしまったのです。捨てられたリストも修道僧となり、その後僧籍を得て黒衣を纏うようになりました。よって晩年のリストは僧衣を纏ったピアニストとあだ名されるようになったのです。私が思うにはここにもやはりリストの人を己に瞠目させようとする、芝居掛かった目立ちたがりの性格が表れているよう感じるのです。(可愛いですが?やや、醜悪です。)

 ピアノ協奏曲一番はこれまで述べてきた彼の性格なり、芸術の趣向なりがよく表された佳曲に思います。派手好きで人を驚かせるのが大好きな気取り屋の目立ちたがり屋、そして濃密なロマンティックとそれ故の女好きなところ、更に飽きる事のないピアノ演奏技法への探究心、そんなものが綯い交ぜとなり、極めて解りやすく颯爽とした音楽です。肩の凝らない娯楽の粋を極めた佳い作品と思います。

 ピアノのアルゲリッチはこの曲には打って付けのピアニストで、ロマンチックで爽快な快演奏をしています。 
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2008年06月29日

今宵の名曲この一枚11 ブラームス

  今宵の名曲11
 ブラームス オルガン曲集
 クリストフ・アルブレスト(オルガン) [ヨアヒム・ヴァーグナー製作・聖マリア教会オルガン・旧東ベルリン] 1978.4.24-27録音
ブラームス

 コラール前奏曲とフーガ「おお悲しみよ、おお心の痛みよ」 イ短調WoO.7
 フーガ 変イ短調WoO.8 
前奏曲とフーガ イ短調WoO.9
前奏曲とフーガ ト短調WoO.10
 この当時、ブラームス(24歳頃)は対位法の研究に没頭し、その成果として以上のオルガン作品を作り出しました。またこの当時は恩師シューマンの精神の病からの死があり、これ等の作品にシューマンの死が色濃く投影されています。真摯で厳粛な深い悲しみの中に沈んでいます。

 11のコラール前奏曲OP.122
  第一番「わがイエスよ、私を導いてください」ホ短調
  第二番「最愛のイエスよ」ト短調
  第三番「おおこの世よ、私は去らねばならない」ヘ長調
  第四番「わが心は喜びに満ちて」ニ長調
  第五番「汝を飾れ、おお愛する魂よ」ホ長調
  第六番「おお、いかに幸いなるかな、信仰深き人々よ」ニ短調
  第七番「おお神よ、まことなる神よ」イ短調
  第八番「一輪の薔薇が咲いて」ヘ長調
  第九番「心より我は願う」イ短調
  第十番「心より我は願う」イ短調 原コラールは前の第九番と同じ
  第十一番「おおこの世よ、私は去らねばならない」ヘ長調
 死を目前にしたブラームス最後の作品です。この世への惜別の歌であり、ブラームス特有の美学・諦観に溢れています。聴く者を感動に導きます。

 父の日の数日後、我が娘より贈られたプレゼントのお金を携え、私は横浜ジョイナスのレコード店新星堂を訪れました。以前から欲しかったブダペスト弦楽四重奏団とヴィオラのトランプラ−が共演したモーツァルトの弦楽五重奏曲集(三枚組)と前回の今宵の名曲10で紹介したメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を選び、暫く陳列棚を眺めていたところ、このブラームスオルガン曲集が目に飛び込んできました。それは旧東ドイツの国営レコード会社シャルプラッテン製作の原音の再盤と帯に記されており、私は迷わずこの一枚も買い求めました。メンデルスゾーンを最初に聴き、次にモーツァルト、そしてブラームスと順次聴いて行きましたが、初めはブログに掲載するのは「真夏の夜の夢」だけと決めていました。ところがブラームスのオルガン集が余りにも素晴らしかったので、ここに投稿する事となりました。こんな人生を真正面から捉えた音楽は一般的ではなく、このブログの場では似つかわしくないかも知れません。それは多少懸念される事かと想われましたが、しかし、この様な音楽も存在し、またそれを愛する人間もいる事を知って頂きたかったのです。人生の生き方として、人は何を頼りに何に希望を繋ぎ、生き抜いて行くのでしょうか? それは人それぞれに異なり、皆様もそれぞれ様々にお持ちの事でしょう…。私にも幾つかの支えと希望があります。一つは家族への愛、二つには自然への憧れ、三つ目は音楽(芸術)を享受する喜びです。私は心が荒むと心優しいモ−ツァルトを聴きます。そして生きている実感を味わいたくなると強い情熱のブラームスを聴くのです。この二人の諦観の涙に触れ、私は乾いた心を癒し、荒む魂を鎮めるのです。やがて心には一点の灯火が点り、それは次第に赤々と燃え盛り、明日を生きる希望となるのです。そんな精神がこのブラームスのオルガンの響きの中にもあります。ひたすら救いを求める善良な魂の渇望があり、そこに慈しみ深い愛が浮遊しています。
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2008年06月27日

今宵の名曲この一枚10 メンデルスゾーン

 今宵の名曲10
 メンデルスゾーン 劇付随音楽「真夏の夜の夢」op.61より 
 序曲、スケルツォ、妖精の合唱「舌先さけたまだら蛇」(ソプラノ、アルト、合唱)、間奏曲、夜想曲、結婚行進曲、終曲「ほのかな光」(合唱)
 ジュディス・ブレーゲン(ソプラノ) フローレンス・クイヴァー(アルト) 指揮:ジェイムズ・レヴァイン シカゴ交響楽団、合唱団
メンデルスゾーン

 メンデルスゾーンは、その生涯に於いて、何一つ不足のない恵まれた環境の下で生き、挫折とは無縁の男でした。銀行家の父を持ち、大富豪の家に生まれ、ベルリンの広大な敷地にはホールまで備わった壮大な豪邸に住んでいました。当時としては考えられる最高の英才教育を受け、そして何よりも天賦の才をその痩身に支え切れぬ程に授かって生れてきたのです。正にエリート中のエリートであり、功成り名を遂げた全盛期にはライプツッヒ音楽院の院長やゲバントハウスの指揮者をも兼務し、向かう所敵なしの若き名士でした。もしその人格と業績に足りないものがあるとするならば、恵まれ過ぎた裏返しとしての苦労知らずが反映して、作品に人間的な深みが欠けていると言う一点です。しかし音楽にそんなものは要らないと言うのであれば、メンデルスゾーンほど純粋に美しい音楽を書いた人は外にいないと思われます。軽やかで快く、優雅で清らかな貴公子の音楽、誰が聴いても俄かに心に沁みて来る名旋律のちりばめられた作品、その完璧なまでの説得術はショパンと並ぶエンターティナーと言えるでしょう。その作風は生涯変わらず、香り高い名作を作り続け、リストやシューマンを始め誰もが驚きそして羨む、太陽の光栄に満ちた輝かしい作曲家でした。後の大作曲家ブラームスはこう述べています。「私の空には毎朝二つの太陽が昇ってくる。その一つはモーツァルトと言う太陽だが、もう一つはメンデルスゾーンと名乗る太陽なのだ。」と…。ブラームスは重厚で悲観的な自分の田舎者の音楽と比べ、天性の明朗な気分を持つ都会人のこの二人の先達の音楽に、自分には表せない素晴らしさを認め、嫉妬していたようです。そんなメンデルスゾーンのその最晩年(最晩年とは言っても四十歳に満たないのですが)はその要職の重さ故、余りにも多忙であり、心身を休める暇がなく大作曲家の常として心と体を病み、短命と言う宿命から逃れられませんでした。この最期の時期は黄金の日々を駆け抜けた勝者にとっては寂しい限りのものとなり、最愛の姉の死をきっかけに鬱病を発症し、姉の後を追うように急転直下、あっと言う間に亡くなりました。親友シューマンを始め誰一人その訃報に驚愕しない者はいませんでした。その輝かしい名声とそれに伴う重い責務がメンデルスゾーンのか細い健康を打ち砕いたのでした。この思いもよらぬ死に際こそが、栄光に満ちた名士メンデルスゾーンの最初で最後の挫折であったのかも知れません。

 「真夏の夜の夢」とはイギリスの劇作家シェークスピアが書いた喜劇であり、この十九世紀の時代に至り、シェークスピアの作品はこの喜劇を始め各国で翻訳され上演され始めていました。メンデルスゾーンは、この戯曲を少年時代より愛し、自宅で朗読をしたり、実演を試みたりして親しんでいました。十七歳の時、この楽しい喜劇の雰囲気を音楽に表したいと望み、序曲を書きました。これは管弦楽法も堂に入っていて十七歳の少年の作とは思えない素晴らしい出来栄えでした。やがてそれから十七年の歳月が経過し、ポツダムの王立劇場の落成式にこの「真夏の夜の夢」の劇が上演される運びとなり、国王フリードリヒ・ウィルヘルム4世は、劇付随音楽を書くようにメンデルスゾーンに依頼しました。メンデルスゾーンは喜んでこれに応え、十七歳の時に作曲した序曲より幾つかのモチーフを選び新たに作曲し、序曲を含め十三曲を組曲としてまとめ、劇付随音楽「真夏の夜の夢」としました。この曲は初演当初より大変な人気を博し、それは今日までも色褪せず愛好され続け、その結婚行進曲は日本のTVドラマやCMに使われて、メンデルスゾーンを知らない人でさえも口ずさんでいる始末です。メンデルスゾーンの個性極まる最高傑作の一つであり、私はメンデルスゾーンの作品の中では、スコットランドシンフォニーや無言歌集と共に大好きな曲です。

 因みに、真夏とは日本の盛夏の七、八月の事ではなく夏至の頃、ヨーロッパではこの夏至を真夏と称し、好んで祝祭するのです。「真夏の夜の夢」はシェ−クスピアが民間に伝わるこの夏至の前夜に起こる不思議な出来事の言い伝えを利用し、御伽話風に面白可笑しく戯曲に仕立てたものなのです。
 この音楽は冒頭の序曲に始まり、劇の進行に従って順次幕間に演奏され、終曲で終ります。このディスクには、全13曲の内以下の7曲が収録されています。

 1、序曲 
 劇の始めに奏されます。メンデルスゾーン特有の細かいリズムに乗った歯切れのよい音楽が展開されて行きます。それは時に諧謔に、時に夢想的に、また時に優しく愛しむように流れ行きます。シェークピアの意図した夢の世界が生き生きと表現されているのです。

 2、スケルツォ 
 第一幕の後で奏されます。序曲の出だしと同様に細かく切れ味の鋭いリズムに全編覆われています。それは妖精の姿を表現して極めて生気を帯びて活発であり、諧謔の楽しさに溢れています。

 3、妖精の合唱「舌先裂けたまだら蛇」
 ソプラノとアルトの独唱を交えた合唱で、妖精の動物への呼び掛けが優しく表されています。この歌はドイツ歌曲やドイツ民謡に通じるものがあり、とても素敵な優しい歌声で歌の素晴らしさを実感させてくれます。

 4、間奏曲 
 第二幕の後に奏されます。前半は登場人物の一人、乙女ハーミアの不安げな憂いの気分を表してややナーバスですが、後半は一転して職人達の楽しい行進曲になります。

 5、夜想曲
 第三幕の後に奏されます。森の中で眠っている二組の恋人達を表した曲。ホルンの醸す森の雰囲気が濃密であり、このCDで最も美しい愛の音楽です。

 6、結婚行進曲
 言わずと知れた有名な結婚行進曲。第五幕冒頭で奏されます。いよいよこのお話もクライマックスを向かえました。二組の恋人達が結婚式を挙げたのです。式の興奮と華やぎが感じられ、臨場感たっぷりに響きます。

 7、終曲「ほのかな光」
 序曲と同じ楽想であり、しかも合唱付です。劇全体の統一感に気を配った結果でしょう、しっかりと整った後味が残ります。大団円に至り、最後のヴァイオリンの旋律が如何にも名残惜しそうで終曲に相応しく、劇を見終わった観客に深い満足感を与えます。ここにもメンデルスゾーンの卓越した技法と演出が際立っています。
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2008年05月31日

今宵の名曲この一枚8

 今宵の名曲ー8
 シューマン ピアノ協奏曲イ短調 OP.54 ラドゥ・ルプー(ピアノ) 指揮:アンドレ・プレビン ロンドン交響楽団

 ミューズのコンツェルト
 “禍福は糾える縄の如し”シューマンの生涯は、この中国のことわざの如く幸福と不幸が表裏をなして綾なし、波乱万丈の一生でした。
 芸術を愛する知性豊かな家庭に生まれたシューマンは、少年期より早くも音楽と文学の才を表し、将来はピアニストになる夢を抱いていました。家族の理解にも恵まれて、まずは大層幸福な人生の始まりでした。しかし青春期になると、不幸は前触れもなく突然やって来ました。まず姉が自殺をし、その直後に父が他界をしてシューマンは強い衝撃を受け、同時に父と言う大切な理解者を失ったのです。やがて母はシューマンの行く末を案じて法律家への道を強行に進め、シューマンはライプチッヒ大学の法科で学び始めます。しかしそれに嫌気が差したシューマンは、遂に母を説得して改めて音楽の道を歩むべく、精進する事になるのです。

 本格的にピアノを学ぶ為、当時の名ピアノ教授フリードリッヒ・ヴィークに師事し、ヴィークの住まいに住み込みで弟子入りをしました。そこには後に当代隋一の名女流ピアニストとなり、シューマンの最愛の妻となるヴィークの長女クララがいました。シューマンは20才、クララは11才であり、まだ恋愛には程遠い年齢でしたが、早熟のクララは密かにシューマンを愛していたのです。クララが15歳となると、二人は急速に接近し恋愛感情が燃え盛り、結婚を誓うようになりました。しかし、父ヴィークの反対は執拗で、この親娘と師弟は激しく争い、裁判沙汰にもなりました。最後はクララとシューマンが裁判に勝利し、二人はめでたく結婚する事になりました。やはり、この結婚だけを取ってみても禍福は表裏一体となって推移しており、正にシューマンの人生を象徴しているように思われます。この間、シューマンは激しい練習の為、指を故障しピアニストになる夢を断念しましたが、類稀な文才を活かし、新音楽時報なる音楽雑誌を発刊し、音楽批評の分野で健筆を振るいました。またそれに呼応する様に尋常ならざる創作意欲で傑作を連発し、作曲家の地位も確立し、ロマン派の名を世に標しました。(ライプツィヒ時代)

 ところが予てより心配されていた心の健康を害したシューマンは、転地療法を兼ね一家揃ってドレスデンに移り住みました。その甲斐はあり、健康を取り戻したしたシューマンは、再び創作意欲を燃やし、多くの名曲を生み出しました。クララはこのシューマンの病気による異変や回復、夫としての勤めや愛などをどの様に感じていたのでしょうか。恐らく、限りない不安と小さな安堵を繰り返し、幸福の内にも拭い切れない焦燥の日々を送っていたと思われます。でもクララにはピアノがありました。ステージに立ち演奏を披露する事で聴衆と辛苦を分かち合い、それがクララの心を平静へと落ち着かせ、明日へ生きる力となったのでしょう。音楽こそはクララの絶対的守護神だったのです。(ドレスデン時代)

 1850年、シューマンはデュッセルドルフからオーケストラと合唱団の指揮者を任せられ、シューマン一家はデュッセルドルフに引越しをします。初めは環境が変わり、張り切って職務をこなし、作品を作り続けましたが、やがて対人関係のもつれで大きなストレスを抱え、精神の均衡が崩れ始めました。塞ぎ込む事が多くなり、シューマン一家は辛い日々を送るようになります。そんな折、シューマンとその一家に明るい驚きを与えるある人物が舞い込んできました。それはドイツ国内で出世の旅をしていた20才のブラームスで、ブラームスは自分を世に出して欲しいと願い、シューマンを頼りシューマン家に来訪したのです。シューマンはブラームスの音楽に熱狂し、その願いを聞き入れ、再び新音楽時報にペンを取りブラームスの天才を世に知らせたのでした。正にブラームスの立身出世はここから始まり、ブラームスはその恩義を終生忘れず、古典復活の重い責務を果たしたのです。数ヵ月後、シューマンの病状は急変し、シューマンは遂に発狂し、ライン川へ身を投げます。幸い近くの船舶に助けられ一命は取り止めますが、しかし精神の損壊は甚だしく、精神病院に収容され、二度とそこから出る事は叶わなかったのです。二年半の間、一度としてクララに会う事はできず、狂気と絶望の末に天に召されたのです。(デュッセルドルフ時代)

 この当時、クララは完全に諦めの心境の中にありました。悲しみや苦しみは、際限なくその心に襲い掛かります。その苦難から己を守り逃れる道はシューマンを諦める事以外なかったのです。己を守り家族を守る、その事だけがクララに残された務めでした。働き手の居なくなったシューマン家の家計は逼迫し、クララは自ら演奏旅行を計画し働きに出ました。留守の間、7人の子供達の世話を焼いたのは何と、あのブラームスでした。ブラームスは一時期シューマン家のベビーシッターをしてクララを支えたのです。定職の無かったブラームスは自由の身であり、また子供好きだったのでお易い御用と、進んで子供達の優しいお兄ちゃんを演じたのでした。そしてクララから貰った生活費をきちんと管理し、家計簿まで付けていたそうです。(この微笑ましい逸話は大変以外らしく、何方に聞かせても笑いを取る事ができます。) やがてクララも落ち着きを取り戻し、一家の生活も軌道に乗り始めるとブラームスは少しずつ彼らの下から離れて行きます。それは恩人の家族を守る事ができた大きな満足を得て、もうこれ以上自分のすべき事はないと悟った事、そして貴夫人クララへの熱き思いを自らで断ち切るために...。

 この地獄の様な日々から立ち上がり、その後の半世紀を生き抜いたクララは、何を頼りに如何に生きたのか、私はこのぺージを書くにあたり少し考えてみました。ブラームスを始め友人達の支えも在ったでしょう。また子供達の成長の喜びも在ったに違いありません。しかし心底クララを喜ばせ、希望に胸を膨らませ、生き抜く糧となったのはシューマンの残した珠玉の作品群の存在に他なりません。「それを復習い、それと時を共にし、そして皆の前で披露する。そこには私とシューマンの思い出がぎっしりと詰まっている。今シューマンも私と共に生きている。」、そう実感し、日々演奏会に明け暮れていたのです。

 そんなシューマンの珠玉の作品の中でも取り分け美しい曲がこのピアノ協奏曲です。それは時に優しく、また時に悲しく、そして時に力強く喜ばしく響き渡り、そこにシューマンのクララへの愛が封印されています。他の誰であろうとも絶対に犯す事のできない強い絆で結ばれているのです。私の大好きな第二楽章(間奏曲)を聴いてみましょう。二人の語らいが静かに聞こえてきます。クララの声はピアノでシューマンの声はオーケストラで。二つの声は庭の蔓薔薇の蔓のように絡み合い俄かに溶け合って私を陶酔境へ連れ去ります。それはミューズの女神をも夢心地とさせる、白夜の夕暮れの仄かな絵のように美しい、夏の情景です。 
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2008年05月16日

今宵の名曲この一枚7

 今宵の名曲ー7
 シューベルト 歌曲集「冬の旅」全24曲D.911 ヘルマン・プライ(バリトン) カール・エンゲル(ピアノ)
 青春の慟哭 不滅の歌曲
 シューベルトが生きた19世紀初頭のヨーロッパは、フランス革命の余波に揺れる不安定な社会情勢の中にありました。シューベルトが住むウィーンも不穏な空気が漂い、革命分子の弾圧が日常化し決して住み良い都ではなかったようです。また、当時は産業革命の真っ只中にあり、若い職人の放浪の旅に依り成り立つ修行の制度・マイスター制が崩れ始めていました。大規模な工場生産が起こり、職人達は旅を捨て都市に留まる事を強いられ、工場労働者として働かざるを得なくなりました。そして、職人の技と誇りを失い掛けていたのです。
 そんな矛盾に満ちた暗い世相の中、閉塞感や焦燥に苛まれる若人達の心情を、詩人ウィルヘルム・ミュラーは一人の青年(自分自身かもしれません)の孤独な心の旅として詩集「冬の旅」を著し、表現しました。この詩物語は確かな職もない、しかし放浪せずには居られない青年の失恋から始まります。

 ある町で美しい娘に出会い恋をした青年は、幸せの絶頂にありました。ところが計算高い娘は、町の金持ちの所へ嫁に行くと言出だし、青年を裏切りました。思いが叶わぬ青年はいたたまれず町を飛び出し、真冬の原野を彷徨います。そこは正に雪と氷の世界、青年は町に住む娘に未練を残しながらも、厳しい冬の旅に旅発つのです。そしてある時は性懲りもなく娘を想い甘い追憶に溺れ、またある時は己が境遇に怒り心頭に達し恨み辛み述べ立てます。しかしどれもこれもどうにも成らなくなると、世をはかなみ慟哭し、無念の涙を流すのです。やがて青年は絶望し厭世観に取り付かれ、そこに死の誘惑が忍び寄ります。生か死か、激しい葛藤が起こります。勇気を振り絞り生きようするが、心は直ぐに萎えて死に憧れる、ギリギリの所まで追い込まれて行ったのです。しかしその時、苦悶する青年の前に辻音楽師なる老人が現れたのです。彼は見るからにみすぼらしく、かじかんだ指でオルゴールを廻します。その足に靴はなく素足のまま氷の上をよろめいて歩いています。そして投げ銭の皿には一銭の金も入っていません。誰一人そのオルゴールを聴く者はなく、彼を見る者すらいないのです。ただ野犬どもが老人の周りを取り囲みうろついているのでした。この時、青年は想いました。「ここに仲間がいた、自分よりも辛い人がここにいた。僕は世界一の不幸者ではなかったのだ。」青年は微かな連帯感を覚え、この旅で初めて人の温もりを感じたのです。そしてそこに、生きる希望が見え始めたのでした。
 
シューベルトは以上の内容の詩に曲を付けました。それはシューベルト最晩年の1827年(前半の12曲)と28年(後半の12曲)の事です。死を目前にして生を間に合わせるかのように一気に、そして完璧に書き上げたそうです。因みに後半の12曲の出版はシューベルトの死後に行われました。
 シューベルトはこのミュラーの詩に深い共感を覚えていました。それはシューベルトもこの時代に生き、同じ空気を吸い、同じ悩みを抱えていたからでしょう。しかもこの時、シューベルトは不治の病に侵されていたのです。シューベルトは強い思い入れで、この主人公を音で描写します。それはあたかも己の運命に重ね合わせるように描き、この主人公に愛を注ぎます。そしてその愛は時代を超え地域を越えて、21世紀の私達にも届くのです。その力強さこそが大芸術の証であり、技と魂の真価なのです。「冬の旅」それは正に不滅の歌曲です。

 バリトンのプライは見事に「冬の旅」を歌いこなしています。彼の明るい声と真摯な歌への取り組みはこの歌曲の主人公にぴたりと重なります。それは鮮烈な驚きを与えてくれます。
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2008年04月30日

今宵の名曲この一枚6

 今宵の名曲−6 
 ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」名場面集 ロバート・ディーン・スミス(テノール) リンダ・ワトソン(ソプラノ) 指揮:イヴァン・アンゲーロフ スロバキア放送交響楽団
 第三幕第三場「イゾルデの愛の死」ソプラノ:リンダ・ワトソン

 ワーグナーは、19世紀の半ばから後半に掛けて活躍したドイツの大作曲家で、歌劇、楽劇の大家であり、ロマン派随一の天才と謳われました。常に斬新で画期的な劇音楽を生み出し、全ヨーロッパ楽壇を席巻し時代の寵児となり、多くの民衆の話題をさらいました。その評価は賛否両論相半ばし、喧々諤々の文芸論争が勃発し、西洋文化高揚に強いインパクトを与えました。唯一の対抗馬が20才年少で古典保守のブラームスであり、ワーグナー派とブラームス派が対立し、19世紀後半の音楽界を真っ二つに割り激しく凌ぎ合いました。そしてそれはワーグナーが死ぬまで続いたのです。因みに二人の関係は、ワーグナーはブラームスを嫌悪していましたが、ブラームスはワーグナーを認め、強い興味を示していました。彼は友人にこう述べています。「僕ほどワーグナーに興味を持ち、その作品を調べ上げている人間は他にいないよ」と。

 ワーグナーは若い頃、ベートーヴェンに私淑し、彼のように成りたいと願い、音楽を志しました。修行の後、歌劇場の指揮者をしながら黙々と作曲に向かい交響曲も書きました。しかし、彼の巨大な表現意欲は絶対音楽の範疇には収まらず、交響曲やソナタ作品は失敗に終わりました。やがて自分の本分は劇音楽にあると悟り、本格的に歌劇に取り組み始めます。「リエンツェ」「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」等、僅か10年足らずの間に歌劇の名作を次々と生み出したのです。しかし、それに飽き足らずに、更なる偉大な高みを目指すのが天才です。ワーグナーは歌劇を発展させ、新たな劇音楽の様式“楽劇”を産み出し、その天才を証明したのです。楽劇は劇と音楽、また歌と管弦楽が渾然一体となって進む言わば歌の交響楽の様なもので、そこに劇(言葉)と音楽を緊密に結合させる示導動機や無限旋律の採用、また半音階的進行と不協和音の多用による人の心理の微妙な表現の実現等、様々な革新の技法が試されています。
 
 その画期的な楽劇の第一作目が今宵の名曲:楽劇「トリスタンとイゾルデ」です。物語は中世の伝説をもとにワーグナー自身が台本を書き詩作をしています。

 あらすじ
 コーンウォールのマルケ王に嫁ぐアイルランドの王女イゾルデは、実はマルケ王の甥で騎士のトリスタンと愛し合っていた。トリスタンはかつてイゾルデの許婚モロルドを討ち、その時に負った傷をイゾルデの秘術で癒された身であった。その当時イゾルデはすでにトリスタンへの恋心を募らせていたのであり、これが後の悲劇のプロローグとなる。王の命を受けたトリスタンは皮肉にも花嫁イゾルデを迎えに船でアイルランドに旅立つ。そしてマルケ王のもとへイゾルデを伴う間、トリスタンはわざとイゾルデに冷たく接し撥ね付けた。イゾルデは深く悲しみ死を願い、侍女に毒薬を持って来させるが、それは侍女により媚薬にすり返られていた。そうとは知らずに口に入れ飲み干そうとしたイゾルデの手元から飲み残しの盃を奪いトリスタンも媚薬を飲んだ。愛の酒を酌み交わした二人には以前よりも増して熱烈な愛が燃え盛り、激しく互いを求め合う様になる。王の妃になった後も王の目を盗んでは二人は密会を重ね、とうとう王の家来に見つかりトリスタンは刃で致命傷を受ける。トリスタンは居城に逃れ、イゾルデを待ち焦がれていたが、やがて駆けつけたイゾルデの腕の中でトリスタンは息絶える。マルケ王も二人を許そうとやってくるが、時すでに遅くイゾルデはトリスタンの亡き骸の上で事切れる。
 
 第三幕第三場「イゾルデの愛の死」はこの楽劇の最後の場面であり、イゾルデが亡き愛しいトリスタンの後を追い、死によって愛を成就させるこの劇のクライマックスです。しかし不思議な事にこの歌は余り悲しくありません。否、むしろ情熱に溢れていて陶酔に満ちています。その歌声は豊かで艶めかしく、更に扇情的ですらあるのです。私はここに天才ワーグナーの恋愛観や死生観が垣間見える気がします。ワーグナーはこう宣ふでしょう。「どうせ何時かは死ぬんだから、女々しい涙なんか捨て去って、人生思い切り行ってみよう!」と…。
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2008年04月20日

今宵の名曲この一枚5

 今宵の名曲−5
 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調op61 クリスチャン・テツラフ(ヴァイオリン) ディヴィッド・ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
 アポロンのコンツェルト

 ベートーヴェンは14才年長のモーツァルトと共に、西洋クラシック音楽に劇的変化をもたらした音の革命家です。モーツァルトは天性の才で感情(慈愛)を、ベートーヴェンは激烈な努力で理念(精神)を世に知らしめました。宗教の添え物であったり王侯貴族の慰め物であった古い音楽を、新たに偉大な芸術の領域に引き上げたのがこの二人でした。また、後のロマン派の発火点ともなりました。

 ベートーヴェンは伝説に彩られています。それは今日明らかにされている忌まわしい鉛中毒にまつわる事実であり、その病はあろう事か最初は耳に表れました。30才前後から難聴に悩まされ、それは次第に悪化を辿り、とうとう療養先のハイリゲンシュタットで遺書を認めるまでになりました。その年齢の若さ故、不安と苦しみは想像を絶するものがあり、死を覚悟したのは当然の事でしょう。しかしここから先が伝説の伝説たる所以であり、耳は決して回復しなかったのですがベートーヴェンは蘇えるのです。しかも鋼の意思を持って何倍も強くなって。そして人類の為に音楽に没頭します。ヒューマニズムを旗印に次々と傑作をものにして行くのです。英雄(第三)交響曲から第七交響曲まで、10年30曲の作品群は後年の批評家に傑作の森と称され、それは今日までも讃えられ続けています。
 
その傑作の森の中に類稀な一本(曲)の美しい名木(曲)があります。それがヴァイオリンとオーケストラによるコンツェルト、ヴァイオリン協奏曲ニ長調です。ベートーヴェンは元来強健な身体と快活な精神を持ち、一日中野山を歩き回っても疲れを知らない男でした。そしてその散策の道すがら楽想を練るのがベートーヴェンの日課でした。そんな最中にこのコンツェルトテーマが生まれたのは想像に難くありません。ここには全編に亘り、田園の光彩が煌びやかに差し込んでいます。そして清々しい風が吹き抜けています。その韻律は規律正しく堂々と流れ下り、そこに美しい旋律が絡み付いて行きます。それは無上の充実を表して一点の曇りもありません。
 アポロンの深い叡智の眼差しを私達に向けて。
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2008年04月05日

今宵の名曲この一枚4

 今宵の名曲 ブラームス「ゆりかごの歌」少年の魔法の角笛よりOP49-4 ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ) ヘルムート・ドイッチェ(ピアノ) 通称「ブラームスの子守唄」

 ねんねんころり        おやすみ、おやすみ、
 母の膝は           薔薇の花を窓辺に飾り、 
 夢を誘うゆりかごよ      撫子を花瓶に挿してある。
 ゆらりゆらり         さあ、布団の中に入りなさい!
 ゆらり揺れて         神様のお心のまま、 
 夢の園へ乳を飲みに      あすの朝また目を覚ますでしょう。

 以上の左が日本語の詩、右は原詩の日本語訳、日本語の詩が如何に素晴らしいかお分かりでしょう。少ない言葉で多くを語っています。でもそうだからと言って右の日本語訳が拙いと言っているのではありません。それぞれがよい仕事をしていると申したいのです。

 この歌はブラームスのハンブルグ時代の友人・ベルタ・ファーバーがウィーンで出産した祝いに贈ったものです。ベルタは気のいい優しい女性で、独身のブラームスの世話を焼いた人と言われています。特にクリスマスの晩はブラームスをファーバー家の晩餐に招待し、一緒に一時を過ごしたそうです。もしかしてベルタはブラームスのモトカノだったかもしれませんね。ベルタは歌手でハンブルグ女声合唱団の元団員でした。そしてブラームスはそこの元指揮者でした。

 ブラームスは洞察の達人だったようです。母の心持ちになったり子の気持ちになったり、様々に思いを巡らしたようです。そうでなければこんな曲は書けません。これは優しく美しい、愛の子守唄なのですから。
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2008年04月04日

今宵の名曲この一枚3

 今宵の名曲 J・S・バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068 指揮:トン・コープマン アムステルダム・バロック管弦楽団
 第2曲「エア」通称G線上のアリア(後に編曲された時の名称)

 バッハは1685年ドイツのアイゼナッハに生まれ、1750年ライプツィッヒに没しました。この時代はバロックと呼ばれ、私達ピアノ調律師にとっては大変興味深い年代です。ピアノの発明や新たな音律論の発表、また今日定番となった平均律(率)調律が芽生えたのもこの時期だからです。バッハには平均律クラヴィーアと言う傑作があり、時代に先駆けて逸早くこの調律法を活用した事実に、バッハの高い見識が窺い知れます。

 バッハの音楽は複数の旋律が呼応し競い合い、そして織り成す対位法の音楽であり、それは隙のない極めて厳格なものです。そしてそこに音の喜び、音の進行の変幻の楽しさ、さらに信仰に根ざした人間性が感じられます。その人気の高さも別格で、恐らくモーツァルトやベートーヴェンと並ぶでしょう。しかし私は本当の所、大好きにはなれそうもありません。それは心弱く感情的な私にはバッハは理に優り、強く、健康過ぎるのです。私にはもっと私の心に沿う、大切な音楽があります。それはモーツァルトにブラームス、より情の深い心のやり取りをする音楽なのです。
 それでも、そんな頑なな私の心の中にも、このG線上のアリアは住み着いています。バッハならではの敬虔な調べの中に仄かなロマンが息づいているからです。それは私にとって最も快い息遣いのできる、音の空間なのです。
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2008年03月21日

今宵の名曲この一枚2

 今宵の名曲 モーツァルト・ピアノソナタ第10番ハ長調 k330 リリー・クラウス(ピアノ)
 涙の天使 美しきアンダンテ・カンタービレ(第2楽章)

 モーツァルトの音楽は軽やかで淀みなくそして快い、とても平明な音楽です。その人気は極めて高く、今日モーツァルトを嫌いな人は限りなく少ないと思われます。しかし私は若い頃、余り魅力を感じず決して好きとは言えなかったのです。その貴族的で澄ました所が気に入らなかったのでした。私は若い男に良くあるパフォーマンスの効いた豪快に畳み掛ける様な作品が好みでした。今思い出せばそれは全く無知のなせる話でお恥ずかしい限りですが、若いとはその様な事なのでしょう。当時の私にはモーツァルトは理解できない不可思議な作曲家だったのです。

 やがて歳を重ね人生も半ばを過ぎると人の世の無常を感じ、次第に世間や自分が目に見えて来ました。それは子供から一端の大人になったと言う、言わば精神的成長の証でしょう。すると私の音楽愛好は変化を兆し、今までさほど気に留めなかった作曲家の作品まで聴き入るようになりました。そして漸く大人になった私の心にはモーツァルトが美しく響くようになったのです。このモーツァルトの不思議は一体何なのか、何処から来るのか、私にはいよいよ一つの思いが浮かび上がって来ました。

 モーツァルトの音楽は音そのもの美しさや音の運動の面白さに加えもう一つ、芸術に大切なある要素を初めて音楽に具現したものと思われます。それは人の心の複雑な襞であり、俗に感情と呼ばれる精神の浮き沈みです。人は生来孤独であり、それを忘れるために仕事や恋をし、家庭を築いて行きます。そして傷付け傷付けられ、やっとの思いで生き抜いて行きます。最期は身も心もボロボロとなり神にすがり身を委ねるのです。この人間の生き様を熟知していたモーツァルトは、人の心の隙間を埋める為、音楽にそれを託しました。寝食を省みず身を削って未来の人々の為に音楽を残したのです。こんな芸術を誰が知り得るのでしょうか。青臭い若僧に判る筈はありません。我等が大人、やっと大人になれた人々のみが真に判る音楽だったのです。

 モーツァルトの音楽には涙が隠されています。その晴朗な響きの中に涙が潜んでいるのです。そして涙は優しい温もりに変わり、慰めになるのです。モーツァルトを聴く事は涙に触れる事、それは正に魂の救いであり、希望です。涙の天使、その慈悲深い魂はこのアンダンテ・カンタービレの中にも住んでいます。私は今宵も泣きました。そして幸せでした。
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2008年03月14日

今宵の名曲この一枚1

 今宵の名曲 マリア・カラス アリア集 「THE GREATEST ARIAS」

 オペラはヒーロー、ヒロインを核としてその他多くの裏方を擁する大所帯であり、その運営には巨費が掛かります。跳ね返りは高額のチッケット代に向かい、我らが庶民には高嶺の花となります。そしてそれは日本ばかりではないらしく、昔のイタリアのある高名な映画監督は「オペラは金持ちの玩具だ。」と揶揄しています。私もオペラの周辺には高慢ちきな見栄が見え隠れしていると感じる事はあります。しかし、そんな事はどうでもよいのです。オペラは素晴らしいのです。その豊麗な歌声の魅力は何がどうであれ強く素晴らしい。私を揺さぶり、私を打ちのめし、私を虜にするのです。私はCDやテレビ放送でオペラを楽しみます。私はそれで充分なのです。何しろオペラは歌が華であり、それは音楽以外の何物でもないのですから...。

 マリア・カラスはギリシャ人のソプラノ歌手で、アメリカで生まれました。イタリアオペラを得意とし伝説的な歌唱を何度となく繰り返してきました。歌に生き恋に生き、正にオペラの中のヒロインの如く生きた彼女の生涯は、栄光と挫折が綾なしており、男の誠に恵まれなかった女の悲哀が感じられます。そんなカラスが歌うノルマやルチア、そしてトスカにヴィオレッタは己の苦悩を振り払うかのように壮絶であり、優しさや可愛さ、そして魔性までも、余す所なく女を表現しています。それは真に絶唱と言えます。
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